●4月1日
3月も昨日で終わり。
桜の花も満開だが冷たい北風が吹き、夜桜見物もままならない。
先日、お客様から木島桜谷の六曲一双の屏風が持ち込まれた。
桜の時期に桜谷の絵というのも何かの因縁だろうか、桜谷は明治10年京都に生まれ、明治40年に文展が開設されると常に最上位の入賞を果たし、竹内栖鳳等に次ぐ京都画壇の中心にあって花鳥、動物画などを得意として活躍した作家である。
20年前に京都市美術館で没後50年の展覧会が開かれ、今回持ち込まれた「若葉の山」はその代表作として展示された。
折角の貴重な作品だけに何処か美術館に納めたいとも思うのだが、公共の美術館には今とてもそんな予算は無いだろう。
大きな屏風だけにお客様にはお願い出来そうにもなく、折角の名品をどうしたらいいか思案中である。
今日もお客様の紹介で、絵巻物を処分したいので見て欲しいと頼まれた。
暫くは、古美術商に変身である。
●4月3日
来年の4月に開催される東京アートフェアーの参加申し込み書が来ていて、出るべきか止めるべきか迷っている。
というのは、3日間でのブース料金がかなりの高額で、韓国のアートフェアー5日間のブース料と比べると倍以上となる。
ブースの大きさも韓国に比べると狭く、海外からの出展者も昨年の東京アートフェアーでは皆無に近かった。
韓国では欧米からたくさんの画廊が出展していて、その後の取引や海外での展覧会の話など大きな成果があった。
もともと韓国との画廊のつながりも前身のNICAFに出展した時の縁で始まった。
3回にわたってNICAFに出たが、会期中にはそれなりの成果を得たものの、韓国の展覧会の話以外はその後に繋がるものはまったくなかった。
僅かな期間の間にそれほど大きな商談がまとまるはずもなく、その後に繋がるのでなければ高いお金を出して出展する意味がない。
とは言え、国内のお客さんにも私の画廊を知って欲しいし、若い作家を見てもらういいチャンスには違いない。
前回のような真夏の暑い時期でなく、また2回目ということでそれなりに認知されて、入場者も増加すると予想され、はてさてどうしたものかと5月の申し込み締め切りまで迷う事になりそうだ。
●4月4日
東京アートフェアーとは別で、来月6日から三日間ビッグサイトで新たなアートフェアー「東京アートコレクション」が開催される。
文芸系の出版社が企画したイベントで私にも何度かお誘いがあった。
同時に美術を目指す若者を対象に会期中に美術コンクールが開催され、入賞者の作品が会場に展示されるということで、その審査員の依頼も受けた。
アートフェアーも即売に主眼を置き、新たなコレクター層の掘り起こしを狙っている。
コンクールも従来のような美術館の学芸員や美術評論家が審査をするのではなく、作品を受け入れる画商やコレクターに審査を依頼し、アートマーケットと連動させようとの試みである。
大変熱心なお誘いを受けたが、準備不足ということもあり、また審査するほどの審美眼を持ち合わせていないということでお断りをさせていただいた。
画商ではなく、別資本が新たな発想でこうした企画に参入するのはとてもいい事で、成功する事を祈っている。
●4月6日
下の娘も先週からの研修を終え、今週から晴れて社会人。
3月初めから仕事に出かけているので本人にはあまり感慨がないようだが、これで三人の子ども達が皆無事に巣立ってくれたと思うとほっとする。
誰も画廊を継ぐとは言ってくれず、死ぬまで働かなくてはならなくなったが、それぞれが子どもの頃から描いていた夢を実現したのは何よりで、それはそれで親にとってはうれしい事である。
尤も後を継ぐと言っても、自分で新たに画廊を開くぐらいの気概がなければやらせるつもりはなかった。
ここ数年、多くの画廊で2世が父親と一緒に仕事をするようになった。
私の時もそうした時代で、私が勤めた大阪の画廊にも何人もの2世が修行と言うと古臭いが、住み込みで働いていた。
今思うと、当時よその画廊の息子を引き取り、教えるだけの度量のある画廊主が何人もいたのに驚かされる。
とても私などの所では住み込みで修行させてやるだけの余裕などなく、あの頃の親父さんたちは本当に偉かったと感心する。
それでも僅かだが、今の2世の中にもよその画廊で働いてから、父親の元に戻った息子さんたちがいるが、傍から見てみるとやはりそのまま父親の下で働いている息子さん達とは何処か違う。
先ずよく働く、礼儀正しい、謙虚である、自分の意志をもっている、新しい価値観を受け入れる。
自分も他所で働いていたから言うわけではないが、新しい価値観が生まれ、その時代に対応する能力を持ち合わせるには、多少離れたところに自分を置くほうがいいのかもしれない。
ダーウィンは時代の変わり目に生き残るのは力のあるものではなく、それに対応できるものだけだと言っている。
時代を嗅ぎ分ける能力をますますそうした2世達が磨いていって欲しいと願っている。
●4月7日
クリスティーズの5月にニューヨークで開催される版画オークションのカタログが届いた。
現代版画を中心に700点余の作品が出品される。
注目はジャスパージョーンズのフラッグTが40万〜50万ドル、ウォーホールのマリリンの10枚組が50万〜70万ドル、ピカソの銅板画タンバリンを持つ女が40万〜60万ドル、ドガの銅板画ルーブルのマリー・カサットが30万〜50万ドル、シャガールのアラビアン・ナイトの4つの話のセットが32万〜38万ドルといった予想価格となっていて、日本の版画市場よりは相当高いようだ。
村上隆のオフセット版画がこちらでは6,7万円の物が、4,5千ドルのエスティメートとなっているのには驚かされる。
しかし日本でも先月末の交換会では6億を超す出来高となり、物故作家を中心に高額品はミニバブルの様相を呈している。
中国でも過熱気味の市場となっているようで、内外のこうした動きをただただ指をくわえて見ているしかない。
小さな事からコツコツと地道に地道にと言い聞かせている。
●4月8日
3月31日から4月2日までの3日間東京美術倶楽部で2006東美アートフェアーが開催された。
金、土、日の週末、更には入場無料にもかかわらず、来場者は2500人と寂しいフェアーとなったようだ。
時間がなくて見に行く事は出来なかったが、先日の百周年記念展の混雑振りが嘘のようだ。
老舗画商を中心にどちらかと言うと古いタイプの画廊が出展したことで、若い人たちの出足が鈍かったのだろう。
それと通常は企画展をしない常設画廊が多い事で、普段から展覧会を見に行くような人たちを呼び込めなかったのかもしれない。
京橋界隈と同じような試みで、4月14日からの週末の3日間日本橋・京橋美術骨董まつりが開催される。
54軒の画廊が参加しているが、こちらも東美のメンバーが多く、特別何をやるわけでもないので私は参加をしていないが、古美術が中心で若い人たちの人出は期待できそうにもない。
ゲイサイや東京アートフェアーのように現代美術が中心となると若い人たちで賑わうが、それはそれで購買にはあまり結びつかず、こうしたイベントの難しさを感じずにはいられない。
●4月10日
先日、日記で複製版画について苦言を呈したが、私の画廊のすぐ近くのイナックスギャラリーで開かれている「レプリカ」展を見て、本物としか思えないような素晴らしい複製品やその複製技術が紹介されていて、眼からうろこである。
古文書や絵巻物、仏像や古代遺跡からの出土品などを後世に留める為に、写真製版によるコロタイプ印刷や乾漆彫刻、鋳型による鋳造などの技法によって、実物と変わりがない複製作品が制作されている。
デジタル化がどんどん進む中で、こうしたアナログ世界がまだあることにほっとするとともに、その技術を継承する人の育成とその技術を支える道具の保持の困難さを改めて考えさせられた。
複製版画も写真製版やコロタイプなどの高級印刷による製法で作られてはいるが、当初から多額の利益を得るためではなく、資料としての複製とか廉価にして一般への普及目的なら大賛成である。
そうした複製品が、その技術の素晴らしさゆえに、後世一つの芸術品として評価されるのは、それはそれで素晴らしい事と思う。
●4月11日
先日のWBCでは久しぶりにテレビにかじりついて一喜一憂した。
その前の冬季オリンピックの時もそうだったが、国を代表してその頂点に立つのを目の当たりにして驚喜し感動した。
何処で違ってしまったのだろうか、日の丸や君が代への純粋な憧憬に対して素直になれない人達が未だにいるのが不思議でならない。
自分の生まれた国に誇りを持ち、その象徴である国旗や国歌に敬意を払うのになぜためらわなくてはならないのだろうか。
数年前、次女の高校の卒業式で国歌斉唱の際に、半分くらいの教師が全員起立の中にあってあえて着席するのを見て、愕然とした事がある。
成人式に大騒ぎをする若者が物議をかもすが、公の席で教師達のこうした態度を目の当たりにして、そうした連中とちっとも変わらない常識はずれで破廉恥な行動としか思えなかった。
