Diary of Gallery TSUBAKI
ギャラリー日記 バックナンバー (2011年10月〜12月)

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12月29日

今年も後僅かとなり、何となく気忙しい毎日が続く。
28日の展覧会を終え、今日は大掃除をして、30日から冬休みに入らせていただく。
今年の画廊での展覧会数はオークションを含めて18回、GTUでは23回の展覧会、海外での展覧会が5回、内外のアートフェアーへの参加が6回とよくぞやったものである。
展覧会の準備から後始末まで終われるような毎日だったが、滞りなく一年の終わりを迎えることが出来た。
スタッフもよく頑張ってくれた。
不況といわれる一年だったが、敢えて忙しくすることで後ろを振り返らず、前に出ることだけを考えた一年だったのかもしれない。
成果が出たものもあり、出なかったものもあるが、どれもが必ず次に続くものであり、来年への大きな糧になると確信している。
今年の冬休みは骨休みと来年への鋭気を養おうと1月9日までの長めの休みをとらせていただくことにした。 来年も展覧会が目白押しだが、先ずはのんびりと正月を過ごしたい。

皆様には今年も大変お世話になり、改めて感謝申し上げます。
来年は日本にとりましても皆様にとりましても幸せな一年になるよう願っております。
どうぞ良い年をお迎えください。

12月28日

戦後生まれの私は物心ついた頃には戦後の混乱期も終わり、高度経済成長の時代を経て世界第2位の経済大国となった日本の中で、恵まれた人生をおくってきたと言っていいだろう。
オイルショック、バブル崩壊、阪神淡路大震災、リーマンショックと、大変な時期もあったが、それでもくじけることなく乗り越えてきた。
そうした時を経て、今を迎えたわけだが、未曽有の災害があり、原発事故と云う不測の事態に直面し、経済と政治の混迷に翻弄され、今まで経験したこともないような最悪の年となってしまった。
大見得を切って政権交代した現政権も結局何も出来ずに事態を更に悪化させ、政局ばかりにうつつをぬかし、全く先に展望が見られない、政治不信もここに極まれりといった体たらくである。
スティーブ・ジョブズ氏のように給料1ドルで会社の再建に立ち向かうような政治家は出てこないのだろうか。
私達が未だかって経験したことのないような国難にあって増税は避けられないが、せめて先頭に立つ政治家が身を切ってこそ、国民の理解が得られるというものである。
離党する政治家も公約に固執するなら、公約実現のための腹案を明確に示し、実現に向けて身を捨てて立ち向かう姿を見せなければ、選挙目当てと見られても仕方がないだろう。
我が世の春を謳歌してきた私達も、身を縮め慎ましく生きる覚悟をしなくては、尊い犠牲となった多くの人達に顔向けできない。
政治家達にもあなた方にはその覚悟があるのかと問いたい。

12月27日

クリスマス三連休も終わり、私のところも明日の展覧会が最終となる。
29日は大掃除のつもりだが、いつもの如く残務整理に追われて、今年の煤を残したままになるのが常である。
その夜は忘年会、美術倶楽部のチャリティー展の折に浅木社長からご馳走になった上野広小路の厳選洋食「さくらい」の料理がとても美味しかったので、ここで打ち上げをしようと思っている。
それまでには、お腹の具合も治さなくてはいけない。
我が家でも、誕生間もない孫の具合が悪くなり、私の腹痛がうつったのではと疑われ、肩身の狭い思いをしている。
幸い病院で見てもらったところ、大したことがないことがわかり、ほっとしているが、赤ん坊に触ろうとすると手をちゃんと洗えとか、顔を近づけるなとか、ばい菌のように扱われている。

12月23日

群馬にある老人介護施設に作品を届けに行ってきた。
伊津野雄二の木彫等数点を何とかクリスマス前に届けたいと思っていたが,ぎりぎり間に合うことが出来た。
ここには既に多くの伊津野作品が展示されていて、クリスマスに相応しいキリスト降誕をテーマにした作品や聖歌隊の作品が入所者の目を和ませる。
キリスト降誕の作品はマリア像や羊飼い、三博士など毎年少しづつ揃えていった作品だが、大きなガラス窓の前に飾られ、ガラス越しにイルミネーションに彩られた庭とその先にある教会のステンドグラスの明かりがいっそう作品を引き立てる。
自然と芸術作品に囲まれた素晴らしい施設で、いずれお世話になるならこうしたところに行きたいものである。

12月22日

ジャカルタから帰ってきてから一週間が経つが、まだお腹が治らない。
最後の日に食べたアイスクリームが良くなかったのかもしれない。
以前にベトナムに行った折にも、同じように最後の日にホテルで食べたアイスクリームにあたって、一ヶ月ほど治らなかったことがあるが、その経験を生かせず、性懲りもなくまたアイスクリームを食べた罰が当たったようだ。
甘党禁断症状が出てしまい、こんなざまとなってしまったが、体力も落ちてきて、抵抗力もなくなっていたのかもしれない。
偶々昨日電話で話した大阪の画廊のYさんも、先日のテグアートフェアーの後にお腹をやられてしまい、一ヶ月たっても治らず、7キロ痩せたという。
何があたったかはわからないが、タフガイで知られるYさんでさえそうなるのだから、虚弱体質の私のようなものは、海外での食べ物、飲み物には余程気をつけなくてはいけない。

12月20日

新たに始まる釜山でのアートフェアー「ARTSHOW/BUSAN」の説明会が開かれた。
KIAFの事務局長を5年勤め、現在は中央日報のアートディレクターのチョンさんが今回のアートフェアーのチーフディレクターとして来日した。
10数軒の画廊が説明会に参加したが、大きな発展を遂げている釜山市でのフェアーだけにその期待は大きい。
釜山国際映画祭、釜山ビエンナーレなど積極的な文化支援をする釜山市や国がスポンサーとなり、文化に関心を持つ企業を中心にART・SHOW・BUSAN株式会社を設立し、そこがコミッティーとなり、新たに増設されるコンベンションセンターのこけら落としにあわせて、6月7日より開催される。
参加画廊もKIAFの200画廊とは違い、絞り込んだ韓国とアジアを半々とする70画廊でブース構成をする。
更にビネスに特化し、内外のVIP招待や文化財団や美術館を持つ企業との提携を図り、売り上げに結び付けたいとの意向である。
参加画廊はコミッティーの選考となるので、まずは選ばれることが第一だが、もし通るようだったら、長年親しくさせていただいているチョンさんのためにも、成功に繋がるよう微力ながらお手伝いをしたいと思っている。

12月19日

帰ってくると画廊は大忙しのようで、前週までの綿引展・内林展、開催中の渡辺展・GTUのさらしなまりこ展ともに好評のせいか、お客様の応対に追われている。
金額も手頃なこともあるが、ここしばらくなかったような売れ行きで、帰ってきた私もびっくりしている。
スタッフの一人が独立したことと、私と島田が海外に行っていたこともあり、更には手伝ってくれていた下の娘に子どもができたこともあって、家内共々画廊に出ることが出来ず、人手不足は否めない。
不景気なこともあって、人は増やさないつもりでいたが、これだけ忙しいと人を増やすことも考えなくてはいけない。
アルバイトだが、英語が出来る若い人がいたら自薦、他薦問わず応募していただきたい。
先ずは履歴書を画廊宛に12月29日までに送っていただくとありがたいのだが。

12月16日

ジャカルタでのんびりしてる間に画廊では渡辺達正展が始まり、ソウルでも昨日から浅井飛人と韓国作家の二人展が始まった。
ソウルにはスタッフの島田に行ってもらったが、韓国の大財閥K社がまとめて買ってくれたとの知らせが届いた。
ジャカルタに作品を運び、すぐに帰って前日まで制作しソウルに行ってくれたヒット君の努力が報われる結果となった。
暑いジャカルタから極寒のソウルへ、制作で疲れた身体にはきつかったと思うが、若さでカバーしてくれることだろう。
私の方はさすがに長旅の疲れか、帰る直前からお腹の具合がおかしくなり、今一つ元気が出ない。
最初は年も考えず、香港からジャカルタ、そしてソウルに行くつもりでいたが、止めておいてよかった。
香港からはまだ報告がないが、ジャカルタ・ソウル同様いい知らせが来るといいのだが。

12月15日

今夜半、香港経由で帰国の途に。

空港に行くまではのんびりするつもりでいたが、エドウィンさんがナショナルミュージアムで始まるインドネシアビエンナーレに連れて行ってくれるという。

幸い天気にも恵まれ、朝晩も過ごしやすく、行く前の予想とは大違い。
食事もそれほど辛くなく美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。
タクシーやお店でも英語が通じ、といっても私の英語力だからたいしたことないが、戸惑うこともなくエドウィンさんをはじめみなさんに親切にしてもらい、快適な一週間となった。

アートの質も2年前のシンガポールアートフェアーの頃に比べると相当上がっている。
マーケットもここ数年の5パーセントを超える経済成長率を背景に拡大していて、大きなマーケットになるのは間違いない。

参加したいと思っていたインドネシアのアートフェアーはエドウィンさんの話ではシンガポールに比べるとまだまだのようである。
ただシンガポールでの売り上げの多くはインドネシアの富裕層が占めていて、インドネシアマーケットへの期待は大である。

