ギャラリー日記 Diary

バックナンバー(2002. 10/19-12/28)


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10月19日

今夜は高校時代の友人K君の家で、恒例のジャズライブがあり、家内と娘の3人で出かける。
これまた高校の同級生O君がジャズピアノを弾いていて、そのライブ仲間数人と組んで毎年素敵なディキシーランドジャズを聴かせてくれる。
ホストの娘さんの友人で、サックスを吹く若い女性を除けば、みんないい年をしたおじさん達だが、とても気持ちよさそうに演奏をしている。
軽妙なホストの語りとおいしい料理、ワイン、至福のひと時である。
とてもいい雰囲気の中、実は私が30分ほどトークをする事になっていて、座がしらけるのを覚悟で、演奏の合間を埋める事になった。
これも昨年から始まった(ちょっと得する話コーナー)と言うのがあって、昨年は癌センターの偉い先生の癌にまつわるとてもためになる話であったが、さて私の話では、得にも、ためにもならない話になってしまいそうなのだが、友人に毎年招待を受けている義理もあって、話をする羽目になった。
建築家、デザイナー、医者、クラシックのピアニスト、レストランのオーナーなど多士済済であるが、話の冒頭この中で月に一度ぐらい、画廊を訪ねる人はいますかと質問した所、4,50人いる中で誰も手を上げる人がいない。
そうであろうとは想像していたが、矢張りショックである。
一年に一度と尋ねても僅かしか手が上がらないに違いない。
もったいないなあー、このコーナーのテーマである皆さんの得になる話とすると、銀座に買い物のついでに500軒もある画廊が全てただではいる事が出来ますよ。もしかするとコーヒーぐらい出すところもあるかもしれませんよ。
えっ500軒も、私のほうでは当たり前のような話をするだけで、みんな吃驚してしまう。
他にもコレクターの事、画廊と作家の関係、価格の仕組みなどを話したが皆興味深く聞いてくれたようだ。
面白かったのは何百点、何千点持っているごくごく普通のサラリーマンコレクターもいますよと言う話をしたら、それは病気ですかと尋ねた女性がいて大爆笑になったが、なるほど病気には違いないが、単なる病的マニアとは美術コレクターは違うような気がしている。
美の探究、ロマンの追究、夢見る人達のような気がするが、手前味噌だろうか。
一度どうしてコレクションしているのですかと尋ねてみようか。
集める事に意味を持っている人がいるのかな、きっと深い思いがあって集めている人は少ないのではないだろうか。
そこに山があるからと同じような答えが返ってくるのでは。
女性ピアニストのご主人のフランス人から厳しいご指摘を頂いた。
あなたの話は下世話な話ばかりで、日本と外国の文化の違いとか、もう少し文化、芸術についての話はしないのですかと言われ、下を俯くばかりであった。
どちらにしても音楽に比べ、いかに美術が日常でないかを再認識させられた日であった。

10月22日

今夜は先週の日曜にスタッフともども昼から延々夜の9時過ぎまで手料理のもてなしをしていただいた、お客様のH氏が応援をしている中国人作家の牛波(にゅうぽ)さんの個展オープニングパーティーに出かけた。
殆ど顔見知りのコレクターの方ばかりで、さすがこの方たちはいろいろな所で色々な作品を集めているのだと感心させられた。
牛波さんは北京、ニューヨーク、東京をまたにかけ、飛行機を飛ばし、飛行機雲で大空に絵を描いたり、無重力アートなどスケールの大きいアート活動を世界で展開させる国際派アーチストで、多くの方から名前を聞いていたが、今回始めてお会いした。
彼はさらに飛躍し、映画を作ってしまった。
「王様の漢方」と言うタイトルで現在ロードショー公開されている。
監督、原作、脚本、美術を手がけ、キャストも中,日,米からなるスターの競演となっている。
漢方医学をテーマに世界に向けて、壮大で感動的な名作とパンフレットに謳ってある。
万里の長城に延々と花火を仕掛けた、サイ・コッキョウと言う作家もそうだが、中国のアーチストのスケールの大きさには度肝を抜かれる。
画廊に入るとH氏がいきなり見上げるように背の高い中国服を着た美人の女性とツーショットの写真を撮ってくれた。
その後紹介されたが、この映画に今回始めて出演した女優さんで、2000年のミス日本グランプリを受賞した人で、美しさ以上に背が高いのと顔の小さいのが印象的であった。
昔、八頭身美人と言う言葉があったが、十等身美人かもしれない。
その後、彼女の中国服のスリットから見える脚に目を奪われつつ作品を見て廻った。
コレクターの方々の所蔵品が中心に展示されてあり、自由な作風でひとところに留まらず、次々と作風を展開させていく事に感心した。
そうした展開が映画に行き着いたのだろう。
池田満寿夫的展開である。
H氏の手料理が並べられていて、昼を食べそこなった私にはもうたまらない気分である。先日のおいしさが蘇ってきた。
鮭の白子のから揚げがとてもおいしくて、これはきっと糖尿の人には毒かもしれないと言いつつ味わう。
糖尿と言えばとても嬉しい事があった。会場でN会長にお会いして、会長の方から生きて帰ってきましたとの挨拶を受けた。
実は先週画廊に来られ、明日いよいよ手術をするかどうかの決定を病院でしなくてはならない。
手術となるとかなり長い時間を要する大手術となり、あなたに会えるのも今日が最後かもしれないなどと、こちらが病気になりそうなことを淡々と言われるので返す言葉が見つからないほどに驚いた。
会長は病気の問屋と言われるほど今まで死と向かい合うような大病を何度も患い、その度に打ち勝ってきた。
臨死体験までしたそうである。
そうした死線を乗り越える度に達観をした人生観を持たれ、美に安らぎを求め、美を愛し、美を人生の拠り所とされてきた。
こうした体験からもし手術をしたとしても、きっと打ち勝って生還してくるに違いないとは思っていたのだが。
その折、ある作品を会長にすすめ、会長は今予約してもどうなるか分からんぞと言われたので、じゃーこうしましょう、生きて帰ってきたらこの作品を必ず買ってくださいねと約束をさせていただき、この作品が会長の元気な姿で会いにきていただくのを首を長くして待っていますからねと申し上げておいた。
励ましのつもりであったが、内心大丈夫だろうかとの不安もよぎったのだが、
ここで元気な姿でお会いできるとは何はともあれよかったよかった。
そのまますぐに帰られたので、詳しい事は聞いていないが近いうちに作品に会いに来てくれるのがとても楽しみである。
何とも嬉しい夜であった。

