●1月13日
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今日から仕事始め。
暮に2泊3日の社員旅行、続いて16日間の冬休みとスタッフとの福利厚生にこれ努め、リフレッシュして新たな年を迎えることとなった。
のんびりしている最中、毎日毎日メディアでは不況、不況のニュースばかりでいささか嫌気がさしている。
麻生首相が年頭に哲学者アランの言葉を引用し、悲観は気分、楽観は意志と、珍しく気の利いたことを言ったが、これも既に小渕、小泉の歴代首相も言ったと聞いてがっかり。
それでも朝に晩に新聞テレビで書かれると確かに気分は悲観的になる。
そんな中、読売新聞の夕刊コラム欄ににギャラリストが5人大きく取り上げられ、その活動が紹介されていた。
悲観的な話ではなく、希望を持って自分達の仕事に邁進している様子が書かれていて、私も負けずにと気持ちが引き締まる思いであった。
それだけではなく、グローバルにその活動の範囲を広げている人たちだけに、その端くれにいる私には大いに勇気付けられる記事であった。
現実を直視すれば、のんびりしているわけにも行かないが、強い意志を持って難局に立ち向かい、いい一年でありたいと思っている。
早速に今週土曜日からは岡本啓展で幕開けである。
新進気鋭のフォトアーティストで、レンズを通してではなく、印画紙から色を抽出するという独自の技法は、写真の範疇を超えた無限の可能性を秘めており、躍動する多彩な色彩と多様な造形を是非堪能していただきたい。
また同時に後半の一週間を、長いお付き合いをさせていただいている山本冬彦コレクション展をGTUにて開催する。
アート情報誌「アーティクル」誌に氏の紹介する若手作家の連載欄「ギャラリーがよい」があり、そこで掲載された作家の作品コレクションを紹介させていただく。
その中には今回の岡本啓などの作品もあり、こうした若い無名の作家を支援する山本氏のアート普及活動の一端を知っていただければと思っている。
更には1月26日(月)18時より同じサラリーマンコレクターである小池保氏を交え、コレクションの楽しみ苦しみを語っていただくトークショーを企画、是非とも多数の御来廊をお待ちしている。
●1月16日
一昨日は組合の初会。
恒例の新春講話に以前に雑誌で対談したことのある元国税庁長官の大武健一郎氏にお越しいただき、「美術と税」と題してお話をいただいた。
氏はぐい飲みのコレクターとしても知られ、お役人には珍しく文化に理解のある方だけに、我々には心強いお話をいただき、こういう方には今一度は国税庁長官に返り咲いていただきたい。
クールジャパンといわれる日本人の感性・美意識は世界にも冠たるものがあり、グローバルな時代にあって、日本文化にもっと自信を持つべき。
資源のないわが国において、科学技術だけではなく、国としてもっと戦略的に日本文化の発展に力を注ぐべき。
税制面でも美術品の継承には配慮をすべきであり、イギリスのように美術品の相続は一代飛ばしという制度(孫の代まで相続税をかけず、その間は美術館が預かり、私有財産を公共財として活用する)等を参考にすべき。
寄付に対しても法人にはゆるく個人寄付に厳しい税制度を改め、欧米のように寄付行為をした人を社会として讃えるべきであり、そうした行為をすることが名誉であるといった考えに変わらないといけない。
これからしばらくは厳しい時代が続くが、掛け軸や襖といった生活に密着した生活藝術の特技を持つ日本の伝統を再認識して、生活の中心に美をおくことで心だけは豊かであるべきといったお話をいただいた。
休み明け早々だが、常連のお客様が変わらずにお見えになり、かまびすしい世にもかかわらず、ありがたい事と頭が下がる。
●1月19日
土曜日から岡本展が始まった。
彼独自の写真技法による発表で、企画では2回目の展覧会となる。
まだ28歳の若手作家で、写真という私どもではなじみの薄いジャンルなのと、世の中厳しい厳しいの大合唱、
果たしてどんな幕開けになるか不安もあったが、多くの方にお見えいただき、ほっと胸をなでおろす。
昨年の暮れまでやっていた韓国の個展の結果も詳細は後日になるが、ほぼ完売に近いとの連絡が入ってこれも一安心。
百貨店の売り上げが大幅に減少とかで、小売業にも逆風が吹き荒れているようだが、先ずは順調な滑り出しと言っていいだろう。
そんな中にあって戸惑うのは、海外を含めてオークション会社が毎日のように入れ替わり立ち代わりやって来ることである。
去年も来るには来ていたが、こう毎日だとオークション会社の大変さがひしひしと伝わってくる。
オークション会社も淘汰の時代で、去年末には合併したり解散したりと離合集散が繰り広げられた。
私もオークション会社の社長を経験したが、生き残るには細かいものでも丁寧に対応することが大切で、今好調なところはそうした対応をしてきたところだけである。
今頃になって、何でも承りますといわれても、日頃の対応というものがある。
お客様の処分の依頼があっても、こんな価格の安いものはうちでは扱えないとか、十羽一絡げならと言われた所には、二度と頼むことはない。
画廊にも同じことが言えて、版画の一点、デッサンの一点のお客様にも丁寧な対応をすることが肝要で、急に揉み手をしても今更と言われるのが落ちである。
40年前の話になるが、大阪の画廊に勤めての初商売は、進物用に買っていただいた色紙一点であった。
金額にしたら大したことはないが、私にとっては初めてのお客様である。
事あるごとに連絡をしたり、お宅に伺ったりしていた。
そのうちにその方の事業が大きくなり、ゴルフ場を作るということになった。
たかが色紙一点で顔を出してくれた君に、長い間何にもしてあげられなかったが、今回ゴルフ場を作るにあたり、18ホール全てのティーグラウンドに等身大の彫刻を、クラブハウスの中の絵、玄関前のモニュメント全て任すからやってくれないかとの話をいただいた。
未だに忘れられないうれしい思い出だが、商売とはそんなものではないだろうか。
画廊にお見えいただいた縁、買っていただいた縁、大切にしていきたいものである。
●1月23日
昨日・一昨日と車で、2月末に開催予定の「幻想美術・コレクション展」に出品していただく名古屋のO氏を訪ねた。
四谷シモン、合田佐和子などの代表作を始め、私どもの取り扱い作家の恒松正敏、桑原弘明の初期作品など名品珍品の数々を出していただくことになった。
