Diary of Gallery TSUBAKI

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4月2日

昨日からアートフェアー東京が始まった。
年々盛んになり、昨日も大勢の人で賑わったという。
私共も参加をしたいのだが、貸し画廊は参加できないという規約があり、GTUで若い作家達にスペースを貸しているため、私のところは参加できないでいる。
もし参加をしたいのなら、貸しの部分を別会社にして欲しいと言われるが、フェアーの都合で別会社を作るのも馬鹿げているし、それより実態は変わらないのに形だけ変えたら構わないという理屈も納得がいかないので、敢えて歯を食いしばって言うことを聞かないでいる。
確かに貸し画廊は場所を貸すことが主体で、画廊が全ての責任を負う事はなく、本来持つべき画廊の機能を果たしていない。
そうした画廊が、アートフェアーで画廊独自の作家を紹介するということは、これは如何なものかと言われても仕方がない。
契約制度がしっかりしている欧米の画廊では、こうした形態の画廊は殆どなく、それだけに画廊企画にのるということは大変なことといっていいだろう。
こうした貸し画廊という形は、日本独特の制度といっていいかもしれない。
しかしながら、日本ではこの貸し画廊が大きな役割を果たしてきたのも事実である。
今活躍をしている多くの現代美術作家も、無名の時は貸し画廊からスタートをしているのが殆どといっていいだろう。
私も作家を知る大きな手立てとして、貸し画廊での発表を見ることが多く、山本麻友香や夏目麻麦などもそうして知った作家たちである。
現在個展をしている服部知佳や岡本啓、横田尚、高木まどかなどは私共のGTUからスタートをして、現在は海外でも活躍をしている。
今はゲイサイやVOCA展、シェル賞展などで知ることも多いようだが、個展というまとまった形で無名の作家を見るには、やはりそうした画廊に行ってみる方が、より評価をしやすい。
一部に貸しをしながらも企画で質の高い作家を扱っている画廊も多く、こうした機能も考えると、貸し画廊を一括りにするのもいかがなものかとも思うのだが、規則がある以上仕方がない。
指をくわえながら、アートフェアーの盛況を見守るしかない。

4月3日

昨日の夜、大学の先輩の誘いで、お宅にある夜桜を見に行ってきた。
本当は、今日の昼から夜中まで花見の会をやることになっているのだが、画廊をさぼって行くわけにもいかず、前の晩に夜桜を独り占めという贅沢をさせてもらった。
広い庭に枝垂桜をはじめ、山桜、染井吉野、八重桜など16本の桜の木があって、それは見事なものである。
特に大きな枝垂桜が素晴らしい。
写真に撮ったが、暗いせいかうまく撮れず、お見せできないのが残念である。
材木商を営む旧家で、庭にはお稲荷さんが祀られ、そのための長い参道までが庭にあるという豪邸である。
寒さに震えながら、奥様の手料理で夜桜を楽しませてもらった。
桜には人を浮き立たせるオーラみたいなものがあるのだろう。
日本の良さを実感できる季節となった。

4月4日

土曜日の夜7時から作家を囲んでのワインパーティーを開く。
アートフェアーに併せて、海外から来るお客様に画廊に来てもらおうとの主旨で企画した。
海外のフェアーでは、こうした期間中に主要な画廊のいくつかを廻るバスツアーが行われたり、朝食会が画廊であったりと、海外の画廊やコレクターの方と接する機会を作ることが多い。
私のところはフェアーには参加していないので、便乗させてもらった形になるが、こうした企画は出展画廊でも行われていたようだ。
ところが、思惑通りにはいかず、フェアーに海外、特にアジアからのお客様や画廊関係者が昨年のように来ていないこともあって、殆どが私共のお客様や私共の関係作家であった。
それでも次々に詰め掛けていただき、9時に終わる予定が10時近くにようやくお開きとなった。
GTUで今日から始まった岩淵華林の作品にもいくつか売約がつき、初めての発表であったが、来られたお客様の反響はすこぶる良

4月5日

花冷えの日曜日、ようやくアートフェアーを見ることができた。
12時過ぎだったが、既に大勢のお客様で賑わっていた。
昨日の土曜日は入場を待つ人で長い行列ができたそうで、1万人を越える来場者があったという。
回を重ねるごとに、フェアーも定着してきたようで、いま一つぱっとしない景気の中にあっては、うれしいニュースである。
売り上げも、概ね良さそうに見えたが、出展者に聞くと人の割にはいま一つという声が多かった。
どちらかというと、コンテンポラリアートで知られている画廊よりは、キャリアのある近代美術系の画廊が押し出す今風の若手作家に赤印が目立っていた。
古い画廊はそれなりのお客様を持っていて、そうしたお客様が新しい作家達に関心が移ってきたのかもしれない。
海外のフェアーのように大きい作品や立体が飾られているのと違って、小さい作品が壁いっぱいに掛けけられていることもあって、目に飛び込んでくる作品が少ない。
時間を掛けてゆっくり見れば印象に残る作品も見つかるのだろうが、ブースも狭く人も多くて息苦しくなり、会場を一周をしただけで帰ってきてしまい、どれといって頭に浮かぶ作品がなかったのは残念であった。
次回、参加条件が緩むようであれば、ぜひ参加をしたいので、事務局関係者の方よろしくご配慮のほどを。
私のところは来月に初めて京都で開催されるホテルアートフェアーに参加を予定している。
東京のフェアー同様に賑わうことを祈る。

かったようで、直前のうじまりに続き、GTUもまた新しい作家が巣立っていくことになりそうだ。

4月6日

明日から週末まで韓国へ。
大韓航空がソウルにオープンしたアートスペース「ILWOOSPACE」のオープニングパーティーに招待されて、出かけることになった。
ここで来年多分秋ごろになると思うが、山本麻友香の展覧会を依頼されていて、その打ち合わせをすることになっている。
非営利の美術館のようなものなので、過去の作品を中心に並べることになるが、ILWOOコレクションということで、新作も併せて制作をしてもらうことになりそうだ。
ILWOOとは美術大学を出た社長の奥さんのニックネームだそうで、彼女がILWOO財団の代表として企画運営をすることになっている。
日本航空の破綻と対局にあって複雑な思いもするが、日本の企業も是非文化事業の活動に力を入れてもらえると有難いのだが。
週末まで滞在して、いくつかの画廊と来年以降の企画も詰めてこようと思っている。
リーマンョック以降、円とウォンとの為替格差が大きくなってしまい、円建てで価格設定をするとかなり高い価格になってしまうこともあって、以前に比べて日本作家の展覧会はめっきり減ってしまっていた。
ここに来てようやくドルもそうだがウォンも円安に振れてきたので、日本人作家の展覧会もやりやすくなるのではと思っている。

4月12日

韓国から帰ってきました。
日本より暖かく、冬支度で出かけたのに、上着を脱いでもいいくらいの暖かさ。
天気には恵まれたが、体調を壊してしまい、吐き気・腹痛に悩まされることになった。
相変わらずのご馳走攻めが、今回だけは苦痛で、イタリアンのフルコースが3回続いたのには閉口した。
大観航空の本社ビルの一階にオープンした一宇(ILWOO)SPACEのオープニングに招待されて行くことになったのだが、貧乏性の私は行く以上は仕事をと目一杯にスケジュールを入れていたので、ゆっくりする暇もなく、おなかを抑えての毎日となってしまった。
オープニングパーティーは大盛況で、館長や来賓の挨拶も見えず、聞こえずの大混雑振りであった。
皮切りの展覧会は韓国の著名な写真作家で、松林の写真で知られるBAE・BIEN−Uの新旧作品が多数並んだ。
日本人は私以外には作家と長年の友人で、今回の展覧会のための序文をプレゼントした評論家千葉成夫氏だけで、韓国の画廊関係者も少なく、殆どがお役人、財界関係の人のようだった。
ここでの大盛況は当然だが、今回お会いした画廊のオーナー達は皆一様に景気が回復したと言い、KIAFが開催されるころにはもっと良くなっているだろうといっていた。
それを実証するかのように、現代画廊で開かれていたニューヨーク在住で韓国の著名作家の一人IK・JOONG−KANG展は小品でも150万円もするのだが、始まったばかりにもかかわらず大作を含め数え切れないくらいの作品が売れていて、売り上げはゆうに億を超えているだろう。
KIAFも200画廊の出展を予定しているが、既にそれを大きく上回る申し込みがあるようで、ブースフィーの値下げを頼もうとしたが軽く一蹴されてしまった。
だんだんと日本が取り残されていくような気がしてならない。