10月26日

夕方T先生がみえた。
この先生はコレクターとして多くの画廊で名の知れた方で、自宅がサロン風になっていて、有難い事にそのサロンには私のところで推してきた小林健二の大作を中心にたくさんの作品が展示されている。
大抵は木曜日か土曜日の午後には画廊廻りをしている。
今日もいつものように私のところにも寄ってくれたのだが、絵の話をしているうちに分厚いファイルを取り出した。
このファイルに8年も前になるだろうか、先生の人生を一変させるような大事件がもちあがり、その後に判明した事実が書かれているとの事であった。
この事件とは順風満帆にここまで来られた先生にとって、晴天の霹靂とも言える大事件であり、その当時の新聞の一面やNHKの夜7時のトップニュースで取り上げられるような大事件となった。
ある病気に特効薬として大きな話題を呼んだ薬が、他の病気を持った患者に投与する事で15名もの死者が出たことが事件の発端であった。
ここまでは薬害事件であったが、この薬を販売した薬品会社の役員が特効薬として話題を呼んで高騰した自社株を、厚生省の販売停止命令を通達された直後に高値で売り抜けた事実が判明しインサイダー取引と言う事で刑事告発される事態となった。
こうした大きな事件の渦の中に突然T先生も巻き込まれる事となった。
同じ時期先生はこの株を売っており、この薬を販売した薬品卸会社の営業マンの自供により同じインサイダー取引で逮捕される事態となった。
薬品会社の役員達は氏名も公表されないまま書類送検とともに軽微な罰金刑を科せられただけであったが、アウトサイダーである先生だけが逮捕され、マスコミにも大きく取り上げられる結果となってしまった。
納得せずとも罪を認めてしまえば、30万円の罰金刑で済んだのだが、あくまで冤罪を主張し最高裁まで行く事となり、最終的には最高裁差し戻しの判決が下りる事となり現在に至っている。
この顛末は水沢渓著の「生け贄にされた医師の告発・薬害は何故隠されたのか」に詳しく述べられている。
一介の医師であった先生がこの時を境に犯罪者となり、官僚の思惑により生け贄とされながら終始一貫無実を主張して戦い続けている姿勢に感動さえ覚える。
今日もあらたに判明した事実が述べられている報告書を拝見し、日本の政官財の巨大な力の中で、いかに個の力が無力であるかを実感させられるとともに、小説の世界だけであったような巨悪の構図を垣間見る事となり戦慄さえ覚える。
美と言う純粋な世界に身を任せていた先生にとって、この事件に関る事で天と地の開きのごとき落差を感じたに違いない。
先生の無実が証明され、巨悪が暴かれる日を待ち望むしかない。

