Diary of Gallery TSUBAKI

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1月1日

明けましておめでとうございます。
抜けるような青空の新年を迎えました。

大晦日友人のお寺で除夜の鐘を突きにいき、一年の煩悩を落とし、新たな気持ちで新年を迎えることに。
そして新年の朝、家族でのおせちの席でうれしいニュースが。
末の娘が年が変わり、新年になったその時に彼からプロポーズされたそうで、年内に結婚をすることとなりました。
昨年結婚した兄夫婦も報せを聞き、わが事のように喜んでくれ、その兄が監督をしているラグビー部の全国大会の予選を明日に控え、何よりの励みとなったようです。
これで我が家は老夫婦だけになり、「寂しくもあり、うれしくもあり、おらが春」の心境ですが、それにしても年始め早々のサプライズでいい年を迎えることが出来そうです。

この清清しい青空とうれしいニュースにあやかり、仕事も順調に行きますように。

1月8日

今日から仕事始めです。
皆様にはまた今年一年お世話になります。
何卒よろしくお願いいたします。

晴天が続きでいい正月を過ごすことができました。
ところが日本海側は大雪のニュースが。
狭い日本でもこんなに違うものかと驚いている。

政治も民主政権になり大きな変革をと思っていたら、表と裏では大きな違いで拍子抜け。
政治主導ではなく、政権主導に思えてならない。
政策も文化だけはかけらも出てこず、事業仕分け人に子供達が将来夢を託せる事業は皆カットされる始末で、夢も希望もない。

私達が夢見るだけで終わらせないよう、将来の日本のためにも子供達のためにも、仕事を通じて文化や教育に少しでも役立つことができればと思う。

1月12日

暖かな正月と思っていたら、一転昼から雨模様で気温も下がり夜には雪になるのでは。
そんな天気のせいか殆ど来る人もなく、画廊は静かなもの。
天井が高いこともあり、休みが長いと開けて直ぐには画廊が暖まらず、特に今日みたいな日は冷え込む。

今年は年頭に先ず原点に返り、画廊に来られるお客様に丁寧な対応を心がけることから始めようとスタッフに伝えた。
普段、画廊に見に来る人はそう多くはない。
というより、画廊は入りづらく、扉を開けて入ってくるには来慣れた人以外はそう簡単には入ってこない。
それだけに画廊に来てくださる方は、私共にとっては大変有難い方たちで、当たり前のことだがそうした方を温かく迎えるのは当然のことである。
ところがそれが中々できないもので、常連さんやコレクターらしき人だけに愛想を振りまき、それ以外の人には何しに来たといった無愛想な応対や、全く声をかけないこともしばしばである。

しつこくキャッチセールのように付きまとわれるのも嫌なものだが、買いもしないのにと冷たい視線を背中に感じながら鑑賞するのも辛いものがある。
当たり前だが、先ずは挨拶から始めたい。
お寿司屋さんでもないので大きな掛け声は要らないが、さりげない温かみのある挨拶から今一度始めたい。
次に初めて来た人にも作品に親しんでもらおうと、作品の横に今流行のつぶやきのようなコメントを添えることにした。
美術は元来それぞれの思いで感じてもらうものだが、美術は難しい、わからないという人も多い。
せっかく入りづらい画廊に来ていただいたからには、展示してある作品をじっくり見ていただき、ご自分のイマジネーションを膨らませて欲しい。
本屋さんやCDショップでは良く見かけるが、そんなことも取り入れながら、一人でも多くの人に画廊に親しんでいただきたいと思っている。

1月13日

この14日から新宿にある佐藤美術館で山本冬彦コレクション展が開催される。
コレクション展の草分けでもあり、サラリーマンの傍ら30年にわたって1300点の作品を集め、1点も手放すことなく現在に至り、今回その集大成とも言うべき160点を展示する。
ある時期までは自分の好みで、それ以降はアートソムリエと称して美術の普及活動を行うとともに、若手作家支援を目的に無名作家の作品の購入に力を注ぎ、現在に至っている。
美術コレクションの楽しみを説き、作家支援のためには個人が購入することで手助けできると孤軍奮闘をしていて、今回はその軌跡を辿る興味深い展覧会となった。
限られた予算の中、自分の目で好きなものがあれば購入するといった姿勢は、市場動向やトレンドとは全く無縁であり、個人コレクターが目指す一つの指針として評価される。
企画した佐藤美術館も、美大生への奨学金制度や若手作家のサポートを目的に活動を続けていることもあって、山本氏とはいわば同士の関係で、今回の展覧会となった。

2月21日まで下記の場所で開催されている。
場所 佐藤美術館 新宿区大京町31−10 TEL3358−6021
主催 財団法人佐藤国際文化育英財団 日本経済新聞社

1月14日

16日から新春第一弾「堀込幸枝展」が始まる。
2年前初めての個展を私共で開催し好評を博し、その後韓国の大手画廊PYOギャラリーでの個展でも出品作品が全て売れるという、こちらがびっくりするような反響があった。
今回はそうした結果の後だけに、期待も大だが、私が思った以上の作品が並ぶ。
前回同様に透明な瓶やグラスに入った液体を描いているのだが、前にも増して透き通るようなマティエールが美しく、テーマは地味だが、観る人の心の深くに残像が残るような印象深い作品となった。
私は個人的には油絵ならではの深いマティエールの作品が好きで、作家を選ぶ基準の一つにしてきた。
ただこうした作品はアートフェアーのような会場では目立たず、一瞬見て人を立ち止まらせることができない。
逆に、個展会場ででじっくり作品と対峙し、その深さを味わってもらうのが一番いい。
そうした意味でも、韓国の画廊がこうした作家を選び、それも全て売ってしまったということは特筆に価するかもしれない。
夏目の時にも書いたが、今風の絵が盛んな中にあって、こうした傾向の絵に今年はスポットが浴びるような予感がする。
ご高覧、ご批評を賜りたい。

1月16日

寒い日が続く中、内外に激震が走る。
小沢民主党幹事長の居直りにはあきれるばかりだが、日航の破綻やハイチの大地震には心が痛む。
バブルがはじけた時にも証券・銀行・生保の破綻が相次ぎ、まさかと思ったが、国を代表する航空会社がこんな事になるとはゆめゆめ思わなかった。
ハイチの地震も阪神淡路を思い起こさせる。
あたかも明日がその大地震が襲った日である。
その被害も計り知れないものがあったが、ハイチはそれどころではなく、被災者は国民の三分の一というから恐ろしい。

振り返って、こうして平穏に過ごすことがどんなに有難い事か。
我が美術業界も大変な時期を迎えていることは間違いないが、偶々読んだ美術雑誌「ギャラリー」の1月号で大先輩である不忍画廊の荒井一章氏の語った言葉が心に残る。
「いい作家やいい展示をしていればゼロになる事はない」
同じ思いで日々を過ごしたい。

1月19日

日曜日、先ずは午前中に佐藤美術館の「山本冬彦コレクション展」に、その後、高崎市美術館で始まった「作家王国・横田尚×渡辺香奈展」を見に行った。
先週の日曜日も東京都現代美術館の「レベッカ・ホルン展」を見に行き、他にも国立博物館の「長谷川等伯展」や国立美術館の「ウィリアム・ケントリッジ展」など見に行きたい展覧会も多く、日曜日は美術館巡りが続きそう。

