Diary of Gallery TSUBAKI
ギャラリー日記 バックナンバー (2011年1月〜3月)

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1月1日

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末年始寒い中を河口湖に来ています。
元旦の朝を雲一つない済んだ空から見る富士山は雄大で神々しく、気持ちを大きくさせてくれます。
日の出と共に紅に染まる富士山に今年が更なる飛躍の年であるよう祈りました。
皆様に取りましても幸多い年であるよう願っております。

写真を撮るのを忘れたので、下記の写真をご覧ください。

http://www.fuji-works.com/hinode.htm

1月2日

妊娠中でしばらく安静にするように言われた息子の嫁の見舞いと骨折で入院している母親の見舞いに行ってきた。
正月早々外にも出られない二人だが、安産と一日も早い回復を祈る。

4日も休みが続くとそろそろ何もやることがなくなり、食べてばかり。
今年は長い休みを取ったが、母親のこともあって遠出もかなわず、どうやら読書とスポーツ観戦、美術館巡りぐらいで正月を過ごすことになりそうだ。
毎日夜遅くまで働いてくれたご褒美で長い休暇を取ってもらったスタッフ達は、ロンドン・ニューヨーク・ローマと三人別々だが、海外旅行に出かけ、うらやましい限りである。
アート好きの三人だけに、海外の美術情報をたっぷりと仕入れて帰ってくるはずなので、今後のギャラリーの仕事に是非活かしてほしい。

1月4日

正月ぼけがいきなり目覚めさせられた。
昨日のメールを朝起きて早々チェックすると、韓国のお客様からのメールが。
休み中で悪いけど、予約をした作品を1月10日までに送るようにとの指示。
さあ大慌てで、早朝から画廊へ。
スタッフはみな海外で、梱包や送り状や請求書の作成、保険、税金などなどやらなくてはいけないことばかり。
さて困った、梱包の材料がどこにあるのか、書類はどれなのか、書き方はどうするのかわからないことばかり。
スタッフ任せの私は、手足をもぎ取られたようで、何も出来ずに右往左往。
何とかカミサンの助けを借りて、大汗かいて無事終了。

ほっとしたところへ、今度はオランダから作品が送られてきた。
こちらは入金がないので全部作品を戻すように昨年から何度もメールを送っているのに、何の返事もないまま突然作品だけが戻ってきた。
それも2点だけ。
残りの売れたはずの作品の件はなしのつぶてで、銀行に確認して入金がなければ対応を考えなくてはいけない。
いやはや正月明け早々から海外に振り回され、今年の先が思いやられる。

お知らせした5日を過ぎた夜12時20分過ぎから日本テレビで放映される「汐留ギャラリーハウス」の公式ホームページがアップしているので、ご興味のある方は汐留ギャラリーハウスで検索をしていただきたい。
題字を書いた会田誠のインタビュー、出演するメーンキャスター、アーティスト、ギャラリストなどが紹介されている。

1月5日

アートソムリエ・山本冬彦氏からのメールで読売新聞に掲載された記事のことについて述べているので紹介したい。
全く同じことを、先日お会いした前文化庁長官や元官房長長官、若手官僚に言ったのだが、わかってくれたのだろうか。

●正月の読売新聞にでていた2つの対談を紹介する。一つは1日と4日に載った橋本五郎と秋元康の新春対談。この中では文化の発信を国家戦略にすべきだ、日本のAKB48のようなアイドルグループなどにまで韓国は国家が支援して文化戦略を実行しているが、日本にはこのような文化戦略や長期戦略を描けないという内容。
 もう一つは3日の村上隆と近藤文化庁長官の対談。こちらも芸術の輸出産業化、国家戦略が必要と言う内容だ。フランスのように国家が予算を付け芸術家をサポートするかアメリカのように税制措置で個人や企業の文化支援を進める施策が急務と説く。
 このような記事がでることは好ましいが、いずれも芸能や現代アート系などの代表者であり、この点でも画壇系など旧来の美術界からの発信力がないことがあきらかのようだ。

1月6日

「汐留ギャラリーハウス」のホームページに、ゲストアーティスト会田誠のインタビューが載っているが、作家とギャラリーとの関係や、若手アーティストへのメッセージなど成る程と思わせることを語っていて興味深い。
一部を紹介させていただくが全文はホームページをご覧いただきたい。

Q若手アーティストへのメッセージ

最近の美大生なんかは、若い頃から作品を売ろうとする人が多いと思うんですよね?
それって、別に悪い事ではないとは思うんですが・・・、
若い頃から、目先の小銭を稼ぐのはロマンが無いのでは〜って僕は思います。

アーティストにも言える事ですけど、目先の1、2年先の結果を求めようとする人は大していい思いもしないと思います。

コレクターは、アーティストの将来のビジョンとか広がりに投資しようと思うので、あまり早い内から小さくまとまろうとせず、
リスキーな物に挑戦した方が結果的に大きな収穫を得られる事もあると思います。

最近の学生とかだと、自分の作品に値段がついて売れることに抵抗感のない人も増えてきてますけど、
個人的には若いうちからそんなに自分の作品に愛着がなくてよいものかな、と思います。

僕自身のことで言えば、若い頃は作品が売れると「娘を女衒に出す」みたいな気持ちになったものでしたから。
今はもうすっかり慣れちゃいましたけど(笑)

1月7日

5日のテレビを見た友人や知人から電話やメールが入った。

ブログには書いたが、仕事も始まり夜中の番組ということもあって見る人も少ないと思っていたが思わぬ反響で驚いた。

私自身も眠い目をこすりながら見たが長い時間をかけて収録し内容も盛りだくさんにもかかわらず30分にまとめてしまう手腕に感心させられた。
ロートルの私などはほとんどカットされてしまうと思っていたが、それぞれの出演者が満遍なく出てくる演出力も見事であった。
私の日記が簡潔にまとめられず、だらだらと長くなってしまうのとは大違いで見習いたい。

1月8日

マイナス4度の河口湖にまたやって来た。
零下のなか餅腹ごなしに家内と二人で近くの紅葉台へ山登り。
と言っても片道30分のお手軽コースだが二人は息もたえだえで展望台に到着。

展望台からは360度の大パノラマ。
目前に大きく広がる樹海の先には富士山がくっきり。
右手を見れば南アルプス連峰が一望でき日本一高い富士山と二番目の北岳が同時に見える贅沢さ。
後ろには西湖と富士五湖を囲む山並みを眺めることができる。
雲一つない青空の中しばし寒さも忘れ絶景に酔いしれた。
山を降りてからは車で西湖を巡りながら本栖湖に向かう。
千円札の図柄にもなった富士山絶好スポットで車を停め、ここでも絶景を満喫。
帰りも車中から眺める富士はどれも美しく、さすが日本一の山 である。
こうして半日、文字通りの目の正月を堪能した。

1月9日

今日は桑原弘明や小林健二作品が展示されている「ボートレース江戸川アートミュージアム」ツアーに総勢30人で出かける。
暮の桑原展のときに募集したが、多くのウエーティングが出るほどの申し込みで、桑原氏や美術評論家の巌谷國士夫妻、中村隆夫氏、澁澤龍彦夫人をはじめ桑原ファン達が遅刻することなく現地に集合。
普段見ることのできない競艇場も見学し、舟券を買って一攫千金の可能性もあるとあって、皆さん多少興奮気味。

場内にある多くの美術品を先ずは見学。
上記の作家のほかに、ムットーニ、大森曉生、深堀隆介などの超絶技法作品や幻想作品が並び、魅惑の世界を堪能する。
貴賓室で豪華な昼食をいただいた後、何と「ギャラリー椿新春アートツアー記念競争」と銘打ったレースが始まることに。
それぞれが係りの方から舟券の買い方の説明を受け、貴賓室の窓口で大枚はたいて?舟券を購入し、レースがスタート。
初めて見る光景に、皆さん身を乗り出してレースに熱中。
さて結果は何と20名以上の方がレースを的中し、担当者の方もこんなことは初めてとびっくりの様子。
そんな中、外れ券を抱えがっくりしていたのは私を含めてほんの数人。
今年の前途多難が予想される。
帰りに外れ券を食べてくれるロボットヤギの「マッシロー」君のところへ。
私の外れ券も「マッシロー」君のお腹へ、食べすぎにはご注意を。

皆さんと共に新年早々楽しい一日を過ごすことができた。


江戸川競艇場

アートの説明

競艇新聞

予想に熱中

当たりました

ロボットヤギ「マッシロー」

1月10日

長かった冬休みも今日で終わり。
入院中の母親の見舞いとシドニーにいる孫のおもちゃを買いに表参道に。

放映された「汐留ギャラリーハウス」の視聴率が3.5%だったそうだ。
夜半のそれもアート関連ということを考えるとすごい数字ではないだろうか。
そんなこともあってかツイッターが騒がしい。
テレビの反響にも驚いたが、ツイッターというのは恐ろしいほどである。
ギャラリー椿のツイッターというのもあるにはあるが、私は2チャンネル化しているようでどうも苦手。
出したコメントにすぐ答えが帰ってくるのはいいのだが、面と向かって言い合わないのが気に入らない。
それでもこうして話題になることは大変ありがたいことで、客寄せパンダではないが、露出度を多くすることが少しでも画廊の敷居を低くすることに繋がるなら、来るもの拒まずの姿勢でいきたい。
「汐留ギャラリーハウス」も1時間にしてほしいとかレギュラー化にという声も多くあるようで、アート普及のためにも日テレ関係各位、スポンサーの皆様是非ともよろしく。

1月11日

今日から画廊も営業開始。
早速望月通陽展で開幕。
望月通陽とは京橋の画廊開廊以来の付き合いで、わが画廊では一番古い作家となってしまった。
お互い30過ぎの若い時代で、それぞれに下の子供が生まれた直後で、望月夫人が子供を背負いながら展示を手伝っていたのが懐かしく思い出される。
その二人が孫を持つ年になり、改めて歳月の速さに驚かされる。
その間、彼は目覚しい活躍で、その表現も多岐にわたり、今回は鋳造ガラスを中心に発表することになった。
前回の展覧会で発表した白ガラスではなく、黒ガラスを素材に4日ほど電気窯に入れ、熱し冷却をして窯から出して、丁寧に磨きをかけて、ブロンズか石彫のような鈍い光沢の作品が出来上がる。
単純なフォルムでこれだけ多様な形を作り出すのも、望月ならではの造形力なのだろう。
それとは別に、超細密のペン画も展示している。
単純な線と形が持ち味の望月だが、こうした一面があることに驚かされる。
全くの独学で卓越した技術を磨き上げてきたのだが、努力だけではなく、天性の素質がこうした面から伺うことが出来る。
思えば最初の展覧会で全くといっていいほど作品が売れず、来る人も10人に及ばない時を思うと、積み重ねた年月の重みを感ぜずにはいられない。

1月12日

毎朝続けている代々木公園の散歩だが、いつも気になることがある。
愛犬家の人たちが平気で犬を放して散歩をしている。
公園の放送で何度も繰り返し引き綱は離さないようにとの音声が流れるが、その最中でさえ平然と犬の引き綱をほどく人がいる。
公園には犬が放せるように、小形犬と大型犬用の大きなドックランが設置されているが、そこには入らず、その目の前の広場で大きな犬を放して歓談する愛犬家のグループも毎朝見かけるが、いったいどういうつもりなのだろうか。
今朝、偶々外人の女性が血相を変えて、自分の犬がいなくなったが見かけなかったかと声をかけてきた。
一緒にいた日本の女性も同じように心配して聞きまわっていたが、その女性も手綱を放したままの犬を横において探し回っていたので、思わずこんな風に犬を放しているからいなくなるんだと言ってやったが、果たしてわかってくれたかどうか。
うるさい爺だと思っているんだろうな。
犬を愛する優しさを持っているなら、周りに気配りする優しさも持って欲しい。
子供や年寄りが安心して遊び、散歩できる公園であって欲しい。

