ギャラリー日記

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10月14日

現在釜山で開催中の山本麻友香個展も好評との報告を受けた。

山本の体調もあって、当初の予定より作品が間に合わず、開催も危ぶまれたが、なんとか山本に頑張ってもらい開催にこぎつけることが出来た。

ただ新作が少なく、旧作も交えた個展ということになり、主催の画廊も不安のスタートとなった。

それでも、作家を元気づけるためにも結果を出したいと言っていて、その通りの嬉しい報告が届いた。

画廊主自身も昨年から体調を崩し、画廊も息子さんに任せるといった状況が続いていたが、今回の結果が元気になるきっかけになってくれるといいのだが。




10月11日

夏目麻麦展が好評である。

お世話になっている三島太郎氏より、何よりのうれしいコメントを頂いたので紹介をさせて頂く。


昨日から京橋のギャラリー椿で始まった夏目麻麦展がとても良いです。

画像で見ても良いのですが実物を見るとまただいぶ印象が違います…とか書いてると、なんかたどたどしくて子供の作文みたいですが、これはなかなか言葉にするのは難しいのですよ。

表面的なところではマルレーネ・デュマスやベーコンを思い起こさせるとかいろんなことを言えますが、夏目さんの作品の魅力の本質的部分はそういうところには(たぶん)ないのですね。

今回の作品を見た時の感動は、夏目さんがこれまでに蓄積してきた技量や感性、そして(私は何も知りませんが)彼女の「生」そのものが今、キャンバスの上で結合し、とても生々しく表現されている、その瞬間を見て感じることのできたライブな喜びとイコールなのです。

その作品の様式は別として夏目さんの作品は優れて同時代的でリアルなアートであり、そういうものから伝わってくる感動を私のような素人が言葉でどうのこうの言ってもしょうがないかなと。

日・祝日はお休みで今月21日までです。
お時間ありましたら是非。

10月10日

台北のトイショーが三日間の会期で始まっている。

年々盛況になり、今回で4回目になるが、今年はさらに盛り上がっているようだ。

主催者から毎年中村萌が招待されていて、今回もブースにてフィギュ―やオリジナルの木彫、ドローイングなどが展示された。

スタッフから多忙のなか報告が届いたので、一部紹介させて頂くが、内容から中村萌の人気ぶりが伺える。

バタバタしておりまして、報告が遅くなりすみません。
6日は、2時くらいに会場つきましたが、3フェイス100個にサインするなどしていたら、12時ぐらいまで作業かかってしまいました。
growMの実物は、30個しか間に合わず、のこりの50個はオーダーをとる言うことで、若干の不安があるなか、終えました。

7日は、初日。
入場をくじ引きで決めるということで、かなり混乱して4000人ぐらいがなかなか入場出来ずに待たされて、10時開場の予定が、12時ごろにやっと入場がはじまり、そこからは怒涛のように人が押し寄せ、30個の実物は、1時間でなくなり、5時には、オーダー分も含めて、80個完売になりました。
並んでいても買えない人がいる状況でした。

オリジナルも、同時にどんどん買われましたが、今回は、一切値引きなしで皆さん払ってくれました。

3フェイスも、翌日の8日に100個のうちの85個分は完売しました。

今は、ポストカードとドローイングを販売しております。ドローイングも11枚、大体3万円前後ですが、売れてます。

明日は、最終日です。
相変わらず黄さんは、終わったらご飯に連れて行ってくれるなど、良くしてもらってます。 取り急ぎ、ご報告まで。








10月7日

夏目麻麦展が今日から始まった。

手前味噌だが、すごくいい。

うまく表現できないのだが絵が深く感じられる。

マティエールが深いのは以前からなのだが、表現自体が深淵に感じられるのは私だけだろうか。

描かれた人物は曖昧模糊としていて、鮮明には描かれてはいないのだが、逆にそれが効果的なのか、見る人はじっと立ち止まり、人物の前で釘付けにされてしまう。

人物も表面ではなく、その奥の何かを感じ取ろうとしているのだろう。

その人物も以前は静止していたが、今回は一瞬の動きを取り入れている。

その表情は相変わらずぼんやりとしているのだが、絵全体に動きとともに表情が出てきたようにも思える。

初日ではあるが、かなり沢山の人が画廊を訪れ、熱心に見てくれるのはありがたいことで、上々の出足である。










10月4日

今日は中秋の名月。

ようやく秋らしい天気になり、朝晩が過ごしやすくなってきた。

今週末から内林武史と夏目麻麦個展が始まる。

丁度、内林作品に中秋の名月にふさわしい作品があるので紹介させて頂く。

他にも郷愁を誘う作品が多く展示され予定である。



9月30日

小林健二展も今日で最終日。

途中韓国に行っていて、一週間ほど留守をしたが、その間も途切れることなく大勢の人が展覧会を見に来てくれていた。

今日も最終日ということもあるのか、沢山の人でにぎわっている。

その多くが私に初めての人ばかりで、どこでこの展覧会を知ったのか不思議で仕方がない。

雑誌やネットで知った人もいるだろう。

小林の知人友人もいるだろう。

最近はメールで案内も出すことが多くなっているので、私が知らない人も多いのだろう。

9年ぶりの個展で、私の関係では多少忘れ去られているのではと心配したが、こうして多くの人に来ていただくのはありがたいことである。

小林人気いまだ衰えずといったところだろうか。

9月24日

最終の日曜日。

大勢の人が詰めかけている。

ただし見るだけの人が多く、販売には結びつかない。

ソウルの画廊から山本麻友香の個展の依頼が来たが、ソウルではSPギャラリーが専属になっているので、個展の件はお断りをさせていただいた。

ただし、今回の作品を買っていただいたら、グループ展の依頼ならお受けしてもいいと伝え、先方もそれでは最終日に残ったら分けていただくと言ったまま未だに現れない。

キャンセルになったニューヨークの画廊さんからも、個展の話を頂いているが、一度そういうことがあると、作家さんにもお願いしづらく、しばらく様子を見さして欲しいとお断りをすることにした。

今回は北朝鮮の影響で来る人も少なく、売上も期待できないのではと予測したが、人出は予想に反して毎日たくさんの人でびっくりしている。

ただ売上は予想が的中し、思うような成果があげられそうにもない。

毎回参加しているが、今回が一番悪いのではないだろうか。

いい時もあるし、悪い時もあるで、仕方がないことだが、来年の参加を今一度考えなくてはならなくなった。

ブースも会場の一番端っこということもあり、今までの対応とは大違いで、それも含め来年どうするかを決めようと思っている。

9月21日

アートフェアーも今日からは一般公開。

始まる前からチケット売り場は行列ができている。

フェアーはまだまだ人気があるようだ。

昨日のVIP内覧会も大勢の人が詰めかけていて、フェアー自体は大いに盛り上がっている。

売上の方は聞いてみると売れ筋の作品には早くも売約が入っているようだが、全体はまだまだのようで、私のところもキャンセルがあったりで、昨日は結果が出てなかったが、今日になってようやくちらほらと売れるようになって来て、一息ついたところである。

夜はおつきあいのある画廊さんが新たに娘さんのために昨年開いた画廊の屋上でバーベキューに招かれた。

ソウルの五つ星ホテル新羅ホテルのすぐ横の山手にある画廊で、眼下にソウルの街並みが見える絶好のロケーション。

屋上からの夜景を眺めながらのバーベキューは最高。

柔らかいお肉やサーモンが次々に焼かれ、サラダや果物も食べきれないような量。

締めには朝から煮込んだという手作りの参鶏湯にキムチ。

勿体無いが、食べきれずに美味しいお肉や参鶏湯も残してしまうくらいで、できればパックに詰めて持ち帰りたいくらいであった。

ちょうどオーナーのウンソクさんの誕生日ということを先に知り、サプライズのお花をプレゼントしたが、それだけでは足りないくらいのおもてなしで、ただただ感謝である。



9月20日

KIAFがオープン。
昨年より賑わいを見せている。

ミサイルが飛んでくるのではと心配したが、韓国の人はぜんぜん心配してないようだ。

我々が地震で揺れがあってもまたかという感じと同じなのだそうだ。

会場の通路も広々としていて、ゆったりと見ることができる。

作品も熱心にみてくれるが、成約に結びつかないのがちょっと不安。

終わって8時からオープニングパーティー。

いつもならたくさんの人で押し合いへし合いで、料理もあっという間になくなってしまうが、今回は招待者を限定したこともあって、その上料理も次々に運ばれ、今までのようなことはなく、主催者の運営が功を奏したようだ。

明日はお付き合いのある画廊さんの招待で、画廊の屋上でのバーベキューパーティーに行くことになっていて、他にも夕食の招待があり、夜は連日あいかわらずのご馳走ぜめで有り難いことである。




9月19日

土曜日に小林健二のトークショーが開かれた。

会場はいっぱいの人で溢れかえり、9年振りの個展ということもあって、どのくらいの人が来てくれるか心配したが、小林人気は衰えず大勢の人が詰めかけてくれた。

それも若い人ではなく、中年の男女が多いのに少し安心した。 というのは、展覧会には多くの若い人が見に来てくれていたが、中高年が少ないように思っていたので、この人たちが彼の作品に関心を持ち、コレクションにつながればこれは嬉しいことでる。

私が質問をし、それに答えるという形で進めることになり、まずはいつも難解な造語のようなタイトルがついていることから、今回のイィヰンクイドゥ トゥフトゥウォンズとは何ぞやということから始まった。

意味は自分にはあるが、見る側がそれぞれイマジネーションすることが大切で、アートとはそういうものと彼は言っていたが、今回はその言葉の解説をしてくれることになり、サンスクリット語のようだが、その説明は私のような浅学非才な者には難しすぎてわからなかった。

こういう話を聞いても彼の多岐にわたる知識には驚かされるし、その表現も計り知れないものがあり、私は彼のことを現代のダヴィンチと呼んでいる。

一時間のトークも無事に終了し、今一度彼の話を胸に刻んでもらって、作品の鑑賞をしてもらった。

今日から私は韓国のアートフェアーKIAFに出かけてしまうが、是非小林の多彩な表現を御覧いただき、帰ってきた時にはその反響がどんなものであったかを聞くのを楽しみにしている。



9月16日

今日は朝からインタビューが続いた。

一つは多摩美のゼミの雑誌のインタビュー、もう一つは美術手帖のアートナビのコーナーのインタビュー。

多摩美は銀座の画廊についての話だったので、京橋の私としては話しづらいこともあったが、画廊業界では銀座がブランドではなくなったという話から始めさせてもらった。

美術手帖では画廊の歴史から扱い作家の話まで多岐にわたって話をさせてもらった。

その中で、「私の思い出の品」を紹介してほしいということで、私は昨年90名の作家さんの企画にによる古希のお祝い展の折に、皆さんで出してくれたカタログを挙げさせてもらった。

50年にわたって仕事をしてきた中で、これほど嬉しいことはなかったし、こうして作家さんとお付き合いできたことが、私の画廊をやってきた証であると自負をしている。

また画廊の一押し作家ということで、展覧会中の小林健二を紹介させていただいた。

古希展の発起人の一人で序文を書いてもらった望月通陽と小林健二がうちで一番付き合いの長い作家であり、その二人がともに美術大学も出ていない全くの独学の作家であることも、無名のキャリアのない作家の紹介をモットーにしてきた私にとっては掛け替えのない作家であることから、多くの作家の中であえて小林を一押し作家として挙げさせてもらった。

3時間ほど話をさせてもらい、さすがに喉が痛いが、5時からは小林健二のトークショーがあり、私にも話をしろということで、今日はおしゃべりに忙しい一日となりそうだ。

9月12日

今朝、国連安保理で北朝鮮の経済制裁が全会一致で採択された。

北朝鮮の目に余るミサイル発射や核実験に対しての措置としては当然なのだが、戦前の中国侵略に対する日本へのABCD包囲網による経済制裁を彷彿させる。
日本はそうした制裁に対し、石油資源を求めて、大東亜戦争に向かう事になったが、果たして北朝鮮はそうした暴挙に打って出るのか気になるところである。

というのも、20日からソウルのアートフェアーKIAFに参加することになっていて、滞在中にミサイルでも飛んでこないかと心配をしている。

遠くの火事より背中の灸で、多少他人事と思っていたのが、急に火の粉が身に降り掛かってくる事になりそうである。

多くの海外企業の家族がすでにソウルをを出ていっているという話も聞こえてきて、余計不安になる。

以前にパリ・フォトフェアーがテロにより、会期早々に中止となり、出展した画廊のブースフィーが戻らず、往復の運送料も含め大きな損失が出たそうである。

韓国の人たちは至ってのん気で、状況を聞こうとするが笑い飛ばされてしまい、本気で取り合ってくれない。

KIAFの事務局にも問い合わせたが、同様の対応でこちらが拍子抜けしてしまう。

そうした事態の費用の返還は、KIAF事務局は一切応じられないそうで、そうした状況は天変地異と同様の扱いなのだろう。

ということは、自分たちで対処するしかなく、損害補填について損保会社に聞いてみるしか無い。

多分、保険会社も当面の危機には対応してくれないだろうし、対応してくれても相当の金額の保険料を要求されるに違いない。

ミサイルが飛んでこなくても、こうした非常事態の中で韓国の人は呑気に絵を買いに来てくれるのだろうか。

ということで、キャンセル料を払ってでも出展を取りやめるか、水盃を家族と交わして相当な覚悟で行ってくるか、思案のしどころである。

とにかく、かりあげ君がおとなしくしてくれることを祈るしか無い。

9月8日

明日から小林健二展が始まる。

若干の旧作を含め奥のスペースも使って新作60点の作品を展示する大規模な展覧会である。

9年ぶりの個展で、昨年小林健二を多数コレクションするT氏による小林健二コレクション展を開催した折に、翌年には個展をしようとの話が実現をしたことになる。

小林の作品は全て、少年時代に関心を持った望遠鏡で覗く宇宙であったり、顕微鏡で見る粘菌の世界や、地中深くにある鉱石であったりと全て実際には見ることが出来ないが、子供にとってはなんとも美しく輝いているものばかりで、その原体験を具現化したものが作品のテーマとなっている。

こうした不思議な未知の世界から恐竜であったり、鉱石から音が聞こえる鉱石ラジオ、更には霊の世界へと関心は広がり、彼の夢想の世界は限りなく広く深い。

そうした実際には手に取ったり見ることの出来ないものを、自分の手によって再現させ、作品に昇華させていくのだが、そのための知識や技術、材料へのこだわりは半端でなく、私どもで発表をしている作家たちも彼の影響を受けたものも多い。

そうした知識や技術も彼は美術大学を出たわけでもなく、科学の専門を学んだわけでもなく、全て独学で得たものだから大したものである。

今回もそうした原体験をベースに、独自の世界を展開させ、多くの人を虜にするオーラが会場に満ち溢れている。

9月末までの会期なので是非のご高覧を賜りたい。

また9月16日の5時から「心の中の風景」と題した小林によるトークショーが開催される。

予約が必要なので、ご興味のある方は画廊宛にお申し込みいただきたい。

定員になり次第締め切らせていただくので、早目にお申込みをいただきたい。






9月7日

日曜日から昨日までプライベートで画廊を留守にしていた。

その間、葉山の神奈川県立美術館で「萬鐵五郎展」、軽井沢でホワイトストーン美術館で「アートはサイエンス」を見てきた。

方や明治から太正にかけて活躍し、西欧絵画と東洋の伝統絵画を融合させて、独自の世界を表現した萬鐵五郎の全貌を見ることが出来た。

殆どが岩手県立美術館と萬鐵五郎記念館の所蔵作品だが、資料と合わせて約400点もの数が展示され、実に見ごたえのある展覧会であった。

日本のアカデミックな美術の世界にあって、西欧のモダニズムを目指し、そのダイナミックな表現は日本の近代絵画において稀有な存在と言っていいだろう。

軽井沢では一転して、先端技術を駆使したビデオ・アートや光を使ったキネティック・アートなど、現代そのものの展示で、アートの領域がよりボーダレスになるのを実感させられた。

ただ理解しづらい表現ではなく、子供でも楽しめる視覚で遊べる作品も多く、家族連れでも十分堪能できる展示となっていて、避暑地での絵画鑑賞としては鑑賞者を十分満足させてくれる展覧会ではないだろうか。

私は30代前半まで10年ほど軽井沢の旧軽銀座の入り口に画廊を出していたことがあり、また万平ホテルの近くに父親の別荘があったことから、軽井沢は馴染みの深いところなのだが、父親が亡くなってからは行くこともなくなり、全くの疎遠となってしまった。

広い別荘と庭の手入れが大変で、行って掃除、帰る時にまた掃除と隠居して長い事いるのなら別だが、ついつい面倒くさくなり、足が遠のいてしまった。

但し、今回見てみると家の周りは殆ど変わっておらず、当時の懐かしい思い出が蘇ってくる。

葉山の美術館も、大学のヨット部の練習場や合宿所が近くにあったこともあって、海を走るヨットを眺め、当時からあった食堂で食事をしたり、青春に一時フィードバックをさせてもらい、この4日間は回顧追憶の日々となった。