併せて、金子国義、藤野一友、片山健、秋吉巒、大月雄二郎など幻想美術の紹介者であった仏文学者・澁澤龍彦ゆかりの作家達の作品がO氏やそれ以外のコレクターからも出品されることになっている。
奇想・異想の作家達ばかりであるが、日本独自のシュールレアリズムを築き上げたそうそうたる作家達である。
昨年、「澁澤龍彦幻想美術館」が埼玉県立美術館を始めとして、札幌、横須賀と巡回された。
やっと企画をしてくれたかの思いが強い。
いつも思うのだが、キリスト教儀的ではない、日本人独自の土俗的な幻想絵画の流れは脈々と受け継がれているのだが、その評価や顕彰があまりなされていない。
60年以降の抽象表現主義や昨今のサブカルチャーばかりが取り上げられ、美術館の企画もどちらかというとその流れを追随しているように思えてならない。
海外からの評価で逆輸入された若冲や蕭白などは盛んにメディアでも取り上げられるのだが、上記の作家達や池田龍雄、野中ユリ、小山田二郎・平賀敬、中村宏など戦後美術のエポックとなるべき作家達にももう少しスポットライトを当ててもらえないだろうか。
●1月26日
今日から一週間GTUで山本冬彦コレクション展が始まる。
山本氏とは30年近く前から、お客様としてだけではなく、若い作家をご紹介いただいたり、アート普及活動などでもご一緒させていただいたりと、アートを通して多岐にわたるお付き合いをさせていただいている。
コレクターの集まりであった美楽舎の立ち上げに参加し、その後アートソムリエと名乗って、サラリーマンやOLの方にコレクションの楽しみを説き、受け手の側からアートの普及に努めていただいている、私が最も敬愛するコレクターのお一人である。
コレクションを秘蔵するのではなく、積極的に公開し、若手作家の作品を見る機会を少しでも多くとの思いと、これからコレクションを始めようとする方への指針となればとの思いで、今までにも数多くのコレクション展やギャラリーツアーを開催している。
今回は美術雑誌アーティクル誌で連載の「ギャラリーがよい」に紹介された若い作家を紹介していただくことになった。
その中には現在開催中の岡本啓の作品もあることから、この時期に合わせてコレクション展を開催することにした。
今日は6時から同じサラリーマンコレクターとして長い間お世話になっている小池保氏にお越しいただき、山本氏とともにコレクションあれこれを語っていただこうと思っている。
●1月27日
昨日ご案内したトークショーはまずまずの人出で一安心。
山本氏、小池氏よりコレクションの醍醐味、苦労、画廊や若い作家への提言、コレクターを始める方へのアドバイスなど色々とお話をいただいた。
さすがお二人とも年季の入ったコレクターだけに示唆にとんだお話で、予定の時間を30分も超過してしまったが、皆様には興味深く聞いていただけたようだ。
お聞きいただいた方の多くは、お二人同様にコレクターとしてよく知られた方で、共感を呼ぶ話も多々あったのではないだろうか。
私ども画商にとっても、美術にかける熱い思いがひしひしと伝わり、不況といわれる中にあって、大いなる勇気をいただいた。
支払いの苦しみを常に背中に背負いながら、20数年に及ぶコレクションを続けてこられたお二人に心よりの感謝を申し上げたい。
●1月29日
去年の暮から一時間ほどの朝の散歩を再開。
13年ほど我が家の一員であったワンちゃんが死んで、散歩に行く機会がなくなったのと、高齢の母が骨折をして、弟と交代で母の家に泊まることになってから、日課にしていた朝のジム通いもすっかり億劫になってしまった。
おかげで、メタボ一直線、ズボンはきつい、靴下や靴を履くのに一苦労。
玄関に靴刷き用の椅子まで買ってしまう体たらく。
これはいかんと一念発起、ようやく重い腰を上げて、先ずは早朝の散歩となった。
始めてみると、朝の寒気が心地よい。(余談だが、ある有名なアナウンサーが天気予報でこの寒気をさむけと呼んで上空からさむけが襲って来ると言ったとか)
犬が横にいないのは寂しいが、以前のように朝の散歩が楽しみとなった。
いつも代々木公園まで出かけるが、ここにきて数本ある紅白梅の花が開き、冬の寒々とした景色に彩を添えている。
●1月30日
私の画廊の周りのビルが次々に取り壊されていく。
前の私がいたビルも跡形もなく消え失せ、広々とした駐車場に様変わり。
隣のビルもガタガタと解体の音が響く。
それに伴い近所の画廊が別の場所へと移っていく。
以前私が京橋に移って来た時は隣に一軒画廊があるのみで、同じビルの上に老舗の日本画の画廊があるだけだったが、その後銀座からこちらにどんどんと画廊が移ってきて、京橋は一大画廊エリアとなった。
私の画廊がある通りだけでも16軒の画廊が軒を並べていたが、今やその面影さえなくなり、移ってきた当時と同じ姿に戻ってしまった。
移転だけではなく、撤退をする画廊もあって、時代の移り変わりを目の当たりにさせられる。
それに連れて、木場や日本橋、浅草橋界隈といった所に画廊が点在するようになった。
私も広さの割りに家賃が安い京橋に画廊を開くことにしたのだが、同じような理由で今は銀座・京橋から離れていくようだ。
後数年すると周りに巨大なビルが建つことになるのだが、路地裏文化といったらいいだろうか、通りを入ったところに軒を並べながら商売をするといった情景は全くなくなってしまう。
蕎麦屋やパン屋があって、画廊はどこと聞かれると、煙草屋の先の喫茶店の向かいだよといったことはまずなくなってしまう。
その代わりに、ウエスト棟の20階の15号室に私の画廊はありますといった、全く味も素っ気もない案内をしなくてはならない。
街の名前同様に街並みも風情がなくなってしまうのが寂しい。
●1月31日
からから天気が続いていたが、昨日今日と冬には珍しい強い雨が降った。
新種のインフルエンザ到来と聞いて、マスクに手洗い、うがい、各部屋に加湿器と予防にこれ努めたが、このお湿りで少しはその脅威から解消されるかも。
知り合いの医者から冬は雨になるととたんに患者が減ると聞いた。
風邪引きの患者が急に少なくなるからだそうだ。
早いもので新しい年を迎えたと思ったら、もう今日で一月も終わり。
岡本展、山本コレクション展も今日が最終日となってしまった。
午後からはコレクション展の出品作家達が10人ほど集まり、それに合わせて大勢のお客様もお見えになり、 交流を深めることになった。
