ギャラリー日記

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3月30日 印象記

紋谷氏の森口裕二展の印象記を紹介させていただく。

会場風景。
展覧会タイトルは、ーもののけ奇譚ー。

描かれたのは闇の世界、もののけの世界。
そして、この世界なら起こりうる事態と、
情欲と暴力の解放と、
それらに身を任す恍惚。
当事者が若い乙女という禁断。

明確な輪郭線、フラットな着色、
モチーフの特長を最大限に、分かりやすく引き出す、
デフォルメが強くかかった図像、
簡略化された画法は、
浮世絵をルーツにする、
マンガ、コミックの常套手段です。

恐らく画家は、自身の作品が、
漫画、イラストやアートのどこに
カテゴライズされるかは全く無頓着で、
結果、アートへの指向性がないまま、
内面に渦巻いている世界を、
二次元というスタイルで表出させただけだと思われます。

画家は、作品を組み立てるロジックは想定しているはずですが、
描かれた図像たちは、強い個性において勝手放題で、
ロジックは追いやられ、
観る側の感性を直接刺激してくる。
これは、アートだ。
そんな印象でした。





3月26日 臨時休廊

臨時休廊のお知らせをさせていただく。
昨夜小池都知事より外出自粛、在宅勤務の要請が出されました。
外出自粛要請を受けまして、私どもも誠に勝手ながら3月30日(月)から4月4日(土)の間を臨時休廊とさせて頂きます。
森口裕二展は4月4日まで一週間延期のお知らせをいたしましたが、あらためまして3月28日までとさせていただきます。

感染の拡大を防ぐため皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

会期の延長期間であった3月30日(月)から4月4日(土)の間は、森口 裕二個展はアポイント制にて展示をご覧いただけます。
・ご連絡いただきましたお客様のみご覧いただけます。
 ※ギャラリーはクローズしておりますので、必ずご連絡の上お越しください。
・展示をご覧になりたい方は、前日までにメールにてご予定の日時をご連絡下さい。
 ※ご予約のない時間帯は電話に出られない可能性が御座います。
・ご来場可能時間は12:00〜18:00となります。

ご来廊の際には、マスクの着用をお願い申し上げます。
また、発熱や風邪の症状がある方は、ご来廊をお控え頂きますよう何卒お願い申し上げます。

今後も状況により変更が生じる場合が御座いますので、
事前にギャラリーのウェブサイト、SNSをご確認下さい。

お客様にはご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご理解とご協力の程よろしくお願い申し上げます。

3月25日 コメント

森口裕二の友人ヤマベタケシ氏がこんなコメントをフェースブックに載せてくれたので紹介させれいただく。

古い友人である、#森口裕二 個展「もののけ奇譚」にいく。

エロと「日本の怪し」を融合した新世界。緻密に描き込んだ妖怪には、赤塚不二夫みたいな遊び心も感じた。

マンガ、アート、浮世絵を越えた独自の境地は俺らを射抜く。

ああ、「目に見えないもの」とはこうして共存すればいいのか。

一緒に行った高校の同級生のK曰く。「こんな大きいサイズであの絵が描けるなんてよっぽどイカれているなあ」と褒め言葉。そうよ。森口くん、すごいんだから。尊敬してる。

#浅草日記 #浅草ライター



3月23日 コロナショック

新型コロナの蔓延がとどまるところを知らない。
オリンピック・パラリンピックもこの状況だと多分延期か中止になるだろう。

身近なところでも感染する人が出てきた。
東京美術クラブでの交換会(業者だけのオークション)で感染者が出たようだ。
4月早々に美術クラブで全国美術商連合会の理事会が開かれる予定だがどうなることやら。

私が入っているロータリークラブの例会場となっているホテルでもアルバイトの従業員の感染が判明した。
既に例会は3月いっぱい休会で、更にゴールデンウィーク明けまで休会を延長することになった。
予定されていたクラブの観桜会も中止。
また、ハワイで開催される予定だったロータリー世界大会も中止。
早くから航空券を抑えていただけに、有志だけでも観光で行こうと思ったが、ハワイも入国すると2週間隔離されるということになり断念。

感染者の出たホテルにとっても痛手だろう。
多くのキャンセルが出ていて、その上感染者が出たとあっては更にキャンセルが続出するだろう。
オリンピック・パラリンピックも中止となると、新国立競技場や代々木の競技場に近いホテルだけに、 既に予約でいっぱいだったはずだが、これもダメとなるとホテルの存続に関わってくる。

うちも安閑としてはいられない。
台湾、香港、上海やフランスなどヨーロッパでも人気の森口裕二の展覧会なのだが、楽しみにしている人が皆来れなくなってしまった。
5月も韓国や台湾、香港で人気の山本麻友香展があるが、海外の人はおそらく見にこれないだろう。
逆にローマ・ロンドンで予定されている山本麻友香、中村萌、岩渕華林が参加するグループショウも開催は難しいだろう。
既に4月から始まる予定だった私どもの作家30名による中国7都市を巡る展覧会も中止になった。

うちみたいなところでもこれだけ大きな影響が出ているのだから、旅行代理店やホテル、 バス会社などの観光業や航空会社、団体客を見込んだレストランはオリンピック・パラリンピックが中止になるとどういうことになってしまうんだろう。

日本経済に与える影響はとてつもなく大きい。
というよりは世界大恐慌になる可能性だってある。

なんとしても乗り気ななければならない。
その覚悟が必要である。

3月16日A 印象記A

福田淳子個展 最初は、
水面での自然現象のある刹那を
写真で撮り、何らかの画像処理を加えた
平面作品のように見えていました。
自然に起こった事象にたまたま出会い、
それを切り撮って定着させた感じ。

しかし、これらの作品群は、
水面に浮かんだ複雑な模様を紙に写し取った
マーブリング技法であることを知れば、
その意味するところが激変します。

これらの平面で起こっていることは、
他の場所で起こった自然現象の再現ではなく、
ドローイングと同じく、
作家が平面で起こした現実(実態)です。

水面に顔料を広げ、動きを与え、
複雑な振る舞いのある瞬間を写し取る。

作家の美的感性が
シンプルに、ストレートに他者に伝播します。
美術の強度は、
逃げ隠れできない状況で現われる。
そんな印象でした。


3月16日@ 印象記@

展覧会は既に終わってしまったが、紋谷幹男氏の印象記が送られてきたので紹介させていただく。

CERAMIC WORKS
木村繁之/塩澤宏信/木下雅雄

 粘土は自在な可変性があり、
着色も可能なので、
精緻にリアルに造り込む作風の作家には、
お誂え向きの素材、画法です。

腕の立つ作家に掛かれば、
あり得ない事態が現実として出現することになります。

木下雅雄​の展示エリア。
被り物の面白みは、マスク(仮面)と違って、
本人の顔が露出したままで、
別のモノになり切るという強引さと、
それに伴うコンフージョンです。
作品の当人たちの視線は正面を見据えるのではなく、
あらぬ方向へ彷徨い、
当人の抗しがたい欲求が
実は、この事態を引き起こしたことに
身を任せているようです。


木村繁之の展示エリア。
美術は視覚情報なので、
視覚以外の感覚を刺激しないはずですが、
音や香り、それらが漂う時間などが
意識される不思議があります。


塩澤宏信の展示エリア。
モノ作りの目的には、
役に立つ道具、装置を生み出すことだけではなく、
役に立つ機能を有さない道具、装置を生み出すことも
あるわけで、
それがドラマチックに観る側を別の世界へと誘い込むならば、
そんな道具、装置はガラクタではなく、
アートと認識されます。


3月14日 個展初日

朝から冷たい雨が降り、これではお客様がもし並んでいたら申し訳ないと、早くに画廊へ向かう。

行ってみると心配したほどのことはなく、お一人だけが早くから入口の前に立っておられた。
寒いのに申し訳ありませんとお伝えし、椅子にかけてお待ちいただくことに。

10時になったので整理券一番をお渡しし、開廊の12時に改めて来ていただくことにした。

そうこうしているうちに、また一人懇意にしているお客様が来られ、整理券をお渡しして画廊でお待ちいただくことにした。

後は国内外からメールでの注文がきているので、画廊に来られた方を優先してから、順次ご返事を差し上げようと思っている。

並ぶというお問い合わせが多かったのだが、やはり大作がほとんどなので、皆さん遠慮されたのだろう。
後は会期の間、コロナ騒ぎで来ていただくのは気がひけるが、無理のない範囲でお越しいただけるのをお待ちしている。


