●4月4日
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来週から「呉亜沙展」です。
東京芸大大学院を卒業して間もない若干27歳の若手女流画家です。
若手とは言え既に各方面から注目され、昨年の韓国アートフェアーの日本現代美術特別展に出品した折には多大な反響を呼びました。
作品は可愛らしいうさぎ達が登場するのですが、ただ可愛らしい作品というのではなく、何気ない風景の中や何気なく行き過ぎる人達といった無意識の中での自分の関わりをうさぎに置き換えたり、自分と対峙させる事で現代社会が抱える問題を模索しようとしています。
秋にはニューヨークに文化庁の研修生として派遣されることになっていて、今回の展示は大作を中心に彼女の一区切りとも言える内容のある興味深い展覧会となりますのでご期待ください。 |
●4月5日
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画廊の前の大島桜の花が一斉に開きました。
緑の葉と白い花が同時に開き、そのコントラストの美しさは行き交う人の目を癒してくれます。
遅かった春がようやくやってきてくれたようで気持ちも浮き立ちます。
桜と富士山、日本画の典型的なテーマで、絵にしてみると通俗的に思ってしまうのですが、実際の物を目にするとパーッと心が華やぎ、やはり日本人なんだとあらためて思います。
季節の移ろいを感じ、自然に触れる喜びをしみじみと感じています。 |
●4月7日
第3回安井賞を受賞した中本達也が51歳の若さでなくなってから早32年の歳月が流れた。
中本作品に感銘を受け、私の画廊で遺作展を開催してからでも20年が経ってしまった。
1950年代、60年代と多くの画家達が抽象表現主義に流れていく中、かたくなに形にこだわり、新具象というグループまで造って独自の道を進んだ作家の一人が中本達也であった。
安井賞が制定されたのも、具象絵画への回帰といった意味合いがあり、その中で中本が受賞したことは当然の帰結であったかもしれない。
先の日記で少し触れたが、今回わたしが手に入れた中本作品は安井賞受賞作品「群れ」(国立近代美術館蔵)を髣髴とさせる作品で、中本の最も充実した時期の作品と言っていいだろう。
厚く塗られたそれでいて透明感のあるマティエールに風化していく鳥の姿は、生への賛歌と死への必然を描き、夭折した中本を暗示させる作品に思えてならない。
●4月11日
先日もお知らせした「呉亜沙展」が始まりました。
私の所では初の個展ですが、お客様のほうが既に彼女の作品を知っていて楽しみにしている方が多いようです。
特に長いお付き合いのこだわりコレクターの方達の注目度が高く、目の肥えた方達の評価に期待が膨らみます。
会場には画像でも紹介したティッシュ配りのうさぎが、作品の描かれたティッシュを展覧会に来られた方たちに配っています。
日常の風景やさりげなく行き交う人達の中にいる自分というテーマの通り、作品と観客、作品と会場が一体となり、更に淡く抑えた色調が画廊の白い壁面とマッチして空間そのものが作品となっています。
春の訪れとともに新鮮で爽やかな風を画廊に運んできてくれました。
作者の言葉
今回は自身の帰属性を示す場所(Parents’ home, Return to Tokyo tower, Studio)や、日常のコミュニティの象徴的な場所を(Public
bath, Platform Construction site)描いています。自己の存在は他人との関係によって、場所が確定させられている部分を強く感じるからです。
●4月12日
呉さんと同時開催でコイズミアヤ展が開かれている。
彼女は小さな箱の中に大きな世界を閉じ込め、非現実な現実世界を一貫して制作してきた。
これまでは白く塗られた何気ない箱の中に都市であったり機械であったりと人工的な構築物を造ってきたが、最近は自然との関わりにその表現が変わってきていて、今回はあたかも箱庭のごとく広大な緑の山々が小さな箱の中に納められている。
彼女が訪れた山の一つの大きく貫かれたトンネルの印象が今回の作品のイメージを膨らませ、その箱の側面には随道が造られ、少女アリスが導かれるようにわたし達はその穴に入り、未知の世界に踏み込んでみたい衝動に駆られる。
屏風、盆栽や箱庭に見られるように大きな空間を小さな世界に閉じ込めてしまう日本独自の縮み文化は、限られた国土の中での世界観がそうさせたに違いないが、彼女の作品では更なる大きな宇宙までを取り込んでしまうような壮大感を感じさせてくれる。
彼女が私のところで初めて展覧会を開いたのが25歳の時で、呉さんも同じような年齢で今回の発表となったが、あらためて若い時の感性と才能が如何に重要かを痛感させられる。
コイズミアヤ展は7月の京橋界隈展でも新作を発表する予定なので、乞うご期待。
●4月15日
私が加盟している現代日本版画商協同組合の会合で久しぶりに大阪に出かけることになった。
この組合は創立以来、今年で30周年を迎え、30年史の発刊も予定されている。
その当時マイナーであった版画の普及と市場の確立を目指して設立されたのだが、いまや版画は世間に認知されて大きなマーケットとなり、画廊の中でも版画の占める割合が大きくなった。
ただ、その当時目指したオリジナル版画の普及とはかけ離れ、複製版画やインテリア版画が隆盛を極め、版画のキャッチセールスなどの問題を含めて版画のあり方には多くの問題も残された。
日本には浮世絵という世界に誇る版画の伝統があったせいか、欧米と違い版画家というジャンルが確立されていたのだが、最近は多くのアーチストが版画も表現の一手段ということで、以前のように版画一筋といった作家も少なくなってきたように思う。
時代の流れの中で版画の普及とともに、オリジナル版画の存在が希薄になってしまうというなんとも皮肉な結果となってしまった。
昨年から今年にかけて版画年と称して、各美術大学の版画教育に携わる先生達がシンポジウムや大々的な版画展を開催したのもそうした危機感の現れだったのかもしれない。
それに呼応するかのように、今年の10月には韓国で日本現代版画特別展が開催されることになっていて、日本から45人の作家が選ばれ版画作品を発表する。
韓国では日本の当時の状況とよく似ていて、まだ版画が市民権を得てないようで、画廊や美術館、作家が一体となって版画の振興に努力をしている段階で、逆にこうした機運が日本のオリジナル版画の再認識につながるかもしれない。
この特別展には私のところで発表をしている作家が5人選ばれているのだが、やはり最近は版画以外の制作が多くなっていて、この作家達がどういう版画作品を出すのか今から楽しみである。
●4月21日
アムステルダムで5月11日から開かれるオランダアートフェアーに出品する山本麻友香の作品が出来てきた。
昨年のソウルでのアートフェアーの際に山本麻友香の作品に惚れ込み、熱心に個展の勧誘をしてくれたオランダのギャラリー CANVAS INTERNATIONAL
ART のブースで発表することになっている。
このギャラリーは中国や韓国の人気作家を積極的に欧米に紹介している画廊で、日本人作家としては彼女が初めての紹介となる。
個展も来年早々という事で頼まれているのだが、とにかく大きな画廊で果たしてその広い壁面を埋められるだけの作品が出来るかどうかわからず、正式な日程はまだ決まっていない。
文化庁の派遣で一年間ロンドンに滞在したこともあり、彼女自身もヨーロッパでの展覧会が出来ることをとても喜んでいて、今回の作品もその期待に添うべく素晴らしい作品に仕上がっている。
出来れば海外に送らず、私のところのお客様にお持ちいただければと思ってしまうのだが、そうもいかず彼女の更なる飛躍のためにはあきらめるしかない。
5月23日からは去年に続いてソウルのアートフェアーにも出品することになっていて、今注目を浴びるアジアンアートの一人としての彼女への期待は大である。