9月2日

早いもので、長雨の8月が終わり、もう9月に入ってしまった。

昨日は恒例の高校のクラスメートたちとのゴルフコンペを河口湖で開催。

朝方の濃い霧と霧雨が嘘のようにティーグラウンドに立つと快晴に。

8月には見ることのなかった富士山も姿を現して、ようやく河口湖らしくなってきた。

今日でコレクション展も終わりだが、来ていただいた方には大好評で、コレクターのHT氏も、改めてご自分の作品を眺め、感慨深い思いにふけっておられた。

また大方の作品が収まることになり、お手伝いさせていただいた私も肩の荷が下りた。

引き合いの来ている大きい作品は引き続きお預かりしなくてはいけないが、悩みは大きい作品をどこにしまっておくかである。

ここ続いて大きい作品の展示が多く、そうでなくても一杯になっている倉庫を縦のものを横に、横のものを縦にと、ジクソウパズルのごとく整理しながらスタッフは四苦八苦している。

そこに来て、台湾のアートフェアー用の作品が続々到着し、更には来週早々に9月9日から始まる小林健二の作品が大作を筆頭に60点が搬入されることになっていて、画廊はぐちゃぐちゃになりそうである。

8月29日

フェースブックには時々アートの裏側のようなことが載っている。

今回もギャラリーストーカーを揶揄った漫画が出ていて、転載自由となっていたので、若い作家さんに気をつけてもらおうとブログで紹介することにした。

若い特に女性のアーティストが迷惑をしていることが多く、巷では芸大おじさんと呼ばれている人もいる。

私達も気づけば、それとなく作家さんを事務所の中に呼んだり、電話ですよと言って引き離したりするのだが、作家さんはしつこくされて対応に窮していることが多い。

この漫画のとおりではないと思うが、しつこい人が来たらまずは画廊のスタッフを呼んで対応してもらうようにして欲しい。



<font color="#CC6633">●8月28日

昨日日曜日は思いたって、佐倉市の川村記念美術館を訪ねた。

「静かに狂う眼差しー現代美術覚書」展が最終日ということもあって、遠くしかも現代美術の展示が多いにも関わらず、駐車場には多くの車が止まっていた。

素晴らしい庭園と噴水の美しさがまず目に飛び込んでくる。

噴水の横にはダイサギとカワウが並び、水面には白鳥が戯れている自然豊かな光景が広がる。

入り口には清水九兵衛のオブジェとフランク・ステラの巨大なオブジェが置かれているが、ステラのスクラップ彫刻は美しい景観の中では違和感を覚える。

展覧会は所蔵品を評論家の林道郎氏の視点で構成されていて、レンブラント、ルノワールからピカソ、シャガールと続きポロック、ジャスパー・ジョーンズ、クリストまでの多岐に及ぶ作品群が4章に分けて展示されている。

これも庭園同様にジャンルは違えど、美しいものは美しいものだと素直に見ることが出来た。

しかしこれらの作品を関連付ける作業は、さぞかし林氏も苦労されたのではないだろうか。

それとは別にマークロスコーの大作が並ぶロスコールームは圧巻で、その中に佇むと荘厳な世界に引き込まれてしまいそうだ。

これを見るだけでもここに来る価値がある。

昼を併設のイタリアンレストランで食べることにしたが一杯で、しばらく待たされることになった。

この後、都美館の「ボストン美術館の至宝展」埼玉県美の今私どもでも展示されている「遠藤利克展」を見に行こうと思ったが、どうやら都美館止まりになりそうである。

というわけで、都美館に到着したのは4時前で、閉館前には間に合うことになったが、こちらは人の肩越しに作品を見なくてはいけない。

エジプト、中国、日本美術の後に印象派や現代美術が並ぶが、ゴッホの目玉作品以外は大したものがなく、展示数も少なく、あっという間に見終わってしまった。

やはりこういうのは本場で見なくてはならず、がっかり展の一つとなってしまった。

遠かったが今日は川村のマークロスコーを見られただけでも良しとしなくてはいけない。






8月26日

紋谷さんのブログ「画廊巡りノート」でコレクション展を紹介していただいた。
5回に分けて詳細に書いていただいている。

「HT」は、
1980〜1990年代にかけて同時代の日本の現代美術家の作品を集中的にコレクションしていたコレクターのイニシャルです。

この時代の日本現代美術作品を、これだけまとまった形で鑑賞できるのは実に貴重な機会です。

これらの作家の作品は、主要な美術館のパブリックコレクションになっていてますので、遠距離にある美術館をはしごする労力と時間、金額を考えれば、この企画のありがたさが身に沁みます。

折角なので、何回かに分けてじっくり紹介してゆきます。

画廊めぐりノート
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・1
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・2
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・3
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・4
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・5

8月25日

読売新聞のコラムで作家の島本理生が現代美術について、次のようなことを書いていた。

『以前は、どちらかと言うと現代アートは苦手だった。
一見しただけではモチーフやコンセプトが理解しづらいことがあるからだ。

ある時知り合いの女性作家と飲みながら「作品に込めた意味やコンセプトが分からない現代アートはどう鑑賞すればいいのか」と疑問を口にしたところ、彼女がこう返した。
「その作品が、ただ目の前にあることを、ありのままに楽しめばいいんじゃないかな」

知識を得たり論理的に解釈することで増えるものもある。
しかし、そもそもアートの全てを頭で「理解」できると考えていたのが間違いかもしれないと思うようになった。

今のこの瞬間目の前にあるものに能動的な関心を持つ。
それはアートを楽しむためのマナーであると同時に、人がいきいきと日々を過ごすこと全般にいえるマナーではないかと思う。』

今展示しているコレクション展のもの派を中心とした現代美術も、なんなのかと答えを見つけるのではなく、あるがままを自然に見ることで少し理解できるのだと思う。

アートという概念が狭義ではなく、広義の世界であることを知り、一つのくくりで見ずにその多様性を受け入れることで、アートの楽しみが倍加するのではないだろうか。

来週の土曜日まで開催している「HTコレクション展」それに続く「小林健二展」をそんな思いで見ていただければ幸いである。

8月24日

合田佐和子の没後初の作品集「合田佐和子 光へ向かう旅」が平凡社コロナ・ブックスから発刊された。

表紙を始め私どもで発表していただいた代表作と共に未発表の作品の多数収録されている。

2007年、2010年と私どもで大規模な個展をさせていただき、2015年5月にも新作の個展を予定していたのだが、病に倒れ翌年2月79歳で帰らぬ人となった。

今思うと、もう1年早く個展が出来ていたら、その新作を見て頂けたのではないかと悔やまれてならない。

まだ体調も崩されておらず、頑張れば展覧会のための作品も完成できたのでは。

そしてそれが励みになって、元気を与えてくれていたかもしれない。

亡くなったことが未だ信じられないが、こうして改めて作品集を紐解いてみると、戦後を代表する偉大な作家の一人ではなかったのではとの思いに駆られる。

描かれた多くの作品の眼差しの中に、光の交錯や澄み切った光線が発せられ、それが夢想や未来への羨望へと伸びていく。

いま多くの人物画を描くアーティストが市場を賑わしているが、合田のような深い考察の上に描かれた人物画を描く作家はいないのではとさえ思ってしまう。

合田はいつの頃からか、肉眼以上の目を持ちたいと願うようになったと言っている。

肉眼以上の目を作品に託し、今も私達を見つめ、見守っていてくれているだろう。





8月23日

京都のコレクターN氏がコレクションの中から幻想的な情景を描いた渡辺貞一の作品162点を青森県七戸町の美術館へ寄贈した。

渡辺貞一は昭和40年後半の絵画ブームの折に一躍スターダムにのし上がった作家だったが、そのブームの潮流に飲み込まれ、ブームが去るとともに市場からその名前は消え、その後間もなく亡くなり、今や知る人も少なくなった。

N氏はそうした市場の動きに左右されることなく、ひたすら渡辺の作品を追い求め、今一度渡辺に目を向けてもらうことを願い、今回の寄贈に繋がった。

実は私は大阪の画廊に勤めている頃に、まだ無名だった渡辺の作品を買ったことがあった。

当時の月給が一万5千円の頃に10号で12万の作品を買うのは、分不相応だったが1年の月賦払いにしてもらい手に入れることにした。

私が初めてコレクションをした作品である。

その作品が突如絵画ブームの波に乗り、一年後には250万円になってしまったのである。 当時の給料の15年分になってしまったのだから恐ろしい。

同僚達は売れ売れというのだが、好きで買った絵だから売らずに持っていると言って大事にしていたのだが、結局大阪の画廊を辞める時には元の木阿弥12万円になっていた。

大学出たての若者が大金を手にしてたら、どんな方向に行ってしまっただろう。

そんなことがあって、東京に戻ってから殆ど誰も知らない渡辺の作品を大阪に居た頃よりも安いタダみたいな価格で、30点ぐらい集めただろうか。

忘れ去られた作家だが、一度展覧会をやってみようと思いたち、10年ほど前に展覧会を開くことになった。

その初日に画廊に駆けつけたのがN氏であった。

知人から東京で渡辺貞一展が開かれることを聞いたN氏は、丁度ハワイに行っていたのだが、成田から直行して画廊にやってきて、数点を購入することになった。

それがご縁でお付き合いが始まった。

渡辺にかける思いにほだされ、渡辺の故郷の青森へ一緒に同行し、県立美術館に寄贈の話と遺作展の開催を持ちかけたのだが、ほとんど門前払いの格好で、失意とともに帰ることになった。

しかしN氏の情熱は失せず、ようやく七戸の美術館が引き受けることになり、その思いがついに実現することになった。

残念ながら、私は海外出張と重なり9月16日のオープニングに行くことが出来ないが、日を改めて是非見に行ってみたいと思っている。

京都新聞に大きくそのことが取り上げられ、N氏から掲載誌が送られてきた。

「夜のしじまとその中にいる幸せそうな人物を、優れた色彩感覚で描く渡辺の絵が大好きで、次はどんな作品に出会えるかと楽しみながら集めてきた。ポリシーを持って描き続けた画家の作品を多くの人に見てもらいたい」と語っている。

会場写真は当時の私どもでの個展風景。




8月22日

夏休みも終わり、早速に展覧会が始まった。

夏休み中は梅雨かと思うほど毎日雨が降り、河口湖に居たのだが、厚い雲に覆われ、世界遺産の富士山目当ての観光客は、ここに本当に富士山があるのかと思ったに違いない。

以前山中湖の有名ホテルが、富士山が見えない日はホテル代を返すというキャンペーンを張ったことがあったが、今年そのキャンペーンをやっていたら、間違いなくそのホテルは潰れただろう。

ところが、夏休みが終わった途端に雨も降らず、お陰で展覧会の出足も好調。

HTコレクション展の作品の質が高いこともあって、コレクターや業者が火切りなしにやってくる。

80、90年代の日本現代美術の秀作の展示は美術館と見まごうほどで、私も一人悦にいっている。

ただ内容は良くても、売ることとなると多少の不安もあったが、どうも杞憂に終わりそうで、 大きい作品以外は殆ど売れてしまった。

大作もそれぞれに引き合いが来ていて、終わり頃に残っていないのではと、現金なもので皮算用を弾いている。

9月2日まで開催しているので、是非のご高覧を。



8月10日

8月10日

明日11日から20日まで夏休みを取らせていただく。

その前に21日から始まるHTコレクション展の展示を済ませなくてはいけない。

菅木志雄、小清水漸、中村一美、中西夏之、戸谷茂雄、遠藤利克、村岡三郎、森村泰昌などの大作から桑山忠明、若林奮、柳幸典、関根伸夫、浅野弥衛、西村陽平、トニー・クラッグらの秀作まで80−90年台の現代美術のそうそうたる作家たちの作品が並ぶ。

先日まで木彫の大作の展覧会、それから台北フェアー用の作品のトラックへの積み込み、そして今日またサイズもそうだが、石や鉄の作品も多く、重さも尋常でない作品の展示と、スタッフは連日のハードな仕事をこなしている。

明日から長い夏休みに入る前の大仕事。

すでに作品の問い合わせも多く来ていて、休み明けの展覧会を楽しみにしていただきたい。






8月9日

8月9日

三菱一号館のレオナルドXミケランジェロ展を見に行ってきた。
日曜日の割には空いていて、素描展という地味な展示のせいだろうか。

海外の巨匠の展覧会でもよく素描が展示されるが、どうしても油彩や立体作品に目が行きがちで、素描はサラッと流して見てしまうことが多い。

ところが今回はイタリアルネッサンスの2大天才の素描ということで、興味深く見せてもらうことにした。

二人とも弟子たちには素描とその模写をすることを奨めていて、それだけに自分たちの素描に対する思いもひときわ強かったに違いない。

二人を対比してみてみるとレオナルドの柔らかさに対してミケランジェロは力強さが感じられ、小さな素描作品ばかりだが、その特徴がよく分かる。

私はいつもデッサンを見るときは手、指が不自然でないかを見ることにしている。

関節の多い手と指の描写は顔や体以上に難しいと思うが、さすが二人のデッサンに狂いはない。

デッサンの名手であった小磯良平が手の描写に苦慮する話を直接聞いたことがあり、藤田嗣治の手のデッサンの確かさを褒めていたのを覚えている。

一際は印象に残ったのはレオナルドの「少女の頭部/(岩窟の聖母)のための天使の習作」で、鉛筆だけでこれほどまでに柔らかく神秘的に描けるものかと感心させられた。

今流行の美人画系の人たちのデッサンと見比べてみたいものである。




8月6日

日曜日猛暑の中、国立近代美術館工芸館と三菱一号館に行って来た。

工芸館では「おとなのハッピー」という意味がよくわからない展覧会名なのだが、展示されている収蔵の工芸の名品とともに、私どもで発表をしている川崎広平が招待作家として特別室で個展が開催されている。

この暑さの中では彼の作品は一服の清涼剤のようで、見る人に涼感を与えている。

私どの個展の時に書いた紹介文があるので、改めて紹介させていただく。

川崎はこの光るオブジェをつくる前身は鉄の彫刻家だった。しかし鉄で造形の形を見せるというより、中の構造物をみせるほうを好んだ。

現在のスタイルであるアクリルで外見をつくり中にいれたELファイバーや、LEDで構造を見せるようになったのは自然なのだろう。

外見の造形(かたち)を作って見せることよりも「自分でいちから構造を作り上げる」ことに夢中になっていった、そして今でも虜なのではないかと想像する。

これは 川崎の宇宙 なのだろう。

透明で光るオブジェというのはそれだけで目に入りやすいし、印象に残りやすいものかも知れない。しかし彼のつくる物体は、それだけではない。生命をもって蠢いているようにみえる強さがある。

川崎は浮遊するような心持にさせてくれる不思議な空間をつくりあげた。

一号館の紹介は改めて。






8月5日

一昨日は文化庁の新進芸術家海外派遣制度50周年記念展とそのレセプションがあって行ってきた。

美術、音楽、演劇、映画、舞踏、舞台美術など多岐にわたる芸術分野から、この50年の間に3300名を越える新進芸術家が文化庁の奨学金で留学することが出来た。

そのうち約1000名が美術家で、うち75名が洋画、日本画、版画部門から選考委員によって選ばれ、日本橋高島屋特別会場を始め、4会場にて大作を展示することになった。

この中の20名近くの作家が私のところで発表をしたこともあって、会場でも知った顔が多く見られた。

今現在うちで個展を続ける金井訓志と呉亜沙の作品も並んで飾られていたが、今回の選考にはもれたが、山本麻友香や木村繁之、綿引明浩などもこの制度で留学をしている。

選ばれた作家を見てみると、団体系の作家が多く、独立・二紀だけで3分の一を占めていて、選考委員の忖度があったのかもしれない。

文化庁は少ない予算の中、50年にわたり芸術家に奨学金を提供してきたことになり、この結果多くの芸術家が現在活躍をしていることから、この制度が大きな成果を上げたことは賞賛すべきことであり、今後も途絶えることなく続け行って欲しい。

また、派遣された美術家の若手から数人が選ばれ、国立新美術館で損保ジャパンの後援で「ドマーニ展」と題した展覧会が企画され、発表の機会を与えられていて、研修の成果を私達も観ることが出来る。

新旧の作家が同時に並ぶ機会も少ないので、是非見ておきたい展覧会である。




8月1日

8月に入ってしまったが、日記が10日ほど滞ってしまった。

画廊の仕事は夏枯れかあまり忙しくないのだが、ロータリーの仕事に忙殺されていて、日記を書く暇もない。

夜にでも書けばいいのだが、疲れてすぐに寝てしまう。

先月の人間ドックの結果も届いたので恐る恐る見てみる。

すぐにどうというところはないが、肺に影、尿の赤血球があることから3ヶ月後の再検査をすすめられた。
他には動脈硬化による軽度の慢性脳虚血症が見られるということで、有酸素運動を積極的に取り入れるようにとの所見。

