ギャラリー日記 2015年7月〜9月 |
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●9月30日 明日は高校の友人達とゴルフだが、案の定雨の予報が出ている。 秋晴れの日が続いているのに何故といいたくなる。 明後日よりはいいようだが、テルテル坊主を用意しなくてはいけない。 土曜日には続いて高校卒業50周年記念の集まりがあり、卒業生の6割ほどが出席を予定している。 周年記念もこれが最後だそうで、60年、70年となると出席も多くは見込めないこともあるのだろう。 我がクラスも42名のうち既に9名が亡くなっていて、他もやれ前立腺だ胃や大腸の癌だというのも多く、病気でなくても股関節や膝の関節にガタが来て、杖をついているのもいる。 振り返って我が身を考えると、有難い事に五体満足、病気で寝込むこともここ数年全くなく、衰えるのは頭のほうだけである。 それでもクラスメートだけでなく、他のクラスの連中ともやれゴルフだ、やれ飲み会だと会う機会も多く、元気なやつはますます元気で、中には70目前なのに、現役で野球やラグビーのシニアの試合に出ているのもいる。 多くの高校の仲間と50年経っても、こうして元気で会えることに感謝しなくてはいけない。 ●9月29日 のんびりしていたが、来週月曜日にはソウルのフェアーKIAFに参加のため出発しなくてはならない。 今回は山本麻友香とキム・テヒョクの二人展で参加する。 山本は新作7点の他、釜山の春の個展に出品した作品及びドローイングを展示する。 キムは私どもでは初めての参加で、東京芸大の版画専攻科博士課程を卒業し、版画と油絵を制作しているが、今回は油絵の大作をメーンに展示する予定である。 今回のKIAFは日本招待年となっていて、20軒を超える日本の画廊が出展する予定である。 招待年ということで、航空運賃、1週間の滞在費、ブース代の割引その他をサービスしてくれることになっている。 更には、私どもが推薦したコレクターを3組、これまた航空運賃と高級ホテル3泊を招待してくれることになっている。 日本のフェアーではこれだけ手厚いサービスは考えられないが、行政の支援や企業の協賛により、こうしたことが可能になっているのだろう。 日韓関係が難しい時期に、日本に対しこれだけのサービスを韓国画廊協会がしてくれることは、政治と文化は別であるという韓国側の強いメッセージと受けとってもいいのではないだろうか。 先日もロータリークラブの日韓親善会議が東京で開催され、韓国から400名、日本から1100名のロータリアンが参加し、盛大な親善会議となった。 相互にこうした交流を通して理解を深め、隣国同士が手を携え、未来に向けてより良い関係を築いていければと思う。
●9月28日 呉亜沙の佐藤美術館の所蔵作品が日和聡子「校舎の静脈」新潮社刊の表紙絵に使われた。 呉にとっては初めての装丁画となった。 「五反野ー青井高校とメダカの亡霊達」というタイトルの作品で、日常のあわいに織り紡がれる4つの幻想譚の一つの「校舎の静脈」にぴったりの作品である。 装丁では、私どもで発表している望月通陽や木村繁之は数え切れないくらいの装丁本があるが、現在開催中の高橋舞子などは一度装丁の声がかからないかと心待ちにしている。 確か岩渕華林も以前に同じようなことを言っていたが、一度使われると、次々に声がかかり、今や連載の小説の挿絵や新たに二つの装丁本が発刊されることになっている。 呉もそうだが、高橋も一度声がかかれば次々に話が来るに違いない。 大したギャラではないが、画廊で見るよりは露出度は高く、そこからファンに繋がるケースも多く、どの作家も話が来るのを楽しみにしている。 丁度、期を同じくして、屋敷妙子も姜信子「はじまりはじまり」羽鳥書店刊の挿画に使われている。
●9月26日 ヨゼフ・チョイのオープニングパーティー。 うちは滅多にオープニングパーティーをやらないが、海外から折角来てくれていることもあって、久しぶりのパーティーである。 本人も初めての来日で、知り合いもいないこともあって、私どものお客様だけでどれくらい来ていただくか不安だったが、何とか格好がつく程度のお客様に来ていただき、ほっと一安心。 私が酒を飲めないこともあって、オープニングパーティーはあまり得意ではなく、またやってもお客様より作家さんたちが多く、仲間内の懇親会になりがちで、出来るだけやらないようにしている。 フランス在住のヨゼフだけに、向こうではオープニングパーティーはさぞかしにぎやかな事だろう。 幸いOさんがプロデュースするポップシンガーが来ていて、お祝いの歌をプレゼントしてもらい、大いに盛り上がった。 隣の高橋舞子展が大好評で、殆ど完売となっているので、是非あやかってこちらもそれに繋がることを期待している。 ●9月25日 ヨゼフ・チョイの展示を終えた。 以前に持ってきた大作以外は、彼と友人の二人でハンドキャリーで持ってきた。 コンパクトにパッケージされていたので、それほどたくさん持ってきてないと思ったが、開けてみると出てくるわ、出てくるわで、何と60点。 果てさてどう飾ったものやら思案のしどころ、とても全部は飾れないのでそこから20点ほどを間引くことにした。 人物と室内風景に分けて、小品は上下に飾ることで、何とか収まり、とてもいい展示となった。 是非やりたいと思っていた展覧会だったが、こうして並べてみて、この個展を企画し本当に良かったと思っている。 昨日も作品から気配を感じると書いたが、作者も空間から漂う空気感をくみ取ってもらえたらと言う。 それと、日本人のような緻密な色彩や質感ではなく、大胆なタッチで表現をしていて、色や質感も大雑把に描いているようだが、実際見てみると、色彩も質感も深く美しく、透明感さえ感じさせてくれる。 パリ在住23年というから、韓国や日本人の表現ではなく、ヨーロッパ的な表現に大きな影響を受けたのだろう。 是非是非、この展覧会を多くの人に見てもらい、ヨゼフ・チョイの世界をじっくりと味わっていただきたい。
●9月24日 パリ在住の韓国人作家ヨゼフ・チョイの日本初の個展が土曜日から始まる。 後姿の人物像でその人となりをイメージさせたり、殺風景な室内風景の中に人の気配を感じさせたりとイマジネーションを膨らませてくれる作品が並ぶ。 一昨年のソウルのアートフェアーKIAFで一目で気に入り購入したのがきっかけで、今回の個展に結びついた。 渋い色合いと描かれている空間の雰囲気に魅かれ、思いは通じるで、偶々同じ韓国作家でソウルやテグ、光州のフェアーで紹介しているリ・ソンスー君と以前からの知り合いということがわかり、早速に紹介をしてもらった。 おそらく誰も知らない韓国人作家だが、是非多くの人に見ていただきたい展覧会である。
●9月19日 道を隔てたLIXILギャラリーで間島領一の食をテーマにした展示会が開かれている。 間島は引っ越す前の私どもの画廊で何度か展覧会を開き、その度に意欲的な作品を発表してきた。 最初は動いたり、音が出たり、匂いが出たりと摩訶不思議な立体を発表し、一躍注目を浴びた。 その後もマジカルグラフという間島オリジナルの版画を私どもで発表したり、昔のミズマアートで画廊を全部コンビニストアに模して、マジマートと題した展覧会を開いている。 それ以降は水戸芸術館の個展など美術館での企画が多くなり、画廊で発表しないとお客さんに繋がらないよと言っているのだが、中々お神輿を上げない。 ようやくの画廊での発表となったが、ここも非営利の画廊で、コレクションとして納めることができないのが惜しい気もするのだが。 作品は昨日見たニキ・ド・サンファールに通じるカラフルでダイナミックの作品である。 ニキを収集した増田氏も私どもから間島作品をいくつか購入してもらっていて、ニキと同じ感性を汲み取っていたのだろう。 雄鶏・雌鳥の椅子と目玉焼きのテーブル、まな板に乗った養殖された深海魚と間島独特のユーモアーとアイロニカルな作品が並ぶ。 画廊の目と鼻の先なので、是非ご高覧を。
●9月18日 ニキ・ド・サンファール展圧巻である。 ニキの多様な表現、眩いような色彩、ダイナミックな造形、全てに魅了された。 それ以上にすごいのが故増田静枝氏である。 広い美術館の会場の殆どの作品が彼女のコレクションである。 一人の作家の作品に出会い、それをきっかけに巨大な彫刻作品を中心に蒐集をはじめ、世界で唯一のニキ美術館まで那須に造ってしまったのだから。 ニキとともに京都に旅行し、その時に見た寺社の仏像に感動し、そのインスピレーションから作られた仏陀像は写真撮影が許されたので掲載させていただく。 ニキが造ったトスカーナにあるタロットガーデンはニキのすべてが織り込まれた夢のような庭園で、ここで二人で撮った写真が光り輝くようで、何ともいい写真である。 私も是非北イタリアに旅行をし、タロットガーデンを訪ねてみたいと思っている。
●9月17日 大雨・洪水、噴火と自然の猛威が続いている。 昨日、家に東京都から防災ブックが届いた。 備えあれば憂い無しだが、こういうのが届くと自然災害が現実味を帯びてくる。 東北の地震の時に慌てて用意した防災グッズや備蓄食料はそのままになって見もしないでいるが、一度点検をしなくてはいけない。 食料品などはとっくに賞味期限が過ぎているだろう。 夕方からは新国立美術館で、「ニキ・ド・サンファール展」のレセプションがあるので出かけることにしている。 雨が相変わらず降っているが、新国立美術館は乃木坂駅から傘を差さずにいけるのでありがたい。 ニキの収集に生涯を捧げ、那須に美術館まで造った故増田静枝氏にとって、改めてこうして国立美術館で展覧会が開催されることは、無上の喜びに違いない。 お嬢様の黒岩有希さんが増田さんの伝記を執筆し、今回刊行されることになったので、ニキ作品とともに伝記を読んで、増田さんを偲びたいと思っている。 ●9月14日 コレクターのYさんがFBでギャラリーストーカー「芸大おじさん」について、若い女性作家さんに注意するよう呼びかけている。 偶々私のところにYさんが来ているときに、いつも現れるそれらしきおじさんがやってきた。 二人とも「芸大おじさん」がどの人なのかは定かでないので、その人かどうかははっきりしなかったが、後からのYさんの知らせで、その人がどうやら「芸大おじさん」と言われている人であることがわかった。 私どもでもスタッフには話しかけないが、女性作家さんには色々と質問をしていたので、それとなく気にはなっていたのだが、まさかその人だったとは。 若い女性の作家の展覧会だけに現れて、長い間話し込んで、時には住所を聞き出しプレゼントを送ってきたりと、怪しげな行動をするらしい。 別の人だそうだが、女子美の展覧会だけ現れるのもいるという。 「芸大おじさん」は地味で小柄で胡麻塩頭、いつもうつむき加減に画廊に入って来るので、注意してみていると多分気がつく人も多いだろう。 こういう類の人やパーティー荒らしといわれる人はいつもいて、絵を買うわけでもなく、女性作家に擦り寄ったり、ただ食い、ただ飲みをしていくので、画廊でも迷惑している。 だいぶ昔だが、ホームレスのような人が現れ、画廊に座って動かないので注意すると、やっとのことで出て行ったが、何とソファーにおしっこをしていた。 私も新宿時代に引っかかったが、地方に美術館を造るので、若い作家の大作を見せてくれないかと言う手合いもいた。 ありがたい話と作品を見せているうちに、この辺で美味しい天麩羅か鰻を食べさせてくれるところはないかと言う。 遠くからわざわざ来ているので、そばの天麩羅屋さんに連れて行ってご馳走をした。 終わって画廊に戻り、いくつか候補を挙げて、連絡先を置いて帰っていった。 返事がないので、しばらくして置いていった連絡先に電話をすると全くの別人が出てきて、初めて騙されたと気づくのであった。 銀座の画廊も何軒かやられていて、日曜日にスタッフ全員で大作を飾って待っていたり、料亭でご馳走をした画廊もあったという。 大した被害ではないが、こういう手合いが時々出てくるので注意をしなくてはいけない。 若い女性の作家さんもうまい話には決して乗らないように、しつこいようだったら画廊のスタッフに来てもらうこと。 画廊にとって一番困るのは、何年もお金を払わずに、コレクターと称する手合いである。 ●9月13日 東京ドームで巨人戦を観戦。 エキサイトシートはネットがないので、グローブとヘルメットが置いてある。 これで飛んできたボールを受け止めるのだが、そうは飛んでこず、グローブもヘルメットも重いし暑苦しいのでいい加減で取ってしまう。 一緒に行った友人は張り切って暫くつけていたが、こちらも結局は外してしまった。 友人はヤクルトファンで、誘われた都合上巨人のチャンスの時など一緒に拍手をしているが、心の中では巨人負けろと思っているに違いない。 スマホでヤクルト戦の試合経過ばかり気にしている。 ファールボールが友人の頭に当たればいいとひそかに思った。 私が見に行くと、かなりの確立で巨人が負けるのだが、今日は幸い横浜に3対0の完封勝ち。 終わって、まだ早いのでお茶でも飲みに行くかと誘ったが、おそらく友人は落ち込んでいるのだろう、夜に約束があるとか言って、さっさと帰ってしまった。 尤も、20何年ぶりに巡ってきたヤクルト優勝のチャンスだけに、友人の気持ちも分からないではない。 友人に肩を持たせて、優勝はヤクルトにあげてもいい(阪神だけは絶対に駄目)、そしてクライマックスでギャフンと言わせてやろう。 それにしても今年の巨人は不甲斐ない。