●4月26日
早いもので今日は5月23日から開かれる韓国国際アートフェアーKIAFの作品の集荷日。
今回は先週まで開催していた呉亜沙をはじめとして昨年大好評だった山本麻友香、加えて昨秋私のところで個展をした富田有紀子、新人の服部知佳の女性4人の作品を持っていくことにした。
癒し系の作家ばかりだが昨年の経験から韓国はもとより欧米の画廊でもかなりの反響があるのではと期待している。
女性の持つ優しさと暖かさがどちらかというとエネルギッシュな作風が多い韓国では逆に見る人の心を捉えてくれるのでは。
日本からは東京画廊、南天子画廊、かねこあーとギャラリー、21+葉、ギャラリー東京ユマニテなど18軒の画廊が出展する。
日本のNIKAFがなくなりKIAFがアジア最大のアートフェアーになったことで日本からも多くの人が訪れるようだ。
私が予約した航空券が往復で約2万5千円、呉さん家族はなんと3泊4日のツアーでロッテホテルに泊まって4万8千円と国内旅行と比べて考えられないくらいの安さで韓国での旅を楽しむことが出来る。
食事も1000円も出せばおいしい物が食べられるし、韓国のスケールの大きい画廊を見るだけでもカルチャーショックを受けること間違いなし。
韓国観光省の回し者みたいになってしまったが、時間の取れる人にはKIAFは一見の価値有り。
5月23日から29日までの1週間ソウルCOEXホールで開催されている。
出品予定作品 |
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呉亜沙 |
富田有紀子 |
服部知佳 |
山本麻友香 |
●4月28日
明日から連休で5日まで休んで、連休明けからは熱狂的なファンのいる恒松正敏展でスタートとなる。
しばらく柔らかな雰囲気の展覧会が続いたが、今回はがらっと変わって濃い目の展覧会。
3冊目となる画集「METAMORPHOSIS」の発刊記念を兼ねての展覧会で、掲載されている旧作の珍しい作品も出品される。
手塚眞監督の映画「白痴」以来、映画美術の関わりも多くなっていて、今回も昨秋に公開された「下弦の月ーラスト・クォーター」に使われた作品も併せて展示される。
画集は初期の作品から新作までを回顧するようになっていて、過去に装丁やジャケットの表紙に使用された作品も掲載され、前回までの「百物語」や「水辺」とは趣が違い、恒松正敏の全貌を知る上では興味深い画集となっている。
恒松正敏はご存知のように名ギタリストとして一世を風靡したロックミュージシャンでもあり、伝説的バンド「フリクション」のライブレコードも近々CD盤となって復刻され、併せて発売されるDVDでは26歳当時の恒松正敏にも会えるとのことで
、恒松ファンには画集、個展とあわせてたまらない日々が続く。
音楽はパンクロックの血管が切れそうな激しい音楽で西欧からの影響をもろに受けているが、逆に恒松の絵画は日本の仏教美術に深く影響を受け、日本の土俗的幻想絵画として独自の世界を切り開き、若冲や蕭白から続く日本独自の文化を継承するに足るアーチストの一人といっていいかもしれない。
日本絵画史に連綿と続く土俗的幻想絵画は、近代美術の影響を受けた具象絵画や抽象絵画をはじめとする現代美術の狭間にあって何故か見落とされているような気がしてならない。
今一度恒松展を開催することで再評価の機運が高まることを期待したい。
●5月6日
ゴールデンウィークも終わり仕事に復帰。
早速、明日には恒松展の展示だが、恒松ファンは初日が待てず展示日にあわせて見にくる人も多く忙しくなりそうだ。
月曜日を初日にするのが当たり前のようになっているが、土曜日の方が時間が取れるということもあって、最近頓に初日前に見に来て作品を求められる方が多い。
律儀に初日に来られて作品を求められる方には申し訳なく、来年からは土曜日を初日にしようと考えている。
私自身も月曜日に業界の理事会や諸々の会議とぶつかることが多く、土曜日スタートの方が都合がよく、作家さんと相談しながら来年早々には土曜日初日を実施したいと思っている。
GTUも同じような日程で考えていきたい。
よく日曜日も開けて欲しいと言われる。
京橋に画廊をオープンした時には1年間休みなしで頑張ったこともあるが、日祭には一日に来ても2,3人で全く来ない日の方が多く、結局は日祭日は休みにしてしまった。
ずっと続けていれば、それなりにこの画廊は日曜日に開いているということが定着して、お客様も来やすくなるかもしれないのだが、ビルの管理や冷暖房の関係でビルの機能が停止してしまい、ビルの中で単独で画廊を開けることも現実には難しくなってしまった。
10年続いている恒例の京橋界隈展では、参加画廊が申し合わせ、ビルの協力を得ながら、日曜日を一斉に開ける事にしているのだが、日曜日が忙しかったのは最初の2,3年だけで、最近はどの画廊も暇を持て余し、日曜日を開けるかどうかの岐路に立っている。
どうも美術ファンの方は仕事を抜け出してでも画廊に来られ、家族の冷たい視線を浴びながら美術品を買っているので、せめてもの罪滅ぼしで日曜日は家族サービスに精を出しているのかもしれない。
日曜日の開廊について広く皆さんのご意見を伺い、これからの京橋界隈展の参考にもしていきたい。
●5月10日
連休疲れが抜けないのかボーッとしています。
昨日は恒松展のオープニングパーティーがありました。
前回の旧ギャラリーでのオープニングでは恒松正敏アコースティックライブと言うことで生のギター演奏をしてもらい、ゲストとして「時には母のない子のように」で一世を風靡したカルメンマキさんにも出演してもらい、大いに盛り上がったのですが、今回はそうした演奏もなかったせいか静かなパーティーで、恒松ファンには拍子抜けだったかもしれません。
ギャラリースペースを使って美術以外のイベントもいろいろとやっていきたいのですが、消防署の認可とか難しい問題もあって思うようにいかないのが現状です。
興行を打つと言うような大げさなものではなく、展覧会の関連イベントと言うことで特定の人に来て貰うのであれば問題ないと思うのですが。
昨年開催して好評だったクラシックコンサートも今年も機会があれば是非やってみたいと思っています。
他にもアーティストのトークショーやワークショップ、公開制作など作者と身近に接する機会も作っていきたいと考えています。
自薦、他薦で構いませんので画廊に相応しい企画があれば紹介してください。
●5月11日
ホームページのEXIBITION欄に開催中の作者インタビューを掲載することになった。
作品紹介とともに、作家の今そのものを伝えることで、ホームページ上で展覧会の臨場感を感じていただければ幸いである。
ただ感じていただくだけでは困るので、この展覧会は見逃せないぞ、すぐにでも画廊に行って実際を見に行かなくてはと思っていただければよりうれしいのだが。
HP上の通販と違い、美術品はHP上で情報を知り、実際に来て、見て、買っての三拍子が必要である。
私どもではただ画廊に在庫の作品を並べるのではなく、個展を開催し、作家のその時期、次の時期の集大成と変遷を見ていただきたいのと、作品全体と空間の調和を感じてもらいたいとの意図で次々と企画を立てている。
何年も個展を開催したことのない注文に追われる有名作家はたくさんいるが、そうした作家がおそらく個展をしても何時見ても変りばえのしない同じような作品を並べるのが関の山である。
また作品は画廊に渡すが、どのように飾られるか一向に気にしない作家も多い。
これはただ作品が売れればいいのであって、どのように見てもらうかは全く関心のない絵描きマシーンとなってしまったのだろう。
こんな作家はこちらから願い下げで、個展に向かい必死に頑張っている作家達を見ていると、何とかこの努力に報いたいと思ってしまう。
そんなことで、是非HPで興味を持っていただいたら画廊に出向き、生の作品と空間に触れていただきたい。
きっと画像だけでは味わえない満足感が得られる筈である。