10月29日

突然画廊の奥を覗き込むように外国人の女性が顔を出した。
早口の英語でしきりに尋ねてくるのだが、こちらには何を言っているのかさっぱり分からない。
すると後ろにいた実直そうな中年の日本人が話を引き取り、この方は日本の若いアーチストの作品を探しているので紹介してくれないかとの事。
通訳の人で最初からその人が言ってくれればいいのに大汗をかくところであった。
とにかく熱心でこの前までは中国に行って、そちらの若い作家の作品をだいぶ購入したようだ。
次々と資料を見せてくれるように催促させられるのだが、こちらも急な事でどんなものを見せたらいいのか見当がつかない。
若い作家と言う事で30代の何人かの作家の資料を見せた所そのどれをも気に入ってくれた。
今度は実際の作品を見せろとのことでこれも大慌てで倉庫から作品を引っ張り出して並べたのだが、これまたすごく気に入ってくれたようだ。
みなオブジェの作品であったが、壁に飾られている抽象的な絵には見向きもしない。
壁以外の平面の作品と言う事で、奥のGTUに飾った山本麻友香の作品を見せたところ食いいるように見入ってしまった。
一緒に来たご主人も同じように熱心に見ている。
先週まで展示した個展の作品なのだが、売れ行きはさっぱりで殆ど売れずに残ってしまった作品である。
彼女は去年子供を生み母親となって初めて描いた油彩なのだが、描かれているのは少女が殆どで、どの絵も暗い色調の中に目隠しをされたり、手足を縛られたり、中には銃を担いだ少女までいる。
どの顔も不安げで、寂しく、悲しげにも見える。
母親になって自分の子供の今置かれている状況や行く末を思った時に、不安で悲観的なことばかりが浮かんでくるのだろう。
純粋に母親の情緒の揺れを表現していて、一瞬身体が震えるよな感動を覚えたとサイン帳に書き残してくれた人もいるぐらい一部の人には衝撃を与えた個展ではあったのだが、何せこのくらい世相の中では身につまされるのか数点が売れただけの結果に終わった。
思案した挙句、大作を2点決めてくれた。
個展が散々だっただけにこんな嬉しい事はない。
カリフォルニアにいるコレクターとの事で、国内外の著名なキュレーターにも知己が多いようで、是非紹介をしたいとの事でこれを縁に海外での発表の機会ができればいいのだが。
新宿の弟の画廊で個展をしていて、ドイツに40年以上住んでいる女性作家と話したのだが、向こうではいま彼女が描いているようなアブストラクトな絵は時代遅れだそうで、どこかに形があり、メッセージ性がある作品が主流のようである。
この前ベルリンのアートフェアーを見てきた画廊の友人も具象とは違うのだが,肉体を色々な形で表現している作品が目に付いたと言っていた。
彼女はそんなことは意識して描いてはいないのだろうが、世界のアートの流れの中では、今を確実に表現しているのかもしれない。
どちらにしても偶々立ち寄ってくれた外国のコレクターが熱心に日本の作家を探してくれている事がとても嬉しく、その上買い上げてくれた事は不況を嘆いて日々を送っている私に勇気を与えてくれると同時に関っている作家達がとても頼もしく思え、これからの方向にに大きな希望をもたらしてくれた。

11月1日

銀座で歯科医院を開かれているK先生のお宅で小林健二コレクション展を開催することになり、そのオープニングパーティーに出かけた。
K先生は現代美術に造詣が深く、まだ若いのだが銀座の画廊では名の知られたコレクターで、その先生にとって小林健二はお気に入りの作家で、うちで出した小林健二画集には小林健二への思いを綴った心揺さぶる詩を数多く寄稿していただいた。
雪谷の閑静な住宅地にあるモダンなお宅の中にこじんまりとしたコレクションルームがあり、そこに17年前頃制作された作品を始めとする懐かしい作品が程よい間隔で飾られていて、画廊で展示されている時の記憶とは違った新たな気持ちで作品を眺める事が出来た。
先生は展示の仕方にこだわりがあり、どの目線で作品を見るのが心地よいか、どの位置に立つべきかなど、ただ作品を鑑賞するのではなく作品と一体感を持つ事を心がけている。
展示されている作品の中に特に心に強く残っている作品がある。
小さなブルーの小箱に真鍮の古びた把手がついている作品で、その把手を摘んで蓋を開けると、箱の中と蓋の裏側に星を散りばめたように光り輝く画面が現われる。
それはまるで宝石箱のように赤や青や黄の光で満ち溢れ、暫し悠久の宇宙を垣間見ることが出来る。
もともとこの作品は私の大学時代の後輩で、大手銀行に勤めるH氏のものであった。
H氏は30歳を過ぎたばかりの年に、突然死でこの世を去ってしまったのだが、その死を迎えるまで、毎日のように私の画廊に立ち寄り、次から次へと作品を購入していった。
酒も好きであったが、給料の殆どは美術品につぎ込んでいた。
あまり買い過ぎて、私がもう買い過ぎと止めた事もしばしばであった。
美術雑誌のコレクター紹介欄にも登場し、その中で家で取材中に電話が鳴ったが、何処で鳴っているのか分からず、探すと作品の中に電話が埋もれていたと言う話が紹介されるほどおびただしい数の作品を集めていた。
死後、出身の新潟の新津市にコレクションは移され、毎年一回H氏コレクション展が開催されている。
そうした中にこの作品はあったのだが、その死が急であったために残っていた未払い金と相殺に形見として残してもらった作品であった。
ところが画集でこの作品を見たK先生がどうしてもこの作品を手に入れたいと言う事になり、断腸の思いで手放した作品であった。
その当時の事が思い出され、若い作家と若いコレクターの出会いがたくさんあり良き時代だったなあーとの感慨に浸っていた所に、パーティーに先に見えていた現代美術の最先端の企画をしているS画廊のS氏が私に話し掛けてきた。
それは全くの偶然なのだが、私に囁くようにHさんは亡くなられたのですねと言うのである。
H氏の思い出に浸っている時に、その人の名が出たのには吃驚させられたが、もしかしてこの作品が以前にH氏のものだと知っていて私に話し掛けてきたのかと思った。
ところがそうではなくて、昔に今は著名になっている乾漆作家の作品をS画廊からH氏が私の紹介で購入した事があり、その事を思い出して私に尋ねてきたのだそうで、あまりの偶然に作品の縁とはなんと不思議なものと実感させられた。
そう言えば小林健二の作品は不可思議な力による伝達、例えば鉱石ラジオとか、言霊と言ったものがテーマになっている事が多いが、H氏を蘇らせてくれたのも健二の作品がそうさせたのかもしれない。