3月13日 森口裕二展

森口裕二展がいよいよ明日から始まる。

コロナ騒ぎがますます拡大し、世界中が怯え身を竦め、世の中が凍りついたようになり、世紀末の様相を呈してきた。

そんな最中に森口展を迎えることとなった。

果たして見に来る人がいるのだろうか、こんな時に展覧会をやっていいのかという声も聞こえる。

ところがである。

始まる前から多くの展覧会への問い合わせと購入希望がきていて、収拾がつかなくなる懸念もあり、 明日初日は11時までにお越しいただき、先着順で整理券をお渡しして、12時より順次お入りいただくことにした。

ただ、今回は大作が中心の展覧会で、並ばれた方のご希望に添える作品があるかどうか不安ではあるが、取り敢えずはそのようにさせていただくので、 お越しいただく方には大変申し訳ないが、お並びをいただきたい。

さて明日混乱するのか拍子抜けに終わるのかはわからないが、万全の準備で明日を迎えることにする。



3月12日 出会い

FBの過去の思い出がアップされ、2年前にこんなことを書いていました。
台北での中村萌展が終わり、今一度そのことを思い出しています。

今回のフェアを振り返って。

私達の仕事は出会い、縁というものが大きな要素の一つになっている。

今回のフェアの中村萌の人気は単なる浮ついたものではなく、そこに到るまでの縁、そしてその縁をチャンスと捉えて、前に進もうというアグレッシブな思いが、 こうした結果に繋がっていると思っている。

長くなるがここに到るまでの巡り合わせを書いてみる。

もう20年近く前になるだろうか。
今回のフェアの前身であるNICFに先週まで私どもで個展をしていた鈴木亘彦で参加した。

出展するにあたり、どうしたら成功するかいろいろとアイデアを考え、作品の良さもあって何と80点余の作品が売れたのである。

その時参加していた韓国の画廊がこれを見て韓国の今思うと小さなフェアだったが、そこへ招待をされることになった。

その辺の経緯は以前にも書いたが、こうして韓国へ出て行くことになった。

この画廊のオーナーは後に韓国画廊協会の会長になり、アートフェアKIAFを開催することになり、お手伝いをさせていただくことになった。

このフェアに山本麻友香で参加したことが後の彼女の韓国で人気に繋がるのである。

そうこうしているうちに韓国のオーガナイザーからニューヨークのフェアに誘われ、参加した際に台湾のフェアのプロモートに来ていた方に出会い、 こんど台湾も国際フェアを予定しているので参加と日本でのプロモートを頼まることになった。

。 こうして今度は台湾に進出することになり、紹介作家の中に中村萌が加わり、彼女の作品をコレクションする人が増えていったのである。

そのコレクターの一人がモンスター台北というフィギュアショーの主催者だったこともあり、フィギュアの制作とショーへの招待を受けることになった。

こうして彼女の人気が若い人達の裾野にまで広がり、今の更なる人気に繋がっていくのである。

フィギュアで彼女の作品に出会った方が、そこからオリジナル作品を購入するようになり、100点を目標に将来は中村萌美術館を造るという夢を抱いている方までおられる。

今回の中村萌の人気も、こうして振り返ってみると、多くの出会いの重なりとその出会いのチャンスを逃さなかったことが、今に繋がってきたのだと思っている。
出会いを大切にし、その出会いをどう活かすか、プロモート下手の私にとって、それがなにより大切にしているものである。

そして、人気とは別に常に作家を支え続けることが画廊としていちばん重要なことではないだろうか。


3月10日 コロナショック

コロナ蔓延で世界各地で株価が急落し、ニューヨーク市場では金融危機以来の取引停止となった。
日本も日経平均株価が19,000円を一時下回り、2018年12月以来の水準まで大幅に下落した。

美術業界にもその影響は大きく、アジア最大のビックイベントであるアートフェア香港バーゼルやアートセントラルが中止になり、 日本でも今週開催予定であったアートフェア東京が急遽中止を発表した。
朝日新聞にはそのことに関して大きな見出しで、「コロナ、美術市場に冷や水」と掲載された。

確かに空港に人がいなくなり、銀座も土曜の昼過ぎに歩行者天国を見てみると人がまばらで、当然画廊に来る人も少なくなっていて、美術市場への影響は大きいと予想される。

アートフェア東京には訳あって参加しないが、その時に来日するから海外のお客様はうちも当てにしていた。
しかしながら、中国、香港、韓国の方達が来日しても隔離されることになり、となると当然来ることはなく、仮にアートフェア東京を開催していたとしても、 かなりの打撃を受けることになっただろう。

ただ、これは私のところがそれほど影響がないと言うつもりはないが、たまたま海外の人を当て込んで立てた今週末に開催する展覧会に、 日本の方からどうやったら買えるのかと言う問い合わせが相次いでいていて、結果混乱してもいけないので、開廊1時間前までに並んでいただき 、整理券を配り、その順で作品をお求めいただくことにした。
うちにしては高額な作品が多いので、実際並んでいただいてもそれほど売れるとは思ってはいないが、 それでもこんな時期に並んでまでも買おうという人がいることは大変ありがたいことである。

厳戒態勢をいち早く敷いたため、コロナ感染者が少ない台湾でも、一昨日終了した中村萌個展の台北での開催をどうするかギリギリまで悩んだ末に実施に踏み切った。
開催しても人が来ないのではとの不安があったが、蓋を開けると有料入場にもかかわらず、 17日間毎日延々長蛇の列で、まだ集計は出来ていないが、オリジナル作品はもちろん200限定の3種のフィギュア、画集、 トートバッグ、ピンバッジ、ポスター、ポストカード全て売り切れとなってしまった。

台湾パワーに圧倒された17日間だったが、アートファンにとって好きなものを見ること、買うことはコロナ騒ぎとは別物だったのだろう。

アートというものは私はそういうものだと思っている。
三度の飯を控えてもアートに関わりたいという人達がまだまだいるのである。

高額な作品は市場に大きく影響されるだろうが、手頃な価格のものはオイルショック、湾岸戦争、バブル崩壊、 リーマンショックなどの市場崩壊を経験してきた私には大した影響はないと見ている。

それで50年以上なんとかやってきた自負がある。
心理的に買い控えるということはあっても、痺れを切らし我慢も限度という人たちもいるはずだし、コレクションとはそういうものである。
いつまでこのような状況が続くかわからないが、私は自分がいいと思う作品を提供していけば必ずそれに応えて下さろお客様がいると信じている。

朝日新聞見てろよ、コロナ何するものぞの心意気でやっていきたい。



3月8日 中村萌個展が終了

中村萌個展が終了した。
主催をしてくださったモンスター台北の黄社長には周到な準備と展覧会への熱い思いのおかげで、このような大成功に繋がったと心より感謝申し上げる。

コロナ騒ぎにの中開催も危ぶまれたが、実施の判断を下し、そのための健康管理にも入念なケアをし、多数の入場者にもかかわらず、混乱することなく、 つつがなく展覧会を終えることができたのも黄社長はじめスタッフのたゆまぬ努力によるもので、お見事と言う他ない。
日本でこれだけのことをやれと言われてもとてもできるものではない。
台湾の多くの方の思いが結実した結果だと思っている。

開催にあたり、中村萌作品を快くお貸しいただいたコレクターの皆様にもお礼を申し上げなくてはいけない。

スタッフの皆さんにも17日の間お世話になり、昨夜は夜中迄撤収作業に追われ、大変なご苦労をかけたこと厚くお礼申し上げたい。

そして、多くの中村萌ファンの皆様にお越しいただき、長時間にわたり入場をお待ちいただき、中には毎日お越しいただいたファンの方もおられたようで、 誠にありがたく心より御礼を申し上げる。
これからも中村萌の更なる成長を温かく見守っていただきたくよろしくお願い申し上げる。
ありがとうございました。謝謝‼️



3月6日 サクラクレパス

株式会社サクラクレパス様からの依頼で、究極のクレパス「スペシャリスト85色88本セット」を提供いただき、 各作家さんが基底材やテーマは問わず、自由に制作していただく展覧会「現代アーティストクレパス画展」が1996年以来今回で10回となり、 過去280名余のアーティストが出品してきた。