そのためにも情報量は少しでも多くして、興味の得られるようなHPを作成していきたいと思っている。
●5月12日
うれしいニュースがオランダから届いた。
昨日から始まったアムステルダムのアートフェアーのオープニングパーティーで山本麻友香の作品が2点売れたとの事。
始まる直前に先方からヨーロッパで初めて紹介するので、価格を下げないと多分売れない旨のメールが入り、とんでもない、もしそんな事をすればこちらで買って頂いているお客様に申し訳が立たないし、その価格が高くて作品が売れなければ、それはヨーロッパで下した彼女への評価として受け止めるから、私が提示した価格を下げることは出来ないとの返事をした。
すると直前に勝手なことをいって申し分けなかったとのメールが入ったのだが、これでは売れることは期待しない方がいいのかと思っていた矢先に売れたとのうれしいニュースが届き正直ほっとした。
買ってくれた先も AKZO Nobel Art Foundation という有数のコレクションをしているところだそうで、次の個展への期待も膨らむ。
残りの2点も多分売れると思うので期待してくれとの事で、始まる前とは打って変わって強気になっているのが何故かおかしい。
いざ売れてしまうと、ああーあの作品は日本に帰ってこないのだと寂しい気持ちになるから私も勝手なもんだ。
どちらにしても幸先の良い話で、来週から出かける韓国のアートフェアーも良い結果につながることを期待したい。
●5月13日
昨日、日本現代版画商協同組合の総会があった。
創立30周年を迎え、記念事業として組合30年史が上梓され、組合員に配布された。
見てみると1976年に43名の画商によりオリジナル版画の普及と版画市場育成を目的に設立されたのだが、その当時の名儀のままで残っている組合員はわずか8名である。
それ以外は13名の方が亡くなられ、他は病気などで代替わりをしたり、退会をされた方たちで、その後72名の組合員数になったこともあったが、現在は新たに入会をされた方をいれて51名の組合員で構成されている。
私は設立2年目に入会をしたので創立メンバーではないが、こうした変遷を経ながら30年在籍してこれたのも、何とかやり繰りしながら事業を続けて来れたことと健康であったことの証しであると素直に喜びたい。
組合事業の一つに交換会と称する毎月開かれる組合員だけのオークションがある。
初めの頃の交換会出来高を見てみると、年間合計8千万円程度であったのがバブルの1990年には9億円を超える出来高となっている。
その翌年にはバブルがはじけ、いっきに5億6千万円に落ち込み、その後は下がる一方で3億円前後で昨年までは推移してきた。
ところが今年度は前年比1億5千万円増の約5億円と1991年以来の出来高となり、景気が上向いてきたことを示している。
このように組合員数や出来高を見ても景気の変動に敏感に反応していることがわかっておもしろい。
一般にも1000円(税込み、送料込み)で販売されるので、関心のある方はお申し出下さい。
●5月14日
作家の金井訓志さんから案内を頂く。
「弓の会」のお誘いで、毎年日本テレビの美術番組「美の世界」の司会役であった美人アナウンサーを囲んで、その番組で紹介された作家仲間有志が集まり、喋って、食べて、飲んでの楽しい会である。
因みに会の名前はそのアナウンサーの方の名前に由来している。
以前に、河口湖にある我が家で富士山を前にして、金井さんが文化庁の派遣でイタリアに行った時に仕込んできたカメルーン料理をメインにバーベキューを堪能したこともあって、それ以降場所を提供した特権で作家以外に私も出場権を得ることが出来た。
一年に一回のこの会を楽しみにしていたのだが、残念ながら韓国アートフェアーの日程と重なり今年は美人アナウンサーとお会いする事が出来なくなってしまった。
今回は焼肉パーティーだそうで、私だけは一人寂しく本場で焼肉を食べることにしている。皆さんによろしく。
●5月16日
一寸珍しい作品が手に入った。
山中春雄と言う作家の作品である。
1919年に大阪に生まれ、貧困の中を苦学をしながら美術への道を進み、行動美術協会に出品し注目を浴びる。
その後横浜に移り制作を続けるが、愛人である男性に自宅で刺殺され、43歳の短い生涯を閉じるという悲劇的結末を迎える。
私が1970年当時勤務していた梅田画廊で遺作展が開催され私の心に深く刻まれた作家の一人であった。
それ以来作品を扱うこともなく、記憶からも消えかけていたのだが、偶然に作品と出会い手に入れることが出来た。
渋い透明感のある色調の中に描かれたセザンヌ思わせるような静物画だが、そんな悲劇的結末を迎えるとは思われない、清澄な静寂感のあるとてもいい絵である。
8月にギャラリーコレクション展で難波田史男や中本達也などと一緒に展示しようと思っている。
因みに横浜市美術館に山中春雄の作品が多数所蔵されている。
●5月17日
ここ数日、期せずして興味深い作家に出会う機会があった。
ミヤマ・ケイ、早川篤史、木原千晴といった作家達だが、三人とも共通しているのは、独学であること、若くキャリアが数年しかないことであり、その僅かな期間に数多くの作品を制作していることである。
一番驚かされたのは、夫々が明確に自分の作品をプレゼンテーションする能力があることで、3人とも既に画廊を始め、美術館や企業、コレクターと関わりを持ち、それなりの評価を得ていることである。
私の画廊に訪ねてきたり、別の画廊やコレクターのところで始めて出会ったのだが、人を惹き付ける不思議な力が既に備わっているような気がしてならない。
これはとても大事なことで、私が20年前に出会った、小林健二、望月通陽と同じオーラのようなものがあって、私を包み込んだ。
二人ともその当時は25,6歳で独学でアートの世界にその一歩を踏み込んできた。
今や、彼らは各方面から注目を浴びて活躍中だが、その当時は無名でまだ誰もが評価をしない一介の青年にすぎなかった。
しかしながら、二人は私を圧倒するような目に見えない力で私を虜にしてしまった。
言葉には言い表せない何かが体から迸っていたのだろう。
作品も素晴らしかったが、制作意図、意志、意欲、彼らが語る言葉の中にそうしたものが強く感じられ、以来彼らとの付き合いが始まった。
探し出したわけでもなく、どこかつながる縁のようなものがあったのだろうが、その出会いを大切にしたことで今があり、彼らの活躍を身近に感じることも出来た。
才能とは持って生まれたもので、教育や経験だけでは生み出されないものだが、その持って備わった才能を活かし、俗的な欲は捨て、その当時持ち合わせた純粋な気持ちを保ち続け、向上心と好奇心を失わなかったことで今があるように思う。
私もその才能とめぐり合ったことはとても幸運なことだと思っている。
先の3人にもそうした期待を持って、これから先を見つづけたいと思っている。
いずれページ上で作品を紹介したい。
●5月18日
昨日も書いたが今一人23歳の服部千佳という作家にも大きな期待を寄せている。
彼女は今年の1月にGTUで初めての個展を開催したのだが、一目見てその作品の虜になってしまった。
まだ大学を出たばかりだが、高知版画トリエンナーレで準大賞を受賞し注目を浴び、受賞作の木版画もいいのだが、油彩が一際光っている。
震えるように描かれた葉や花びらが、若さゆえの儚げな美しさと微かなエロスを感じさせ、即座に韓国のアートフェアーでの出品作家の一人に加える事にした。
同時に来年の京橋界隈での個展も決めさせてもらった。
GTUから新しい人をとの思いもあって、そのスペースを作ったのだが、早速にそうした出会いがあったことを喜びたい。
韓国用の新作は期待以上のものがあり、持っていく予定の作品をお客様に見せたところ売れてしまい、無理を言って追加の作品を頼んでいたのだが、昨日ようやく出来上がり、何とか韓国展に間に合った。
これまた良い作品で、今度はお客様には申し訳ないがお見せしないで韓国に持っていくことにしている。
向こうでもどのような評価が得られるか楽しみにしている。
