●10月5日
22年前に開廊の時にデザインの件で大変お世話になった作宮隆さんが訪ねてきた。
2004年秋に銀座64画廊による金沢美大OBの大展覧会の運営委員長を彼は任され、「銀座ジャック」とメディアでも大きく取り上げられ話題になった事がある。
その第2回を2007年に開催したいので私にも協力をして欲しいとの事であった。
金沢には私も縁が深く、お客様の出身でもその方面の方が多く、大学出身者も開光市や原崇浩を扱っていて、GTUでも二人の若手が展覧会を開いている。
金沢の作家は以前にも美術雑誌で「金沢ルネッサンス」と題して取り上げられたほど活躍している作家が多い。
金沢は前田藩の城下町として栄え、漆芸、金工、蒔絵など世界に誇る伝統工芸の街としても知られ、文化を醸成する土壌があるのだろう。
昨年開館した金沢21世紀美術館も難解な現代美術をメーンにした企画にもかかわらず、開館1年で市の人口の3倍に匹敵する150万人という記録的な入場者数となった。
現代アートでは人を呼べないと言う定説を覆した快挙と雑誌「プレジデント」でも取り上げられたほどで、古い伝統を守りながらも時代を先取りする精神を持ち合わせた日本有数の文化都市と言える。
こうした環境で育ったアーティストやデザイナーが一斉に展覧会を開くと言うのだから、興味深いものがある。
参加する金沢美大OBの結束もさることながら、この運営に携わる作宮さんたちのご苦労も並大抵ではないだろう。
2007年には私も及ばずながら協力させてもらう事にしたが、再び銀座に金沢ルネッサンスが花開く事だろう。
尚、ここでも名前の出た開光市展が今月の19日から日本橋高島屋で開催され、その後名古屋、大阪の高島屋を巡回する事になっている。
●10月7日
GTUで開催中の大竹展の雲の絵を見ていると、大地に寝そべって大空を見上げ、沸き立つ雲の変化をいつまでも飽きずに眺めていた情景が懐かしく思い出される。
どこまでも広い青空に思わず吸い込まれたり、柔らかな雲に乗ってゆらリゆらりと流されていく幻想を覚えたのは私だけではないだろう。
打ち寄せる波をいつまでも眺めたり、焚き火の消えかかる残り火をじっと見つめていたりと、単純な繰り返しの中に夢を託しつつ時を過ごす事も今は少なくなってしまった。
大竹さんの雲の絵が私が昔に感じた自然への憧憬を甦らせてくれた。
私事で恥ずかしいのだが、9月の終わりの妻の誕生日に卓上型のプラネタリウムをプレゼントした。
テレビドラマでつい先日偶々垣間見たプラネタリウムの美しさに心を揺り動かされ、これまた偶然に見本誌で届いた雑誌の中にプラネタリウムを家庭での記事が目に止まり、柄にもなくプレゼントをする事にした。
我が家の天井いっぱいに広がる満天の星空の美しさに見とれ、暫し都会のくすんだ夜空に慣れてしまった私達の目をすっかり洗い流してくれた。
暫し感動の後、いつにないプレゼントに妻は現実に戻ると、どこか後ろめたさがあるのではと怪しげな目を私に向けるのであった。
●10月8日
6月に個展をした木村繁之さんは山登りが趣味である。
版画家の柄澤斎さんの影響らしいが、最近はかなりの頻度で山へ行っているようだ。
物静かで、ロマンティストの木村さんに山はとても似合っているように思う。
登るたびに、美しい写真と日記が添えられたメールが送られてくる。
あまりの絶景に私の日記でも披露させてもらう事にした。
今回もそうなのだが、木村さんは単独行が多く、何かあってはとそれだけが心配で、これからは冬に向かうだけに兎に角気をつけてもらいたい。
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立山劔岳1泊2日テント山行 |
まさに千載一遇の晴天の6、7日に行ってきました |
別山から見た劔岳は忘れることがないでしょう |
木村繁之
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●10月13日
朝の読売新聞に気になる記事が出ていた。
「出品画像・著作権の侵害」の見出しで、横浜市が税金滞納者から差し押さえた絵画をインターネットオークションで公売する際に、画家の許諾なしで画像を掲載するのは著作権の侵害にあたると著作権の管理者が、同市を相手取り掲載の差し止め訴訟を起こしたという内容である。
横浜市は画像が鮮明にならないように調整しており、許諾が必要な複製にあたらない。複製だとしても今回のケースは引用にあたり、許諾の必要はないと反論している。
実は同じような指摘が、以前私のホームページ上に掲載された画像に対してなされ早速に掲載を取りやめた事があった。
推薦作品のページに掲載をしたところ、その作者から許可なしに載せるのはけしからんとお叱りを受けた。
迂闊だった事を詫びてお許しをいただいたが、ITが普及するにつれ、こうした著作権侵害の問題は多くなるに違いない。
もう一つこれに関連して気になる事がある。
私も一時オークション会社の社長をしていたが、その時心配したのはオークションカタログに作品写真を掲載した時に著作権の侵害にあたらないだろうかと言う事であった。
各オークション会社は不特定多数でなく、会員制として会費を取り、カタログは会員のみに配布するという形をとっているが、オークションカタログが一人歩きをする現状では果たしてこうした方法が許されるのだろうか?
