ギャラリー日記 2014年10月〜12月 |
一夜明けて画廊が始まると、桑原展は最終日ということもあって、こちらも東京文化会館に負けないほどの大盛況である。 あわただしい現実に引き戻されたが、今年の締めくくりにこうして大勢の方の来て頂けることは、大変有難いことで、お越しいただいたお客様にはひたすら感謝の念でいっぱいである。 ●12月26日A 水漏れの原因がようやく判明。 昨日一日かけて、キッチンやトイレ、洗面所の床に穴を開けて、配管から水漏れがないかを点検してもらった。 僅かに配管からもれている気配があるが、もしその箇所が原因だとすると、床から壁までを大きく剥がして直さなくてはならず、正月を前に大変なことになってしまった。 ただそこからの漏れで下の階まで行くとは考えにくいということで、今度は風呂場を調べることになった。 バスタブの覆いを取って底の部分を見てみると、なんと水が溜まっているではないか。 どうやら風呂場の排水管が詰まりかけていて、お湯が溢れ出る時にオーバーフローしてしまい、劣化した底板の継ぎ目から下に漏れていることが判明。 今日になって、機械を持ち込み、排水菅を掃除してもらい、劣化部分は来年コーティングしなおしてもらうことで無事解決。 これも昨日の時点では、バスタブを移動させて修理しなくてはといわれ、しばらくは風呂に入るのをあきらめなくてはと覚悟したが、こちらも動かさずに済みやれやれである。 これでようやく安心して正月を迎えることが出来る。 惜しむらくは、点検のために開けてしまった3箇所の床の穴である。 そのままでは何ともみっともないので、元に戻したいところだが、今後もしやの配管事故に備えて床の穴はそのままにして、切れ目の部分だけを体裁よくしてもらうことにした。 集合住宅にお住まいの方はくれぐれも水漏れにはご注意を。 ●12月26日 サクラクレパスが毎年協賛する「クレパス画展」に私どもの作家に参加して欲しいとの依頼があった。 クレパスといえばサクラというほどその代名詞にもなっているが、そのクレパスの普及も兼ねて 、大阪の本社にある美術館「サクラアートミュージアム」やサクラの創始者である佐武林蔵氏の出身地・鳥取の日南町にある「日南町美術館」など4ヶ所を廻ることになっている。 今までは日本画洋画の著名作家が出品していたが、今回は女性作家だけということになり、私にも協力をということになった。 そこで呉亜沙、服部千佳、堀込幸枝、横田尚、屋敷妙子、青木恵、井澤由花子、新藤杏子、門倉直子、富田有紀子の10人が参加することになった。 ほとんどの作家がクレパス画初挑戦だが、新しい側面を引き出す意味もあって、いい機会かもしれない。 クレパス88色一式が支給され、それをどのように使ってもかまわないとのことなので、それぞれがどんな作品に仕上げるのか楽しみにしている。 最後は東京でも発表されるので、その時には是非ご覧いただきたい。 日時・場所など後日詳細をお知らせする。 ●12月25日 今日は嬉しいニュースが飛び込んできた。 10年前にうちでアルバイトをしていた小野耕石君がVOCA賞を受賞したという。 当時はまだ東京芸大の院生で、展示や搬出入の手伝いをしてもらっていた。 彼の作品は、シルクスクリーンを何度も重ねていく技法で、シルクの点の集合が重なることで針状になり、画面を構成する。 それぞれにはもちろん色がついているので、全体を見ると微妙なグラデーションになっていて、見る角度で色彩が違って見え、揺らぎのような効果をもたらす。 最新作がどのようになっているかは分からないが、以前資生堂ギャラリーで発表した折には、広い床面に作品が敷き詰められ、それを階上に上がって見下ろすという従来の鑑賞方法とは違った見せ方をしていた。 その後の個展では額装された発表が多かったが、今回はどのような作品が受賞したのだろう。 どちらにしても作品がデリケートで、私のところで扱うのは躊躇していたが、油彩や写真の出品作が多い中、版画という表現で、更には抽象的表現という昨今の風潮とは一線を画した仕事で受賞したことは賞賛に値する。 造形大から芸大の版画の専攻科に進んだが、芸大に行くまで芸大の教授で版画の大御所だった駒井哲郎を知らなかったというのを聞いて、今時の学生はと驚いたものだが、 そんな彼が大きな賞をもらい、さぞかし駒井哲郎先生も喜んでいることだろう。 ●12月24日 私のマンションの下の階で天井から水漏れがしているので、調べて欲しいと連絡があった。 家内も孫の世話で娘のところに行っていて、留守をしているので、私が大慌てで家に帰ることに。 最近蛇口の締め忘れなど、ボケが進行しているので、もしやと思って心配しつつ帰ったが、どこも水が流れたり、溢れた気配はない。 下の階に取り敢えず謝りがてら、水漏れの箇所を見せてもらう。 微かにだが、ポタっと天井から水が漏れていて、下にバケツが置いてあり、そこに少し水が溜まっている。 そこは最近引っ越してきたばかりの建築事務所になっていて、幸いなことに天井を抜いてロフト風のコンクリートがむき出し、床もスノコのようになっていて、そこがわずかに濡れている程度なので、まずは被害が大したことがなくて一安心。 それでも水漏れしているのは間違い無く、どこが原因かわからないので、工事業者に連絡をして見てもらうことに。 年末の慌ただしい時だったが、マンションの工事業者、内装の業者、水周りの業者が駆けつけてくれた。 それでも原因がわからず、床下の配管に原因がありそうとのこと。 そうなると、床を剥がしての大工事になり、すぐに直るというわけには行かない。 昨日孫達が来て跳ね回ったせいではないだろうが、とんだクリスマスイブとなってしまった。 ●12月23日 休みということもあって、一日早いクリスマスを我が家でやることになった。 長男一家と次女一家を呼んで、私が料理教室の腕を振るうことにした。 しかし技術不足は否めず、たまねぎのみじん切りに30分もかけると、家内が横でうるさいことおびただしい。 塩加減や、ワインや薄力粉の分量の間違いもしたりで、てんやわんやの末に食卓に並んだが、意外や意外、味はなかなかのもので、みんなには大好評。 孫娘にはおじいちゃんかっこいいとのお褒めの言葉も。 それぞれに下の子供が一人づつ出来て、今年はまだおとなしくしていたが、終わる頃には、みんな眠くなったのか、4人揃って大泣きで、来年が思いやられる。 3月には、シドニーに居る長女一家が日本にやって来て、みんなで一緒にスキーに行くことになっているが、6人の孫勢ぞろいでは、さぞかし大変なことになるだろう。 孫が来て嬉しい、帰って嬉しいというが、確かにその通りで、みんなが帰ると女房ともどもくたくたで、ハァーっと思わずため息が。 ●12月22日 昨日は大学のヨットの先輩達に我々同期、後輩も若干混じり忘年会。 先輩達は古希を超えたが、ますます血気盛んで、我々後輩もたじたじ。 皆さん未だにヨットも現役で、うらやましい限りである。 私も先輩達が所有するクルーザーのメンバーの一人なのだが、なかなか乗る機会もなく、湘南の海もますます遠くなっている。 2月には創部60周年ということで、大勢のOB、部員が集まることになっていて、日ごろ顔を合わせない仲間達との再会も楽しみにしている。 場所も、学生時代の思い出深い学生食堂なのだが、私達の時代と違って、お洒落なカフェテラスなどもあって、だいぶ様相は違ってしまっているようだ。 ●12月21日 STAP細胞は結局証明できなかったとメディアは大々的に報道した。 全ての責任が小保方さんにあるように。 あれだけ持ち上げたメディアの報道は一体なんだったんだろう。 それ以上に思うのは理研の体質である。 今回3ヶ月かけて検証をしたというが、それでは何故そうした検証を発表する前にしなかったのだろう。 若いまだ未熟な研究員の成果を鵜呑みにして、発表をしてしまった理研とその指導教官の責任をもっとメディアは問うべきではないだろうか。 メディアはまず自分達の報道姿勢を謝罪した上で、今回の検証結果は報道するのが、本来するべき順序ではないだろうか。 持ち上げられて、魔女裁判のごとく火祭りにあげられた小保方さんの心情を思うと、気の毒でならない。 自分でまいた種を自分で刈り取ることも出来ずに、よってたかって踏みにじられて、それでポイではあまりに可愛そうだ。 小保方さんが立ち直るには相当時間がかかるだろうが、これだけの画期的な実験に取り組むことが出来たことを糧に、スタップ細胞があるという確信があるなら、それに向かってまい進していって欲しい。 まだ若いし、十分やり直せる。 そして今度こそメディアをぎゃふんと言わせて欲しい。 ●12月20日 外は雨だが前日までの寒さは弱まったようだ。 足元が悪い中、相変わらずたくさんの人が画廊を訪れる。 ほとんどが知らない人ばかりで、どうやって桑原展を知ったのだろうか。 ミニスコープの投票用紙に、アンケートでこの展覧会をどうして知ったかの質問が書いてあるので、開票してみると凡そはわかるのだが。 普段画廊に足を運ばない人がこんなに多く来てくださるのも桑原作品の魅力なのだろう。 作家も個展の魅力を継続していくことは大変なことだが、桑原はその努力を怠らない。 一年365日一日も休むことなく制作に向かう。 会期中も家に帰れば次の仕事に取り掛かる。 そうしたたゆまぬ精進が、見るものをひきつけるのだろう。 