Diary of Gallery TSUBAKI

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7月1日

まだ一ヶ月先のことだが、コレクターの集まりである美楽舎恒例のマイコレクション展の案内状をいただいた。
8月1日から7日までギャラリー日比谷で開催されるが、鈴木忠男コレクションの中から私どもの作家・夏目麻麦と堀込幸枝が出品される。
8月1日日曜日は私共のオークションの最終日と重なるので、是非両方掛け持ちで来ていただきたい。
美楽舎、わの会、ワンピース倶楽部などコレクターの会は盛んに活動を続けていて、新たなコレクター層の掘り起こしに、大いに貢献していただいている。

7月2日

今日から韓国テグ市でテグ画廊協会主催のホテルアートフェアーが開催される。
11月に開催されるアートフェアーのプレビューとして急に決定したようで、何とか一軒でも日本の画廊が出てくれないかとの要請があり、私共が急遽参加することになった。
東京、大阪、京都、香港、台北、ソウルとホテルフェアーも大流行だが、人で溢れかえるところと閑散としているところと両極端で、果たしてテグはどうだろうか。
思うに、地元にに根付いた人が中心になって動かないと多くの集客は望めない。
東京のニューオオタニや香港のフェアーがいま一つだったのは、韓国のギャラリーが主催者で、メディアや地元の画廊への根回しがうまくいっていなかったようだ。
急な参加で多くは期待しないが、テグの画廊協会が熱心に動いてくれることを祈る。

7月3日

京橋界隈のパンフレットを参加画廊が手分けして、近隣のレストランやショップ、美術館など既に70箇所に置かしてもらっている。
次々とメールで各画廊から配布先の知らせが届いていて、こんなところが置かしてくれるんだと驚いたり、こんなところもあったんだと気づかせてくれたりで、皆さん暑いのに頑張っている様子がよくわかる。
パンフレットとは別に、「ART Walking Map」が出来上がってきた。
京橋界隈加盟画廊の紹介と、周辺地図、美術館の案内、地下鉄路線図などが掲載されていて、イベントが終了しても皆さんに利用していただけるようになっている。
日本語だけではなく、英語、中国語での画廊紹介をするなど時代にも対応し、海外の富裕層の必携MAPとなってくれるといいのだが。
京橋界隈前日には街頭に立って、画廊MAPが載ったうちわも配ることになっていて、サッカー日本代表ではないが、チームワークよろしく参加画廊いちがんとなって9日からの京橋界隈展に備える。

7月4日

大阪発の季刊美術雑誌に「美術屋・百兵衛」という雑誌がある。
500円と言う定価の割には200ページを超える盛りだくさんの内容で読み応えがある。
地方の「面白いに」に出会う一冊・全国津々浦々の美術から美食までと銘打っているように、日本各地の文化を取り上げ、美術評論家の連載コラムも肩の凝らない平明な文章で興味深い。
その中でも、瀬木慎一氏の「現代美術市場白書」は私共にとっても関係があるだけにいつも真っ先に読んでしまう。
他にもワシオトシヒコ氏の「読解絵画鑑賞講座」、林紀一郎氏の「戦後の巨匠」、中野中氏の「上野の森の12の物語」など楽しみなコラムが多い。
特集も長崎、次に石川と来て、この春の13号は新潟文化考となっていて、後30以上の県が残っているが、全巻揃うのを楽しみにしている。
東京ではあまり知られていないようなので紹介させていただいた。

7月5日

参議院選挙も後一週間となり、マイクの声も一段と高くなってきたようだ。
各党のマニフェストや政見放送も聞かせてもらったが、残念ながらどの政党にも文化の「ぶ」の字も見当たらない。
財政再建、行政改革、消費税、福祉、教育、基地、どれも大切だが、僅かでもいい文化振興、芸術支援に触れてもらえないだろうか。

先日、アートソムリエの山本氏から「諸外国の国家予算に占める文化予算の割合」「GDPに占める寄付(文化芸術以外を含む)の割合」というデータをいただいた。
それを見ると、2008年度の文化予算ではフランスが日本の7倍、ドイツ3倍、イギリス2倍、お隣の韓国が6.5倍となっていて、アメリカだけが日本の1/4だが、寄付で見ると日本の11倍、イギリスが5.5倍となっている。
文化予算が少ないアメリカ・イギリスは美術品の寄付に対する優遇税制があるため、寄付の割合が大きくなっていることがわかる。

フランスは(VAT)という付加価値税は約20%と高いが、美術品には軽減税率が適用されて5,5%となっている。
フランスでは1996年から本格的導入をされたが、文化、社会的課税(本、美術品、CD、食料品、薬など)は軽減税率が適用されている。
イギリスは美術品の相続には一代飛ばしと言う制度がある。
韓国では相続時に美術品だと控除が受けられ、香港は相続税がゼロである。
このように先進諸国では概ね予算で取るか、税で優遇するかで文化支援をしている。
稼ぐ人にはうんと稼いでもらったうえで美術品を購入してもらい、その代わり税で優遇して、文化遺産を残すと言った考え方なのだろう。

今の政権の考え方はみんなで仲良く貧乏になろうと言う社会主義的傾向にあり、格差社会の是正を声高に叫ぶが、一生懸命働いて頑張った人と働く意欲を失った人とが同じでは、逆に勤労意欲がなくなり、ひいては国家の衰退に繋がるのではないだろうか。
有益な働き手、優秀な頭脳や技術を持った人間、優良な企業は、このままではそれに報いる国にみんな出て行ってしまうことになる。
うんと稼いだ人が文化や環境、科学振興、医療、福祉などに寄付をし、その分税制では優遇する仕組みに変えていかないと、資源のない我が国は諸外国からあらゆる分野で遅れを取るのは目に見えている。

選挙のための政策ではなく、文化を含め将来の国のあり方に言及してくれる政党があれば、私は間違いなく一票を投じる。

7月6日

韓国・Kオークションの常務の李さん、日本担当の朴さんが訪ねてきた。
韓国の景気はだいぶ良くなっているようで、KIAFが開催される秋頃にはもっと良くなっているだろうとのこと。
KIAFにも日本の画廊が多数参加することになっていて、韓国景気にあやかることができるだろうか。
8月の台北のフェアーにもミズマや小山を始めとして、今まで参加しなかった日本の画廊が多数出展することになっていて、どの画廊もますますアジアにシフトを変えてきたようだ。
アラリオ、カイス、ガナ、バクといった韓国の大手画廊も今回台北に初参加する。
面白いのは北京や香港の画廊が参加しないことで、自国で充分ビジネスができるということだろうか。
逆に20軒を超える日本の画廊が台北に参加するのはその裏返しということになるのだろう。

7月7日

テグのホテルフェアーに行っていたスタッフの諸田と応援に行ってくれた元スタッフの伊藤が無事帰国。
経費節減、全ての出品作品は手持ちで行ってもらった。
ところが チェックインの折、大きな荷物は乗せられないと一悶着あったらしいが、何とかクリアー。
航空会社によって違うのか、香港の時はもっと大きな荷物だったが何も言われなかったのだが。
フェアー自体は急な企画で出展画廊も20数軒、カタログも作らず、前宣伝もあまりなかったせいか、人出は今一つだったようだ。
テグの画廊協会の会長さんが日本から唯一出展したことで大いに気を遣い、昼夜の食事はもちろん作品も何点か購入してくれた。
更には会期中にもかかわらず、観光の車まで用意して、店番を協会のスタッフにさせるから、行ってこいという念の入れよう。
展示した作品は日本らしさが出ていると概ね好評で、 特に服部知佳の油彩、内林武史のオブジェに関心が集まったようだが、いざ売り上げとなると厳しい。
今は賑わいを見せている大阪や台北も最初は静かなものだったことを思うと、こんなものなのだろうか。
前宣伝でということで、11月の本番のテグアートフェアーにつなげていきたい。

7月8日

10日・土曜日の朗読会は既に60名を超える予約をいただいた。
作品が展示された中で行うため、椅子席を」これ以上は置くのは無理そうなので、あとは立ち見と言うことでお受けさせていただくことにした。
毎日新聞の夕刊でも京橋界隈と私共のイベントが紹介されたこともあり、まだ申し込みがありそうだがお許しいただきたい。

明日からの京橋界隈展を迎えるにあたり、京橋界隈のロゴと参加画廊の地図が載ったうちわを路上で配ることにしている。
梅雨と言うよりは既に真夏の気候となってしまったが、うちわで涼をとりながらのアートウォーキングをお楽しみいただきたい。
明日・9日の初日だけは各画廊夜8時まで開けて皆様をお待ちする。
花の金曜日、お仕事帰りにお立ち寄りいただければ幸いである。

7月9日

京橋界隈の綺麗どころによる街頭でのうちわ配りもあっという間に終了。
早速うちわ片手にお越しいただき、熱心にご覧いただいた。
今日明日と雨が心配だが、私のところのスタートはまずまずと言ったところだろうか。
参加画廊が揃って頑張った分だけきっといい結果に繋がるのでは。

この京橋界隈が終わると私のところは直ぐに恒例のオークションの準備に入り、お盆休みまではのんびりしていられない。
約500点の作品が出品される予定で、前回不落札の作品もいくつかは価格を調整して再度登場することになっている。
リストを早くしなくてはいけないのだが、今作品のチェック中でもう少しお時間をいただきたい。
ボーナスの出た方は京橋界隈展でお使いいただくか、はたまたオークションまで使わずに待っていただくか、無論両方でお使いいただくのであればこの上ない。

7月10日

昨夜のシャワーのような雨の後、今日は梅雨明けを思わせるような強い日差しが照りつける。
そんな事もあってか、土曜日の割には人出が少ない。
多少手持ち無沙汰気味だが、夕方からは朗読コンサートがあるのでのんびりしてられない。
私は途中で帰ったが、昨夜も10時過ぎまで今日に備えてのリハーサルがあった。
今日ももう一度リハーサルをとのことだが、なんせ展覧会中のことでもあり、近くのカラオケスタジオを紹介した。
天下のNHKのアナウンサー達ににカラオケスタジオでリハーサルをやってもらうのは前代未聞だが、快く?了承していただいた。
リハーサルの触りを聞いただけでもジーンと来るものがあり、涙もろい私は今夜はハンカチを何枚用意したらいいだろうか。
女優さんとアナウンサー、声が商売とは言えさすがであり、心に響く。
更に後で奏でるアコーディオンの音色が更に効果を上げる。
感動的な一夜をお楽しみいただきたい。

7月11日

ご案内をした朗読コンサートは心配した雨にも降られず、大勢の方にお越しいただき、感動のひと時を過ごしていただいた。

差別と偏見の中、社会の片隅に閉じ込められたハンセン氏病の患者の人たちの心の叫びを綴った文学全集が発刊された。
無関心と言う牢獄から解き放つためにも、誰かが光りを当てなければとの思いで、4人の表現者が朗読と演奏と言う形でその魂を蘇らせた。

アートソムリエ山本氏がブログで朗読コンサートの様子を紹介をしてくださった。

うちわ展の後は京橋界隈展参加画廊を4、5軒回って、夕方ギャラリー椿に行く。画廊の2会場では北村奈津子さんと浅井飛人さんの立体作品の個展が開催されているが、今夜は朗読とコンサートのイベントがあった。朗読は元NHKのアナウンサーでコレクターの小池保さんと現役の三宅民夫アナウンサー、それに女優さんで演奏はアコーデオン奏者。
 会場には60人以上の人が集まり詩の朗読が続いたが、それらはハンセン氏病の人々の詩だ。プロの方々の朗読と病と差別の中で生きようとした人たちの詩ということで、会場は静まり返り、時々涙を流している気配が漂う雰囲気だが、決して暗くは無く、誰もが生きることをもっと真剣に考えようと感じたのではないだろうか。