来週病院に行って、さらに医師より詳しい結果を聞くことになっているが、どこも悪いところはないと思っていただけに、軽度でも悪いところがあるとは、かなりショックで、運動不足がが大きく影響していることも、自覚せざるを得ない。

頑張って散歩から再開してみようと思っている。

7月22日

岩淵華林が忙しい。

水曜日夜10時スタートの新ドラマ「過保護のカホコ」(日テレ)に素描制作で、全編通しでスケッチを担当している。

7月21日からは枝香庵のグループ展「わたしの中の村上春樹・イメージと創作」に妊婦の小品を出品している。

同じく21日発売の雛倉さりえの新刊「ジゼルの叫び」(新潮社)の装画を担当。

彼女は多くの装丁画を手がけていて、その一部も紹介させていただく。










7月21日

暑い。

身体が溶けそうである。

梅雨明けしたそうだが、雨がほとんど降らず梅雨の実感がないまま明けてしまった。

ただ九州の雨の被害は悲惨で心よりお見舞い申し上げる。

天の裁量で等分に降ってくれればいいのだが、そういうわけにもいかない。

連休に河口湖に行ってきた。

こちらも昼は日差しが強いが、それでも木陰からの風は心地よく、朝晩になると16、7度くらいになるので肌寒ささえ感じる。

もちろんエアコンなどなく、昼間でも自然の風がエアコン代わりである。

水も富士山からの伏流水で、市販の天然水を飲んでいるのと変わりない。

空気も美味しく感じられ、富士山では空気の缶詰が500円と1000円で売られている。

私のところではただなので、思い切り深呼吸をしている。

こうした自然そのものの環境に囲まれているが、それでも年々周りの自然は変わってきている。

前なら当たり前のようにあった「たらの芽」や「こごみ」、「山椒」も近所の人が手当たり次第に採って行くので、すっかり見なくなってしまった。

ちょうど今頃採れてジャムにしていた木苺もいつの間にか見かけなくなってしまった。

いくらでも見つかったカブト虫や、クワガタも見かけない。

これはテレビで言っていてわかったことだが、虫は明かりに寄ってくるのではなく、紫外線に寄って来るそうで、白熱球だと夜にその周りに集まり、朝早く街灯の下に行くと手当たり次第であった。

ところが光源がLEDだと紫外線を出さないので、虫が寄り付かないのだそうだ。

街灯をLEDに変えたことで、虫が来ない理由がわかった。

文明と自然の関わりの難しいところである。

これ以上変わらないでいてくれることを願うばかりである。

7月16日

高松ヨク氏が亡くなられた。

奥様からはがきが届き、6月22日に肺がんで逝去されたことを知った。

無宗教のため葬儀など一切無用との遺志でお知らせなどをしなかったとのことであった。

偶々なのだが、私が持っていて画廊においてあった作品を家に飾ってみようと思い、丁度6月の15日くらいだったろうか、玄関に「クリストゥスの少女」「美術評論家」の2点の作品を飾ったのだが、それから1週間後に亡くなったことになる。

死の予感のかけらさえなかったのだが、虫の知らせなのだろうか、作品が見たくなり、家に飾ることにしたのだから、複雑な思いがする。

氏の個展は3回やらせていただいたのだが、6年前に京都に移り、ちょっと間が空いていて、2015年に予定していた合田佐和子展が病いのために中止になり、それではと高松氏に声をかけ、作品がたまっているようだったら急で申し訳ないが個展をということで開催することになったが、まさかそれが最後の展覧会になるとは思いもしなかった。

逆に思えば、ピンチヒッターとはいえ最後に私のところで個展をできたことが、せめてもの慰めとなった。

仏前にお参りはかなわなかったが、せめてもの供養と玄関に飾られてある氏の作品の前で手を合わさせご冥福を祈らせてもらった。

幻想絵画に独特の感性を持った作家で、稀有なる人材を失い途方にくれている。

とわに安らかなることを願う。



7月15日A

小川陽一郎展「普通人」

形や色、イメージからリンクした要素をミックスしてつくられる異物混入アートと本人は呼んでいて、それぞれイメージのギャップがテーマとなっている。

それぞれのコンセプトはあるのだが、それを抜きにして、底抜けに面白い作品である。

東南アジアでよく見られるごった煮の装飾、そこに庶民のバイタリティーを感じるのだが、彼のは日本の風土に即した庶民文化と言ってもいいだろう。






7月15日

今日から二つの展覧会が始まる。

まずは大島康之木彫展。

動物のリアルな表情と胴体や手足のべろんとした表現が不思議で、先般開かれた前橋アーツでの前橋の美術に出品されていたのを見て、すぐに個展の依頼をした。

ただこんなに早くとは思っても見なかったが、偶々今週からの展覧会が延期になり、それではということで早速の個展が実現した。

伊津野雄二や中村萌、牧野永美子といった木彫の作家も私のところには多く、新たに大島が加わった。

立体を持つことの抵抗感がなくなった今、大島の作品にも早速興味を示す人が多く、早々に売約もいただいている。

暑さに身体も溶けそうだが、動物たちも何とはなしに暑さに参って、だらんとしているように見える。






7月11日

今日は朝から明日まで二日間人間ドックで身体の隅々まで検査。

オプションにある認知症検査だけは、今回はやめておくことにしたが、みんなはそれを一番にやらなくてはとうるさいこと。

他は脳、脳血管から甲状腺、動脈、循環器、呼吸器、消化器、泌尿器、明日はPET検査と身体中を診てもらう。

個別に胃や大腸の検査を受けたり、PETによるガン検査は受けているが、今回は婦人科の検査?と認知症以外は全て受けることにした。

まな板の鯉で結果はどうなるか不安だが、これだけ診て貰えば思い残すことはない。

ここのクリニックのコースには近くにあるフレンチの有名店ホテル・ドゥ・ミクニの昼食が付いていて、クリニックとは思えないお洒落な食事がふるまわれる。

また各フロアーには望月通陽の彫刻作品が飾られていて、多くの病院に見られる殺風景さはなく、来院者の心を和ませる演出がなされている。

そんなこともあってだろうか、相当疲れると思ったが、終わってみるとスッキリ。

今日の血液検査の結果では、血糖値やコレステロール、その他もろもろ問題なしだが、胴回りが平均より5センチオーバーと肝脂肪が標準値を超えているということで、運動不足を指摘された。

明日の検査を含め、詳細の結果は4週間後になるが、何も出ないことを祈るばかりである。





7月8日

先日日経の証券部の記者からインタビューを受けたが、その掲載紙が送られてきた。

日経ヴェリタスという週刊投資金融情報誌で、「アート投資はあなたも出来る」という2面にわたる記事である。

バスキアの作品を日本人の若いコレクターが123億円で落札したというニュースがついこの前流れたり、テレビで大阪の美術館から出品された中国美術29点が300億円で落札といった、同じ商売をしていて、わたしには全く縁がないニュースがこうした特集を組むことになったのだろう。

そんなことで私に聞くのもお門違いなのだが、1時間以上のインタビューで私のコメントは数行だったが、こんな風に書かれている。

『新進気鋭の作家を多く扱うギャラリー椿の椿原弘也氏は「一部の著名な作家を除けば、1号当たりの価格は1980年代と比べ10分の1にとどまる。短期で大もうけするのは難しいが、若手の作品を楽しんで買う価値はある』という記事になっていた。

他はオークション会社や通販サイトのコメント、画商、著名コレクターのコメントや以前に日記で紹介したパトロンプロジェクトの話が載っている。

こうした話を総合すると、アート投資はそう簡単ではない。
高額品で国際的な評価がある人の作品なら投資対象になるが、コメントしたコレクターたちも投資目的では買っていない。
見る目を養うこと、情報収集をすること、長期的の持つことといったことが将来の値上がりに繋がる可能性もあるが、好きで買った作品が偶々そうなったと口を揃える。
美術市場に大きなお金が動いてほしいとは思うが、投資目的だけでは、過去の経験から言って煮え湯を飲まされるのが落ちである。

7月7日

7月6日に降る雨のことを洗車雨というと今朝の新聞に書いてあった。

牽牛が織女に逢う準備で乗って行く牛車を洗い、その飛沫が雨となって地上に降るのだという

。 ロマンチックな雨なのだが、九州に降った雨は記録にもない豪雨となり、牛車だけでなく大地まで洗い流してしまった。

七夕の短冊に被害に遭った人達の無事を願うと書くことにする。

7月5日

日、月と大学時代の友人の蓼科の別荘に泊まり、二日連続でゴルフ。
梅雨の最中だったが、幸い天気に恵まれ、終ってから強い雨が降るという私にとっては稀に見る出来事。

ところが翌日の昨日は、名古屋のお客様のところにコレクション展の打ち合わせと出品作品の受け取りに出かけたのだが、想定外の台風の影響で、土砂降りの雨と雷に遭遇。
運良く作品を車に積み込むときだけ小雨になり、作品が雨に濡れることなく無事車に積むことが出来たのだが。

出品作品は現代美術の選りすぐりの作品が多く、是非コレクション展を楽しみにしていただきたい。



帰りは台風と追いかけっこで、何とか高速道路も混むことなく、無事に画廊に戻ってこられた。

スタッフと交代で運転したが、行き帰り10時間の運転は久しぶりで、さすがに疲れて、もう一人で行くのは無理で、居眠り運転や逆走を心配しなくてはいけない。

高速のトイレには逆走の注意書きが貼ってあったが、毎月20件の逆走があり、死亡率は普通の事故の10倍だそうで、何で逆に走るのか不思議に思うが、これだけ多いと人ごとではなくなる。

息の昼食で、あんかけスパゲッティの看板に釣られて入った店は、うどんやそばがメーンなのだが、麺を自分で茹でるという東京ではあまり見かけないスタイル。
それにトッピングでおかずを選ぶのだが、別メニューに看板にあったあんかけスパゲッティがある。

ソース味でウィンナーやベーコンに野菜がのっている今まで見たことがないスパゲッティで「ミラカン」というそうで、どうやら名古屋名物らしい。

調べてみると、ウィンナーやベーコンなど肉類の具を「ミラネーゼ」といって、たまねぎやピーマン、トマトなどの野菜の具を「カントリー」というらしいが、それをミックスして「ミラカン」、意味不明。

アラカンなら知ってるのだが。



7月1日

昨日は作家さんのスタジオ訪問。

先ずは橋本にある中村萌のスタジオ。

建築現場にある作業所と言ったらいいだろうか。

プレハブの長屋のような建物で、ここを10人のアーティストでシェアしている。

ほとんどが男性の立体作家達で、可愛らしい彼女は男性には怒られるが、このむさ苦しいスタジオでは掃き溜めに鶴といった観がする。

この辺りは、女子美や多摩美、造形があるので、学生や卒業生のためにこうしたスタジオが50近くあるそうだ。

ここら辺の地主さんにとっては美大が移って来たおかげで、遊休地が思わぬ有効利用できたことになる。

屋外といっても屋根はあるのだが、中村はここで粗彫りをして、あとは細かい仕上げを中でやるようだ。

家賃も格安でいいが、安い分夏や冬の気候は過酷に違いなく、そうした厳しい環境の中にあって、あの細腕から今やキャンセル待ちの木彫作品が生まれてくる。

スタジオには未完の作品ばかりだが、どのように仕上げってくるか楽しみにしている。

次に近くにある牧野永美子のスタジオを訪ねる。

こちらは自動車整備工場を再利用していて、天井も高く、中村のところよりは整然としている。

ただ工場跡だけに天井がバカ高く、もちろん冷暖房設備もなく、トタン板に囲まれたスタジオは、中村のところ以上に暑さ寒さは過酷ではないだろうか。

また川沿いだけに蚊の大群も押し寄せて来そうで、大量の蚊取り線香がいる。

牧野以外もここは女性作家が多いのだが、その多くがかなり大きな木彫作品を作っているのには驚かされる。

家賃は月2万円からそれを少し超えたくらいで、若い作家さんには手頃な価格だが、もう少しゆったりとしたスタジオで仕事ができたらと思うが、土地の高い日本では仕方ないのかもしれない。

私たちがもっと頑張って、何百万、何千万で作品を売ってあげることが解決の道なのだが。





6月30日

GALLERY TAGBOATの記事「現代アートの潮流 その一」に今のアートの現状と今後の方向といった文章が記されていて、的確に今のアートシーンが語らおり、SNSの出現したことで、アーティストの立ち位置も大きく変わってきていることを認識させられた。

以下その記事を紹介させていただく。

現代アートが今後どのような方向性に進んでいくのかはコレクターもアーティストも気になるところであろう。
その場合にアートの潮流を理解するということが重要である。

潮流が分かっていれば、登りのエスカレーターに乗るように、梃子で後押ししてくれるように前に進むことができるが、下りのエスカレーターに乗ってしまうと、いくら頑張ってもなかなか前には進まない。

業界を俯瞰的に見ていく中で、どのようなアートが人気が出るのか、全体的に人気のある作風がどう変わっていくのかを考えていくときに、アートの潮流を知るのは参考になるだろうと思われる。

いわゆるマーケットを俯瞰的に見たときの潮流は、進度が遅くなったりすることはあるが、基本的にはその流れに抗うことはないと考えたほうがよい。
というのは、日本においては潮流の進度は海外と比較すると遅々とした部分があるからだ。

この潮流は長年のアートの歴史を見ていく中で見えてくる普遍的な流れであり、全てのアーティストや作品にあてはまるものではないことを先に言っておく。
しかしながら、コレクターとして全体としてアートのコレクションをどのように持っていくべきかを考えたり、アーテイストが自身の制作の方向性を考えるときに役立つものだろうと思われる。

以下よりその潮流をピックアップしていこう。

アーティストとは自由に表現活動をする人のことの総称であるとすれば、SNSが出現して以降は大きく流れが変わってきた。
アーティストとして生活をするためには、作品が売れることが前提条件となるのだが、SNSを活用することで誰でも自らのプロモーションで作品を売ることができるようになっかてきたからだ。

これまではギャラリーという特殊な販売ルートを通して作品を展示することでしか自身の作品を対外的に見せたり販売ることができなかった時代があった。

しかし、SNSによってファンがアーティストと直接的にも間接的にも触れ合うことができるようになり、自分でファン層を獲得できるようになったことで流れが変わってきた。

こうなると、そもそもファンを持つ力に長けているタレント的な人がこれまでよりも容易にアーティストとして食べていけるようになってくる。

アート作品をギャラリーの展覧会で見てそこから作家の名前を知りその後で作家のパーソナリティーを知りながらファンになっていくという段階を経ていたものが、SNSが出現以降、ファンはアーティストの作品とパーソナリティーを同時に知ることができるようになった。

アーティストは作品だけではなく、自身のキャラクターもファンを獲得するのに重要なファクターとなったのだ。

知名度があったり、キャラクターが強いタイプの人が、ギャラリーを通さずに作品を販売できるようになり、アーティストとして食べていくためのルートが広がってきたのである。

上記の動きと同時に、「自由に表現活動をする」といった枠組みが、絵画や彫刻を制作するファインアートだけにとどまらず、写真、ビデオ、インスタレーション、パフォーマンスへと広がり、さらに音楽やテクノロジーとの融合によってますます活動の範囲は広がっている。

そうなると幼少期に「絵がうまい」と評価される人が美大を出てアーティストになるといった、従来の一般的なアーティストになるためのキャリア形成が一般的ではなくなるのである。

逆に美大出身者であるばかりに、作品コンセプトの作り方や作るアートの考え方が個々の教授の教え方によってかくあるべきという考えで押さえつけられ頭でっかちになる場合だってある。

また、アーティストとして食べていくためにどうすべきかということを美大では教えてくれないため、その部分においては美大出身以外のアーティストと比較してもアドバンテージがあるわけではない。

美大出身者以外からのアーティストが増えてくると、アーティストになれる人の母数はますます増えてくるのだ。

過去の歴史においても年を追うごとに世界中のアーティストの数は確実に増加し続けている。

自由に生きていくアーティストという職業は自らに責任を追う仕事であるが、これまでよりも外部環境が変わって遙かに生きやすくなってきていることは間違いない。

ベースとなる最低限度の生活が保証されれば、アーティスト活動はよりやりやすくなるからだ。

そうなると自称アーティストという人の数は増え続ける運命にあり、今度は過当競争となっていくと思われる。

アーティスト同士の本格的な競争が始まるのだ。

今まではアーティスト同士の競争は一般の目には見えづらくて、実際に相手が何をしているのか見えない状況にあったが、今後はSNSを通してアーティストの行動などが分かるようになり、競争に拍車がかかることは間違いない。

  さて、世界中でアーティストの数が増える一方で、日本では公募団体といったアーティストが活動を続けるために公募展をして美術館で展覧会を開催することで、外部の人間に自らの作品を見せるしかできない人たちも多く存在する。