これだけの細かい仕事、眼も手先も年とともに衰える中、そのクォリティーを保ち、更に上を目指すことは大変なことだが、圧倒的な臨場感にますます磨きがかかっている。 また桑原が展開する世界は、クリスマスの時期にふさわしい、夢溢れる世界でもある。 こうしたことが相俟って、多くのファンが魅了され、個展の賑わいに繋がるのだろう。 我が家も桑原が展開する世界とは程遠いが、一応はクリスマスモードとなっている。 だいぶ以前に購入して、作者の名前も忘れてしまったが、クリスマスに相応しい陶器で出来たパリの街角が我が家に鎮座している。 瓦や石畳も一枚づつ焼いた大変な労作で、展覧会ではこうした建物や廃墟が立ち並ぶ中世を思わせる街並みが、巨大な大きさで造られていて、それを見たときの驚きは今も忘れられない。 とてもそんな大きなものは家に飾れないので、小さな家の作品でもあれば欲しいと頼んだのである。 そんなこともすっかり忘れてしまった一年ほど経ったある日、作者から電話があり、ようやく出来たので届けに来たという。 京都に工房のある作者は、車でわざわざ我が家まで運んできてくれたのだが、車の中を見てびっくり。 小さい家といったのが、我が家のどこにおいたらいいかわからないほどの大きな代物。 重さも60キロくらいあるというから、一人ではとても運べない、それが二つもある。 わざわざ運んでくれたものを断るわけにもいかず、やっとのことで運び込んで、今に至っている。 桑原もそうだが、世の中にはとんでもない仕事をする人がいるものだ。 ●12月19日 ここ数日処分品の依頼が多い。 近代美術の著名作家から書画骨董、刀剣の類まである。 その多くは大したものはないが、中にはこれっというものもあって、間違いがなければかなりの評価になるのだが。 週明けも2000点近い作品の査定があるが、おそらく評価できるのは一割にも満たないだろう。 師走の寒風の中、名品に出会う微かな望みを託して、老画商は街中を彷徨うのである。 ●12月18日 寒い日が続き、北海道や北日本では猛吹雪だそうだ。 東京も今日は最低気温は1度だそうで、これからの冬本番が思いやられる。 画廊には寒さにめげず、大勢のお客様がお見えになり、熱心に桑原展のスコープ作品を見ていく。 今回は抽選でミニスコープ(紙製)が当たるということで、投票箱を用意したが、既に満杯で投票率も100パーセントに近い。 先の選挙もそこまで行かなくても、せめて60パーセント台は行ってほしかった。 我々世代は行くのが当たり前で、学生時代も70年安保闘争真っ只中ということもあって、みんな政治には相当関心を持っていた。 今の時代は平和すぎて、政治には無関心な学生も多いのだろう。 ジャンボ宝くじも明日で締め切り。 ミニスコープに投票した人も、こちらで当たって運をつかってしまうと、宝くじに廻ってこないと複雑な思いの人も多い。 私なんかは、先日のロータリーのクリスマス会のビンゴで最後の最後にようやく当たったと思ったら、よりによって美術館のチケットで、こんなのは画廊にいっぱいあって嬉しくも何ともない。 そんなわけで、私にはジャンボもミニスコープを縁がなさそうだが、買わなきゃ当たらないので、明日の最後の残りくじに賭けてみることにする。 ●12月17日 稀代の政治家といっていいだろう石原慎太郎が政界を引退をした。 最後はわけのわからない政党を率いて戦い、無残な討ち死にとなってしまい、都知事にとどまっていればと私などは思ってしまうのだが。 会見の弁を聞いていても、石原節は衰えず、タカ派的発言が多かったが、それでも私達にとっては頼もしい言葉を聞いた。 これからは、若手芸術家の支援をしていきたいとの抱負を語ってくれたことである。 都知事時代に始めた若手アーティストの育成・支援を継続してやりたいとのことで、その意気大いに良しとしたい。 私も、国際フォーラムでのアートフェアーの時に、石原都知事に鈴木亘彦の作品を購入してもらったことは、いい思い出として残っている。 また好きなヨットでレースにも出たいといっていたが、おぼつかない足取りを見るとやめたほうがいいのではと心配してしまう。 ヨットでは、私達の大学のヨットの大先輩もクルーとして参加していて、所有するコンテッサ艇は多くのレースで優勝をしている。 82歳の年で政治家を辞めても、こうした意気盛んな暴走老人ではらはらすることもあるが、文学や言論の世界で一年でも長く元気で活躍してもらいたい。 ●12月16日 今日は現代日本版画商協同組合の冬季大会。 今年最後のオークションで、全体に低調と思いきや、後半に出てきた草間や奈良がとんでもない値段で落札されていくのには唖然とするばかり。 草間のサムホールが1千万円を遥かに超える値段で落札され、奈良の30センチほどの大きさの木彫も2千万に近い値段を始め次々に奈良作品が1千万以上で落札され、ただ指をくわえて見ているばかりである。 7,8年前に草間のサムホールが百万を超える値段になって驚いていたのが嘘のようである。 他の業者の交換会ではもっと高いようで、一体落札した業者はどこに売るんだろうか。 バブルを遥かに超えた価格が一部の作家には付いている。 これが今のマーケットの現状なのだろうか、長い間この業界に身をおいている私としては、すっかり門外漢となってしまい、一抹の寂しさを感じる。 この組合も、私より年上の画廊のオーナーが立て続けに退会したのも、こうしたマーケットの動向が影響しているのかもしれない。 40年近く身を置いているロータリークラブも四〇代の若手経営者が多く入会し、先日の家族会でも昨年までだと私を含め孫を連れてくるのも僅かだったが、今回は20人ほどの若手会員の子供たちが集まり、久しぶりに賑やかな会となった。 こうした若手経営者の奉仕団体であるロータリーに対する考え方もだいぶ変わってきていて、ベテラン会員との融和がなかなか難しくなってきている。 いろいろなところで世代交代の波が押し寄せ、今までの価値観が大きく変容してきているのだろう。 ●12月15日 衆議院選挙は自公連立政権の圧勝に終わった。 予想通りの結果で、保守勢力による安定政権がしばらく続くことになるだろう。 それでも国民が右傾化しているわけではなく、それは極右の次世代の党の惨敗、極左の共産党が躍進をしたことでもあきらかである。 安部政権の暴走を心配する声もあるが、こうした結果を見ると世論がそれなりの歯止めをしてくれるだろう。 まずは安定した政策の実施によって、景気が回復し、雇用が拡大し、それに伴う内需の拡大を期待し、我が業界にもアベノミクスが必ずや訪れてくれることを楽しみにしている。 それと、選挙ではあまり声が聞こえなかったが、ぜひとも文化政策、文化戦略を忘れないでいてもらいたい。 来年1月には、ソウルで台北に続き、アジア画廊協会会議が開催されることになっていて、私が出席する予定でいるが、アジア諸国に後れを取らないように、日本の踏ん張りの見せ所である。 再来年に日本で会議を開催し、オリンピックイヤーの2020年にアジアアートフェアーの開催を提案をさせていただく。 そのためにも受け皿をしっかり作り、行政・企業の支援体制も確立しなくてはいけない。 年明け早々から忙しくなりそうだ。 ●12月13日 熱心なお客様のおかげで、桑原作品はオープンと同時に完売となった。 寒い中を早くからお越しいただき、誠に有難く、ただひたすら感謝である。 今日から旧作4点づつも公開させていただくので、皆様にも是非ご覧いただきたい。 また交互に桑原展を開催している近くのスパンアートギャラリーにて、桑原弘明の実兄で、今年7月に亡くなられた桑原敏郎「もう一人のイブ展」が開催される。 今年5月に癌が見つかり、余命2ヶ月の宣告を受け、死を予感した敏明は弘明に自室に描いた作品があることを打ち明ける。 子供の時から喘息を患い、そうしたこともあって引きこもりの生活が続き、弘明は兄が描いていることすら知らなかったという。 弘明は兄に発表することを提案し、生前に自分の展示を見る事は適わなかったが、兄の思いを引き継ぎ、今回の展覧会となった。 15日(月)から12月27日(土)間で開催されるので併せてご覧いただきたい。 ●12月12日 桑原展は昨夜のうちに徹夜で4名の方が並び、出品作品が4点しかないために、早朝にわざわざ関西からお越しいただいた方はあきらめて帰ることに。 他にも、どのくらい並んでいますかの問い合わせもあり、その状況をお知らせさせていただいた。 ただ、先の4名の方が全て購入するとは限らないので、その時はまずは朝早くに来ていただいた方にお知らせしようと思っている。 展示は新作4点と旧作4点を並べ、旧作は日替わりで4点づつ展示替えをしていく予定である。 毎日見ても会期いっぱいの12日かかるのだが、メールの問い合わせでは毎日通い、全部見たいという方もおられる。 全てを見られなくても、新作を含めた101点の写真が展示されているので、その中で関心のある作品があれば、その作品の展示日にお越しいただければとも思っている。 また、展示のお手伝いのボランティアを募集していたが、こちらも毎日お手伝いいただく方が決まり、師走の忙しい中を有難いことと感謝している。 更には今回、快くご所蔵の作品をお貸しいただいたコレクターの方にも感謝申し上げたい。 中には遠方よりわざわざお持ちいただいた方もいて、これまた恐縮至極である。 こんな具合で、皆様の絶大なるご支援、ご協力の下、明日からいよいよ開幕である。 とは言え、桑原氏の意向で、貴重な所蔵品を出品していただいた方だけには、本日の18時から特別公開ということで、旧作を全部見ていただくことになった。 