4月16日

桜も散り、もう直ぐゴールデンウイークを迎えようというのに、冬に逆戻り。
おかしな気候が続き、何だか天変地異が起こりそうな気がする。

池田歩展が水曜日から始まった。
前回はエネルギーの集積ともいえる爆発をテーマに発表したが、今回は飛行機雲をテーマに7点の発表となった。
以前には写真の遠景、近景をもとに表現した作品を発表したことがあったが、今回も飛行機雲の模型を作り、その模型を撮った写真をもとに描かれている。
飛行機雲とか爆発といった通常ではテーマとは考えられないものを取り上げているが、おそらく作者の脳裏に残存している幼少期のイメージがそうしたものを描かせているに違いない。
小さいころに不可思議に思えたもの、心沸き立たせたもの、魅惑的だったものの中に、大空に壮大なスケールで描かれた飛行機雲は作者だけでなく、私にとっても限りない宇宙に心を馳せた大パノラマ図であった。
澄んだ青空に一筋の雲が限りなく続くさまを見上る幼かった頃の私にもどったような錯覚を覚える。

4月17日

4月の半ばを過ぎて、東京に雪が降るなんて、私の記憶にはない。
あまりの気候の変化に体調を崩す人も多い。
15日に開かれた版画商協同組合の春季大会でも何人かのメンバーが風邪などで欠席をした。
その理事会の折に私の代理で出席していただいた理事の方から、7日に開かれた全国美術商連合会理事会の報告を受けた。

いずれ実施されるであろう消費税率の引き上げに備え、ヨーロッパで実施されている美術品に対する軽減税率の導入を関係省庁に訴える。
美術品の減価償却を現在20万円であるが、ある程度の数字まで引き上げていくことを関係方面に働きかける。
民主党政権になって軽んじられる文化政策に対して、国家にとっての文化の重要性を訴えていく。
国際的な美術品の貸借に、国家補償制度を導入し、美術館、展覧会主催者の保険料の軽減を図る。
アジア諸国のアートビジネスがグローバル化している中、日本のあまりに内向きなビジネスを改めていく。
わが国に諸外国と同様に免責制度を設け、所蔵品の海外からの返還請求訴訟に対応していく。
等など今年度の活動方針の報告があり、我々美術商も時代の変化に対応していく必要性に迫られる時代だということを認識しなくてはならない。

その時配布された元北海道立近代美術館の水上武夫氏の「地方の文化を振興するためにー地方美術館で考えたこと」と題したレポートは、切々と地方財政悪化に伴う地方美術館の窮状とその打開策が述べられている。
その一端を紹介したい。

行政側に理念も熱意もなく財政の逼迫を都合よく利用し、厄介払いをしようとしている側面がある。
国もそれに大きく加担し、「指定管理者制度」を導入し、地方美術館をますます縮小化の方向へ導こうとしている。
都会に比して地方美術館は入館料や図録代、動員力、協賛企業といった面で大きなハンディーを背負っている。
作品収集、調査・研究、展示、教育、といった美術館の役割全ての費用が削られ、求められるのは経営といった側面だけで、その上、経営の責任者である美術館長が非常勤であり、本庁からの天下りである。
文化施設、文化政策は金食い虫の側面があり、短期的にその成果が出せないのが文化である。
経営に対する行政側の要請は性急で、その解決策が予算削減といった堂々巡りの施策となっている。

こうした現状を訴え、地方美術館と国の役割を述べているが、その先行きは大変厳しいものがある。
こうした窮状を聞くにつけ、同じ美術に携わるものとして、「どげんかせんといかん」と痛切に思わざるをえない。

4月19日

下落合にあるロータリークラブの仲間のお寺で真言宗「薬王院」に行って来た。
都内でも有数の名刹で、牡丹寺としても知られる。
本来なら色とりどりの牡丹が真っ盛りのはずなのだが、異常気象のせいでようやく所々で花を咲かせているといった具合で、せっかくの見ごろが当てが外れてしまいがっかり。
この日はここで、私が入っているロータリークラブの物故者法要が営まれた。
物故者といっても今期は亡くなられる方は一人もいなくて、創立以来53年の間に亡くなられた方の追悼法要となった。
75名のメンバーの中には90歳を超える方もいて、私などはまだクラブの平均年齢にも達しない若造で、皆さんそれぞれにお元気なのには驚かされる。
会社の要職を退いたり、現役を退かれた方も多いが、毎週一回の例会には顔を出し、仲間との交流が元気の秘訣なのだろう。
ゴルフは当たり前だが、山登りやテニスの同好会があったり、 教授を定年で退いてからサーフィンを始めた人や75才になってから空手を始めた人もいて、ここにくると元気のエキスをもらって帰ることになる。
2年に一度こうした法要が営まれるが、次回も一人も欠けることなく、もっぱら花見が主たる会となることを願う。

4月21日

今日は夏の陽気で、外に出ると上着がいらないくらいの暑さで戸惑ってしまう。
明日はまた寒くなるという。
いったいどうなっているんだろうか。
海外では大地震や大噴火で大騒ぎだし、地球自体が大変動する兆しだとしたら恐ろしい。

地方美術館の学芸員が訪ねてくれた。
以前に予算があるので購入をという話があったが、お目当ての作品が売れてしまっていて、残念ながら立ち消えになったことがある。
今年度は是非早めにというと、残念ながら今年度購入予算はゼロになってしまい悪しからずとのこと。
先日も地方美術館の窮状を書いたばかりだが、かくのごとく寂しいものである。

事業仕分け第2弾が始まったが、その対象の一つに国立美術館や国立科学博物館も入っているという。
どの部分が精査されるのかわからないが、こうしたところを対象にすることに首をひねざるをえない。
先日も行政刷新大臣が、こうした法人で蓄積されたものは早急に返してもらう、通常国会で法案も用意するといっている。
事業の需要が乏しく、使い道がないお金が余っているなら仕方がないだろう。
しかし、美術館で仮に爪に灯をともすように経費を節約をして、余った余剰金を購入予算に充てる努力をしたとする。
そのお金をその年度に間に合わせで適当な作品を購入するのではなく、積み立てをして美術館にふさわしい作品購入に充てようとすると、これも余剰金としてカットされてしまうのだろうか。
お役所の仕組みとしては、その年度の予算を使い切らないと次年度の予算を削られることになっている。
そのためにはいらない物まで購入して、帳尻合わせをすると聞いている。
これこそが無駄遣いで、民間のように経費節減をして収益を上げようとするの全く逆の発想である。
役所の負の部分もたくさんあるだろうが、一括りで美術館の購入予算まで削られるようでは由々しき問題である。

4月22日

昨日は冬のような寒さと強い雨の中、銀座のしらみず画廊で開かれた「弓の会」のオープニング」に出かけた。
この会は日本テレビのニュースキャスターとして活躍し、現在報道解説委員をしている井田由美さんと作家有志の集まりである。
彼女は報道番組以外にも長い間、「美の世界」という美術番組を担当し、その時に紹介された作家達が、今一度美しい井田さんにお会いしたいとの下心で出来た会である。
私はそうした不純な動機は全くないのだが、何度かこの番組で私どもの作家が紹介されたこともあった関係で、唯一絵描きでない私にも声がかかり、それではということで参加することになった。
しばらくは井田さんを囲んでの食事会で、お寿司を食べたり私のところでバーベキューをしたりして楽しんでいたが、そのうち仲間達の展覧会をやろうということになって、しらみず画廊でグループ展をすることになった。
全員が美術大学の現・元教授で、私のところのような若い作家の企画をやっているところでは荷が重い事もあって、代わりにしらみずさんが会場を提供してくれることになった。
パーティーの後は二次会ということで、遅くまで井田さんを囲み、全員上機嫌で団欒のひと時を楽しんだ。

4月24日

ようやく雨も上がり、青空が見える天気となったが、まだまだ肌寒く、春の陽気とはいかない。
シドニーにいる長女と今朝スカイプで話したが、向こうは秋半ばというのに毎日30度近い暑さが続いているそうで、日本とは全く逆の気象だそうだ。
このスカイプというのは便利なもので、パソコンでテレビ電話のように双方が画像を見ながら話ができる上に、いくら海外と話していても通話料がかからない優れもの。
相手の電話や携帯につないでも格安で通話できるというから有難い。
どういう仕組みでそうなっているのかわからないが、ただほど怖いものはないので、いずれそのつけがどっと来るのではと心配もするのだが。

テレビも3Dの時代が来たという。
まだ映画も見てないうちに、テレビまでがそうなってしまうとなると、いよいよ時代に追いついていくのが大変だ。
一家団欒、全員がサングラスをかけてテレビを見ているのも異様な気もする。
そのうち、頭にヘルメットをかぶると、映像や音声が頭の中を駆け巡る時代が来るかもしれない。
学校の教室で子供達が全員サングラスやヘルメットをかぶって授業を受けたりする姿を想像すると、昔に本や映画で見た火星人の姿がダブって見えてくる。
未来の人間の姿を既に予知していたのかもしれない。

