ギャラリー日記 Diary

バックナンバー(2003年後半)

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7月5日

 オリエント美術を専門に扱うHさんがオペラの招待券を持って来てくださった。
今日と明日、二日間にわたり世界各地から優秀な受講生が集まり、スイス・バーゼル市にあるメセナ・ファウンデーション主催によるオペラマスタークラスの公開リハーサルとコンサートが開かれるのだが、Hさんは以前から中国の若いオペラ歌手の育成のサポートをしていて、今回のプログラムの実行委員長でもある。
この一ヶ月間信州松原高原でレッスンを積み、その成果を見せてくれるのだが、今までのマスタークラスからもヨーロッパの舞台で活躍をしたり、ブロードウェイのミュージカルで主役を射止めたりと優秀な人材を送り出しているプログラムなのだそうである。
Hさんは美術商としても素晴らしい仕事をしていて、滋賀県にある有名な宗教法人が持つオリエント美術を中心としたコレクションの重要作品の大部分を納めていて、作品探しで一年の殆んどを海外で暮らしている方なのだが、帰国すると私の画廊に立ち寄っては若い作家の作品を購入してくれる。
その買い方も凄くて、一度に10数点をまとめ買いをしてくれる画廊にとっては大切なお客様の一人である。
オペラ歌手の育成同様に、若い作家の作品を買う事で作家支援をしてくれているのだろう。
同じ美術商なのにどうしてこんなにもスケールが違うのかといつも考えさせられてしまうのだが、せめてHさんに負けないように若い作家のマスタースクールに私の画廊がなれればと思って頑張るしかない。

7月9日

山口県の徳山近郊の市が合併し、新たに周南市が誕生したが、その記念に名称も新たになった周南市美術館で「あるサラリーマン・コレクションの軌跡」と題した展覧会が開かれる事になった。
私どもとは30年を超えるお付き合いのあるSさんのコレクションである。
Sさんは既に定年退職をしているが、これまで約40年にわたり大手銀行に勤める傍ら独自の感性で数多くの美術品を集めてきた。
同時に近、現代美術の膨大な資料を収集、整理をして自宅で公開するなど美術館でもできないような地道な美術普及活動をされてきた。
周南市とは何のゆかりも無いSさんだが、そこの美術館の学芸員がSさんのこうした活動にほれ込み、展覧会が実現する事となった。

展覧会パンフレットから紹介文を引用さていただく。

日常生活において、われわれは様様な場面で美術作品に接していますが、特別に意識する事はあまりありません。
ましてや作品収集などは別世界の事と考えがちです。
しかし本展で紹介する作品は全て、1960年代後半より一人のサラリーマンがこつこつと集めたもので、有名無名を問わず、コレクター自身の「こころ」に留まった美術作品のコレクションなのです。
自身の感覚を信じ、ある意味でそれのみを拠り所として、一般的な市民生活において経済的に許す範囲で収集された作品群は、具象抽象を問わず広いジャンルにわたり、著名作家の初期作品や今まで取り上げられる機会のなかった力のある作家など約1000点に及ぶコレクションの中から、99作家134点を紹介することによって、一市民が集めた芸術品という今まで省みられた事のない観点から近、現代日本文化を問い直す企画です。
生活の傍らで作品と出会う瞬間に感じる「美」への共感に思いをはせ、更に一介のサラリーマンが「戦後日本美術」に対してたてた爪痕を感じ取る事で、美術作品を「鑑賞すること」「集めること」に対する先入観が覆されるのは必至なのではないでしょうか。

Sさんはいつも美術品を集めるなら、作家から直接買うな、義理で買うな、画廊を選べ、画廊の良い客になれと言っています。
私たちにとっては大変有難い言葉ですが、要はSさんにとってもそうする事が好きな作品、いい作品に出会うチャンスが多いと言う事なのではないでしょうか。 
一途に集めたコレクションがこうして日の目を見ることは、私たちにとっても励みとなり、ひたむきに名声と無縁に制作を続ける作家達にも大きな自信を与えてくれます。
7月11日から9月21日まで開催されます。
遠い所ですが興味のある方は夏休みを兼ねてお出かけになられたら如何でしょうか。