確かに戦前の教育が神国日本、軍事教育に偏ってしまった過去は反省すべきだが、そうした思いをいつまでも引きずり、子ども達に国を愛する心を摘んでしまうような教育こそが偏重教育といっていいのではないだろうか。
こうした教師達はオリンピックやWBCでの日本人の活躍や日の丸をどのような思いで見ていたのだろうか。
公共の美術館でも日の丸や戦争画の発表では何かと問題視される事が多いが、政治や思想と絡めるのではなく、もっと純粋に美を鑑賞する視点でこうした問題と向き合って欲しい。
今、国立近代美術館で開催中の藤田嗣治展に戦争画が展示されている。
藤田は戦争協力者と言うレッテルを貼った日本画壇に嫌気がさし、愛国心を持つ事がなぜいけないのかとの言葉を残し、フランスに帰化し日本に二度と帰る事はなっかた。
いい機会なので、この戦争画を見ることで、国歌とは、愛国心とは、を問い直してみたい。
●4月12日
日曜日に府中市美術館の「恒松正敏」講演会に行って来た。
元一橋大学教授で世紀末絵画の研究で知られる河村錠一郎先生による講演で、どのような恒松論が語られるのか興味深々で訪ねた。
冒頭、1991年恒松作品に初めて出会い、日本にも世紀末幻想美術があったのだという驚きを語られた。
時あたかも20世紀末と言う事で、19世紀末とは共通の観点から社会現象を論じようとしている時に、恒松作品との出会いはかなり衝撃的であったようだ。
まずは、スライドで百物語「26」を紹介し、19世紀末の巨匠ビアズリー、ルドンの作品写真と対比しながら解説された。
更には玉を吐く(オフェーリア)1998年作をスライドで紹介しながらシェークスピアのハムレットの話にまで及び、1993年のロックオペラから映画の一シーンまで取り入れながら、恒松美術についての真髄に触れた。
私にとってもこうした論点で話を聞く事で、新たな眼で恒松作品に接する事が出来、とても有意義な一日となった。
●4月13日
昨日は版画商の春季大会オークションと画廊のイベント藤原道山コンサートが重なり、コンサートの方は半ば諦めていたのだが、予定よりオークションが早く終わり、7時からのコンサートに滑り込みセーフ。
本当に間に合ってよかった。
私の中では尺八のイメージは古臭く、重たい感じがしていたのだが、まったくの認識不足。
藤原さんの音色は天から聞こえてくるようで透明で美し過ぎるくらい美しかった。
胸にじわっとしみわたり、心の奥深くまで安らかになり、恥ずかしいが涙さえこぼれそうになった。
アメイジング・グレースに始まりご自身の作曲による軽やかなポップス調からしんみりと聴かせる曲まであっという間の時間が過ぎてしまった。
ルックスもスタイルも申し分なく、語り口も優しく、その上この音色を奏でるのだからたまらない。
家内もスタッフも、今回はじめて彼の演奏を聴いたご婦人方もとろけそうな目をしていた。
アンコールに応え、りんご追分を演奏してエンディングとなったが、いつまでも拍手が鳴り止まず、感動の渦で画廊が溢れかえるようだった。
いやー素晴らしかった。
●4月17日
近くのポーラ・ミュージアム・アネックスで「本の仕立屋さん」と題した装丁の愉しさを紹介する展覧会が開かれている。
4人の装丁家達の手による本が並べられ、その多様なデザインに目を奪われた。
本を見る時、先ずは表紙のデザインや帯のコピーなどに目が行く。
中の文章を読むよりは、こうした視覚から本を手にとる事が多い。
私も何人かの装丁に関わる方と親しくさせていただいていて、私どもで発表をしている作家の殆どが、こうした人たちの手によって仕立てられ、その絵が本の表紙を飾っている。
今回も展示された多数の本の中に、小林健二、河原朝生、恒松正敏等が表紙を飾っていた。
近く、足利市立美術館、千葉県立美術館でも世界の三大美本と言われる装丁本を含めた本の展覧会が開かれる予定で、一度訪ねてみようと思っている。
●4月18日
小浦展が始まった。
ちょうど前の画廊の最後の展覧会が小浦展で、その時は最後と言う事で、壁や床にライブペインティングをしてもらった。
前の画廊のあったビルはまだそのまま残っているので、時々ドア越しに小浦さんが描き残した絵を覗きに行く。
それから2年半が過ぎてしまった。
版画だけでうちの画廊のスペースを埋めるのはなかなか大変で、版画をやっている作家達にはかなりのプレッシャーとなっている。
小浦さんもその一人で、これだけの数の新作を作ったのは10年振りになるのでは
大作を作る事がプレス機の関係で難しく、作業工程もかなり面倒な事もあって、今回30点の新作が出来た事はかなりの頑張りがあったに違いない。
少年の頃にときめきを覚えた空想の機関車や飛行機、船などが題材となり、ノスタルジックな表現が私の好みにぴったりで一人悦にいっている。
●4月19日
先日、加山又造の版画の贋作が出回っていると書いたが、今度は片岡球子の「めでたき富士」の贋作が出てきた。
加山作品は刷工房の刻印の有無で判断できたが、今回は刻印まで押してある。
額装されてしまうと真贋の見極めが難しいようで、気を付けて頂きたい。
他にも最近ではピカソやミロ、カシニョールの版画の贋作も出回っているようで、こうした事は美術業界にはつきものとは言え、情けない話である。
偽札作りと一緒で、苦労する割にはたいした成果が得られらないのだが、懲りない面々はいる者だ。
大体だまされるのは欲と道連れの人で、他より安いと思ったら気をつけたほうがいい。
それと怪しげな画商から買わない事が最前の防止策だろうか。
●4月21日
昨日は岐阜に行ってきた。
香月泰男の名品が出ると言う事で出かけたが、残念ながら値段が折り合わず手に入れる事が出来なかった。
とてもいい作品だったので惜しまれるが、お客様に売ることを考えるとそれ以上の価格は出せず諦める事にした。
帰りに同じ市内にあるギャラリー・アリアで望月通陽ガラス絵展を見てきた。
岐阜で望月さんの作品を見るのも不思議な気がするが、この画廊のオーナーは望月さんの画集を一目見て惚れ込み、開廊記念を望月展でスタートするなど望月さんなくてはの画廊となっている。
今回は友人の写真家・大輪眞之さんの手による手作り額縁に望月さんがガラス絵を入れるといったコラボレーション展で、さすが親友同士ぴったりと息が合っていた。
大輪さんが新潮社発行の望月通陽作品集「円周の羊」の作品写真を担当したことから付き合いが始まり、それ以来無二の親友となったようだ。
私のところでも是非やってみたいような羨ましい展覧会だった。
●4月22日
私の出張中にうれしい話があった。
前回の小浦展の折、画廊に偶々立ち寄りすっかり小浦版画に魅せられてしまった若いお嬢さんなのだが、そのときもらった小浦さんのポストカードの絵が忘れられず、時あるごとに眺めていたそうだ。
今回もあまりに熱心に見ているので、新作ではないが若干残っているポストカードの実際の作品をスタッフが見せてあげた。
まだ学生でとても作品を買える身分ではないが、いずれ就職してお給料をもらえるようになったら、是非小浦さんの作品が欲しいとの事。
それまで待っていたら絶版になってしまうから、お金が払えるようになるまでこの作品取って置いてあげますよと言うと、そんなことが出来るのですかと大喜び。
画廊は近寄りがたいところで、こうして話をしたり、作品を別に見せてもらえるなんて思いもよらなかったそうだ。
必ず来るのでと言い残して、嬉しそうに帰っていかれたとの事。
こうやって若い人が絵を手にしてくれる。
この仕事をやっている喜びの一つである。
●4月24日
昨日今日と自然の美しさを堪能した。
友人達と遠足と称してJR高尾駅近くにある多摩森林化学園を訪ねた。
ここには保存を目的として全国の桜が植樹され、250種1700本にも及ぶ多様な桜を見ることが出来る。
既に桜の盛りは過ぎているのだが、ここでは見たこともないような桜が競うように咲いていて見事と言うほかはない。
その中でもひときわ華やかだったのがイチハラオカトラノオという八重桜で写真を見ていただければその美しさがわかっていただける。
そして今朝は高田馬場近くにある知人が住職をしている薬王院の牡丹を見てきた。
こちらは今が盛りで、桜の可憐な美しさとは違い、むせ返るような濃厚な色で溢れかえり、昨日とは違った濃密な美しさを堪能させてもらった。
毎日美術品に囲まれ、綺麗な作品の中で仕事が出来る幸せを噛み締めているが、こうして自然の中に身を置くと、この美しさはやはり人の手ではとても再現出来るものではなく、ただただ自然の多様な美しさに感嘆するばかりであった。
●4月25日
一転にわかにかき曇り、雷が鳴り、ドット雨が降りだしそうな空模様になってきた。
6月に個展を予定している内林武史さんとカメラマンが来ていて、案内状用の写真撮影をしているが、他には誰もいなくなった。
一昨年に空飛ぶ椅子や水中探検をするテーブル、自動で絵描き装置など遊び心一杯の作品を見せてくれた彼だが、今回もくるくる回る地球儀、人工衛星、ロケットなどの小オブジェが画廊を飾る。
