Diary of Gallery TSUBAKI
ギャラリー日記 バックナンバー (2006年10月〜12月)
バックナンバー
Diary of Gallery TSUBAKI
2002年 10/19-12/28 2003年前半 2003年後半 2004年 
2005年1月〜3月 2005年4月〜6月 2005年7月〜9月 2005年10月〜12月
2006年1月〜3月 2006年4月〜6月 2006年7月〜9月 最新の日記はこちら

ご感想はこちらまで

10月2日

週末に岡山に行ってきた。
30数年前の大阪勤務の頃に岡山の百貨店で毎年開催された展覧会に出かけて以来である。
新幹線で大阪から一時間もかからなくなったのには驚かされた。
その当時はずいぶんと遠い所に出かけたような気がしていたのだが。
今回は12月に開催される桑原弘明の全スコープ回顧展のため岡山在住のお二人から作品をお借りするために久しぶりに出かけることになった。
一人は作家でもあり、自宅で中国茶と紅茶専門の喫茶店を開いているMさんで、わざわざ駅まで車で迎えに来てくれた。
住宅街の中にあって、モダンな地中海にでもあるようなお洒落な佇まいのお店に案内してもらい、おいしい、身体にもいいという中国茶をご馳走になった。
壁には四谷シモンさんに師事したという彼女の作品や金子国義の版画がかかっていたりで、シュールな雰囲気がこんな住宅街の中にあるのが不思議でならなかった。
そのMさんの案内でもう一人、備前焼の人間国宝・伊勢崎淳先生のお宅まで車で連れて行ってもらうことになった。
白い土塀に植え込みが見え隠れするからすぐわかると言われたが、同じような大きなお屋敷が行くまでに2軒ほどあり、間違え間違え行くと、何と先生外まで出て手を振っているではないか。
人間国宝に会うといって緊張していたMさんも、そんな気さくな姿を見てほっとしたようだ。
ご家族がお留守で、人間国宝自らの手で自作のお茶碗にお茶を入れていただき、そのらしくなさに二人ともすっかりリラックスをしてしまった。
仕事場も見せていただいたが、土ぼこり一つない整頓された仕事場を拝見し、先生の律儀でひたむきな制作姿勢もうかがい知ることができた。
お宅の前には大きく積まれた土の山があったが、備前の土でゆうに百年分はあるとの事で益々の制作意欲にも触れ、勇気と元気をいただくことが出来た。
翌日は大阪に寄ったがその事はまたあらためて。

10月6日

昨日は雨の中、榛名山中腹にある老人介護施設に彫刻の設置で出かけた。
まだ施設が完成していなくて、結局は置いてくるだけになったが、昨年の伊津野雄二個展の折に出品された人の輪廻を表現した六体の立像を購入していただいた。
作品は作家のアトリエにあり、愛知県のアトリエからご夫妻が車で運んでくれる事になり、初めて伊津野夫妻もこの広大な施設を見る事となり、以前に納めた自分の作品とも久しぶりに対面する事となった。
前にも日記で紹介したが、芸術と共生をテーマに広大な自然の中に病院と介護施設が点在し、美術品に囲まれた充実した施設は、最後の余生を送るにはこれほど相応しい場所はないように思える。
昨日も陶器を作っている人、社交ダンスを楽しむ人たち、麻雀をされている人等、皆それぞれが余生を楽しんでいる情景が見られ、私もいずれはここにお世話になれればと思わずにはいられなかった。
理事長自ら施設を案内していただいたが、その一部を見ただけでも相当な時間がかかり、さすがに私達は疲れてしまったが、理事長一人元気なのには驚かされた。
その理事長疲れるどころか、同じく施設に大作がたくさん飾られている小林祐児氏の個展を見に、昨日の今日にもかかわらず、この大雨の中を画廊に駆けつけてくれた。
お誘いはしたが、まさか来ていただけるとは思っていなかっただけに、その義理堅さには頭が下がる思いであった。

10月7日

先週、小学校のクラス会があった。
私の出た小学校は一寸変わっていて、ユネスコの実験校という事で、個性的な戦後教育を目指した先生達が集まり、そのため私達は他の小学生とは違った教育を受ける事になった。
一クラスが27,8人で学年二クラスで6年間クラス替えもなかった。
団塊世代のひとつ前で人数も少なかったのだろうが、それにしても少なく近所の幼稚園より少なかったのではないだろうか。
男女半数づつで、台湾や韓国の子ども、アメリカやブラジルなどからの帰国子女、双子、身体にハンディのある子など違った境遇の子達が集まった。
机は丸テーブルが4っつほどあり、テーブルを囲んで授業を受ける仕組みになっていた。
机の上にはケント紙が敷かれ、授業中に好き勝手な落書きをその上に書く事が出来た。
一杯になるとその紙が壁に貼られ、また新しい紙が敷かれる。
授業も受けたくなければ、外に出て好き勝手な事をやることも出来たが、それでも怒らる事はなかった。
ラジオ体操や習字、算盤などは教わる事がなく、卒業後別の中学に行った仲間は皆、先ずは朝のラジオ体操が出来なくて困ったり、字が未だに下手くそなのは習字を習わなかったせいだとよくこぼしたものである。
その代わり、英語などは一年生から教えられたが、こちらは未だにその時のレベルのままで、教育のせいばかりではなさそうである。
先生達もその後著名な教育者になられた方が多く、私達の担任も東京工業大学の工学部長にまでなられた方で、こうした立派な方が卒業後も親身になって私達の相談に乗ったり、お世話をしていただき、心から尊敬できる先生達であった。
こうした事もあって、皆仲が良く、毎年のクラス会には殆どの仲間が集まる。
今年は皆還暦を迎えることもあって、多くが新たな人生のスタートとなるのだが、男はやれ手術しただの、薬を飲まなくてはといった体たらくなのだが、女性がいたって元気である。
蜷川幸雄の募集したシニアの演劇集団のオーディションに受かり、初の公演に向って稽古中の元教員、ジャズを習い秋のリサイタルに備えている外資系IT会社の元キャリアウーマン、子ども達に童話の読み聞かせをしたり、盲人マラソンの伴走者となるため毎日18キロを走っている孫が3人いる主婦、遺跡発掘や司書になるための通信教育を受けている薬剤師等々。
個性的教育がものを言ったのか女性達はみんな元気一杯である。

10月11日

先週から小林裕児展を開催しているが連日多数のお客様で賑わっている。
オープニングでは、昨年同様に現代音楽のコントラバス奏者斎藤徹氏の即興演奏と小林裕児のペインティングによるコラヴォレーションに加え、現代美術で活躍する石井博康氏との共同制作(アートバトル)のパフォーマンスがあり、更に飛び入りで海外ではその名を知られるジャン・サスポータス氏(フランス)のダンスありと、盛りだくさんの初日となった。
こうした別分野の人たちとの出会いも合って、小林裕児の世界は益々多様に展開し、とどまるところを知らない。
今回も桜の木を削った板にガラスをつけるといった新しい試みや、古い布で縁取られた2メートル近い大きな和紙に自由奔放に描いた作品が並ぶなど、小林ワールドが思う存分堪能できる。
今週の土曜日までだが、時間のある方には是非見ていただきたい展覧会である。

10月12日

先日、岡山に行った帰りに大阪に寄って、2004年に中之島に移転した大阪国立国際美術館を訪ねた。
私の勘違いで、楽しみにしていたエッセンシャル・ペインティング展は翌日が初日ということで見ることが出来なかった。
この展覧会は近年国際舞台で脚光を浴び、欧米の最前線で活躍をしている作家達の作品がまとめて紹介されるということで期待して行ったのだが、そそっかしさは相変わらずである。
21世紀を前後して、アメリカを中心にした戦後美術は大きな転換期を迎え、前衛絵画から意識はコンテンポラリーだが表現は具象といった新たな表現様式が生まれてきた。
前衛という呪縛から解き放たれた新鮮な絵画は私が目指してきた美術観とも一致するところがあり、この展覧会はその集大成ということで大いに楽しみにしていたのだが。
何故かこの展覧会は東京の美術館には来なくて、大阪だけということで、何としてももう一度大阪まで見に行かなくてはと思っている。
タイマンンス(ベルギー)、ペイトン(アメリカ)、サスナル(ポーランド)、デュマス(オランダ)、ドイグ(イギリス)など見たい作家が一杯である。
欧米だけではなく、アジアの中からもこうした流れを組む作家達が頭角を現わしている現在、この展覧会の影響は大ではないだろうか。
唯一の収穫は同じ美術館で一日前から始まった「小川信治展」を見れた事。
この作家の名前は、韓国の画廊から探して欲しいとの問い合わせがあって初めて知ったぐらいで、全く予備知識がなかったが、その作品には度肝を抜かれた。
とても人間業とは思えない精緻な筆致で描かれた作品、特に鉛筆作品はどう見ても写真にしか見えず、ガラスに顔をこすりつけるようにしてみるのだが、手の痕跡を見ることが出来ない。
フェルメールやダ・ヴィンチ等の代表作から人物を抜き取ったり、古い絵葉書や写真を模写しながら、その中の人物や風景を置き換えるといった手法で、独自の世界を描き出している。
何処かの丸写しの画家とは違って、模写であってもその中にいくつもの情景を織り込みながら、自分の世界に置き換えていくスタイルには大いなる興味をそそられた。
丁度12月に開催される桑原弘明のミリ単位で制作される立体作品を小箱の中に納めこみ、スコープを通して垣間見る精緻な世界が、小川信治とも通じるものがあり、二人の作品を並べて見るのも面白いのではと勝手な想像をしてしまった。
この前群馬の美術館で見た近藤正勝などもそうだが、興味をそそられる作家が次々に現れ、こうした作家達の展覧会が出来たらという思いは膨らむばかりである。
興味のある方は、それぞれの作家や大阪国立国際美術館のホームページを見ていただきたい。