4月25日

小林祐児さんから招待状が来た。
横浜の食事処 「九つ井」 横浜店に500号の大作 「そばの初花舞う ところ」 が設置され、そのお披露目を兼ねた食味会が催されることになった。
「九つ井」 の店主は小林祐児さんのコレクターとして長年にわたり裕児さんを応援されていて、大船と藤沢の間にある「九つ井」本店近くの山荘・山の上ギャラリーには祐児さんの作品が多数飾られている。
食事の後は裕児さんの展覧会ではおなじみのコントラバス奏者の斉藤徹氏の演奏に加えて、若手女優の内田滋さんの語りによるパフォーマンスも予定されている。
絵画と料理と音楽と語りの盛りだくさんの趣向を今から楽しみにしている。

4月26日

日曜日、久しぶりの休みで河口湖に行く。
寒さのせいか富士山の雪が例年にも増して5合目辺りまで冠っていて、その美しさに思わず目を奪われた。
先日の「弓の会」の出品者の一人で富士吉田市に在住の桜井孝美氏が、雪の白さと稜線が光りの具合で青く見えるコントラストが素晴らしいといっていたがその通りであった。
湖畔の桜は散っていて、桜越しの富士の写真とはいかなかったが、僅かに残る桜とともに写真におさめた。
湖畔から上に登っていくと、富士の周りに群生する小さく可憐な富士桜が、一斉に咲きほこり、染井吉野とは違った美しさを見せてくれた。
久しぶりの晴天の下、東京で見たのに続き、二度目の花見を楽しむことができ、心癒される一日となった。

4月27日

事業仕分けの最後の日に国立美術館、国立科学博物館の独立行政法人が取り上げられた。
詳しい報道はされていないが、新聞によると美術館の収集については、規模拡充となっていて一安心であった。
科学博物館のほうの資料収集・保管については現状維持となっていて多少不満が残る。
高松塚古墳の壁画では保存の最中にカビが発生し、大騒ぎとなったが、こうした国の宝の保存にはもっと予算を使い、子々孫々まで守り伝えていかなくてはならないと思うのだが。
両方で仕分けの対象になったのは、各美術館やや博物館にあるミュージアムショップで、それぞれが随意契約となっていたらしく、このあたりは規模削減ということで、入札に移行することになるのだろうか。
事業仕分けも選挙前のパフォーマンスとも思える節もあるが、天下りや法外なお手盛り給与などが青天白日の下に晒されるのは悪いことではない。
ただこうした仕分けをする前に、自分達の給与や議員定数の無駄を省くことを最初にやらないと、拍手喝采とは行かない。
上が始末してこそ、仕分けにも説得力が増すと思うのだが。

4月28日

29日から5日までお休みをいただく。
明けて6日からは京都のモントレーホテルで開かれるホテルアートフェアーに参加する。
京都では初めての現代美術のフェアーであり、企画をしたニュートロンさんのお誘いで参加することになった。
京都は古い町だが、大阪や神戸に比べていち早く現代美術を取り入れた画廊が多く、最近では小山やタカイシイなど東京から京都に進出した画廊もあって、現代美術に関心を持つ人も多い。
大阪のホテルフェアーにも2度ほど参加したが、東京でもそうであったように、行列ができるほど大勢の人が集まり、大いに盛り上がりはするが、人が多すぎて、いざビジネスとなると狭いホテルの部屋ではなかなか難しい面もある。
果たして京都はどうなるかわからないが、招待日と一般のお客様の日とをきちんと分けてもらえるとありがたいのだが。
家内の実家が嵐山にあって、京都のフェアーに声が掛かるのも何かの縁で、新たなお客様との出会いを期待する。

4月29日

隣りのビル工事の説明会があった。
前にも日記で紹介したが、「京橋3−1プロジェクト」という名称で、地上24階、地下4階、建物の高さ120メーターという巨大ビルが出現する。
環境に配慮をしたビルということで、中央通りに面したスペースを奥にに20メーターほど引き込み、上に5層の「京橋の丘」という緑地帯を造るそうだ。
地下には銀座線京橋駅と直結した地下広場ができ、そこから地上2階まで店舗スペース、その上に診療所、集会場、展示場が設けられ、更にその上が事務所スペースとなる。
完成は3年後の2013年3月末の予定である。
おそらくビルには一万人を超える人が出入りするようになり、近隣にも同じ頃に大きなビルが完成予定で、京橋エリアの人の流れが大きく変わることは間違いない。
逆に、このプロジェクトのために多くの画廊がこの地から離れていき、それまでは一大ギャラリーゾーンだっただけに、思いは複雑である。
これからの3年を歯を食いしばってこの地に留まり、ビル完成の暁には、また多くのギャラリーがこの地に集まってくることを願う。

5月8日

昨日から京都のホテルモントレーでのアートフェアーに参加している。
京都では初めての現代美術のアートフェアーで、東京・大阪・京都から33画廊が出展している。
東京や大阪のフェアーに比べると入場者は少ないが、その分ゆっくりと見ていただけるし、ワンフロアーだけなので何度も往復して見ていただけることもあってお客様にはとても見易いフェアーとなっている。
東京からも多くのお客様が来ていてこのフェアーは全国区となって発展していくように思う。
今朝の読売新聞の記事で私共の部屋が紹介されていて、これが売上げにつながるといいのだが。

5月9日

今朝早くにアートフェアー会場の近くにある二条城に散歩がてら出かけた。
新緑が目に眩しくまさしく風薫る時節で絶好の観光日和である。
東京に残ったスタッフも休みを利用して京都にやってきた。
出品をしている服部や夏目達も来ていて、店番の社長を尻目に借りた自転車で仲良く観光に出かけてしまった。
私はのんびりする間もなく明日の朝にフェアーの片付けをして夕方からの恒松展のオープニングに間に合うように帰らなくてはならない。
車で来ているので事故渋滞に会わないように願う。

5月11日

京都から車で帰って直ぐの恒松展のオープニングはさすがに疲れてしまい、会場の賑わいの中をそっと抜け出させてもらった。
ぐっすり眠り、元気回復で、今朝は予約してあった癌検診に向かう。
これといって悪いところもなく、元気に飛び回っているが、来月は64歳を迎え、家内からはいい加減にしてじっとしていたらと言われている。

病気といえば、先日紹介があって、5月27日から3日間だけだが個展をやることになっていた諏訪博史さんが展覧会を待たずして、亡くなられたとの知らせがあった。
金井訓志さんの知人からのお話で、独学で美しい木彫、漆芸作品を作っている作家が前橋にいるのだが、癌で余命いくばくもなく、夢であった東京での個展を何とか実現させてあげたいので、相談に乗ってほしいとのことであった。
事情はわかったが、私共の企画の方向性とも違うし、当たり前の工芸作品ならお断りするつもりで、資料を見せてもらうことにした。
作品写真を見ると、限られた命の中で最後の力を振り絞って生み出された作品は、気高く美しかった。
念願だった個展をすることで、それが力となって、一日でも長く生きていていただければとの思いで、お引き受けrをすることにした。
しかしその思いは通じず、個展を待たずして先立たれてしまった。
痛恨の思いだろうが、念願であった東京での個展の開催が実現したことを知って旅立ってくれたことが、せめてもの救いであった。
本人の体力を考え、僅か三日間の展覧会となったが、44歳の若さで逝った諏訪さんの作品を見ながら、故人を偲んでいただければ幸いである。

5月12日

京都フェアーの入場者の知らせが来た。
3日間で2千名だったそうで、他のフェアーに比べるとかなり少ない数字に思えるが、これには主催者の意図があった。
他のフェアーがあまりに混雑することから、入場料を出展画廊が33軒にもかかわらず、2千円と高めに設定することで、お客様を絞り込むことにした。
これは功を奏し、熱心に見ていただく方が多く、連日通われる方も大勢おられた。
またこの入場料2千円をデポジット制とし、作品を各ブースで購入すると入場券の半券を渡すことで2千円の割引きができるシステムとした。
各画廊はもらった半券を事務局に戻すと、2千円がキックバックされる。
このことで若い方が1,2万円の作品を積極的に買い求めたり、2千円に見合うアートグッズを購入することになり、お客様にも画廊側にも僅かのことだがメリットのあるグッドアイデアとなった。
運営も主催者の努力もあって(特に事務局代表の石橋氏には敬意を表したい)、スムーズにいったのではないかと思っている。
レセプションも食べきれないほどの豪華で大変美味しい食事が用意され、安いブースフィーでこれだけのことをしていただき、恐縮している。
更にはホテル側も協力的で、搬出入の際の他のホテルのような迷惑顔の対応もなく、気持ちのいい3日間を過ごすことができた。
来年はこうした結果を踏まえ、参加画廊も多くなると予測されるが、できればこのくらいの出展数が適正規模にも思えるのだが、主催者の意図は如何だろうか。

