INTERVIEW and LINK |
LINK 恒松正敏 A 恒松正敏 B |
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Artists Interview
ニューヨーク(文化庁新進芸術家海外留学制度で渡米)ではグループ展を一度しかやっていなくて、作家活動を再開できるのかとても不安だったのですが、今年は4月と7月(「the SETTING」佐藤美術館)に個展ができるのでとても嬉しいです。> > 続き |
ドットを重ねることによって画面に奥行きを作っていく試みをしていますので、表面と支持体のキャンバスとの間に積層する層がかなりあるわけです。その層の「間」を意識したといいますか。絵具の内側を意識したといいますか・・・。> > 続き |
さえずりが音楽になりそして空に飛び立っていく。作品「ヴィオ ドブレ」は、包み込まれるような音楽の大空間をイメージしています。ロビンは音楽の化身であり、いろいろな空間と遊びそして色んな世界に旅をする。そういうイメージで創っています。> > 続き |
ドライバーは2007年の首都高速C1、1998年の東京都内、2003年の広島市内と3つの現在地を走行する。一陣の外気を有し、外部と繋がり合い、首都高速の路面に沿い、時に海を越え、川を渡り、時速120kmで駅を突き抜け、公園を突っ切り、ながら倒錯的なドライブは駆動する。> > 続き |
脳機能局在論というのがありまして、脳(特に大脳皮質)の(部分ごとに)機能を司っている場所が書いてあります。これはイギリスのものですが、パリの骨董店で見つけました。骨相学の見本です。陶器で出来ているんですよ。医学の模型として使っていたレディーメイドなんです> > 続き |
一般的に生活感とか時間とか空間とか重量といった自然の内に生成・変化するものを描くことが存在感につながっていくし、絵には質感が非常に大事なものだと思いますけれども、僕は下手なので、自然にきれいだなと思って描くとこういう作品になってしまうんです。それは僕に生活感が無いせいもあるのかもしれません。> > 続き |
アート作品を作ろうと思って作り始めたのではなくて、はじめはちょっと知り合いを驚ろかせてみたいぐらいのつもりでした。それに元々小さいものが子供の時から好きでしたので、小さな物を凝縮して中に閉じ込めて、それを覗くようなものを作りたいと思っていたのです。> > 続き |
実際は長方形の方が構図が完結しやすいと思うんですけれども、正方形にしているのは、長方形よりも自分が描きたい中心部をクローズアップすることができるからだと思います。 |
今まで形が形成される以前の細胞のような混沌とした世界といいますか、「うごめくものたち」を点・線・三角・丸・四角といった単純な形で表現してきました。僕自身シンプルなものが好きだということもありましたし、制作上の制約があって複雑なものは出来ないと思っていたからです。> > 続き |
「white antler」という作品があるんですが、私は実際に見たものでなければ描けないので、角を粘土で作って着色して写真に撮りまして、少年の頭につけるように描いたんです。写真が基ですから段々と映像的になってしまって、自分がイメージしたものと違ったので一旦それを消して、なるたけ平面的に見えるようにして、その上に全然違う空間をもってこようと思いました。> > 続き |
以前から透明でキラキラ輝くきれいなものを表現したいという気持ちがあります。興味を惹かれるのは、水であったり光であったりするので捕らえどころはないんですが、学生時代に割れたガラスを描いた時から続いているように思います。ただ、特に光を意識したのは去年の二人展以降なんです。> > 続き |
画面はいつでも私に当為を促す。それは秩序を作ることです。だから私は、混乱の中に隠れた秩序を見つけ出す作業から始めることになる。画面の上に秩序を見出し、それに従う。うまくいけば後へ続く。もし間違っていれば画面は、いずれそれを嫌う。具象を描くときは、> > 続き |
―それは限り無く主観的で、何ものにも左右される事があってはならないコト―> > 続き |
タブローとドローイングという風に少し分けて考えていて、木の作品は、オブジェみたいにしっかりとした立体の形状を持っているけれど、ガラスをつけることによって、ガラス自身の儚さがイメージに付随してくる。ドローイングは、紙の中に染み込んでいくように描いていて、なるべく素材を加工しない状態で、これは(何十年使われているか分からないけれども)実際の生活の中で使われた紙なんです。> > 続き |