7月12日

選挙が終わった。
蛸でなくとも予想できたことだが、おごれるものも久しからず、民意の結果が出たようだ。
野党時代に是正しようと努めたことを、政権をとった途端に同じことをやっていては、国民からの信頼は得られない。
期待が大だっただけにその失望は大きい。
お灸がすえられたことで、与党は旧体質を切り捨て、国民が元々期待していた清新な政治を心がけて欲しい。
野党も以前の野党のように揚げ足取りに終始せず、是々非々で国家国民のためになる政治に邁進していただきたい。
そして文化をアジェンダに取りあげる政党があれば、私はもろ手を挙げて応援をする。

7月14日

彫刻と言うと、重たい、大きい、高いと言ったイメージがあって、個人コレクションには中々なじまず、パブリックスペースや、民間企業のロビーなどに飾られるケースが多かった。
ところが最近は、石彫とかブロンズではなく、木、粘土や樹脂を使った軽くて明るい立体作品を発表する作家が多くなったこともあってか、個人が立体作品をコレクションすることが多くなった。
と言うより、平面より立体作品を好む人の割合が増えたような気もする。
これは世界的に活躍している村上や奈良、舟越桂と言った人たちの影響もあるのだろう。
アートコレクターの8月号も立体アート特集を組んだが、若い作家達がこんなに多く立体作品を発表しているとは驚きであった。
現在展覧会中の北村奈津子と浅井飛人の作品もその中で紹介されている。
北村は石膏粘土に和紙を張り、そのうえに着彩を施し、同じ動物や鳥や人を数多く作って、インスタレーション的な発表をする。
私もギャラリ−ユマニテで最初に発表した時に見た牛や羊の群れに魅せられ、私どもでも発表をしてもらうことになった。
今回はこれから料理されるであろう多くの豚が天井からぶら下がり、その横の床にはおびただしい数のショートケーキが置かれ、お皿に乗った丸焼きチキンなど、おめでたい晴れの日をテーマにした作品群の中にあって、そうした作品がご馳走として並ぶ。
もう一人の浅井の作品は鉄を叩き出す鍛金という手間のかかる技法を使っていることもあって、それほど多くの作品を作ることはできない。
たたき出された鉄と木彫を組み合わせ、独特のユーモラスな人物や動物が生まれる。
二人の暖かくどこかにペーソスも感じさせる立体作品は、私共の空間にお互い邪魔することなく並んでいる。

7月15日

美術評論家・瀬木慎一氏「国際/日本美術市場総観・バブルからデフレへ1990−2009」が藤原書店より刊行されて、その案内が送られてきた。
史上空前といえる経済バブルの1987〜90年の頂点から2006〜08年前半のコンテンポラリーバブルを経て、1930年代以来の深刻なデフレーションの最中にある現況へと及ぶ美術経済の動向、それに関わる鑑賞と生活文化の変化、技術革新から生じた様々な変化に目を向け、それらに作用し、影響する国家・行政を視野に置いた社会史的分析は今までに例がなく、美術関係者にとっては必見の本である。
私は更に遡ること40年前の第一次絵画ブームとその後のオイルショックから現在に至るまでの現体験者として美術市場に関わってきただけに、評論家という立場から客観的に市場動向をどう見てきたか、どう分析したか大変興味深い。

7月16日

合田佐和子の初期作品が手に入った。
画集にも載っていないので確かな制作年やタイトルがわからないが、おそらく1973年当時に描かれたものだろう。
2月に精力的に描いた30点を超える新作を私共で発表していただいたが、初期作品に関心を持つ方も多く、特にこうした3号台の小品は市場に出てくるケースが稀なので、先ずはブログで皆様に紹介させていただくことにした。
大きな黒い帽子をかぶった少女だろうか、一見人形のようにも見えるが、コスチュームと女の子のアンバランスがシュールでおもしろい。
若干画面に傷があり、作者に直してもらおうと思っているが、手元に引き取りたいと言われたらどうしよう。

7月17日

山本冬彦氏の日記を自分達にもこんなことがあったかなとの思いで読ませてもらった。
それぞれの立場で違うのだろうが、要は画廊と作家との信頼関係だと思う。
お互い計算づくだけでは信頼関係は生まれない。

 最近のテレビドラマでアート関係のものを2つ紹介する。
 まず第一は「崖っぷちのエリー」というタイトルで、西原理恵子の作品がドラマ化され先週から朝日系、金曜夜9時に始まり、今日がその2回目だ。主演は山田優で、高知のど田舎の貧乏な家庭で育った不幸なエリーこと相原絵里子を演じる。
 初回を見たが、山田優がこれまでのきれいなお姉さんのイメージとは正反対の役柄で、東京の美大に入り貧乏生活を始めたところだった。貧乏な中から脱出するため、この世でいちばん大事なのは『カネ』だ・・・ということで成りあがっていく話のようだが、貧乏美大生にも元気を与えそうな内容なのでお勧めか・・。主演の山田優のこれまでのイメージと違う、美大がなじみうすい、カネ・カネが嫌われたためか初回平均視聴率は8.1%と崖っぷちだそうだが、アートや漫画に興味のある人は見てください。

 もう一つはNHKの朝ドラの「ゲゲゲの女房」。こちらの方はうちの奥さんがはまって毎日見ているので、私も昼休みに再放送を見ている。今週のストーリーの中でようやく大手出版社からの連載が始まりメジャーになりつつあるが、まだ売れない時に支えてくれた弱小出版社が自分たちが忘れられるのではと不安になるという場面があった。出版社の社長は作家がメジャーデビューできるなら良いことではないか・・・と言うのに対し有能な社員がせっかく有名になろうとしている時に大手にさらわれるのでは弱小出版社はいつまでも赤字だ・・・と苦言を呈する場面があった。これは、弱小の貸画廊と大手企画画廊の関係に似ていて身近に感じた。画家の中には売れない時に支えてくれた画廊の恩を忘れて大手になびく人や有名になっても恩を忘れない人もいるようで、そんなところに画家の人間性があらわれる。売れない時にははなもかけないのに人気が出てくると手のひらを返したように接近してくる画商さんにも、そのことがいえる。
 そんなことに注目しながら見てください。

7月18日

「BANKART1929」から案内が届いた。
BANKARTとは横浜市が推進する歴史的建造物を活用した文化・芸術の実験プロジェクトで1929年建造の元銀行を芸術文化に利用すると言う造語である。
私共で発表した横田尚が利用しているアトリエも、日本郵船倉庫を市が借り上げ、NPO法人に業務委託をして運営している事業の一つ・アートインレジデンスに応募して受かったものである。
7月30日から「SUMMER OPEN 2010」と題し、オープンスタジオとして45組のレジデンス利用者の制作現場を直に見ることができる。
またここでは「BANKARTスクール」があり、建築、美術、演劇、舞踏、都市計画など多様な公開講座が開かれている。
他にも色々なプロジェクトがあり、トリエンナーレで知られる妻有で8月1日から31日まで「BANKART妻有」がオープンする。
また「瀬戸内国際芸術祭2010」にも参加し、その一環としてソウルから瀬戸内、愛知トリエンナーレを経由し、越後妻有までを江戸時代に遣わされた文化施設団「朝鮮通信使」に因んで、文化交流プログラムを続けながら各都市を船で巡るプロジェクト「続・朝鮮通信使2010」も予定されている。

横浜トリエンナーレを開催するなど文化支援に力を入れている横浜市の文化芸術活動を是非全国の自治体もお手本にして欲しい。

7月19日

柳画廊のメルマガで泰明小学校の子供達を連れて銀座の画廊めぐりの様子を伝えられた。
小さい頃からのこうした体験は、大人になって絵画を見るときに肩書きであったり、価格であったりと言った先入観にとらわれることなく、感性で美術をミリ目が養われるのでは。
土曜日に幼稚園児の息子さんと美術館やギャラリー巡りをしているSEINAさんが画廊に来られた。
彼女はその様子をを子連れアート鑑賞日記というブログで紹介していて、私も何度か拝見したことがある。
息子さんは気に入った作品があると、もう一度やってきて作品をスケッチして帰るというから頼もしい。
歌舞伎やお能にも行くそうで、お母さんの情操教育は素晴らしいものがある。

ギャラリー椿「京橋界隈2010 北村奈津子 展」を観てきました

TSUBAKI071801
ギャラリー椿にて
「北村奈津子 展」を観てきました。

今日は父子は音楽教室の日なので私はフリー。
昼過ぎまで用事を済ませ
昼食をとりながらアートコレクターを読んでいると

7月20日

7月17日から瀬戸内国際芸術祭2010が始まった。
ベネッセのある直島や大島、小豆島、高松港周辺等など、瀬戸内の島々の歴史や文化を生かした現代アートの活動や作品による国際的な芸術祭で、世界に向けて瀬戸内の海を発信するという。
福武財団のサポートもあるのだろうが、高松市のこうした芸術への取り組みは、少しづつだが美術の日常化に繋がっていくのではないだろうか。
ただ千住博なども参加はしているが、こうした催しはどうしてもコンセプチュアルアートに片寄りがちで、一般とは遊離し過ぎるきらいがあり、もう少し身近なアートも企画に加えていってはどうだろうか。

7月21日

猛暑、酷暑、極暑、烈暑、言葉が見つからないほど暑い。
梅雨明けとともにいきなりの暑さで、体温調節機能もままならない。

京橋界隈の間はそれほど暑くもなく、初日の夜に強い雨が降ったくらいで、梅雨の最中としてはまずまずの天気に恵まれた。
今回は大雑把だが来場者数をカウントしてみたところ、約一週間で500名ほどの方にご来廊いただいた。
最初の土曜日はイベントがあったこともあり、150名の来場者があって賑わったが、他の日は私のところは通常の展覧会とはさして変わらなかったようだ。
アンケートにもお答えただいていて、どのくらいの数になるかは未定だが、全画廊の集計の結果が楽しみで、今後の参考にしたい。

7月22日

昨日見えた雑誌社の女性達から参考になるお話を頂いた。

画廊にお見えになるお客様に声をかけるタイミングが難しく、できるだけ声を掛けず、熱心に見ているお客様にだけ声掛けをするようにしているという話をした。
私もデパートで何気なく洋服などを見ているときに声をかけられると、思わずひるんでしまうので、画廊に来られるお客様も同じなのだろうなと思っていたのだが、彼女達はそれは違うと言う。
画廊はデパートなどと違って、買う買わないは別として、ある程度の意志があって入ってくる。
その人たちが作品を見ている時に、それとなく声を掛けられ、この作品はこんなイメージで描いているのですよとか、こうしたテーマの展覧会ですよといった話をしてもらうことは、とても有難いことだと言う。 
自分が感じてたとおりだとか、あっそうなんだと気づかせてくれたりで、作品がより身近に感じられるし、画廊にも親近感が湧くそうだ。