山本展は所狭しと作品が並び、これでもコレクションのほんの一部と思うと、いやはや大変な数である。
2階に新人、3階にキャリアのある作家の作品が展示されているが、3階の作品には私共がお世話をさせていただいた作品がいくつかあり、その当時が懐かしく思い出された。
前日の土曜日には美術館でのギャラリートークが終わった後、山本氏の案内でギャラリーツアーも組まれていて、多くの方が私共の画廊にもお越しいただいた。
これにはNHKの報道部も同行し、時間枠があれば朝の「おはよう日本」でこの模様が紹介される予定である。

高崎では私共で個展を重ねる金井訓志、池田歩・山本麻友香夫妻、福島保典などの作家に加え、昨年初めて韓国テグのフェアーに紹介した柳澤祐貴も来て、横田尚を囲んでの新年会。
みんな高崎や前橋に在住で、これだけ揃うと群馬県展ができそう。
他にも奥さんや娘さん、横田の友人でこれまた私共が海外に紹介している屋敷妙子等も一緒に、金井さん紹介のメキシコ料理店で大いに盛り上がった。
横田の作品も以前の重厚なマティエールの作品からソフトな感覚の現在進行形の作品まで多数が並び、中々の見ごたえがあった。
昨年の個展から海外やこうした美術館での発表が続き、彼女にとってもこの一年大きな節目の年となったようだ。

1月21日

昨年12月に開催されたアートフェスタの反省会があって出席した。
日記にも書いたが、私のところに限っていえば、ただイベントに参加しただけという結果に終わってしまった。
多くの画廊が出席し、次回への継続も含め、多様な意見が出た。
私も「アートフェスター銀座からの贈り物」では何を見せたいのか、何を買ってもらいたいのか、漠然としていて、一般の方を呼び込む手立てにはなっていないし、そのためには企画ありきと申し上げた。
古美術のところからはクリスマスと自分のところとの企画に違和感があったとか、大手画廊からは1万円コーナーといわれても対応ができないといった意見も出た。
42件の画廊が参加するということで、横並びで意見を集約するのは難しいが、顧客目線で企画し、広報に力を入れるといった意見はまとまったようだ。
予想外の出席者の数で、これだけの人が一緒に何かをやろうと手を組むことは、業界にとっても大変喜ばしいことである。

1月22日

鳩山首相、オバマ大統領もすなるというトィッターなるものを始めた。
先日も娘がギャラリー椿のミクシーなるものを開設。
覚える事が多すぎて、時代に付いて行くのに必死。
パソコン、携帯、デジカメ、コピー機、テレビ・・・機能はたくさんあってもわからないことだらけで、ストレスも倍増。
こんなものがなくても過ごせたときが懐かしい。

1月23日

画廊の周りは相変わらず工事だらけ。
巨大なクレーンが隣りに来ていて、車も通行止め。
北側の道も27日から2月8日まで、地中ケーブル埋設工事とやらで夜間は車両が通行止めとなる。
ここしばらく陸の孤島となりそう。
車で来られる方はご注意を。

どうやら2年後には目の前に26階建ての巨大ビルが建つという。
そのビルまで東京駅から地下でつながり、銀座線の駅とも直結するそうだ。
東京駅からは雨にも濡れず、夏の暑い日差しを浴びることもなく、画廊の目の前まで来ることができるのはうれしい。

1月24日

私共で展覧会を続ける木村繁之が共同通信社配信による新聞に週一回挿絵が掲載される。
南木佳士さんのエッセイの挿絵で一年間続く。
全国の25の地方紙に載るが、残念ながら東京版はないので私は見ることができない。
数多くの本の装丁も手がける木村だが、全国に木村を知ってもらういい機会となる。

以下の新聞なので購読されている方は是非ご覧を。

秋田・河北・東奥日報・福島民報・上毛・下野・埼玉・信濃毎日・山梨・静岡
岐阜・北国・伊勢・福井・神戸・京都・山陽・中国・山陰中央・愛媛・徳島・高知・熊本・宮崎日日・佐賀

1月25日

直ぐ横の画廊、ギャラリー川船で日本大学芸術学部の版画専攻科の卒業制作展が今日から始まった。
川船での卒展は今回で5回目だそうだが、毎回の恒例でギャラリートークというものがあって、画廊主が学生さんに話しをすることになっている。
今回は私に順番が廻ってきて、1時間半ほど学生にアジアンアートマーケットと題して話をすることになった。
どれだけ内容のある話ができたかはわからないが、相変わらずのおしゃべり好きで、持ち時間オーバーして一人話し続けてしまい、学生はいい加減に終われと思っていたに違いない。
それでも熱心にメモを取りながら聞いてくれた学生も多く、これから社会に巣立ち、作家として独り立ちしていく学生に多少の刺激剤になってくれたら幸いである。

1月26日

愛犬が死んでから途絶えていた散歩を正月から再開した。
近くの代々木公園、たまには足を延ばして明治神宮の本殿まで1時間から1時間半ほどの散歩を毎朝続けている。
その明治神宮の中に菖蒲苑などで知られる内苑があるが、朝早くから若い人たちの行列ができているのを不思議に思っていた。
ここは庭だけではなく、都心では珍しい野鳥の宝庫で、カワセミやルリビタキなど美しい鳥を数多く見ることができる。
野鳥の会の端くれである私も野鳥観察で時々訪れるが行列など見たこともなかった。
日曜日に表参道に娘の買い物に付き合った後、その内苑を訪れてみた。
入り口には、「今からでは〔清正井〕には日没になるので見ることができません」と書いてある。
行ってみると、そこへ続く道は延々と長い行列で、なるほど見に行くどころではない。
「清正井」はこの庭園の中にある都会には珍しい湧水の井戸で、虎退治で知られる加藤清正が掘ったと伝えられている。
その井戸がテレビでパワースポットの一つと紹介され、写真を撮って携帯の待ち受けにすると運気が上がるということで、若い人が大勢来るようになったそうで、多い時は6時間半待ちの行列ができるというから驚きである。
縁起を担いでオバタリアンが並ぶのならわかるが、若い、それも圧倒的に男性が多く、縁起担ぎなど無縁と思える若者が、何故こんなに長い時間かけて並ぶのか私には理解できない。
私にはパワースポットより、こんなにたくさん人が来て、野鳥が来なくなってしまうことの方が気になって仕方がない。

1月28日

鎌倉にある合田佐和子アトリエを訪ねた。
庭先の紅梅が何輪かほころび始め、一足早い春の息吹を感じさせてくれる。
湘南の暖かい日差しが差し込むアトリエは、華やかな色彩の新作で埋め尽くされていた。
2年前に初めて私共で個展をした折には、体調も思わしくないこともあって、それほど多くの新作を発表することができなかったが、今回はすこぶる元気そうで、画廊に飾りきれないのではと思うほどに、多くの作品が出来上がっていた。
彼女の長年のテーマの一つである「女優」と「眼差し」を今までにないほどの光り輝く色彩で描いていた。
今年70を迎えるが、とてもそんな年には思えないほど、ご本人も作品も若々しく、みずみずしい。
3月1日の春の訪れとともに個展は始まる。