今やっている小浦さんの版画もそうだが、何処か子どもの頃の夢を想起させる作品にどうも私は惹かれるようだ。
5月の小林健二展も幼い頃に心に浮かんだ怪物がテーマの作品を発表する。
ここ暫くは心わくわくの展覧会が続く。
●4月27日
先週の土曜日にアートソムリエとして知られる山本勝彦さんが大勢の女性達を連れて画廊に見えた。
山本さんが提唱するアートを身近に、アートを持つ喜びを知ろうとの一環で、画廊巡りで私のところにも立ち寄っていただいたようだ。
大変ありがたいことで、少しでも多くの方に画廊に来ていただき、作品を身近に感じていただければ幸いである。
最近は美術館でも友の会の方達を案内して来られたり、美大の先生が生徒を連れて画廊周りをすることが多くなり、突然たくさんの人が入ってきて驚かされる事がある。
ただ残念なのはこうした人たちの中に殆ど男性がいない事である。
画廊でのコンサートや講演会、ワークショップなどを開いても、参加者の多くは女性が占める。
5月14日に予定している小林健二講演会でも既に30名ほどの予約をいただいているが、こちらも女性の申し込みが殆ど。
好奇心、向上心どうも女性が勝っているようだ。
うれしい事に、山本さんがお連れいただいた女性のうちのお一人が閉店間際に再度見えられ、たくさんの小浦作品を買っていただいた。
男性の方もよろしくお願いします。
●4月28日
高級イタリア料理店として有名な リストランテ・ヒロのシェフが大麻所持で逮捕されたとのニュースが流れた。
南青山にあるこのお店には私どもで発表をしている綿引明浩の作品が壁面一杯に飾られている。
こうした縁もあって、綿引さんの結婚披露宴もこのお店で開かれる事になり、おいしいイタリア料理に舌鼓を打ったものである。
その後、丸の内の丸ビルに出店の折にも入り口に綿引さんのオブジェが飾られる事になり、何かと縁のあるお店となった。
以前に、まだ小さなお店を池ノ上に出していた頃によく行かれたと言うコレクターのTさんがこんな話をしてくれた。
ここのシェフは腕もいいが、いつもお任せの料理を頼んでも自分の事を覚えてくれていて、一度たりとも同じメニューの料理を出す事がなかったそうだ。
どこでどう道を誤ったのか、有名になるとともに心に隙間が出来たのか、50過ぎのいい年した大人がこうしたことで世間を騒がすのは極めて残念である。
初心に返り、今一度出直して欲しい。
●4月29日
昨夜は六本木の中華料理店で友人たちが私の還暦祝いをしてくれた。
6月の誕生日までにはまだ一ヶ月と一寸あると抵抗したのだが、仲間の一人は1年も早く間違えられて、59歳の時に前倒しの祝いをしたぐらいだから、私なんかは遅いくらいだと説き伏せられた。
それでも60歳の実感も自覚もない私は赤いチャンチャンコや赤い頭巾だけは勘弁してくれとお願いして伺う事にした。
陶芸をやっている私の母親が出した画集があるが、そこにはやけに老けた父親の還暦の時の写真が載っている。
最近とみに父親に似てきたといわれる私だが、この写真ほどには老けていないと思うのは自分だけだろうか。
時代とともに60歳の感覚が違ってきたのか、それとも私に年相応の重みがないのか、面映い思いをしながら仲間とのひと時を楽しませてもらった。
●4月30日
昨日から連休。
9連休のゴールデンウイークというより、私にとってはプラチナウイークとなる。
とは言え、小浦展が28日の金曜日で終わってしまうと、もしかして休みを知らずに土曜日にお客様が来るのではと貧乏性の私は心配になり、急遽開けることにした。
それほど多くはなかったが、やはり休みとは知らずに岐阜や千葉からわざわざ訪ねてきてくれた方もいて、ご迷惑をかけずに一安心。
これで安心して休む事が出来ると思いきや、体調が思わしくない。
いつもの如くで、休みとなると気が緩み、風邪をひいたり、時には高熱を出して休み中寝てしまう事が多い。
ブルーウイークとならないように気をつけなくては。
日記も連休明けから再開の予定。
皆さんも身体に気をつけて、良いゴールデンウイークを。
●5月10日
今日から小林健二展。
久しぶりの新作個展、それも平面作品の大作を含めた20点余の発表は1990年のGALLRY・FACE以来ではないだろか。
彼の表現は多様で、一つでは括りきれないくらい個展の度に新しい顔を見せてくれる。
27歳の時に初めての個展を開いて以来長い間そうした多様な作品を見つめてきたが、その都度私の心を震わせてくれた。
そうした中で、画集でしか振り返ることの出来ない20歳の時の作品には、私が見ることが出来ずにいただけにどこか憧憬に似た感慨があり、いつか同じような思いをさせてくれる個展が出来ないだろうかと念じていた。
そうした思いがようやく今回の展覧会で遂げられたようだ。
勿論、30年の歳月経て大きく進化はしているが、その頃既に今回と同様のマティエールの美しさや構成力を持っていたかと思うと、あらためてその非凡さに驚かされる。
多くの人は、彼の造形力や素材の扱いの巧みさに目が行くが、私は描くことの卓越さにずっと惹かれてきた。
今回描かれた作品は、その当時の新鮮さを失うことなく、更にピュアになって蘇った。
描かれた作品には怪物の始まりという奇妙なタイトルでもわかるように、子どもの心を失わずにいる彼の夢が一杯こめられている。
何処かに置き忘れてしまったあの頃の心を蘇らせ、20歳の頃の作品の思い出までもが運ばれ、私にとっては至福の展覧会となった。
●5月11日
連休の最後7日に、寺田小太郎氏のコレクション140点が寄贈される事を記念して開かれた府中市美術館・寺田コレクション展に行って来た。
この日は寺田氏と本江館長、山村副館長の三人による鼎談もあり、寺田氏と府中市との関わり 寺田氏のコレクションに至るまでの経緯、コレクションの考え方などのお話を興味深く伺った。
幼少期から自然に接したこと、多感な学生時代に終戦を迎え、戦前戦後の価値観の極端な転換を体験した事などがその後のコレクションに大きく投影されているとの事であった。
終戦後の虚脱感から禅に関心を持ち、そうしたことから精神性の高い美術に興味を持つようになり、難波多龍起の作品や白と黒を基調とした東洋的抽象絵画のコレクションに繋がったようだ。
寺田氏にとってのコレクションの意味とは、戦争、空襲を体験した事で価値として何が残るかという意識が常にあり、財産を残す空しさ、更には飽食の時代を迎え、豊かな生活の果てに何に満足し、自分の生きた証として何を残すかを考えたとき最終的に芸術しかないとの思いに至ったとの事であった。
限られたお金で収集するには無名の作家の作品にならざるを得ず、個人の眼で集める事で偏った癖のあるコレクションになったとの事だが、本江館長の美術館の収集がひたすら流行と既成の権威に流れる中、限られた予算と個人の眼があるからこそ特徴のある格調高いコレクションになったとの話にわが意を得たりであった。
寺田氏には長年にわたり多くの作品をコレクションしていただいたが、今回の展覧会で最もうれしかったのは、寺田小太郎の部屋というコーナーに山本麻友香、富田有紀子、呉亜沙といった若手の作品が並べられた事であった。
これこそ寺田氏の眼を通して、まったく無名の若手の作家たちの作品が日の目を見ることとなり、寺田氏のコレクションの真髄を垣間見る思いがした。
その後館長室に伺い、寺田氏や作家達と本江コレクションを拝見させていただいた。
そこには寺田コレクション同様に本江館長個人の眼を通して集められた無名の作家たちの作品が壁一杯に飾られ、お二人の結びつきが決して偶然ではなく、必然であったような気がしてならなかった。
●5月12日
韓国のアートフェアーの招待状がようやく届いた。
今回は多くの画廊仲間や作家、友人などが見学を兼ねて訪れる予定をしているので、いつ届くのやらやきもきしていた。
まぁいつものことだから仕方がないか。
私の家内も何を勘違いしているのか、10日間べったりと私に付いてくるようで、気の抜けない10日間になりそうだ。
今回はフランス、ドイツ、スペインなどのヨーロッパの画廊が30軒も参加する事になり、日本の12画廊のほか中国、台湾、アメリカ、オーストラリア、チリ、ペルーと以前にも増して国際色豊かなフェアーとなる。
会場も前回より広くなり、韓国の画廊を合わせると150の画廊が参加するアジア最大のフェアーとなり、多くの入場者で賑わう事だろう。
丁度、韓国の美術雑誌ART・IN・CULTUREが届いたが、大きくKIAFを紹介するとともに、多くの有力画廊がKIAF用に1ページを割いて広告を載せていて、その力の入れようが窺える。
その雑誌を見ているところに、来年の4月に開催予定の東京アートフェアーの事務局のY氏が訪ねてきた。
聞いてみると、次回は日動、梅田、泰明などのアカデミックな画廊が多数参加するそうで、従来のフェアーとは少し趣が違ってくるかもしれない。
私にも参加の要請があったが、韓国のフェアーと違い未だ海外からの参加がまったくないようで、海外の画廊とのつながりを期待している私としては二の足を踏んでしまう。