村松友覗のエッセイで、銀座の画廊に入って何気なく絵を見ていると、背中に受付の女性の痛いほどの視線を感じ、そこそこに画廊を出てしまうといった話を読んだ記憶があって、画廊は入りづらい上に居づらいイメージがあって、これを何とかしなくてはといつも思っている。
今年の初めの常設作品にはPOPというのだろうか、私なりの思いを作品それぞれに添付したこともあったが、大した効果もなく、こちらも面倒くさいこともあって止めてしまったが、なるほど彼女達の話を聞いて勇気付けられた。
早速声を掛けさせていただくことにするが、キャッチセールではないので、お間違いなく。

7月23日

東北芸術工科大学から生涯学習プログラムの一つ臨床美術士5級取得講座の案内が来た。
絵を描くことや粘土などで造形を楽しむことには「脳を活性化する力」「心を癒す力」がある。
美術が本来持っているこのような力を、社会に役立てるのが臨床美術士の仕事だそうだ。
子供達の感性を磨くために、個人の能力開発のために、心の問題のケアや認知症の予防、ケアのためといった教育、産業、福祉など多様な場面での臨床美術士の活躍の場が広がっている。
美術がコレクションや鑑賞だけではなく、こうした形で社会に貢献できることは何よりのことで、私も美術に携わるものとして、時間と絵画力と造形力さえあれば受講し、美術を通して社会への恩返しがしてみたいものだ。
尚、東北芸術工科大学と京都造形大学は著名な教授陣が顔を揃えていて、新たに共同で明治神宮外苑に多彩なプログラムを発信する「東京芸術楽舎」がこの10月に開校する。
更に、プロフェッショナルを目指す社会人の飛躍の学び舎「東京企画構想楽舎」も同じ10月に開校する。

7月24日

先の日記で、ちょっとした解説がより美術作品を身近に感じるというアドバイスをいただいたと書いたが、昨日アートソムリエ山本氏からいただいた資料にはこんなことが書いてあった。

千葉にある山口画廊(この画廊は舟山一男や小林健二など私共で発表をしている作家を取りあげている)の画廊通信からの抜粋である。

ある展示企画の制作監督の教授の綴った一文である。
「私の展示場からは、まず文字に立ち去ってもらいたい。館長挨拶、展示趣旨、解説文など、全ていらない。」
「名画の意匠を美術館が解説したとしよう。それは大いに嘲えるほど親切であろうが、元になった絵以上の力を有する言葉などあり得ない。それを厄介な邪魔ものだと考える人間がごく普通に存在している事を、美術館は知るべきである。」
「博物館であれ美術館であれ、まずは自分の眼で見て、自分の心で感じよという事だ。しかし、この極めて当然の前提はいつしか忘れ去られ、いつの間に私達の眼は、他人から与えられた情報に曇らされてしまう。」
「気まぐれ美術館/洲之内徹 絵があって、言う言葉もなく見入っている時に絵は絵なのだ」、所詮この言葉に尽きるのではないだろうか。

尤もだと思う。
確かに解説や名前や価格、経歴などは美術鑑賞とは別物である。
それぞれが作品に対峙して、思い思いのイマジネーションを膨らますのも美術鑑賞の楽しみの一つである。
ただ、どれだけの人が作品と対峙して、その奥まで入り込めることができるだろうか。
ちょっとした解説が作品をより理解することに繋がったり、描かれた場所が知っている所だったりすることで、より身近に感じることもあり、作品と一体になれる糸口も必要ではないだろうか。

美術館や博物館には色々な人がやってくる。
どこに目線を合わせるかと言えば、公共施設では高いところではなく、低いところに目線を合わせなくてはならない。
それを必要としない人は見なければいいので、バリアフリーなどもそうだが、公共のサービスとはそういったものではないだろうか。
画廊にも当然理解できる人たちだけがやってくるとは限らない。
私共もちょっとした気遣い、サービスが必要だと思っている。

7月25日

ローカルのコンクールや公募の案内が届く。
一つは大阪の幻想美術コレクターのK氏から送られてきたもので、吹田市制施工70周年記念事業の一環で、街角アートのまちづくりとして彫刻コンクールを企画し、受賞作品を街角に設置するというものである。
「必要なのは、自由な発想と若き情熱」との主旨で18歳から30歳までを対象としている。
K氏も審査員の一人に加わっていて、若い作家の掘り起こしのお手伝いができればと思い、丁度開催中の北村・浅井の二人も20代なので、応募してみたらどうだろうと薦めている。
ただ、屋外なので素材は別のものを考えなくてはいけないが。

もう一つは北の大地ビエンナーレの絵画公募展である。
北海道・十勝にある中札内村の企画によるもので、今回で8回というから、文化での町おこし・村おこしとしては年季が入っている。
こちらは「北の大地」の四季折々の風景・風土・人々の暮らし・子供達に残したい景観、想いといったテーマの平面作品のコンクールで18歳以上となっている。
こうしたテーマで仕事をしている作家はうちの関係ではあまりいないが、コンセプトでこうした思いの作家もいるので薦めてみたい。

いつも悲観的なことを書いている私だが、先に書いた横浜や高松を始めいくつかの地域でこうした芸術支援の取り組みがなされているのを知り、わが国もまんざら捨てたものではないことがわかった。

どちらも高額賞金ではないが、300万、200万と若い作家には大金で、受賞の暁には是非ともご馳走をしてもらおうと思っている。

7月26日

韓国ソウルのスンシン女子大学でアジアン・スチューデント・ヤング・アーティスト・アート・フェスティバル「ASYAAF2010」という20代の作家の展覧会が7月28日から約一ヶ月間開催される。
朝鮮日報が主催をする展覧会で、700人を超えるアジアの20代の美大生や若手作家が一堂に会する大規模な展覧会で、日本のゲイサイのようなものらしい。
大阪のイノウエヨシアキギャラリーがこの企画に関わっていて、日本人作家の参加を依頼され、私共にも声を掛けていただいた。
日本からどのくらいの作家が参加するのかは定かではないが、20代ということなので、私共からは服部知佳・堀込幸枝・高木まどか・浅井飛人・うじまり・岩淵華林をはじめ、今後発表予定の青木恵・白藤さえ子が参加する事になった。
岡本啓もイノウエさんからの推薦で出品する。
昨年のカタログを見ると韓国の作家が殆どだが、日本以外に中国・インドネシア・シンガポール・台湾・インドといった国からも参加していて、今回は更に多くのアジア諸国の参加が見込まれる。
今のアジアンアートの潮流を見るいい機会なのだが、来週からはオークション、台北のアートフェアー、サマーフェアーと続いていて、残念ながら行くことができない。
井上さんが展示の時から現地に行っているので、その様子は後日聞かせてもらう。

7月27日

近代美術の凋落が著しい。
デフレスパイラルに嵌ったかのように、著名な日本画・洋画作家の価格が下落している。

@高額の美術品が売れなくなったこともあるのだろう。
高額品の多くがデパートの美術部頼りというよりは法人・家庭外商部頼りだったこともあって、そこの不振が影響している。

Aここ10年の美術の価値観の変化も見逃せない。
既存の作家達よりは価格の安い今風の若手作家にコレクターの志向が移ってしまったこともある。

B投機、資産といった面で見ると、国内市場の不振とともに、セカンダリーマーケットは海外での評価に追随するようになった。
その結果、海外での評価を得られない近代美術よりは、海外オークションで高値を呼ぶ現代作家により資金が集中するようになってしまった。

C質的な面を見ても、花鳥風月的な装飾性に重きを置いた近代美術よりは、現代社会の側面を背景とした現代美術のほうが国際基準に合致し、時代感覚から大きく遅れを取ってしまった。

D美術館・企業コレクションが鳴りを潜め、キャリアよりは内容を求める個人コレクター主導にコレクションが移行し、必然的にキャリアだけの作家に眼が向かなくなった。

E近代美術の不振とともに、そこに携わった画廊がそうした作家達の企画をしなくなったこともあって、その下支えがなくなってしまった。

思いつくままに、その要因をいくつか挙げてみたが、著名な作家が全て質的に劣っているわけではなく、日本の美術史に残るであろう作家も数多くいるはずである。
今一度そうした作家を顕彰し、その質に見合った国内での評価を確定させ、、国際市場がそれに追随するような状況が生まれることを期待する。

7月28日

いよいよオークションの飾り付けを開始。
600点以上の作品を前に暫し途方にくれる。
不思議なもので、毎年同じような思いで始めるのだが、これが何とか収まってしまう。
倉庫の整理もそうで、狭いところに置いている間はそこに何とか押し込めてしまうことができる。
ところが、手狭になって新たに倉庫を借りてやれやれと思っていると、前の倉庫は以前と同じ満杯状態でちっとも変わっていない。
広くなった分、それだけいい加減に片付けているのだろう。
人間工夫すれば何とかなるものだ。
今日もやりくりしながら、何とかなるだろうと気合を入れて、さぁ始めるか!

7月29日

スタッフが夜中まで頑張ってくれたおかげで、何とかオークション展の展示が終了。
幸い、暑さも一段落で多少雨模様だが、お越しいただくには上々の天気となった。
今回は著名な作家の名前は少ないが、全て年季の入った個人コレクションから出てきただけあって、質の高いものばかりである。
私共にお見えになるお客様は皆、名前より内容という方ばかりなので、600点を超える作品群は充分に見ごたえのあるものばかりで、ご満足いただけるのではないだろうか。
時間を掛けてじっくり見ていただき、気に入った作品をお探しいただければ幸いである。
本日より8月1日日曜日の午後3時まで開催、その後開札の予定となっている。

7月30日

ニキ美術館から8月31日までの期間限定の開館のお知らせが届いた。
2009年秋に増田静江前館長の死去に伴い閉館をすることになったが、多くの閉館を惜しむ声と励ましがあって、この夏ニキ・ド・サンファールの作品に再び出会えることになった。
増田さんの元気な声がよみがえってくるようで、是非この夏、那須の美術館を訪ね、ニキとともに増田さんの思いに浸ってみたい。

7月31日

先週の日曜日に河口湖の拙宅に3人の女性アーティストと元スタッフがやってきて、バーベキューパーティー。
猛暑で河口湖も焼け付くような暑さ、タープを張ってのバーベキューとなった。
美女4人が来たからにはと大張り切り、料理教室での腕前披露も兼ねて、私の畑で採ってきた野菜でサラダを作り、とうもろこしやジャガイモ、鮎、鳥等など炭火でじっく焼いてはお嬢様方?へのサービスにこれ努めた。
8月の夏休みには金井訓志さんたちも来ることになっているが、むさくるしい男達が多く、サービスに違いがでるのはお許しいただきたい。

8月1日

朝日新聞に「文化変調」というテーマで、日本文化の国際的な存在感の「変調」を中韓両国との対比から探るという記事が出ている。
7月25日の朝刊文化面から4回にわたり掲載されるというが、実際韓国を始めとしてアジア諸国に行っている私は常に経済だけではなく、文化面での立ち遅れを危惧していただけに、この記事が大いなる反響を呼ぶことを願っている。
丁度アートソムリエ山本氏のブログにもこの記事が紹介されているので転載させていただく。