1月30日

お正月だと思っていたら、もう明日で1月も終わり。
歳をとると、一日は長いが一年はあっという間に過ぎてしまうそうで、私の画廊も引っ越してきて、7年目にはいったが、ついこの前のことのように思えてならない。
京橋にギャラリー椿を設立して20年目の節目ということで、1月15日の成人式の日に因んで、新たなスペースをオープンしたが早いものである。
私自身もこの仕事に携わり、既に42年となり、普通であれば定年になってもいい歳となってしまった。
友人達も第二の人生を歩む者も多く、夫婦で地中海クルーズに行ってきただの、ぺブルビーチでゴルフをしてきただの、残りの人生を謳歌していて、うらやましい限りである。
周りの画廊でも、次の代に譲るところも多くなったが、三人の子供達が画商とは別の道に進んだこともあって、果てさていつまで続けて行ったらいいのか、先のことも考えなくてはならない歳になってしまった。
とは言え、私の前にはお世話になった多くのお客様、後ろには私を支えてくれる多くの作家やスタッフ達がいることを思うと、まだまだやめるわけにはいかない。 
あと5年、10年も先を思うと長いようだが、振り返ってみれば、今のようにあっという間なのかもしれない。
まだまだ仕事を続けられる幸せを感じながら、一日が短く感じられるような充実した日々を積み重ねていきたい。

2月2日

日曜日のぽかぽか陽気から一転、昨日の夜は一面雪景色。
そのあおりだろうか、今日は外に出ると冷蔵庫の中にいるような寒さ。
こう気温が乱高下すると身体がついていかない。
丁度、昨日まで森ビルでアートフェアーをやっていたこともあって、台湾や香港の画廊やオークション会社の人がぶるぶる震えながらやってきた。
マフラーや手袋が欲しいと悲鳴を上げていたが、よりによってこの冬一番寒いときにやってきたのだから、気の毒としか言いようがない。
これからソウルに行く人もいて、ソウルの寒さはこれ以上で、行くのが怖いと言っていた。
娘がいるシドニーは毎日40度を超える暑さだそうで、雪が降っていることを知らせると、うらやましそうにしていた。
地球は広い。

2月3日

月曜日のNHK・朝のニュース「おはよう日本」で山本冬彦氏がサラリーマンコレクターとして大きく取り上げられた。
佐藤美術館で開催中の「山本冬彦コレクション展」に因んで、そのコレクションや活動が紹介されたが、美術の普及・支援活動に取り組む姿勢とその情熱が画面からも熱く伝わってきた。
私共で開催中であった「堀込幸枝展」も山本氏が案内するギャラリーツアーの一環として紹介され、彼女がツアーの方たちに説明する姿も大きく映し出され、山本氏の恩恵を与ることになった。
山本氏の無償のこうした活動は各新聞紙上でも大きく取り上げられ、大きな反響を呼んでいて、コレクション展にも大勢の人が足を運んでいるようだ。

2月4日

今週土曜日からは「舟山一男展」が始まる。
お付き合いが始まって25年になるだろうか。
その朴訥さと作品に向かう真摯な姿勢は当時と全く変っていない。
画風も今の時代の流れとは逆のトラディショナルなスタイルを頑なに堅持し、自分の目指す道をひたむきに追い続ける。
パリのボザール美術学校で学び、その時見た芝居・映画・舞踏・サーカスを追憶し、キャンバスの下地を叩き、揉み、擦り、削いで造り上げる舟山ならではのマティエールをベースに、脳裏によぎるその一場面、一場面を描き出す。
初めての個展の時に発表した「旅芸人の記録」の広漠たる雪原に一列になって歩き続ける一座の姿が未だに私の記憶の中に残っているが、今回再び同じテーマで再現された。
無論当時の絵とは違っているが、奥深い雪の中をひたすら歩き続ける旅芸人一座の姿を真っ白な雪原の中に描き上げた今回の作品は、前回以上の力作といっていいだろう。
今回は多くの大作を描き、舟山の今回の個展にかける強い思いが伝わってくるが、その中から白一色といっていい案内状には不向きと思えるこの作品を敢えて使わせてもらったのも、旅芸人同様に25年にわたる私と舟山のひたむきな歩みが、その作品と重なってしまったからに違いない。
是非のご高覧を願う。

2月5日

寒い日が続く。
今年に入ってから、いつもにまして作家さんが作品資料を持って訪ねてくる事が多くなった。
GTUを借りるためや、先輩作家の紹介で作品資料を持って来られるのは大歓迎だが、学生さんや絵を描き始めて一年にも満たない人が企画をして欲しいといって来たり、感想だけを聞かして欲しいという人が来ると、どう対応していいか戸惑ってしまう。
せっかく来てくれたのに、すげなく帰すのも気の毒で、ついつい話を聞く羽目になり、その揚句、あまりきついことも言えず、傷つけないように帰ってもらうのがこれまた大変。
積極的に自分をアピールすることは大切なことだが、もう少し自分を知ってもらうこともまた大切なことだと思うのだが。

2月9日

寒さも一段落。
少しづつ春がやってくる。

舟山展も始まって2日が過ぎた。
先日の日記でも書いたが、最初の個展から25年を過ぎ、何度目になるのだろうか、思い出せないくらい展覧会の数を重ねた。
その間ずっと舟山展を見続けてくれた人も多い。
また毎回作品を購入してくださる方も何人かいて、大変有難いことと頭の下がる思いがする。
数や大きさはそれほどでもないが、長い間途切れることなく一人の作家を追い続ける情熱は大したものである。
毎回、展覧会の初日を迎えるのを楽しみに、一番に駆けつけてくれる。

多くの作家に言えることだが、テーマや画風が変わっていくと、昔の作品は良かったと言われる事が多い。
逆に変わっていかないとマンネリですねと言われてしまう。
無理して変わろうとしたり、努力せずに繰り返しの仕事をすれば当然なのだが、私も含めどうしても短いスパンで評価をしてしまう。
作家も山あり谷ありで、長い積み重ねが本当の評価なのだが、世間は中々待ってはくれない。
私のところのように、積み重ねのない若いときから発表を重ねる作家達は、こうした世間からの厳しい叱咤を潜り抜けていかなくてはならない。
これも成長のための一つの糧なのだが、作家にとって何より有難いのは、こうした過程を見守り続け、支え続けてくれることではないだろうか。
順風の時も逆風の時も、その時々の仕事を評価し、支えてくれる、作家にとってこんなうれしいことはない。

舟山展でこうした方にまた出会えること、作家冥利、画商冥利に尽きると改めて感慨深く思う。

2月10日

昨日と打って変わっての寒さ、春がまた遠くに行ってしまった。

先月30、31日に森ビルで開催されたアートフェアーGーTOKYOは盛会だったようだ。
ギャラリーのニューウエーブとも言える15の画廊が集まり、内外の富裕層をターゲットに六本木ヒルズ森タワーで開かれた。
オープニングパーティーはエルメス全館を使って催され、あくまでセレブを対象に考えた戦略だったようだが、聞くところによると初日に完売する画廊もあり、3,4百万の作品が瞬く間に売れていったとも聞く。
スタッフ達は見に行ったそうで、その華やいだ雰囲気は今までの日本のフェアーとは全く違っていたようだ。
富裕層が集まる海外のアートフェアーで揉まれてきた画廊ばかりだけに、日本のフェアーで見られるような小品や低額品ではなく、大作や高額品をメーンに押し出し、これがまた功を奏したのか、デフレスパイラルとは全く無縁だったようだ。
海外を多少経験している私も、この企画を仕掛けた人の発想はなるほどと思わざるをえない。