7月17日

恒例の京橋界隈展をこの19日まで開催していて、私のところはNIKAFや韓国のアートフェアーでも話題になった鈴木のぶひこ展で参加している。
夏の暑い盛りに少しでも多くの人に画廊に来ていただこうと20軒の画廊が参加して始めたイベントで、今年で9回目になる。
前にも書いたがこうしたイベントの効果もあってか、この界隈に多くの画廊が集まるようになった。
暑い盛りといったが、今年は事の他、涼しく且つ梅雨の割には強い雨も降らず、廻って見ていただくにはとても良い気候であった。
お陰で鈴木のぶひこの作品の売れ行きも良好で、天気に感謝しつつも実のところは彼の作品の魅力がおおいに見る人を引きつけてくれたようだ。
ガラスを使ったオブジェなのだが、現代美術にありがちな難しいコンセプトも無く、ガラスの透明感が見る人を魅了し、きれい、可愛いいといった素直な感想をもらす人が多かった。

上のランプの作品のように、生活の中に溶け込んで身近に感じてくれる物もあり、初めて美術品に触れる人にも抵抗がないようで、熱心に見入っていく人が目についた。
金、土、日にはこれまた恒例のオークションが開催され、たくさんの人で賑わった。
この催しは画廊ではなかなか美術品を買いにくい方のために、かなり安い価格を最低価格にして作品を出品し、お客様に値を決めて入札してもらう方式で始めたのだが、今年もかなりの数の作品が落札された。
こうした画廊共催によるイベントとオークションの視察に、5月にお世話になった韓国画廊協会の金会長と新羅ギャラリーの李社長が来日し、各画廊を廻ったり、オークションでもたくさんの作品を落札してくれた。
同時に来年の6月にソウルで開催されるアートフェアーのPRも兼ねており、日本の現代美術の特別展示も決定しているようで、是非とも日本の有力画廊に20軒以上は出展してもらうべく依頼があり、私が日本のコミッション代表という事でお手伝いをさせていただく事になった。
この10月に同じくソウルで版画のアートフェアーKIPAFがあり、私どもで発表をしている武田史子さんが招待される事になっているので、その時に10名ほどの日本の画廊関係者を連れてソウルに行く事になった。
また美味しい食事と親切な人達に会えるのを今から楽しみにしている。

8月19日

画廊の夏休みも終わり、昨日から休み前から開催しているオブジェ展を引き続き再開した。
日記の方も長い夏休みをしてしまい、一ヶ月ぶりの再開である。
展覧会が休みなく続いた事もあったのだが、それよりも画廊にとってこれからの事で心悩ませる事が起きたために、日記どころではなかったというのが本当の所である。
と言うのは、私どもが入居しているビルがこの地区の再開発計画のために建て替えることになり、年内の立ち退きを余儀なくされ、次のスペースを探さなくてはならなくなったからである。
丁度この九月が21年目に入る節目の年にあたり、新たな気持ちでこれから先を頑張っていこうと思っていただけに、途方に暮れてしまった。
20年前にこの地に来た時には、銀座を中心に画廊が建ち並び、この界隈には僅かな数の画廊があるだけだったのが、今や京橋が画廊の中心といっても言いくらい多くの画廊が軒を並べ、私もそうした中で京橋界隈展などの旗振りをしてきただけに、この地に寄せる思いは人一倍強い。
それだけにこの地を離れるのは忍びなく、この近辺で同じようなスペースがあればと探すのだが、帯に短し襷に長しで頃合の場所が見つからず、と言って居座る訳にもいかず、途方に暮れて日記どころではない日々が続いていた。
そうした中、ようやく近くに今の画廊よりは広くてとてもいいスペースが見つかり、現在思案中というところまでこぎつけ、日記も書ける心境になってきた。
とは言え、広い分だけ家賃も高く、この不況の中どうやりくりするか不安で一杯なのだが、節目の年に新たな場所で今一度出直せとの天の声と受け止め、前向きに考えようかと言った心境になりつつある。
まだ交渉中であり、正式にはまだはっきりした事はいえないが、いずれ皆様にお知らせできる日も近いと思っている。
と言う事で、もし新たなスペースに移転する事になれば、心機一転気持ちを新たにギャラリー椿を運営していきますので、どうぞ皆様にも今まで以上のご支援いただきたく宜しくお願い申し上げます。