5月13日

11日から韓国テグの画廊協会のパク会長が秋に開催されるテグアートフェアーの説明会のために来ていて、連日そのお世話に追われている。
昨年も参加をしたテグのフェアーだが、多くの日本の画廊に参加をして欲しいとの希望もあって、そのお手伝いをしている。
韓国の画廊とのお付き合いも、10年前にテグの画廊さんの依頼で、鈴木亘彦展を開催してもらったのがきっかけとなっていて、その恩返しもあってお手伝いをすることになった。
テグの会期が丁度東京美術倶楽部のコンテンポラリーフェアーの日程と重なってしまい、更には明日の説明会の日が台北のホテルアートフェアーとぶつかってしまったこともあって、参加者はそれほど多くはないの致し方ない。
アジアでも多くのフェアーが開催され、日本の画廊も以前に比べるとかなりの数が海外志向となっていて、日程の調整が難しくなってきている。
会長には昨年も毎晩のようにご馳走になっていたので、今度はこちらの番なのだが、お酒大好きの会長のお相手を下戸の私がやるのはかなり辛いものがある。
そんな事もあって、昨夜は昨年のフェアーに参加した広田美術の広田君と戸村美術の戸村君の若手に助っ人を頼み、一緒にお相手をすることになった。
私は途中で退散したが、私共のスタッフと彼等は、まだ飲み足りないとダダをこねる会長を無理矢理タクシーに押し込め、何とか帰って来る事ができたそうだ。
テグのフェアーは国や市の援助もあって、日本からの参加画廊にはホテル・通訳・運送、送迎などのサービスもあり、ブースフィーも格安なので、是非多くの画廊が参加してくれるといいのだが。
関心のある画廊さんは、私共にお問い合わせをいただきたい。

5月14日

昨日、組合の総会とテグアートフェアーの説明会の二つが無事終了。
テグ画廊協会の会長との夜の部も何とかクリアーしたが、会長は11月のテグに来た折の飲み会をてぐすね引いて待っているとのことで、行くのが怖い。

今夜は7時から画廊で恒松正敏のライブがあって、またまた遅くなりそう。
スペシャルゲストにテルミンの「やの雪」とギターの「赤城忠治」を迎える。
テルミンというのは90年ほど前にロシアのテルミンという人が発明した世界初の電子楽器で、ロックミュージシャンの恒松さんとのコラボも興味深い。
私も見るのも初めて、聴くのも初めての楽器で、どのような音が出るのか楽しみにしている。
先日も近くのギャラリー小柳で今は現存しない弦楽器を細密に描いた作家の個展が開かれた。
その時も再生されたその楽器での演奏会に誘われたが、残念ながら時間が合わず聴くことができなかった。
今夜のライブには既にたくさんの予約が入っていて、賑やかな一夜となりそうである。

5月15日

昨夜のライブは大いに盛り上がった。
やの雪さんのテルミンと赤城忠治さんのギターの音色は宇宙の彼方から伝わってくるようで、聴く人の心の奥底に染込んでいった。
幻想世界を描く恒松正敏の絵にはまさにぴったりであった。
恒松のギターと歌声もハートフルで、思わずそのリズムに引き込まれ、魂を揺さぶられた。
テルミンという楽器を知っている人も多いと思うが、私は初めてだけに、楽器に手を触れず、空を指が爪弾く様はただただ驚くばかりであった。
演奏する手が舞う姿は鶴が舞うように美しく、幽玄の世界を見るようであった。
是非また機会があったら画廊でのライブをやっていただきたい。

5月19日

アートソムリエで知られる山本冬彦さんは各地でコレクション展が開催されたり、NHKを始めとした各メディアで取り上げられたり、ギャラリーツアーや講演の依頼も多く、八面六臂の活躍である。
その山本さんのブログにこんなことが書かれていたので紹介する。
画商の団体からの講演依頼への返事のようだが、まさしくその通りで、今の政局と一緒で、先行きの戦略が我が業界も全く見えてこない。
美術の価値観が多様化し、その対応ができないままに右往左往する私共の業界にとっては、山本さんの話が大いなる刺激剤となってくれるといいのだが。

・ご依頼の内容は了解しましたが、「このままでは日本の既存の画廊はガラパゴス化し、国際化には対応できないし、かといって新たなユーザー作りを怠っていますので、新しい時代に対応したビジネスモデルをつくらないと絶滅すると思われます。」というようなお話をしたいと思いますがそれでも良いでしょうか?

・それから別件ですが、各国の美術に関する税制や行政の問題を取り上げるのは結構ですが、文章の中でばらばら述べるのではなく、きちっとした比較表をつくって具体的に世論にも訴えることが大切です。私もみたいのでぜひ作ってください。

・なお、このような行政への働きかけは必要ですが、行政や税制の問題にするだけでなく、業界自らの構造改革・革新をしないといけないと思います。そして何よりも大事なことは時代の変化を見据え、絵の購入者であるユーザー作りに業界を挙げて取り組むことが必要だと思います。

5月20日

美術書の販売やアートイベントの企画を手がける「booklayer」の浜田氏から1964年8月号の美術手帳をいただく。
そこには、以前にもブログで紹介した父親がやっていた椿近代画廊前でのジャスパージョーンズの写真が大きく掲載されていた。
他にも「オフ・ミュージアム展」での篠原有司男氏との写真や「小島信明展」の折の小島氏や東野芳明氏との画廊内での写真(角田研一氏・武石淳一氏撮影)が載っていた。
丁度、46年前の東京オリンピックの年で、私は高校3年生、受験勉強の真っ最中であった。
写真も懐かしかったが、巻末にある展覧会だよりや画廊案内略図を見てみると、当時の業界の様相がわかる。
銀座・京橋・日本橋と続く画廊街も見開き2ページの半分の中に収まっていて、展覧会も美術館や百貨店・画廊を合わせても一ページちょっとに収まってしまう。
何ページにもわたる現在の展覧会案内や画廊マップと比べると隔世の感がある。
作家の側からすると発表のチャンスはごくごく限られていたことになり、そう思うと今の若い作家は恵まれているのかもしれない。
画廊も今はなき現代美術の草分けであった南画廊や池田満寿夫や福井良之助などをアメリカに紹介した日本橋画廊があったり、気まぐれ美術館で知られる洲之内徹氏の現代画廊と東京美術倶楽部の理事長を務めた藤井一雄氏のフジヰ画廊が一緒のビルに入っていたりと、当時が偲ばれる。
地図で数えてみると約60軒の画廊が銀座一丁目から日本橋の間にあったようだが、現在残っているのは20軒にも満たない。
50年を超えて画廊経営を続けていく難しさを感じるとともに、父の代からを含め私も何とかその仲間入りをさせていただいていることを有難く思う。

5月21日

京都のフェアーでもそうだったが最近30代・40代のの画商たちに接する機会が多いが、その元気さと行動力に圧倒されている。
長年続けてきた京橋界隈もこうした世代の人たちに運営をしていただくことになり、その熱さに期待するところは大きい。
私も京橋に画廊をオープンした頃は30代半ばで、彼等のようだったのかなーと改めてその年月を振り返る。
昨日、高校・大学と一緒だった友人が若い仕事仲間を連れてきた。
昔、彼は父親にこう言われたという。
若いときは年上と、歳をとったら若い人と交わるようにと、それを実践しているんだと言っていたが、確かにその通りである。
私も最近つくづく世代格差を感じるようになったいたのだが、まさに彼等を糧に大いなる刺激を受けなくてはいけない。

5月22日

細胞シートを開発した東京女子医科大学先端生命医科学研究所所長の岡野光夫先生のお話を聞いた。
自分の体から取り出した細胞をシート状に作り、痛んだ自分の臓器や皮膚に貼り付けることで、機能を回復させたり、手術を簡素化できる開発に成功し、難病とされてきた病気にも光明を見出す研究に取り組んでいる。
医学と工学の垣根を取り払い、テクノロジーを医療現場につなげる仕組みをつくろうとの使命感に燃えて、社会に役立つ医用工学の研究に進んだと言う。

先般も「ロボットスーツ」を作った筑波大学大学院教授山海嘉之先生のお話も聞いた。
小学3年生の時に読んだ「I・ROBOT」に登場するロボットに憧れ、ロボットを作る科学者を目指し、アニメ「サイボーグ009」に影響を受けて、ロボットとサイボーグの両方の特徴を持つ「ロボットスーツ」の開発に取り組む。
人間の脳が筋骨格系を動かそうとする時に流れる微弱な電位信号を皮膚表面で検出し、その動きをサポートするためにロボットスーツが動く仕組みになっている。
これによって、動かすことが不可能であった手足が動くようになり、福祉・介護の現場での支援に役立つようになるという。

