呉亜沙展

2007年4月14日(土)― 28日(土)  11:00−18:30  日曜休廊

ギャラリー椿 東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F Tel:03-3281-7808 gtsubaki@yb3.so-net.ne.jp

・・・昨年9月の帰国後初めての新作展とお聞きしました。

ニューヨーク(文化庁新進芸術家海外留学制度で渡米)ではグループ展を一度しかやっていなくて、作家活動を再開できるのかとても不安だったのですが、今年は4月と7月(「the SETTING」佐藤美術館)に個展ができるのでとても嬉しいです。

・・・作品に対する意識は海外研修前とだいぶ変わられましたか。

今までは気持ちよさというか感覚的な部分で絵を描こうという意識がすごく強かったのですが、今回は自分を描くという、テーマ性みたいなものがでてきているように思います。それに以前よりも考えて描くようになったことが変わってきている部分かもしれません。

・・・コメントを拝見しました。

今回 コメントがとても長くなってしまったのですが、コメントを書くというのはとても難しくて、説明しようと思えば思うほど混乱に陥ってしまう部分がありました。作品を的確に一言で言える言葉があればいいのですけれども、それがまだ見つからないので、コンセプトと作品がセットになることで、ご覧になる方に「あ!なるほど」と納得してもらうことができればと思っています。

・・・確かに、作品は言葉だけで説明できるものではない。でも逆に言葉があることで観る人の視野を広げることもできる。そのパラドキシカルな要素が、アイデンティティーの持っている自己同一性(同一性は差違を前提として存在しているにすぎない)のパラドックスに近いように思うのですが・・・。

そうですね。近い部分があると思います。コメントに書きましたアイデンティティーについてですが、ニューヨークに行く前までは、ナショナルアイデンティティーのことを考えていたのです。私は在日なので、日本で生まれ暮らしていながら、ナショナルアイデンティティーが異なる人は、異なる世界の住人であるという風に見られているのではないかということをずっと意識していました。でもニューヨークは、いろいろな人種のるつぼなので、逆に気が楽になった部分もありました。むしろ国籍にこだわらない目線に変わったように思います。それでセルフ・アイデンティティーやジェンダーアイデンティティーというように、アイデンティティーにもいろいろな測面があることを知り、今から思えば私の中でのアイデンティティーという言葉は、「誰がどうみているか。どういうふうに見られるか」を意識するあまり出てきた言葉なのではないかなと思っています。

・・・作品を拝見していて相補的アイデンティティーという言葉を思い出したのです。(例えば母親であれば子供がいなければ成り立たない。夫であれば妻がいなければ成り立たない。友達であれば友達がいななければ成り立たないなど、人はお互いに関係性の中で生きているというような意味)

今回のテーマである「他者を見る事と自分を見る事の関係性」を最初に思ったきっかけは、友達と知人の違いは何だろうと思ったことからなのです。いろいろな友達にそのことを聞きましたら、皆それぞれ友達に対する定義を持っていて、それを聞いて段々と気持ち悪くなりました。そのテーマをインターネットで調べてみましたら、「友達」の定義が人それぞれの価値観の中で揺らいでいるのに気づきました。それでより怖くなったといいますか。例えば私は、一度でも逢って気持ちが共感すれば、友達と言ってしまうのですけども、ある人から一度しか逢っていないから、あの人は友達ではないと言われたことがあるのです。自分の持っている距離感の幅が、人の持っている距離感の幅と違ってしまう。そこに価値観の差違が存在する。自分が友達と思っていても、向こうは友達と思っていないのではないかというような見えない壁があるのではないかということを深く考えてしまって・・・。実際に人間同士は分離されていて一体感を持つことはできないのではないかと。とても孤独感を感じてしまいました。

・・・その孤独感というのは、言葉の定義の曖昧さから来るコミュニケーション不全が、アイデンティティー・クライシスを引き起こすということなのかもしませんね。

文化の網の目の中で人間は制度や定義を作りたいものだけれど、そういう定義づけに私は困惑させられているのです。ただ言われたように定義づけは言葉によってなされるものですから、言葉に惑わされているという側面もあるかもしれません。でも「友達」という言葉があったから逆にそれが何なのかを考えるきっかけになったかなと思います。