1月13日

私が携わっている画商組合でキャリアが40年を超える画廊が6軒とセカンダリーの画廊が1軒退会の申し出があった。
何とか思いとどまって欲しかったが、老齢、病気などの理由もあって、残念なことだがいた仕方ない。
逆に新たに3軒の画廊が入会を申し込んできた。
辞める画廊の多くは日本画、近代美術を中心に扱う画廊で、入会を希望する画廊は現代美術や若手作家を主に扱う画廊である。
時代の流れの中、美術の価値観の変化と共に画廊の在り様も大きく変貌しているようだ。
そんな折、親しくしている老舗の日本画商から電話がかかり、海外のフェアーに進出したいが、どんなものかとの問い合わせであった。
日本画や近代美術系の洋画の巨匠達の評価が下落している現況にあっては、そうせざるを得ない状況に追い込まれたのだろう。
と言ってこうした著名作家が海外で通用するはずもなく、この画廊でも扱っている若い作家を軸に海外に市場を求めることにしたようだ。
河を渡るか渡らないか、今後の画廊の行く末も大きく違ってくることになる。

1月14日

昨夜は知人に誘われて、向島の料亭に行ってきた。
下戸の上にお金もない私には料亭や芸者さんといった類とは全く無縁だが、この知人は40年殆ど毎日のように赤坂・神楽坂・向島で遊んでいるつわもので、お金もさることながらよく体が続くものと半ばあきれながら感心している。
再々の誘いを断っていたが、正月くらい付き合えとのことで渋々出かけることにした。
とは言え、行ってみると日本髪の芸者衆、獅子舞やお神楽、三味線・笛・太鼓とこうしたところでなくては味わえない日本情緒を満喫することが出来た。
これからも私などはまず行くことはないだろうが、こうした日本独自の粋な遊び文化も知人みたいな人間に支えてもらって、残っていって欲しいものである。

1月15日

私共の組合の新春講話に文化庁文化部の芸術文化調査官の野口玲一氏にお越しいただき、「美術界と文化庁」と題してお話をいただいた。

文化庁には大きく分けて、二つの機能があり、一つが物を対象とする文化財の保護であり、もう一つが人を対象とする芸術家の活動支援といった振興事業である。
美術界は大きく分けて団体展を中心とした画壇系とフリーで主に国際的な活動をする現代美術の二つに分かれるが、文化庁は前者に関わることが多く、現代美術との接点が少ない。

バブル期は現代美術を美術館がリードする立場であったが、税減収による予算削減と指定者管理者制度により疲弊を余儀なくされ、本来の機能を失い、新進作家を美術館で取り上げる機会が減ってきている。
それに代わって現代美術とのかかわりで注目されるのが、アートセンターや多目的スペースであるオルタナティブ・スペースやアートレジデンスであり、地域の活性化を目的としたアートイベントであるが、作家の制作過程を見ることはできても、購入などを通してその評価に関与することは出来ていない。
そんな中、現代アートに対してはギャラリーの影響力が格段に高まり、国際的な市場を前提とした新世代のギャラリストが活躍することで、新しい作家の評価をギャラリーが決めるようになってきている。

その国際的評価もサブカルチャーであるメディア芸術をベースとするものが多いが、文化芸術振興基本法の第3章の文化芸術の振興に関する基本的施策では第8条・芸術の振興に文学・音楽・演劇などと共に美術の振興を図るとあり、第9条・メディア芸術の振興で映画・アニメ・漫画・コンピューター機器などを使用した芸術を支援するとなっていて、美術とメディア芸術が別物となっている。
国は現在メディア芸術を支援する方向にあり、そこに美術が入っていないことが問題である。

先般の事業仕分けで文化庁の予算が削減されたことに対して、音楽・演劇界などからは一斉に抗議の声が上がったが、美術界だけはリアクションがなかった。
是非業界・役所が一体となって美術振興に邁進していきたい。

概略、以上のような内容だったが、予算と法律の壁で、役所の現場の人間も歯がゆい思いをしているのは我々と同じようである。

1月16日

私共で発表し、韓国でも大変お世話になっている彫刻家のリ・ユンボク君が、韓国・利川市の国際彫刻展MAPPINGN・THE・CITY・SCAPEに10人のうちの1人として招待され、作品を制作した。
丁度昨年秋のアートフェアー・KIAFの出品と重なったが、フェアーには顔を見せることが出来ず、こちらの制作に殆ど睡眠も取ることなく没頭したという。
その作品のカタログが送られてきたので紹介をさせていただく。
磨き上げられたステンレスの表面に噴水の動きとライティングが写り込み、華やかな衣装を着たダンサーが優雅に踊っているようにも見える。
市民の目を楽しませる憩いのスポットが一つ出来上がった。

1月17日

今週末からまた呉亜沙一家と韓国へ。

韓国随一の画廊・カナギャラリーから、昨年開催された芸術の殿堂での呉亜沙の出品作品を見て、是非個展をとの依頼が来た。
大変有難い話なのだが、呉さんは赤ちゃんが生まれたばかりなのと、会場が美術館と見まごう程大きな空間ということもあって、先ずは会場を見てから出品プランを考えようということで、一緒に行くことになった。
他にも頼まれている個展やグループ展の詳細も詰めなくてはならず、週末二泊三日の大忙しの出張である。
聞くところによると、韓国は日本と同じ大寒波が来ていて、ソウルは昨日はマイナス17度だったそうだ。
南極越冬隊の覚悟で行って来なくてはならないが、一緒に行く呉さんの赤ちゃんの体調が一番心配。

1月18日

私の大学のヨット部時代の後輩から、彼が所属する横浜のロータリークラブで講演をして欲しいとの依頼を受けた。
そこのメンバーには高校・大学の先輩達も多く、私もロータリアンの端くれということもあって、お引き受けすることにした。
自分の声はくぐもった聞き取りにくい声で、普通に話していても何度も聞き返されることが多く、その上皆さんにお教えするような大した知識もなく、人前で話すのには全く不向きな人間なのだが。
そんな私にも時々こうした依頼が来るのは、画廊の仕事や美術そのものが世間から周知されていないからなのだろう。
他のロータリークラブでも何度か講演をしたが、こちらで当たり前と思っているようなことでさえ、皆さん知らないことが多い。
各クラブには地域を代表する業界の大物や有識者の方も所属しているのだが、いかに美術が普及されていないかがこうしたことからもうかがえる。
こんな事もあって、恥をかきながら美術の伝道師のつもりで出かけることにしている。

1月19日

オンラインによるアートフェアー「VIP ART FAIR」が今月の22日から30日まで開催される。
ネット上で参加画廊が作品を紹介するシステムだが、参加料が200万円と聞いている。
ロンドンのホワイトキューブ、ニューヨークのガゴシアン、ソウルのヒュンダイ、東京のコヤナギなどがFOUND GALLERYに名を連ね、欧米の有力画廊が多く参加し、日本からもミズマ、オオタ、スカイなどが参加する。

世界の富裕層を対象に高額作品を紹介することになるようだが、画像・内容などの情報も高度な技術により、細かく把握できるようになっている。
閲覧は登録申請をして主催者の許可が下りれば可能なようだが、更に詳細を調べたり、直接ディーラーとコミニュケーションをとるには登録料が始めの2日間は100ドル、その後は20ドルを支払はなくてはならないようだ。
多忙なVIPたちにとっては、リアルタイムで、アートフェアー会場に行くこともなく、どこからでも参加できることになる。
ディーラー側も通常のブース代、運送・保険・関税などの費用、交通・宿泊・設営費などがかからないことや広告的効果も考えると200万円はけっして高くはない。
但し、ネット上で高額作品の売買が成立するのかどうか、アートビジネスも大きく変貌を遂げてきているようだ。

1月20日

画廊が終わってから前にもブログでご紹介をしたコレクターのT氏のところへ出かける。
今回は美術雑誌の編集者H君、スタッフ、元スタッフも連れて大勢で押しかけることになった。
T氏は頑なに雑誌企画・コレクターのお宅訪問 を断っていたが、先ずは展示だけでも見てもらおうとH君にも付いてきてもらうことになった。
T氏はコレクションの楽しみもさることながら、展示することも楽しみの一つで、ホームセンターや家具店に行っては、棚や照明器具を買ってきて、作品を上手に飾り付けている。
それぞれのコレクターのお宅の事情もあって、そうたくさんの作品を飾ることは出来ず、倉庫や押入れにそのまましまわれてしまうことも多い。
その点T氏の楽しみは作家や画廊にとっても大変有難いことで、所蔵された作品が今一度息を吹き返すことになる。
雑誌の紹介はどうなるかわからないが、一部をブログで紹介させてもらう。

1月21日

昨日紹介をしたT氏のコレクションとは対照的に作品を選び買うまでを楽しみにし、そのままお倉入りしてしまうH氏の倉庫に出かけた。
私共の倉庫よりも広いスペースの棚に所狭しと作品が置かれている。
これだけの作品だと買ったことも忘れてしまうと思うのだが、H氏はどの作品も覚えているから驚きである。
私が知らない作家も多いが、一目で作家名を言い当て、どこでいつごろ買ったかまで覚えているのはさすがある。
ただ作家には気の毒で、画廊に展示された後は一度も日の目を見ないのは辛いことだろう。
引き取ったり、お預かりしたりして今一度画廊に展示し、息を吹き返させてあげることも私達の役目かもしれない。

1月22日

望月展も今日で終わりだが、望月ファンにもこだわりの方が多い。
装丁をした本の表紙を見てファンになった方も多く、そうした方が望月さん一筋のコレクターになる例も多いようだ。
今回も私共では初めてのご縁になったが、他所の個展で作品をコレクションしていたお医者様やケーキ店のオーナーの方もその一筋の方達であった。
ケーキ店の方は女性のオーナーで、大分市でお店を開いていて今回わざわざ遠方よりお越しいただいた。
お店のマークや名前も望月さんの手によるもので、お店の名前「サリーガーデン」も望月さんがそのジャケットを手がけたCDのタイトルに由来にしている。
お店にも望月作品が飾られていて、お話を聞いていても本当に望月さんの作品にほれ込んでおられるようだ。
お店はシホンケーキとフルーツクーヘンだけのこだわりのケーキ屋さんで、なるほど望月さん一筋もわかる気がする。
お土産に頂戴したケーキは大変な美味で、お取り寄せも出来るということなので紹介をさせていただく。

「サリーガーデン」で検索していただき、ホームページをご覧いただくか、下記の電話でお問い合わせいただきたい。

097−542−4446

1月22日・韓国

極寒のソウルに。
と思っていたが着いた夜は意外と暖かく気温はマイナス4度。
2日前にはマイナス18度と聞いていただけに有り難い。
ところが朝起きてみると一面雪景色。
快晴続きの東京から来た私にはトンネルを抜けると雪国の心境。
ホテルの窓から雪に覆われたソウルの街並みが美しく広がる。
新市街と旧市街を分かつ漢江が何と凍りついていて白く長い帯となっているのも滅多に見られない光景である。
気合いを入れて出かけるとするか。

1月24日

日曜日、ソウルは昼から大雪。
帰りの便が心配で打ち合わせを早めに終わらせ空港に向かう。
何とか最終便で帰ることが出来そうで一安心しているところへ家内から電話が。
骨折で退院したばかりの母が急死したとの知らせが。
つい先ほど電話をした時には元気にしているとのことだったのに。
遠くにいて何もできずであせるばかり。
89歳の誕生日を迎えたたばかりでこれからもっと長生きして欲しいと思っていただけに悲しい。
苦しむこともなく眠るように安らかな顔で逝ったとのことでせめてもの慰めである。
美しく優しい母親だった。

1月27日

身内だけの葬儀も一段落。
お気遣いをいただく方も多かったが内々のことなのでお断りをさせていただきお気持ちだけ頂戴させていただくことにした。
失礼の段お許しいただきたい。
今日は韓国の画廊さんが訪ねてきて展覧会の打ち合わせのあと近所の画廊やショップの案内に追われ昨日までのことを忘れてしまうかのようなあわただしい一日となった。
かえって気持ちがリセットできて丁度良かったかもしれない。

1月29日

長い正月休み、韓国行き、母の死、その間に望月展と振り返る間もないうちに1月も終わろうとしている。

今日からまた気分を新たに河原朝生展と松永かの展を迎える。
河原さんとは長いお付き合いで、プリミティブな表現、深いマティエール、静謐な画面に魅せられて、私共での発表を続けてもらっている。

