Diary of Gallery TSUBAKI

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4月3日

アートフェアー東京に行ってきた。
VIP限定のプレヴューで、今回はVIP招待をだいぶ絞り込んだようだが、それでも大勢の来場者で賑わっていた。
出展をしていない私には多少の羨望と後悔で少し複雑。
実は秋葉原で同じ時期に開催される101フェアーの方に出展を考えていたが、セレクションで見事落選し、アートフェアー東京の方は既に時遅しで申し込むことが出来なかった。
101の方が海外のお客様が多いのではとの予測でそうしたが、昨日の様子ではアートフェアー東京にも海外からのお客様も多く、後悔しきりである。
特に目立ったのは台湾からコレクターが大勢来ていることである。
画廊にも作品を買っていただいている台湾のコレクターが見えたり、雑誌で紹介された夏目麻麦を見に来る人も多い。
そうした方に画廊で作品を予約していただくので、アートフェアーに出展しなくても、恩恵にもこうむっているということで自からを慰めている。
不況・不況の大合唱だが、こうした賑わいを見ていると美術業界も捨てたものではない。
こうしたイベントが定着し、海外からも多くの出展者が出るようになれば、アートフェアーの意義も大きい。
今月16日からは北京、連休明けからは台北と私のところもアートフェアーの出展が続くが、東京同様に盛況であることを祈る。

4月4日

夏目展が始まった。
終日アートフェアーの流れもあってか大勢の人で賑わった。
今風のフラットで軽やかな絵と違い、ダークで深い色調の絵がかえって新鮮に見えるのか、来るお客様がこぞって絶賛する。
私もよその個展で一目見て気にいって声を掛けさせてもらったが、その時よりも数段良くなっているように思う。
描かれた人物から気だるさや喪失感といったものが感じられ、その退廃的な雰囲気を私は気にいっている。
これは私が感じたことで、見る人それぞれが違った印象を持つ絵でもある。
おぼろげな顔の表情を描くことで、違った印象を持たせるのも作者の意図なのかもしれない。
想像力を膨らませる絵、それに加えて澄んだ美しいマティエールが好評の要因なのだろう。

4月6日

アートフェアー東京、101TOKYOも昨日で終わり。
両方ともたくさんの入場者で賑わい、不況どこ吹く風。
今回は部外者として気楽に見せてもらったが、やはり参加しなければ話にならないのが実感である。
101に期待していたが、質的にはアートフェアー東京の方が上のようであった。
来年は通るかどうかはわからないが、早めにアートフェアー東京に申し込んでみようと思う。
親しくしている画廊さんの話では売り上げは去年並みだったようだが、違っているのは殆どが初日で勝負が付いてしまったこと。
去年は韓国のお客さんたちが最終日に来て、残った作品を値切って買っていったが、今年はそんな風景は見られなかったそうだ。
海外からもバブルに踊った北京、上海、韓国からの人よりは、台湾、香港、シンガポールといったところからの人が目立った。
私のところにもそうしたお客様が訪ねて来て、大きい作品などを買っていただいたので、こうした国の人はまだまだ買い気じゅうぶんといったところだろうか。
そうしたお客様が、日本のフェアーはあまりにも会場や通路が狭すぎて、展示も小さい作品が所狭しと飾られ、見るだけで疲れるし、印象にも残らないと言っていたが、私も同感である。
会場費が高いこともあるだろうが、これだけ盛況になったのだから、来年はスペースを広げたらどうだろうか。
広いブースを申し込んだ画廊も、会場の都合でブース数を減らされたと聞く。
このままでは島国、ウサギ小屋のイメージがますます強くなるのではと心配している。

4月7日

アートフェアーは4万人を超える人出があったようだ。
売り上げもA画廊、K画廊、T画廊などは初日に完売の大盛況、足りなくなってあわてて画廊に作品を取りに戻った所もあったようだ。
ただ、コンテンポラリー系の画廊が思ったほどではなかったようで、上記の画廊も従来は近代美術中心の画廊である。
というような話を今日開催された全国美術商連合会の席上で参加画廊から聞かされた。
この団体は唯一の美術商の全国組織で、私も微力ながら理事の一員に加わっている。
20名ほどいる理事役員も私以外は全て東京美術倶楽部や大阪・京都といった美術倶楽部の幹部で構成されていて、何となく肩身が狭いが、何かのお役に立てたり、モダンアート側からの意見も反映されるようにとの思いで出席させていただいている。
この団体の活動目的は文化行政改革を主眼に、現在のお粗末ともいえるわが国の文化行政の問題点を取り上げ、
文化理解を深めるために、有識者も加えて積極的な改革活動の展開を目指している。
そのためにも多くの美術商の参加を募り、組織の維持強化を図る。
以前のような美術商自由国民会議といった自民党を支援する政治団体とは一線を画し、もっと高いところから現状の打破を図ろうとしている団体である。
韓国や台湾の画廊協会から日本の業者の代表に会い、一致協力してアジアの文化向上に努めたいのだが、どこに行ったらいいかと聞かれる。
他の国のような一枚岩の業界団体がないだけに、いつも答えに窮するが、この団体が更に大きくなってわが国の業界団体の核になれればいいのだが。

4月11日

いきなり春を通り越して、夏みたいな陽気が続く。
昨日はその陽気につられて、小田原の和菓子屋Tさんのところに届け物をするついでに、湘南周りで小田原に行くことにした。
強い日差しが海を照らし、きらきらと輝いて見える。
大学のヨット部時代の練習場だった葉山の海には、その当時と同じようにどこの大学だろうヨットの練習をしている風景が見え、当時が懐かしく思い出される。
とは言え、海岸沿いにはその当時は見かけることのなかったサーフィンやウインドサーフィンが所狭しとひしめき合っていて、時代の移り変わりを感じさせる。
今やわがヨット部も部員がめっきり減ったそうで、サーファーに比べヨットマンの勇姿は今いずこといった感がする。
和菓子屋Tさんとは共通の友人も多く、長いお付き合いをさせていただいているが、小田原の小さなお菓子屋を今や小田原にはなくてはならない名店に育て上げ、箱根に出したまんじゅう屋も大繁盛のようだ。
趣味が高じて出したギャラリーも次から次へと展覧会を開催し、私ども顔負けの活躍である。
丁度、彫刻家掛井五郎の作品が所狭しと展示されていて、工芸から現代彫刻まで幅広く企画をしているのには驚かされる。
とにかく思いついたら直ぐに動く人で、去年の暮れに訪ねた二期倶楽部の話をしたら、早速に一緒に行こうということになり、5月の連休明けに予約を入れてくれということになった。
ただし、人気の二期倶楽部、果たして新緑のベストシーズンで予約が取れるかどうか、これが難しい。
多分キャセル待ちになるだろうが、予約だけ入れて見ることにする。

4月13日

私が代表を務めている日本現代版画商協同組合も新年度を迎え、明日は交換会春季大会となる。
もともとはこの組合は現代版画の普及を目的に1976年に設立された団体で、交換会事業を始め諸事業に積極的に取り組んだ結果、版画市場は大きく成長した。
西武美術館で長年開催された「版画大賞展」も元々はわが組合の事業を継承したものである。
現在は版画だけではなく、広範な美術作品を扱うようになり、同様な美術団体がいくつかある中で良質な作品を扱う組合として知られる。
私自身自分の画廊の仕事で手一杯なのだが、40年この業界で働かせていただいた恩返しのつもりでお手伝いをさせていただいている。
明日も一日大会運営に追われるが、終わり次第北京でのアートフェアーが始まる事もあって、成田に向かわなくてはならない。
先に行ったスタッフの話では、向こうではタクシーもホテルも全く英語が通じないとのことで、心細い限りだが、漢字を並べ立ててたどり着くしかない。
以前は招待してくれた画廊が迎えの車から通訳まで用意してくれたので全く不便を感じなかったが、今回はてこずりそうだ。
超バブルがはじけた北京、果たしてどんな結果となるか、現地からの日記でお伝えする。

4月15日

北京アートフェアーCIGEが始まった。
今日はVIP招待日で2時から9時までの長丁場。
私たちのスペースは一階のメーンブースとは別の2階にあるマッチングアジアという個展ブース。
先日の東京のアートフェアーの賑わいぶりとは違い、会場の人はまばら。
美術雑誌の人が会場写真を撮りたいのだが、これだけ少ないと絵にならないと嘆いている。
会場も国際貿易センターという交通至便のいい場所にあるし、展示されている作品の質も高いように思うが、やはり不況の影響が大きいのか。
幸い私のところは予約が何点か入っているので、それ程慌ててはいないが、内心穏やかではない画廊も多いのでは。

6時からVIPパーティーが始まりようやくフェアーらしい雰囲気になってきた。
テレビ局が山本麻友香にインタビューしたいと言ってきたり、お客様もようやく値段を聞いてきたりで忙しくなってきたぞ。

4月17日

三日目を迎えた。
朝晩は初春、昼間は初夏の陽気と寒暖の差が激しく、会場内もエアコンがかかると震えるくらい寒く、止まると蒸し暑いといった具合で、体温調節が忙しくて、年寄りにはこたえる。
泊っているところもアパート形式のホテルで、トイレットペーパーがなかったり、赤ではなく青い印の栓をひねるとお湯が出てきたり、鍵を持って出たらスペアーキーがなくて、お掃除をしてもらえなかったりで、これまた年寄りはおろおろ。
それでも部屋はびっくりするくらい広く、ベッドも3人は寝られるくらい大きなベッドで、快適に過ごしている。
ホテルのすぐ横に現代美術館があり、有名なユー・ミンジュンの個展をやっていて、見に行きたいが時間が取れるかどうか?