画廊も展示されている作品は大きなものばかりで、富裕層コレクターのスケールの大きさがうかがえる。
その分格差は大きく、高層ビルの裏側はバラックばかり、裸足で歩く子供達、おんぼろバス、道路網も建設中とはいえ未整備で一日中大混雑と、まだまだ貧困と繁栄が表裏一体となっている。
これまで行ったタイやベトナムと同様に発展するのは間違いないが、こうした格差をどう埋めていくか今後の課題である。

来年秋にはまた私どもの作家とのグループ展を企画したいとの申し出もあり、再び訪ねるのを楽しみにしている。
浅井作品もいつの間にか売れてしまったようだし、安心して帰ることができる。

12月14日

今日はようやく一人でショッピングに。
アンティーククラフトと伝統的なパティックアートのシャツやチーフが並ぶプラザMというところに出かけるが、広過ぎてどこをどう見たらいいのか迷ってしまう。
そこから中心街に出て、インドネシアの美味しい紅茶やコーヒーを購入。
画廊でみなさんにお出しするのでお楽しみに。

夜にはエドウィン画廊の支店がある画廊街でイベントと同時開催の展覧会を開くというのでそのオープニングパーティーに出かける。
各画廊がそれぞれ個展形式で作品を展示し、見ごたえのある作品が並ぶ。
ちょうど京橋界隈みたいなもので大勢の人で賑わう。
イベント会場でも2週間おきにグループ展が開かれ、現代美術の紹介に努めると共に、各フロアーにも立体作品が多く展示されている。
レセプションも盛大で大勢の人が詰め掛ける。
エドウィンさんが挨拶することになり、ここ数日あまりに身近過ぎてそれほどとは思わなかったが、どうやらかなり偉い人のようだ。
レセプションで振舞われた食事もバリ西部の伝統料理でついつい食べ過ぎてしまう。
広いインドネシアでは各地方の名物料理があってそれぞれに美味しい。

12月13日

エドウィンさんの悪友二人と昼間からかなりエキサイティングなところに連れて行かれ、目を白黒。
夜も今までとは打って変わってチャイナタウンの屋台でインドネシア風ラーメンを。
ミンチの肉と汁なしのそばのごくごくシンプルなもので、添えられた青菜のスープも美味しかったが、昼・夜とても一人では来れないところで、これぞジャカルタと言ったところだろうか。
そういえば、ずっと接待漬けでジャカルタに来てからお土産以外まだ一銭も使っていない。

12月12日

今日は朝からエドウィンさんの息子さんの案内で観光とショッピングに。
彼の友人の植民地時代のコロニアル様式の大邸宅や伝統のパティックデザインのブティックなどを廻る。

夜は高校時代の友人の紹介でインドネシアの事業で成功した日本人実業家T氏と夕食。

メディリアンホテルをマンダリンホテルと間違えて待つこと1時間、インドネシア時間と思いきやこれは私のミステーク。
先日の香港と上海ほどの間違いではなかったが。

T氏の席には舞踏家の田中a氏をはじめ数人の日本人が。
T氏と田中氏は今朝まで赤道直下のインドネシアの中央部にあるボルネオ・カリマンタンのジャングルに行って、土着の伝統文化に触れてきたそうだ。
田中氏は世界中の赤道にある文化を掘り起こし、自身の舞踏との融合を考えている。

夕食後、これぞインドネシアという場末のクラブに案内される。
目にしみるほどの紫煙の中を入ると耳をつんざくような演奏と歌声。
それにあわせて体をくねらすように踊るホステス?らしき女性達。
同行した共同通信の記者の話では民謡酒場を淫靡にしたようなところだそうだ。
とはいえイスラムの国、それなりの微妙な節度があるそうだ。
ディープなインドネシアを垣間見て、ホテルに戻る。

12月11日

11時にエドウィンさんがホテルに迎えに来てくれてランチを約束をしたが来たのは12時半。
インドネシア時間だ。

車が止まるたびに物売り物乞いが次々に現れる。
おばさんの物乞いが抱える赤ん坊が哀れ。

レストランのあるビルのゲートでガードマンによるチェックが。
車の中や下、トランクまで開けて調べるという物々しさ。
テロ事件もあって治安も悪いのだろうが、これは大きなビルやホテルでは当たり前のようだ。

昼食後は中心街の巨大ショッピングセンターにあるエドウィンギャラリーの支店に向かう。
ここでは人も荷物もチェックされる。
地下に降りると、広いフロアーの両側に12の画廊が並び、まるでアートフェアー会場のようだ。
オーナー夫妻とマッサージに行った後、自宅での夕食に誘われる。

毎日代わる運転手、家の門番、料理の支度をするメード達。
広いリビング、家の周りを囲むテラス、プール付きの緑に囲まれた庭。
西ジャワの伝統料理に音楽が流れるテラスでのティータイム。
何もかもがセレブで別世界。
昼間見た物乞いや裸足でシャベルカーも使わず手だけを使って道路工事をしている人達とのあまりの隔たりに複雑な思いがする。

12月10日

今日は一日中画廊にいて社長と過ごす。
浅井と一緒で昨日の夕食から昼食、夕方からはマッサージとお世話になりっばなしで申し訳ないくらいである。
食事も美味しく、昨夜ご馳走になった海鮮料理は魚、蟹、海老、スープどれも美味で、すっかり堪能。

マッサージを終えるとものすごいスコール。
そういえば日本で調べた時は毎日雨の予報だったがそんなことはなさそうで、突然こうしたスコールが来るくらいだそうだ。

社長は友人の誕生日に行くとのことでホテルに送ってもらい、ベルボーイにタクシーを呼んで夕食の場所まで送るように頼んでくれていたが、雨と遠くに夜一人で行くのも不安でルームサービスで済ませることにした。

社長は明日も日曜にも関わらず、昼飯を一緒にしようとホテルまで迎えに来てくれるそうだ。
至れり尽くせりで頭下げっぱなしである。

12月9日-2

ものすごいラッシュの中ホテルに到着。

画廊に近いホテルを予約したが中心街よりだいぶ外れていて街というよりは村のようなところにある小さなホテルである。
浅井飛人のグループ展が開かれているエドウィンギャラリーはホテルから歩いて数分のところにあるが、やっと人一人が歩けるくらいの狭い歩道で、それもあちこち掘り返していて、歩いていると車道にはみ出してしまい、次々にやってくるバイクや自動車がよけようともしないので生きた心地がしない。

こんな場所に画廊があるのが不思議だ。
画廊はオーナーが昔住んでいた古いコロニア風の大邸宅を改装したものだが驚くほど広い。
門にはガードマンがいてすぐには入れない。
会場も馬鹿でかく、そこに10人の作家の大きな立体作品が飾られている。
浅井の作品は今までに比べるとかなり大きいのを作ったがそれでも小さくひとまとめにこじんまりと飾られている。

社長室に行くにもいくつもの部屋を通り抜けなくてはいけない。
オーナーは立体が大好きのようで会場以外の部屋や広い中庭に巨大な作品が置かれている。
スタッフも30人ほどいるというから驚く。

社長室には彼のホビーという飛行機用のアルミで作らた自動車や飛行機を模したメカニカルなオブジェが沢山置いてあり、立体作品が好きなのがよくわかる。
コンピューター制御で羽根が動くなどホビーをはるかに超えていて、会場のインドネシア作家の作品よりよほどいい。
彼のアイデアとデザインによるパーツはパソコンで形となり、そのためのスタッフやパーツを作るスタッフが何人もいるから呆れる。

先に行っていた浅井は滞在中、食事から買い物、観光までを社長や家族に面倒をみてもらったようで、まだ一銭も使っていないそうだ。
同じ画廊主としてただただ身を縮めるばかりである。

オープニングも盛大だったようで彼の一番大きな作品も売れ、まずは幸先はいいようだ。

12月9日-1

ジャカルタ到着。
暑い。
香港が珍しく湿気もなく爽やかな気候だったので余計に暑く感じる。
車が凄い。
溢れるように車・車・車。
ボコボコにへこんで錆びだらけのバスにもびっくり。
バスがエンコして乗ってるお客さんがみんなで押している。
三輪車も走ってるし三丁目の夕陽みたいだ。
韓国や香港と比べるとまだまだ発展途上。
それでもアジアらしくて海外に来たっていう感じがする。

12月8日-2

カイスギャラリーは韓国の大手画廊のひとつで韓国で唯一香港に支店を持っている。
上環という繁華街から急坂を登っていくとハリウッド通りに出るが、ここは古美術から現代アートまで多くのギャラリーが軒を並べていてカイスギャラリーもその一角にある。
洒落たレストランやバブなどもあり青山六本木といったところだろうか。
香港にも2、3山本作品を買ってくれた方もいるがどちらにしても初めての個展いい結果が出るといいのだが。