● 以前紹介した朝日新聞の「文化変調」の2回目が今朝出た。前回私が日本の文化戦略はハブ空港と同じだ・・・・と書いたが、今日の朝日のタイトルは「韓国が狙う文化のハブ」というものだ。
 内容は韓国がいかに文化政策で進んでいるかを書いてある。「国家イメージの向上を図るため大統領直属の国家ブランド委員会を昨年設立。」、「文化産業を次世代の経済成長の原動力にする。」、「光州市をアジア文化中心都市に、釜山市をアジア映像文化中心都市にする」など、韓国は文化でもアジアのハブになろうとしているというものだ。
 国家戦略室もうやむやになるような国には文化戦略や長期ビジョンもなく場当たり的で総花的なバラマキ行政により、何の特色もなく世界から取り残されガラパゴス化している日本に比べると韓国の文化戦略はかなり優れている。韓国の国家戦略や文化戦略が優れているのは政治家なのか官僚によるものなのだろうか?
 そんな中、同じ朝日新聞の「ひと」蘭に文化庁長官にデンマーク大使の近藤誠一氏が就任したという紹介記事があった。文部科学省ないでは何で外務省から文化庁のトップが来るのかという反発もあったようだが、近藤氏は芸術への愛と教養は人一倍で、あれだけの文章が書ける人は稀有とのこと。また石見銀山を世界遺産登録を実現させた国際交渉力と組織の統治能力の優れた人はいないと言うことで文部科学省の官僚も脱帽するという人物らしい。(文部科学省内に彼のような人物がいないことがさびしい限りだが・・・・)。近藤氏が今後の日本の文化政策にどのような手腕を発揮してくれるかに注目したい。

8月2日

先日お知らせした韓国の美大生と20代の若手作家による「ASYAAF」が7月28日から始まり、その様子を大阪のイノウエヨシアキギャラリーの井上さんが知らせてくれた。
ソウル北東の学生街にあるサンシン女子大学の校舎を使い、その多くは韓国作家だが、日本・中国・台湾・インド・インドネシア・フィリピン・シンガポール・タイといったアジア諸国も含め、785名の参加による大展覧会となった。
構内には大きな垂れ幕やポスターが飾られ、初日には大勢の人で賑わったという。

カタログも全ての作家の作品がカラーで掲載され、これだけでも相当な費用がかかっていると思うが、主催の朝鮮新報を始め官民の支援があってこそできることである。
朝日新聞の記事ではないが、こうしたイベントを直接体験する度に、余計に日韓の文化戦略の差を感ぜずにはいられない。
新聞社もこうした事態を嘆くだけではなく、韓国の新聞社に負けないよう文化面での大いなる支援をお願いしたい。
幸いなことに、浅井飛人、高木まどかの作品に予約が入ったらしく、これだけたくさんの中から始まった早々選んでいただけるのはありがたいことであり、韓国の人たちの関心の深さがうかがえる。
8月28日まで開催されているので、夏休みでソウルに行かれる方は、一度覗いて見たらいかがだろうか。

8月3日

オークションも無事終了。
例年に比べると暑さのせいか景気のせいかなのか人出が今ひとつで、落札点数も前年よりはだいぶ少なくなってしまった。
ただ、落札金額は前年並みとなり、私どもにとってはほっと一息といったところである。
今週いっぱい不落札の作品を飾り、アフターセールとさせていただくので、残り物に福と思って是非お越しいただきたい。
尚、8日から15日まで夏休みを取らせていただくので、お支払い・お引取り・配送のご指示は7日までにお済ませいただければ幸いである。

8月4日

2日の日記、写真がうまくアップできないようで、申し訳ない。
送られてきた写真の中から選択して、日記に添付したのだが、自分の能力以上のことをしようとするとどうもうまくいかない。
最近写真を添付することが多くなったのも、ようやく自分で撮った写真をパソコンに取り込み、日記に載せることができるようになったからである。
ようやく独り立ちできると思ったら、この体たらくで、お恥ずかしい限りである。

それにしても暑い。
暑いは熱いと書いたほうがいいくらい暑い。
この前冗談でトウィタッーに、亜熱帯化した東京は皇居のお堀にワニが泳ぐ日も近いと書いたが、ニュースで日本のどこだかの川でワニが泳いでいる画面が映っているので驚いた。
オークションも終了したが、そんな暑さの中を重たい作品を引取りに来ていただいたり、アフターセールを見に来ていただいたりと、有難い事とただただ頭を下げるばかりである。
まだまだ猛暑が続くという。
皆様くれぐれもご自愛いただきますように。

8月5日

写真アップしていました。
お騒がせいたしました。

アフターセールは思いのほか多くの方からお申し込みいただき、ほっとしている。
この暑い中を近所の画廊ではほぼ完売に近いところもあり、オークションの不調を暑さのせいだけにしていてはいけない。
夏休みまで後3日、アフターセールに精を出さなくては。

京橋界隈でも中国語と英語を入れたアートマップを作成したが、他所からも同じように中国語、韓国語、英語の解説付きの銀座・京橋を中心としたコンパクトなアートガイドブックや、会場写真やオーナーのコメントをつけたギャラリーガイドの発刊が予定されている。
海外、特にアジアから富裕層の観光客が日本にどっと押し寄せ、銀座周辺も中国語や韓国語が飛び交っている。
そうした人たちに画廊にも来てほしいというニーズに応えた形での企画だと思うが、こうしたガイドブックをどう利用してもらうかが問題である。
観光の目玉にアートを加えることが必須条件で、旅行代理店や一流ホテル、ブランドショップ、高級料理店などとの連携も必要だし、この辺をどう対応していくかが重要で、本に載ったからだけでは一向に前に進まない。
観光スポット巡りとお土産ツアーだけではなく、美術館ツアーの一環にギャラリーツアーなどが入る企画ができたらいいのだが。
それより国が文化を目玉商品にしてくれるのが一番いい。

8月6日

読売新聞に塩野七生著「日本人へ リーダー編/国家と歴史編」への本郷和人氏の書評が載っていた。
塩野七生氏は15巻の長編「ローマ人の物語」で知られる歴史小説家だが、今回の著書は歴史を分析する作業を通じて、日本人に注意を喚起し叱咤する書である。

カエサルやアウグストゥスのような政略を構築する凄みある男達にリーダーのあるべきようを見て、そのイメージを根拠に計画的な駆け引きのできない日本人を裁いている。
時代の変化を冷静に見通し、長い視点で計略を練った人物は日本では見出すことができず、日本の伝統では冷静な政略ではなく、熱い「おとこぎ」・利害を度外視して正義を行うところに日本人の美学があった。
塩野は記す。「歴史に親しむ日常の中で私が学んだ最大のことは、いかなる民族も自らの資質に会わないことを無理してやって成功した例はない、という事であった」
そうすると、グローバリゼーションという状況を避けられぬ今、私達は世界の国々と渡り合うためには、何とかその無理を成し遂げなければならぬという覚悟を決めて困難に立ち向かわねばならない。
私達に逃げ場がないのだから。

今の日本のリーダー達に是非読んで欲しい本である。
私も休み明けから台北・ソウル・テグとアートフェアーが続くが、夏休みにこの本を読んで、リーダーの器ではないが覚悟を決めて出かけなくてはいけない。

8月7日

大卒の2割が就職せずと新聞で大きく取り上げられた。
その数は10万人を超えるという。
就職を先送りし、進学に切り替える学生も増えていて、卒業後の行き場が見つからない厳しい現実が浮き彫りになったという。
留年生も同数の10万人を超えている。

私立文系男子が一番苦戦しているそうだが、苦戦といえば芸術系はもっと厳しいだろう。
というよりは、もともと芸術系は就職先は望むべくもないのが当たり前で、デザイン科は別として教師になるくらいしか道がなかった。
その教師の道も狭き門で、非常勤講師が関の山である。
だが芸術を志した人たちが果たして最初から安定した就職先を望んでいただろうか。
おそらくいい仕事をしたい、芸術家として大成したいと思うのが普通だろう。
文系の人たちは弁護士や会計士などの専門職は別として、多くは就職先が銀行や商社といっても漠然としたものではないだろうか。
それだけに自分の先行きがあまりに見えてこなくて余計に不安を感じていることだろう。

それに引き換え、芸術系ははっきりとした目標がある。
手に職持っているという言い方は適切ではないが、腕一本で社会に羽ばたいていく気概を持つかどうかだろう。
安定した生活は誰しも望むが、イコールいい芸術を生み出すとは限らない。
気持ちの上でハングリーさがなくては長い道のりを歩むことができないし、そのひたむきな歩みが時代を超えて残っていくのではないだろうか。

昨日の日記にも書いたが、グローバルな社会では通用しなくなってしまった日本人独自の美意識である「おとこぎ」が、大変だとは思うが芸術を志す若者達のよすがであって欲しい。

8月8日

本日から1週間夏休みをいただく。
オークションの引取りなどでご迷惑をかけるが、まだの方は16日の月曜日以降にお願いをしたい。

明けて早々、19日から25日まで開催されるART・TAIPEI2010に参加する。
日本からも20を越える画廊が参加し、韓国、中国、タイ、アメリカ、ドイツ、スペイン、スイスから合わせて110の画廊が参加する。
要請があって初めて参加したときは、海外はもとより日本の画廊も数軒が参加しただけだったが、韓国、香港に次ぐ国際的なアートフェアーに発展した。
日本だけが相変わらずドメスティッツクなフェアーから抜け出せないでいるのは何故なのだろうか。
ますますアジア諸国から遅れをとってしまうのが心配である。

画廊では昨年好評だったオータムフェアーの第2弾として、サマーフェアーを8月21日から31日まで開催する。
昨年、今年と海外で発表した作家達の作品とギャラリーコレクションを展示する。
まだしばらくこの暑さが続くようだが、涼みがてらのお越しをお待ちしている。

くれぐれも暑さ負けしないよう皆様ご自愛ください。

8月16日

夏休みも終わり、仕事再開。
とは言え、この暑さで立ち上がることさえ億劫。
夏休み中に横浜のバンクアートのオープンスタジオを見学に行ってきた。
12日の最終日ぎりぎりとなってしまい、殆どの作品は搬出済みで、大きながらんどうのスタジオ見学となってしまった。
ロケーションは素晴らしく、馬車道駅の直ぐそばで目の前の運河越しに赤レンガ倉庫やみなとみらいが一望できる。
中も元日本郵船の倉庫だけあってとてつもなく大きく広い。
この場所でアトリエを借りて制作できたアーティスト達は大いに喜んだことと思うが、終わって自分のアトリエに帰って、改めて現実に引き戻されたことだろう。
横田尚はここで大作2点に取り組み、銀箔を張った上に描くという新しい試みをしたようだが、彼女の作品も前日に撤収してしまい、実物を見ることはできなかった。
会期中に見学に来たドイツを代表する企業の日本支社長が箔のの作品に大変興味を示してくれたそうで、資料を送ることとなり、いい話に繋がるといいのだが。

8月17日

休みの間にペット検査を受けに四谷メディカルセンターというところに行ってきた。
ここはセコムが東海大学医学部とタイアップしているところで、昨年初めて受けて、その設備やスタッフの徹底した対応振りに感心して今回も受けることにした。
うれしいことに病院の各フロアーのエレベーターホールには望月通陽のブロンズ作品が展示してある。
残念ながら私共が納めたわけではないが、確か設計家からの依頼で病院の仕事をすることになったと聞いていたので、ここに納まったのだろう。
殺風景でどこか緊張をする病院の空間で、彼の作品は来る人の気持ちをやわらげてくれていて、私は患者さん達に思わず「いいでしょう、この作品は」と言ってしまいそうになる。
彼の作品は教会やコンサートホールなどくつろぎの空間に多く設置されていて、訪れる人の心を癒している。