●9月12日 昨日、大学のヨット部のS先輩の七回忌が北鎌倉の東慶寺で営まれた。 6年前の9月に癌が再発し、治療の甲斐なく亡くなられた。 そのひと月前に宝塚歌劇団におられるお嬢さんが宙組のトップに就任したが、その記念の公演の晴れの舞台を見ることなく逝ってしまった。 物静かだが、おとこ気のある先輩で、私が新たに画廊を始めたときにも、おそらく応援のつもりだったのだろう、たくさんの絵を購入していただいた。 その恩返しも出来ないままに逝かれてしまったが、今回追悼文集が発刊されることになり、感謝を込めて早速に寄稿させていただくことにした。 タイトルも「おとこ気の人」となっていて、多くの人がそうした人柄に触れている。 穏やかで物静かな先輩に相応しく、北鎌倉の静謐な森の中にお墓があり、墓前に手を合わせ、今一度感謝の言葉をお伝えせていただいた。
●9月11日 GTUで明日からの高橋舞子展の展示が始まった。 夏目展同様にファンの方が初日を待ちきれずにお見えになって予約をされていく。 暗闇の作家と言ったらいいだろうか、夜の森の情景を彼女は描く。 かすかな月の光やほのかな灯りに浮かび上がる神秘的な情景である。 日本画は別にして、若い作家の殆どが人物画を描く中で、風景画を題材にしている作家は今時珍しい。 彼女の描く風景は、自分の故郷をイメージしたデッサンをいくつも描き、その中から選んだものをまず立体にする。 その立体をいろいろな角度から写真に撮り、納得いく写真を選んで、それを油絵に起こしていくという、手間のかかる工程をふむ。 具象画には違いないのだが、従来のアカデミックな風景画とはどこか違う。 どう違うと言われると難しいのだが、近代美術ではなく、やはり現代の絵画なのだろう。 実際に写生をしたり、風景を写真にとって描くのとは違い、プロセスを経ることで、自分のイメージが風景に付加されていく。 今開催中の夏目も決して一般受けする絵を描いているわけではないのだが、大作以外はほぼ完売で、高橋もおそらくそうなる予感がしていて、時流に流されず、こうした作風を支えてくださるお客様がいることを大変ありがたく思う。
●9月10日 昨夜は大雨の中をお客様のところに作品のお届け。 30年来のお付き合いをさせていただいている方で、来てくれといわれれば、雨が降ろうが槍が降ろうが行かねばならない。 コレクションも最近は立体作品が多く、自宅には所狭しと立体作品が飾られている。 今回も先日個展をした高木まどかのオブジェ作品や、オークションで落としたモビールなどが新たなコレクションに加わった。 根幹を成すコレクションは若林奮や加納光於、そして一番多いのが小林健二の平面・立体で、120号の大作が玄関にどーんと飾られているのを始め、リビングや自宅内にあるギャラリーにも100号クラスの作品が数多く飾られている。 最近のお気に入りは、韓国の彫刻作家リ・ユンボクの鍛金作品で、自宅ギャラリーに小林健二や加納光於、若林奮などとともに展示がしてある。 一階の廊下や中庭には青木野枝や岡本敦生の大きな彫刻がこれまた所狭しと置かれている。 最近は大作は飾る場所がなくて購入することはあまりないが、小オブジェは有名無名を問わず買ってくださる。 立体はよく飾るところがないのでと敬遠されがちだが、逆に平面は壁がなければ飾れないわけで、立体は床から本箱、靴箱の上まで飾る場所は探せばいくらでもある。 我が家も飾ってあるのは立体のほうが多い。 お客様も実に見事に立体作品を展示していて、コレクションだけではなく、展示も楽しみの一つと言う。 リーユンボクが飾られている写真を紹介する。
●9月9日 台風が静岡あたりに上陸したようで、今日は朝から強い雨が降っている。 伊豆地方はかなりの大雨で、友人達との旅行は幸い台風だけは避けることが出来た。 それにしてもお盆明けからは、雨の日が多くて涼しいのは有難いが、日照不足で野菜の生育に影響が出ているらしく、しばらく行っていない私の畑も多分駄目になっているだろう。 そろそろ海外のフェアーの準備が始まり、ソウルのフェアー用の山本麻友香の作品は昨日船便にて発送した。 今回は山本麻友香とキム・テショクの二人展で参加する。 続いて、台北のトイフェアーというのがあって、これは昨年に続き中村萌が招待されていて、新たなフィギュアー作品とともにオリジナル作品を展示することになっている。 一緒に横田尚も参加する事になり、初めての立体作品に取り組んでいる。 その後すぐに台北フェアーがあり、こちらも近々発送の準備に取り掛からなくてはいけない。 年内はそれで終わりだが、来年三月の香港セントラルフェアーのセレクションに通ったとの連絡が来ていて、こちらは森口裕二の大作を並べることにしている。 同じ時期に香港の画廊で山本麻友香の個展が予定されている。 続いて、初めてだが東京国際フェアーにも参加を考え中。 自分のところの企画展と並行しながら、フェアーへの参加も続き、相変わらずスタッフは目の回るような忙しさである。 そんなこともあって、長年アルバイトに来てくれていた田中裕之が新たにスタッフに加わることになった。 美術好きの青年で、オークション会社でも長年アルバイトをしていたので、有力な戦力になると期待している。 ●9月8日 日、月と高校時代の友人達7名と伊豆・赤沢温泉郷へ行ってきた。 相変わらずの雨男で、遊びとなるとどういうわけか雨にたたられる。 車2台に分乗し、途中魚料理屋に入り、カワハギや金目鯛の刺身、アジのたたき、小あじのから揚げ、生シラス、あら汁などなどを注文、新鮮な魚に舌づつみ。 ホテルは広大な敷地の中にあって、目の前に広がる海景は絶景。 早速露天風呂に。 雨だれが頭に降り注ぎながらの文字通り頭寒足熱の露天風呂もまた格別である。 食べたばかりなのに、また夕食。 こちらも海鮮尽くしで、昼、夜と相模湾のピチピチ・プリプリの魚や貝に一同大満足。 この10月に高校卒業50周年式典があるが、半世紀たっても皆変わらず、当時のままに悪餓鬼に戻り、馬鹿話に花が咲く。 伊豆近辺は大雨洪水注意報が出て、夜半から朝にかけて土砂降りだったが、私以外の念力が通じたのか、何とかゴルフをやる頃には雨も上がり、スタートすることになった。 とは言え、私の雨力も負けてはいず、終わりごろにはまた土砂降りとなったが、無事ラウンドすることが出来た。 雨には強い私のこと、スコアーはダントツで、好天気でもめったに出ない80を切るかと言う好スコアーで友人達を呆れさせた。 こうして二日間、天気には恵まれなかったが、気の置けない仲間たちとの二日間を堪能させてもらった。
●9月5日 夏目麻麦個展が今日から開催。 作品の到着を待ちわびて、昨日も何人かのお客さんが来られたり、今日も朝からファンの方で賑わっている。 重厚で凄みさえある人物作品は、今時の少女画と一線を画すが、こうしたファンの方がたくさんいてくれるのを嬉しく思う。 今回は今までにない女性の表情が描かれているが、可愛さとは程遠い怖いほどの迫力である。 ベーコンやスーティン、日本では小山田二郎、麻生三郎の系譜に繋がる作家である。 スタッフが雑誌に夏目麻麦を紹介しているので転載させていただく。 夏目麻麦は1970年生まれの画家。 深い色合いで女性像を描く。 独特の色味を表現するために、何層にも厚く塗り込められたキャンバスが、絵の具の重さで撓むほどである。 そうやって完成した作品は油彩本来の色彩やタッチの細部を見る楽しみを鑑賞者に与えてくれる。 そして、モティーフの女性像の表情はおぼろげで想像する楽しみも与えてくれる。 なんといっても、絵画の世界の中に鑑賞者を連れて行く力がある。
●9月4日 昨日の夜はロータリーの友人の建築設計事務所がギャラリースペースを持つことになったので、そのお披露目と終わってすぐそばのワインバーで懇親会を開くことになった。 私どもが3ヶ月に一回ごとに個展形式で作品を提供することになり、その第一回が先の日記でもお知らせした堀込幸枝である。 ロータリーの仲間が20人ほど集まり、ギャラリーでまず作品を鑑賞してもらうことに。 おそらく殆どが堀込の半抽象的な作品に戸惑うと思っていたが、あにはからんや概ね好評なのでびっくりした。 透明な世界やマティエールの美しさに感嘆の声を上げていたので、さすがロータリーの仲間達は違うと感心させられた。 感心ばかりしないで、買ってくれるともっといいのだが。 終わって、事務所の目の前にあるワインバーへ。 ここは北海道から九州まで日本の国産ワインがすべておいてあり、下戸の私には無縁のところだが、こんなにたくさんの国産ワインがあるのには驚かされた。 友人のお手伝いから、こうして仲間達との交流も深めることが出来て、何よりと喜んでいる。 展示風景を撮り忘れたので、事務所から送ってもらうことになっているので、後日紹介したい。 ●9月3日 高校のクラスメートのO君のところへ納品を兼ねて遊びに行く。 彼は学生時代の友人が数多いる中で、唯一アートの趣味があり、焼き物から現代美術まで質の高いコレクションをしている。 汐留の豪華マンションを二室ぶち抜いて持っていて、我がクラスでも飛び切りのセレブである。 玄関を入ると、李朝の家具の上に加守田章二など陶芸作品がセンスよく飾られている。 私の家も仕事柄多くの作品を飾っているが、こう上品には飾られていない。 高校時代はおとなしく、話す機会も少なく、東大の大学院に行き、その後アメリカの大学に留学したことも知らなかったが、言い方はおかしいが、こんなに立派になっているとは。 リビングには最近購入した松本俊介が、リビングの奥の展示ルームの正面には漆器や陶器に混じって、以前に買ってもらった菅創吉の渋い作品が一点ぽつんと飾ってある。 これがまたその部屋のしつらえにぴったり、選ぶセンスもさることながら、飾るセンスのよさには感心させられた。 季節が代わり秋を過ぎると、ここに横山大観の小品を飾るそうだ。 こうした渋い作品とは真逆の、華やかな色彩の小林裕児の対の作品と今回の高木まどかの平面の作品が廊下に飾られたが、これもシックな空間に不思議とマッチする。 作品が如何に場を得ると、輝きを増すのかを改めて勉強させられた。 展示風景を紹介したいのだが、プライバシーもあって控えさせてもらうが、そうした調度の素晴らしさに加え、リビングの一面に広がる窓からは、銀座から麻布周辺の夜景が一望に見渡せ、いやはや呆れるばかりである。 ●9月2日 朝の雨も上がり、ようやく晴れ間が見えてきた。 それに連れて、気温も上がり、昼飯に外に出るとムッとするような暑さで夏が戻ってきたようだ。 今日の昼飯は並木通りの鳥清のきじ丼。 ここの焼き鳥は柔らかくて実に美味。 カウンターだけの小さなお店だが、私のお気に入りのお店の一つである。 よくこの辺は食べるところが多くて羨ましいと言われるが、だいたい昼に行くところは決まっている。 洋食だと一丁目のドンピエール、フランス料理の名店シェ・イノの仲間だが、ここは気楽に入れる。 ここの焼きカレー、オムライスが私のお気に入り。 ちょっと足を延ばして新富町の煉瓦亭、ここではもっぱらドライカレーで、銀座の煉瓦亭の姉妹店。 中華だとリキシル裏の雪園、ここはフカヒレラーメンが有名。 いつも行列の天龍のジャンボ餃子は以前はペロッと食べられたが、今は半分で一杯になり、残りは画廊のお土産。 うどんはうどんすきで知られる美々卯、蕎麦は山登で月替わりのお蕎麦が楽しみ。 天ぷらは天笹で、ここの親父さんに講談が趣味の友人を紹介したところ、同じ師匠のところに弟子入りしてしまい、今やプロ級。 天麩羅揚げているだけに、口上は滑らか。 隣のとんかつ屋の松若ではオムレツとチキンカツ、ここの女将は90過ぎまで厨房に入り、私達の目の前でとんかつを揚げていた。 