偶々展示をしている時に、美術雑誌の編集者が次号でキャリアがあって個性的な仕事をしている作家達の特集をしたいのでと訪ねてきた。
あまりに若い作家ばかりにシフトしている現状に、これでいいのだろうかとの思いもあって、今一度原点に戻って30年、40年の年月を重ねた作家達の仕事を振り返ってみたいとのことであった。
私も同感で、河原さんもそうだが、もとは30の頃からのお付き合いで、当時は無名の若手であったのが、今や還暦を迎える年になったわけで、その長い間を袂を分かつことなく関係を保っていくというのは並大抵ではない。。
画廊と作家が共に手を携え、支えあい、制作を続け、発表の場を提供し、コレクターや評論家の方に見守ってもらうことの繰り返しが、画廊と作家の本来あるべき姿ではないだろうか。
私共が無名の若い作家の企画をやるのは今に始まったことではなく、そのスタンスは今でも変わらない。
20代の作家も60代の作家も同じ目線で接していて、私にとって、画廊の勲章は著名な作家を扱うことでもなく、高額な作品を売ることでもなく、こうした作家達の展覧会を何回積み重ねたかだと思っている。

松永さんとのお付き合いもこれで2度目だが、版画への関心が薄れていく昨今にあって、ひたすら版画にこだわっているところが私にはうれしい。
木版画でしか出来ない微かなかすれやにじみによる表現で、心の中にしみこんでいくような情感を醸し出している。

二人とも地味だがじっくりと足元を見つめながら仕事をしている。
たいしたことはしてあげられないが、後ろからそっと支え続けていければと思っている。

1月31日

今日の東京の朝は氷点下。
身が縮まるようだが、いつものように代々木公園まで散歩に出かける。
母の葬儀で長女家族がシドニーからやってきていて、孫達を起こしてもいけないので早めに家を出て、丁度目覚める頃に帰るようにしている。
シドニーは日本と逆の真夏で、例年にない猛暑だそうで、来る前は38度というから、先日出かけたソウルとは50度の気温差がある。
母がいなくなり淋しくなったが、こうして家族が集まることで改めて家族の絆というものを感じさせてくれる。
明日にはシドニーに戻るが、真冬から真夏へ逆戻りで孫達が体調を崩さなければいいのだが。

2月2日

朝日新聞厚生文化事業団主催の「Next Art展」の選考委員を頼まれ、先日先ずは写真による第一次選考をさせていただき、今日改めて第一次選考で選ばれた60作品を実際に見て、更に30点に絞り込み入選とする作業があって、出かけることになった。
35歳までの多くの作家の応募があり、選ばれた作品は朝日新聞本社コンコースに2週間展示された後、朝日チャリティー美術展東京展(松屋銀座)開催中、併設される会場で展示されることになっている。
チャリティー展では最低価格2万円の入札方式で希望者に販売をし、最も高い価格の半額を作者に、残額を事業団の福祉事業に役立てることになっている。
第一次選考で私が選んだ作品は殆ど第二次選考に進んだが、昨今の傾向なのか選んだ作品の中でも抽象傾向の作品は通らず、私が敢えて外した中ではどちらかというとアカデミックな作品が選ばれていたようだ。
さて最終結果はどのようになるか、展覧会の見てのお楽しみとしたい。

2月3日

久しぶりに暖かな日差しが差し込む。
好天が続いてありがたいが、その分雨が降らずのからから天気で、喉が弱い私はマスクに加湿器にうがいにとひたすら気をつけなくてはならない。

昨日、朝日新聞の審査を終えて画廊に戻ると、知り合いの日本画商さんが上海からの画廊さんを連れてこられた。
上海、香港に画廊を持っている方で、そこのお客様が中国の国画(古い水墨画)の著名なコレクターで、それだけではなくこれからはアジアのコンテンポラリー作品を集めていくので協力して欲しいとのことであった。
既に安藤忠男設計による個人美術館を建築中で、そこでアジアの作家の展覧会を開きながら長期にわたってコレクションをしていく予定だそうだ。
先ずは入れ物を作ってしまおうとは、日本の箱物行政みたいだが、個人でこれをやろうとするのだから、スケールは大きい。
私共の二人の作家が先ずはお眼鏡にかなったが、お見せした作品では小さすぎるらしくとにかく大きいのを所望である。
万里の長城を作る国だけに話はでかい。

2月4日

ジュエリー関係の仕事をしている友人から新たなアート事業で相談を受けた。
彼のところでジュエリーデザインをしている東京芸大の油絵科を出た作家に本来の絵のほうでも仕事をしてもらおうと、ペットの肖像画を描いてもらい愛犬家や愛猫家に販売しようということらしい。
写真のようにそっくりに描くのではなく、作家の個性を生かした水彩画と油彩それにペットを彫りこんだジュエリーをセットで販売するそうだ。
ちなみに、テレビショッピングで紹介をしてもらったら、7,80点の注文が来たそうだ。
そんなこともあって、本格的にパンフレットなどを作り、ペットショップ、百貨店などを通してペット愛好家への販売や贈り物としてギフトショップや住宅関連にも販路を延ばしていきたいと意気込んでいる。
私にはどのくらいの価格設定が妥当かの相談と、更には推薦人になってくれないかとのことであった。
確かにいいアイデアで、絵の内容がよければ、ペットブームということもあって美術愛好家とは比べ物にならないほどの需要が見込まれる。
親しいこともあり、私に何かのトラブルで責任が及ばないのであれば推薦文ぐらいは書いてあげようと思っている。
私もこの友人のような知恵があるといいのだが。

動物愛護協会で保護され、里親探しで私のところにやってきて13年を過ごし、3年前になくなった「ゴンちゃん」の写真を下に水彩画を描いてもらった。
よく特長をつかんでいて、これを家に持って帰ったら、家内は涙を流して喜ぶだろう。

2月5日

昨日が節分、暦の上ではいよいよ春である。

中国や韓国、香港、台湾などは旧正月に入ったのか、いつもわんさか来るメールがいっきに減った。
メールという便利なものが出来て、海外との取引上のやり取りも楽になったが、時々言葉の解釈の違いで苦労することも多い。

これは取引上のことではないが、面白い間違いがあった。
いつも通訳などで世話になる韓国の彫刻家ユンボク君に送ったメールである。
彼の作品を買ってくれた方から確か作品のタイトルが「りんご」のはずだったが「ハート」に変わっていて、「とまどっている」というメールを送った。
自分はイメージでタイトルをつけているので、リンゴやハートどちらにも見えるし、お客様がそう思えるなら「トマト」でもいいとの返信が来た。
訳のわからないメールが来たもんだと思っていたら、日本語の得意な彼も「とまどっている」という言葉を知らず、「トマトである」と読んだらしい。
初めはリンゴと見えた作品がハートにも見えてタイトルを変えたのだが、トマトにまで変わるとは、日本語はとかく難しい。

2月6日

大相撲が揺れている。
ついこの前までは八百長や野球賭博の日本人力士と不良外人力士ばかりが土俵を賑わしていたことになる。
前にも書いたが、相撲をスポーツとするか国技として伝統芸能にするかはっきりすればいい。
スポーツとするから、体力のある強い外国人力士を連れてきたり、勝ち負けにこだわったりする。
髷をゆったり、まわしを締めたり、土俵入りや弓取り式のようなものがあるのだから、伝統芸能とすれば外人力士もいなくなり、勝ち負けでもないので八百長や賭博も出来なくなる。
歌舞伎やお能だって外国人が出演したらおかしなものになるだろう。
その上でいっそのこと興行としてプロレスのように筋書き通りに取っ組み合ったり、ヒール役がでてきたら、それはそれでおもしろいと思うのだがいかがだろうか。

2月7日

読売新聞の夕刊のコラム欄に作家の諸田玲子さんが「民意・実体のない恐ろしさ」と題した文章を寄せている。
今の政局に何の展望もないことから一文を紹介させていただく。

【民意ほどあてにならないものはない。
歴史をひも解けば、公明正大で人の良さそうな顔をしたそれが、いかに恐ろしいかがわかる。
中世の魔女裁判、ヒトラーの狂気、お国のために死ぬことこそ名誉と日の丸振って送り出したのも民衆である。

今も変わらない。
だれかがよいといえば、わっと飛びつく私たち。
かくして大ベストセラーが生まれ、反対にマイナスの風評でも立とうものなら完膚なきまでに叩かれて、みんなが同じ思考と顔になってゆく。
政治家諸氏が民意を連発するたびに、私は背筋が寒くなる。
国民目線に立つといいたいのだろうが、実体のない民意などよりどころにしてもらっては困る。
上に立つものは確固たる志を持って突き進むべし。
だからこそみんな安心して付いてゆける。
民衆の顔色を見て媚びへつらうなどもってのほかだ。

最近幕末の志士達の小説を書いたせいか、自己本位で画一的な現代人がふがいない。
日本人はもっと輝いていたはずだ。
格差社会、けっこう。
格差があるから上を目指して頑張れる。
公平より、努力すれば道が拓ける社会を作ることが、政治家やジャーナリストの役目ではないか。
民意なんかに騙されてはいけない。】

子供手当てや高速道路無料化など財源もないのにみんなに平たくの耳障りのいい政策を目指すから今の始末となってしまう。
就職難というが束縛は嫌だ、自由でありたいと正規社員を拒む若者や子供手当てでパチンコに行くような親にまで手厚くする必要はないと思うのだが。

2月8日

高校のクラス会の案内が届いた。
毎年桜の満開の時期の4月初めに開かれるが、今年はうれしいニュースが飛び込んできた。
私たちの担任は数学の平田博則先生といい、今年で85歳を迎えるが、昨年開かれたアマチュア囲碁世界選手権の日本代表選で並み居る強豪を打ち破り、見事優勝し今年開催される世界選手権に代表として出場されることになった。
85歳という年齢で優勝するのは明晰な頭脳は無論のことだが、心技体全てが備わってのことで、快挙といっていいのではないだろうか。
50年前の担任の当時もアマチュア囲碁四天王の一人と言われ、朝日新聞主催のアマチュア囲碁選手権で優勝し、ご褒美の海外旅行でしばらく学校を休むことになり、私たち悪童は先生がしばらくいなくなると大喜びしたものである。
どういうわけか私たちのクラスの仲間は他のクラスに比べて早死にするものが多く、40名のうち既に8名が亡くなっている。
その分先生には頑張って長生きしてもらい、今度の選手権でも是非優勝をしていただきたい。
クラス会にも出席の予定で、みんなで優勝を祝い、来る選手権に向けて絶大なるエールを贈りたいと思っている。

2月9日

ようやく雨らしい雨が降った。
雪混じりの冷たい雨で、立春過ぎて春めいてきたと思ったら、また冬に逆戻り。
散歩に出かける代々木公園もここ数日で「まんさく・万作」の黄色い花が咲き、紅梅・白梅もほころび始めたのにまたつぼんでしまいそうだ。
万作は春になると「先ず咲く花」ということでその名が付いたらしく、三寒四温・春の訪れが待ち遠しい。
ついでに豆知識。
秋になると赤い実をつける「ななかまど」は七回釜戸にくべても燃えない木ということでこの名がついたといい、延焼を防ぐために昔はよく垣根に使われたそうだ。

正月に出演した「汐留ギャラリーハウス」の次回が決定したようで、日本テレビから打ち合わせをしたい旨の連絡があった。
詳しいことはこれからだろうが、周りから今度はいつですかと言われ困っていたが、どうやらご期待にそえそうである。
夜遅くの短い番組にもかかわらず、未だに見ましたよといわれ、さすがテレビの影響力は大きいもんだと驚いている。
ただ思うに、せっかくやるのなら1時間番組にしてもらうといいのだが。
この前はコマーシャルを挟むと22,3分にしかならず、長い収録時間をとったにもかかわらず、殆どがカットされてしまった。
こちらの勝手だが、しょっちゅうやらなくてもいいので、その分長くしてもらうと、もう少し現代アートの面白みが出せると思うのだが。

2月10日

次回の「汐留ギャラリーハウス」の詳細を私はまだ知らないのに、既に山本冬彦氏のブログには紹介されていてびっくりした。
3月29日(火)24時28分〜25時で放映されることに決まったようだ。
やはり夜中の短い時間となっていて、ゴールデンタイムの1時間番組とは、そうは問屋がおろさないようだ。