こういった団体の数は今でも100以上あり、毎年似たような展覧会を東京都美術館や国立新美術館で開催している。

公募団体のアーティスト方はSNSを通して制作風景を投稿し外部の人間と共有したり、ファンとの交流ができることなど知らない人が多いため、新しい潮流に乗るのは難しいのだろう。

若い世代はこういった団体に所属することなく、SNSを活用することでアーティストとして生きていける道があることを知れば、自らの可能性を大きく切り広げることができるはずだ。

  世界中のアーティストたちと同じ土俵で戦うことができるようになり、アーティストが自らのプロデュースができる時代に入ってきたからこそ、自由に生きていくアーティストが活躍できるよう努力をし、それを応援するコレクターも増えていく時代に突入するのだ。

6月29日

6月も後僅か。

梅雨に入ってからは一度強い雨が降ったくらいで雨が少なく、例年に比べると空梅雨なのだろうか。

そんなこともあってか、いつものような梅雨時の身体のだるさがあまりない。

ただ最近は朝は歳なりに早く目がさめるのだが、午後になると眠気が襲い、夕方には気がつくとうつらうつらしていることが多くなった。

これも身体の衰えなのだろうか。

同じ美術にたずさわっていて、私と同様に酒もタバコもやらない大学時代からの友人が先月癌の手術をしたと聞いて驚いた。

二人に一人が癌になる時代だから驚くことではないのかもしれないが、年齢も環境も同じような友人だけに私も不安になる。

ということもあって、7月に2日間の人間ドックを受けることにした。

認知症検査もオプションにあって、心もとないのは間違いないが、取り敢えずはこちらだけはスルーして、頭から下腹部まで身体中を隈なく検査することにした。

毎年PET検査だけはしているが、これは癌の早期発見にはいいらしいが、不得意な癌もあるし、生活習慣病などはこれではわからない。

何もないことを祈るが、何か見つかった時の覚悟もしておかなくてはいけない。

とはいえ、気の小さい私は今からドキドキして病気になりそうである。

6月28日

日曜日に新国立美術館で開催中のジャコメッティ展に行ってきた。

日曜日にもかかわらず、その前にやった草間展の喧騒が嘘のように来ている人が少なく、その分ゆっくりと作品と対峙する事が出来た。

アフリカ美術やキュービズムを経て、人物を極度にそぎ落とし、その人物の本質に迫る彫刻の流れを一同に見ることが出来る、見ごたえのある展覧会であった。

大原美術館所蔵の「キュビズム的コンポジションー男」、消えてしまいそうな細い針のようなメナード美術館所蔵の「男と女・小像」や、ベネツィア・ヴィエンナーレに出品された石膏作品からブロンズにした9点の連作「ヴェネツィアの女」、写真撮影が可能なフロアーにある「歩く男」、「大きな頭部」など挙げていったらきりがないほど魅力的な作品が並ぶ。

その中でも最も印象に残ったのが「犬」で、カタログの表紙にもなっているが、痩せ細り、頭を深く垂れたみすぼらしい老犬は何ともいえない哀愁があり、ジャコメッティは自分自身だといっているが、制作への苦悩や孤独を重ね合わせているのだろうか。

油彩やデッサン、リトグラフにも見るべきものがたくさんあり、中身の濃い満足度満点の展覧会であった。

必見の展覧会だと思うが、その後に行った西洋美術館の「アルチンボルド展」の混雑と比べても人が少なく、何故なのだと首を捻りつつも、ゆっくりと見ることが出来た喜びを噛み締めている。





6月27日

丸ビル3階回廊に展示されている、女子美術大学同窓会設立100周年記念 若手支援プロジェクト展ーまなざしの先にー、を見に行ってきた。

2000年3月以降の卒業生・在学生からの公募で、審査を経て24点が選ばれ、グランプリ、学長の大村賞などがあり、私どもで発表をしている堀込幸枝が理事長賞を受賞している。

他に松田麗香など知っている作家さんも入選していた。

女子美は以前は卒業して結婚・出産などで制作を止めてしまう卒業生が多く、卒業名簿の職業欄にアーティストと記されていることが少なかったと聞いた事がある。

今はそんなこともなく、逆に多摩美や武蔵美など美術大学は圧倒的に女性が多くなっていて、以前に多摩美で特別講義をした際には、殆どが女子学生で女子美に来たのではと間違えるくらいであった。

私の大学の学部でも、当時は女子大生は数えるくらいしかいなくて、13クラスのうち女性は2クラスに組み入れられ、それも合わせて20人くらいしかいなかったように記憶しているが、現在は女性のほうが多いそうだ。

今や女性の活躍は目覚しく、先日の私のところでの若手グループ展でも8人のうち男は一人だけであった。

このような中で、女子美が女子学生たちを支援することにより、色々なハンディーを乗り越え、女性たちが制作を続けていくことに繋がれば何よりである。



6月26日

昨日は森口展を見た後、国立新美術館のジャコメッティー展、国立西洋美術館のアンチンボルド展に行き、終えて上野広小路のいつも行く洋食レストラン「さくらい」で、家内と娘家族で私の誕生日会を開いてくれた。

ここは個室があり、子供連れでもゆっくり食べられるので、何かあると家族で行っている。

家内が病気で娘のところに世話になって、もう2年を超えていて、久しぶりの孫たちを交えての一家団欒である。

家内も少しづつ良くなってきているようだが、まだまだ時間はかかりそうで、こうしてみんなで食事をしての気晴らしが何よりの薬かもしれない。

孫たちも大きくなり、上の娘は早いもので来年小学校に上がり、下の娘は幼稚園の年少さんになる。

娘のお腹にはもう一人娘がいて、9月に出産予定で、生まれると三姉妹となる。

シドニーにいる娘に二人、用事があって来れなかった長男のところにも二人で、もうすぐ七人目の孫が生まれることになる。

年とともにだんだん楽しみも少なくなってくるが、孫の成長を見るのが今は何よりの楽しみで、爺馬鹿と言われるが、目に入れても痛くないを実感している。



6月25日

森口裕二の個展最終日。

休日以外は行くことができず、その休日も予定が入っていて、なんとか最後の最後に滑り込みセーフ。

相変わらずの人気で、新作17点は初日朝4時から行列ができ、4時間で完売したそうだ。

青山のビリケン商会という小さなギャラリーが会場で、入ったところには昔のおもちゃやフィギュアーが目一杯展示してあり、その奥がギャラリーになっている。

41年前に青山にオープンし、周りに骨董店が多い中にあって、お宅文化といった独自の企画で知られている。

私のところにも3メートルの代表作が5点あって、並ばなくても多分大丈夫なので、ご興味があればどうぞ。





6月24日

木村繁之と柳澤裕貴展が同時に始まる。

木村は初の発表となる小さな木彫と水性木版画を展示する。

微かな消え入るような木村の表現は更に詩情を増してきたようで、俳諧の世界に通じるような短く省略された中に、季節の移ろいや鳥や動物の儚い息遣いが感じられる。

木版画ならではのかすれや木目が実に効果的で、木村独自の感性でなければ表現し得ないような情感豊かな世界が広がる。

柳澤は光と影を巧みに表現し、緑陰の情景をリアルに表現するのだが、今回は光と影のコントラストがより強く描かれていて、今までにはなかったインパクトが感じられる。

同時に公園の情景だけではなく、取材した京都のお寺の情景は日本画に通じる世界観があり、柳澤の風景画の新たな一面を見せてくれている。

二人の心に染み入るようなリリカルな世界にしばし癒しのひと時を過ごしていただければ幸いである。











6月23日

昨日はロータリークラブの小田急沿線に住む仲間8人が集まって食事会。

成城学園前にあるイタリアンのお店で、飲み放題のコース料理。

クラブの仲間とは何かと言うと、同好会やこじつけの集まりがある。

干支の会。

入会年度が近い仲間の同期会。

歌好き仲間のカラオケ会やコーラス。

山好きのハイキング同好会。

書や絵画、コレクションなどを展示する友美会。

俳句同好会。

グルメの食味会。

ゴルフ同好会。

国内外の旅行会。

変わったところでは、青山に墓地がある仲間の墓友会まである。

以前は他に麻雀、囲碁、テニスなどの同好会もあったが、ゴルフ以外勝ち負けに関わる会は長続きがしないのかいつの間にか解散。

これだけの会があるのだから、全部付き合っていたら体も時間もお金も持たないが、それでも誘われるうちが華とできるだけ参加している。

私のクラブは、上は90歳を超えるお年寄りから、30代の私の子供より若い会員、職業も様々で、こうした多岐にわたる仲間との交友から、かけがえのない友人が出来、得難い人生勉強もさせてもらっていて、振り返れば40年以上が経ってしまった。

これからは数あるロータリークラブでもそうはいない在籍50年を目指して、老害と言われないように目立たずおとなしくしつつ、とは言えしつこく居座ろうと思っている。

6月22日

昨日はフェースブックやラインからたくさんのお祝いメッセージをいただき、感謝感謝である。

こうしたSNSだとお会いしたことがないが、FBで繋がっている人からもメッセージをいただくので、そうした人たちとも心で繋がっていると思うとうれしくなる。

孫からもハッピイバースデー を歌うビデオレターがラインで届き、これも時代だなとおじいちゃん付いていくのに大変。

私も何とかビデオレターでお礼のメッセージを送らせてもらった。

家内が病気でしばらく娘のところに世話になっていて、帰っても一人だけ。

誕生日の夕食はスタッフからお祝いでもらった木村屋のアンパン。

あんこ好きの私に、ゴルフグッズと共にアンパンをみんなでプレゼントしてくれた。

というわけで、一人淋しくバースデーディナーでアンパンをかじるのであった。

ただ、日曜日に家内と娘家族でお祝いの食事会をしてくれるというのでそれを楽しみにしている。

6月21日

今日は私の71歳の誕生日。

雨男に相応しい梅雨空。

昨年の誕生日はご縁のある90名の作家さんに古希記念の展覧会を企画していただき、人生最良の日となり、朝からその日の感激を思い出し、喜びに浸っている。

素晴らしい作家さん、お客様、友人、新旧スタッフ、そして家族に恵まれ、人生一つの節を超えさせていただいた。

先週まで開催した30前後の若手作家を含めこれからの作家達が昨日日記に書いた望月や小林を始めとしたベテラン作家達のように、変わりなく制作を続け活躍してくれることを願い、その行き先を見届けることが、次の節目に向かう私の願いである。

それから中堅以上のすでに評価されつつある作家達の次なる展開も見なくてはいけない。

まだまだ老け込んではいられない。



6月20日

MIDTOWNでのJAGDA入選作品展示会に井澤由花子の私どもの個展の折に制作してくださった清水彩子さんのポスターが展示されている。

各審査員が2000点の作品の中から興味のある作品を選ぶThis Oneに選ばれたようだ。

井澤はイラストの仕事もしていて、テレビなどの仕事も手がけている。

銀座の資生堂ビルの改装工事のための外壁の仕切りにも、彼女のイラストがおしゃれに描かれ、無味乾燥な工事現場に潤いを与えている。






6月19日

ギンザシックスにようやく行ってきた。

オープン直後はどこもそうだが、物珍しさも手伝って人で溢れかえっているので、落ち着いてからと思っていたのだが、だいぶ経ってしまった。

ここの地下に「いまでや」という酒屋さんがオープンすることになり、そのインテリアを望月通陽が任されていて、早くに見に行きたかったのだが。

お酒やワインのラベルも望月が手がけ、お店の看板も望月の手によるもの。

一月の個展の折に買っていただいた作品も、綺麗に生けられた花の上に飾られている。

更に、望月の著書や装丁本までが、お酒やワインを押しのけて、一角に展示してあり、望月ワールドの観を呈している。

望月はコンサートホール、教会や病院、喫茶店、蕎麦屋、和菓子屋、洋菓子店などのインテリアも手がけていて、染色の世界から飛び出し、版画、ガラス絵、蝋型、ブロンズ、木彫、鋳造ガラス、随筆、挿絵、ブックデザイン、製本等々数え上げたらきりがないほど、多岐にわたり溢れる才能を発揮している。

10月に個展を予定している小林健二も豊富な知識と技術で多岐にわたる仕事をしていて、望月と共にぎゃらりー椿を草創期から支えてくれた作家だが、その二人が今や押しも押されぬポジションに立つのを誰が想像しただろうか。

この天才の二人が、どういう偶然か美術学校も出ていない全くの独学というから大したものである。

長い年月時流とは無縁に、スタンスを決めずに自由に制作ができるのも、独学ゆえのなせる業なのかもしれない。

二人が今後どのように仕事の幅を広げていくのか楽しみは尽きない。






6月17日

ちょうど一年前私と関係の深い90名の作家さんが集まり、私の古希のお祝い展を開いていただいた。

この時の感激は未だ忘れられない。

作家さんもそうだが、お祝いに駆けつけてくださった方も多く、持って来て下さったお祝いの品もどなたからかが分からなくなってしまい、お礼を申し上げられなかった方も大勢おられたのではと、未だに気になっている。

描いていただいた作品も三分の二が売約となり、売り上げの一部は結局私が所属するロータリークラブを通して青少年育成に使ってもらうことにした。

この秋、私がホストとなって開催するロータリークラブの大きな集会では、このことに関連して「青少年育成とロータリーの役割」をテーマに開催することになり、古希展がこうした形で繋がることになった。

その基調講演には元兵庫のロータリアンだった原田義之氏にお願いをすることになった。

原田氏は10年前に経営していた会社の社長を退き、単身タイの北にあるチェンライに渡り、そこのロータリークラブに入ると同時に、そこの山岳地帯に住む貧しい山岳民族の子供たちのための教育支援をボランティアとして続けていて、その志の高さには敬服するものがある。

私が所属するロータリークラブもチェンライの学校支援を続けていて、山の上に住んでいて通学に3時間以上かかる子供たちのために男子寮や女子寮を建てたり、私を含め数人が20年にわたり貧しい子供たちのための里親となって、学費の支援をしていて、同じ地域で支援をしている原田氏が講演者にふさわしいのではと、講演をお願いすることになった。

原田氏の著書「輝く瞳に会いに行こう」にはチェンライの貧しい子供たちとの交流や支援活動の様子が書かれていて、機会があれば手にとって読んでいただきたい。

一年前の感動が、次への感動に繋がることになるとは、企画していただいた作家の皆さん、ご来場いただいた多くの皆様、そして作品を買っていただいたお客様に改めてお礼を申し上げる次第である。








6月16日

以前日本テレビで美の世界という番組があり、その司会を務めていたのがアナウンサーの井田由美さん。

多くの作家たちがその番組で取り上げられたが、その中で今一度井田さんに会いたいという面々が集まり、年に2回ほど食事会を開いている。

私だけ部外者だが、画廊での撮影などに協力したこともあって、どういうわけか参加している。

今回は銀座の中華料理店で美味しい北京料理を食べながら、歓談のひと時を過ごした。

偶々見たテレビで、井田さんが若手女子アナに混じって、バラエティー番組に出ているではないか。

ニュースキャスター、美術番組、今は皇室番組の司会などお堅い番組ばかりと思っていたのでびっくりしたが、聞いて見ると20年ぶりの事だそうだ。

井田さんは私の大学の法学部政治学科の後輩でもあるので、出ている番組は気にして見ているが、バラエティーだと真面目な井田さんはいじられキャラになっていたようだ。

今年で定年を迎えるそうで、女子アナが定年を迎えるのも今では珍しいのではないだろうか。

今後はフリーとなるのか、日本テレビに関わるのかはわからないが、作家さんたちとともにかわらず応援して行ってあげたい。




6月15日

インタビューに続いて、文化芸術振興議員連盟創立40周年と文化芸術推進フォーラム創立15年の記念祝賀会に出席。

ホテルの広い会場は人・人で溢れかえっている。

議員連盟には自民党から共産党まで超党派議員117名が参加していて、「文化芸術」という冊子を発刊し、活動内容や活動方針を紹介している。

文化芸術推進フォーラムには、全国美術商連合会を始め文化芸術に関わる各関係団体が加盟し、今回新たに日本美術著作権協会が加盟し、17団体となった。

この両団体で、文化芸術振興基本法改正と文化省創設に向けて運動している。

議員さんも安倍首相を始めとしてこれだけの数の人が参加し、それも超党派ということで、共謀罪の法案のように与野党が対立することもないので、もう少し文化行政が推進されてもいいはずなのだが。

挨拶が進み、式次第の中にもの派の小清水漸のインスタレーションがあり、それが披露されたのには驚いた。

恐らくは誰も見ていないだろうし、見ても何のことかわからなかっただろうが、このお堅いパーティーにもの派とは、どういう風の吹き回しだろう。

まあ悪いことではなく、こういう場でも現代アートが紹介されるのは画期的なことではないだろうか。




6月14日

昨日の日経新聞のインタビューは絵画投資についてのようで、こうしたメディアが聞いてくるところを見ると、そうした投資マネーが動き出したのだろうか。

日経はバブル期に日経アートという美術関連の雑誌を出したり、日経アートオークションデータという分厚いオークションの記録を網羅した雑誌を毎年出したりしていた。

この時期の美術市場に少なからず日経アートが影響を与えたのは否めないが、バブル崩壊後に市場の縮小と共に廃刊となった。

先日も世界に20店舗以上を展開するフランスのペロタンギャラリーが六本木に画廊を開いたり、その前には表参道にニューヨークギャラリーがオープンするなど、どうい う思惑で日本に進出してきたのか興味深い。