3・11の地震の時は、火を落としてはいたが、揺れている最中、まだ熱の残る油の入った大きな鍋を必死に抱え込んだそうだ。 お寿司は目の前の大舷、ここの親父との食べながらのやり取りが面白くて贔屓にしている。 そして同じく目の前にあるどみそで味噌ラーメン、ここも何時も朝から行列が出来ている。 こうしてみると和食が少なく、焼き魚とかお刺身定食といった類は昼にはあまり食べず、お腹に脂肪がつきそうなものばかりである。 朝、夜で野菜多めのカロリー少なめで調整しているのだが、昼飯のせいかお腹は一向にへこまない。 ●9月1日 今日から9月。 例年なら残暑でまだまだ暑さが続くのだが、今日もまた雨で梅雨に逆戻りをしたようだ。 ホテルオークラ本館が建て替えのために8月31日で閉館になるとのニュースが流れた。 2020年のオリンピックに向けて、新たなホテルを造るそうだ。 このホテルで40年前に私達夫婦は結婚式を挙げた。 当時のホテルの専務が母の友人ということもあって、ここで挙式をすることになった。 新たな門出の場だっただけに、閉館のニュースには一抹の寂しさを感じる。 玄関を入るとすぐ目の前に広がるロビーの広々とした和風の佇まいが素敵で、ニュースで初めて知ったが、ラウンジーの椅子とテーブルは上から見ると、梅の花を模して並べられていて、細かい所まで和の意匠が施されている。 オリンピックの競技場やエンブレムデザインが何かと取沙汰されているが、予算とか盗作という問題よりも、私は折角日本で開催するのだから、日本の伝統美を活かしたデザインにして欲しかったし、競技場もエンブレムも白紙に戻ったのであれば是非そうなって欲しい。 京都駅や京都タワーを見ていると、古き都の美しさを損なっているように思えてならない。 斬新なデザインもいいが、調和の美しさも考えなくてはいけない。 そうした意味でも、オークラのロビーの美しさは一際目を引いていた。 是非新しいホテルも和の美しさを取り入れたものであることを願う。
●8月31日 オークションも無事終了。 たくさんの落札をいただき、お越しいただいた皆様には心より感謝申し上げる。 落札結果は画廊のホームページ及び画廊の壁面に掲載されているのでご確認いただきたい。 本日落札の方には明細を送らせていただくので、入金・引取りのほうをよろしくお願い申し上げる。 但し、不落札の方にはお知らせしないので、その旨ご了承いただきたい。 尚、不落札作品のアフターセールは今週木曜日までとさせていただく。 こちらは最低表示価格、成り行き作品は5000円にて購入できるので、ご希望の方は是非ご来廊もしくは連絡をいただきたい。 ●8月30日 オークション最終日。 日曜日、今日も小雨が降っていて、どんよりとした天気。 昨日、一昨日に比べると人出は少ないが、朝開けると同時に何人かの方が待ちかねたように入ってくる。 娘家族も午後にはオークションを見に来るという。 昨日が下の孫の一歳の誕生日で、久しぶりに連れてくるというので楽しみにしている。 生まれたばかりと思っていたのがあっという間に誕生日。 先週もシドニーの娘と孫に会うことが出来たが、こちらはもっと会う機会が少ないので、その成長振りには驚かされる。 下の孫は来年の2月から小学生になるというから、私も歳をとるはずである。 歳とともに楽しみも少なくなり、今は六人の孫の成長が何よりの楽しみで、爺バカ振りを発揮している。
●8月29日 オーストラリアに行く前と帰ってからでは気温が大違い。 記録的な猛暑が帰ってみると秋の陽気。 今朝も朝起きると雨が降っていて肌寒く、もう夏も終わってしまうのかと、勝手なもので、あの暑さが懐かしくさえ感じる。 オークションも今日も足下の悪い中、早くからお客様がみえる。 昨日も平日にもかかわらず、予想外に大勢のお客様で賑わった。 今回はコレクション展に引き続き、H氏の所蔵品が多数を占め、かなりマニアックな作品が多いこともあって、お客様が限定されるのではと心配したが、あにはからんや、熱心に見て、何点も入札される方が多く、ほっと胸をなで下ろしている。 コレクションの根幹をなす幻想画は今の流れからすると、本流ではないが、逆にコアなお客様がまだまだいることがうれしい。 作品を見てみると、七十年前後の作品が多いのだが、総じてデッサンが際立って優れている。 版画にしてもドローイングにしても、実にしっかりしている。 その時代から40年を超える時が流れたわけだが、この時代の作家達は今でも発表を続けて、その名を残している人が殆どである。 時流からは外れているが、やはり基礎がしっかりしている人たちだけに、それなりの評価を得て、続けてこられたのだろう。 聞くところによると、美大では石膏デッサンをやらなくなったそうで、そうした学生が何時まで発表を続けていけるかは疑問である。 オークションはあす日曜日も5時まで開催しているので、是非お越しいただきたい。 ●8月28日 夏恒例のギャラリー椿オークションが今日から日曜日 までの三日間開催される。 曽根原正好さんがブログで分かりやすく紹介していただいたので、それを引用させていただく。 オークションは8月28日(金)、29日(土)、30日(日)の3日間。誰でも自由に入札できる。 出品点数が500点ほど予定されている。ギャラリー椿は銀座・京橋地区でも特に大きなギャラリーだが壁面はぎっしりと作品で埋められるだろう。 全部見るのが大変だとも言えるし、それが楽しいとも言える。気に入った作品も必ずあるだろう。 出品リストを見ると、作家名、作品名(種類)、最低落札価格、素材・技法、サイズ・エディション、体裁、備考の欄がある。最低落札価格は文字どおり最低の入札価格だ。 全体に低価格の傾向だが、一番高い作品の最低落札価格がサム・フランシスのアクリル画で144万円、ついでシャガールのリトグラフが45万円、藤沼治平の油彩が35万円、金子國義のリトグラフに手彩色が28万円、村瀬恭子の油彩が25万円。 しかし成行つまり5,000円からというのが一番多い。 けっこう有名な作家の作品が成行となっている。 例えば、靉嘔、野田弘志、池田満寿夫などなど。 ただし最低落札価格が1万円以下のものは無保証としますとある。 つまり真贋は入札者の判断に任される。 入札方式は1人2枚札によるもの。これは希望価格の上値、下値の2つを記入する方式で、他に入札者がいなければ下値で落札されるが、競合した場合は上値で落札するというもの。 もちろん相手の入札した金額がそれより上なら相手のものになる。 入札の最小単位は100円とのこと。 なお、落札した場合は、落札価格に別途ギャラリーの手数料が10%、この手数料に対して消費税が8%加算される。10,000円で落札すれば、手数料1,000円と消費税80円がかかり、合計11,080円が支払い金額になる。 オークションは11:00ー18:30、入札締め切りが8月30日(日)16:30、開札が同日17:00からとなっている。 入札しなくて見るだけでも大丈夫。 作品は500点も並んでいて面白いのでぜひ行かれることをお薦めする。 出品リストはギャラリー椿のホームページでみることができる。
●8月25日 インドネシア・ジャカルタのエドウィンギャラリーのグループショーとジャカルタアートフェアー・アートバザールに岩渕華林、天明里奈、牧野永美子が参加している。
●8月25日 ーストラリアから帰ると画廊は既に壁いっぱいに絵が飾られていて、金曜日からのオークションモードに入っている。 真冬のオーストラリアが夏の陽気だったのに比べ、日本に帰るとあの暑さが嘘のような秋の気候になっていて、身体のスイッチの切り替えが狂ってしまう。 夏休み、オーストラリアと続いて、身体同様に仕事モードのスイッチがなかなかオンにならないが、そうも言ってられないので、気合いを入れて頑張らなくては。
●8月22日 今朝は疲れからか目が覚めたら9時前。 チェックアウトが10時なので、大慌てで洗面、食事を済ませ、戻ってからトイレ、シャワーにパッキングとなんとか滑り込みセーフ。 10時には韓国の代表パクさんとホテルのすぐ裏にある現代美術館に行くことになっていたが、パクさんは遅刻。 日本人は本当に几帳面。 美術館ではエネルギーをテーマの展覧会をやっていて、ビデオや音声を使いダイナミックでインパクトのある展示となっていた。 上のフロアーではかなりコンセプチュアルな個展をやっていて、英語がよくわからないので、何を表現したいのかわからないままに、退室をした。 もう一つのフロアーではアボリジニアートを中心に常設展示がされていたが、オーストラリアでは昨日の受賞者もそうだったが、アボリジニアートが現代美術の重要な位置を占めている。 ピカソがアフリカンアートに影響を受けたように、アボリジニアートもコンテンポラリーアートに大きな影響を及ぼしているのだろう。 前にきたときには、アニッシュカプーアの大規模な個展をやっていて、急速にオーストラリアはコンテンポラリーアートに傾注してきているのが、この二日間だけでもよくわかる。 幾つか回ったギャラリーも全て抽象作品で、美術館でも古い時代以外の作品はみな現代美術で近代美術はほとんど見かけなかった。 美術館でパクさんと別れ、ホテルで娘と孫と待ち合わせ、ハーバーのレストランで昼食をとる。 海鮮料理を娘が色々頼んでくれたが、どれも美味で、今まで食べた料理がそれほどでもなかったので、余計に美味しい。 3月に日本に里帰りをしていたので、久しぶりとはいかないが、孫たちの成長ぶりには驚かされる。 下の子も早いもので、来年の2月からは小学校に上がる。 オーストラリアは真冬なのに、昨日今日と夏のような暑さで、多くの人が半袖で歩いている。 私が行く前まではかなり寒かったようだが、オーストラリアも日本同様に異常気象のようだ。 あまりに暑いので船に乗ってハーバー近辺をクルーズすることに。 シドニーの海は街中にあっ ても青く綺麗で、日本のように磯の香りも全くしない。 海風に吹かれ、周りのクルーザーや海に面した豪邸を眺めながら、シドニーでこんな生活ができたらと思うが、夢のまた夢である。
娘たちともわずかな時間だったが、会えることが出来て、今回の会議には感謝しなくてはいけない。 娘たちと別れ空港に向かう。 またエコノミーで8時間半の長旅で熟睡は無理だろうが、幸い明日が日曜日なので、家でゆっくりできるのがありがたい。 昨日今日と美術館とシドニーのギャラリーの写真がどういうわけかピンボケばかりでアップできず、お許しいただきたい。 ●8月21日 シドニーに飛行機で移動。 そのままシドニーの国立美術館に向かい、美術館内のレストランで昼食。 レストランには政府のの文化担当者と政府機関の一つで手厚い文化支援をすることで知られるオーストラリアカウンシルの担当者が来ていた。 二人とも小錦みたいな肥満の女性で、今回の主催者のオーストラリアの画廊の女性も同じく太っていて、三役揃い踏みといったところだろうか。 オーストラリアの年配の女性は肥満が多く、若くてスリムな美人の女性もいずれはみんなこうなるのだろうか。 昼というのに食事はボリュームがあり、肥満になる訳がよくわかる。 延々と3時間近く食事をしていて、昨日もそうだが、飲めない私は間が持てずに困る。 時間がかかり過ぎて、肝心の美術館見学やギャラリー巡りは5分で見ろという。 画廊ははともかく、美術館はそんな短時間で見れるはずがない。 今日も慌ただしい時間を過ごし、ようやくホテルにチェックイン。 ロックスという昔囚人の監獄があったところで、レンガ造りの古い建物が立ち並ぶ観光名所である。 ホテルもレンガ造りの古い建物で、中に入ってもレンガがむき出している。
すぐそばがサクラキーというハーバーで、ここから世界遺産のオペラハウスやハーバーブリッジを眺めることが出来る。 夜景も綺麗で、ビル街の夜景とオペラハウスの夜景が同時に見える。
夕食は高級住宅街の中にあるイタリアンレストラン。 昼にもこの辺りの画廊を回ったが、閑静な住宅街にレストランならともかく、画廊がいくつもあるのが不思議だ。
ここでも同じく長い夕食となり、帰ったのは昨日同様12時近く。 とにかく、オーストラリアの女性と香港の画廊の女性が話し好きでエンドレスで話し続けるのには閉口する。 明日はフライト時間まで自由時間ということで、シドニーに住む娘と孫に会えるのを楽しみにしている。 ●8月20日続き メルボルン財団の授賞式パーティはそれはゴージャスで、ドレスコードがブラックタイというのがよくわかった。 6時に会場のナショナルミュージアムに向かい、まずは開催中のロシアのエルミタージュ美術館展を見る。 皇帝時代の栄華をうかがわせる展覧会で、あらためて共産主義では文化が育たないことを認識させられた。