どちらにしても、今回の告発が音楽や文学に比べて、著作権の保護への認識が薄い美術界にとって一つの警鐘となるのは間違いない。
さらに野放しとなっているインターネットオークションの規制に繋がればいいのだが。
●10月17日
先日の連休にまた安曇野にあるギャラリー留歩を訪ねた。
先に紹介をしたように新宿の椿近代画廊時代に私が企画をした「再現・椿会」が開廊記念として開かれている。
その当時の懐かしい絵が並び、再会を果たす事が出来た。
今はそのメンバーが皆一線で活躍しているが、まだ無名の作品を発表する喜びに溢れている時代の作品のほうが今の作品に比べ心を打つように思えてならなかった。
あるコレクターの方が、このメンバーの一人に何故前のような絵を描かないのですかと尋ねたところ、「うまくなり過ぎたんです」と答えたと言う。
成る程とは思ったのだが、昔のままの絵では進歩がないし、変わらなければマンネリと言われてしまうし、難しいところである。
要は描く時の心の持ち様ではないだろうか。
常に描く喜び、発表する喜びを失わず、世間に迎合することなく、真摯に描き続ける事で、見る人を感動させるのである。
描くのが当たり前、発表するのが当たり前、売れるのが当たり前になってしまったら絵はお終いである。
今は若い作家も売れるのが当たり前の時代になってしまった。
常に初めて絵が出来上がったときの充足感、発表した時の緊張感、売れた時の喜びを忘れないでいて欲しい。
●10月18日
昨日から北川健次展が始まった。
彼は既に版画家として活躍しており、美術館にも多数コレクションされているこの世界では著名な作家の一人である。
その彼が、私どもの新しい画廊の空間に魅せられ、ぜひ個展が出来ないだろうかと訪ねてきた。
手付かずの無名の作家を紹介していく事が、私の仕事であり、既に評価をされた人の企画をするのは気が重いとお断りをしたのだが、この空間をイメージした展覧会をどうしてもやらせて欲しいとのたっての願いに、ついに引き受ける事になった。
空間とのコラボレーションを念頭においたこの展覧会は、彼が版画家から大きな飛躍を遂げるエッポクともなる展覧会となった。
以前にもオブジェ作品は制作をしていたが、狭い空間の中では西洋アンティークが所狭しと並べられている感を拭えなかったが、今回は成る程彼がたっての願いで訪れた意図がよく理解できた。
彼の熱意が私の画廊に新たな血を注ぎ込んでくれたようで、うれしい展覧会となった。
●10月19日
先日、安曇野のギャラリー留歩を訪ねた後、萩原碌山美術館に廻り、そこから50年ぶりの上高地に向かった。
碌山美術館はこじんまりとした佇まいの中にも、歴史を感じさせる趣があり、昨今の建築家の研究発表の場となってしまったどこかよそよそしい殺風景な美術館と違って、ほっと心を癒すひと時を持つことが出来た。
上高地に向かう途中は、あまりの中高年ハイカーの多さに吃驚した。
マイカー規制のため、駐車場に入るのも行列、上高地に向かうシャトルバスも行列、タクシーにも大勢の人が順番を待っている。
幸いにも、案内役の友人が駐車場の中にある小さな旅館をとってくれていたので、並ぶことなく駐車場に入る事が出来た。
タクシーも直ぐに拾う事が出来、運転手さんの紅葉を見るには乗鞍岳まで行かなくてはとの一言で、一日借り切ってそちらに向かう事にした。
その通り、乗鞍岳に上がるにつれて刻々と変わる色彩の妙に感嘆し、自然のグラデーションを満喫する事が出来た。
上高地に下りると、これまた運転手さんの言う通り、紅葉には程遠く、ハイカーの人の山にも少しがっかりさせられた。
それでも焼岳、大正池、梓川、河童橋、穂高連峰は小学校の時に見た風景と少しも変わらず、50年の歳月を一瞬にして甦らせてくれた。
小学校の3,4年生の時にひと夏を上高地で過ごした事があり、河童橋の前のお世話になった旅館も今はホテルと名前は変わってしまったが、昔の風情そのままに残っていてくれたのがうれしかった。
あっという間に姿を変えてしまう都会にいると、こうした自然がそのままでいることが何物にも代えがたい宝物のように思えてならなかった。
旅館に帰り、誰もいない露天風呂にのんびりと浸かり、岩魚料理とマツタケ料理に舌鼓を打つというおまけまで付けてもらい、自然の美しさをセットしてくれた友人夫妻には心より感謝であった。
●10月20日
最近よく行く鰻屋さんに千住博の大きな滝の絵が飾ってある。
それこそ今人気の鰻上りの作家だけに作品はかなりの価格がする。
丁度隣りの画廊で千住展が開催されているので、一度値段を確かめてみようと思っている。
主人に聞くと、お店を出す時にデパートで偶々見て気に入り、価格も手頃だったので買ったとの事。
行く度に、その作品が鰻の煙でだんだん霞み、ナイアガラ瀑布のごとく煙幕を張ったようになっていくのが気になって仕方がない。
何かの折に処分となっても煤だらけの作品では無価値となってしまう。
今、大変な値打ちですよと言うのだが、主人は気にすることもなくそのまま飾っている。
作品は見て楽しむと言う事からすれば、こうして飾っておくのが一番いいのだが、商売と言う俗世界に浸かっている私としては汚れる前に買い取ってしまおうとよこしまな気持ちになって、おいしい鰻重も喉を通らない。
以前に、ある画廊主がビジネスホテルに泊まり、枕元の上を見上げると、山口薫の名品が飾ってあって驚いたと言う話を何かの本に書いていた。
おそらく、ホテルの人たちはそれほどの値打ちと思っていない筈である。
どうやってこの作品を手に入れようか、もしくは他の作品と代えてもらおうか考え、一晩まんじりとする事も出来なかったと書いてあった。
画商の性とはこんなものである。
●10月22日
今週は天候不順で、今日もまた雨模様。