Y氏に招待でもいいから海外の有力画廊を招き、それを呼び水として海外の多くの画廊に参加してもらうようにしたらと提案したが如何なものだろうか。
日本の老舗の有力画廊がいくら参加しても、東京美術クラブのフェアーと同じような既成の作家達が並ぶ新鮮味のないフェアーになってしまうのではないだろうか。
新しい作家との出会い、海外の画廊で発表できるチャンス、何かときめきに似た期待感があれば参加するのだが。
●5月13日
美術雑誌社からのアンケート依頼がきた。
本格的な景気回復がなされる中、版画市場の値動き、市場の動向などについての質問で、またぞろこうした雑誌が経済的側面から美術動向を捉えようとしている事に疑問を感じる。
こうした雑誌もバブル崩壊後は、バブル経済に踊った美術業界や財テクコレクションを大いに批判したものだが。
いつもの事なので腹も立たないが、もう少し作品本位の視点から美術界の動きを論じる事が出来ないものだろうか。
先日紹介した寺田コレクションを始めS氏コレクション、Y氏コレクション、U氏コレクション、H氏コレクションなど優れた個人コレクションは全てそうした動向とは無縁で、市場の値動きに影響されるような柔なコレクションとは一線画しているところに値打ちがある。
名前やキャリアで選ぶのではなく、自分の眼を通して企画をする画廊、自分の眼を信じて収集するコレクターが多くなっていく中、是非そうした流れに沿った観点から読者にメッセージを送って欲しい。
●5月15日
昨日の日曜日、小林健二のトークショウが行われた。
60名を超える参加者の熱気に包まれ、トークショウは始まった。
今回の個展はキャンバス、板、鉄板などに描かれた油彩作品を中心に20数点の作品が並んだが、その制作プロセスの話からそこに使用された工具の紹介など、普通の油彩画では考えられない、彼独自の過程が興味深く語られた。
キャンバスや絵の具など使用された材料の深い知識と優れた技術の裏づけがあってこその作品とあらためて感心させられた。
特に工具への思いいれは並大抵ではなく、いくつかの工具を持ち込み、実際に動かしながらその仕組みや操作を解説してくれたが、そこには溢れんばかりの工具への愛着が感じられた。
更に話は弾み、今回のテーマやタイトルにもある怪物について、その意味や背景となるコンセプトについて熱く語ってくれた。
古事記などの神話やヨブ記などの旧約聖書から引用されたテーマと言う事だが、その奥深い知識にはただただ頭が下がるばかりであった。
彼が子どもの頃から抱いていた怪物(恐竜であったり怪獣であったりするが)への慈しみや、そうした怪物たちを駆逐していった人間の傲慢さや性急とも言える科学の進歩や情報の氾濫への憤りなどが語られ、聴く人たちの胸を打った。
最後に小林健二にとってアートの意味とはとの質問に対し、彼は次のように答えた。
自分にとって人間が人間らしくあるための最後の一線であると。
●5月16日
5月、新緑の清清しい季節のはずが毎日厚い雲が立ち込め、気分も沈みがちになる。
今日は版画商協同組合の総会があった。
一時80名近い組合員がいたが、不況とともに退会者が続出し、一時は50名を大きく割る事態となった。
現在、美術商の協同組合は洋画商、浮世絵商の組合などを含め、4組合がある。
他にも相互会の形をとる大きな組合が、3組合ありこの業界の大きな母体となっている。
そうした組合も組合員の数が激減し、組合自体の存続も難しくなってきたところもあった。
そうした中で、版画商の組合だけは昨年から一挙に加入者が増え、一時の数には及ばないが60名近くまで回復し、活況を呈するようになった。
これは加盟する画廊が比較的新しい世代に移行しつつあり、他の組合と違って硬直化していないことが大きな要因と考えられる。
本来は美術商が一本化され、一つの大きな団体として、この業界の発展や美術の普及に努めるべきなのだが、それぞれジャンルの違いや思惑があり中々一本化することは難しい。
組合の事業も殆どがディーラーズ・オークションであまり建設的な事業がなされていない。
総本山とも言うべき東京美術倶楽部も古美術商、日本画商が中心で閉鎖的な体質から抜け出せないでいる。
今勢いのある版画商の組合からでも業界の健全な発展に寄与する動きが出てくればいいのだが。
●5月17日
数寄屋橋のジャンボ宝くじ売り場に長蛇の列が出来ていた。
ここの一番窓口から億万長者がたくさん出ているらしく、この列だけは特別長くなっている。
縁起を担いで、あわよくばとの思いはわからなくもない。
私も展覧会の売上が今ひとつのときは、地下鉄の改札口を変えてみたり、乗る車両をひとつ前にして、いい結果となるよう祈ったりしている。
自分では籤運はよくないと思っているのだが、お年玉年賀状でデジカメが当たったり、あるクリスマス会の福引でウォシュレットが当たったりしているので、他人から見ると運がいい方かもしれない。
私より籤運が強いのは息子で、子どものときからしょっちゅう商店会の福引に当たり、大きな景品抱えて帰ってきた。
ある時など、現金掴み取り取り放題というのに当たり、電話がかかってきて、私が大慌てで飛んで行ったことがあった。
お父さんに任せろと欲深い私は大きな手で一杯のお金を掴み取ろうとするが、出口で引っかかり中々取り出すことが出来ず、結局は僅かなお金しか取り出すことが出来なかった。
自分で取ればよかったと息子にぶーぶー言われたものである。
いつか忙しくしている息子を呼び出し、数寄屋橋の一番窓口に並ばせたいと思っている。
●5月18日
久しぶりに小田原の和菓子屋の名店・菜の花の社長Tさんが画廊に寄ってくれた。
先年亡くなった平賀敬のコレクションで有名だが、望月通陽さんとも親しく、望月さんの手による毎年のお洒落な菜の花カレンダーを楽しみにしている人も多い。
最近NHKのプロフェッショナルで紹介された建築家中村好文氏もTさんを介してのお付き合いである。
その中村好文氏デザインの画廊の近くにあるお蕎麦の名店「三日月」の奥さんも一緒に見えたが、なんと来週一杯でお店を閉じられると聞き吃驚した。
更に吃驚したのは、ご主人が一年前に急死をされたとの事で、そう言えば最近見かけないと思っていたのだが、そんなこともあって一周忌を区切りに閉店をすることになったそうだ。
奥さんは大学で英語の先生をしていてまったくお店とは無縁の人でもあり、その後をTさんが引き継ぎ、箱根にあるお饅頭屋さんの上で新たにお蕎麦屋さんを開店することになった。
おいしいお蕎麦を打ってくれた職人さんも一緒に移る事になったそうだ。
近くでおいしいお蕎麦が食べれなくなったのは残念だが、Tさんが引き継いでくれると言う事で亡くなられたご主人も一安心であろう。
ところでTさん小林展の作品を見ながら、たしか平賀邸にも小林健二の作品があったぞと言う話になった。
そう、平賀さんには20年も前になろうか、画廊で作品を見るなり、こいつは天才だと言って2点ほど買ってもらったことがあった。
その作品が未だに飾ってあるのを聞き、懐かしいやらうれしいやらで、久しぶりの事もあってすっかり話が弾んでしまった。
帰り際に、なんと今回の案内状の大作をTさんが買ってくれることになり、これも亡くなった三日月のご主人と平賀さんが引き合わせてくれたのではと感謝にたえない。
今ひとつ、三日月の奥さんが同じく帰り際に府中美術館のポスターを見て、ここの館長さんが学生時代にご主人の家庭教師をしてくださったとの話を聞き、世間は狭いものとあらためて驚かされた。
是非箱根と小田原に行く折には、菜の花と三日月に寄っていただきたい。
●5月19日
梅雨のように毎日雨で気分は鬱。
それでも足元の悪い中、たくさんの方が見に来てくれる。
岐阜から30年来のお付き合いのAさんが画廊を訪ねてくれた。
岐阜で独自のブレンドのコーヒーを販売していて、東京でこのこだわりコーヒーを飲ませる店を探しに来たそうで、その帰りに寄ってくれた。
画廊に入った途端、小林健二の作品に釘付けになった。
Aさんは熊谷守一、香月泰男といった著名作家に関心があり、まさか小林健二に目が行くとは思わなかった。
若い女性達が大勢入る店ではなく、男の人がコーヒーを味わいながら現実を忘れ、ゆっくり寛げるようなお店を出したいと思っている矢先に小林健二の作品に出会った。
遥か彼方の宇宙に思いを馳せ、遠く太古の昔に想いを蘇らせる小林健二の作品に魅せられたようだ。
気に入った作品は残念ながら売約になっていたのだが、あまりの熱心さに私が大事にしている立体作品を一点お見せした。
すると、この無限の広がりと悠久の時の流れこそ、まさしく私の思い描くお店そのものと大変気に入り、買ってくださる事になった。
遠いところという事もあって新しいスペースには初めて来ていただいたのだが、そこに思い描く作品があったのも何かの縁かもしれない。
●5月20日
先日の封印された星展でアラーキーの写真をたくさん買ってくださった新宿のAさんがお支払いに見えた。