その中で私が興味を引いた作家達の作品も、いずれ機会があれば是非紹介したいと思っている。
●2月3日
シンワオークション近代美術の落札結果が送られてきた。
コンテンポラリーに押され気味だった近代美術中心のオークションだけに結果が心配されたが、落札率も90パーセントを超え、そのどれもがエスティメート価格の下限を割ることがなかった。
その直前の別のオークション会社のコンテンポラリー作品や海外版画の落札率が50%そこそこの上、全ての落札価格が下限の一割以下だったことを考えると、大きな違いとなった。
シンワのお客様の層の厚さなのか、コンテンポラリーに食傷気味であったお客様の反動なのかはよくわからないが、この時節を考えると金額の嵩は別にしても大成功といえるのではないだろうか。
確かに時代の流れの中で価値観が変わっていくのは仕方がないが、過熱気味であった内外のコンテンポラリー作家の価格を考えると、時代を経て残ってきた近代美術の作家達の価格が如何に安かったかを冷静に見極める時が来たのかもしれない。
絵画の価格は常に相対的で、若い作家がこんなに高いなら、同じ価格で以前は手が届かなかった作家の作品が買えるのではとか、新しい時代の潮流に傾きすぎると、その潮流に影響を与えた過去の作家が再評価がされていくといったことはいつの時代にもある。
2月末に開催される幻想美術コレクション展のことを日記に書いた途端に、多くの方から作品の内容や価格についての問い合わせがあり、既に予約もいただいていて、その反響の大きさに驚いている。
30年前、40年前の仕事が殆どだが、こうした時代にあっても色褪せるどころか、かえって新鮮に見えるから驚きである。
四谷シモン、合田佐和子、金子国義の初期作品や、今は殆ど見ることもなくなった藤野一友、秋吉巒、片山健、城景都といった澁澤龍彦ゆかりの作家達の作品、それにその系譜を受け継ぎ、私どもで発表をしている恒松正敏、桑原弘明、篠田教夫等のデビュー作など、私にとっても心躍る作品ばかりで、皆様にご披露するのが待ち遠しくてならない。
12月のオーガオークションで殆どの作品が投売り状態であった中、四谷シモン、合田佐和子といった作家の作品だけが際立って高く落札されたのも、この時期の象徴的な出来事として捉えたい。
●2月4日
昨日、ニキ美術館の増田静江館長が亡くなられたとの知らせをご子息よりいただいた。
1月29日だったそうで、既に葬儀が終わっていて、お伺いできなかったことが悔やまれる。
私が京橋に画廊を開設する前後からお世話になり、オープニングのときにも厚い心遣いをいただいたり、一昨年の合田佐和子展に車椅子で久しぶりに画廊を訪ねていただいたことが懐かしく思い出される。
姉御肌、とにかく気風のいい方で、その当時の若い作家の面倒を親身になってみておられ、若い作家にとっては母親のような存在であった。
その後、フランスの女流作家・ニキ・ド・サンファールに出会い、そのコレクションに生涯を捧げ、那須にニキ美術館を開設するに至った。
昨年暮れには、家内・スタッフともども美術館を訪ねさせていただいたのも、増田さんにみんなにもニキの作品を見せてあげての声に呼ばれたからかもしれない。
東京のご自宅で静養中で、お目にかかれることはできなかったが、お元気だと聞いていただけに、突然の訃報にただただ驚いている。
昨年の大川さん、そして増田さんと、名前にとらわれず、自分の目を通してコレクションをされ、美術館まで作られた方が亡くなられ、大きな時代の変わり目を感じずに入られない。
ご冥福をお祈りする。
●2月6日
望月通陽展の飾り付けが終わった。
昨年一年間、たかの台にある松明堂ギャラリーにて月替わりの展覧会を彼は続けた。
毎月違ったものを見せなくてはならず、それは作家にとっては大変なことで、あふれ出る才能と技術、それにもまして不断の努力が必要である。
画廊の側も一人の作家を見せ続けるわけで、他の作家との兼ね合い、画廊の台所などを考えると、これまた大変なことである。
一対一の作家と画廊の真剣勝負、お互いの情熱がなければ出来ないことである。
藍染め、陶芸、衣装、鉄、ガラス絵、型染め、ブロンズ、タイル、鋳造ガラス、ペン画、漆絵とよくぞやったものである。
私はじっとその経過を見守り、いいとこ取りと言ったら怒られてしまうが、鉄を切り抜いた作品、鋳造ガラスの作品を選び出し展示することにした。
どちらも彼にとっては新しい試みだが、彼の手にかかると魔法のように美しい作品が生まれる。
目も鼻もなく、手も足も体も単純な形が組み合わさっただけなのに、どうしてこれだけ多様な形が生まれてくるのだろう。
優しかったり、哀しかったり、笑っていたり、泣いていたり、そのどれにも表情があり、動きがある。
「私のかたちたちへのねがいは、私をかたらずとも、私であること。私をかたどらずとも、私であること」
松明堂の案内に書かれた言葉である。
私から生まれた私の作品を是非見に来ていただきたい。
●2月7日
政府の景気浮揚策として無利子非課税国債の発行案が浮上した。
国債の金利をゼロにする代わりに国債の額面を相続のときに無税にすることで、眠っているタンス預金を引っ張り出し国債を買ってもらおうというプランである。
日本には1400兆円を超える個人金融資産があり、そのうちの30兆円がタンスに眠っているという。
この前も土に埋めていた3億円の現金が盗まれたという記事が新聞に載っていたが、これだけ金利が安く、金融不安もあると銀行に預けず自分で持って老後に備えるという人も多いのだろう。
こうした眠った資金を掘り起こし、社会保障や雇用対策に使われるのであれば、これはなかなかいい政策のように思う。
以前韓国がIMF危機のときに、銀行金利を20%にしたらいきなり眠っていた裏預金が表に出てきたという話を聞いた。
それとは意味合いが違うが、ひたすら使わず、貯めて、結果相続で殆ど取られるのであれば、利子が付かないといえども、国債を買う人は多くなるのでは。
手前味噌で自分達が言うと説得力はないが、眠っている資金で美術品を買って、相続のときにその購入価格の何割かが税控除となれば、美術品が死蔵もしくは秘蔵されることもなくなり、美術品が国の文化遺産として後世に受け継がれていくことになる。