10月13日

昨年、そろそろ歳という事で、10年前に一度受けた事のある大腸検査をしてもらったところ、ポリープが五つ見つかた。
幸い良性で、小さいので一年後に大きくなってから取り除きましょうと診断された。
一年経つうちに大きくなりすぎて癌化しないかとか、もっとたくさんポリープが出来ているのではとか、内心冷や冷やしながら一年を待って、先週岡山に行く前に検査を受けてきた。
先生、内視鏡で一生懸命見るのだが、中々見つからない。
お腹は張るし、苦しいので早くして欲しいのだが、行ったり来たり腸の中を探し回ったが見つからない。
結局小さいのが二つ見つかり、取るほどの事もないと言われたが、心配するのも嫌なので取ってもらう事にした。
一応取ったポリープを検査してもらい、今日その結果を聞きに行ってきた。
先生首をひねりながら、前のは何処に行っちゃたんでしょうと言う。
私に聞かれても困るが、兎に角なくなった事で一安心。
自分では長年、煙草もお酒もやらず、風邪以外病気もした事がなく、病気とは無縁と思って検査もろくにやってこなかった。
とは言え、歳相応にウエストも85cmを越え、何とかシンドロームの仲間入りしてしまい、これをきっかけに検査も定期的に受けなくてはと思っている。
でも検査って、それなりのストレスがあって、かえって身体に悪いような気もするのだが。

10月14日

ここ何日か蒸し暑い日が続く。
寒くなったり暑くなったりで体が付いていかない。
そのせいか、スタッフも二人が風邪をこじらせ、早引きしたり休んだりしていて、画廊の中は風邪菌が飛び交っている。
このホームページの大本であるGADEN・JPのおすすめランチのコーナーにアート・ソムリエの山本冬彦氏が登場。
私達には中々手厳しいご意見をいただいた。
コレクターの普及を自ら実践しているだけに、私達には耳が痛い事ばかりであった。
日曜日に開ける、夜遅くまで開けるといったご意見も以前から度々伺っていて、私もオープン当時の2年間と昨年までの京橋界隈期間中に日曜日を開けたが思うような成果が出せなかった。
それ以前の問題として、今私が入っているビルは原則として日曜日は警備の都合上、特別な理由がないと開けてもらえず、平日だと7時半には自動的にシャッターが下りてしまう。
近くの画廊では土曜日もシャッターが閉まってしまうところもあって、苦慮するところである。
飲食店等が入っている店舗ビルと違って、事務所ビルではやはり警備とか空調の関係で日祭はシャッターが開けられないところが多い。
こうした事やスッタフが少ない事もあってなかなか山本氏の言われるとおりに出来ないのが現状である。
今デパートが夜遅くまで開けるようになり、世の流れは確かにそうなっているようだが、これも現実厳しい事があるようだ。
私の知人でいくつものデパートに出店している和菓子屋さんでは、夜間や休みの店員の確保が思うように行かず、お惣菜などと違って夜遅くに高級和菓子が売れるわけでもなく、人件費高騰の分かえって経営を悪化させていると言う。
デパートの人たちは三交代制で週休2日や有給が確保されているが、自分達は休みもとれず、夜もまともに食事が出来ないとこぼす事しきりである。
夢のまた夢で、画廊が自社ビルを持ち、スタッフをたくさん抱えるようになれればこうした問題も簡単に解決できるのだが。

10月16日

好景気がいざなぎ景気を超えたそうである。
と言われても、一体何処がと言いたくなる。
企業の業績に支えられた結果なのだろうが、ベースになっているのが戦後最大の不況だったバブル崩壊時の数字からの上昇であり、リストラや企業合併の末の身軽になってからの業績である事を考えると、まともに受け止める事は出来ない。
実感なき好景気と言ったところである。
そんな報道を横目に見ながら、多くの画廊が新たな時の流れの中で苦戦を強いらている。
今まで頑張ってきた企画画廊が方向転換や縮小を余儀なくされ、逆にオークション会社が益々隆盛となっている。
現代美術や写真に特化したオークション会社が設立され、個人会と言う業者相手の交換会を始める画商も少なくなく、右から左へと作品を動かしていく。
展覧会を企画して、お客様に見ていただき、販売するよりは、セカンダリーマーケットで売買する方が手っ取り早く、理屈もいらない。
こうしたたオークション会社の林立は、我々画廊業界にとっては大きな試練となって立ちはだかり、今まで作家や画廊を支えていた多くの顧客がオークション市場に流れ、その中での売買に一喜一憂するようになった。
そこで動くお金は、何千万になろうが何億になろうが、一銭も作家達の手元に届く事もなく、企画画廊に再投資される事もない。
更には美術の価値観が多様化し、既存の作家中心に企画をしてきた画廊は、新たな流れの中で埋没しかねない状況となっている。
私はこの21世紀初頭が前衛運動に次ぐ、美術の大きな変革の時ではないかと思っている。
新しい時代に対応しながらも、自分が目指す方向性を見失わずに、この危機的状況を何とか乗り越え、好景気を実感できるようになれればいいのだが。

10月17日

この6月に若くして亡くなられたKさんのお宅に細密な鉛筆画で知られる篠田教夫さんと一緒にお悔やみに伺った。
Kさんはまだ若いお嬢さんで、ご実家がお医者様である事もこの春に篠田さんから初めて聞いて知ったくらいで、どんな方かも知らないまま画廊に来られる時だけのお付き合いだったのだが。
その買い方が独特であったのと、あまりに若いお嬢さんが高額の作品を買われるので、特に印象に残っているお客様であった。
Kさんとの出会いは篠田さんのほうが先で、とある画廊での個展のおりに、道路に出ている個展の看板を見て3階にある画廊を訪ねてきたのが最初であった。
熱心に見ていると思ったら、そのまま帰ってしまったのだが、その後すぐに又やってきてこの作品をくださいと言って、100万近いお金を差し出したそうだ。
慌てて銀行でお金をおろしてきたらしい。
それから数年後、私の画廊で篠田展を初めて開催した際にも、同じように現金を持って引き返して来られた。
更に新しい画廊に移って開催した桑原弘明展にも初日の朝一番にお見えになり、又いなくなったと思ったら、同じようにお金を持って戻って来られた。
そのいない間にKさんが買おうとしていた作品が別の方に売れてしまったのである。
まさか、Kさんが桑原さんの作品を買われるとは思っていなかったのと、初めてではないので予約しますと言っていただくだけでよかったものを、律儀なKさんは預金をおろしにいってしまったのである。
別の作品を買っていただくことで納まったが、若いのになんと奥ゆかしく遠慮深い方と驚いた次第である。
そのKさんがこの6月に突然亡くなられたとの訃報がしばらくして篠田さんから届いた。
ただただ唖然とするばかりであった。
ご両親はこうした作品を買っていることも全く知らず、12月の桑原回顧展にお借りするつもりでいた作品2点も何処にしまってあるかわからず、もしかすると遺品を整理していて捨ててしまったかもしれないと言う。
何とか見つけ出していただき、Kさんの愛した作品をご両親にも見ていただき、在り日しのKさんを偲んでいただければと思っている。

合掌

10月21日

昨日は仕事を抜け出し、友人達と秋の鎌倉路を満喫してきた。
まだ紅葉には早かったが、東慶寺、光明寺、長谷寺を廻り 、静寂な佇まいの中遥か古の時を偲びながら、心の休息をさせてもらった。
友人の中にこうしたお寺と親しい住職がいて、東慶寺では普段見る事の出来ない優しいお姿をした観音像を見せていただき、光明寺の大僧正から有難い御講和までいただいた。
ほんの十分程という事で始まったお話しが30分近くになり、皆足が痺れて最後は話しを聞くどころではなくなってしまったのだが。
その後用意していただいた精進料理は美味で、最近はこうした料理のほうがおいしいと感じるようになったのも歳のせいだろうか。
この光明寺は、材木座海岸の上にあり、北鎌倉などのお寺と違い、観光客が押しかける事もなく、ゆっくりと目前に広がる優美な蓮池を眺めながらの料理は格別なものがあった。
長谷寺も久しぶりに訪れたが、巨大な十一面観音像は何時見ても圧倒されるような存在感がある。
お寺の眺望台から見る湘南の海は、大学のヨット部時代の練習に明け暮れた葉山沖が一望でき、その当時の思い出が蘇り感慨深いものがあった。
月末には猪苗代に行く予定で、そこでは全山真っ赤に染まる情景を見る事が出来そうで、鎌倉同様心の洗濯を楽しみにしている。

10月23日

11月2日の夜に「プロムナード銀座2006」の一環として、5丁目から8丁目までの24画廊が参加し、「画廊の夜会」と銘打って、一夜限りのイベントが開催される。
先日紹介したアートソムリエ山本冬彦氏の言われる、お勤めの方のために夜遅くまで画廊を開けて欲しいとの声が聞こえたのかもしれない。
一夜限りでどの程度の効果があるかはわからないが、何かをやる事で画廊のイベントが一般メディアに取り上げられるのは喜ばしい。
土曜日も山本氏が来て長い時間お話しさせていただいたが、狭いパイでの発想でなく、広く一般を対象にした潜在的な需要層を掘り起こす事を画廊は考えるべきで、そうでなければ限られた層に特化した画廊を目指すべきと語っておられた。
確かにうちの画廊は質が高く他所とは違うと胸を張りつつ、ちっとも人がこないと嘆いているところも多く、私を含めて二兎を追いかける画廊が多いのは事実である。
山本氏は日経や朝日新聞に市民派コレクターとして紹介されて以来、多くのメディアから取材が殺到し、消費者の側からの美術普及活動を紹介される機会が多くなっている。
10月30日、11月4日には「アートライフの楽しみ方と画廊めぐり」と題して山本氏が六本木ヒルズで講演の後、銀座界隈の画廊を案内する。
関心のある方は、アーテリジェントスクールを検索して申し込まれたら如何だろうか。

10月24日

日曜日には今度は高校の還暦記念クラス会があった。
担任である80歳になる平田博則先生も元気に駆けつけてくれた。
敢えて固有名詞を出したのは、10月23日の日経新聞の夕刊に先生の事を書かれた先輩のエッセイスト伊藤礼氏の文章が紹介されていたからである。
我が師は、知る人ぞ知るアマチュア囲碁界の重鎮で、アマチュア囲碁界の三大タイトルを過去に16回も獲得している大変な人なのである。
丁度、私達の担任をされている時に、朝日アマチュア囲碁選手権を獲得し、そのご褒美で海外旅行に出かける事になり、私達不肖の生徒はしばらく煙たい先生がいなくなる事に大喜びで、大変な賞をとった事さえ知らなかったのである。
平田先生から薫陶を受けた先輩のクラスでは、囲碁の手ほどきを受けた人達もいるようで、伊藤氏は先生と共に温泉へ囲碁旅行に出かけた事を書いておられる。
その中に、薫陶の意味が書かれていて、「その人の優れた人格で他人を知らず知らずのうちに感化し、立派な人間にする事」だそうだが、先輩はさておき果たして我がクラスからは何人が薫陶を受けたであろうか。
クラス会の折にも、大先生から碁を打つ人がいるかねと尋ねられ、かろうじて一人が手を上げるのみで、先生の寂しそうな顔がなんともお気の毒であった。
先生がよく言う、碁をやっている人間は皆元気を自ら実証されているのを見て、私も遅ればせながら大先生にご指導を仰ごうかなとチラッと思ったりしているのだが、薫陶にも値しない私が果たしてその能力があるや否や?