そんな事もあってか、いつもよりは見に来る人も少なく手持ち無沙汰の日が続く。
他所の画廊で実績のある北川さんだけに、あまり人が来ないとプレッシャーもかかる。
明日から3日間、韓国で開催中のプリントアートフェアーに出かけて留守をするので余計に気がかりである。
韓国のフェアーでは、日本現代版画特別展が併催され、45名の作家が選ばれ展示されている。
私どもで発表している作家も5名選ばれていることもあり、北川展の最中だが出かける事になった。
それとフランスにも支店のある韓国の著名なギャラリーのブースで、夏にGTUで個展をしていた岡本啓君の作品を紹介してくれる事になり、そのお礼も兼ねている。
偶然、夏の東京アートフェアーに来日した折に目に止まり、展示予定の作品は全部買い取ってくれる事になった。
大阪芸大を出て間もない彼だが、新しい発表の場であるGTUからこうしたチャンスを与えられた作家が出てくることは何よりの喜びである。
●10月26日
韓国から昨日帰ってきた。
韓国の版画と写真のアートフェアーが先週の金曜日から開催され、日本現代版画と写真の特別展が開催されたこともあって、日本の画廊も13軒が参加して、例年にない盛大なフェアーとなった。
ただ、場所が5月のKIAFの会場のように人出の多い所ではなく、日曜日でも人出がなく閑散としていたのが残念だった。
ここは芸術の殿堂といって、オペラハウスやコンサートホール、美術館、伝統芸能の劇場などが建ち並び、その建物の威容さは眼を見張るものがあるのだが、街中から離れている事もあって、ふらっと立ち寄ると言うわけには行かないのだろう。
韓国では版画の認知度が今ひとつで、このフェアーも版画の普及を目的に10年程前から始められた。
韓国の美術市場はお金持ちのコレクターにに支えられていて、版画をまだ軽く見ている風潮があり、売上には中々つながらず、30年前の日本の状況と似ている。
版画が美術品としては手頃な価格だけに、もっと人の来やすい場所で開催して、新しいコレクター層を開拓したらどうだろうか。
逆に驚いたのは、韓国の有力画廊のブースでは巨大な写真の作品が多数展示されていた事である。
大きさも含めて、かなりのインパクトがあり、私の興味を引いた。
絵画も私のところでもそうだったように大きい作品が売れることもあり、写真の大作は韓国のコレクター層に浸透し、写真市場も日本と違って確立しているのだろう。
GTUで発表した岡本君の写真作品を韓国のブースで展示してくれたのも、そうした意味合いがあるのかもしれない。
彼は幸運にも、韓国で一番大きなGANAギャラリーでも発表の機会を与えてくれる事になりそうで、彼とともに忙しい中を韓国に行った甲斐があった。
他の画廊のオーナーでも彼の作品を欲しい人がいたのだが、今回展示してくれたマダム・李は自分のコレクションを紹介しているだけなので売らないと断ってしまった。
私も一度言ってみたい台詞だが、韓国の画廊はコレクターと同じで、桁外れのお金持ちのそれも奥さんが経営しているケースが多い。
欲しいのを断られた画廊のオーナーも、お医者さんの奥さんで4階建てのビルを持っていて、その全てを画廊として使っている。
写真に写っているのがその画廊である。
彼女の画廊ともいい話が出来たので、続きは明日。
●10月27日
昨日の日記で紹介したギャラリーPICIはまだ開廊して3年目の新しい画廊だが、オーナーのクワァンさんは大変積極的な方で、イタリアやフランス、ニュージーランドなどの画廊と提携して海外のアーティストを韓国で紹介したり、欧米のアートフェアーにも参加し、韓国の作家の紹介に努めている。
ご主人がハーバード大学の医学部にいた事もあって、ボストンにも数年滞在していて、かなりの国際通である。
岡本君の作品を展示してくれたギャラリー・デ・リーのオーナーもフランスのソルボンヌ大学を卒業した才媛で、フランス語で語りかけてこられるのには閉口している。
このように、韓国の画廊さんは語学堪能、教養もお金もあって、私はいつも肩身の狭い思いをしている。
言葉に関しては、東京芸大の大学院で彫刻を専攻したリ・ユンボク君がいつも通訳をしてくれるので何とか助かっているが。
彼は私の画廊に作品資料を持ってきてくれてからの縁で、一昨年からKIAFの私のブースで発表をしている。
今年の5月の時には、SPギャラリーのオーナーが作品を買ってくれて、その縁で今回のフェアーでは彼の新作をSPギャラリーのブースで展示してくれる事になった。
更には、今回その作品を見たPICIのオーナーが彼に惚れ込み、個展の開催を約束してくれた上に、毎月制作費として彼にお金を出してくれる事になった。
このように私との縁で若い作家たちの活躍の場がどんどん拡がっていくのは何よりの事で、来年のKIAFでも新たな縁ができるのを楽しみにしている。
●10月28日
2泊3日の強行日程だったが、その合間を縫って、サムソン美術館に行ってきた。
ソウルの高級住宅地の中に建てられたサムソン財閥コレクションの二つの常設館と企画展示機能と教育機能を担う児童文化教育センターの三つの建物からなる素晴らしい美術館である。
それぞれをヨーロッパの著名な建築家が設計していて、韓国の伝統美術から現代美術まで過去、現在、未来を繋ぐ新しい複合文化空間となっている。
予約制となっていて、2週間前までにネットで申し込まなくてはならず、面倒臭いがその分ゆったりと見ることが出来た。
韓国企業の文化意識の高さに驚かされるとともに、日本を代表する企業が果たしてこれだけの文化支援をしているのだろうかと考えさせられた。
印象派などの海外コレクションを持つ企業は日本にも多いが、自国の現代から未来に繋がるコレクションまでしている企業となると日本では見当たらない。