この展覧会は大阪本社のサクラアートミュージアム、創業者がの出身地で収集された梅原龍三郎、小磯良平、林武、 川合玉堂などの近代美術から岡本太郎、猪熊源一郎などの現代美術作品が所蔵展示されている鳥取日南町美術館、他で開催される。

この秋の記念すべき10回展に、私どもの作家10名が参加することになった。

確か第8回展にも私どもの作家が参加し、堀込幸枝、服部知佳、冨田有紀子の作品が買い上げとなり所蔵されている。

今回は前回と違った作家で、小林裕児、金井訓志など10名が出品をする。
いつもと違った画材でどんな絵が出来上がるか楽しみである。


3月5日 買い占め

ティッシュやトイレットペーパーが買い占められているニュースが流れていて、なんて浅ましい人達がいるのだろうと思っていたが、家のそばの薬局に薬を買いに行ったら、 なんと棚にいつも溢れているティッシュやトイレットペーパーが全くない。
デマに惑わされ買い漁る人がこの近所にもいると思うと情けなくなる。
マスク同様に転売目的の人も多いという。

FBで見たが、イオンが店内に大量にトイレットペーパーを積み上げ、無くなるとすぐに補充し、お一人さま10点までと書いたら、誰も買わなくなったそうだ。
そんなもんである。

40数年前のオイルショックの時も同じようなことがあり、うちの両親も大量に買いだめし、後で始末に困ったという。
人間の業はいつまで経っても変わらない。

さて、台北の中村萌個展でも少なくなったとはいえ、転売屋に雇われたおばさんたちが並んでいるという。
こちらはデマに惑わされて買いにくる人ではなく、まさに転売目的だけで並ばせているのだ。

展覧会を企画し、一生懸命制作し、ファンの方に持っていただこうと思っているアーティストを含めた私達がこういう人達に踏みにじられていると思うと悔しくて仕方がない。

こういうご時世だから仕方がないという人もいるが、私は仕方がないでは済まされないと思っている。
イオンではないが、私はなんらかの方策を講じて、こういう人を排除したいと思う。
それでもし価格が下がったり、作品が売れ残るようだったら、それでもいいと思っている。
その時に買ってくださるお客様こそ本当に私にとって大切なお客様だと思っている。
またそういうお客様もたくさんいると信じている。

人のふんどしで金儲けしようとする輩を私は絶対に許すことはできない。

3月4日 3月に入り

画廊の前の早咲きの桜並木の花も盛りを過ぎ、春の訪れも間近なのだが、3月に入り暖かったり、寒くなったりで不順な天候が続く。
その上コロナ騒ぎで、画廊を訪れる人も心なしか少ない。

こんな中でも、3月20日からのアートフェアー東京2020は実施の方向だったが、出展画廊のキャンセルが相次ぎ、雲行きが怪しくなってきた。

主催者側のなんとかやりたい気持ちはわかるが、遠方から参加する画廊や、来場者を期待できないのではと不安を募らせる画廊は多く、 参加を見合わせる画廊が増えるのは仕方ないことだろう。

私は訳あって、アートフェア東京には参加しないので、なんの影響もないが、準備を進めてきた参加画廊のことを考えると、 もう少し早くに中止の方向で関係各位に伝えるべきではなかったかと外野席からは思うのである。

香港をはじめ内外のフェアやオークションがいち早く、中止、もしくは延期を発表しているのに対し、 アートフェア東京だけが実施の方向で進むことに首を傾げていたが、おそらくこの状況であれば中止せざるを得ないだろう。
そうだとすれば、遅きに失したと言わざるを得ず、主催者の責任も問われることになりかねない。

まだ正式の発表はないようだが、成り行きを見守りたい。

追伸

正式に中止が発表されたようだ。


2月28日 地中美術館

案の定雨!
気温も低く、あちこちに点在するアートポイントを見て回る予定だったが、まだ風邪が治りきらない年寄りには無理みたい。

朝食を済ますとまずは地中美術館へバスで向かう。
バスを降りたらすぐのところに美術館はなく、大したことはないがモネの蓮池を模したというミニ庭園を横手に眺めながら山道を上がって行く。
建物らしきものは見えないが、ベネッセの自然と共生という理念を汲んだ安藤忠雄の設計もあって、自然の景観を損なわないように、 名前の通りに山の頂から地中深くに美術館は造られている。

コンクリートに囲まれた城塞のような建物の中に入るとすぐには展示を見ることができない。
グルグルと迷路のような通路を進んでいくと漸くモネの部屋にたどり着く。
ここには超大作のモネの睡蓮の作品など数点が展示されている。
現代美術に囲まれている直島にあって印象派の作品に出会うと少し違った感覚に襲われるから不思議だ。
隣の部屋にはジェームス・タレルの光の作品。
ここはもろ現代美術。
光に吸い込まれるような空間が展開される。
そこからまた迷子になりそうになりながらウォルタ・デ・マリアの部屋にたどり着く。
巨大な黒御影の球体と黄金色の三本の柱が屹立する作品がいくつも整然と置かれていて、教会のような空間に入った錯覚を覚える。
さあ次はと思ったらこれで終わり。
殆どは安藤忠雄の建物を見学に来たようで拍子抜け。

またバスに乗り、次はリウーハン美術館。
リウーハンのもの派の真髄とも言える石と鉄板による作品が再制作され屋外に展示されている。
中にもポツンと自然石が置かれ、まるで禅寺のようだ。
絵画作品の部屋にはフロムライン、フロムポイントなどの代表作が飾られ、東洋の精神性の表現を目指したリウーハンの意図が伺われる。
ここもあっという間の展示で、わざわざ来たにしてはあっけなさすぎる。
ここも安藤忠雄作品鑑賞の印象が強い。
自然と共生とうたうわりには硬質なコンクリートの建物に違和感があって、 もっと木材など自然にマッチする隈研吾のようなデザインの方が良かったのではと思うのは私だけだろうか。

雨も強くなり、ここでアートツアーを終えて、昨夜食事をしたベネッセミュージアムでもう一度展示作品を見てからベネッセハウスに戻り狭い部屋でゴロゴロして過ごした。
雨男では仕方がない。


2月28日 直島

直島のベネッセハウスに来ている。
日曜日に岡山で親戚の結婚式があって、その前にとやってきた。
飛行機で岡山空港へ、空港からタクシーで30分ほどで岡山駅、そこからバスで1時間ちょっとかけて宇野港へ、そこから小型船に乗ってようやく直島に到着。
そこから迎えの車でベネッセハウスへやっとたどり着いた。
こんなに遠いとは思わなかった。
着いて早々にまた車に乗ってベネッセミュージアに行き、そこのレストランで夕食。
建物が点在していて年寄りにはきつい。

ミュージアムの中も迷路のようで、レストランにたどり着くのもやっとのこと。
なんとも不便である。
安藤忠雄の設計がそうさせるのだろう。

展示も階段を上がったり下ったり、照明もわざと暗くしていて、杉本博司の写真など真っ黒にしか見えない。
安藤忠雄さん自分勝手すぎませんか。
ただ展示されている作品は見応えがあり、食事の後あっち行ったりこち行ったりだったが、まあ楽しむことはできた。

柳幸典、杉本博司、宮島達夫、ナウマン、クリネス、ホックニー、シャピロ、ボロフスキー、ロング、リヒター、セザール、 バートレット、ジャコメッティ、チャンシャオガン、パクソボーなどなど内外の現代美術が展示されている。

屋外にはニキドサンファール、アペル、草間のカボチャなどが置かれている。

見終わり部屋に入ると,値段の割にはビジネスホテルみたいで、部屋も狭くクローゼットもない。
文句たらたらだが料理が美味しかったのと展示が良かったので我慢する。

明日は地中美術館、リウーハン美術館などに行ってみようと思っている。
ただ予報は雨、美術館以外にも見所がいくつかあるが、寒さと雨の中果たして回ってこれるだろうか。



2月27日 コロナウイルス

台湾から帰国後、喉の痛みをなんとか凌いでいたが、画廊で馴染みのお客様とよせばいいのに喋り過ぎて、また喉を痛めてしまい、 一昨日からは熱が出て、昨日今日と画廊を休んでいる。

