椿原氏インタビュー

・・・ギャラリー椿が提唱されているのはFEEL ART。少し御説明頂けますか。

美術品の良さを頭で理解するというよりも、心で感じてほしいのです。音楽を聴いて楽しむような感じでね。ARTは難しいものでも不可解なものでもありません。もっと身近に感じて、日常生活の中で楽しんでほしい。それにはまず作品と出会うこと。出会いを大切にしていますから、できるだけフランクに画廊へ入ってきていただきたいのです。

・・・以前の画廊には重厚なイメージがありましたが、こちらはかなり明るく開放感がありますね。

そういう点では以前よりも若い方が来られるようになりました。この場所に移転しましたのは、偶然の出会いからなんです。僕が京橋に画廊を出してから20年経ちまして、ちょうど二十歳を迎えたのですが、景気の回復は見込めず、この先どうしたらいいのかと大変不安な時期でした。それがたまたまこの地域の再開発で立ち退き案が浮上し、思いあぐねてあちらこちらを探したのですが、どうも帯に短し襷に長しで、しっくりきません。ただ、道一つ隔てた向かい側に広いスペースがあったのは知っていました。実は以前このスペースで、ビルのオーナーの奥様が画廊をやっておられて、僕が京橋に移転してきた頃は、まだ開廊していたんです。

・・・同じ間取りのスペースだったのですか。

ええ。今と使い方は違いますけどね。先代の御夫妻が亡くなるまでは画廊だったのです。それが息子さんの代になり、事務所として貸すようになって、ただ、ここ数年はずっと開いているみたいでした。頼みたい気持ちは山々なれど、分不相応な気がして半ばあきらめていたんです。どうせ断られるだろうと出向くのをためらっていましたが、僕の画廊の隣の床屋さんで、偶然にもビルのオーナーが隣の席に座られて、それで話を切り出しますと、自分は美術に興味がなかったけれど、画廊であれば亡くなった両親の親孝行になります。お貸しましょう。と言ってくださったんです。でも思いもよらない広いスペースを借りてしまった後は、正直言って心配で夜も眠れませんでした(笑)。
ここが何よりも良いのは、両方に入り口があることなんです。あるお客様が、この画廊は「人が流れる気がある。だから大丈夫ですよ」と言ってくださって、それでようやく安心いたしました。

・・・入り口が二つあることで、企画画廊と貸画廊を両立させることができるのですね。

企画画廊が貸しをするのは賛否両論があると思います。基本的に貸す行為は、扱う作家に責任を持つわけではないし、作家から料金を頂くわけですから、主体性に欠ける部分がある。僕としても画廊の形態としてはいい形ではないと思ってはいます。ただ私どもの画廊は、40人もの扱い作家がいますので、新しい作家をやりたくてもできないんですよ。ですからGT2を生かして新しい人との出会いの場として機能できればよいのではないかと。スタートラインの場になればと思って始めました。

・・・取り扱い作家は40人とはすごいですね。

以前は約30人でした。オープン展の時は、一点ずつ出品してもらったんですが、その後20代の若い作家たちに出会う機会があり、またGT2で発表していただいた方の中からもいい出会いがあり、韓国のアートフェアーや毎年夏に開催する京橋界隈展(http://www.kgs-tokyo.jp/kgs.htm)には、新人を紹介するようになりましたので、今は40人ぐらいに増えてしまったんです。

・・・椿原さんが、作家を選ばれる基準を教えていただけますか。

それを具体的に言うのは難しいのですけれども、絵に詩心のある作家と言うか有機的なものが好きなんですよ。無機的なものの中にも、質としては良いものはあるけれども、自分の体質には合わないんですね。それからもう一つは追求型ではなく展開型といいますか、一つの所からどんどん広がりをもっていく作家に興味があります。

・・・一つのことにとどまらないということですか。

例えば版画を制作していても、彫刻を作ったり油絵を描いたり、油絵を描いてる作家であれば、版画を制作したりオブジェを制作したり、そういう多様性を持っている作家にひかれますね。そしてもう一つは作家自身もいろんな引き出しを持っていて、それを引っ張り出してくれる人脈を持っている作家です。

・・・人脈ですか?

