Diary of Gallery TSUBAKI

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10月3日

私の咳が止まらず、そのウイルス菌が画廊中を飛び交ったせいか、スタッフ全員マスク着用。
その中で土曜日から始まる小林健二の展示が始まった。
この2年間身をすり減らして制作に没頭したせいか、見る影もなくやせ細ってしまった。
元々外に出たり人と会うことをしない彼だが、今回は文字通り引きこもり状態。
いつもなら相談や指示で、うるさいほどの電話が私やスタッフにかかってくるのだが、それもない。
外界との接触を一切絶ち、殆ど夜も寝ない状況も続いたようで、奥さんの里香さんの心配も尋常ではなかった。
私には魂と引き換えに制作しているのではないか、何かが宿ったのではないかと思うほどの仕事ぶりであった。
大体の目途がついた頃、私は彼には何も知らせずアトリエを訪ねてみた。
間が悪く、材料を買いに出て留守だったが、裏が開いていたので勝手にアトリエに入り込んだ。
せんべい布団がくしゃくしゃになってアトリエの横に敷かれているだけで、あとは完成・未完成の絵や絵の材料、道具が所狭しと散乱していて足の踏み場もない。
暗い中、目が慣れてくると完成した作品が目に飛び込んできた。
神々しいというのはこういうことを言うのだろうか。
そこだけにが光があたり、作品が浮かび上がって見えたが、何と崇高で清らかな絵なのだろう。
彼が命がけで描いたといっても過言ではない絵を前に、溢れる涙を抑えることが出来なかった。

この9月で京橋にギャラリー椿をオープンして丁度25年が経った。
このとき出会い、私の心を揺さぶった作家が小林健二である。
彼はまだ25歳の美術学校にも行ったことのない無名の若者であった。
モナリザとも見間違えるような美青年で、生来の照れ屋で汗いっぱいかき、なんとなくおどおどしていたのが目に浮かぶ。
それから彼の才能と熱い思いにほれ込み、繰り返し、数え切れないくらいの展覧会を開催してきたが、最初の私の思いは一度としてぶれたことがない。
我儘、傲慢、尊大、一方ではこれほどてこずった作家はいない。
人をねじ伏せてまでに自分を譲らない彼の姿勢に何度となく激しいけんかをしたこともあった。
私の長い画商生活で心底けんかをしたのは彼だけかもしれない。
それでも今時珍しいストイックな美術に対する考え方、赤貧に甘んじそれを恥ずることなく生きる真摯さ、そしてもし天才という言葉を私が使わせてもらうなら、彼をおいて他ならないほどのあふれ出る才能に常に畏敬の念を持って接してきた。

そうした思いの結集が今回の展覧会ではないだろうか。
命をすり減らして描くといった壮絶さを今回の制作に感じるのは私だけではないだろう。
その結実ともいえる作品を並び終え、今一度あのアトリエで見た神々しい情景がよみがえり、涙がとめどなく流れる。

今回私どもの25周年を記念して1990年以降から今回にいたるまでの作品集「MUTANT」を発刊することになった。
振り返ればどれだけの多くの作品を作ってきたのだろう。
どの作品にも彼の魂が宿り、熱い血が脈々と流れている。
私の画廊のエポックにふさわしい画集ができたと喜んでいる。

彼が搬入の前に私に贈ってきた書簡があるのでその一部を紹介したい。

つばきさんへ

本来あるはずのタイトルも今回はちょっとまっていただいて、とにかく22点しか作れませんでした。
でも前回の2006年のときより何倍も努力しました。
わかりづらい作品ばかりです。
いつもならもう少し文字やことばがおぎなってわかりやすいときもあるのですが、正直僕にもわからないところが多くあります。
作品をつくること(えのぐをぬったり木を切ったり)だけで半年以上かかった末の22点です。
明日またうかがいます。
もしよろこんでいただける作品が一点でもあれば幸いです。

ケンジ

小林健二の思い、私が感じた感動が皆さんにも伝わってくれるといいのですが。

10月9日

小林健二の個展をスタッフに任せてシンガポールへ。
アジアへの足がかりとしてはもちろん将来においても重要な国と考えていたことと、画商組合の理事長という立場でシンガポールアートフェアーの日本の画廊の招致のお手伝いをしたこともあって参加することとなった。
成田でチェックイン早々オーバーブッキングでビジネスクラスに変更となり、スタッフの寺嶋ともどもラッキーと喜び、約7時間の快適な空の旅を過ごして無事到着。
30年以上前に一度大学時代のヨット部の仲間がシンガポールに駐在中ということで訪れたことがあったが、そのときの印象と変わらない美しい街並みを眺めながらホテルに到着。
さすがに気温は高く30度近い真夏の暑さである。
夕食を兼ねて会場の下見に。
有名なラッフルズホテルを横目に見ながら徒歩でホテルから10分程度の場所に会場はある。
周囲を高層ビルや高級ホテルに囲まれた国際フォーラムに似たモダンな建物の中のエキジビションホールが会場となっている。
同じように下見に来た日本の画廊さん達と一緒に階下にある屋台風レストランで賑やかな夕食となった。

10月10日

夜中に到着した今回の出品作家の一人金井訓志さんと娘さんを連れて、中心街にあるジャスミンギャラリーを訪ねる。
この画廊は、台北のアートフェアーで金井さんの大作2点を買ってくれたところ。
想像とは違い、狭い画廊に中国の有名作家の大作等が所狭しと並んでいる。
フェアーの準備で忙しくしていることもあり、早々に退散して、シンガポールビエンナーレの会場があるシティホールなどを見ながら、昼食を済ませ、会場に向かう。

3時からの展示にタクシーで会場に向かうが、そのタクシーに手持ちの作品を忘れたからさぁ大変。
あわてる私を尻目に我がスタッフ寺嶋と金井さんはさすがで、領収書をちゃんと運転手からもらっていた。
そこに記されていた電話が通じ、無事戻って来ることに。

ところが一難去ってまた一難。
展示中にお腹が痛くなる。
我慢できない痛さで、展示を手伝ってくれている金井さん親子には申し訳ないが、ついに病院に行くことに。
日本語堪能のフェアー事務局のヤンさんが付き添ってくれて、近くの病院に。
彼はシンガポールに駐在していた友人の部下だったこともあって、症状を伝えてくれたり、お医者さんの診断を通訳してくれたりで大助かりだったが、診断の結果は尿管結石で即入院。

夜遅くか明日朝に手術との事。
えらいことになってしまった。
更に追い討ちをかけるように、診察料、CTスキャン代、手術費用、部屋代など次々に承諾のサインをしなくてはならないのだが、その費用の高さに痛さも倍増。
痛さで薄れかける意識の中、計算してみると100万円近くに。
いつもは入る海外傷害保険にも入っていないことにも気づいたが、痛さには勝てず、もうどうとでもなれの心境。
何泊もしなくてはならないと思うと、おちおち寝てもいられないのだが、先生が来て話すには、手術といっても簡単で内視鏡で中にある石を取り、明日の昼には退院できるという。
途端に痛みも薄らぐ。
思ったより早く手術室へ。
麻酔の先生がリラックスと言っているうちに気がついたら部屋のベッドに。
ベッドの横には取り出した石がホルマリン漬けのように小さな容器に入って置かれていた。

個室代一泊45万円ということもあって、朝昼食はホテル並みの豪華さで、食事を済ませ、多少痛みは残るが何はともあれ無事退院。
家内に報告し、カード会社から請求が来ても驚かないようにと言うと、カードに保険が付いているはずと言う。
確認してもらうと、下りるという。
泰山鳴動鼠一匹も出ずといったところだろうか、何はともあれフェアーのオープニングには無事復帰することができた。