・・・言葉の定義はとても曖昧で難しい。でもその曖昧さの中に人は放り込まれているように思うのです。

私は以前、「曖昧は曖昧で良い」という放置型でした。曖昧を美意識とイコールにしてしまっていた部分もあったと思います。でも、そうではなくて自分が曖昧の中に埋もれてしまうといいますか。自分がその混乱の中でぐるぐる回っていく過程の中に美があるのではないかと思うようになったのです。その中で例えば小さなものだけしか見つけられなくても、自分の人生にはとても有意義なことなんじゃないかなって・・・。

・・・次回7月の展覧会は、どのような構想を考えていらっしゃいますか。

今まで住んでいた場所を取材して、心に残る風景や思い出を自分に回帰させて、自分と場所や環境との関わりを描こうかと思っています。

〜28日(土)まで。

(c)GO Asa

関連情報

呉 亜沙 
1978 神奈川県生まれ
2001 女子美術大学絵画科洋画専攻卒業
(平成12年度優秀作品賞受賞)
東京芸術大学大学院美術研究科修士課程入学
2003 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了
2005 文化庁新進芸術家海外留学制度で渡米(NY)
コンクール
2001 女子美術大学平成12年度優秀作品賞
第12回関口芸術基金賞入選
トーキョーワンダーウォール2001入選
2002 第39回神奈川県展入選
2003 第21回上野の森美術館大賞展優秀賞(フジテレビ賞)
個展
2001 Oギャラリー(銀座)
2002 OギャラリーUP・S(銀座)
2003 横浜そごう(横浜)
神戸そごう(神戸)
ギャラリー松下(豊田)
カワトク百貨店(盛岡)
宇治画廊(京都)
IBMコンピューターギャラリー(幕張)
2004 櫻画廊(明石)
近鉄阿倍野(大阪)
ギャラリー松下(豊田)
松坂屋(静岡)
柏そごう(柏)
神戸そごう(神戸)
横浜そごう(横浜)
SEIBU高槻(高槻)
2005 『no complex,no myself』(八重洲)不忍画廊
『知ってることとか、知らないこととか』(豊田)ギャラリー松下
『My position』(京橋) ギャラリー椿
アサヒギャラリー(甲府)
グループ展
1999 ギャラリー青羅(銀座)
2001 『3rd Contemporary young painters exhibition from JAPAN』Zainul Gallery(バングラディッシュ)
『蒼穹展』ギャラリーアンファン(新宿)〜2003
2002 『新春展』ギャラリー水平線(横浜)〜2004
『Artist4』ギャラリー草笛(名古屋)
宇治画廊(京都)
東京芸大学生会館(上野)
『遊4展』もみの木画廊(自由が丘)〜2004
『アニマート展』ギャラリーARK(横浜)〜2004
2003 浦和ISETANプチギャラリー(浦和)
『FIELD OF NOW』洋協アートフォーラム(銀座)
『NICAF2003』国際アートフォーラム(有楽町)
 『コレクターの見る視点』もみの木画廊(自由が丘)
『Christmas in Peace』佐藤美術館(新宿)
2004 ギャラリーNOW(富山)
『上野の森受賞者記念展』吉井画廊(銀座)
 『戦後美術VS21世紀アーティスト』不忍画廊(八重洲)
 『東京芸大 絹谷幸二教室の作家たち』しぶや美術館(広島)
 『KIAF2004』(韓国・ソウル)
『Bunkamura Art Show-LAMDING2004-』文化村ギャラリー(渋谷)
『櫻櫻の会』ギャラリー水平線(横浜)
『SORA-KARA 2004 藤田夢香X呉 亜沙展』美術サロンゆたか(金沢)
2005 『 中佐藤 滋・安元 亮祐・呉 亜沙三人展』 ギャラリーNOW(富山)
『KIAF2005』(韓国・ソウル)
『TOKYO ART FAIR 2005』国際アートフォーラム(有楽町)
2006 「アートとともに/寺田小太郎コレクション」(府中)府中市美術館
「Dual Scenery」(ニュージャージー、アメリカ)ACCギャラリー