8月22日

休み明け早々なのにNさんがいつものようにリュック姿で現れた。
Nさんは毎日欠かさず都内の画廊、百貨店、美術館の展覧会を20軒から30軒歩いて見て廻る。
更にNさんは各展覧会での印象を句に託して芳名帳に書き記し、時には即興の舞踏まで披露してくれる。
ある著名な日本画家はNさんの句に感銘を受け、ご自分の個展の折に一点づつにNさんの句をつけて展覧会を開いた事さえある。
私もいつもNさんが来られるとどのような句を書いていかれるかとても楽しみにしている。
一瞬の内に作品の印象をまとめ、平明な言葉で暖かい一句を寄せてくださるのがとてもうれしい。
こう書くと、Nさんはよくある展覧会巡りを楽しみに徹底して見るだけの人に思われがちだが、コレクターとしても2000点にも及ぶコレクションをされていて、私ども画廊にとっては大切なお客様の一人である。
会社を退職後も限られた年金の中からコレクションを続け、この秋には版画芸術にコレクターとして紹介をされる事になった。
丁度、11月に展覧会を予定している小林健二が特集で紹介されるので、あわせてお読みいただければ幸いである。

8月30日

明日で8月も終わり、20年前の9月1日に京橋のこの場所に画廊をオープンしたので、20年前の今ごろは準備で物凄い忙しさだったように記憶している。
ようやく今のビルとの明渡しの契約が終わり、来月には新しいスペースとの契約を迎える事になりほっと一息というところである。
あの頃はまだ年も36歳で希望に燃え、馬力も情熱も人一倍あったのだが、新しいスペースを開くに際し、気合を入れ直してあの頃のような気持ちに立ち返り頑張らなくては。
正式には来年の1月に移転をする事になっていて、それまではこのスペースで従来通りの展覧会をやっていきながら、内装の工事、引越しの準備をしていく予定でいる。
新しいスペースは今の所よりはかなり広いので、今まで出来なかった新しい作家の人達の為の発表の場としても使えるようにしたい。
出来るだけ安い会場費を設定して有望な新人に使ってもらえればいいのだが。
とにかく明日一日で丸20年が終わり、新たな年を迎えるに相応しいいいきっかけが出来たと喜んでいる。
場所も今の所の真向かいのビルの一階で、いいスペースになると思うので、乞うご期待を

9月2日

先月の休み前になるが、京都在住の彫刻家の寺池さんがT先生のお宅に依頼のあった石彫の作品を設置するため上京してきた。
御影石の大きな作品でとても私の手には負えない。
役に立たない私の代わりに京都から後輩の石彫家を一緒に連れて来てくれた。
T先生は前に日記でも紹介したが、自宅をサロンのようにされて数多くのコレクションを飾って楽しんでいる。
特に最近は立体の作品に興味を持たれ、小林健二、鈴木のぶひこ、コイズミアヤ、間島領一など私どもで取り扱っている作家の作品から、若林奮、青木野枝、岡本敦夫などの作品を所狭しと飾っている。
それだけでも羨ましいスペースなのだが更にあるアクシデントで展示スペースが広がる事になった。
実は奥様が自宅の階段で足を滑らして大怪我をしてしまい、先生それではと家の中にエレベーターを取り付けることにしたのである。
普通なら手すりでも付けようかと言うところがエレベーターだから、我々庶民とはだいぶ違う。
そのエレベーターを付ける場所が寺池さんの彫刻が置いてある中庭の部分となり、狭くなるのではと表の庭に移す事になった。
一点では寂しいのでもう一つという事になったのだが、いざ出来て見ると中庭のスペースがそれほど狭く感じず、結局元の場所にニ点とも置く事になった。