終わって、会場前で皆さんワインを飲みながら開場を待っている。 飲めない私はお水。 会場に案内されると、着席のディナーパーティーの設えが準備されていて、タキシードにカクテルドレスで社交場に来たかと思うようなゴージャスな授賞式である。 荷物になるのでワイシャツとブラックタイだけにしようと思ったが、タキシード一式を持ってきて面目が保てた。 しばらくぶりに着るのでズボンが入るかどうかも心配だったが、この夏に3キロほどダイエットをしたおかげで、何とかズボンのボタンを止めることができた。 式は料理を食べながら、シャンソンのライブや現代音楽の演奏などがあり、なかなか本番の授与式にならない。 途中、文化貢献をしたコレクターや著名な写真家などが表彰されたが、肝心の35歳以下を対象の発表が行われず、3時間も過ぎただろうか、メインディッシュを食べ終えた頃にようやく始まった。 受賞者はダニエル・ボイドというアボリジニの血を引くアーティストであった。 作品はアボリジニアート特有の点描を使ったオイルペインティングで、人物や抽象など多様な表現をしている。 すでに彼は若手のホープとしても知られていて、ベネティアビエンナーレにも出品をしているようだ。 メルボルン財団から彼を東京のワンダーサイトのレジデンスプログラムに組み込みたいとの申し出があるので、力になれるかどうかはわからないが、帰ったら早々に担当の方と会うことになっている。
長いパーティーも終わり、帰ったら12時近くになっていて、年寄りには応える。 明日も早朝にはシドニーに移動するので、早く寝なくては。 ●8月20日 早朝からホテルの会議室でAPAGAの会議が始まる。 今回は急なことだったので、インドネシアと中国が欠席。 インドネシアのエドウィン画廊ではちょうど日本とインドネシアのグループ展とアートフェアーが始まることもあっての欠席だが、この展覧会に私どもの岩淵華林と天明里奈、牧野詠美子が参加をしている。 議長国である台湾のリック氏が体調を崩し、今回アレンジをしてくれたオーストラリアのアナ・パパスが議長となって始まったが、相変わらず何をするかが決まらず、幾つかのプランが出たロゴマークをどれにするかとか、会議のビジョンや目的に終始し、提案されていたレジデンスプログラムも力添えをして欲しいということだけで、今回の議題にはないという。 それでも一つだけ助かったことがあって、オリンピックイヤーにアジアンアートフェアーの開催に手を挙げたが、ビジネスはそれぞれがやることで、もっとノンプロフィットのことをやるべきとなり、この会ではフォーラムを中心に企画を計画していくことになった。 会場探しや経費の捻出など難題を抱えていたが、フォーラムとなればそうした問題も難しくはなく、肩の荷が下りた。 そのフォーラムは台湾が11月のアート台北に合わせて第一回を開催することになった。 私どもは来年4月に東京で開催することにし、韓国、台湾のしかるべき政官関係の方にきていただき、行政や企業の文化支援いついてお話をいただき、日本側もそれに対応すべき政官の関係者に来ていただくべく、全美連にお願いしてみようと思っている。 思うにオーストラリアやシンガポール、香港の代表は白人ということもあるのかコンセプトが先ずありきで、韓国、台湾、日本などはまず実行ありきで、そこのところがどうも噛み合わないようだ。
そんわけで消化不良ではあったが、会議が終わり、昼食会場に移りランチをすました後、目の前にある美術館を見学することになった。 そこには近代から現代までのオーストラリアの作家の個人コレクション展、キネティックアートや環境問題をテーマにした作家の展覧会、コンテンポラリーの企画展、アボリジニアートなど興味深い展覧会がいくつもあって、以前に比べてオーストラリアのアートシーンが大きな変革を遂げていることがよくわかった。
ブラックタイ仕様のヤングアートアワードの授賞式パーティに出席するために、タキシードを着ることになっていて、一度ホテルに戻る。 ●8月19日 シドニー経由でメルボルンに到着。 夜10時発の便で8時間半のフライト、向こうで飛行機を用意してくれたので文句は言えないが、こちらで取れば、マイレージがあってビジネスで行けたが、エコノミーということで熟睡はあきらめることに。 幸い隣の席が二つ空席だったので、横になって眠ることができたが、起きると首が痛い。 歳もあって長時間のエコノミーはもう無理かもしれない。 用意してくれたホテルは築100年のこじんまりしたホテルだが、趣のあるホテルで、部屋はスィートかと見間違うような広い部屋。 一人ではもったいないくらいで、部屋は広くなくていいから、飛行機の方で配慮して欲しかった。
すぐ横には戦没者慰霊公園があり、その先には明日のアワードの会場となる国立美術館やイアンポーター美術館があり、とてもロケーションの良いところである。 メルボルンはシドニーと違い古い面影を残した落ち着きのある街で、町並みを歩くだけで心が安らぐ。
先に到着している小山登美男氏とホテルで待ち合わせ、明日の会議の打ち合わせの後、ホテルのレストランで夕食。 ここ2ヶ月ほどダイエットではないが、野菜中心の食事にしていたが、せっかくの海外ということで、小山氏に見習って久し振りにステーキを注文。 オージービーフで、やはり日本の肉とはだいぶ違う。 明日は早朝から会議があり、その後の予定もハードスケジュールなので、食事を終えるとすぐにベッドへ。 ●8月18日 11日間の長い夏休みも終わり、昨日から営業開始。 と言っても、画廊は夏休み前のコレクション展の後片付けと、今月28日から始まるギャラリー椿オークションの準備で、営業どころではなく、倉庫状態で足の踏み場もない。 私は本当は昨日にメルボルンに出発しているはずなのだが、先方の連絡がギリギリなのと、予定が二転三転して、結局は今夜に出発に変更となった。 というわけで、今日もまだ画廊にいる。 夏休みは河口湖でのんびりというよりは、11日間に何と8回もゴルフをやっていて、これだけゴルフをしたのは我がゴルフ人生でも初めての経験である。 昔、真夏の川奈で4日間連続でゴルフをし、最後に足がつって歩けなくなったのが思い出されるが、今やカートに乗って回るので疲れることもない。 河口湖では二つのゴルフクラブに入っているが、もっぱら行くのはカートがフェアウェーの中まで入れるゴルフ場で、午後遅くに涼しくなってから一人で回ることも出来るので、気楽だし、疲れることが全くない。 これだけやれば腕も相当上がるはずなのだが、そうは行かないのがゴルフである。 最後の日に、ダブルスコンペに息子と出場したが、同じ親子でもレベルが違いすぎるペアーが何組も出場していて、敵う筈もなかったが、それでもハンディーに助けられてか35組中13位と、私達親子にとっては健闘の部類に入るだろうか。 こうやって70歳近くになっても息子と一緒に楽しくラウンドできるのもゴルフならではの醍醐味である。 オーストラリアでは、着いた翌日早朝からメルボルンでの会議、メルボルン財団のアートアワードの表彰式とディナーパーティーを終えて、翌日は飛行機でシドニーに移り、シドニーのギャラリーでの昼食と現代美術館の見学、そしてオーストラリアの画廊主催のディナーと短時間にハードなスケジュールとなっているが、翌日夜の飛行機で帰るまでに僅かな時間があるので、シドニーに住んでいる娘と孫との再会を楽しみにしている。 昼食ぐらいの時間ぐらいしか一緒にいられないが、期せずしてシドニーに行って娘家族と会えることになり、私にとってはラッキーなアジア・パシフィック画廊協会会議となった。 ●8月5日 17日から行く予定になっているアジア・パシフィック画廊協会会議の詳細が送られてこないので気をもんでいる。 メルボルンで19日に開催されることになっていて、前後4日間をオーストラリア政府が招待ということなのだが、往復の飛行機のチケット、泊まるホテル、その時期に合わせたヤングアート・アワードの受賞パーティーの日時など何も知らせてこない。 既にチケットを予約してもらった小山登美雄氏とできれば同じ飛行機で行きたいのだが、いかんともし難い。 痺れを切らして、チケットを取るにはパスポートの番号が必要でしょうとメールを送ったら、それだけは慌てて、すぐに知らせて欲しいと返信が来た。 それともう一つ、ヤングアートアワードの受賞者を東京のレジデンスプログラムで受け入れて欲しいと言ってきているが、そのアワードがどんなものかも送るようにいってあるのだが、返事がない。 こちらも受け入れ態勢だけはしておかないといけないので、いくつかのプログラムにあたり、一つのプログラムが前向きに検討してくれるとの返事をもらうことが出来た。 ただ相手が何も言って来ないのでそれ以上は踏み込めないでいるのだが。 一事が万事海外とのやり取りはこんな調子で、几帳面な日本人はとてもやってられない。 私は明日から16日まで夏休みをいただき、17日に出発し、おそらく23日に帰国予定でいるので、その間日記はお休みさせていただく。 メルボルンの滞在日記は後日アップさせていただく。 記録的な暑さが続き、熱中症で倒れる人も多いが、皆様もくれぐれも無理をされず、元気でこの暑い夏を乗り切っていただきたい。 私は冬のメルボルンで風邪を引かないように気をつけなくてはいけない。 ●8月4日 中国のオークション会社嘉徳オークションの日本の社長馬さんがコンテンポラリー担当の女性を二人連れて挨拶にやってきた。 馬さんとは仕事の付き合いより、食事をしたり、ゴルフをしたりの間柄である。 台湾の富豪の息子さんで、有名な華都飯店のオーナーが本業のようだが、デルタ航空の極東担当社長であったりと多忙な毎日を送っている。 このオークション会社は3年前の一番いいときは、年間の売り上げが1600億円あったそうで、現在はちょっと落ちて、それでも1200億の売り上げがあるそうで、中国恐るべしである。 以前は中国本土だけで、それも中国の古美術や現代美術に偏っていたが、ここに来て、欧米や日本の作家にも興味を持つ人が増え、香港でも開催するようになり、私にも協力をして欲しいとスタッフを紹介するためにやってきた。 あまりお役には立てそうもないが、藤田嗣治の油絵などにも関心があるそうだ。 馬さんは美術に関してあまり詳しくないので、この人がオークション会社の社長をやっているのがすごく不思議なのだが、その財力と交友関係で社長を務めているのだろう。 スタッフが言った藤田嗣治も話しぶりからすると全然わかっていないようだ。 これで大きなオークション会社の社長を務められるのだから羨ましい。 ●8月3日 画廊の近くにあるギャラリーゴトウで梅野亮展が開かれている。 梅野を知ったのはかれこれ40年前になるだろうか。 偶々手にした「青春画譜」という画集で彼の作品を知った。 二十歳になるのを記念して、父親が銀座の画廊で個展をした際に作ってあげた画集である。 青木繁の影響を強く受けた絵ではあったが、若くしてこれだけ才気ばしった絵を描く青年がいることに驚かされた。 それもそのはずで、祖父は青木繁のパトロンで、現在ブリジストン美術館にある青木の代表作も殆どが梅野コレクションであった。 それから私は伝を頼って、数十点の梅野作品を集めた。 お客様にもだいぶ勧めて買っていただいたが、いずれは展覧会を開くつもりで、手元においておいた作品もいくつかあった。 私が新たに京橋に画廊を出して間もなく、近くに藝林という画廊が出来たが、これは梅野の父親が開いた画廊であった。 梅野の父親もまた祖父の血を継いで、青木繁とはいかないが、知られざる物故作家のコレクターとして有名で、更にそうした作家を顕彰すべく、画廊を開くことになった。 結局は、個展を開かないまま手元にあった作品は父親のところに行くことになってしまったのだが。 父親は亮の作家の資質を見出し、美大に行かせようと、異端の作家として知られる中村正義のところへ相談に行ったそうだ。 正義は一目彼の作品を見るなり、美大に行っては彼の才能は閉ざされる。 独学で続けたほうがいいとのアドバイスを受け、進学をあきらめることにした。 その代わりに、学費分を使い個展を開き、「青春画譜」を作って、世に亮の存在を知らしめようとしたのである。 亮はそれから彩壷堂の支援でパリに渡り、勉強することになったが、当時交友があり、彼の支援者でもあり独特の鑑識眼で知られるかんらん舎のオーナーから、お前はパリに行って堕落したといわれ、その言葉に亮は悲憤慷慨し、画商との縁を切り、自分でだけの道を進むことになった。 しかし世の中はそうはうまく行かず、結局は画家の道をあきらめ、当時アルバイトをしていた警備会社の社長の目にとまり、それからはとんとん拍子に出世をし、その会社の専務にまで上り詰めた。 縁とは不思議なもので、その会社は一旦倒産をし、それから再興して現在は大手五社にも入るビッグカンパニーとなったが、倒産前の小さな会社の時に私の父親が持っていたビルにテナントとして入っていたことがあり、無論その頃は亮はまだその会社にはいなかったのだが。 そうこうしているうちに、亮は会社を辞め、再び画家として再出発することになった。 父親はその後、そのコレクションを元に、長野県東御市が作った美術館「梅野記念館」の館長として生涯を終えるが、亮もそこの副館長を勤めながら、制作に励むことになった。 長い間のブランクはいかんともしがたく、機会があって見せてもらったが、あの当時のインパクトが強すぎて、心をときめかすことは出来なかった。 その亮が制作を続け、おそらく42年ぶりだろうか銀座で個展を開くことになり、楽しみに見に行くことになった。 彼自身も言うようにまだまだリハビリ期間で発展途上、とは言え、私の目にとまる作品もあり、今後に期待をしたい。 これも縁なのだろうが、梅野記念館で私どもの取り扱い作家である望月通陽と伊津野雄二の個展が予定されている。