今の時代、作家もキャリアが邪魔をしている時代だが、どうやら画廊もキャリアが邪魔をする時代となってしまったようだ。
アートフェアーでも創業5年未満の画廊しか出展できなかったり、40歳未満でないと駄目だとか、すっかり様相が変わってしまった。

老舗画廊が多く参加した昨年のクリスマスイベントはこうした戦略とは対極の一万円コーナーとかクリスマスの贈り物といったちょっと気恥ずかしくなるような企画だったが、結果は動員力も売り上げも無残な結果となった。
多くの画廊が集まって、こうした貧相な企画しか立てられなかったことも悲しいが、私もそうだったが参加軒数が多く、お祭りの寄付みたいなもので、殆ど人任せだったことも失敗の要因だったように思う。
こうしたイベントはもっと数を絞り込んで、本気でやる画廊だけでないと意味がなく、私もそれは京橋界隈展で実感している。

蚊帳の外の私達はただ指をくわえて見ているばかりだが、ただ手をこまねいてばかりではいけない。
新しい人たちの発想、戦略は確かに見習うべきことは多いが、私達が長年積み上げてきた経験を何とか生かせないものだろうか。
少数でいいからキャリアのある画廊が新しい発想で結集し、何か動き出さないといけないのではと痛切に思う。

2月13日

寒い日が続くが日課の朝のウォーキングは欠かさず続けていて、たるんだお腹も多少は引き締まってきたようだ。

今朝も雪が降る中をエイヤ!と気合いを入れて出かけた。

途中道端に突き出た桜の木になんと桜の花が咲いているではないか。
雪が舞う中で見る桜もなかなか乙なもの。

我が家のベランダにも昨日から黄色や橙、それに白い色のパンジーの鉢植えが飾られ少しずつだが春の足音が聞こえてくる。

2月15日

新橋の鉄道歴史展示室で開催されている東京ステーションギャラリーの企画による「現代絵画の展望・12人の地平線」の後期が始まった。
旧作が並べられた前期から新作を展示した後期に移り、新たな視点でそれぞれの作家の作品を見ることができた。

特に目をひいたのは藤浪理恵子と中村一美、宮崎進の作品であった。
藤浪の写真をベースにした作品は旧作にも増してより幻想的な世界が展開されていて、彼女の意図するイメージがより深まったように思う。

中村の作品も鳥をイメージした連作の一点だが、ほとばしるような絵の具の筆跡は強く目に焼きつく。
抽象画が劣勢な時代にあって、改めて抽象っていいなと思わせる作品であった。

宮崎作品は88歳とは思えない力強く若々しい作品である。
シベリア抑留を体験した作者が凍てつく暗い大地にあって、春が訪れた大地に陽光が降り注ぎ、自然の新たな息吹が湧き立つ情景を描いた作品だが、厳しい状況下にあって、春を迎えた喜びは体験したものでしか知りえない感動であったに違いなく、観る者にもその思いがひしひしと伝わってくる。

他にも目に付く作品もあったが圧巻は夏目麻麦の作品であった。
自分のところで扱っている作家なので、どうしても贔屓目に見てしまうのは仕方がないが、そうした分を差し引いても、彼女の作品は文句なく素晴らしいと思った。
油絵の具がこれほど美しいと思ったことはない。
澄んだ湧水の奥底を覗いた時のように、深く透明な色調に自分の目が吸い込まれて行くようだ。
ほの暗い中に浮き上がる少女の姿は、まるで澄み切った水底から立ち上がってくる女神のように神々しく気高い。
顔をはっきり描かないことで観る者に多様なイメージを与えるが、それぞれがどんな思いでこの少女を感じてくれただろうか。

3月22日まで開催されている。

2月22日

土曜日、私共で発表を続ける岡本啓くんと高木さと子さんの結婚のお祝いパーティーがあって大阪に出かけた。
会場はヨシアキ・イノウエギャラリーが経営するお洒落なフレンチレストランである。
韓国などでは多く見られるが、レストランを併設している画廊は日本では珍しく、麻布にあるギャラリー額賀とその兄弟が経営する有名フランス料理店平松亭ぐらいだろうか。
以前に私の父親が新宿に画廊とレストランを一緒にやっていたことがあったが、その当時はフランス料理とかイタリア料理といった洒落たお店は殆ど見かけず、いわゆる洋食屋といった類のものであった。
お店には岡本君の作品や同じようにイノウエギャラリーでも作品を発表しているリ・ユンボク君の作品が飾られ、これがまた赤い壁にマッチしていて、画廊で見るのとはまた違って作品を引き立たせている。
二人の幸せそうな顔を見ながら、おいしい料理を堪能させてもらった。
二人には同じ作家同士お互いを刺激しながら更に高いところを目指して頑張ってもらいたい。

2月23日

日曜日に大阪に来たついでに国立国際美術館に行ってきた。
以前に同じ国立国際で開催されたエッセンシャルペインティングでデュマス、タイマンス、ペイトン、ドイグなどを見て、目からうろこのような新しい海外のアートの動きを知ることができたが、今回はその日本版といったところだろうか。
開館5周年記念で「絵画の庭ーゼロ年代日本の地平から」と題して、今や日本現代美術の主流となっている新たな具象表現の作家たち28名の作品を全会場を使って個別に見せている。
ゼロ年代と題されているように2000年に入って世界のアートシーンは大きく変わっていった。
日本も村上・奈良といった作家達が国際舞台で高い評価を得て以来、それに続けとばかり一斉にサブカルチャーの氾濫となったが、その辺とは一線を画しながらも新たな具象表現を目指す作家も多く、そうした作家達も加えて今の動向を知る興味深い展覧会となった。
草間・奈良・会田・といったおなじみの作家を筆頭に私共で発表をしたことのあるO・JUNや小林孝亘、町田久美、加藤泉など活躍中の作家から新人作家まで多彩な顔ぶれとなった。
新しい作家の中では、人工と自然が混在する風景とそこに点在する人々をフラットな色面で表現する厚地朋子、内外の伝統的な絵画をベースに幻想世界を描く花澤武夫、童話をやシェークスピアなどを題材に夢想の世界を描く小沢さかえの作品が印象深かった。
人物画が全盛の時代にあって、3人に共通するのは風景を背景に人物を配していて、日常を離れた幻想風景に新たな流れを感じさせるものがあった。
こうした表現は私共では山本麻友香がいち早く取り入れているが、サブカルのような軽めな作品ばかりが目立つ昨今にあって、こうした作風は深く心に響かせるものがあって印象に残った。

2月24日

2月26日から28日まで香港・グランドハイアットで開催されるアジアトップギャラリー・ホテルアートフェアーに参加する。
世界同時不況からいち早く脱却した中国、その中でも自由経済体制を維持し活況を呈する香港への初見参となる。
ソウル、テグ、台北、シンガポール、北京とここ10年近くにわたってアジアを中心に活動の場を広げていったが、香港には縁がなく、ようやく参加の運びとなった。
香港の画廊での個展の依頼や、香港クリスティーズや香港サザビーズのアプローチもあって、香港との縁も今年は深まりつつあり、そうした意味でも来週からのフェアーは私どもの作家を紹介するいい機会になればと思っている。