更に屋上のエレベータースペースにギャラリーまで造ってしまい、奥様の怪我で今まで以上に素晴らしい空間が出来てしまったのである。
中庭とともに雑誌にでも紹介したいほどの羨ましい空間となった。

紺屋の白袴で我が家に帰るとなんともお粗末なスペースで、T先生のような美術に囲まれた生活とは程遠く、作品は売るほどあるのに飾れるスペースは殆んど無い。
私同様に多くのコレクターの方が展示スペースと収納に困っていて、その多くが飾られないまま押入れに眠っているが、T先生のように飾ってもらえば、作品も活かされ、作者にとってもこれほど嬉しい事はない。
今、先生の所には百点の作品が飾られている。

9月9日

8月の冷夏が嘘のように今ごろになって夏の暑さが戻ってきた。
この暑さを和らげるよに涼しげな彫刻が並んでいる。
伊津野雄二さんの2回目の個展が先週から始まった。
楠を素材にした木彫、石膏痕を残したブロンズ、大理石のレリーフ、石灰石に彫られたギリシャ風彫像など、素材を自由に使った彫刻作品がそれぞれ対になって展示されている。

アカデミックな表現なのだが何処にも古さを感じさせないポストモダンと言ってもいいような印象がある。
特に木彫の作品には清潔で上品な雰囲気が醸し出され、見ているだけで優しい気持ちにさせてくれる。
東京都現代美術館や栃木県立美術館を巡回中の船越桂の木彫作品が大変な話題となっているが、
木彫の持つ温かさやリリカルな表情が、この暗い世相を忘れさせてくれるのだろう。
版画の世界でも以前は銅板画の作家達が活躍したが、今や木版画の作家達が人気を集めているのも冷たい精緻さよりも温かさに惹かれる時代なのかもしれない。
伊津野作品の木彫の温もりが、逆にこの暑い夏の中にあっては一服の清涼感を感じさせるのか、暫し佇んでその場を離れない人が多い。
今週いっぱい展示しているので、皆さん涼みに来ませんか。

9月25日

伊津野展が先週末で終了し、作品のお届けにお客様の所へ伺った。
彫刻の大きな作品を買っていただいたのはうれしいのだが、絵と違い重いので一苦労。
運送業者に頼めばいいのだが、これには実は訳がある。
昨年の夏に美術運送業者に大きなブロンズ作品の届けを依頼したところ、その業者は更に飛脚便で知られるS便に下請けに出してしまった。
このS便がお客様の目の前で作品を落して一部が破損してしまったのである。
当然作品はキャンセルになり私のところに戻ってきた。
大きな傷ではないので知り合いの鋳造所で見てもらったら、完全に修復できるとの事であったが、お客様は直っても傷物の娘をもらうわけには行かないとキャンセルの意志は固く、途方に暮れてしまった。
と言うのも、この作品は有名な彫刻家の代表作で、お客様の依頼で所蔵家からお願いをして出していただいたもので、今更修理をして返すわけにもいかず、キャンセルになれば私のところで持たなくてはならず、高額な作品だけに他へすぐに納める所も無く、当然のごとく依頼した運送業者に損害の請求をする事にした。
ところがである、運送業者はその作品の弁償をすれば会社がつぶれてしまうと泣きついてきたのである。
私はS便に頼んだのではなく、そちらに頼んだのだからそちらで解決してくれと言うと、S便は修理代は保険の範囲で出せるが、それ以外のお金は出さないといっているので何とか助けてくれとの一点張りである。
そんな馬鹿な事があるかと、落したために傷物になりキャンセルになったのだから、全額とは言わないまでも逸失利益ぐらい出すのが当たり前だろうと掛け合ったが、約款ではそうなっていると頑として譲らないのだそうだ。
直接S便の担当者と掛け合ったが、埒があかない。
あかないどころか、お詫びの一言も無く、お客様へのお詫びも全くしてないとの事であった。
S便の不注意がこうした結果になったのだが、対応の悪さと無責任さにあきれはてて言葉も出ない。
結局は直接の関係が無いS便とは依頼した業者とで話しをつけてもらうことにし、私は今一度お客様の所へ修理をした作品を持って行き、原価にてお願いをするよう交渉した結果、あなたの責任ではなく、本当に困っておられるようだから、それでいただきましょうとのご返事をいただくことになった。
お客様の好意で何とか決着を見たのだが、運送業者とS便の不誠実さには今でも腹が立っていて、その後、運送業者より分割で若干の補償をしてもらう事になったが、いまだに割り切れない後味の悪さが残る一件であった。
と話しは長くなったが、そういうことで厳しい残暑の中、彫刻を運送業者に頼むのはすっかりこりてしまい、重い彫刻を汗を掻き掻き運ぶ羽目となった。
腰を痛めたらS便治療費出してくれ。