10月25日

以前の画廊の目の前に床屋さんがあった。
先代からこの地で営業していて、50年にもなるのだろうか。
ビルの立ち退きで私は先に出てしまったが、長年の愛着もあってか最後の最後まで粘って営業をしていたのだが、ようやくこの夏日本橋に移転をした。
その床屋のご主人が忙しい合間を縫って、先日の小林裕児展を見にきてくれた。
門前の小僧ではないが、私が床屋さんの前に画廊を出してからはすっかり美術ファンになり、裕児さんをはじめ多くの作家さんもそこの常連となって、営業時間が終わるとそこで賑やかな飲み会が始まった。
時には秋刀魚やくさやを焼いて酒の肴にして出すのだが、これには閉口した。
煙や臭いが画廊にまで漂い、格調高いつもりでいる画廊もすっかり下町長屋と化してしまった。
気のいいご主人は来る人来る人に酒を振舞い、床屋談義に花が咲くのであった。
そんな毎日も私が移転をしてからは、すっかり縁がなくなり、更には床屋さんも遠くに行ってしまい、このあたりも灯が消えたようになってしまった。
そんな事もあって、久しぶりにご主人が来てくれたのは感激で、その上裕児さんの案内状の作品まで買ってくださった。
しょっちゅう裕児さんが顔を出してくれるので、敬意を表してと言っていたが、下町人情を持ったご主人の事、忘れずに訪ねて来てくれたのがうれしい。

10月26日

今夜遅くに韓国に出かける。
お世話になった画廊さんの自社ビルが完成し、そのお祝いに伺うことになった。
日本の画廊と違って、韓国の画廊は殆どが自社ビルである。
その上、テナント貸しなどけちな事はしなくて、上から下まで全部を使う。
中には自前のフランス料理店やイタリア料理店が入っている所もあるが、兎に角スケールが違いすぎてお話しにならない。
その画廊も今までは小さなスペース(韓国では)で、すごく親近感が持てたのだが、あっという間に自社ビルを建ててしまった。
韓国での個展の打ち合わせや、オークションの相談など他にもいくつか用事があってゆっくり出来ないが、おいしい韓国料理は食べられそうなのでそれを楽しみに行って来ます。

10月30日

慌しい日程でしたが韓国から帰ってきました。
山本麻友香の個展の依頼がいくつかの画廊からあって、会場を見せていただいたり、オーナーとお話させていただいたりしましたが、今回お祝いに伺ったSPギャラリーさんと話を進めて行くことにしました。
新しいスペースで、オーナーもとても前向きに考えてくれているので、楽しみにしています。
もう一軒新しい画廊ですが、現代画廊、国際画廊と韓国の一二を争う画廊の間にあるSUN・COTEMPORARY・GYALLERYからも熱心に誘っていただいたのですが、丁重にお断りをさせていただきました。
ここは来年に日本の若手作家、伊庭靖子・小林浩・城田圭介・西澤千晴に山本麻友香を加えた展覧会を企画したいのでと頼まれ、こちらは出来れば協力したいと思っている。
各作家とも海外ののアートフェアーで注目度大の作家達だが、日本の事情をよく知っているのには驚かされた。
隣の国際画廊で大規模なバスキア展を開催中で、多くの来場者で賑わっていて、その影響かこちらのギャラリーにも大勢の人が見に来ていて活気があり、羨ましいぐらいであった。
オークションでは頼まれて出品した中国作家の作品3点がなんと希望価格の4倍で落札されたのには驚いた。
これはうれしいと言うより、いよいよ危険な段階に入ったのではと思っている。
各画廊でおいしい料理をご馳走になったが、これは昼に通訳を買って出てくれたリ・ユンボク君と食べたランチ定食です。
これで800円だから驚き。

11月2日

全部ではないが、来週から始まる山本麻友香の作品が届き、大まかな展示が終わった。
後は初日の朝に作品を持ってくることになっているが、飾った作品だけを見ていても彼女の力量が存分に発揮されていて、出色の展覧会となった。
前回よりも単純化された作品もあるが、その単純さが逆に強いインパクトとなって私に向ってくる。

特にスリー・アイズと言う三つの目で二人の子どもを表現した作品に私は惹かれた。
殆どが二つの重なり合った顔だけなのだが、その絵の中に隠された内面的な何かを感じさせるようで、これは具象の形を借りた抽象表現のように思えてならなかった。
前回からの子どもと動物や子どもの仕草といった表現だけでなく、次に繋がる新しい表現様式の一つが生まれたのかもしれない。
案内状にもなった150号のDEER・BOYも寺田コレクションから府中美術館に寄贈されたBLUE・PONDに通じsる風景の中の少年を描いているが、描かれている風景と描かれていない一見空のように見える背景の白の部分の対比が面白い。
見る人がそれぞれに描かれていない部分に自分のイマジネーションを埋め込む事で、より一層作品との対話を楽しむ事が出来るのでは。

今月の月刊ギャラリーの巻頭特集・アーティスト訪問で彼女が言っている「一見すると見慣れたものではあるが「待てよ」ともう一度見直すような作品を描きたい。」との言がよくわかるような気がする。
既に韓国や台湾からも作品写真とと価格表を早く送るようにとの要請が来ていて、6日からの展覧会の反響に期待したい。

11月4日

アートソムリエの山本氏率いるギャラリーツアーの一行が画廊を訪れた。
実はここしばらく休みがなく、この3連休にあわせて画廊も休みにする予定でいたのだが、ツアーの方達がみえるという事で急遽開ける事にした。
普段から山本氏に画廊は何故休日に開けないのかと苦言を呈せられていて、今回も休んでいたら山本氏に「さもありなん」と冷ややかな目で見られるところであった。
開けてみると、買い上げ作品の代金支払いやら何やらで、次々にお客様がお見えになり、てんてこ舞いの忙しさとなった。
いつも遅くまで残って仕事をしているスタッフ達には休みを取ってもらったために、私達夫婦で右往左往しながら対応させていただいた。
GTUの方でも月曜日から始まる小川陽一郎君が展示の準備に追われている。
この彼の作品がすごくいい。
兎に角派手な作品で、満艦飾と言っていい色とりどりの作品が並ぶ。
アイスクリームの入れ物やビンの王冠、ガチャガチャのケースといった廃品を使いながらど派手な色で飾り立てた立体作品が並ぶ。
大きな花輪の周りを花電車が回ったり、大きな木に模した作品はネオンの如く光が点滅し、天井からはお祝いの飾り物もどきの白鳥がぶら下がる。
食文化をテーマに極彩色に彩られたオブジェ作品を制作している間島領一やオートバイのオブジェ作品で知られる篠原有司夫に通じるものがあり、とても興味深い。
期待の新人と言っていいかもしれない。

11月6日

山本麻友香展が初日を迎えた。
有難いと言うより驚いた事に150号など大作中心にも関わらず、18点の作品が完売となってしまった。
展示の時からお客様が見えたり、海外からの注文が入ったりで、あっという間のことで作家共々ただただ唖然としている。
以前からのファンの方や初日早くにお見えいただいた方には大変申し訳なのだが、早い者勝ちと言う結果となってしまい、ひたすら頭を下げるばかりである。
中には現金を持ってこられた方もいて、予約をされていた方に無理を言ってお譲りいただいたり、遠くの方にはメールで画像を送って決めていただいたりと、我が画廊では滅多にない事だけにただおろおろするばかりであった。
また美術館の学芸員も早くに来て展覧会の依頼があったり、新聞社の取材があったりで、彼女もその対応に追われて朝から大忙しであった。
こうした反響の大きさに果たしてこれでいいのだろうかと言う恐れもあるのだが、先ずはこの現実を素直に受け止め、売れない時期もあっただけに、彼女を支えてくれる多くのファンの方に感謝を申し上げたい。

11月7日

11月にはいっても暖かな日が続き、冬物を着るわけにもいかず、さりとてクリーニングに出した薄手のものを着るのも季節はずれのようで、なんとも中途半端な気候である。
先日の休みに猪苗代と河口湖に行ってきたが、猪苗代では紅葉に染まる前に葉が落ちてしまい、河口湖はようやく色づくといった具合で、季節の気まぐれで楽しみにしていた旅も期待外れとなってしまった。
去年は10月中旬に訪ねた乗鞍の紅葉が素晴らしく、今年もあの美しさををもう一度堪能したいと思っていただけに残念である。
河口湖では小学、高校と続いて大学時代のヨット部の仲間の還暦記念の集まりで出かけたのだが、こちらも他のクラス会同様に女性達がやけに元気で、男性は皆すっかり老け込んでしまい、なるほど男女の寿命の違いはこのあたりが境目である事がよく判った。
その仲間達と出かけた料理屋の隣の部屋がやけに賑わっていて何かと思ったら、七五三のお祝いで大勢の人が集まっての宴であった。
この辺りでは七五三のお祝いはものすごく派手で、ホテルで結婚披露宴並みの豪華なパーティーが催され、子ども達はお色直しまでするとの事、いやはや何と言っていいのやら。
還暦も聞いた話だが、女性は33歳の厄年の時から積み立て貯金をして、還暦になると同級生でお伊勢参りをするのだそうだ。
その時は旅館で大宴会となり、そのために皆踊りまで習って出かけるのだそうだ。
所変わればで、こうした話を聞いて、子どもが三人にいる我が家では、何はともあれ東京で生まれ育った事をこれほど有難いと思った事はない。