●5月20日
韓国アートフェアーのパンフレットが出来てきた。
日本の女性作家4人に加えて、韓国の若手作家も二人紹介することになっている。
一人は東京芸大で彫刻を学び、東京、大阪でも個展をした有望作家の一人で、昨年のもう一人は全くの新人で、韓国でも個展をしたことのない無名作家である。
昨年の韓国のフェアーで資料を見せてもらい、これは面白いと早速に次のアートフェアーでの発表を決めさせてもらった。
プラモデルのキットに模してボックスの中にコミカルでエスプリのきいたフィギュアーがいくつも連なっている作品で、子供の頃に連れ戻してくれるかのような楽しげな世界が拡がる。
韓国の人達の反応はどうだろうか、韓国の画廊がまだ手をつけていない作家を日本の画廊が韓国で見せることもアートフェアーならではの楽しみの一つである。
●5月21日
GADENN・JPサイトのお薦めランチコーナーで富田有紀子が紹介された。
その中で彼女のアトリエが紹介されているが、これは一寸見もののアトリエで私の知っているかぎりではこれ以上のアトリエを見たことがない。
昭和初期に建てられた由緒あるビルの一階と地下がアトリエになっている。
以前はそのすぐ近くに現代美術の新しい流れを作った佐賀町エギジットスペースが入っていた食糧倉庫ビルがあり、そのビルと同じように重厚な趣きのあるビルで、半円形になっている正面玄関には木彫が施された大きな扉があり、その上にあるステンドグラスの取り合わせがとても洒落ている。
外壁は古色蒼然とした煉瓦壁で、食糧倉庫の跡に建てられたマンションが安っぽく見えるくらい他の建物を圧倒している。
外観を写真で紹介したいのだが、プライバシーのこともあるので申し訳ないが拙い文章で想像していただきたい。
中に入るとランチコーナーで紹介されているように天井がとてつもなく高い空間となっていて、画廊にしたいくらいのなんとも贅沢なアトリエである。
広すぎるので彼女だけでは使い切れず、何人かの作家にも使ってもらっているとの事。
狭いアトリエで悪戦苦闘している他のアーチストが聞いたらひっくり返りそうな広さなのである。
入り口横に足蹴り用の大きなサンドバックみたいのが置いてあって、ストレス発散用だそうで、きっとこれでコンチクショウ・ギャラリー椿とでもいいながら廻し蹴りをしているに違いない。
地下には分厚い扉の金庫室があり、これまた贅沢に作品のストックスペースとして使っている。
銀座からでも車で5分、超一等地に建つ彼女のアトリエは彼女のおばさんから借りているとの事だが、なんとも羨ましい限りだ。
明日からはその富田さん達と一緒に韓国アートフェアーに行ってきます。
●6月1日
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テープカット
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KIAF2005
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Gallery TSUBAKI booth
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韓国のアートフェアーが終わり昨日帰国しました。
反日問題など行く前は心配しましたが、文化やビジネスは全く別問題で、展覧会場だけではなく街中を歩いていてもそんな気配は全く感じられませんでした。
展覧会は日本から参加の17の画廊を含め世界から120の画廊が参加し、来場者も週末は身動きの取れないほどの盛況で大いに盛り上がりました。
売上は全体に昨年よりは厳しいようで、日本から参加した画廊もだいぶ苦戦をしていましたが、幸い私のところは初日から山本麻友香の大作2点を含め4点まとめて売れ、更には後半には他の出品作家もそれぞれに売れ、そこそこの成績を上げることが出来ました。
全体の感想としては、リー・ウーハンに代表されるようなモノトーンの抽象画が今までは韓国美術の主流でしたが、各ブースとも明るい色彩の具象傾向の作品が多く、日本と同じような流れになっている事を強く感じました。
また自分では意識していないのですが、私のブースが一番に日本的だとの感想を頂き、それが売上につながったのかもしれません。
海外に行くといつも思うのですが、海外の作家達は見ればすぐにその出身の国がわかるくらいに皆自分の国の風土から生まれた作品を作っていて、無国籍な美術はなかなか評価されません。
私の目で見て好きな作家達の作品が、今の日本を表現していると韓国の人達は感じてくれたのはとてもうれしいことでした。
何度か韓国のアートフェアーに参加するたびに、文化に関する限り日韓の壁がなくなっていくことを感じるとともに、日本の作家達も国内だけの評価ではなく、海外でどれだけ評価されるかがとても重要なことのように思いました。
●6月2日
引き続き韓国のKIAF報告です。
昨日の写真にあったようにオープニングのテープカットはいつも思うのですがこんなにたくさんでしなくてもと思うくらい大勢の人が並びます。
仰々しいのはともかくとして、ここに並んでいる人は後援をしているお役所の人だったり、協賛をしている民間企業の方たちです。
おそらく日本ではこうした人達がアートフェアーに来ることもないでしょう。
昨年のKIAFで開催された日本現代美術特別展の後援をお願いに民間企業を廻りましたが、寄付をしてくれたのは資生堂と私の友人達だけで、韓国側に対し大変恥ずかしい思いをしました。
今回はドイツ現代美術特別展が企画され、それに応えて会期2日目にドイツ大使館主催の「ドイツの夕べ」がKIAF会場にて開催され参加画廊のオーナーが招待されました。
ドイツ大使が感謝の辞を述べているのを目の当たりにして、果たして昨年日本大使館がこれだけの事をしてくれたとはとても思えませんでした。
文化行政に関して海外との取り組み方の違いを痛切に感じた一日でした。
また、熱心に各ブースを見て廻る恰幅の良い紳士に出会い、名刺を交換したところ、外交通商部の美術諮問委員会の幹部の方で大変美術に造詣の深い方で、聞きますと全世界の韓国大使館に韓国の作家達の作品を展示する事を実現した方でした。
日本の外務省にもこうした日本文化紹介のために一肌脱ごうという人が一人でもいるといいのですが。
●6月3日
5月の連休明けから日経新聞夕刊に「市民派コレクターたち」と題して独自の視点で美術品を収集する人達の事が連載されている。
その中には私どもでお世話になっている方や、懐かしい名前の方が登場し、次はどの方が紹介されるのか楽しみにしている。
皆さん限られた資金で数百点以上の作品を集められている方々ばかりで、その熱意と努力には頭が下がる。
たまたま昨夜、NHK・BSで確か「熱中人」というタイトルだったと思うが、それぞれにこだわりを持って集めたり、作ったりしている人達が紹介されていた。
みんな生き生きとして自分の好きなものに打ち込んでいる姿に半分あきれ、半分羨ましく思いながら、人生を楽しむ達人に見入ってしまった。
以前の日記でも私の知っているこだわりの人達を紹介した事があるが、世の中本当に広いなとつくづく感心させられた。
先ほど日経BP社の方から取材を受け、私たちで発表している作家の方たちもこうした美術を愛し、楽しんでくれる人達に支えられているとの話をさせてもらった。
画廊の役割はとの質問にも、美術を紹介していく事を通して、ここまでの人達にならなくても、当たり前の事だが一人でも多く美術を楽しみ、感じてくれる人達を増やしていく事ではと答えさせてもらった。
●6月4日
新宿の椿近代画廊時代から約30年のお付き合いをさせていただいているYさんが、この夏信州安曇野に個人美術館・ギャラリー留歩(ルポ)を開館する。
長い間に収集したコレクション(特に新宿の頃に出会った栗原一郎、水島哲雄、市野英樹がメイン)が順次展覧される予定である。