簡単なオードブルとワインを用意したが、さすが熱烈なファンの方はワインを飲んで粗相があってはいけないとほとんど手をつけず、スコープ作品に熱心に見入るのであった。 明日からお越しいただく方には、新作を含めた101点の写真の中でお好きな作品を選んで投票していただくと、抽選で見にミニスコープが三点当たることになっているので是非お越しいただきたい。 ●12月11日A 全国カレンダー展では、ギャラリー椿の堀込幸枝作品を使った大判カレンダーが、おかげさまで「実行委員会奨励賞」という賞をいただいた。 カレンダー展は銀座メルサ7階の東京銀座画廊美術館にて来年1月13日から17日まで開催される。 お時間があればぜひご観覧いただきたい。 またご希望の方は数に限りがあるので早めにお申し込みいただきたい。 ●12月11日 土曜日からの桑原展だが、もう並んでいる人がいる。 私も夜は車を画廊の前に用意するつもりでいるが、この方はレンタカーを借りてきて、私の車が用意されるまでこの車で並ぶそうで、恐縮至極である。 スタッフは丁度新作を取りにアトリエに向かっていて、今日、明日で旧作50点とともに展示することになっている。 ご希望のお客様はどちらにしても、土曜日にしか見る事は出来ないので、寒空の中、どうぞご無理をなされないように。 ●12月10日 今日は今年のゴルフ納めで、高校のクラスメートとラウンドすることになった。 今年一年絶不調で、もうゴルフをやめようと何度も思ったが、こうして50年も前の仲間と旧交を温めることが出来るのも、ゴルフをしてこそと思うとやめられない。 ゴルフ以外では、飲めない私は、一杯やろうと誘うわけにもいかないが、それでも大学、高校のヨット仲間や小中高のクラスメート、中学時代のバスケット仲間、ロータリーの仲間、テニスクラブ時代の友人との食事会や飲み会が暮れから新年にかけて目白押し、下手なゴルフをしなくても何時でも旧交は温められるのだが。 業界関係はゴルフも飲み会もほとんど断っていて、気の置けない仲間との集まりだけは誘われるうちが華と、率先して出るようにしている。 私も後1年半で70歳を迎えるとなると、そんな付き合いもだんだんと減ってくるわけで、元気でこうして友人達と出会える日々に感謝しなくてはいけない。 ●12月9日 山本冬彦氏から三菱アートゲートの問題点ということで書面をいただいたので、私なりの考えを述べたい。 三菱商事が主催する若手作家のメセナ活動の一環なのだが、新人作家をオークションで落札するやり方に疑問を呈している。 とうのは、その弊害として、参加者が増えるにつれて落札価格が高騰していることを心配しているからである。 それに対して、私は次のように述べている。 私はまだ三菱アートゲートオークションに伺ったことがありません。 というのも、新人の作品をオークションにかけることには最初から否定的でした。 通常のオークションでも未発表の新作をオークションにかけることはまずありえません。 更には、作家を目の前にしての競りは、とても辛いことのように思えてなりませんでした。 私もテレビのバラエティー番組で、それに似た内容の番組に値踏みをする側として出演したことがありますが、現実にこれをやるのはいかがなものかと思っていました。 それでも私達のような専門家ならともかく、今まで見たこともない作品を素人の人がおもしろおかしく値踏みすることが、果たして許されることなのかどうか。 オークションというと、一旦人の手に渡ったものが競りにかけられるのが一般的で、それは作者や画廊の責任を離れたもので、いわゆるセカンダリーマーケットといわれるものです。 それに対し、画廊や百貨店で展覧会をして発表することは、プライマリーマーケットと呼ばれ、そこには明確な線引きがされています。 例えば、作家が直接クリスティーズなどに出品することは、許されなくはないのですが、常識的には許されるものではありません。 新作の値段というのは、芸術性、キャリア、知名度、人気度、市場価格、他者との相対的価値などが加味されて付けられるものですが、新人のようにその域にないものは、扱う側の画廊や百貨店の信用度というものが加味されて、初めて成り立つものと思っています。 韓国では、新聞社主催の大規模な美大生の展覧会が開催され、審査を通った学生が無料で割り当てられたブースを使うことができ、そこに展示した作品は売ることが出来る仕組みになっています。 その価格は学生が決めるのですが、上限があって、日本円で20万円となっていて、例え100号でもそれを超えることは出来ません。 その中で、お客様が作品の内容と価格に納得すれば買うこととなり、夏休みの一ヶ月間開催され、多くの入場者で賑わいます。 これは一例ですが、もしオークションを続けるなら、例えば10万円を上限として、その価格で希望者が多くいれば、くじ引きなどで決めたらいかがでしょうか。 業者のオークションでは価格が青天井にならないように、常識的な額を超えそうになると、競っている人同士が判断して競りを止め、その価格の希望者でくじを引き、当たった人が他の人に利付けといって、若干の謝礼金を出す商習慣があります。 もう一つは、朝日新聞のネクストアートのように入札制でやることです。 競りですと、どうしても競争意識が働き、価格が高騰することがありますが、入札ですと冷静に品定めをすることが出来ますし、その価格は相手にも分かりません。 そうした方法がありますが、それでも敢えて私は定価で販売することを勧めます。 その価格に対し、何人かの希望者があればくじ引きにしたらいいと思います。 サイズの違いがあるなら号単位で決めたらいかがでしょう。 新人であれば、号5000円くらいが妥当ではないでしょうか。 ただ、自分の作品を前にして、作品の説明というかプレゼンテーションは必要で、コンセプトを述べたり、アピールする訓練にはいい機会だと思います。 それを聞いたお客様が、それぞれの希望作品を申し込むのが一番妥当のように思いますが、いかがでしょうか。 私見ですがご参考までに。 というような返事をさせていただいた。 要は素人が価格を決めるというのはゲームでは許されても、真剣なビジネスの場では如何なものかというのが私の考えである。 ●12月8日 恒例の ロータリークラブのクリスマス家族会。 今年は孫二人も出席。 サンタが妖怪体操なるものをやるそうで、孫達は早くからその練習に余念がない。 妖怪ウォッチというのが子供達の間で流行っていて、そのダンスをやるというのだから、楽しみにしているのだろう。 サンタのプレゼントやビンゴゲームの賞品もこれまた孫達の楽しみの一つである。 孫娘は去年もそうだったが、生サンタを目の当たりにして、怖いといって大泣き。 それでも現金なもので、プレゼントをもらうとご機嫌になり、プレゼントを抱えた手を離さない。 私も毎年版画をプレゼントしているが、大したものではないのに、どういうわけかこれが毎年の目玉賞品になっていて、申し訳ないくらいである。 今年もビンゴの一番手にこの版画が当たることになっていて、当たった方からはご丁寧な挨拶をいただいた。 ご婦人方のコーラスに、マジック、弦楽四重奏によるクリスマスソングの余興の後は、お寿司やお蕎麦、ステーキ、カレー、チャーハン、焼きソバ、ケーキ、果物、アイスクリームと子供たちにはどれも涎が出るようなものばかりで、お腹を壊しそう。 私はくたくただったが、孫達には忘れられない楽しいひと時になったに違いない。 ●12月7日 久し振りに河口湖へ。 富士山もすっかり雪に覆われ、陽光が雪面を照らし、眩しいくらいである。 色づいていた木々も葉を落とし、樹間を吹き抜ける風がひときわ冷たい。 それもそのはず、朝の気温はなんとマイナス7度。 身が凍りつくような寒さである。 先日までのシンガポールの暑さが嘘のよう。 散歩がてら、すぐそばにある温泉で朝風呂と洒落込み、冷えたからだを温めることに。 幸い誰も入っておらず、貸切り状態で一人露天風呂でのんびりとし、まさに極楽気分。 下戸なので、小原庄助さんのように朝風呂、朝酒で身上つぶすことはなさそうだが、厳寒の朝の露天風呂はやみつきになりそう。 ●12月6日 山本、浅井両個展も今日で最終。 たくさんの方にお出でいただき、売り上げもまあまあといったところで、何とか格好がついた。 それでも今年一年を振り返ると、いま一つ景気が回復したようには思えず、アベノミクスさんもわたしのところにはまだお越しいただけない。 選挙もアベノミクスの是非が争点となっているようだが、長い間の不況が突然良くなるわけでもなく、そうなるように願うしかない。 民主党のように、政権時にはばらまきばかりで、何の成果も挙げられなかったことを思うと、多少でも改善の兆しを見せた与党に一縷の望みを託すほうが、まだましなのだろう。 野党は何の対案、対策も示さず、反対ばかりでは一歩も前に進まないし、仮に野党が政権を奪取したとしても、景気が今以上の効果を生み出すとはとても思えない。 選挙結果はみずもので何とも言えないが、おそらく自民党の圧勝になるだろう。 一人勝ちによる驕りや、暴走には目を光らせないといけないが、商売を生業としている以上は、アベノミクスによる一日でも早い景気回復を現政権に期待するしかないと私は思っている。 ●12月5日 恒例のギャラリー椿卓上カレンダー2015が出来上がった。 