宇宙飛行士の山崎さんや野口さんもそうだが、若いときの夢を具現化し、大きな使命感を持って、人類の将来に希望をもたらす仕事をしていることに心から拍手を送りたい。

こうした話を聞くにつけ、長生きをしなくてはとつくづく思う。

5月25日

先日、前衆議院議員のH氏が訪ねて来た。
美術についての講演を頼まれたので、俄か勉強だが諸事教えて欲しいとのことであった。
祖父に著名な洋画家を持つ30代の気鋭の自民党の政治家だが、先の民主党旋風であえなく落選、次回の選挙に倦土重来を期している。
血筋からそこそこのことは分かっていると思ったが、政治学には精通していても、美術一般については全くの素人で、村上や奈良といった現代の作家も知らず、選挙区の一部である横浜で開催された横浜トリエンナーレさえも知らなかったという。
横浜に住む私の友人達も多分知らないと思うので、これも致し方ないことなのだろうが、国民のトップとして日本を背負って立たなくてはいけない人がこれでは情けない。
こうしたことはH氏だけではなく、他の政治家、官僚、財界人、学者といった知識人にも言えることだろが。
気を取り直して、1時間半ほど雑駁な美術の話をさせていただいた。
H氏には大変興味深く話を聞いていただき、改めて美術だけでなく、文化全体に本腰を入れて取り組んでいきたいとの思いが伝わってきた。
是非、文化行政を今後の政治活動の大きな柱にしていただき、漫画で秋葉原の若者の心を捉えようとした麻生前総理のレベルに留まらず、美術・文化を語る稀有な政治家として一目置かれる存在になっていただきたい。
稀有というのも悲しいが。

5月26日

25日は結婚35周年。
娘や息子からプレゼントが届いた。
空からのナイトクルーズという券をもらったので、晴れた夜を見計らって二人で行って来ようと思う。
宇宙船に乗ったつもりで空からの東京の夜景を楽しんできたいのだが、高所恐怖症の私は果たしてどのくらい下を見ていられるか多少の不安もある。
お互い大した病気もせず、子供達もそれぞれに家庭を持って幸せに暮らしているようで、ほっと一安心の35年といったらいいだろうか。
ギャラリーの方も曲りなりに続けていくことができたことは、公私共に支えてくれた妻のおかげと感謝をしている。
これからは、関わってきた作家達の行く末を見届けることと、もっとたくさんになるであろう孫たちの成長を楽しみに、40周年、50周年を二人が健康で迎えられることを願う。

5月27日

今日は友人達とゴルフコンペがあったが、強い雨のためにスタートして間もなく中止。
日曜日も大雨で中止となっていて、相変わらず雨にたたられる。

画廊に戻るとGTUでは明日から始まる諏訪博史展の展示準備が始まっていた。
本人は先日のブログでお知らせしたように、展覧会を待たずして旅立ってしまったが、展示のための配置図や照明の調度などを書き残していて、友人達がその指示通りに飾り付けをすることになった。
木肌に透明な漆を塗ることで、何とも美しい木目が浮き上がり、これだけの作品を作っていた人が片田舎に埋もれ、若い命を燃やし尽くしてしまったかと思うと残念でならない。
死を覚悟し、最後の力を振り絞って出来上がった作品である。
数もそれほど多くなく、価格もこんな価格でいいのかと思うほど安く、私が独り占めしたいくらいなのだが、個人の作品を慕って見に来る人のことを思うとそうもいかない。
週末までの3日間だけの展示だが是非見ていただきたい。

5月28日

アートソムリエの山本冬彦氏が連載しているアーティクル誌の「ギャラリーがよい」で1月に個展をした堀込幸枝が紹介された。
この時はちょうどNHKテレビの山本氏の取材でも取り上げられ、後に会場風景や堀込が話をしている場面が放映され、何かと山本氏の恩恵をこうむっている。
その上、この時は作品までお買い上げいただいていて、おんぶに抱っこ状態であった。
ブログを借りて改めてお礼を申し上げたい。

●アートテイクル連載の30回、堀込幸枝「静かに純粋で強い存在を目指して」が発行されました。

。。。。。。。。。。。。。。。 

堀込幸枝はガラスびんを描き始めて8年になる。最初は単純に静物として描いていたのが、ガラスの持つ透明感や反射する光を描くことに面白さを感じ、自分なりの形や透明感や光を探るうちに、びんが自画像のような意味を持つようになり、今は「自分」というよりも心を正してくれる「静かに純粋で強い存在」を目指して描いているとのこと。そんな堀込の作品を最初に買ったのは前回のギャラリー椿の個展だが、その時はびんではなく花の絵だった。
彼女の作品にはどこかすりガラスを通して見るような懐かしく暖かい空気が感じられるが、今年の個展もびんを主体とする静謐な作品が並んでいた。色彩的には青や緑系の作品が多かったように思うが、たまたまNHKテレビの取材を兼ねたギャラリーツアーの一行と会場に入り、黄色の作品が良いなと思ったが、堀込によるとこの作品は蜜蝋をじーっと見つめていた時に「この色の中に入りたいなぁ・・・」と思ったのがきっかけでできた作品とのこと。

5月29日

来週から始まる金井訓志展の作品も届き、展示を今日中に終えて、香港のアートフェアーとクリスティーズなどいくつかのオークションを見に出かけ、火曜日から始まる金井展の直前には画廊に戻ってくる予定でいる。
ここ何度か出張に出ては、展覧会初日に戻ってくるという離れ業をやっているが、今回我がスタッフ3人はそれを上回るスケジュールで、土曜日仕事を終えた後に羽田を発ち、香港に夜中に着いて、日曜日にフェアーとオークションを見て、その日の夜の便で羽田に向かい、早朝に到着後そのまま画廊に出勤という弾丸ツアーを敢行する。
3人とも全くプライベートで行くというが、もし全員で飛行機が飛ばない事態が起きたらどうすると言ったが致し方ない。
海を泳いででも戻ってきて、金井展の初日に備えるように言ってある。

6月1日

衣替えの季節となり、気分一新で夏のスーツで出勤。
画廊も金井訓志の金箔と漆の線に縁取られたお洒落な作品が並び、画廊も華やかな雰囲気に一新。
日曜日の香港クリスティーズにも金井作品が出品されたが何とかエスティメートに届いて、ほっと一息。
オークションに出品されるのは良しとしないが、やはり結果は気になる。 
それにしても中国パワーはすごかった。
次々と高値で落札され、3百万や5百万が何だか安く感じられ、1千万円をはるかに超える価格が当たり前といった様相で、ただただあきれるばかりである。
アートフェアーもアメリカのガゴシアンやイギリスのホワイトキューブなど著名画廊も出展し、質も高く、まさしくインターナショナルなフェアーとなった。
広い会場に溢れんばかりの人が集まり、出展画廊の売れ行きも上々のようで、今後は世界のアートシーンをリードしていくフェアーに成長していくのでは。
ただ、この盛況は中国経済の好況につられた投機市場であり、成熟した美術市場が構築されたとはとても思えない。
いつもながらのオークションに連動した活況であり、長い目で作品を収集しようとするコレクターにはとても参入できる状況ではない。
4千年の歴史と文化を持つ中国だけに、もう少し冷静に長いスパンで自国の文化を支援し、育てていこうといった姿勢が見えてもいいのではと思うのだが。
偶々出会った台湾の若手画商に中国美術はちょっと異常じゃないかと言うと、日本がだらしないだけだよと言われてしまった。
あなたはこの前まで日本の作家を目の色変えて追いかけていたはずだったのにと言いたかったが、活況の埒外にある私の僻みと一笑にふされてしまうのがおちだろう。

6月2日

いきなり詩人の小川英晴氏から電話があり、雑誌の対談をするので相方になってくれという。
2日後に画廊に月刊「ギャラリー」の編集長と一緒にやって来た。
私共で発表している作家達を長い間追いかけ、評価してくれている小川氏の依頼だけに断るわけにはいかない。
何がテーマなのか、いつ出るのかもわからないままに二人はやってきて対談が始まった、と言うよりは始めさせられた。
なにやら美術と評論がテーマだと言うので、思わずのけぞってしまった。
私などがそうしたアカデミックなテーマについて語るのは分不相応、ミスキャストも甚だしいが、もう後には引けない。
内容のない、たわいない話を詩人で美術評論家の小川氏を相手に語る羽目となり、紙面で恥を晒す次第となった。
実は以前にも小川氏に呼ばれ、「詩と思想」という私には全く縁もゆかりもない固い固い雑誌に登場させられたことがあった。
声をかけていただくことには大いに感謝をするが、もう少しくだけた話の時に読んでいただけるとよりありがたいのだが。