トヨタはようやくそうした事を始めたようだが、是非ともニッサンやホンダ、ソニーなどにもこうした文化施設を造って、過去のエスタブリッシュされたものだけではなく、未来に繋がる自国文化の普及に力を入れてもらえないだろうか。
●10月29日
北川健次展も今週になってからは大勢のお客様で賑わうようになった。
そんな中、昨日も見にきていたフランスの女性が父親を連れて再び現れた。
かなり熱心に見ているので、声をかけるとパリの画商で19世紀から20世紀の作品を扱っているとの事。
今回の北川の作品が今年の6月に訪れたパリのパサージュをイメージした作品だけに興味を持ったらしい。
話をしているうちに、是非パリの画廊で個展をして欲しいと言うことになり、条件なども提示され、あっという間に来年の秋に個展をする事が決まってしまった。
韓国だけでなく、こうして日本の作家が海外で発表の機会が持てることはとても有難く、いよいよ語学の勉強をせざるをえなくなってきたようだ。
午前中にはオーストラリアからシドニーのアートフェアーの勧誘に企画担当者がやって来た。
オーストラリアの美術界も活況を呈していて、各地に現代美術館の建設が予定され、アートフェアーも年々盛んになってきているようだ。
シドニーの大学で医学の研究をしている娘が11月に向こうで結婚をする事になり、それに合わせてシドニーに行く事になっているので、オーストラリアの美術市場もリサーチしてこようと思っている。
●10月31日
今日から伊津野雄一彫刻展。
夏から休む暇もなく展覧会が続いている。
そのため、日曜日に展示替えをする事が多くなり、昨日も大きな彫刻を朝早くから並べる事になった。
寄る年波で、ぎっくり腰にならないように気をつけながら手伝っているので、私はあまり戦力にはなっていないようだ。
会場の正面には2メーター近い木彫の婦人像が置かれ、圧倒されるような存在感を見せている。
横には人の輪廻をイメージした6体の木彫を組み合わせた作品が並び、新しい試みとして注目される。
これだけの大きな立体作品が並ぶのは私のところでは初めてのことだが、他の作家同様に画廊の空間をうまく使い、バランスよい展示となった。
最近色々な方からよく言われるのだが、画廊に入った時にとてもいい気を感じると言ってくださる方が多い。
これも作家の方が空間を一つの作品としてイメージし、会場構成を考えてくれているからに違いない。
私も他所の画廊に入った時に、活気のある画廊は画廊そのものが生き生きしているように感じる事が多い。
逆に展覧会を見に行っても、会場が薄暗く陰気臭かったり、別の作品が散らかっていたり、飾り方がぞんざいであったりとすると、少しでも早く画廊を立ち去りたい気持ちになる。
そうした意味でも、いい気が流れていると言われるのは、画廊にとって何よりの誉め言葉であり有難い事である。
●11月4日
昨日は文化の日。
その日に合わせて吉祥寺にある学校に望月通陽さんの彫刻を設置に行く。
前理事長の業績を記念したモニュメントの制作依頼を頂き、望月さんに白羽の矢が立ち大きなブロンズ彫刻を制作をすることになった。
染色家である望月さんも最近はとみに立体の仕事が多くなり、広島でも大きな木彫作品の依頼を受けて制作中である。
また来週からは友人の写真家・大輪氏のとのコラボレーションでブロンズの小品を大輪さんが長年手がけてきた額縁に入れての発表が松明堂画廊で始まる。
偶々、その学校の先生からうちの画廊を推薦していただき、前理事長のお嬢様にあたる方がお越しになり、望月さんの画集から3人の人間が輪になって踊る作品を選ばれ、そのイメージを膨らまして、今回のモニュメントとなった。
学校の教育方針が真・善・美という事もあり、新体操やダンスなどの部活動も盛んで、テーマに合わせて造ることなく、それに相応しい作品が望月さんの作品の中にあったことに不思議な縁を感じる。
学校関係者の方にも大変喜んでいただき、晴れて設置の日を迎えることになった。
●11月5日
来年のカレンダーの校正が出来上がってきた。
今年は金井訓志さんにお願いしたが、来年は小林裕児さんにお願いをすることにしている。
毎年友人の印刷会社と共同で作るのだが、楽しみにしている方も多く、早くもメールでの問い合わせなども来ている。
今までも私のところで発表をしている作家の方達に順番にお願いをしているのだが、印刷会社の意向で抽象画は駄目との事で残念ながら全ての作家というわけにはいかない。
私のところで発表をしている作家達は本の装丁や企業のカレンダーに取り上げられる事が多い。
望月通陽さんはそうした仕事で出版文化賞までもらってしまった。
それでも企業の意向や一般受けしなくてはなどの制約があり、最終段階で駄目になってしまうケースも多々ある。
綿引さんなどはしょっちゅう声がかかるのだが、描かれた人物に目がない、指がないなどの理由で落とされてしまう。
大企業ではあちらこちらに目を配らなくてはいけないだけに、結局はありきたりのものになってしまうことが多いようだ。
ヌード写真の載ったカレンダーは多いが、絵画の裸婦となるとこれまた駄目になるケースが多い。
今回の小林裕児さんの作品も裸婦をテーマにした作品が多いのだが、画廊関係だけではなく、印刷会社の得意先にも配るため、残念ながら外されてしまった。
これからは前貼りをした裸婦を裕児さんに描いてもらおう。
カレンダー希望の方は画廊までお申し出を。
●11月7日
20年来のお付き合いをしてきたコレクターで公務員のHさんが定年を前に退職し、念願の画廊を開いた。
忙しくて直ぐには伺う事が出来ず、今日ようやくお祝いに行って来た。
新川のビルの1,2階を使い、私のところと同じように天井が抜いてあり、想像していたよりも大きな画廊だった。