コレクターが一生かけて集めた美術品が、相続税のために売却を余儀なくされ、個人コレクションが散逸したり、叩き売られることもなくなるはずである。
美術品の寄付に対しても、贈与税、相続税の軽減を考えるべき時ではないだろうか。
先進国だけでなく、アジアの近隣諸国でもそうした措置が取られているのに、日本だけが遅れを取っていると、いずれ文化後進国として、世界の笑いものになるのもそう遠くない話のように思うがいかがだろうか。
●2月13日
スタッフや組合事務局の女性から早めのチョコをいただいた。
悪しき風習とも言われるが、一緒に仕事をしている女性たちや家族から貰うことは、何よりうれしい。
昨日も知人の元国立大学教授が画廊にやってきて、もう6個もチョコを貰ったと自慢げに話していたが、いくつになってもうれしいものらしい。
後は家内と娘、息子の婚約者を予定に入れても、昨日の爺さんには及ばない。
残るは本命チョコと言いたいが、その見込みは全くなく、鼻血が出たころが懐かしい。
しかし何としてもあの爺さんだけには負けたくない。
年毎に減っていくのはチョコと髪。
●2月16日
土、日と私事で九州宮崎に行ってきた。
東京も春のような陽気だったらしいが、向こうも半袖で充分、初夏の陽気だった。
正月に石垣島に行ったときは、毎日強い北風が吹き、あわててセーターを買い込むなど、南国沖縄を味わうどころではなかった。
今年も雨男、嵐を呼ぶ男の汚名は返上できないのではと思っていたが、どうやらそのジンクスも解消しそうである。
飛行機も空港もホテルも人で溢れかえっていて、2月のこの時期何事かと思ったら、16日から野球のWBCの合宿が宮崎で始まるそうで、イチローや松坂、ダルビッシュ目当ての報道陣や見物客でごった返しているとのこと。
それと東国原知事の経済効果も大きいようだ。
お土産屋さんの品物はどれも知事の似顔絵付きで、何とゴルフボールまでもが知事の顔が描かれている。
ゴルフ仲間の土産にと早速買い込んだ。
宮崎地鶏に宮崎牛、マンゴー、日向夏みかんと知事の宣伝もあってか、私の頭にもしっかりと刷り込まれていて、お土産選びもいつも以上に熱が入る。
1泊2日の慌しい日程だったが、南国宮崎を堪能して帰ってきた。
●2月17日
時節柄、処分の話が多いが、市場価格も下がっていて、売却には苦労する。
先日も友人の依頼である会社に伺い、査定をさせていただいた。
その結果、直ぐにお金がいるのでお願いをしたいいうことで、私どもの交換会で売却をした。
しかし売った後に、売った作品を買い戻したいと言ってきた。
売ってしまった以上どうしようもない話なのだが、いざ売るとなると思い入れもあるのだろう。
何とかしてあげたいが、買った早々では相手もすんなりとは買戻しには応じてくれそうにもない。
しばらく時間をいただくことにしたが、これからはこんな話も多くなるのでは。
28日からは3人のコレクターの方から出していただいた幻想美術展が予定されている。
事情があって手放すことになったが、お願いしてでも出していただきたい貴重な作品ばかりで、幻想美術ファンにとっては垂涎の展覧会となる。
こうしたお話なら大歓迎だが、20日はまたカビ・埃だらけの倉庫に行って、作品処分のお手伝いをしなくてはならない。
こんな仕事とばかりが多く、間違いなく私の肺はカビ菌に冒されている。
●2月23日
今日は朝から雨だが思いのほか暖かい。
三寒四温、春の足音が微かに聞こえてくる。
望月展が終わり搬出を終える間もなく、土曜日から始まる幻想美術展の準備にとりかかる。
作品点数が多く、さてどのように飾ったらいいものか、頭が痛い。
望月展も大勢のお客様で賑わったが、幻想美術展も問い合わせが殺到し、既に多くの作品に予約が入り、その反響の大きさに驚いている。
こうした幻想絵画には熱狂的なファンが多く、大阪、神戸、岡山といった所からも初日もしくは前日の展示までには画廊に来たいとの連絡も入った。
深刻な経済不況の中にあっても、こうした熱心な美術ファンがいることは大変有難く、私も勇気づけられる。
お見えになるお客様に聞いても、他所でもいい展覧会は不況知らずの売れ行きのようで、私達も心強い。
今のところ大きな影響を受けているのは、オークション会社、卸業者、ブローカーや俄か画商といったところで、こちらはは撤退、縮小、廃業といった話が聞こえてくるが、企画画廊はそれなりに元気で、こうした画廊と一緒になって業界を盛り上げていかなくてはいけない。
●2月25日
映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した。
経済や政治で暗いニュースばかりの中、久々に明るいニュースである。
テーマは暗いが、人間の尊厳にかかわる心に響くストーリーが、こうした厳しい時代にあって高い評価を得たのではないだろうか。
「おくりびと」と同時に短編アニメ「つみきのいえ」が受賞したり、村上春樹もイスラエルの文学賞を受賞したりと日本の文化が次々に世界で評価されたことはうれしい。
世界に向けて醜態を晒した日本の大臣がいただけに、汚名挽回となったのでは。
それにしてもこの大臣、海外での美術館巡りが趣味というが、美術品は触るものではなく、見て感じるものであることを教えてあげたい。
酒で疲れた体を癒すだけではなく、「おくりびと」のように心で感じ癒される世界があることを知って欲しい。
文化を愛し、感性の機微がわかる日本の政治家が一人でもいてくれるといいのだが。
●2月26日
ギャラリー山口の故建畠覚造展に立ち寄った折にいただいたパンフレットの一文を読んで心を打たれた。
奥様が展覧会に寄せて書かれた一文だが、美術家の妻として、一生を作家とともに歩み、苦労し、愛し、支えてきた思いが切々と綴られていて、目頭が熱くなった。
一文を引用させていただく。
覚造が逝ってから三年が経ってしまった。一人歩きになれない私を、歳月は静かに追い越し、去っていく。
中略
最晩年、彼が最後となった彫刻を制作しているときに私を呼び、アトリエに入ると手を休めないまま「もうこの作品が最後の作品だよ」と呟くようにいった。
咄嗟に返事が出来ず動かしている手を見ていると、「大丈夫。デッサンを描いて、小さな小さな作品なら作れるから」と、また呟いた。
私はその場に居たたまれず、「コーヒー持ってくるから」と言って台所に駆け込み、彼の気持ちを考えてあふれる涙を止めることができなかった。