更には、日本人の若手コレクターがサザビーズのオークションでバスキアを123億円で落札するなど、そうした状況にメディアが敏感に反応しているのだろう。

そのような流れとは無縁の私には、そうしたインタビューには戸惑うばかりである。

実感としては一部バブル、多くは不況と思っている。

草間、村上、奈良といったサブカルチャーや具体・もの派といった海外発の評価の作家たち、国内では写実美人画・可愛い少女系は活況のようではあるが、それ以外は厳しいように感じる。

海外と国内のこうした人気の流れを見てみると、海外で評価されているものは社会背景やコンセプトのあるものに目が言っているが、日本の流行は私には薄っぺらなものに思えて仕方がない。

先ずは個性がなく、みな同じように見えてしまう。
次に装飾性はあっても、社会背景やコンセプトが画面からは感じられない。

形は変わっているが、花鳥風月がもてはやされていたバブル期とちっとも変わっていないような気がする。

ということは、バブル崩壊とともに評価がなくなった作家たち同様に、いずれはアートシーンから消えていくような気がしてならない。

記者に美術投資とは長いスパンでの評価で、その中から資産となる作品が出てくるわけで、短期の投機は難しいのではと伝えた。

個人的に値上がりする作家はとも聞かれたので、それは誰も買わない作家を買って長く持てば、もしかしてと答えておいた。

私は美術品とは儲かる儲からないではなく、楽しむことが前提で、結果資産となれば言うことはない。

6月13日

今日は慌ただしい一日。

朝からはコレクション展の打ち合わせ。

いつもならオークションを予定している8月にコレクション展を開催することになった。

もの派やミニマルアート、ハイレッドセンターなどの作家の貴重なコレクションを展示し即売する。

詳細はまたお知らせするが、長年にわたってコンセプチュアルアートをコレクションしたT氏の全貌を知る事ができる必見の展覧会である。

オークションを楽しみにしている方には申し訳ないが、来年1月まで延期をさせていただく。

午後からは日経証券部の記者のインタビュー。

夕方からは 文化芸術振興議員連盟創立40年、文化芸術推進フォーラム創立15年の記念祝賀会があって出かけてきた。

会場は大盛会で人で溢れかえっていた。

インタビューと祝賀会については改めて紹介させていただく。

6月11日

近くの画廊で、耳鼻咽喉科の権威でコレクターでもあり、美術評論家であり、名古屋のボストン美術館の館長だったB先生の朗読会が開かれるとあって行ってきた。

B先生は実験工房に通い滝口修造、澁澤龍彦、寺山修司等との親交もあり、そうした影響からシュール系のコレクションでも知られる。

終ってからの話で、耳の作品で知られる三木富雄にも触れ、その作品を手に入れたことをきっかけに耳の修復手術を研究し、500例に及ぶ再建手術を手がけたという。

先生は俳句を長年やっておられて、句集などを出しておられるが、「加納光於とともに」など美術評論書も多数出版されている。

今夜は独吟半歌仙ということでご自分の句「苦よもぎ」を朗読されると共に、滝口修造の詩を朗読された。

私はまったくの門外漢なのだが、桑原弘明を購入していただいた縁でお付き合いがあり、名古屋の松坂屋でのアートフェアーの折にはトークショーをお願いしたこともあって、真っ先に駆けつけることにした。

残念だったのは朗読会という地味な会ということもあり、せっかく名古屋からお出でいただいたのに、聴かれる方が少なかったのと、私も耳が遠くなり、話されることがよく聞き取れなかったことである。

私も先生の診察を受けなくてはいけない。

6月10日

梅雨の中休みではなく、宣言が出てから雨が降らず、これ幸いと近くの駒場公園に散歩に出かけることにした。

家内が病気してから一緒に外に出かけることがなくなり、そんなこともあってかここ暫く散歩が億劫になってしまった。

そのつけはてきめんで、顔から下の肉は引力に逆らわずに下に落ちてきて、出来るなら足の先まで行って欲しいものだが、どういうわけかお腹でせき止められるのである。

これではいかんと思いつつも、その気力がないままに日が過ぎて行った。

こうして久しぶりに出かけ、新緑の木の下でベンチに座りのんびりしていると、いつになく清々しい気分になる。

眩しいくらいの緑に囲まれた駒場公園は人もまばらで、のんびりと休日の一時を過ごすには格好の場所である。

公園の中にある旧前田侯爵邸の一室が喫茶室になっていて、お茶を飲みながら、窓越しに庭を眺めるのも一興なのだが、今は改修工事中で入ることが出来ないのが惜しまれるが、何も考えずぼーっとしてるのも贅沢なひと時なのかもしれない。



6月10日

若手のグループ展も一週間が経ち、多くの人の来場もあって盛り上がっている。

私のところは個展がメーンだが、作家同士が切磋琢磨してもらいたいとの思いもあって、こうした若い人のグループ展を年に一回は企画している。

昨今、コレクター企画による若手のグループ展も盛んだが、やはり画廊である以上、画廊が選んだ作家を企画するのが本来の姿であり、画廊主の顔が見えない企画はいかがなものかと思っている。

コレクターの方が一人の作家にほれ込み、ずっと追いかけていくのなら別だが、生業としていないだけに、コレクターがずっと作家を支え続けるの難しいことである。

それに反して、画廊は関わった以上はフォローすべきで、見たことも聞いたこともない作家を果たして支え続けることが出来るのだろうか。

もっと画廊が、自分の目で作家を選び、主体性を持った企画をして欲しいと年寄り画廊は思うのである。

6月8日

どうやら梅雨入りしたようだ。

桜が咲き新緑に包まれる爽やかな季節もあっという間に終わり、じめじめとした梅雨は誰でもそうなのだろうが、私は特に体と心が萎えて、一番だらしなくなる季節となる。

6月21日梅雨のど真ん中に私は生まれたのだから、もう少しこの季節は元気が出ていいはずなのだが、どういうわけか大の苦手である。

我が巨人軍も既に史上最悪の12連敗と早めの梅雨入りをしてしまい、私同様にすっかりだらしなくなっている。

そんな中、明日は高校のクラスのゴルフコンペがあって、私が出るのでみんなはどうせ雨だろうと高をくくっているが、何と奇跡的に明日は晴れのようだ。

ゴルフのスコアの方は巨人以上にいち早く梅雨入りしていて、天気が奇跡的によくても、スコアの奇跡は望めそうにないが、ロータリーの役目も昨日で先ずは一段落したので、せっかくの晴れ間を友人たちと満喫してこようと思っている。

6月6日

パトロンプロジェクトの菊池さんがFBで「EARLY SUMMER SHOW」を紹介していただいたので、日記に転載をさせてただく。

京橋の「ギャラリー椿」さんにて、『-新しい扉を開く、8人の若手作家-』展開催中☆30歳前後の活躍中の若手8人による平面・立体・仕掛けアート作品の様々な工夫が楽しく、見応えあります。

「ギャラリー椿」さん初展示のアーティストも3人!

【展示アーティスト】
伊藤 知世 / 岩田 ゆとり / 岩渕 華林 / 新藤 杏子 /中畑 良孝 / 中村 萌 / 牧野 永美子 / 松川 栞

【会期】
6月3日 [土] −17日 [土]

際立ってユニークかつ精巧で美しかったのが、美大卒業後数年でギャラリー椿さんデビューの松川栞さんの作品。

BOXを穴から覗き込み、BOX内の電気を点灯すると、細密で美しい室内や庭、洞窟の3Dが奥行き豊かに拡がります。
角度を変えると天井なども見えてVRバーチャルリアリティ)の要素もあり。

愛らしくて好きだったのが、牧野永美子さんの動物たち。

立体を作る前の平面版画作品で、動物型に切り抜いてあるので飾った様子が楽しいです。
コウモリやムササビなど。手足は人間なのも意味深!

作家さんたちとの集合写真は、同じくネットで紹介していただいた銀座経済新聞の写真を使わせていただいた。

https://ginza.keizai.biz/headline/3268/でご覧いただくと紹介記事がアップされている。







6月5日

台湾のオークションに山本麻友香の作品が出品された。

以前に台湾の画廊の個展に出品された作品で、とてもいい作品なので、手元に戻ればと思い入札することにした。

予想価格の上限までは買うつもりでいたが、それを5割ほど超えた価格となり、残念ながら落札することは出来なかった。

オークションはやはり相手を見ながら競らなくてはなかなか落とすことが出来ない。

電話参加も出来るので、当日の競りの状況を聞きながら競ることも出来たのだが、出かける用事があって、上限の数字だけを言って、オークション会社に任せていたために落とすことが出来なかった。

先日もオークションでお客様から依頼されたが、これも依頼された価格の一割を超えたところで落札されてしまい、お客様からそのくらいなら競って欲しかったと言われてしまった。

会場にいて、お客様と連絡を取りながらであれば、もしかして落とせたかもしれないのだが、希望価格だけを言って任せてしまうとこういうことになってしまう。

また予想価格をオーバーするとは思っていなかったことも落とせなかった要因なのだが、それにしても惜しいことをした。




6月4日

7月に個展をする木彫家・大島康幸さんの仕事場を訪ねてきた 。

横浜青葉区近郊の小さな森の中にポツンとあるのだが、周りには蛍が飛び交い、たぬきやうさぎ、フクロウが現れるそうだ 。

作品の虎やライオンを見て、たぬき達もびっくりするのでは。

車を置こうとすると、そこは桑の実が落ちてきて汚れると言われ、慌てて移動。

その桑の実がお茶請けに出てきたが、甘くて美味しい。

街中からそれほど離れていない所に、蛍まで飛ぶような自然が残っているとは驚きである。

日曜日のせいか、この界隈を散策する人が大勢来ているが、トタン板で囲まれ、奥まったところにある作業場までは人が来ることはない。

家も車で10分くらいのところにあるので、自然に囲まれた絶好のアトリエである。

未完の作品もいくつかあり、7月の個展までの完成を楽しみにしている。






6月3日

佳子様が通われたICUでロータリーの平和プログラムのセミナーが開かれ出席してきた。

ICUを含め世界の六つの大学で平和活動に貢献する人材を育て、そこで学んだフェローたちは紛争地や災害地で難民支援や復興支援などの活動をしている。

ロータリーはこの活動の推進と支援をしている。

フェローの一人でパレスチナのガザ地区で活動をしている金子由香さんからのビデオレターが紹介され、その悲惨な状況を改めて知ることとなった。

このようにロータリーから留学生として送り出された若者達は国連難民センターなどでも活動し、その第一号が高等弁務官となった緒方貞子さんで、その後にも要職についた女性達がいる。

先日もシリアやアフガンで活動するロータリーから派遣された留学生の話を聞く機会があったが、これが全て若い女性たちで、志を高く持って世界で活動している人の多くが女性であることに驚くが、若い男性もしっかりせいと言いたい。






6月1日

うれしいメールが届いた。

以前画廊でアルバイトをしていた黒川彩子君から21年ぶりの便りである。

彼女は東京芸大でフルートを学び、卒業後しばらくうちでアルバイトをしていたが、半年ドイツで音楽の勉強をするといって出かけたのだが、そのまま帰ってこずに、ドイツにいついてしまった。

5年前には結婚をして、ドルステンという小さな町に住み、フルートの演奏活動と音楽学校で教えたりしているという。

その彼女が今年の夏里帰りして、初台のオペラシティーにある近江楽堂でチェンバロと一緒にバロック音楽のコンサートを開くことになった。

申込みをした際、承諾書に寺田小太郎氏のサインがあるのに驚いたそうだ。

近江楽堂は寺田氏がオーナーのバロック専用のコンサートホールで、私の知り合いもここで何人もコンサートを開いている。

彼女がアルバイトをしている頃から寺田氏は画廊に来ていたこともあって、寺田氏のことは知っていたのだが、まさか近江楽堂のオーナーとは知る由もなく、何で名前があるのと不思議に思ったそうだ。

もちろん、オペラシティーギャラリーに寺田コレクションが多数収蔵されていることも知らないだろうから、演奏の前に展示を見に行くと、当時の懐かしい作品に出会えるかもしれない。

7月25日19時から開演となるので、もしご興味のある方がいれば、画廊に申し込んでいただきたい。

5月31日

昨日紹介した新しい作家の一人松川栞を改めて紹介させていただく。

なんでもない木箱の穴を覗くと、そこには極小の世界が繰り広げられる。

個展の度に徹夜組が出る桑原弘明の存在を知らずに、独自に小箱の中にファンタジーの世界を展開させてきた。

桑原しかできないと思われていた極小世界だったが、新たなアーティストの出現である。

アーティスト紹介ページはこちらより。



5月30日

5月も明日で終わり。

何故かこの辺から急に日が経つのが早く感じる。

6月3日から17日まで若手作家のグループ展 EARLY SUMMER SHOW 新しい扉を開くー8人の若手作家が始まる。

新しい作家3名を含めた注目の若手作家の新作を中心に展示する。

伊藤和世 / Tomoyo ITO

岩田ゆとり / Yutori IWATA

岩渕華林 / Karin IWABUCHI

新藤杏子 / Kyoko SHINDO

中畑良孝 / Yoshitaka NAKAHATA

中村萌 / Moe NAKAMURA

牧野永美子 / Emiko MAKINO

松川栞 / Shiori MATSUKAWA








5月29日

明日から韓国の若い女性がボランティアで一カ月画廊に来てくれることになった。

韓国のフェアーなどでお世話になっているSさんの紹介で、現在はアメリカの大学で美術を専攻していて、卒業したら今度は日本で学びたいという希望もあり、お母さんと一緒に私のところにやって来た。

日本が大好きで、先ずはうちの画廊で仕事をしながら日本のことも勉強してもらう。

ただ日本語が喋れないので、画廊では英語となるが、スタッフも英語の上達に役立ってくれるといいし 、彼女には、日本にいる間に、日本語が少しでも話せるようになってもらいたい。

本人はセレブの家に育ったのか、上品で明るい素直なお嬢さんで、その上スタイルのいい美人さん、悪い虫がつかないよう、私がしっかり見張っておかなくてはいけない。

以前にも同じようにインターンということでアメリカの女の子を預かったが、こちらは画廊で一カ月働いて、論文を書くと単位が貰えるということで、私もその子の評価ということで報告文を書いたことがあるが、今回は大学とは関係なく、自分の希望で来たので、こちらも気楽である。

うちの画廊で日韓友好に一役買ってもらいたいものである。

5月27日

昨日一昨日と久しぶりのお客様が画廊にやってきた。

一人はオペラシティーのT氏コレクションで知られるT氏である。

久しくお見えにならなかったので、体調でも崩されたのではと心配しいたのだが、お元気そうでホッとするとともに、忘れずにやってきてくださったのが嬉しい。

90歳になられたそうで、疲れた疲れたと言いながらも、日本橋の高島屋から歩いて来られるのだから、大したものである。

オペラシティーのコレクション展も回を重ね、私どもの作家も多く展示させていただき、ありがたいことである。

来年の3月までの企画もお話しされ、まだまだ矍鑠として長生きされるのは間違いない。

同時に買う意欲も衰えず、コレクションの趣旨に沿った作品が出るようだったら教えて欲しいとのことで、こちらも元気で、それにお応えしなくてはいけない。

現在千葉の金谷美術館でもコレクション展が二期に分けて開催されている。

もう一人は、お役人で、私ども業界とも関係が深いこともあって、親しくさせていただいている方で、半年前までは、毎日のように画廊に来ていたのだが、突然ぷっつりと姿を見せなくなった。

メールも恋人のように頻繁に来ていたのだが、これも突然来なくなり、どうしたのかなと思っていたら、ひょっこり現れた。

半年引きこもりだったそうで、この一カ月は東京近郊の安宿をバックパッカーのように点々としていて、家人も仕事場も大変心配をしていたようだ。

昨年定年を迎えたが、お役所では滅多にないことだが再雇用となり、比較的フリーな立場で仕事ができていたので、そんなことも許されるのだろうが、普通なら首になるところである。