12月8日

昨日と打って変わって大変な1日に。
朝起きてホテルの予約確認書をみてみると2泊を予約したつもりがなんと1泊だけになっていて大慌て。
もう一度フロントで頼むと3倍以上の料金になるという。
スタッフが忙しくしているので自分で予約したのが間違いのもと。
いい部屋と喜んでいたのにとんだことになっしまった。
ネットで取り直した方が安いと言われ、家に電話して予約をいれてもらうことにしたが同じホテルは無理ということで大慌てで荷物を詰め直し別のホテルに移動。
タクシーで向かったがタクシー代を払うのに間違えて300円のところ3000円払ってしまった。
何してんだろう!
運転手は何にもいわなかったがトランクを後ろから出す時手を挟んでかなり痛そうにしていたので罰が当たったに違いない。
更に悪いことは続く。
スタッフから連絡してもらい会う約束をした画廊を訪ねたがその住所には違う会社が。
先方から時間を指定していたのにおかしいと思ったらどうやらとんだ勘違い。
香港は場所を移転していて本店のある上海で先方は会うつもりでいたみたい。
朝飯も食べないままにすでに昼過ぎ。
どっと疲れが出てきた。
これから始まる山本麻友香展のオープニングパーティーが何事もなければいいのだが。

12月7日

香港到着。
暑くもなく寒くもなく程よい気候。
ホテル行きのシャトルバスを聞くと乗り場まで案内してくれる。
これは旅行者には有り難い。
ネットで安いホテルを予約したので不安だったが豪華なホテルで部屋も驚くほど広い。
3人は寝れるのではと思えるほどの大きなベッドにシングルベッドまでついている。
一人で泊まるのはもったいない。
ホテルの近くの地下鉄で山本麻友香の個展が開かれるカイスギャラリーに向かう。
改札口に土産の紙袋を忘れ途中で気がついて引き返すとなんとそのままあるではないか。
前回は同じ地下鉄の改札口で財布をなくし大騒ぎしたが香港捨てたもんじゃありありません。
駅からは地図を片手に駅から歩いて行くことにしたが登り坂ばかりで汗だくになって到着。
ちょうど展示中で忙しくしているので持って行った作品をおいて早々に退散。
ホテル近くで食事をしたあと足ツボマッサージに。
地下鉄も食事もマッサージも驚くほど安い。
いい1日でした。

12月6日

香港山本麻友香個展・ジャカルタ浅井飛人グループ展で10日ほど海外出張。
天気予報を見てみるとジャカルタは毎日30度を超す暑さ。
その上毎日雨だそうだ。
からだ壊さないように行ってきます。

12月3日

今日も氷雨。

出産間近の娘が家内と散歩がてら、明治神宮の内苑にあるパワースポットで知られる「清正の井」に行って写真を撮ってきた。
前にもブログで書いたが、ここの写真を携帯の待ち受けにすると幸運をもたらすということで、毎日朝から行列が出来る。
娘も安産を願って待ち受け写真にしたが、旦那にもお裾分けで送ったところ、早速に仕事で3件の契約が成立したという。
霊験あらたか、私の携帯にも写真を送ってもらい、画廊で何か良い事ないかと手ぐすね引いて待っている。
帰りにはジャンボ宝くじも買って帰ろうと思うが、あまり欲張りすぎると娘の運まで使ってしまいそうなので程ほどにしないと。
予定日を過ぎてしまい、家族みんなで気を揉んでいるが、先ずは「清正の井」のご利益で元気な赤ちゃんが生まれることを祈る。

12月2日

今日は一段と寒い。
外を歩いていても冷蔵庫にいるようで、いきなりの寒さはさすがにきつい。

釜山、香港、台湾とフェアーの案内が届く。
5月に香港の大きなフェアーにあわせて、二つホテルフェアーが開催される。
その直前には台北のホテルフェアー、翌月に釜山のフェアーと続き、同じ5月には京都のホテルと国際会議場の2箇所を使ったフェアーもあって、全部出てたら画廊は要らない。
釜山の担当者が今月20日にやってきて、昼食を食べながらフェアーの要綱を伝えたいとのこと。
関心のある画廊さんは私共に連絡を。

12月1日

今までの暖かさが一変。
12月を迎えるとともに、冬が一気にやってきた。
毎朝出かける代々木公園の木々もようやく色づいてきたのに、この寒さで紅葉を愛でるまもなく散ってしまうのでは。

来週半ばから10日間ほど香港の山本麻友香個展、ジャカルタでの浅井飛人展があって出かけるが、香港はまだしもジャカルタは毎日30度を越す暑さのようだ。
同じ頃にソウルでも浅井飛人と韓国作家の二人展があるが、こちらはスタッフの島田に行ってもらうことにした。
そうでなければ、30度の真夏のジャカルタから零下のソウルに直行しなくてはならないところであった。
初めて行くジャカルタでは、偶々高校時代の友人が長い間大手企業の駐在員としてジャカルタにいたこともあって、向こうで活躍をしている日本人の方を紹介してもらうことになっている。
ジャカルタの日本人のボス的存在の人のようで、大変心強く、この人を介してインドネシアでの新たなアートビジネスの機会を作ることができればと楽しみにしている。
香港も2月にはホテルフェアーに参加する予定で、山本麻友香の個展が香港市場の広がりにつなげられるといいのだが。
老骨に鞭打って行ってきます。

11月30日

維新の会が圧勝。 橋下徹の改革路線に大阪府民が期待した結果となった。
大いにやって欲しいが、市の美術館計画にも待ったがかけられそうな気配が気になる。
無駄を省くことはいいことだが、文化も無駄と切り捨ててしまったら、その先見性を疑う。
東京と大阪の日本の中心に世界に冠たる美術館を持つことがどれほどの経済効果を生むかを知ってほしい。
今後の動向を見守りたい。

11月29日

昨日の5時から上野の西洋美術館で先般開催された「東日本大震災復興チャリティーオークション・今日の美術展」の報告と感謝状の授与式が行われた。
売り上げ総額145百万円からカタログ代、額縁代、設営費その他の諸経費を除いた127百万円が被災地域の美術館の美術品及び展示施設の修復・修理、展覧会及び教育活動への支援に使われる。
被害が甚大な所は石巻文化センターと陸前高田市立博物館で津波によって作品と施設が多大な被害を被った。
石巻では近くにあったパルプ工場のパルプが溶けてどろどろになった海水をかぶったため、その復元には相当な時間と手間がかかるようだ。
陸前高田市では施設、作品だけでなく、学芸員が数名津波の犠牲になった。
現在、作品は洗浄や防カビ・乾燥などの応急措置を施し、宮城県立美術館、岩手県立美術館、東北芸術工科大学、西洋美術館、東京藝術大学などに作品を移動してある。
以上のような報告があったが、全国美術館会議が主体となって今後も支援活動を続けていくという。

11月28日

先月の横田尚展の折に偶々ガイドブックを見て画廊にやってきたフランス人のミシェル夫妻から彼女の作品を買いたいとのメールが届いた。
熱心に彼女の作品を見ていて、案内状の大作を欲しそうにしていたのだが、そのまま連絡がなく、偶々やってきた人が買うはずもないと思っていただけにうれしい知らせである。
彼女の作品は私共の個展が終わってすぐに高崎にあるNTTのホールでも一週間展示され、そこでも何人か彼女の作品が欲しい人がいて、私共に連絡をいただいた。
個展の最中には中々成果が上げられなかったのだが、頑張って発表することで必ず出会いというものがあり、後に続くことを実感させられた。
ミシェル夫妻は差し上げたチケットでオペラシティーの寺田コレクションも見に行ったようで、山本麻友香の作品もすごく良かったとのメールもいただいた。

11月26日

23日の休みの日にロータリーの仲間の一人である吉岡博光東京女子医大理事長の叙勲のお祝いの会があった。
総理大臣などがもらう大勲位菊花章等に続く旭日重光章という研究・教育に多大な功績をもたらした人に与えられる勲章だそうで、 大変名誉あるものだそうだ。
東京女子医大は東洋医学をいち早く取り入れたり、早稲田大学理工学部と提携して先端医療の開発に取り組むなど、新旧医療の両面から医学の発展に業績を上げている。
また他大学から優秀な先生達を誘致することでも知られ、我がクラブの面々もそうした先生達のお世話になった方も多い。
我がクラブには、他にも脳外科・心臓外科・消化器外科・内科・産婦人科などの名医もいて、万が一の時にも安心していられる。
お医者さんだけではなく、弁護士、会計士、司法書士、設計士など多士済々で、何かあれば相談できる仲間がいるのも心強い。
最後の面倒を見てくれるお坊さんも二人いて、ゆりかごから墓場までではないが、公私共にお世話になる人が多いのが何よりで、入会して35年になるがこのクラブに在籍している有難さをつくづくと感じる。

11月25日

明日から綿引明浩、内林武史の個展が始まる。
二人とも街のクリスマスイルミネーションに合わせるかのように、明るくは楽しく、心踊る作品が並ぶ。

綿引は色とりどりの等身大の人物が初お目見え。
それを囲むように数えきらないくらいの小さな作品が並び、綿引ワールド全開である。
どこか不気味で、どこかユーモラスな幻影詩人達・・・様々な衣装と様々な仕草で皆様をお迎えする。

内林はコンクリート製のアルファベットにかたどられた文字が言葉となって見るものに迫る。
こちらはカラフルな綿引と違ってモノトーンの世界。
その対比も是非見ていただきたい。

