Diary of Gallery TSUBAKI

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10月1日

昼飯を食べに一丁目にある煉瓦亭に出かけた。
3丁目の煉瓦亭の支店とよく間違えられるが、こちらは新富町に本店があって、洋食元祖のお店として知られ、3丁目よりは庶民的なお店である。
ふと壁の張り紙を見ると、「10月17日をもって閉店することになりました。45年間大変お世話になりました。」と書いてある。
長い間親しんだところだけに大ショック。
聞いてみると、店の主人をはじめスタッフみんなが老齢化し、これ以上は無理ということで閉めることにして、新富町だけで営業することになったのだそうだ。
少し前にも、近所の甘味処「あづま」が店じまいをした。
ここもこの界隈では老舗の一つで、昼時を逃した時などは、ここのいそべ焼きやきな粉もちを食べたり、甘党の私には小倉アイスやお汁粉も楽しみの一つだった。
同じように老齢化と、後継者がいないこともあって、閉店することになったそうである。
明治製菓の横にあった洋食屋「ブルーベル」」も立ち退きでなくなってしまい、ここ自慢のオムライスが食べられなくなって久しい。
私の画廊の周囲も工事だらけで、同じように移転を余儀なくされたお店もたくさんあり、ハンバーグで有名な「つばめグリル」などもその一つである。
またビルができたら戻ってくるという話だが、あの薄暗く天井がかしいだようなレトロな雰囲気は戻らないだろう。
この界隈の庶民の味が次々に消えていくのは寂しい限りである。
後継者のいない私も他人事ではないのだが。

10月3日

うちでアルバイトをしている白倉が吉祥寺にあるカフェギャラリー・パラーダで写真展を友人と開いている。ここは私のところに長い間勤めていた中林亜実がやっているカフェギャラリーで、そんな縁とも知らず、画廊でアルバイトをする前にここで展覧会をやろうとを決めたそうだ。
これも偶然だが、私や息子が高校まで通った正門前にそのお店はある。
吉祥寺駅からも遠く、周りにお店も少ないところなので、最初にこの場所で開くと聞いた時は驚いたものである。
白倉は大学院で建築を専攻するかたわら、アートに興味を持ち、卒業を期に展覧会を開くことになった。
これも縁だが、私の次女と白倉は中学の同級生でもある。
偶然の糸が次々と繋がっていく。
明日日曜日を利用して見に行こうと思っている。

10月4日

東京オリンピック誘致は残念な結果に終わった。
スポーツや文化で都市を活性化させようということはとてもいいことで、来月出かける韓国のテグ市のアートフェアーも市の肝いりで行われる。
来年にはテグ市立現代美術館が完成し、再来年には先ほどベルリンで開催された世界陸上大会が開かれることになっている。
北京やソウルを見てもオリンピック開催前と開催後では見違えるように街が発展し、国際観光都市として、今や内外から多くの観光客が訪れるようになった。
石原都知事が提唱したことは決して間違っていないように思う。
早速新聞では、都知事の責任問題を問うような記事を見かけるが、誘致運動の盛り上がりに欠けた要因の一つに、メディアの責任が大いにあるのではと思うのだが。

10月5日

知人のお寺で中秋の名月を眺めながらジャズライブを楽しもうという粋な会があって出かけた。
参道や庭にはろうそくが灯り月明かりがいっそう美しく感じる。
いつもなら厳かな雰囲気が漂うお寺もジャズの演奏で一変。サックスやクラリネット、ドラムの音で途端に華やぎ、そろそろお寺のお世話になりそうな連中が手拍子足拍子体を揺らして大いに盛り上がる。
90を超えるおばあちゃんまでがスィングのリズムに乗って踊り出す始末。
秋の夜長、満月とジャズライブを楽しませてもらった。
あまりに美しい月に家内と遠回りして帰ろうとまではいかなかったが。

10月6日

本の紹介で知られる雑誌「ダ・ヴィンチ」11月号の「この本にひとめ惚れ」のコーナーでひとめ惚れ大賞に私どもが発刊した小林健二画集「ME∃M」が選ばれた。
1990年から2008年の私どもの個展の発表作品までの全作品が網羅されている画集で、小林健二の足跡をたどる上では欠かせない本である。
選者の一人糸井重里氏は「これは何?この人は誰? 特設コーナーで見た瞬間惹きつけられ、そのまますぐにカゴにいれてしまった。」と語っている。
「ダ・ヴィンチ11月号」とともに是非この機会に「ME∃M」を見ていただきたい。

10月7日

今日から台北台中台南と日台ロータリークラブ親善会議を兼ねた観光旅行に出かける。
日本が戦前に建設した建築物や治水事業で造られたダムなどを訪ねることにしている。
台湾が疫病や水害で大きな被害にあっていた時代にそうした苦難を乗り越える事業をした日本に対し台湾の人達は未だにその恩を忘れていない。

建築物を取り壊すことなく大切に使い、事業に携わった人達を顕彰することを忘れない。
先日も台湾を長く研究している方から台湾の人達は親日家以上に愛日家であると聞いた。
それでは日本はと胸に手に当てるとそうした思いに応えているとはとても思えない。
仕事でもお世話になっている台湾を今一度見つめ直す旅にしたい。
相変わらずの雨男、気になるのは接近してきた大型台風。
飛行機飛ぶだろうか?

10月11日

台湾4泊5日の旅も今日で終わり。
天気にも恵まれロータリーの仲間18人とともに楽しい旅を過ごすことができた。
普段仕事でしか来ないため名所旧跡も見ることなく通り過ぎていたが今回多くの場所を訪ね見聞をひろめることができた。一番感じたことは日本人にこれほど友好的な国はないということである。
日台のロータリーの会議も日本語中心で進められクラブ単位の例会も日本語でおこなわれているところもあるとのこと。
日本人の功績を称えた記念館を訪れ台湾の人達の篤い心にも触れ深く感銘を覚えた。50年に及ぶ統治時代に隷属、収奪することなく台湾発展に大きく寄与したことがこうした感謝の念につながっているのだろう。
逆に中国に強い反感を持つ人も多い。
僅かな体験だったが日本が台湾との国交を絶ってしまったことに忸怩たる思いがする。
参加した日台会議が少しでも日台交流に寄与出来ることを願わずにはいられない。

10月13日

以前に紹介をした40歳以下のディレクター個人が出展するアートフェアー「ウルトラ002」の記事がギャラリー10月号に掲載されている。
その中に我がスタッフ寺嶋・島田・諸田の記事が2ページにわたって取り上げられた。
51名の若手ディレクターが参加する中で、一画廊から三名ものディレクターが参加するということがウルトラらしいということで取り上げられたとのこと。
アートフェアーというのはそれぞれの画廊が切磋琢磨するところにも大きな意義があるが、同じ画廊のスタッフが三人三様それぞれの企画を持って参加し、競い合うというのも、三人にとってはいい経験となるだろう。
こうした試みがギャラリー椿に新風を吹き込んでくれる事を期待したい。

10月14日

「東アジア美術交流」と題して14日の読売新聞の朝刊に菅原教夫編集委員の記事が出ていた。
韓国アートフェアーKIAFの時に行きの飛行機で一緒になり、同じ会場で「コレクションとコレクター」をテーマに開かれるシンポジウムの日・中・韓・インドからのパネリストの一人として参加をすると聞いていた。
その報告記事で、「◇中国や韓国が勢いを増し、市場の整備も進んでいる。交流は新段階に入った。◇東アジアという場の共有によって新しい価値を見つけようとの機運が高まっている」と述べている。
遠くない距離にありながら、各国の美術の状況、歴史、制度などに大きな違いがあり、そのことを理解するうえで、こうした討論の場は意義があるし、アートフェアーという商業的な催しにしても、これを先ず共有することが他国との共通点や違いを知る第一歩になるとも述べている。
「資本の流れが変化し、美術でもアジアへの関心が高まってきた。いつも欧米追随ばかりでは駄目で、アジアの力をあわせる必要がある。」と国際美術評論家連盟のユン副会長が会場から訴えたという。