Aさんはアダルト関係のビデオやグッズ販売の大手の社長さんだそうで、さすがご商売、成る程という過激な作品ばかりを選ばれた。
大手証券会社の役員をしている私の友人の紹介だったが、友人も中々幅広い交友関係をしていると感心させられた。
聞いてみると、いずれエロス博物館を造るのが夢で、春画などもそうとう集めているとの事であった。
発禁本を3万冊ほど集めているコレクターの方から全ての収集品を任されたり、有名な春画のコレクターからも作品を譲り受ける事になっているそうで、着々とその準備が進んでいるようだ。
興味しんしんで、作品を届けがてら、そうした作品やご商売の品々も見てみたいと思っていたが、忙しいので送って欲しいと言われ、一寸がっかり。
私もエロスと幻想をメーンに集めているH氏から作品の処分を依頼されていて、普通の人では中々買っていただけない作品も多く、てこずっていたが、いい人にめぐり合った。
是非いい作品があったら紹介して欲しいとの事だが、こんなものは生ぬるいと言われたらどうしよう。
●5月23日
今日から韓国のアートフェアーに出発。
既に何件か韓国や台湾から山本麻友香や綿引明浩の作品へのオファーが入っていて、幸先良し。
今回で韓国のフェアーの参加は5回目となるが、こうして始まる前から注文が入るのは初めてのことで、やはり回を重ねるたびに認知されていった結果に違いない。
山本麻友香の作品は日本のコレクターの方で欲しい人が何人もいて、売れて欲しいし残って戻ってきて欲しいし、複雑な気持ちである。
それでも少しづつアジアの中に日本人の若手作家の作品が広まるのはうれしい事で、次のステップで欧米に拡がっていく事が出来ればこの上ない事で、暮れのオランダの個展にも期待したい。
但し、昨今の村上隆や奈良美智の価格の動きを見ていると、本当に認められたのか、それとも財テクの一つの駒に過ぎないのかよくわからないが、このような形で取り上げられるのは勘弁してもらいたい。
聞くところによると、奈良の作品は海外のオークションで1億円を超えたそうで、日本国内の近代美術でも億を越えるのは横山大観や岸田劉生、佐伯祐三といったところだから驚きだ。
その価格も何十年の積み重ねと、芸術性だけではなく、希少性も加味された結果の価格である。
それがたった数年で億を超えてしまうとは、どう解釈したらいいのだろうか。
中国の作家達も同じようにバブルに踊っているが、そのつけは必ず来ると思っている。
価格が高騰すればその作家のファンの人達は買えなくなり、投資家やブローカー画廊の間を転売される事間違いなしで、結局は何処かで誰かがババを掴まされ、暴落するのは目に見えている。
世界の中で着実に評価され、次の世に受け継がれる仕事を作家にも望むし、私達もその橋渡しをする事が大切な役割と肝に銘じ、海外での仕事に取り組んでいきたい。
韓国からの日記も送る予定でいるので楽しみにしていただきたい。
●5月23日
夜遅くに仁川空港に到着。
今回もリーユンボク君が迎えにきてくれた。
彼は東京芸大大学院で彫刻を学び、画廊に資料を持ってきた縁で、毎年私のブースで作品を発表している。
日本の他の画廊でも、東京アートフェアーや大阪のCASOなどで彼の作品を紹介していて、将来を嘱望される若手彫刻家である。
韓国でもKIAFの発表を機に注目され、2軒の画廊で扱われることになり、先日もシカゴのアートフェアーで作品を発表した。
礼儀正しい好青年で、会期中通訳も兼ねて私の手伝いをしてくれ、大いに助かっている。
作品はステンレスを素材に、叩き打ち出す鍛金という技法で制作しているが、金属の冷たさや重さを感じさせない軽やかで柔らかさが魅力となっている。
鏡面のような仕上げに凹凸をつけ、光が当たることで様々な色彩を表面に浮き上がらせる、美しく清潔感溢れる作品である。
昼から展示が始まるが、終わってから彼に案内してもらい、おいしい韓国料理を食べるのも楽しみの一つとなっている。
昨年も、魚市場でのひらめやあわびの食べ放題、とろけるような豚カルビなど、どれも1000円程度でグルメ気分を大いに味わったものである。
これ以上お腹が出ないよう気をつけなくてはいけないのだが。
●5月24日
今日は展示日。
昨年までとは比較にならないほどの大きな会場にびっくり。
参加画廊が増えたことで、同じフロアーにあるメインホールを使うことになったが、本当に広い。
全部を回るには相当時間がかかり、疲れること必至。
幸いなことにうちのブースがラウンジの前にあり、そこで休みながら見てもらえる絶好の場所となった。
展示は出品作家の李君と岡本君に手伝ってもらい、どの画廊よりも早く終了。
まだ展示中のブースをざぁっと見て回ったが、今まで以上にかなりレベルの高いフェアーのように思えた。
おいおい紹介していくが、かなり強敵のブースがあり、負けてはいられなくなった。
それでもうちのブースを見に来る人は、これはいいと褒めてくれる。
明日からに期待しよう。
今日の食事は数え切れないくらいの野菜で食べる豚カルビ。
どんな種類の野菜かさっぱりわからないが、しゃぶしゃぶ肉のように薄くスライスしたカルビを次々に食べるのだが、いくら食べても減らない。
これで一人前日本円で700円だから驚き。
韓国の人はせっかちが多く、並んでまで食べるようなことはしないと聞いたが、ここの店はたくさんの人が行列していて、この価格でこのボリュームとおいしさなら当然だろう。
栄養満点、お奨めNO1にあげていいかな。
いや待て、明日からもっとすごいお店が出てくるかも。
●5月25日
150の画廊も準備が整い、盛大にオープン。
有難いことに、私のところはオープン前の準備中にメールで事前に問い合わせのあったお客様がみえて、山本麻友香の120号、60号の大きい作品から持ってきた作品全てが完売。
一昨年から人気があったが、こうも早く売れるとは予想外で、回を重ねてきた甲斐があった。
一人は台湾からわざわざ訪ねてきてくれた若い青年で、120号の作品をすぐに決めてくれた。
次に来てくれたのは、お腹に赤ちゃんのいる若い女性で、聞いてみると企業コレクションで美術品を集めているそうで、とても社長には見えない若い女性だったが、秘書を伴い山本麻友香の残りの作品を全て買ってくれた。
本当は120号の作品も欲しいので、キャンセルンなったらすぐに知らせて欲しいと言われ、こちらのスケールの大きさに改めて驚かされた。
幸先のいいスタートで、他の作家の作品もこの調子で売れることを期待したい。
夕方からのオープニングパーティーは特別招待のお客さんが大勢訪れ賑わったが、実際のビジネスには結びつかず疲れるだけで、作家さんたちだけで夕食をとってもらい、私たちは食事もとらずにホテルに帰ってバタン・キュー。
老夫婦体が持つだろうか。
●5月26日
正式には今日が初日。
例年見られる風景だが、若い女性が大勢押しかけ、写真を撮りまくる。
中年女性パワーも今年も健在。
朝早速に、三人連れのご夫人がみえ、初出品の相澤史の作品を気に入る。
ところが値切りまくるのには閉口。
しばらく見て回ってくるので、その間に頭を冷やして値段を安くするようにとのせりふを残して出て行った。
そちらこそ頭を冷やしてきて欲しい。
次に来た夫婦はわざわざ新幹線に乗ってテグからやって来て、山本麻友香を買いに来たのだが全て売れていて大騒ぎ。
せっかく来たのだから何とかしろと奥さんに押し捲られる。
まとめて買った人に一点を戻してもらうよう交渉しろと電話をさせられ、やっとのことで一点を譲ってもらうことにした。
それからが大変で、お決まりの値下げ交渉。
旦那さんがいい加減にしろと助け舟を出してくれたので何とか収まったが、いやはや韓国の女性には恐れ入る。
●5月27日
今日は朝から雨で人出が心配されたが、相変わらず若い女性が大勢押しかけてくる。
私のところは人であふれ、向かいの韓国の画廊がうらやましがることしきりであった。
しかし作品が売れるわけではなく、売れるのはポストカードばかりで大忙し。
昨夜の魚市場での遅い夕食と朝早くからの美術館めぐりで家内も少々疲れ気味のようだ。
それにしても昨日の魚市場で食べたひらめと黒鯛、生蛸の刺身は美味だった。
その場で魚を選んで刺身にしてもらうのだが、小さめの魚を選んだつもりでも写真のように山盛り。
その後の魚介の入った具沢山のちげ鍋もいい出汁が効いていて大満足。
ビールを飲んでたらふく食べて、一人1500円とは毎度の事とは言え驚きである。
今夜も韓国の画廊の招待で焼肉をご馳走になる予定で、辛いものは駄目だとぶつぶつ言っていた家内も打って変わっておお張り切り。
帰ってからの体重計の上での悲鳴が今から聞こえるようだ。
●5月28日
昨日の雨が嘘のような快晴の天気となった。
朝早くに会場に来て、ゆっくりとよその画廊のブースを見て回った.。
今までと比べてもかなりレベルアップしていて見ごたえがある。
特に目に付くのは、すっかり抽象系が影をひそめ、欧米の画廊を筆頭に癒し系ともいえる具象作品が目立つ。
私もドイツの画廊で1点おもしろそうな作品があったので購入した。