Yさんは国立大学の図書館に勤務の傍ら画廊巡りをしながら絵画を集め、今では頻繁に開かれるようになった個人コレクション展の草分けとなった人でもある。
最初の頃はお勤めの図書館で大学が夏休みになるとコレクションを並べては、学生たちに美術の楽しさを味わってもらっていた。
京橋に移ってからもお付き合いは続き、私どもでも水島哲雄(現・ミズテツオ)コレクション展を開催したこともある。
つい先日も国立にあるコート・ギャラリー国立で会場費をご自分で払ってまでして、フラッグ以前のミズテツオの世界展と題してコレクションを披露した。
昨日も書いたが多くのコレクターの方は好きでたくさんの美術品を集めはするが、殆どが飾られる事もなく倉庫の片隅に眠ってしまう。
Yさんの場合には、ご自分の家では集めたコレクションを見る事が出来ない事もあって、図書館で一同に並べるようになったのだが、時を経て多くの人の目に触れる場所で披露されるようになり、こうして所蔵品は死蔵される事なく陽の目を見る事になった。
このことは描いた作家達にはどんなにかありがたい事で、わたしども画廊も日々の展覧会に追われ、以前の作品を回顧するような機会も少なく、Yさんには作家共々感謝の気持ちで一杯である。
暑い夏に涼風爽やかな安曇野に出掛け、是非一度Y氏コレクションを見に行かれる事をお勧めしたい。
ギャラリー留歩(ルポ) 長野県南安曇郡穂高町有明7403−8 TEL0263−83−6785
7月22日(金)〜8月30日(火) 11:00〜18:00 平日は要予約
開廊記念 「栗原一郎の世界」
ご興味のある方はお問い合わせください。
●6月7日
木村繁之展が始まった。
木版画をメーンに幅広い制作活動をしている木村さんだが、今回は陶による立体作品とパネルに陶と同じ土を塗って下地を作り、その上に描くという新しい試みの展覧会です。
木村さんの版画作品は以前はグラフィック的な作風だったが、ロンドンに文化庁の給費留学する前後から日本的な情緒感を表現する作風に変わってきた。
海外に行く事で、あらためて日本的な色合いを意識するようになったのか、微かな色の重ねあいの中に曖昧模糊とした形を配し、茫洋とした中から見るものに何かを感じさせるよな表現になってきた。
木村さん自体会えばわかるが、物静かで良い意味で儚げな雰囲気を漂わせていて、作風とこれほど一致している人はいない。
今回の立体や平面の作品にもかすれ消え入るような感じの作品が多く、会場全体がぼーとっしたおぼろげな空気が漂っている。
木村さんとの出会いは面白く、たまたま歩いていて見つけた画廊の看板に釣られて入ったところ一目で気に入ってしまった。
何とかこの作家とコンタクトが取れないだろうかと思って画廊に帰ってきたところ、彼の先輩から良い作品を作っているのがいるので会ってくれないかとの電話が入り、資料を持って現れたのが何と木村さんだったのだから驚きである。
赤い糸で結ばれていたのだろう。
思いは通ずでそれ以来の付き合いである。
●6月8日
昨夜親しくしている20数人が集まる会合があり、それぞれが交互に仕事や近況などについて話そうという事になった。
世界をまたにかける金融トレーダーや医者、設計家、僧侶、会計士、弁護士、通信関係やゼネコンの経営者などそれぞれが興味深い話をしているうちに、私の番が廻ってきた。
みんな弁舌爽やかに成る程と思わせる話をするので、口下手な私はさてどうしたものかと戸惑いながらも、仕方なく帰ってきたばかりの韓国のアートフェアーに絡めて、アジアの美術みたいな話をする事にした。
そんな私の話がつまらないせいもあったのか、ある人がそんな堅い話ではなく、どの絵を買ったら儲かるか、どの作家が将来有名になるかを話してくれないかと話の腰を折られてしまった。
私はそういう下種な質問を、それもある程度社会的地位のある人たちの中から発せられた事に、多少ムッとしてこう答えてしまった。
そんな事がわかればその絵や作家の作品を売らずにずっと持ってますよと。
一番簡単な商売はこの絵を買えば何年か後に10倍になりますよと言えばいい事で、この大きな錯覚がバブル景気とその崩壊に繋がったわけで、そうした経緯を経ても未だに美術品を金融商品のごとく思っている人がいることにに愕然とした。
あくまで「好き」が前提であり、好きな作品を買って楽しみ、その結果資産として残れば、それはうれしい事に違いないが、好きでもない作品を買って大損をするとすれば、これほど後悔するものはないと思うのだが。
だいぶ前になるが、50人ほどが集まる会合があって、その時は先に質問を受けて話すと言う趣向だったのだが、美術品の値段はどうして決まるのかとか、昨夜と同じようにどの絵が儲かるかと言った質問ばかりでいささかうんざりしながら,それでも丁寧に答えていたところ、その席に居合わせたフランス人の建築家が、あなたは美術に携わっているのにどうしてもっと文化的な話をしないのかとたしなめられたことが懐かしく思い出される。
●6月9日
先日も日記で紹介した日経新聞の「市民派コレクターたち」も20回を持って終了したが、最後の締めはやはりその代表者とも言えるアートソムリエ山本勝彦さんだった。
最大の美術支援は作品を買うこと、消費者不在を嘆き、一人でも多くの若手作家を支えるコレクター層を広げる努力をしている山本さんが、その記事の中で初めて絵を買う三つの心得を上げている。
@作家の知名度でなく自分の感性で選ぶ。 |
A借金をせず、支払い可能な範囲で買う。 |
Bきちんと説明してくれる信頼できる画廊で買う。 |
何とかBの画廊に入るよう頑張りますのでよろしく。
日経に掲載されたことでその反響も大きく、山本さんのところには多くのメールが寄せられた。
その中で目立ったのがどうして女性コレクターが一人しか出てこないのかと言った意見であった。
私のところも女性コレクターの方は少なく、この夏に開光市コレクション展をGTUで開くMさんなどは貴重な一人である。
ところがである。
ここ数年韓国のアートフェアーに参加し、先日も日記で紹介したように帰ってきたばかりだが、むこうで作品を買っていただいた方は全て女性なのである。
それも100号や80号の大きな作品をご主人に相談する事もなく買っていくのだから吃驚する。
儒教の影響が色濃く残る韓国では、男性の意見が強いのではと思っていたのだが、アートフェアーを見にくる人も殆ど女性、買う人も女性とこればかりはどうしてなのか不思議に思ってしまう。
画廊のオーナーも女性が圧倒的に多く、とてつもなく大きいスペースのギャラリーの中で彼女達の活躍を見ていると、韓国の美術に関して言えば女性上位社会が当たり前で、日本とは大きな違いがあるようだ。
●6月10日
東京ステーションギャラリーで開かれている「小山田二郎展」を見てきた。
胸を抉られる思いと言うのが率直な感想である。
以前に私のところで小山田二郎、清宮質文、難波田史男水彩画展を開催したこともあって、この展覧会 で久しぶりに小山田作品に出会えるのを楽しみに気楽に出掛けたのだが、展覧会でこれほど強い衝撃を受ける事は滅多にない。
暗闇の中でいきなり死の世界を目の前にたたきつけられたようなショックであった。
しかしそれは暗く陰惨な世界ではなく、光り輝き沸き立つような世界であった。
小山田に終始付きまとう病いと死の影を振り払うように色彩が溢れ、線が迸っているように思えた。
黄泉の世界からこれだけ美しい世界を引き出せるとは幻想絵画の真髄のように思えてならなかった。
どこかに置き忘れられてしまったシュールリアリズムを今一度再確認するに相応しい展覧会であった。
是非お見逃しなきよう力をこめて推薦できる展覧会である。
●6月11日
昨夜、汐留の高層マンションに住んでいる高校時代のクラスメートのO君の家を訪ねた。
画廊からも近いのだがこの場所に来るのは初めてで、高層ビル群の中ただうろうろするだけで別世界に来たようだった。
マンションのエントランスも中も全て超高級ホテルのスイートルームと錯覚するような豪華さで、残念ながら雨で見えなかったが、44階の彼の部屋からの眺望はさぞかしの事であろう。