11月8日

昨日お客様から電話があって、先日欲しいと思った作家の展覧会があって出かけたところ、なんとオープン30分で完売したと伝えてきた。
全く名前も聞いた事のない作家で、今はやりのイラスト風というか、GEISAI風というか、そうした一連の絵なので成る程とも思うが、それにしても驚いた。
私のところも初日に全て売れてしまった事もあって、こうした現状に本当にこれでいいのかと疑問に思うところもあって心配になった。
ただ安心なのは、今の流行の絵に飛びつく浮ついた人達や業者に売れたのではなく、今まで長い間私のところで無名の作家達を応援してくださった方ばかりに買っていただいている事である。
昨日今日と来ていただき熱心に見ていただいている初めてのお客様も皆、油彩の代わりに版画を買って下さったりで、そうした一連の人たちとは大違いの人たちのようでほっとしている。
偶々、来週開催される日、中、韓の作家を中心にしたオークションのカタログを見ていたら、そこに例の作家の作品が出ているではないか。
若干24歳の新進作家にもかかわらず、驚いた事に10センチそこそこの熨斗袋に描いた水彩画の落札予想価格が20万円を超えた価格になっている。
これで完売の理由が何となくわかったような気がする。
70年代の絵画ブームは新人ブームと言っていいほど無名の新人の作品の価格が高騰した。
ディラーズオークション主導でどんどん価格が上がり、取り扱い画廊もそれに追随し、青天井で発表値を上げていき、それでも初日に行列して買うような状態が続いた。
そこにオイルショックがやってきて、あっという間の大暴落となった。
オークション主導の若手作家の現況は、どうしてもその当時の状況とダブって仕方がない。
個展をベースに、画廊と作家、それにコレクターの方と共に地道に進んでいく事が、こうした流れに巻き込まれない唯一の方法である事は、長い間の経験からして自明の理である。
展覧会が好調なだけに、こういう時こそ今一度自分を戒めなくてはと思っている。

11月9日

昨日コレクターの方からの紹介で、新進気鋭の作家・門倉直子さんが資料を持って訪ねてきた。
彼女の展覧会は以前から近くの画廊で見せてもらっていて、印象に残る作家の一人であった。
先日も女性セブンに紹介されるなど注目度も高まっているようで、よくぞ訪ねてきてくれたというのが正直なところである。
そんな事もあって相思相愛、早速に企画展の話となった。
下地が描かれてないキャンバスに直接デッサンの如く描かれた女性の顔や仕草が妙に色っぽく、頼りなげな絵なのだが何故か心に残る表情を見せてくれる。
今風といってしまえばそうかもしれないが、そうした絵に見られがちな薄っぺらな感じがしない。
子どもの頃にさらっと描いた少女の絵といった懐かしさも同時に感じさせてくれる。
丁度今GTUで開催中の小川陽一郎の作品も子どもの夢を髣髴とさせてくれるピュアな作品ですごく気に入っているのと同様に、彼女の作品も自分の感性にマッチしているようだ。
アートソムリエの山本氏も推奨している作家の一人で、だいぶ先になるが2008年初めの個展を予定しているので、是非気長に待って楽しみにしていただきたい。

11月10日

オリジナリティーとはと思いをめぐらせてみる。
独創性と訳すのだろうが、その作家の精神そのものであり、内から発せられるメッセージであって、その作家しか持ちえない個性の発露である。
村上、奈良、会田といったところを見てみると、好き嫌いは別として、彼らにはそれなりの評価をさせる独自性がある。
日本の輸出文化であるコミックやアニメ、ゲームソフトなどを背景としたサブカルチャーをベースにしている事もあって、海外での評価も得られたのだろう。
しかしそれ以降というよりは、同時代に同じようなイラスト・コミックといった作風が続々と出現し、彼らの二番煎じ風の無名の若手作家達が海外オークションや日本の市場でもてはやされるに至っては何をか言わんやである。
紹介されて今もあるデパートの美術画廊の展覧会を覗いてきたが、現在活躍中の作家とダブって見えて仕方がなかった。
まだ若い作家にもかかわらず、山のようなお祝いの花に囲まれ、立派なハードカバーの画集も出版されている会場に立ちながら作品を見ていると、どこか気恥ずかしい気分にさせられ、そこそこに会場を後にした。
先日も書いた日、中、韓の作家を中心としたオークションカタログにも、これでもかと言う程の亜流作家の作品が並んでいる。
そのどれにも驚くような落札予想価格が表示されていて、実際オークション当日その表示価格をはるかに超える落札価格となる事が予想される。
70年の絵画ブームの頃もある作家の絵が高くなると、それと似た作家の絵が次に売れていき、その作家の人気が高まると、又次の作家といった具合で、情けないような連鎖反応がおこった。
そうした亜流の絵で先ず感じるのは画品に欠けている事である。
絵の良し悪しの評価はそれぞれの好みで分かれるが、先ず感じて欲しいのはその絵に品があるかないかである。
今の世相を嘆くのは歳がいった証拠かもしれないが、それにしても嘆かわしい。

11月11日

O氏コレクション「長谷川利行・長谷川?二郎の世界」を見に行ってきた。
破天荒な人生を送った利行と人知れず静謐な生涯を送った?二郎の対比が興味深かった。
誰もいない小さな会場の僅か小品16点の展示だったが、心静かに鑑賞する事が出来た。
ただこうして二人並べてみてみると、利行の力が際立っていて、さすがと思わざるを得なかった。
Oさんは物故作家を中心にコレクションされていて、清宮質文のコレクションでも知られる人だが、この二人の作品にしても短期間で集めたそうで、その情熱には敬服する。
もう一人、同じように物故作家のコレクターで知られるK夫妻のコレクション展「草間弥生・茶・紅葉」展が17日から千葉にある松山庭園美術館で開催される。

Kさんとは私が京橋に画廊を出した頃からのお付き合いで、お宅にも伺ったことがあるが、物故作家を中心に集めている事もあって、ここしばらくはご縁がなくなってい た。
そのKさんがまさか今や現代美術の旗手ともいえる草間弥生の作品を集めているとは思わず、案内をいただき吃驚した。
こちらも小品20点ほどの展覧会だが、紅葉に包まれる和風庭園でどのように草間弥生の水玉ワールドがマッチするのか興味津々である。
どちらもお仕事の合間を縫って、こうした展覧会を開くのだろうが、絵好きな人たち にとっては、この忙しさがまた快感なのだろう。

11月13日

長い日記になり、申し訳ないのだが。・・・いつも長すぎるとお叱りを受けている。

私が最初に勤めた画廊の3代目の奥さんで、大学の後輩でもあるY画廊のNさんのアート普及宣言を読ませてもらった。
彼女は元IBMのキャリアウーマンで、中々の切れ者である。
旧い体質のこの業界に一石を投じたいとの願いを込めて、経営革新計画を考え、東京都に申請して認可を取る事を考えている。
我が業界はビジネス理論と程遠い感情論の世界にあり、新規参入が難しいビジネスである。
長い美術不況の中にあってこうした美術界のあり方に疑問を持ち、新たなコレクター育成のために独自のセミナーを開催し、美術市場の活性化に繋げて行きたいとの願望から、こうしたプランを立てて実行しようとしている。

私も普及については同じような気持ちを持っているが、企業の理屈と言うのは中々に難しい。
以前ある大手商社が新規事業として美術分野に参入する際、私も駆り出されて毎週の会議に参加した事があるが、あまりに考えが噛み合わず辟易とした事がある。
非生産的な商品を扱う性格上どうしても大企業の考えるマスの理論が成り立たない。
美術を普遍化しようとすればするほど、目線を低くしていかなくてはならない。
彼女が今扱っている特化した高額商品と普遍性は相矛盾していて、先ずその部分を画廊でどう対応していくか難しい面がある。
彼女も自分のところの事ではなく、業界全体の視野に立ってと言っているのだが。

以前、ヒロ・ヤマガタなどを扱って飛躍的に業績を伸ばした画廊があったが、こうしたところは大量生産の商品を扱い、同じ条件のもと多くの人間にセールスさせる事で販路を拡大していった。
やり方はともかくとして、美術を普及させた功績は大である。
しかしそうした大量生産の一般普及商品に特化した価値をつけようとして破綻していった。

美術品の価格構成の重要な部分は先ずは希少性である。
手作り製品である以上売れれば売れるほど、供給できる数が限定されていき、おのずから価格は上がっていく。
コレクターは誰もが持っている作品よりは自分しか持っていないものにその価値観を求める。
そのためには多少の出費を覚悟しなくてはならない。
一点制作の油彩などと違って、版画が安いのは同じものが多数あるからである。
それでも絶版となると話が違ってくる。

次に作家とそれを扱う側のの信用度である。
新人の値段が安かったり、悲しいかな百貨店で美術品が高く売れるのはこのためである。
この二つの要素が価格を構成していくと言っていい。
芸術性が価格に組み込まれるのは、後年の美術史に残ってからの事である。

こうして考えると希少価値の美術品を一般大衆商品にするのは容易な事ではない。
質の高く希少価値のある美術品を目指せば特化しなくてはならず、普及するためには目線を低くした大量生産の普及品を扱わなくてはならず、要は二極化せざるを得ないのである。
特化した美術品を扱っている彼女がどのように普遍性を持たせるのかお手並み拝見である。
私は既成の誰でもが扱う作家の作品ではなく、私の感性にあった作家の良質な作品を提供する方向に特化しようと思っている。
そうした目線を高くした路線を選んだ以上、多くの人の感性を高めていくことに重点を置き、展覧会だけではなく音楽や舞踏、詩、演劇といった他分野とのコラボレーション等を通して、一人でも多くの人が美術を心の糧とし楽しむ事がに出来るようにと願っている。

11月15日

韓国画廊協会の会長で韓国アートフェアーKIAFの発展に尽力された金泰樹さんが画廊協会を除名された。
日韓の美術業界との交流にも功績のあった方で、私も韓国の画廊と縁が出来たのも金さんに韓国のアートフェアーに招かれた事がきっかけとなっただけに吃驚した。
日本と違って、韓国の画廊協会の会長選は立候補した画廊には選挙対策本部が出来るくらいの熱い選挙戦となる。
会長になると利権が転がり込むかどうかはわからないが、こうした権力闘争は日本の業界では考えられない。
金さんも任期満了でほっとしていると思っていたのだが、大変な事になってしまった。
会長時代の行跡で色々と糾弾されたようだが、一切の弁明もせず、無言のまま除名の処分を受け入れたと聞いている。
いずれお会いする機会もあるので、その辺の事情を聞いてみたい。
金さん追い落としの急先鋒の一人は私までが金さんグループであると言った風評を流しているようで、これには大迷惑である。
金さんの依頼で一軒でも多くの画廊がKIAFに参加するよう努め、企画してくださった日本現代美術展開催のために奔走したのだが、こうした言われ方されるとみもふたもない。
権力闘争をやるのは勝手だが、私まで巻き込れるのは勘弁して欲しい。
いやはや熱い国である。