●8月2日 日曜日の暑い最中、タグボート主催のYOUNG ART FES 2015に行ってきた。 タグボートはネットによる現代アート通販の会社で、今回のような催しも毎年開催している。 この催しは、若手作家がブースを借りて、個展形式で自分の作品を紹介する。 私は毎年ここに出品する作家達の審査を頼まれ、他のギャラリストと一緒に1位から3位までを選ぶことになっている。 ここから井澤由花子、新藤杏子、王建之が私どもの画廊の発表に繋がった。 前年もそうだったが、かなりレベルは低くなっている。 台湾、香港などのアジアのアーティストも多数参加しているが、目につく作家はいない。 1位から3位まであげるのが難しいくらいである。 コレクターの方に会ったが、欲しい作品は一つもありませんねと言っていた。 応募をなんでも受け付けるのではなく、ある程度一次審査などで絞り込んだほうがいいように思うのだが。 これでは質の高い作家が最初から申し込まなくなってしまう。 主催者に再考を促したい。 ●8月1日 8月に入り、夏休みまであと一週間。 8月8日から8月16日までお休みをいただく。 コレクション展もこの暑さの中を次々にお客様がやってくる。 3時ごろにはよく知られるコレクターの方が大集合。 順番に来ていただくとゆっくり対応が出来るのだが、こればかりはそうも行かない。 あちらにこちらにとウロウロするばかり。 お陰さまで売約作品も20点を超え、H氏の熱い思いがこもった作品も、質の高いこだわりコレクターにお嫁入り。 死蔵されていた作品に命を吹き込んでもらうことになった。 夏休み直前の来週金曜日まで延長して開催するので、暑さを凌ぎに是非お越しいただきたい。 ●7月31日 今日で7月も終わり。 暑すぎておかしくなりそう。 8月も続くのだろうか。 朝から家の用事で車に荷物を運ばなくてはならず、何度も往復しているうちに、あまりの暑さに目眩がしてきた。 あまり汗をかかない私だが、滝のような汗が流れる。 そして昼過ぎからは、友人の設計事務所のギャラリースペースに作品を貸し出すことになり、その搬入に行く。 こちらは大した数ではないが、作品を降ろして、スタッフが車を駐車場に入れに行く間、降ろした作品と一緒に待っているがちっとも戻ってこない。 駐車場が見つからないのかと炎天下で待つこと暫し、ようやく電話がかかってくると、既に事務所に上がったという。 設計事務所のスタッフと一緒に上に上がったと思ったらしい。 そのスタッフも下で私が待っていると言ってくれればいいのに、何も伝えないので、お互いにどこへ行ったのだろうかと待ちぼうけ。 いやはや、私は熱中症で倒れる寸前であった。 それにしてもこの炎天下で働いている人は偉い。 くれぐれもお大事に。 ●7月30日 H氏コレクションに出品している作品で一点どうしても作者名がわからないが、作品が面白いので作者不詳で展示することにした。 写真作品で、その作品が包んであった紙にはヴンダーリッヒと書いてあり、図柄もヴンダーリッヒそのものなので、ヴンダーリッヒが撮った写真作品は珍しく、これは珍品に違いないと思っていた。 いざ展示の段になって、サインをよく見るとヴンダーリッヒとは全く違うサインがしてある。 さあ誰かということになったが、スペルを読み取ることが出来ず、作者不詳でブンダーリッヒの作品の隣に飾ることにした。 初日を迎え、誰かこの作者を知っている人が現れるかもしれないと、幻想画に詳しそうな人が来るたびに尋ねてみたが、誰も知らず、ただ一人ドイツに住んでいた人がスペルからカレン・フューイックと読み取った。 しかしこの名前で検索しても写真家でも美術家でも出てこない。 仕方なくもう一度、ヴンダーリッヒでネット検索しているうちに、彼の奥さんが写真家であることが判明した。 そこから調べを進めていくうちに、展示作品と似た画像が見つかり、その作者がヴンダーリッヒの奥さん「カレン・シュケシー」であることがわかった。 喉につかえた小骨が取れた思いである。 スペルを読み取った人も間違っていたようだが、今日から晴れて夫婦の作品が並ぶことになった。 展覧会を見に来られる方は、この作品にはそんな経緯があったと思ってみていただきたい。
●7月29日 H氏コレクション展が始まった。 幻想とエロスをテーマに5000点を超える作品を蒐集したが、10年ほど前に大病を患い、作品を整理することになった。 今回最後のコレクション700点が開かずの倉庫から出てきて、その中から120点を紹介し、販売することにした。 かなりマニアックな作品が多いが、コアなファンにはたまらない作品ばかりである。 8月7日まで開催をしている。
●7月28日 朝から甲府へ出張鑑定団。 何度か美術品の整理の話を持ってくる友人から、老舗企業のオーナーが亡くなり、残された美術品で相談に乗ってくれないかと言ってきた。 ひときわ暑い甲府なので躊躇するが、行きは車を、帰りは特急のチケットを用意するとのことなので、友人と一緒に行くことになった。 車は甲府に向かわず、手前のインターで下りて、市内からはだいぶ離れたところにある倉庫に到着。 そこにご子息や会社関係者が何人か待っていた。 大げさな割に倉庫に入ると、たった1点二曲の屏風が置かれていた。 ここ二日ほど期待外れが続いているが、今日もまたまた期待外れ。 名前も聞いたことがなく、美しい女性が描かれているが、それほど魅力ある作品とも思えない。 極暑の中を甲府まで来てこれでは、がっかり度も倍増。 亡くなられた先代は美術には関心がなく、昔、お金を融通した際に御礼で貰ったものだそうで、それ以来開けることもなく倉庫に眠っていたそうだ。 大きい作品でひょっとしてと思ったようだが、作家自身の評価もなく、屏風自体が今の時代には需要がなく、残念ながら価格は微々たるものである。 たくさんの方が汗だくで梱包を解かれたようだが、くたびれ損といったところだろうか。
ご子息が経営する料理屋でお昼をご馳走になり、甲州の有名なワインも出てきたが、下戸の私には冷たい水の方がありがたい。 夕方に画廊に着くと、明日からのH氏コレクション展の準備はすっかり出来上がっていて、何人か早めに覗かれる方もいて、出足好調といったところだろうか。 ●7月27日 目黒雅叙園でロータリークラブの新年度の親睦会が開催された。 雅叙園は日本画のコレクションで知られるが、一度も訪れたことがなく、その豪華絢爛の装飾美と随所に贅を凝らした日本様式の建築美が鑑賞できると、楽しみに訪れた。 創業者は銭湯で客の背中を流す三助といわれる仕事から身を起こした立志伝中の人物だそうだ。 残念ながら、創業者がなくなってからは経営破綻をして、外資に買収されてしまい、コレクションは散逸し、その面影を百階段といわれる客間と宴会場に留めてはいるが、改装されたモダンな建築とはどこかチグハグで違和感を感じる。 また、残されている壁画や天井画を見ると、一級の美術品とは言えず、多少成金趣味と言えるかもしれない。 雅叙園については詳細をウイキペディアから抜粋させていただく。 ウイキペディアより抜粋 石川県出身の創業者・細川力蔵が、1928年(昭和3年)に東京・芝浦にある自邸を改築し、純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経営していたが、目黒にあった屋敷を買い入れ、 増改築を進めて1931年(昭和6年)に「目黒雅叙園」と名付けた料亭を開業した。 絢爛たる装飾を施された園内の様子は「昭和の竜宮城」とも呼ばれ、ケヤキの板材で作られた園内唯一の木造建築「百段階段」(実際は99段)とその階段沿いに作られた7つの座敷棟宴会場の内の4つは、2009年3月16日に東京都指定の登録有形文化財(建造物)に登録された。 映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルにもなったもので、樹齢百年の床柱や天井、壁面、ガラス窓にいたるまで贅を凝らし、昭和初期における芸術家達の求めた美と大工の高度な伝統技術が融合した素晴らしい装飾となっている。 1991年(平成3年)の全面改築、このリニューアルに際し、園内のエレベーター壁面や室内に使われた螺鈿や漆による装飾は、韓国の漆芸家・全龍福(チョン・ヨンボク)によって新たに制作、もしくは修復された。一階にある化粧室の内装も彼の手による漆工芸によって装飾されている。 昭和初期に建設された木造の旧館においては、敗戦直前の昭和19年頃まで、大勢の著名な画家や彫刻家、塗師が出入りし、あるいは泊り込み、部屋ごとに女中と書生付きで数年にわたり内装や絵画作品を完成させたという。 その結果、文展やかつて帝展に出品された数多くの作品を所有し館内を飾った。 その数は数千点にもおよぶ膨大なコレクションであり、旧館取り壊し時に額装保存された天井画や欄間絵とともに、新館に併設された美術館(目黒雅叙園美術館)で定期的に観覧に供したが、美術館は2002年(平成14年)に閉鎖されて、多くの作品群は散逸し個々の所在は不明である。 ●7月26日 河鍋暁斎展を見てきた。 日本画家で画鬼と呼ばれ、異彩を放った作家だが、私はその作品を見る機会がなく、楽しみに出かけた。 会場である三菱一号館を設計したジョセフ・コンドルとの交友があったことも初めて知った。 コンドルは明治政府の招きで来日し、鹿鳴館や三菱の岩崎邸などを設計し、日本の近代建築に多大な影響を与えた建築家である。 また、日本美術愛好家としても知られ、その縁から河鍋を知り、その弟子にまでなり、その技量を発揮した作品が展示されていた。 河鍋は狩野派を学んだこともあって、正統派の日本画も多数描いているが、今回の展示はどちらかというとそうした傾向の作品が大半を占めていて、期待した画鬼とよばれるようなインパクトのある作品が少なく、少し期待はずれ。 後半に展示替えがあるというので、そちらに期待したい。 ●7月25日 私どもが大変お世話になっているコレクターのM氏が、本日発行の美術雑誌「Art Collectors 」の特集・動物アートの巻頭3ページにわたって紹介をされている。 私どものお客様は30年、40年のコレクション歴を持っている方が多いが、M氏は12年前からコレクションを始め、そうしたつわものを押しのけるかのように、私どもにとっては掛け替えのないお客様の一人となった。 雑誌社から動物アートを今度特集するので 、誰か相応しいコレクターを紹介してもらえないかとの依頼が来た。 早速にM氏が思い浮かび、了解を得て、雑誌社に紹介をさせていただいた。 お仕事が獣医さんということで、そのコレクションの中心が動物画なので、これほど相応しいコレクターはいない。 確か最初の出会いが山本麻友香の個展ではなかっただろうか。 偶然なのか、彼女の作品が動物と子供が重なる独特のテーマのせいもあって、このとき大作を何点か購入していただいたのが、お付き合いの始まりである。 それから一気呵成にコレクションが始まり、私どもの作家ばかりではなく、私が好きな作家を何人か紹介させていただくと、そうした作家の作品も捜し求めて、購入されていった。 大変研究熱心で、美術に関する新聞や雑誌の記事は余すことなくスクラップしていて、私のほうが知らない情報を教えてもらうほどである。 