私も以前に比較文化論の李御寧氏の講演や著書を読んだことがあって、氏は日韓は近くて遠い国、文化・習慣の似ているところを探るのではなく、違いを認め合うことが両国が近づくために最も大切なことと述べていた。
東アジアの経済力が高まり、可処分所得が増加するにつれ、美術品の需要は大きく増大していくことは間違いない。
東アジアだけではなく、東南アジアもこれから文化国家として大きく発展していく可能性があるだけに、お互いを認め合いながら、アジア独自の価値観を共有をする時代に私達はいち早く対応しなくてはならない。

10月16日

予算もスタッフも少ない公立美術館で、所蔵品を適切に保管・点検し、修復などを行って後世に伝える作品保存という基本的な活動が、危うい状態に置かれているという記事が新聞に掲載された。
今年「日本美術館名品展」が東京都美術館で開かれた際、出品の220点の状態のチェックを担当した修復家は愕然としたという。
近年老朽化した美術館の建物や設備の改修に予算が割かれ、所蔵品の保守は後手に回っているのが現状だそうだが、それは逆ではと思ってしまう。
折りしも、新潟市美術館でカビが発生した展示品をそのまま撤去せずに、美術館側が展示を続けたということで、物議をかもしている。
行政も美術館側も、自分達にとって何が一番大切かを考えなくてはいけない。

お客様からも持ち込まれた所蔵品が、保存状態が悪く、大きくその価値を下げてしまうというケースがままある。
せっかくのコレクションをほったらかしにしてしまって、気がつけば手遅れではもったいない。
日本の高温多湿といった気候は、美術品の保存のためには決していい環境ではない。
それだけにお客様が保存意識を持つことはとても重要なことである。
といって、温度や湿度調整、管理された収蔵庫を持つなどは個人でやるには限界がある。
それではどうしたらということになるが、私がお勧めしたいのは、せめて年に一度以上は、お部屋の作品の展示換えをしていただきたい。
箱に入ったまま、倉庫や押入れに何年も入ったままでは、箱の中で空気が滞留し、ガラスやアクリル板からの結露と相俟って、必ずカビが発生してしまう。
また同じ場所に展示したままでは、紫外線などによって退色をしてしまう可能性もあるし、埃や煙草の脂が絵に付着してしまう。
絵を掛けかえることで、箱から取り出し、新たな空気に触れ、紫外線もずっと浴び続けることもなくなる。
昔から言われる虫干し同じことである。
日本では昔から季節が変わったり、来客があるときに美術品を掛けかえる風習があった。
結果虫干しにもなり、部屋の雰囲気を一変することもできた。
是非そのあたりから始めて頂いたらどうだろうか。

10月20日

何年ぶりだろうか、久しぶりに六本木の国立美術館の団体展を見に行った。
上野のときよりは広い会場で展示だけはゆったりしているが、印象は絵の具の氾濫といったらいいだろうか、溢れ出す絵の具に押し流されそうになる。
隅々まで塗り固められた絵ばかりで、余白の美といった空間から醸し出される余韻が感じられない。
身びいきだろうか、私どもで個展を重ねている作家の作品が一点出ていて、そこの壁面だけが何故か優しく感じられる。
余白が際立っていて、心が安らぐ。
それ以外私を立ち止まらせてくれる絵に出合うことなく、重苦しい思いで会場を後にした。
大きく価値観が変貌し、グローバルな時代に移行しようとしているときに、内側だけに目が行って、作家同士が肩叩き合っている団体展の存在が果たして必要なのか、今一度問い直す時期にきているのではないだろうか。
その一人の作家にもできるなら、外側に目を向けて、自由に羽ばたいて欲しいと思った。

10月21日

2年前に東京ステーションギャラリーの企画で開催された 「現代日本絵画の展望ーそれぞれの地平線」では、リ・ウーハン、加納光於、池田龍雄、辰野登恵子、篠原有司男、といったベテラン勢に小林孝旦、丸山直文、山口啓介、オスカール・大岩、曽谷朝絵といった若手作家の中に「山本麻友香」も加わり、新旧作家達の新作2点が紹介された。
同じ主旨で今年も「現代日本絵画の展望ー12人の地平線」が開催される。
今回は私どもで展覧会を重ねる作家の一人「夏目麻麦」が選ばれ、宮崎進、堂本尚郎、中村宏といったキャリアのある作家にイケムラレイコ、中村一美、小林正人、藤波理恵子、元田久治、山田純嗣といった中堅・若手作家が出品することになっている。
前回は新作2点を紹介したが、今回は旧作と新作1点づつを出品し、前期・後期に分けて展覧し、作品の推移を展望する。
作家も前回は現代のアートシーンをそのまま抽出したようなラインアップだったが、今回はどちらかというと、現代と少しずれたところで制作活動をしている地味だが重厚な作風にスポットライトを当てたようだ。
サブカルチャー全盛時代にあって、こうした視点で捉えた展覧会はかえって興味深く、いずれ重要な意味を持つ展覧会となるだろう。
前回同様に出品作品を収蔵し、2012年度の東京ステーションギャラリーの再オープン時の公開を目指している。

展覧会名 「現代絵画の展望 12人の地平線(前期・後期)」

会期 前期・あの頃 12月8日(火)〜2月7日(日)
    後期・この頃 2月9日(火)〜3月22日(月・祝)

会場 鉄道歴史展示室 旧新橋停車場

主催 東京ステーションギャラリー(財団法人東日本鉄道文化財団)

10月24日

秋に入り立体の展覧会が続く。
鈴木亘彦展と高木まどか展が同時に開催されている。
海外のフェアーでも立体作品の出品が目立つ。
壁面は埋まってしまい、コレクターの人たちが空間に飾りたいという意識が強くなったこともあるのだろう。
台湾のインテリアデザイナーからの依頼で大きなオブジェのプロジェクトとも進みつつある。
公共施設やビルのロビーといったところは絵画よりは立体作品が採用されるケースが多く、そうした一環でこういった話も来るようになった。
韓国では今は定かではないが、ビルを建てるときには必ず美術品の展示が義務付けられていて、建築費の1パーセント程度はその費用に充てられることになっている。
そうなると絵画より立体作品が採用されることが多く、ビルの玄関前やロビーのいたるところに彫刻作品が並んでいる。
日本もこういう制度ができると、私達美術商や作家達にとっては大変有難い話なのだが、そんなことは夢のまた夢。
11月もコイズミ・アヤ、12月には内林武史と偶々オブジェ展が重なってしまったが、それぞれの競演を是非ご覧いただきたい。

10月25日

今週、来週とゴルフコンペの誘いが重なって、画廊を空ける日が多い。
大学や高校時代の友人達、ロータリークラブ、テニス倶楽部時代の仲間、その他諸々で全部出ていたら仕事にならないが、それでも断れないコンペがいくつかあって、参加する羽目に。
この歳になると友人達の多くは平日が暇なのと、高速道路がすいている事、プレー料金が安いこともあって、平日にコンペが開かれる。
日、祭にやってくれるのなら問題ないが、零細画廊の親父はそう休んではいられない。
とはいえ、決して嫌いではないゴルフなのでやりくりして、女房やスタッフの冷たい視線を浴びながらこそこそと出かける。
その中でもこれはどうしても出なくてはと参加したのが、以前に入っていたテニス倶楽部の遥か大先輩の米寿祝いゴルフコンペであった。
88歳でゴルフができること自体素晴らしいことで、その上テニスも今でもやっているというから驚く他はない。
その方は退職後、今は潰れてないが、一緒に入っていたテニス倶楽部の隣に家を買ってまでテニスを楽しんでいたという人だからわからなくはないが、それにしても88歳でテニスをやっているとは頭が下がる。
ゴルフの方も元気にラウンドし、その夜に開かれたお祝いの席でも、遅くまで食べて飲んで、楽しいひと時を過ごした。
生涯こんなうれしい会はないと述べておられたが、次は卒寿記念コンペの開催を約してお開きとなった。
いやはや大したものである。