フェアーのほうは相変わらず人が少ない。
私たちのブースが2階にあることも影響しているのだろうか、上がってくる人もまばら。
土日に期待したいというところだが、いつもフェアーは前半で結果が出るので、ほぼあきらめの境地、予約が先に入っただけでも良しとすべきか。
それに引き替え、日野之彦の大作を並べた一階ブースのガレリア・グラフィカなどはほぼ完売で、今日は余裕で市内見物に出かけたそうだ。
私も夕方から何軒かの画廊でオープニングパティーがあり、会場からバスが出るので、こちらは余裕はないが出かけることにする。
日本の野田やミズマ、東京画廊もこの日に合わせて展覧会を企画しているので覗いてこようと思っている。

4月18日

昨日はCIGEのシャトルバスで画廊街のひとつ草場地区を訪ねる。
以前に100軒ほどの画廊が集まる798地区を訪ね、それぞれの画廊の大きさに驚かされたが、今回も同じように工場や体育館のような広さの画廊ばかりであいた口がふさがらない。
企画も美術館でやっているようなビデオアートやインスタレーションが多く、場所も中心から遠く離れ、車でなくてはとても行けないところで、どのようにビジネスをしているのだろうか。
今回は行けなかったが、ミズマや野田といった日本の画廊もこの地区にあるので一度聞いてみたい。
夜は今回のフェアーを招待してくれたSOKA ART CENTERのオープニングパーティーに行く。
日本人作家によるグループショーで北京・台北・台南の各店で開催される。
北京では森村泰昌・小谷元彦・加藤泉といったメンバーで構成されている。
ここは一軒だけぽつんと離れた所にあるにもかかわらず、大勢の人が来ていて、アートフェアー以上の賑わいであった。
作品の質も高く、特に大きなスペースに一点だけ展示された小谷元彦の巨大な馬に乗った騎士像は圧巻であった。
数千万円するのではないかと思われるが、すでに売約となっていた。
パーティー終了後、北京ダックのお店に招かれる。
山本現代、アラタニ・ウラノのオーナーや小谷元彦たちと一緒に今まで食べた事のないような北京料理をご馳走になった。
その後、みんなは元気にマッサージに出かけたが、私と寺島はよれよれでホテルに戻る。
それでもこの日は2点に予約が入り、残すところあと一点となり、気持ちよく床につくことができた。

4月19日

いよいよ最終日。
入場者も相変わらず少なく、どの画廊も苦戦をしているようだ。
韓国や台湾に比べ事務局の熱心さがいま一つのように思えた。
ミズマや東京、ワダといった北京に画廊を持っているところが出ていないのも何か理由があるのだろう。
日本も同じで参加画廊や参加申し込みをした画廊へのケアーが足りないと、海外からの参加は難しくなるのでは。
昨日は夕食後マッサージへ。
90分で2千円には驚き、これで一日の疲れがとれるのだから有難い。
地下鉄も初めて乗ったがこれまた30円。
駅も電車も吃驚するくらいきれい。
町もこれでもかというほどモダンな高層ビルやマンションが立ち並び、以前の中国からは想像ができない。
着いた時も飛行場がとてつもなく広くてきれいで、前回来た時とはまったくの様変わりで、飛行場を間違えたのでは思うほどであった。
オリンピックですっかりおしゃれな都市に一変した。
会場の隣にはシャネルやブルガリといったブランド店が軒を並べていて、銀座と少しも変わらず、中国らしい町の風情がなくなっていくのは寂しい。
ただ人のマナーの悪さは今一つで、平気で痰・唾ははくし、車も人も信号無視は当たり前、先に行ったが勝ちで横断歩道を青信号で渡るのも命がけ。
それに加えてクラクションをやたらに鳴らすので心臓に悪い。
気の弱い私にはとても住めそうにない。
今日は最後の日ということもあって、次から次へと画廊のオーナーやスタッフが挨拶や売り込みにやってくる。
引っ込み思案の日本の画廊とはこの辺が違うのだろう。
早速にスタッフの寺島に言って、主だった画廊のブースへ挨拶に行ってもらうことにした。

4月20日

日曜日、最後の午後になって、我がブースは突然賑やかに。
昼飯を食べる暇もなく対応に追われる。
有難い事に残っていた作品も売れて、完売に。
この不景気と初めての中国フェアーへの出展ということもあり、また来る人も少なくて心配をしたが、成果が出たことはことのほかうれしい。
作品のデリバリーも台湾のSOKAギャラリーにお願いをするので、全くの手ぶらで帰れるのがまたうれしい。
海外のフェアーに行くといつも思うのだが、親しい画廊を作り、サポートしてもらうのも重要なポイントである。
この画廊で12月に山本麻友香の個展が予定されているが、今回の結果はかなりの手ごたえを感じたはずで、期待したい。
全体的にはこのフェアーは厳しかったみたいで、全く売れなかった画廊もたくさんあったようだ。
日本の作家の認知度も低く、まだまだこれからの市場のように思うが、将来的には日本よりはるかに大きい市場になることは間違いなく、中国のコレクターに買ってもらった今回の結果が先に繋がってくれることを祈る。
連休明けからは台北のホテルフェアーが始まり、12月まで毎月のようにアジアでの展覧会やフェアーが続くが、今回の結果が弾みになれるよう願っている。

4月22日

夏の陽気だ。
北京展も終わり、夏目展も3週目に入り、人出も一段落といったところだろうか。

澁澤展の折りにもう少し日本のシュールをとりあげたらと書いたが、直ぐ近くの画廊で旧作を中心とした「中村宏展」が開催された。
板橋区立美術館でも開館30周年記念として「日本のシュルレアリスム」が5月16日から予定されている。

北京の私達が出したブースはアジアの40歳までの作家限定となっていて、私のところは若干オーバーしたが、キャリアのある作家は発表ができない仕組みになっていた。
先日の東京のフェアーのTOKIAは開廊5年未満の画廊しか参加できなかったり、秋葉原の101と併設された会場ではYOUNG ARTIST JAPANN という新進作家だけのフェアーが催されたりで、作家も画廊もキャリアが邪魔をする時代になったのかもしれない。
私のところは元々無名の若手を紹介するという方向でやってきたので、今の時代にそれほど戸惑いはないが、果たしてこれでいいのかという思いはある。
アートフェアー東京でも今まで近代や古典をやっていた画廊が、こぞって新進作家の紹介に宗旨替えをしていた。
これからの作家を取り上げる姿勢は画廊にとって重要なことではあるが、猫も杓子もというと首を傾げてしまう。
業者の交換会でも、今までの既成の会は参加画廊が減る一方だが、みなみ会というコンテンポラリーを扱う会には一時100を越す画廊が参加をした。

時代といえばそれまでだが、日本の美術史にぽっかりと穴が開いてしまうのではと思うくらい、50歳以上の作家や物故作家に日が当たらない時代になってしまったようだ。
世界不況の時代にあって、画廊も生き残りに必死で、過去をではなく今をなぞるしかないのだろうが、もう少しバランスが取れないものだろうか。
いつまでもこうした傾向が続くとは思わないし、どの時代にもそれなりの評価を受ける作家はいるはずで、その部分をおろそかにしてしまうと、後で取り返しのつかないことになってしまうのではと心配する。
先の東京のアートフェアーでも脚光を浴びていたコンテンポラリーギャラリーや作家達には翳りが見えたようにもに聞いている。
北京でもキャリアの浅い日本の画廊は売り上げも厳しかったようだ。