11月24日

来年6月に新たに釜山アートフェアーが開催される。
KIAFの事務局長を長年務めた後、中央日報新聞社のアートディレクターとなったJeong Jyong Hyoさんが企画したものである。
彼はこの春に限定された画廊の出展と限定されたお客様だけのアートフェアー「ギャラリーソウル」を成功させ、目覚しい発展遂げている釜山で新たなフェアーを立ち上げることになった。
何度か韓国で話を聞く機会があったが、来月改めて日本に来て詳しい話をしたいとのメールが来た。
その折、関心のありそうな画廊を15軒集めてくれないだろうかとのことであったが、あまりに急な話なので、もう少し話を詰めてからにして欲しい旨を伝えた。
韓国の人はいきなりということが多く戸惑うことが多いが、新たな市場の展開を考えていることもあり、協力したいと思っている。

11月21日

土曜日に大学のクラス会が開かれた。
法学部政治学科J組の面々が集まり、担任であった池井優・慶應義塾大学名誉教授にもお越しいただき、お話をうかがうことができた。
池井教授は日本外交史が専門で、日米外交について学ばせていただいた微かな記憶がある。
というのも、この時期は大学紛争が激しく、三田校舎もバリケード封鎖をされ、大学の中枢であった塾監局が全共闘によって占拠され、勉強どころの騒ぎではなかった。
我がクラスの一人もこのグループにいて活動していたが、試験になるとヘルメット・覆面を脱ぎ教室に戻ってくるという情けない男で、卒業後は麻雀のプロとしてテレビなどでも活躍した。
とは言え、殆どは外部からの活動家で、先生がこの当時の話を学生にすると、一応に慶應でもそんなことがあったのかと驚くそうだ。
そして殆どが外からの外人部隊だと言うと、大学にも外国の兵隊が来ていたのかと言われたそうで、時代も変わったものである。
池井教授は専門とは別に野球、とりわけアメリカ大リーグ事情に詳しく、テレビなどでもよくお顔を拝見している。
既に後期高齢者の仲間入りをしているが、当時と少しも変わらず、若々しさを保っている。
その秘訣は、四つの「かく」だそうだ。
汗をかく。
物を書く。
恥をかく。
未来を描く。
運動をし、読み書きをし、体裁にこだわらず思ったことをやり、過去を振り返らず前を見ろということであった。
更に義理を欠いて、寒い日の葬式など出なければ、益々元気で長生きできるそうだ。

11月17日

テグからスタッフも帰ってきて一段落。
今回、カードなら買うといってくれた方が二組いたそうだが、残念ながらその対応ができていなくて、折角のビジネスチャンスを逃してしまったそうだ。
以前に持ち運びできるカードのプリンターみたいな機械を持っていっていたのだが、認証の確認を電話でしなくてはならず、面倒で止めてしまった。
次回のフェアーからは必携にしなくては。
フェアーの必需品は色々あるが、台北に持っていった脚立は各画廊から引っ張りだこになった。
みんなそんなかさばるものは荷物に入れないのだが、このときは展示要員が女性ばかりということもあって、無理して持っていったら大人気。
電動ドリルも必携の一つだが、以前にスタッフが手荷物で持っていったら空港で没収されてしまった。
このドリルも性能のいいのを持っていかないと、途中で充電切れになることが多く、作業が中断してしまう。
ノートパソコンも欠かせないが、今回は調子が悪く、他の方から借りて何とか間に合わせたが、これが動かないと手足をもぎ取られたも同然となる。
アイパッドなども作品資料を見せるにはいいが、このあたりになると使い方がわからなくなるので、未だに購入していない。
赤外線で壁に水平に線引きが出来るのがあって、これも展示には便利そうだが、使っている人を見ているとそれほどスムーズには使いこなしていないように見える。
とかく便利なものはたくさんあるが、使いこなせなければ荷物になるだけで、この辺が海外の荷物の難しいところである。

11月16日

テグのフェアーも終了。 KIAFに続きこちらも厳しい結果となった。
日本の画廊も11軒が出展したが、どこも数字は上げられなかったようだ。
私のところもKIAFと違って、費用が少なくてすむので、何とかトントンといったところだが、やはり円高ウォン安の影響は大きい。
それでも、主催者の気遣いは素晴らしく、多くの日本の画廊が来年も参加したいと言っていた。
大阪、京都などの画廊は大阪南港から釜山までフェリーでやってきた。
時間は10数時間かかるが、往復で1万2千円、荷物も5軒分400キロを運んで2万円と破格の値段と聞いて驚いた。
もっとも飛行機もエアー釜山というのに乗るとサーチャージを含めて2万円だから、荷物がなければこれで行くのが一番安い。
会場前のホテル代も主催者負担、通訳の若者が展示から片付け、その上営業までやってくれるが、これもボランティア。
そんなわけで、皆さん費用はたいしてかからず、毎晩のご馳走攻めを考えると、来年又出たいというのもわかる気がする。
帰りも若いスタッフが朝早くにもかかわらず、タクシーでリムジンバス乗り場まで送ってくれ、リムジンバス代も大した金額ではないが出してくれるという気の遣いようで、本当に頭が下がる。
来年は台北のフェアーが11月にずれ込むことになっていて、テグと時期が重なり悩むところだが、これだけしてもらうと私のところも出ないわけには行かない。
さてどうやってスケジュールを調整したらいいだろうか。

11月11日

朝から雨。
気温も低く、どうやら一日冷たい雨が降り続くようだ。
ここ数日喉が痛く、こじらせないように気をつけなくていけない。

アメリカからホットなニュースが飛び込んできた。
東日本大震災の被災者支援のため、村上隆が呼びかけ、奈良美智・ジェフクーン等の現代美術作家が提供した作品のオークションがニューヨークのクリスティーズで行われ、予想を遥かに超え、21作品が約6億8千万円で落札されたという。
競売開始にあたり、同じ支援を続ける俳優の渡辺謙が宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を朗読し、来場者の心を揺り動かしたという。
先日の東京美術倶楽部でのチャリティーオークションも1億5千万円の出来高があったが、こちらは400人、向こうは21人だからその数字に圧倒される。

私のところの義援金の送り先も二転三転して大変遅くなり、皆様に気を揉ませてしまいまことに申し訳ない。
中々私が思うような身近で美術に関わることで支援できるような先がなく、結局美術から離れてしまうが、私が別のところで支援をさせていただいた東北3県の知的障害者施設に送ることにさせていただく。
今月末に売り上げと一部寄付金合わせて4218500円から作家画料と経費1,245,751円を差し引いた2、972,749円に若干補填をさせていただき、合計300万円を送ることにしたので、何とぞ皆様のご理解をいただきたい。
このお金は知的障害者福祉協会を通じて、施設が倒壊したところの復旧、復興の一助に充てられることになる。

11月10日

ロータリーの仲間のアフラックの最高顧問大竹美喜氏から中山恭子参議院議員の著書「国思い夢紡ぎ」が送られてきた。

一昨日、偶々日本の文化度の低さについて二人で話したばかりで、その折に安部、福田、麻生内閣で総理大臣補佐官・拉致問題担当を務め、氏が後援会副会長をしている中山恭子議員が、この国難に際し「文化のプラットホームとしての日本」という構想を持っていることを教えていただいた。

彼女は2008年に国際文化交流を課題とする「日本文化による国際貢献を考える研究会」を設立し、日本が世界に貢献していくためには経済力だけではなく、日本文化の持つ共生、調和の力を生かしていく必要性を説き、日本の文化力を世界にもっと理解してもらおうとの趣旨を発表した。
2010年には世界中の文化が輝き、溢れ、交流する「場」を目指して「文化のプラットホームとしての日本」と題する政策提言をし、21世紀における日本がどのような国として、この地球上にあり続けようとするのか、「文化のプラットホーム」をキーワードに、日本のとるべき道、目指すべき姿を提言している。

著書の中でも、この苦難の時、最も頼れる力となるのが、日本が古来培ってきた文化、風土です。
日本の文化の持つ底力を改めて認識し、本来の日本の姿を取り戻すことが求められています。
そうすることが、日本が文化を軸にして、平和を維持し、国際社会の信頼と尊敬を得る道に繋がりますと書いている。

まさに私が言い続けてきたことで、先の超党派による文化推進議員連盟とともに是非声を大にして、わが国を導いていただきたい。

11月9日

恒例のアーティストカレンダーを制作中。
今回は浅井飛人の作品を紹介する。
ご希望の方は画廊宛お申し込みを。

11月8日

明日からテグのアートフェアーが始まる。
今日は釜山のお客様の家で浅井飛人の作品を並べてホームパーティーを開かれることになっていて、昨日の夜にスタッフの諸田と浅井が釜山に向かった。
作家の飛行機代と二人の他に通訳の宿泊もお客様のゲストハウスに用意されていて、至れり尽くせりである。
その上、友人達を呼んでプレセールまでしてくれるというから、何とお礼を言っていいのやら。
いい結果が出て、明日からのフェアーに繋がってくれるといいのだが。

  11月7日A

先日のウルトラは多くの方が詰め掛け賑わったようだ。
私も日曜日にのぞかせて貰ったが、熱心に作品を見ている方が多く、このフェアーも定着をしてきたようだ。
赤印もいくつかついているようだが、出展者の方の話だと10万円を超えるとなかなか厳しく、この現実に心がへこんでしまうといった声も聞こえた。
確かに2,3万円のものが売れているようで、名古屋のフェアーも同じような結果で、こうした現状だとコンテンポラリーアートを扱うには相当な数を売らないと経費も出てこないことになる。