どちらかというと、日本画家のコレクションが多く、作家とのお付き合いもあってか展示されているのも日本画が殆どで、あまり興味を引く作品がなかった。
それでも若手の洋画家の作品も幾つかはあって、呉亜沙の最初の個展で手に入れたというゴジラのような立体作品が目に留まった。
初めて彼女が制作した立体作品で、背中に蛙が乗っていてフィレンツェの地図を眺めている不思議な作品なのだが、強烈なインパクトがあり気に入った。
お祝いで何か気に入った作品ならお付き合いするつもりでいたので、この作品を譲って欲しいとお願いをしたところ困った顔をしている。
そう言えば値段が表示されていない。
他にも目に付く作品が幾つかはあったが、同じように値段がついていない。
聞いてみると、こうした値段のついていない作品は、自分のコレクションで売るつもりはないのだそうだ。
Hさんに、コレクター時代ならともかく、画商になった以上そんな事を言っていたらお客さんが怒りますよと申し上げた。
珍しい作品が手に入り、自分のコレクションにしようとしたところ、お客様に見つかり、自分の好きな作品は売らずに、気に入らない作品だけ売るのかと怒られた事を思い出した。
コレクター時代と違い、こうした我儘も許されない事を実感したに違いないが、Hさん果たして作品は譲ってくれるのだろうか。
●11月9日
Voiceという雑誌がある。
PHP社が発行している21世紀の新しい日本を作る提言誌で毎月一回発行されている。
その表紙に今年の一月から河原朝生さんの作品が使われている。
今までは絹谷幸二や小杉小二郎といった人気作家の絵が使われていたのだが、河原さんの画集を見た編集部からの依頼でお引き受けする事になった。
早いもので今回送られてきた12月号で最後となってしまった。
2年間続いた作家もいたそうなので、来年の依頼もあるかもしれないが、取り敢えずは終わりである。
中味は堅い内容が多いのだが、表紙の河原さんのノスタルジックな絵を見て手に取る読者も多かったのではないだろうか。
本というのは開けてみなければ内容はわからない。
最初に目に留まる表紙は本を開けてもらうためにはなくてはならない大切な役割を担っている。
そうした仕事をする人たちを装丁家と呼ぶが、私のところでは発表している作家達もこの人たちに作品を料理してもらい多くの本の表紙を飾っている。
最近の直木賞受賞の本の表紙に望月通陽や杉田達哉、木村繁之等の作品が使われているが、その中味は勿論だが表紙も受賞の一翼を担ったに違いない。
●11月17日
娘がシドニーで結婚式を挙げることになり、その合間を縫って、オーストラリアのインターナショナルアートフェアーの事務局を訪ねてきた。
来年6月22日から25日までART・SYDONEY・06と銘打って開催される。
来年で第3回となるが、今年は韓国から8画廊が参加し、是非日本からも参加して欲しいとの要請があった。
カタログを見せてもらったが、作品のレベルはそれほど高くなくまだ発展途上のように思えた。
傾向としては古いタイプの具象画が多く見られるが、事務局長の話では現代美術が主流で、新しい建築にはそうした作品が多く飾られるようになっているとのことであった。
8年前に訪ねた時は、空港内から街中までケン・ドーンの作品やグッズであふれかえっていたが、今回はまったく影を潜めていて、作品を見ることはなかった。
原住民が点描で描くアボリジニ・アートもあちこちで見られたがアートというよりは民芸品といったほうがいいかもしれない。
どの程度現代美術が浸透しているかは話だけではよくわからなかったが、過去2年間のフェアーへの入場者は6,7万人で売上は約13億円とのこと、事実とすれば相当大きな美術市場になっているようだ。
オーストラリアも地理的にはアジア・汎太平洋地域に属し、日・韓・中と積極的な交流をしていきたい意向のようで、日本の現代アートに大きな関心を持っているのは間違いない。
長い間、娘が世話になったところでもあり、とりあえず来年は下見をして、それ以後の参加を前向きに考えてみようと思っている。
●11月25日
今週からは室越健美展。
室越さんとは新宿の椿近代画廊の椿会展に出してもらって以来で私のところでは25年ぶりぐらいの発表になる。
その時にはまったくの無名であったが、モダンな洒落た絵がとても印象的で、この作家は将来活躍するに違いないと思っていたがその通りとなった。
今もその当時と変わらずモダンな画風だが、今回は仏像からヒントを得たこともあって東洋的な表現 に変貌を遂げた。
大きな作品を発表したい思いもあり、今回私のところで初めての個展となった。
京橋に新しく画廊を出してからはまったくの新人たちの企画を続けてきたこともあって、新宿で付き合いのあった作家たちとは殆ど縁がなくなったが、その中でこうして25年ぶりに発表してもらうことになったのも、室越さんの絵があの当時と変わらない新鮮さを持っていてくれたからだろう。
室越さんにとってもあの当時に戻り、清新な気持ちで今回の展覧会を迎えたようだ。
すでに大学教授となり、画壇でも大きな位置を占めるようになったが、新たな目で今回の作品を見ていただければと思っている。
●11月26日
朝、家のほうに梨洞の李君から電話がかかってきて、11時ごろに韓国で一番大きなギャラリーのカナギャラリーの国際担当者が来るので紹介をしてくれるとの事。
彼は小学校の同級生で、大学でも同じ学部となり、長い付き合いをしている。
ソウル大学の大学院に進み、その後李朝専門のギャラリーを青山に出して、李朝の目利きとして内外で活躍をしている。
カナギャラリーは古美術から現代美術まで幅広い美術品を扱い、サムスン財閥との取引で大きくなり、ここ20年の間に世界でもっとも大きくなった画廊といわれている。