どちらも元気が何より、顔を出してくれるのを楽しみにしている。

5月25日

昨夜は作家の富田有紀子さんに連れられて、坐禅の会に初参加して来た。

身体が硬くて足を組むのが一苦労なので、尻込みしていたのだが、この会は椅子もOKのゆるい坐禅会。

10人ほどが日本橋の創業400年を超える扇子屋さんのビルの会議室に集まり、坐禅を組む。

先生は若い曹洞宗のお坊さんで、大変わかりやすい解説をしてくれる。

少し前までは東大の哲学の教授が指導していたそうだが、北海道の実家のお寺に戻ることになり、二人の若いお坊さんが交互に指導をすることになった。

偉いお坊さんがいなくなったこともあってか、来る人が少なくなり、私は補充要員の一人となった。

数多の煩悩を抱える私も、精神を整え、心穏やかに晩年を過ごしたいと思っていたので、意を決して参加することにした。

椅子坐禅のすすめというパンフレットもあって、私のような人も参加できるようになっている。

坐禅の要は姿勢を調え、呼吸を調えることなので椅子でも同じなのだそうだ。

姿勢がつらいとか足が痛いと思ったら、かえって坐禅の本意とは違ってくるのだ。

大切なのは腰から下を安定させ、上半身を柔軟なまま、力みのない状態にしてしておくこと。

そのために、足の置き方に注意し、骨盤と背骨をイメージして座る。

最も大切なのは骨盤を立てることで、椅子に二つの突起・坐骨を感じるようにする。

他にも目線や呼吸法など教えられ、身体を左右に揺らしながら、姿勢を整えていき、手は左を上にして重ね、足の付け根に置く。

準備が出来たら壁に向かって坐り、静かな環境、五感を刺激しないところで始める。

今回は短い時間だったが、終ると身体が軽やかになり、気持ちもすがすがしくなるから不思議だ。

肩を板みたいのでたたかれたりすることもなさそうなので、しばらく続けてみようと思う。




5月23日

久しぶりに海外からのお客様が続き、画廊の中は英語が飛び交い、何となく華やかな雰囲気になるから不思議だ。

今日は台湾からの女性4人組で、海外の人は皆そうだが、すごく積極的で、質問もどんどんしてくるし、絵も食い入るように見つめる。

長いこといて、商談も成立し、賑やかに帰っていった。

スタッフも英語が上達し、会話もスムーズで、8年になるだろうか、画廊での英会話の個人レッスンの成果が出ているようだ。

アメリカ人の先生に来てもらい、画廊が始まる前に、一人づつが習っていて、画廊で半分を負担している。

私もと思ったが、スタッフの前で恥をかくのも示しがつかないので、めちゃくちゃ英語でごまかしている。

私も英語が堪能だったら、海外で何倍かの仕事ができたかもしれないが、受験英語では何の役にも立たない。

誰かが言っていたが、大学受験に英語をなくせば、もっと日本人は英語がしゃべれたと。

英会話から入らず、中学ではまず英文法から入るからしゃべれるわけがない。

だいぶ昔だが、韓国の画廊協会の役員が日本と懇談を持ちたいと、大挙して訪れた。

こちらも10人ほどが出席して、会議と懇談会が始まろうとしたが、韓国側は英語でやろうという。

こちらは一人が何とか話せる程度で、さて困ったことになった。

結局は、日本語を話せる韓国側の一人が通訳を買って出てくれて、事なきを得たが、この時うちの業界は韓国に負けると思った。

事実、その後の韓国の美術業界の発展振りは目覚しく、画廊のスケールもはるかに大きいものとなった。

日本が内需で潤って、外に目を向けない時に、韓国は先ずは外に目を向け、そこから学んで、内需も拡大させていった。

その頃日本に学ぼうと訪ねて来たわけだが、語学の出来ないわれわれを見て、学ぶのは欧米と思ったに違いない。

画廊のスペースの大きさやシステムも全て欧米の影響が大きいし、アートフェアーもそういうことで、欧米からの参加も多く、日本とは比べ物にならない。

日本自体も、大きな経済発展を遂げたが、語学が堪能であれば、もっと発展できたかもしれない。

私もいち早く海外進出をしたほうだが、美術業界がこれだけグローバルするとは思っても見なかった。

70過ぎての手習いでは手遅れである。

5月19日

新聞やネット上でニュースが飛び交っているが、日本人のコレクターでもすごい人がいるもんだ。

バスキアを123億円で落札したのだから驚きである。

美術手帳WEB版から転載させていただく。

123億円! ZOZO前澤友作がサザビーズでバスキアの《Untitled》を落札

ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイ代表取締役の前澤友作が、5月18日に行われたサザビーズ・ニューヨークのイブニング・セールでジャン=ミッシェル・バスキアの《Untitled》を約123億円で落札した。

これはバスキアのオークション史上最高額となる。

今回、前澤友作が落札したのは1982年にジャン=ミシェル・バスキアが制作した《Untitled》で、落札価格は事前に予想されていた価格の6000万ドルをはるかに上回る1億1048万7500ドル(約123億円)。

これはバスキアのオークションレコードであり、またアメリカ人アーティストによる作品としてもオークションレコードとなった。

前澤は自身のInstagramで「バスキア落札しました。アートを好きになってよかった。このペインティングをはじめて見たとき、心からそう思いました。みなさんにも見てもらえる機会をつくれたらいいなと思っています」とコメント。

また、サザビーズに対しては同作を千葉に建設予定の自身の美術館で展示する意思を伝えており、世界各国の美術館への貸し出しにも言及している。

なお前澤は、2016年5月10日にクリスティーズ・ニューヨークのイブニング・セールで、同じくバスキアの《Untitled》を当時のアーティストレコードである5728万5000ドル(当時のレートで約62.4億円)で落札したことで、一躍アートワールドに躍り出た。

また、同年10月25日にはパリで開催されたオークション「ヘヴィー・メタル」セールでも、マーク・ニューソン《ポッド・オブ・ドロワーズ》を102万ユーロ(当時のレートで約1億1580万円)で落札するなど、その動向には常に注目が集まっている。

今回の落札によって、前澤友作はバスキアの世界最高額1位と2位の作品を所有することとなり、世界における「メガ・コレクター」としての知名度はますます上昇するだろう。



このように世界の大コレクターに名を連ねることになったが、亡くなった27歳当時のバスキアの作品は幾らくらいだったのだろう。

お金さえあれば有名になった作家の絵はいくらでも買えるが、無名の作家を見つけて買うのは、それ以上の値打ちがある。

地下鉄にスプレーで落書きをしていた頃のバスキアの才能を見出し、その無名の落書きアートを買ったコレクターこそ、賞賛されるべきである。

私も自分のところの作家がそうなることを願い、それを支えてくださるお客様が、その時手に入れておいてよかったと思われるようになればと夢を描いて、この仕事を続けていくのである。

5月18日

ロータリーのガバナー補佐の役目として、地区の中央分区を15クラブ廻らなくてはいけない。

大変だが、有難いのはロータリークラブでは毎週の例会で卓話という30分の講演がある。

各界からそれぞれの分野で貴重なお話をしてくださる。

自分のクラブであれば週一回だが、先週から毎日各クラブを訪問していると、大変有意義なお話を聞くことができる。

ファッションで町おこし、戒名の付け方と値段、、中国からの留学生、広島で原爆のアニメを作るまでのご苦労話、貧しいタイの山岳民族に現地で教育支援をしている方の話、著名なソムリエの世界のワインのランク付けなどなど多岐にわたり、みなさん話し上手で、30分があっという間に終わってしまう。

我がクラブでも来週は岸田劉生の孫で画家の岸田夏子さんの卓話があるが、残念ながら他クラブ訪問と重なり聞くことができない。

その分役得で他所でいいお話が聞けるので、仕事の時間は取られるが、自分磨きということで、毎日楽しみで出かけることにしている。

5月17日

ロータリークラブの地区役員が集まっての会議。

よくまあ次々に会議を開いてくれるものと呆れる。

以前にも大手商社と一緒に展覧会をやることになり、その時も朝から毎週会議で、大きいところは大変だなと思ったことがある。

例えば、展覧会の特設会場の保安のために出入り口に鍵をかけるのだが、その鍵をどれにするかがその日の会議の議案である。

何種類かの南京錠が見本として置かれていて、さてどれにするかを決めるのに大の男が雁首そろえて検討するというなんとも馬鹿馬鹿しい会議である。

要は、何か事故があった時に、これは会議の総意で決めたので、責任は私だけではないですよという責任回避のための会議である。

こんなことの繰り返しで、会議は踊るというのはまさにこのことだと思った経験がある。

ロータリーの地区の会議も責任回避のためではないが、毎回毎回同じことの繰り返しで、実りのない会議が続く。

終わると懇親会と称して、豪華な食事が用意されている。

その度に登録料を払わなくてはいけない。

所属クラブが出してはくれるが、会員数が少なく資金繰りが厳しいクラブなどは大変だと思う。

お金だけでなく時間ももったいない。

暇な人はいいが、零細の私などはいいかげんにして欲しいと思うのだが、長年の習慣なのか、改められる気配はなさそうである。

金と時間の無駄を提言してみようと思うが、さて思い通りに行くかどうか。

5月15日

この前も紹介したが、画廊の前の小公園「おもてなしの庭」の緑も色濃くなってきた。

猫のひたいのような小さな公園だが、無機質になりがちな都会の中にオアシスのような場所ができたのは何よりである。

隣の大きなビル「アートスクエアーガーデン」も名前のとおり庭園を意識していて、ビルは緑と美しい花で覆われている。

この地域が、自然と共生ということになると、画廊の存在価値もいっそう引き立つようになる。

この界隈が癒し空間として世間に知られるようになるのを願う。

今朝ふと目をとめると、野草のヤマオダマキ、ホタルブクロ、あやめが可憐な花を咲かせている。

普段山でしか見れない野草が、こんな都会で見れるとは、心洗われる思いがする。

画廊にくる楽しみがまた一つ増えた。




5月14日

今日日曜日は、私が入っているゴルフクラブのフェローシップ・エチケット委員会とコースの視察で朝6時半に集合。

私がこの委員会の委員長をしているので、寝坊するわけにはいかない。

この委員会は、競技委員会と違い、親睦を目的としたゴルフ会や親睦パーティーなどを主催したり、ゴルフクラブにおけるマナー向上やラウンド中の安全プレーの励行などを呼びかけている。

いくつかの親睦コンペがあるが、私のような下手糞がホストというのは気恥ずかしいのだが、年に4回ほど実施していて、今月末にもペアスクランブルマッチという、夫婦や親子、友人がペアーとなって、各自のベストボールを選択してプレーするという企画を予定している。

夏には、ゴルフクラブ内で、星空ライブというイベントを毎年やっていて、夏の夜のひと時をバーベキューとライブ演奏を会員やご家族に楽しんでいただいている。

今年はジャズライブを予定している。

エチケットのほうは私のマナーを振り返ると大きなことは言えないのだが、リゾート地にあるということで、名門クラブのようなうるさいマナーは出来るだけ抑え、フレンドリーなゴルフライフを楽しんでいただこうと思っている。

ドレスコードも厳しくせず、ジーパンや草履といったゴルフ場に相応しくない格好だけはご遠慮いただくことにしている。

プレー上のマナーについては事故やコース保全に支障をきたすこともあり、カート運転マナーや削った芝生に目砂を入れるようにお願いをしている。

これはTURF AIDと称し、砂は芝生の絆創膏といった意味で、あとからプレーされる方のためと、自然を保護する意味からもぜひ励行していただこうと思っている。

カート事故も多く出ていて、昨年は他クラブで、2件の死亡事故も起きており、私どもでも秋以降に3件の事故があって、負傷者も出ているので、くれぐれも安全運転をお願いしている。

こんなわけで、日曜日も駆り出され、画廊以外にもロータリーやゴルフクラブなどのんびりする暇がない。

まあ何らかのお役に立っているのだと思って、任される以上はしっかりやるつもりでいる。

5月13日

FBで椿大神社に参詣というのが出ていて思い出した。

確か以前に金沢に行った友人から椿原神社のお神酒をいただいたことがあった。

昔の電話帳などでも珍しい部類に入る名前だったが、由緒ある神社があることに驚いたものであった。

ただ、当時は友人に概略を聞いただけで、それ以上調べるすべもなく、そのまま記憶からも薄れてしまったのだが。

椿大神社というのは三重にあるらしいが、さて椿原神社がどんなものか、名前のルーツなど調べたことがなかったが、椿原神社で検索してみることにした。

当時と比べ今は便利になったもので、グーグルで一発で出てくる。

金沢五社というのがあって、その筆頭格で、江戸時代は五社参りというのが盛んに行われていたようだ。

実際は椿原天満宮と呼ばれていて、1297年に守護・富樫義親によって創立され、学問の神様菅原道真公が祀られている。

明治になって、県社に列格され、金沢市の天神町に位置する。

一向一揆のときの椿原砦の址というのが残っているので、きっと地名だったのだろう。

私の父親は滋賀県の大津のそばの草津市出身だが、金沢とも縁があったのだろうか。

どちらにしてもルーツ探しを兼ねて、一度行って来なくてはいけない。




5月12日

明日から小浦昇ベストセレクション展が始まる。

文字通りの35年前からの代表作がずらっと展示される。

1980年に版画グランプリを受賞した作品からダイヤモンド社発行の「青い月の物語」に載った人気作品が並び、殆どが一部しか残っていない貴重な作品ばかりである。

小浦の特徴である銅板では表現することが不可能のような微妙な色調のグラデーションを間近に見ていただくことで、月明かりや夜明けの情景といった光のデリケートな表現の美しさを確かめていただくと共に、少年時代の夢を具現化したようなノスタルジックな世界は、いっそうの興趣をそそるに違いない。

版画作品に限らず、どうしてもモティーフというものは単一の繰り返しになりがちだが、小浦の作品は一点一点にストーリー性や表現の多様性ががあるため、そのどれもオリジナリティーがあり、それ故に一人で多くの作品を持つコレクターも多いが、今回はそうした人たちでも手に入ることが難しかった作品も多く、既に多くの問い合わせもきていて、一日も早いお越しをお待ちしている。






作品はホームページでも紹介しているので、こちらも是非ご覧いただきたい。


5月11日

昨日からロータリークラブのお役目で私が担当する各クラブを訪問して、次年度の方針や計画などの進捗状況を聞かなくてはならず、これが手始めで一年間に各クラブを4回訪問したり、地区の委員会や協議会にも出なくてはならない。

そのため、一年間は画廊の仕事がおろそかになりがちだが、2時過ぎには戻ってこれるので、それでお客様にはお許しいただきたい。

役職は地区のガバナー補佐というもので、その中央分区を担当することになっている。

ガバナーというのが東京地区の70数クラブを担当するのだが、それを中央、東、北など6分区に分けて補佐がそれを任されていて、忙しいことおびただしく、こんな零細画廊がやっていいのかという疑問はあるのだが、任された以上やるしかない。

昨日は手始めにもうすぐ創立100年を迎える日本で一番古い東京クラブを訪問した。

300名を越す会員を擁し、財界を始めとした各界のトップクラスがずらっと在籍する名門クラブである。

そのクラブのお歴々の前で挨拶し、会長幹事を交えての懇談を持たなくてはならず、かなり荷の重い役目だったが、何とかこなして無事終えることができた。

今日は神田祭を目前にした神田クラブを訪ね、昨日と同じように挨拶し、懇談の場を設けてもらった。

大変な仕事ではあるが、普段お目にかかれない人たちと知己を得ることも出来、私にとってはいい経験をさせてもらっていると前向きに考えることにしている。

ロータリークラブとは世界の200以上の国と地域に33000を超えるクラブがあり、会員数120万人、一業種一人が原則で、職業を通しての奉仕や、地域社会への奉仕、国際的な奉仕、青少年への奉仕といった使命を持って活動をしている。

70を超えて人生勉強ではないが、晩年の糧になるよう頑張ってみようと思っている。

5月9日

私が常日頃思っていたことでもあるが、一昨年ふと目にした記事がフェースブックでシェアされていたのでその抜粋を掲載をさせていただく。


哲学者で京都市立大学学長・鷲田清一氏の東京新聞のコラムである。

深夜テレビで武田鉄矢さんの発言に思わず釘付けになった。

「子供っていうのは教室と親の見ているところでは育たない」そう言い切ったあと、「子供を教室と親の目から外すことが俺たち芸能人のなりわいなんだ」と念押ししたのである。

学びといえば人はすぐに勉強を思い浮かべる。

私は学校での勉強は、学びの基本ではなく、むしろ学びの特殊な形ではないかとずっと思ってきた。

学校では集中の名のもとに、見る、聴く以外のの感覚を封印することが求められる。

人がどんな状況にあっても、しぶとく生き延びるために必要なのは、常に全体に目を配り、微かな異変ににもすぐに反応できる、知と感受性ではないのか。

本当は全感覚を巻き込んで浸るからこそ、心地よい美術や音楽も、学校では、見ることと、聴く事という、対象から隔てられた「鑑賞」へと萎縮させられ、「とろける」と形容したくなるような、官能的な悦びからは遠ざけられる。