10月26日

今日は朝から成城大学の総合講座「感動を創る」の講義依頼があり、アートソムリエの山本冬彦氏とともに90分の授業を受け持つこととなった。
200人ほどの一般学生を相手にどんな話をしたらいいか、山本氏との打ち合わせもないまま、ぶっつけ本番で臨む事にした。
山本氏はコレクターの立場から、アートコレクションの醍醐味、若手作家のサポートなどについて話をされた。
私は今の一般学生がどの程度アートに関心があるかを探るところからはじめ、美術館に行くことがあっても画廊に足を運ぶ学生はほんの一握りであることは想定内であったが、思わぬところで予想した答えと違う答えが返ってきた。
日本近代美術の代表作家である岸田劉生と横山大観の名前や作品を知っているかという質問には、教科書で知ったという答えなど意外と知っている学生がいるので驚いた。
今度は今や世界的な評価がある村上隆や奈良美智はどうだったかというと、村上を知る学生は意外と少なく、奈良を知っているという学生が若干多いようで、本の装丁などで奈良を知ることが多いのだろう。
それでは前者と後者どちらが好きかと質問すると、圧倒的に前者の横山や岸田に軍配が上がった。
これには私も山本氏もびっくりしたが、トレンドを追いかける若者も、情報があまり伝わっていないアートの世界では、アカデミックなものに関心があることがわかった。
アートと縁遠い学生達にアートを身近なものとして捉え、観ることで感動する心を培って欲しいと話し、教室を出て、課外授業の一環として、美術館や画廊に出かけてみたらどうだろうと担当教授にもお願いをした。
全学年、全学部の選択授業と言うこともあってか関心を持って聞く学生が多く、もっと居眠りや携帯に熱中する学生がいるのではと思ったが、真面目に聞いてくれたことも予想外であった。
私の学生時代とは大違いである。
それには加えて、私や山本氏の時代のように、たて看板や落書きだらけの構内の面影は全くなく、掃除も行き届き、緑に囲まれたキャンパスはうらやましい限りであった。
終了後、学生達には宿題でレポート提出が教授より言い渡され、他人事のように聞いていたが、私達にも400字40枚の原稿を出すように言われ、こんなはずではなかったと思いながら大学を後にした。

10月27日

台風の影響で雨風が強かった昨日と違い、今日は台風一過気持ちのいい青空となった。
久しぶりに朝は散髪に行ってきた。
以前は同じビルの真向かいにあって、暇な時間を見つけては頭を刈っていたが、私のところ同様に立ち退きの憂き目にあって、今は日本橋の三越の先で営業をしている。
そうなるとなかなか行けないもので、もうこれ以上は我慢ができないとなるまで行かなくなってしまった。
近くで済ませればいいのだが、なじみの店を変えるのは勇気がいるし、今の若者のように美容院というのも気恥ずかしい。
私は下戸なので飲み屋のなじみはないが、なじみの料理屋というのは気が楽で、いつも行く寿司屋や焼肉屋、天麩羅屋などは、いつものとか、おいしいところをといえば黙って料理が出てくるのがいい。
画廊も常連さんがいつものと言って、はいと作品を出すと買ってくれるといいのだが、こればかりはそうは行かない。
どんなものが出来てくるか、どんな風に変わったか、作品を見るまでのわくわく感が たまらないのは、私達もお客様も同じである。
こんな珍しいものが、こんな昔の作品がと言った出会いの楽しみもある。
作品はおなじみでなくても、こうした新作や古い珍しい作品を最初に手に取るのは、これまた常連さんである。
お互い長い付き合い、心の通う付き合いが大切である。

10月29日

青山スパイラルホールのウルトラ展のアートフェアーのオープニングに行って来た。
夜8時半開場ということで仕事が終わって出かけるには好都合であった。
そのせいか大勢の人が詰めかけ、小さなスペースに人が溢れた。
通路も狭いため、離れて作品を見ることもできず、何となく全体を見回して帰って来ることとなった。
ホテルフェアーもそうだが、会場が狭いと私のような年寄りは息苦しくなって、作品を見るという余裕がなくなってしまう。
費用のことを考えると、勝手なことを言えないが、美術品はゆっくり作品と対峙しながら鑑賞すべきものと思っているので、この辺一工夫できないだろうか。
もう一つ、是非お願いしたかったのは、個人単位で出展するという主旨はわかるが、出展者の個人名とともに所属の画廊名も一緒に表示してもらえるとありがたい。
各ブースで挨拶されるが、出展者の名前と顔が一致せず、会釈だけして通り過ぎてしまう。
オーナーは良く知っていてもスタッフの名前となると、さてどこの人だったろうかとなってしまう。
フェアー終了後のリピーターも期待するところだが、さてその人たちはどこに行ったら作品を見られるのか戸惑ってしまうのではないか。
画廊あってのスタッフであることを考えると、このへんは是非改善していただきたい。
11月3日までやっているので、今一度時間をとってゆっくり見てきたい。
私どもから三人のスタッフが参加しているので、皆様にもぜひご覧をいただきたい。
名前は寺嶋由紀、島田昂平、諸田美里なのでお忘れなく。

10月30日

返済猶予法案が閣議決定され、今国会に提出され実施の方向で進んでいる。
民主党政権下にあってマニフェストであった弱者救済の施策が次々実行に移されようとしていることは喜ばしいことである。
しかし返済猶予法案一つとっても私には瀕死の重病人に点滴注射で延命措置を図っているように思えてならない。
確かに不景気で困っている企業は多いし、年末年始を借金を据え置いてもらえることで、乗りきれるところも多いだろう。
しかしこれから事業を展開していきたい、新たな資金でビジネスチャンスを広げたいと思っているところには、こうした法案が実施されることで、逆に厳しい状況が待ち受けている。
いわゆる貸し渋りであったり、融資枠の削減、担保の積み増し、といった事態が予想される。
貸し出し機関がこうした法案に備え、手控えをすることになるからだ。
病人は助かるが、健康な人間にとっては力となる薬がもらえない。
結果、経済自体がもっと縮こまってしまうのではと心配する。
格差社会をなくすことは、逆に競争意欲をなくすことにもつながる。
社会主義的な方向に偏ることなく、健全な資本主義社会に舵取りをして欲しい。私達が希望の持てる、勇気付けられる政策もぜひ実施していただきたい。

10月31日

中国の古いものの評価が高くなっている。
数ヶ月前に日本の交換会で5万円で購入した螺鈿の経箱が出品され、何と中国の業者が1億2千万円で落札したそうだ。
コンテンポラリーアートが一頓挫をした代わりにこちらに目が移ってきたようだ。
偶々お客様の依頼があって、著名な中国作家の水墨画を北京オークション会社の鑑定会に出したところ本物ではないとの回答が来た。
ただ、驚いたことに本物でなくてもそこそこの価格が付くから出品しないかと言われた。
この辺は中国らしい。
同じようにお客様の依頼品で日本の高名な物故作家の作品を専門の鑑定会に出したところ、これも贋物との回答が来た。
しかしこの作品は共箱といって、作者自筆の箱書きがあったのをだいぶ以前にお客様のところで私自身の目で確認している。
遺族が共箱をなくしてしまったこともあって、鑑定に出したのだが、如何に鑑定がいい加減であるかがわかる。
それでも中国と違い、証明書がないと市場価値は全くなくなってしまうので、共箱が出てこない以上、この作品は無価値と言うことになってしまう。
古い美術品とはかくのごとくややこしいものである。