何人かそこのスタッフとは会っているのだが、今回お会いした蘇さんには初めてお目にかかった。
スタッフの数も尋常ではないようで、私が会った方の名前を挙げるのだがよくわからないようだ。
日本の若い作家に大変興味があるみたいで、次回にゆっくり時間を取って画廊に訪ねてくれる事になった。
蘇さんは日本語もできるので助かったが、海外の画商との付き合いも多くなり、いよいよ腰を据えて英語を勉強しなくてはいけないようだ。
先日の娘の結婚式でも相手がアメリカ人で、式も二人が住んでいるシドニーで挙げる事になり、家族で行ってきたが、教会でも披露宴でもすべて英語でほとほと困った。
お祝いを言われてもひたすらサンキューの連発。
スピーチでみんなが笑っても私と家内はただ黙って俯いているだけ。
感激も何もあまりなく、当事者の家族というよりは招待されている客のような気がしてならなかった。
脳細胞がすっかり減ってしまった中高年向きの辛抱強く教えてくれる英会話教室があれば教えてください。
●11月30日
久しぶりに懐かしい方からお電話をいただいた。
和歌山のYさんで大阪の画廊に勤めていた頃からのお付き合いで、フランスの著名作家を中心に多くのコレクションをされていて、東京に帰ってからも大変お世話になった方である。
ある時期に突然会社経営から引退をして、その後私もすっかりご無沙汰をしてしまった。
82歳になられたとの事だが、以前と変わらぬ張りのある声を聞き、とてもそんなお年とは思えない元気さで久しぶりで話が弾んだ。
一線を退いたことで病気でもされないかと心配もしていたのだが、月に20冊の本を読み、お仲間のグループに毎月ごとに本から得た題材を元に書簡を送っておられ、好奇心、探究心、向学心すべてに旺盛な事が若さの秘訣のようだ。
和歌山のお客様にはお世話になった方が多く、先般も多くの作品をコレクションしていただいたN鋼機の社長の訃報を新聞で拝見し、一度お悔やみに伺う予定をしていたところであった。
Yさんの久しぶりの電話もちょうどいい機会で皆様のところにもご挨拶にも伺えればと思っている。
●12月1日
一昨日お花の先生で新宿の頃からお付き合いのあるTさん宅に伺った。
それほど高いものではないがセンスのいい作品を長年集めてこられ、作家の方もご馳走になったりとずいぶんとお世話になった。
そのTさんもここ2年ほど足を痛めたり、その影響もあってか今度は腰を痛めてしまい画廊巡りもままならなくなってしまった。
住んでいるマンションはエレベーターもなく、上り下りも不自由でお一人という事もあって、思い切ってケアー付きの施設に移られる事になった。
その施設が狭い事もあって、集めた作品の整理を依頼された。
さすがお花の先生ならではのセンスのいいお部屋で、作品の展示も洒落ていてインテリア雑誌で紹介したいくらいである。
ここを離れるのはさぞかし寂しい事ではと思われるが、ご本人は満州から全財産を置いて引き上げてきた経験があってかさばさばしている。
最初は4,5点くらいが処分の対象になるのではとのお話で気楽に伺ったのだが、飾ってある作品を含めて100点近くの絵画や陶器、オブジェ、アフリカの古民芸などがあり、どれも素晴らしいものばかりで、そのうちの40点ほどをこちらで処分させてもらう事にした。
他の物もいい作品なのだが、私の専門外であったり市場価値がない物で、こちらはお知り合いの方に差し上げていただく事にした。
それにしても40点の作品を階段で運ばなくてはならず、腰の悪いTさんに手伝ってもらうわけにもいかず、大汗をかきながら一人で下ろす羽目になった。
その前の日も、これは手伝いを二人連れて行ったのでそれ程でもなかったが、それでも40号以上の作品を3点お客様のお宅に飾りに行った後だけに、さすがに腰にきてしまった。
これではTさんと同じで足腰立たなくなるのではと心配したが、何とか車に積み込む事が出来た。
いずれコレクション作品を紹介する事になるが是非楽しみにしていただきたい。
●12月7日
昨夜、友人のCさんのお宅を訪ねた。
前にも日記で触れたが、Cさんの一人娘の20歳になったばかりのAちゃんが亡くなって2ヵ月半が過ぎた。
Cさんご夫妻からクリスマス前に絵の展示換えをしたいので見て欲しいとの事でお訪ねした。
祭壇に在りし日のAちゃんの清清しい笑顔の写真が飾られ、今年のクリスマスをご両親と一緒に迎えられなかった事を思うと写真を前に涙がこみ上げてきた。
まだご夫妻ともに悲しみから立ち上がれないようだが、部屋の模様替えをしようと思いたっただけでも前向きになってきたのかもしれない。
奥さんから一時美術を目指していたAちゃんがイギリスに留学していた折に制作したたくさんのエスキースと写真を見せていただいた。
驚くほどに多才で、オブジェやフォトグラフィー、コラージュ、デッサン、油彩と多くの作品を短期間の間に残していた。
どれもが若さゆえにピュアーで、モダンで躍動感あふれる作品が並び、この才能を伸ばしてあげる事が出来なかったのが悔やまれてならない。
Cさんから二つのことを頼まれた。
一つは彼女の作品をどこかで発表する事が出来ないだろうかとの事。
それはお安い御用で、これだけの魅力的な作品なら是非私のところを使って欲しいとこちらからお願いをしたいくらいである。
展覧会はわずかな期間で終わってしまうので、その折にAちゃんの作品集を出して皆さんにお配りしたらどうだろうかと申し上げたところ大変喜んでいただいた。
是非力になって近いうちに作りたいと思っている。
もう一つはAちゃんと同じような年代の若いアーチストのためにファンドを作ってサポートをしていきたいと考えているがどうだろうかとの事。
これはとてもいい話で、Aちゃんに代わって若い優秀な作家たちの支援が出来るのなら、私も喜んで協力したいと思っている。