デフレスパイラルの渦にコンテンポラリーを扱う画廊や作家が飲み込まれていくようで、果たしてこれでいいのかと思ってしまう。
版画が売れない要因もオリジナルのものと価格がさして変わらない事があげられる。
確かに安いことは裾野を広げるにはいいことなのだが、これが業界の発展に繋がっていくのかは難しいところである。
版画が売れていた時代には、展覧会を開けばそこそこの点数が売れ、更には複数あるため展覧会を巡回したり、アフターセールで相当な点数が消化され、それなりに採算があっていた。
作家も多くの場で発表することで知名度も上がり、スター作家が生まれ、多くのファンを獲得することが出来た。
こうした版画市場の活況がコレクターの裾野は大いに広げたものである。
私のところも売り上げ金額を競うのではなく、売り上げ点数を増やすことで、多くのお客様を獲得できるとの考えで進めてきており、そうした意味で版画の役割は大きかったように思う。
ところが一点物を売るには版画のように数を売ることが不可能で、そのためコンテンポラリー系の画廊は採算を合わせるために、数多くの作家を次々に紹介していかなくてはならず、あまりに多すぎて名前さえ覚えられないのが現状であり、多くのファンに支えられるようなスター作家が生まれる環境にはない。
もう一つは、一人の作家がはんこで押したような絵をたくさん作って量産を図るか、数多くの展覧会を各地でやるしかなく(もちろん数を作る作家でもそれなりの質を保っている作家もたくさんいるが)、それではマンネリ化・質の低下に結びついてしまう。
ある程度の質と数を保ち、経営を維持しようとすれば、作品の金額をそれなりに保つしか方法が見当たらない。
この辺をどう解決していくか、コンテンポラリー系の画廊の存続に関わる由々しき問題である。
同時に安かろうだけでは健全なコレクター層の形成や作家の育成にも寄与しないように思うのだが。
どちらにしても景気が回復しないことには始まらない。

11月7日

昨日は大学のヨットの仲間達と河口湖でのゴルフコンペ。
私には珍しく雨の予報もはずれ、暑くもなく寒くもない何よりの天気と真っ盛りの紅葉の中、気のおけない仲間達との楽しい一日を満喫した。
先週は小学校のクラスメートとの集まり、再来週は大学のクラス会とゴルフコンペ、12月早々には高校の同級生コンペと昔の仲間と集まる機会が多くなるが、殆どが定年を迎え、話すことも年金や病気、孫の話と年寄りくさい話題ばかりだが、それぞれが元気な顔を見せてくれるのが何よりのことで、時間が取れる限り私も元気な顔を見せようと思っている。

11月5日

リ・ユンボクの個展が始まった。
ブランクーシーの傑作「空間の鳥」が天空から颯爽と地上に舞い降りてきた作品だとすれば、リ・ユンボクの作品は大地から静かに立ち上がることによって生命を得た作品であるとの詩人小川英晴の評にもあるように、今回の作品はそぎ落とされたフォルムが静寂の中に佇む作品が並ぶ。
昨日の展示のときから発表を楽しみにしていたお客様が駆けつけ、何点もの作品が売約となった。
海外の無名の作家を紹介するのは、先の日記にも書いように、たがなかなか難しい現状で、こうして多くの人が見て買ってくれることは、私にとってはこの上ない喜びである。
アートに国境がないことを実感させてくれる。
今日も朝から人が途絶えることがなく、久し振りに画廊に賑わいが戻ってきた。

GTUも以前のスペースで何度か発表した大田マリコの久し振りの個展が始まった。
木版画を多様な表現で発表しているが、今回は木版で刷られた人物を切り抜き、台紙に張る形で発表をしている。
ユーモラスな人物の所作が並び、タイトルと重ねてみると、余計に作品に親密さがます。

11月2日

展覧会の谷間で壁には何も飾ってなく、来る人もない。
それでもスタッフは来週から始まるテグアートフェアーの準備や12月に予定されている香港の山本麻友香個展の写真撮りなどで忙しくしている。
テグは夏に世界陸上が開催され、一昨年もユニバーシアードが開催されるなど、市あげての誘致で国際都市を目指している。
美術も現代美術館が昨年オープンし、市の後援によるアートフェアーもいくつか開催されていて、美術とスポーツで市を活性化しようとしている。
テグのフェアーには7名の日本人作家と3名の韓国人作家を紹介する。
ソウルと比べるとローカル色が強く、レベルもいま一つだが、回を重ねるごとに質も上がり、見ごたえのあるフェアーになってきた。
ブースフィーも格段に安く、他の費用の面でも便宜を図ってもらっていることもあり、私共は積極的に毎年参加していて、少しづつだが成果も上がってきている。
明日はソウルの画廊さんも来ることになっていて、土曜日からはり・ユンボクの個展とここしばらくはハングル語が飛び交うことになる。

11月1日

早いものでもう11月。
とは言え、暑くなったり、寒くなったりの日替わり天気で晩秋の実感がない。
今週土曜日から韓国の彫刻家リ・ユンボクの展覧会が始まるが、既に予約をいただいたり、韓国のお客様が初日に来るとの連絡があったりで、幸先のいいスタートが切れそうだ。
ここしばらくの私のところの展覧会は、平面作品より立体作品に人気が集まる傾向があり、リ・ユンボクの展覧会も期待がもてる。
今年に入って、彼の大作が釜山市の美術館に入ったり、ソウルでの個展も好成績と、ようやく彼の努力が実を結びつつあり、長い間応援をしてきた甲斐があるというものである。

この10年アジアを拠点に日本人作家を紹介し、それなりの成果を挙げてきたが、アジアの作家を日本で紹介し、コレクションに結びつけるのは並大抵ではない。
リ・ウーハンやナムジュン・パイク、蔡国強、アイ・ウエイウエイといった作家達はアジアを代表する作家といっていいが、全て欧米からの評価であって、日本で高く評価されたわけではない。
勿論、リ・ウーハン等は辛抱強く支えてきた日本の画廊があるが、今のような評価は日本発とはいえない。
これは海外作家だけではなく、村上・奈良・草間もそうであり、浮世絵、若冲、蕭白などにも繋がっていく。
日本国内の評価が世界に繋がることは殆どないといっていいだろう。
その大きな要因は、海外の作家に日本人作家と同様な評価を与えるグローバルなマーケットが日本には構築されていないからである。
同じ土俵に上げてこそ、同じ目線でその評価を見極め、国内作家が海外の作家以上の評価を得られれば、それが世界に繋がっていくのではないだろうか。
国内のアートフェアーに海外の画廊が殆ど参加しないのも、クローズされた市場を見越してのことである。
私も少しづつだが、日本人作家とともにアジアの作家も紹介していきたいと思っている。

10月28日A

今日から青山スパイラルガーデンでディレクターズ・アートフェアー「ウルトラ004」が始まる。
3日間づつ2回に分けて、40歳以下のギャラリーディレクターが出展する。
私のところはスタッフの島田が11月1日からの後期で参加するのでよろしく。
更にこれに連動して、青山通りと表参道を結ぶ「青参道」でもアートフェアーが29日から開催される。
このエリアのショップが展示会場となり、27の会場で27人の作家の作品が展示される。
私のところからは、昨年の「ウルトラ」でイタシャの写真でブレークした坂口トモユキの作品が、表参道ヒルズ内の「OSKLEN」の店舗にて展示される。
オタクたちのカスタムカーの写真が青参道のセレブの話題を呼ぶのは間違いない。

10月28日

NEXT・ARTの応募要項を改めてお知らせする。
朝日新聞の企画であり、銀座松屋での展示ということもあって、多くの皆様に知っていただくいい機会なので、奮って応募をしていただきたい。

【募集作品】

アート作品(映像作品、写真は除く)。
… テーマ、ジャンル不問(ただし一点ものに限ります)。
作品は個展、グループ展などで展示されたことのないもので、応募者本人が制作したもの(合作は不可)に限ります。
応募は1 人につき3 点まで。
大きさは平面作品の場合は8 号まで。立体作品の場合は縦横60cm 以内、奥行き30cm 以内。
※絵画などの額装の有無は問いません。ただし作品は、壁画展示または自立展示ができるようにしてください。

【募集対象】

プロの芸術家を目指す、学生および35 歳までの人(申込時点)。
【展示】

朝日新聞東京本社・本館2 階コンコース(2 月4 日〜16 日)
松屋銀座「朝日チャリティー美術展」併設会場(3 月2 日〜5 日・予定)

10月27日

第4回アーティクル賞グランプリ受賞を記念して開かれた中村亮一展を見に行ってきた。
南長崎にあるターナー色彩会社のスペースでの発表ということで、かなり遠い場所にあるが、この夏の韓国のASYAAF展にも選ばれ、ソウルでご一緒させていただいた縁もあって、はるばる出向いた。
行った甲斐があった。
多彩に彩られたごみの山を背景に姉弟なのだろうか、二人が象徴的に佇み、私たちに何かを訴えようとしている図が並ぶ。
東北の被災地とダブって見えてしまうが、制作はそれ以前のもので、それを意図したものではないが、作家のメッセージが見る者に伝わってくる。
貧困なのだろうか、繁栄のなれの果てなのか、汚れきった大地なのか、未来を暗示しているのだろうか、考えさせられる絵である。
商業ベースには乗りにくいが、装飾的なアートが氾濫する中にあって、こうしたメッーセージを込めた絵画はとても新鮮に見える。
日本の美大を中退し、ドイツで勉強したことが、彼の大きな世界観につなっがってきたのだろう。
私たち画廊というよりはもっと大きなステージで活躍をして欲しい。

