河原朝生 展
2007年1月15日(月) 〜 27日(土)
ギャラリー椿
〒104-0031
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F
tel:03-3281-7808 fax:03-3281-7848
E-mail: gtsubaki@yb3.so-net.ne.jp
2007年1月15日(月) 〜 27日(土)
〒104-0031
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F
tel:03-3281-7808 fax:03-3281-7848
E-mail: gtsubaki@yb3.so-net.ne.jp
1949 | 東京・目白に生まれる |
1969 | 坪内正絵画教室で素描、油彩画を学ぶ |
1970 | 4月 お茶の水・文化学院美術科に入学する |
1972 | 夏 渡伊、ローマ国立美術学校で油彩画を学ぶ |
1977 | 最初の個展がローマのイル・テット画廊で開催され、18点を出品する |
1979 | 1月、湯島・羽黒洞で個展開催 |
7月、カンチェッロ画廊異色作家展(カラブリア)に出品。この年ピッツォ・カラブロ絵画展でヴァレンティア賞を受賞する | |
ペルージャのジャニコロ画廊、ローマのイルテット画廊と契約 | |
1980 | 5月 イルテット画廊で個展 |
6月 ジャニコロ画廊で個展 | |
1981 | 帰国。6月湯島・羽黒洞で個展開催 |
1982 | 1月 お茶の水画廊文化学院で個展 |
10月 銀座・画廊轍で個展 | |
1983 | 8月「少女の肖像展」(池袋・西武百貨店)に出品 |
10月、銀座・画廊轍/銅版画で個展開催 | |
1984 | 3月、「第10回从展」上野・東京都美術館に招待出品 |
11月、銀座・画廊轍で個展開催 | |
1985 | 10月。新宿・小田急百貨店で個展 |
1987 | 5月、銀座・画廊轍で個展開催。12月経堂ギャルリ伝で個展 |
1988 | 芦屋・ガレリア・ディ・レイ、銀座・画廊轍で個展開催 |
1990 | 銀座・画廊轍、大阪・福住画廊で個展開催 |
1991 | ギャラリー椿で個展 |
渋谷西武百貨店で個展 | |
1992 | 現代絵画TOKYO‘92(渋谷東急百貨店)に出品 |
銀座・画廊轍で個展開催 | |
1993 | ギャラリー椿、月経堂ギャルリ伝で個展 |
1994 | ギャラリー椿、銀座三越で個展 |
1995 | ギャラリー椿「リリシズムの画家展」 |
1996 | ギャラリー椿「リリシズムの画家展」 |
1998 | ギャラリー椿「川口紀美雄・河原朝生 二人展」 |
2005 | ギャラリー椿、ギャラリーモリタで個展 |
他、個展多数 |
ギャラリー椿では2年ぶりの河原朝生新作展です。
一見、何の変哲もない日常の風景のようにみせながら、どこか事件の匂いを感じさせる河原の画風。
それはあからさまではなく、画面の外側に巧みに隠された気配のような存在。
色味を抑え、余計なものを画面から一切排除し、その場に漂う空気を感じさせる不思議な作品です。
今回は大作も含め約20点展示する予定です。
初期の頃から90年代ぐらいまでは描いていました。以前は顔を描くのが好きだったんです。でもそれが段々と後ろ向きになったり、目をつぶってしまったり・・・人を描くのが嫌になってしまって。一般的に生活感とか時間とか空間とか重量といった自然の内に生成・変化するものを描くことが存在感につながっていくし、絵には質感が非常に大事なものだと思いますけれども、僕は下手なので、自然にきれいだなと思って描くとこういう作品になってしまうんです。それは僕に生活感が無いせいもあるのかもしれません。
自分とってのリアリティーといいますか。ポエジーといいますか。先ほどお話した自然の内に在るものを顕現しないことによって、自身でより強く感じられることなので、意識してやってはいないんです。例えば正面に展示されている作品には箱が描いてありますが、素材が鉄なのか木なのか段ボールなのか。質感を見ても限定できない。むしろご覧になられた方が決めて下さればいい、逆に分からないという感じをもって下さってもいい。ただ大事なのは謎めいた危険性のようなものを感じて頂けるかどうかだと思います。危険性の美しさといいますか。この絵は僕そのものですから、不安や孤独感・・・孤独感といってもセンチメンタルな孤独感ではなく、人間本来の個としての認識。それを肯定している面はあると思います。
そう言っていただけるとうれしいですね。どうしても表層的に見えるもの、具体的に何が描いてあるか分かりやすいものに、人は安心してしまう。例えば描かれたモチーフが知っているものだとわかれば安心するし、自分が実際に行ったことのある知っている風景であれば、より納得するわけです。でも僕自身感覚的といいますか体質で描いているものですから、目に見えるものというよりも事物事象の内側に深く深く降りて行きながら(言葉で表現するのは難しいですが、形而上学的なリアリティーを感じられるものといいますか)幽かに触れる神秘的な蜃気楼に少しでも手を伸ばすことができたならばと思ってはいるんですよ。
そうです。ここの空間はかなり大きいのでその時にはじめて100号を描いて、今年は130号を描きました。それまでずっと小さいサイズを描いていたものですからとてもたいへんだったんですけど、ただ3号に描くことと100号に描くことでは全然意味が違っていて、例えば箱が描いてある作品も小さいサイズと大きいサイズでは自分の気持ちも変わってしまう。ですから必然性があって描くものなんだと、最近は面白さが少しづつ分かってきたところです。
薄い板を切って貼ってあります。自身の中ではこれだという理由があるわけではないので説明できないんですよ。ただ飾りつけたかっただけかもしれませんし、そこには何かしらの必然性があったんだと思いますね。それまでは額屋さんにガラスの入った額を作ってもらって展示していました。でも2005年にこちらで展示したときに見にくいからガラスを取りまして、今年はじめて自分で枠を制作しました。ですから冗談で「今年から額縁を取ったので、現代美術家になるよと、それは絵そのものの本質的な違いではなく、扱い方の違いだけですから、画家ではなくて、アーティストと呼んでくれ(笑)」と言っているんです。そうしてやってみたらこちらの方が面白かったといいますか。むしろこんな感じでいいかなと思っています。
(c)KAWAHARA ASAO