8月18日

ペット検査の後、初台の東京オペラシティーアートギャラリーに行ってきた。
アントワープ王立美術館コレクション展が開催されていて、マグリットやデルボー等のシュールリアリズムの作品をはじめ、アカデミックな作品からフランドル表現主義などの作品が並ぶ。
併催されている収蔵作品展では「幻想の回廊」と題して、寄贈者の寺田小太郎氏が最も愛する幻想美術の作品が並ぶ。
私共が納めた作品も数多く展示されていて、山本麻友香やj河原朝生、大月雄二郎、藤野一友・級井といった作品とともに、私も大好きな川口起美雄、落田洋子、野又穣、保田井智之などの代表作も展示され、これだけ身近な作品が並ぶとその場を離れがたく、暫し作品の虜になった。
中でも河原朝生の大作2点は圧巻で、弁柄色といったらいいだろうか朱色をバックにした大きな空間が、静寂感を漂わせながらも圧倒的な迫力で見るものを引きつけ、個展で見たときとは又違った味わいを見せてくれる。
寺田コレクションの幻想美術、マグリットやデルボーと遜色ないと思うのだがいかがだろうか。
10月3日まで開催されているので是非比較しながらご覧いただきたい。

明日から台北のフェアーに行く。
いつもなら8月の台北の暑さに相当参るのだが、今年は日本の暑さに鍛えられ、そこそこの暑さは何するものぞである。

8月23日

台北アートフェアーののVIPオープニングと金曜日の初日だけ向こうにいて、後はスタッフに任せて帰ってきました。
成田に着いて、日本の暑さは台北以上でどっと疲れが。
オープニングは思いのほか人出が少なく拍子抜けだったが、大作が早々に売れるなど幸先良くスタート。
翌日は昨年以上の大盛況で、日本・韓国の現代美術の大手が多数参加したこともあってか大賑わいで、手伝いに来てもらった作家さんたちの作品にも売約が入り、ほっと一息。
特に昨年までは反応の少なかった作家の作品に人気が集中し、繰り返し紹介をしていくことの大切さを実感させられた。
報告では土日も大勢の来場者があったようで、スタッフも目標の数字に向かって鞭が入っているようだ。

こちらのサマーフェアーも暑い中を初日から楽しみに来ていただいた方が多く、滑り出し順調といったところだろうか。
普段なら夏枯れの中、こうしてお越しいただき、お買い求めいただくことに感謝感謝で、暑いなんていっていたら罰が当たってしまう。
31日までの展示なので、是非のお越しを。

8月24日

栃木県立美術館で開催されている「インノセントーいのちに向き合うアート」展は県内の障害のある人々を一つの軸として、草間弥生、奈良美智やイケムラレイコ、私共で発表している木村繁之など40名の作家が並ぶ。
正規の美術教育によらず既成の美術界とは無縁の人々が作り出したアウトサイダーアートが著名な現代アート作家と隔てなく展示される。
企画した小勝学芸員によると「いのちの根源を突き詰める、瞑想的なアートとして、一緒に並べたかった」ということだが、下の娘が知的障害児教育を大学で専攻し、現在障害児施設で働いていることもあって、大変興味深く、見に行こうと思っている。
盲学校を経て現在聾唖学校で美術教師をしながら私共で発表をしている小原馨も感性で制作する子供達に逆に影響を受けたという。
鑑賞とか売るといった世界と無縁のアウトサイダーアートから学ぶことも多いのでは。

8月25日

円高・株安が一段と進行している。
海外との取引が多くなるにつれ、為替の動向は一番気になるところだが、リーマンショック以降円高・株安の動向は一向に改善されない。
海外での日本人作家の発表価格はレートに推移して上がる一方で、台北では昨年より約4割も高くなってしまい、大きな金額となると向こうの人たちも腰が引けてしまう。
オークションでも6月の北京のオークションで落札された作品の支払いが2ヵ月後の今日送られてきたが、6月時点の換算とは大幅に違ってしまったり、台北で集金してきた米ドルの換金をしばらく控えなくてはと、大いに振り回されている。
国力が弱っているのに、円が強い、この理屈が素人の私にはさっぱり理解できず、投資家・為替バイヤーに日本が振り回されているとしか思えない。
どげんかして欲しいのだが、首相も財務大臣も日銀も一向に対策を講じることなく、様子見を決め込み、そのことが余計に円高株安に拍車を掛けているようだ。
政治家は大きな決断を迫られる時は勇気を持ってすべきだが、火の粉がかかるのを恐れてか、何もせずにいるのが歯痒くてならない。
バブルがはじけ、リーマンショックがおこり、その間我々の生活環境がよくなったと思う人は誰もいないだろう。
いつも嘆くばかりだが、政治家は一体何をやってきたのだろうか。
ほとほと日本の政治家に愛想が尽きる。
足の引っ張り合いが政治家の仕事ではない、国を憂い、国民が希望を持てる国に導くのが政治家の使命ではないだろうか。
メディアも足の引っ張り合いを助長するようなことをせず、この危機を乗り切るための建設的な提言をして欲しいものだ。

8月26日

台北のフェアーも終わってスタッフも今日帰ってくる。
円高・株安の最中となってしまい心配したが、報告ではほぼ目標の数字を達成したとのことで胸をなでおろした。
台北から戻った美術雑誌の記者の話では多くの画廊が苦戦していると聞いたが、果たして本当のところはどうだったのだろうか。
初日や土・日の人出は多く、私がいた時でもひきりなしに話しかけられたり、価格を聞かれたりで、反応は上々だったのだが、全体としてはこうした円高状況では日本の画廊には逆風が吹いたのだろうか。
もう一つは、今までだと台湾の画廊が積極的に日本の作家の企画を提案してくるのだが、今回は私のところにはそうした話は来なかった。
日本の基盤が弱いことを見越して、彼等の眼が中国・韓国といったところに移って行ってしまったのかもしれない。
今まで参加しなかった韓国や香港の画廊が多数参加してきたのもそのあたりの話があるからだろう。
来月には台南の画廊で門倉直子と地元の作家の二人展が開催されるが、これも去年の時点で決定していたことである。
できれば多くの場所で若い作家達に発表のチャンスをとの思いもあってフェアーに参加しているが、そこに繋がらないと海外のフェアーへの参加の意味も半減する。
今回殆どの作品が個人のお客様に売れたことは喜ばしいことだが、逆に地元の画廊が買わなかったことで作品が海外に広がっていかないというマイナス面もある
今後考えなくてはいけない課題である。

8月27日

8月21日から「あいちトリエンナーレ」がはじまった。
新しいアートの動向を愛知から世界に向けて発信する第一回の国際芸術祭である。
「都市の祝祭・ART&Cities」をテーマに現代美術、ダンス、演劇、オペラなどの世界最先端の現代アートを紹介する。
テーマの通り街まるごとアート空間になるそうで、世界各都市のビエンナーレ、トリエンナーレ以上に街と一体となったトリエンナーレとなるそうだ。
これに連動して名古屋の画廊もこの期間、現代アートの多彩な展覧会を企画していて、官民あげて名古屋は現代アート一色になる。
瀬戸内芸術祭も活況を呈しているようで、この暑い夏、景気低迷の日本をアートで活気を取り戻して欲しいものである。

8月28日

昨日宇都宮のお客様を訪ねる用事も兼ねて、那須のニキ美術館、宇都宮の栃木県立美術館「イノセンス」展に行ってきた。
ついでに宇都宮餃子も食べて遅くに東京に戻ってきた。

ニキ・ド・サンファールの華やかな色彩に酔いしれ、「イノセンス」 では障害のある人たちの無垢の芸術に心洗われ、猛暑で疲れ気味の私には何よりの清涼剤となった。
「イノセンス」では著名な作家達と同列に知的障害や心の病いを持った人たちの作品が並んでいたが、おそらく一般の人たちが見たらどちらがプロの作品か解らないのではと思われるほどレベルの高い作品が並んだ。
芸術の本質はきっとそうした人たちの純粋さにあるのかもしれない。

パンフレットの一文を紹介する。
正規の美術教育を受けたわけでもないのに、ただ自分の内なる衝動にしたがって、全く独創的な造形芸術を生み出す人たちがいます。
かれらは、知的障がいや、心の病を患い、孤独な、社会不適応を抱えた人たちであったりしますが、その創り出す世界は独特の魅力を放ち、見る者に深い衝撃を与えます。
こうしたハンディキャップを抱えた人たちや、独学で絵を描き始めた人のアートの中には、わたしたちの心をとらえて離さない純粋な魅力を湛えているものがあるのです。
本展では、障がいのある方や独学の画家の作品を紹介するとともに、障がいを抱える人のアートに興味を持って積極的に関わるアーティストや、命に向き合う表現を志向して制作する現代のアーティスト達の作品も区別することなくともに展示し、芸術の本質や役割を問い直してみる機会にしたいと思います。
これらの作品を鑑賞するなかで、生きることの意味を再考するとともに、社会の中に根ざしたアートの役割を、生き生きと実感することができるでしょう。
38作家、200点を展示いたします。

9月20日まで開催している。

8月30日

いつこの暑さが終わるのだろう。
明日で8月も終わり9月になろうというのに。

そんな中での民主党代表選挙はもっと暑苦しい。
仮に小沢が勝ったとすると又総理大臣が変わるのだろうか。
野党時代に総理を批判し、総理の交代を求め、その結果総理が辞任すると、その短期間での交代を批判していた民主党が今度は一年も経たずに3度目の代表戦を行い、総理大臣を目指す。
会社に例えると、社長がこれだけ交代すれば、取引先や株主、銀行などは一様に不信感を持つだろう。
トップにリーダーシップがない、会社が割れている、経営方針が見えてこないでは、対外信用丸つぶれである。
僅か3ヶ月前に就任した代表を、自身の不祥事の責任を追求されて辞任した連中で引き摺り下ろそうとする図を見て、国の取引先でもある諸外国はいったいどう見ているのだろうか。
自分達で選んだ代表を一丸となって支え、決めた政策を実行してこそ、内外の評価を得られるのではないだろうか。
情けなさを通り越してほとほと愛想が尽きる。

8月31日

8月も最終となり、明日からは9月で美術の秋を迎える。
秋といってもこの暑さでは全く実感がないが、暦の上では間違いなく秋が訪れる。
冬の時にもそう思うのだが、暦よりは一ヶ月は季節がずれてきているようだ。
いっそ旧暦に戻したら丁度いいかもしれない。

秋の第一弾として小林裕児展を4日の土曜日から開催する。
安井賞受賞後も次々と変貌を遂げる小林裕児が今回も「浸水の森ー物語とダンスそして音楽と出会う」と題して、他ジャンルと呼応しながら新たな表現を試みる。
7日の火曜日19時から小林の企画によるパフォーマンスも予定されていて、上村なおか・ダンス、広田淳一・物語、斉藤徹・コントラバス、喜多直毅・ヴァイオリン、佐藤芳明・アコーディオンとのコラボレーションが繰り広げられる。
要予約で入場料2千円(学生1千円)となっているが、既に多数の申し込みをいただいており、ご希望の方は早めのご予約をお願いしたい。