明日から岡山で親戚の結婚式があり、ついでに直島の美術館を見てこようと思っていて、何とか治さなくてはいけない。

コロナが蔓延していて、こんなご時世に私も周りに風邪を引いたとは言えず、医者に行くのも大した風邪でもないのに行くのは迷惑だろうし、家でじっとしている。

暇なので、テレビを見ると、どこもコロナ一色で、コロナにかかった人はさぞかし肩身が狭いだろう。
マスクの取り合いで、横浜では取っ組み合いの喧嘩をしているニュースも流れていて、なんとも浅ましいことで情けなくなる。

ただマスクは確かにどこも売っていない。
台湾では多くの差し入れをいただいたが、そのなかには大量のマスクが入っていて、台湾でもマスクは何よりの贈り物になっているようだ。
帰国の前の晩には、お世話になっているお客様から漢方の喉の飲み薬をいただいた。
早速その場で飲むことにしたが、喉に染み渡るようで、翌日にはまったく出なかった声が出るようになったからびっくり。
お客様に薬のお陰で声が出るようになりましたとメールをすると、翌日スタッフにその飲み薬を4本また持ってきてくれたという。
台湾のお客様はこの方に限らず、そのもてなしは尋常ではない。
いつも恐縮ばかりしていて、日本ではこれほどのことはとてもできない。
と思っていたら、留守中の画廊にも遠方からお越しいただいたお客様が、 これまた大量のマスクと消毒液をお土産に持ってきていただき、この時節何よりのことと感謝している。

コロナの影響であちこちとイベントが中止になり、私が入っているロータリクラブも創立63年にして初めて毎週行われる例会が3月いっぱい休会となり、 その後も様子を見ようとなった。

そんなこともあって、私が幹事を務めることになっている高校のクラス会も4月に入ってからなのだが、延期にすることにした。
過剰反応というクラスメイトもいるが、みんな73、4歳の高齢者ばかりである。
これが最後のクラス会ならともかく、転ばぬ先の杖、用心に越したことはない。

どちらにしてもこの騒ぎ1日も早く収束してもらいたいものだ。


2月23日 帰国

今朝早くの飛行機で帰国。

展覧会2日目だが、今日も長い行列が。
昨日よりは並び屋は少なくなったとの報告があった。
2回に分けて行われるサイン会も盛況のようだ。
混雑を避けて別会場でやることになったみたいだ。

帰ってきて改めて思うことは、10年足らずの異国の若いアーティストに何故台湾の人たちは熱狂するのだろうか。

作品の魅力もあるだろう。
奈良美智の再来という人もいる。
彼女の容貌が可愛く、作品の顔もそっくりなところが魅力という人もいる。
オークションで高値がついているからという人もいる。
台湾の人は概ね木彫の立体好きが多いということもあるだろう。

それにしてもわからない。
これだけの若いアーティストに長い行列が連日続くとは。
それも日本の美術館のようにただ見に行く人が並ぶわけではない。

ここに並ぶ人はほとんどが彼女のフィギュアが欲しくて来る人達である。
もちろんオリジナルを欲しい人もいる。
フィギュアは手が出ないが、アートグッズを欲しい人もいる。
フィギュアは今回の価格は20万円となっていて、若い人にとってはかなり高額な買い物である。
どちらにしても並び屋さんを除いて全て買いに来る人ばかりである。

この先一体どうなるのだろうか。
いつまで人気が続くか怖い気もする。

人気絶頂時代の手塚治虫がいつか売れなくなるのではないかと不安がっていたという話を聞いたことがある。
テレビで引っ張りだこだった一発芸人が次々と消えていくことも知っている。

スランプもあるだろう、マンネリとなることもあるだろう、慢心もあるだろう。
それを乗り越えてこそ本来のアーティストになれるし、そうあって欲しいといまの人気を見てつくづくと思う。

私は他の作家さんもそうだが、どんな時も支え続けていくことに変わりはない。


2月22日 一般公開

さていよいよ一般公開で、これもどれだけの人がき来てくれるか不安だったのだが。

行ってみると入口から長い行列が出来ている。
朝4時から並び始めたそうだ。
延々と続き、建物を取り囲み、さらには駐車場には二重に行列が出来ている。

3年前の東京のアートフェアで200人もの長い行列が出来たことがあったが、それの比ではない。
今日からは有料入場で、チケットはネットやコンビニ、モンスター台北で当日指定のチケットを毎日発売することになっているのだが、 毎日瞬時に売り切れたそうで、コロナ騒ぎがなければ、相当な人がくるとは想像はしていたが騒ぎを物ともせずこれだけの人が来るとは予想だにしなかった。

あまりの多さに30人づつ入場してもらうことにしたが、7時の終了時までに入ることができるかどうか心配になってきた。

いよいよ入場となったが、怪しげなおばさん軍団が次々と入ってきて、作品を見ることなく一目散に出口の手前にあるアートグッズの売り場と、 グッズを買った人だけがフィギュア購入の抽選ができる所に並び始めるではないか。

展示場には数えるほどの人しかおらず、他は出口に向かいずらっと並んでいる。
おばさん軍団は並び屋と言われ、ダフ屋に雇われて早くから並んでいる人たちである。

これだけの準備と展示に時間を割いて来ただけに、こんな不逞の輩に展覧会を踏みにじられていると思うと、腹が立つというよりは悲しみが増し、悔しくて涙が出そうになった。
作品を制作してきた中村萌と、その作品を愛し早くから訪れてくれる人たちの心を踏みにじる行為である。

それでも入場券を手にしているのだから仕方がない。
出口のすぐそばでは、図々しくも元締めがおばさん軍団にお金を払っているではないか。
後で分かったことだが、今日は180人の並び屋を雇っていて、月曜日には200人を並ばせるとネット上で豪語している。
堂々とこういうことを言うとは、我々を嘲笑い、挑戦状を突きつけているとしか思えない。
ネット上に載っていることを何人ものお客様が知らせてくれた。
こうした人達を排除すべく、主催者のモンスター台北の黄氏が知恵を絞って考えた挙句の方法がこれである。
入場券を買った上で、グッズを購入し、その上で身分証明書を提示して初めて抽選券を手にすることができるとしている。
抽選に当たった人がフィギュアを取りにきた時は、身分証明書を照合した上でしか渡さないことになっていて、これでなりすましを防げるはずなのだが。
それでもこうしてやってくるのだから始末におえない。

防ぎようがないのだろうか。
うちで昨年個展をした時には、フィギュアの販売に関しては私どものお客様だけにしか売らないと公言していたので、そうした輩は一人も来ずに済んだが、 不特定多数のお客様を対象としたトイショウを主催するモンスター台北ではそうもいかないのだろうか。

次からは一考してもらいたい。

こうした並び屋がほぼいなくなると、次からは熱心に見てくる人たちで、長い間文句も言わずに整然と並んでくださったことには頭が下がる思いである。

結局、雨が降ってきたり、気温も下がってくる中、終了の7時まで行列が途切れることはなかった。

終わって今日の割り当て10点のフィギュアの抽選をすることに。
公明正大ということで、出口を出たところの皆さんが見ているところで、黄氏と中村萌がいっぱいになっている投票箱の中から10枚の投票用紙を選んだ。

見守っている人の多くは並び屋の元締め達だったが、表情を見ていると今日はダフ屋には当たらなかったようでホッとしている。
明日の朝には帰京するが、今日のようなことが続くのだろうか心配だが、展覧会が成功裡に終わることを願うばかりである。





2月21日A 開幕

会場に行くと既にお客様の多くが中に入っていて、2時からはプレスだけのはずだったのだが。

入り口には贈られた花が並び、展示場に入る通路の壁には、美術評論家や中華圏で大人気の歌手で萌の熱狂的なファンでもあるJJリンのコメントや中村萌の言葉、 プロフィールなどが大きく貼られている。

会場内は華やかに作品群が並んでいて、これほどの作品を一堂に見ることができない日本のファンの人たちは地団駄を踏んで悔しがることだろう。
それでも何人かの日本のコレクターもコロナ騒ぎの中を来ていただいていてありがたいことである。

レセプションはモンスター台北の代表黄氏の挨拶に続き、中村萌、私、同行した中村の父親、 台湾コレクターで私どもの作家も多数コレクションしているF氏の挨拶と続き、終わる8時まで中村作品を皆さんに十分に堪能していただき、 皆さん口を揃えて素晴らしい展示とおっしゃっていただいた。