昨日から国立新美術館で「シュルレアリスム展」が始まった。
パリ・ポンピドーセンターの所蔵作品からダリ、マグリット、デ・キリコ、ミロ、タンギーなど170点が展示される。
1924年28歳の詩人アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表し、40年にわたる20世紀最大の芸術運動が始まった。
文学や絵画だけでなく映画、広告など文化全般に及び、現在に伝わってきた。
日本のアーティストにも多大な影響を与え、古賀春江、福沢一郎、北脇昇などが先駆となって60年、70年の大きなムーブメントとなった。
その後抽象表現主義が現代美術の主流となり、幻想美術は下火となったが、その中にあってもひたすら幻想表現を追及する作家も多く、瀧口修三・澁澤龍彦・巌谷國士などの文学者がそうした作家達を取り上げ世に送り出した。
またこうした作家たちを支える熱狂的なコレクターも多く、今に受け継がれている。
偶々展覧会の時を同じくして、中村宏、森町長子、高松潤一郎といった幻想作家の6,70年代の作品が手元に入り、お客様やネットで紹介させていただいたらたちまちに予約をいただいた。
幻想美術コレクターいまだ衰えずである。

2月11日

アートフェアーの案内が続々と届く。
アジアを始め欧米からも多くのフェアーのインフォーメーションが送られてきて、目を通す暇もない。
私共の今年のフェアーの予定は次の通りである。

5月
京都ホテルフェアー
ヤングアート台北
7月
大阪ホテルフェアー
8月
アート台北
9月
韓国フェアーKIAF
11月
テグアートフェアー
美術倶楽部アートフェアー・プリュス

これとは別に海外の展覧会
4月
ソウル・グループ展・山本麻友香・横田尚・綿引明浩・堀込幸枝
10月
香港・山本麻友香個展
11月
ソウル・浅井飛人グループ展
ジャカルタ・浅井飛人個展

といったところが目白押しで決まっている。
これに自分のところの企画展が20を超える。
他にもいくつか期日の決まっていないが海外から依頼されている展覧会もあり、さて身体の方が持つかどうか。

2月12日

河口湖で雪の朝を迎えた。
見渡す限り一面真っ白に覆われ心が洗われるようだ。
東京も雪模様でこの冬初めての積雪となった。
12月の忠臣蔵の討ち入りは雪がつきもので、当時はそのころに雪が降っていたことを思うと、季節がずれてきているのだろう。
いっそ中国や韓国のように2月を正月にすればいいのかもしれない。
そんなのんびりしていることを言うと雪国の人に怒られてしまいそうだ。
今年の大雪でたくさんの方が雪かきをしていて亡くなっている。
雪崩でもないのに屋根の雪かきでなくなるとは、私たちには想像もつかないほどの雪の量なのだろう。
素人考えだが、屋根にソーラーパネルを設置し、蓄電した熱で雪を溶かしたらどうだろうか。
毎日雪でお日様が出なければソーラーパネルも意味ないが、屋根の雪を溶かす方法が何かありそうなものだが。

2月13日

先の日記でも触れた「森町長子」は私にとっては全く初めて見る幻の作家で、どのような略歴かもわからず途方にくれていたが、ようやく僅かだがその資料が見つかった。
昭和48年の美術雑誌「芸術生活」4月号の「現代の素朴絵画」とういう特集にアンリールッソー・アンドレボーシャン・カミーユボンボアなどと共に1ページで紹介をされていた。
1942年鎌倉に生まれ、1966年東京デザインカレッジに入り漫画家を目指したようだが、ルッソーの様にある日突然油彩画を描きはじめ、直ぐに注目を集めるようになったが、その後の消息は全くわかっていない。
描き出して2,3年で紹介のような完成度の高い絵を描いていたのだからその才能は秀でたものがあったのだろう。
私共のホームページの推奨作家で紹介したのも、何かわかればとの思いもあったのだが、途端にご予約をいただいたり、別のコレクターの方から所蔵の森町作品の写真を持ってきていただいたりで、それぞれの道にマニアの方はいるものだとつくづく感心させられた。
ただこの方達も彼女の経歴については全くわからないようだが、いい作品さえ残っていればキャリアは関係なしで見てくれている人がいるという証でもある。
「芸術生活」に掲載された作品を転載させていただく。

2月14日

幻想美術のことを日記に書いていたら推理小説家折原一氏が画廊にやってきた。
氏は「沈黙の部屋」で日本推理作家協会賞を受賞するなど活躍中で、執筆する作品は殆ど叙述トリックが使われていて、日本を代表する叙述トリック作家である。
氏は幻想美術コレクターとしても知られ、とりわけ骸骨絵コレクションがそのコレクションの根幹をなしている珍しいコレクターでもある。
多くの作家が一度は描く骸骨絵だが、さてそのコレクションとなると二の足を踏む人が多く、それだけ氏のコレクションは特異な存在である。
その骸骨絵コレクション展が来る5月16日から21日まで銀座の文芸春秋画廊で開催される。
その展覧会のパンフレットをいただいたので一文を紹介する。

15年ほど前に近所のアンティークショップが店じまいすることになり、英国製の骸骨オブジェを大量に抱え込み、途方に暮れていた主人に同情し、不良在庫を引き取ることにしたのがきっかけである。
骸骨達が飾られた薄暗い部屋にいると、薄気味悪さを感じるよりは、むしろ心が落ち着き仕事が捗る。
訪ねてきた編集者に個展で仕事部屋を再現してみたらどうかとおだてられ、、ついその気になったのが、今回開く展示会である。
考えてみれば、私はこれまで自作のミステリーの中で数々の人の命を奪ってきた。
人生の節目にあたる今年、骸骨作品を展示すると共に、そうした登場人物(被害者)を供養することも必要かと思った。
一人ひとりの画家に個性があるように、骸骨も作り手によって様々な貌を見せる。
この機会に、それぞれの生と死を思い、ヴァニタス(人生の虚しさ、はかなさ)について考えていただければ幸いである。

池田満寿夫、宇野亜喜良、大島哲以、小山田二郎、加藤清美、柄澤斎、坂田哲也、篠田教夫、建石修志、ビュッフェ他

2月15日

昨日は大失態 。
ロータリークラブの理事会に出席していたところ何度も事務局や画廊から携帯に電話が。
会議中ということで電話には出なかったが、メールが入り開けてみると、今日は組合の会合ですがどうしましたかとの知らせ。
やってしまいました。

理事会違いというよりは、スケジュールには明後日の予定になっていて、まさか日にちを間違えているとは夢にも思わず、さあ大変。
というのもこちらは理事長という立場もさることながら、理事会の議決を必要とする重要な案件があり、私がその案件について説明をすることになっていたのだから、とんでもない事態となってしまった。
どこかのタレントではないがいっそこのまま雲隠れしてしまおうと思ったくらいだが、そんな訳にもいかず、何はともあれ向かうことに。
閉会15分前にこれ以上は小さくなれないほどに身を縮めて会議室に入ったが、寛容な理事のみなさんと副理事長と専務理事の計らいで私のやるべきことを全て滞りなくやっていただけたとのこと。
とにかく平謝りで経過報告を聞き、一息つくことが出来た。

去年と今年の組合の日程表が私の机の前に張ってあって、今年からのスケジュールを携帯に入れるときに、どうやら去年の日程を入れてしまうという大間抜けなことをやってしまったようである。
幸い1月は同じ日にちだったので事なきを得たが、3月以降も全く違う日程になっていて、スケジュール表の間違いに気が付かなければ、再び大失態を。
残すところ任期3ヶ月となって指折り数えていたが、平穏無事に終えることが出来るだろうか。

2月16日

少し前になってしまったが、月刊ギャラリーの1月号で美術倶楽部社長浅木正勝氏と西村画廊の西村建治社長の対談の記事が出ていた。
浅木氏とは最近税制や著作権の問題で意見交換をしたり、改革のお手伝いなどをさせていただいていて、お会いする機会も多い。
西村画廊も私の好きな作家の展覧会が多く、近代美術の大御所との対談でどんな話が飛び出すかと、大変興味深く読ませてもらった。
お二人のお考えには私も共感することが多かったが、その中で西村氏の「現代美術という言葉は言いたくもない」のコメントが印象に残った。
その前の12月号で4人の若手ギャラリストの対談があったが、レントゲンヴェルケの池内氏の発言の「現代美術という言い方自体もう嫌で」を捉え、近代美術とか現代美術といったジャンル分けすることに意味がないと言っている次世代の人にたくましさを感じると語っている。
世間から見ると現代美術の最前線にいてもおかしくない二人からこのような言葉が出たことに意を強くした。
アーティストやギャラリスト、ジャーナリスト、キュレーター、更には最近のコレクターの方も現代美術と言う言葉に振り回されているように思えてならない。
と言うよりはその領域を自分で定め、その枠にとらわれすぎているのではないだろうか。
偏りすぎず、もっとニュートラルな眼でアートを見つめることも必要だと思うのだが。

2月17日

ホームページの推薦作品で間島領一のオブジェ「百叩き」を紹介した。
早速に売約となってしまったが、この作品は私共での初めての個展の折の案内状になった作品である。
スイッチを押すと真ん中の人間が両側の子供の頭を大きな音と共にめためたに叩くという何とも奇妙奇天烈な動くオブジェである。
おそらくは真ん中を私に見立て、両側を作家達とし、尻を叩くのではなく、頭を叩いては作品を作らせると言う強欲な 悪辣画商の図としたのが、作家の意図ではなかっただろうか。
この時の展覧会にはこの作品以外にも奇想天外なポップの作品が並び、その当時としては画期的な展覧会であった。
今こうした作品は奇異には捉えられることはないが、30年前では眉を顰める人もいた。
それでも後にニキ・ド・サンファール美術館を作った増田静江さんや幻想美術コレクターのH氏、エロティシズムアートのコレクターとしても知られるK氏など目利きのコレクターがこぞってコレクションをしてくれたものである。
縁あって私共に再び戻ってきたが、間島領一も幻の作家の一人となってしまった。
大阪フォルム画廊で見たのが最初で、その後フジテレビギャラリーで発表し、続いて私共で何度か個展をした後、ギャラリーユマニテ、ミズマアートなどで発表してからこの10年画廊での発表を全くしなくなってしまった。
原アークや水戸芸術館での展覧会、東京国際アートフェアーでのパフォーマンスなどはあったが、私が何度も展覧会の誘いをかけても首を縦にふらない。
彼の作風は今こそ大いに評価されるべき時だと思うのだが、彼自身思うところもあるのだろう。

2月18日

六本木のG−TOKYO、秋葉原のART・FRONT・LINEといったアートフェアーが始まった。
2月の寒い時期、どちらかというと暇な時期だけにこうしたイベントで活況を呈してもらい、業界全体に波及効果が及ぶといいのだが。

今朝は日本テレビのディレクターの方がやってきて、汐留ギャラリーハウスの件で相談を受けた。
出来ればレギュラー化の方向で進めて行き、そのためには番組にでるギャラリストやアーティストの数を減らし、もう少し絞り込んだ内容にしたいようだ。
出演するアーティストも公募し、その中から選んで出演してもらうことも考えていて、応募要項ができたら私共でも紹介させていただく。
我こそはと思うアーティストは是非共応募をしていただきたい。
前回は大きなスタジオで収録したが、今回は日テレ本社の横山大観の絵がかかっている前で公開の方向で考えているようだ。
こうした切り口のアート番組も少なく、アート普及の一助になることを願う。

2月19日

小原展が始まった。
子供達が地面にいたずら書きするように、紙の上に自由奔放に引っ掻くように描いて以来、その表現は多岐にわたっているが、今回は油彩を中心に発表した。
大地に降り注ぐ光りの線をテーマに叙情的な情景が浮かび上がる。
抽象でもなく具象でもないその狭間の表現に苦労したようだが、ようやく自分のものにしたようだ。
彼のような仕事を受け入れるには、今の状況は大変厳しいものがあるが、敢えて愚直に立ち向かう姿勢を評価したい。

昨日は展示を終えた後、秋葉原のART・FRONT・LINEに出かけた。
廃校になった中学校の教室や体育館を使ってのプロジェクトの一環で、若いギャラリー主体のフェアーである。
目立つのは、ブースの多くがフォトアートを前面に押し出していることで、時代がタブローや版画から写真に移行していくことを予感させる。
以前から写真には関心を持っていたが、5月の京都のフェアーでは私共もフォトとオブジェでブース構成をする。
六本木のG−TOKYOや麻布のMANCY’S・ART・NIGHTも同じような会期で始まり、週末の東京はアート一色となる。