11月8日

以前からしょっちゅうお会いしていて、話だけは聞いているのだが伺う機会のなかったAさんのうどんすきのお店に、家内と二人でお昼を食べに行く事になった。
ただ食べに行くのではなく、お店に絵を飾りたいので、お店に合うような絵を探して欲しいとの依頼を受けた事もあり、仕事を兼ねてご馳走を食べに行く事にした。
田園調布の住宅地の中にあると言う事で、車のナビゲーションを頼りに行ったのだがなかなか見つからない。
それもその筈で、看板も出していない普通のお宅で、と言ってもすごいお屋敷なのだが、ここがうどんすきのお店だとはご近所のかたでも気付かないのでは。
ようやく見つかり玄関を開けると、中の広いリビングルームと和室が客席となっていて、ゆったりとテーブルが並び、全部入っても20人ぐらいの席しかない。
部屋のガラス越しに手入れされた芝生の庭が広がり、差し込む日の光が緑の美しさをいっそう際立たせてくれる。
こんなお店を私だけが知っていると自慢したくなるほどお店らしさのないお店である。
Aさんは長年うどんすきのお店として全国に知られた有名なお店の東京の社長をしていた方で、この方の手腕で東京の一等地に何店ものビルを建てたほどのやり手の社長さんだったのだが、記するところがあってそこを辞められ、自宅をお店にして昨年開業をされたのである。
社長さんの時代、下の者には任せず、築地の魚の仕入れもご自分でやり、毎朝だしの味をご自分の舌で吟味し、うどんの試食も欠かさずやっておられた。
味に厳しくそうしたこだわりがあって、少人数を対象においしいものを食べていただきたいとの思いで一から始める事にしたのだそうだ。
うどんも自分で打ち、客が来る40分前に湯に通して粘りが出ないうちに出すようにしているとの事、こしが効いていてそれでいてつるっとした舌触りは絶品である。
だしがまた凄い。選りすぐった鰹節を使い長年の経験による調味の配分で出来上がっただしはこれだけ飲んでいてもいいくらい飽きる事がない。
厳選された盛りだくさんの具とともに昼にこれだけの量を食べられるのかと思うくらい次々と食べてしまい、普段あまり食べない家内でさえあらかた食べてしまった。
デザートも社長自ら有名フランス料理店の厨房に入って教わったそうでこれまた美味である。
時々社長がもと居たお店で食べるのだが、こうも違うかと思うくらいだしがしょっぱいのである。
使う鰹節が手に入りにくい事もあるのだそうだが、一番違うのは現場を経験した事のない人間が味を管理しているからだそうだ。
一度上に立った人間がおいしいものを食べてもらいたい一心で汗を流して私達をもてなしてくれる姿が、より今日のおいしさが引き立ててくれたような気がする。
外に出て私の車が見えなくなるまで見送っていただいたご主人の姿に自分が忘れてしまった多くのことを思い出させてくれた。
私も原点に戻らなくては。

11月12日

昨日から喜多敏郎展が始まった。
この人の作品は大阪のある画廊に立ち寄った折、飾ってあるのを偶々見て、直感的にこの人の展覧会を是非やってみたいと思い、その画廊にお願いをして初めての個展を開催することとなった。
私のところで初めてというより大阪、奈良を中心に発表をしてきて、今回東京では初めての個展となる。
時計の歯車や抵抗器の部品、和裁用の曲尺と言った使い古しのモノを見事に再生し作品に蘇らせる。
よく見かけるジョセフ・コーネル風のボックスアートのような冷たさがない。
モノを愛し、モノを楽しむ心が作品に温もりを与えてくれる。
ハロゲンビーム天文台、海王星風力発電、振動計測器といったタイトル通り、昔に物理や化学で教わったような機械が、作者のイマジネーションによって作り変えられ、観測、計測といった難しそうなテーマも望遠鏡で星の観察をしたり、化学の実験で吃驚させられた時のように、子供の頃に味わった心のときめきを思い出させてくれる。
美術界が閉塞している要因の一つに、アートが一般の人達より高い所に位置しているのではと常々思っている。
日常とかけ離れ、アートは難しくて分からない、高くて手が出ない等、みんなが身構えてしまう。
もっとアートが日常であって欲しいとの願いが逆に通俗的な作風に向かってしまう事もあり、この辺の兼ね合いがなかなか難しい。
そうした中にあって、喜多さんの作品は遊び心旺盛で、見る者を作品の中に引き込んでしまう魅力がある。
こうした身近に思える作品からアートを楽しむ人達が増えてくれればいいのだが。
私の思いが通じたのか、初日から売れ行きも上上で、初めて買われる方もいてほっとしている所である。
今日喜多さんも上京してくるのだが、実は作品を通してのかかわりだけで、会うのは今日が初めてなのである。
個展をする作家と会わずに展覧会をするのは長い経験の中でも初めてのことであり、喜多さんにとっても私にとっても初めてづくしの展覧会となったが、こういう出会いもいいもので、会える事をとても楽しみにしている。