お客様が来ないのではとの不安はどうやら杞憂に終わったようだ。







2月21日@ コレクション

いよいよ今日2時よりプレスプレビュー、5時半よりオープニングレセプションが始まる。

その前に台湾の著名なコレクターのJ氏からお誘いを受け、ビルの一室にあるコレクションルームを見せていただく。

部屋に入ってびっくり。
まずは名和晃平の大きな虎が目に飛び込んでくる。
大きな部屋に向かう廊下には、これまた2、3メーターはあるだろう巨大な立体作品や絵画が所狭しと飾られている。
部屋は二部屋あり、私の画廊の2倍はあるだろうか、その大きなスペースにこれまた巨大な名和の鹿の立体をはじめとして台湾、中国の著名作家の大作が並び、ただただ圧倒される。
さらに驚きは巨大なドイツ製のスピーカーを備えるオーディオ装置が置かれていて、ここから流れる臨場感あふれる音楽を聴きながら、ご自分のコレクションを眺める時は、 さぞかし至福のひと時であろう。

J氏からいくつもの中村萌作品をお借りしているが、こうした作品群の中に彼女の作品が飾られていることは、この上ない光栄なことである。

更に奥の扉を開けるとストックスペースとなっていて、ここだけでもうちの画廊くらいある。
そこにもぎっしりと作品が置かれているが、これも大作がほとんどでどれだけ持っているのか呆れるばかりである。
足元に草間の作品が転がっていて、思わず蹴飛ばしそうになったくらいである。

終えて、昼食をミシュラン二つ星のレストランでご馳走になる。

昼からフルコースで毎度のことだが、食べきれないほどの料理が次から次へと出てきて、 会場に行く前に満腹で動けそうになく、このまま昼寝をしたくなる。

J氏夫妻の車と親友のこれまたJ氏の車で会場に向かう。
因みにJ氏の車はマセラッティーである。



2月20日A 展示準備

いよいよ明日から中村萌の海外での初個展が始まる。

主催をしてくれるモンスター台北の代表黄氏が綿密の計画を練ってくれたおかげで素晴らしい展覧会になりそうだ。

中村萌は彼女の友人のデザイナー二人とともに、2ヶ月前に会場に向かい、会場デザインと展示プランを練り上げ、 それをもとに設営準備が進められ、画集やトートバック、大判ポストカード、ピンバッジ、ポスターとアートグッズの制作も何とか間に合い、初日を迎えることとなった。

ただ、今回紹介するフィギュア2種類は香港で制作していているのだが、コロナウイルスの影響で物流が止まっており、こちらは見本だけの展示となった。

展示作品は全て台湾のお客様からお借りし、木彫、油彩、ドローイングなど10年間に制作した作品77点が飾られる。
これだけの点数が一同に揃うことは初めてのことであり、広い会場があってこそである。

100年前にできた日本の酒造工場の建物をそのままに、市が文化エリアとしてリノベーションし、 レトロな雰囲気を残したままに、映画館、ライブハウス、カフェ、レストラン、ショップ、展示場などが並ぶ、華山文化創園区と呼ばれる文化ゾーンに生まれ変わった。

この中心にある建物を会場として使うことになり、高い天井とすすけた壁のある空間をパーテションで囲み、もったいないくらいの展示会場が出来上がった。

私は夜遅く台北に着いたので、写真でしか展示場を見ておらず、どんな具合に出来上がっているかの期待感とコロナウイルスで果たしてお客様がきてくれるかどうかの不安感で、 どうやら今夜は眠れそうにない。



2月20日@ 台北出発

中村萌の展覧会オープニングレセプションの開催に合わせて、午後6時の飛行機で台北に出発。
コロナウイルスの影響なのか夕方の時間帯ということもあるのか、空港内はいつもと比べてかなり人が少なくなっている。
マスクをして、花粉症用の眼鏡をかけ、手袋もして準備万端なのだが、肝心の本人が昨日から喉が腫れ、微熱もあるようだ。
台北の空港の検疫で引っかからないか少し心配。
大したことはないと思うが、先発したスタッフも体調を崩しているようで、台北の気温が低くて寒さと展示準備の疲れもあるのだろう。
薬を用意して持っていくことにする。
日本人二人がゴホゴホやっていては何とも格好がつかない。
明日からは台北も暖かくなりそうなので、気合で治さなくてはいけない。

2月18日 高坂和子展

嬉しい便りが届いた。

2001年に高坂和子さんの展覧会を開催したが、作家のお嬢さんから手紙が届いた。
高坂さんは81歳で亡くなって14年余りが経ち、この度、釧路芸術館で所蔵品14点が一般公開になるというお知らせで、リーフレットが同封されていた。

長くなるが、高坂さんとの出会いは、当時放映されていた日本テレビ「美の世界」のディレクターの紹介であった。
テレビで流れた映像は見ていなかったが、そのディレクターが素晴らしい作家なのでぜひ見て欲しいと言ってきた。
聞くと、70歳になる作家で50歳になって独学で勉強したそうで、根室に住んでいるという。
是非見て欲しいと言われても、遠い根室まで出かけるのは躊躇われるし、ましてや70歳のアマチュア作家である。

体良くお断りしたのだが、その後も熱心に言ってこられ、更には札幌にある道立美術館の学芸員からも機会があれば一度見て欲しいとの手紙が届いた。

皆さん熱心に言ってこられるのだが、それほどの関心もなく日が過ぎて行った。

そうこうしているうちに高坂さんから手紙が届いた。
道立美術館と釧路芸術館で作品が展示されているので、よければ見ていただけないかと書いてある。
見て、駄目なら札幌もしくは釧路で引き返してもらっていいが、もし目に止まるようなら根室に来て、他の作品も見てもらえないかとのことであった。

その熱心さに絆されたというか、実は私の趣味の一つに野鳥観察があり、丁度釧路雪原に丹頂鶴が飛来しているとのニュースが耳に入り、 観察を兼ねて行ってみるかと重い腰をあげた次第である。

広い北海道を一泊二日で札幌、釧路、根室と廻るのだから、後から考えると無謀な日程だったのだが。
まずは札幌で作品を見てみる。
単なる野草を描く写実画とたかを括っていたのだが、とんでもなかった。
野に咲く花の一部を切り取り、その情景を描いているのだが、その花、その草がまるで目の前で咲き広がっているように生き生きと描かれているではないか。

年寄りのアマチュア作家とみくびっていたのが恥ずかしいくらい、そこには草花の息吹が、差し込む光が、作者の野花を見る喜びが描かれている。

引き返すどころか、直ぐに列車に飛び乗り釧路に向かった。
だが、釧路は既に暮れかかっており、着いたときには美術館の閉館時間はとっくに過ぎていた。

裏口から、ここへ来た経緯を話すと、親切にも入館が許され、一人美術館で高坂の作品を鑑賞することになった。
全て大作で、他の著名な作家の作品を圧倒していた。

翌朝早く、列車で根室に向かう。
釧路から乗ってきた高校生達が途中で下車すると、乗客は私一人、単線でのんびりと運転手さんと話をしているうちに根室に着いた。
漁師町で、通りには人も少なく、何とも寂しい最果ての町に来たようであった。

高坂さんはその町で文房具屋をやりながら絵を描いていた。
家に上がると、年相応の高坂さんがいて、作品が並べられている。
どこにそんなエネルギーが潜んでいるのか不思議なくらいに大作が並んでいる。
短い春に一斉に芽吹く草花を愛しむように描いているのだという。

美術館同様に作品に目を奪われた。
私は今もそうだが、当時から若手作家の企画をしていて、70歳の作家さんのアトリエを訪ねるのは初めてと言うと、 私は50から絵を描き始めたので、まだ20歳ですよと言われてしまった。

ディレクターや学芸員が推す意味がこの2日間でよくわかった。
それが2001年の個展に繋がり、美術館にも収めることにもなったのだが。

結局丹頂鶴は見ることはできなかったが、高坂さんという稀有な作家に出会うことになったのである。

久しぶりに高坂さんの絵を見に釧路に行こうと思っている。

リーフレットより
根室の路傍に息づく草花を愛おしみ、描き、風に揺れるすがたに、自らの心の光と影まで託した画家、高坂和子(1924-2005)


2月17日 台北

2月22日から始まる中村萌展の準備で中村萌、スタッフの島田は一足先に台北入り、

既に主催するモンスター台北では会場の設営が始まっている。
島田は運送業者とともに今回借りることになっている作品の集荷で飛び回っていて、今日は台南のお客様のところに朝早くから向かっている。