2月20日

今日は大学のヨット部時代の仲間の命日。
毎年墓参りをかねて同期の仲間が集まる。
来月も今度は高校のヨット部の創部70周年の会がある。
40年を超えて変わらぬ友情で結ばれていて、ゴルフコンペや食事会など集まる機会も多い。
私はすっかり海とは縁遠くなってしまったが、いまだにヨットに乗っている仲間も多い。
そうした連中からの話を聞くと、風の音、磯の香り、波のしぶき、あの頃が無性に懐かしい。
帰りに久しぶりに練習をしていた葉山の海に行ってみるか。

2月21日

ブログと推奨作品で紹介した森町長子の作品が2点とも売約となった。
私も全く知らない作家で、HPで紹介すれば何かわかるかとの思いもあったが、資料も含めこんなに早く反響があるとは思わなかった。
名前やキャリアではなく、作品本位でコレクションしていただけることがとてもうれしい。
山本冬彦氏から薦められて読み始めたばかりだが「キュレーションの時代」という本がある。
マスメディアの情報から人と人の「つながり」を軸とした新しい情報時代の到来を告げ、誰もが自ら情報を選んで、意味づけし、共有する時代であるといった内容の情報社会論なのだが、森町長子の作品も、領域は狭いが情報を求める人にコアな情報を流すことの実例となったようだ。

今日からGTUでは長岡造形大学の視覚デザイン学科の学生の制作展が始まった。
それぞれのメッセージをポスターや絵本の形をとりながら10人の研究生が発表している。
魚や動物や木々を鉛筆で克明にデッサンしたものをデジタル化し、それをプリントアウトした上でその一部を切り抜いた作品が興味深い。
切り抜くということは傷つけることを意味していて、それぞれに傷つける包丁や銃や斧を下に描くことで、見るものにそのメッセージが明確に伝わる。
今の流れだろうが、デザインとファインアートがオーバーラップしていて、マスを対象にするだけではなく、個を主張する部分もあり、情報と同じようにアートもますます多様化してきているようだ。

追記

日本テレビ・3月29日放映「汐留ギャラリーハウス」に出演するアーティストを公募している。
締め切りが2月28日というとんでもなくぎりぎりなので、果たして応募が間に合うのか気になる。
それでも我こそはのアーティストは是非応募を。
応募者はhttp//www.ntv.co.jp/gallery/からエントリーしていただきたい。
エントリー後、今回の応募作品とポートフォリオを番組宛に送付すること。
映像や音声の作品は、DVD,CDを同封のこと。

2月22日

美術雑誌の編集者からこんな話を聞いた。
楽天ショップに複製画とは違って注文に応じて、ゴッホやクリムトを始め著名な作家の模写をして販売するサイトがあるという。
検索してみると、ゴッホの自画像やゴーギャンのタヒチの女など名画がざくざくで、注文も多いらしい。
著作権の期間が過ぎているので問題ないのだろうが、美術館などその所有者にはどのように対応しているのだろうか。

もう一つ、「アート・メーター」というサイトでは、絵画の測り売りを謳い文句にしている。
実際に大きさで値段をつけるわけではなく、最初は千円単位の値段で一人の作家の作品を紹介し、その作家の注文が多くなれば、それに比例して価格が高くなるというやり方のようだ。
人気投票みたいなもので、売り手が値段を設定するのではなく、買い手側の注文量で価格が決まる仕組みになっている。
いやはや、アートもいろんな売り方があるもんだと驚かされる。
一つの作品に何人かが投資をして共同所有をするというリゾートマンションみたいなものも以前にあったが、売れればいいという販売方法が果たしてアート普及に繋がるのだろうか。

2月23日

先日審査をした朝日新聞厚生文化事業団主催の「NEXT ART」展のチラシが送られてきた。
NEWSの欄でも紹介するが選ばれた次世代の若手アーティストの作品31点が3月4日から7日まで展示され、入札販売を行い、売り上げは作家と社会福祉事業に寄付されることになっている。
同時にというよりこちらの方がメインなのだが、第86回朝日チャリティー美術展も開催される。
こちらは著名な作家を含む1000人の作家から寄贈された作品を特別価格で販売し、子どもの虐待防止などの社会福祉事業に役立てることになっている。
86年も続いているロングランのイベントだが、今回初めて若手作家を紹介する企画が生まれた。
大勢の人が詰め掛ける会場で、若手作家にどのような評価が下るのか、私が高い得点与えた作品はどのような結果となるのか楽しみである。

2月24日

六本木のの森美術館の小谷元彦展と森アーツセンターのG−TOKYOを見てきた。
G−TOKYOは15の画廊によるアートフェアーで、東京アートフェアーの縁日のような雰囲気と違い、それぞれの空間をゆったりと見せていて、大人のフェアー仕立てといったところだろうか。
コレクター対象に初めの2日間だけが実質のアートフェアーで、後の1週間は出展者もいない展示会という形式をとったようだが、ブースにおいてある椅子などにも触るなと書いてあったり、キャプションも小さく、資料も置いてないで、一般の人には一寸偉そうという印象をもたれたのではないだろうか。

小谷元彦展は久しぶりに感動した。
その興奮がいまだ醒めやらずといったところだろうか。
日本人にこんなスケールの大きいアーティストがいたことに先ず驚かされた。
2年前に北京で彼の騎馬像の作品を見た時も度肝を抜かれたが、これほどとは思わなかった。
その時には食事を一緒にしたが、これだけのエネルギーを秘めていたとはとても思えない物静かな青年だったのだが。
写真、映像、立体、あらゆるジャンルの技術が完璧で完成度が高く、美しく、品格があって、それでいてダイナミックで見るものを圧倒する。
それぞれの部屋の空間構成も素晴らしく、空間一つ一つにときめきがある。
頭蓋骨、皮膚、毛髪、血液、骨、など生命に付随するものを主題に用い、実存しない、具現化出来ないもの・「幽体」の視覚化を試みてきたようだが、今後も留まることなく進化し続けるだろう。
見るものに生と死を問いかけ、人間の根源を考えさせる心に残る展覧会となった。

2月25日

台湾の著名なインテリアデザイナーで、コレクターとしても知られるデビット・タンさんから立派な画集が送られてきた。
「初心集・THE COLLECTION OF HEART」という170ページを超える画集で、コレクション作家9名の作品と、ご自分がデザインをした建物などが掲載されている。
そのうちトップのページから22ページを割いて、私共から購入した北村奈津子の作品や作品プランが紹介されている。
コレクション展が多い昨今だが、作品はいずれ相続や寄贈、売却などで手元から離れていくことになるが、こうした画集を作る事で永遠に自分のコレクションの足跡を残すことが出来る。
自身でデザインした表紙やタイトルもデービットさんの作品に対する温かな心が映し出されているようで、作家や私たちにとってはこんなうれしいことはない。

2月26日

チュニジア・エジプト・リビアと大変なことが起きている。
IT革命というが、ITが本物の革命を引き起こすとは思いもよらなかっただろう。
ツイッターやミクシー、フェースブックが民衆を動かし政権を倒すのだから。
先日読んだ「キュレーションの時代の」の受け売りだが、フォースクエア、フラッシュマーケティング、グルーポン、ピク、といった言葉を私たちおじさんはどのくらい知っているだろうか。
偶々、腐ったすかすかのおせち料理でグルーポンのことを知ったくらいで、それがどんなものかまでは理解していなかった。
これらは情報を共有するサイトだそうで、自分のたち位置を知らせたり、割引・特典情報の場となっている。
それはそれで今の時代を象徴しているのだろうが、顔を見せず、会話をすることもなく情報だけでつながり、連帯していくことが私には不安でならない。
今回のように民主化運動に繋がっていくのならいいが、大本営発表のように誤った情報を流すことで、民衆を蜂起させることも可能になる。
マスメディアから人と人の個の情報に大きく変革したが、本質を見抜くことなくネットにしがみついて連帯していくと、何のことはない元の木阿弥、大量に情報を流して大衆を動かすマスの情報時代となんら変わらない状況になってしまうのでは。
新たな情報革命についていけない年寄りの僻みかもしれないが。

追記
汐留ギャラリーハウス第一回のダイジェスト版が出来たので、興味のある方は下記にアクセスを。
http://bit.ly/fhNol3 #artweet

2月27日

またパソコンの調子が悪い。
起動するとサーバーが不気味な振動音を奏でたり、画面にも注意を喚起するような表示が常に出てくるのだが、原因がわからない。
先週もインターネットが繋がらなくなり、ルーターというのが壊れたらしく新しいのと取り替えた。
さてそれで直ったかというとそうでもなく、繋がったり繋がらなかったりで、パソコンのご機嫌次第となってしまった。
昔は電気製品や車は蹴飛ばしたり、叩いたりすると直ったものだが。

テレビでは盛んに地デジへの切り替えの案内を流している。
我が家も一台は地デジ対応テレビにしているが、さて寝室や子どもの部屋にあったテレビも替えなくてはならないが、ここでも?マーク。
アンテナも前のとは別のものを部屋に引っ張ってこなくてはならないのだろうが、それをどうやってやるのかわからない。
替えろ替えろばかり言わないで.、機械音痴の年寄りに初歩的なことだけでもテレビで表示してもらえないだろうか。
パソコンは無理としても、せめてテレビくらいは自分で何とかしたいのだが。

2月28日

昨日は春の陽気だったのに、今日はあられ混じりの冷雨。
画廊も閑散としている。
そんな中、木村繁之さんがテラコッタの素敵な作品を持ってきてくれた。
4月に開催される渋谷の文化村の立体展用の作品である。
端正な人物像は凛としていて気品がある。
5月には個展もあるが、8月のアート台北にも出品を予定している。
アートフェアーはどちらかというとインパクトの強い作品にどうしても眼が向くが、敢えて彼のような楚々とした作品を出してその評価を見てみたいと思っている。
私は受け入れてくれる予感がするのだが。

 

3月1日

今朝は途中下車して「シュルレアリズム展」を見ようと新国立美術館に向かったが何と休館日。
美術館は月曜日が休館日とインプットされていて、この前も同じようなことをしてしまい無駄足となったが、今日はお休みが幸いした。
画廊に戻ると久しぶりのお客様が次々とお見えになった。
折角来ていただいても、のんびりと展覧会を見てその後食事でもしていようものなら、お会いできないところだった。
人の流れというのは不思議なもので、昨日のように閑散としている日もあれば、いきなりお客様が重なる日もある。
以前の画廊は目の前に床屋があって、ここがお客で一杯になるときは、決まって私のところも忙しくなることが多かった。
仕事が違っても人の流れが同じになるのには何か法則でもあるのだろうか。
そんなことを書いていたら、偶然にも銀座のクラブのママさんから送られてきたメールに(下戸の私には無縁のところなのだが、営業用のメールがどういうわけか送られてくる)同じようなことが書かれていてびっくりした。
こちらはちゃんとデータを取っていて、それを生かしているのはさすが百戦錬磨の銀座のママさんである。
ちなみに彼女は休みの日には水戸芸術館のボランティアをしたり、瀬戸内国際フェアーなどにも出かける美術好きママさんである。(これもメールからの情報なので誤解なきように)

「ところで、最近気が付いたのですが、前にも書きましたように 「こ輪」には 創業以来11年間の日々のお客様のご来店記録が全て残っていまして、それによりますと毎年の同月同日(正確には同曜日)の、売り上げ金額 及びご来店組数は(当然個々のお客様は違いますが)例年ほとんど同じ傾向になっています。
昔から、2月・8月の商売は閑散と言いますが、月単位どころか 日々の単位での同傾向には正直驚いています。 お陰さまで最近では 盛況日と閑散日がほぼ予測出来るようになり、お店の運営上大いに役立っています。 これは 私共「こ輪」だけの法則なのでしょうか。 それとも 「パレートの法則(2:8の法則)」のような 経済学上の理論が何かあるのでしょうか。 どなたか教えてください」