6月3日

ここ何日かいい天気が続く。
4月、5月と春があったような、なかったようなおかしな天気が続いたせいか、気分が違う。
最近は家内が朝の散歩に付き合うようになった、というよりは私より熱心なくらいだ。
先日は一人で遠出をして、足利にある藤の花を見に行ってきたというから、家でごろごろしていたのが嘘のようだ。
いつものコースの代々木公園の薔薇が真っ盛りで、遠くからでも薔薇の芳しい香りが漂ってくる。
長めの散歩の時は明治神宮まで出かけるが、ここの内苑の菖蒲もこれからが盛りとなるので楽しみにしている。
梅雨になると散歩も毎日とは行かないので、ここ暫くのいい季節を体一杯に感じておかなくては。
そうそう、いつも行っている身延の手前にある下部温泉の蛍の群生が見れるのも、もう間もなくである。

6月7日

京都のホテルフェアーで衝動買いをした杉山健司の作品を扱い画廊のT氏と作家の二人でわざわざ名古屋から車で持ってきてくれた。
1メーターを越える箱状の中に、作品(自身の立体作品を写真に撮ったもの)や鑑賞者が並ぶ美術館の情景が設えてあり、最上部にある額から鏡を使い、奥の奥までその情景が見える仕掛けになっている。
桑原弘明のスコープの大きい版と言ったらいいだろうか、覗くという本能をかき立ててくれる作品である。

鎌倉近代美術館で個展が開催されたり、新国立美術館のドマーニ展の招待や、資生堂ギャラリーでの発表と活躍が続く伊庭靖子の作品も先日手に入れた。
以前に代官山の画廊での個展で見て一目惚れをし、再三ラブコールを送っているのだが、他所での発表が続き、未だに私どもとは縁がなく残念に思っている作家である。
その最初に見たときの作品の一点を偶然手に入れることができた。
枕やベッド、ソファーといった布の質感を巧みに描いた作品のうちの一点で、思いは通ずで、この作品が展覧会の縁に続くといいのだが。


杉山健司

伊庭靖子

6月8日

香港クリスティーズのバイスプレジデントのヴィンチさんが来廊した。
大盛況のオークションの様子を聞いてみた。
初日夜のメーンセールは100%落札したそうで、総点数36点にもかかわらず、総額日本円で39億円、翌日のデイセールは 301点の出品で239点、80%の落札率で総額15億円、24時間の間に合計54億円の取引が成立したそうだ。
殆どが中国人作家で、最高値はCHEN・YIFFIという物故作家のアカデミックな弦楽四重奏の情景を描いた2メーターを越える作品で、エスティメート価格の上値の10倍の約6億円で落札された。
高額品は殆どが香港の個人コレクター達が落としたそうである。
香港クリスティーズの記録としてはリーマンショック前のオークションにつぐ記録だそうで、ヨーロッパや日本が不況にあえぐ中、香港は既に大きく経済復興を果たしたようである。
日本や韓国の作家達がそれほどでもなく蚊帳の外にいるのは、オークションに出る作家たちの作品が自国での画廊やコレクターの下支えがないことが大きな要因ではないかと言っていた。
つまり、リーマン前に高く買った日韓の作家が思うほどに日韓のオークションで転売できなかった結果を言っているのだろう。
勝手だと思うのだが、マネーゲームの中ではそうとられても致し方ない。
もう一つは中国の画商がかかわっている作家でなければオークションでも高くはならず、日本人作家でも今回高く落ちた作家は今後中国の画廊の取り扱いが予想される作家ばかりで、売れ筋作家は全て中国の画廊に持っていかれる時代が来ることも予想される。
中国バブルもいつか泡となって消えて行くのだろうが、いやはや大変な時代がやって来たもんである。
そうした中でアメリカの大手画廊ガゴシアンが香港フェアーに敢えて時代の評価を得たピカソ・ジャコメッティー・ルノアールといった著名作家を持ってきたのも、一つの戦略といえるかもしれない。

6月9日

朝一番で訪ねてくれたクリスティーズのヴィンチさん達を夕食に誘った。
オークションでの中国パワーにはひれ伏すばかりだが、彼女の話を聞いていると更にあきれることばかりである。
知人の女性は娘さんが生まれた記念に9億円の宝石をクリスティーズのオークションで落とし、子供にプレゼントしたそうだ。
また若い友人の女性達は自家用ジェット機を羽田に乗りつけ、銀座でお寿司を食べにだけ来て、食べ終わるとすぐに香港に帰っていったそうだ。
ちょうど私は築地の安い寿司屋で彼女達をご馳走をしていただけに、帰りに勘定書きを見られないように余計な気を遣ってしまった。
その前にも、他のオークション会社から聞いた話だと、先日開催された北京での中国古美術オークションのトータルの出来高が430億円、最高値はどんなものだか知らないが54億円だったそうで、何と香港オークションのトータルの数字をたった1点でカバーしてしまったというから、開いた口がふさがらない。
中国のうんと上のほうのお金持ち達はアートコンサルタントがついていて、買うのはそうした人たちに任せていることもあり、彼等の成功報酬のこともあるのだろうか、お互いが競り合って高い価格になってしまう側面もあるという。
そうしたお金持ちは金に糸目をつけず、私達が接する中国人達とは違って値切ったりもせず、いいものであればとことん追いかけていくのだそうだ。
日本の20年前のバブル期にジェット機を買ったり、ゴッホ、ルノアールを二百数十億で落札した日本人がいたが、同じような状況なのだろうか。
浪費が文化を育てると私は思っていて、見返りを求めないサポートが素晴らしい芸術を後世に残すことは歴史が物語っている。
日本のバブルでは殆どが土地やビル、ゴルフ場といた不動産に投資され、美術品も海外作品ばかりで、自国の文化にお金を注ぐことが全くなかったために、世界第2位の経済大国であった時代に後世に残す自国の文化は育つことはなかった。
それを思うと、世界第2位になろうという中国経済下において、中国人の自国の美術品への投資は、後世に大きなエポックを残すことになるのだろうか。

6月10日

先日の続きで、最近手に入った作品がいくつかあるので紹介したい。
長い間私共で発表を続ける小林健二の「臨界の風景;門」もその一つである。
1993年に画廊の10周年記念として発刊した小林健二画集「ILEM」の表紙にもなった彼の代表作である。
100号の大作で所蔵しておられた方が大事にされていたのだが、子供さんの成長に伴い、置き場所に困り、私共に戻してもらうことになった。

同じ方から山口啓介の大作の版画も手に入った。
彼の大作の版画展を初めて見た時に、版画にこれほどのインパクトがあるのかと驚かされ、直ぐにコンタクトをとり個展の依頼をしたが、時既に遅しで、別の画廊での個展が決まっていた。
その時に発表された作品の一つで、先日の伊庭靖子の作品同様に思い出深い作品が手元に来るのも不思議な縁を感じる。

6月11日

先月から料理教室に通うことになった。
何をとち狂ったと言われそうだが、下の娘も家を出て老夫婦二人となり、少しは女房を楽させてやろうかと・・・?
鳩山前首相は朝は必ず洗い物を手伝っていたそうだが、洗い物等したこともなく、調味料や食器類の置き場所さえわからず、女房が留守をしたら全くのお手上げ状態となってしまう。
そんな私が料理をやろうと言うのだから、みんな怪しげな目で見るのは当然なのだが、私は大真面目、勇んで通うことになった。
男の料理教室・和食コースをとったが、おそらく周りの教室には女性ばかりで、気恥ずかしい思いをするのではと危惧していたが、とんでもない。
いい年したおじさんばかりで教室は溢れかえっていた。
みんな同じ思いなのだろうか、それとも定年後の暇つぶしなのだろうか。
包丁の使い方、ご飯の炊き方、だしのとり方から始まって、最初は茶碗蒸し、鯛の煮付けに新たまねぎやシメジの添え物を作ることになった。
男4人で大格闘の末出来上がって食べてみると、これが美味しい。
一昨日、早速家で茶碗蒸しに挑戦してみたが、薄味で味気ない。
どうやら軽量スプーンの小さじの分量を、もう一つ小さい小さじ2分の1で計ってしまい大失敗。
それでも日常ではないだけに、しばらくは料理教室にはまりそうである。