どのような形で支援するかとか、どのようにして選ぶのかとか、いろいろとこれから詰めていかなくてはならないが、Aちゃんの果たせなかった思いが若いアーチストに受け継がれるのならこんな良い事はない。
●12月10日
年の瀬はさすがに忙しい。
残った仕事を年内に片付けてしまおうとするからだろうが、年が明けてしまえば、また年内にやればと思うから心の持ち様というのは可笑しい。
それでも周りはクリスマス一色、気持ちがざわつくのも仕方がない。
画廊も玄関にクリスマスツリーを飾り、渡辺達正、綿引明浩展もこの時期に相応しい賑やかな展示となった。
アートを身近にの画廊のテーマに即した作品が数多く並び、この機会にアートの楽しさを感じてもらえればと思っている。
●12月13日
最近は株価の上昇と銀行の貸し出しがゆるくなってきたせいか、交換会の出来高が伸びてきた。
先般開催された東京美術倶楽部の百周年記念交換会ではなんと一日で38億円の出来高となった。
これはバブル時の最高出来高27億をはるかに超える数字で、百周年のご祝儀があったとしても驚くべき数字である。
公開オークション隆盛の中、業者だけの交換会の出来高は減少の一途をたどっていたが、ここにきて上昇傾向になってきた。
この事で美術業界が活気を呈しているかというとそうでもない。
私のところのようにエンドユーザーを対象としている画廊は、こうした流れとは無縁で景気回復の実感が湧かない。
負け惜しみのようだが、先のようなバブルになる事を逆に恐れていて、あまりに美術品が高騰したり、金融商品扱いされないよう願っている。
確かに景気がよくなり、美術品を求める人が多くなる事を期待しているが、今度こそは名前やキャリアで選んだり、値上がりを期待して買う事のないよう我々画商が心していかなくてはならないのだが?
喉もと過ぎればで、今の交換会の上昇気運は今のうちにといった思惑だけで買っていて、実需とはかけ離れているように思えてならない。
私は高校、大学とヨット部に属していて、その経験から言うと、追い風が強くなればなるほどスピードは増すが、反面必死にバランスをとらなければ舳先から沈んでいく事になる。
追い風に乗りたいとは思うが、バランスの取れた舵取りを心がけたい。
●12月16日
美術年鑑社から美術年鑑が送られてきた。
美術家の略歴を見るのには便利だが、それとともに記されている評価額が現実に即していない事もあり長い間購入した事がなかった。
電話帳のように分厚くなっていて、数え切れないくらいの美術家のデータが記載されているが、幸か不幸か私どもで取り扱っている作家は一人も載っていない。
掲載依頼を画廊では断っているが、作家直接の依頼も私のところの関係作家は皆断っているからだろう。
今回は現代コレクター事情という特集記事が組まれ、コレクターが推薦する画廊として紹介される事になり、久しぶりに美術年鑑を手にした。
よく画廊にお見えになる美術評論家の本江邦夫氏をはじめ15名のコレクターの方が紹介されている。
1,2を除き殆どのコレクターの方が、私どもの画廊の常連の方でもあり興味深く読ませていただいた。
皆さんコレクションの数もさることながら、大変熱心に美術普及に努力されている方ばかりで、私ども画廊関係者ににとってはかけがえのない方ばかりである。
推薦された画廊も20軒ほどが紹介されていて、私どももその一軒にあげられ光栄に思っている。
ただ驚いたのは推薦画廊の半分近くが貸し画廊だった事で、こうした熱心なコレクターの方たちは皆まったく無名の若い作家から熱心に見つづけている事がよくわかる。
年鑑も著名な作家や団体展所属の作家ばかりでなく、こうした作家の紹介にも努めてみたらいかがだろうか。
●12月20日
今年も後10日あまり、いよいよ押し迫ってきた。
2年前の今ごろは旧画廊からの引越しの準備で大忙しだったが、今年も同じような事になりそう。
と言うのも、この2年で広くとったつもりの倉庫が、あっという間に一杯になってしまった。
出し入れはまるでパズルのごとくあっちを出すにはこっちを引っ込めといった具合で一向に片付かない。
画廊が大きくなった分、発表する作品も大きくなり、大きい作品だけにそう簡単には売れるわけでもなく、いつのまにか大作であふれかえり、身動きが取れなくなってしまった。
以前に先輩の画廊さんから倉庫は展示スペースと同じくらい必要だよと言われた事があったがまさにその通りとなってしまった。
作家さんでもアトリエが大きくなると必然的に大きな作品を制作するようになるが、これがなかなか売れないとなると、そうした大きな作品がアトリエに戻ってきて、結局は以前と変わらないスペースになってしまったと笑えないような話がある。
それに加えて、買っていただいたお客様も、コレクションの数が増えると、次第に置き場所に困ってくる。
もう置き場所がないからと言われて、買うのを控えようとするが、こちらはそうはいかない。
なんとか薦めて買っていただいた結果、置き場所がないから画廊に置いてくれとなる。
これがまた相当な量で、倉庫のかなりの部分を占めてしまう。
ついに新たに倉庫を借りる事にした。
月島の倉庫で以前オークション会社をやっていた時にもそこを借りた事があるが、近くて便利とは言え、結局は離れた場所にあると倉庫に眠ったままになってしまう事が多く、だいぶ迷ったが背に腹は変えられない。
大晦日前に、大きな作品やお客様の預かり品をそちらに移すことにした。
大晦日直前の引っ越しなので、夜逃げと間違えられないようにしなくては。
●12月21日
先の日記でも紹介したが美術年鑑の現代コレクター事情と言う特集記事の中で、コレクターの方がとても良いことを述べているのでその一部を紹介したい。
コレクションは特別な事ではない。