先日、独自の世界観・時代観を持ち、テレビのコメンテーターとしても活躍をする寺島実郎氏の「時代認識」と題した講演を聴く機会があった。
リーマンショック以降の世界の構造転換は著しく、アメリカと日本の減速に対し中国、インドなどBRICSの台頭は知られるところだが、中国を含めてシンガポール、香港、台湾を一つの大中華圏として捉え、その上で韓国、アセアン諸国も含めたアジア経済の発展と対米関係について示唆にとんだ話を聴く事ができた。
実質GDP前年比も2010年日本の1.5%に対し、中国9.6、台湾4.6、香港4.5、シンガポール5.6で厳しいと思われた韓国も4.7と著しい回復をしてきている。
これにインドネシア、タイ、マレーシアなどを入れた日本を除くアジアの実質GDPは前年比7.7と日本の5倍以上の数字となっている。
20年後にはアジアが世界のGDPの4割を占める時代が来ると予測する。
物流でも港湾ランキングの1位はシンガポール、続いて上海、香港、深?、釜山となっていて、東京23位、横浜27位、神戸は何と39位にまで落ちてしまっている。
こうした物流基地のハブ化も日本はアジア諸国に取って代わられ、貿易比率も対米から対中華圏に大きくシフトしつつある。
こうした数字を踏まえ、アジア諸国の中で日本だけが唯一立ち遅れている現状を認識した上で、今後どう対応していくべきかの指針を提示していただいた。

私もアジアに出かけるたびにその発展振りに驚くとともに、経済だけではなく文化面での日本の立ち遅れを痛切に感じてきた。
勝海舟や福沢諭吉ではないが外に出て改めて日本の足らなさを知ることは多い。
足の引っ張り合いや目前の選挙のための地元利権重視の政治家達にもっと外を見て、そんなことをやっている場合かと言いたくなる。

旧正月のここ数日、銀座の高級ブランド店には中国人観光客がひしめいているのを見て、高度成長時代の海外での日本人観光客を思い出させる。
こうしたことがいいかどうかは別にしても、時代は大きく変わってきている。

2月25日

ホテルの部屋はオーシャンビューで広くて快適。
部屋からは海を隔てて九龍市街の高層ビル街が見える。
30数年前に来て以来であまりの変わりように驚く。
ごみごみとして洗濯物が軒先に満艦飾の如くぶら下がっていて、アジアそのものといった感じだったが印象は一変。
どの都市も高層ビルが立ち並び、その土地のカラーが失われていくのが寂しい。

会場はグランドハイアットの3フロアーの各室を73軒(日本は23画廊)の画廊が使って開かれる。
日本のホテルフェアーと違い部屋が広々としていて、大きい作品を持ってこなかったのが悔やまれる。
それでもほぼイメージ通りの展示を早めに終えることができた。
他のところはのんびりしていて、いまだ到着せずの画廊がほとんどで他人事ながら心配。
スタッフの寺島の友人夫妻がフェアーの見学を兼ねて遊びに来ていて、夫妻は以前に香港に住んでいたこともあり、その案内で市内の画廊の見学と夕食を一緒にすることになった。
香港はコンテンポラリーギャラリーはそれほど多くなく、古美術店が立ち並ぶ中にぽつんぽつんとある。
昨年暮れに金井訓志の個展をしたカイスギャラリーの香港店もここにある。
ソウルや北京と違い、他の香港の画廊もそうだが、日本より少し大きいといったところだろうか。
すぐ側には千住博を扱うニューヨークのサンダラムギャラリーの支店もある。
このあたりは急坂が多く、画廊の人たちは足腰が強くなるに違いない。

大勢の人で賑わう市街に戻り、ミシュランでも紹介され数多くの料理で賞もとっている海鮮料理で有名な太湖海鮮城に向かう。
予約を早めにしないといけない人気店だそうで、料理は評判通りのおいしさで大満足。
その上、支配人が私たちに大サービスをしてくれて、デザートのお菓子や果物、高級茶まで御馳走になり、お土産に中国茶用の急須とお茶碗のセットまでプレゼントをしてくれるといった至れり尽くせりのもてなしに大感激。
お腹いっぱいで一人二〇〇〇円ほどなのに、申し訳ないほどの歓待にブログで宣伝をさせてもらうことにした。
こうしておいしい料理で英気を養い明日に備える。

2月26日

初日を迎えたが、押すな押すなの日本のホテルフェアーと違って来場者が少なく拍子抜け。
さて、どんな結果になるか不安もあるが、少ないなりに引き合いも何点かあって、成約に結び付いてくれるといいのだが。
今回は初めての試みとして山本麻友香・夏目麻麦・服部知佳・門倉直子にドローイングや水彩・オイルオンペーパーなど紙による作品を制作してもらった。
香港に来る前に私どものお客様に見てもらうと大好評で、価格も手頃なこともあって置いていくように言われたが、まずは香港のコレクターに持ってもらうきっかけになればと思っている。
ホテルの中と違って外は蒸し暑く、昨日の夜は気温は24,5度なのだが湿度が90%を超えていて、歩いていても汗が止まらない。
2月の冬の時期でこんな具合だから、真夏は一体どんなになるのだろう。         
6時から始まったVIPパーティーもそれほど盛り上がらず、静かな一日が終わった。

2月27日

相変わらず人は少ないが、昼過ぎには昨日からのペンディングの作品を含めそこそこの点数の作品が売約となり、一息つくことができた。
香港の若い建築家や北京の画廊のオーナーなどともご縁ができ、少しづつだが成果も上がってきた。
昨年、金井訓志の個展を開催したソウルのCAISギャラリーは香港にもギャラリーがあるが、そこでも私どもの作家をプロモートしていきたいとの申し出もあり、香港にも足場ができることになった。
夜には台北で知り合ったEXITギャラリーのオープニングパーティーがあって出かけるが、その後に大サービスをしてくれた海鮮レストランに日本の画廊の人たちと一緒に行くことになった。
こうやってもう一度行ってみようとなるのも、味もさることながら 行き届いたサービスがあってこその繁盛なのだろう。
今回も支配人の特別の配慮のお任せ料理で味もボリュームも値段も大満足であった。

2月28日

香港フェアも最終日。
日曜日なのだが昼の2時ごろまでは相変わらず人が少なく、よその画廊からは主催者はいったい何をやっているんだと文句の声も聞こえるようになってきた。
丁度ホテルの外では市民マラソン大会が開かれていて絶え間なくマラソンランナーが駆け抜けていく。
きっとコレクターもマラソン大会に参加しているんだろうとの冗談も空しく聞こえる。
ようやく午後も半ばになってから人が来るようになり商談も進むようになった。
旅行中に新聞のニュースで知ってやってきたスペイン・バルセロナのコレクターが夏目麻麦の作品 を買ってくれた。
今までコレクションをした作家の中でも3本の指に入る作家で、是非スペインの画廊に紹介したいとうれしいことを言ってくれる。
やってくる西洋人は一様に彼女の作品に興味を示していたので、アジア人との好みの違いが良くわかった。
彼等は深い質感を持った作家や抽象表現に関心が行くようだ。
中国の人はあくの強い細密画に関心を示し、韓国の人は柔らかい作風に目が行くようだ。
山本麻友香を筆頭に10数点が売約となり、まずまずの結果となったが、いま一つ盛り上がりにかけるフェアーであった。
韓国の画廊が主催者だったこともあって、香港の画廊関係者を巻き込まなかったことも、人が来なかった要因の一つかもしれない。
今回のフェアーをいい経験にして、来年に繋がることを期待したい。