6月12日

11日は暦の上では入梅だが、晴天が続き、例年より梅雨が遅れているのは大変ありがたい。

今日は浜松のお客様のところへ伺うことになっていて、お昼に老舗の料理屋でうなぎをご馳走してくださるとのことで楽しみにしている。
このお客様は東京に来ると自転車での画廊巡りを常としている。
その自転車は私どもの車庫で預かっているが、ギャラリー椿の自家用車化してしまい、近所への用事はこれで済ませることが多い。
最近スタッフの二人がロードレース用といったらいいのだろうか、細い細いタイヤの自転車で画廊に通ってくる。
すっかり自転車に嵌っているようで、休みには名古屋や大阪までバスに持ち込み、そこから美術館や画廊廻りをしているというから驚く。
さすがに香港には持っていかなかったようだが。
私の知人にも自転車に嵌ってしまったのがいて、どうしてそんなにいるのというくらい10数台の自転車を次々に買って、近郊のロードレースに出ている。
一台が普通自動車ぐらいの値段がするというから、贅沢もほどほどにと思うのだが、以前にもクラシックカーを持っている人がいて、その置き場所に回転式のガレージを作ってしまった人がいるくらいだから驚くにはあたらない。

6月14日

土曜日に梅雨入りが遅れていると書いた途端に、今日から梅雨入りとなってしまった。
農作物などにはいいのだろうが、いつもの如くじめじめしてくると体調がおかしくなる。

先日受けたがん検診で、肺がんについては胸膜肥厚という所見が出て、一年間様子を見るとのこと。
大腸がんについては検査では問題ないが、問診から専門医の診断を強く勧めるとの結果がきた。
肺に蔵カビ病がいよいよ発症したかと心配したが、昔に肺に何らかの傷がついたということらしくて、それほど心配することではないらしい。
お腹の方も2年前に大腸ポリープをとっているので、念のためにということらしく、先ずは去年受けたペット検査を申し込むことにした。
大腸検査前の準備や内視鏡検査の苦しさ、恥ずかしさを考えると、注射をして後は寝ているだけのペット検査は、弱虫の私にはとてもありがたい検査方法である。
どれほどの精度かは良くわからないが、楽な方に越したことはない。

物忘れやうっかりすることが多くなって、一番心配なのは頭の方である。
まだ昨日何を食べたかを思い出せなかったり、家の周りをうろうろすることもないので、しばらくは大丈夫だとは思うのだが。

6月15日

先週、浜松のお客様の帰りに身延・下部温泉の蛍の里に寄った。
ここは自然の蛍が群生しているところで、6月中旬が見頃となる。
ちょうど新月で夜の8時頃周りが暗くなる頃、蛍が一匹、二匹と舞い始めた。
更に暗闇に包まれる頃になるとあちらこちらで蛍が飛び交い、幻想的な光景が浮かび上がる。
フラッシュをたくことができないので、カメラを高感度にして撮影したが、微かに光跡が見える程度で、皆さんにお見せできないのが残念。
以前に見たクリスマスツリーの如く、蛍が木々で点滅する情景は見られなかったが、子供達の歓声があちこちで聞こえる中、自然の営みに暫し心が奪われるひと時であった。

6月16日

昨日の朝、散歩の足を延ばして、明治神宮内苑にある菖蒲苑に行ってきた。
真っ盛りの菖蒲の花が、雨上がりの新緑の中で色あざやかに咲き誇っていた。
美しさの比べようがない様をいずれがあやめかかきつばたと言うが 、濃い紫があやめで菖蒲の別名 、薄紫で中に大きな模様のあるのがかきつばただそうだ。
それぞれの花には格調高い名前がついていて、よくぞこれだけの数の名前をつけたと感心する。
前にも紹介した「清正井」も同じ内苑にあるが、こちらはパワースポットとして知れ渡り、相変わらずの人出で、今は整理券を配り入場制限をする有様。
整理券を持たない私達はそこには行くことはできない。
もっとも小さい壷の中に地下水が湧いているだけで、苦労して並ぶほどのことはない期待外れスポットなのだが。

6月17日

昨年に続き、いつもお見えいただくお客様から巨人・阪神戦というプラチナチケットをいただいた。
それもネット裏の特等席で、テレビに映っても決してその筋の人ではないのでご安心を。
日記で私が大の巨人ファンであることを知って、こうした心遣いをしていただき大感激・大感謝である。
拙い日記を読んでいただくだけでも恐縮なのだが、こうした恩恵もあると止めるわけにはいかない。

岡田ジャパンも見事に勝利で、元気のない日本を奮い立たせてくれた。
先日見た映画「インビクタス・負けざる者たち」は南アフリカ大統領マンデラが人種差別を無くし、国民を一体化させるには、自国で開催されるラグビーワールドカップでの優勝が不可欠と考え、その制覇を達成し、国民の気持ちがひとつになるまでの軌跡を描いたもので、自国で世界規模の大会を開くことがどれだけ国家にとって有益であるかを、今のサッカーのワールドカップと重ね合わせて実感させられた。
WBCでのサムライ日本の優勝や冬季オリンピックでの日本選手の活躍など、聞こえのいい政治家の言葉などではとても及ばない、国民を勇気づけ、明るくさせてくれる力がスポーツにはある。
東京オリンピック誘致に批判的であった民主党政権には、そういった意味からも首を傾げざるをえない。

はやぶさの帰還や宇宙飛行士の活躍なども子供達に夢を持たせ、希望となり、将来を支える礎となるだろう。
世界に冠たる自国の文化・芸術を持つことも、国民に誇りと自信をもたらすに違いない。
是非、政治家たちに選挙目当ての目先の政策だけではなく、心から国を憂い、長期的視野にたって、文化・スポーツ・科学などにも2位ではなくトップを目指して予算を配分し、人材育成・支援に力を注いで欲しい。

6月18日

「アキバタマビ21」の案内が来た。
多摩美術大学が運営する若い芸術家のための作品発表の場で、2001年以降に入学した多摩美卒業生によるグループ展を年間8回ほど開催することになっている。
秋葉原の旧区立中学校を再利用し、現代美術中心のアートセンターとして新たに誕生した「」3331ART・CHIYODA」という施設の中にあり、他にもコマーシャルギャラリーやクリエーティブ系高校生の情報発信基地、文化芸術活動を支援促進する団体などが入っていて、新たなアートの拠点として今月にグランドオープンする。

7月に開催予定の北村奈津子も多摩美の卒業生だが、学友会から展覧会に際してのサポートがあり、案内状や運送費の一部が補助されることになった。
昨年私共で発表した横田尚も日本郵船が横浜に所有するアートレジデンスの申し込みに受かり、今週から広いスペースでの制作が可能になった。

このように大学や企業や美術館が若い作家の発表や制作の場にかかわる事が多くなり、私共としても大変喜ばしいことなのだが、こうした流れの中にあって、キャリアのある作家の発表の場が少なくなるという逆ザヤ現象が起きているのも事実である。
昨今のアジアンコンテンポラリーブームもあってか、キャリア中心であった画廊も若手作家の企画にシフトしていて、そのあおりがこうした逆ザヤ現象を引き起こし、若手の発表の場として機能していた貸し画廊にもその影響が及んでいるようだ。

果てさて今後どのように推移していくのか、別の側面として考えさせられる問題である。

6月19日

梅雨空の中、今日からは室越健美展が始まる。
作家とは新宿の父親の画廊にいたときにグループ展に参加してもらったのが最初で、お互い30歳頃からの付き合いである。
今は多摩美術大学の大学教授であり、画壇にあってもその活躍は言を待たない。
同じようにその頃からの付き合いで、私のところで個展を重ねる渡辺達正も、現在は多摩美術大学の教授であり、所属する美術団体の重鎮でもある。
彼等のように、私のところでは当時20代、30代から発表を重ね、今や若い作家の指導的立場にたってリスペクトされる存在となった作家は10名を超える。
我々世代は定年の時期を迎え、第一線を退く年代となってしまったが、こうした同じ世代の作家を見ていると、少しもそうした年を感じさせない。
常に前を向いているせいか、その当時と変わらぬ若さを保っており、当然作品も若くみずみずしく、うらやましい限りである。
ところが昨日も書いたように、世間は若い積み重ねのない作家達に目が向いてしまい、こうした年代の作家を振り返ることが少なくなってしまった。
長い間見てきて新鮮味がなくなってしまった、キャリアを重ね価格が高くなってしまった、将来性を考えるともう先がないとか、色々理由はあるだろう。
あまたの作家の中から、40年近く第一線で活躍をする作家はどれだけいるだろうか。
今もてはやされている若手達がどれだけ彼等のように第一線でいられるだろうか。
そう考えると、これは実社会でもいえることだろうが、キャリアと実力を持った人たちを年齢と言うことだけで区切ってしまっていいものなのだろうかと思う。
私のところは常に手付かずの作家にかかわってきたが、今の若い作家も何十年後に彼等と同じように、その年になっても第一線で活躍できると信じて紹介をしている。
ファッションや消耗品ではない本物を見極める目が今こそ必要ではないだろうか。
そんな目で、今回の室越健美展を見ていただければ幸いである。