M氏は購入した作品の全てといっていいほどを医院兼自宅に展示をしている。 12年の間にコレクション数も200点を超えたが、それを全部飾っているのだから凄い。 29日から始まる5000点を集めたH氏は、買っていただいた作品をどうやったら収納できるかが、私どもに課せられた課題であったが、M氏の場合はどうやって壁の隙間に買っていただいた作品を収めるかが、課題となる。 先日買っていただいた作品を納めに久しぶりにご自宅に伺ったが、天井と壁の隙間の欄間のような場所に10数点を飾らしていただいた。 見渡したところ、後は天井に貼り付けるしかない。 買う条件の一つに、隙間のサイズと作品の大きさとの折り合いが必要となる。 私は展示替えをお奨めするが、購入した作品全部に囲まれ、それを眺める時が、M氏にとって至福のときなのだろう。 私どもも何とか隙間を見つけて、今後も購入をお願いするつもりである。 ●7月24日 銀座経済新聞というネット上のタウン誌があって、ここで29日からの「H氏コレクション展」が掲載されたので紹介させていただく。 ここのオーナーも幻想コレクターの一人である。 京橋で「幻想とエロス」がテーマのコレクション展 ベルメールやマグリットも 2015年07月24日 H氏とは、約40年にわたり約5000点に及ぶ「幻想とエロス」をテーマとしたアート作品のコレクションを成したコレクターの仮名。 同ギャラリーは大病を患ったH氏からの依頼を受け、10年以上前からそのコレクションの多くを展覧会やオークションを通じて販売してきた。今回の展示は、同氏の自宅建て替えに伴って鍵が壊れたまま「開かずの倉庫」となっていた倉庫を壊したところ、その中から約700点の「最後のコレクション」が出てきたことが開催のきっかけという。 パウル・ヴンダーリッヒ、フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン、マックス・クリンガー、ハンス・ベルメール、マリオ・アバチ、ルネ・マグリット、中村宏、山本六三、菊地伶司、篠原有司男、藤野一友、秋山祐徳太子、土井典、吉野辰海らの作品、約50点の展示販売を予定する。 同ギャラリーの椿原弘也さんは「有名無名を問わず多くのコレクションは総花的になるのが普通だが、H氏コレクションは『幻想とエロス』というテーマが一貫しており、その姿勢には感服するしかない。 『幻想とエロス』の作家たちの作品を余すことなく収集したH氏コレクションは、コアなファンの方からの反応もよく、今回も会期前から作品に関する問い合わせがある」と話す。 「今は価値観が多様化し、コレクションも流行やファッションのようになってきているように感じる。『H氏コレクション』は、一人のコレクターが人生を賭けて収集したもの。こんなこだわりのコレクションがあったということをぜひ多くの方にご覧いただきたい」とも。 開廊時間は11時〜18時30分。日曜・祝日休廊。8月7日まで。 ●7月23日 高木まどか展も好評のうちにあと残すところ2日となった。 週末お時間のある方は是非お越しいただきたい。 私どもは休む間もなく、次のH氏コレクション展と8月末に開催されるギャラリー椿オークションの準備に入っている。 急に8月17日からメルボルンに行くことになったので、オークションの日程を一週繰り下げ、8月の28,29,30日に変更させていただき、そのためコレクション展の後半に若干余裕が出来たので 、夏休みに入る前日の8月7日まで会期を延長することにした。 既に案内状が届いておられる方もいると思うが、終了日が5日から7日に変更になるのでご注意を。 オークションのリスト送付は夏休み明けの8月17日に投函の予定だが、ホームページ上では準備が出来次第、順次リストを更新していくのでご確認いただきたい。 但し、8月8日から16日まで夏休みとなるので、その間のお問い合わせはご容赦を。 H氏コレクションのほうは、案内状が届くと同時にメール、電話での予約や問い合わせが入り、コアのファンの方にとっては開催を待ちきれない方も多いのではないだろうか。 ということで、7月8月も猛暑を乗り越え頑張る所存なので、ご支援のほどよろしくお願い申し上げる。 ●7月22日 アジア・パシフィック画廊協会会議(APAGA)が9月にシンガポールで開催される予定だったが、急遽オーストラリア画廊協会が手を挙げ、まだ正式決定ではないが、メルボルンで8月19日に開催することになり、17日から23日まで滞在することになった。 オーストラリア政府が助成金を出してくれることになり、渡航費と滞在費用を負担してくれるそうで、これは大変有難い。 前回の韓国や台湾も招待で、香港だけが自前で来てくれということだったが、オーストラリアも韓国台湾同様に国が文化支援に積極的なのだろう。 日本で開催の折には文化庁に申請はしてみるが多分難しいだろう。 新国立競技場には2千数百億のお金を文科省は出すつもりでいたのだから、ほんの僅かなお金を文化支援に使ってもいいように思うのだが。 シドニーに長女がいるので、通訳を頼もうと思ったが、旦那が海外出張で子供達の学校などもあって無理とのことで、こちらもオーストラリアの画廊協会が用意してくれることになった。 丁度メルボルンではヤング・アーティスト・アワードを開催中で、APAGAのプロジェクトの一つである若手作家支援の一環として、今回のオーストラリアの受賞者を海外のレジデンスに滞在させようとの提案があった。 滞在国として、東京が第一候補としてあがり、突然だが受け入れの準備をしなくてはいけない。 東京のレジデンスプログラムも六つほどあり、横浜にも2,3あるので、先ずはこちらをあたってみようと思っている。 その一つに、オーストラリア・カウンシルというのがあって、制作場所はないが宿泊施設をを用意してくれるのと、オーストラリア人を対象に1万豪州ドルの補助金が出るので、先ずはこれを頼んでみて、制作場としては、アサヒビールがやっているアサヒアートスクエアーというのが、制作スペースを提供してくれるというプログラムをやっていて、こちらも助成金が出るということなので、まずは申し込んでみようと思う。 今回は現代アート推進フォーラムの代表となる小山登美雄氏にも同行してもらう予定でいる。 このフォーラムも7月29日に社団法人として正式に発足することになり、既に全国美術商連合会には参加をしてもらっていて、ようやくこれで全美連、APAGAも現代アートの受け皿が出来ることになった。 猛暑の日本を離れ、冬のメルボルンに行けるのは有難いことである。 ●7月21日 いやぁ暑い 東京はこんなに暑かっただろうか。 学生時代に南回りでヨーロッパに行ったことがあるが、途中給油でインドとアフリカの今のムンバイとカルカッタだろうか、名前は忘れたが南国の空港に降り立った。 その時は両方とも確か夜だったと思うが、飛行機を降り立った途端に、地面から立ち上がる猛烈な熱気にクラクラとし、こんな暑いところではとても生活はできないと思ったものである。 だがである、この暑さは50年前に経験したアフリカやインドに匹敵するくらいの暑さではないだろうか。 地球温暖化とは言え、気候の変化はすさまじいものがある。 昔なら、浴衣姿で縁側で団扇で涼をとりながら、冷えたお茶やスイカを食べている図が思い浮かぶが、今時縁側はないだろうが、日中そんな優雅なことをやっていたら熱中症になってしまう。 そんな暑さの中、画廊から歩いて15分くらいのところにある画廊で、私どもと交互に開催している「門倉直子展」を見に行ってきた。 背中からの日差しが焼け付くように暑いというより痛い。 狭いスペースに8号を中心に30点を超える作品が所狭しと並べられている。 従来の少女画だが、案内状の絵にもあるように涙を流したり、拗ねたりといった感情を表現した作品がいいように私は思った。 こうした時期にもかかわらず、20点ほどの作品が売約となっていて、相変わらずの少女画人気であるが、私がいいと思った作品は全く売れていない。 売れているのは髪の長い可愛い顔をした作品ばかりで、私の思いとは全く逆の結果になっている。 画廊主に聞いてみると、ここでは可愛い系の展覧会が主なので、お客様もそうした作品を求めるのだそうだ。 お宅系といったらいいだろうか、私の従来の目線とは大きく違っていて、鴨居展の時に書いた思いは通じない。 時代についていけないと肩を落としながら、灼熱の道を帰るのであった。 ●7月20日 連休は河口湖へ。 昨日は息子とゴルフ。 家もゴルフ場も標高1000Mのところにあるので、夏でも涼しくて快適だが、さすがに昨日は日差しが強く、めまいがするほどであった。 私は普段からあまり水分を欲しないほうなので、その分汗もかかず、多少熱中症気味だったのかもしれない。 目もしょぼしょぼで、白内障になるので、なるたけ紫外線を避けるようにと医者から言われていて、強い日差しの中でサングラスをしなかったせいかもしれない。 あちこちと若い時と同じようには行かなくなってきた。 今日も暑さを避けて、朝早くに畑の野菜の収穫に出かけた。 今年は天候不順で、日照不足の日が続いたこともあって、今頃できる予定の野菜が不作である。 きゅうり、茄子がぜんぜん駄目で、トマトもまだ出来ていない。 それでもレタス、紫キャベツ、ズッキーニ、ルッコラ、長ネギ、サラダ菜、ラディッシュ、新ジャガなどは採りきれないほどたくさん出来ていた。 ここしばらくは食事も野菜尽くしになりそうだ。 東京は35度を超す暑さだそうで、できれば帰りたくない。 ●7月18日 会期末ぎりぎりになってしまったが、東京ステーションギャラリーの「鴨居玲展」を見に行ってきた。 私が大阪の画廊に勤めている頃に、安井賞を受賞し、大人気となった作家である。 安井賞は当時美術の芥川賞といわれ、若手の登竜門で、この賞を受賞するとたちまち人気作家となった。 今だとVOCA賞が同じような賞にあたるのだろうか。 各所属団体から推薦された作家と評論家推薦の作家がノミネートされ、そこから佳作賞と安井賞が選ばれるが、その頃安井賞は立て続けに神戸在住の作家が受賞し、それも二紀に所属している作家ばかりで、審査委員長の二紀の代表宮本三郎の影響が大であったといわれている。 第40回まで開催された安井賞には、野見山暁冶、中本達也や宮崎進、島田章三、絹谷幸二、有元利夫、相笠昌義、第39回には私どもの取り扱い作家である小林裕児が受賞している。 大阪にいた当時、大阪日動画廊で何度も個展を見たが、若い私には胸に突き刺さるような強烈なインパクトを与えた作家であった。 老人や老婆、自画像などを暗く重厚なマティエールで描き、美人画や薔薇などの静物画、山や海を描いた風景画が主流であった時代に、同じ大阪にあった大阪フォルム画廊で発表をしていた香月泰男などとともに、異端の作家として、今までの美術市場の価値観を大きく転換させる作家となった。 57歳で方向性に行き詰まり、自殺をしてしまうが、その生涯を象徴するように、その絵は不安や絶望など混沌とした心の闇を描いた狂気の作家といえるだろう。 丁度先日まで、隣にある川船画廊で開催されたT氏コレクションによる「小山田二郎」も同じように狂気に満ちた人物像を描いた作家の一人であった。 このコレクションではその半数を私が以前に納めたもので、久しぶりにそうした作品に再会することが出来、鴨居展と同じような感動がよみがえった。 こうした作家達と今のイラスト風の人物画を描く若い作家達と比較するのは難しいが、こうした作家達は、一生葛藤し続け、命をすり減らして、独自の表現を見出そうとしていて、今の画一的な人物画を描く作家達には、そうした内面の葛藤が少しも見られないのはどうしてだろうか。 葛藤し、挫折し、描くことに苦悩した作家の作品が、時代を経て振り返ったときに、見る人の心に感動を喚起させるのだから、若い作家達も上っ面ではない、内面を見つめ、内からほとばしるような人物画を描いていって欲しい。
●7月17日 友人の設計事務所に出来たギャラリーに、私ども作家を順番に展示することになっているが、その第一弾で堀込幸枝を紹介することにした。 友人の希望で、抽象傾向の絵が望ましいと言われたが、私のところではそれほど抽象系の作家は多くなく、具象と抽象の中間にあるような堀込の作品を手始めに紹介させてもらうことにした。 画廊には作品が残っておらず、彼女のアトリエにある作品から選ぶことにして、初めて彼女のアトリエを訪ねた。 都心から程近い閑静な住宅街の中にアトリエはあって、目の前には緑が生い茂り、自宅からも近く、家賃も安い絶好のアトリエ環境である。 用意してくれた絵から選ぶつもりが、結局は全部を持っていくことして、後は大量にある下絵のパステル画の中から数点を選ぶことにした。 こちらは出来るだけ形の見えない作品を選ぶことにした。 アトリエにはそれ以外にというより、こちらがメーンなのだが、来年一月の個展用の大作がほぼ完成の状態でいくつも置いてあるが、彼女に言わせると、どれもまだまだ手を加えなくてはいけない作品ばかりなのだそうだ。 今日持っていく作品は、3ヶ月間展示をすることになっていて、いい出会いがあるといいのだが。