11月16日

近くのギャラリー小柳に寄って国際舞台で活躍中の写真家・杉本博司の個展を見てきた。
ぼんやりとした何を捉えているのかよく判らない作品だったが、安藤忠雄の建築を撮るつもりが、その前に設置されたセラの彫刻に目が行き、それを撮ってしまったとのオーナーの説明を聞いて成る程彫刻を撮っていたのかと判明した。
ただ、そんな説明を聞かず、想像の世界でこの作品を眺めるのも一興だったのだが。
そうした作品とは別に広い会場に5点ほどの作品だけを飾ってあるのを見て、空間をうまく利用し、お洒落な飾り方をするものと感心させられた。
どうも私は欲張りで一点でも多くと思ってしまうのだが。
それと比べるのもなんなのだが、日記でも紹介した切れ者夫人がいるY画廊が新築ビルの広いスペースに移転しての記念展を見たが、こちらは旧態依然としていて、所狭しと有名作家の絵が飾られ、同じ広いスペースをどう使うかも画廊のオーナーの腕の見せ所と考えさせられた。

11月17日

最近は銀行が熱心に押しかけてくる。
お金を借りないかとの勧誘で、やれ決算書を見せてくれればすぐにでも貸し出し枠を取るとか、保証協会を通さず直接でどうだとか、うるさいくらいである。
昔に父親が何度も何度も頭を下げられ、仕方なしに借りたお金で購入した絵画が、その一年後のオイルショックで、見事に十分の一になってしまった事がある。
その途端に返すのはいつでも構わないと言っていた銀行の支店長が手のひらを返したように返済を迫ってきた事があった。
それ以来、銀行の甘言に乗るまいと決めていた私にバブル期にある銀座の支店長からしつこく借り入れを迫られた。
私が断ると今借り入れをしない経営者は経営者失格ですよと言われた事を今でも覚えている。
バブル崩壊後その支店長が携わった多くの画廊が破綻し、その支店長も子会社へと飛ばされていった。
そんな私も美術不況の中、どうしてもお金が必要な時があり、30年の付き合いのあった銀行に借り入れを申し出たところ、担保はありますと言ったにもかかわらず、そんなものは最後の最後に言うものとけんもほろろに断られた事がある。
晴れの時には傘を貸すが、雨が降った時にはしまってしまうを地で行った経験をさせてもらい、銀行への不信感は相当根深いものがある。
誰にでも苦境はあり、そんな時に手を差し伸べてくれるのが長い間のお付き合いと浪花節のような気持ちでいると足をすくわれる。
事業を拡大するには確かに資金が必要だが、私のような仕事は分相応に自己資金の中で何とかやりくりしていく事を考えなくてはいけない。
格差社会と言われ、勝組み、負組みがはっきりしてきた昨今だけに、余計に銀行にもう少し経理内容だけでなく、事業内容を見て、いい事業を育てていく姿勢が欲しいように思うのだが、どうだろうか。

11月18日

昨夜、日中韓の若手作家が多数出品される現代美術オークションが麻布のオークションハウスで開催された。
こうした作家達がどのような価格で落札されるのか野次馬根性もあったのだが、実は来年2月に個展を予定をしている合田佐和子の70年代の作品が出品されていて、この作品を是非落札したいと思って出かける事にした。
瀧口修造に見出され、寺山修二等と共に状況劇場にも参加するなど60年代から活躍している彼女の作品が20代・30代の今風作家に混じってアジアン新進作家のジャンルに入れられているのには驚かされたが。
結果はリ・ウーハン、金昌烈、白髪一雄、山口長男、草間弥生といった日韓現代美術の著名作家達が高かったのに比べ、村上、奈良をはじめとした若手作家の作品が大幅に値を崩したのは予想外であった。
中国の作家も一部を除き海外のようには行かず、目玉作品も一声も出ずに不落札となってしまった。
こうして見ると、海外に比べ日本が比較的冷静なのか、それともバブルに踊る中国や不動産景気に沸く韓国に比べまだまだ日本の消費が本格化していないのだろうか。
目的の合田作品と先月見た大阪国立国際美術館で開催していた小川信治の作品を落札する事ができ、無理して出かけた甲斐があった。
こうした現代美術オークションも始まって日が浅いが、海外からのオファーや外国からの来場者も多く、今まで見慣れたオークションの顔ぶれと違った人たちが来ていて、少しづつだがこうした現代美術オークションも根付いていくに違いない。

11月19日

昨日のオークションの前に近くで開かれている伊庭靖子の個展に寄って来た。
今年の5月にオープンしたというこじんまりとはしているが天井の高い素敵なスペースの1,2階に10点ほどの新作が飾られていた。
前回の個展の時のようなベッドやクッションの白い無地の布を表現していたのとは違い、柄のあるクッションや青く染め付けられた白磁の器がモチーフになり、モティーフの質感を見せながら更に上に乗せられた色柄をを表現する方向に変わってきたようだ。
昔にゼリー状のようなものを描いていた作品を見て以来虜になって、私のところでの個展もお願いした事があるくらい大好きな作家の一人である。
個展のほうはしばらくは忙しいと言う事で断られたが、私の画廊の空間には絶対に合うような気がしていて、時間が出来るようであれば是非お願いをしたいと思っている。
作品は初日にほぼ売れてしまったと言う事だったので、見るだけと思っていたら1点だけ赤印のついていない作品があるではないか。
その1点だけ残っている作品が私には一番いい作品のように思え、よくぞ残っていてくれたと感謝しつつ、早速予約をさせてもらった。
オーナーは私の画廊にも時々来ていただき、恥ずかしながら拙い日記も読んでくれているらしく、名前を名乗る前に私の事がわかったらしい。
こうした日記を好き勝手に書いていると、何時何処で日記を読んでいる人に出会うか判らず、あまりいい加減な事や私情をまじえた事を書いていると、とんでもない目にあいそうだ。

11月20日

土曜日に山本麻友香の案内状になった150号などを購入してくださった韓国のコレクター、ショーン・リーさんが来廊した。
驚いた事に日本に来る前に来月山本麻友香展が予定されているオランダ・アムステルダムの画廊キャンバスにも行ってきたとの事。
そこでもなんと150号の作品をはじめ大きな作品を4点予約してきたそうである。
世界を股に掛けるコレクター、スケールが大きすぎる。
丁度その作品をオランダに送る直前だったので一緒に見てもらうことが出来たが、満面喜びの表情に溢れ、彼女の作品にぞっこんなのがよくわかった。
誰が見ても親しみが持てる絵で、それでいて一般的な絵とは違う強さとイメージの大きさに惹かれているとの事。
私達には気づかないが、日本人が描いた絵と感じさせるのがまたいいとの事。
確かに国際舞台で活躍する作家は皆その国独自なものを感じさせてくれていて、無国籍な絵は通用しない。
抽象絵画の多くが海外で中々評価されないのも、無国籍な作品が多いからかもしれない。
そういう意味からすると、モノ派の仕事などは禅的な要素があり、世界で大きく評価される仕事なのだろう。
最初に韓国のフェアーに招待されて出かけた時は、韓国との縁が深い日本の画廊からいくら頑張っても日本人の作家の作品は売れないよ、何時まで経っても一方通行と言われたものである。
ところがこうして日本人作家の絵を追いかけてヨーロッパや日本まで来てくれる韓国のコレクターがいる事を思うと、いよいよグローバルな時代が来た事を実感させられる。
来年の夏には出身の岡山県にある倉敷市立美術館での展覧会も決まり、こうして海外に出て行った作品がもう一度里帰りし、多くのファンの方にも見ていただくことが出来そうで、これまたうれしいニュースである。

11月21日

冨田有紀子展が私どもの画廊と第一生命本館の南ギャラリーの両会場で開催される。
第一生命は若手アーティストへの育成と支援を積極的に行っていて、1994年から開催されている40歳以下のアーティストを対象とする「VOCA]展は第一生命が主催し、今や新人の登竜門として高い評価を得ている。
その中からVOCA賞、VOCA奨励賞受賞作品を買い上げ、受賞作を本館ロビーにて公開し、更には受賞作家の個展を本館ギャラリーにて開催をしてくれている。
企業メセナ活動が衰退する中、「続ける事」、「育てる事」をメセナ活動の基本方針として活動し、現代美術を育成、紹介している姿勢は賞賛にあたいする。
この「VOCA]展は日本全国の学芸員、ジャーナリスト、研究者などを中心に40名ほどの推薦委員から提示された40歳以下の作家の全てを発表展示をしてもらい、その中から受賞者を選ぶのだが、現在活躍中の多くの作家がこの舞台から羽ばたいていった。
先週まで開催していた山本麻友香も選ばれているが、福田美蘭、伊庭靖子、曽谷朝絵、大谷有花、西澤千春などがVOCA賞、奨励賞などを受賞していて、冨田有紀子も小林孝亘等と一緒に奨励賞を受賞していて、今回の企画となった。
前回発表した果実を大きく捉えるモティーフから、今回は花をモティーフのメーンに選んだ。
花びらを大胆に表現する事から、更に進んで花弁、花芯をクローズアップさせる事で、色彩の美しさとダイナミックさがより際立って表現されるようになった。
大作ばかりが並ぶ第一生命のギャラリーと、大作に加え、小品がずらりと並ぶ私どもの画廊とを行き来しながら、冨田有紀子の花園を探訪していただきたい。

11月22日

私が所属をしている奉仕クラブで30年にわたりご一緒させていただいた斎藤茂太先生が亡くなられた。
訥々とした語り口とユーモア溢れるお喋りで誰にも好かれ、私のような若輩にも分け隔てなく接していただき、老いの生き方でも教えられる事の多かった先生の訃報だけにショックであり、言葉に現わせないほどの悲しみで一杯である。
先生とのいくつかのエピソードが思い出される。
あるとき福島の旅行に出かけた折、戊辰戦争の古戦場で知られる母成峠を訪ねたときであった。
この旅行には同じクラブの仲間である薩摩藩の直系である島津氏と地元会津の殿様で知られる会津藩の直系の松平氏が参加をしていた。
戊辰戦争は薩長連合の新政府軍と旧政府軍との戦いであったが、その中でも会津藩との戦いは激戦となり、白虎隊の話でも知られるが、母成峠の戦いでは会津藩に多くの戦死者が出た。
これを悼み、松平氏の書による石碑が母成峠に建立されているが、斎藤先生お二人の手を取り、石碑の前で握手をさせたのである。
お二人は個人的には親しいのだが、先生は積年の薩長と会津の怨念はこれにて和解と仰られ、みんなで大笑いしたものである。
船を借り切って東京湾ナイトクルーズを私が企画した時も、皆が船で食事をしている中を先生に世界一周の船旅の話をしていただき、少年のように目を輝かせて旅の話をされていたのがついこの前のように思い出される。
90歳になられたが、まだまだ元気にご活躍できると思っていただけにその死は残念でならない。
今ごろははるかなる旅を楽しんでいるに違いない。
ご冥福をお祈りする。