驚く事にこれだけの大きく豪華なマンションなのに、オーナーは地方の方が多く、上京の折に時たま利用するだけで殆ど住んでいなくて、滅多に人に会う事はないそうだ。
O君は私の学生時代の友人の中では珍しく美術に関心が深く、趣味のいい漆器や陶器、絵画が飾られた部屋で、美術談義に花を咲かせ久しぶりの旧交を温めることが出来た。
依頼されて持って行った小林裕児の作品をとても気に入ってもらい、豪華な部屋の一室に飾ってもらうことが出来て、更には奥様のおいしい手料理までご馳走になり、公私共に至福のひと時をすごす事が出来た。
ご馳走様でした。
●6月14日
神田にある知り合いの画廊が立ち退きを機に、近くにビルを購入して移転する事になった。
今までの所の家賃を10年払いつづける勘定で、ビルを買うことが出来たと言う。
日本の画廊の殆どは賃貸ビルにテナントとして入っていて、洋画商の中で一番歴史のある日動画廊でさえビルの一階と地階を借りている。
よく日動火災が経営している画廊と間違われるが、日動火災のビルに入っているのでこの名前がついたようだ。
韓国の画廊は逆に殆どが自社ビルで、そのスペースの大きさは半端でない。
アメリカの画廊は規模が大きいが日本と同じように借りているところが多く、景気が悪くなると撤退して次の機会を覗うという。
おそらく新たに出しても家賃や保証金が以前とそんなに変わらないので、こうしたことも出来るようだが、以前の日本では一度引いてしまうと先ず元のような場所を借りることは地価の値上がりでとても出来なかったのだが。
土地の価格の下落とともに、日本の画廊も元に戻るどころか、自社ビルさえ持つ事が出来るようになったのだろう。
私のところはビルを買うなどはとても無理だったが、立ち退きで一年半前に移転をして、以前よりはだいぶ広いスペースを持つ事が出来たのも地価の下落が幸いしたのかもしれない。
これからそこのオープニングパーティーがあるので行ってきます。
●6月16日
昨日は榛名山にある老人養護施設に依頼のあった彫刻を届けに行って来た。
伊津野雄二さんの手による木彫「聖家族像」で、新しく出来る施設内の教会に展示される予定になっている。
ここは前にも紹介したが、緑豊かな広大なスペースの中に施設が点在し、芸術と共生をテーマに彫刻や絵画が数多く展示されている。
理事長の案内で屋外にある彫刻作品を見ていて気がついたのだが、何とブロンズの大きな作品の色がかなり変色をしているのだ。
ちょうど雨にあたる部分が色が落ちたり、錆びたりしている。
おそらく酸性雨が影響しているのだろう。
一年半前に購入した作品でさえ変色している。
都内の交通の激しいところなら排気ガスや煤煙の影響も受けるのだろうが、木々に囲まれた大自然の中でさえこうした環境汚染の影響が出る事に驚かされた。
ブロンズでさえ僅かな時間で腐食されてしまうのだから、生きている木や草、動物、そして人間への影響を考えると恐ろしくなる。
自然や文化は気をつけさえすれば未来永劫残っていくものだけに考えなくてはいけない問題である。
●6月17日
先日紹介した安曇野に個人美術館を開設するY氏のコレクションを中心とするミズ・テツオ 1974−87が銀座のごらくギャラリーで開催されている。
ミズ・テツオ展を新宿の椿近代画廊(現在は弟が経営)で1978年に企画して以来、88年のギャラリー椿の個展までミズ・テツオ氏とお付き合いをさせていただき、その後はフランス人の画商と契約を結び私の元を離れることになった。
それ以降は画風も一変し、フラッグシリーズとなって世界各地で発表活動を続けている。
その私が関わった時期の懐かしい作品と久しぶりに再会する事になった。
30年の歳月が流れたにもかかわらず、作品は今描き上げたかのようにみずみずしかった。
絵の内側からにじみ出るようなマティエールや堅牢なフォルムはあの当時そのままに私の心を打った。
美しいと言う言葉はこうした作品のためにあるような気がした。
この素晴らしい作品をY氏に納める事が出来た事を誇りに思う。
ミズ氏と袂を別ったが、今でもその当時の作者と関わった事で今があることに感謝して、ミズ氏に書いていただいたギャラリー椿のロゴをずっと使わせて頂いている。
また夏に安曇野の美術館で作品と出会える事を楽しみにしている。
●6月18日
日経アートの元編集長で現在は日経BP社の編集委員である小川敦生さんがギャラリー探検ツアーと称して30名ほどの中高年の方を連れて画廊にやってきた。
森下文化センターというのがあって、そこの受講生の方達で、私のところをスタートに2,3の画廊を巡り画廊とはどんなところかを知り
、画廊を楽しもうという趣旨のツアーなのだそうだ。
小川さんの画廊の歴史や役割のレクチャーの後、私や開催中の作家木村さんが簡単な話をする事になった。
私の画廊はどんな方針なのかとか、美術品を所有する喜びとか、初心者が美術品を購入する際のアドバイスなどを話させていただいた。
作品を選ぶにはいつも言っているように、買うつもり行動を展覧会を見る際にはしてくださいと付け加えた。
買わなくても買うつもりで見ていると、自然と自分の好きな作品が分かってくるはずである。
この中から一人でもいいから画廊に来て作品を買っていただくのを楽しみにしている。
●6月22日
美術雑誌「美術の窓」の特集写実VS現代美術で私へのインタビュー記事が掲載された。
村上隆を筆頭にサブカルチャー世代が台頭し、従来の具象絵画と違った新たな具象表現を指向する作家達が多くなった。
韓国のアートフェアーに出品した私のところの作家達がそうした範疇に入るのか、取材があって作品写真とともに紹介されることになった。
この特集を見て思ったのだが、写実作家の殆どが白蝋のような肌合いの物憂い女性達を描いていて、皆同じような作品に見えてしまい、技術で描けば描くほど個性が埋没していくように思えてならなかった。
現代美術の範疇に入る新具象の作家達は多くはVOCA展に推薦された作家達が多く、映像のぶれような表現をする作家達が主流を占めていて、これまた個性と言う事では考えなくてはならない課題があるようだ。
一つのアート表現が出現し、それがトレンドとなっていく中で、必ず残る作家とその周辺にいる作家に峻別されるのは過去の美術史を見ても自明の理なのだが、新具象といわれる今の流れの中で、どう個性を表現しその時代のティピカルな作家として残れるかを見極める眼を持たなくてはと痛感させられた。
●6月23日
月、火曜日と熱海で新美術商協同組合の大会があって行って来た。
大会といっても会議や講演をするのではなく、組合に加盟する画廊主が集まり、特別ゲストとして加盟画廊以外の画廊主も招待して業者だけのオークションが開催された。
この組合も年々大きくなり、オークションの売上も増加しているが、元々は19日会と称して20人くらいの若手画商が集まって、講演者に来て頂き美術以外の話を聴く勉強会がその前身であった。
当初は会場もなく、私の父が経営をしていた新宿の画廊を使って、毎月1回夜に会合を開いていた。
その後、参加者も多くなり、会場も広い所に移り、何時の間にやら勉強会から交換会(業者同士のオークション)が主な事業となって協同組合に発展し、私も創立当初から関わった関係で、10年ほど組合の理事長を務めさせていただいた。
当初は皆30歳前後の若手画商だったが、今や還暦前後の年齢となり、私も古株の一人になってしまった。
こうした美術商の協同組合はいくつかあって、それぞれが交換会を開催している。
その他美術商相互が出資をして作る相互会や個人の美術商が開く個人会と称する交換会もたくさんあり、古美術や浮世絵などを含めると日本各地のどこかで毎日交換会は開かれていると言っていいだろう。
海外にはこうした業者だけのオークションはなく、全て公開オークションで一般の人が参加できる仕組みになっていて、何百と言うオークション会社が世界にはある。