3月1日

朝5時起きで香港のホテルを出発し、何とか6時前には画廊に滑り込み、合田佐和子展のオープニングに間に合った。
既に大勢の人で賑わっていて、作品を見るどころではない。
新聞関係の人も何社か取材をするつもりで来ていたが、話を聞くどころではなく改めてということになった。
今回の作品は色彩がひと際明るく、テーマも女優シリーズが中心のせいか、会場は一段と華やかな雰囲気に包まれていた。
ビルの窓や街路にイルミネーションがまばゆいばかりに輝いていた香港から日本に帰ってくると、外の景色が何となくダークに見えて仕方がなかったが、画廊内の賑わいだけは香港に負けてはいなかった。
友人が会長をしているワイン会社から取り寄せたおいしいワインに酔いしれたのか、疲れで話す元気もなくなってしまった私を尻目に、合田さんを囲み大いに盛り上がっていた。

3月5日

早いものでひな祭りもあっという間に過ぎてもう週末。
下の娘が嫁ぐことが決まり、来週の日曜日には結納。
あわててお雛様をしまう心配もなくなり、我が家に飾ることもこれで最後になってしまった。
シドニーにいる上の娘からも昨夜に二番目の子供の妊娠の知らせが入る。
今日は春の陽気となり、娘ほどではないが、何となく心が華やぐ。

3月1日以前の香港の日記が何故か届いていなくて順序が逆になり、日記をご覧の方には大変ご迷惑をおかけした。
パソコンも人に頼っていると、自分の力でどうにもできず歯がゆいことが多い。
家のパソコンもここしばらく原因不明(ウイルス感染?)で起動しなくなっていたが、叩いたり、蹴飛ばしたりしないのに昨夜突然回復。
香港でもデジカメがうつらなくなって大慌て。
スタッフが見ると、フイルム代わりのカードの爪がどういうわけか動いていて作動しないとのこと。
とにかくわからないことが多すぎて、機械に振り回される毎日である。

3月6日

昨日はあんなに暖かかったのに、朝から冷たい雨。
明日は雪になりそうだというから三寒四温どころではない。

画廊の車のリース期間が終了し、新しい車がやってきた。
前の車はデザインや大きい作品が入るスペースも気に入っていて、同じ車種を希望したが、ステーションワゴンのような車種はこのご時勢では人気がないらしく、生産中止の憂き目にあってしまった。
ガレージの高さもあって、大きな作品が積めるワンボックスの車はあきらめなくてはならず、若者がサーフィンかスノボーにでも行くようなちょっと気恥ずかしい車に乗る羽目になった。
納車の時に手が離せず、装備の説明を聞かないままに、いざ運転と車に乗り込んだが、見たこともないような装置ばかりで、何がどうなっているかさっぱりわからない。
それではと説明書を出してみると、分厚い説明書が何冊も。
色々と便利な機能がついていそうだが、頭が痛くなりそうで読む気もしない。
パソコンもカメラも車も、年寄りをぼけさせないように、きっと気配りをしてくれているのだろう。

3月9日

日曜日に我が家で大学時代のヨット部の仲間家族と寿司パーティー。
大手広告代理店を定年退職した高校のヨット部の先輩が、第二の人生で「出張江戸前寿司」を始めたことを聞き、人間ごと出前してもらうことになった。
元々好きで見よう見まねでやっていたそうだが、退職後本格的に寿司屋で修行をした後、サラリーマンからの大転進となった。
最初は商売ということではなく、老人ホームなどの施設に出かけて、お寿司屋さんに行く機会のないお年寄りのためにと思ってはじめたそうだ。
しかし、おいしいお寿司のためには、ネタもよくしなくてはならず、必然的にコストがかさんでしまう。
そんなこともあって、お寿司屋さんで食べることを思うとそんなに高くないのだが、そうした施設では難しいことがわかった。
そこで口コミで、個人の家を廻るようになったそうである。
一人でやっているので、ホテルなどでの模擬店のようにはいかず、10人程度の集まりが最適のようだ。
手馴れた手つきで握る姿は、当時の怖い先輩の面影はなく、すっかり堂にいっていて、高級寿司店で握ってもらっているような趣がある。
持参したメニューには20種類のネタが書かれてあったが、極上のネタに全て完食、仲間全員すかっりご満悦の呈であった。
宣伝もせず、気が向くままにやっているようだが、是非紹介したいとブログに書かせてもらうことにした。
是非と思う方は私に連絡をしていただければ紹介をさせていただく。
東京近郊で、時間さえ合えば出張してもらえるはずである。

3月10日

美大生の就職活動の場として、六本木ヒルズ森アーツセンターで3月12日から27日まで美大生の就職活動展覧会が催される。
就職が厳しい昨今にあって、ひと際厳しい美大生には何よりの場が設けられることになった。
実際の作品を見てもらいながら、企業や画廊との出会いの場を設ける画期的な試みである。
就職希望の全国の美大生を募り、審査を経た150点が展示される予定で、100の企業が来訪予定だそうだ。

美大生の就職というと、デザイン系か学校の先生といったところしか思い浮かばず、ましてやギャラリーにもそうした場が設定されるとは思いもしなかったことで、大変興味があるので出かけてみようと思っている。

学校の先生といっても専任教師などは夢のまた夢で、なったとしても殆どが非常勤講師が関の山、私共が関係している作家さん達も多くはアルバイトで糊口をしのいでいるのが現状である。
もちろん売れっ子作家になれば就職など必要ないが、そう日本で売れっ子作家を数えるとすると50人いるだろうか。
毎年多くの美大生が輩出される中で、美術だけで食べられるのはほんの一握りといえるだろう。
美術で食べられない、就職も覚束ないとすると、高い月謝を払って卒業してみてもお先真っ暗である。
ひたむきに制作し続ける気概を持たなければ美術家などやってられないということになる。

といって就職して、生活が安定して、いい絵が描けるかというと、これまた別問題である。
美大の教授陣が全て日本を代表する作家かというと決してそうでもない。
また企業に就職して、残業や休日出勤が続く中で、どのくらい制作に時間が費やせるだろうか。
夭折した有元利夫は電通に就職したが、絵を描く道を選び、会社を辞めて制作活動に入った。
税官吏であったアンリールッソーは50を過ぎて退職してから絵描きの道に進んだ。
こうした安定した仕事を捨てて、評価を得る場合だってある。

今、新しい画廊が多く誕生し、若い作家の企画を立ち上げているが、その多くが果たして30年40年と同じ作家を紹介をし続けることができるだろうか。
私の経験からすると、これもまた難しく、作品の良し悪しだけではなく、人間関係が良好でなくてはなかなか続けていくことはできない。

美大生にとって就職活動展覧会は朗報なのに、水を差すようなことばかり言って申し訳ないが、それだけ芸術を極めていくのはの厳しい道のりだということを肝に銘じて、是非とも勝ち抜いていって欲しい。

3月11日

損保ジャパン美術財団は新進作家の支援・育成を目的に「損保ジャパン美術財団奨励賞」を毎年公募美術団体に授与し、その受賞作の展覧会を開催している。
更に全国の推薦委員から推薦された作家の作品を加えて展示し、その中から優秀賞を授与している。
推薦作家26名の中に伊庭靖子・榎俊之・山田純嗣など活躍中の作家と共に私共で発表している横田尚・堀込幸枝や秋にGT2で個展を予定している青木恵が選ばれ、同じくGT2で個展を重ねる春陽会の四谷明子が奨励賞受賞作家の一人として名を連ねている。
もし関係作家が最優秀賞100万円をもらうことになれば、ご馳走になることを期待して、明日の表彰式に出かけることにしている。
3月13日から4月4日まで新宿の損保ジャパン東郷静児美術館で開催される。