11月18日

Hさんからお電話をいただいた。
お元気そうな声なので一安心。
4年前ぐらいから体調を崩され自宅で静養をしていて、画廊に立ち寄る事はすっかりなくなってしまった。
以前は展覧会の初日になると必ず駆けつけ、そのうちの何点かはそのたびに購入していただいていたのだが、そんな事も全くなくなり寂しい限りである。
私以外の画廊でもそうした画廊は何軒もあり、30年近くもそうした集め方をしてきた事もあって、コレクションの数は恐らく4000点を超えるに違いない。
その中心になるのはエロスを題材とした細密画で、日本のシュールリアリズムのコレクションとしては類を見ないコレクションである。
それ以外では、私のところで発表しているような無名の若い作家達を数多く応援していただき、そうした作品も膨大な数になっている。
コレクションの話ではこんな事もあった。
以前にHさんから相談を受けた事があり、有名な仏料理店でご馳走になりながらお話を聞くことになった。
Hさんの父上は有名な画家で、苦労をされて画壇で大きな地位を築き、その評価は今でも大変なものなのである。
その苦労を目の当たりにしてきたうえに、無名の時には見向きもしなかった画商が、有名になると門前に並ぶ様を見た母親は、亡くなる前に画家と画商だけになってくれるなとの言葉を残されたのだそうだが、自分の好きな画家達を応援してあげるのが昔からの夢で、そのためにもどうしても画廊を開きたいのだがどうだろうかとの相談であった。
ご馳走になっている手前もあって反対するのは失礼なのだが、私はHさんがお客さんに頭を下げる姿が想像できないし、それにコレクターは好きなものを集めるだけでいいが、画廊経営となると好きなだけではやっていけませんよと思いとどまるように何度も言ったのだが、結局は聞かずに画廊を開く事になった。
オープンの当日訪ねた折に、おめでとうございますの挨拶とともに、今日からはコレクターを卒業して我々同業者の一員ですねと申し上げたところ、画廊とコレクションは別でこれからも作品を集めますよと言われ、Hさんらしいなと思ったものである。
残念なのは今までこれだけのコレクションが有りながら、その整理が出来ないまま倉庫に置かれ現在に至っている事である。
2年前に身体の回復の祈願と激励をかねて、コレクションとその周辺の作家達の新作の展覧会を企画し、久し振りに関係者に囲まれHさんにはおおいに喜んでいただいた事がある。
これを機にコレクションの系統立てた整理のお手伝いが出来ればとの思いもあったのだが、その気にはなかなかなってはくれなかった。
ところが今年に入り、体調もよくなってきたせいかようやく作品の整理を始める気になったようで、私もお手伝いをさせていただく事になった。
電話で近いうちにお宅に伺う事になったが、美術品は倉庫の中に眠ったままではどんな名作でも秘蔵品ではなく死蔵品となってしまう。
コレクションが再び日の目を見ることで作品は生かされるのである。
H氏美術館が出来るのを夢見て、そのお手伝いが出来る日を楽しみに待っている。

11月26日

新宿の初台に第二国立劇場と併設して東京オペラシティの高層ビルが聳え立っている。
その中にはコンサートホールを始めいくつかの文化施設があるが、私どもの若い作家達を応援して下さるTさんのコレクションを中心にしたTコレクションギャラリーもその一つである。
三階部分の上がTコレクションギャラリーで、下は現代美術を紹介するオペラシティアートギャラリーになっている。
Tコレクションは日本の抽象絵画の草分けとして活躍した難波田龍起とその息子で夭折した史男親子の作品を核に日本画から洋画、版画、彫刻まで幅広いコレクションで知られている。
難波田龍起以外は無名の若手作家で占められ、Tさんのお陰で世に知れた作家も数多くいる。
数にして数千点にものぼるコレクションだと思うが、その殆どを財団法人オペラシティ文化財団に寄贈し、その作品が順番にTコレクションギャラリーで展示されている。
パブリックの美術館や企業のコレクションと違い、Tさん独自の眼で選んだものばかりで、名もなくキャリアがなくてもその作品群には独特の風合いがある。
飛びぬけて先を行くものでもなく、過去を掘り起こすものでもなく、今そのものを表現してきた作品群である。
名前だけを揃えたり、海外で評価されたものを収集する事は、お金さえあれば誰にでも出来る事で、自分の感性だけを頼りにこれだけの数を集めていく事はなかなかできるものではない。
個人コレクションはそうあるべきで、何処にも無い、此処だけでしか見ることが出来ない作品に出会うことにその値打ちがある。
Tさんは偶々この土地に先祖伝来から住んでいて、此処にそういう施設が出来るのなら、その土地に何かをお返しする事で先祖の恩に報い、この地域にもお役に立つ事が出来るとの考えで、美術品の寄贈と展示する場所を提供した。
美術だけではなく、音楽の方でもオーケストラの練習場所に困っている音楽家達にその場所を提供したいとの思いもあり、その実現に向かって努力されたが、こちらはスペースの問題もあり断念され、その代わりに同じフロア-に小ホールを設け、そこで多くの演奏会が開かれている。
単なる篤志家という言葉では表すことの出来ない、新宿地区の文化の啓蒙に大きな貢献をしていただいている素晴らしい方である。
これだけの貢献をされているにもかかわらず、物静かで、謙虚で、誠実でいつも変わることなく私達に接してくださる。
今日もお昼前に画廊に来ていただき、喜多敏郎や鈴木旦彦の新作それに手に入れたばかりの難波田史男の作品を見ながら、美術談義に話が弾んだ。
体調がここ数年あまり良くないないのだが、こうして展覧会の度に杖をつきつつも来て下さる事に感謝、感謝。