11月23日

今日は祭日だが冨田展が始まって早々なのと、朝日新聞の文化欄に写真入で紹介された事もあって、休みを知らずに来られる方もいるのではと、急遽開ける事にした。
急に寒くなったのと、同時開催の第一生命が休みのせいもあってか、思うほどには人が来ない。
その第一生命で昨夜オープニングパーティーが行われた。
美術館の館長や評論家、作家など多数の方達が見えて大盛況であった。
その中に混じって大学時代のヨット部の同期のM君が来てくれた。
第一生命のギャラリーを管轄する社会文化事業室の前室長I氏と同じ慶応で同期入社と言う事もあり、私に会わせようと声を掛けてくれたらしい。
彼とは長いこと会っていなかったので久しぶりに旧交を温めることが出来た。
同じ会社にいるにもかかわらず、「VOCA」展が何かも知らず、ロビーにに飾ってある絵も毎日見ているのだが、よくわからない絵が飾ってあるな程度にしか思っていなかったそうだ。
会社のメセナ活動も前途厳しいものがある。
パーティーの最中、法被に佐賀と染め抜いた鉢巻集団が大きな桶を担いで突然現れた。
彼女のアトリエのある佐賀町ところてんクラブの面々で、彼女そのメンバーの一人と言う事で馳せ参じてくれた。
ところてんなど滅多に食べないのだが、この時ばかりはあっという間に平らげ、出来ればお変わりしたいくらいであった。
彼女は多趣味で、スキーをやったり、さっかーJリーグの追っかけをやったりで忙しくしているが、忍術まで習っているのには驚かされる。
すいとんの術で水に潜ったり、天井の梁につかまっている写真を見せてもらった事もあったが、あれだけの作品を描く間によくぞと感心させられる。

11月24日

「 LIFE IS ART 」 という雑誌が送られてきた。
以前にインタビューされていてすっかり忘れていたのだが、センスのいいお洒落な雑誌になっていた。
内容も私が提案していたようにアートを中心にグルメ、旅、建築から本の紹介まで、大人が余暇にページをめくるには格好の雑誌となった。
特集は「現代アート、溢れるロンドン」でUKアートの極上の愉しみ方とサブタイトルがついていて、私も興味深く読ませてもらった。
続いて、東京ギャラリークルージングと題して私のところやユマニテ、小柳、小山、西村、東京、ミズマといった画廊が12軒ほど紹介されている。
「アートを買う楽しみを語ろう」という記事では、お馴染みのアートソムリエ山本冬彦氏も登場している。
この雑誌は書店で売るのではなく、高級マンション等のポストに投げ込み、新たなコレクター層の掘り起こしを図っている。
この雑誌を出版したところは今年ビッグサイトでアートフェアーを企画した会社で、こうした雑誌を見てもらうことで来年4月のアートフェアーの関心度を更に高める意図もあるようだ。
雑誌希望の方は美研インターナショナル 03−5766−9150 info@color-session.comまで問い合わせてみたら如何だろうか。

11月25日

昨日の事、前夜の雨でじゅうたんを敷き詰めたように色づいた落葉が公園の道を覆い尽くしていた。
最近また腹回りが気になり、通勤時に家から代々木公園を抜け原宿までを歩くようにしている。
雨に洗われた澄んだ景色の中を歩いていると、都会の喧騒までが洗い流されたようで、ざくざくと折り重なった落ち葉を踏みしめる音だけが聞こえる。
最近知人に俳句の会に入るように盛んに勧められる。
文学的素養も教養もないのでと断っているが、こうして自然の中を歩いていると、一句ひねってみたくなる。
最近はあまり行く事もなくなったが、以前から野鳥の会に入っていて、こうした会に入っていると鳥だけでなく、草花や樹木、昆虫、星といったありとあらゆる自然のものに目がいくようになる。
季節の移ろいや自然の息吹に耳を澄ましながら言葉を織り込んでいく俳句作りは、自然の動きに敏感なバードウォッチングと合い通じるところがあり、いずれは下手なりに友人の会に参加をしてみようと思っている。

12月1日

代官山のヒルサイドフォーラムで開催中のシェル美術賞展に行って来た。
昭和シェル石油が主催する絵画コンクールで50年の歴史を持ち、多くの若手作家の登竜門となってきた展覧会だが、中々行く機会がなく久しぶりに覗いてきた。
1,300点余の応募作品の中から40点の作品が入選するという狭き門で、出品者も平均年齢27,6歳と今の若手作家のブームを反映するような形となったと聞いて、だいぶ期待をもって行ったのだが。
残念ながら心を動かされるような作品は見受けられなかった。
会場の雰囲気がそうさせるのか、どこか作品が暗く、重たくて団体展を見ているような錯覚に陥り、いつもならもう一度会場を戻って気になる作品を再確認するのだが、そんな事もなく会場を後にした。
若さゆえの溌剌さとか破天荒さが見られず、うまく納まってしまったような作品が多いように思えてならなかった。
若い作家達が積極的にプレゼンテーションするようになったのは大変良い事だが、世慣れてしまうというか、計算ずくというかそうした心の欲が邪魔をしているのかもしれない。

12月2日

今日はシンワオークションが初めての試みとしてコンテンポラリーオークションを開催する。
クリスティーズの香港オークションに刺激されたか、昨今のアジアンアートの活況に乗り遅れまいとしてか、いよいよ新分野に参入である。
ネットでも出品作品が見られるが、相も変わらず村上、奈良のオンパレードである。
一時のヒロ・ヤマガタやラッセンなどが大量にディーラーズ・オークションに出てきたことが思い出される。
昨日、私をKIAF前会長グループと流布していた韓国のF氏がその弁明のために訪ねてきたが、その件はいずれまたお話することにして、今の中国美術のバブルについて話を聞かせてもらった。
F氏は上海に支店を出す準備を進めていたり、北京、上海のアートフェアーにも深く関わっているだけに中国の美術事情には大変詳しく、私達同様に今の状況を冷ややかに眺めていた。
オークションの中国作家の高騰も数人の仕手グループが互いに組んで、値を吊り上げているらしく、それを知ってか知らずか若手作家達も現金取引でなくては作品を渡さず、それも条件のいい画廊にどんどん移っていくと嘆いていた。
ただ、中国で儲けるには今が最大のチャンスと見ているようで、かなり積極的に中国作家を取り上げようとしている。
先日、40年中国にいて政府関係の仕事もしている中国問題研究所所長のN氏の「政策と対策」という講演を聴いた。
中国に進出した日本企業が何故うまくいかないかをわかりやすく解説してくれた。
儒教思想が根底にある中国では先ず自分、家族、縁者が大切であり、自分が出た地域を中心に損得を考えていく。
あなた達のためではなく、自分たちのためという考え方である。
いくら中央政府で決めた政策でも地方政府の役人はどう自分達に有利に活用するかその対策を考える。
朝令暮改も中国ではいい意味で解釈されていて、悪い政策だからそれをすぐに改めるのだからと。
馬耳東風も中国では当たり前の事だそうだ。
彼らには中央政府への忠誠心は全くないというより愛国の気持ちがなく、国を捨てる事さえいとわない。
それが証拠に華僑は全世界に根をおろしている。
60を超える民族と膨大な人口を抱える中国は共産主義でなければとっくに国は崩壊していたという。
こうした事を知った上で、彼らの対策に応じた処し方をしなくては中国でのビジネスはうまくいかないという。
中国に出店している日本の画廊も韓国のF氏も心しておかねばなるまい。

12月3日

先週の土曜日にY氏の傘寿のお祝いに招かれ行ってきた。
Y氏は私が社長をしたオークション会社の監査役でもあり、このオークション会社の創立時からの出資者の一人でもあった。
大勢の招待客で賑わっていたが、その多くはお仕事の材木関係の方たちではなく、美術関係の方たちで占められた。
と言うのも、そもそもは現代美術のパイオニアとして知られる南画廊の故志水社長と学生時代からの旧い友人であり、現代美術の大コレクターとして美術館、評論家、作家、画商と広い知己がある。
数年前には体調を崩された事もあったが、今でも現役として80歳とは思えないくらい元気に仕事をされている。
数日後、今度は友人の日本画商の父上が亡くなられてお悔やみに伺ったが、その席にその画廊の創立時の番頭さんであったM氏がみえていた。
M氏も86歳になるが、これまた現役ばりばりでとてもその歳には見えない。
この日も、昼にはゴルフをしてきて40台の前半で午前、午後と廻ってきたというから驚きである。
私の所属している奉仕クラブには94歳で未だ社長として陣頭指揮をとっているS氏がいる。
戦前の二二六事件では警視庁の占拠に駆り出された兵の一人で、その時の兵隊は太平洋戦争では皆最前線に送られたが、無事生還し、その後病気一つせず未だ現役という強運の人でもある。
会社では多分迷惑がられているに違いないが、こうして現役で活躍しているのが何よりの長生きの秘訣なのだろう。
Y氏とは米寿のお祝いでまたお会いしましょうと言う事でお開きとなった。

12月6日

大阪の国立国際美術館に行ってきた。
前回一日違いで見ることが出来なかったエッセンシャル・ペインティング展をようやく見ることが出来た。
もう少し華やかで明るいようにカタログでは思えたが、実際に見て見ると暗く不気味な感じのする絵が多く、先日見てきたシェル賞展と同じような雰囲気に思えてならなかった。
最近のの絵画の傾向を見て見ると可愛いらし系と気味悪系に分かれるが、今回はどちらかと言うと後者の部類に入るようだ。
マティエールや造形も日本の作家達のような繊細さが無く荒々しいように感じるのだが、ある距離を持って眺めると強さと共に具体化された形が浮き上がってくる。
この事は今開催中の冨田有紀子の絵についても言えることで、近くで見ると平板な絵が離れるにつれて立体化され、ダイナミックな表現となって迫ってくる。
実際の人間の目の視点で捉えるのではなく、最近の傾向としてレンズなどのメディアを通した視点で見ることが多く、こうした表現が多くなっているようだ。
これも映像世代と言われる今の絵画の一つの潮流が世界共通であることがこの展覧会を通してもよくわかる。
ただ何故ああした不安げな絵が多いのかが私にはよくわからない。
21世紀はもっとハッピーに思えるのだが、そう受け取っていないのだろうか。
そうしたこととは別にある美術館長が言っていたが、こうした現在の欧米の絵画の動きを見せるだけではなく、日本の作家を交えた上で今の在り方を問うべきでは、また国立という名がつく以上そうした視点に立って企画を考えるべきと言っていたが一つの見識である。
どうしても島国根性は自分のところを軽視しがちで、グローバルな時代にあって相まみえる事でより高いレベルに引き上げられるのではないだろうか。