コンラッド・ウィンターという作家でリヒターのように映像のぶれを表現しているのだが、もっと明るく親しみやすい作風の絵で、今朝見てみると20点ほどの作品が完売していた。
他のドイツの画廊でも数軒がこの作家の作品を紹介していたので、ドイツでは注目の作家なのかもしれない。
もう一つ特徴的なのは、立体作品にトリックアート的なものが多く、ユーモラスで惑わされるような作品は新しい流れなのだろうか。
とにかく何度見ても飽きない展示で、訪ねてきた友人やお誘いした画廊の人たちも長時間広い会場を何度も見て廻っていた。
●5月29日
会期もあと一日となり、疲れもピークになってきた。
やはり言葉の壁がストレスとなるのか、つくづく語学力のなさを痛感する。
週末の人出に比べると少なくなったようだが、それでも大勢の人が訪れる。
昨日までと違って、年齢層が高くなり、特にお金持ちそうな夫婦連れが目立つようになった。
夜は新しく就任した韓国画廊協会の会長さんの招待のディナーパーティーがあった。
親しくさせていただいたメキャンギャラリーの金さんの後任である。
女性の方で、韓国の中でも大手の一つの国際画廊(kukje・gallery)の社長の李さんと言う方である。
韓国の画廊の大きさにはいつも驚かされるが、この画廊の大きさにはびっくりした。
以前に紹介したした社員用のスポーツジムや支店と本店を往復をするシャトルバスのある画廊に匹敵するくらいの画廊である。
パーティーも画廊内の超高級仏蘭西料理で開かれ、おいしい料理に舌鼓を打った。
これだけのご馳走を海外から来た画廊の人たちにしなくてはならないのだから、会長さんも大変な仕事である。
画廊の展示スペースも私のところも広いつもりでいたが、こうした部屋が4つほどあり、レストランのほかにワインバーと大きなワインセラー、1階にはおしゃれなカフェーまであるというあいた口が塞がらないような画廊である。
ここで同席した台湾の画廊の方からいい話を聞いた。
山本麻友香を買ってくれた台湾の青年は台湾の有名なコレクターの息子さんで、コレクションの勉強をして来いといわれて、今回韓国にやってきたそうだ。
それにしても初めて買うのが120号の作品だから驚きである。
聞いてみると父親は先日の北京のフェアーでも30点の作品を買い込んだそうで、そう聞くと来年は台北のフェアーにも出てみたくなった。
また忙しくなりそうである。
●5月30日
いよいよ最終日。
初日にいきなりぱぁっと作品が売れたので、その後を期待したが、人出の割には今ひとつだった。
それでも私のブースの出品作家7人のうち6人の作品がそれぞれ売れたので良しとすべきだろう。
もっと点数的には多くなってもよかったのだが、値切るのが当たり前のような人、とくに中年おばさんたちが強引で私がそれに頑として応じなかったので、思ったよりは少なくなってしまった。
日本から初参加の画廊もそこそこ売れたようで、お誘いした甲斐があった。
大手企業からのカレンダーの話や展覧会の話も韓国やドイツなどから来ていて、実現するかどうかは別にして後に続く話もあって、それなりの手ごたえを感じたフェアーだった。
明日は、画廊の招待で昼を食べた後、家内や日本からの画廊のご婦人連中は来韓最大の目的であるエステとあかすりに出かける。
その後、画廊の仲間がぜひ連れて行けということで、再び魚市場に大勢で出かけることにしている。
私の話を聞いて、名古屋の画廊さんが4人で出かけたのだが、観光客だとなめられたのか一人5000円以上も取られて悔しがっていたので、その落とし前も兼ねて、韓国おばさんに負けないようにうーんと値切り倒してみようと思っている。
●6月7日
韓国から帰る間もなく、その日から展覧会が始まり、ただただ時間に追われている。
その上、連休にひいた風邪が治らず、肺に炎症がおきていてこのまま無理すると肺炎になると医者に脅かされる始末。
そんな事もあって、日記も書く暇なしで1週間が過ぎてしまった。
金井展も連日たくさんの人が訪れ賑わっている。
前回は建物風景で新しい展開を見せたが、今回は最近始めた野菜作りの影響か野に咲く名もない草花を題材をメーンに発表した。
草花はシンプルな形となり、一見すると抽象表現のようにも見えるとてもモダンな絵で、大きな壁面に一点飾ったらすごくお洒落な気がするのだが。
話は変わるが、盗作問題で大騒ぎしているが、情けない話である。
美術だけでなく、音楽や文学など全てにわたって、一番大切なことはオリジナリティであり、その人自身を映し出す心の表現でなくてはならない。
その一番大切なところが欠けていて、臆面もなくあーだこーだと言っているのを聞くと、こちらが聞いていて恥ずかしくなる。
日曜日に府中美術館の寺田コレクション展の講演を聞きに行ってきたが、講演者の堀オペラシティ美術館館長が寺田氏のコレクションは自己表現のコレクションであると言い、府中美術館の本江館長は等身大のコレクションであると言った。
寺田氏自身もコレクションを通じて自分探しをしていると言われた。
コレクションも身の丈にあった自己表現であったからこそ、こうして多くの人に評価されるようになったのである。
身の丈以上に背伸びをして、名誉欲に取り付かれた心が映し出されるとああした品性に欠ける絵となって表れるのだろう。
誰が見ても決してうまいとも思えない、品性に欠ける絵に賞を与えたり、美術館での企画に奔走した美術関係者の眼と心の中も覗いてみたいものだ。
●6月9日
梅雨に入ったようで、朝から雨。
例年になく寒かった冬が終わり、桜咲く春や新緑に包まれる5月も不順な天気が続いているうちに鬱陶しい季節になってしまった。
雨の中、藤田嗣治の鑑定書を依頼され東京美術クラブに行ってきた。
先ずは鑑定料として5万円也を取られ、その後真作であれば鑑定証書代として別途3万円が取られる。
これは真贋の有無に関わらず、と言うよりは真贋がはっきりせず鑑定委員(10名)の一人でも白票、もしくは反対票があれば鑑定書は発行されず、5万円の鑑定料も返ってこない仕組みになっている。
鑑定の経緯は説明されず、もし納得がいかない場合にはその作品が真正である何らかの資料を添付するようにとの回答が来る。
そんな資料があれば高い鑑定料を払ってまで頼む事はないと思うのだが、どうもこの辺が腑に落ちない。
逆に考えれば、そうした資料のない中で厳しい審美眼と経験、豊富な知識、更には科学的な検査、クラブが所有する膨大な資料などをもって公正な判断がされ、その経緯が説明されるならば5万円も納得いくのだが。
この辺は今大騒ぎしている文化選奨などの選考で、委員の非公開と選考過程の説明が公表されないのとよく似ている。
今回は藤田の研究家ドミニク・ブッソンの画集に掲載されている作品で資料として添付させてもらった。
このブッソンの画集が絶対ならいいのだが、この画集の信用度が日本では今ひとつ低く、藤田の売買には美術クラブの鑑定書が優先する事になっている。
昨年もフランスからこの画集に掲載されている藤田の初期作品10数点の売却を依頼された事があったが、日本では美術クラブの鑑定書が必要な事を説明し、先ずは鑑定書を取ってからと説明したが理解してもらえなかった。
画集にも大きくカラー図版で載っている作品なのに、なぜ前もって鑑定費用として100万円近くを払わなくてはいけないのかと怒られた。
クリスティズやサザビーズでもこの鑑定書が必要な事もあって、現状では致し方ないかもしれないがもう少し透明度の高い鑑定委員会になってくれるといいのだが。
どちらにしても今回の鑑定費用5万円が無駄にならないよう祈るしかない。
●6月10日
昨日からこの界隈がやけに華やいできた。
恒例の例大祭が始まり、街には祭囃子の音が流れ、印半纏の威勢のいい人達が行き交っている。
23年前に京橋に越してきた頃、このあたりは京橋3丁目になるのだが祭りの寄付で町会の人がやってきて驚いた事がある。
こんな都会の真中でも町内会のお祭りがあるんだと吃驚した。
その時に、この辺は大きな会社が多く、お勤めの人達ばかりで神輿の担ぎ手がいないので出てくれないかと頼まれた。
確かにここの住人や商店の人がそんなにいる筈もなく、担ぎ手がいないのは当たり前である。
その神輿を見てみると、寄付や町内会費は大手の会社が多いだけに良く集まったのか想像以上に大きく立派な物だった。
これは大変だとお断りをして見物だけさせていただいたが、10人くらいの人達で代わり手もいないままに大きな神輿を担いであっちにふらふらこっちにふらふらと掛け声だけは威勢がいいのだが、危なっかしくてしょうがない。
それに一寸行っては休憩の繰り返しで、皆ぜーぜー・はーはー言っているのが可笑しくてしょうがなかった。
ところがいつの頃から、大勢の若者が集まり威勢良く神輿を担ぎ上げるようになり、その周りをいつ代わろうかとてぐすねをひいている連中が取り囲み、すっかり様変わりしてしまった。
他所から、神輿を担ぎたい連中が自然と集まってくるようになったのだそうだ。
今年も威勢のいい掛け声とともに、神輿が練り歩き、何処か下町の風情が残っているようでほっとさせられる。