12月3日

いよいよ師走、暗い世相のままこの一年がまた過ぎてしまうのかと思うと、何ともやるせない気持ちにさせられる。
そうした重苦しい雰囲気を打ち破ろうと、今週からは二つの企画が同時に始まった。
一つが渡辺達正の銅版画展、もう一つ奥のスペースGTIIで桑原弘明のスコープ展である。
渡辺さんとは同い年で30年近くの付き合いだが、彼はすっかり偉くなってしまい、現在は多摩美の教授を務めている。
一昨年久し振りの個展を開催したが、その時は近作も含まれた展示で物足りなさもあったのだが、今回は全て新作、それもカラーによる作品ばかりで、彼の展覧会のなかでも屈指の展覧会になった。
光に揺らぐ水面とその揺らぎの中に漂う魚たちを微妙な色合いの中に表現し、今までの冷たい硬質な画面と違って、暖かで柔らかな世界が見るものの心を癒してくれる。
桑原展は一昨年に続いて2回目の個展だが、既にマニアックなファンがおり、展示を待ちきれずに先に予約をする人、作品を購入するためにお金を貯めて画廊が開く前から待っていた若い人、メールで何度も問い合わせをして買いたい作品を決めて来たにもかかわらず、来るのが夕方になってしまい既に売約済みでがっかりして帰る人など、初日にから大盛況であった。
作品一つ作るのに3ヶ月から半年近くかかるため、価格は50万円前後になるが好きな人にはそれも納得の価格のようである。
手のひらに乗るような小箱、それ自体が真鍮に螺鈿細工がしてあったり、緑青をふかしてあったり、エッチングされていたり実に美しい装飾が施されたオブジェなのだが、その中に人間の手業とは思えない極小の世界が封じ込められている。
箱には小さい顕微鏡のようなスコープが付けられていて、そこから中を覗くとミリ以下の単位で作られた古びた小部屋が再現されていて、同じように箱に付いているいくつかの小窓からペンシルライトで光をあてると、当てる位置で夜の情景や夕日の光、窓から差し込む朝の輝くような光などいくつもの場面が浮かび上がってくる。
私自身が前回の展覧会ですっかり嵌まり込んでしまったが、前回よりさらに進化した作品を見て、この先何処まで行ってしまうのか恐ろしくさえなる。
覗き見ると言う人間の奥底に潜む欲望に極限まで引きずり込まれる桑原イリュージョンが怖い。

12月7日

先日、知人に誘われて神田岩本町にあるオペラサロンに行って来た。
オペラなどとは無縁の私だが、若手音楽家の澄んだ歌声を聞きながら、ワインと食事という趣向である。
こんな所にというより、オペラなるものを食事しながら、飲みながら聴かせてくれる所が私の好奇心をくすぐった。
ビル街の一角にそのサロンはあった。
入ると正面に舞台があり、それを囲むように客席が配置されていて7,80人は入れるのではないだろうか。
知人によると、取って置きの場所、隠れ家的存在で本当は誰にも教えたくないのだそうだ。
他の友人達も開演を待つ間、皆同じようにこんな所があるんですねとキョロキョロと周りを見渡している。
始まってみると何ともいい雰囲気で、肩も凝らずに歌手と客が一体となって楽しむことが出来た。
1、2、3ステージとあって、3時間以上のステージであったが、あっという間に時間が過ぎてしまった。
途中にくじ引きまであって、何と一等のペア招待券まで当たってしまい、次回誰と来ようか迷う所である。
オペラというと、どうしても高い料金と盛装でといった格式ばった感じがしていたが、此処では手軽な料金で、普段着でオペラを楽しむ事が出来て此処のオーナーの心意気が感じられる。
画廊も此処のサロンのように気軽に立ち寄り、美術を楽しく見てもらうようにしなくては。