要は作家もギャラリーも地道な積み重ねが必要で、そういう積み重ねを全て捨ててしまったり、積み重ねがないまま評価されたりすることは、とても危険なことだと声を大にして言いたい。
そうした意味でも最初にあげたような企画をする画廊や美術館に拍手喝采を送りたい。

4月24日

世襲議員に関して民主党が親族の後を継ぐ議員は継承した選挙区から出ないことをマニフェストに盛り込むことを決めたようだ。
自民党内でもその件に関して議論を呼んでいる。
先日知人の政治評論家から衆議院が後2回任期満了選挙となると、自民党の全ての議員が世襲議員で占められてしまうという話を聞いた。
地盤、看板、カバンを全て受け継ぐことで、国会議員のスケールが矮小化し、勉強不足を問われかねない議員が多くなり、国会の権威と迫力が更に低下するのではと心配する。

我が業界も2代目さんや3代目さんを多く見かけるようになった。
一昨日も触れたが、古い画廊がコンテンポラリー作家に移行する大きな要因の一つに、世代交代があげられる。
うわべだけの変身には首を傾げるが、新しい世代が親と違った感性で新しいことに取り組む姿勢は大歓迎である。
以前から古美術商の2代目さんがコンセプチュアルアートを扱うケースがいくつか見られたが、今の時代は特にそれが顕著に見られるようになった。
地盤やカバンはなかなか捨てられないが、その画廊の特徴である看板が大きく挿げ替えられる画廊も多くなるのでは。

かくいう私も親の家から飛び出したとはいえ、2代目であることは間違いない。
2代目という言葉に常に重荷とコンプレックスを感じていた私は、若気の至りもあって地盤、看板、カバンを捨てて父親と袂をわかってしまった。
今思うと2代目とはそれほど重いものではなかったのに、何故か重く受け止めていたようだ。
父親の後を継ぐべく大阪の画廊に5年間勤務したことは私にとってかけがえのない経験になっている。
これも父親の配慮があってこそで、現在の私があるのは父親のおかげと今では心より感謝をしている。

そうした私の経験からすると、可愛い子には旅をさせろではないが、いきなり父親の後を受け継ぐのではなく、他人の飯を食べて苦労することは、仕事の上でも人生の上でもとても大切なことである。
そうした経験をした2代目さんとそうでない2代目さんの違いは、先ずは謙虚さと礼儀正しさが違う。
いきなり社長と宮仕えの違いだろうか、周りへの気配りとか雑事を快く引き受ける心がけといったことは、使われた人間にはそれほど難しいことではない。
私がそうだとは言わないが、できるだけそのようにしようと心がけている。
優秀な2代目さんもたくさんいるが、狭い業界のなかにあって共に歩もうとすると、こうした事はとても大切なことである。

世襲議員にも将来を背負って立つ議員さんもたくさんいて、一概に世襲が悪いとはいわないが、いきなり選挙区を継ぐのではなく、他人の飯を食べて、それなりの勉強と経験くらいは積んで欲しいものである。

4月25日

季節はずれの冷たい雨が降っていて、ゴールデンウィークの始まりとは思えない寒い日となった。
いつもはこの時期長い休みを取るのだが、今年はゴールデンウィーク後半に始まる台北のアートフェアーの準備もあって、暦どおりに画廊を開ける事にした。

この雨でも夏目展の最終日ということもあって、たくさんの人が見に来る。
午後には韓国で大変世話になったケーシーが訪ねてきた。
彼女は以前にも日記で紹介したが、英語・日本語に堪能な才媛で、ソウルのPYOギャラリーやインターアリアギャラリーに勤めていて、今週から日本のオークション会社エストウエストに勤務することになった。
挨拶を兼ねて来てくれたが、たくさんのお土産を抱えてやってきて、いつもながらの気遣いには感心する。
ニュージーランドで高校時代まで過ごし、ロンドンの大学院を卒業してソウルに戻ったのだが、その間に日本語に興味を持って勉強をしたそうで、日本に来た事もないのにこれだけ丁寧で流暢な日本語を話すのには驚かされる。
メールでも当たり前のように難しい漢字を使って送ってくるし、どうやったらこれだけうまくなれるのか不思議でならない。
本来ならうちの仕事をしてもらいたいのだが、しばらくはオークション会社でもまれるのもいい勉強になるのでは。
私も韓国との仕事が多く、彼女が日本にきてくれたことは本当に助かる。
先日の北京で通訳をしてくれた女性もこの秋から日本の大学に留学することになっていて、台湾、北京との仕事も多くなっているだけに、これまた鬼に金棒である。
スタッフ達も毎週画廊で英語の個人レッスンを受けては語学力に磨きをかけているので、戦力外はいよいよ私だけになってしまった。

4月27日

いよいよ始まる裁判員制度の話を聞いた。
周りには裁判員に選任されたと言う話は今のところ聞かないが、他人事ではないので、詳しく聞かせてもらった。

死刑や無期懲役に当たる事件などの重大事件を3名の裁判官と6名の選任された裁判員が、被告を有罪か無罪かを認定する制度である。
この制度は日本では初めてと思われがちだが、大正時代に人民宰相・原敬が陪審員制度を導入し、昭和3年から18年まで実施され、すぐれた実績を上げたという。
戦争で中断され、終われば再開される予定が現在に至ってしまった。
選挙人名簿からくじで選ばれた候補者から、具体的な事件毎に50人以上の候補者が呼び出され、面接の上6人が決定される。
多くの事件は基本的に3日以内で終了する。
先進国では殆どが陪審制か参審制を導入していて、お隣韓国も昨年より導入し、効果を上げているようだ。
膨大な検事調書を基にした捜査追認裁判から、法廷の証言によって判断する法廷中心裁判に変わるとともに、ビデオ録画なども採用されて、取調べ過程が透明化され、自白の強要などもなくなり冤罪の可能性が少なくなると考えられている。
裁判員が加わることで、同じ官僚同士である裁判官と検察官の馴れ合いもなくなり、公平で適正な裁判を受けられることになる。
評決は多数決で行うが、裁判官、裁判員のどちらか一方の多数だけでは有罪にはできない仕組みになっていて、6対3で有罪の評決が出ても、裁判官が一人も入っていないと無罪となる。
裁判員に選ばれることに対して、仕事に差し支えたり、安全確保への不安などから、現状では半数の人が参加したくないか義務なので仕方がないという調査結果が出ているが、裁判員の有給を制度化するとか、暴力団などの事件はその対象からはずすことを定め、理解を求めている。
裁判員制度と類似の検察審査員経験者や韓国の陪審員経験者のアンケート結果では、97パーセントの人たちがいい経験をしたと評価している。

日記で紹介するのも変だが、いずれみんなに降りかかる問題なので、紹介させていただいた。

5月1日

ゴールデンウィークの真っ只中、画廊を開けても来る人はまばら。
外は新緑とさわやかな風、こんな時に絵を見ようなんて奇特な人はいないのだろうか。
私は疲れからか、休みになるぞと思った途端の気の緩みか、熱と咳とだるさでダウン寸前。
この症状どうやら豚インフルとそっくり。
保健所に知らせなくてもいいものだろうか。

昨日も熱を押して、東北へ仕事に。
皆さんもインフルエンザにはくれぐれも気をつけて、良い連休をお過ごしください。
5月7日から始まるが、2週ほどは画廊のコレクションを中心に展示するのでご興味のある方は是非お越しいただきたい。

5月9日

連休前からHPのアップが遅れていて、さぼっているのではとの指摘をいただくが、どういうわけか外注先にデーターが送られていなかったようで、お許しいただきたい。
連休の後半から女性スタッフ二人がヤングアートタイペイに参加のため、台北に出発。
バブル崩壊後のアジアにあって、比較的元気のいい台湾での開催とあって、東アジアの40の画廊が参加する中、日本からは14の画廊が参加している。
台北では初めてのホテルフェアーと言うことでどのような結果が出るかわからないが、オープニングには大勢の人が詰めかけ大盛況だったようだが、私のところは初日からばかばか売れるといった状況ではなかったようだ。
来週にはアート香港が開催されるが、こちらも250の画廊からの参加申し込みがあった中、100の画廊が選ばれ、内12の日本の画廊が参加することになっている。
この時期に合わせて、香港でシンワやエストウエストがオークションを予定していて、アートフェアーに集まる大勢のコレクターを当て込んでいるが、悪いことに豚インフルエンザの騒ぎに巻き込まれてしまい、関係者もこんな時にと心中穏やかではないようだ。
インフルエンザと言えば、私も連休に入ってから、風邪をひいてしまい、未だに咳が止まらず、周りからは怪しげな目で見られている。
北京でもそうだったが、日本に帰ってからも日毎の温度差が激しすぎて、体温調節が追いつかず、ついに体調を崩してしまった。
この調子で台北や香港に行っていたら、必ずや空港の検疫に引っかかって、隔離されていたかもしれず、無理していくなと家内に止められたのが、こんなところで幸いした。
この騒ぎが収まるまでは、暫くじっとしていなくては。