3月2日

代々木公園の寒桜が満開となった。
まだ春には程遠い朝の寒さだが、ピンクに染まった樹の下では一足早い春を感じさせてくれる。

そういえば明日はひな祭り。
二人の娘も嫁いでしまい、毎年飾っていたお雛様も今年は出番がない。
長女の子どもは二人とも男の子、4月に生まれる予定の長男の子どももどうやら男の子のようで、とうぶんはお蔵入り。
先月の節分も恒例の豆まきは夫婦二人では盛り上がらないので止めてしまい、我が家もだんだん季節感が薄れていく。

3月3日

前にもお知らせした朝日新聞厚生文化事業団主催の「Next Art展」が明日4日から7日まで銀座松屋大催場で開催される。
選考された次世代のアートを担う若手作家の作品31点が展示され、入札方式(最低価格2万円)で販売され、売り上げは作家の創作活動と社会福祉事業に充てられる。
昨年GTUで発表した「うじまり」の作品も選ばれているが、さてどのような価格で落札されるのだろうか。

このように若手作家の発表の機会が増えているのは昨今の傾向だが、私のところも昨年の二紀展で眼にとまり、今年6月に個展をすることになった「佐藤未希」の作品が届いた。
偶然にも「うじまり」も「佐藤未希」も東北在住の若手作家で、最近は中央だけではなくローカルから前途有望な作家が多く出て来るようになった。
3月14日から始まる「VOCA展」も地方にいる作家にも眼が向くようにとの主旨から始まったもので、全国の学芸員やジャーナリスト、研究者の推薦によるものとしていて、地方美術界の活性化の一因となっているのかもしれない。

3月4日

今日は私の高校時代の後輩の故乃村義博氏のお別れの会に参列させていただいた。
乃村氏は店舗デザインの乃村工藝社会長として一部上場にまで会社を発展させた優秀な経営者であったが、病に倒れ享年61歳という若さでこの世を去った。
私はゴルフなどでのお付き合いしかないが、美術界にもかかわりが深く、多くの版画を制作し、版画普及にも多大の貢献をした。
会場の帝国ホテルには大勢の参列者が列を成し、故人の交誼の広さがうかがわれた。
入り口に「随所に主となる意欲」という乃村グループの行動指針が大書されていたが、この言葉は私が尊敬し心のよりどころとなっている方からいただいた言葉でもあり、胸に響くものがあった。

「随所に主となる」とは、自主独立の精神を説いたもので、『臨済録』という禅宗の教えからきている。
「なんじ、すべからく、随所に主となれば、たちどころに皆真なり」がそれで、「“独立者はどこに立っても周囲と調和していける」という意味である。
「かけがえのない存在(主)に なる ことを心がけよ」 という解釈も出来る。

私はどんな時にも、どんなところでも、どんな人も主であり、教えを請わなくてはいけないとも解釈し、自分を戒める言葉としている。
改めて乃村氏が残してくれた言葉として胸に刻み、自分の指針としていきたい。

ご冥福をお祈りする。

3月5日

春は名のみの風の寒さや・・・
今朝は0度、この時期としては24年ぶりの寒さだそうだ。

釜山からギャラリーウーの朴さんが来ていて、寒い中を朝から前橋の山本麻友香のアトリエを訪ねることに。
20歳過ぎのの子供さんがいるそうだが、30過ぎにしか見えない美人の画商さんである。
テグのアートフェアーで山本麻友香の作品を見て気に入り、作家にも会って何点か購入したいとやってきた。
彼女は作品を売るべく、お客様がスキューバーダイビングをやっていると聞くとそのライセンスを、飛行機の操縦が得意と聞くと、小型操縦士の免許まで取ってしまうという見かけによらない熱血ギャラリストである。
銀座に来るのも初めて、日本語は無論のこと英語も片言なのだが、それでも一人でやって来て往復5時間もかかるアトリエにも行きたいというのだから、その行動力には驚かされる。
彼女の爪の垢を煎じて飲まなくてはいけない。

3月7日

暖かかった日曜日と打って変わって、今朝は何と雪が降ってきた。
気まぐれ天気に振り回される。

昨日は成蹊大学体育会のヨット部の創立60周年記念の祝賀会があり、成蹊高校時代をヨット部で過ごし、私のように他大学のヨット部に進んだ仲間も招待され、懐かしい先輩や後輩達と会い、旧交を温めた。
練習風景、合宿所、インターハイや国体に出場した当時の写真なども紹介され、青春時代に一足飛びで戻ることが出来た。
大学を含めて7年間勉強もろくにしないで、真っ黒になってヨット一筋に明け暮れていた頃が懐かしく、ひたむきになれる時代を過ごしたことは何ごとにも替えがたい経験であった。

3月8日

また新たなアートフェアーが誕生する。
名古屋の松坂屋が9月にフェアーを企画し、実行委員として協力して欲しいとの依頼があり、その会議に出席した。
高島屋日本橋店、三越銀座店、西武渋谷店、東急文化村などが従来のアートだけではなく、コンテンポラリーアートに目を向け、新たな方向性を打ち出してきているが、その一連の動きに呼応した形で松坂屋も動き出したようだ。
有料入場の特別催事として企画し、25画廊が参加して4日間の会期で開催される。
百貨店ということもあって、参加画廊は公募をせずキャリアのある画廊に呼びかけることになるので、清新さはあまり期待できないが、大手百貨店が画廊名を表に出して催事を企画するのは極めて異例のことであり、その意気込みが伺える。
名古屋地区ではじめてのアートフェアーということと、集客力のある百貨店で開催されることから、その期待は大きい。

3月9日

今日から柳澤裕貴展。
一昨年、高崎市美術館で開かれた横田尚展の折に、アートショップで偶然見かけたのが彼の作品だった。
資料を見たい旨を伝えたところ、美術館で開催されたカタログを見せてもらったのが縁で今回の個展となった。
その前にもいくつかの海外のフェアーに出品したが、テグのアートフェアーではテグ市への寄贈作品に選ばれ、現在市長室に飾られている。
ソウルのフェアーでも人気を集め、彼の作品は写真撮られまくり状態で、韓国では絶大なる反響を呼んだ。
山本麻友香や夏目麻麦同様に画廊の隣りにあった藍画廊で発表をしていたようだが、その時には全く気づかなかったのだが、何か引き寄せられるものがあったのだろう。
これも偶然だが、金井訓志、山本麻友香、池田歩、横田尚、福島保典同様に群馬の作家で、みんなで群馬県展が開けるくらいである。
緑や青の寒色系を使うが、木漏れ陽が差し込む情景はぬくもりと長閑さを感じさせ、見るものの心を暖かくさせてくれる。
春には程遠い寒さが続くが、会場で一足早い春を感じていただければ幸いである。

3月9日・A

先日開催された朝日新聞のNEXT・ART展の落札の知らせがきた。
4点入札したが、1点だけ落札できたとのこと。
私どもで個展予定のウジマリの作品も気に入り入札したのだが、残念ながら不落札となった。
それでも他の方から高い評価をいただいたことは大変喜ばしいことである。
落札できた橋上ゆかりの作品も審査のときから気になっていたので、手元に来たのはとてもうれしい。
彼女の今後の活躍も期待しつつ、私のところでも何かご縁ができればと楽しみにしている。

アートソムリエ・山本冬彦氏のブログによると、31点に対し200以上の入札があったそうで、反響の大きさが伺える。
この企画を提案した山本氏ご本人も3点入札したそうだが、すべて不落札となったそうで、残念な思いと同時にこの企画が成功しことを大変喜んでおられるようだ。
フレッシュな企画と朝日新聞の発信力、そして松屋銀座店のの集客力がこうした結果に結びついたのだろう。

3月10日

メディアも政治家達ももういい加減あら捜しや足の引っ張り合いをやめたらどうだろうか。
こんなことばかりしていたら、国民はみな政治に嫌気がさして、虚無的な状況が生まれてしまうのではと心配する。
国が疲弊している今こそ、自分を捨て、国の為、国民の為の政治家が一人でも出てくることを願う。

3月11日

台湾のデザイン系の雑誌「DPI」が日本人作家特集「CHARISMA OF JAPANESE ART」を刊行した。
奈良美智やタカノ綾、川島秀明、日野之彦、池田学、渡部満、山本タカトなどの人気作家35名と共に、私共から綿引明浩、森口祐二が選ばれ、それぞれカラー図版6ページにわたって紹介されている。
更には本来の雑誌「DPI」でも門倉直子が表紙を飾り、紙面でも大きく取り上げられ、5月に開催される台湾でのアートフェアー「ヤングアートタイペイ」の格好の前宣伝となった。
選ばれた作家達を見ると日本のアートシーンを見事に抽出していて、台湾での日本アートへの関心の深さがうかがえる。

3月12日

皆さん地震の被害は大丈夫だったでしょうか。
被災に遭われた方には心よりお見舞いを申し上げます。
画廊は入り口のガラスが割れたくらいで、作品は無事でした。
交通がストップし、首都圏の方は帰宅に大変なご苦労をされたのではないでしょうか。
私は自転車で何とか夜中に家にたどり着くことができました。
画廊はスタッフが泊り込んでいますので、 今日も通常通り営業をいたします。
まだ余震が続いていますが、皆様お気をつけくださいますように。

3月13日

被害の大きさ、目を覆うような惨状に言葉もない。
なくなられた方には心からのお悔やみを申し上げるとともに、一人でも多くの命が助かるよう祈るばかりである。
強い余震の予想や計画停電、交通混乱、放射能漏れと不安なことだらけだが、みんなで力を合わせ苦難を乗り切るしかない。
知人や作家さんからも美術の力で何かできることはないかとのメールが入っている。
地震の当日、徒歩で帰宅する人たちのために、多くのお店がトイレをお使いくださいとの掲示を掲げていた。
日本人のお互いを思いやる気持ちがこんなときに発揮できることを誇りに思う。
海外からも心配や励ましのメールがたくさん入ってきていて、隣人の暖かさも身にしみる。
今日は組合の理事会、臨時総会を開く予定だが、ここで義捐金など無事でいられた私たちができることを提案したいと思っている。
今後も何が起きるかわからないが、十分な備えをして先ずは身の安全を図り、その上で助け合いの精神で国難を乗り切らなくてはいけない。

3月14日

組合の理事会、総会出の議決には過半数の出席が必要で、その成立が心配されたが、大阪・名古屋の画廊が多数出席してくれたお陰で滞りなく終了した。
提案した義捐金の件も了承され、組合員一同の思いが復興に役立つことが出来れば幸いである。

画廊は2時過ぎに閉めることにして、余震に備えその準備に追われた。
ただ、停電の情報が錯綜し、荒川区を除く22区が停電の域外ということだったのが、中心地区だけになったり、第1グループの停電がなくなり電車が動くとの情報が入ったり、またなくなったりで、振り回されっぱなしの一日となった。

余震情報も震度7以上が70%の確立で来るという気象庁の発表で、絵をおろしたり、倉庫や本棚にテープを張ったり、食器を片付けたりでおおわらわだったが、何のことはない震度5で確立40%に変わってしまった。
家でも割れ物を片付けたり、ひざの高さ以上のものは全て床におろしたりと引越し状態となったが、デマ情報ならともかく公式な情報だけにいい加減にして欲しい。

緊急時だけに気持ちはわからないではないが、人の危機感をあおったり、交通網を混乱させるような情報は慎重にしていただきたい。
特に計画停電は4月末まで続くということなら、1,2日は慎重に区域分けや交通機関の運行調整の時間を与えるべきではなかっただろうか。
節電の呼びかけで、それぞれが非常事態ということで協力するはずなのに、いきなり地区分けをしたり、変更したりではこれまたいい加減にして欲しい。

多くの人が仕事に影響するだけに、政府も東京電力も、気象庁も指揮系統をしっかりしてもらい、今後に備えて欲しい。
被災をした方々に比べれば些細なことかもしれないが。

明日も画廊は開けることにするが、展覧会を見ていただく状況ではないことをお許しいただきたい。

3月15日

今日一日スタッフは自宅待機とした。
一日英気を養い、不安を取り除いて明日から通常通り出勤してもらう。
今画廊が唯一できることは、一人でも多くの人に作品を見ていただき、心の癒しにつなげることだと思う。