日本では独自のこうした交換会が美術品の値段を決める場所となっていて、一般の人が参加できない閉鎖された市場であったために美術品の値段が不透明と言われる所以でもあった。
この10数年で公開オークションが活況を呈するようになって、美術市場もようやくオープンな市場となってきたが、現状はまだまだ業者同士の交換会が主流で、上場をしたシンワオークションでさえ、前役員であった画廊主が主体となって別に親和会という業者だけの交換会を主催している。
私も長年こうした業界に足を突っ込んでしまっていて、なかなか抜け出せないでいるが、いずれは閉鎖的な交換会は消滅してオープンな市場に移行するのは間違いなく、私も一日も早くそうした状況になる事を望んでいる。
そうなる事で、画商が交換会の代表や役員を兼任することもなくなり、画廊としての本来の仕事である作家育成や展覧会の企画に従事し、オークション会社は別資本の人たちで経営し、美術品のセカンダリーマーケットの役割を担い、その棲み分けがはっきりとした欧米型に移行する日も近いような気がする。
●6月24日
呉亜沙さんのティッシュ配りのうさぎの追加作品がいくつか出来てきた。
この前の個展の折に、東京駅前の交差点を行き交う人々描いた大作を前にして飾ったこの立体は大好評で、何人もの方からリクエストが来て、個展終了後にそれぞれに足や目の位置、大きさやポーズが少しづつ違ったうさぎさんを作っていただいた。
今週の月曜日からはお客様に納める前に画廊にも展示しているが、ここでも大好評で作品の前で目を細めて見入る人が多い。
実はこの作品は画廊に来る前に一悶着があった。
展覧会の時のように描いた東京駅の前ではなく、実際の東京駅の前の交差点にうさぎ達を置いて写真を撮ろうとしたのだが、すぐに警察の人がやって来て、ここは皇室の馬車が通るところだからすぐにどかすようにと怒られてしまったそうだ。
公道の場所だけに何か言われるとは思っていたが、皇室の馬車が通る所だから駄目だと言われたのには驚いた。
国賓や外国の大使が来た時に使われるのだろうが、いったい一年にどのくらい使われているのだろうか。
そんな神聖な場所なら、通常も立ち入り禁止にすればいいと思うのだがよくわからず、仕方なく場所を移動して撮影をしたそうだ。
その顛末を彼女のホームページから引用させていただいた。
丸の内でのパフォーマンス撮影
Performance in Marunouchi,Tokyo stasion |
|
↑配ったティッシュに描かれた画像 |
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My position-comings and goings-/Distributor-temporary
communication-
Oil on canvas F100x2 / Mixed media 2005 |
今年制作したインスタレーション、
My position-comings
and goings-/Distributor-temporary communication-(上部写
真)。
これは、東京駅丸の内側を背景として、ウサギがティッシュ配りをしている物です。
人の往来の中、ティッシュ配りという日常の街角で何気なく行われているささやかなコミュニケーション(temporary
communication)を題材とした物です。
この作品の意図は、このウサギが配っているティッシュには"Who
are you?"という文字が書かれていて、日常ではただの通行人と、広告を目的としたティッシュを配るバイトの人との一時的なコミュニケーションを一つの例として、この問いによって、相互の関係性に意識を加える狙いの作品です。
この作品を作った時に、是非、これを画廊という場所だけでなく、実際のただの通 行人とこのウサギとのコミュニケーションを実現させたいと思いました。
そこで、5体のウサギ達を引き連れ、実際の東京駅丸の内側に向かい、路上パフォーマンスに至る事ができました。
しかし、この撮影が敢行されるまでに一悶着あったのです。
最初、背景となる東京駅丸の内の建物を真正面に捉えた場所で撮影をしようと思い、車からせっせとウサギ達を降ろし、セッティングしていると、赤いランプを光らせた車がブ〜ンと近寄ってきて、2人のおまわりさんらしき人が近づいてきました。
どうも彼らは機動隊の方々らしく、ここでの撮影はダメ〜というのです。そこは皇室の人が通 る道だという事と通行人の邪魔だから、ダメと言われ、結局問答を繰り返した結果
、その場での撮影はさせてもらえませんでした・・・。
すごい悔しい想いを抱えながら、車にまたウサギを乗せて、新たな撮影ポイントを探しました。
背景に東京駅の建物が入っていなくてはこの作品の意図が崩れると思い、次なる撮影ポイントとして選んだのが、下の写
真です。
真正面ではないけど、仕方ない。
また怒られるの嫌なので、慌ただしく、セッティングを 急ピッチで進め、ゲリラ的に撮ってきちゃいました。
思ったよりもみんな関心を寄せて頂き、子供達は喜び、OLの方々もかわいいと言ってくれて、携帯のカメラでみんな記念撮影をしたりしてくれました。
本当はもう少し、人々の反応を見ていたかったけれど、限られた時間しかなかったので、本当に数分で店終いとなってしまいました。
本当にささやかすぎるくらい短い時間でしたが、ウサギ達と通行人の間にコミュニケーションが交わされ、ティッシュを配れた事は私の目的が叶い、嬉しかったです。
通行人の邪魔だという言葉に多少なりとも傷ついた部分はあったものの、通 行人の人々の反応から、その傷を上回る喜びを与えて
もらえて、元々の作品意図以上の収穫を感じています。
その"Who are you?"ティッシュを持ち帰った人の中で、その文字に?(クエッション)を感じてくれる人がいてくれたなら
大バンザイであります。
すったもんだはありましたが、美術という枠組みを乗り越えた場所での行為に意味合いを強く感じれた大きな経験となりました。
私にとっては、ささやかなコミュニケーションの中で大きな経験をする事ができました。
この快楽は病みつきとなって、第二段を考える良いきっかけになりそうです。 |
●6月25日
月曜日から韓国のフェアーに出品した作家達の作品を展示している。
その中のクウァン・ジェイ・フォンの作品は日本では初めての紹介となる。
彼はまだ韓国の美術大学を卒業したばかりの新進気鋭のアーチストで、昨年の韓国のアートフェアーの際に資料を見せてもらい、これは面白いと次のフェアーでの出品を約束させてもらった。
プラモデルのキットを模したフィギュアーの作品で、子供の頃、夢中になった時代が懐かしく思い出される。
韓国では全く相手にされず、私が良いと言ったことでようやく認めてくれる人が現れたと感激をしていた。
韓国では長い間、日本文化を拒絶する時代が続き、音楽や映画、書籍等が全て閉ざされていたのだが、彼は子供の頃から日本のゲームやおもちゃ、コミックなどにこそっりとはまっていて、その延長に今の作品が出来てきたようだ。
全く無口で、その上日本語も出来ず、英語も出来ない彼とは会話のしようもないのだが、偶々食事の折に一緒に参加した日本の作家がガンダムと言ったところ、突然目を輝かして韓国語でガンダムの薀蓄を話し出してみんなを驚かせた。
早速に東京画廊の女性スタッフがオタキングとのあだ名をつけた。
その彼女も彼の作品を一点買ってくれて、日本で展覧会をやれば絶対うけると言ってくれた。
私は知らなかったのだが、フィギュアーの収集家達を秋葉系というそうで、秋葉原に行くとそうしたフィギュアーが所狭しと並び、それを目当てに全国からコレクターがやってくるのだそうだ。
秋葉系でも美少女系が主流で、村上隆の作品はこの系列に入るのだが、彼はそれとは別系だそうだ。
私などは秋葉原と言えば家電製品の店が建ち並ぶ印象しかなく、ある時家電製品を買いに行ってみてそうしたお店が全てIT関連のショップに変わっているのに驚いた経験があるが、それがまたこうした秋葉系と言われる時代になった事にすっかり浦島太郎状態になってしまった。