6名の作家で構成していて、各2ヶ月毎12ヶ月のカレンダーとなっている。 ご希望の方は一部500円で頒布させていただくので、画廊宛にお申し出いただきたい。 また昨年服部千佳で好評だった大判カレンダーは、今年は堀込幸枝の作品6点で構成し、全国カレンダー展にも出品を予定にしている。 こちらは来週画廊に届く予定なので、改めて紹介をさせていただく。 ●12月4日 12月13日より桑原弘明個展を開催させていただく。 桑原がスコープの制作を始めて、丁度今回で100点となるのを記念して、2006年以降の作品・約50点を一同に集めて展覧することとなった。 年間に4,5点しか制作できない超絶技法のため、作品購入を希望する方は毎年徹夜で並ぶこととなり、大恐縮をしている。 師走の大変寒い中なので、画廊の前に車を用意させていただき、その中で暖をとっていただこうと思っている。 尚、構造上の問題もあって、新作以外は全部をいっぺんに公開することが出来ず、毎日、日替わりで5点程度を公開させていただく予定である。 公開時間も午後1時半、3時半、5時半とさせていただく。 公開時間には混雑も予想され、お客様には大変ご迷惑ご不便をおかけすることになるが、何卒ご了承をいただきたい。 新作の画像とともに旧作のスコープ本体(真鍮にエッチングや象嵌を施している)と如何に極小なものを造っているかを紹介させていただく。 スコープを覗くと魅惑の世界が広がる。 中は全て手作りで、気の遠くなるような仕事だ。 ●12月3日 シンガポールから無事帰国。 月刊ギャラリーの12月号で名古屋覚氏が先日の佐藤未希展で短い論評だが、 とてもいいことを書いてくださったので、紹介させていただく。 いつも辛口の論評が多い方だけに、こうしてとりあげていただき、彼女の本質を見抜いていただいたことがとてもうれしい。 同時に彼女が寄せてくれた達筆の手紙の一部も紹介させていただくと、名古屋氏の慧眼がよく分かる。 最近、見る喜びを書きたててくれた展覧会を挙げておこう。 なびす画廊の釘町一恵展、Oギャラリーの川城夏未展、中略、 ギャラリー椿で個展を開いた佐藤未希は、著しく成長中だ。 以前の一連の肖像画は、中途半端な色彩にあいまいな描写、いま一つ意図がくみ取れないものだった。 が、今展では色彩を絞り切った上、彼女の本当の主題は人物の皮膚や骨格の内側にこそ存在するのだと言い切ったよう。 勇気と底力とを感じさせる描き手である。 佐藤未希 抜粋 約三年ぶりの個展で、その間に様々な表現の模索を繰り返し、以前とは作風も変化しました。 お客様も然り、椿原様も戸惑われるのではないかと、発表前から思っておりました。 しかしながら、私はこの度の作品が、これまで以上に表現したいことをより鮮やかに、そして強く絵画化できたと確信しておりました。 中には良いと言って下さる方もいらっしゃり、なによりも椿原様に大変に温かいお言葉をいただけたことが本当に嬉しかったです。 私は絵画によって、人間存在への問いかけをかたちにすることを追求しています。 この追求は、決して消費的なものと結びついたものではありません。 切実な「生」との結びつきで、その逆を行くものであると言えます。 目に見えるものや、数値化できるものではない価値を実現できる、そしてそれは、人間にとっての真の財産になると願っています。 今後も本質へのまなざしを見失わず、さらに良い作品を生み出せるよう、日々精進して参る所存です。 今回の個展では、多くの方の理解は得られなかったが、こうして彼女の本質を見抜いてくださった方が少しでもいてくれたことで、この仕事を続けてきた何よりの甲斐があったと喜んでいる。 ●12月1日 送った日記がうまく届いていないようで、今一度アップしなおしたので、興味のある方は少し戻ってご覧いただきたい。 シンガポールにいると、今日から師走の実感がしない。 街もクリスマスの飾りで溢れかえっているが、南国ではどこかチグハグでしっくりこない。 朝から先ずは植物園に。 広大な園内を歩いて回るのはとても無理なので、二つのドームにある南国の植物を見ることにした。 クラウドというドームは巨大な滝が降り注ぎ、その滝に沿った岩山に数え切れないくらいの蘭が咲き誇り、それは見事なものである。 次に一番の繁華街・オーチャード通りの側にあるグッドウッドパークホテルで昼食。 由緒ある白亜の瀟洒なお屋敷がそのままホテルになっているところで、友人お薦めの中華料理をプールサイドで食べる贅沢。 ワゴンが回ってきて、好きな料理をチョイスできる。 小籠包が絶品でも、台北のティンタイフォンもここには負ける。 ただデザートで、この前別の店で食べて美味しかったドリアンプリンを頼んだが、これはドリアンの臭みが強く、いつまでもその匂いが口の中に残り、美味しい中華が台無しで大失敗。 オーチャード通りは物凄い人出で、有難いことに女房もここを諦め、美術館巡りに変更。 地下鉄で美術館エリアに向かうが、降りてからが大変。 方向音痴の私のこと、右往左往してやっとの事で到着。 国立美術館、アートハウス、コンサートホールなどここもまた豪奢な建物がそのまま美術館やホテルになっている。 その中のアジア文明博物館で、東南アジア諸国の古美術とともにCHINAと銘打った中国人のコレクションの陶器を鑑賞した。 実に見事なコレクションで、歩き回って行った甲斐があった。 そこから川沿いに沿って歩いてホテルへ帰ることにした。 川沿いにはパブやレストランが軒を並べ、そのうちの一軒のテラスで喉を潤す。 川風に吹かれながら、シンガポールの古い町並みを眺めるのも一興である。 いったんホテルに帰り一休みして、これまた川沿いの海鮮料理レストランで夕食。 先日行ったカニ料理が美味しく、特に白胡椒のカニが美味しかったので、この店でも同じものを注文した。 とても食べ切れそうもないくらいの大きなカニが出てきたが、うまいうまいと結局は二人で平らげてしまった。 いざ勘定になってびっくり、なんと一匹3万円近いカニで、どうりで美味しいはずである。 大した売り上げもないのに昼夜と贅沢してしまったが、これもまたシンガポールのいい思い出となった。 7年前のシンガポールのフェアーはリーマンショックの一週間後で、誰も来なくて散々な目に遭い、その上結石での入院騒ぎもあり、そして今回のフェアーも今一つの成績と、どうもシンガポールは相性が悪いようだが、美しい街並みと美味しい料理を味わえたことで、良しとしよう。 明日は帰国の途に。 日本はだいぶ寒くなっているようで体調を崩さないようにしなくてはいけない。 ●11月30日 昨日、今日の最終日も成果が出ず、今回のフェアーは惨敗。 土、日にもかかわらず、人も少なく、どうやらフェアー自体の情報はあまり行き届いていなかったようだ。 それでも、お隣の日本の画廊のように、巨大な彫刻が二点売れたのを含め、かなりの点数が売れたのを見ると、必ずしも人出の少なさのせいばかりではないようだ。 周りの売れた作品を見てみると大きな作品が多く、私のところの作品構成がこじんまりし過ぎたのも、結果が出ない一つの理由なのかもしれない。 大きくアピールするインパクトの強い構成がフェアーには必要なのだろう。 うまくいくフェアーもあれば、そうでもないフェアーもあり、今回は色々と勉強させられたフェアーであった。 年寄り夫婦二人での後片付けも、かなりきついものがあり、ようやく10時に終了した時にはフラフラ。 夕食も食べずに寝ようかとも思ったが、偶々開いていたイタリアンの店でパスタとピザを注文。 これが意外とうまくて、空腹のまま寝ずに済んだ。 明日は1日フリーなので、のんびりと家内が行きたがっていた植物園や一番の繁華街・オーチャード通りのショッピングに付き合うことにして、シンガポールの最後の日を楽しもうと思っている。 ●11月29日A 朝はまた近くを散策。 川沿いから坂を上がって行くと、超高級マンションがいくつも建っている。 近くには、明治屋や紀伊國屋のスーパーもあって、この辺りはどうやら日本人の駐在員が住んでいるのだろう。 どうりで、川沿いに日本食のレストランが軒を並べるはずである。 チャイナタウンもまだ全部のお店は開いていなかったが、日本の中華街とはまた趣が違って、異国情緒を感じさせる町並みである。 地下鉄の駅を上がり、路地に入ると所狭しとお土産店が軒を連ねる。 チープなお土産はここで買うといいかもしれない。 その近くにはプラナカン文化(中国系の入植者とマレー系が融合した文化)の色濃い町並みもあり、1階がショップやレストラン、2階3階が住居の長屋のような建物が連なり、色とりどりの格子窓が美しい。 シンガポールには他にもリトルインディアというインド街やアラブストリートなどそれぞれの民族情緒豊かな町があり、更にはイギリスやドイツ人が造った豪奢な建物と高層ビル群もあって、さすがの国際都市である。 ●11月29日 今日はフェアーが終わってから、シンガポールに支店のあるミズマギャラリーの社長の招待でシンガポールの代表料理・チリクラブをご馳走になった。 長い間シンガポールに駐在していた友人もお薦めの店で、滞在中に是非行こうと思っていた店である。 チリだけでなく、白コショウ、黒コショウの蟹も絶品で、デザートのドリアンプリンもクセになりそうな味である。 この辺りはケイランという地域で、公営の売春宿がある地域だそうだ。 食事を終えて、何人かは街をぶらぶらすると言って別れたが、さてどこへ行ったのやら。 ●11月28日 平日ということで昨日ほどの人出はなかったが、若いイギリス人が森口裕二の作品を1点購入してくれてほっと一息。 昨日も通訳のさやさんが鈴木亘彦の作品を予約してくれて申し訳ない限り。 さやさんも今日のさおりさんもミズマの若林さんが紹介してくれた才色兼備の女性達で、私にはもったいないくらいの通訳である。 売れてはいないが、出品作家の一人・台湾の写真家王君の取材が相次ぎ、一つは雑誌で特集を組みたいとのこと、もう一つはテレビ局の取材で、明日作品の撮影に来るという。 多くの人に彼の作品を知ってもらうきっかけになるといいのだが。 隣のブースの「ときの忘れ物」では、入れ墨姿で般若のお面をかぶった巨大な木彫が売約になった。 最初は狭いブース内に展示してあったが、向かいのブースのシンガポールのギャラリーが悪魔に睨まれているようで怖いのでなんとかしてくれとのクレームがあって、広い通路に移動させられたのだが、多くの人の目に触れるようになったことで結果オーライ。 価格も750万ほどするというから、羨ましい限りで、向かいのシンガポールの画廊におかげさまでと言わなくてはいけない。 売れた森口作品も着物姿の若い娘の作品で、他の日本の画廊でも同じ様に着物姿の作品が売れていて、どうやら日本情緒豊かな作品にシンガポールの人たちは目がいくようだ。 いよいよアートフェアーの始まり。 先ずはエギジビターパーティー。 このフェアーには中近東諸国が多く参加している。 サウジアラビア、アラブ首長国連邦、ドバイ、シリア、リビア、エジプト、イスラエル、モロッコなどで、その中でサウジアラビアのノーブルでとびきり美人の王女様を紹介される。 31歳の若さでギャラリーのオーナーだそうで、こんな女性がフェアーに参加していると、日本の画廊はとても勝ち目はない。 アジアからはインド、インドネシア、タイ、マレーシア、香港、韓国、フィリピン、地元シンガポール、日本はシンガポールに支店のあるミズマ、オオタなど10画廊が参加している。 他にイギリス、アメリカ、フランス、ベルギー、アルゼンチンなど国際色豊かである。 バーゼルが主催するシンガポールアートステージとは別の新たにできたフェアーで、規模もアートステージに比べると小さいが、それでも4時から10時までVIPの人達で終始賑わっていた。 鈴木亘彦が地元メディアのインタビューを受けるなど、今回は彼の作品に注目が集まっている。 せっかく来てもらっているので、彼の作品がたくさん売れてくれるといいのだが。 夜10時まではさすがに疲れるが、終えてミズマの若林さんに東京国際アートフェアーの北島氏やシンガポールのアートディレクターの方などとともに、シンガポールで3本の指に入るというチキン料理のお店に連れて行ってもらった。 ようやくシンガポールらしい料理を堪能し、長時間の1日立ち続けの疲れも吹き飛んだ。 ●11月26日 午後から展示を開始。 出品者の一人、鈴木亘彦君がソウルに続き、手伝いを兼ねてシンガポールにも来てくれた。 おかげでスムーズに展示が終わり、夕方には終了。 早めの夕食を終えて、私達夫婦は近くにあるラッフルズホテルへ。 世界一といわれるラッフルズホテルの白亜の佇まいの美しさには心を奪われる。 一度は泊まってみたいホテルである。 回廊を通り、ホテルのグッズ売り場へ。 早めにお土産を物色。 有名なKAYAのジャムや紅茶を購入。 有名といっても私は味わったことがないので、どんなものか定かではないが、このホテルの朝食で、このジャムを塗ったトーストは絶品とのこと。 その後も近くのレストランやショッピング街を散策しながらホテルの方へ向かい、適当な所でタクシーを拾おうとするが、なかなかつかまらない。 小一時間歩いただろうか、ようやく見つけたタクシー乗り場でなんとか乗ることができた。 ところがである、私が向かった方向とは逆方向に向かっていて、どうやら私はまたホテルとは反対方向に歩いていたようだ。 家内は私の案内を全く信用せず、ただただ呆れるばかり。 どうも私の頭の中の磁場が狂っているようだ。 シンガポールに到着。 8時間の飛行で疲れが出ると思っていたが、意外と元気。 2本の映画と1冊の本を読んで、殆ど寝ることもなかった。 主催者が用意してくれたホテルはシンガポール川に沿った所にあり、周りもホテルだらけ。 高級ホテルとは言い難いが、5泊は招待なので贅沢は言えない。 荷物を解いてから、散策を兼ねて夕食に出かける。 3度目のシンガポールだが、ホテル周辺の土地勘は全くない。 近くにチャイナタウンがあるはずなのだが見当たらず、どうやら反対方向に行ってしまったらしい。 相変わらずの方向音痴で、大抵自分が向かおうとする方向と反対に行けば間違いないのかもしれない。 川沿いにはオープンテラスのレストランが軒を連ねてて、チャイナタウンは諦めて、この辺りで食べることに。 行ってみると、その多くが日本料理店で、しゃぶしゃぶ、魚料理、居酒屋、などが目につく。 イタリアンやフレンチもあるが、言葉が不安なので、一番混み合っている焼き鳥屋に入ることにした。 味はまあまあだったが、大したものを頼んでいないのに、料金は銀座並み。 ホテルも家内が急遽一緒に来ることになり、韓国や台湾と同じで部屋は一人も二人も料金は変わらないと思ったが、どうやらこれも日本と同じで、一人だけ追加料金が取られるようだ。 まだレートの感覚がわからないので、なんとなく安い感じがするが、ここは観光都市で、物価はだいぶ高いようだ。 ● 11月24日 昨日に続き孫サービスデー。 上の娘の七五三と下の娘のお宮参りを兼ねて神田明神へ。 お祭りでよく知られているが、私は行くのは初めてで、大きな神社と思っていたが、意外に小さい。 境内には着物姿の子供たちがたくさんいて、昔のような奇抜なファッションの子は見当たらない。 孫娘も着物を着て、慣れない草履を履いて、ひっくり返りそうにながら歩いている。 めったに泣かない下の娘が、肝心の祝詞をあげている時に大泣きで、私達家族は大慌て。 上の娘までが、神主さんの声にびっくりしたのか、怖いといって泣き出し、みんな神妙にしている中で泣き声の大合唱となってしまった。 その後、近くで向こうの両親とお祝いの膳をいただき、二日続きの孫サービスも無事終了。 ● 11月23日 日曜日は知人から巨人軍ファン感謝デーのチケットをもらい、大の巨人ファンの娘一家と東京ドームへ。 シーズンシートチケットお客様のみということで行ったが、それでも朝早くから長い行列が出来ていた。 客席ではなく人工芝のグラウンドに下りて、巨人軍選手のサインをもらったり、ハイタッチをしたり、ジャビット君やチアガールとのふれあいもできるということで、孫娘は大喜びで、グラウンドを走り回っていた。 午後からもイベントが組まれているが、一般招待者が2万人近く来場するということで、その前に退散することにした。 ● 11月22日 初日を迎え、韓国からやってきたSPギャラリーのオーナーからうれしい依頼が。 2015年の秋に、ソウルの財閥が持つ美術館で個展を開いてほしいとのこと。 現在ソウルで一番高い64階建てのビルの屋上にある美術館だそうで、ここには多くの人が訪れるという。 もう一つは、SPギャラリーがサムソンのリウムミュージアムの近くにビルを購入し、そちらに画廊を移転するので、そちらの柿落としを彼女の個展でとやりたい言って来た。 大変ありがたい話で、そこのスペースは2016年の4月に完成ということなので、スケジュール的にも問題がないので、喜んでお引き受けすることにした。 本人も大喜びで、日本より韓国での人気が上回っているようだ。 更には彼女が喜んだのは、手塚治虫の息子さんの手塚真氏が初日早々訪ねてきてくれたことである。 心配していた著作権侵害の問題もなくなり、逆に大変関心を持って見にきてくださった上に、手塚プロや手塚さん自身でも宣伝してくださるとのこと。 アトムとともに強い味方がやってきた。 そのアトムの作品はずっと山本作品をコレクションしている方が早速に予約をしてくださった。 ● 11月21日 明日から始まる山本麻友香展、浅井飛人展の展示が終わって、準備完了。 どちらも気持ちをほっこりさせてくれる作品ばかりである。 それぞれに技術は卓越したものがあるが、魅力は山本は動物と少年との合体や巨匠を少年に置き換える発想、浅井は鎧で武装した愛すべき人物や犬といった屈託のない表現が作品をより身近なものにしてくれる。 絵画や立体の楽しさを堪能し、心和ませる展示となった。 ● 11月20日 私どもギャラリー椿が入っている下村ビルが、6階、7階を美術倉庫にすべく、準備を進めている。 ビルを画廊に入ってもらいたいという思いが大家さんにあって、私もあちこちと声を掛けさせていただいているが、スペースが広いのがネックで、なかなか入室が適わないでいる。 そんなこともあって、テナントの相談を受けている中で、美術倉庫の話が持ち上がった。 昨日、その計画の内容を持って大家さんがやってきたので紹介させていただく。 まだ計画の段階で、すぐに借りるというわけにはいかないが、都心の好適地にあって、価格も月島の倉庫街と変わらないこともあり、美術倉庫をお考えの方にはグッドニュースと言っていいだろう。 6階 7区画17・1u 67082円 1区画20.16u 79080円 7階 6区画15.9u 51743円 但し6階からは階段利用。 となっている。 詳細については、ミルドレッド・ワーダー株式会社 п@03−3206−5900 までお問い合わせいただきたい。 ● 11月19日A 浅井飛人個展も山本麻友香と同時開催で11月22日から12月6日までギャラリー椿にて開催される。 彼は鍛金と木彫による立体作品を発表するが、鍛金という技法は厄介で、一枚の鉄板を叩きながら形を作っていく。 そのため、仕上げるのにかなりの時間がかかり、消しゴム画の篠田教夫やスコープの桑原弘明同様に厄介な仕事である。 作家の皆さんには交互に広いスペースとGTUを使ってもらっていて、浅井は今回はGTUでの開催となる。 送られてきた画像は小品ばかりで、他にどのような作品が出るかはまだ分からないが、小さいのはすぐに売れるに違いない。 今開催中のジャカルタのグループ展でも既に売約の知らせとともに、追加のオーダーも来ていて、他にも韓国での個展も控えていて、何とか時間をやりくりして間に合わせてほしいのだが。 ● 11月19日 麻布十番のパレットギャラリーにて装丁画展「文学とアートの出逢い」が今日から開催された。 私どもで発表している岩渕華林も出品しているが、その作品のモデルが私の孫娘ということで、爺バカは早速見に行くことにした。 まずはお客様優先なのだが、売れてほしいような売れずに残っていてほしいようなな複雑な心境である。 (結局は画廊に戻ってから予約しちゃいました) 台北のフェアーでも、台湾の画廊の依頼で私の娘の妊娠姿の作品を出品した。 そこの岩渕ファンのお客様が産婦人科医ということで、是非と頼まれ、丁度二番目の子がお腹にいることもあって、モデルになってもらった。 その折、孫娘も一緒だったことから、今回の絵にもモデルとして登場したのだろう。 本当はどちらの絵も手元に置いておきたいのだが、まずはお客様が気に入ってくれるのが一番である。 因みに、台北の作品は飾った途端に台湾の画廊さんが外して持って行ってしまったので、ほとんどお客様の目に触れることはなかった。 来年の4月には、台南にあるその画廊で、岩渕の個展も企画されていて、もしかするとそこで娘の作品にも再会できるかもしれない。 ● 11月18日 文化芸術振興議員連盟と芸術15団体が加盟する文化芸術推進フォーラムの主催によるシンポジウム「五輪の年には文化省」について、ご意見の中にご理解いただけていない部分があるようなので、私なりの説明をフェースブックで述べさせていただいた。 日記にも転載させていただき、広くご支援、ご提言をいただければと思っている。 フェースブックより 一つの方向性としての「五輪の年に文化省」 のもとに伝統芸能、音楽、演劇、舞踏などの分野と美術商、美術家たちとが連携して運動しています。 決して、形だけではなく、ようやくそうした動きに政治家、お役所が呼応したのは評価すべきと思っています。 文化庁のプログラムにも2020年までに多くの重点施策が計画され、2030年には文科芸術立国の実現をうたっています。 私達も多くの提言をさせていただき、政治家や文化庁にもご理解いただき、多くの施策について検討していただいております。 ただその実現のためにはどうしても予算が必要ですが、文部科学省の一部門である文化庁では廻ってくる予算はほんの僅かです。 現在1000億円で、5年後までには2000億円の概算要求をしていますが、財務省の壁は厚いようですし、文科省ではこれも重要な教育、スポーツに予算を割かなくてはならず、芸術支援、文化保護も微々たる予算しか出ません。 文化財の修理さえももままならないのが、今の状況であります。 また縦割り行政のために文科省、外務省、経産省ばらばらに文化行政、文化支援が行われていて、一本化出来ないためのデメリットが多々あります。 こうしたことを踏まえ、文化庁を文化省に格上げして、独立した予算と施策を取らなくては、どの計画も一歩も前に進まないのが現状であります。 ただ省庁削減・再編という壁があって、今までは身動きが取れませんでした。 それが2020年のオリンピック誘致に成功したことで、スポーツ省の創設が現実味を帯びてきました。 ここが絶好のチャンスと芸術団体が一丸となって文化省創設を訴えているわけであります。 私もアジアを10数年関わってきましたが、このままでは日本は文化の後進国になるのは間違いありません。 アジアを含め、海外のほとんどの国が文化省を持っていますし、産業として文化を捉えています。 2000年の歴史の中に日本独自の醸成された世界に誇る日本文化があります。 その土壌の元に育まれた現代美術があります。 その貴重な資源を活かさない手はありません。 日本独自の文化を海外には発信しなくてはなりません。 海外の目が日本に向き、多くの観光客が日本の美術館や劇場に訪れてもらわなくてはなりません。 政治家もお役所もようやく危機感を持って文化立国に向けて意識を高めているところです。 どうぞ温かく見守るとともに、受け手の立場からもご支援ご提言をいただければと思っております。 アメリカの予算は軍事費に多く充てられていて、文化予算は少ないが、その代わり文化については寄付控除で優遇している。 美術館は寄贈品で成り立っている。 ● 11月17日 12月13日から桑原弘明展が始まる。 制作したスコープを50点集めて私どもで展覧会したのが確か2006年だと思ったが、今回再び、その後に制作されたスコープを一同に集め、新作とともに展示することにしている。 そのために、お客様から作品を借りなくてはならず、デリケートな作品なので、お客様に持ってきていただくか、取りに伺わなくてはいけない。 そこで、名古屋・大阪・神戸方面のお客様から作品を拝借するために、家内が京都の実家の母の様子を見がてら、関西に土日月と出向くことになった。 娘もいとこや友達に会いたいと、子供を連れて一緒に行くことになり、孫を連れての出張となった。 小さい作品とはいえ、丁度12点を借りることになっていて、一軒一軒廻るのは大変なのだが、幸いお客様のご好意で、それぞれ最寄の駅の改札口か駅近くの喫茶店で引渡しをしていただけることになった。 中には、門外不出、一旦手に入れたものは誰の眼にも触れさせたくないという方もいたり、作品が行方不明というのもあったりで、作品集めも簡単にはいかない。 おそらく、一同に集めても、一日に見られるのは5点ぐらいで、全部見るには10日ほど通わなくてはならず、ご不便をおかけするがどうぞご容赦いただきたい。 今回も、スコープを見てもらうためのお手伝いが必要で、そのためのボランティアを募集している。 日当は出ないが、お手伝いいただいた方には、おそらく桑原さんからささやかなプレゼントがもらえるはずである。 但し、勝手ながら都内在住の女性の方にお願いしたいとの作家の希望もあり、そうした条件に適う方がいれば是非是非ご応募いただきたい。 新作のほうは今年もまた徹夜で並ぶ方が現れるのだろうが、車を画廊の前に用意させていただくので、その中で暖をとり、ゆっくりとおやすみいただければと思っている。 ● 11月16日 日曜日、近くにある駒場の東大構内を巡り、そのすぐ横にある駒場公園を散策。 まだ紅葉には早いようで、東大の中の銀杏並木も全く色づく気配がない。 先週の日曜日の夜、河口湖湖畔でライトアップされた幻想的な紅葉回廊を見てきた後だけに、拍子抜け。 駒場公園の中にある旧前田侯爵邸でコーヒーブレーク。 まだ早いのか誰もいない。 広い室内、高い天井、モダンな洋風建築の中で、一人コーヒーを飲み、窓越しに広い庭を眺めていると、当時の高貴な人になったようで、優雅な気分に浸らせてもらった。 小一時間、本を読みながら寛いでいると、となりの部屋でコンサートが開かれるという。 入場無料だそうで、ただに弱い私は早速聴きにいくことに。 既にその部屋は満員で、何とか席を見つけて座ったが、身動きが取れない。 始まってみると、演奏も歌もそれほど上手くなく、どうやらおじさんおばさんの趣味の会のようで、来ている人もおそらく親戚知人の類なのだろう。 というわけで、途中で抜け出したいのだが、席を立つことができず、その上かなり寒い部屋でトイレにも行きたくなったが、それもかなわず、結局我慢して休憩時間まで下手な音楽を聴く羽目になった。 古い洋館でクラシック鑑賞と洒落込んでみたが、ただに釣られてはいけない。 ● 11月15日 ようやく佐藤未希の大作が一点売れた。 私と同じ思いの人がいてくれたことをうれしく思う。 もう一つうれしいのはその方は前回の作品を買ってくれた方で、更に進化していることを大いに評価してくれたことである。 その前にも、同業の人が「悔しいぐらいにかっこいい」との言葉を寄せてくれたことをスタッフから聞いて、心から喜んでいる。 売れそうな作品ではなく、売れなさそうな作品に少しでも目を向けてくれたことに感謝したい。 さて、同じようなプロセスを踏んできた山本麻友香の個展が22日から開催される。 彼女もいくつかの変遷を遂げてきていて、今回もマティエールや部分的だが細かい描写にその変化が伺われる。 アムステルダムの個展と重なり、更には各アートフェアーにも新作を出すというハードなスケジュールの中で、私どもの個展にも興味深い作品が多数出品される予定である。 既に韓国のお客様から、初日の早くに日帰りで見に来て購入したいとのメールや画像を送ってほしいとの依頼も来ていて、さてどんな反響を呼ぶか楽しみである。 今回案内状になった作品は、「ATOMU」と題した少年の顔に鉄腕アトムがダブって描かれたものである。 