海外に行く方はくれぐれもタクシーに乗ったら領収書をもらうことと海外保険に入っているかどうかの確認を忘れずに。

10月11日

フェアーは世界同時金融危機のあおりを受けてか人出はさっぱりである。
私のところは相変わらず展示早々に山本麻友香の作品が全部売れてしまったが、その後が続かない。
これほど極端に影響を受けるとは思っていなかったが、、さすが金融立国だけあって、敏感に反応したようだ。
こちらの新聞も連日一面で大幅な株安に頭を抱える人たちの写真が大きく掲載され、否が応でも不安がかき立てられる。
日本も大変なことになっているようだが、美術市場が今後どのようになっていくのか気になるところである。
以前にオークション価格の高騰に連動して、プライマリーギャラリーが価格を上げることに、苦言を呈したことがあったが、今は日本の市場価格ではなく世界の市場価格なのだから心配ご無用と言われたことがあったが、この状況をどう見るか聞いてみたい。

私もこちらに来る前に、元国税庁長官大武健一郎氏との対談が雑誌企画であり、今の事態を想定せずに、次のようなことを話し、今思うと取り消したいぐらいである。
海外アートフェアーと税制と言ったテーマだったが、今は不況だと言っても、世界恐慌にならない限り、どこにでもチャンスがあり、日本がだめなら韓国がある、韓国がだめならシンガポールと、と言ったのんきなことを話していたが、まさかまさかの世界恐慌である。

10月12日

ようやく他の作家の作品も売れて、ほっと一息。
日本からのニュースも悪いことばかりではなく、ノーベル賞を日本人が4人受賞したとか、我が巨人軍が奇跡の大逆転優勝をしたという、うれしいニュースも飛び込んできた。
阪神ファンのお気持ちはいかばかりかとお察し申し上げる。
この日は別の会場でシンガポールオークションが開催されることもあって、顔見知りの台北や韓国のコレクター・画商、メディア関係者が多数来ている。
以前に韓国の企業に買ってもらった山本麻友香の大作がこのオークションに出品されることになっていて(美術館を建てるということで、2年前の個展で大作を何点か買ってもらったのだが、美術館どころではなく、オークションに出されてしまい、私はかなり怒っている)、この時節柄どうなるか心配だったが、私たちの予想をはるかに超えた価格で落札されたようでやれやれ。
先週も同じ企業がソウルオークションに彼女の大作を出し、私のところで売った価格の3倍以上で落札され驚かされた。
金融危機の影響を受けなかったのはうれしいが、あまり行き過ぎるのも困るし、複雑な心境である。
聞くところでは中国・韓国の高騰していた作家たちの作品はほとんどが不落札となったようで、いよいよ大暴落の時が来たのかもしれない。
韓国とこちらで彼女の作品を落札した人は、二人とも台北の良く知られたコレクターで、台北のフェアーで彼女の作品を知ってもらった結果であればうれしいのだが。
このフェアーでも元気がいいのは台北の画商やコレクターで、出展していない画廊も大勢がこのフェアーを見に来ていた。
リーマンショック前のフェアーだったとはいえ、活況を呈した台北フェアーの余韻がまだ続いているのだろうか。

それに引き換え、日本からも大挙して40数軒の画廊が押しかけたが、日本に帰るのが怖いと一応に顔を引きつらせていたのが気になる。
出展している画廊も、帰ったら早速にアルバイトの人数を減らすと言うから、そのパニック振りには驚かされる。
私は今まで通りに無理をせずに足元を見て淡々とやっていくしかない。


昨日も韓国の画廊さんの招待でシーサイドのレストランでシンガポール名物のカニ料理を満喫したりで、フェアーと違いこちらは大満足である。

10月18日

気候もよく、ようやくシンガポールの疲れも取れたせいか、気分爽快である。
3ヶ月の海外巡業を終えてほっと一息といったところである。
ただし、海外からの展覧会依頼も多く、来年も多忙な日が続きそうである。
従来の韓国だけではなく、8月に出た台北のフェアーの反応は大きく、いくつもの台北の画廊から個展、グループ展の依頼が来ており、スケジュールの調整に頭を痛めている。
日本や韓国、中国といったところは若手作家のブームが金融不安のあおりを受けて、厳しい状況が予想されるが、同じ世界恐慌の影響を受けているはずの台湾だけがどうしてこんなに元気なのだろうか。
おそらく昨年までは国内作家を中心にマーケットが動いていたのが、ここに来て海外に目が向き、画廊が新たな動きをするようになったのかもしれない。
特に親日の台湾では、日本人作家に大いなる関心があるのだろう。
ギャラリーの人やメディアの人たちもとてもフレンドリーで、気心の合う人が多い。
昨年まで一軒も出なかった日本の画廊が大挙してフェアーに出展したこともあり、日本人作家の作品に新鮮さを感じ、その質の高さにも驚いたのかもしれない。
こんな事を言うと怒られるかもしれないが、中国や韓国の作家の作品は感性で見せるよりも、トリックで驚かせるなど発明工夫のような作品が多かったり、あくの強さで人目を引く作品が多く、どうも私は好きになれない。
自分の好みもあるが、情感があったり、心に響くような作品が見当たらず、是非日本で展覧会をと思うような作家に出くわさない。
そうした中国や韓国の作品を多く見てきた台湾の人にとっては、初めて生の日本人作家の作品に接することで、心に響く何かを感じてくれたのかもしれない。
ただ危惧するのは、韓国や中国にも言えることだが、こうした依頼が一過性のものでなく継続することで、浮世絵がそうであったように、日本美術がアジアの作家達に何かしらの影響を与えることが出来ればうれしいのだが。

10月22日

小林健二展も後半に入った。
思ったよりは見に来る人が少なく、手前味噌になるが、不況の真っ只中、本物とは何かを是非見て知っていただきたい。
11月1日までの開催となっている。

アメリカから始まった世界金融不安は、美術業界にも大きな影を落とすことになった。
ただ、バブル崩壊後20年、一部を除きずっとしのぎにしのいで、これ以上縮みようがないくらいの構造不況の業界だっただけに、債務超過やコスト高の不安は少ないと思われる。
問題は、ここ数年中国を筆頭にアジア諸国の過熱気味のコンテンポラリーアートに乗って規模を拡大していった内外のオークション会社や、新興画廊ではないだろうか。

この状況は、丁度昭和48年ごろの若手作家ブームに沸いた日本美術市場が、オイルショックとともにあっという間に崩壊をしたケースとよく似ている。
昭和48年の美術ブームは、トイレットペーパーやウイスキーが買い占められて店頭から姿を消した状況と同様に、インフレヘッジ、投資目的といった歪んだ需要に支えられたブームだっただけに、ひとたび崩壊すると、倒産や規模を縮小する画廊が相次いだ。
私が勤めていた大阪の画廊はブームの最中にあっては、店舗数6軒、他に美術館、貿易、出版、アートグッズの各会社、従業員80名と画廊としては考えられないほどの規模となっていた。
それがオイルショックとともに一気に縮小し、今や本店のあった自社ビルもなくなり、一軒だけが貸しビルの中に入っているのみとなった。

美術品は非生産的商品で、組織化したり大企業が参入するには難しく、大量販売やチェーン化できる業種ではなく、個人商店的な色合いが濃い。
大きくしたからといって増産体制に入るわけにはいかず、結果価格を上げていくことで、増大した経費と利益を生み出していく他ない。
経済状況が良好で、どんどん価格を上げて売れている時はいいが、ひとたび経済状況が悪くなり、価格の維持が出来なくなればどうなるか自明の理である。

もう一つ、美術品の原価などはしれているわけで、価格を構成する大きな要素は画廊の信用によるところが大きく、
積み重ねの実績とそこで扱われる作品の質が信頼に繋がる。
寿司屋の親父ではないが、いいネタを提供し、お客さんとカウンター越しに常に接することで、その店の信用が培われていく。
規模が大きくなり、忙しくなればなるほど、そうした質とサービスに欠け、お客様との信頼関係が希薄になってくると、いざという時に価格の下支えとなるお客様がいない。

私が肝に銘じていることは、
作家とお客様あっての画廊、時を経ても常に同じ目線で接する。
美術品の価格は経済動向やオークションに左右されることなく、作家と画廊で決める。
多くの従業員を抱えたり、支店を作ることをせず、できるだけコストをかけずに息の長い経営を心がける。