11月1日

海外の取引が多くなるにつれて、約束の期限を守ってくれなかったり、返事を 直ぐに送ってこなかったりといった事態に当惑することがしばしばある。
お国柄といったらいいのだろうが、全て先方からの依頼を受けて進めている仕事にもかかわらず、いざとなると埒が明かない。
先方からの催促は疾風の如しなのだが、当方からの連絡は暖簾に腕押し、糠に釘である。
忙しくてメールを見ていなかった、PCが壊れてしまった、スケジュールの調整中である、といった蕎麦屋の出前みたいな言い訳をする。
海外で修士や博士を終了し、語学堪能な優秀なスタッフを抱えているにもかかわらず、スタッフはオーナ−の指示がなければ動かない。
契約書もそうで、相互が確認し合ってサインしているにもかかわらず、ああだこうだと言って、支払期日や返品期日を守ろうとしない。
それに引き換え、日本人は本当に律儀な国民だと思う。

11月4日

月曜日を休みにして、画廊は3連休。
その間スタッフはウルトラ・アートフェアーに。
青山界隈の関連イベントもあってか大盛況だったようだ。
台湾のアートフェアー事務局スタッフも視察に来ていて、彼らのこれからの運営にも大いに参考になったようだ。
忙しい中をこうした企画を考え、運営に携わったレントゲンの池内氏とコレクターのIさんにも心よりの敬意を表したい。
新しい美術の流れもオークション主導ではなく、企画主導という本来あるべき姿に戻ってきたことも喜ばしいことである。
ウルトラ会期の最中に開催されたシンワ・コンテンポラリーオークションも春より更に落札率が15%ダウン、出来高も僅か2千万円と厳しい結果となった。
オークションに実績のない若い作家の作品が出品され、高値で落札されるといった摩訶不思議な現象も、泡のごとく消え去りつつある。

11月7日

寒かったり暖かかったりで体温調節が大変。
今日から新しい展覧会「コイズミ・アヤ展」と「オータムフェアー」が始まった。
コイズミは今回もボックスの作品だが、鑑賞者が箱の中のパーツを自由に取り出し、思い思いに作品の前に並べることで、観るだけではなく、触れることで作品を身近に感じてもらうことを意図している。
丁度子供の頃に、小さな家の中に椅子やテーブルを置き換えて遊んでいたのと同じように。
私はよく新聞の折込や送られてくるカタログに載っているマンションの間取り図を見て楽しんでいる。
住むのは夢のまた夢だが、あたかも自分の家のごとく、ここにこうした家具を置いて、この部屋をもう少し広げて、キッチンはここに、風呂場はここにと想像して楽しむことが多い。
そんな遊び心を掻き立てる今回のコイズミ作品である。
是非皆さんも気楽に作品に触って楽しんでいただきたい。

11月10日

お客様からのメールでギャラリーの態度というメールをいただいた。
最近の現代美術系の画廊はお客様に対して愛想が悪いといった内容だった。
確かに私も感じるところだが、画廊を訪ねても受付の女性がお客様に見向きもせずにパソコンに向かっている姿をよく見かける。
せめて「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の一言ぐらいあってもいいと思うのだが。
そんなにたくさんのお客様が詰め掛けるわけでもなく、たまに見えるお客様に挨拶の一言ぐらい損にはならない。
百貨店のように必要以上に愛想良く、後に付きまとわれるのも考え物だが、机に向かって顔も上げないのはいかがなものだろうか。
私が見るに、総じて社長の態度が横柄なところはスタッフも無愛想。
私が勤めていた大阪の画廊の社長はどんな若い子にも挨拶をしていた。
大きな画廊の社長からよその画廊の若い子達が挨拶されたらどんなにうれしいことだろう。
私達社員には無口で近寄りがたい存在ではあったが、そうした優しさを持った素晴らしい社長であった。
会釈もせずにふんぞりかえっている今の若い社長達とは大違いである。
私も反面教師で気をつけなくてはいけない。

11月11日

朝から強い雨の中、お客様の依頼で処分の作品を引き取りに行く。
景気のせいもあるのだろうが、ここに来てそうしたお話をいただくことが多くなった。
そうした中に、個人美術館を閉めることになって、その作品をまとめて何処かに納めることができないだろうかといった相談もいくつかある。
個人の情熱で集めたものが、オーナーが亡くなったり、歳をとってとか病気になってといった事情で閉館に追い込まれる。
とはいえ、この時節そう簡単に引き受け手は見つからない。
その上、どれもが個人の好みが色濃く出たコレクションで、ルノワールだ平山郁夫だといった作品ではない。
となるとよっぽどの絵好きなところを探さなくてはならず、更には作品への思い入れも強く、価格の調整がこれまた難しい。
そんなわけでまとめてという話はなかなか思うようには行かない。
コレクションだけならいいのだが、美術館となるとその維持費や人件費も馬鹿にならない。
できるだけ早く処分しないと、何もしなくても経費ばかりがかかってしまう。
とはいえ、美術品以上に建物の売却は難しく、結局は壊して更地にして売るしか手はない。
これから個人美術館をと思っている方もその辺を考慮しながら進めていかないと、いざという時に大変なことになる。
それでも信頼をいただいてこうしたお話をいただけることは大変ありがたいことで、多少のお時間をいただき、いい方向に進めたいと思っている。

11月13日

親しくしていた画商が五十半ばで突然亡くなった。
私の高校時代の後輩で30年以上前に私が扱っていた作家を一緒にやらせてくれないかと画廊に訪ねてきたのが付き合いの始まりであった。
その後、彼の紹介で彼の義妹がうちで働いていたり、逆に私のところでアルバイトをしていた女性が社員となって彼のところで働くなど、親しい付き合いが続いた。
それだけにあまりの突然の死にその現実を未だ受け止めることができないでいる。
確かな目を持ち、古いものから現代美術まで幅広く扱っていたが、どちらかというと工芸・古美術に精通していて、来年には京都に茶室を造って画廊を移転する計画を進めていただけに、道半ばの突然の死は彼にとっても痛恨の極みに違いない。
先日も私に京都での新たな展開を明るく語っていただけに、その死は惜しまれてならない。
また彼に支えられた作家さんも数多く、その支柱を失った悲しみは如何ばかりであろうか。
同じような立場にいる私だけに、どうしても彼の死を自分に重ね合わせてしまい、更に心が重くなる。
今は彼が果たしえなかった作家への想いのいくばくかでも手助けすることが、彼への何よりの供養になればと思っている。
安らかに眠ってくれることをひたすら祈るばかりである。

11月17日

冷たい雨の日。
画廊も閑散としている。
オータムフェアーも1週間を過ぎた。
海外で発表した大作を並べているが、大作となると日本では中々個人の方に持っていただくのは難しい。
アジアや欧米では大作の方が売れやすく、50号くらいでも小さいと言われる。
欧米はともかく、アジア諸国のコレクターの方のお宅が全て大きいかいというとそうでもない。
飾るだけならそんなに大きい作品ばかりは買えないので、やはり資産として持つのだろう。
日本では資産として美術品を持つ人も処分しやすい小品を買う人が多く、そのため小品は割高となる。
ところが海外では、オークションなどでも大作の方が割高になるケースが多く、彼我の差を感じる。
もう一つはステータスとして美術品を持つこともあるだろう。
ある程度の資産を持つと、美術品を持つことが一つの成功の証となるのかもしれない。
そうであれば、やはり大作を持つほうが見栄えもいいのだろう。
そうした海外の傾向も最近は少しづつ変わってきている。
不況のせいもあるのだろう、今月から来月にかけてオランダ、台北、テグ、ソウルといったところの画廊で個展や2人展などが開催されるが、大作だけではなく小さい作品も用意して欲しいとの要望が来ている。
海外だけでもスケールを大きくと思っていたが、そうも行かない現実が迫ってきたようだ。