バリバリの現代美術の企画が多い水戸の芸術館で「造形集団海洋堂の軌跡」というフィギュアーの王道とも言える展覧会が話題を呼んだのもつい先日の事で、全国のオタク達が集結をしたようだ。
果たして彼の展覧会を開催してどの程度の反響があるかは定かではないが、こうしたオタク達に画廊が占領されたらどうしようとか今から余計な心配をしている。
今、彼はガチャポンという丸い透明のプラスチックに入ったフィギュアーの制作が進行中である。
●6月26日
梅雨だと言うのに雨も降らずにいきなり真夏の暑さになってしまった。
この時期は誰でもそうなんだろうが、私には一年の中でこれほど辛い時期はない。
6月は誕生月でもあり、あまり世間では騒がないが父の日という父権を再認識する記念日もあって、もっとキリッとしていなくてはいけないのだが、朝起きてもぼーっとしていてシャキッとせず、無気力でだらしない日が続く。
湿気のせいなのか、暑さのせいなのか原因がよくわからないのだが、この時期は最悪である。
これが夏も真っ盛り、眩しいくらいに太陽が照りつける季節になるとシャキッとなるから不思議だ。
空梅雨も困るが、今日のような暑さが続き、梅雨明けの真っ青な夏空の日が来るのが待ち遠しい。
聞いた話だが、スペインに住む作家のAさんは日本での個展の時には必ず梅雨の時期を選ぶと言う。
Aさんの住んでいるスペインの町は滅多に雨が降ることがなく、一年中カラカラに乾いているのだそうだ。
雨が懐かしく、梅雨のじめじめした季節に帰ってくると、日本に帰ってきた事を実感するそうだ。
だるい体に鞭打って、夜遅くになってしまったが、千葉のT先生のところへ呉さんのうさぎなど買っていただいた作品を届ける。
買っていただいた作品を広げ、喜んでいる先生の顔を拝見し、疲れも吹き飛んでしまった。
良薬は、やはり作品を買っていただくのが一番のようだ。
●6月27日
先日、私のところのホームページのWebサイトであるGAーDENーJPで京橋界隈の座談会がアップした。
7月4日から始まる恒例の京橋界隈の紹介を兼ねて、私を含め5人のメンバーが集まり、今までの経緯や今年の抱負などを語り合った。
この中でもみんなが強調していたのは、継続する事の大切さである。
それぞれ個性ある画商仲間が集まり、一緒になって11年間も企画を継続してきたという事は大変な事で、同じようなイベントが京橋界隈に続いて各所で開催されたが、その殆どは1,2年で終わってしまった。
華やかな売れっ子作家を追いかけるのではなく、画廊独自の作家を掘り起こし、地道にその紹介を続けてきた画廊が集まっているからこそ出来た事に違いない。
お蔭で京橋界隈と言う言葉は世間に認知され、新聞や雑誌などでも取り上げられ一人歩きするようになった。
また、この界隈に多くの個性的な画廊が集まり、今や日本の代表的な美術ゾーンとなった事は、このイベントの繰り返しの努力に他ならない。
暑い夏の盛りに開催する事はビジネスだけを考えたらそれほど大きなメリットもなく、長い間続けてきた事でどうしてもマンネリ化してしまうこともあるのだが、一人でも楽しみにしている人がいる限り続けていきたいと考えている。
座談会の中で誰かが言っていたように、続けていく事でいつか実る夢を京橋界隈の仲間達は追いかけているのだろう。
7月4日からの開催を楽しみにしていただきたい。
●6月28日
今週は画廊の棚卸。
スタッフは急に暑くなった中、汗だくで作品のチェックに余念がない。
私は役に立ちそうにもないので、近所の画廊の展覧会を見に行く。
N画廊では全くの新人の個展の作品がほぼ完売となっていた。
確かに魅力があり、今の時代にマッチする絵で、案内状を見た時にこれは話題になるなとは思ったが、こんなに売れているとは驚きである。
今や新人が売れる時代であることを改めて痛感した。
画廊業界は長い不況の中、もがき苦しんでいるように思えるのだが、なかなかどうして売れているところは展覧会のたびに売れている。
取り扱い作家の世代交代がうまくいっているところは、バブル期よりもしかしていい時代になっているのかもしれない。
美術館や企業や投資家は確かに買わなくなったが、絵好きな人たちはいい絵に出合えば間違いなく買ってくれる。
そうした人たちの対象になっているのが、若い世代の作家達のようだ。
貸画廊の展覧会と言えば、先ず見てもらう事が前提であったが、今やいいなと思う若い作家の展覧会では必ず赤印がついている。
若いうちから売れる事がいい事かどうかわからないが、我々の側からすると名前やキャリアがなくても買ってくださるお客様が確実に増えているのはうれしい事で、作品本位で選んでいただく時代がようやくやって来たような気がする。
●6月29日
富田有紀子
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今日は雨模様で画廊に来るお客様も少なく、棚卸しもはかどっているようだ。
そんな中、昨日、今日と昔お世話になった画廊さんが何人か訪ねてきてくれた。
こちらに移って始めて来ていただいた方もいて、懐かしい話で盛り上がった。
皆、古い画廊さんで扱っている作品もどちらかと言えば古いタイプのものが多いのだが、飾ってある山本麻友香や富田有紀子、呉亜沙、服部知佳の作品に興味を持っていただき、それぞれが個人用にと買ってくださるのにはびっくりした。
私とは扱う傾向は違うが、こうした新しい人たちの仕事を評価してくれるのはうれしい事で、彼女達作家にとっても励みになるに違いない。 |
服部知佳
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●6月30日
じめじめとした梅雨の季節、美術品には最悪の時期である。
そんな事もあってか今月号の月刊ギャラリーに美術品の保存の記事が出ていた。
多くの方がコレクションはしていても、保存に気を遣う人は少ない。
数年前にも4千点以上のコレクションをしているお客様が、事情があって作品の一部を処分する事になって7百点ほどの作品をお預かりした事がある。
全ての作品が買ったままに飾られる事もなく、地下の倉庫に眠っていた。
箱を開けてみるとその殆どがカビに覆われていて、惨憺たる状況であった。
カビを取り除く作業をしていた画廊のスタッフがそのカビが原因で体中に発疹が出来る程ひどい状態だった。
結局多くの作品がその価値を失い、ごみと化してしまったのだ。
記事の中の美術品の保存のヒントを引用しながら、私なりの注意点を書いておいたので参考にしていただきたい。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5) |
作品の状態をマメにチェックする。
作品を架け替えたり、虫干しをかねて箱から出してみる。
作品の置かれる環境を整える。
外に接する壁より、間仕切壁に架ける。
直射日光、西日に気をつける。
押入れなどではなく通気性のいい場所に保管する。
なるべくしまったままにしないで、作品を飾るようにする。
額装をチェックする。
額の裏板(ベニヤ・ダンボール)が直接作品にあたらないように、間には合い紙
(出来れば中性紙・イオンシート)を入れて酸化を防ぐ。
セロテープやガムテープで貼付をしない。
ガラスや裏板に汚れやカビが付いていないかをチェックする。
作品の裏側をチェックする。
画面側は比較的注意を払うが、見落としがちな裏側からのダメージによって劣化が進む場合がある。
ガラスと画面を密着させない。
ガラスに出る結露が画面に吸い付き、カビを発生させる。
額装の際にガラスには手垢や、唾液などの汚れが付着しやすく、カビの元となる。
保護のために必ずマット紙を使う。 |
梅雨明けとともに一度大事な美術品をチェックしてみたらどうだろうか。
尚、カビを保護するイオンシートという保存にはとてもいい優れものがあり、私のところのホームページでも紹介しているのでご覧頂きたい。 |