GALLERY TSUBAKI ギャラリー椿 恒松正敏作品集 「METAMORPHOSIS」 出版記念展 2005. 5/9 - 5/21


METAMORPHOSIS 恒松正敏作品集 \3,990(税込)

【「METAMORPHOSIS」は、「百物語」「水辺」に次ぐ3冊目となる画集。
「METAMORPHOSIS」を出版記念する本展では、1986年より制作された35作品を展示。また76年のドローイングや手塚眞監督の映画「白痴」、昨秋に公開された「下弦の月ーラスト・クォーター」に使われた作品なども併せて展示されております】

・・・以前『百物語』のシリーズを拝見したときに、その“METAMORPHOSIS”した姿に、妖怪を重ね合わせてしまいました。妖怪というのは、人の心の内面が変容したものなのかなと思うんですが。

 自分の心の中の妖怪を引きずり出して絵にしているともいえますね。ただ僕は絵を描くときは、頭の中を空っぽにして無の状態で描くから、あとから自分でそうだったのかと気づくことはあります。走りながら考えるタイプなので・・・。

・・・『百物語』のシリーズを描き始めた切っ掛けは?

 そういう “METAMORPHOSIS” した形が好きなんですよ。ダヴィンチもいっていますが、何かのシミが顔に見えるとか、子供の頃はそういうことにも興味がありましたし、神社にある狛犬もすごく好きなんです。

・・・狛犬というのは、起源は古代オリエント・インドに遡(さかのぼ)り・・・と歴史の講釈をするつもりはありませんが、いわゆる霊獣ですよね。中国の獅子から影響を受け、その形が変容したもの。恒松さんの作品のキーワードは、作品集のタイトルにもあるように“METAMORPHOSIS”。でも『水辺』のシリーズでは、きれいな女性が描かれていますが・・・・。

 きれいな女性であっても、それは異形のものかもしれない。

・・・それは現実と幻想の狭間にうごめいている者たちということですか。

そういうの好きですね。

・・・描かれていて何か背おわれてるような、気みたいなものはありますか。

 たとえば幽霊を見たとか、UFOを見たとかいう人がいますが、僕は実際見た記憶がないんです。けれど絵を描くというのは、それを見ていることだと思うので・・・。
それに作家のタイプもいろいろあると思うのですが、僕は頭と手が直結してるものでありたいと思っています。絵描きというか。絵師といいますかね。ただ昔の絵師とは違って、油絵の具も使うし、墨も使えば、色んなメディアを使って、自分の絵にしていくことなんですよ。

・・・恒松さんにはテンペラのイメージが強くあるように思うのですが・・・。

 最近はちょっとテンペラの絵があまり描けなくなってきていて、これはどういうことなのかと、いま考えている最中なんです。まあ、飽きたのかなって(笑)。
今回の展示作品では、この「鯰図」が1番新しいんですが、そちらの方向に向かうのかなとも思っています。僕は芸大を受験するときも、油絵科よりも日本画科を受けた方がいいんじゃないかと勧められたこともありましたし、水彩画がすごく好きなんです。

・・・墨が水を含むと、油絵で表せきれない透明感みたいな・・・広がりを感じますよね。
でも「鯰図」と「下弦の月ーラスト・クォーター2」の2枚を見比べると作風は180度違うけれど、通底している世界があるように感じました。

画材なり素材なり、頭と手がそのまんまスッと反応する。それがやっぱりいい絵描きだと思うので・・・。

・・・さきほどから、この小さい屏風がかなり気になるんですが。

屏風というのは折れるのが面白いんですよ。この構造がね。屏風は日常使わないから馴染みがないし、それに展覧会上でも、手で触れないからこういうカタチでしか見ていない。これは笑い話なんですが、某美術館の学芸員も知らなかったんですよ。屏風の構造を研究中のときに、いろいろ調べていたら、逆に折り曲げられることを発見したんです。

・・・私も知らなかったからびっくりしました。空間が折れ曲がるような感じがするんですね。

 『顔屏風1』 の作品は、こうやって手で操作すると、顔の表情が全然違ってくるんですよ。
これは表情を見ながら描けるなって思いました。普通だったら絵を描いてから表具屋さんに渡すんですが、僕は逆で屏風を作りつつ描いていきたい。絵にもよりますが、立体感があるでしょう。だから日本は西洋みたいに遠近法が発達しなかったけれども、墨でぼかして空間を構築するやり方と、屏風で空間を作っていくやり方が発達したんです。たとえば長谷川等伯の「松林図屏風」でもフラットな状態で見たら良さはわからないんですよ。屏風を配置することによって、空間をうまく組み立てるように描いているはずなんです。

 屏風は中国から入ってきたんですが、そのときは革ひもで繋いであったり元はそういうものだったんです。しかも中国のものは1枚1枚違う絵が描いてあるのが普通なんですよ。この両面に折れるのを考えたのも日本人らしいんですね。全体を1枚の絵として見るのも日本人が始めたことらしいんです。なかなか日本もすごいものだと思いました。

・・・「全体を1枚の絵として見る」ということから、この虎に龍に麒麟の屏風は、後ろの「顔屏風1」の作品を頂点にした三角形の空間を組み立ててるように思ったのですが・・・壁面に百物語の従者を従えながら・・・。

 僕はそういう意味で屏風は半立体だと思っていますから。

・・・なるほど。今回の展覧会は、恒松さんの一つの集大成だと思うんですが、また新たな試みへ向かっていく姿勢が感じられてとても面白かったです。

 ありがとうございました。

 ご存じのように恒松さんは、ロッカー。でも墨を使うようになってからアコースティックギターを演奏するようになったとか。「鯰図」を拝見すると、むしろブルースを連想しますと、お聞きしましたら、「元々僕はブルースが大好き、それに形式だけのブルースではなくてブルース魂をシャウトしているつもりなんですよ」と・・・。

 スピリットのある作品。これからも楽しみにしています。

〜5月21日(土)まで。

恒松正敏  関連情報 http://tsunematsu.exblog.jp/
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(C) Tsunematsu Masatoshi

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