12月7日

国立国際美術館の後に、心斎橋のギャラリーで個展をしている岡本啓の作品を見に行ってきた。
彼はまだ24歳の若手アーティストだが、3年前大阪芸大に在学中に資料を持って画廊を訪ねてきた。
大阪から夜行バスに乗ってやってきた彼は純朴な中々の好青年で、緊張でがちがちになりながら大きなリュックから資料や作品を出して見せてくれた。
大学では油絵を勉強していたそうだが、作品は全て写真や写真をベースとしたオブジェであった。
日本では写真の分野だけが欧米や韓国などと違いアートマーケットから外れた所にあって、専門のギャラリーも僅かである。
しかし以前の版画市場がそうであったようにいずれは写真がアートの分野の大きなポジションを占める事は間違いなく、私もいい作家がいれば是非扱っていきたいと思っていた矢先でもあり、興味深く彼の作品を見せてもらった。
実を言えば、既に二人の写真作家を画廊では取り上げていたのだが、その二人が共に夭折してしまったのである。
そんな事もあってか作品を見せてもらった途端、亡くなった二人の再来として彼がやってきたように思えてならなかった。
彼の作品はレンズを通して作るのではなく、印画紙に光を当てる事で自在に色を取り出し構成していくという油彩と写真の中間のような作品である。
透明感のある色彩はそのどちらの技法に偏っても現わす事の出来ない独特の色彩で、多様な表現を見せてくれる。
多くの写真作品は被写体があって、それをレンズを通して現わしていくので、普通に見る写真との違いを理解してもらえず、そこをどう取り払うか私達も苦慮をしているところだが、彼はそうした写真に対する偏った見方を覆すような作品を作っていて、私もこれだと思った次第である。
扱ってすぐに韓国の画廊がアートフェアーで紹介してくれたり、富裕層向けの企業の雑誌の表紙を一年にわたって任される事になったり、企業のカレンダーに採用されたりで、早くも各方面からも評価を得るようになった。
今回の個展では色彩だけではなく、余白の部分をうまく使う事でより見やすい画面となり、そこそこに作品も売れていて、ほっと一安心と言うところである。
来年の5月10日から私どもでの本格的な個展も予定されていて、是非ご期待いただきたい。

12月8日

明日から桑原弘明展が始まる。
彼の作品はアンティークなカメラにも似た金属の小箱(象嵌されたり、緑青をふかしたり、それだけでも美しいオブジェ作品となっている)の中に爪の先ほどの大きさで作られた部屋が設えてある。
手彫りに金箔が張られたデコラティブな額や鏡が飾られ、古びた机には金色に輝く顕微鏡やランプ、燭台が置かれ、市松模様に彩られた床や時を経て煤けた壁や天井が彼の手によってまごうことなく作り上げられている。
それはまるでフェルメールの部屋であったり、セロ弾きゴーシュの部屋であったりする。
そうした作品を作るにはかなりの時間と手間がかかる。
毎日、毎日頑張っても一年にせいぜい5個程度の作品しか出来ない。
今までに作り上げた作品はやっとの事で50を超える事になった。
そこで小さな小部屋でしか見られなかった彼の作品を全部集めて私どもの広い会場で展示しようと思い立ち、所蔵家のご協力を得て今回の企画となった。
新作も今回は頑張って6点の珠玉の作品が出来上がった。
これだけ揃うと壮観である。
一つ一つを箱に備えられたスコープを通して覗かなければならず、更には小さないくつかの窓に光を当てる事で情景が変わる様を見るにはかなりの時間要する事もあり、一日三回公開時間を設け見ていただくことにした。
また新作をお求めいただくにも、皆さん待ち焦がれている方が多く、大変恐縮なのだが初日の朝から先着順で見ていただきお決めいただく事になった。
師走に入り寒さも増す中を朝から並んでいただくなど甚だ不遜な展覧会となってしまい誠に申し訳ないことだが、そうした事情をご理解いただきご容赦を願いたい。
私自身が並んででも欲しくなるような気がしていて、是非楽しみにご覧いただければと思っている。

12月9日

雨の朝となった。
今日は桑原展の初日でこの寒い中を作品ご希望の方は朝早くから並んでいただく予定にしていたが、寒いせいもあってか予想したほどの混乱は無かった。
昨夜も仕事が終わってすぐに大阪から飛行機で駆けつけていただいた方もいたが、あらためて朝に来ていただくようにお願いしたところ、早くに来ていただき恐縮仕切りである。
同じように昨日軽井沢から来られた方は代理の方にお越しいただき、お目当ての作品を手に入れることが出来た。
前の晩から間に合わなかったらどうしようと一睡も出来なかったという方もお目当ての作品は駄目だったが、何とか間に合い第二希望の作品を手に入れることが出来た。
先の山本麻友香展でも初日に遠方から作品ご希望の方がお見えいただいたにもかかわらず、その前に完売になってしまい何故先に売るのかとお叱りをいただいた事もあって、今回は恐縮だがこんな形にさせていただいた。
お陰さまで完売となったが、先日も近くの画廊で年に数点しか制作できない作家の2年ぶりの個展があり、希望者が殺到したため抽選で作品を頒布したそうだ。
同じような事が陶芸の展覧会でもあったと聞き、この業界にも明るい兆しが見え始めたのだろうか。
桑原作品も年に数点出来るか出来ないかと言う事もあってこんな具合になってしまったが、まだまだ他の作家の展覧会ではそんな事も無くその道は厳しいと思っている

12月10日

桑原展ではたくさんのお客様が来るのと、作品をそれぞれ覗き込み、幾つかの窓から光を当てながらその情景の変化を見ていただくこともあって、作品が多数ある今回は我がスタッフだけでは対応出来ず、お手伝いのボランティアを募集した。
そんな奇特な人たちがいるのかと思いきや、たくさんの若い女性が応募してくれて、一気に画廊が華やかな雰囲気となった。
お借りするお客様には直接ご自分でお持ちただく事をお願いし、買っていただくお客様には朝早くから並んでいただき、お手伝いはボランティアでと、何から何まで皆様に甘えっぱなしの展覧会ととなってしまった。
これも桑原作品の魅力がそうさせてくれたのであろうが、偏にファンの皆様のお陰と大変にありがたく、感謝申し上げる次第である。

12月12日

NPO法人アート・インタラクティブ東京というところがあって、「美術コレクターの疑問に答えて」というテーマで美術関係者に来ていただき、講演会を開いている。
その一人の広本伸幸氏の講演のレジメが送られてきて興味深く読ませてもらった。
彼は現代美術のコレクションで知られる大日本インキの川村美術館の購入を担当し、10年間に百億円規模の美術品を購入したそうである。
幾つか面白い話があるので要点を紹介する。

資源の少ない日本ではアートは非常に大きな資源だと思う。
21世紀に入ってアートがようやく輸出出来る時代になった。

日本のオークションは不要品売買のレベルで、要するにきちんとしたコレクター、買い手がいないために海外のようなオークションにはならない。

日本のマーケットが成熟しないのは日本の国内だけに閉じこもっているからで、そのため市場的に価値が安定しない。
そのため会社の資産として考えた時に安定した欧米のもの、それも日本人が買いあさって値を吊り上げるゴッホなどではなく、アメリカ戦後美術にしたそうである。
村上隆の「芸術起業論」にも言及しながら、日本がアートのマーケット形成にブレーキをかけているのは、人に理解されなくても自分で好きなものを描いていればいい、売れなくてもいいと言う考え方をアーティストの多くが持っているからで、アートに近い本とかCD、映画でもベストセラーになるのが評価で、売れないものは市場から姿を消す。

美術史に残っているような作品の多くは依頼主があって描かれたもので、芸術的価値ではなく、市場的価値、金銭的価値があったからである。
本来アートとは飾るものであったのが、19世紀から装飾的機能から独立して、自由に作られるようになった。
突出した抽象等時代を切り開いていく最先端の美術は必要だが、その全体を支えていく美術のマーケットがあってどんどん引っ張っていけるもので、日本には大きな土台が無く、尖った所ばかりが出来てしまった。

コレクターの数に比してアーティストの数が多すぎる。
美術大学も多すぎる。
そこで教えている先生達というのも作品が売れた事がない、売れないから先生になったわけで、どうしたら売れるかという事を教えられる先生がいない。

アートの講義を美術関係だけではなく、ビジネスや法律の世界でもっと広く行うべき。
アメリカの影響を受ける日本では、間違いなく現代美術に関心を持ったビジネスマンが成功する。

興味を持つとか関心を持つという事は買うという事。
INTERESTは利益という意味もあって自分がお金を出して自分のものにする、それが本当の関心で、無関心と言うのは見ているけど買わないとイコールである。

一つの考え方ではあるが、さて皆さんどうお考えでしょうか。

12月13日

版画芸術の今月号に小浦昇の技法が紹介された。
子どもの頃にあこがれた空想世界を具現化する作品は大人たちの心を揺さぶり、夢の世界へ回帰させる。
そうした美しい世界はアクワチントのぼかしによる技法によって作り出される。
その独自の技法を順を追って紹介している。
微妙なグラデーションによる透明感溢れる画面がどうして作り出されるか、銅版画を志す者にとっては必見の技法公開となった。