●7月16日 今日は毎月一回の料理教室。 骨付きチキンカレーと砂肝を油で煮てスライスしたコンフィという付け合せ、紫たまねぎとセロリを酢で和えたサワーオニオンが今日のメニュー。
この4月から6年目に入り、教室ではベテランの部類だが、相変わらず不器用でおたおたしている。 今年度はお肉料理となっていて、家庭でもすぐに使える献立ばかりである。 4年間男ばかりの教室で、去年から女性の多い教室に入ったが、今度の教室は男性は5人だけで、他は殆ど若い女性ばかりである。 こんな中におじさんが入ると気が引けるが、6年ともなるとだいぶ図々しくなって、偉そうにはしているのだが。 いつも一緒のテーブルになる女性に韓国から来ている女性がいて、早口の先生の教え方についていけるか心配するが、手際よくこなしているので心配ないんだろう。 彼女はこちらに住んでいるわけではなく、毎月一回韓国に帰り、料理教室の前に日本にやってくる。 海外の料理教室に通うなんて思いも及ばないが、いるところにはいるものである。 今回のカレーは当然のごとく、ルーから手作りで、すごく上品でまろやかカレーが出来上がった。 こんなに美味しい料理が出来るのだから、皆さんにも振舞ってあげたいが、私の料理は段取りが悪いのと、レシピを一つ一つ確かめながら、大匙一杯というとぴったし量ってやるので、時間ばかりかかって一向に出来上がらず、多分いらいらして待つことになる。 日曜日も6時から始めて、出来上がって時計を見ると、何と9時になっていて、お酒飲みながら待ってもらったら、みんなへべれけになってしまう。 もう少し皆さんに披露するのはお待ちいただきたい。 ●7月15日 暑い日が続くが、夏バテしないように、早朝散歩を続けている。 今朝は可愛らしい親子連れに遭遇。 何とカルガモの親子が家の近所を歩いている。 親ガモによちよち歩きのコガモが4羽ついて行く。 周りに池もないし、どこへこの親子は行こうとしているのだろうか。 通りがかった自転車のお巡りさんが、後をつけて行く。 保護してくれるのだろうか、気になりつつその場を離れた。 住宅街のど真ん中を親について歩くコガモの姿に癒され、清々しい気持ちで朝を迎えることが出来た。 ●7月14日 今日は版画の交換会の他に全美連の総会があって大忙し。 総会の開始時間に間に合いそうもなく、出品した作品をいい加減な値段で売ってしまい後悔しきりだが、そんなことも言ってられずに、大慌てで全美連の会場の美術倶楽部へ駆けつけた。 なんせ突然の猛暑襲来で、身体が付いていかない上に、地下鉄の乗り降りで走った走った。 あまり汗を書かない私でもシャツがぐっしょり。 総会では全美連が社団法人の認可が下りたことの報告と役員人事などの承認がなされた。 社団法人となることで、団体の透明性と関係機関との信頼向上に繋がり、会員の更なる増強も期待される。 終わると、開催中の高木展に懇意のお客様が来ているということで、これまた大慌てで画廊に戻る。 高木展では、始まった早々だが、新作の立体はほぼ完売とその人気ぶりがうかがわれる。 同時に展示した昨年、一昨年の海外での発表作品の成約も期待したい。
●7月13日 土曜日、岩淵華林の個展を開いてくれた台南のダーフォンギャラリーのオーナーのチェンさんが画廊にやってきた。 その日に開かれたオークションへの参加と来年の岩淵展の打ち合わせをすることになっていて、私と岩淵、チェンさんと通訳の周さんと食事をしながらの打ち合わせとなった。 台南では二人とも朝から晩まで大変お世話になったので、さてどこへ案内したものか、寿司、天婦羅、すき焼き、どれも日本に来たら食べているものばかりなので、近くの串カツ屋に案内した。 これは初めてということで、大いに喜んでくれた。 嫌いなものはあるかと聞くと、チェンさん牛肉がダメだという。 イスラムでもないのにどうしてと聞くと、牛は台湾ではお金の守り神で、それを食べるとお金が入ってこないのだそうで、台湾では商売する人には牛肉を食べない人は多いそうだ。 それと前回も言われたが、日本では喫茶店でもレストランでも必ず冷たいお水が出てくるのが不思議だそうで、周さんもお婆ちゃんから午前中は冷たいものを飲んだり、食べたりすると、頭の回転が悪くなるので、やめるように言われていたそうだ。 私などは夏になると、自分の家で朝からかき氷を食べるのが楽しみの一つになっているが、私の頭の回転の鈍いのは、どうやらこのせいらしい。 チェンさん冷酒をうまそうに飲んでいるが、夜は後は寝るだけなので、頭の回転には関係ないみたいだ。 台湾では、残った食べ物を家に当たり前のように持って帰るが、スープまでビニールの袋に入れて持って帰るのには驚かされた。 お店ではテーブルの横にビニール袋が置いてあるところもあるそうだ。 所変わればで、こうしたことを知るのも海外とのおつきあいだからこそである。 今回の岩淵展も好成績だったようで、ジャカルタのフェアー用の大作三点も何とかこちらに回してくれないかと頼まれたが、すでに送ってしまっていて、こればかりはどうにもならず、売れないで戻ってくるようだったら、その時はとお願いした。 韓国もそうだが、他所の国に行くというと余計に欲しくなるようで、これもお国柄なのだろうか。 ●7月12日 今日は巨人阪神戦をエキサイトシートというネットもないグランド間近での観戦で、野球の醍醐味を堪能した。
そんな中、今の新国立競技場問題は、スポーツの楽しさ、高揚感、一体感というものが、失われていくような気がしてならない。 東京オリンピックが色褪せていく。 オリンピック開催も賛否があるが、私は40年前の開会式の清々しさと、国民が一つになって、各競技に興奮し、感動の涙を流したことが蘇る。 あの感動を今一度と単純に思うので、2020年の開催を楽しみにしている一人である。 バブル崩壊後の沈滞してしまった日本を元気、勇気付ける特効薬にもなるのではとも思っている。 ただそれにはある程度の節度も必要ではないだろうか。 お祭りも金さえかければいいというものではない。 費用を抑えて、手造りのお祭りもそれはそれで連帯感が生まれるものである。 新国立競技場の建設費はクレージーと言っていい。 政治に関しては、私はどちらかというと保守派で、朝日新聞はいくら購読を勧められても一切読まないのだが、今回の政府や文科省の考え方は全くもっておかしい。 なぜそれだけの費用をかけて、競技場を造らなくてはいけないのだろうか。 どんなメリットがあるのだろうか。 もしその財源があるのなら、まだ復興がなされていない震災被災地の建設に使うという考えは浮かばないのだろうか。 私も芸術に関わる一人なので、デザインの美しさという事は理解している。 ただ、私たちのアートと違い、建物には機能性も重要なことで、機能的にも優れ、デザインも素晴らしいというのが一番いい。 もう一つ、画廊で展覧会をやっている側としては、いかに与えられた空間を活かすということも展覧会の重要な要素である。 斬新なデザインで、目立つだけでいいものでもなく、周りとの調和も必要である。 建設費もそうだが、神宮の杜に相応しい景観と言えるだろうか。 国際的威信といった面子をかなぐり捨てて、是非とも再考してもらえないだろうか。 こんな事で、オリンピック精神やスポーツの素晴らしさが色褪せて行ってはいけない。
●7月11日 フェースブックの「まとめNEVER」に現代アートが難解かつ高額な理由というタイトルで記事が出ていたので転載させていただく。 出典 matome.naver.jp 価格が価値になるという、美術史上かつてない時代 「今はかつてないほど、お金とアートが結びついている時代であり、そのルールの元に世界のアートシーンは構成されている」 「しかし、(先進国の中では唯一)日本はそのルールに完全に乗り遅れており、日本のアート業界は機能不全になっている」 出典 *arts marketing.jp 現代アートが難解かつ高額な理由〜「現在のアート界のルール」その1 「(美術品としての)価値が価格に反映される」のではなく、「美術品につけられた価格が価値になる」時代だということ ■なぜ今、アートがマーケットに支配されたか 20世紀末の「グローバル経済と情報技術の発達」。 各国通貨の壁も、距離の壁も乗り越えるられるようになり、アートが値上がりの期待される投資商品の対象として見込まれたこと そして、投資商品(やブランディング)としての価値を見出すのであれば、購入するのは、評価が定まり、すでに高評価のものには高額の値がついているアートではなく、まだ評価が定まっていないが値上がり価値が期待される現代アートになる。 ■金、インフラ、言語化というルール 価格を決めるインフラは「人」である。 だから、言葉が必要なんだよね。 この作品が、どういう思考の元に生まれたのか。 それは、どれだけ美術史の文脈の中で重要なのか。 それをプレゼンできないと、”インフラ”を動かすことはできない。 それどころか、そのルールの中で存在することすらたぶんできない。 「(西欧)美術史の文脈」(と「富裕層の求めるもの」をクロスしたもの)の中で出てくるコンセプト、そのコンセプトが「美術史に残るようなもの=未来に向け価値があがるもの」に価格という価値がついていくのだから。 ▼まとめると 値段が高いほうが美術品として価値がある、という価値観が前提 アートが投資商品の対象となった 投資目的であるので、評価が定まっていないが値上がりする可能性の高いものを購入する 作品にどれだけ価値があるか(これから価格が上がるか)を言語をもってプレゼンする 出典 corsblog.cocolog-nifty.com ■アートディーラーのお話 出典 「今、注目される現代アートの世界とは」セミナー・レポート Vol1.アートの値段はどう決まる? -価格決定のプロセス|現代アート販売(通販)のタグボート 絵には2種類の価格があります。 1番目が「プライマリー・プライス」。 取り扱い画廊の販売価格です。 その作品が最初に世に出る時の価格ですね。 画廊とアーティストの取り分が一緒になって設定されます。 プライマリー・プライスは、画廊の信頼性・影響力・企画力・販売力、あるいは作家のキャリア・将来性・作品の完成度などが価格決定の要因となってきます。 2番目が「セカンダリー・プライス」。再販売価格のことです。 これは作品が一人歩きし、売り手と買い手の合意によって決まる価格です。 またそこで介在するオークション、ディーラーによる手数料なども価格決定の要因となってきます。 他に「地域」や「時期」も価格に影響を及ぼします。 ■購入を決める判断基準 (1)過去のオークションの履歴/落札価格ばかりに目が行きがちですが、実は総出品件数・総落札件数も大事です。 いくら高く売れていても1点2点では信頼性に乏しい。 総落札件数が多ければそれだけ社会的ニーズが高いということになります。 (2)美術館展覧会への出品歴/露出度が高ければそれだけ価格の信頼性も出てきます。 ですから大きな美術館でどのくらい出品歴があるかという確認は欠かせません。 (3)パブリックコレクション/どこの美術館に収蔵されているかを示すデータです。 買うという行為は対価を出して自分のものにするわけなので、パブリックコレクションに入っているということはその作家を評価する上で非常に有効な指標になります。 (4)受賞歴/海外の有名な賞は露出度も高いですし、価格も含めて大きな影響力を持っています。 (5)取り扱い画廊/取り扱い画廊の「他にどんな作家を扱っているか」を調べます。 (6)作家本人と話す 作家と一緒に作品の前に立ってその作品のことを話します。 ▼現代アートの価格は作品がいかにすばらしいかという基準で決まっているわけではない 広く認識されているアート=美しい、すばらしいものという基準でなく、業界内でのルールに則って価格が決定されていることがわかります。 このルールが是か否かというのは意見がわかれるとは思いますが、こういう仕組みでマーケットが動いているということを踏まえると違った見方ができるかもしれません。 