彼は彫刻の中で生まれ、彫刻の中で育ち、彫刻を学び、一緒になってからも、過去を振り返らずに明日への彫刻のみに命をかけていた。まるっきり彫刻家の覚造の思い出は、透明で、一本の空に向かう直線のように、なぜかとてもきれいだ。
中略
私は覚造の後姿をいつも思い出す。門を出て角を曲がるまでのほんの数分間の、何ごとかを考えながらまっすぐにゆっくりと歩いて行く、私だけが知っている後姿だ。どんな時にも、私は必ずその後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。 |
最良の理解者とともに歩んだ作家の一生、いい人生だったに違いない。
●2月27日
雪が降ってきた。
今年はもう雪は降らないと思っていたのだが、今年初めての雪である。
昨日、不忍池にあるニキ美術館館長の増田さんのご仏前にお参りさせていただいた折、上野公園の入り口の桜がほころんでいるのを見かけたが、冬に逆戻りである。
雪の中、幻想美術の案内をかねて江戸川競艇場の中にあるアートスペースに伺う。
ここには昨年購入していただいた桑原弘明の作品が常設展示される予定になっていて、丁度今日その設置が終わり、私が始めての見学者として作品を見せてもらうことになった。
普段は彼の作品はペンライトを当てて、覗き込む仕組みになっているが、ここではそういうわけにも行かず、ボタンを押すとライトが点灯する仕組みになっていて、作品に触れずに見ることのできる装置を作った。
競艇場という殺伐とした雰囲気のスペースに桑原さんを始め、オートマタ(自動からくり人形)作家のムットーニの作品などの展示スペースがあり、暫し癒しの時間を過ごすことができるお勧めスポットである。
競艇場というのも初めて入る場所なのだが、この雪の中、レースが開催されていないにもかかわらず、大勢の人が詰め掛けている。
他所でやっている競艇場のレースの場外舟券を買いに来た人たちである。
以前に初めて行った府中競馬場で買った馬券が大当たりしたことがあり、ここでもビギナーズラックを期待してみたが、レースや舟券の仕組みがいま一つ理解できず今回は断念。
面白かったのは大きな真っ白なヤギのロボットが出口においてあり、外れ券をこのヤギの口に入れると券をパクリと食べてしまう。
名前も「マッシロー」とつけられていて、外れてがっかりもこのヤギが食べると心も和む仕掛けで、グッドアイデアである。
壁には寅さんのポスターやホーローびきのレトロな看板なども飾られ、競艇場の雰囲気を少しでも変えようとの努力が各所に見られる。
帰りには入り口においてある映画「大魔神」の像のお守りや「マッシロー」君のクオカードなどお土産までいただいてしまった。
雪の寒い日だったが、どこか心温まるひと時であった。
●3月2日
久しぶりの抜けるような青空。
イブ・サンローランのピカソ、マティスなどの遺品がオークションに出品され、個人遺産としては最高額の総額460億円を超える金額で落札された。
世界金融恐慌といわれるこの時期にあっても良品の美術品であれば、多くの人の関心が集まる証である。
私のところでも、土曜日から幻想美術のコレクション展が始まったが、朝から大賑わいで、私が知っている限りの著名なコレクターが勢揃い、関心の高さが伺える。
渋沢龍彦を中心に文学、詩、舞踏、写真、演劇、美術といったジャンルを超えての大きなムーブメントがこの時期にあったことにそれぞれが思いを馳せていた。
同時にどこで聞いたか若い人もたくさん詰めかけ、強烈な個性のせめぎあいを食い入るように見つめていた。
まさにサブタイトルにつけさせていただいた「時代を超えて」である。
不景気とは別のところで、好きな世界には尽きない思いがあるのだろう。
●3月3日
今日の寒さはまた格別。
夕方から雪になるようで、夜は会食の予定だが気乗りがしない。
昨日も触れたサンローランの遺品のオークションで中国美術を落札した中国人が金を払わないと公言した。
アヘン戦争の折に略奪された作品ということで、中国政府が返還を求めたが、フランス裁判所が訴えを却下したいわくつきの作品で、高値で落札されやれやれと思っていたのだが。
これは私達から見ると営業妨害のなにものでもない。
この中国人が競らなければしかるべき人がもっと安く落札できたわけで、その揚句払わないではオークションの規約も何もあったものではない。
流出した美術品の返還を求めるNPOの団体の代表者だそうだが、丁度捕鯨調査船に体当たりをした反捕鯨団体と似たり寄ったりの行為である。
理念はわかるが目的のために手段を選ばずでは、その正当性を認めるわけにはいかない。
戦争時の美術品の略奪については、戦利品とみなすか犯罪行為とみなすか難しいところだが、そもそも戦争自体が人の殺し合いで、許しがたい犯罪行為である。
それを時間が経って一方が謝罪せよ、返還せよということになれば、永遠に国同士が繰り返しそのことを言い立てていかなくてはならない。
といってどこで線引きするかも難しく、過去の認識は必要だが、過去は過去として捉えなくては、一向に前に進まないのでは。
戦争責任や慰安婦問題も戦勝国だから言えることで、戦争行為自体は同等の責任があるようにも思う。
中国も過去にさかのぼって言い立てるのではなく、今現実にある命の略奪、人権の略奪、自由の略奪に対してこそ問われるべきではないだろうか。
●3月4日
GTUで月曜日からやっている浅井飛人君の立体作品が面白い。
飛人と書いてヒットと呼ぶそうで、つけたお父さんもなかなかの洒落者である。
この3月に多摩美術大学院を卒業予定の若者で、工芸の鍛金科に学んだが、伝統的な金属工芸ではなく、木彫と鍛金を併用したユーモラスでとても現代的な作品を発表した。
見た目とは違い、細部までこだわりの仕事をしていて、その技術の確かさには驚かされる。
そのため制作には時間がかかり、僅か5点のだけの出品となったが、内容のある展覧会となった。
幻想美術展に多くのお客様が見えていることもあり、彼の作品も一緒に見てもらっているが評判は上々である。
幻想美術とは全く対照的な作風なのに何故か皆さん熱心に見ている。
期待大の若手作家として今後を見守っていきたい。
●3月5日
15日からソウルに行ってくる。
今年依頼されたいくつかの展覧会の打ち合わせというより、韓国経済が厳しい中を本当に展覧会をやってくれるのかどうかの確認と、発表価格を従来通り円建てで出来るのかを相談をしなくてはならない。