10月26日

今年春に松屋銀座店で開催された朝日新聞社主催のNEXT ART展の来年度の応募要項が決まった。
次世代のアートを担う若手作家の公募展である。
今年は私も審査に加わったことで、応募作家の中から韓国のASYAAFに推薦をさせていただいたり、来年私共で発表することになった作家もいる。
そんなこともあって、来年度の展覧会も大変楽しみにしている。
応募要項の問い合わせ先を記しておくので、我と思わん方は是非応募してみたらいかがだろうか。

朝日新聞厚生文化事業団
http://www.asahi-welfare.or.jp

10月25日

大学時代のヨット部の後輩が珍しく画廊にやってきた。
政府系銀行から大手商社の役員を経て、現在はブラジルでの鉄鋼関係の仕事をしている。
私もブラジルの子をホームスティーで預かったことがあって、ブラジルの話で盛り上がった。
経済成長は著しいが、リオデジャネイロもサンパウロも治安が悪く、街を歩くのは危険なので、防弾ガラスの車に乗って移動しているそうだ
ホームステイをしていた子もまだリオもサンパウロも行ったことがなく、住んでいる町には4階建て以上の建物はないと言っていた。
まだまだ発展途上といったところなのだろうか。
彼がいた商社の社長、会長を務め、現在経団連の副会長をしている同じヨット部の先輩とも仕事でブラジルに行ったことがあるそうだが、先輩殆ど口を聞いてくれなかったと嘆いていた。
学生時代の序列はいつまでも続くようで、彼のほうがよほど偉くなっているのに、一緒に食べた昼飯の勘定は私が払わなくてはいけない。
出来うれば次はその先輩が画廊に来てくれることを願う。

10月24日

アートフェアーで買っていただいた台湾と韓国のお客様が続けて来日する。
台湾の方には新たなスペースの展示プランを提案することになっていたが、今日から結婚33周年記念ということで日本に来ることになり、直接お目にかかってお話をすることが出来る。
韓国の方もご夫婦で来日することになっていて、11月5日から私共で開催するリ・ユンボク展の初日にあわせて画廊に来られる。
アジアに出るようになって10年になるが、遠かった隣国が身近になり、お客様をはじめ多くの方と知己を得られるようになった。
メディアの報道を見るとまだまだ遠いように思えるが、個々のお付き合いが広がるにつれ、決して民間ではそんな強い思いを抱いていないのがわかる。
EUのようにいつかアジアも一つになれる日が来ればいいと思っている。
TPPの問題も自国の利益を守る保護主義に偏ることなく、将来を見据えた論議をして欲しいものである。

10月22日A

よく調べてみるとfacebookのことはどうやら私が原因のようです。
ろくにわかりもしないのに勝手なところをクリックしたりしたために皆さんに迷惑をかけてしまいました。
私が友達のリクエストをする時に別欄にあるギャラリー椿というところを押してしまうと、送った先に私の画廊に勤務していますかというメールが送られてしまうみたいです。
先程もお客様が来て、私からギャラリー椿に勤めた事がありますかというメールが来たけどどういう意味と聞かれてしまいました。
そんなわけで友達リクエストをさせていただいた方は怪しいメールではないということをご承知おきください。

10月22日

facebookを始めたばかりなのに、私の名前で私の画廊に勤めたことがありますかといったメールが知り合いの方に送られてきたそうだ。
私もその方も全く心当たりがなく、迷惑メールかウイルスなのかわからないが、届いた方にはご迷惑をおかけすることになり、大変申し訳ないことをした。
その方は友達承認をしませんでしたということなので、ひとまず安心したが、他の方にも同じようなメールが行っているのではと心配になる。
取り敢えずfacebookに全く心当たりがない旨を投稿し、パスワードもすぐに変えさせていただいた。
公開をするということはこうした事態も起こることを想定しなくてはならず、迂闊に知らない人の友達承認はしないよう気をつけなくては。

10月21日

私の画廊のビルの大家さんが来られて、現在2階4階が空いているが、是非画廊に入っていただけないだろうかと言って来られた。
一年半後には隣の24階建てのビルが完成し、画廊のGTU側の入り口の前にも地下鉄銀座線からビルを抜けて直接来られる出入り口が出来るそうだ。
既に8割のテナントの入居も決まっていて、一流の企業が入り、その人の数だけでも4000名近くになるという。
更に地下2階と地上2階が店舗になるので、そこにくる人だけでも相当な数になる。
そんな立地条件もあって、飲食やカラオケ、消費者金融等が入居を希望するそうだが、全て断っていて、将来的には全階を使って画廊ビルにするのが理想で、是非協力をして欲しいと頼まれた。
賃料も以前よりはかなり安く設定していて、私も便乗値下げをして欲しいくらいである。
ただ60坪あるので、それだけの広さを使える所があるかが問題だが、二つに分けることも可能のようなので、関心のある画廊やこれから画廊を開こうとする方は是非一度スペースを見に来られたらどうだろうか。

10月20日

大災害に対して芸術は何をなしえるかをテーマに、日中韓の美術ジャーナリストが集まり、横浜でアジア編集者会議が開かれたが、読売新聞の「論点」で菅原教夫編集委員がそのことについて述べている。

災害に関する各国の作品が紹介され、会議を通じて中国、韓国とも人的災害の大きさを強調したのが印象的であった。
四川大地震の折に隠蔽を図った行政当局に対し、抗議活動をして拘束された中国を代表するアーティストのアイ・ウェイウェイ氏、「記録し、告発するだけでなく、大災害を警告、防ぐことにも芸術は取り組むべき」と韓国国立現代美術館が企画し、金守子さんが手がけた原発発電所近くに大型スクリーンを設置し、氷河や活火山といった大自然を映し出して、自然への覚醒をうながし科学文明への戒めを喚起する事例などが紹介された。
ただ、平和と繁栄の道を歩んできた日本の若い芸術家の間から、今回の大災害に発する言葉さえ見つからないとの声を聞くにつけ、日本の芸術も現実を直視し、社会問題と格闘する手法をもっと鍛える必要があると痛感する。

私も同感で、チャリティーイベントなどとは別にして、こうした時期にこそ芸術家達は芸術の役割を心に問うべき時ではないだろうか。

10月19日

「寺田コレクションの若手作家たち」を見に行ってきた。 4階の会場を入ると、メーンの壁面に山本麻友香の大作9点と版画が2点展示されている。
久し振りに私も作品を見るのだが、こうして一堂に並ぶのを見るのは感慨深い。
次の部屋には服部知佳の油彩、コイズミアヤの立体が他の若手作家と共に並ぶ。
他の作家で目を引かれるのは時松はるなの大きな紙にマーカーで書かれた「ブラボー」という作品で、観客として見つめる視線を逆に対象とされる側から描いた作品で、その発想と共になんのてらいもなく素直に描かれた画面に新鮮さを感じた。
3階の「東京ファッションの現在形」は洋服の展示ということで高をくくっていたが、いざ見てみるとアート的な表現とそれを際立てる会場構成に目を奪われた。
ジャンルが違っても根底にあるものに違いがないことを教えてくれた。
森美術館で開催されている「メタボリズムの未来都市展」も、今回の災害に重なることでも意義深い展覧会になるが、戦後日本の復興の夢とビジョンを目指した気鋭の建築家達の軌跡を辿るということで、これもジャンルは違うが興味深い展覧会である。

10月18日

今日から12月25日まで東京オペラシティーアートギャラリーで 「寺田コレクションの若手作家たち」が開催される。
1960年代半ば以降生まれの作家による作品を中心に紹介するもので、私どもの扱い作家・山本麻友香の9点をはじめ服部知佳、コイズミアヤから伊庭靖子、川島秀明、入江明日香等若手作家が多数展示される。

以下詳細は美術館の案内から


若い感性へのまなざし 寺田コレクションの若手作家たち
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本展は当館収蔵の寺田コレクションの中からおおむね1960年代半ば以降に生まれた作家たち、とりわけ2000年代に入って活躍するようになった作家たちを中心に紹介します。
寺田小太郎氏は、「日本的なるもの」とは何か、という問いを根底におきながら、「東洋的抽象」、「ブラック&ホワイト」、「幻想美術」などを主たるテーマに蒐集活動を進めてきましたが、若手作家の新しい感性にもひろく熱いまなざしを送っているのです。
現代の若々しい感性と寺田氏の審美眼がいかに交錯しているのか、またそこで現代美術のどのような局面が浮かびあがってくるのか、興味はつきません。
もちろん美術の今日的状況は混沌としていて「いま」という時代を包括しうる明確な動向や傾向を指摘することは難しくなっています。
それでもみな同時代の空気は吸っているわけで、表現のレンジ、振れ幅は激しくとも、時代の感性、なにか共通する所作といったものはやはり存在するはずです。
そんなことを期待しつつ、主な出品作家について見ていきましょう。