3月13日

毎週土曜日に柳画廊の野呂洋子さんから「今の美術業界を考える」と題したメルマガが送られてくる。
300回を既に超えていて、閉鎖的な美術業界に対しての疑問を提起し、新たな方向性を見出そうとする熱い思いには、いつも頭が下がる。
他業種のIT関連の大企業のキャリアウーマンから、私がお世話になった長い伝統を誇る梅田画廊の現会長の息子さんのところに嫁いだことで、古き商慣習と新たな流れの狭間での彼女なりの葛藤が垣間見え、共感を覚えるところが多い。
私も父親の仕事を継いで、この世界に入ってこの4月で42年となる。
長い間に染み込んだ古い体質をそぎ落とそうと、新たな方向性を目指してギャラリー椿を設立してからも27年が経ち、未だにその行く先を見定めることができないままに、歳月ばかりが過ぎていってしまった。
こうした業界どっぷりの私でさえ、いつまで経ってもこの業界の体質になじめないのだから、外から参入してきた人たちにとっては戸惑うことは多々あるだろう。
とは言え、大抵はなじめないままに、その世界に腰を落ち着けてしまうのが落ちなのだが、彼女の偉いところは現状は現状として認識しつつ、新たな道を模索し、実行しようとしているところである。
更に感心するのは、自分の画廊とは切り離して、業界全体にとって何が大事かを常に念頭において動いていることである。
私なんかは京橋界隈にしても、この地域の活性化を図ることで、ひいては自分のところにお客様がとつい考えてしまうのだが。
毎土曜日の彼女のメルマガを見るのが楽しみの一つになっていて、萎えかける私の心に火をつけてくれる。
それでも翌日曜日に休みでだらっとしていると、その灯は直ぐに消え、また次の一週が始まる。

3月14日

損保ジャパンに続いて三菱商事が若手アーティストの育成とキャリア支援を目指す「三菱商事アート・ゲート・プログラム」が土曜日に開催された。
将来性のあるアーティストの作品を購入し、一定期間展示後、オークションにかけて、その売り上げ金を美術を志す人の奨学金にあてるプログラムである。
そのオークションが行われ、アートソムリエの山本様からその折のパンフレットをいただいた。
その中に、4月5日からGT2で展覧会を予定している岩淵華林が入っていて驚いた。
東京造形大大学院をこの春卒業し、その最初の発表を私共でやることになっている。
木村繁之氏の紹介で資料を見せてもらい、とてもいい仕事をしていて、その発表をとても楽しみにしていた。
それだけに三菱商事の支援を受けたことは、卒業前の彼女にとって何よりのはなむけであり、私にとってもうれしいニュースとなった。

今日は第一生命が主催する、40歳以下の平面作品のコンクールである「VOCA展」のオープニングがある。
ここから多くのスターが輩出される事もあって、展覧会も楽しみだが、それとは別に「いま、なぜ具象なの」と題したシンポジウムがあり、先日の国立国際美術館の展覧会と相俟って大変興味あるテーマなので聞きに行きたいと思っている。
ただ、娘の結納という大イベントがあって、時間が取れるかどうか難しいところではあるのだが。

3月15日

VOCA展に行ってきた。
先日、「はっとさせる絵がいい絵」だと言った言葉をお客様から聞いた。
名前を聞き損ねたが、著名な人の言葉らしい。
その意味では、今回「はっとする絵」は少なかった。
何処かで見たような、そんな作品が多いように見受けられた。
事実、賞をもらった作家の中には、韓国の人気作家と同じ手法・同じ表現の作家がいて驚いた。
トリック的な作品で目を引くが、韓国で何度も見た絵だと思うとしらけてしまう。
そうした中でVOCA賞の三宅沙織の作品が、写真という媒体をベースに独自の手法で表現していて、内容も可愛らしさと不気味さが共存する不可思議な世界で、取るべくしてとったいっていいだろう。

その後「いま、なぜ具象なの」と題したシンポジウムは私と思いは同じか、席が足りないほどの人が集まり、熱気に包まれた。
高階審査委員長の司会で、現在第一線で活躍する各審査委員がそれぞれ与えられたテーマに対する考えを述べた。
私の大学時代の友人でもあるVOCAの前担当部長が、具象の話が抽象過ぎてさっぱり分かりませんでしたと冗談めかして言っていたが、なぜ具象なのかの答えは先生方の話からだけでは見出すことはできなかった。
視覚ではなく感覚で表現する抽象絵画がすべて出尽くしてしまった結果の、今の具象なのではと私は単純に思っている。
また詩や音楽・文学といった心に訴えかけるものではなく、アニメ・漫画・写真・ビデオといった視覚で受け止める時代に育った世代は、当然のごとく具体的な表現に置き換えようとするのでないだろうか。
その背景にあるものを理論で裏付けようとすると現時点ではなかなか難しい問題で、ある時間を経過して振り返ってみてからでないとその答えは見つからないのでは。

3月18日

隣りのブラザーミシンのビルが完成間近となり、白い囲いが取れて、ビルの全貌が見えるようになった。
ガラス張りの明るいビルで、画廊の正面玄関前の道も整備されることになる。
騒音や振動・砂埃からはひとまず解放されるが、今度は裏側の工事が本格的に始まる。
こちらは9階建てのブラザーミシンどころではなく、24階建てのこの界隈というより銀座・京橋の中央通沿いではで一番の大きなビルが出現する。
ということは約3倍の工事が始まるということで、またしばらくは同じような騒音や振動に悩まされることになりそうだ。
更に悩みは、この通りが白い囲いだけに覆われ、日が暮れると街灯もない真っ暗なうら寂しい景色となってしまうことである。
何とか灯りだけは明るくして欲しいとお願いをしているが、果たして希望通りとなるかどうか定かではない
完成が平成25年の春というから、これから三年我慢をすれば、この辺の景色は一変する。
それまで不安半分、楽しみ半分の三年間である。

- - - 都市再生特別地区「京橋三丁目1地区」都市計画提案を提出/東京建物

「京橋三丁目1地区」都市計画完成イメージ

 東京建物(株)は6日、京橋開発特定目的会社、片倉工業(株)、清水地所(株)、第一生命保険相互会社、京橋三丁目特定目的会社、ジェイアンドエス保険サービス(株)の6社が、東京都中央区京橋三丁目1、2番街区において共同での開発事業を行なうことに合意したと発表。東京都に対し、都市再生特別地区(京橋三丁目1地区)都市計画決定等の提案書を提出した。なお、同社は共同事業者6社からプロジェクトマネジメント業務を受託し、開発計画を進めている。

 敷地面積約8,130平方メートルの地に、地上24階地下3階建て、延床面積約11万6,000平方メートルのビルを開発するプロジェクト。用途は、事務所・店舗・交流施設・医療施設・子育て支援施設・駐車場等。