若い無名の作家の紹介だけで何とか40年やってこれたのは、このおかげと思っている。
ただここ数年、私も海外の好景気の恩恵を受け、多忙の身となっただけに、今一度自戒の念をこめてこの日記を書いている。

10月13日

フェアーも終了。
なんとか帳尻はあったが期待が大きかっただけに今一つの思いはある。
私達のブースの何倍ものスペースをとった地元ジャスミンギャラリーは一点も売れないと嘆き、同じように巨大なブースの私達の目の前のニューヨークの画廊も殆ど売れた気配がない。
それを思うと私のところは良しとすべきなのだろう。
昨年は初日に自家用ジェット機でやってきたインドのお金持ちやインドネシアのコレクターがブース丸ごと買ったという話を聞いていただけに、それを当て込んで大きなブースを取った画廊は目算が外れてしまったようだ。
先月のソウルのフェアーも人が少なく(報告書では61千人の入場者、14億円の売り上げがあったように記されていたが?)、それに比べて格段に少なかっただけに、事務局はどのような報告をしてくるだろうか。
片づけを終えて、シンガポール政府のお役人でコレクターでも知られるチュアさんの招きで高層ビルの最上階にある高級中華料理店で夕食を。
シンガポール美術市場の将来、美術品の相続税の軽減、インド・インドネシアを含めたアジア現代美術普及のための国家レベルでのサポート、更には観光客誘致で実施しているF1グランプリ、来年できるカジノの話など興味深く聞かせてもらった。
日本美術にも関心が深く、横尾忠則、田名網敬一などを持っている。
こうした方と知り合えるのもフェアーならではである。

10月27日

ウォンが円に対し、昨年の為替レートから比較すると約半分になってしまった。
韓国の美術業界も大騒ぎになっているだろう。
来年もいくつかの画廊で私どもの作家の個展やグループ展が予定されているが、今年までのようにはいかないと思っている。
あまりの韓国美術界の過熱振りが心配になり、今年の夏ごろから向こうに送った作品の価格設定をウォンから円建てに切り替えていたので、事なきを得たが、今後も円建てでいくと価格が日本の4割ほど高くなってしまう。
実際円で支払い予定の韓国の画廊が為替が落ち着くまで支払いを延ばして欲しいと言ってきた。
先は読めないので、キャセルにして戻してもらうことにした。
展覧会を見合わせるところも出てくるかもしれない。
逆に体力があり、流行りものだけを追いかけるのではない画廊を見極めるいいチャンスが来たのかもしれない。
そう思っている矢先の土曜日に韓国で先月から画廊を始めたという文さんという方がお見えになった。
プラスチック製品の製造と陶磁器製品の輸出などの会社を経営しているコレクターで、私も韓国で何度かお会いしている。
韓国の最大手カナギャラリーに13年勤めていた女性を引き抜き、ソウルから少し離れたところで画廊を始めることになった。
今回は小林健二の個展を見るのが目的で来日したが、聞いてみると10年前から彼に注目し、ホームページや本で彼のことを研究したそうである。
出来れば自分の画廊で彼の展覧会が出来ないだろうかという。
お付き合いのある海外の画廊に、今回の展覧会は素晴らしいからというメールや画像を送ったが、全く反応がなかっただけに、文さんの話はうれしかった。
是非アトリエも見たいという文さんを連れて、翌日曜日案内することにした。
あいにく、小林健二は九州での展覧会があって留守にしていたが、奥さんの案内でアトリエを見ることになった。
アトリエそのものが作品といってもいいだけに、今まで以上に深い興味を持ったようだ。
12月の始めに韓国に行くことになっているので、先ずはどういう画廊かを見たうえで、話を進めていきたいと思っている。
海外の画廊が皆ジャパンポップな方向に向かう中、こうした骨太の現代美術に関心を持ち、それがまた大嵐が吹きすさぶ韓国からわざわざ訪ねて来てくれた心意気がうれしい。

10月31日

昨日一昨日と福島に行ってきた。
知人のM氏が体調を崩し、故郷会津に居を移して数年が過ぎ、久しぶりに顔を見ようということで、友人数人と遊び方々出かけることになった。
M氏は会津藩13代当主の家柄で、常々私達は親しみをこめて殿と呼んでいるが、地元でも当然のごとくお殿様で通っていて、そのご威光はいまだ失せずである。
先ずはM氏が理事長をしているゴルフ場でプレーをさせてもらったが、さすが殿が理事長だけあって、そのもてなしはかなりのもの。
ここは周囲が磐梯山や安達太良山などに囲まれ、日本一美しいゴルフ場として知られ、この時期全山紅葉に染まった景色は、言葉に表せないほどの絶景となる。
ところが雨男の面目躍如、ゴルフ場に着く頃には雨模様となり、周りは霞み、その上冬のような寒さで、景色を楽しむどころではなかったが、上がる頃にようやく雲間から微かに紅葉を愛でることができた。
直ぐ近くの宿の温泉で冷えた身体を温めることに。
この温泉が景色同様に素晴らしい。
源泉かけ流し、殆どの湯を外に流すほどの湯量で、入浴剤を入れる余地無し。
それでも熱すぎて、大きなへらのような板でかき混ぜないとつかれない。
翌日は打って変わっての快晴。
殿の案内で戊辰戦争140年特別展示会があるという会津若松の鶴ヶ城を訪ねる。
世が世なら、お成りーという掛け声で家臣一同平伏して出迎えられるところであるが、そうは行かない。
殿自らの解説で、代々のお宝を鑑賞する。
錦の御旗の下、会津藩は薩長連合軍に降伏したが、その当時の帝の秘密の書付があり、そこには会津こそ私の味方である旨が記されていて、明治になって山県有朋がこの書付を当時のお金で三億円で譲って欲しいとM氏の父上に言ったそうだが、毅然として断ったという貴重な話を殿自らが語ってくれた。
もしその書簡が官軍が攻め入る前に表に出ていたら、歴史はそのとき変わったかもしれない。
城を後にして、殿が子供の頃遊んだという別邸に案内してもらう。
当時藩の殖産事業として薬草の栽培が行われ、別邸は今は市の文化財として管理され、薬草園が邸内に再生され、お薬園という名で一般公開されている。
戊辰戦争の折にも、ここが傷病兵の病院として使われたこともあって、戦火を免れ、今に残ることになった。
大名の中では際立って小さい庭というが、それでもこの広い庭で小さい頃に遊んだというから我々庶民には想像もつかない生活がそこにはあったのだろう。
昼食は白虎隊の自刃で知られる飯盛山の麓にある350年続くという田楽屋に案内される。
想像していた田楽とは大違いの餅や里芋、鰊、厚揚げを秘伝の味噌をつけて、囲炉裏であぶり、その熱々を堪能させてもらった。
殿の御威光で門外不出の秘伝の味噌をお土産にいただき、帰路につくことにした。
殿のおかげで束の間の大名気分を味あわせてもらい、不景気風が吹きすさぶ中、心だけは豊かになって帰ることが出来た。