この作品については、著作権のこともあって、作家自身が手塚プロに出向き、その承認を得ている。 事務所の見解では、売れたときには著作権料をいただくという意向であったが、偶々私の高校の後輩でもあり、私どもで発表をしている恒松正敏ファンでもある、手塚治虫氏のご子息の手塚真氏に相談したところ、一点作品であれば問題ないという言葉をいただいた。 そんな経緯もあったが、手塚プロではなんとホームページで今回の展覧会の告知までしていただいていて、恐縮至極である。 多くの手塚ファン、アトムファンにも来て頂けるとありがたい。 案内状の作品以外はどんな作品が出来上がるか定かではないが、フェースブックにアップされた制作途中の作品も紹介させていただく。 ● 11月14日A 東京美術倶楽部にて、国会議員150名余が参加している文化芸術振興議員連盟と芸術15団体が加盟する文化芸術推進フォーラムの主催によるシンポジウム「五輪の年には文化省」が開催された。 河村建夫文化芸術振興議員連盟会長、下村博文文科大臣、甘利明経済再生大臣、近藤誠一前文化庁長官の講演の後、自民・公明・民主・維新・みんな・共産の各代表によるパネルディスカッションが行われ、満員の各団体の参加者の前で、文化省実現に向けて一丸となって取り組む旨の熱い議論が交わされた。 目の前に迫った衆議院選挙にも、是非議連の皆さんが文化政策をマニフェストに掲げて選挙に臨まれることを期待している。 ● 11月14日 先日、ゴルフでご一緒させていただいた元国会議員の石井一氏の叙勲の祝賀会に招かれ行ってきた。 勲一等旭日大綬賞という勲章の中でも最高ランクの勲章だそうで、総理大臣立会いの下、宮中で天皇陛下直々に授与されることになっている。 600人を超す人で会場は溢れかえっていたが、その多くは代議士や外国の大使・公使で、私のような者は身の置き所がなかった。 ただ俄かに解散風が吹いたこともあって、議員さんは浮き足立っていて、挨拶が終わるとそそくさと帰っていく人が多かった。 石井氏の演説はさすがで、多少お時間をくださいと言って、30分よどむことなく、聴く人にもあきさせることなく、叙勲の様子から政治信念までをとうとうと語られた。 80歳の高齢にもかかわらず、各国大使には英語で、また多くの人の名前や年代がすらすらと出てくる記憶力には驚かされた。 既に政界を引退しているが、また出馬するのではないかとさえ思わせる矍鑠ぶりであった。 先日のゴルフでも90を切れなかったと悔しがっていて、私などはスコアーもその元気さも足元にも及ばない。 大物政治家というのはいくつになっても大したものである。 ● 11月13日 来年4月に私どもで個展を予定している篠田教夫に、新聞やテレビ局の取材が相次ぎ多忙な日が続いている。 メディアで紹介してもらうのは有難いことだが、遅筆の篠田の仕事時間が割かれてしまうのではと気が気でない。 何度も書くが、彼の個展は14年ぶりで、その間サボっていたわけではなく、一日数センチ、時には数ミリの仕事をしていることもあって、これだけの月日が経ってしまった。 その技法は、先日の東京新聞や日本テレビの「ブラリ途中下車の旅」でも紹介されたが、鉛筆で黒く塗りつぶした紙面を消しゴムで消しながら、細密な形を造りだす仕事だけに、そのプロセスは気の遠くなるような時間を要する。 篠田から取材現場の様子のメールが送られてきたので紹介させていただく。 昨日は、我家に日本テレビ「ぎゃっぷ人」毎週(月)夜9:54〜10:00(関東広域)と、読売テレビ(近畿広域)との同日の時間差で、特異な鉛筆画の取材を受けました。 12月7日日曜 夜10時30分からの一時間番組の中で篠田の鉛筆画の実演などが登場しますが、近畿広域だけです。 床面の片付けをしても狭い部屋での実演です。 先行の日本テレビと、夕方からの読売テレビは玄関先で待ってましたが、しびれを切らして日テレ取材班に交渉し取材が一時間ほど重なりあい、アトリエでは読売の取材を受けながら、隣の部屋では日テレが作品の撮影をしていて、狭い我家に二局が同時取材の異常事態となりました。 夕食もとらず二局合わせて11時間の取材の応対で、さすがに疲れました。 「ぎゃっぷ人」の放映日が分かりましたら、お知らせいたします。 篠田 こんな具合で、制作もだいぶ遅れてきているようなので、今後は話しがあれば私どもでスケジュール調整をしましょうと言ってあって、いよいよタレント並みになってきた。 ● 11月12日 開催中の佐藤未希の個展が一週間が過ぎたが、まだ一点も売れていない。 前回の個展と画風が一転。 ドローイングを限りなく重ねて描きだした緻密な人物像には色彩が施されていたが、今回はモノトーンのまるでレントゲン写真のような不気味な人物像に変化している。 前の個展で買われたお客様も今回の作品には戸惑っているようだ。 今流行りの白日会系細密人物画とは以前から一線を画していたのだが、今回は緻密さには変わりはなくとも、その表現は表層的でなく、内面に向かってきたのだろうか。 一般受けする甘い絵とは程遠いところとなってしまったが、評論家や作家の評判はすこぶるいいし、私も高く評価している。 ここが難しいところで、評論家や作家がいいという作品は大抵は一般受けしない。 バブル前だと、目利きのコレクターは、個性的で一般受けしない作品にも興味を示し、そうした類の作品をコレクションしてくれたものだが、今はそういうことが少なくなってきてしまった。 以前に私どもで発表している小林裕児は細密画から一変して、子供のいたずら書きみたいな画風になり、その時の個展で、以前からのファンが先生は手を怪我されたのですかといわれた事があった。 細密画を描いているといずれ詰まってくる時期が来ると、自由奔放な絵に変わったのだが、2年後にそうした作品が評価され、安井賞を受賞することになる。 その後は決してその賞に驕ることなく進化を続けている。 山本麻友香も銅版画で一躍注目を浴びたが、表現に行き詰まり、油絵を指向するようになる。 変わった当時はあれほど評価をしてくれたコレクターも見向きもしなくなり、今回の佐藤のように一点も個展で売れない時期が続いた。 個展が終わりしばらくして、アメリカのコレクターが日本のコンテンポラリーの作品を見たいとやってきて、抽象系の作品をどれだけ見せてもノーと言われ、最後に見せた山本の作品をこれだと言って買ってくれたことがあった。 その当時、欧米ではカッツやタイマンス、デュマスなどの新具象の新たな潮流が台頭している時期であった。 その後も変化を続け、彼女は今では日本より海外での評価が高くなり、現在もアムステルダムでの個展が開催中で、来年には韓国での個展が予定されている。 佐藤も前回の評価をかなぐり捨てて、新たな方向に向かおうとしている過渡期なのだろうが、上記の作家達同様に、その意気を大いに評価したい。 ビジネスだけを考えるとうーんとなるが、まだ若い彼女が敢えてこうした作風に挑んだことは、将来に必ず大きな成果となって戻ってくると確信している。 画商とはそうしたプロセスをじっと見守り支えることではないだろうか。 その前に個展をした内藤も私が期待したほどには、結果を出すことが出来なかったが、私は個展の作品には大満足で、一人悦にいっている。 個展を見れなかった方が、フェースブックを見て感激し、わざわざ終わってから訪ねてきてくれて、作品を購入してくださった。 大した金額ではないが、これほどうれしいことはない。 私は以前から自分が好きな絵は、どこかに必ず同じ思いの人がいると信じて作家を紹介していて、それが一人二人と増えてくれることを願っている。 内藤も初めての個展だったが、私と同じ思いで見てくれた人が何人かいたことに感謝し、今後のますますの精進を願っている。 既にフェアーの便は出てしまったが、私は彼の大きな作品を手に携え、シンガポールのフェアーで紹介するつもりでいる。 ● 11月11日 台北日記最後 11月5日 台北松山空港から羽田へ。 松山空港は市内から20分程度のところにあり、タクシーでも500円くらいで行けるので、すごく便利。 今日も昼に昨日行った誠品書店でショッピング。 孫用の可愛らしい靴を見つけた。 フェアーでは値切るのが当たり前みたいに、若い人までディスカウントと言われるので、ここ一番と値切ってみたが、ものすごい剣幕でまくしたてられる。 それでも負けじと頑張って僅かだが安くしてもらい、外に出るとサングラスをその店に置き忘れたのに気がついた。 戻ってサングラスがあるかというと、またまた大きな声でまくしたてている。 どうやらサングラスを返すには、値切った分を払えと言っているみたいだ。 よくわからないが、その分を払うと、ようやく奥からサングラスを持ってきた。 忘れたサングラスを人質に取られて、結局は値切りに失敗。 通訳の緑ちゃんには、簡単に値切りに応じず渋い顔して交渉するようにと言われていたが、次からはお店のおばちゃんの真似をして、まくし立ててみることにしよう。 そんなこんなとたまった日記を空港で書いていたら、搭乗時間ぎりぎりになっていて、大慌て。 荷物検査も通関も行列が出来ていて、焦りに焦ったが、なんとか滑り込みセーフ。 無事に日本に帰ることができる。 ソウルでも北京でもそうだったが、一人では失敗ばかりで、通訳の子がそばについていてくれないと何もできず、私の不甲斐なさを嘆くばかりである。 次はシンガポール、果たして大丈夫だろうか。 ● 11月10日 台北日記続き 11月4日 今日は一日オフ。 