11月18日

ここ1ヶ月ほど、高校や大学のクラスや運動部の仲間との会合やゴルフコンペが多く、プライベートでは忙しい日が続いた。
大学のクラスとなると半分以上が地方出身者で、40年ぶりに会う仲間も多く、顔を見るだけでは直ぐにはわからない。
その上、我々の大学時代は学園紛争の真っ只中、休講もしょっちゅうだし、さらにはそれをいいことに部活動にいそしみ、授業をさぼってばかりのノンポリ学生だったこともあって、こんな奴がクラスにいたかと、昔の記憶をたどってみても全く覚えていない連中もいる。
今回は出席しなかったが、重量挙げ部に所属をしていた友人も殆ど授業に出ない口で、1,2年は私の大学では日吉の校舎で学び、3年から三田校舎に移るのだが、彼は三田に行ったことがなく、試験で初めて三田に行くことになり、最寄の田町駅で降りてから校舎に行く道に迷い、結局試験に間に合わなかったそうだ。
それでもお互い卒業できたのだから、いい加減な時代であった。
私達の担任は名物教授でもあった池井優教授で日本外交史の権威だが、その当時から大リーグ通でも知られ、最近でもよく著書やテレビなどでお目にかかるが、殆どお話もしたこともなく卒業してしまったことが今になって悔やまれる。
今一度時計を回すことができたならば、こうした綺羅星のごとくいた教授達の下、真面目に学校に通い、ひたすら勉強をするのだが。
青春は取り戻せない。

11月19日

昨日大学のクラス会の話を書いたが、その中に外資系の銀行の為替ディーラーをやり、現在経営コンサルタントとして活躍をしている友人からこんな話を聞いた。
アメリカでバブルを謳歌していた連中が、豪邸や高級別荘、ジェット機や大型クルーザーといったものを次々に買い込み、バブルがはじけたら貯金は何もなく、物だけが残り、それが一向に売れない現実に直面しているという。
そうした連中はヘッジのつもりで、薦められるままに数十億円といった生命保険に加入したが、現金を持たない彼等は毎月の莫大な掛け金が今や払えず、さりとて解約すれば雀の涙ほどの返戻金しか戻らずに困っている連中がたくさんいるという。
そこに目をつけたのが悪名高いヘッジファンドである。
出資金を募り、保険の掛け金を肩代わりする代わりに、死亡した時には保険金の何割かをもらう契約をする。
日本と違い、60や70歳の飽食で丸々太ったアメリカの金持ち達は5年や10年もすれば必ず死ぬという。
25%の利回りは確実だという。
何ということだろう、人の死を商売にするのだから恐ろしい。
リーマンで懲りたはずのアメリカの金融資本がまたぞろ金に目がくらんで同じことを繰り返す。
平家物語ではないが、驕れる者は久しからずである。
チェルシーの画廊も次々と店仕舞いをしていると聞く。

11月20日

23日から12月5日まで韓国へ。
テグで開かれるアートフェアーへの出展、同じテグのリーアンギャラリーで開催されるグループショー、ソウルCAISギャラリーでのでの金井訓志個展、同じソウルのSPギャラリーでの服部知佳、門倉直子の2人展と立て続けに展覧会があって、韓国に長逗留することになった。
こちらも寒くなってきたが、韓国はもっと寒いようで私もスタッフも風邪をひかないように気をつけなくては。
この前後も台北SOKA 、アムステルダムCANVASでの山本麻友香個展などがあって、私のところは100点近い大作の発送準備に追われ、スタッフは画廊に連日徹夜の泊まりこみで頑張ってくれた。
これだけ大変な思いをした作品が売れずに戻ってくると、今でさえパンク状態の画廊の倉庫は収拾がつかなくなるので、ひたすら戻ってこないことを祈るのみである。

11月21日

六本木の新国立美術館で12月12日からDOMANI・明日展(未来を担う美術家たち)が開催されるが、その一人として呉亜沙 が参加する。
文化庁の芸術支援の一環として、若い作家を海外に派遣する制度があり、研修の機会を提供された作家達がその成果を発表する展覧会である。
そのポスターに私どもの個展の案内状にもなった彼女の作品「樹海」が使われていて、いたるところで彼女の作品を見かけることとなった。
また、現在ソウルにある「芸術の殿堂・ハンガラム美術館」の「在外韓国青年美術展」にも招待され、府中美術館に収まった作品などが出品されている。
この時期韓国に行っているので是非見たいと思っている。

11月24日

数年前からだろうか、版画への関心が薄れて久しい。
作家も版画からタブローや立体作品へと志向が変わってきた。
版画も表現手段の一つということで、版画一筋という人が少なくなってしまった。
海外の美術コンクールで棟方志功、駒井哲郎、浜口陽三、池田満寿夫を始めとして多くの日本人作家がグランプリを受賞し、版画への関心がいっきに高まった。
私が現在理事長を務めている版画商協同組合もそうした時期に版画の普及を目的に設立された団体である。
その後、版画はすっかり市場に定着をし、殆どの画廊が版画を扱うようになった。
国内でも版画大賞展や版画グランプリなど版画のコンクールが盛んになり、そこからも多くのスターが生まれた。
こうしてオリジナル版画隆盛の時代がしばらく続いたが、その後内外でのコンクールもなくなり、人気の日本画家や洋画家の複製版画や海外からのインテリア版画が版画市場の大勢を占める時代を迎えた。
こうした版画に投資家や美術商が群がり、オリジナル版画は片隅に追いやられることになった。
ところが景気の後退とともにこうした版画も暴落の一途をたどり、一世を風靡した作家達の作品も今やネットオークションで1万円足らずで取引される始末となった。
そうこうしているうちに若手コンテンポラリーブームが到来し、オリジナル作品が版画と大して変わらない価格で購入できることもあってか、コレクターの目はますます版画から離れてしまった。

こうした版画離れもあって、版画展の企画も少なくなってしまったが、こうした時代こそ、ひたすら版画に打ち込んでいる作家に注目をしたいと思っていた矢先に、以前興味があって声をかけさせてもらった版画家の個展の案内状が送られてきた。
久しぶりに心をときめかせるような版画作品に出会った気がした。
その作家の顔さえ忘れてしまったが尾崎立子と言い、つい先日も開催中のコイズミアヤの個展を見に来たのか、芳名帳にその名前が記されていて、当時の版画を思い出しているところであった。
是非見に行ってみたいと思っている。

同じ時期、私どもでも銅版画一筋に40年制作を続けてきた渡辺達正の個展が開催される。
現在多摩美術大学の教授で今や偉くなってしまったが、助手当時からの付き合いで、駒井哲郎の秘蔵子としてデビューして間もない頃であった。
カラーメゾティントと言う繊細な技法から生み出された作品は清新ですっかり魅了された。
今回も銅版画ならではの深く美しい色調の中に、きらめく星座群が巧みに表現されていて、あたかもプラネタリュームの中で星空を眺めるがごとき錯覚を覚える。
楽しみにしていただきたい。

11月26日


新羅ギャラリーレストランにて

2日目を迎えた。
朝からチビッ子たちが見学に。
行儀よく行列しながら見ている。
いくつかのグループに分かれて順番に見に来るが、チビッ子人気No1は小川陽一郎作品。

昨夜は長い間お世話になっているテグのメキャンギャラリーと新羅ギャラリーのオーナーの招待で新羅ギャラリー内にあるオーガニックレストランでステーキのフルコースを御馳走になる。
メキャンギャラリーでは私も作品を持っているオーストリーの作家・コンラッド・ウインターの個展、新羅ではヨーロッパの作家を中心としたコンセプチュアルアートのグループショウ。
素晴らしい空間と中身の濃い展示に酔いしれる。
食事もおいしい野菜とお肉に舌鼓。
相変わらずの歓待に恐縮しきりである。