11月7日

ソウルのアートフェアーからの風邪がまだ抜けきらず、先日の福島行きでこじらせてしまい、だるさとと咳でダウン寸前。
歳とともに回復力が衰えてくる。
明日から山本麻友香展が始まるので気合を入れなおして頑張らなくては。
その山本展だが、ありがたいことに多くの方から予約のお問い合わせをいただいている。
リーマンショックからいっきに世界同時不況となり、内外ともにあまりいい話が聞けない。
そんな中での展覧会だけに不安もあったが、海外をからも多くの問合わせがきていて、先ずは一安心。
こんな時に遠くから声をかけてくださるだけでもありがたいのだが、今回は日本での展覧会でもあり、日本の方を優先させていただくことにした。
次に、やはり大切なのは今まで不況の時もそうでない時も、常に変わらず私どもを支援していただいたお客様に先にお声をかけさせていただくことにした。
その上でお越しいただき、作品を見ていただき、気に入っていただいた作品から優先予約をさせていただくことにした。
多分そうすれば、初日には出品点数の半分くらいの作品を初めての方や海外の方にも紹介できるのではと思っていた。
ところがである、大方の作品が今日までに売約となってしまい、お得意様にひたすら感謝感謝で足を向けては眠れない。
逆にそうでない方には申し訳ないが、初日の朝には麻友香さんがぎりぎりまで描いた作品が何点か来るので、その作品を見ていただければと思っている。
本当に作品を愛してくださるお客様に持っていただくのが一番いいが、初めての方や海外の画廊を通して売ってしまうと、先日のソウルのオークションに出品されてしまったように、転売目的の方に渡ってしまう可能性もあり、苦慮するところである。
一生懸命描いた作品が、作品も見ることなく、儲けだけのために直ぐにオークションに出されてしまっては、作家にとってこんな悲しいことはない。
大不況となってそうした輩は大打撃を受けて鳴りを潜めるに違いないので、こうした状況も捨てたものではない。
長いお付き合いのお客様の有難みを今回ほど感じたことはないし、そうした方があって今ののギャラリー椿があることを忘れずに、厳しい不況が待ち受ける中、これからも精進をしていきたい。

11月8日

雨模様の寒い朝。
麻友香さんがぎりぎりまで描いていた作品も本人とともに無事到着。
お問い合わせがあって、寒い中を早くからお待ちいただいたお客様にも見ていただき、ご購入いていただくことができて、ほっと一安心。
同時開催の高木さとこ展のほうもオープン前に数点の予約いただき、こちらも幸先良し。
3年ほど前にお客様の薦めで、貸し画廊での個展を見に行き、作品を買わせていただいてからの縁である。
捨てられ壊れかけたおもちゃへの愛おしさをテーマに描き続ける彼女だが、その奥には古き良きものへの愛惜だけではなく、進化し続ける文明への警鐘とも言うべきメッセージが込められている。
まだこれからの彼女だが、麻友香作品と同様に可愛さだけではない子供や人形の奥底に潜む怖さやけだるさのようなものを比較しながら見ていただくのも一興ではないだろうか。

11月10日

土曜日の山本麻友香のオープニングには大勢のお客様が詰め掛けてくれた。
私はあまりオープニングのパーティーが好きではない。
オープニングにやって来る人がギャラリーのお客様よりは作家の知人が多く、お客様にゆっくり作品を見ていただけないことが多い。
ところが今回はコレクターの方が次々にお越しいただき、大賑わいとなった。
山本作品を持っている方以外にも高橋コレクションで知られる高橋龍太郎氏やはるばる韓国から映画監督のカク・ジョヨン氏などもお見えになった。
カク監督は世界的ヒットをした「猟奇的な彼女」で知られ、麻友香の大ファンだそうで、どうしても彼女の作品が欲しくてやってきた。
パーティー前には吉本お笑い芸人で現代アートの愛好家で知られるオカケンことオカ・ケンタ氏もブログに掲載したいとお見えになった。
他にも彼女の作品が欲しくてやってこられた何組かのご夫妻や以前に私どもで若手作家を購入していただきご縁が出来たお客様などが次々にお見えになり、これほどうれしいオープニングパーティーはなかった。
お客様からの直接の反応や新しい出会いがあり、作家自身も大きな刺激を受けたに違いない。
予想に反して、投機的なお客様が一人も見えなかったことも今のご時勢なのかもしれないが、これもうれしいことの一つであった。

オカ・ケンタ氏のブログ http://blog.livedoor.jp/okakenta_mangekyo/

11月13日

このところ新聞や美術雑誌のインタビューが多い。
金融不安に関連して美術市場の現況とこれからの展望について尋ねられる。
昨日も読売新聞の記事「景気後退と美術市場」のなかで私のコメントが載せられていた。
メディアもブームのときは煽るだけ煽り、不況になると不安を掻き立てる記事ばかりで、無責任なこと甚だしいが、昨日の編集委員・菅原教夫氏の記事は冷静に現状を分析している。
最近の日本の美術市場の大きな特徴をアートフェアーとオークションの隆盛によるものと捉え、アニメ漫画世代の感性を表出した作品が日本独自のオリジナリティーと評価され、海外市場に拡がり、美術界が活況を呈したプラス面と、投資マネーが入り込み、美術品が金融商品化したことを問題点として取り上げ、投資マネーが本当の需要でないことで、景気が悪くなれば価格が崩れ、作家の評価までが下がってしまうマイナス面があったと指摘している。
私も不況になればこうしたファンド系とも言えるブローカー画商、転売コレクターが市場から退場し、本来の絵好きなコレクターによる健全な美術市場に戻ることと、作家を支え画廊独自の企画展をしてきたところと、無理せず堅実経営を心がけたところがが生き残るのではと述べたが、記事もその意を汲んだコメントが載せられていて、ほっとしている。
記事の中にオークション会社の社長が値上がりの可能性のある日本の若手を売り出す好機とコメントしていたが、これには苦言を呈したい。
あなた達はトレンドだけを追いかけているだけで、あなた達に作家を売り出す好機などと言って欲しくない。
オークションはあくまで美術品の処分の受け皿で、その必要性は十分認識しているが、画廊と同じ機能を持っていると思ったらとんでもない。
散々オークションで持ち上げた作家の作品を、今回の不況で売り物が殺到すると、出品を受け付けないといった話も聞こえてくる。
昨日まで印象派、次にはアメリカ現代美術、今やアジアンコンテンポラリーと節操がないのがオークション会社の特徴で、それも今や危なっかしい。
私達はあわてず、地味に着実に展覧会を企画し、作家とともに歩むしかない。
その評価がされるか、されないかである。

11月15日

知人のT先生がまた本を出すという。
地質学が専門の高名な先生だが、クラシック音楽に造詣が深く、レコード・CDの収集も半端ではなく、5000枚を超えるという。
そのクラシック音楽やレコードにまつわるエッセイが既に千田日記のペンネームで「他人に押し付けるわがまま 名盤・珍盤・告知板」「元気と幸せのおすそわけ 名盤・珍盤・告知板」と題して刊行されている。
実に軽妙なタッチで書かれていて、クラシックファンならずとも思わず引き込まれてしまう。

先日、高校時代の友人に誘われ、新橋にある老舗のすき焼き店に出かけた。
永井荷風や獅子文六の小説にもでてくる名店だが、私には敷居が高く、初めて訪ねた。
店に入ると、そこに今時珍しいカイゼル髭を蓄えた御仁が立っている。
そこの若主人だそうで、まだ若くカイゼル髭とは不釣合いな感じがしたが、友人の紹介によるとドイツに料理の勉強に行っていて、そうした髭を蓄えるようになったらしい。
その彼は蓄音機とSP盤のコレクターとして知られ、蓄音機協会なるものがあって、そこの偉いさんでもあるらしい。

私どもの大切なコレクターの一人にTさんがいる。
会社を定年後はすっかり顔を見せなくなくなってしまったが、この方は美術以外に大のクラシック好きとしても有名であった。
ただし、レコードや蓄音機を集めるのではなく、コンサートを聴きに行くだけ。
それなら私もという方も多いが、これがまた半端でない。
一年に400回は聴きに行くというから凄い。
とにかく毎日会社が終わると出かけるそうで、休みの日は午後と夜に分けていくから400回もうなずける 。

大学時代の友人にも変わったのがいる。
大手不動産会社に勤めているが、私の友人の中では珍しく文化の香りが高く、ジャズピアノを弾き、絵を描き、休みには能や歌舞伎を見に行くといった高尚な趣味を持っている。
何が変わっているかというとジャズピアノを弾くこともあって、ジャズのレコード・CDのコレクションが1万枚を超える。
それも全て洋盤で、ジャズはアドリブで弾くこともあって、同じプレーヤー、同じ曲でも場所や時間が違うライブ盤を数え切れなく持っている。
仮に毎日一曲づつ聴いてもゆうに30年かかるわけで、聴く間もなくまた買うのできりがない。
だいぶ前にはレコードの重さで家の床が抜けたと言う。
音楽畑には変わった御仁がたくさんいるもんだ。・・・・・・美術畑のあなた達には言われたくないとのブーイングが微かに聞こえてくる。