コロナウイルスが心配されるが、今のところ日本よりは台湾の方が安全のようだ。
 それでも万全を期して、会場入り口ではアルコール消毒、マスク着用を義務付け、体温測定の機械も設置することになっている。

一般公開に先立って、21日はメデイアへの公開、夕方からはご招待のお客様にお越しいただき、レセプションを予定している。
フィギュア作品は主催するモンスター台北の意向で、会場に入場した人で、グッズを購入した人だけが抽選に参加できるということになった。
混乱と転売をできるだけ防止するためなのだが、それでも誰にでもチャンスがあるということでこのような方法を取ることになったようだ。
多くのお客様から予約の問い合わせが来ているが、悪しからずご理解をいただきご了承のほどよろしくお願いをしたい。

チケットは先行販売は完売しており、後はネット販売、コンビニもしくはモンスター台北にて購入することになっていて、当日売りはないのでご注意いただきたい。


2月14日 画集

台北の文化創園区で21日から開催される中村萌個展に合わせて画集が発刊されることになった。
スタッフの島田が頑張ってくれたおかげで糸綴じの素敵な画集となった。
帯と表紙もうまくマッチングされていて、島田とデザイナーの工夫の跡がうかがえる。

手に持ちやすく、難しいコメントもなく、中村萌の作品に対する思いがインタビューの形で述べられているくらいで、後は画像をメーンにこの10年を振り返ることができる。

併せて3種類のトートバッグも出来上がってきた。
他にも大判のカードやピンバッジなどグッズ類も販売されることになっている。

また新作のフィギュアも2種類紹介する予定だが、香港で制作していて、コロナウイルス騒ぎで果たして会期に間に合うかどうか気を揉んでいる。

画集のサイン会やフィギュアの抽選も予定されているが、衛生管理をしっかりして、来ていただくお客様の健康に留意しなくてはいけない。

滞りなく展覧会が行われることを願うばかりである。


2月13日 印象記

紋谷幹男氏の北村展、門倉展の印象記を紹介します。
いつもありがとうございます。

北村奈津子展

展覧会タイトルは、ー夢ばっかみてるー。

筆者も含めて、人は「夢ばっかみて」います。
※と、勝手に想像しています。
現実を見ることと、夢を見ることは
生きることの表裏のようです。

夢を見ることで見えたことを現実にしてゆくことが
人生ならば、
アートは、
夢を見ることで見えたことを作品にしてしまいます。

もちろん、作家の夢は、
体表に動物をくっ付けて生活することではなく、
夢がこのように見えてきたのでしょう。

飄々としていて、優しくて、
皆が踊り、歌っています。

見えてきたことを作ってみたら、
ああ、これが夢だったんだと、気付く。
そんな印象でした。

門倉直子展

展覧会タイトルは、ー世界は色付き私は透明になるー。

綿布に油彩で描かれた女性像。
目が見る側の感覚を揺さぶります。

ポートレートとは異なり、
特定のモデルの特長を捉えたのではなく、
何枚も描いているうちに、
女性の現実が、
少しずつ姿を変えて現れ出てきたようです。

一見イラスト的ですが、
メッセージ性はなく、
筆のタッチの覚悟には、
やり直しが効かない絵画性に満ちています。

かすかな感情は、
日常の中で消え失せますが、
画面の臨場感がそれを留めている。
そんな印象でした。


2月12日 京橋界隈

1980年から1992年の間、京橋にあってヨゼフ・ボイス、イミ・クネーベル、トニー・クラッグ、ハミッシュ・フルトン、ダニエル・ビュランなど ヨーロッパの現代美術をいち早く取り上げ、その後八重洲に移転し、版画家・藤巻義夫の情報収集に没頭する傍ら、130の展覧会を企画し、 「ひとこと」と題する案内を兼ねた一枚の書簡を送り、展覧会を重ねてきた画廊「KARANSHAかんらん舎」 がこの2月をもって閉廊することになった。

この界隈ではちょっと知られた名物画廊で、小さなスペースであったが、独自の視点で企画を続け、画廊主である大谷氏の奔放だがどこか人を惹きつける魅力もあって、 多くの好事家に愛される画廊であっただけに、閉廊の知らせに一抹の寂しさを禁じ得ない。

私が京橋に画廊開いて36年が経つが、その当時京橋にあった画廊も閉めたり、移転をしたりで、だいぶ様変わりしてきた。
当時は銀座が画廊の中心だったが、京橋にも個性的な画廊が集まり出したこともあって、私の提唱で「京橋界隈」と銘打って、 京橋周辺にある11の画廊が同時に展覧会を開催して、京橋を新たなアートエリアにとの意気込みで、共同イベントを始めることになった。

その11の画廊も4軒がなくなり、3軒が移転をして、今は4軒しか残っていない。
「京橋界隈」もその後画廊の入れ替わりはあったが、2014年の20回を最後に終わりを迎えた。

かんらん舎の閉廊も画廊主の高齢化という抗しがたい事情があり、私も他人事ではなくなってきた。
今残っている4軒のうち3軒も後継者がおらず、そんな中にあって、なんとか私は最後までこの地にしがみついていたいと思っている。

2月10日A 中村萌個展開催決定

2月22日から開催予定の台北での中村萌個展は予定通り開催することにいたしました。
主催するモンスター台北と今回の肺炎騒ぎで開催について慎重に協議を重ねてまいりましたが、今夜正式に開催することをを決定いたしました。
多くの台湾のファンが待ち望んでいることでもあり、中村萌も是非やりたいとの思いも汲んで、万全の態勢で実施することにいたします。
台湾への入国禁止となっている中国や香港の方には今回は残念ですが、次の機会に是非見ていただきたいと願うと同時に、一日も早く新型肺炎が終息し、 皆さんの息災を心より祈っております。
台湾や日本から来られる方達とは会場でお目にかかれるのを楽しみにいたしております。

ギャラリー椿 椿原弘也


2月10日 台湾から帰国

台湾から帰ってきた。

留守中、北村、門倉のどちらの展覧会も好評のようで、多くの作品が売約となっていて、こんな時期だけに大変ありがたいことである。
特に嬉しかったのは、外出することもできない武漢のお客様の依頼で送った門倉作品の画像から数点を選んで購入してくださったことだ。

東北の震災の時に一旦揺れる画廊から避難したお客様が、また画廊に戻り、作品を購入していただいたことを思い出す。

台南の展覧会でも、こんな最中に台湾各地から多くのお客様に来ていただき、誰も来ないのではとの心配は杞憂に終わった。

2月22日からの中村萌個展も台湾の方から多くの励ましの言葉をいただき実施することになった。
アートの底力を実感している。

2月7日A 松川栞個展

いよいよ個展が始まる。
まずは画像を見てもらいながら作品の繊細さや遠近法について解説する。
その解説を聞いた上で作品を見てもらうと、よりその凄さを感じ取ってもらえる。

画廊には予想以上に多くの人にお越しいただき、台北、台中、台南、高雄から私どもがお世話になっているコレクター、画廊の方もお見えになり、順調な滑り出しとなった。
皆さんは21日からの台北での中村萌展にもお見えいただくことになっていて、ありがたいことである。

終えて、ダーフォンギャラリーのご招待で、コレクターの方達とともに台南の有名な料理店に行き、自慢の蟹おこわを始め次々と出てくる料理をご馳走になった。
韓国そうだがとにかく料理の数が多く、日本人にはとても食べきれない。

ダーフォンギャラリーの陳さんには毎度のことながら、展覧会でお世話になった上に、毎日の食事、ホテル、ゴルフ、空港への送り迎え、 その上お土産までいただくという上げ膳据え膳のご接待にはただただ頭が下がるばかりである。

感謝しても感謝しきれないが、何のお返しもできずに明日早朝の便で帰国。
せめて展覧会の成果が上がることで報いることができればと思っている。

ダーフォンギャラリーありがとう、コレクターやスタッフ、通訳の皆さんありがとう、台南謝謝。
再見‼️





2月7日 林百貨店

ホテルから画廊に向かう途中にレトロな建物の林百貨店で松川のお土産探しに付き合う。

この百貨店は昭和7年日本統治時代に日本人の林氏によってハヤシ百貨店として開業。
終戦後は百貨店は廃業となり、2014年にリニューアルして林百貨店としてオープンしたそうだ。