小林裕児より

芝居好きのボクは最近「キャラクター」という野田秀樹作の面白い劇を見た。
そのパンフレットに建築家の隈研吾氏との対談記事があって、互いに作品が完成する時について語っていた。
隈氏いわく「(建物)に人が入って、そこの反応があって初めてできたという感じですね」
それに対して野田氏「やっぱりそうなんだ、演劇もそうだもんね。お客が入るとぜんぜん違うものに見える」
この会話の前に野田氏いわく「絵描きは、署名した時に終わるけど・・・」
そうなんだ。
しかし、僕だって絵に現われたイメージが見る人にの心に様々な反応を引き起こし、一人歩きを始めて欲しい。
あえてその時を待って「完成」と言いたい。

中略

野中の一軒家である我が家に通じる道のかたわらに、一本の白樺が植えられていて、実にたおやかで美しい。
ビナヴァウシュの初期の作品「わたしと踊って」を観たら、黒づくめの若い男たちが白樺の木を持って踊っていた。
そして、森が現われた。
何故「浸水の森」かと問われても僕には答えが見つからない。
いつも自分の身体に充満する記憶と思考の集積が、海綿が吸い込んだ海水を吐き出すようにして画面に現われてくるとしか言いようがない。

音楽家の斉藤徹さんとダンサーのジャン・ポスターさんが「浸水の森」の前に長い間たたずむ姿を見て、僕の絵のイメージが他のジャンルの表現者たちに、どんな反応を引き起こすのか見てみたくなった。
今回は、斉藤徹さん作曲による新曲の演奏、そしてダンサー上村なかおさんが、劇作家広田淳一さんの物語で踊る。
観客とともにその場に立ち会う時、僕の「浸水の森」は「完成」するのかもしれない。

9月1日

昨日、石鍋博子さんが主宰するコレクターの集まり・ワンピース倶楽部のコレクション展がオギタ・メグミギャラリーで開催されていて、最終日となってしまったが行ってきた。
ワンピース倶楽部では一年に少なくとも一点は必ず美術品を購入しなくてはならない決まりがあって、業界にとっては大変有難い倶楽部である。
とは言え、会場に入ってびっくり、約会員70名のコレクションが所狭しと並んでいるのだが、知っている作家の作品はほんの数点。
その全てが現代美術であることも驚きの一つだが、キャプションに記してある購入先が私が知るキャリアのある画廊は僅かで、その多くがここ数年に出てきた画廊というか、私が全く知らない画廊も多い。
そうした所から、これだけ多様な作家の作品がコレクターの手元に入ったことを思うと、かなりのカルチャーショックである。
業界図がすっかり塗り替えられているのではないかと思うくらいの様変わりである。
従来からお付き合いのある同じくコレクターの集まりである美楽舎のコレクション展も8月初めに開催されたが、こちらは私の知る作家のコレクションも多く、そのコレクションからコレクターの方の顔も見えてくるが、ワンピース倶楽部のほうはさっぱりである。
石鍋さんから椿は両方に跨っているからいいように言われたが、とんでもない。
キャリアに胡坐をかいていてはいけない、安閑としていられない時代に直面していることをまざまざと実感させられた。

9月2日

昨日、新たなコレクター層の拡がりに触れたが、その多くは若手作家に眼が向いている。
あるオークション会社が11月の香港オークションの折に33歳までの若手作家のコーナーを設けるので協力して欲しいと言って来た。
同じように、新たにできるシンガポールのアートフェアーでも新人ブースの出展依頼が来ていた。
国内でも、VOCA展の40歳までを筆頭に各所で若手に絞ったコンクールが開催されていたり、メディアもその多くを若手作家に割いて紹介をするなど、若手作家大隆盛時代の様相を呈している。
長い間若手作家の紹介に努めてきた私にとっても大変喜ばしいことなのだが、何故か素直に喜べない部分もある。
リーマンショック以降、美術市場も投資的側面はかなり影を潜め、新たに美術コレクションを楽しむ層が確実に増え、そうした層が若手作家を購入しているのは間違いない。
ただ危惧するのはそうしたコレクションが一過性になるのではないかと心配する。
私共でお付き合いしてきたコレクターの方はそれぞれの好みが如実に出ていて、長年培ってきた鑑識眼で作家・作品を支えてきたように思う。
それだけに時間を経ても一つの流れの中で作家も作品も育ち、一人歩きできるようになっていった。
ところが今これだけ大量の若手作家が世に出てコレクションされていくのを見て、その多くが消費だけされて、果たして時間を経て作品が一人歩きできるのだろうかという危惧を持ってしまう。
40年ほど前に私は新人ブームを経験している。
その当時はインフレヘッジという側面があって、お金より物に変えておこう、貯金より投資ということで、美術品もその渦の中に巻き込まれていった。
朝から新人作家の展覧会場に行列ができたり、私の画廊でも各美大からの推薦の学生の個展を非売を前提として開催していたが、どこで調べたか学生の家まで押しかけては買い付けるなど異常な状況下にあった。
デフレスパイラルの今は若手作家は安いから買おうという全く前と違った状況にあるが、ブームであることは間違いない。
40年前のブームはあっという間にオイルショックとともに消え去り、その時もてはやされた作家は今その名前さえ思い浮かばない。
残っているのは地道に画廊とともに歩み、コレクターに支えられた作家だけである。
今これだけ多くの若い作家が世に出て、果たして何人が30年後、40年後に残っているだろうか。
消耗品ではない、後々まで愛で楽しむコレクションであってこそ作品は一人歩きできるのではないだろうか。
一過性のブームで終わらないことを願う。

9月3日

気象庁が観測開始以来113年間で最も暑い夏だと発表した。
それ以前が、今のようなアスファルトも自動車や空調の室外機もない時代だったことを思うと、日本有史以来最も暑い夏だったに違いない。
9月の半ばまで続くというから、いつまで身体が暑さに耐えられるかの我慢比べになってきた。

東京美術倶楽部で真筆との判定が出た掛け軸の表具を入れ替えたため、お客様の依頼で再度鑑定に出すことになった。
あわせて他の作家の作品の鑑定もお願いしたが、いつもこの倶楽部の鑑定システムには首を捻っている。
高額な鑑定料と更に真正のときに出す鑑定書の代金も馬鹿にならないが、それだけの料金を払っているにもかかわらず、鑑定のプロセスが全く開示されない。
偽物の作成にも関わることなので、全てを教えるというのも難しいところだろうが、偽物と判断された時の根拠の説明が全くなされないと言うのもおかしい。
その判断も10人の鑑定委員のうち一人でも×票、もしくは白票があるとその作品に対して鑑定書は発行されない。
現在、日本のオークションでは鑑定書の必要な作家の作品に鑑定書が添付されていないと出品を受け付けてくれないか、もしくは鑑定書がないので保証無しでの出品となる。
当然保証無しでは価格は大幅に安くなる。
ということは、たった一人の鑑定委員の白票によって高額で購入した作品でも無価値になるということである。
そうした事態になるにもかかわらず、その白票もしくは×票がどういった見解でそうなったかの説明はしてもらえないのである。
裁判で判決が出ても、その判決に対して異を唱えた裁判官の反対意見は必ず述べられる。
それが正義というものだろう。
いま一つおかしいのは、鑑定書が得られないことに対して疑問を呈すると、依頼者側でその作品の出展履歴や掲載画像の資料などの提出といった真正とする根拠を求められる。
そんなものがあれば、高い鑑定料など払って鑑定を頼まないと思うのだが。
私共で鑑定書の発行がなされなかった著名作家の作品が海外のオークションではその添付の必要なしということで出品された。
海外のオークション会社では日本のオークション会社と違い、美術倶楽部の鑑定書を必要としないと言うより要求もしてこない。
美術倶楽部にもそれなりの見解はあると思うし、長い間の経験でこの方法が良しとされてきたのだろうが、こうした美術倶楽部の鑑定書が日本の美術市場で重要な部分を占めるのであれば、それなりの是正がなされてしかるべきと思うが如何だろうか。

9月4日

アートソムリエの山本冬彦氏が、時折拙い私のギャラリー日記をブログにて紹介していただいていて、身を小さくしているが、昨日、一昨日のブログでも私の日記に触れていただいているので、逆にご紹介させていただく。

画廊界、コレクターの地殻変動

●今日のダイヤモンドマネー誌の記事もそうだが、美術雑誌以外の一般誌に画廊の記事が出ると、必ずと言って良いほどいわゆる「現代アート系」の画廊だ。銀座系・画壇系の画廊は美術専門誌に偏っていて、広く一般への発信力が弱いし、扱い作家や営業形態もユーザー対応に弱い。現代アート系の画廊が都心をやや離れたところにあるのにたくさんの人を集めているのに、銀座系の画廊がこれだけの画廊集積地区を生かしていない。
 銀座系の画廊に必要なことは、一般への発信力を強めること、そして新しいユーザーを開拓することだが、それができないと、銀座系の画廊はいずれ絶滅する・・・などと悪態をついているが、ぜひ復権してほしいからでもある。そんな、業界の変革を今日のギャラリー椿さんの日記で見て取れる。それなりに若手、現代アート系も扱っているギャラリー椿さんですら、驚くようなユーザーの変化がおきているのである。

「芸術家」か「アートタレント」か

9月2日のギャラリー椿さんの日記にまたしても最近のアート状況を憂うる記事がある。我々のような年配のものにはどうしても最近の状況が理解できないというか一過性というか軽薄に見える。しかし、その最大の理由は作家を昔風の「芸術家」と見ているからで、むしろ「アートタレント」と思えば当然の流れとして理解できる。要は良し悪しではなく、作家、画商、コレクターたちが「芸術家」を望むのか「アートタレント」を追いかけるのかをきちっと見極めて動くことではないだろうか?

アートタレントの作家達が一発芸人で終わらないことを祈る。

9月5日

台北で生活的藝術/Living with artという展覧会が開かれている。
高級家具店で家具の中に台湾と日本の現代美術作家を展示するという面白い試みである。
日本からはシュウゴアーツとアラタニウラノが協力し、台湾のコレクターのルーディ・ツオン氏の企画によるものである。
カタログに森美術館のチーフキュレターの片岡真実氏が一文を寄せているのでその抜粋を紹介する。

ドロシー&ハービー・ヴォーゲルは、ニューヨーク在住の現代美術コレクターだが、彼等を他の多くのコレクターから際立たせているのは、図書館司書と郵便局員という至極平均的な生活の中で、1960年代前半からミニマリズム・コンセプチュアル・アートのアーティストのコレクションを始めたことだ。
彼等は多くのアーティストの極めて初期作品を購入し、しばしば最初のコレクターとなり、後のコレクションの構築には彼等とアーティストとの友情が共にあった。
そのコレクションは、単なる物質の集合体ではなく、作品が内包するコンセプチュアルな価値や意味を超えて、アーティストとヴォーゲル夫妻の人間的な交流、体験や感情、そして半世紀の彼等の人生そのものが宿っている。

彼等の映画がDVD化されたことを教えてくれたのは、台湾の新しいコレクターの友人・ルーディ・ツオンである。
ルーディは台北郊外の自宅に招待してくれた。
モダンデザインの美しい建築空間に現代美術作品が融合し、吹き抜けがいかされた空間構成は、それぞれの作品同士の対話が可能な開放的な場を創出していた。
ルーディは作品解説付きで自宅の案内を始めてくれたが、アーティストとの思い出を語ってくれるルーディの眼は少年のように輝きはじめ、その輝きによって物質として静かに存在していた作品達も活き活きと語り始める。
コレクションとは物質の集合体ではなく、コレクターとアーティストやギャラリストたちが共有する時間、体験や対話の集積だということが改めて実感され、ヴォーグ夫妻に対するルーディの絶賛がここで一つになる。