ウォンの下落は相変わらずで、1ウォンに対し0.06円となっていて、2年前に0.13円近くあったのに比べると半分以下となっている。
9月に開催されるアートフェアーのブースフィーも今まではドル建てとなっていたが、今回はウォンでの支払いでも構わないとのことで、私達にとっては実質4割近いディスカウントになる。
勘繰れば、こうした景気の中海外からの参加画廊が少なく、一軒でも多くの画廊に参加して欲しいための措置ではないだろうか。
どちらにしても、こうした為替の大きな動きに私達もこんなに振り回されるとは予想もしなかったことである。
訪ねる画廊が以前の場所にあって欲しいとも願っている。
●3月6日
またまた強い雨。
今日は高校のクラス仲間とのゴルフコンペがあって、私は休みのつもりでいたがこの雨で中止。
朝6時に家を出て、ゴルフ場に集まることは集まったが、そのままUターン、画廊にいつもどおりに出勤とあいなった。
友人達は昨日は快晴、明日も晴れの予報の中、今日のこの雨はやはり雨男のお前のせいだと責め立て、次回はメンバーが足りないときだけ誘ってやるとの冷たい仕打ち。
これだけの冷雨、画廊も見える人がいないのではと思いきや、次々とお見えになり、4時過ぎにようやく昼飯にありつく有様。
神様遊んでいないで仕事をしなさいとの御託宣なのだろう。
それにしてもこの時期、悪天候が続くのは、私のせいではなく、地球温暖化の影響なのだろうか。
●3月7日
予報どおりの晴天。
この快晴は何なんだと、昨日雨でゴルフが出来なかった高校時代の友人から一斉にブーイングのメールが入る。
私のせいにされてもと思うが、こう度々では致し方ない。
あっという間の一週間で、GTUのヒット君の個展は今日で終わり。
彼にとっては初めての個展であったが、多くのコレクターの方達からご批評、励ましをいただき、今後の大きな糧になるに違いない。
終わると同時に次も韓国の彫刻家・ヨム・サンウク君の日本初の個展。
大きなブロンズ作品をソウルから送り、立派なカタログまで作って、今回の個展に備えた。
ブロンズ製だが、表現は布や紐が結ばれた形をリアルに表現していて、昔に見たことのあるウルフガング・ゲフゲンというドイツの作家の平面作品を思い出す。
次のGTUの個展も木彫作品の発表で、立て続けに立体の展覧会が続く。
ヒット君の作品も全てが売約となり、次の木彫作品にも問い合わせが来ていて、ここ最近の立体作品への関心の高さがうかがえる。
先日も渋谷の文化村で開催された若手作家によるオブジェ展も好評だったようで、下のザ・ミュージアムで開催されているピカソ・クレー展よりも人が多いときもあったと聞く。
私どもで発表をしている若手作家達も海外での立体作品の企画が目白押しで、内外ともに立体作品への関心は高まる一方である。
●3月9日
日曜日の休みを利用して、鎌倉近代美術館で開催されている「伊庭靖子展」を見に行った。
私の大好きな作家の一人で、何点か扱わせていただき、その作品が今回出品されていることもあって、出かけることにした。
身近にある椅子やクッション、器などをリアルに表現しているが、いわゆるスーパーリアリズムとは趣が違う。
布や陶器の材質感の表現の巧みさだけではなく、布の柔らかさ、器のひんやりとした肌合いといった質感が見る人の心にしみこむようで、心を揺り動かされる。
是非私のところでも個展をと何度かプロポーズしたが、既にぎっしりと予定が詰まっていて、いまだ実現していない。
今度の展示を見て、改めてその思いはつのり、あきらめずにラブコールを送ろうと思っている。
内気であきらめやすい性格が災いして、女性との浮いた話が一つもない私だが、彼女だけには思いの丈を伝えたい。
その美術館への行きがけに、次の個展を予定している横田尚のアトリエにも寄らせてもらった。
彼女は2回GTUで発表し、海外のアートフェアーでも紹介させてもらっているが、大きな企画は始めてである。
大きな目と大きな頭が特徴の女性像をモティーフに描いているが、今までのように強く重たい色彩から、軽やかで華やかな色彩に移行し、彼女にとっては大きな変わり目の展覧会となる。
一緒に「伊庭靖子展」にも連れて行ったが、同世代の女性ということでかなりの刺激を受けたようだ。
展覧会まであと僅か、これから追い込みで最後の仕上げをしなくてはならず、残り10日徹夜で頑張るそうだ。
くれぐれも身体にだけは気をつけて欲しい。
●3月11日
日記や展覧会案内のアップが遅れてしまい、皆様に申し訳ないことをしている。
特にGTUで紹介をする作家達は、初めて個展を開く作家達が多く、できるだけ早めに告知をしたいと思っているのだが、先週・今週と会期半ばを過ぎてしまっていて、作家にも申し訳なく思っている。
特に今週の作家は韓国からはるばるやってきただけに、何とか早くしてくれと、HPの制作を依頼しているところに催促しているのだが、返事がない。
大きな組織なら文句も言えるが、個人の好意に甘えていることもあって、あまり無理も言えないのが辛いところでもある。
ネット時代だけあって、こうした情報で若い人たちは見に来てくれる。
もう一つ大きいのはミクシーというメール仲間の情報交換である。
今回もそれで澁澤展を知って来る人も多い。
お客様からこの時代の消費動向の大きな要素になっているのが口コミ情報であると聞かされた。
人の評価、ランク付けが重要だそうだ。
以前は興味を持つと先ずは自分の物差しで買うかどうかを判断したが、今はネットでその情報を探し、人の意見を元に動き、更にその情報を発信していく。
確かに本屋大賞とかオリコンランキング、ミシュランなどはその最たる例だが、ホテルやゴルフ場なども口コミ情報がその評価に繋がっている。
私の所も画廊としてはかなり早くからHPを作り、情報を流しているのだが、情報を編集しアップしてくれるのは専門家に頼んでいる。
自分のところで全てやっていれば、遅れたりすることもなく、より多くの情報も流せるのだが、何せ他人任せだけに歯痒いこと夥しい。
この日記も直ぐに皆様にお読みいただけるかどうかわからないが、お詫びと釈明は出させていただいたということでお許しいただきたい。
●3月14日
幻想美術展も今日が最終日。
会期中3月には珍しい悪天候続きだったが、大勢の人にお越しいただき、有難い事と感謝申し上げる。