あるラジオ局は地震情報をストップして「上を向いて歩こう」などの音楽を流したという。
テレビを見ていると四六時中悲惨な状況が映し出され、不安な気持ちが更に倍化され気分がふさぎがちになる。
正しい状況を知らせる情報は必要だが、教育テレビぐらいは気持ちを安らげる映像や音楽を流してはどうだろうか。
悲惨な現状を見せたり、評論家たちが状況を分析したり批判するのは時間を経てからいつでもできることで、先ずは気持ちを和らげ、奮い立たせることが何より必要だと思う。

明日から展覧会を再開します。
停電や交通の乱れなど混乱はありますが、画廊は一日開けて皆様をお待ちしています。

3月15日―(2)

大阪の画廊さんが懐中電灯送ってきてくれました。
宮崎の長男の嫁の実家からヘルメットと乾電池が送られてきます。

向かいのラーメン屋が5周年記念で本日5円ラーメンの日だけど、もし良ければ通常のラーメン代を義援金にと言われて感動。
鼻水か涙かわからないままラーメンすすりました。

ワンピース倶楽部の石鍋さんに寄せられたメールにもこんな感動的な話が一杯。

■外国人から見た日本
* 国連からのメッセージ
国連からのコメント
「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。
今回は国連が全力で日本を援助する。」
に感動した。

* 外国人から見た日本人
外国人から見た地震災害の反応。
物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て外国人は絶句したようだ。

* BBCの報道
「地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。
その力や政府が試される。
犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力がある。」

* ドイツ人の友達
ドイツ人の友達が地震が起きた時に渋谷に居て、
パニックになっていた所を日本人に助けてもらったらしく、
その時の毅然とした日本人の態度や
足並み乱さずに店の外に出てやるべきことを
淡々とこなす姿にひどく感動し、
まるでアーミーのようだったと言っていた。

* ローマから
ローマにいる友達からメール。
ローマの人々はニュースを見ながら
このような状況でも冷静に対処する日本人に感動し、
尊敬の念を覚えながら、非常に心配しているとのことです。

■すごいぞ、日本人!
* ディズニーランドでの出来事
ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて
「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、
避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった

* 渋滞した交差点での出来事
一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、
誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。
複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、
10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。
恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。

* 日本人の良さを再認識
この地震が、きっかけになって、失いかけていた日本人本来の
良さが戒間見れた気がする。
犯罪はする様子はなく、助け合い、律儀、紳士的。
普段日本人は冷たい人が多い...。
って個人的に感じてるんだけど、
多くの人が今回で「絆」を取り戻しつつあるように見えて、
それがなんか感動して、泣けてくる。

* 段ボールに感動
ホームで待ちくたびれていたら、
ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。
いつも私達は横目で流してるのに。
あたたかいです。

* 整列する日本人
日本人すごい!!こんな時にも山手線ホームできれいに整列してる ...涙。
有楽町駅を上から眺む。
写真をご覧ください↓
http://twitpic.com/48kn1u
この写真を受けて。。。
*オーストラリアの義父から、
「友人たちに、"驚くに値しない。
日本人はいつもこうだよ!"と自慢しているよ。
ウチの息子の嫁になってくれてありがとう。」としみじみ言われました。

* 日本ってすごい
日本って凄い。官僚も民間も、皆で助けようとしてる。
トラックの運転手も有志で物資運んでるらしいし、
東北の交通整備をヤクザさんがやってるという話も聞いた。
最近、日本に対して誇りを持てないことが続いていたけれど、
そんなことない。日本は凄い国だ。素直に感動してる。
日本国の皆さん頑張ろう!

* バイクでよければ
僕は感動しました。
バイトの先輩が1人でも救うために寒い中紙に
「バイクでよければ送ります」と書き駅前で掲げ
鳶職のお兄ちゃんを所沢まで送ったそうです。
世の中まだ捨てたもんじゃないなって思いました。
本当に尊敬です!!
自分もなんか人の役に立ちたいと生まれて初めて思いました。

* 開放
昨日、歩いて帰ろうって決めて甲州街道を
西へ向かっていて夜の21時くらいなのに、
ビルの前で会社をトイレと休憩所として解放してる所があった。
社員さんが大声でその旨を歩く人に伝えていた。
感動して泣きそうになった。
いや、昨日は緊張してて泣けなかったけど、
今思い出してないてる。

* コンビニ
停電地区のほとんどの店が店を閉めてる中、
あるセブンイレブンが店内陳列棚にいくつもろうそくを置いて、
営業をしていた。
レジが使えないため在庫確認用のハンディで
値段確認し読み上げ、もう1人が電卓で計算、
もうひとりが懐中電灯で照らす。
その状態でレジ2台稼動させていた。感動した。

* 呼びかけ
何時間も歩き続けてたんだけど、
至る所でトイレかしますとか、休憩できますとかいう
ビルや飲食店が沢山あって感動しました。
とある企業ビルの人がボランティアで、
○○線運転再開ですー!とか、休憩できますー!!って
呼びかけてるの見て感動して泣きそうになった
マジで日本も捨てたもんじゃないな

* ホームにて
都営大江戸線の光ヶ丘方面行きは、非常に混雑しています。
ホームにも、改札の外にも、電車を待つ溢れんばかりの人。
でも、誰一人列を崩さず、通路を開け、係員の誘導に従っている。
ロープがあるわけでもないのに、通る人のための通路スペースが。
その不自然なほどの快適さに、ただただ感動するばかり。

* 献血の列
日本は強いです!大阪難波の献血施設は
被災地の方の為に超満員の順番待ちでした。
私欲の無い列を初めて見ました。感動しました。
被災地の方々、全国でその辛さを受け止めます。
諦めずに頑張って下さい!

* 買うのやめるわ
バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、
その中の一人が「やべえ、オレお酒のためにしか
お金持ってきてないから募金できん。
ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品して
そのお金全部募金してた。
お友達も続々と募金しててすごい感動した。 すごいよ

* いつでも買える
今日、募金箱に金髪にピアスの若い兄ちゃんが
万札数枚入れていた。
そしてその友人に
「ゲームなんていつでも買えるからな」
と言っていたのが聞こえて私含め周りの人達も
募金していた。
人は見た目じゃないことを実感した。そんなお昼でした。

最近日本につくづく嫌気がさしていたけど日本人見上げたものです。
日本人であることを誇りに思います。
石原知事もこのメールをよく見ていただきたい「どこが我欲ですか」

3月16日

頑張って開けたけどお客様は今のところ零。
高崎から苦労して来てくれた作家の柳澤氏にも1000年に一度という大災害がこの時にぶつかってしまったのだからお気の毒としか言いようがない。
この時のために一生懸命描いたわけで、誰も見に来ないでは拍子抜けもいいところだろう。
でも描いた作品は消えるわけではなく、発表の機会も全く無くなる訳ではないので、いずれまた日の目を見ることはできる。

実は地震の当日、大揺れの最中に熱心に作品を見ていた方がいた。
あまりの揺れに外に出ましょうと声をかけ、いったんは外に出たのだが、揺れが小さくなるとまた画廊に戻られ、こちらが慌てふためいている最中にこの作品をいただきますと言って帰って行った。
大物といったらいいだろうか、物に動じず作品を眺め買っていかれるのだからたいしたものである。
こんな奇跡的なことも起こるのだから、たった一人でも見に来てくださる方のために画廊は開けておかなくてはいけない。

3月18日

朝、家から徒歩で松涛のお客様のお宅に伺い、その足で文化村ギャラリーに向かう。
今日から立体ぶつぶつ展が始まり、私共からは木村繁之、北村奈津子、高木まどかが出品している。
この時期に平面ならともかく立体の展覧会の開催には主催者側も逡巡したと思うが、開催の決断を下したことに敬意を表したい。
このために制作をした作家、楽しみにしていたお客様のことも考え、踏み切ったと思われるが、さあ展示が尋常ではない。
倒れないよう、壊れないよう、滑り止めをつけたり、テグスでひっぱたりと私が行った時はその準備におおわらわであった。
興味深い作品が多く、こんな大変な時だが是非ご覧いただき、ふさぎがちな気分を一新していただきたい。
無論その足で私共にもお越しいただければこの上ないことである。

3月19日

昨日からは打って変わってたくさんの方に来ていただけるようになった。
家に籠もってばかりではストレスが溜まるのだろうか。
美術好きの人はそろそろ禁断症状が起きてきたのかもしれない。
その上作品を購入していただく方もいて、ひたすら感謝である。
スーパーに必要以上のものを買占めに走る人もいれば、悠然と絵画を買われる方もいる。
人それぞれだが、器の違いだろうか。

話は違うが空気を読めない話をいくつか。

義援金の手続きをしようと郵便局に行くと身分証明書の提出を求められた。
悪いことをするわけでもなく、あまりに杓子定規過ぎはしませんか。

文化村ギャラリーに寄った後、ザ・ミュージアムの展覧会を見に行ったが、入り口で地震のため夕方5時に閉館しますのでご了承下さいと言われた。
昼前の11時過ぎに入ったので、思わずそんなに長くは見ていませんと言ってしまった。

弟の嫁が日本橋のよく知られる喫茶店でお茶を飲んでいて地震に遭遇した。
一斉にお客さんがお店から出ようとすると、そこの主人が金を払ってから出て行けと言ったそうだ。
あの店は絶対つぶしてやると嫁は怒っていた。

3月19日―(2)

私共でこの秋個展を予定しているうじまりさんから次のようなメールをいただいた。
被害にあった仙台から挫けず、めげずこうした声が上がることは不安な日々を過ごす被災者の方々に何よりの励まし、勇気づけになるのではないでしょうか。

仙台のうじまりと申します。節電のため、一括での送信で失礼致します。
世界の皆様が節電し、被災者を思ってくれている気持ちをより被災者に届けるため「北斗七星プロジェクト」を立ち上げました。
以下文章を各報道機関に掲載、メール転送、ツイッターやブログに転載、口コミ等で広めていただけましたら幸いです。
もしご賛同いただけましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。

うじまり

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福島原発の問題が解決するまで毎夜、みんなで暖房や電気を消して、北斗七星に祈りを捧げてみませんか?
みんなで電気を消せば、街中でもきっと星が見られるよ。

方角や春の星座を知る手がかりになる、北斗七星に祈ろう!
「行方不明の方が見つかりますように」
「孤立した方が、生きる道を真っ直ぐ見続けられるように」
「亡くなった方々が、迷わず天に行けますように」

「ひしゃく」「お鍋」「フライパン」にそっくりな、北斗七星に祈ろう!
「石巻、東松島のみなさんが、早く温かいものが食べられますように。

福島原発からもれた放射線から逃れるため、避難所にいる方々へ。
「今日もきれいな星空です」
「世界のみんなが、星空に祈っています」
「大丈夫、世界のみんなが祈っています」

たまには外で星空を見上げ、冷たい空気を感じてみよう。
寒空の下、大切な人と身を寄せ合ってみよう。
暖房を切って、おふとんの温かさを感じてみよう。

あなたのその行動が、みんなの幸せにつながります。

世界のみんな、今夜は電気や暖房を切って北斗七星に祈ろう!
「石巻や東松島の方々へ、早く物資が届きますように」
「福島原発の問題が早く解決しますように」

私は今日も仙台の空の下、北斗七星に祈ります。
皆様もご賛同いただき、、福島原発の問題が解決するまで北斗七星に祈っていただけましたら幸いです。

2011年3月 仙台市青葉区より
うじまり
http://ujimari.web.fc2.com/

3月20日

被災地に近い方からいただいたメールにこんな言葉があった。

私たちも、そろそろ“方丈に身を休め、粗飯で…”
過剰だったものを剥いで、本当に私たちの大切なものを考える時です。

未曾有の災害に遭遇し、眼を覆うような惨状に私たちは打ち震えている。
それでも挫けていては始まらない。
無事でいられた私たちは犠牲になられた方々に報いるためにも、何かを考え、何か行動しなくてはいけない。
物資を送る、義援金を募る、私たちも先ずそう考え、実行した。
でもそれでいいのだろうか。
無力な私たちが今出来ることは祈り励ますことしか出来ないが、文明に酔いしれ平和ボケをしていた私たちはこの機会に今一度原点に戻らなくてはならない。
振り返れば、あの悲惨な太平洋戦争で今以上の尊い命が奪われたが、その多くの犠牲の上に今の日本の平和・繁栄が築き上げられた。
今度は私たちが将来の日本・子ども達のためにも何が大切なのか、何をすべきなのか、自分自身に問いかける時ではないだろうか。
そうでなくては犠牲になられた方が浮かばれない。