この「まとめNEVER」では現代アートが金融商品となったと書いてあるが、これは今に限ったことではなく、日本でもバブル期、昭和40年後半の絵画ブームも同じようにアートが金融商品となり、その結果大暴落をしている。 今の現代アートも投機が目的であれば、いずれは売りに出されることになるわけで、うまく回転している時はいいが、経済が破綻した時には一斉に売り出されることから、暴落は必至である。 おそらくバブルに踊った中国のアートマーケットも株の暴落とともに、大混乱に陥るのは必定である。 それでも一時的に価値が下がっても、再び評価されるアーティストも当然いるわけで、そうしたアーティストこそ美術史とともに市場でも評価されるのではないだろうか。 ●7月10日 画廊のホームページでも案内させていただいているが、高木まどか展が終わると、7月29日から8月5日までH氏コレクション「幻想とエロス」を開催する。 H氏宅が建て替えをするために、最後まで秘蔵していたコレクションを処分することになった。 5000点を超えるコレクションもほぼ私のところで処分をさせていただいたが、いよいよ整理も最終章を迎えることになった。 思い返せば、よくぞこれだけの作品を集めたものである。 毎日作品を買っても、15年はかかる計算になる。 約40年にわたるコレクションなので、1年に120点づつ買っていっても追いつかないわけで、生涯をかけた膨大なコレクションであり、それも一つのテーマに沿ったコレクションであることがすごい。 多くのコレクションは有名無名を問わず、総花的になるのが普通だが、H氏コレクションは一貫している。 その多くが幻想とエロスで、特別高いものをコレクションしたわけではないが、その姿勢には感服する。 今60年代、70年代の日本の抽象画が海外で高い評価を得て、オークションでも驚くような価格が付くようになった。 丁度その頃は60年安保、70年安保と若者たちが問題意識を持って、時の権力に立ち向かっていった時で、美術の分野でも近代美術から脱却し、若い作家達は新たな美術を目指していった時期である。 そんなときに片方では抽象表現に、片や幻想美術に若い作家達は傾倒して行った。 抽象では、具体美術、ハイレッドセンター、ネオダダ、もの派といったグループが生まれ、自分達の主義主張を作品を通して表現した。 幻想美術は滝口修造、澁澤龍彦、種村季弘、巌谷國士などの文学者が文学を通して、幻想美術を世に紹介し、それは美術に留まらず、演劇、舞踏、写真、音楽などあらゆる分野の芸術に影響を与え、大きなムーブメントとなった。 そこに時代を象徴する寺山修司、唐十郎、土方巽、細江英公、武満徹などが輩出されたのである。 美術家では、加納光於、池田満寿夫、中村宏、横尾忠則、合田佐和子、金子国義、四谷シモン、野中ユリなどその時代を象徴するような作家が生まれた。 こうした作家達を余すことなく収集したH氏コレクションは、本来であれば、そのコレクションで美術館が出来るほどであった。 多くの作品を既に整理してしまったので、全部を網羅するわけにはいかないが、その最後の締めくくりのコレクションとして、是非ご覧をいただきたい。 中村宏、山本六三、藤野一友
ゾンネンシュタイン、ベルメール、ヴンダーリッヒ
●7月9日 土曜日から高木まどかの個展が始まる。 彼女の特長である極彩色と豊かな造形美は健在で、会場は鬱陶しい梅雨空を吹き飛ばすような華やかな展示となる。 今回は平面作品も多く出品されるが、そこには刺繍が施されていたり、和紙がコラージュされたりしていて、単なる平面ではない。 また耳や目を模した形の平面作品もある。 日本人離れした色彩のように思えるが、歌舞伎や能の衣装のような煌びやかな色彩で、外国の人が見たらこれぞ日本と思うかもしれない。 実際、最初の個展ではイギリスから来た女性が大変気に入り、ここからここまでとまとめ買いをしていって、驚かされたものである。 初めての広い会場の割には、作品は少ないが、強烈なインパクトで、空間を埋めてくれるだろう。
●7月8日 7月末にコレクション展を予定しているH氏宅がマンションに建て替えることになり、父親で文化勲章受賞作家の代表作数点を完成するまで預かって欲しいと頼まれ、私どもの倉庫でお預かりすることにした。 長いお付き合いをさせていただいているので、預かり料は取らない代わりに、作品に何かあっても私のところで責任はとらないとさせていただいた。 私が夜逃げをしても、倉庫が火事になっても、それはご勘弁をということである。 もちろんその作品を売って、いなくなるなどということもないので、ご安心をとは言っておいた。 保険もそちらで対応はお願いすることにして、まずはそうした取り決めの覚書だけはかわすことにした。 私どもには、長いことお客様からお預かりしている作品がたくさんあって、中には100点ぐらいの作品を一人のお客様から預かったままになっている。 またいくつかの作品は支払ったままで、それ以外は未払いのままになって、お預かりしている作品も多数ある。 私どもも自前の倉庫を持っているわけではなく、毎月の倉庫代も馬鹿にならず、果てさてどうしたものだろうかと悩んでいる。 こうした預かり品の時効というのはあるのだろうか。 のんきに構えていたが、一度調べてみなくてはいけない。 ●7月7日 七夕さん。 子供の頃は願いを短冊に書いたものだが、どんなことを書いたのか覚えていないが、果たしてそれが実現できただろうか。 この歳になると、大それた願い事はないが、やはり最近のテロや日本の政治の動きを見ていると、世界が平和であるようにとまず思う。 それから、私を含め、家族が健康で幸せに過ごす事が出来ればとも思う。 ありきたりの事だが、最近は特にそう思うようになった。 画廊も今は大変な時だが、作家さん、スタッフが一体となって、先にある明るい希望に繋がっていければと願う。 ●7月6日 ロータリーの年度初めの初例会。 人事も一新、気持ち新たに新年度を迎え、どこか晴れやかな気分になるはずだが、朝の理事会で、私の大役の辞令が下り、気分は欝。 地区とクラブのパイプ役で、スムーズにことが運べばいいが、俺が俺がの偉い人たちばかりで、果たして思惑通りにいくか、肩の荷が想い。 夜は前年度の役員達の慰労会。 会員数は多いが、集まるのはいつものメンバーばかり。 我がクラブも硬直状態で、もう少し風通しを良くして、たくさんの人がこうした親睦会に出てくれるようになるといいのだが。 ●7月5日 雨なので、ゴルフを中止にして、隅田川クルーズなるものを体験。 花見で屋形船に4月の初めに乗ったが、夜で景色を見ることが出来なかったので、再チャレンジ。 築地からお台場、浜離宮から両国、浅草を下っていくコースで、日曜のわりには空いていて、ボランティアの人の説明を聞きながら、のんびりと川下りのはずが、途中で自分が船を漕ぎ出してしまい、殆ど何も見ずに浅草に到着。 外人も何人か乗っていたが、日本語の説明だけでは、あまり面白くなく、私同様に眠たくなってしまうかもしれない。 あいにく小雨が降っていて、スカイツリーもぼんやりとしか見えず、船からでは見せ場は少なく、乗り降りフリーの周遊券にすれば、お台場や浜離宮、江戸博物館、両国国技館、浅草寺、スカイツリーと東京見物を外人さん達は楽しむことが出来るのに。 船を下りて、浅草寺にお参りしてきたが、こちらは外人観光客で大混雑。 滅多に来ることはなく、身近すぎて東京見物などすることはなかったが、たまの休みを一人下町ぶらり旅を楽しんだ。 ●7月4日 昨日久しぶりに、注文作品があって、マレットオークションという公開オークションに出かけた。 カタログを見てみると、日本人作家の殆どが版画以外は具体美術、もの派の抽象作品ばかりで、一年前のカタログと見比べてもその様変わりはには驚くばかりである。 先般も、韓国のオークションカタログが全てといっていいほど抽象作品で占められているのを見ると、世界のマーケットは完全に抽象絵画に移行したようだ。 会場も以前なら知った顔も多かったが、一部の画商以外見知らぬ人ばかりで、何となく肩身の狭い思いで会場に入った。 オークションが始まると、そうした抽象作品は軒並み落札予想価格をはるかに超えた価格で落札されていく。 田中敦子という一時具体に所属していた作家の120号の作品は、何と1億2千万円で落札された。 ついこの前まで、値段が低迷していた抽象作家の作品も、みな高値で落ちていく。 今までこうした抽象作品を扱っていた画商やコレクターは、はるか手の届かないところに行ってしまったようで、今やセカンダリーディーラーが抽象絵画の先頭に立って、跳梁跋扈する時代となってしまった。 そんなわけで、抽象絵画が金融商品に転換される時代となり、それに反して近代美術史を飾った具象作家達はますます影が薄くなってしまった。 折りしも今美術館で好評を博しているのは、具象作家でも異端といわれた鴨居玲や河鍋暁斎などの展覧会で、今美術の価値観は大きな転換期を迎えたと言っても過言でない。 ●7月3日 現在、ドメインの停止という憂き目にあってしまい、今までのgallery-tsubaki.jpを何とか復帰すべく頑張っているが、それまではこちらをご覧いただきたい。 jpがnetに変わるだけだが、皆さんには大変なご迷惑をおかけする。 http://www.gallery-tsubaki.net 上記でアップしていただければ従来どおりにギャラリー椿のページを見ることが出来る。 といっても、今このブログを見ている方は、新しいドメインでアクセスされた方なので、そうでない方にはこの告知も意味をなさない。 ツイッターやフェースブック、一斉送信メールなどでお知らせしているが、それを見ていない方は、おそらくアップできないでお困りに違いない。 こういう時には、どうしたらいいのか知恵が浮かばないが、先ずは復旧できるようにしなくてはならない。 ●7月2日 私どもで発表している若い作家さんの新作が国内外の展覧会への出品となったり、本の表紙になったりで、本来なら私のところで紹介したい作品ばかりである。 牧野永美子の立体は8月27日からのジャカルタのフェアーに地元エドウィンギャラリーから出品することになっている。 天明里奈の作品は秋葉原のアート千代田内にあるギャラリーJINに、ギャラリー椿の企画協力という形で出品していて、今週土曜日まで展示をしている。 岩渕華林は最近装丁の仕事が多いが、昨日発売となった小杉英了著「赤い呪縛」に新作を提供している。 タイトルに合わせて、髪を赤く染めた少女が登場する。 黒を基調にしている岩渕だが、テーマに沿った新しい試みである 。
●7月1日 今日から7月、海開き・山開きなのだが、梅雨寒といったらいいだろうか、夏という感じがしない。 梅雨に入ってから朝晩の気温はそれほど高くなく、身体にとっては有難いことなのだが、春も短く、どこか気候がずれているようだ。 地震や噴火なども相次いで起きていて、大きな災害がやってくるのではと不安を掻き立てられる。 雨の中、目白のホテルで開催されている嘉久房窯14代平戸悦山の個展に行って来た。 最近ご縁が出来たエッセイストのIさんから是非見に行って欲しいとの連絡をいただき、早速伺う事にした。 透き通るような白磁の作品が並ぶ。 器はもちろんなのだが、超絶技法で作られた虫籠や白菜を模した香炉など目を惹かれる作品が並ぶが、100万をはるかに超えるものばかりで、私などには手が出ない。 六本木ヒルズに会社を構えるいわゆるヒルズ族のIさんのご子息が会場におられて、ホテルのラウンジでお茶をご馳走になりながらお話をさせていただいた。 平戸氏のお嬢さんの旦那さんと縁があって、この展覧会を応援しているそうで、こうした作品を海外で展開できないかと相談を受けた。 一度ヨーロッパのセレブが集まるクルーザーで展示したことがったが、高いものから見る間に売れたことがあり、何とか世界にこうした日本の伝統の技術を知ってもらい、ビジネスにも繋げて行きたいとのことであった。 私も工芸のほうは分野が違うので、どのように展開したらいいかわからないが、超絶技法の作品を工芸ではなくファインアートとの範疇に入れて、海外のアートフェアーに出品してみてはどうだろうかと提案させていただいた。 一度お母様と一緒に海外のフェアーに見学に行くことを薦め、試しに私どものブースで展示も考えてみようと申し上げた。 どのような展開になるかわからないが、一度こうした分野も私どもにはいい機会なので、海外でのお手伝いが出来ればと思っている。 |
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