山本麻友香(1964-)の表現は前二者と大きく異なります。
着ぐるみや動物の角をつけた愛くるしい少年を好んで描きます。
線やフォルムといったフォーマルな要素をいかに扱うかという問題に悩む時期を経て、描くことの喜びという原点に回帰して現在の作風を確立しました。
子供をもうけ母となった自身の体験もそこに作用しています。
自らの生活のリアリティから出発しようとする姿勢がここにも見いだせます。
しかし、作品の「かわいらしさ」の背後には、イノセントな危うさを越えたなにか不穏な空気が流れています。
「女の子を描くことに暴力性を感じ」て男の子を描くようになった、という山本の発言には、イメージをめぐる政治学への鋭敏な感性が現れています。
また、ときにピンぼけ写真を思わせるあいまいな描写は、安易な了解と一義的な距離感を拒否し、見る行為自体の不安定さを増幅させます。
絵画に対する山本のしたたかな企みがこに見て取れます。
少年のイメージがキャラクター的になる寸前で止まっているのも山本のバランス感覚の妙でしょう。

伊庭靖子(1967-)は、自ら撮影した写真をもとに、身近なオブジェを描きます。ピントの合ったところからボケたところへ移っていくところに惹かれたという伊庭は、その「映像らしさ」を絵画に描くことから出発し、やがて対象の質感と光の探求に向かいました。
彼女の制作を支えているのは、モノの存在に肉薄したいという画家の根源的な欲求であり、作品にそなわる抽象性はその逆説的な帰結でしょう。

川島秀明(1969-)は、目鼻を簡略化して強調する女性像を一貫して手がけています。
陰影を排したその表現は「日本的」ともいえますが、同時に、一目でそれとわかるキャラクター的な人物表現にはサブカルチャーの匂いが濃厚です。
現代社会の消費やコミュニケーションにおいて「キャラクター」の果たす役割の大きさ、複雑さを思えば、それは単なる大衆イメージの引用・取り込みということではすまされません。
川島の作品は、キャラクター的イメージとしての強い訴求力をもつと同時に、人間の根源的なペルソナへの洞察を含むことによって高い強度を保持しているのです。

入江明日香(1980-)の余白を大きくとった構図には日本美術の伝統への参照が濃厚に見て取れますが、それが独自のファンタジーの展開と有機的に結合しているのが印象的です。
自由なファンタジーの追求は、今日の多くの若手にとってとりわけ魅力的な要素のひとつとなっています。
版画とコラージュ、ドローイングなどを取り混ぜた独自の混合技法もそれに効果的に貢献しています。

■インフォメーション
会場:ギャラリー3&4(東京オペラシティ アートギャラリー 4F)
期間:2011.10.18[火] ─ 12.25[日]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)

休館日:月曜日
入場料:200円(企画展「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」のチケットでもご覧いただけます)

主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団
協賛:日本生命保険相互会社
協力:相互物産株式会社

お問い合わせ:東京オペラシティアートギャラリー Tel. 03-5353-0756

10月17日

やっとFACEBOOKなるものを習得。
登録はしてあったが、どのようにやっていいのかわからず、指をくわえて見ていた。
これからは近況を書き込むことにする。
それにしても友達の友達のまた友達と限りなく続くのには驚く。

次にマスターしなくてはいけないのが、日記への写真アップである。
今までは人に頼っていたが、それも忙しくて頼みにくくなり、しばらく写真無しが続いているので、これからは自分でやらなくてはいけない。
スタッフの島田にアップの仕方を教わることにしているのでよろしく。

今使っているauでもIPHONEが販売されることになり、これも買ってみようと思っているが、果てさて使いこなせるのかどうか?
携帯だけでも使いこなせないのに、日に日に少なくなる脳細胞が機能してくれるだろうか。

今日偶々再生医療の話を聞き、人工細胞による角膜手術や心臓手術が可能になったそうだが、脳細胞の再生は出来ないものだろうか。

10月15日

シロタ画廊の小林敬生展と黒崎彰展を見てきた。
二人とも木版画の日本を代表する作家で、小林はカタログレゾネの刊行記念ということで過去の作品から現在までを回顧し、黒崎は近江八景をテーマに従来とは一味違う形で発表をしている。
二人とも木版画独特の息遣いが感じられ、版画衰退が叫ばれる中にあって、日本の木版画の伝統を受け継ぎ、版画ここにありの存在感を示してくれた。
それでもこうした時代にあっては、それに報いるような結果がでてこないのは残念なことである。
彼等の教え子達が注目を浴びる中にあって、そうした作家達に大きな影響を与えた指導者達により以上の目がを向いてもいいのではないだろうか。
偏りすぎる時代の流れに、これでいいのかの思いは強い。

10月13日

横田尚の個展が土曜日から始まる。
2年前の春に個展をして以来だが、その後美術館での展覧会や海外の発表など活躍の場も広がり、注目度も高まるとともに画風も大きく変化してきたようだ。
彼女の持ち味であるダイナミックさが増すとともにマティエールの重たさがなくなり画面がクリアーになった。
軽やかで且つパワフルといったらいいだろうか。
案内状のように銀箔を貼って和の雰囲気をだすなど新しい試みもしている。
団体展でよく見る絵というご批評をいただいたこともあったが、個性あふれる彼女なりのカラーが出てきたのではないだろうか。

10月12日

独立と二紀に行ってきた。
相変わらずの重苦しい絵の氾濫で見ていて疲れる。
特に大作の二段掛けとなると余計に上から覆いかぶさるようで威圧感があり、ほとんど見ずに通り過ぎてしまう。
もっと小さい作品でもいいとか、期日を分けて飾るとか、何か展示の工夫が出来ないものだろうか。
昨年は偶然に二紀の最後の部屋で佐藤未希の作品に出会い6月の個展につながったが、今回は目につく作品もなく帰ってきた。
見た中ではどうしても贔屓目に見てしまうのか、やはり佐藤未希の作品が印象に残った。

10月11日

KIAFの時にアートバンクというところを通して韓国国立現代美術館に購入してもらった作品の手続きが大変である。
GTUで発表をしたソンスー・リ君の作品が何人かの作家と共に選考を通り選ばれたのは良かったのだが、海外の画廊を通して購入したことがなく、やれ書類、やれ印鑑とその手続きが面倒くさい。
いっぺんに言ってくれればいいものを、この書類が足りない、明日中に書類に判を押して送れと、次々に言ってくる。
お役所仕事はどこの国も同じようだ。
こんな事でぐずぐずしているうちに、どんどんウォンが下がり、同じ金額でも振り込まれるときには大幅に違ってくるので、これも心配の種である。
何でこんなに円が強いのだろう。
わが国は不況の最中に国難といって言い大震災で追打ちをかけられ、円が強いはずがなく、韓国に行くと街中に活気があり、どう見てもウォンが弱くは見えないのだが。
今更遅いが、日銀・財務省・政治家の方たちに何とか円安に誘導することをお願いしたい。
このままでは輸出は総崩れ、生産は海外に出て行くことになり、それに伴い雇用は冷え込み、日本はますます疲弊していくことになる。
何とかならないのだろうか。

10月10日

チャリティー展が終わったが大盛況であった。
入場者数3360名、入札登録者1206名、総数399点で不落札も1点もなく、落札総額1億円をはるかに超えるのは間違いなく、驚くべき結果となった。
私が担当した現代美術でも私の予想をはるかに超えた落札金額となった。
私たち担当委員も相当頑張って入札したようだがほとんどが落札することができなかった。
一般のお客様にこれだけの購買力があることに担当委員もただただ驚くばかりであった。
準備期間も短く、告知も行き届かなかったにも関わらず、これだけの数字が上がったのはひとえにNHKのニュースのおかげである。
各新聞にも広告や記事が出たが、テレビの伝播力にはかなわなかった。
いかにテレビニュースに取り上げてもらえるかを考えなくてはいけない。
こうした数字とは別にして、無償で作品を提供してくれたアーティストの方は勿論だがボランティアで準備段階から今日まで縁の下力持ちで汗を流した美術倶楽部の皆さんにも頭の下がる思いである。
一人門外漢の私も古美術商、日本画商の方と一緒になって仕事をさせていただき、何にも代え難い経験をさせていただいたと感謝したい。
皆さんから倶楽部のメンバーになるように誘われたが、こればかりは敷居が高過ぎて勘弁させていただきたい。

10月8日

知人のお寺薬王院で茶会のお招きを受けた。
ロータリークラブで私が提案し決定した東北三県の知的障害者施設の復興復旧支援に賛同し、250余名のお客さまを招く大茶会を開催し、その会費570万円余りを義援金として送りたいとの申し出をいただいた。
そんなわけで無作法な私も行かないわけにはいかない。
茶会が始まり最初に席に通された。
周りは和服のご婦人ばかりで皆さん茶道を極めた方ばかりのようで緊張で汗が噴き出る。
お菓子が出てきたので家内が用意してくれた懐紙まではよかったが楊枝がない。
見ていると懐紙の間から皆さんMY楊枝を取り出している。
仕方がない、手で千切るのもなんなので、一口で丸飲み。
途端に喉に詰まらせ目を白黒。
早くお茶が出てこないかと待つが、どうやらお茶は別の茶室で点てるらしい。
息が詰まるかと思ったが何とか切り抜け、茶室に向かう。
茶室には顔見知りのお茶道具の老舗のS氏がいてくれて少し緊張がとけるが、お茶を5人で廻すようで私が5番目の最後。
最後に残ったお茶を全部飲み干すのか残していいのかもわからず、え〜いとばかりに一気に飲んだが、その苦いこと。
いやはやとんだ一日となった。