ルーディのコレクションは彼自身のパッションと飽くなき好奇心・探究心の象徴でもある。
ルーディの熱意は尊敬に値する。
彼の熱意とフットワークの軽い具体的な行動は、多くのアーティストや作品との出会いに繋がり、それがコレクションを内包するエネルギーに転換され、結果的にコレクションの物質性にも輝きやバイブレーションを与えている。
昨今の現代美術ブームの中で、新富裕層など新しく現代美術への参入も見られるが、もしその興味が市場的、数字的な興味から来ている場合には、コレクションを構成する個々の作品もまた数字にしか見えないだろう。
物質としてのコレクションは生活空間に美しさや輝きをもたらす対象化された存在であるが、同時に収集の結果としての物質だけではなく、収集、展示、鑑賞に至るプロセスの全てがコレクションという行為の一部であり、コレクターの人生に意味をもたらす媒介である。
現在、ヴォーゲル夫妻のコレクションの殆どは、ワシントンDCのナショナルギャラリーへ寄贈され、米国内の美術館を巡回予定だが、ヴォーゲル夫妻のもとにはコレクションを所蔵していた時となんら変わらない思い出が、不可視のコレクションとして残っているはずである。
そして、そのような不可視のコレクションはルーディのもとでもまたどんどん増えて行くことだろう。

9月6日

小林裕児の個展が始まった。
大作を含め28点の作品が展示されたが、彼の初めての個展以来の付き合いのなかでも、私は一番いいのではないかと思うくらい見ごたえのある作品が並ぶ。
最初はブリューゲルのような擬人化された動物たちを壮大なスケールの中で細密に描いていたが、それを最後に作風はがらりと変わり、自由奔放な表現に変わり、更に発表のたびに変貌を遂げて行った。
それが今回の個展では、最初の時に戻ったかのようなスケールの大きい奥行きのある風景が描かれ、自由さと緻密さが融合したかのような作品となった。
特に案内状にもなった「浸水の森」は出色で、3メーターを越える大作でそう簡単には収まりそうもないが、何処か公のスペースで多くの人に見てもらえるところに設置できるような話があるといいのだが。
明日のパフォーマンスも既に80人近い方からの予約が入っていて、音楽・ダンスとともに裕児作品を存分に堪能してもらえることだろう。

これが終わると明後日から私はソウルのアートフェアーに出かける。
会期の前半を留守にするが、裕児展に大いなる反響があるのではと期待する。

9月7日

明日早朝に韓国へ出発。
台北のフェアーも帰ってきた他の画廊さんの話では、概ね日本の画廊は好調だったようで、それなりの成果を挙げたようだ。
さて韓国ではどのような結果が出るのだろうか。

KIAFは台北の倍の規模となる約200画廊が出展することになっていて、日本から16画廊、イギリスから14画廊など海外16ヶ国の画廊が参加するアジア最大のフェアーとなった。
第一回から参加しているのは私のところぐらいで、その当時何とか日本の画廊に出て欲しいと韓国画廊協会の会長が来日し、私と一緒に主要な画廊に勧誘に行ったが、殆どの画廊に断られた頃を思うと隔世の感がする。
また、9年前のKIAF開催を契機とした韓国美術市場の隆盛、それに連動してのアジアンコンテンポラリアートの活況を目の当たりにしてきただけに、一人取り残されたしまった日本美術市場との格差もこれまた身をもって体験することとなった。
何故なのだろうと自問自答するが、要は国内需要で潤っていた日本の美術業界と違って、未成熟だったアジア諸国は必然的に海外にその市場を求めた。
結果、グローバルネットワークの時代が構築されると、海外に根を張ったアジアアンアートは大きくクローズアップされることになった。
同時に経済力が増大するとともに、国内に新たな富裕層が誕生し、海外での評価を背景に、ステータスとして、資産として、投資として、美術品にいっきに眼が向くことになったのではないだろうか。
それに伴う行政の文化支援も見逃せない。
海外に行くたびにその格差の増大に悲憤慷慨させられるのだが、こうして海外フェアーに活路を求める日本の画廊が増えることで、日本のアーティストも徐々にグローバルスタンダードになり、草間、村上、奈良に続く作家も生まれることだろう。

その一翼を担う気概でKIAFに行ってきます。

9月8日

早朝の出発だったが運転席の窓が割れて羽田に逆戻り。
昼の1時を過ぎても出発せずどうやらオープニングには間に合いそうにない。
その上台風も近づいてきていて果たして飛行機は飛ぶのだろうか。
搭乗口では空港スタッフに韓国のおばさん達がくってかかっているがいやはや物凄いパワーである。
あきらめてじっと待っている日本人とは大違いでこれも昨今の日韓の勢いの違いなのかもしれない。

9月9日

昨日は何と朝10時過ぎに着く予定が、結局夜の8時を過ぎてしまい、オープニングには間に合わずとなってしまった。
コクピットの窓にひびが入ったということだが、もし窓が割れて操縦士が外に飛び出していたらと思うと、ホテルに着いてからどっと冷や汗が。
それにしてもJALさん機体整備は大丈夫なんでしょうか。

今日は朝からフェアー会場に詰めることになったが、盛り上がりはいま一つといったところだろうか。
今年はイギリス年ということでイギリスの画廊が多数参加し、一味違った現代美術が並ぶと思ったが、意外や意外アジアンテーストのイラスト風作品が多いのには驚いた。
例年多数の画廊が参加するドイツのほうが、ドイツらしい抽象表現主義的な作品が多く並んでいるいのだが。

日本の画廊の多くは一か所にまとまって配置されているが、私のところは長年の実績もあって配慮してくれたのだろうか、入口から直ぐの韓国の大手画廊と並んだところにブースを用意してくれていて、大変ありがたいことと感謝している。
何とか地の利を生かして、売り上げにつなげるようにしなくては。

9月11日

今朝も雨。
昨日も1日雨がふっていて肌寒く、東京とは大違いでソウルはずっとこんな天気が続いているらしい。
そんな天気の中初日とは打って変わって大勢の人が詰めかけた。
お陰で売上も好調で不安は一掃された。
インドネシアや台湾の画廊からも展覧会の依頼がきたりで台北のフェアーとは少し違った展開となった。
相変わらず韓国の画廊の接待は物凄く初日のエギジビターパーティー、翌朝のガナギャラリーでのブランチパーティー、取引のある画廊さんからの毎夜の接待で夏やせはすっかり元に戻ってしまった。
今夜も招待があり、せっかくのご馳走で申し訳ないがお茶漬けが食べたい。

9月12日

14日に組合の大会があってアートフェアーの終わりを待たずに日本へ戻る。
フェアーのほうは金、土、日と物凄い人出で今まででも最高の賑わいとなった。
VIP招待日、初日と少なかった分、週末に集中したのだろうか。
私のブースも写真を撮る人で溢れかえっている。
特に今回は浅井飛人君の立体が人気で周りに集まる人で作品をひっくり返されるのではないかと気が気でない。
作品も出品した4点がすぐに売れてしまい新作の予約が殺到し、制作に時間がかかる仕事だけにどう対応していいか嬉しい悲鳴である。
他にも新しく紹介した作家の作品が人気で、繰り返し出展しているとそうした作家の作品が新鮮にうつるのだろうか。
ドイツ、イギリス、スペインなどのヨーロッパの画廊、インドネシアの画廊も今回は多数参加していて、それぞれに見ごたえのある展示で大いに刺激になった。
そんな中、門倉の作品がイギリスの画廊に展示されているのにも驚いた。
また、別のイギリスの画廊では巨大なブースマップを壁に貼って、各ブースの売り上げを赤マークで日々増やしていくといった作品?を展示していた。
それによると、全体で見ると売り上げはそれほどでもなく、売れているところと売れていないところの格差が大きいようだ。
幸い私のところにはたくさんの赤マークが付いていて、恥をかかなくてすみそうなのだが、面白いことを考えるものである。
あと2日、ブース全部が赤マークで埋め尽くされて、作品の完成となるとといいのだが。

9月14日

門倉直子と台湾の若手アーティストの二人展が台南市のダーホンギャラリーで開催されている。
昨年の台北でのフェアーの折に作品を購入してもらいそれが縁で今回の展覧会となった。今年の台北のフェアーでも門倉作品を買ってくれた台南の若いコレクターの方がそのオープニングに行きその時の写真を送ってきてくれたので紹介する。
門倉作品は台湾だけでなく韓国でも人気で今回もソウルの大きなホテルの社長がひとまとめで買ってくれホテルに飾られることになったりイギリスの画廊のブースに飾ってあったりとだんだんとインターナショナルになってきた。
フェアーを通じて紹介の場が広がることはとても喜ばしいことである。

   

9月15日

開催中の韓国のフェアーでリ・ユンボクの彫刻を買ってくれたお菓子メーカー・クラウンの会長が画廊に寄ってくれた。
クラウンはロッテに次ぐお菓子メーカーで会長はソウル郊外の山に彫刻公園とアートレジデンスを設け若手作家支援を積極的にされている方である。
フェアーでお会いしたばかりだが翌日には50名の幹部社員を連れて来日し立山連峰に登りその後10を超える美術館を廻ってきたそうだ。
社員もせっかくの日本で他に行きたいところもあるだろうに社長の趣味に付き合わされて一寸気の毒。
羽田出発前の慌ただしい中を寄ってくれただけでも有り難いのにトランクのような大きな箱に一杯のお菓子の詰め合わせを持ってきてくれてスタッフは大喜び。
11月のテグでまたお会いできるのを楽しみにしている。

9月16日

韓国行きの前の晩で慌ただしくてご報告ができなかったが小林祐児展の折に開催されたバーフォーマンスは大盛況で盛り上がった。
小林作品から触発されて生まれた音楽とダンスはまるで作品の中の人が奏で踊りだしているようでその臨場感に包まれ会場は一体となって興奮に包まれた。
違うジャンル同士が刺激し響き合うことは更にお互いを高めることになる。
またこうした機会を作り皆様にも楽しんでいただきたい。

9月17日

KIAFに行っていたスタッフも日本に戻り、海外の展覧会も一段落。
次は11月からのテグのフェアーの準備に入る。
作家さんからうれしいメールが届いたので紹介させていただく。
海外での発表の機会を作ることで、作家の皆さんが大いなる刺激を受け、自分の糧とし、更なる向上に繋がればと思っていただけに、こうした思いを伝えてくれることは、私にとっては何よりの喜びである。

こんにちは
遅くなりましたが、台北、KIAFと大変お世話になりました
度々このような発表の場をいただき本当にありがとうございます
毎日毎日おいしいごちそうもいただき、とっても幸せでした

毎日アトリエにこもって自分の描いたものばかり眺めていると
ついつい目の前にあるものを仕上げることで手いっぱいになってしまい
視界が狭くなってはいないかと自問することさえ忘れてしまいそうになります
国内、海外アートフェアでの発表は、自分の作品を冷静に見ることが出来るだけでなく
様々な人との出会いがあり、その土地ならではの経験があり
立ち止まりそうになる足を一歩も二歩も推し進めてくれます

特に今年の4月の個展では、反省すべきことがあまりにありすぎて
気持ちの整理がつかないまま、なかなか新しい仕事に取り掛かることが出来ず
不毛な日々を過ごしそうになっていましたが
おかげさまで、今は新しい作品に立ち向かうやる気に満ち満ちております!
同時に、皆様に支えられ制作、発表できる幸せを強く実感しております

いつもいつもやりたい放題やりっぱなしで、いろいろとご迷惑おかけしておりますが
これからもがんばりますのでどうそよろしくお願いいたします
この度は本当にありがとうございました!