台南にはこうした統治時代のレトロな建物がたくさん残っている。



2月6日A ゴルフ

昼からはゴルフへ。

私が3年前に河口湖のゴルフ場に招待をしたことがあって、そのお返しゴルフで、その時のメンバーのダーフォンギャラリーの陳さんと高校時代の友人二人、 それと河口湖でもそうだったが通訳の女性が付いてくれる。

この女性は大原千広さんと言う日本人で、とてもチャーミングな女性。
台湾に10年いて中国語も堪能で、台南の大学で非常勤講師をしているそうだ。

この女性がうちで個展続ける横田尚に瓜二つ、これほど似ている人がいるのかと思うくらいで、なんとも不思議な気がする。
一度二人を対面させたい。

ゴルフは天候に恵まれ、半袖で十分で、日本はこの冬一番の寒さになっていると聞いていて、こちらでポカポカ陽気の中ゴルフを楽しめるのはありがたいことである。

クラブも用意してくれていて、慣れないクラブで不安もあったが、まずまずのスコアーで回ることができた。

ゴルフ場も台南では一番の名門ゴルフ場とのことで、キャディーさんも2人ついて、スコアーの記入から何から何まで全部やってくれる殿様ゴルフであった。

お友達の1人がフランスのゴルフウエアーの縫製工場をやっていて、ゴルフ場の中にもブティックを持っていて、そこでウエアーと帽子をプレゼントしてくれることに。
すっかりお世話になり、ただただ感謝である。

展示を終えた松川と合流し、夜はこれまた美味しい魚料理をご馳走になる。
すっかり観光気分だが、明日からいよいよ本番の個展が始まる。

小箱の中に遠近法を使ったミニュチュア世界を展開する松川の作品が、台南の人に受け入れてくれることを期待したい。



2月6日 散策

宿泊先のホテルを改めて回ってみる。

図書館のように本が置かれていて、3階にはラウンジのようなスペースがあり、そこでゆったりとお茶を飲んだり、本を読むスペースがある。

朝食もどのホテルにもあるようなビュッフェスタイルでなく、ワンプレートでクラブサンドやバーガー、サンドイッチといった数種類の中から選んでオーダーする。

ホテルの周辺も散策してみる。
台南美術館、孔子廟、市場、日本の統治時代の気象台などがホテルからダーフォンギャラリーに行く間にあって、古い街並みや寺院もあり、この界隈だけで台南観光が十分に味わえる。

高層ビルはなく、新旧が混在する不思議な街である。

街を歩いているとほとんどの人がマスクをしていない。
台北のモンスター台北の社長からだいぶ驚かされたが、台南では肺炎騒ぎとは無縁のようだ。
但し、マスクを買うには制限があるそうだが。

日本ではクルーズ船から多くの感染者が出たとのニュースもあり大変なことになっているようだ。
私どもも4月に予定していた中国7都市を巡る展覧会も延期することにした。
3月開催予定のアジア最大のアートフェア・香港バーゼルも中止となったようだ。

このまま台南にいた方が無難なのかもしれない。





2月5日A ランタン祭り

台南に到着。

用意してくれたホテルはお洒落なデザイナーズホテル。
すぐ目の前には昨年オープンしたばかりの台南美術館。
日本の建築家坂茂氏デザインによるキュービックでモダンな建築で古い街並みの中で一際目立っている。

チェクインして夕食へ。
居酒屋風の焼き魚と書いてあるお店へ。
新鮮な魚が売りのダーフォンギャラリーオーナーの陳さんお気に入りのお店だそうでどれも美味しい。

お店の前の通りは小正月でランタンが通りに連なっている。
すぐそばに屋台があり、台南ならではのお菓子が売っている。

松川は明日展示の準備をし、私はゴルフへ。



2月5日 台南

台南のダーフォンギャラリーで7日から松川栞の個展が開催されることになり、松川と共に台南へ向かう。
成田から高雄行きだが、初めて格安航空に乗ることに。
行きはタイガーエアー、帰りはピーチ航空。
座席が狭いみたいで、73歳にはきついかな。

台湾も新型肺炎騒ぎで大変みたいだ。
去年の8月から中国は香港の二の舞を警戒して,個人の台湾渡航を禁止していると聞いていて大したことはないと思っていたが、 20日から中村萌の個展を主催するモンスター台北の黄社長が防塵マスクとゴーグルをつけてくるようにと言ってきて、ちょっと不安。
とりあえず、スタッフが花粉症用の眼鏡を買ってきてくれた。

展覧会前日の明日はダーフォンギャラリーのオーナー陳さんの招待でゴルフをすることに。
以前から誘われていたが、ようやく実現。
荷物になるので、向こうでクラブは借りることに。

弘法筆を選ばず。 松川にとっては初の海外での個展だが、いい結果を期待したい。

1月31日A 門倉直子展

GT2 では今どきの若い女性を描写する門倉直子展も明日から開催となる。
従来の表現から色彩を削ぎ落とし、墨絵のような表現に変化した。
タッチも荒々しく、絵に凄みが出てきたようだ。
沸くように描いたようで、全てはとても飾りきれない。
展示以外の作品は手にとってご覧いただきたい。



1月31日 北村奈津子展

今回の個展のタイトルは「夢ばっかみてる」である。

北村の作品にはいつも多くの小動物や鳥が出てくる。
その動物達や鳥との微笑ましい触れ合いがテーマになることが多い。

人が夢を見ているのだろうか。
多くの動物がのんびり寝ている人の上に同じようにまとわりついて夢を見ている。
何とものどかでゆったりした情景である。

飼い主と犬や猫が戯れあっている。
Nice Guyはたくさんの動物達が体にまとわりつく愛すべき人物なのだろう。
もしかするとモテ期なのかもしれない。

時には激しい動物の愛が身体を貫く。
鳥の団地もある。
ご機嫌な大根たちも会場に鎮座する。

楽しくもユーモラスな情景が展開される。
肺炎騒ぎですさんだ心を癒しにきませんか。





1月29日 中国展

新型肺炎が中国で猛威を振るっている。
日本を始め諸外国にも感染は広がり、不安はつのるばかりである。

4月から7月にかけて中国7都市で私どもの作家30名による展覧会が予定されていて、果たして実施できるのか心配になってきた。
参加を予定している作家さん達も動揺しているに違いない。

恐らく発表される中国の感染者や死者はそんな数字ではないと思っている。
そんな時にのこのこ出かけて行って、展覧会ををやっていいものか、それどころではない状況なのに決まったことだから展覧会は計画通りにやって欲しいとはとても言えない。

今日も中国側と連絡を取り、無理なようなら延期もしくは中止もやむを得ないと伝えてある。

ただ私の考えは正直なところ真逆なことを考えている。
こういう時だからこそ迷惑でなければ展覧会を本当はやりたいと思っている。
アートの力がどのくらいあるかは知らないが、不安に慄き身を竦める人がいるならば、展覧会を開き中国の人たちに見てもらい、 少しでも癒しになったり、勇気付けることができるならと思う。

神戸の震災の時に避難所に行って歌を歌い続ける人がいたそうだ。
こんな時に何だと思う人もいたそうだが、だんだんと人が集まりじっと歌声に耳を傾ける人たちが増えていったという。
物資を送ったりボランティアで被災地で復旧に手助けをする人もいるが、音楽が被災者の人たちの救いになっていることを知った。

原発事故の風評で疎開先でいじめにあったり、海外で福島の野菜や魚の輸入を禁止した国も多い。
もう少し被災地や被災者の身になって考えたらどうなのかと思ったものである。

中国の人たちを避けるのではなく、寄り添うことも大事ではないかと私は思う。
参加者が減っても私はできれば展覧会をやりたいと思っている。

中国の関係者にもその思いは伝えてある。

1月28日 SEVEN ARTISTS

名古屋松坂屋美術館で1月25日から2月16日まで開催されている「SEVEN ARTISTS」に、私どもや不忍画廊で発表を重ねる呉亜沙が参加した。
佐藤美術館の立島恵氏による監修のもと、現代アートシーンの最前線をいく岩田壮平、入江明日香、山本大貴など若手七人による夢の競演と謳った展覧会でそれぞれが大作を出品していて、 私のところのお客様からお借りした2点の大作も展示されている。