今日も夜中から強い風と雨で心配したが、どうやら午後からは雨風も止みそうでほっとしている。
終わる間もなく、明日からソウルに出かけ、帰ってきたら直ぐに横田尚展が始まるといった慌しさ。
4月にも夏目麻麦展、北京アートフェアーと続き、5月の連休後半からは台北アートフェアー、帰ると直ぐに河原朝生展がある。
自分で隙間・隙間にスケジュールを入れていくから仕方がないが、少し疲れ気味。
隙間といえば、私の仕事はと聞かれるといつも画廊の隙間産業ですと答える。
リクルートは求職情報という企業の隙間にある情報という仕事に着目して大きくなった。
以前にも書いたが、私が大阪の画廊の年季奉公を追え、東京の父親の画廊に戻った頃がオイルショックの真っ只中。
一年前までは大絵画ブーム、美術品を買うのに行列が出来たり、抽選で買ってもらうような異常事態だったが、一夜明けてみると大暴落。
価格は全て十分の一になってしまい、安くなったから売れると思うのだが、これがどんなに頑張っても全く売れない。
そのとき思ったのは、どんなに努力しても経済という大きな力には効し難い。
それなら経済という流れとは無関係の仕事をしたらいいのでは、アートマーケットとは無縁の手付かずの作家達を世に紹介していったらいいのではとの思いにいたった。
私と作家で決めた値段が絶対で、業者間の価格やオークションの価格とは一線を画すということで、業者の隙間で仕事をすることにした。
このことがバブル期を乗り越えられた大きな要因だが、再びコンテンポラリーバブルがやってきた。
お客様にバブルの波に流されそうなのを、何とかしがみついて必死に流されまいとしているが、いつか流されてしまうのではと言われたことがあった。
確かに隙間にも経済の大きな力が忍び込んできたようである。
市場経済の大きな流れの中に組み込まれそうな作家もいたが、幸いにもバブルが終焉し、事なきを得ることが出来た。
リクルートも肥大化し、経営者は裸の王様となり、失脚した。
自分で気をつけていても、その只中に入ってしまうと、足元を見失ってしまう。
今再び厳しい時代に突入し、30数年前の思いを改めてかみ締めている。
●3月18日
昨日韓国より帰国。
日本も行っている間暖かかったようだが、ソウルもぽかぽか陽気で、重装備で出かけたが拍子抜け。
噂で韓国の画廊は半分ぐらいがつぶれた様な話が巷で広がっていたが、全くその気配なし。
最初に会った画廊だけが、体調を壊して年内には止めようと思うのだがと言われただけで、他は元気にやっているので一安心。
前に書いた宝くじの会社が始めたとてつもなく大きい画廊も、とっくにつぶれたと思っていたが、オピーやハーストなどの巨大な版画の展覧会をやっていて、そこそこ売れているのでびっくり。
月曜日にはそこのお客様専用レストランでステーキのご馳走にまでなってしまった。
そこのスタッフの一人でケーシーという日本語ペラペラの女性に一日付き添ってもらうことにした。
彼女はニュージーランドに小さい頃から住んでいて、高校のときに日本語に興味を持って勉強し、その後イギリスの大学院を卒業して、英語にも堪能な才女である。
まだ一度も日本に行ったたことがないのに、綺麗な日本語を話すのには驚かされる。
今年に頼まれていた個展やグループ展も為替の変動が著しく、開催が難しいのではと思っていたが、ほぼ予定通りにやってもらえることになった。
韓国の画廊は自社ビルだったり、元々お金持ちだったりで、体力は日本以上にあるのだろう。
それともう一つ聞いた話では、韓国ではテナントで入ると、毎月の家賃ではなく、年払いなのですぐに閉めたくても閉められないところもあるようだ。
中国の画廊も同じで、海外の画廊は5年とか10年分の家賃を先払いといったケースが多く、今は開店休業の画廊が多いそうだ。
チェルシーなどでは不景気になるといったん画廊を閉めて自宅で営業し、経済が良くなると改めて別の場所で画廊を開くケースが多いと聞く。
以前ソーホーに集中し、景気が悪くなってチェルシーに移るといった具合で、今度はまた新たな安くて広いエリアに画廊街ができるのかもしれない。
日本でも銀座、京橋から離れていく画廊が多いのは同じような現象なのだろう。
どちらにしても韓国もこれからが正念場で、お付き合いのある画廊には何とか頑張ってほしいものだ。
●3月19日
韓国では先日画廊協会の会長改選選挙があり、私どもの作家を積極的に紹介をしてくれているPYOギャラリーの社長が会長に就任した。
以前にも書いたが、韓国の協会選挙は選挙対策本部が出来るほどの熱い戦いになるそうで、ちょっと日本では考えられない。
このエネルギーがWBCの野球で日本が韓国に勝てない要因の一つかもしれない。
前々回の会長選のときも、選挙に勝った画廊の社長から特大の手紙が送られてきたが、その意味がわからず、韓国の大統領が新たに就任でもしたのかと見間違うほどであった。
その社長も前回の改選の折には勢力争いに破れ、言われなき理由で画廊協会を除名されてしまい、今裁判で係争中である。
それほど激しい選挙を勝ち抜いただけにPYOの社長もご機嫌だったが、聞くところによると争った相手の画廊も親しくしていた画廊で、一票差で負けてしまい、今しばらくはショックで立ち上がれないそうだ。
親しくしていた前々会長がそんなことで村八分になっていて、私も何となくここ3年ほどは窮屈な思いをしていたが、これで元のようにわだかまりなく協会の皆さんとお付き合いが出来そうだ。
裁判も一審で前々会長が勝ち、控訴審でも協会側の敗訴に終わりそうで、彼の名誉回復も間近のようである。
●3月23日
画廊の前にある大島桜も一輪・二輪と花をほころばせ始めた。
春の足音が間近に聞こえてくる。
水曜日から始まった横田尚展の作品もいままでの重い感じの絵から大きく変わり、春爛漫といった華やかで柔らかい絵に生まれ変わった。
お客様から今までの絵は団体展でよく見かけるような絵で、ようやく画廊で見られる絵になりましたねと言われた。
確かにその通りで、団体展で見る絵の多くに違和感を感じる人は少なくないのでは。
長い間、私も団体展を見ていないのでいい加減なことは言えないが、今までも見に行っていてもその数に圧倒されるばかりで、はっとさせられる作品に出会うことは先ずなく、知っている作家の作品の確認をしに行っているようなものであった。
団体という縦社会にいると外の評価より、内側の評価ばかりに目がいってしまう。