11月18日

日曜日、大学時代の仲間のゴルフコンペがあり、前の晩から河口湖に集合。
肩が上がらない、ぎっくり腰でと何人かが直前に欠席。
参加者にも手術や病で倒れた連中が多い。
800人の従業員を抱える自動車販売会社社長や大手化学会社の役員をしている友人は今年になって癌の摘出手術をしている。
私がシンガポールで大騒ぎした尿管結石など彼らに比べれば屁のツッパリにもならない。
友人達は皆それぞれ実業界で要職を勤め、重い責任ある立場でストレスも多いのだろう。
私もストレスだらけと思っていたが、個人商店の親父ぐらいでは彼らに比べたら何てことはないのだろう。
おかげで何とか健康でいられるが、そうした連中からさかんに人間ドックを勧められる。
50のときに高校時代の友人の医者に無理やりドック入りをさせられ、体中いじくりまわされた揚句、全く以上なしのお墨付きを貰ったのが過信となっているのか、お尻や喉から得体の知れない管を入れられる恐怖に耐え難いことあって、それ以降全くやっていない。
そうでなくともシンガポールで性器の先から内視鏡を突っ込まれるといた屈辱を味わったばかりで、検査なんてとんでもないと思っている。
無理やり私を検査した親友の医者も、そのあと間もなく白血病で亡くなり、高校時代のクラスメートも42人いたが、彼を含め既に8人が亡くなっている。
周りが亡くなったり病気だったりで、心中穏やかではないが、ストレスためず、規則正しい生活を心がけて、もう少し意地を張ってみるか。

11月20日

雑誌社から不況時を迎え、コレクターの方からご意見を伺いたいということで、アンケートの依頼を受けた。
こういう時こそ、長い間コレクションをしてきたコレクターの方の生の声を聞きたくて、お手伝いをすることになった。
3年ほど前に美術年鑑社の現代コレクター事情という記事で、コレクターのコメントが掲載されたことがあった。
私どもと懇意にしている方ばかりだったので、興味深く読ませていただき、ブログでも紹介させていただいた。
そのことを思い出し、今後のコレクションの参考になればと、今一度紹介をさせていただく。

コレクションは特別な事ではない。
酒、煙草などに費やすのであれば、目に見える、形が残ると言う点ではるかに有意義である。
気をつけたいのは作品を投機の対象とする事で、アーチストの存在を帯びた作品はその辺の物体と違って、むしろ生き物、人間に近い。
それ相応の敬意を払わねばならないし、有名か無名か、美人か不美人かといった基準で差別されるような事があってはならない。
基準を求めるのなら、それは人間性、芸術性ということになるだろう。
そこに共感した時に、初めてコレクションは始まるのである。
本江邦夫氏(多摩美術大学教授・府中美術館館長)
 
絵というのは作家の知名度ではなく人間性だ。心が入っている絵は飽きない。
大川栄二氏(大川美術館理事長)
 
私にとってコレクションとは自分探しの旅、自己表現の一つなのかもしれません。
だから値上がりとかは関係ないし、人がいいといったからといって買おうとも思いません。
絵を買って楽しむ事を通して精神的に豊かで充実した人生を送る事が出来ると思っています。
山下透氏(アートNPO推進ネットワーク代表理事)
 
美術愛好コレクターの条件は、自分の気持ちにマッチしている絵を集めているかどうかです。
作家の名前に惹かれて・・・、値上がり価値を求めて・・・は美術活用コレクターです。
作品選別には画廊を回り、新鮮な美術に数多く接する事。
作品は作家の個展で求める事が鉄則です。
丸山治郎氏
 
絵を買う事は、作家の成長を見ていくエキサイティングな行為。
その作家が伸びてくれたら、自分に眼があったという事。
沢登丈夫氏(美楽舎代表)

11月21日

昨日の日記でお客様から早速うれしいメールをいただいた。

作品というものを通じて作家と精神部分を共有する
またそれを取り巻く人たち(画廊etc.)との人間関係を楽しむ
それによりコレクター自己の人生を豊かにする
今まで無意識のうちにやっていたことがやっとわかりかけてきました.

この仕事をやっていてとつくづくよかったと思う。
ただの物づくりではなく、作家の心と引き換え、もっと言えば命との引き換えでもある作品を、こうした思いで持っていただけることに無上の喜びを感じる。

11月22日

連休を利用し、お客様のT氏ご夫妻・お嬢様と一緒に姫路に行くことになった。
姫路の老舗画廊・森画廊で「菅創吉展」が開催されていて、T氏・K氏のコレクション30点が展示されている。
その多くを私どもでお世話させていただいていることもあり、観光も兼ねて、訪ねることにした。
菅創吉は1982年池田20世紀美術館にて回顧展を開催直後に77歳で逝去。
58歳のときに渡米し、10年後に帰国し発表を続けるが、評価を得ることなく世を去ったが、回顧展後その評価は高まり、詩情漂う静謐な世界と美しいマティエールが多くのファンの心をつかむこととなった。
その中には私財を投じて菅コレクションによる個人美術館を設立するといった熱狂的ファンもいた。
出身姫路では1991年に市立美術館で紹介がされたことがあったが、初期の頃の展覧会はあってもそれ以外の発表はなく、今回森画廊さんのたっての依頼で実現の運びとなった。

ニューヨークで知己のあった猪熊弦一郎氏は彼の作品を次のように評している。

私の作品とはまるで正反対の静けさをいつもたたえていたし、どこか劇的な影を宿しながら人を引きつけてゆくドラマが、厚く固く凝縮されていて、無言劇を静かに覧ている様なところがあった。

15歳まで過ごした故里で菅創吉作品を今再び見る機会が出来たことをうれしく思う。

11月25日

冷雨の降る中、姫路観光を終えて帰京。
相変わらず、外に出かけると私には雨が付いて回る。
それでもそぼ降る中、紅葉と白くそびえる姫路城のコントラストが素晴らしく、絶景を堪能させてもらった。
食事も解禁になったばかりの松葉ガニと翌日は姫路名物の穴子飯とお腹も大満足。
肝心の菅展も大変な力の入れようで、姫路市や教育委員会の後援を取り付け、新聞も各紙が取り上げ、大好評のようである。
残念なのは、姫路の出身でもあり、市美術館にも多く収蔵されているにもかかわらず、市美術館の館長や学芸員がまだ一人も来ていないことで、彼らの怠慢を嘆くばかりである。
展示も素晴らしく、照明も工夫を凝らし、こちらでは見れなかった色が浮き上がり、改めてその色彩とマティエールの美しさに感嘆させられた。

この連休の間、東京美術倶楽部ではコンテンポラリーアートフェアーが開かれていて、私も姫路行きの前に一時間ほど大急ぎで見て廻った。
この時期ということもあって、私が見た限りでは来場者は少ないように思えたが、出展者の話では前年と同じ人出だったようだ。
売り上げの方は売れるところは売れ、売れないところは全く駄目と、海外のフェアーと同じような状況である。
今まで日本画や近代美術を専門にしてきたところも多く参加していたが、思うに彼らの価格設定が現代美術畑の画廊と違い、高いように思えてならなかった。
若い作家が多くでていたが、古い体質の画廊さんでは安く付けたつもりでも、その基となるベースが違うために、いいと思っても手が出せない作品もあったのではないだろうか。
いま一つの感想は、価格は別として、丁寧な仕事をしている作家に人気が集中していたように思う。
どちらにしても美術倶楽部でこうした展覧会が開かれることも驚きだが、日本の美術が大きく変わろうとしていることは間違いない。