11月27日

日本の画廊の成績はいま一つ。
聞くところによるとドイツ、スペインの画廊は完売したとのこと。
今日から私どもの作家たちのグループショウが始まるリーアンギャラリーも4千万円の作品が売れたり、写真作家の作品が初日にほとんど売れたりで、指をくわえて周りを見るだけである。
そんなことを慮ってか、画廊協会の会長さんが日本からの参加者全員を招待して、フグ料理の宴席を設けてくれた。
普段物静かな会長さんも接待にこれ努め、乾杯、乾杯の繰り返しで、どこまで飲むのか恐ろしくなるほどであった。
対する日本側も私以外は若く、長身イケメン揃いの面々、お酒も負けじと飲み干し、日本男児の面目躍如であった。
この勢いでこれからの売り上げに繋がるといいのだが。
今夜はリーアンギャラリーのオープニングパーティーが予定されていて、日本の画廊の人たちも皆さん来ていただけるようで、連日忙しい夜が続く。

11月25日


オープニングセレモニー

昨日から韓国第三の都市テグのアートフェアーに参加している。
23日に釜山空港に入り、主催者が用意してくれたバスでこれまた用意してくれたホテルに入る。
会場がホテルの目の前なので便利な事この上なし。
ただ新しいエリアなので、周囲には会場とホテル以外は大きな建物もなく、人影も少なく閑散としている。
果たして見に来てくれる人がいるかと不安に駆られる。
24日の朝早くから展示にかかり、6時からのオープニングに備える。
心配したが、テグの市長を始め多くのVIPが来場し、オープニングパーティーは賑わいのうちに始まった。
今回のフェアーはテグ市の支援もあって、われわれ海外からの参加者にはいろいろなサービスを施してもらっている。
更に有難いことに、テグの画廊協会からテグ市への美術品の寄贈が決まり、私どもの展示作品が選ばれた。
幸先のいいスタートがきれたが、翌日からの本番はソウルと違い、来場者も少なく盛り上がりはいま一つといったところ。
さてどんな結果と出るか、日本からも私がお誘いした画廊さんが6軒参加をしているので責任重大である。
それでも事務局をはじめテグの画廊の方には手厚いもてなしを受け、夜の焼き肉パーティーやお昼御飯の差し入れなど至れり尽くせりである。

11月28日


入り口にて横田尚

昨日からリーアンギャラリーでグループショウが始まった。
赤いゲートが目印のお洒落な画廊で、韓国有数のコレクターとしても知られたお医者さんの奥さんが3年前に開廊。
ここは元々シゴン画廊という有名な画廊があり、そこのオーナーが急逝して、その後を引き継ぐことになった。
そのオーナーは第一回のKIAFで参加した日本の画廊の女性スタッフを見染め、結婚することになっていたが、その直前に亡くなり、その知らせを聞いた時の驚きは今でも鮮明に覚えている。

出品作家は私どもから4名、SCAI 、オオタファインアーツから各一名の構成でオープニングには出品作家の一人・横田尚が参加した。
わざわざ来てくれた甲斐があって、彼女の大作2点がすでに売約となっていた。
他に呉亜沙の100号も売れていて、ホッと胸をなでおろした。
フェアーのほうが低調なので、何とかリーアンさんに頑張ってもらいたい。

11月29日


入り口にて横田尚

あっという間で最終日となってしまった。
ようやく日本の画廊にも赤印が付いてきたようで、誘った責任上冷や冷やしていたのだが、何とか一息つく事ができた。
私のところにも何点かの予約が入った。
不景気の最中のフェアーで、それもソウルとは違ったローカルな場所での開催で心配しながらの参加であったが、テグ市のサポートもあって、ほとんど経費もかからず、その上に手厚いもてなしを受け、初めて参加していただいた日本の画廊さんにも多少は顔向けできたのでは。
今日は6時に終了し、それから搬出となるが、それまでにも各画廊にいい話が来るよう祈っている。

明日は早朝にテグを出発し、KIAFのスポンサーでもあった韓国の有名なお菓子メーカーの会長の招きでお昼を一緒にすることになっている。
この方はいくつかのモーテルを買い取り、リニューアル後にアートレジデンスとして若い作家に提供している。
そうした作家たちと毎週月曜日にお昼を一緒にすることになっていて、そこに同席することになった。
日本の若いアーティストにも使ってもらい、日韓文化交流に努めたいとの意向もあり、お伺いするのを楽しみにしている。
私も日本のアーティストが狭いアトリで制作しなくてはならない現状をいつも憂慮していて、ぜひ日本の企業でもこうした試みをしてもらいたいと思っている。

11月30日


モーテルを改装してアートレジデンスに

ソウル郊外にあるお菓子メーカー・クラウンのアートバレーを訪問。
昨夜は遅くまで日本の出展画廊全員とホルモン焼き肉で打ち上げをし、ホテルを早朝に出発したのでテグからの3時間の道中は爆睡。
ゴルフ場の建設予定地であった山の開発を取りやめ、社員の研修施設として利用することになったが、その一環として社員に彫刻作品を作らせ、山の各所に展示したのがきっかけで、彫刻公園の構想を抱き、現在進行中とのこと。
このあたりは景勝地なのだが、どういうわけかラブホテルが林立し、自然とけばけばしい建物がマッチしない。
会長はそうしたホテルを買い取り、リニューアルしてアートレジデンスとして再利用することにした。
更には音楽家のためのレッスン場にも利用し、若い芸術家の育成に努めている。
そんな施設を車と歩きで3時間ほど見学させてもらった後、昼食となる。
毎週月曜日に利用してもらっている芸術家たちを招き、昼食会を開いている。
高級なワインと美味しい食事をふるまわれた後、ジェラート食べ放題がデザートとして用意されている。
甘党の私はこれが一番うれしい。
食後は支援をしている音楽家のミニコンサートまであり、自然の中でしばし桃源郷の世界に浸ることができた。
お土産に抱えきれないほどのクラウンのお菓子をいただき一路ソウルに向かう。
秋のKIAFで初めてお会いし、テグのオープニングに来られてご挨拶をさせていただいただけで、これだけの歓待を受け、同行したスタッフ、作家ともども大感激であった。


山の中に設置してある作品

後ろの山が全部アートバレー

昼食後のミニコンサート

12月1日


ハンガラムミュージアム

芸術の殿堂・ハンガラム美術館を訪ねる。
USBというタイトルで欧米で活躍をする韓国系の若手作家10数名によvる展覧会で、写真、ビデオアートやインスタレーションなども多く大変興味深い展覧会であった。
日本からは呉亜沙の府中美術館にある平面作品とLEDを使った立体作品が展示された。
この場所は以前にSIPAという版画と写真のアートフェアーがあって、招待されて何度か行ったことがある。
美術館以外にもオペラハウスや、コンサートホール、伝統芸能専門の劇場などの芸術施設があって、文字通り芸術の殿堂となっている。
学芸員の案内で上にあるパリ在住の韓国作家のグループショウも見せてもらった。
こうした作家達を支援しているのが韓国のテキスタイル会社ということで、昨日のクラウンといい、この会社といいとにかく頭が下がる。
昨日今日といささか歩きすぎたのか、夜はスタッフと足つぼマッサージで疲れをいやす。