それと驚いたのは女性の担ぎ手が多くなった事で、いなせな感じと何処か色っぽさがあって、これも祭りの楽しみの一つになってきた。
●6月12日
私が所属しているボランティア団体でドイツ国際平和村に寄付をする事になり、その活動に携わっている女優の東ちづるさんに講演をお願いした。
この活動は戦地で傷つき、自国では助ける事の出来ないこども達を引き取り、治療して母国に帰してあげる活動で、すべての費用を寄付金で運営し、ボランティアの人達がその活動を支えている。
東さんはこの活動をテレビ番組の取材で知って感銘を受け、その思いを綴った「私達を忘れないで・ドイツ平和村より」や平和村の子ども達を主人公にした絵本「マリアンナとパルーシャ」
を出版してその売上を寄付したり、絵本を通じて平和を考えるチャリティ展示会「戦争とドイツ平和村の子ども達」を各地で開催し、理解を広め、その支援のための募金活動に努めている。
私も向かいにあったアート・もりもとの展覧会でその活動を知り、何かお手伝いが出来ないかと思い、私どもの団体にお願いして今回の寄付となった。
彼女はそれ以外にも、骨髄バンク、あしなが育英会などの支援活動もしていて、その活動に対しいくつかの表彰も受けているほど熱心なボランティア活動を実践してきた。
忙しいスケジュールの中を駆けつけていただき、毎年のように訪ね、接してきた子供たちの悲惨な様子をお話いただき、皆心に感じるものがあったに違いない。
一日も早く、この地球に戦争が亡くなり、子ども達に平和が訪れ、この村が必要なくなるように願わざるを得なかった。
今週末17日18日に、浅草公会堂にてチャリティ展覧会が予定されているので、お礼を兼ねて訪ねようと思っている。
関心のある方も是非覗いて見て下さい。
●6月17日
雨の中をおとといは岐阜に出かけ、計画中のAさんの喫茶店に展示予定の小林健二のサターンラジオを届けて来た。
時を忘れのんびりととコーヒーを味わってもらいたいとの思いを抱いていただけに、悠久の宇宙の青い光の中でゆったりと回る土星はまさにぴったりの作品だった。
メインの壁には今回の個展で売れてしまった作品を飾りたかったそうだが、それは次の楽しみにして是非健二の作品のための壁を空けておくそうだ。
ドアノブには以前の私の画廊にも使われていた望月通陽のブロンズ作品を使ってみたいという事で、具体的なお店の概要が出来た段階で彼に頼む事にしていて、私どもの関係している作家さんの作品に囲まれて飲むコーヒーはさぞかし美味しいことだろう。
嵐のような雨で翌日は東京に帰れるかどうか心配したが、何とか帰ってくる事が出来た。
帰って早々に、頼まれていた処分でHさんのお宅に伺う。
冬にも数十点を引き取らせていただいたが、その時大変だったのがHさんの家には猫が20ッ匹近くいて、そのおしっこの臭いが尋常じゃない。
一緒に行ったスタッフは玄関に入った途端に目眩がしたというからそうとうなもの。
冬でさえそうなのだから、この梅雨の最中どれほどだろうかと、花粉症のマスクまで用意して気合を入れて出かけた。
ところが覚悟したほどの臭いではなく一安心したが、芳香剤とおしっこの臭いが混ざり合った独特の臭いで、出されたお茶は私もスタッフも口にする事は出来なかった。
こうして苦労して分けていただいた作品は珍品ぞろい、8月のギャラリーコレクションには出品予定なので是非楽しみにしていただきたい。
●6月20日
私のところに10年間勤め、退職する事になった中林亜実の送別会が土曜日にあった。
お兄さんと一緒に吉祥寺にカフェ・ギャラリー「パラーダ」を開く事になり、この6月一杯で辞めることになった。
残念だが、新しい門出でもあり、喜んで送り出す事にした。
吉祥寺のお店は、私や弟、従兄弟、私の長男が高校まで通った成蹊学園のバス停の前にあり、「パラーダ」もスペイン語で停車場という意味だそうだ。
私達が長年通いなれたバス停の前に出来る事に不思議な縁を感じるが、学生が毎日乗り降りする場所だけにきっと学生のいい溜まり場になるに違いない。
私の息子も常勤の大学以外に週に一日成蹊大学にも教えに行っているので、宣伝に一役買うことになっている。
送別会には、いつも画廊に訪ねてくる作家さんたちがたくさん集まり、賑やかな会となった。
こっそりとスタッフ達が作家さんにお願いして描いてもらったスケッチブックを記念に贈呈したが、皆心のこもった絵を描いてもらい羨ましい限りであった。
7月からは代わりにアルバイトできていた島田が社員として勤めることになった。
可愛らしい女性から無粋な男性になったが、めげずに皆さん画廊に足を運んでいただきたい。
●6月21日
今日で還暦の60歳となった。
スタッフからはお洒落なダークレッドのイタリア製のポロシャツをプレゼントされた。
赤いチャンチャンコや巣鴨の赤パンツでなくてほっとしている。
子ども達からも心温まるプレゼントを贈られたり、うれしい事に山本麻友香とお嬢ちゃんの野枝ちゃんからも素晴らしい絵が送られてきた。
野枝ちゃんこれは只者ではなく、お父さんやお母さんもうかうかしてられない。
髪の毛は白く、字は見えずらく、耳は遠く、朝早くに目が覚めるといったように年相応に老けてはきたのだが、あまり60と言われても実感が湧かない。
私の父親がその歳の時には、それなりの風格があったように思えるのだが、自分の子ども達は私をどのように見ているのだろうか。
私なりに心構えのようなものを年初の賀状に書いたので、あらためて紹介してみたい。(堺屋太一の言葉に玄冬から白秋までとあり引用させてもらった)
「昨年から今年にかけて我が家は巣立ちの年となりました。
中略
それぞれが新たな第一歩を踏み出す我が家ですが、私も今年還暦を迎え、夫婦も結婚30周年の節目の年となりました。
定年もなくひたすら働きつづけなければなりませんが、古来より人生は幼少期の玄冬で始まり、青春、壮年期の朱夏を経て白秋に至る言われています。
これからの晩節こそが実りの秋であり、果実が実を結び、人生収穫の時にあたります。
渋過ぎず、熟し過ぎず、夫婦共々味わい深い実を結ぶよう晩年を過ごしていきたいと思っております」
こんな事を書いて友人達への年初の挨拶とさせてもらった。
●6月22日
月曜日から内林武史展と奥のGTUではCOPPERS HAYAKAWA展が始まった。
共に大人のおもちゃといった夢のある立体作品で、遊び心をかき立てられる。
内林は電気仕掛けで、地球が回ったり、月が満ち欠けしたり、不思議なオーディオ装置がクラシカルな音色を奏でる。
時がゆったり流れる様は、小林健二のサターンラジオにも似たところがある。
早川は親子による協同制作で、銅をたたき出してつくった宇宙人のような不思議な立体作品が並ぶ。
「たけしの誰でもピカソ」にも出演し話題になった親子でもある。
どれもアートとクラフトの境目にあるような作品だが、アートを生活の中に溶け込ませ、豊かな気持ちで接する事の出来る作品ばかり。
コレクターの方ばかりでなく美術初心者にもきっと楽しんでいただけるに違いない。
●6月23日
武満徹全集をプロデュースした小学館のOさんが内林展の案内状を見て訪ねてきた。
紹介されて購入した5巻65枚にも及ぶ武満徹のCD全集はあまりに膨大すぎて、最初の一枚を聴いた以外は箱に入ったまま棚に納まってしまった。
これだけの曲を集めるには限りない時間と情熱なくしては出来ないのだが、その前にもバッハ大全集をプロデュースをしたOさんには頭が下がる。
そのバッハの時に望月通陽さんに文章を依頼した関係から望月展で作品を購入してもっらって以来のお付き合いである。
そのOさんが友人のレーベルからスーパー・オーディオという高音質のCDを出す事になり、そのジャケットに内林君の案内状の作品を使いたいとの事。
ユーシア・クァルッテト(日米欧の弦楽四重奏団)による20世紀の偉大な作曲家ブリテンと武満徹の弦楽四重奏曲で、彼の地球儀をイメージした作品がこのCDにぴったりらしい。
本の表紙と一緒でジャケットも中のイメージに大きく影響するだけに、そのデザインには頭を悩ませていたのだが、案内状を見てこれだと思ったそうだ。
現代音楽と内林武史のオブジェの取り合わせがどんなものになるか、その発売が待たれる。
●6月26日
昨日は友人のバンド・ローガンズのライブに家内と娘を連れて行ってきた。
昨年の夏には画廊でもコンサートを開いたが、今回は格調高い白金の庭園美術館でのコンサートとあって200名近い人が押しかけ、プロ並みの大盛況となった。
昔懐かしいフォークとカントリー&ウェスタンのナンバーを中心に2時間半にも及ぶ大熱演であった。
平均年齢が60歳を過ぎているが、みんなヴァンで有名な石津謙介の息子さん提供のボタンダウンのシャツやジャケットをまとい、昔アイビーで鳴らしたおじさんおばさんたちも手拍子足拍子で大興奮、大いに盛り上がった。
親しくしている画廊のオーナーも友人達とジャズバンドを組み、先日も新宿でコンサートを開いたばかりである。