両方とも「不安」の要素はあると思うし、逆に希望も見えないわけではないんです。その二つの要素に対してはどちらも同じだと思います。例えば半身像でも手が細かったり小さかったり手自体がなかったり、そういう「不安」を表現したかった。その部分では共通していますね。> > 続き |
見たままの題名をなるべくつけるようにしています。例えばこの作品であれば「杖をついて立っている」というタイトルにしました。私がギックリ腰になり杖が なければ歩けない状況になってしまった時に、このイメージが湧いて来たからです。そのイメージから発展して、以前から気になっていた老人の危ういけれど美 しい立ち姿をオーバーラップさせて作ってあります。> > 続き |
今回は「HUMAN CHESS Vol(volume) Children」で,HUMAN CHESSの子ども編なんです。今までは,あまりテーマを意識せずに制作することが多かったのですが,私たちを取り巻く環境の悪化に,何か自分もできることないかと考えるようになりました。そして,この気持ちを作品の中に,メッセージとして込められないかと思ったのです。> > 続き |
昨日と今日では、絶対に同じ形ではないもの、それもまた「ゆらぎ」につながるのではないかと思っています。物の形をそのまま描くというよりは、生きている動きを感じて描いているんです。植物にこだわっているわけではなくて、猫や金魚など身近なものにも愛着を感じています。> > > 続き |
日常生活をしている中で感じていることとかを、日記のような感じで描いているのですが、基本的に日記は人に見せるものではないので、私小説みたいな形でいろいろな方に見せられればと思っています。> > > 続き |
「机の上に宇宙を探す」というタイトルは、人それぞれの自分の宇宙を探してほしいという意味合いでつけました。僕の作品は、一見その答えみたいな作品でもあるんだけれども、実は答えはそんなに簡単に見つかるものではない。それに「探す」ということは、すぐに見つかってしまったら面白くはありませんからね。宇宙というのは、誰もが知らない世界なわけです。> > > 続き |
僕は、タイトルはできてから考えるタイプなんです。ですからタイトルには、余り重きを置いていませんので、今回展示した作品はすべて「鳥の行方」として、NO.1-12まで番号を振ってあります。そもそも「鳥の行方」を描くきっかけは、偶々旧約聖書の創世記をインターネットで調べていましたら、ノアの箱船を紹介するページがあったからなんです。> > > 続き |
「野の花」というタイトルにしましたのは、去年小さい畑を初めて作りましたら、いろいろな発見をしたことからなんです。薔薇も綺麗だけれども、小さな雑草をよく観察しますと、造形的には薔薇となんら変わりのない。あるいは、小さい分だけ綺麗な花よりも美しいものがあるわけです。そういうものから形を借りたり、デフォルメしたり、植物の自由さに面白みを感じて描いてみようと思いました。> > > 続き |
忘れ去ってしまったような記憶だけれども、その記憶が積み重なって自分になっている。 |
2003年の展示が終わりましてから、その後家族が病気になってしまい、しばらく制作できる状況では、なくなってしまったんです。それが取りあえずひと段落したら、今度は作品が暗くなってしまったんですよ。自分では一生懸命作っているつもりだったんですけれども、出来あがると「すごく寂しいね」とほかの方から言われるようになってしまって・・・。> > > 続き |
私自身、詩から立ち上がってくるイメージが、すぐに右の画像に出てきたわけではなくて、かなり長い間考えて描いたものですので、受け手によっても、やはり違うと思うからです。ですから、もし詩にひかれて、実際にその本を手に取って見たときに、私の絵をイメージしなくてもかまわないのです。> > > 続き |
今回はじめて人間と同じような扱いで、馬が画面に登場したというのが特徴的です。馬の作品というのは、古今東西の美術作品の中に繰り返しモチーフとして登場してきたものですよね。以前から、馬に対する自分自身の切り口ができたら、描いてみたいと思っていたのです。> > > 続き |
「島」の問題意識は、批評空間2002−4(「無人島と砂漠」ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」から出発して)國分功一郎著から派生しています。ごく短い論文なのですが、このなかで、地理学的見解として、島が〈陸島〉と〈洋島〉の2種に分けられ論じられています。> > > 続き |