服部 知佳

9月19日

朝晩は過ごしやすくなってきたが、今日も昼間の日差しは強く、暑い日が続く。
これ以上続くと体が持ちません。

私の拙い日記を楽しみにしている方には申し訳ないが、日記や画像のアップがままならず、遅れ気味になっていることをお許しいただきたい。
編集を別のところに頼んでいることもあって、自分では何ともできず歯がゆい思いをしているのだが致し方ない。

韓国のKオークションの朴さんが訪ねてきた。
KIAFでは会えなかったこともあって、わざわざ挨拶に寄ってくれた。
彼女のお母さんは韓国で一番歴史のある現代画廊の統轄マネージャーをしていて、Kオークションも現代画廊が経営をしている。
ライバル会社であるソウルオークションも韓国最大の画廊ガナアートギャラリーが経営をしている。
一軒の画廊がオークション会社を経営しているのは日本では考えられないが、それだけ韓国の画廊のスケールは大きい。

日本のオークション会社は近代美術の不信もあって大変苦戦をしているが、朴さんの話では逆に韓国では近代美術の評価が高まっていて、現代美術を超える勢いだという。
日本と違い、近代美術のベースの価格が安かったこともあるのだろうが、ここに来てその評価は急速に高まっているそうだ。
日本では近代美術の従来の価格があまりに高すぎて国際市場で流通するのは難しかったが、ここまで下がってしまった今の近代美術の価格なら充分に国際市場に打って出ることができる。
実力以下の価格になってしまった質の高い作家を海外のフェアーなどに持っていって、積極的に紹介をしていくのも一つの方法ではないだろうか。
近代美術が駄目だから、全ての画廊が現代美術では、日本の美術市場から明治以降の近代美術が欠落してしまうことになる。
東京美術倶楽部に加盟をしていた画廊もかなり減ってきたと聞く。
何とかひとふん張りして、近代美術をメーンにしてきた画廊さんには頑張ってもらいたいものである。

9月22日

明日は秋分の日。
暦の上では夏から秋に変わる日なのだが、猛暑は続く。

この暑い夏は冠婚葬祭の葬の知らせばかり多かったのだが、明日は久しぶりにおめでたい話で、お客様の息子さんの結婚式に招かれ行ってくる。
我が家もおめでた続きで、長女の2番目の子供がどうやらここ一週間の間に生まれそうとの知らせが届いた。
次女の結婚式も来月末に予定されていて、更には長男夫婦にも子供ができたとの知らせがあった。
プライベートのおめでたにあやかり、仕事にも是非おめでたが来て欲しい。

9月24日

暑い夏もようやく終わりを告げようとしている。
とはいえ、いきなり涼しくなり、お天気もほどほどにというわけには行かないのだろうか。

昨日の結婚式は政治家と脳神経外科の女医さんの結婚ということで、元総理大臣を始め自民党のお偉方から著名なお医者さんといった私とは縁遠い方ばかりが多く出席していて、華やかな式であった。
大勢の自民党の議員さんも今や暇なのか途中退席する人も少なく、政権交代の現実を実感させられた。
隣の席に東京美術倶楽部の理事長が座っていたこともあって、鑑定の話や海外の美術に対する優遇税制や文化支援の話をさせてもらった。
理事長もわが国の文化行政や税制について大変憂慮をしていて、有識者を集めて行政に働きかけるべく動いているとの話を聞かせてもらった。
私もアジア諸国のの画廊協会との太いパイプもあるので、一度アジアでの文化支援や優遇税制について視察に行くよう提案させていただいた。
理事長も大変乗り気で、そうした状況を把握した上で、業界としてどういうアプローチをしていくかを考えていこうということになった。
隣り合わせのご縁がいい方向に進むといいのだが。

9月25日

イチローが大リーグで10年連続200安打の大記録を打ち立てた。
最初から大リーグにいたならとんでもない記録を打ち立てていただろう。
安打数もさることながら、それだけの数字を達成するには丈夫でなくてはならない。
打って走って守って、その上休まない。
一番打者である以上打つ回数も多く、内野安打や盗塁、ファインプレーのためには人より余計に全力で走らなくてはいけない。
広いアメリカでは移動も並大抵ではない。
そうした中で試合に出続け結果を残すということはものすごいことである。
目に見えないところでの努力と節制の賜物なのだろう。
そんな激しい運動をしない私なのに、新幹線で大阪に行くだけで疲れたり、風邪を引いたり、腰が痛い、肩が痛い、体がだるいといっては怠けようとする。
明日の朝の散歩も愚だ愚だいわずに頑張らなくては。

今日久しぶりにお世話になっているコレクターのN会長のところに出かけた。
会長はイチローとは逆で、死線をさまよう大病を何度も乗り越え、80歳になっても第一線で元気で活躍をしている。
この6月で会社設立50年を迎え、記念の社史を編纂しているという。
会社もますます発展して、何よりおめでたいこととお喜びを申し上げる。
私の父親が画廊を創業して48年、父の後を継ぎこの世界に入って42年、新たに画廊を起こして27年、イチローやN会長には及ばないが、丈夫で長持ちする画廊でありたいと思っている。

9月26日

土曜日から富田有紀子展が始まった。
VOCA展奨励賞を受賞して以来、彼女は一貫して花や果実をマクロでとらえ、画面一杯にその対象をダイナミックに表現しているが、今回はブラックホール、樹間、洞窟から仰ぎ見るような風景を多く発表した。
そのホールから見る風景は、望遠鏡を逆さまにしたような遥か遠くの風景で、接写され拡大された従来の画面との対比が面白い。
遠近両用といったらいいのだろうか、近づいたり離れたりで、作品を鑑賞していただくのも、今回の楽しみの一つではないだろうか。
待ちに待った秋の過ごしやすい気候となり、美術鑑賞には何よりの季節となった。
文字通りの美術の秋を堪能していただきたい。

9月27日

秋雨の朝を迎えた。
人間勝手なもので、あの猛暑と干天が懐かしくなるから不思議だ。
この雨だと来る人も少ない。

送られてくる美術情報誌や案内状をを見てみると、団体展はもちろんだが、若手のコンクール、画廊の共同イベントがこの秋盛りだくさんである。
トウキョウフォト2010(20日で終了)、東京美術青年会主催のアートアワードネクスト(今日が最終日)、東京交通会館でのヤング・アーティスト・ジャパン(10月30、31日)、西武渋谷店のカワイイ賞展(10月13日〜17日)東京ミッドタウンアワード(10月28日〜11月3日)、東美特別展(10月15,16,17日)、アフタヌーンギャラリーズ(10月31日)、若手ディレクターによるアートフェアー・ウルトラ(10月28日〜11月3日)、クンスト・オクトーバーフェスト’10、青参道アートフェアー、美術倶楽部で開催されるコンテンポラリーアートフェアー・プリウス(11月19日〜21日)などなどとても見切れないほどのイベントが催される。
画廊単独の動員力が弱まり、一堂に見られる企画が多くなり、若手コンクールでの隆盛も画廊・評論家の目線よりは美術愛好家の目線に移って来ているようだ。
いろんな形で画廊独自の力の衰退が案じられる。

9月28日

グーグルでギャラリ−を検索すると、最初のページでギャラリー(ウィイキペディア)に次いで私のところが出てくる。
検索数が多いということで喜ばしいことなのだろうが、こうしてホームページを見ていただいている方と、画廊に足を運んでくれる方との数は決して一致していないように思う。
ホームページだけの情報に満足して画廊に来ていただけないとなると、それはそれで考えなくてはいけない。

日曜日に久しぶりに映画を見ようとパソコンで映画のページを検索すると、それぞれの内容が紹介されたり、予告編が画面で見れるようになっている。
これを見ているとどの映画も見に行きたくなってしまう。
画像ではなく実物を見てみたい、他にもっと興味を引く作品が展示されていないだろうかと、期待感を抱かせられればいいのだが、中々映画のような知恵が浮かばない。

これも一例だが、私共の夏恒例のオークションがあるが、この案内はホームページでも送付するリストでも画像は載っていない。
画像を掲載するだけの費用や時間の余裕がないこともあって載せていないのだが、それでも多くの人が画廊に来てくれる。
以前携わっていたJAA(日本美術品競売)のカタログも、私が社長をやるまではカタログには一切画像が載っていなかったが、大勢のお客様が来てくれていたし、画像を載せるようになると、以前の方がよかったという声も多かった。
どちらも全部を見せるのではなく、イメージする楽しみを残していたからだと思う。
ネットでもそうした要素を残さず、全てが見えてしまうと、それで終わりということになってしまうのかもしれない。

その映画でさえ、劇場に足を運ぶ人はテレビやDVDに押されて少なくなっているという。
事実、見に行った映画も日曜日の午後にも関わらず閑散としていた。
臨場感という楽しみがなくなってしまったのだろうか。

私も映画館も悩みは尽きない。

9月29日

秋雨が続き、先週までの夏物が全て御用済みとなってしまった。
毎朝の散歩もしばらくはお休みである。

昨日、医学博士で筑波大学名誉教授の野村武男氏の「人生を楽しむ水中散歩」という講演を聴いた。
先生は水泳のオリンピック選手の指導育成に長い間携わっていて、過度の練習による水泳選手の腰痛ケアーから、逆に腰痛を含めて老人の足腰の老化回復に水中運動が何より有効であること研究実践され、百歳まで元気でいてハッピーポテンで寿命を終えることを提唱している。
水中の浮力・圧力によって、歩くのが不自由な人が歩けるようになったり、背筋が曲がってしまった人が真っ直ぐになってきたりと、その効果は驚くばかりだそうだ。
昨日の帰りの電車でも50過ぎと思われるおばさんに席を譲られ、若い子ならともかくあんただけには譲られたくないと思ったが致し方ない。
一日も早く朝の散歩から水中散歩に切り替えなくては。

9月30日

先日の日記で若手作家のコンクールが増え、画廊や評論家目線より美術愛好家目線の審査が多くなっていると書いたが、ギャラリスト20人が審査員となる画期的な?コンクールがある。
「ヤング・アーティスト・ジャパンVOL3」がそれで、タグボートが主催し、有楽町の交通会館で10月30日、31日の二日間開催される。
プロを目指す新進アーティスト約130名が集まり、それぞれのブースで作品を展示即売をする企画だが、その作家達をギャラリストが審査投票し、グランプリ、2位、3位、審査員賞などを決める。
作家達はコンクールと展示即売だけでなく、ギャラリストの眼にとまり、取り扱い作家として取り上げてもらう大きなチャンスとなる。
そういった意味ではアーティストにとってこの上ない就活の場といえるだろう。
美大生の作品を展示し、企業の人に見てもらい、採用の機会を与えるといった企画が六本木であったが、企業側としては作品だけで採用というのは難しく、人物や考え方、学業成績も加味しなくてはならず、就活の場としては果たしてどうだろうかと思っていた。
今回は作品本位ということで、若手作家達にとっては何よりの展覧会といっていいだろう。
私も審査員の端くれに名を連ねていて、心ときめく作品の出会いを楽しみにしている。

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