12月13日

東急の文化村ギャラリーで昨日から明かりのオブジェの作品をならべた展覧会が始まった。
私のところからも木村繁之のテラコッタの明かりの作品を10点出させて頂いた。
何故か昔から焚き火が好きで、消えそうで消えない残り火をいつまでも見続けていたものである。
暖炉の火、ランプの炎、窓辺からかすかに見える家の灯り等、心を振るわせる何かがある。
そんな訳で明かりを使った作品にはすぐに飛びついてしまい、自分のコレクションの多くもそうした作品が中心となっている。
木村さんは木版画を主に制作しているのだが、傍らテラコッタによる小オブジェの制作もしており、その過程で明かりのオブジェが出来てくるのだが、これにはすっかり虜になってしまった。
テラコッタの薄紅色の肌に微かに映る明かりの色合いが、心に余韻となって残る。
先日は、松明堂画廊でテラコッタによる燭台を発表して好評を博した。
従来の豆電球には無い、微かな光の揺らぎが見る人の心を揺さぶったようだ。
来年の6月の私のところの展覧会でもそうした作品を見せてくれるはずである。
文化村ギャラリーの下では、今メトロポリタン美術館展を開催中で、ピカソやモジリアニの名画を見た後に木村さんの作品がどんな反響があるのか楽しみである。

12月16日

日曜日に友人の娘さんで、若手ヴァイオリニストとして活躍中の礒絵里子さんのリサイタルに行ってきた。
彼女はソロ活動とは別に従姉妹の神谷さんと組んで美人デュオのヴァイオリニストとしてCDデビューし話題を呼んでいる。
彼女の演奏テクニックには毎回感心させられるのだが、あの細い腕で、どこにも力をいれずに難しそうな曲をいとも簡単に弾いてしまう。
あまりにあっさりと弾いてしまうので、私のような素人には耳で聴かせるだけではなく、身体で音を表現するようなパフォーマンスがあってもいいように思うのだが。
偶々テレビで見た外国の美人ヴァイオリニストのグループの演奏を見ていて、激しい動きと力強い演奏に思わず引き込まれてしまった事があったが、是非彼女にもエンターティナーとしての要素も身につけて欲しい。
家内に言わせると、それはおじさん的発想でテレビを見ていた時もだいぶ鼻の下が長くなっていたらしい。
クラシックと言うと、私どものお客様でTさんがここ暫くお見えにならない。
Tさんは美術と音楽をこよなく愛し、美術品のコレクションとともにクラシックの演奏を聴くのが楽しみの一つであった。
その趣味のためにはTさんは、無駄なお金は使わないようにずーっと独身を通し、50歳を過ぎてもお勤めである一流企業の会社の独身寮にいて、会社に若い人が煙たがるのでと説得されてようやく退寮したという「つわもの」であった。
ですから楽しみと言っても美術品のコレクションは相当な量で、ご自分の所には置ききれず私の画廊でもかなりの点数をお預かりしているのだが、音楽がこれまた半端ではなく一年になんと400回は各コンサートホールに足を運ぶそうで、これには私も初めて聞いた時は吃驚した。
400回と言うと一年間毎日足を運んでも間に合わない勘定になるが、これは昼と夜の部の掛け持ちとか、休憩時間に抜け出して別のコンサートホールに出かけるからだそうだ。
徹底しているのは家には音響機器やレコード、CDの類が一切無い事である。
これは自分の性格からして美術品のコレクションでも一杯になって家に置ききれないくらいですから、CDまで集めだしたら身の置き場所がなくなるので買わないようにしているのだそうだ。
そんな訳でいつもコンサートに行く前の夕方には必ず画廊に寄って絵を見ていただいていたのだが、どうしたものか突然顔を出されなくなった。
お宅には電話も置いておらず、会社も定年でだいぶ前に退職していて消息が分からず、何度か手紙を出しては連絡をとっているのだが音沙汰が無い。
近いうちにお宅に訪ねてみようと思っているのだが、どうされているのか心配である。
画廊にもお預かりをしている作品がたくさんあるので、もしこのホームページを見られたらTさん連絡ください。

12月18日

今、展覧会中の渡辺達正さんの既に絶版となった30年前から20年前頃の作品のコレクションが出てきて、新作と一緒に展示をしている。
当時の端正で上品な美しさを表現したモノトーンの作品と新作のカラー作品を比べて見るのも今回の楽しみの一つである。

