金井訓志氏インタビュー
・・・今回のテーマは、「野の花」。以前から作品を拝見しておりますが、造形的な形をかなり追及されていて、ご自身の「線」を探られているように思います。
「野の花」というタイトルにしましたのは、去年小さい畑を初めて作りましたら、いろいろな発見をしたことからなんです。薔薇も綺麗だけれども、小さな雑草をよく観察しますと、造形的には薔薇となんら変わりのない。あるいは、小さい分だけ綺麗な花よりも美しいものがあるわけです。そういうものから形を借りたり、デフォルメしたり、植物の自由さに面白みを感じて描いてみようと思いました。
ただ、雑草にしても人の形にしても、自分の求めた形にデフォルメして形を作っていくということは、今までずっとしていたことです。それは以前も今も変わりません。
・・・技法は、ニカワ・テンペラ・金箔/石膏。以前は油絵を制作されていたように思うのですが・・・。
はじめは油絵の勉強していましたから、油絵を描いていました。ただ1981年にヨーロッパに行ったときに、祭壇画に出会いまして、それからテンペラを描くようになったのです。金というのは、色であって色でないという側面があります。何かが映り込めば黒くもなるし白くなる。そういう面白い表情があるので、それに興味を持ったことがまず一つ挙げられます。もう一つは、石膏地というのは非常にフラットで、あまり味わいや情緒がないだけに、ニュートラルな表面ができるのに魅力を感じたからなんです。味わいを拒絶したようなそういう造形を、どこまで突き詰められるか挑戦しているんです。
・・・かなりミニマムに制作されているということですか。
形はそうではありませんが、気分的にはそうですね。例えば仏教美術やキリスト教美術でも、最初に塗った色というのは、味わいはないわけです。それが段々と時代を経るごとに絵肌やマチエールに味わいが出てくる。時代をもっと遡って万葉時代であれば、それがもっと強いものだったのではないかと思います。ですから味わいは分かりますが、できるだけなくしてみようと思っているんですよ。
・・・祭壇画と言われたので思いましたが、金の輪郭線を用いられるのは、ある意味、プラトンのイデア的な、時空を超越した絶対的な永遠の美の形を探ってらっしゃる様にも思います。輪郭線でくくるというのは、記号的な要素がかなりあるように思うんです。でも記号の指し示しているものは、一義的なものではなく、ご自身の中で多義的な要素を組み合わせてイメージを表出されている。ですから見る側は、ラビリンスに引き込まれるような不思議な心地いい感覚を味わうのではないでしょうか。
絵を描く側と見る側はけっして同一の視点は持ちえないけれども、僕の表現したいこの線をどういうふうに解釈してくれるか。それが少し伝わると嬉しく思います。最初の形態が決まってしまうと、仕上がりは想定出来るんですよ。例えば箔を貼るのであれば、僕より上手い人は沢山います。塗るのでも僕より上手い人は、いるかもしれない。それでも良いと思っています。でも一番基本になる線や色は、僕自身で決めたい。作品の中には、糸杉の膨らみかたや雲の曲がり具合など、こだわっている部分があるんですよ。見る側の方たちには感じてもらえないかもしれないけれども、少しでもそれが分かってもらえたら嬉しいですね。
・・・そこにユーモアも加味されているんですね。とても楽しんで描かれているのではないですか。
ユーモアはとても大切だと思っています。作品を見てちょっと微笑んでくれたりすると嬉しいですね。僕の作品は、どの作品も自分自身が少し笑えるような要素を入れているんですよ。でも苦しいこともあるんですよ。アイディアを出すときが一番辛い。大まかなレイアウトというか構図ができると、あとは精査していく作業ですから、それは面白いところなんです。
・・・これからの展開についてはいかがでしょうか。
今までいろいろ展開しているので、以前の作品を期待してこられた方は、がっかりされる場合もあるみたいです。人物を見たかったのに、植物だったりとかね。でも人物はこれからもずっとテーマとして、描いていきいたい思っています。
〜14日(水)まで。
(c)KANAI SATOSHI