だから学校で習っているうちに、美術も音楽も嫌いになる。

日比野克彦さんと対談する機会があり、東京芸大で一番熱中した授業はどんなのでしたかと問うと、同大学の保健センター長で発生学者の三木成夫さんの解剖学の講義だった。

第一回目の授業はスクリーンに、不気味な顔らしきものが次々に映し出される。

それは人の胎児の数十日間で、その相貌の変化を記録した映像で、それに震撼させられたと言うのだ。

今ある社会の秩序の内部で勝ち抜くために、先生から、親から、「しっかり勉強せよ」と言われる。

しかし学びの射程は本来、それよりはるかに長いものであるはずだ。

人類の歴史は国家の歴史よりもはるかに古いからだ。

戦争や原発事故は、今ある社会の秩序がいつでも崩れるうることを教える。

人がいつ難民になるやもしれないと教える。

そんな時にあっても、しかと生き延びてゆくために、私たちが身につけておかねばならない能力とは何か。

そこから学びということを考え直す時期に、いまわたしたちはあるとおもう。

今ある社会の秩序の中でうまく立ち回れるような学校や親が敷いたレールの上を走る、ということではすまないのである。

お二人が思い描いていたのは、きっとそういう(人類史的)ともいえる「学び」の形なのだと思う。

5月8日

長い連休も終わり、今日から仕事。

連休中はゴルフ三昧だったが、腕は落ちる一方。

ついこの前まで偉そうに教えていた息子に構えが悪いだなんだと指摘され、息子のボールは私のボールをはるかに超えていく。

70の手習いで、今から遅いがレッスンを受けることにするか。

さて、連休の最中だったが、信州の梅野記念絵画館で私どもで発表を続けている伊津野雄二の彫刻展が開催されていて、ようやく見に行くことができた。

端正で静謐な作品が画廊とは違う広い空間で新たな息吹を与えられ、慈愛に満ちた作品は一層の輝きを見せてくれている。

会場に入ると、背筋を伸ばし、思わず祈りたくなるような、荘厳な雰囲気をかもし出している。

連休の最中、暖かな日差しが差し込む美術館から見る浅間山と高峰山や烏帽子岳の連山の絶景に見とれ、彫刻展とあいまって癒しのひと時を過ごさせてもらった。











4月28日A

明日からゴールデンウィークで、私のところも5月7日までお休みを取らせていただく。

と言うわけで、日記もそれまでお休みするつもりだが、あいだで長野の梅野記念館で開催中の伊津野雄二木彫展にも行く予定があるので、休み明けにはそうした鑑賞記も掲載させていただく。

また、5月13日からは小浦昇の銅板画ベストセレクション展を開催予定で、こちらは初期から近年にいたるまでの代表作を一同に紹介することになっていて、多くが一部、もしくは数部しか残っていないものばかりで、ぜひお見逃しなく、希少作品をご覧いただきたい。






4月28日

昨夜は2月にベトナムに行ったロータリーの仲間たちが15名ほど集まり、反省会と称した食事会を新宿の「ベトナムアリス」というベトナム料理店で開くことになった。

このお店は以前六本木にあったフランス料理の名店で知られる「クイーンアリス」が作ったベトナム料理店で、今のオーナーがお店を買い取り、現在は新宿の他に銀座や池袋などにもお店がある。

このオーナーが所属クラブは違うがロータリアンということもあって、格安の大サービスをしてくれた。

味も本場のベトナム料理よりは日本人向けに味付けされていて、とても美味しく、大満足であった。

ベトナムビールやワインなど飲み物も飲み放題で、飲めない私にもフレッシュなマンゴージュースなどがあり、デザートもマンゴーが丸ごと一個出てきたり、甘いベトナムコーヒーも私にはピッタリ。

店に入った時に、ふと壁に飾ってある書が目に止まった。

これは行徳哲男先生の書ではないですかと尋ねると、オーナーはどうしてわかるのという顔をして、私の経営哲学の先生ですという。

縁というのは不思議なもので、行徳先生は貧乏大学生の頃、私の父が多少の援助をしていて、私は弟と一緒に小学校の3年間勉強を見て貰ったり、夏休みには一ヶ月上高地で過ごしたこともあり、子供の頃の恩師といってもいい人であった。

先生はその後、禅を取り入れた感性を取り戻す研修セミナーを開き成功し、政財界からスポーツ、芸能界、中小企業のオーナーの人たちに多大な影響を与え、先生に心酔する人は数多いて、研修を受けた一人松岡修造の熱血指導なども先生の教えが影響しているようだ。

それだけではなく、何と今回の席にいるうちの三人が、先生の薫陶を受けていたと言うから驚いた。

逆にみんなは私が子供の頃から知っていることにびっくりしていたが。

他にもうちのクラブのメンバーの何人かは先生に学んだことがあるようで、世間は狭いものである。

食事会は旅を共にした仲間だけに、大いに打ち解け、次の旅、多分台湾になるだろうが、それを楽しみに散会となった。

4月27日

朝、混んでると聞いている草間弥生展に、小雨模様だったこともあって、多少はすいているのではと思い、出かけてみることにした。

ところが行ってみると、すでにチケット売り場は長蛇の列。

招待券をもらっているので、多少優越感で行列を尻目に入り口に向かうと、このチケットはなんと期限切れで、割引はあるのでチケット売り場で購入してと言われてしまった。

見てみると、3月30日までの期限付き招待券で、チケット売り場に今更並ぶ気にもなれず、すごすご退散。

それにしてもすごい人気である。

村上展、奈良展もそうだったが、一般の人が現代美術にこれだけ大勢見に来るとは、ただただ驚くばかりである。

日本人の美術好きを如実に表しているが、この人たちがどれだけ画廊に来てくれるかというとはなはだ疑問である。

メディアの影響が一番大きいと思うが、グッズ売り場も長蛇の列ということで、入場料を払い、そこそこの値段がするグッズを買う人が、無料の画廊には来てくれず、ましてや安い価格の作品でさえ、買うことはないと思うと、この違いは何なんだろうと思ってしまう。

もちろん私たち画廊の怠慢が一番で、昨日ご紹介したパトロンプロジェクトのように裾野を広げる努力さえ私たちはしていない。

といって、じゃぁどうしたら画廊に関心を持ってもらえるだろうかというと、いい知恵が浮かばない。

パトロンプロジェクトの代表の菊池さんは大手化粧品会社の広報を担当され、アートイベントにも関わっていたと言うことで、アートの広報活動についてお聞きもしてみたが、大手と零細の違い、それに公益事業と非公益事業ということでいくと、メディアはどうしても大手のネームバリュウのあるところととノンプロフィットを取り上げることになってしまう。

   菊池さんからはアートのPRについての資料もいただき、メディアへのアプローチ方法と掲載へのつなげ方ということが詳しく書いてあるので、これを参考に先ずは取り掛かってみることにする。




4月26日

現代アートの作家と一般の人たちが交流する場を作り、気楽に作品を購入してもらうことで、作家を支えようという取り組み「パトロンプロジェクト」について紹介させていただく。

代表の菊池麻衣子さんとはご縁があってお目にかかる機会も多く、また支援する作家の一人に私どもで発表を続ける井澤由花子がいることもあり、これは宣伝しなくてはと思っていたところに、偶々パトロンプロジェクトの資料をいただいたので、ちょこっと書かせていただくことにした。

菊池さんは東大を卒業した後、イギリスのウォーリック大学でアートマネージメントを学ばれた才媛で、ギャラリー勤務、大手化粧品会社の広報を担当した後、プロジェクトを立ち上げ、傍らアート関係のライターとしても活躍をされている。

このプロジェクトでは、パトロンというお金持ちがアーティストを支えるといった大仰なものではなく、サロンのような場で食事をしながら、若手作家たちの話を聞いたり、アトリエを訪問して、作家の生の姿を知り、その上で作品の購入につながればという、若手作家の支援とコレクターの裾野を広げることを主たる目的としている。

支援をしている作家は、30代からから40代前半の若手といわれる10名の作家たちで、会員数は約60名、多くは普通の会社員や主婦たちで、今まで画廊とかコレクションとは無縁の人たちのようである。

パトロンという以上は支援される作家たちも、一生続ける気概と常に発表活動を続けていく人でなければならない。

支援するための費用とか、支援する作家の基準とか詳しいことはまだ聞いていないが、まずは身近な作家からはじめ、無理をせず、ささやかな支援という形で続けていくと思われる。

新たな活動として、空き家にアート作品を設置して付加価値をつけ、空き家解消につなげる「アートルーム」の企画やホテルのラウンジで企画展を開くことで、若手作家の発表の機会を作るといった、画廊空間とは違った場でのキュレーションの仕事もしている。

2014年設立とまだスタートの緒についたばかりだが、これからは更なる支援作家や会員の増強、アート活動の大いなる展開を期待するとともに、私たちギャラリストも何らかのお手伝いができれば、新たなアートマーケットの拡大に繋がるのではと思っている。

今後の活躍を見守るとともに、関心のある方のご入会をお勧めする。

ご希望の方は私どもにお問い合わせいただければ、ご紹介をさせていただく。

4月25日

ヤングアート台北が終ったと思っていたら、秋のアート台北の申し込みが迫ってきた。

ヤングアートは今回は思ったような成果が出なかったので、秋のアート台北の参加も不安半分で、なるたけ費用を抑えたいと思っている。

ただいつものことだが、立体作品に人気が集まることもあり、それなりのブースの広さがないと展示ができないのと、大きなものを持っていくと人手もいることになり、それに加えて運送費用もそれなりにかかるわけで、さてどうしたものかと思案のしどころである。

そろそろ作家にも作品依頼をしなくてはならず、予定しているのは次の作家たちである。

新たな木彫作家・大島康之の作品、人気の中村萌の彫刻、塩澤宏信の陶立体、ヤングアートで話題となった牧野永美子の金属と木を組み合わせた作品、そのどれもが大きい立体作品を予定していて、平面ではこれまた台湾で人気の横田尚の大作など、何のことはない、小さいブースではとても収まりそうもなく、費用を考えると頭が痛くなる。

香港でも昨年、一人の作家の大作だけを並べ、結果はゼロで大失敗。

果てさてどうなることやら。

4月24日

台湾でお世話になっている画廊さんとその友人二人を河口湖で接待。

是非日本でゴルフをしたいということで、それではということになり、通訳さんも連れて、二日間のゴルフ、温泉、料理を楽しんでもらった。

ゴルフでは通訳さんを一緒に回らせるわけに行かず、みなさん英語もダメなので、距離や方向、グリーンの逆目順目などキャディーさんと二人で身振り手振りで教えなくてはならず、もうクタクタ。

夜は古い藁葺きの民家で、囲炉裏を囲んで、炭火でニジマスや合鴨、海老、田楽、椎茸やトウモロコシを焼いて、和風バーベキュー。
締めはほうとう鍋を自在にかけて、山梨の味を堪能してもらい、皆さんも大満足。

温泉も露天風呂に大喜びで、朝もゴルフ前に一風呂浴びたようだ。

行き帰りも車で送迎をしたが、さすがに帰りは眠気が襲い、居眠り運転をしないよう、ヒヤヒヤしながら何とか東京のホテルまで辿り着いた。

次は私を是非台湾のゴルフに招待したいという事だが、台南の方達ばかりなので、ゴルフするには相当暑いところで、覚悟して行かなくてはならない。






4月19日

今日から一週間、日本橋高島屋で金井訓志展が始まった。

独立展、私どもでの個展、アーツ前橋の出品、そして今回と昨年秋からずっと発表が続いていて、よくぞこなせたものと感心する。

私どもの古希展の折に私と画廊の名前に因んで発表した「椿」が発展して、独立展で「椿」の大作を描いた。

予定では大作3枚組なのだが、独立展でまず一枚、私どもの個展で二枚目、アーツ前橋で3枚目が完成し、今回その絵に蜂の絵を加えて完成。

私どもの個展の折に、大作の前でマリンバの演奏があって、その時に演奏された曲が「くまんばちの飛行」ということだったので、最後に椿の中に蜂を描いたということらしい。

その作品は会場の中でも圧巻で、そのインパクトの強さに圧倒される。

会場を訪ねると金井さんから外国の方を紹介される。

なんとオールドファンには懐かしい70年代に活躍し、カルピスのCMでも知られるコーラスグループ「オズモンド・ブラザーズ」の末弟のジミー・オズモンズではないか。(スタッフや現在個展開催中の服部知佳に聞いても誰も知らないのだが)

可愛い坊やだったのが、すっかりおじさんに。

確か「今はハピネス」という歌がヒット曲だったように記憶する。

この秋久しぶりに日本公演があるそうだ。

金井さんの友人のアメリカ人の友達ということで、一緒に展覧会を見に来たそうで、椿の絵の前で記念撮影。

ご存知の方にその変わり様を見ていただきたい。





4月18日

台風並みの風と雨で残っていた桜も散ってしまい、寒かった初春も終わり、これからが春本番。

ところが雨が上がるとともに、春を飛び越え夏の暑さとなり、画廊の前に出来た小公園の木陰で昼食の後ちょっと一休み。

見てみると若葉が萌え、緑が眩しいくらいである。

足元にはエビネやスミレ、一輪草、ミヤコワスレ、シャガ等の可憐な花が咲いている。

都会の片隅で、野草の花を見ることができるとは、心が洗われるようだ。

私は日本野鳥の会富士山麓支部の端くれで、一時は毎月探鳥会に出かけ、鳥を観察するとともに、地元のベテランから野草や樹木の種類を教わったものである。

それ以外にも、私一人で河口湖の周りや富士山の二合目くらいまで、図鑑と双眼鏡を持って、鳥と野草を見つけては、何という名前かを調べるのが週末の楽しみの一つであった。

鳥はそれほど多くの種類はないので、憶えようと思えば憶えられるが、野草の花や樹木は多すぎてとても憶えきれない。

ところが最近では、スマホやアイパッドで写真を撮ると、即座に名前がわかるアプリがあって、山のように買った図鑑も用がなくなってしまう。

鳥は動くのでなかなか写真におさめられないが、花は見つけさえすれば写真に撮れるので、これは便利なものができた。

5月の連休はアイパッド片手に久しぶりに野草観察に行ってみようか。



4月17日

昨日は1日ロータリークラブの大きな会議。

各クラブの次年度の会長・幹事、各委員会の委員長などに集まってもらい、それぞれの部門でその役割と方針についての勉強をしていただいた。

私は地区の役員として出席しているので、最前列に座らせられ、居眠りも出来ない上に、大勢の前で話をしろということで、超緊張。

ここ何度かこうした会合で話をさせられるのだが、緊張して話そうと思ったことの半分も言えないで終ってしまう。

業界の会合だとそういうこともないのだが、ロータリーとなると、相当のお歴々がきていて、それも各クラブの会長や地区のお偉方が多数来ているとなると、下手なことは喋れないし、気の利いたことを言おうと思っても、それがまた上手く言えずしどろもどろになってしまう。

普通に喋ればいいのだが、受けを狙おうとするから余計いけないのかもしれない。

場数を踏めば、そのうち慣れてくると思うが、仕事以外でこんな苦労をするとは思ってもみなかった。

4月16日

台湾も日曜日の午後の飛行機で東京へ向かう。

今日も今ひとつのようで、今回は期待薄。

報告では、横田尚の作品が終わり間際に売れたとのこと。

ここずっと横田の絵は片付けが始まる直前に売れている。

台湾好きの横田は、フェアーのたびに台湾にやってくるので、そのご褒美なのかもしれないが、それにしても毎回同じことが続くとは、横田神ってる。

4月15日

昨日から台北へ。

ヤングアート台北が始まり、私は視察を兼ねて一泊二日の弾丸ツアー。

私どものブースでは12名のアーティストが参加。

いつもの如くで、立体作家に人気が集まり、初日に完売する作家も出ているが、例年に比べると今ひとつだろうか。

台湾のフェアーにも翳りが見えてきたのかもしれない。

マーケットが賑わっているということで多くの日本の画廊も参加しているが、果たしてどのような結果が出るだろうか。

台北には先日日本の画廊が新たに出店し、その前にも大手画廊が支店を出しているが、思惑通りに行けばいいのだが。

夜は台湾のコレクターの方の招待で、フェアーの会場のあるホテルのレストランで豪華な中華料理をご馳走になった。

ガチョウの砂肝、魚の浮き袋、なまこ、牛すじの煮込み、酢漬けされた筍のスープ、牛肉の春巻き、小籠包、他にも食べきれないくらいの料理が出てくる。

私はこれを食べるためだけに来たみたいだ。

明日帰るのが惜しいくらいである。

これだけ食べたのだから、スタッフにも頑張ってもらわなくてはいけない。



4月14日

昨日は知人からいただいたチケットで娘婿と巨人広島戦をネット裏で観戦。

どういうわけかオレンジ色のアフロのかつらが配られて、球場はオレンジ一色。

ところが私の後ろの席に熱狂的な広島ファンの女性が二人。

まあうるさいこと。

金切り声で広島カープの応援歌や選手の名前を叫ぶ。

巨人の本拠地・東京ドームでこれだけ大騒ぎするとは、いい度胸をしている。

この二人絶対に嫁にはいけない。

だいぶ昔だが、広島でタクシーに乗った折に、ちょうどラジオで巨人・広島戦をやっていて、運転手に「巨人勝ってる」とうっかり聞いてしまった。

すると、運転手は「お客さん悪いけど料金いらないから此処で下りてくれないかな」と。

いやはや、広島ファンは恐ろしい。

あまりに後ろがうるさいので、「此処は東京だ、帰ってくれないか」と言いたいところだが、そこは広島ファンと違って、巨人ファンは紳士でなくてはいけないので、ただただ我慢するしかない。