例えば美術のジャンルだけではなく、音楽家や文筆家など感受性の鋭い人達と出会うことで、新しい発想が生まれるじゃないですか。そういう関係性を構築できる作家といいますかね。そして人生には限りがあるわけですから、わくわくするような展開をしてくれる作家に興味が尽きません。出来上がった作品の姿を、まず僕自身が見てみたい気持ちがありますから。

・・・展覧会の頻度は、作家それぞれで違うのでしょうか。40人も取り扱い作家がいらっしゃいますと、たいへんではないですか。

新しい場所に移転してからの一番の悩みはそれなんです。基本的には2年に1回の個展と決めています。単純に計算すれば、24人がローテーションしていけば展覧会はできますよね。ですから以前は約30人でした。でも40人になってしまいましたので、1か月に2回2週ずつ展覧しています。1週間では短いし、1か月では長すぎる。2週間と言うのは、今週は無理だけれども、来週は行けるなという長さなんです。でも1か月に2回というのは、結構目まぐるしくて、準備はかなりたいへんです。

・・・・ところで作品を購入する場合の値段設定は、どのようにつけていらっしゃるのですか。

お客様が値段を見てあきらめられるよりは、これならほしいと思って、無理すれば買える値段の設定にしています。それはまさに出会いです。新人作家にとっては、一点でも売れた喜びは大きいですからね。私どものお客様には、学生さんやサラリーマン、OLの方が多いのですが、それこそハンドバッグを買ったり、旅行に行きたいお金を我慢して買ってくださるんですよ。
ですから値段は、極端な言い方かもしれませんが、千円の作品があってもいいと思うんですよ。御存じのようにマーケットの流通に乗れば、マーケットプライスは上がっていくし、それにつられて画料も上がっていく。けれどもそれは画廊や作家の思いとは別に、作品が独り歩きしてしまうこと。逆にそうなってしまいますと、僕は何となく離れていってしまうんです。なぜかと言えば、僕の画廊に来てくださるお客様は、マーケットプライスや著名度やキャリアではなく、その作品に惚れて買っていかれるからなんです。ですから五十万であっても、逆に千円でもいいわけです。その人にとっては、それだけの価値があると思って、お金を出してくださるわけですから、そういうお客様をできるだけ大事にしていきたいですね。市場がらみで金額をつり上げる手法は、まだ無名のころから気に入って買ってくださるお客様に申し訳ないと思うんです。敢えて言えば、投資目的で買う人は、別に私の画廊で買ってもらわなくてもいいかなと、僕はちょっと天の邪鬼な部分がありますからね(笑)。

・・・マーケットプライスの話が出ましたが、現代はオークション全盛で、画廊の存在意義は、以前とは大分変わったように思うのですが・・・。

日本画商や古美術商は別として、洋画商の歴史をみると、オイルショック前の1970年代の絵画ブームになるまでは、作家自身のキャリアに画廊が後からくっついていたと思うんです。各団体の長であったり、画壇の偉い人達は、画廊が育てたわけではなくて、そういう偉い先生方に画廊を紹介してもらって、作家の力で画廊を維持していた。それが絵画ブームになって新人ブームが来たわけですよ。でもこれは本当の新人ブームではなくて、○○賞を受けたという何かの勲章をつけた人を、画廊が追いかけていたに過ぎない。その後、それがまたもろくも消え去って、混沌とした時代になった。それでも○○先生の関係とか、○○教室の ○○さんとか、そういうものにしがみついて、自分で作家を見つけだすのではなくて、どこか権威的なラインにしがみついてきたんです。バブル期を迎えてそれがまたかなりフィードバックしてしまって、いわゆる70年代の絵画ブーム以上にエスタブリッシュメントされた作家ばかりになっていきました。それは個人コレクションよりも企業コレクションの資産価値を、重視した結果なんですけどね。

・・・ある意味肩書きに頼っていたということですね。

結局作家と一緒に歩もうという画廊はなくなり、作家を育てるといったらおこがましく聞こえるかもしれないけれど、そういう土壌というのが、またもろくも崩壊していったんです。そういうものすべてが30年40年の間に突出してはすべて否定されてきた。なぜかと言えば絵好きな人よりも、絵以外のファクターの方が大きかったということでしょうね。