5月11日

台北のホテルアートフェアーが昨日終わった。
私のところは苦戦をしたようで、北京のように完売には程遠い結果となった。
行ったスタッフは展示から撤収まで夜遅くまで頑張ってくれたが、これは致し方ない。
従来の作家だけではなく、新しい作家も何人か紹介したが、売れたのはいつもどおりの作家となってしまった。
ただ、売れなかったが、2,3の作家には反応があり、この先希望が持てそうなので続けて紹介をしていきたい。
他の日本の画廊では、その画廊のらしさを出しているところが好調だったようで、このこともひとつの教訓としたい。
また、ホテルの部屋ということで、日本のホテルフェアー同様に小さな作品を持って行ったが、これも失敗だったようで、主要なコレクターにはあまり評判が良くなかったようだ。
その代わりに買っていただいた方は、若い初めての人たちで、これも今後に繋がることを期待したい。
空港はインフルエンザ騒ぎで大変だが、隔離されないよう無事に帰ってきてもらいたい。

5月12日

連休明け、常設展となると途端に見える人が少なくなる。
気の弱い私はいつもお客様が少なくなると、このまま永遠に誰も来なくなるのではとの強迫観念に苛まれる。
それもあってか次から次へと展覧会を企画し、一人でも多くの方にお見えいただければと思っている。
今週末からは二人の作家の個展が同時に開催される。
一人は劇場型ナイーフアートの河原朝生である。
今回は以前からも時々は描いていた幻想風の作品を主体にした発表となる。
自由に描かせて欲しいとの要望もあって、今回は彼の思いのままの絵が展示されることになる。
そう書くと、私が作家達にいろいろ注文をつけているようにに思われがちだが、そんな事はない。
それぞれが思いのままに描いて欲しいし、そうでなければ作家は伸びない。
中にはもっと赤を使えとか、もっと美人に描けとか、もっといやらしくとか要求する画商もいるらしいが、それに応えてしまうような作家は、絵と一緒に魂まで売ってしまうようで、いただけない。
売れる売れないは結果であって、時流に媚びたり、売り絵を描いてしまったらおしまいである。
私達の仕事は作家の支えになることが第一で、それを見守りながら、その都度励ましたりアドバイスを送ったりするのが役割と思っている。。
もう一つは、新たなスペースでの発表とか見せ方とかテーマとかで、刺激や活力を与えることで、作家の持つ引き出しを一つ一つ開けていくのも、私の仕事と思っている。
そんなわけで、今回の河原展も興味深く見守りたい。
もう一人は初めての作家、松永かのの木版による発表である。
初めてといっても以前から、二,三の作家がすごくいい仕事をする女性の版画家がいるよとの話を聞いていて、そこへある評論家が彼女を連れてきて紹介をしてくれた。
作品資料を持ってきて、一目見るや展覧会をうちでやることを決めさせてもらった。
版画家というジャンルが、どんどんなくなっていく中、愚直と言ったら失礼だが、木版にこだわり、その特性をいかした儚げで、静寂感のある表現に魅了された。
地味で消え行くような作品で、今の時流とは全く正反対の仕事をしている彼女だが、こうした仕事もいいのではとじっと見守っていってあげたいと思う。

5月13日

昨日、知人のオープニングパーティーが表参道ヒルズの画廊であるので出かけた。
時間があったので、向かいにあるモリ・ハナエビルの地下にある骨董街でも覗こうと階段を下りていって驚いた。
何と殆どのお店がなくなっているではないか。
軒並み入り口に移転先の地図が張ってあるだけで、幽霊ビルのごとく閑散としている。
何店かのお店はやっていたが、周りが空き室だらけではかえって不気味な雰囲気だ。
上に上がればきらびやかなブランド店が立ち並び、外国に来たのではと錯覚するような情景が広がるだけに、寂れた風景との格差は際立つ。
多分、ビル自体が建て替えで立ち退きを迫られているのだろう。
同じような情景がわが画廊の周囲にも広がる。
画廊の北側の入り口を一歩外に出ると、だだっ広い駐車場が目の前に広がる。
京橋地区の再開発で次々にビルが取り壊され、何とも殺風景な風景が出現してしまった。
 この先更に北側にある大きなビルが取り壊される予定で、ますます味気ない風景となってしまう。
唯一つの慰めは、ここから見上げた空の大きさぐらいで、日が暮れると怖いくらいの閑散とした通りとなってしまう。
我々は美しいものを見せ、夢を売る商売だけに、こちらに来られるお客様は表参道の地下同様に奇異な感じを抱かれるのではと心配する。
目の前に一軒だけ同業の画廊が頑張って残っているが、出来れば早くにいい場所に移ってもらい、一日も早くこのあたりが明るく綺麗な通りに生まれ変わってくれることを祈る。

5月18日

インフルエンザが蔓延し始めた。
私も連休の始まる頃からの風邪が未だに治らず、ゴホゴホとやっては周りから嫌な顔をされている。
かかりつけの医者の話では全く心配ないというのだが、それにしても長い。
その医者が空港での水際作戦なんか何の意味もないと前から言っていたが、まさにその通りとなってしまった。
初期症状の熱が出てない人をチェックできるはずもなく、多少咳があったり、体がだるい人も疲れた体で帰国して、細かい検査や隔離を恐れて、検査表には本当のことを書かない人が殆どだと言っていた。
そんな中で水際作戦で必死に食い止めようとしているのは、世界でも日本と中国だけだそうだ。
空港は厚労省の管轄とあって、殆どの人員をそこに投入してしまった。
本来は国内蔓延を想定して、病院や町医者にその対応策を指導すべきで、それがかなり後手後手にまわっていることを危惧をしていた。
知人の大学病院の理事長も、感染を防ぐために、病院前にテントを設けて、そこでインフルエンザの相談を受けるようにしているが、これも自主的な対応策だそうだ。
島国ということもあってか、元々日本は感染症対策がかなり遅れているそうで、はしかなどは輸出国として北米などからは白い眼で見られている。
このインフルエンザをテロではないかと言う人もいる。
発生国がメキシコで、患者数が多いのがアメリカ・スペインで皆カトリックの国で、イスラム圏からはその報告がないのと、彼らは宗教上の理由から豚は食べないところから、そんなうがった見方をする人もいるのだろう。
しかし、細菌テロと言うのもあながちない話ではないので、恐ろしい。
そんことも含め、今回の経験を生かして、感染症対策にわが国も本腰を入れて欲しい。

5月23日

知人からいただいた招待券で伊豆の淡島にあるリゾートホテルに行ってきた。
バブル期に某大手相互銀行が造った贅沢なホテルで、無人島をそのままリゾートにし、豪華な部屋の窓からは駿河湾の広大な海原とその先にそびえる富士山の雄大な景色が一望でき、ひと時セレブ気分に浸ることが出来る。
打ち寄せる波のしぶきが間近に迫る露天風呂で疲れた体を癒し、長い間止まらなかった咳もようやく完治することが出来た。
ホテルの中にはゴーギャンやフジタの絵画、マンズーやブウンダーリッヒの彫刻などたくさんの美術品が展示されているフロアーもあり、バブル期の銀行の威力をまざまざと見せつけられるようだが、今やその銀行もなくなり、ホテルも別経営となっているようで、時の流れを感じずにはいられない。
とても庶民が止まれるような宿泊料ではないので、招待されない限り行くことはないだろうが、いい思いをさせてもらった。
帰りに沼津の幻のロールケーキで有名な富久屋に寄った。
ここのケーキは予約制で、それも送ってはもらえず、沼津のお店までとりに行かなくてはならない。
一本1200円という安さなのだが、わざわざ東京から高速代を使って取りにいく人もいるくらい、極上のロールケーキなのだ。
生クリームの品質を落とさないためにそうしているようで、今日画廊に来られる方は、その幻のケーキを食べられるかもしれないので、お楽しみに。