1月24日 中村萌個展

年末から再々ご案内しているが、中村萌の台北での個展の案内や新作フィギュア、雑誌の記事などが次々に主催をするモンスター台北からFBなどで紹介された。

紹介と同時に多くの問い合わせがわたしどもに来ているが、全てモンスター台北に問い合わせるようにお願いをしている。
入場チケットも毎日ネットで限定販売されていて、即日完売のようだが、日が変われば購入できるようなので安心していただきたい。

彫刻、絵画合わせて60点の展示の予定で、全て台湾の客様からお借りして展示をする。
酒造工場跡地の会場は大きく、中村の友人のデザイナー達の手で素敵な空間になるはずで、さらには会場で中村のドキュメンタリー映像も上映され、 来場者がより楽しめる空間になっている。

オリジナル作品は非売だが、画集、トートバッグ、ピンバッジなどのアートグッズとともにに新作フィギュアも販売されることになっている。

こちらの購入についても混乱が予想されるので、私どもではなくモンスター台北に問い合わせていただきたい。

2月22日から3月8日まで開催されるので、台北まで行ってみたいと思われる方は是非のお越しをお待ちしている。




1月22日 クレパス画展

3年前になるだろうか画材メーカーのサクラクレパスの依頼で、製品のクレパスを使って描くクレパス展の依頼が来た。
この時は女性作家だけということで、10人ほどの私どもの作家を紹介させていただき、小磯良平や岡鹿之介、林武、梅原龍三郎、宮本三郎、三岸節子、 山口薫、岡本太郎、猪熊弦一郎、吉原治良など著名作家のクレパス画と共に堀込幸枝、富田有紀子、服部知佳などが、大阪本社にあるサクラミュージアム、 サクラクレパスの創業者が創立した鳥取にある日南町美術館にコレクションとして展示されている。

今回もまた出品の依頼が来て、今回は女性に限らないということで、私どもから20人の作家を紹介し、クレパス画を発表してもらうことにしている。
世界的にはオイルクレパスと呼ばれているが、同社が最初に開発したことでクレパスと命名して商標登録され、会社の名前にもなっている。

パステルの色彩の美しさと、クレヨンの定着性の特性を生かした画材で子供からプロまで使われている画材である。

会期は9月から12月にかけてで、大阪と鳥取のミュージアムで展示されることになっていて、まだ未定だが、東京でも展示される予定である。

1月17日 綿引明浩展印象記

年を越してしまったが、いつものごとく紋谷幹男氏が展覧会の印象記を送ってくださった。

暮れに送ってくださったのだが、うっかりしていて、今日ご紹介させていただく。
展覧会も好評で、小品を含めると100点を超える作品が売約となった。
皆様に感謝です。

展覧会タイトルは、ーNostalgia「寓話的風景」ー。

透明アクリル板の裏面から描く
オリジナル絵画技法「クリアグラフ」による平面、立体作品。

平面作品のモチーフは街で、
陶瓦が葺かれた切妻屋根の
小さな四角い窓がポツポツ空いた家や、
不思議な塔が、寄り添う、
中世ヨーロッパらしき集落です。
立体作品は、
その一画での出来事の様です。

この集落の日常は、
作家が創り出した歴史と生活、神話のなかで起こる、
夢で見たかのような
懐かしい幻想的な場面です。

不思議な時間が魅力的なら、
そこで彷徨うことも魅力的。
そんな印象でした。





写真:紋谷氏撮影

1月16日 松川栞

日テレNEXTクリエーターにて2月に台南のダーフォンギャラリーで個展を開催する松川栞が紹介されました。
奥行20pの木箱。のぞき穴をのぞくと、驚くほど精巧なミニチュアの世界が広がる、その名も「ワンダー・スケール」。 斜めに傾けたパーツを作る事で、遠近法により、小さな箱のなかで、奥行きを演出。さらに色づけでは、奥に行くほど徐々に薄くするなど、 より立体感をだす工夫を凝らしている。




1月15日

2月22日から3月8日まで中村萌の初の海外個展を、台北にて開催する運びとなりました。
台湾でコレクションされた作品約40点を一堂に集め、中村萌の今までの活動を振り返る展示となります。
会場は、台北中心部にある100年前の日本の酒造工場ををリノベーションした文化複合施設「華山1914文化創園区」となります。
会場では中村萌の画集やアートグッズが販売されます。
お越しをお待ちいたしております。

1月11日A 堀込幸枝個展

奥のスペースでは堀込幸枝個展。

何層にも塗り重ねられた強靭なマチエールは相変わらずなのだが、今回新たなオイルを使うことで透明感が増し、重ねられた色彩が重なり合って表出する独特の色感が浮き上がる。
テーマもビンやコップといった透明な物質を通して見える色彩から、作者が垣間見た情景を独自の形と色合いで切り取り表現するように変化してきた。
テーマや形は違えども美しい画面に変わりはない。



1月11日 ジャンポール・ブレ/西村陽平

西村陽平はだいぶ間が空いたが、私どもで何度か発表をしている作家で、陶芸家ではあるが土を焼くのではなく、 雑誌や辞書などを焼成したり、アルミ缶といった形のある物質を焼いて、新たな造形を作り出す型破りな陶芸家である。
ブレは西村の紹介で私どもではというより日本で初めての発表となる。
日本に憧れ、作品も日本的な情緒感を持った作風である。
木を彫り一見漆と思えるような色合いで多様な形を表現する。

二人の作品が見事に融合し、相互に補完する展示となった。




1月9日 仕事始め

今日から仕事始め。
長い休みを終え、気持ちを引き締め新たな一年に迎えることになる。

今年はオリンピック・パラリンピックイヤーでもあり、多くの海外からのお客様を迎えることになる。
私どもも海外の展示会に出るようになって20年になるだろうか。
海外のコレクターや画廊とのお付き合いも深まり、昨年は多くの取引が海外からの注文によるものだった。
また、海外から画廊を訪ねてくるお客様も多く、そのフットワークの良さは驚くばかりである。
こうした流れに対応すべく、昨年から画廊は免税店の手続きを進め、ようやく今日認可が下りるとの連絡があった。

もう10年位なるだろうか、画廊ではスタッフは毎週ネーティブの先生による英会話の勉強をしていて,日常の会話には困らなくなってきたようだ。
更には、昨年の9月には韓国出身のスタッフが入り、ニューヨーク大学の英語教育を専攻していたこともあって、韓国語はもちろん英語でのメールや翻訳、書類作り、 通訳など大いに役立ってくれている。
4月からは中国の7都市を巡る展覧会があり、今まで以上に中国、台湾、香港のお客様が多くなることが予想され、中国の留学生をアルバイトで雇うことにしている。

このように画廊のあり方も美術市場のグローバル化により、大きく変貌を遂げ、今年は更にそうした傾向に拍車をかけることになる。

展覧会も台湾を皮切りに中国7都市、韓国があり、早々にローマ、ロンドンの画廊が展覧会の打ち合わせでやってくる。
他にもシカゴ、シンガポール、ジャカルタ、バンコックとの取引があって、昨年以上に忙しくなりそうだ。


1月2日 帰京

目一杯遊んで食べて飲んで今日帰京。
ずっと曇天や雨ばかりだったのが、今日になって太陽が燦々と輝いていて、さすがの雨男と家族から言われる。
昨夜は夕食後に毎晩行われるショーが子供達によるキッズショーということで孫がバレリーナに扮して踊ることに。
可愛い子供たちのショーに満員の会場は大フィーバー。
クラブメッドは大人はもちろん子供ののためのプログラムもたくさん用意されていて、飽きさせることがない。
いい思い出ができたことだろう。



1月1日 新しい年

新年明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとりましても幸多い年となりますよう願っております。

石垣島での初日の出を見るべく朝4時起きで山に登りましたが、厚い雲に覆われ残念ながら見ることができませんでした。
天候には恵まれませんでしたが、一日フルタイムで遊び且つ食べました。
朝昼晩とブッフェスタイルで盛り沢山の料理が出て胸焼けをしています。

あっという間の五日間でしたが、クラブメッドで過ごす休暇は私たちはもちろん娘夫婦も孫たちも存分に楽しみ、充実した年末年始を過ごすことができました。

今度の年末年始は北海道サホロにあるクラブメッドで家族全員が年末年始を過ごすことができればと思っております。

そのためにも私は休んではいられません。
皆様のお力添えよろしくお願い申し上げます。



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