10月7日

今日も秋晴れ。
ついこの前までの寝苦しさが嘘のようである。
ベランダのゴーヤは先日の台風のせいもあって枯れ始めたが、コスモスがきれいに咲いている。
爽やかな風とともに秋がやってきた。

名古屋の松坂屋でのアートフェアーの反省会があって出席した。
以前のブログに書いたように結果は厳しかったが、百貨店側も次を目指そうとの思いが強く、百貨店内部の調整もあるだろうが、出来るだけ早く実施要綱を決めてもらい、より良いフェアーにすべく私たちも力になりたい。
先日の日経新聞でも百貨店美術部の新たな動きが紹介されていて、こうした取組みも続けていくことが大前提で、一過性にならないようにしなくてはならない。

10月6日A

今日は天候にも恵まれ大勢の来場者で賑わう。
NHKのニュースでチャリティー展の様子が放映されたこともあるのだろう。。
ニュースでは被災した美術館の惨状や出品した岩手出身のアーティスト船越桂のコメントなどとともに、画面を通じて青柳美術館連絡会議議長がチャリティー展への協力を呼びかけた。
400名のアーティストが無償で提供した作品が1000円の最低価格から入札出来るので、是非足を運んでいただきたい。
9日の日曜日まで開催されている。

10月6日

現在展覧中の伊津野雄二展の作品がとてもいい。
こんな時期なのでいつものように大作は中々売るのは難しいが、お客様にも好評で、小品が思いのほか売れてほっとしている。
初めて訪ねてくれた女性の方が偶々案内状の作品を気にいって買ってくださった。
先日も初めての出会いで思わぬ大作が売れ、こうした出会いが一番うれしいことで、本当にありがたいことと感謝している。
今回の伊津野作品は天使をテーマにしているが、これは震災の被災者への鎮魂の意味が含まれている。
見た人の心を揺さぶるのも、そうした思いが伝わるからではないだろうか。

GTUの中西静香の作品も名前の通り、静かで穏やかな作品である。
木村繁之、望月通陽に通じる温かみのある作風は私の好みにぴったりである。

その前の週に発表したうじまりは今回は多少甘くなりすぎたきらいがあり、見た方も同じ思いがあったのか、結果を残すことは出来なかった。
才能ある若い作家だけに更なる精進を重ね、次に期待したい。

10月5日

チャリティー展の開会式が10時から開かれた。
近藤文化庁長官、青柳美術館連絡会議議長の挨拶などがあっていよいよ開場。
あいにくの雨空にもかかわらず、マスコミ各社も詰めかけ、まずは無事スタート。
テレビ局の女性司会者から震災や復興などをテーマにした作品がありますかとの質問を受けたが、そう言えばほとんど見当たらない。
みんなしっかりした作品を出してくれているが、作品を通して鎮魂とか元気とか何かを伝えようとする作品は少ない。
震災でストレスを受けたあさりをテーマにした福田美蘭の作品、被災地を撮った篠山紀信の写真や嶋剛の希望・絆というタイトルの作品が目に付く程度である。
皆さん頑張ってくれてお陰で秀作が揃ったが、これでいいのかという思いは多少ある。
ただ多くのお客さまに入札してもらうには、あまり小難しい作品よりは楽しめる作品ということではこれでいいのかもしれない。

10月4日A

全国美術商連合会の臨時総会が先日開かれた。
4月に決まった義援金の送付先を検討してきたが、津波で流失した茨城県の五浦の岡倉天心記念館六角堂の再建に500万円、文化庁の文化財保全と廃棄、散逸防止を目的として設立された文化レスキュー事業に500万円を贈ることになった。
次に超党派による文化芸術を考える議員連盟が設立され、民主党からは野田総理、興石幹事長、前原政調会長、田中直紀など7名、自民党からは谷垣総裁、甘利明元経産大臣、河村建夫元文科大臣、古屋圭司など7名、公明党から太田元代表など2名、たちあがれ日本から藤井孝男元運輸大臣の合計17名の議員が参加するとの報告があった。
これに伴い、自民党の支援団体で休眠状態であった全国美術商自由国民会議を解散し、新たに全国美術商懇話会を立ち上げ、議員連盟を後援するとともに連携して、文化行政の改革を推進していくことになった。
今回の文化庁と全国美術館連絡会議と全国美術商連合会の共催によるチャリティー展も丁度いい機会であり、政官民一体になって文化行政推進と改革に取り組んで欲しい。

10月4日

明日からの東美チャリティー展の展示に駆り出された。
400点を一斉に飾るのだから私のところの夏のオークションみたいなものだが、美術倶楽部青年会とお店のスタッフが総出で取りかかるので早いこと。
私担当の現代美術の壁だけが一向に進まない。
国立近代美術館の展示担当が来てくれたが、何するわけでもなく、結局我々でやる羽目に。
ようやく終わったが、これだけの点数が揃うとさすがに壮観。

各新聞やNHKにも紹介されると思うが、5日から9日の日曜日まで10時から5時の間で開催される。

10月3日

昨日の日記で紹介した写真の近藤友貴君から次のようなメールをいただいた。
今後に期待したい。

この度は審査員特別賞をお与くださりありがとうございます。
自分のやってきたことが少しでも多くの方々に触れ、人々に被災地で起こってしまった現実といずれ風化してしまう爪痕と向き合ってもらいたく、畑違いを覚悟で出展しました。
実際に、僕が「あの写真を素材として作品を作る」という行為に対して被災地出身の方、つまり内部から強い抵抗を受けました。
それでも、やらなきゃ何も起こらないと強く感じ、踏み出しました。
しかし、私の中の葛藤はとどまることなく次々と疑問や問いを生み出しました。
なぜ作品を作ってはいけないのか。
なぜ写真を気仙沼から持ち出してはならないのか。
供養されればそれでいいのか。
誰のものなのか。居場所はあるのか。
木から葉っぱをたくさんちぎり、それを並べて作品を作った時、その葉っぱという素材は作者のものになるのなら、なぜあれらの写真が僕の手にかかっても僕のものになり得ないのか。
「作品」という鍵かっこ付きの作品から脱却できるのか。
写真は今後どこへゆくのか・・・
言い尽くせないほどの問いとプレッシャーに常に襲われました。
それでも僕はこれらと向き合い続けました。
そして今回の展示形式にいたったのです。正直に申しますと、今回の展示は決して良いとは言えませんでした。
ぼくはあの展示スペースにおさまってしまうことにさえ違和感というか抵抗感を抱いています。
結論から申しますと、鍵かっこ付きの「作品」になってしまったと思ったのです。
僕は今後もこの作品について追求していきます。言い換えれば、被災地、そして写真たちと向き合って行く構えです。
椿原さんの評価を決して無駄にしないためにも、気持ち新たに取り組んでいきます。

10月2日

六本木のラフォーレミュージアムで開かれているヤングアーティストジャパンの審査に行ってきた。
20名のギャラリストがそれぞれに120名のアーティストのブースを回り、1位から4位までを選び、その総合点でグランプリと準グランプリが決まる。
審査とは別に審査員の推奨シールと云うのがあって目についた作品にはシールを貼っていく。

全体を見てレベルは相当低い。
昨日韓国作家に比べ日本人作家の質が高いと書いたが、取り消したいくらいである。
可愛いだけの子供の学芸会とでも言ったらいいだろうか。
薄っぺらで心に残る作品が殆どない。
その中で,津波で水をかぶったアルバムからかけがえのない写真を洗って被災者に戻すボランティアをした作家が、それでも復元できず廃棄処分になる寸前の写真を並べた作品が目をひいた。
一瞬にしてそれぞれの思い出を消し去った地震・津波の恐ろしさ、被災者の無念さをこの作品は訴えかけてくる。
他に現代人の心の病を日常の形の中に内包した陶芸作品にも惹かれた。
上っ面だけの軽い作品ばかりが目につくだけに、こうしたメッセージを伝えようとする二人の作品が際だっていたように思った。
他の作家たちも何のために描くのかといったことを今一度考えてみたらどうだろうか。

10月1日

テグアートフェアー公募展の入選作家の作品が原宿のブックレイヤーの会場に展示された。
写真3人、平面3人の作品だが、なかなか見ごたえのある展示となっている。
同時にテグの若手作家の作品が送られてきて展示されているが、日本の作家とのレベルの差があまりにありすぎて唖然とする。
ソウルのフェアーでも日本ブースの質はとても高く、海外での発表が多くなればなるほど、活躍の場は広がるはずである。
展示を見た後、東京ドームに巨人戦を見に行く。
お客様からネット裏のチケットをいただき楽しみにしていたのだが、私が見に行くといつも巨人が負けるジンクスがある。
しかし今回は快勝で、もらったオレンジ色のタオルを大歓声とともに思う存分振り回してきた。

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