5月25日

緊急経済対策のための補正予算が国会で審議されているが、文科省の科学技術振興予算695億円の中に、お台場に建てるメディアセンターの予算として117億円が計上されている。
これが緊急を要する経済対策かどうかはわからないが、あいかわらずの箱物行政である。
漫画やアニメを顕彰するための施設だそうだが、どうして人への支援ではなく、物への支援なのだろう。
それも入れ物だけのために100億以上の金が果たして必要だろうか。
漫画好きの麻生総理の顔を立てたのかもしれないが、私には納得がいかない。

先週、知人の国会議員を衆議院会館に訪ね、将来を嘱望され、文化・藝術に関心が深く、、国家国民のための戦略・ビジョンを持つ議員さんに参集していただき、文化行政の改革・促進のための超党派の議員連盟の設立を図っていただきたいとお願いしてきた。
日記でも何度も言ってきたが、諸外国に比べるまでもなく、近隣のアジア諸国に比べても、文化に対する国家の理解度は格段に低く、文化の庇護、育成や支援は後進国というよりは開発途上国並みと言っていいかもしれない。
わが国の文化庁という位置づけを、せめてお隣の韓国の文化観光省のように格上げできないものだろうか。
わが国では防衛と環境だけは庁から省になり、国家も本腰を入れているが、どうも文化には目がいかないようだ。
韓国や台湾、シンガポールといった資源もない、わが国と同じような小国は生き残りのために文化・観光を国家戦略の柱に上げている。

文科省がたった一つの建物に100億の予算を取れる力があるとするならば、そのお金を使って、若い作家達のための制作の場、海外受け入れ学生の宿舎、美術品の修復・管理・倉庫といった施設のために、それこそ要らなくなった学校や誰も行かない簡保の宿などを買い上げたり借りたりすることで、持って余りあるお金となるはずなのだが。

5月26日

元NHKアナウンサー・解説委員で現在尚美学園大学教授のK氏に私が所属するRクラブで講演をしていただいた。
K氏とはお客様として長いお付き合いをさせていただいていて、広く深い教養にはいつも敬服させられるが、今回は専門の話し言葉について、「新しい読解力のススメ」という標題でお話をしていただいたが、とてもいいお話だったので紹介をしたい。

『三年ごとに、世界十ヶ国の15歳を対象とした、OECDの「学習到達度調査」が実施されている。
その結果、日本の生徒の読解力の低さは際立っており、若者の活字離れもこれまた顕著である。
その背景には、「声」に還しながらリーディングを深めてゆくという方法がなくなってしまい、黙読だけの教育がそうした結果を生むのではないだろうかと危惧をする。
肉声を遠ざけ、感動とは無縁の国語教育や読書生活の現状には限界がある。

音楽では楽譜に記された音符に対して、演奏という行為によってリアルな音楽は成立する。
それに対して、紙に書かれたことばという平面的なものを、立体的な音声のことばの世界に還してやるための方法を、私達は学んでこなかったのではないだろうか。
更に「単なる音読」では、その方法足り得ない。
音符を見ながらたどたどしく鍵盤を叩くのでは、楽譜が読めたとはいえない。
「単なる音読」もたどたどしい鍵盤と同じレベルである。
ことばに適切な立体性を回復し、「表現」の世界にまで還してやる為には、もっと高次な「方法」の実践が不可欠である。
楽譜の演奏者は、様々に表現を工夫しながら、徐々にあるいは突然に楽譜の解釈が深化する。
それと同じで、単なる紙の上のことばを自分の「声」を用いながら、様々な試行錯誤の繰り返しによる思考が必要となる。
最初は「単なる音声化」に過ぎなくても、「声」によって適切な「演奏」へと深めてゆこうと努める。
するとある瞬間、ことばがクッキリと立ち上がったという実感が訪れる。
このときに私達が体験するのが「感動」である。
「真の読解=リーディング」は、感動とともに姿を現してくる。

書かれたものをもとに、「声」で表現表現を見出していく営みは、結構手間がかかる。
そのため効率第一主義の学校教育の中では、黙読中心にならざるを得なかった。
その代償として、私達は感動にいたる「方法」を学ぶことが出来なかったのである。
文章(書き手)との「声」を介したコミュニケーションを根気よく重ね、「声」に還しながらリーディングを深めてゆく。
そのための技術と方法の身体化が、私達には必要ではないだろうか。』

こうしたお話をもとに、詩などを朗読しながら、その深い意味を私達に伝えていただき、今更ながら、ことばから感動を呼び起こすことを私達は知ることが出来た。
このことは美術にも言えることである。
ただ見たり、知識・教養として眺めるのではなく、深く作品と対峙し、作者の意図であったり、描かれた内容をそれぞれに感じ解釈することで、より深い感動を呼び起こすことが出来るのではないだろうか。
見かたにも、それなりの時間と工夫が必要で、その結果より深い楽しみを見つけることが出来るはずである。

5月27日

日本のオークション会社に勤めることになった韓国のケーシーが画廊にやってきた。
先日まで香港のオークションに出かけていて、オークションの仕事と同時期に開催された香港アートフェアーのお手伝いで、早速に忙しい毎日を過ごしてきたとのこと。
香港では、彼女の勤めたエストウエストやシンワを始めとして香港、韓国、台湾、シンガポールなどの各オークション会社が、アートフェアーを当て込んでコンテンポラリーオークションを企画したが、かなりの苦戦を強いられたようだ。
昨年初めて開催された香港アートフェアーが大盛況だったこともあって、不況とは言え、それなりの期待をしていたのだろうが、厳しい現実を突きつけらることになった。
昨年までオークションに出ることのなかった日本人作家はそれほど影響を受けていないが、オークションを賑わした主役達は早々とその座から降りる格好となった。
救いは、ソウルオークションだけが、エストウエストやシンワなどの倍の売り上げとなったことである。
秋から私のところは、ソウルやテグでアートフェアーや個展・グループ展が目白押しで、韓国経済の成り行きが大いに気になるところであっただけに、少しはほっとしている。
金井訓志の個展を予定している韓国の大手CAISギャラリーからも、香港アートフェアーのビジネスはNO BADとのメールが届いた。
そうした中にあって、16日の朝日新聞では「美術品バブル崩壊」との大見出しで、台北・香港での中国古美術や現代美術市場の凋落ぶりが大きく取り上げられていて、驚かされた。
ところが、それとは全く逆の話をロンドンのオークションから帰った古美術商から聞いた。
古美術の名品をかなりの高値で中国人が次々と落札していき、欲しいものがあっても手も足も出なかったそうだ。
良い話と悪い話が錯綜していて、これをどう見るかは難しいところだが、コンテンポラリーに目がいっていた中国の金持ち達が二流品はだめだが、一級の希少性のある古美術なら買っておこうということなのだろうか。
韓国のオークション会社も古い水墨画などの出品が目立つようになっていて、アジアのコンテンポラリーアートも大きな岐路に立たされたのは間違いない。

5月28日

雨の中、朝早くから吉祥寺のお客様のお宅を訪ねる。
懇意にしていたご主人が亡くなってだいぶ経つが、この方には京橋に画廊を開いた頃から大変お世話になった。
画廊を開いたばかりで大変だろうからと、訪ねるたびに持っていった作品を全部買ってくださった。
その後もずいぶん応援をしていただき、今でもお宅に足を向けては眠れないくらいの大恩人であった。
その当時納めた作品の額を変えて欲しいとのことで久しぶりにお訪ねしたが、奥様も絵に囲まれお元気に過ごされているようで、何よりであった。
帰りに、吉祥寺の成蹊学園前にあるカフェギャラリー「パラーダ」に寄る。
ここは、私のところで長い間勤めたスタッフがお兄さんと3年前に開いたお店で、丁度小林健二のアートグッズの展覧会を開いていることもあり、訪ねてお昼を食べることにした。
ここのドライカレーは絶品で久しぶりに味わうことが出来たが、癖になる味で、今こうして日記を書いていても、その味が口の中に広がっていて忘れられない。
目の前の成蹊学園は中学・高校と私が通った学校で、息子も小学校から高校までお世話になったところでもあり、これまた久しぶりに、校内を歩いてみることにした。
校舎はすっかりモダンな建物変わってしまい、昔の面影はなくなってしまったが、広大な敷地に広がる緑はそのままで、長く続くケヤキ並木の道を、昔を思い出しながら歩いてみると、行き交う生徒の中に制服を着た自分がいるような気がして、何となく華やいだ気分にさせてくれた。
久しぶりの連続だったが、こうしてみると、昔の思い出の場所を一つ一つ訪ねてみたくなった。