12月2日



1階会場

2階会場

ソウルの大手画廊CAIS ギャラリーの明日から開催される金井訓志展の準備に向かう。
画廊で金井夫妻と落ち合い準備にかかる。
大きな画廊なのでかなりの点数を用意したが、殆ど飾ることができた。
配置だけを決めて後はスタッフに任せてということで昼食に。
韓国の大きな画廊では展示要員がスタッフとは別にいるようで、私も作家も手伝うつもりでいたが拍子ぬけ。
社長が自ら働く日本の画廊とは大違い。
次にもう一つの展覧会SPギャラリーの服部知佳、門倉直子の二人展に行く。
こちらは既に展示が終り、一階が服部、二階が門倉となっていて、きれいに飾られていた。
画廊の中に宿泊施設があり、今夜から服部がお世話になる。
KIAFが開催されたCOEXでデザインフェスタのオープニングがあり、そこに作家であるオーナーのご主人も参加しているということで出かける。
確か日本でも開催されたと思うが、50人のアーティストやデザイナーに大きな牛の立体が支給され、それをもとに作品を作って展示するという企画で、
それ以外に家具や食器、照明などが各ブースで紹介されていて、アートフェアーとはまた違った雰囲気で楽しむことができた。 
夜にはその服部が地図を片手に何とか画廊に到着し、金井夫妻と一緒に夕食を御馳走になる。
連日連夜の御馳走で既に韓国にきて3キロ太り、ベルトがきつくて仕方がない。

12月3日


クワァン君会場

金井展会場

金井訓志個展が始まる。
会場のCAISギャラリーは1階には若手作家のためのスペースと「無比」という名前のレストランがある。
今回この1階のスペースでも以前にKIAFの私どものスペースで紹介したクワァン・ジェイホン君の個展が同時開催される。
プラモデルのキットセットを模したユニークな作品で、韓国作家としては珍しいミニミニ作品が多い。
2階がメインのスペースになっていて、美術館のように5メーターほどの高い天井がある部屋と細長く途中にステップのある広いスペースに分かれる。
金井の作品はこの二つのスペースと1階のレストランを使って作品が飾られた。
最近始めた黒い漆による縁取りが白い壁に映える。
SPギャラリー同様にビルの外壁には大きな垂れ幕が飾られ、まるで美術館での個展のようだ。
カタログもピンクの表紙の洒落たデザインで、金井の特徴である線書きの部分が盛り上げてあるという凝りよう。
三階にも展示スペースがあるが現在は倉庫として使い、4階が社長室とゲストルームとなっている。
スタッフも国内企画担当と海外企画担当、ホテルやビルの総合デザインを受け持つ部門に分かれ、香港にも支店を持つという韓国でもビッグギャラリーの一つである。
オープニングの料理はレストランに置かれ、会場は観賞のために何も置かれていない。
多少階段を上ったり降りたりで面倒だが、日本のように展覧会場が酒席と化すことはない。
素晴らしいセッティングに金井夫妻も大感激であった。
後は大いなる売り上げを期待するのみである。

12月7日

2週間ほど韓国に行って、アートフェアーと三つの企画展、それ以外にも途中に訪ねる所も多く、へとへとになって帰ってくるかと思いきや意外と元気。
昨日も友人とのゴルフの約束があり、快晴の中をラウンドし、気分爽快。
韓国の画廊さんも決して景気がいいとは思えないが、みんなエネルギッシュで驚くほど元気がいい。
ある画廊主の話では、韓国では不景気になるほど居酒屋が一杯になるそうだ。
別の画廊主も、美しい商売をしているのだから、白鳥の如く、水面下では必死に足を掻いているが、水面から上は何ごともないように優雅に泳いでいなくてはいけないと言っていた。
為替や株価の乱高下、その日の売り上げに一喜一憂しているのではまだまだ修行が足りない。
韓国のみんなから元気をもらって帰ってきました。

12月8日

東京ステーションギャラリーの企画展・現代絵画の展望「12人の地平線」のオープニングがあって出かけた。
場所は新橋にある旧新橋停車場鉄道歴史展示室で、スペースがあまりないので前期を旧作・後期を新作の2期に分けて展示する。
現代絵画の一断面を紹介しようとの主旨で、海外にも作品が発信された作家12名が選定された。
87歳の宮崎進、81歳の堂本尚郎、77歳の中村宏などのベテラン勢から50代の中村一美・小林正人・イケムラレイコといった中堅作家に混じって30代は夏目麻麦等3人といった幅広い構成で、前回もそうだったが新旧作家を対比してみるのも面白い。
会場にはそれぞれの作家に加え取り扱い画廊の面々も来ていて会場は賑わいを見せた。
作家の挨拶では夏目だけは緊張のあまり死んでしまいそうという事で、名前の紹介だけで許してもらい、ほっと一息。
彼女の旧作は私が初めて出合って心を動かされた作品が選ばれ、改めて感慨深くその作品を見せてもらうことになった。
赤く彩られた壁面にその作品はほどよくおさまり、ベテラン勢の作品に負けず劣らず、凛として輝いていた。

12月10日

ここしばらく寒い日、暖かい日が日替わりでやってくる。
我が政府も日替わりで政策が変わる。
現政権は公約を守ると大見得を切ったが、いざ手当てとなると財源がない。
国債やお札を刷り増ししなくては追いつかないが、そうなれば国の赤字がますます増えるし、デフレも急加速で進んでしまう。
進むに進めない状況で、政治家はまず自分達の歳費を削るから、それを充当しようといった発想はないのだろうか。
母親から毎年何億もの子供手当てをもらっている総理大臣や失業者の味方と思える女性党首の収入が億を越えるなら、私の給料は要りませんと言ってみたらどうだろうか。
お役所の事業仕分けだけではなく、自分達の事業仕分けも是非やっていただきたい。
我が家の事業仕分け人は早々と私の給与の減額と小遣いの削減を決定した。
私財を投げ打ち、国のために働く井戸塀政治家といった言葉は今や死語と化してしまったようだ。

12月11日

明日から始まる綿引明浩展の準備に追われる。
今回は森の中のサーカスをテーマにした大作を中心に、アクリル板を切り抜いたオブジェが多数飾られる。
会場は綿引独特の華やかな色彩に彩られ、クリスマスの雰囲気に包まれる。
丁度、18日から25日までは銀座・京橋の42軒の 画廊が参加するXmasアートフェスタが開催され、各画廊がクリスマスにふさわしい企画で盛り上がる。
私どもも後半の会期が重なることもあって、参加画廊に名を連ね、GTUで来週月曜日から開催される内林武史展もその企画にマッチした楽しい作品を並べる。
この期間中、ギャラリーツアーも企画され、アートフェスタのギャラリーマップを片手に画廊廻りをする人も多いのでは。
参加画廊の入り口には共通のクリスマス・リースが目印として飾られるので、この機会にクリスマスプレゼントを探しに出られたらどうだろうか。

12月12日

強い雨も一夜明けて小春日和の暖かい朝を迎えた。

机の上には送られてきたオークションカタログが山積みになっている。
分厚いカタログばかりで、思い切り以前の分は捨てないと溜まる一方である。
とはいえ、何かの折に査定や処分の話が来たときの参考にと思うと捨てるに捨てられない。
古美術や韓国・中国といった専門外の分野も、最近は話が来るようになり、参考にとっておくことが多くなった。
仕事の合間にそうしたカタログの落札結果を見てみると、美術市場の今がよくわかる。
先月開催された香港のオークションでは中国・韓国作家に比べると日本人作家の健闘が目立つ。
特にシュール系の作家に目が向いているようだ。
と同時にブームが去ったかと思えるアニメ風の作品の多くも落札されていて、根強い人気に驚く。
逆に中国や韓国の作家に不落札が目立つ。
韓国のオークションでは、物故作家や若手でもトリックアート的な表現の作品に人気が集まっているようだが、全体的に見て今一番厳しいのは韓国の若手作家のようだ。
また、日本の企業やお金持ちとは違い、印象派やエコールドパリの作家達には余り目が向かず、現代美術のポップ系の作家に人気が集中していることがわかる。
といった風に見ていくと、机や本棚はオークションカタログが溜まる一方となる。