3月22日

仙台にいるうじまりさんから作品が届いた。
5月のヤングアートタイペイ用に描いた作品である。
地震でめちゃくちゃになった家の中で奇跡的に無事だったという作品だそうだ。
被災地の中で、アーティストとして頑張っている彼女に心からのエールを贈りたい。
そんな思いを込めたメールをうじまりさんに送った。

うじまりさん

無事作品が届きました。
頑張ってますというメッセージが伝わってくるような作品ですね。

まだ避難所生活が続いていますか。
大変な時に作品を送っていただいて感謝します。

斗七星プロジェクトも本来は私たちがみなさんを勇気付けなくてはいけないのに、うじまりさんが先頭に立ってやられていることに敬意を表します。

チャリティー展をやってほしいとの声もたくさん届いてます。
それぞれの思いで物資やお金を送ることはいいと思いますが、私は少し違う考えでいます。

アートを見ることで心が安らぎ、元気をもらう、それが本来のアートの役割ではないでしょうか。
被災された方や先行き不安な方に、励まし、勇気を与え、気持ちを奮い立たせる、そんなアートを見てもらうことが、作家と私たち画廊の役目だと思っています。

チャリティーを前面に出すのではなく、作家の皆さんにそれぞれのメッセージ、思いを込めた作品を描いてもらって、その気持ちがアートを通して被災した方たちに伝わるそんな展覧会ができたらいいなと考えています。

その結果がチャリティーに繋がればそれはそれで素晴らしいことと思います。

その時はまた協力してください。

3月23日

展覧会延期、オークション延期、イベント延期と次々に震災に関連して開催予定がなくなっていく。
そんな中、東京アートフェアーの延期の知らせが届いた。
会場の国際フォーラムが被災者受け入れ施設に指定されての措置のようだ。
私のところは参加しないので影響はないが、春の一大イベントがなくなってしまったのは寂しい。
そのために準備していた画廊、作家の人はさぞかしがっかりしていることだろう。
雑誌なども既に特集記事などを組み、出展画廊も広告を出すなどその影響は大きい。
せめて私のところは展覧会を続けていくことで、アートの光を灯し続けたい。

3月24日

シドニーにいる長女が来月孫達を連れて帰省予定だったが、大使館から日本への渡航を控えるようにと通達がきたという。
丁度こんな時だし、無理しないでいいと伝えようとしているところだったが、海外の過剰反応にも驚きである。
ついこの前まで中国など海外の観光客で賑わっていた銀座通りも灯が消えたような淋しい風景になってしまった。
おそらく観光客はキャンセル続出に違いない。
映画やコンサート、スポーツイベントも中止、私もいくつかあったゴルフコンペや楽しみにしていた高尾山ハイキングも取りやめ、その上昨年から通いだした料理教室まで当分お休みだそうだ。
テレビをつけてもコマーシャルも自粛だそうで、公共何とかが繰り返し映し出されると、うるさかったコマーシャルが却って懐かしくなるから不思議だ。
何だか日本全体が萎縮してしまったようで、元気を出そうと思っていても、拍子抜けといったらいいのだろうか気持ちが空回りしてしまう。
ものには限度があり、一億総自粛では不安を打ち消すどころか、かき立ててしまうのではと逆に心配になる。
余震や放射能漏れと不安はあるが、来るものは防ぎようがなくこれも運命と開き直って日常を続けるしかない。

3月25日

ガソリンスタンドを見ると長蛇の列、スーパーの棚のトイレットペーパー、電池やらはみな空っぽ。
昨日の浄水場の水が汚染されたとのニュースで、あっという間にミネラルウォーターが売り切れたという。
確かに幼児を持つ母親は不安で水を買うのはわかるが、そうでない人まで買占めに走る。

読売新聞のコラムにこんなことが書かれていた。

この地震を境に日本人が変わったとすれば、他人の苦痛に心を寄せ、より小さな自分の苦痛に耐えるすべを学んだことかもしれない。
幼児以上は飲むことができ、洗濯も入浴も問題ない。
福島には東京の2倍の濃度の水道水が検出されたところもある。
断水で空を仰ぎ、降る雨水で顔を洗った被災者のことを思えば、まだしも恵まれた不便である。
不要な買いだめをして、本当に必要としている人を困らせるようなことはすまい。
せめてほんの少し、人に優しくなり、自分の痛みに強くなられば、亡くなった方々に合わせる顔がない。

3月25日―(2)

日本の土木学会の会長をしている家内の兄が地盤工学会、日本都市計画学会の各会長名で共同の緊急声明を発表したので一文を紹介する。

「東北関東大震災ー希望に向けての叡智を」

哀悼の意など前文略・一部省略

現在被災地において、寒さと生活物資の不足に苦しみながらも雄雄しく立ち上がろうとされている被災者の皆様、それらの人々を支えて苦闘されている方々、特に原子力発電所において被害の拡大を防ぐため、自らの身の危険も顧みず献身されている方々に対し、満腔の敬意と連帯の思いを表したい。

われわれ国土や都市及び社会基盤を専門とする技術者・計画者として、その列に加わり、この難局に立ち向かいたい。
このたびの震災は近年のわが国にとって例を見ない特徴を有し、広域、大規模、壊滅的地域の存在、そして原発事故による状況の悪化である。

これに対し、われわれ技術者・計画者集団として、まずは震災の調査分析及び今までの対策の再評価である。
それはより信頼性の高い基準や指針の構築につながるものである。
次に急がれる緊急復旧への実行性のある提言及び安心して住める街と国土経営の体系の構築という恒久復興への提言、国土の危機管理を念頭に置いた社会システムの再編などである。
それは、やがてわが国を襲うことが予想される東海、東南海、南海地震など巨大地震への備えとなるべきものである。

今回の震災が想定外と言われるが、われわれ専門家がこの言葉を使うとき、専門家の言い訳や弁解であってはならない。
このような巨大地震に対し、自然の驚異に畏れの念を持ち、ハード(防災施設)のみならずソフトも組み合わせた対応という視点が重要でであることを改めて認識すべきである。
当たり前のように享受してきた、電力、輸送体系のマネジメントシステムの見直しも取り組むべき課題である。
そして、何より皆が待ち望む力強い地域の再生を実現しなければならない。

被災地にも、徐々にではあるが、復旧、復興の兆しが見え始めたが、途は遠い。
しかし、乗り越えられない困難はない。
被災者の皆様の悲しみに寄り添い、われわれ技術者・計画者集団、関連する学協会も、その叡智と経験を結集し、手を携えて難局に立ち向かいたい。
それらの営為がやがて希望につながると信じる。

一日も早い専門家集団の総力を挙げての復興への助力を望む。

3月26日

今日から夏目麻麦展が始まる。
3回目の個展となるが直前が震災の影響もあって、最後の仕上げには苦労したのではないだろうか。
余震や停電でしばしば制作が中断されたり、気持ちも集中できないときがあっただろうが、目を見張るような作品が届けられた。
何度も何度も塗り重ねられた彼女独特の深く味わいのあるアルマティエールは、より密度を増したようだ。
軽い絵が大きな流れを占める中にあって、彼女のような重みのある絵画は貴重である。
塞ぎがちなこの状況下にあって、彼女の絵が少しでも見る方の心に灯りをともすことができたら幸いである。
ご高覧を切にお願いする。

3月27日

金曜日、日本橋のロータリークラブの依頼で講演をさせてもらった。

大学のヨット部の先輩がここのメンバーで、偶々テレビで私が出演した番組を見て、現代アートの話は面白そうなので何か話せとのこと。
40年を過ぎても、大学の先輩後輩の序列は未だに変わらず、先輩命令とあっては致し方ない。

アカデミックな話よりは、アートビジネスのような生臭い話のほうが皆さん興味を持つのではと、「アジアン・アート・マーケットの隆盛」みたいな話を用意していたのだが、この震災である。
こんな時にアートバブルの話でもないので、急遽テーマを変えて「今、このときの文化の役割」と題してお話をさせていただいた。

30分という限られた時間もあって、どのくらいわたしの意とするところが伝えられたかはわからないが、少しでも塞ぎがちな心が晴れてくれればいいのだが。

来月は同じく大学のヨットの先輩・後輩がいる横浜のロータリークラブから講演を頼まれているが、偶々ここの先輩は前田青邨や小林古径のパトロンだった原三渓の曾孫ということもあり、いい加減なことは話せない。

因みに先輩は原三渓の屋敷跡を公園にした三渓園にある懐石料理「臨花苑」の経営者で、美味しい料理に舌鼓を打ちながらのお花見などこれからが絶好のシーズンである。
震災の心の傷跡を癒しに是非お出かけいただきたい。

3月28日

今日も私が入っているロータリークラブで震災の義援金を送ることになったが、こんな意見があった。
多くのお金が送られていることと思うが、この混乱の中では何が必要か、まずは何から手をつけていいのかさっぱりわからない状況である。
もう少し目に見えるお金の使い道が出来ないのだろうかと。

私も自分で何が出来るかわからないが、私共に関係している作家さん達に呼びかけ、7月に展覧会を開くことにした。
三日間しか日程が取れないが、それぞれが被災した人への励ましのメッセージとなるような作品を描いていただこうと思っている。
出来れば、おじいちゃんやおばあちゃん、親や兄弟や友達、先生を失った子ども達、家や学校や遊び場ががなくなってしまった子ども達、絶望の淵にいる子ども達に勇気を与え、希望のともし火が宿るような、そんな作品を並べてみたいと思う。
それには関係する作家さんの絶大なる協力が必要となるが、そうした作品を見てもらうことで、作家達の思いを直接伝える手段にはなれるといいのだが。
もし可能であれば、少し落ち着いた時期にもう一度被災地のどこかでも展示をしてみたい。

明日にでも作家の皆さんにお願いの手紙を出そうと思っている。

3月30日

先の日記でチャリティーのあり方や義援金の行き先の考えを述べさせていただいたが、アートソムリエの山本冬彦さんの考え方も同じような思いを持っておられるようだ。
アートで元気づけようと思う気持ちは美術関係者がみな思っていることだろうが、応援する気持ちをそれぞれの相応しいところに送ることが出来るのならより有効な支援になると思う。
企業メセナ協議会に送ると被災地の文化関連事業に使われることも山本さんから教えていただいた。
こんな事を言ったら怒られてしまうが、お金を送ることだけに満足するのではなく、思いが通じ合うところに送られ、痛みや喜びを分かち合うことが出来ればよりすばらしいことのように思う。

山本冬彦さんのブログより

●漠然と「売り上げを義捐金にする」ことしか決めていませんが私としては、以下のように考えています。皆さんの意見もお聞かせください。

・コレクターについては、所蔵品を無償で提供し販売額全部を義捐金にすること。中にはどさくさにまぎれて所蔵品を処分していくらかのお金をもらいたいと言う人もいるかも知れませんが、それは許したくないと思っています。
・作家についても基本的にはそうしたいし、そうして頂ける方にお願いしたいと思っていますが、彼らには作品は生活の糧でもあるので、一定の割合で還元することも考えるべきかと思います。
・場所の提供をいただく画廊さんについても作家と同様ですが、通常営業をやめて一銭にもならないことに会場を使用し、手間も有りますので、一定の手数料のようなものを考えてはと思っています。

 また、義捐金の送付先ですが、集めたお金を赤十字や新聞社などを通して、漠然と一般的なところに使われるのではなく、せっかくアート関係で集めたお金ですので、文化・芸術関係に指定してはと思っています。このような災害時に一番後回しにされるのが文化芸術ですが、このような時にこそ文化・芸術の力になりたいと思っています。

企業メセナ協議会 
http://www.mecenat.or.jp/

3月31日

今日で3月も終わり。
東京でも開花宣言が聞かれ、散歩に行く代々木公園の桜も少しづつだがほころび始め、ようやく遅かった春の気配を感じさせてくれる。
被災地にも春がやってくれば、温かな風が体を包み、桜の花に心も和ませることができるだろう。
この3月の悲しみが深く私たちの心に刻まれることになってしまったが、一日も早い春の訪れで辛さ、悲しさを消し去ってくれることを願う。

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