・・・そうすると現在は、かなりいい方向へ向かっているとお考えですか。

ようやく画廊が個性を発揮できる時代になったのかなと。これからは作家の力であり画廊の色でありという時代になる。いいとか悪いとかではなくて、例えば美術館での展示やアートフェアーにしても、既存の画廊が知らない作家が出てきている。昔であれば大体名前も作品もすぐ頭に浮かんだもの、今はこういう作家もいるのかと思いますし、ほとんど知らない人達ばかり、それそれぞれの画廊が、それぞれの作家とともに歩もうという時代になってきた。それがまぁ僕らが目指すところなんです。その画廊、画廊で独自の作家を押し出していく。特にオークションが盛んになり、第三者が値打ちを決める時代になってしまいましたので、これからはより画廊と作家のかかわりを深めて行かなくてはいけないんじゃないかと思いますね。

・・・確かにオークションは、値段が先行していくわけですからね。

値上がりしますとか、有名ですと言って売るのはたやすいいわけです。同じ苦労をするのでも一万円の絵を一千点売ることは並大抵の苦労ではできない。一千万円の絵を一点売るのは、作家が著名でキャリアがあればそう難しいことではないですから、けれど無名の作家にお金を出してもらうプロセスはとても厳しいものなんですよ。

・・・やはりそこに夢があれば、みんなが応援しようという気持ちになるのではないですか。作家の作ったものから元気がもらえるし、その元気をもらって、また画廊が元気になる。お客さんもまたそれと同じように感じていらっしゃる。そういう歩み方が大事わけですよね。

同じ目線で、作家も画廊もお客様も歩めるのが理想ですね。今まではお客様や作家の目線が高くて、画廊というのはそれを見上げるようなところがあった。もちろん画廊にプロデュースする力とか、資力があれば違うんだろうけれど、それよりもみんな同じところで同じ夢を持っていれば、同じように歩いていけるかなと。だからといって、絵には値段がついているわけですから、経済的な側面を否定するわけにはいかない。僕らだって霞を喰っているわけではないですからね。でもそういう夢を持ってやっていれば、何となく自然についてくるものなのかなと。自分たちの夢を分け与えるような状況と、場所や機会を作る努力を我々がすれば、自然と、同じような夢を持つ人とどこかで出会えるのではないか。その「場」を作るのが僕らの仕事だと思っています。

・・・韓国や中国のアートフェアーに関してはいかがですか。

本当はヨーロッパやアメリカにまで進出できればいいんですけれども、語学の問題とかいろいろな問題がありますからね。出会うチャンスを画廊以外に持つとなると、近隣諸国のアートフェアーかなと思いますね。いきなり海外に進出するのではなくて一歩ずつ地盤を固めていければいい。韓国であれば近いし同じような感性を持っているのではないかなと。それで数年前から縁があって韓国に出展しましたが、そこでの出会いが、海外での展示につながっていった。先ほど話した作家の引き出しではないけれども、画廊もそういう出会いがあって引き出しを開けてくれれば、いろいろな可能性が広がっていく。僕自身の性格は一気に畳みかけるタイプではないけれど、そういう出会いがあれば行ってみようと思っています。

・・・最後にこれからの展開は、どのように考えていらっしゃいますか。

21世紀になって価値観が多様化して、現代美術といっても100%抽象ではないし、逆に言えば具象絵画全盛時代みたいなところがあって、サブカルチャー的なものもどんどん増えている。現代は、そういう流れの方が大きいわけです。それに加えて新しいジャンルの表現手段も多様化してきた。流行を追いかけるわけではないけれども、ある意味時代の変動に敏感でなくてはいけないし、自分たちが対応できるものは、やはり紹介していきたいなと思っています。子ども達もそれぞれ別の仕事に就いて、誰も後を継いでくれなくなってしまったので、僕が最後まで作家の仕事を見届けなくてはいけないのかな。跡取りがいれば、もうそろそろここら辺だと思うけれどね(笑)。
作家の方たちは一生懸命制作していますから、体の許す限り画廊は続けていこうと、それが購入してくださったお客様への責任でもある。尊敬する先輩の画廊が諸事情で閉廊される場合もあるのですが、そうなるとそこに属する作家は、はしごを外されてしまったような状態になってしまうんです。無理をしないで、そんなに高望みしないで、一緒にやれるようでなければいけない。金や太鼓で叩いてこの作家を売り出そうとしても、無理をするから画廊のスペースも無くなってしまうし、縮小もしなければいけないんでね。細く長く最後までやれればいいなと思っています。