5月29日

雨・雨と梅雨のような陽気となってしまった。
連休後半も雨の日が続いたり、その後に夏のような蒸し暑い日があったりで、爽やかな風が吹き抜ける新緑の季節とは程遠い日が多かった。
そんなこともあってか、この5月は画廊も暇な日が続き、ひたひたと不景気風が忍び寄ってきたのだろうか。

画廊の直ぐ目の前に、紳士服のアオキがオープンした。
ブランド店が立ち並ぶ銀座に安売り店が割って入ってきたのも、このご時勢ならではである。
そういえば、ユニクロやH&Mなどのお店も銀座通りに大型店舗を構えている。
アオキには九百何十円かの背広を目当てに、朝早くから延々と行列ができたという。
知人の紹介で有名イタリアブランド店から毎年バーゲンの案内をもらうが、数十万するスーツが8割・9割引ということなので、恥ずかしながらこの時ばかりは私も家内と一緒に出かけては、戦い終えて、へとへとになって帰ってくる。
先々週の土日にそのバーゲンがあったばかりなのに、今朝また6月のセールの知らせが届いた。
普段ではとても足を踏み入れることが出来ない有名ブランド店なのに、こうして毎月セールをするということは相当な在庫がたまってしまったのだろうか。
ブランド店に席捲されていた銀座通りが、量販店に凌駕される日も近い。

6月1日

昨日も雨模様の中をゴルフ。
小雨そぼ降る中、雨男としてはまあまあの天気と思っていたが、終わる頃には土砂降りとなり、相変わらずの不行跡の結果と一緒に廻った友人達には申し訳なく思っている。
雨が降り続いているうちに6月に入ってしまった。
となると、梅雨入りである。
私の誕生月なのだが、私には一年で一番辛い月でとなる。
低血圧で体温も35度台の私には、雨の多いこの時期になると突然だるい病が襲ってくる。
気圧と血圧は間違いなく相関関係にあって、そのせいで低い血圧が更に低くなり、体がだらっとしてくると思っているのだが、識者のご意見はいかがだろうか。
よく低血圧は朝が起きられないというが、それは年とともに老人の早起き力のほうが上回り、そんなこともなくなったが、この6月のだるさだけは一向に解消されない。
ジューンブライドといってこの時期に結婚をしたいと思う女性も多いように聞くが、私がもし花嫁になったとしたら、絶対にこの時期だけは避けたいと思っている。
お前さんの花嫁姿を想像するだけで気持ち悪くなるからとの声が聞こえてきたので、この例えは忘れていただきたい。
どちらにしても嫌な季節となってしまった。

6月2日

昨日は久しぶりの快晴の中、新逗子駅前にある画廊「青い空」を訪ねる。
小さなスペースで、名前通りの可愛らしい画廊で、私の大学時代の友人の女性が貸していた一軒家が空いたため、画廊に改装をした。
隣には更に小さな「白い雲」というスペースもある。
旦那は10数年前に亡くなったが、夫婦ともに大学のヨット部時代の仲間で、画廊の直ぐそばには民家三軒分を移築した大豪邸がある。
そんな金持ちの道楽になってはいけないので、私が企画を手伝うことになった。
偶々、横田尚展の折に来廊し、彼女の作品を気にいったところから、横田君にも同行してもらい、9月に彼女の小品展を開催することになった。
打ち合わせの後、画廊のすぐ近くにある大学時代の練習場と合宿所のあった葉山・鐙摺港に寄ってみる。
この辺りの風景は一変していて、面影が残っているのは「日陰茶屋」くらいで、周りにはお洒落なレストランやカフェが立ち並び、大学時代の小汚い格好ではとても歩けない、どちらかというと面映い場所となっていた。
カフェでコーヒーを飲みながら、窓から見える学生達のヨットの練習風景を眺めながら往時を偲んだ。

6月3日

台湾のアートフェアーに出品依頼をしている森口裕二君のアトリエを訪ねる。
レトロな下町の雰囲気を未だに残す「谷中銀座」を入り、途中の路地を曲がったところに彼のアトリエがある。
彼のアトリエが更にレトロなのだ。
しもた屋風の古びた家の玄関を開けると、直ぐ横の壁に銭湯で見かける富士山の絵が描かれ、目の前には「ゆ」と書かれた暖簾がぶら下がっている。
ここは玄関のたたき兼シャワールームなのだそうだ。
そういえば天井には丸いレールが巡っていて、安っぽい柄物のビニールシートが取り付けられている。
その玄関兼シャワールームで靴を脱いで上がると、古風な卓袱台や茶箪笥がおかれた畳の部屋があり、二つの破れたふすまには妖気漂う少女の絵が描かれていて、彼の作品そのままが部屋となっているようだ。
数え切れないほどの漫画本が整然と棚に並び、横には彼なりのこだわりのお洒落なのだろうか、たくさんのハンティングなどの帽子がこれまた綺麗に壁に飾られていて、貧しいたたずまいと整然と整理をされた部屋の調度とのバランスがとても心地よい。
狭い急な階段を上がると4畳半ほどのアトリエ兼寝室があり、上下二間だけの小さい部屋で彼女と二人で生活しているというから、私がいつも言っているように、作家に制作の場をとつくづく思う。
そこには出品予定の100号の大作が置かれているが、よくぞこの部屋で描かれたものと驚いている。
持って行くには、2階の窓を開けてそこから降ろさなくてはならない。
極彩色で描かれた蜘蛛と蛾に乗ったおどろおどろしい少女の対の作品だが、強烈な個性と日本ならではの独自性がおそらく海外のフェアーで反響を呼ぶことだろう。

森口祐二で検索して PING MAG を更にクリックすると彼の作品と部屋の様子がわかります。

6月5日

明日からは先週同様に二つの企画展が開催される。
一つは韓国の人気作家「李錠雄展」の日本で初めての個展である。
10年に及ぶお付き合いというよりは、韓国に出るきっかけを与えてくれたメキャンギャラリーの金社長のたっての依頼で開催をすることとなった。
メキャンギャラリー開廊35周年記念の一環として、テグ、ソウル、台北、北京、とそれぞれで新作展を開催することになり、日本でも是非紹介をとのお話をいただき、恩返しもあってお引き受けすることにした。
韓国では他にも最大手のGANA・ART・ギャラリーでも大きな個展があり、その後ニューヨークでの発表も大きな反響を呼んだようだ。
韓国ではオークションキングとも言われ、価格が高騰したが、私どもでも発表するにあたっては適正価格での発表でさせていただく事にした。
それでもかなり高いのだが。
韓国というよりは、アジア共通の文化である墨をテーマに、韓紙に抽象的な墨跡と細密に描かれた筆を重ね合わせた独特の表現で知られ、大作6点と初めての試みである60号大の版画4点の発表となる。
日本では初めてと言うこともあって、なじみも薄いが、是非ご覧いただき、韓国現代美術の一端を知っていただきたい。
もう一つの木村繁之展は明日の日記で紹介させていただく。

6月6日

ようやく雨も上がり、夕方からオープニングパーティーを予定していたので、ほっと一息。
作家の李さんは忙しくて来れなかったが、メキャンギャラリーの金さん父娘が来ていて、歓迎のパーティーを開くことにした。
お客様や画廊さん以外にも、海外で発表をしている作家さんにも大勢来ていただき、久しぶりに賑やかなパーティーになりそうである。
もう一つの会場で開催される木村繁之展も朝早くからお客様がお見えになり、早々に数点の売約をいただき、有難い事と感謝している。
彼の個展もかれこれ12回を超えるだろうか、20数年にわたる長い付き合いとなった。
ここ10年ほどは版画や油彩などの平面作品と陶立体の作品を交互に発表してもらっているが、今回は陶立体の発表となった。
回を重ね、最初のときに比べると、格段に洗練され、特に今回は彼の持ち味である温かさと清らかさが際立った展覧会となった。
手馴れて上手くなると、逆に味わいがなくなることが多いが、上手さと味わいが見事にマッチしたように思う。
陶芸家でもなく彫刻家でもないことで、技巧を極めるのではなく、素直な表現をすることができ、それが見るものに心地よさを与えるのかもしれない。
こちらにも夕方には大勢の方が見える予定で、画廊はてんやわんやの賑わいとなりそうだ。

6月8日

土曜日の夜は大いに賑わった。
声をかけた方達や木村展に見えた人も加わり、たくさんの人に囲まれた金さん父娘は上機嫌であった。
終わって築地の寿司屋さんに連れて行ったが、大のお寿司好きの金さんは翌日曜日も築地にお寿司を食べに行ったそうである。
日曜日、私は知人がお江戸日本橋亭の講談の会に出演するというので、出かけることにした。
知人の趣味は多岐に渡り、講談をはじめ俳句、囲碁、アルゼンチンタンゴ、テニスにゴルフと忙しい日々を過ごし、更には歴史に精通し、送ってくる手紙はもっぱら旧仮名遣い、教養あふれ過ぎて私は読むのに一苦労である。
自分のパソコンも手書きで漢字変換を全て旧漢字に変えてしまうといった徹底振りである。
大手生保会社の常務を勤めた後は、悠々自適、ますます趣味の世界を極めている。
そうした多趣味の中にあっても、講談が一番卓越しているようで、講談師・宝井馬琴師匠の指導の下、修羅場塾の一員として活躍し、今回もとりをつとめることになった。
演題は曽我兄弟仇討ちの一説で、プロでも台本を見ながらでなくてはできない口上を、活舌よろしく息もつかせぬ語り口には思わず大拍手であった。
先日も、ヴァイオリニストとして活躍している友人の娘さんのコンサートを聴きに行ったが、目にも止まらぬ指の動きの超絶技法に驚かされたばかりだが、こちらはプロだから致し方ない。
アマチュアでこれだけの語りをするのも素晴らしいが、この長い口上を空で覚えるだけでも大したものである。
私も一つくらい極めるものがないだろうか?