周りのお客さんも我慢しているのだろう。

彼女たち元気なはずで、初回にいきなり4点を入れたのだから、ボルテージは上がるばかり 。

ところが巨人がだんだん追いつき、逆転すると、声も小さくなり、これでやれやれで一転リードで最終回を迎える。

ところがのところがである、抑えの投手が滅多打ちにあい、一気に逆転どころか7点も入れられてしまう。

さあ大変、大絶叫である。

後ろの二人だけだと思っていたが、周りの30人くらいいたのだろうか、一斉に立ち上がり、これまた大喜びをしている。

何と周りには彼女たち以外に隠れ広島ファンがいたのである。

どおりで、オレンジ色のアフロヘアーをかぶっていないわけだ。

彼女たちの絶叫を文句も言わず黙って聞いていたのも納得。

巨人の最後の攻撃を見ることもなく、すごすごと身を縮めて退散することに。

巨人の本拠地で、これほどの屈辱を味わうとは。

しっかりせんかい巨人軍。



4月12日

今日は私どものロータリークラブの創立60周年の記念式典。

丁度私がロータリークラブに入って翌年に20周年記念があり、新宿区の中央公園にブロンズ像を寄贈したのが思い出されるが、それから40年が過ぎたことになり、私も古参の会員となってしまった。

記念写真も入会順ということで、最前列に座らせられると、思い切り年寄りになった感じがする。

式典の記念講演を、私たちクラブが支援をし、私もその一人だがタイの貧しい山岳民族の子供たちの里親になったり、教育施設を作ったりしているさくらプロジェクトという支援組織の代表で写真家の三輪隆さん、ベトナムで私たちも支援をしている、極貧の子供たちのための教育援助・青葉奨学会の代表であるグエン・ホウエイさんにしていただくことになった。

ホウエイさんは他にもドンズー日本語学校を開設し、現在6000名のベトナム人が日本語を学んでいる。

ご本人が国費留学生として京都大学、東京大学で学んだことがあり、日本のために役立つ青年たちの育成をしている。

ドンズーとは漢字で東遊と書き、日本に学べという意味だそうだ。

もう一つ、毎年150人の青年を日本の国立大学に送り出していて、その奨学資金をホウエイさんは援助していて、ベトナムと日本の架け橋になくてはならない人である。

お二人の講演は胸打つものがあり、大勢の来賓の方も感動され、心に残る記念式典となった。

終えての記念祝賀会も大いに盛り上がり、実行委員の会員たちにはただただ感謝である。

次の70周年まで、私も入会50年の節目を迎えることになるので、何とか元気で在籍をしていたいものである。




4月11日

昨日に比べると雨も小降りになったが、風が強く、ゴルフには決していいコンディションではないが、ここまで来た以上はやろうということになり、ゴルフ場へ向かうことに。

寒さも思った以上で、昨年の指宿でのゴルフの折の寒さを思い出す。

その時はあまりの寒さに午前を終えると食事もそこそこに風呂に入り、サウナにまで入って体を温めてから、午後のラウンドをすることになったが、すっかり湯冷めをしてしまい、東京に帰ると熱が出てきて、3日ほど寝込むことになってしまった。

今回はその二の舞にならないように注意して廻ったが、それにしても寒い。

車の運転手さんに聞くと、お客さんたちは勘違いをしていて、本州最南端と思っていたら大間違いで、西に向かっているだけなので、思うほどに暑くはなく、雪が降ることもあるそうだ。

何とか無事終了して、今回はゆっくりとゴルフ場の温泉で体を温め、東京に帰ることに。

帰ってみるとこちらも震えるくらいに寒い。

画廊を休んではいけないという、神様の仕打ちなのだろうか。

4月10日

案の定、強い雨でゴルフは明日に延期。

ということで、観光組と一緒に知覧へ。

昨年初めて特攻隊の基地であった知覧を訪ね、戦争の悲惨さと平和のありがたさを心に刻んできたが、改めて今回再訪してみて、今の北朝鮮やシリアなどの国の状況と同じように、子供や若者が狂気の指導者によって翻弄される恐ろしさを痛感させられた。

戦争なんて、今の私たちには遠くのことと思っていたが、身近でミサイル発射や核実験が行われると、他人事ではない恐ろしさを感じる。

事実、仕事上韓国にしょっちゅう出かけるが、外務省から韓国に行く時は姓名を申告して行くようにとの通達があったり、米軍空母や原子力潜水艦が北の挑発があれば、いざという構えになっている現状を考えると、おちおちと韓国にも行ってられない。

知覧には多くの高校生が来ていて、こうした若者が祖国のために散っていった同世代の青年たちをどのように思いやり、今あることにどのような気持ちを抱いているのかを聞いてみたくなる。

また中国からの観光客も大勢来ていたが、彼らはどのような思いで、この知覧を訪ねたのだろうか。

隣国が未だに戦時を引きずっていることを考えると、真の平和とはいつ訪れるのだろうと考えさせられる。

せめて此処を訪ねた中国や韓国の人達が、二度とこんなことがあってはならないとの思いを抱いて、母国に帰ってくれることを願うばかりである。

4月9日A

観光は晴れ間も見えて暖かく、昨年も行った島津家の庭園・仙厳園を見に行き、その後に薩摩きりこの工房を覗く。

昨年、案内してくれた女性が私のことを覚えていたのには驚いた。

私もすぐに思い出したが、普通に道ですれ違っていたら、多分気がつかないだろう。

ホテルは城山観光ホテルで、部屋の窓から桜島が真正面に見える絶景。

ここの露天風呂も桜島を眺めることができ、雄大な景色を見ながらの温泉は極楽極楽。

夕食は「吾愛人」と書いて、わかなと呼ぶ薩摩料理の有名店。

黒豚しゃぶしゃぶの美味しいこと、他の郷土料理も堪能。

終えて、女性軍のたっての希望で、私は知らなかったが、全国でもよく知られる「無邪気」というお店の「白熊」というかき氷を食べに行く。

ものすごいボリュームのカキ氷だが、女性軍はペロリ。

朝のホテルのバイキングもここぞとばかり食べていて、その食欲に呆れるばかり。

学生時代からの友人たちなので、見栄もへったくれもない。

おしゃべりもまあ賑やかなこと。

気の置けない友人たちとの旅に、心身ともにリラックス。

明日の天気だけが心配。





4月9日

大学のヨット仲間と鹿児島へゴルフを兼ねた観光旅行。

昨年ロータリーで鹿児島旅行した時も寒さと大雨にたたられたが、今回の二泊三日の旅も予報を見ると、ずっと雨。

先月のベトナム旅行も乾季にもかかわらず、三日間雨にたたられ、その上寒くて震え上がったが、どうしてこう遊びに行こうとすると、雨に遭うのだろうか。

仲間も私がいるので、仕方がないと諦めている。

鹿児島は高校の時にヨットのインターハイがあって行ったことがあるが、今から53年前のことだから半世紀を過ぎたことになる。

初めて見る桜島の雄大な景色に圧倒されたことが未だに思い出される。

錦江湾でレースが行われたが、船にこつこつと音がするので何だろうと思って、海を覗いてみると、桜島からの噴火によるものなのだろうか、軽石がいっぱい浮いているのに驚いたのも思い出の一つである。

当時は東京から鹿児島まで、今のような新幹線もない頃なので、固い椅子におそらく丸一日乗っていたのではないだろう。

駅弁を5回ほど食べたと思う。

帰りは列車が混んで、列車の間の通路に寝て帰ったのも懐かしい思い出である。

今日は飛行機で1時間半で着いてしまうのだから、隔世の感がする。

4月8日A

パトロンプロジェクトを主宰し、アートの普及に尽力されると同時に、ライターとして美術館や画廊での催事の紹介記事を書いておられる菊池麻衣子さんから私にインタビューの依頼があり、そのおりの記事がWEBサイトにアップされたので、紹介させていただく。

ただ、ギャラリー界の貴公子と紹介され、これは気恥ずかしく、誇大広告気味なのだが。

「男子専科」という雑誌のWEB版の記事だそうで、この雑誌は私が若かりし頃には「ダンセン」と呼ばれ、「メンズクラブ」などとともに、メンズ・ファッション誌として一世を風靡し、掲載されたファッションに若者たちはあこがれ、コンチ・アイビーファッションなどの火付け役となったものだが、まさか未だこの雑誌が顕在だったとは驚きである。

聞いてみると、1993年から20年にわたり休刊し、2013年に復刊されたそうで、当時の若者が50、60代となり、かっこいい大人になるための雑誌に生まれ変わったようだ。

菊池麻衣子

男子専科WEB版『紳士のためのアートデート』にスペシャルインタビュー記事を掲載させていただきました☆

今回ご出演いただきましたのは、☆ギャラリー界の貴公子 椿原弘也さん☆70年代のアートブーム、作品の値段暴落、37歳で家族とともにお父様のギャラリーを飛び出して独立、風呂敷画商から初めて半年で銀座にギャラリーを開いて35年!

 ギャラリー経営のお仕事に加えて、アジアパシフィック画廊協会や全国美術商連合会の役員としての活動も精力的にこなす椿原さんにお話を伺いました。本日4月8日からギャラリー椿さんで始まる「服部知佳 PARALLEL WORLD」展もご紹介しています!この機会に是非訪れてみてはいかがでしょうか!

詳しい記事はhttp://danshi-senka.jp/からご覧いただきたい。





4月8日

せっかく咲いた桜も、途端に強い風や雨で散ってしまうのではと、気が気でない。

ぱっと咲いてぱっと散る、桜の定めで、それだけにつかの間の美しさに日本人は酔いしれるのだろう。

ツバメの巣や松茸も溢れるように採れれば、飽き飽きして美味しくもなんともない。

桜も同じで一年中咲いていたら、感激も薄いだろう。

散る桜、残る桜も散る桜。

良寛の辞世の句で、特攻隊の遺書にも散見されるが、命に限りはあるが、その限られた命の輝きは何物にも変えがたいという意味なのだろうか。

そんな中、画廊は春爛漫である。

既に紹介した服部知佳の新作が画廊に並び、それは華やかで心浮き立つような心地がする。

発光色ではないが、油絵の具を何度も塗り重ねることと、微妙なぼかしを入れることで、独特の発色のある色合いが生まれる。

特に今回は彩度が増したようで、妖艶な彩りが心を震わせ、桜同様に何故か艶めかしい気持ちが昂ぶる。

今日から2週間は画廊で咲き続けるので、色香が散る前にぜひお越しいただきたい。










4月7日

4月14日からヤングアート台北が始まる。

今回出品する作品を紹介させていただく。


伊藤知世・横田尚・岩淵華林



塩澤宏信・高木まどか・浅井飛人



新藤杏子・森洋史・内藤亜澄



中村萌・牧野永美子・佐藤未希




4月6日

今日はお客様の見舞いに行く以外何もないので、先日ロータリーの仲間と行った同じ駒場公園の桜見物のダブルヘッター。

この前はまだ咲き揃っていなかったが、今日は満開で春爛漫・春真っ盛りといったところだろうか。

朝の10時になるが、殆ど人を見かけず、ブルーシートもなく、当然酔っ払いもいなくて、あまり教えたくないが、ここでの花見は超穴場である。

来てもほとんどが引率されてくる幼稚園や保育園の子供たちである。

ここの旧前田邸の洋館にあるカフェでコーヒーを飲みながら、窓越しに見える桜もまた格別なのだが、今年はリニューアル中で屋敷の中には入れないのが残念。

館内を以前の写真で紹介させていただく。

そこから同じコースで東大の構内に入り、ここでも満開の桜に酔いしれ、正門前にある駒場東大前駅から電車で渋谷に向かう。

先日の集まりで、待ち合わせ場所がわからない仲間がいて、東大側の改札・東大口を「ひがしおおぐち」と読んで探してたそうで、大笑い。

云々をでんでんと読んだ某首相もいて、間違いは誰にでもある。

渋谷駅で岡本太郎の大作を横目に見ながら、地下鉄で画廊へ出勤。

眼福の朝であった。





4月5日

山本麻友香展、岡本啓展が終ったと思っていたら、息つく暇なく次の展覧会が土曜日より始まる。

三年ぶりとなる服部千佳の個展で、彼女は一年ほどニュージーランドに行っていて、豊かな自然の中で暮らしたことで、作風にどんな影響が出るのかを楽しみにしていた。

微妙な色調が織り成す独特の色感と透き通るようなマティーエールが彼女の魅力だが、今回案内状候補として届いた三点の作品を見てみると、更に色感、色調ともに深まり、進化しているように思える。

  桜の花も満開となったこの時期に、浮き立つような華やかさとは違うが、それでも薫りたつような艶やかな色合いは、春の乱舞といった雰囲気をかもし出している。

服部の色香に酔いしれていただければ幸いである。



4月4日

今日はロータリークラブのお花見。

絶好の天気で、これ以上ないお花見日和となった。

総勢30名で、駒場・松涛近辺を散策しながらのお花見を兼ねたぶらり旅。

丁度私の家から近く、毎朝の散歩コースにもなっているので、私には見慣れた景色だが、東大教養学部駒場キャンパスで2年間勉強をした仲間数人も勉強ばかりして?周辺を見て回ることがなかったようで、他もみんな初めての連中ばかりで、閑静な佇まいの中を長閑なぶらり旅を楽しんだ。

先ずは、駒場野公園、続いて駒場公園、東大構内の桜を見る。

まだ咲いていない木もあり、全体で見ると6,7分咲きといったところだが、それでも青空に映えるピンクの桜は、日本人ならではの季節感を感じさせてくれる。

お昼は東大構内にあるとは思えない瀟洒なフレンチレストラン「ル・ヴェソン・ヴェール」で美味しい料理とワインを堪能。

お腹が膨らんだところで、松涛の高級住宅街を抜けて、私どものメンバーでもある戸栗氏の戸栗美術館を訪ねた。

ここは東洋陶磁器コレクションで知られる美術館。

鍋島藩の屋敷跡、超一等地の500坪の敷地に美術館は建っている。

丁度30周年記念展「柿右衛門展」が開催されていて、学芸員の説明を聞きながら柿右衛門の独特の赤を基調にした色絵染付けを鑑賞した。

初めて知ったが、有名なマイセンの絵付けも柿右衛門から影響を受けていて、模倣した作品が柿右衛門の作品とともに展示されている。

また古九谷は金沢が発祥の地と思っていたが、調査の結果、有田から多数の九谷が発見され、佐賀・有田が九谷の発祥の地であることが証明された。

この展示は4月15、16日のNHK日曜美術館で紹介されることになっている。










4月2日

昨日はニュージーランドに行っていた孫の遅めの七五三。

長男が5歳のときに着た紋付はかまがそのまま置いてあり、それを出してきたがぴったり。

孫娘は向こうの両親が新調してくれた。

二人ともよく似合っていて、近所の写真スタジオで記念撮影。

以前は写真館で撮ったもので、ワンカットで高いお金を取られたものだが、今やデジタル時代。

着付けや頭のセットまでしてもらっても写真館のワンカットと変わらない値段には驚く。

これでは街の写真館で、大仰にフラッシュたいて、エイトバイテンの大きなカメラで暗幕かけて撮影するなんてことはなくなってしまうだろう。

フィルムも売れない、現像もネットで簡単にできる、写真館の生き残る道は険しい。

近所の氏神様・代々木八幡神社で祈祷を受けるが、外にはお参りに来ている若者で長い行列ができている。

日曜日ということもあるのだろうが、ここはパワースポットとして巷間でも知られていて、若者が大勢参拝に来るようだ。

因みにここは小説家の平岩弓枝の実家でもある。

すぐそばの明治神宮内苑にある清正の井戸という小さい井戸もパワースポットで知られ、こちらも開門前から長い行列ができている。

写真館のような古いものが消えていきつつある反面、若い子がこうした神頼みを信じてやってくるのも、今の世相の一つなのだろうか。




4月1日

今日はエープリルフール。

エープリルフールで思い出すのは、ある美術評論家が、美術雑誌に4月1日をもって東京都現代美術館が閉館することになったと書き、大騒ぎになったことがある。
気の利いた嘘ならいいが、一般公開されている雑誌に書いたこともあって、美術館は怒り心頭だったそうだ。

これはだいぶ前だが、画廊の机に八木さんから手紙が来ていて、こちらに連絡をと電話番号が記してあった。
手紙をくれた八木さんですかと電話すると、こちらは上野動物園で、ヤギはたくさんいますが、うちのヤギはお手紙出していませんとの返答が。

こういう嘘なら許せる。

忙しい最中にふざけた電話だと思っただろうが、怒らずに洒落た対応で上野動物園に座布団一枚。

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