11月27日

香港で25日エストウエストオークション・ アジアンコンテンポラリーが開催された。
私どもでも、お客様からの依頼で数点を出品していて、この時節どのような結果になるか気になるところである。
本来なら直ぐに落札結果がネット上で公開されるはずなのだが、なかなかアップされずにやきもき。
そのうち、直前に開催された西洋骨董のオークション結果と勘違い、番号だけ見て予想以上の価格になっているのに驚き、あやうく依頼されたお客様をぬか喜びさせるところであった。
ようやく今日になってアップされたが、落札率51%と大変厳しい結果となった。
中国、韓国の作家が軒並み不落札で、不況の影響は日本以上に大きいようだ。
同時に草間、リウーハンをはじめついこの前までオークションの花形だった作家達の作品が殆ど落札されなかった。
ブログでもずっと言い続けたことだったが、いざ現実を突きつけられると心穏やかではない。
とは言え、日本人の若手作家達はかなりの確立で落札されていて、中には予想価格を大きく上回る作品もあった。
名前も聞いたことがない作家の作品でも、これはと思う作品にはそれなりの評価がされていたことは明るい材料の一つである。
逆に漫画・イラスト系の作家達の作品の価格には翳りが見えてきたことも事実である。
海外やオークションでもてはやされたジャパンポップスだけが日本の美術ではなく、日本人の精神性や作家自身の思いが発せられるような絵画も今後は海外で評価されることを期待したい。

最近読んだ五木寛之の「人間の覚悟」にこんなことが書かれていて、共感を覚えたので、一部を引用させてもらう。

中国には悒(ゆう)という言葉があります。
これは心が結ばれて平らかでないという意味で、かっては憂鬱の鬱に悒を使ったこともあるあるそうです。
漢文教師だった父親はよく、「君子ハ終身コレヲ守リテ悒悒」、つまり君子たる者は「悒」という感覚を常に身につけていなければならないのだ、と言っていました。
自然の美しさや素晴らしい芸術にふれて感動する時、素晴らしい、喜ばしいとただ晴々していてはだめだというのです。
そういう喜びや感動の背景に、すっと一はけ、墨を刷いたように何ともいえぬ寂しさと哀感が常に流れていてこそ人間的な感動である。
それを感じとるのが君子の感動の仕方だというのですが、とても成熟した考え方ではないでしょうか。

12月1日

いよいよ師走。
世の中もかなり忙しくなってきたようだ。
先週末、エストウエスト香港オークションに続いてマカオでシンワオークションが開催され、エストウエストと同様に落札率50%を若干超えるといったところで、厳しい結果となった。
内容も同じようなもので、中国、韓国の作家達は殆どが不落札でバブル崩壊を裏付ける形となった。
日本の作家も市場を賑わした作家達は不落札もしくは予想価格を下回る価格となり、祭りの後といった様相を呈した。
一方、比較的価格の安い若手作家達は順当な価格で落札されていたように思う。
6月のソウルの大手画廊のグループ展に出品した山本麻友香や呉亜沙の作品も今回出品されていて、こんなに早くオークションに出されてしまうのかと、ショックも受けたが、韓国の現在の状況下では仕方がないのかもしれない。
落札価格も高からず、安からずで一安心だが、今月の5日から私どもに続いて山本麻友香個展がソウルで開催されるが果たしてどんな結果に。
ウォン安もあって、価格も日本価格よりかなりの割高になることもあり、日本のようにはいかないだろう。
明日から一週間、山本一家と一緒にその個展を見に行く予定をしている。
その間、ソウルやテグの画廊とも来年予定されている展覧会について、今一度話を詰めてこなくてはならない。
足腰のしっかりした画廊かそうでないかを見極めるにもいい時期かもしれない。
嵐吹きすさぶ韓国の状況をまたブログで紹介したい。

12月2日

ソウルはかなりの寒さを覚悟していたが、ぽかぽか天気で東京より暖かい。
SPギャラリーの美人オーナーがわざわざ空港まで迎えに来てくれた。
山本展の前評判は上々のようで、新作20点のうち、既に6,70%に予約が入っているとの事。
天気同様に予想外のことにびっくり。
バブル崩壊、大幅なウォン安で韓国美術業界は壊滅状態ではと思っていたが、オーナーは冷静そのものというより上機嫌で不況のそぶりさえみせない。
自社ビルで、支店も増やさず、スタッフも二人と経費をかけずに、長い間地道にやってきたことで、悠然としているのだろうか。
付き合いのある大手画廊のいくつかからSPギャラリーより自分のところのほうが規模も大きく、より影響力があるのにと散々言われたが、この画廊を選んで本当に良かった。
画廊に着くと入り口には大きな垂れ幕が下がり、案内状もカタログもお洒落なものが作られていて、その力の入れようにわが身を振り返り小さくなる。
展示の準備をしていると、テレビ局SBSの取材があり、金曜日のニュースで流されるそうだ。
明日はヴォーグなど婦人雑誌3社のインタビューがあるという。
日本の無名の若手作家にこれほどの反響があるとはどういうことだろうか。
おそらくSPさんの努力もあるだろうが、麻友香さんの作品の魅力によるところも大きいのでは。
夜は麻友香さん一家とともに、焼肉、しゃぶしゃぶと食べきれないくらいのご馳走攻め。
一人娘の野枝ちゃんは肉以上に最初に出てきた野菜や盛りだくさんのおかずにびっくり。
焼肉食べにきたのに、お肉はどこと目を白黒。
また一週間食べすぎで、体重計に乗るのが怖い。

12月3日

スタッフが夜遅くまでかかって展示をしてくれたお陰で、朝行くと既に備完了。
早速に雑誌社が来てインタビュー開始。
麻友香さんの緊張を尻目に、私は別行動。
シンガポールで隣あわせのブースだったLEEHYUNギャラリーからグループ展の依頼を受けていて、その打ち合わせ。
まだオープンして2年目という若い画廊だけに、この景気で取りやめということになるのではと思っていたが、来年は今の画廊の近くのビルに引越し、3フロアーの大きなスペースを持つので是非お願いしたいと言ってきた。
どうも昨日から韓国事情は想定外なことばかり。
3人によるグループ展で毎年開催したいということなので、協力を約束し、改めてそのメンバーの人選にかかることになった。
すぐそばに、韓国で一番古い現代画廊が経営するKオークションの本社があるので訪ねる。
スタッフの一人で日本語ぺらぺらの朴さんが迎えてくれる。
巨大なビルで、今月10日に開催されるオークション出品作品が展示されていて、以前韓国の企業に売った麻友香さんの作品を発見。
転売した企業を儲けさせるのは癪だが、ウォン安もあって、是非落札をしたいと伝える。
その後この秋にオープンした現代画廊の支店に案内される。
美術館と見まごうばかりの立派な建物で、中も腰を抜かすほどに広い。
各室が私のところの倍くらいの広さがあり、そうした部屋が地下から3階まで8室あるから驚き。
いつも本店で案内してくれる営業担当理事の女性が挨拶をしてくれたが、これがなんと朴さんのお母さんだそうで、またまたびっくり。
併設のレストランで美味しいデザートまでご馳走になるが、どのようにすればこの仕事でこのような巨大なビルを建てたり、レストランを持ったりできるのか、これまたわが身を振り返ると不思議で仕方がない。
昨日もSPさんにどうして韓国では大きな作品が売れるのか聞いたところ、個人よりは企業や美術館がかなりの数を購入してくれているからだそうで、20年前の日本のバブル期と同じ状況とのこと。
ということはバブルがはじければ、予算で買っていたところは皆いっせいに引る上げることになるので、いずれは日本の閉鎖・縮小した画廊と同じ運命をたどることになるのだろうか。