6月10日

明日は商談・納品で名古屋に出かける。
画廊の車には乗りそうもない大きい作品があるので、美術運送のトラックに一緒に乗って行く事にした。
昔は車で和歌山日帰りとか神戸往復とかしたものだが、今では休みに遠出しても2時間が限度。
ところが高校時代の友人は先日も車で岡山まで行ってきたという。
もっとすごいのは、同じく高校の同級生は確か去年に車で九州・佐賀まで行ってきたそうだ。
腰は痛いし、眠くなるし、とても私にはそんな元気はない。
友人達は若い頃からドライブを楽しんでいて、今でもそうしたドライブを楽しんでいるのだろう。
ところで今の都会の若者はあまり車には興味がないという。
うちの息子も通勤用のバイクは持っていても、自分の車はというとあまり興味がないようだ。
駐車場や保険・税金とお金がかかることもあるのだろうが、親の車で用が足りてしまうのだろう。
我々の若い頃は車があこがれであり、ステータスでもあったが、今は興味の対象が多様化してしまったのだろう。
家でゲームや映画を楽しむことが出来、わざわざ外にドライブに出かける必要もなくなったのかもしれない。
アメリカと言えば車、車社会の代表であったアメリカのクライスラー、GMと3大メーカーの二つまでが破綻してしまったのも、若者の車離れが影響しているのだろうか。

6月11日

いよいよ梅雨入り。
展覧会の人出にも影響するが、今回は新聞や雑誌に展覧会が紹介された事もあり、見に来る人は多い。
やはりメディアの効果だろうか。
こうした新聞・雑誌の紹介以外にも本の装丁やCDのジャケットなどで作品や作者を知ってもらうケースもある。
今個展をしている木村繁之も装丁本は百冊を超える。
型染め作家の望月通陽はこうした装丁の仕事で、出版文化賞という大きな賞をいただいた。
池田満寿夫や山本容子等もこの賞を受賞している。
望月ファンの中には本を通してという人も多いし、アーティストではなく装丁家と思っている人もいるようだ。
有元利夫や舟越桂、奈良美智なども本屋さんでよく見かける作家達である。
作家にとっても副収入になるので、こうした依頼が来るのは有難い事で、今回も秋に個展予定の彫刻家・伊津野雄二の作品が使われたので、HPで紹介をさせていただいた。
また、ヤングアート・タイペイに出品した森口祐二は、向こうの有名なデザイン雑誌の表紙を飾り、8ページにわたる特
集まで組まれた。
昨夏個展をした北村奈津子も同じ雑誌に大きく取り上げられ、二人とも8月出品予定の台北アートフェアーのいい宣伝となった。
開催中の李錠雄も、韓国の雑誌で見た方から問い合わせがあり、購入を検討していただくことになった。
このようにメディアの効果というのは確かに大きい。

6月12日

今日はコレクターの集まり「美楽舎」の例会に招かれ、講演をすることになった。
人数は少なかったが、知っている方もいて、そうした方の前でお話をするのはとても気恥ずかしいが、何とか無事終えることが出来た。
大学やロータリークラブなどで話をする機会も多くなったが、大した知識も教養もないので、恥だけ掻きにいっている。
今回もさて何をテーマにと考えたが、ここしばらく海外の出張も多く、特にこの10年アジアでの関わりが多くなったこともあって、「アジアンアート事情と将来の展望」と題してお話をさせていただいた。
簡単なレジメも準備したが、2時間果たしてまとまりのある話が出来たかどうか疑わしい。
ただ、話をしながら痛感したのは、これから私どもが進む道は国際社会の中でどう生き残るかで、日本の作家を海外に紹介するだけではなく、海外の作家をもっと積極的に取り上げていかなくては、国際社会から日本だけが取り残されていくのではないかという危機感であった。
現在開催中の李錠雄展にしても、韓国は無論のことアメリカ・中国・台湾などで大きな評価を得ているにもかかわらず、私自身及び腰でこの展覧会を企画した。
価格が高いこともあって、売れることはそう期待はしていないのだが、もう少し海外の作家を紹介するのだという強い意志に欠けていたことを反省しなくてはならない。
韓国や中国・台湾・シンガポールといッた画廊では、モンゴール・インドネシア・タイ・マレーシア・フィリピンといった国の作家達をどんどん取り上げ、積極的にアートフェアーなどでも紹介をしている。
彼らは着々と国際社会での地歩を固めていっている。

6月16日

先週、続けて高校のクラスメートが訪ねてきた。
二人ともすっかり頭の方が寂しくなってしまい、道で出会ってもおそらく気がつかないで通り過ぎてしまうだろう。
その容姿はともかくとして、一人は脳梗塞の疑いで先日まで入院をし、もう一人は腎臓を悪くして週に3日人工透析を受けているという。
一人は偶然薦められた検査で見つかり、腎臓の方は風邪が長い間治らず、体がだるくて仕方がないということで検査に行って見つかったそうだ。
口をそろえて、お前も早く検査に行った方がいいぞと言うのだが、どうしたものだろうか。
私も連休前からの風邪が一進一退、、止まっていた咳が急に出たりで、多少は心配なのだが行く勇気がない。
それでもこの二人そんな風には見えず、一人は東京マラソンや青梅マラソンに出場し、入院中にも走っていたという。
もう片方はジャズピアノが得意で、毎週ライブハウスで夜遅くまで演奏しているというから、私よりよほど元気だ。

先月の末には今年米寿を迎える方と、先日の日曜日には後期高齢者の方とゴルフをしたが、二人ともとてもその歳には見えないほど元気がよく、ゴルフ以外にもテニスも毎週やっているというから驚きである。
この人たちも大腸がんの手術をしたり、胃を切ったりと決して五体満足ではなかったのだが。
このように一病息災で、病気にめげることなく頑張っている姿を見ると、病気が怖くて病院に行かない無病息災派の私も、一度検査に行くべきなのだろうか。

余談だが、その後期高齢者の知人とのゴルフで、3回目のホールインワンを達成。
保険会社もきっと嫌な顔をするに違いないが、私のほうは確か今日発表のジャンボ宝くじの運を日曜日に使い果たしてしまったのではないかと心配している。

6月17日

昨夜の激しい雨と雷とは打って変わって、晴れ間の見えるいい天気となった。
昨日は我が組合の理事会と交換会(ディーラーズオークション)があった。
役員も3名が交代をして、新たな体制のスタートとなった。
私も理事長職を2年勤め、その間の業績はバブル経済崩壊直後よりも悪く、100年に一度の大恐慌と言われるが、まさにその通りの結果となってしまい、その責任を痛感している。
正直なところ、鳩山前大臣にお前も責任とって辞めろと言ってもらいたいのだが、そうも行かず、立て直しを図って、後の任期2年を全うすることにした。
組合員の中からは、売り上げの数字にこだわらず、取り扱う作品の質の向上に努めるべきだとの声が多く聞こえ、私も意を強くした。
そう言いながらも出来高も気になるところだが、昨日は予想以上の出来高となり、それにも増してうれしかったのは、従来に比べて出席者の数が多かったことである。
明るい兆しなのかもしれない。