9月27日

彫刻作品の届けで愚痴愚痴と書いたが、届け先で実はとてもうれしい事があった。
大地・春、秋の二点の作品を購入していただいた先がS会という福祉法人で、そこのH理事長に気に入っていただき納める事になった。
S会は群馬県の榛名山麓に広がる自然に囲まれた広大な敷地の中に、幾棟もの老人ホームやケア施設を有し、その壮大さは目を見張るものがある。
H理事長はご両親が設立された特養老人ホームを引き継ぎ、「福祉は文化です。一人一人の人生をその人らしく生かしきること」をモットーに入居者の声を尊重した文化的で芸術性のある環境を作る事に努め、施設を充実されてこられた。
因みに理事長は女性で、女性ならではの心配りが施設の随所に感じられるとともに、理事長自体が子供の心と同じ純粋な気持ちを持った素晴らしい方で、以前にも私どもで発表をしている小林裕児先生の挿画による理事長の詩集を読ませていただき感激した事がある。
小林先生との縁も、S会の近くにある私設美術館での個展の折に作品に出会い、2メーターを超す大作を購入した事から始まる。
理事長の案内でオリジナルのステンドグラスに彩られた教会や、各ホールに展示される美術品を見せていただいた。
その中で特に驚いたのは、小学生の手造りのオルガンが教会に置かれていたことである。
榛名湖で林間学校に来ていた生徒達の音楽会を偶々聴きに行った理事長が、そこで目にしたオルガンが子供達の手作りによるものと聞き、是非分けて欲しいと依頼したところ、翌年新たに子供達が作ったオルガンを校長先生が寄付してくれたのだそうである。
形と言い音色と言い、子供達の手によるものとは思えない美しいオルガンであった。
ところで運んで来た彫刻の置き場所なのだが、これは今ある施設に置くのではなく、二年先にできる新たなスペースに置くとの事で、一緒に案内していただいた設計の先生に作品に見合った空間を作っていただき、彫刻台もそれに相応しいものを先生がデザインするのだそうである。
先を見据えたプランに驚くとともに、既にあるスペースに無理して置くのではなく、作品をより活かすためのお考えが、こちらのコンセプトそのものではとあらためて感銘を覚えた。
買っていただいたうれしさ以上に、安住の地を得た作品を届けさせていただいた喜びに腰の痛さも厳しい暑さも吹き飛んでしまった。

10月22日

だいぶ日記をサボってしまいました。
舟山一男展、恒松正敏展と続き、その間にソウルのプリントアートフェアー、福井市美術館で開かれている小林健二展、金沢の開光市アトリエ訪問と休む暇なく日程が重なり、パソコンに向かう余裕がなかった。
それと、それぞれの仕事振りに感動し、元気づけられはするのだが、どうも春あたりから鬱の傾向があるのか、今ひとつそのもらった元気が長続きせず、日記を書く気になれなかった。
これではいけないと頑張ろうと思うのだが、忙しさと不景気とのストレスがどうも心を蝕んでいるようだ。
来月の連休には、久し振りに休みが取れるので暫く行っていなかったバードウォッチングに行く事にしている。
偶々、小松空港からの帰りに、飛行機の中にあった雑誌で、鳥や虫の声を聴く集音マイクが家の近所で売られているのを知り、早速手にいれた。
自然の中で鳥の声に耳を傾けて気晴らしをしてきます。

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