6月20日

私共の画廊で7月10日に朗読コンサートと言う初めての試みをする。
詩の朗読会は近くのギャラリーユマニテでも何度か開かれていて、今回も同じ時期に予定されているが、こちらはNHKの元と現役アナウンサー、更に女優、アコーディオン演奏家を加え、埋もれた心打つ文芸作品を朗読と言う形でよみがえらそうという試みです。
丁度、京橋界隈の時期に重ね、多くの方に聴いていただければと思っております。
入場無料ですが、予約制にさせていただきますのでご希望の方は早めにご予約下さい。

6月21日

今日は64歳の誕生日。
かろうじて四捨五入でアラ・シックスティだが、いい加減歳取ったものである。
白髪染めをしたり、ピンクのシャツなど着て若ぶっているが、歳相応に朝5時頃からうろうろしてはうるさがられ、耳が遠くてテレビのボリュームを上げると怒られ、忘れ物がないかと念入りにチェックされ、家ではますます肩身の狭い思いをしている。
毎年父の日と重なり、プレゼントでは割を食っているが、それでも周りの心遣いは年取るごとにうれしさが増す。
特に子供達のいたわりの気持ちが毎年増してくるようで、少し情けない気もするが、それ以上に家族の有難みをひしひしと感じさせてくれる。

来年の65歳を私は以前から一つの区切りと思って自分なりの設計図を描いてきたが、それから先は人生の折り返し地点と考え、息切れしないようにゴールを目指したい。

6月23日

昨日はお客様のところからギャラリー椿オークション用の作品の運び出し。
蒸し暑さの中を100点ほどの作品を選び、倉庫から車に積み込むのだが、寄る年波か昼も食べずに張り切りすぎて、終わると同時にどっと疲れが。
査定をしながらの作業なので、こればかりはスタッフだけに任せるわけにもいかず、相も変わらずの力仕事を強いられ、今朝は腕が筋肉痛。
家の前のスポーツジムがなくなってから、身体を鍛える機会がなくなったが、こういう仕事をしているとトレーニング不足は補えそうだ。
まだ2,3お客様のところに行く予定もあり、今年のオークションも多くの作品が出品されることになりそうである。
まだ先の話だが、オークションは例年より早く、7月29日(木)11時から8月1日(日)の3時開札までの予定をしている。
リストの制作は今しばらくお時間をいただくことになるが、廉価で作品を購入できるチャンスなので、是非のご来場をお待ちしている。

6月25日

日本サッカー勝ちましたね。
朝目が覚めて、テレビをつけると後半戦の10分が過ぎた頃で、当然負けていると思っていたら、何と2点を入れて勝っているではないか。
デンマークと得点経過が逆になっているのではと目を凝らすが、どうやら間違いなさそう。
その後はひやひやどきどきしながらのテレビ観戦だったが、見事に勝利で万歳。

私どもの作家で大のサッカーファンの富田有紀子は危険と言われる南アフリカの応援ツアーに単身参加。
日本戦以外にも何試合かを見た後無事帰国し、画廊にサッカーボールの形をしたチョコレートをお土産に持って来てくれた。
サッカー場とホテル以外は外出禁止で、トイレも一人では行ってはいけないなど制約だらけのツアーだったそうだが、日本の活躍にはるか遠くまで行った甲斐があった。
おそらく旅の疲れと時差ぼけを癒す間もなく、今朝の試合に大興奮していることだろう。

6月26日

いよいよ参議院選挙がスタート。
官首相が唱えた消費税率のアップが選挙戦の争点になったようだ。
財源を国債に頼る日本経済の現状を考えると、増税もやむをえないとは思うが、国民に負担をかけることだけではなく、国が無駄を省き、稼ぐ手立てを考えた上でないと納得できない。
不景気で売り上げが減少した民間の会社であれば、先ずは経費節減、無駄遣いのチェックをし、人件費の削減、人減らしなど先ず自分の身を切ることから始めるだろう。
同時に必死で売り上げを上げる手立てを考える。
そうした上でまだ立ち行かない時には、出資を募ったり、銀行からの借り入れを考えなくてはならない。
そうした自浄努力を考慮し、再建計画を判断した上でなければ、出す側もそう簡単にはお金を出してはくれない。
ところが増税を訴える政党に、この自浄努力、再建計画が全く見えてこないのだから困ったものだ。
私達はこうして自分の身を切り、こうした売り上げプランがあるので、国民の皆さんも一緒に頑張ろうじゃありませんかと言ってくれれば、票を投じる判断材料になるのだが。
税金は上げる、その代わりに道路や教育費はただにしますじゃ、国民が自分達で手当てをしているようなもので、喜んで税を払いましょうとはとてもいえない。
国民に負担を強いるだけではなく、観光でもいい、資源開発でもいい、どうやったら国は金を稼ぐのか、明確なプランを出してもらいたいものだ。

6月27日

白い塀が取れて、画廊の前のビルの解体工事が一望できる。
京橋交差点の角にあった片倉ビルが無残な姿を晒している。
昭和の香りを残した由緒あるビルだっただけに、いざこうした破壊された姿を見ると一抹の寂しさを感じる。
同じように石造りの重厚な明治屋ビルも新たなビルに生まれ変わると言う。
東銀座の歌舞伎座も既に工事が進んでいるようで、銀座・京橋の歴史が一つづつ消えていく。

6月28日

7月9日から17日まで開催される京橋界隈のパンフレットが出来上がってきた。
エリアを意識したアートイベントの草分けとして大きな反響を呼んだ「京橋界隈」だが、回を重ねるごとにマンネリの感は拭えず、また同様のイベントが各地で開催されることで新鮮味も薄れ、ここ数年沈滞気味であった。
そこで新たに参加をした若手ギャラリストを中心に運営を担ってもらい、発足当初の熱気を取り戻そうということになった。
今回は「歩いて探すアート」のサブタイトルがついていて、暑気払いに17の参加画廊を順に廻り、アートに触れ、お気に入りの作品を探し出していただきたい。
参加画廊に地図と展覧会の内容が記されたパンフレットがおいてあるので、お立ち寄りの折にお持ちいただき、場所と内容をご確認いただきたい。
またそれぞれの画廊が近隣の美術館やホテル、レストラン、ショップなどにも配布し、普段画廊にお越しいただけない方にも目が届くようにしている。
画廊に入りづらいと言う方たちには、気楽にお越しいただけるよう、コンサートや朗読会、トークショーなどの関連イベントも 6画廊で予定されている。
更に美術雑誌「アートコレクター」での誌上販売や展覧会の感想をお寄せいただいた方へのプレゼントなど、誌上からも京橋界隈への参加を呼びかけている。
梅雨明けの真夏到来の時期だが、大いに汗をかきかき、アート探訪を楽しんでいただければ幸いである。
ちなみに私共は「北村奈津子」「浅井飛人」の若手有望作家の立体展で皆様をお迎えする。

6月29日

大相撲の賭博問題で次から次へと日本人力士や親方の名前が挙がり、名古屋場所は開催するとしても、外国人力士ばかりになってしまいそうだ。
先日、スポーツや芸術で国起こしをと提言したが、国技の大相撲がこの体たらくではいかんともしがたい。
長い伝統に胡坐をかいてすっかり腐ってしまったのか、元々そういう体質だったのかよくわからないが、昨日の理事長の記者会見の様子を見ていて心底腹が立った。
麻薬に八百長、賭博と暴力団に繋がる事件ばかりだけに、真摯に反省し、頭を擦り付けんばかりに謝罪するならともかく、上から目線でふてくされた態度には謙虚さのかけらも見られない。
何処かの大物政治家と一緒で居直り、臭いものには蓋をの図式が浮かぶ。
日本が海外に誇る伝統文化の一つだけに(と言っても外人力士ばかりではそうも言えなくなるが)、徹底的に膿を出して、手に汗握る名勝負を見せて欲しいものだ。

6月30日

日本サッカーの健闘で日本人の心は勝って一つに、負けても一つになった。
殆どと言っていいほどサッカーには関心がなく、Jリーグのチーム名も選手の名前も全く知らないに等しい私が感動するのだから、この盛り上がりは相当なものだ。
日本戦のテレビ中継も怖いのと眠いのとで実況では見てなくて、後のニュースで知って一喜一憂しているのだから、真のサッカーファンには怒られてしまいそうだ。
我が巨人軍も絶好調、この勢い、この盛り上がりが仕事に結びついてくれるともっとうれしい。

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