昼を食べに行ったところで、偶然ベニスとバーゼルに行ってきた画商と出会い、バーゼルの売り上げは予想以上の好成績だったと聞いた。
5月の香港フェアーも格差はあったが、これだけ売れたのは初めてといったところもあったようで、概ね好調だったようである。
どちらも日本のコレクターは殆ど見かけなかったそうだが、欧米はもちろん韓国、中国の人も多くきていたようだ。
日本は国際化という点では、こうした状況下でも大きく遅れを取っているように思うが、日本の美術市場にも好影響を及ぼしてくれることを祈る。

6月20日

先日、ある会社に美術品を贈りたいという方をご紹介いただいた方から、お礼の葉書をいただいた。
100号の大作を決めていただき、こちらがお礼を言わなくてはならないのに、先にお葉書をいただき恐縮している。
その葉書には、大きく「縁」という字が印刷されていて、(どんな小さな縁も、限りない未来をもっていることを、ささやかながら学んできました。お目にかかれたご縁に感謝し、一期一会に終わることなく、大切に育てて生きたいと願っています。)と書かれていた。
正にその通りで、この方とも実は初対面で、この方を紹介していただいた方が別にいて、その方もつい最近画廊にお見えいただくようになった方である。

僅かな縁が次々に繋がっていくことの偶然も、実は必然ではと思ってしまうことも多い。
2日前、私どもで桑原弘明の初個展の案内状に使った作品が、縁あって私どもの手に入った。
その作品を受け取って一時間経つか経たないかのうちに、何と作者の桑原氏がやって来たではないか。
私どもと桑原氏との縁となった作品が彼を呼んだとしか思えない。
しょっちゅう画廊に来ているのならともかく、遠くにいてそう頻繁に画廊に来るわけではない。
更に驚いたのは、桑原コレクションの代表選手といってもいいNさんが今日画廊にやってきた。
作者以外に、まだ画廊にあることを誰も知らない作品を、Nさんが見ることとなった。
実はNさん、以前にも桑原さんの代表作とも言うべき作品が、偶然私どもの手に入ったときも、これまた偶然画廊に現れ、その作品をコレクションの一つに加えることとなった。
作品が人を呼ぶということがあるのかもしれない。

作品との出会い、人との出会い、いただいた葉書にも書かれていたように大切に育てて生きたい。

6月22日

昨日は私の誕生日でいつものことながら父の日と重なり、有り難味も半分づつ。
上の娘も誕生日とクリスマスが一日違いで、同じ憂き目にあっているのだが。
この歳になってもプレゼントはうれしいもので、家族や画廊のスタッフ、友人から心のこもったプレゼントをもらい大感激。
下の娘からは巨人戦の切符をプレゼントされ、二人で昼から野球観戦に行ってきた。
巨人・大鵬・卵焼きの口で、大の巨人ファンなのだが、私が観戦すると必ず負け、テレビをつけると点を入れられ、全員巨人ファンの我が家族からはテレビをつけると一斉に怒られる始末。
娘は逆に見に行って負けたことがなく、さてどちらがということになったが、残念ながら私の力が上回り、巨人は完敗。
家に帰り、甘党の私のためにスタッフからプレゼントをしてもらった鯛焼き器で鯛焼きをつくり、小ぶりなこともあって8個をヤケ食い、フレーズも巨人・大鵬・鯛焼きに変えさせてもらうことにした。
そして胸焼けで私の誕生日は暮れていった。

6月23日

30度を超える真夏日となった。

画廊は先週までの展覧会の後片付けと次の展覧会の準備の両方で忙しい。
GTUの方で売れた木村繁之の立体作品の箱作りをスタッフは始めた。
今回はたくさんの作品が売れたこともあって、総出で段ボールを切っては箱を作っている。
私が40年前に勤めた梅田画廊には額装部があり、新入社員はそこで1,2年ひたすら箱を作らされる。
私も当然そこで段ボール箱を作ることになったが、私が作る箱はまっすぐに立たない。
生来の不器用が幸いしてか、一ヶ月も経たないうちにその部署から降ろされ、営業にまわされた。
新宿の父の画廊に戻った時には、その私が何食わぬ顔でスタッフに箱作りを教えていたのだから笑ってしまう。
そんな風に画廊で箱を作るのは当たり前と思っていたが、京橋に移ってからはスペースもなく、専門の箱屋さんに頼んだり、額縁屋さんに頼んだりしていた。
それが今回スタッフが率先して箱作りをしているではないか、なかなかの心がけと喜んでいる。

一方、開いたスペースでは、次の個展作家・小川陽一郎が泊まりこみで、展示会場を作っている。
木村展の静かで優しい雰囲気とは打って変わって、賑々しく派手派手の会場と化した。
インドやフィリピンで派手な装飾をしたタクシーを見かけるが、そうした派手派手タクシーに触発された作者は、兜や力士の髷といった日本的なものを極彩色に飾り立て、会場に並べる。
アジアンポップといってもいい、その独特の表現は、我が画廊の品位を格段に落としめているが、子供達が来たら一日中遊んでいられるような楽しくハッピーな会場になっていて、是非ともご家族連れでのお越しをお待ちしている。

6月26日

お客様のところに行っていて昼時を逃し、4時前にようやく昼飯。
目の前の行列のできるラーメン屋「どみそ」もこの時間になるとさすが空いていて、ここで昼食。
ここには以前に2軒ラーメン屋があったのだが、2軒ともうまくいかず、今の3軒目が大当たり。
11時頃には既にたくさんのお客さんが並んでいて、今日もこの暑さの中をじっと待っているから驚き。
味噌ラーメン専門で、その部門では全国人気でも1,2を争っているだけある。
こってり味噌ラーメンが売りなのだが、私には濃厚すぎて駄目。
普通の味噌を薄めでが私の定番、それにもやし盛り盛りをトッピング。
何でもここの若いオーナーは元山一の証券マン、突然の破綻で第二の人生を歩むことになり、始めたラーメン屋が大はやりで、人生わからないものである。
一度だけ私のところも展覧会で前の晩からお客様が並んだことがあり、彼らに自慢げに話したことがあったが、並ぶのが当たり前の彼らも、さすがに画廊に行列が出来たのを聞くとびっくりしていた。
夏のラーメン、さすがに汗びっしょりになって帰ってきた。

6月27日

突然の猛暑。
京橋エリアの画廊が一斉に企画展を開催する「京橋界隈・アートフェスタ」の時期がやって来ると、暑さも一緒にやってくる。
私のところも呉亜沙と小川陽一郎の二つの個展で参加。

先に紹介したGTUの小川展の賑々しさと打って変わって、広い会場は青系の色に彩られた呉亜沙の作品が落ち着いた雰囲気を醸し出す。
彼女は正月に何と青木ヶ原の樹海を訪れ、その霊界と思われるところに立ち、今回のテーマに繋がる樹木と葉っぱの連鎖のシリーズへと結びついた。
彼女の持ち味である可愛さだけではない、深遠で神秘的な表現に繋がったのも、そういう場に佇むことで生まれてきた世界なのだろう。
葉っぱの連鎖は、人工的に作られた世界と自然界との領域を明確に分断し、作家自身と周りの世界との侵しがたい隔たりを表現しているようにも見える。 
彼女の作品にはいつも密やかなメッセージが込められていて、一つの潮流となっている萌え系の作品と一線を画しているところにコレクターの人気も集まるようだ。
見る方もそれぞれの想いで、彼女のメッセージを汲み取っていただければありがたい。

6月30日

展覧会の滑り出しは順調で、呉・小川ともに代表作ともいえる大作やインスタレーション作品にも予約が入り、頑張ってくれた作家にも顔向けが出来る。
まだ二日しかたっていないのに人出も多く、色々なメディアに載ったこともあるのだろうか、通常の倍以上の人が来ている。
また海外からの問い合わせや来廊も多く、着実に海外の美術ファン層も拡がってきている。
それでも海外のお客様には戸惑うことは多い。
先週も台湾の元コレクターで、最近画廊を始めた人から作品が欲しい旨のメールが入った。
コレクターのときに買った私どもの作家の作品をオークションに出したところ、思わぬ高い値段で売れたのだろう、お客様にお願いされているので大作を1点譲ってもらえないかとのことであった。
私達はオークションに出されたことを快く思っていないので、作品の注文はお受けできない旨を伝えた。
そうすると、オークション出ることは作家の評価を高めることになり、私はそのサポートをしていて、非難されるいわれはないし、お客様がそんなに長く作品を持つことが信じられないいった内容のメールが送られて来た。
馬鹿馬鹿しくて話にならないので返信もしなかったが、まだまだオークションでの評価が先にありきと思っている人たちが多いのだろうか。
海外の方に売るときはその辺をよく見極めなくてはならない。

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