作家が作家を選び、賞を与え、序列を決める所に疑問を感じる。
こうしたシステムだと実力よりは人間関係に重きを置き、結果内向きな仕事ばかりになってしまう。
昔のように画廊も少なく発表の場がないときであれば、作家が集まり大きな発表の場を探し、お互い切磋琢磨をしただろうが、今の時代にはそうした集まりが果たして必要だろうか。
作家は言ってみれば個人営業主であり、それぞれが商売仇と考えたらどうだろうか。
商売仇同士が集まれば、それはそれぞれを高めるのではなく、足の引っ張り合いをせざるをえない。
そうした部分を覆い隠し、何となくぬるま湯の中で居心地よく肩を寄せ合っているのが、今の団体のあり様ではないだろうか。
もっと一人一人が羽ばたき、個展でそれぞれがしのぎを削ることの方が、より高いところにいけると思うのだが、どうだろうか。
●3月26日
冷たい雨でほころび始めた桜も一休み。
昨日は二人の客様の家を訪ねた。
お一人は初めてご縁が出来た方で、幻想美術を中心にコレクションをされているとのこと。
あまり広いとはいえないマンションの壁にコレクションの作品がぎっしりと立てかけられている。
名の通った作家の作品だけでなく、私の知らない若手作家の作品もたくさんあり、拝見させていただく。
キャリアのある作家達の毒気のある作品とは趣は違うが、今風に言えばキモ可愛いイラスト風の作風で、大阪やアメリカにいる作家達で、ネットで調べてはコレクションしているそうだ。
先日の澁澤展に出品された一点を検討していただくことになった。
飾る場所はないが、一点一点を手に取り楽しまれるのだろう。
午後からお訪ねするお客様は対照的に全ての作品を展示して楽しみたいという方で、お宅には隙間なくコレクションの作品が飾られている。
お届けを兼ねて作品を壁に飾って欲しいとのこと。
もう殆ど壁面に入り込む余地はなく、今回は階段脇の壁面に作品を飾ることになり、大きな脚立を足場に長い板を渡して、それに乗って大きな作品を飾ることになった。
この前画廊で脚立から落ちてからと言うより、元々高所恐怖症で足の下に何もないだけで震えが来る私には、スタッフがいなければ出来ない大仕事。
掛け声ばかりで役に立たない私を尻目に無事展示終了。
運送屋からとび職まで何でもやらなくてはならない。
画廊に勤めたいと思っている皆さん、暇そうにして受付で本でも読んでいればいいと思ったら大間違いですよ。
●3月27日
4月4日から個展を予定している夏目麻麦が美術雑誌アーティクル誌4月号の特集に取り上げられ表紙を飾った。
早速にお客様からのお問い合わせや予約をいただき、幸先の良いスタートが切れそうである。
先月も韓国や台湾の美術雑誌やヴォーグ誌などで山本麻友香の特集が組まれたり、デザイン誌に綿引明浩や雨久高広が6ページにわたり大きく紹介されたりで、個展を見ていただけない海外のお客様に作家を知っていただくいい機会となった。
メディアからの発信は今の時代にはとても重要なことで、つたない私の日記を読んだ方からの問い合わせも多く、多少は画廊運営にも役立っているようだ。
今開催中の横田尚の作品も上海のオークションカタログで見て気にいったので、展覧会の作品リストを送って欲しいと台湾の女性の方からメールが入った。
結果作品を買いたいということになり、オークションに若い作家が出るのに否定的な私も、こういう効果もあるのかと考えさせられた。
以前にオークション会社からオークションカタログに出ることで、海外では個展やアートフェアー以上の宣伝効果があるから出品しないかと言われて、そんな口車には乗るまいと思っていたが、確かに海外ではオークションに出ることが作家として一人前と思っている節がある。
そんな安易な方法で若い作家を売り出しても、直ぐに化けの皮がはげると思っているが、一つの戦略としてオークションを利用している画廊は多いと思う。
「アートコレクター」という雑誌も前回の幻想美術展がきっかけとなったのか、次の号で幻想美術を特集で取り上げることになった。
私のところでも幻想美術の再評価という面では大きな効果があったように思うが、こうした雑誌で特集を組んでくれることは、更なる反響があるのではと期待したい。
●3月31日
少し前だったかテレビでこの界隈のお店が紹介されたことがあった。
なじみのラーメン店、カレー屋、寿司屋、イタリアンレストラン、フレンチ、てんぷら屋、魚料理店などが紹介され、思わず見入ったものである。
私の画廊の前もテレビの影響もあってか、行列のできるお店も増え、大して広くない通りに食べ物屋さんが軒を並べている。
これだけあると食べるところもバラエティーに富んでいて、お昼も不自由しないと思われがちだがそうもいかない。
つい仕事にかまけて、お昼が2時を過ぎてしまうことが多い。
その頃にはランチタイムも終わり、開いているところも限られ、結果立ち食い蕎麦屋かコーヒーショップでホットドッグといった簡単なもので済ますことが多い。
今夜もお客様のところへ行かなくてはならず、時間もないのでコンビニでおにぎりを買ってきて車の中で済ますことになりそうだ。
そんな貧相な食事ばかりと思われてもいけないので、日記の合間に近所のお店を紹介させていただき、画廊の帰りにでも立ち寄っていただき、椿の紹介だとでも言っていただければありがたい。
私が行くときにご飯の盛が良くなったり、一品おかずが増えたりするかもしれない。
先ずは私のところから中央通りを渡った側の薬局の横のビルの階段を降りていった所に、「松輪」という小さな魚料理屋がある。
この店もテレビで紹介されたのでご存知の方も多いだろうが、ここのお昼だけ限定のアジフライが絶品である。
三浦半島の松輪港で漁師をしている父親のところからとれたての鯵を直送し、昼に60食限定で提供する。
とにかく新鮮で、臭みがなく、ぽこっと膨らんだ鯵フライを一口食べるとホクホクの柔らかさで、鯵とは思えない甘さが口の中に広がる。
油もあっさりしていてお昼には絶好の食事なのだが、これが滅多に食べられない。
11時ごろには行列が出来、お昼時にはいつも「売り切れご免」の看板が立つ。
私も運よく開いているときがあって、今までに2回だけ食することが出来たが、次はいつ食べられるかひたすらアジフライの姿を頭に思い浮かべるだけである。
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