酒、煙草などに費やすのであれば、目に見える、形が残ると言う点ではるかに有意義である。
気をつけたいのは作品を投機の対象とする事で、アーチストの存在を帯びた作品はその辺の物体と違って、むしろ生き物、人間に近い。
それ相応の敬意を払わねばならないし、有名か無名か、美人か不美人かといった基準で差別されるような事があってはならない。
基準を求めるのなら、それは人間性、芸術性ということになるだろう。
そこに共感した時に、初めてコレクションは始まるのである。 |
本江邦夫氏(多摩美術大学教授・府中美術館館長)
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絵というのは作家の知名度ではなく人間性だ。心が入っている絵は飽きない。 |
大川栄二氏(大川美術館理事長)
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私にとってコレクションとは自分探しの旅、自己表現の一つなのかもしれません。
だから値上がりとかは関係ないし、人がいいといったからといって買おうとも思いません。
絵を買って楽しむ事を通して精神的に豊かで充実した人生を送る事が出来ると思っています。 |
山下透氏(アートNPO推進ネットワーク代表理事)
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美術愛好コレクターの条件は、自分の気持ちにマッチしている絵を集めているかどうかです。
作家の名前に惹かれて・・・、値上がり価値を求めて・・・は美術活用コレクターです。
作品選別には画廊を回り、新鮮な美術に数多く接する事。
作品は作家の個展で求める事が鉄則です。 |
丸山治郎氏
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絵を買う事は、作家の成長を見ていくエキサイティングな行為。
その作家が伸びてくれたら、自分に眼があったという事。 |
沢登丈夫氏(美楽舎代表)
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美術鑑賞、美術コレクションの指針になればと引用させていただいた。
●12月25日
今日は朝早くから友人の依頼で甲府のホテルの美術品の査定に行ってきた。
駅近くのこぢんまりとしたきれいなホテルで、洋画の大作が何点か飾ってある。
オーナーが変わり、現時点での評価を知りたいとの事であった。
作品は100号程の大きさで、泰西名画調の風景画や美人画であまり魅力がない。
山梨県立美術館がミレーなどバルビゾン派の絵画をコレクションしている影響なのだろうか、わかりやすく一般受けはするが市場性は殆どないに等しい作品だった。
19世紀ならともかく、現代でもこうしたあたりまえの絵を求める人が多いのか、購入価格はびっくりするような価格で、私の評価があまりに低いので驚いていた。
こうした絵画はあくまでインテリア、消耗品と考え、資産価値があると思わないほうがいいのだが。
友人の依頼で仕方がなかったが、クリスマスイブに朝早くから寒い中出かけた甲斐がなくがっかり。
帰ってくると今度は東北のお客様が関係している金融機関の美術品の査定をして欲しいと訪ねてきた。
こちらは日本画と版画が主で甲府の作品よりは流通性のあるものだったが、地元作家の作品は名前も聞いた事がなく、残念ながら評価が出来ない。
地元の大きなデパートから購入したようだが、これまた驚くのような値段で購入していた。
査定は申し訳ないような価格なのだが、これも現実と受け止めてもらうしかない。
この評価で先方が納得すれば業者の交換会で売却をする事になる。
先日のお花の先生のコレクションや、年明けになるが大変お世話になった方のコレクションの売却の依頼を受けているが、こちらは私のほうで是非分けて欲しいと思うような質の高い作品ばかりで、個人コレクションと企業コレクションの違いがこうもはっきりしている事を改めて知らされた。
先の日記で紹介したコレクターの方たちの言葉が胸に響く。
こちらのコレクションは是非画廊で展示して皆様にも紹介したいと思っているので楽しみにしていただきたい。
●12月28日
今年も今日が仕事納め。
あわただしいうちに一年が過ぎてしまいました。
今年も常に変わらず展覧会の連続でしたが、皆様に満足いただける企画を提供できたのではと自負しております。
と言いますのも、それぞれの個展でそれぞれの作家が、従来にも増した内容のある作品を制作してくれたからです。
昨年もそうでしたが、スペースが広がり、その分発表をする作家が皆プレッシャーを感じたようです。
そのプレッシャーを跳ね除け、空間の大きさに負けない作品が生まれました。
その展示を見た次の展覧会予定の作家がまた刺激を受け、次々と連鎖反応で充実した展覧会を皆様にお見せする事が出来ました。
長い間、私のところで個展を重ねてきた作家は、新しい側面を見せてくれました。
初めて発表する作家は新しい息吹を画廊に吹き込んでくれました。
素晴らしい作品を提供してくれた作家たちに感謝をするとともに、そうした作家を見守り、支えてくれたお客様には更なる感謝の意を表したいと思います。
こうして展覧会を続けてこれたのも、美術を愛し、心豊かな皆様のお力があったからこそです。
来年も今年以上の展覧会をお見せできると確信いたしております。
ご期待ください。
どうぞ皆様にとりまして来年も幸多き良い年でありますように。
年明けは1月5日からです。
GTUのスペースで物故作家や現存作家の名品、珍品を展示しますので是非お越しください。
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