 同計画では、建物低層部分に重層的な緑化空間である「(仮称)京橋の丘」、幅広く環境改善に取り組む「(仮称)京橋環境ステーション」のほか、大規模テナントビルとして先端的なCO2削減モデルビルの整備を実施。また、東京メトロ銀座線「京橋」駅を中心とした地上および地下の歩行者ネットワーク形成を図るため、地下鉄駅施設のバリアフリー化と地域に開かれた地下広場等の整備も行なう。

 2010年秋に新築工事を着工、13年春に竣工予定。

3月21日

お彼岸の連休を利用して、私が入っているロータリークラブの仲間の文化祭といったらいいだろうか「友美会」と題した展覧会を開催する。
会員の油絵や写真・書などに混じって、会員所蔵の名品珍品も出品された。
林武の絵や徳富蘇峰の書、殷・周時代の青銅器、天平時代の薬師寺の瓦など「お宝鑑定団」に出したらと思うような作品も出品され、会場所狭しと飾られた。
いつもお見えになるお客様には、素人の作品を見ていただくのは気恥ずかしいところもあって、2,3年に一度休みを利用して会場を提供している。
仲間達にとっては親睦のいい機会となり、芸術には程遠い終わってからの一杯が楽しみの連中もやってきて、賑やかな連休となる。

3月22日

画廊の前の大島桜もちらほらとほころび始め、いよいよ春間近。
二日間のロータリーの仲間とその家族の展覧会も陽気につられてたくさんの人が見える。
会員の息子さんでテレビで活躍している漫画家でタレントの山咲トオルさんが書いた美空ひばりの絵も出品されている。
彼がブログで紹介したこともあって、ファンの若い子達が駆けつけ、おじさんおばさんたちに混じって熱心に見ている。
彼はホラー漫画の傍ら、美空ひばりやマリリンモンロー・マイケルジャクソンなどの絵も描いていて中々の腕前である。
丁度、画廊に合田佐和子の作品が飾られているのを見て、恥ずかしいといって自分の絵を持って帰ろうとしたが、会場にあってはひと際目を引くいい作品である。
合田さんのマリリンモンローの絵には、自分が同じモティーフで描いていることもあってか、食い入るように見つめ、すごいすごいの連発であった。
お父さん、山咲さんにモンローの絵買ってあげてください。

3月24日

一日雨模様。
明日は友人達とのゴルフコンペの予定だったが、どうやら明日も雨らしく中止の知らせが。
雨男の面目躍如。
平日にゴルフをしようとするとかなりの確立で雨になるのは、こんな時に遊んでいてはいけませんよという神様の厳しい叱咤だろうか。
そんな知らせが入った途端に、お客様から電話が入り、明日はお客様も同じくゴルフコンペが中止になったそうで、画廊に行って土曜日から始まる服部知佳の作品を先に見たいとのこと。
やはり、神様は私にさぼらないで仕事をしなさいというお達しのようだ。
スタッフの島田に明朝早めにアトリエに行ってもらい、作品を取ってくることにした。

3月25日

今日も予報どおり雨。
その上、寒くて冬に逆戻り。
クリーニングに出そうと思っていたコートやマフラーが再出動。

明後日から始まる服部知佳の作品も午後には届き、早くに飾り付けをすることができた。
昨日電話のあったお客様も雨の中を早々に駆けつけ、早速に予約を。
今回は今までのような花などの植物主体ではなく、案内状のようなかもめとくらげなどの海の生き物が壁面を飾る。
空高く舞い上がるかもめを壁面の上のほうに、海中を泳ぐくらげを下のほうに配し、それぞれの臨場感を出す工夫をした。
彼女の特長でもある色彩の揺らぎが神秘的な空間となって、果てしない大空と深淵なる海底に見る者をいざなう。
会場にいると、そうした空間の中で、何とも心地よい浮遊感に包まれる。
是非お越しいただき体験していただきたい。

会期の途中だが、4月3日(土)の7時から9時の間、作家を囲んでのワインパーティーを催す。
私のところは参加しないが、東京アートフェアーの真っ最中ということもあって、海外からのお客様にもパーティーの案内をさせていただいており、賑やかな一夜になればと思っている。
是非共皆様のご来場をお待ち申し上げる。

3月26日

鎌倉のお客様のところへ。
書画骨董といったらいいだろうか、掛け軸、茶道具といった類のものを処分することに。
専門ではないので覚束ない手で掛け軸やお茶碗の紐を解いたり結んだりでかなり緊張。
詳しくはわからないがそこそこのもののようだ。
車一杯に積み込み途中近くにある鎌倉近代美術館に立ち寄る。
ここでは昔からの知り合いの作家松谷武判の展覧会をやっていて会期も終わり近くになっていたがようやく見ることができた。
具体美術運動の最後の作家で長いことパリを拠点に活躍をしている。
漆黒の作品がずらっと並び東洋の抽象そのものといった感じで海外でもますます高い評価をえるのでは。
美術館はがらんとしているが隣の鶴岡八幡宮は大勢の参拝客でにぎわっていた。
先の強風で倒れた大銀杏は無残な姿に変わり果て寂しげな風景となってしまった。
ミーハーで写真とりました。

3月27日

やっと今日から始まる服部知佳の案内状のような青空が広がった。
肌寒いが桜も一斉に咲き誇り、いよいよ春到来である。
GTUでも「うじまり展」が始まる。
こちらも服部同様に20代の若手作家で私のところで初の個展となる。
同じ生き物でも服部と違い、菌類をテーマに繊細な面相筆による日本画を描いている。
動植物の遺骸を栄養に、新たな命を宿す菌に興味を持ち、命菌と題して生と死という根源的なテーマに立ち向かう。
顔料による散っていきそうなはかなげな線が、油絵に慣れ親しんだ私にはとても新鮮に映る。
一目見て、5月に京都で開かれるアートフェアーに、彼女の作品を紹介することにした。

3月28日

長男の嫁のコンサートがあって宮崎にやってきた。
ソプラノ歌手の彼女が出身である宮崎の県立芸術劇場で公演をすることになった。
会場の周りの広いエリアに県立美術館など文化施設が立ち並び、劇場の前には芝生広場が広がり、市民の憩いの場となっている。
イタリア歌曲やオペラアリアなど彼女の歌声を堪能した後、美術館を覗いてみた。
目を見張るような立派な美術館である。
入場無料はうれしかったが中川一政・北川民次からシニャック・クレーに地元作家まで内容はばらばらでこれでお金とったら怒られるかも。
併設のえいきゅう展のほうがまだ見応えがあった。
それにしても建物とコレクションの格差がひどすぎる。
バブル期のばらまきの箱物行政の典型である。
空港で借りたレンタカーに乗って青島のホテルに向かう。
結婚を目前に控えた娘も一緒に家内と3人で明日は車で宮崎観光 へ。
親子水入らずの旅行もこれからはそうはなさそうなので、短い旅だが楽しんできたい。

3月31日

今日も朝からお客様の倉庫に入って、200点余の作品を運び出す。
埃と黴菌で肺の中はおそらく真っ黒になっているに違いない。
腹黒くはないと思うのだが、肺黒くなってしまった。
スタッフとアルバイトの3人でその中から保存状態がましな作品を110数点選び出し、2台の車に隙間なく詰め込むと既に夕方になっていた。
よく友人に画廊はきれいな仕事でいいねと言われるが、とんでもありません。
こうしたことも仕事のうちで、運送業であったり、梱包屋であったり、力仕事であったりと、画廊の仕事も多岐にわたり、どんな仕事でもそうだと思うが、楽な仕事はありません。

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