このオーナーも私より年上だが、音楽の話になると若者のように目が輝いてくる。
私も楽器の一つでも弾けたらと思うくらい、生き生きとしていて羨ましい。
60歳をきに何かやってみようかと思うが、不器用で音痴とくると音楽関係は止めた方が無難かもしれない。
●6月27日
「ボタン」と言う作品の証明書を書いていただきたく、彫刻家佐藤忠良先生のアトリエを訪ねた。
おん歳94歳とは思えない元気さで出迎えてくれた。
広いアトリエには溢れるように数多くのブロンズ作品が置かれ、更に驚いた事に等身大の制作中の裸婦がアトリエの真中に置かれていた。
昨日お電話したところ、午前中はモデルさんが来ているので午後に来て欲しいと言われたが、きっとこの作品のモデルさんに違いない。
口だけ元気ですよと言われたが、とてもとてもそんな風には見えない旺盛な制作意欲に頭が下がる。
わたしは60歳になりましたと言うと、まだまだガキだねと言われてしまった。
海外では彫刻にエディションや鋳造者の刻印があるが、国内の著名な作家でも以前はブロンズ作品など売れるはずもなく、作者のサインはあってもエディションなどついていることは稀で、元のブロンズから型を取って再製作されるケースも有り、作品に証明書をつけるケースが多くなっている。
この作品は私が大阪の画廊を退職する時に、社長に家にある作品で君が好きな物をあげるからと言われ、それではと玄関にあったこの作品をいただく事にした記念すべき作品であった。
この時には、佐藤忠良をはじめ彫刻家の評価は絵画に比べてきわめて低かったので、社長に君は欲がないねと言われたものである。
ところが京橋に新しく画廊を開くにあたり、まったく資金のなかった私は高い評価を得るようになったこの作品を泣く泣く手放して、開業の資金に充ててしまった。
恩知らずな事をして長い間心苦しく思っていたが、縁あってなんと23年ぶりに私の手元に戻ってきたのである。
神様も味な事をしてくれるものだ。
先生の元気ももらい、とてもいい日となった。
●6月28日
暑い中、茶室もある古いお屋敷の書画骨董の整理を頼まれて出かけた。
最近は洋画商というよりは古美術商と言ったほうががいいくらいこうした仕事が多い。
長い間、主のいないお屋敷だが、月に一回風通しをしているので埃やカビもなくほっとした。
残念ながらこれはと言う物はなく、いつもお願いしている何でも屋のKさんに任せる事にした。
デパートなどでは高く売っているであろうお茶道具や、漆器、コーヒーカップなどが数え切れないくらいあるのだが、専門業者では値をつけてくれそうにもない。
Kさんに任せるとこうした物から家具類、記念品の類まで持っていってくれて何がしかの金額になる。
いまどきはごみを捨ててもお金をとられる事を考えると、こういう人がいてくれるのは有難い。
こうした雑多な物を扱う市場があるようで、Kさんはそこに持って行って処分をするようだ。
贋物だけの市場もあるというから恐ろしい。
まだ道具類はこうして処分の方法があるが、惜しいのはお屋敷の建物である。
銘木をふんだんに使い、贅を凝らして建てられたであろうお屋敷がこの後跡形もなく取り壊されてしまう。
丁度今読んでいる宮本輝の「約束の冬」に出てくる主人公の父親が、昔からの夢であった銘木を使った家を建てるくだりが出てくるが、その事が重なりこうした家がなくなっていく事が残念でならない。
●6月29日
以前にも同じような事を書いたかもしれないが、村上ファンドやライブドアの事件で思う事がある。
村上氏が儲ける事が何故いけないかと言っていたが、確かにお金を儲けるのは資本主義社会では悪い事ではない。
うんと儲ける人がいてもそれはその人なりの才覚と努力の結果であればとやかく言われる筋合いではない。
では何故批判されるのかと言えば、その儲けたお金の使い道ではないだろうか。
日銀総裁も財テクによりかなりの利益を得たと言う。
その利益を何に使おうとしていたのだろうか。
私達が携わっている文化は見返りを考えていたら決して育つものではない。
極端な言い方をすれば浪費する事で文化は育っていくと言ってもいいかもしれない。
国が栄え、資本が蓄積されたところにその国独自の文化は育ち継承されていく。
戦後の日本の経済力は世界第2位となり莫大な富が蓄積されたのだが、世界に誇る文化が果たして育っただろうか。
富を不動産や株に再投資をして更に増やす事に汲々として、後世に残り伝えていくものにその富が提供されたとはとても思えない。
六本木ヒルズに住み、自家用ジェット機を持つのもステータスだろうが、医療や福祉にどのくらい奉仕しただろうか、美術や音楽、スポーツなどの育成にどれだけ無償の提供をしただろうか問うてみたい。
アメリカの富豪が4兆数千億円をビル・ゲイツ氏に有効に使ってもらうように寄贈した記事が新聞で紹介されていた。
当のビル・ゲイツ氏はNPO活動や文化活動に専念するため第一線を退く。
新宿の土地を提供して手にした資金を全て美術品にして、美術館に寄贈した寺田小太郎氏はこう言う。
「今の飽食の時代に人々は豊かな生活を重ね、その果てに何で満足するのか、自分の生きた証として何を残すのか、私は芸術しかないと感じるのです。」
●6月30日
四国のYさんから昨日の日記を見ていただいたのか、面白い記事を見つけましたと言う事でメールが届いたので紹介させていただく。
Yさんは恒松正敏の学生時代からの友人として深い友情で結ばれ、物心両面で彼を支えてくれている私の尊敬するコレクターの一人である。
後藤繁雄
新スキスキ帖109 / 男の生き方ということより
男の生き方ということ
男の生き様、男の一生とは、どのようなものだろう。仕事、名誉、金、恋愛。それらは、どの男にもついてまわりながらも、しかし、誰一人として同じものもなく、正解というものもない。手本を求めたとて、誰かさんのように生きれるわけでもなく、当たり前だが、自分を生きるしかない。
青山二郎は、小林秀雄や中原中也らの友であり、白洲正子の師として知られる。装幀家であり、卓抜した古美術の目利きだったが、男のあり方を思う時、僕は、なぜか青山二郎を思い浮かべてしまう。
しかし、白洲正子が書いた青山二郎についての本であれ、今、僕が見ている『別冊太陽』であれ、誰もが、青山をつかみかねている。彼は、何かを「専門」として生きた人ではないからだ。青山自身もこう書いている。
「元来が余技である。私は画家ではない。この頃私が文章を書くのを見て、余技がまた一つ増えたと友達が言ってゐる。近い将来に私は油絵の個展をやる。これから道具を取揃へて始める気なのだが、これも余技である。骨董の余技にいたっては30年の余もやって来た。勿論、人生何と言ってもいゝ、人の口に戸はたてられない」
(「本の装幀について」)
すべてを余技と言い切る男。けれど、世間からすれば、とても余技などではない。彼の骨董狂は、
14歳の時にさかのぼり、全資産をつぎ込んだものだし、油絵にしても中川一政じこみ。戦争中には、疎開した伊東で、500冊ものキリスト教の本を読み、蒐集した2000枚のレコードと骨董の山に囲まれた中で、何と「千利休」についてのノートを書き綴った。「富岡鉄齋」「梅原龍三郎」を論じ、とりわけ「小林秀雄との三十年」では、「批評の神様」を裸にした。厄介だが、悪意は感じない。『青山二郎全文集』には、彼の透徹した「眼」が遍在する。そして彼はつねに、自然体で、告げるだけだ。
「小林の文章にはなんとも言ひようのないポーズがある。さのみ重要でもない事物や思索に対して、重苦しい暗いポーズを取る。彼の写真は何時でもポーズを取ってゐる。何故ああいふ顔をしければならないのだろう」
(「1956年のノート」)
青山二郎の「全文集」は、玉石混交の本である。はっきり言って悪文だらけ。あちこちぶつかっては、何かが砕けちった記録だが、しかし、そこで彼は、誰も得たことのない無二の光のきらめきを得た。
「勿論好きで遣ってゐることだ、借金を質に入れても借金を買ふこと、小遣ひではたうてい駄目である。生活を棒に振って生活を買って見るのが、私の信念だった」
なんという痛快だろう。僕はここに男の生き様の極、ダンディズムを見る。
「大事なのは思想ではない、その思想が発見したものである。その表現である。
大事なのは恋愛ではない。その恋愛が発見した相手である。その愛し方である。
大事なのは金銭ではない。その金銭が発見した宝である。その消費である」
このフレーズを青山二郎は55歳の時にノートに書いた。そしてその後20年以上も生き、突如、土地を売って転がり込んだ大金で、何不自由ない生活を過ごし、77歳で昇天した。
死後見つかった紙切れには、「何の未練もない」と書かれていたという。なんと、憎たらしいほど自在な人生だろうか。
※ぜひこの2冊は読むことをすすめます。
『青山二郎全文集』(上)(下)ちくま学芸文庫
『別冊太陽 日本のこころ87 青山二郎の眼』平凡社
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