タイトルもテーマも「界」です。1999年からはじめまして作品点数は220点ぐらいになりました。「界」は、さかい。しきり。境界など、範囲を示すという意味を含んでまして、多く接尾語的に用いるもので、この文字一字で使うことはほとんどないんです。一般的によく使うのは「世界」とか「自然界」「天上界」ですね。> > > 続き |
例えば「実態と虚構」であったり、「男性と女性」であったり、そういうものを一つのものに表現するという意味なんです。「男性と女性」であれば女性を表現することによって、相対する男性の存在を浮かび上がらせ、人間全体を表現しています。> > > 続き |
それは進化といってもいいかもしれません。少しずつ自分の中で思いが深くなっているような気がします。深くなっていると同時に、精神的な意味合いを含めて、透明になっているように思います。色の透明感というのは、98年のころから比べるとそんなに変化がないかもしれませんが、内容については、深くなっていっているような気がするのです。>>詳細記事 |
要するにマチエールとメチエを研究している段階で、それにあった自分のイメージが出てくるということはあるでしょうね。 私は銅版画の技法書『銅版画ーさまざまな技法による銅版画の実際』(創元社)を32歳のときに書いていますが、古来からの技法書を頼りに勉強して、そのときに基本的な技法は全部クリアしてから本を制作したんですよ。> > > 続き |
明治36年の第五回内国勧業博覧会(1903年大阪新世界で開催)の様子を、ある雑誌で見たのですが、そこには「不思議舘」という名前の幻想的なショーを見せるパビリオンがあったそうです。その中にカーマンセラー嬢という外国人の踊子が紹介されていまして、とても興味をもちました。> > > 続き |
今回は作品に「宙の花」と「宙の花(沈黙のトルソ)」というタイトルをつけましたが、基本的には「沈黙のトルソ」なんです。タイトル名は、いつも会場に展示した全体のatmosphereの空間を読んで決めるので、次回もこのタイトルになるかどうかはわかりません。> > > 続き |
例えば海に行って、漁船のボディの朽ちた板面を見たときに、20センチ四方の色の剥げた腐蝕された面にも、長い年月も感じれば、海の荒波の様子も風の強い様子も伝わってくる。それでこのような姿になったということがよくわかったんです。「これで1枚の絵じゃないか。これを作品にしたらどうなるんだろう」。多分そこから興味が始まったのだと思います。> > > 続き |
アクリルは未知の絵具だから、手探り状態で描いています。手がおそいせいもあるんですけど「仕上げでどこまで表現出来るか」という作品だから、テクニックを構築するのに時間がもの凄くかかるんですよ。結果的には、レオナルド=ダ=ビンチが創始した、薄塗りを重ねながら物体の輪郭を柔らかくぼかして描くスフマート的技法と同じように見えるかもしれないけれど、そうではないです。> > > 続き |
展覧会は、空間と作品との共振から生まれるわけだから、コラボレーション的な要素が強いと思うんですよ。しかも今回は版画ではなくて、オブジェですから、その関係が強く出ますね。それぞれの空間を意識して制作するので、どうしても今までとは別の引き出しを開けることになる。 > > > 続き |
展覧会は、空間と作品との共振から生まれるわけだから、コラボレーション的な要素が強いと思うんですよ。しかも今回は版画ではなくて、オブジェですから、その関係が強く出ますね。それぞれの空間を意識して制作するので、どうしても今までとは別の引き出しを開けることになる。 > > > 続き |
moving craters」とは、静かにうごめくもの達という意味です。私のコンセプトは、形が形成される以前の原初のエネルギーが生成され湧出するさまを表しているんです。> > > 続き |
モチーフに花を使っているので、「花が好きなんですか」とよく聞かれますが、花に興味があるわけではなく、表現したいのは“色”なんです。> > > 続き |
街子は、自分の化身みたいなものです。 |
自分の制作の根底にあるのは、十代の頃に自分が受けた印象が強いんです。年を取れば取る程そこに引っ掛かって> > > 続き |
共通している点は植物なんです。でもそれだけではなくて、二人の作風が、まったく対照的な動きを持っていると思ったからです。この2つのギャラリーの空間で、> > > 続き |