12月17日

GTUで月曜日から始まった内林展のオブジェはこの暗い世相に灯りをともしてくれるほのぼのとした作品ばかりが並ぶ。
古びたラジオやテレビ、壊れた工作台や錆び付いた機械や鉄塔から明かりが漏れ、微かな音楽や映像が流れる。
アナログ世界にデジタルな光、音、映像が不思議とマッチする。
少年の頃に感じたときめきを思い起こさせる作品ばかりで、どれもが自分で欲しくなるものばかり。
売れて欲しいし、とは言え、売れずに残って自分の手元に置いておきたい微妙な心境である。
綿引展とともに是非お越しいただき暫し癒しの時を過ごしていただきたい。

12月18日

六本木の国立新美術館で開催されたDOMANI.・明日展のオープニングが15日の夕方にあって出かけた。
文化庁の研修制度により海外に派遣された作家達の成果の発表ということだが、以前は会場が新宿の損保ジャパン美術館だったこともあって、スペースや天井高があまりなく、国立新美術館の大きな会場に飾られた作家達は、派遣されたことと同時にこの素晴らしいスペースを与えられたことに大いに感謝しなくてはいけない。
多様なジャンルから選ばれているが、既にお知らせしているように私どもからは呉亜沙が選ばれ、7月の個展に出品された作品や4年前の初個展の折に出品された大作が並んだ。
つい先日までも韓国のハンガラムミュージアムにも出品していて、そちらも大きな会場に飾られ、画廊とはまた違った視点で見ることができた。
この折、彼女の作品を見た韓国ナンバーワンの画廊から資料の紹介が来たが、ここでの発表が実現すると、ここがまた美術館同様の巨大なスペースを持っていて、どんな展示になるのだろうかと、まだ実現もしないのに勝手な想像をめぐらす。
ここ数年忙しかったこともあって、しばらくは発表を控える予定だが、どのような展開になるのか今から楽しみである。

12月22日

昨日はパーティー、忘年会のはしご。
どういうわけで私のところに招待状がきたのかよくわからないが、新宿のホテルで「2009中国アートフェアー杭州ー東京展」のオープニングと内覧会の案内が来て、丁度その前に同じホテルで会合があったこともあって、出席することに。
ホテルの横にあるビルの会場での内覧会に先ず出かけたが、そのレベルの低さに思わずたじろいた。
日中文化芸術交流の一環として、中国有力画廊が41軒参加しているというが、古めかしい水墨画や素人が描いたような油彩画ばかりで、こちらが恥ずかしくなるような内容に唖然とさせられた。
知り合いの日本の画廊も何軒か来ていたが、直ぐに帰ってしまったところをみると、おそらく同じ思いであったに違いない。
その後のパーティーの豪華な食事や、立派なカタログやお土産もいただいたが、果たしてどれだけの成果を期待しているのだろうか。
私も一足早く景気の回復した中国の美術関係者とのご縁ができればとの思いもあって出かけたが、全くの拍子抜けであった。
食い逃げして、次なる忘年会へ。

12月23日

昨日の続き。

中国展のパーティーをそそくさと出て、何となく後味の悪さを残しながら、次なる忘年会へ。
コレクターの会・ワンピース倶楽部を主宰する石鍋博子さんの招きで、代官山にある古い民家を利用したレストランへ向かう。
私の自宅からそれほど離れていないエリアなのだが、滅多に来ることもなく、お洒落なレストランやショップが立ち並び、別世界に来たようだ。
定刻に着いたが既にたくさんの方が見えている。
夜7時から終わりはエンドレス、90名ぐらいの方が見える予定で、賑やかな一夜となった。
私どものお客様や知った顔の業界関係の方も若干いたが、アート関係の方は思いのほか少なく、もっとも石鍋さんのお付き合いが新しいコンテンポラリーアート関係の方が多いこともあり、私のようなロートルには知らない人ばかりである。
そんな中、石鍋さんに次々と紹介をしていただき、大勢の方と親しくお話をさせていただいた。
インテリアコーディネーターの方、若いシンガーソングライター、富裕層向けの雑誌の副編集長、フランス人のフォトアーティスト、グラスアート作家、ワンピース倶楽部の会員の方等など、名刺を読みかえさないと名前と肩書きが思い出せないほど多くの人とお話をすることができた。
彼女の人脈の広さにもおどろかされるが、師走の忙しい時期に、こうした大勢の人が集まるというのは、石鍋さんのお人柄がそうさせるに違いない。
それにしても石鍋さんのホスピタリティーとバイタリティーには驚かされる。
それぞれの人を飽きさせないようにと飛び回り、楽しい時を過ごせるように心配りをし、招かれた人たちを皆笑顔にさせる、何と言ったらいいかわからないが、大きな大きな力を持っているように思えてならなかった。
酒も飲めないこともあって、こうした場に出かけるのは苦手な私だが、石鍋さんから元気をいただいたようで、とても楽しく有意義なひと時であった。

12月24日

昨日は天皇誕生日の休日とクリスマスイブの前日が重なり、それでなくとも師走の世の中、画廊巡りどころではないだろうが、 クリスマスフェスタに参加していることもあり、画廊は朝からオープン。
とは言え、画廊関係・作家関係の方は次々に見えるが、クリスマスフェスタの方はさっぱり。
パンフレット片手にわんさと押しかけるのではと期待したが、ツアーでみえたのもこの期間トータルで10名も来なかったのでは。
多くのメディアに紹介され、クリスマス用の作品も用意して手ぐすね引いて待ち構えていたのだが。
銀座中心で京橋まで足が伸びなかったのだろうか。
エリアが広すぎたこともあるだろう。
京橋界隈を始めたきっかけも、限定したエリアのなかで銀座との差別化が念頭にあった。
メディアも一般紙というよりは美術関係が多く、そうした媒体のパイが小さすぎることもあるのだろう。
一般の方を呼び込む難しさを感じつつ、何か仕掛けをしない限りは現状を打破することは難しい。
来年は無い知恵を絞って、京橋界隈を始めたときのように新たな掘り起こしを考えてみたい。

12月28日

いよいよ年の瀬、今日で営業を終え、年明け8日から開けさせていただきます。

今年も一年慌しく過ぎてしまい、この休みにじっくりと今年を振り返り、来年に向かっての指針を決めていきたい。
偶々テレビでリゾート再生の達人の話を聞いたが、その中にこの地域、この場所で何が売りなのかを考えなくては再生はできないと言っていたが正にその通りである。
富士山が見えるところでは、富士山が見えなければ話にならない。
他にはない特長を押し出していかなくては、人は来てくれない。
この画廊でしか見れないもの、この画廊にわざわざ足を運んでもらえることを考えなくてはいけない。
先にも書いたが、クリスマスフェスタに思ったほどの人が来なかったのも、あまりに範囲が広すぎるのと、横並びの企画で際立った特長を出せなかったこともその因の一つであったかもしれない。
土曜日に偶々見た銀座からは離れ、それほど便のいいところではない画廊で30点ほどの作品が大作を含めてほぼ完売をしていた。
若い作家だったが、私も欲しいと思ったほどの作品で、こうした結果は当然なのかもしれない。
近くの画廊と一年毎に交互に個展をする桑原弘明の作品も、去年の私共同様に前の晩からお客様が並び、初日には殆ど売れてしまった。
不便でもわざわざ足を運んでいただける企画、並んででも来てくださる企画、不況下でも愛好家は労を惜しまないものと改めて考えさせられた。
今一度、自分の画廊がどう見られているか、どうアピールをしたらいいかを考え、作家ともども新しい年に邁進していきたい。

年の瀬にうれしいニュースが一つ飛び込んできた。
関西在住のフォトアーティストの岡本啓君と玩具への愛着を描く高木さと子君が画廊に二人して現れ、結婚をすることになったとわざわざ挨拶に来てくれた。
画廊が取り持つ縁でもあり、みんなに可愛がられる二人だけに大いに祝福をしたい。
年の最後に二人から幸せのおすそ分けをもらい、来年をすがすがしい気持ちで迎えることができる。
皆様にも幸多い年であることを願うとともに、本年のご愛顧のお礼を申し上げたい。

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