12月4日

朝から雨だが、不思議と暖かい。
先ずはソウル郊外のニュータウンにあるラギャラリーに買っていただいた作品を届けにいく。
ここは丁度横浜のみなとみらいのような場所で、新しい高層ビルが立ち並び、建築中のビルも多く、大きなショッピングモールの中に4つの画廊がある。
驚いたことに、以前に呉亜沙の作品などを買ってくれた白さんの画廊もその中にあるではないか。
白さんは自分の画廊は遠くにあるので、来てもらうのは申し訳ないといっていたが、まさかラギャラリーの目の前にあるとは。
ラさんのところはソウルの画廊に比べるとこじんまりした画廊だが、小林健二作品を買ってくれただけにセンスのいい画廊で、展示されていた作品も好きな作品が並んでいて、思わず衝動買い。
若い作家だがいずれうちでも紹介したいと思っている。
その後、大手のPYO,CAISで展覧会の打ち合わせ。
CAISで来年暮れに金井訓志展が正式に決定。
PYOでは何とジョナサンボロフスキーの個展が開かれていた。
新作のオブジェや油彩が所狭しと並び、韓国の画廊の底力に改めて驚かされた。
ただこうした大手画廊ほど状況は厳しいらしく、昨日までとは違い、話の端々にため息ばかりが聞こえてくる。

12月5日

昨日までとは打って変わって気温マイナス8度、耳が千切れるくらいに寒い。
夕方までに打ち合わせなどの用事を済ませ、いよいよオープニングパーティー。
釜山から飛行機で駆けつけ買いにこられたご婦人もいて、予約を含めると既にほとんど完売に近い大盛況。
KIAFの時に門倉直子の100号を買った青年は気に入った作品の前で2時間ずっと見続けていて、少し怖い。
昼のテレビニュースでもかなりの時間を割いて、展覧会やインタビューの様子が放映されていた。
一画廊の展覧会をテレビニュースで取り上げるなど日本では考えられないことだが。
昨日も2時間半に及ぶ新聞社のインタビューもあって、韓国での反響はすさまじいものがある。
それとは対照的に、午前中に行った企業画廊では電気が消え、人影も見えなかったのとは雲泥の差である。
ここは前にも紹介した宝くじの会社が30億円の資金で開いた巨大な画廊で、60人のスタッフを抱え、顧客専用のレストランがあったり、美術館顔負けのスペースを持っていて、9月には来年予定されている日本人作家20人によるグループ展のプレビューが開かれ、そのオープニングの派手なことに驚かされたところである。
そのときはかなり期待をしたが、結局一点も売れず、全作品戻ってくることになり、来年の予定も全てキャンセル、楽しみにしていた豪華なレストランの食事もなしと、あまりの様変わりにただただ唖然。
毎月の経費が5千万円かかるというからこれも致し方ない。
賑わいを見せる画廊と風前の灯の画廊との極端な違いを見せ付けられた一日であった。

12月6日

東京の画廊では、今日から桑原弘明展と富田有紀子展が始まるが、昨日夜中まで画廊にいたスタッフからのメールでは、既に大阪から来たお客様が購入の為に寒い中を並んでいるという。
申し訳ないので、整理券を渡し、近くのホテルに泊まってもらったとの事。
桑原展は出品点数も少ないことと、皆さんに公平にとの作家の意向もあり、先着順とさせていただいていて、前回も朝早くから並んでいただいたが、まさか前の晩からとは驚きである。
更には早朝から5人が並んでいるというメールが届いた。
5点しか出品作品がないので、後から来た人たちにはどのようにお詫びをしていいやら。
桑原ファンにとっては不況どこ吹く風である。
私も明日の夜には帰国するが、どうやら東京のほうも大忙しになりそうだ。

ソウルは昨日以上の寒さで零下12度と冷凍庫に入ったようだ。
一日、麻友香一家をソウルの主要な画廊に案内することになっているが、ホテルから出たくない。
気合で外に出たが、吐く息から凍っていきそうなくらい寒い。
今日はことのほか車が混んでいて、いろいろと案内したいが、結局2軒の画廊しか案内できなかった。
それでもその大きさと企画の素晴らしさに山本池田夫妻もただただ感嘆。
他にも、毎日のご馳走攻めと、ホテル代はもちろん、ロッテワールドやミュージカル、民族村と全て手配してくれていて、一家はお金を使うところがない。
その親切さと画廊の奥深さは深く心に刻まれたことだろう。
6時に約束をしていたテグの画廊との打ち合わせには大遅刻。
年末の土曜日、どこもかしこも車の洪水で20分で行くところを2時間以上かかってしまい、東京ソウル間と変わらないのだからあきれる。
ここでも予定通り来年の暮れにグループ展が決定。
行く前の予想とは違って、大方が予定通りとあまりにスムーズすぎて怖いくらいだ。
来年の状況は一段と厳しいようだが、先ずは発表ありきで、結果を考えず、作家さんの紹介に努めたい。
明日は帰国、お昼まで山本一家のショッピングに付き合い、今回の予定終了。
事前の心配は杞憂に終わり、中身の濃い一週間を過ごすことができた。

12月9日

土曜日から二つの個展が同時に開催ということで、大忙しの一日だったようだ。
桑原展はソウルからの日記にも書いたように、早くから並んでいただき、スコープは5点開店早々に売切れてしまったが、今回はオブジェ作品もあるのでご一緒にご覧いただければと思っている。
富田展にも大勢の方が初日から詰め掛けていただいたが、特にうれしかったのは、長い間体調が悪く、お見えいただけなかったT様が元気になってお越しいただき、富田作品の大作をお求めいただいたことである。
また新たに美術館への寄贈も決まったようで、私どもが紹介させていただいた作家達の作品も今一度スポットライトを浴びることになり、これもT様のおかげと感謝している。
お年がお年だけにお体の方が心配だが、いつまでもお元気で若い作家の支えになっていただきたい。

12月10日

昨日の日記でT様がいつまでもお元気でと書いたが、同じビッグコレクターとして知られる大川美術館の大川氏の訃報が入った。
サラリーマンコレクターとして知られ、三井物産からダイエーに移り、副社長にまでなられた方だが、私も大阪時代からのお付き合いがあった。
私が新米の頃に画廊にやってきて、「おい、倉庫を見せろよ」と言われて、その迫力に負けて、倉庫にお連れしたことがあった。
倉庫からその当時はまだあまり高い評価でなかった曖光のデッサンを見つけ出し、買って行かれたことがあった。
このように目利きのコレクターとして知られ、美術の話になるととどまる所を知らず、口角泡を飛ばして話される姿が思い出される。
サラリーマンコレクターから出発し、ご自分のコレクションによる美術館まで作られ、多くのコレクターの方にとっては垂涎の人生を送られただけに、悔いのない一生だったに違いない。
ご冥福をお祈りする。

12月12日

海外での日本の若手アーティストの評価が高まり、私の仕事の度合いも海外にシフトすることが多くなり、特に隣国の韓国、台湾、中国、シンガポールの人たちとのお付き合いが深まった。
そうしたお付き合いで一番感じることは、こちらが恐縮するばかりの歓迎をしてくれることで、そのホスピタリティーには頭が下がる。
反日感情という言葉がこびりついていた私には、最初は戸惑いを覚えたが、政治レベルの話であって、個々の付き合いでは一度たりともそうしたことを感じることはなかった。
仕事のことでは、行き違いもあり困惑することもあるが、それは文化の違い、慣習の違いとして理解することで納得をするようにもなった。
日韓の社会文化の比較を説いた「縮み志向の日本人」の著者・李御寧氏のお話を聞いたことがある。
氏は日韓の文化を同根とは捉えず、それぞれが違った文化を持つことを認識した上で、理解することが大切であると語られた。
同じであろうとすると摩擦が生じるのであって、そうした違いがあるのだと思うことで、より近づけるのではないかと言われたことが、アジアの方達とお付き合いする上で大いに役立っている。
韓国では借金してでもご馳走をすると聞いたが、これも文化の違いなのだろうか、とことんお世話をしてくれる。
逆にこれだけしてくれると、日本に来たときどのようにお返しをしていいのか困惑さえしてしまう。
仕事の上でも、日本美術の紹介に積極的なアジア諸国に対し、私も含めて日本でのアジアの作家の評価、紹介はいま一つの観がある。
グローバルネットワークの拡大に伴い、島国根性といわれる私達日本人の文化、考え方が果たして理解してもらえているだろうか。
今一度再考しなくてはならない問題である。