関連情報 2006.4 2006.4_2 2003.12 2002.3 2001.12 2001.2 1999.9 1998.11

12月15日

連日大勢の人が桑原さんの極小の世界を見に来て、その精緻な作品にに驚かれる人が多いが、先日大阪の国立国際美術館で見た小川信治の作品もよくぞここまでと思うほど細かく巧みな描写力に私は魅入られた。
初めて知った作家だが、いいなとの思いが通じたのか2点ほど旧作を手に入れることが出来たのでいずれ紹介をさせていただく。
その小川信治を含めた8人の作家による「線の迷宮ー鉛筆と黒鉛、細かくも柔らかな表皮」展が来年の7月から9月にかけて目黒区美術館で開催される。
その中には私どもで個展を開催した篠田教夫も参加する。
彼もまた桑原、小川に優るとも劣らない卓越したデッサン力と培われたテクニックによって驚くべき細密な世界を描き出す。
とは言え、彼の作品は描くのではなく、消していく事によって作り出される。
どうやってと言われるとうまく説明できないのだが、まず紙の上にイメージした色を置いた後、紙全体を鉛筆で真っ黒に隈なく塗りつぶす。
その鉛筆を可能な限り細くした消しゴムの先で消したいきながら、下にある色や紙の白い部分を浮かび上がらせていくのである。
添付の写真を見ていただくとわかるが、そんなやり方でどうしてこんなに細かい描写が出来るのかと疑問に思われるだろうが、出来てしまうから不思議だ。
ただ非常にデリケートな作業のため、一日に数ミリの範囲での仕事しか出来ない。
毎日毎日やっていても完成にはかなりの時間を要する。
桑原さんも毎日3時間しか睡眠を取らずにひたすら作品に取り組むそうだが、篠田さんも恐らく命をすり減らしながら制作に没頭しているのだろう。
3年先の私のところでの個展に向って今一生懸命新作を作っているが、そのためには併せて7年の年月をかけることになる。
先ずは来年の目黒の美術館での展覧会を見ていただき、気長に新作展をお待ちいただきたい。

12月16日

コレクター向けの美術季刊誌「アートコレクター」が発刊された。
その前にも展覧会情報のフリーペーパー「アーティクル」の創刊号が送られてきた。
先日紹介した富裕者向けアート誌「LIFE・IS・ART」もそうだが、ここにきて新たな美術誌が続々と発刊され、美術への関心が高まったのか、そうした掘り起こしのチャンスとみたのかよく判らないが、少しでも多くの方が美術に関心を持つ切っ掛けになってくれるといいのだが。
「アートコレクター」では恥ずかしながら、版画が専門の画廊でもないのに「版画で学ぶコレクター入門講座」の記事を受け持たされ、雑駁な版画の基礎知識ということで紹介させていただいている。
またお世話になっている寺田コレクションの寺田小太郎氏が巻頭特集「話題の人に聞く」で紹介されたり、アーティスト・クルーズの欄では船越桂、奈良美智などと共に長い間私どもで個展を重ねてきた小林裕児の紹介等、私の所と馴染みのある記事も多く、ご興味のある方は本屋さんで立ち読みでもしていただきたい。

12月19日

桑原展では朝から晩まで延々と見ていただく訳にも行かないので、1時半、3時半、5時半と公開時間を指定させていただいた。
そうすることでボランティアを頼んだ女性達も負担が少なくなるのではと考えたのだが、思惑違いでその時間になると一斉にお客様が来られ、てんてこ舞いの忙しさとなる。
土曜日などは画廊の中を歩くにも人を掻き分け掻き分けの大混乱状態となった。
以前に恒松正敏展の「百物語」を30点展示した時も大混雑で、ある美術誌の編集長が美術館や百貨店の美術催事では時たま見かけるが、画廊で肩越しに絵を見たのは初めてと言わしめたくらいの大盛況であったが、それ以来の満員御礼である。
NHKの「新日曜美術館」や朝日、読売などに紹介された事もあるのだろうが、根強い桑原ファンの口コミによる事も多いのでは。
22日まで後4日、スタッフ、ボランティアの女性達、それに桑原さん倒れないように頑張れ。

12月20日

イナバウアー、品格、ハンカチ王子などにまじって「ミクシー」が今年の流行語大賞に選ばれた。
「ミクシー」という言葉を初めて知ったのは4月の小浦昇展の時であった。
仲間同士でブログのやり取りをするサイトの一つでファンクラブみたいなものらしいのだが、知り合いからの招待メールがないと登録できない仕組みになっていて、私が見たくても見る事は出来ない。
その時には小浦さんとどうも「ミクシー」で展覧会の情報が行き来しているらしいが、一体それは何ものと首をかしげたものである。
今回の桑原展でも「ミクシー」の仲間同士で展覧会の情報が発信され、多くの人が詰め掛ける要因にもなっている。
他にもうち関係では小林健二などに多くの会員がいるらしいのだが、誰か私を仲間に入れてくれないかな。

12月21日

小林健二の展覧会が浅草橋にある彼の友人のビルの一室で密かに行われている。
地図を見ながらでも通り過ぎてしまいそうな細い路地を入ると、ビルの非常階段の隙間から微かに扉らしきものが見える。
廃屋のようなビルのその扉には、小さく「IPSYLON」と書かれた青く光る表札のようなものが貼ってあり、それが展覧会の唯一の目印となっていて、一瞬入る事さえ躊躇われる。
展覧会は限られた人だけが招かれ同封されたパスポートを受付で提示しなくては中に入れない。
まるで秘密の夜会に招かれたようで、微かなときめきを覚えながら、古びたエレベーターのぼたんを押す。
エレベーターの中は淡い薄暮のような灯りがともされ、まるで異空間への旅が始まるようだ。
エレベーターを降りるとそこはまさに異次元の世界が広がっている。
O4「SOMNIUM]は地球を包むオゾン層の更に上にあって薄氷か消えかかるシャボン玉のように漂っていて、宇宙唯一の結晶性気体 の一種である。
その気体が流星等と共に細粒となって地球に人に心に降り注ぐ。
それを人は「夢」と言うなり。
その夢幻の様がコンピューターグラフィックによって広々とした会場内に映し出される。
青く輝く空間はあたかも宇宙を彷徨うがごとき錯覚に陥らせ、その心地よさに暫し身を委ねる。
恍惚のひと時を過ごさせてもらった。
彼の溢れ出るイマジネーションと限りない資質にあらためて感服。
12月26日まで開催。
展覧会をご覧になりたい方は小林健二のリンク先をクリックしていただき、そこから登録すればパスポートが送られる。

12月26日

食堂癌の手術を乗り越え回復に向っている友人からメールをもらった。
命拾いをし来年からは仕事をセーブしながらロハスな生き方をしていきたいと書いてあった。
最近よく耳にするようになったが漠然とこんな感じかなと受け止めていて詳しくはどういう意味かわからないままだった。
そこで調べてみるとアメリカ生まれの造語で「Lifestyle of health and sustainability」の略で2002年ごろから日本でも使われるようになったそうだ。
「それは自分や他人の身体に悪影響を与えないものか」「それは地球環境にとってマイナスにならないものか」を考え消費や行動を選択していくライフスタイルで、要はシンプルな生き方の延長上にある考え方だそうだ。
大量消費国であるアメリカの従来のライフスタイルの反省からこうした生き方を考えるようになったらしいのだが、我が家は常に変わらずそんな言葉が生まれる以前からシンプルライフ・ロハスな生き方を実践しているというよりせざるを得ないので、時代を先取りしているのかな?
友人は術後17キロも体重が減ったそうだが、その体重を維持するためにも自分に優しいロハスな生き方を考えているようだ。
それにしてもミクシーやロハス、アイ・ポッドにウィニーと次々に新しい言葉や商品が生まれてきておじさん覚えるのに大変で日本人である事を忘れてしまいそう。

12月27日

22日で展覧会が終わったが、来年早々にヨーロッパに出かけることもあって、来年の企画の準備や依頼作品の送付、お客様へのお届けや処分品の精算などを年内に全部済ませなくてはならず、文字通り師走の慌しさでゆっくりする暇が無い。
昨日の季節はずれの嵐と打って変って春のような陽気のせいもあってか汗をかきかき残り仕事を片付けているが年内に終わる事が出来るだろうか。
来年はもう少し時間にゆとりを持って段取りよくと例年の如く思うのだが果たして?

12月28日

早朝に我が家の愛犬が大量の吐血をして14年の生涯を閉じた。
この間一度も病気をしたことが無かったのだが、2週間ほど前から吐いたりご飯を食べなくなったりで入院をして診てもらったが原因がわからないままに死んでしまった。
この犬は動物愛護協会が里親探しをしていた捨て犬で、見つからなければ処分をされてしまうとの話を上の娘が聞いてきて、可愛そうだからと頼まれて引き取ってきた雑種犬である。
命拾いをして我が家で14年も長生きできたのだから良しとすべきだろうが、やはり生き物の死を見るのは辛い。
来年早々にヨーロッパに夫婦で10日間ほど行く事になっていて、病気の犬を置いて出かけるわけにもいかずどうしようと迷っていたのだが、年末を待たずにあっけなく逝ってしまったのも心置きなく行ってきて欲しいとの犬心だったのかもしれない。
今年は何事も無く一年が終われると思っていたが、ぎりぎりで悲しい思いをさせられた。

12月29日

クリスティーズから年末の挨拶状が届いた。
2006年のクリスティーズは空前の活況を呈し、10月末のニューヨークオークションではナチスに没収されたクリムト4点の作品が230億円、ゴーギャンの作品が48億円など一晩での落札総額が590億円と空前絶後のオークションレコードとなり、バブル期の約2倍の出来高となった。
その後のコンテンポラリーアートオークションではデ・クーニングの作品が32億円を超え現代美術のオークションレコードを塗り替えるなど合計288億円と史上最高を記録した。
2週間にわたり繰り広げられたオークションの総額はなんと1千億円を超えマーケットシェアの64%を占める結果となった。
欧米だけではなくアジア・ロシア・中東・南米などからの新たな参加者がマーケットに活気を与えたようだ。
という雲の上のような数字を見ながらでは気がひけるが、私のところの一年を振り返ってみると、今年度は20の企画展を開催し、概ね好評でそれなりの成果をあげる事が出来ました。
これも偏に作家を支援してくださる多くのお客様のお陰と感謝申し上げます。
長い間お力添えをいただいているお得意様だけではなく、今年はそれにも倍する新しいコレクターの方との出会いがあり、それぞれの作家の熱烈なファンとなっていただけたようです。
更には海外からのお客様にもお越しいただいたり、メールでの注文を受けたりと、海外でのアートフェアーに参加した成果が出た年でもありました。
GTUからも期待の新人が生まれ、今までの作家の皆さんも新たな方向性を見出すなど新境地を開き、相乗効果で大きく飛躍できた年でもあったように思います。
こうして新たなスペースで3年が経ち、石の上にも3年と先ずは第一関門をクリアーできた事を喜んでおります。
来年も20近くの企画展を予定していて、今年以上に皆様のご期待に添うべく作家共々精進してまいりますので、何卒お引き立ての程よろしくお願い申し上げます。
今年の日記もこれで最後となります。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

バックナンバー
2002年 10/19-12/28 2003年 前半 2003年 後半
 2004年

2005年1月〜3月 2005年4月〜6月 2005年7月〜9月 2005年10月〜12月

2006年1月〜3月 2006年4月〜6月 2006年7月〜9月 最新の日記はこちら

RETURN