渡辺達正 「台形と静物」
19.7×26.2cm 1977年
渡辺達正 「海草と魚」
22.5×15.2cm

その当時の渡辺さんの作品を多数集めていたSさんが久し振りに訪ねて来られて、何点か購入していただいた。
若手版画家のコレクターとして知られるSさんだが、最近はあまり買っていないそうだ。
と言うのも、3年前くらいから猫を飼いだしたのだが、この猫が私達の商売仇となってしまった。
何と今飼っている猫の数が驚くなかれ44匹、餌代だけで月に10万円かかるらしい。
その他にも砂やらおもちゃやらと猫のためなら何でも買ってしまうとの事。
朝、起きてそれぞれの猫の名前を呼びながら頭を撫でてあげるだけでも一仕事のようだ。
猫の種類もそんじょそこらにいる野良猫ではなく、ペットショップで売られているような由緒正しき猫柄のいい猫ちゃん達なのだが、子供が生まれても可愛くて人にあげられずどんどん増えてしまったとの事。
そう言えば、Sさん久し振りにお会いしてみると、どこか猫の顔に似てきたような気がするのだが。
Sさんは鉄道関係の会社にお勤めなので、そうした事もあってもう一つのコレクションがレールのコレクションである。
古い年代とどこ製と刻印されたレールを集めていて、勿論短く切って置いてあるのだが、既に重さで2トンを超えていて、よく家の床が抜けないものと感心させられる。
夜、家に帰ってから、レールの錆びや塗られたペイントを剥がすのも楽しみの一つと言うから私には分かりません。
版画はそんなに重たくもなく、餌をあげたり頭を撫でる面倒もないのでSさんもっと版画を買ってください。

12月24日

二つの展覧会もたくさんの方にお越しいただき、無事終了した。
特に桑原弘明展は大勢のお客様に一人づつ作品を覗いてもらい、作家やスタッフが中の状況を説明するという大変な作業であったが、皆大変な興味を持っていただき、その反応は凄いもので苦労の甲斐があった。
このように画廊に訪ねていただく事で、新しいお客さとの出会いがあり、作品を求めていただくきっかけにもなるのだが、まだ一度も画廊に寄られた事も、またお訪ねもした事もないにもかかわらず、たくさんの作品を買っていただいている方がいる。
和歌山におられるN氏と言う方で、全て電話と手紙だけのやりとりで作品を決めていただいていて、お顔を拝見したこともなく、どんなお仕事をしているかも知らず、ただお互いに声を聞いているだけの関係である。
私どもでは舟山一男の大作を中心にコレクションしていただいているのだが、
父との不仲による家族の中での疎外感や絶望感といった少年期の記憶、その父が死後残していった一点の親子馬の絵に出会うことで、初めて父の愛情を感じ、N氏のコレクションが始まった。
ビュッフェの初期作品、ルオー、コルビィッツ、ホルスト・ヤンセン、平野遼など、ペーソス溢れる自画像や道化師、母子像を数多く集めていて、こうした人物像の中に過去をだぶらせ、自分探しをしているのだろう。

会ってもいないのに、やけに詳しいと言われてしまいそうだが、実はこの事はN氏コレクション展のカタログで初めて知った事である。
このカタログと言うのがまた驚きで、N氏はなんと購入した作品を片っ端からあちこちの美術館に寄付してしまうのである。
その一つに福岡市美術館があり、1999年10月N氏から寄贈された1148点の作品によるコレクション展が開催された。
その折に送られてきた280ページにも及ぶ立派なカタログの序文に先のような事が書かれていたのである。
N氏と同じような境遇や不幸を背負った人たちが人生に深く落ち込んでいる時に、静かな音楽を聴いて心を安らげるように、作品に出会って安らぎを覚えてくれればとの思いで寄贈を続けているのだそうである。
人それぞれに色々な生き方があるが、自分の辛かった過去を共有する人たちにこうした形で励ましを与えようとされるNさんに敬意を表したい。
このカタログにもNさんの希望で履歴については控えたいとの希望があったようで、私もその人となりは集められた作品から推し量るしかない。

12月28日

今日で今年も仕事納め。
今までにない厳しい一年のような気がしています。
それでも何とか無事正月を迎えられるのも皆様のお陰と感謝しております。
この10月から恥ずかしげもなくギャラリー日記のようなものを書き始めてしまい、世間様にはご迷惑をかけているようで申し訳なく思っているのですが、これも一つの試練と思っていただき寛容なお気持ちでお読みいただければ幸いであります。
京橋に新たにギャラリー椿を開廊して今年で丁度20年目を迎え、節目の年として今まで支えていただいたコレクターの方や作家の方々、友人達のことを感謝の意味も込めて書き記してみようかなと思ったのがきっかけですが、あの人の事、この人の事と思い巡らせて行くとたくさんの人との出会いがあり、その方たちがいたらない私を導きここまで来る事が出来たということをあらためて実感いたしました。
これからも拙い文章ではありますが、こうしたご縁のあった方たちのことを日記を通して紹介していきたいと思っております。
HPの最初のページに出てくる私どものロゴマークであります羊がなんと縁起のいいことに来年の干支にあたります。
羊は美の神だそうで美という漢字の上の部分は羊という字からなっています。
来年の2月に展覧会を予定している望月通陽さんが開廊の時に、美の神である羊が苗木を育てると言う意味で贈ってくれたものです。
それから20年が経ち、私を含め若い作家達を美の神が此処まで育て上げてくれました。
まだまだ大樹にはなっていませんが、来年の干支である美の神の羊が少しでも私たちを大きな木にしてくれるように祈りつつ、よき年を迎えたいと思います。
皆様もどうぞ良い年をお迎えください。

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