12月13日

ネットの書き込みで内情書きすぎと書かれてますよとの指摘あり。
その他かなりひどいことも書かれているようだが、名前が挙がるだけありがたいことと受け止めたい。
ただ何でも書いてしまうことは反省しなくては。
活字は一人歩きをしてしまうし、お客様や作家さんにも迷惑をかけてしまうことにもなるので気をつけなくては。

今日は土曜日ということもあり、画廊の中に長い行列が出来た。
この時期、行列が出来るのはジャンボ宝くじ売り場くらいかと思っていたが、あにはからんや我が画廊までもが。
桑原弘明のスコープを見るためである。
毎日3時間しか寝ずに延々と一年中休むことなく制作して、ようやく5点ほどの作品しか出来ないこともあり、楽しみにしている人が多いのは事実だが、買うのに並び、見るのに並ぶとは、心底驚きである。
前の晩から並んでいた方がいたのも驚きだったが、朝早くには某美術館の方までもが購入のために並んでいただいたのには恐縮した。
もう一つの驚きは、スコープを見てもらうためのお手伝いをお願いしているが、毎日ボランティアで何人かの人が応援に来てくれることである。
寒い中を並んでくださったり、師走の忙しい中を一日お手伝いをしてくれたりで、本当に頭が下がる。
四方八方感謝感謝である。
ついうれしくなって書いてしまったが、また内情書きすぎといわれてしまうかもしれない。

12月16日

日曜日にコンテンポラリーオークションが開催されたが、厳しい結果となった。
ただ、私が欲しかった合田佐和子の作品は予想価格をはるかに超えて落札された。
大方の作品が安くなっているのに、いざ欲しい作品となると高くて買えない。
今日も組合の交換会の大会があったが、ピカソやシャガール、ウォーホールといった高額品が振るわなかったこともあって、前年比の出来高の半分となってしまった。
ここでも私が欲しいものはなかなか買うことが出来ず、ようやく2点だけを手に入れることが出来た。
そしてたった今、ソウルで開かれているオークションに出品された山本麻友香を落とそうと、電話にてオークションに参加したが、2点はエスティメート価格のはるか上にいってしまい、ようやく最後の一点を落札予想価格の範囲内で落とすことが出来た。
不況で自分の好きな作品を手に入れるチャンスと思うのだが、そういう作品に限って競争相手が出てきてうまくいかない。
不況でも世の中そう甘くはなさそうだ。

12月19日

4月に開催予定の香港アートフェアーのセレクションに見事落選。
スポンサーだったリーマンブラザースが破綻し、その影響もあってかなかなか返事が来ずにやきもきしていたが、100画廊の予定に250画廊を超える申し込みがあったそうで、レベルの高いフェアーとなったと書かれていて、残念ながら私のところはそのレベルに達しなかったようだ。
別に申し込んでいるフェアーの返事もいまだ来ないところを見ると、ここも申し込みが多くて、選考が遅れてるのかもしれない。
こうして活況を呈するところもあれば、先月の北京のアートフェアーのように、直前にフェアー毎キャンセルという事態も起こる。
昨年のアートフェアー東京のスポンサーだった不動産会社のモリモトも先月破綻してしまい、その動向が気になる。
他にもアグネスホテルのフェアーが来年で最後だそうで、フェアーも悲喜交々である。
オークションの方もオークション会社AJCがどうやら解散するらしい。
他にも業者だけの交換会・アポロン会など4つの会や組合が年内でその事業を止める事になった。
バブルを主導してきたオークションや交換会の運営も一頓挫といったところだろうか。
どうやらフェアーもオークションも選別の時代が来たようだ。
フェアーのセレクションには落ちたが画廊の選別だけには何とか落ちこぼれないようにしなくては。

12月20日

今日が展覧会も最終日。
これで今年は終わり。
内外、アートフェアーを含めると実に30回以上の企画展を今年は開催した。
スタッフも毎日遅くまで頑張ってくれて、ゆっくりする暇もない一年であった。
そんな事もあって、明日から2泊3日で那須の二期倶楽部に出かけることにした。
日本で一番行きたいリゾートホテルのNO1にもなっているだけにスタッフも楽しみにしている。
おいしい食事と温泉、そしてゆったりとした時間を満喫し、一年の疲れを癒してこようと思っている。
近くには二期倶楽部同様に懇意にさせていただいているニキ・ド・サンファール美術館や現代美術コレクションで知られる板室温泉・大黒屋旅館もあるので訪ねる予定でいる。
年末年始も多めに休みを取り、28日から1月12日までを冬休みとさせていただく。
新たな英気を養い、来年に備えたい。

12月24日

温泉でスタッフともどものんびりしてきた。
一年の垢をすっかり洗い流し、新たな気持ちで新年を迎えることが出来る。
一日目はニキ・ド・サンファール美術館、帰りの日には板室温泉・大黒屋の菅木志雄美術館を見学、それぞれオーナー自らの解説付きで案内をしていただいた。
温泉客や一般の方にはなじみの薄い美術館だけに、そのご苦労は並大抵ではないだろうが、オーナーの情熱・心意気には頭が下がる。
宿泊をした二期倶楽部も現代工芸の紹介に熱心で、陶器やグラスアートの体験工房が併設されていたり、本館の部屋を使ってデザイナーやギャラリストによる設えがされていたりと、訪れる人と美術のふれあいに心を配っている。
ここの料理も絶品、更には隅々まで行き届いたおもてなしの心には感心させられる。
多少料金は張るが、是非お勧めのホテルである。

12月27日

今年も今日で仕事納め。
当画廊にとっては実りある一年であったが、9月のリーマンショックから始まった世界恐慌という事態を迎え、これからも地道にやっていけよという天の声であったかもしれない。
美術品が金融商品化し、ファンドマネーによる若手作家の買い漁りは目に余るものがあったが、これで沈静化の方向に向かうと思っていたが、どうやら市場には天の声はまだ届いていないようだ。
昨日もシンワオークションが会場を提供している美大生支援の展覧会を見に行ってきた。
オークション会社が協力をするということは、オークションでの商品化が目的であることは間違いない。
そうした会場にこれまた摘み食いをしようと、学生に甘い言葉をかける画商たちが来ているという。
懲りない面々とはこういうことを言うのでは。

もし支援ということであれば、学生に奨学金を出すとか、アトリエの提供とか、違う視点で考えてもえらないだろうか。
海外では多くの学生が奨学金の支援で勉学、研究に励んでいる。
私事で恐縮だが、留学をした長女は大学入学から博士課程終了まで、学費はもちろん生活費まで面倒を見ていただいた。
海外の大学には多くの奨学金制度があり、更には民間の支援も多くある。
学生は怠けていては支援の道が閉ざされることになるので、真面目に勉学に励む。
結果、社会に優秀な学生を送り出し、ひいては国家に貢献することになる。
日本でも、文化庁の研修生派遣制度や五島財団、ポーラ財団の奨学金制度などの文化支援で成果を挙げているが、それは僅かであり、海外からの留学生となれば更に厳しい。
せっかく日本にやってきても、留学生は学費や生活費のためにアルバイトに追われ、勉学どころではない。
私の支援など微々たるものだが、海外からの留学生を家で預かったり、タイやベトナムのの貧しい子供の里親になって、学費の仕送りを続けながら、勉学に励む環境造りのお手伝いをさせていただいている。
是非、企業やオークション会社が支援ということを考えるなら、僅かな金額で作品を買ったり、賞金を与えるだけではなく、将来に向けて細く長くでいいから、教育的支援を考えていただけないだろうか。
それから先は自分の努力で道を切り開いていけばいいのであって、学生の絵がオークション会社の中で売れたり、ちやほやされたりでは、決していいことがないように思うのだが。
最後まで愚痴とぼやきで終わってしまい、まことに申し訳ない。

来年は厳しい年を迎えることになるが、より良い展覧会、より良い作品を提供することで、皆様に愛され続ける画廊でありたいと願い、年末のご挨拶とさせていただく。

冬休みは少し長く取らせていただき、12月28日から1月12日までお休みとさせていただきます。
シャッターが長い間閉まっていても、決して夜逃げしたわけではないのでご心配なく。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

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