近くにある誠品書店をまず散策。 ここはセンス溢れた文具や雑貨が置いてある台北の有名店である。 スタッフの土産に洒落たメモ帳や孫のお土産をあれこれと選んだ。 そのあと同じ書店にあるお店で、毎回で申し訳ないくらいなのだが、トイフェアーの主催者黄さんに美味しい四川料理をご馳走になる。 四川料理といっても思ったほどには辛くなく、どれも美味で、添えられるご飯も小さなお茶碗でそのまま炊いたご飯が出されたが、お米が立っていて、まさか台北でこんなに美味しいご飯に出会うとは思わなかった。 料理以外にも黄さんお薦めのライチのジュースがこれまた美味しくて、辛い料理の口直しにはぴったりである。 食事を終えて、黄さんの知り合いの白タクで千と千尋で有名になった九フンへ観光に出かけることに。 ここは以前金の鉱山で栄えたところで、廃坑になってからはさびれてしまったが、非情都市という映画や宮崎駿の千と千尋で取り上げられ、一躍有名になったところである。 台北市内から車で40分くらいの山の中腹にあって、細い山路の両側にひしめき合うようにお菓子や土産物のお店が並んでいる。 どの店も台湾情緒豊かで、目移りするぐらいに興味をそそられる。 あちこちで試食をすると、ついつい財布の紐が緩んでしまい、買い物袋が一杯に。 山路のどん詰まりまで行くと、そこからは海景はまるで絵葉書のように広がる。 ここの夕景を眺めながら、台湾茶を嗜み、日がくれるのを待つのだそうだ。 なるほど周りが闇に包まれるようになると、お店の軒先の赤いぼんぼりに灯りがともり、まさに千と千尋の世界である。 海に浮かぶ漁船の白い明かりと、軒先にずらっと並んで灯る赤い光がえも言われぬ幽玄境に誘い込む。 お茶屋のテラスで、火鉢に乗せた大きな土瓶からお湯を急須に注ぎ、まずはその注いだお茶を急須や湯呑みにかけて温め、それからようやくお茶の香りを嗜み、ふくよかなお茶を含むと周りの景色と相俟って、なんとも優雅な気持ちにさせてくれる。 フェアーでの疲れも一気に吹き飛んでしまうようだ。 滅多にないフェアーの後の休日を心から満喫させてもらった。 ● 11月9日 台北日記続き 11月3日 フェアーもあっという間に最終を迎え、慌ただしかった日々も今日で最後。 平日にもかかわらず相変わらず人出が多く、お昼を食べに行く間がなかったが、昨日に続き黄さんがお寿司の差し入れ。 結局一度も外に出ることなく、ブースで差し入れやホテルから持ってきたパンをほう張りながらの毎日であった。 通訳の緑ちゃんには大変助けられた。 働き者で、頭も良く、よく気がつくし、日本語も達者で言うことなし。 北京の通訳の子も頭の良く切れるとてもいい子だったが、北京、台北とひとりぼっちの頼りない私の手足となって、よく支えてくれて、大変感謝している。 売るのもほとんど緑ちゃん任せで、お陰で目標の数字を超えることができた。 集金もほぼ現金やカード決済、振込で、一日余分に集金やお届け日にあてていたが、その必要も無くなって、明日は手伝ってくれた出品作家の横田尚と緑ちゃんに九フン観光に連れて行ってもらうことにした。 フェアーで観光に行くなど滅多にないことで、フェアーの疲れを癒すことができるだろう。 終わって、夜は定番の会場近くにある夜市の鉄板焼きとマッサージ。 大阪のイノウエヨシアキギャラリー、モリユウギャラリー、それに小山登美雄ギャラリーのスタッフや作家も誘い、賑やかな打ち上げとなった。 みんな初めての鉄板焼きだったが、美味しさと安さに大満足だったのではないだろうか。 マッサージも格安で、痛さに悲鳴をあげながらも、疲れた足を揉みほぐしてくれた。 すでに12時を過ぎていて、夜市見物は横田と緑ちゃんに任せて、私はホテルに帰ることにした。 ● 11月8日A 昨日は全国美術商連合会の理事会が開催された。 新たに私が提案させていただいた現代美術系の組合が二つ加盟することになり、大変心強く思っている。 一つは現代美術協議会で代表の東京画廊の山本氏、(小山登美雄氏は海外出張中で欠席)、もう一つが現代美術協同組合で理事長・上田勉氏に出席してもらった。 これで現代アートの受け皿が出来ることになり、アジア画廊協会によるアジアアートフェアーの企画も一歩前に進めることが出来る。 今回の会議で特筆すべきは、全美連が長年取り組んできた税制改革で大きな進展があったことである。 会長、事務局長の大変な努力によって、美術品の減価償却が20万円から100万円未満に改正する通達が国税庁から出され、11月10日までの意見公募手続きを経て、問題がなければ、来年1月に実施されることになった。 これにより法人需要の増加が見込まれることと、若手作家の育成にも繋がっていくことになり、大変喜ばしいことである。 更には、壁画など時間経過とともに価値の減少が明らかなものに対しては、100万円を超えても減価償却が認められることになり、パブリックアートなど公共の場に美術品が使われる機会が増すのではと期待をしている。 以前は書画骨董の類という言葉であったのが美術品と改められ、その対象も美術年鑑に載っている作家や号2万円を超す作品は減価償却対象にならなかったことを考えると、大きな前進といっていいだろう。 次に加盟している芸術15団体の「文化芸術推進フォーラム」と超党派国会議員からなる「文化芸術振興議員連盟」との共催によるシンポジウム「文化省の創設を考える」が東京美術倶楽部で開催され、オリンピックまでに文化省の創立を提言することになっている。 他にホームページの開設、そして私から台湾で開催されたアジア画廊協会会議の報告をさせていただき、6年後のオリンピックの時に東京でアジアアートフェアーの開催を提案させてもらった。 全美連の活動が年毎に実を挙げてきていることを大変うれしく思っているとともに、少しでも多くの美術商がこうした活動に賛同していただき、将来の美術業界の発展のためにも、この団体に加盟し、一緒に活動してくれることを願っている。 ● 11月8日 台北日記 11月2日A 天気は曇り空、気温が低く肌寒いくらいである。 日曜日、午後からは物凄い人出で、ブースの中が身動きできない。 今日も昼を食べそこなうのではと心配したが、昨日夕食を招待してくれた黄さんがお寿司の差し入れをしてくれた。 出品作家の横田尚が今日から来て手伝ってくれたので、たくさんのお客さんの対応もスムーズにいく。 そのおかげか、彼女の作品は大人気で、80号の作品が売約となった。 他にも彼女の小品がいくつも売れて、来てもらった甲斐があった。 昨日までいて手伝ってくれた真条の作品もいくつか売れていて、なんとか私の面目も立ったようである。 明日後一日あるが、こんな具合で目標の数字は何とかクリアーしたようでまずはほっとしている。 夜は運送会社の招待で、日本の画廊関係者30人ほどが集まり、夕食会が開かれた。 とても美味しい料理が次々に運ばれ、みんな大満足。 特に美味しかったのは、仏越壁と書くのだろうか、匂いを嗅いだ仏様があまりの美味しさに壁を乗り越えてまで食べに来るというスープ。 豚肉やホタテ、白菜その他諸々が入っていて、何度もお代わりをしてしまう。 他の海老やレバー、烏賊、牡蠣、、魚どれも油っこくなく、辛くもなく、日本人の口に合う料理で、何度でも来たくなるお店だが、どの辺りにあるのかさっぱり見当がつかない。 今夜も美味し料理をごちそうになり、ようやく台湾を満喫している。 ● 11月7日 台北日記の続き 11月2日 アキギャラリーで9時過ぎからブレックファーストパーティー。 早くに朝食を済ませてしまったので、ディンタイフンの点心などが並べられていても、ただ見るだけ。 この画廊は中心からだいぶ外れているのだが、たくさんの人が詰めかけ、と言っても日本の画廊関係者がほとんどだが、大盛況である。 今回の展示にも日本人作家が含まれ、次回には私どもの作家の服部千佳、岡本啓も出品することになっていて、この画廊の親日ぶりがうかがわれる。 フェアーのブースには船越桂の大きな木彫も飾られていて、船越の作品を幾つも持っているそうだ。 それにしてもフェアーで疲れっている中をこんなに大勢の人が詰めかけるとは大したものである。 私どもでこんなに朝早くやっても、誰も来てくれないだろう。 11月1日 昨日は人出が少ないと書いたが、どっこい今日はとんでもない人出に。 ブース内は大撮影大会になっている。 韓国では若い人達が写真を撮るが、台北ではおじさん、おばさんが写真撮りまくり。 展示されている彫刻が倒されるのではと気が気でない。 トイフェアーのために作った中村萌のフィギュアの100個限定の残りが今日で完売。 版画でエディションを100枚制作しても、二つのイベントだけで売れてしまうのは、そうはないだろう。 小さいとはいえ、台湾での彫刻作品の人気はすごいものがある。 朝早めに会場に来て、展示を見て回ったが、台湾の画廊の各ブースでも大きな彫刻が売れていて、一体どこに置くのだろうと思ってしまう。 昨日は今回のフェアーはあまり売れていないように書いたが、台湾の画廊は彫刻だけでなく絵画も軒並み大きい作品が売れている。 北京でもそうだったように、水墨画が人気で、それに今までと違って抽象画にも目が移ってきたように感じた。 中国、韓国の美術市場が低迷してきているのに反し、台湾恐るべしである。 あまりの忙しさに今日を含めこの三日間昼食が食べられず、ダイエットには丁度いいかもしれないが、夕食もろくなものを食べてなくて、さすがに胃がおかしくなってきた。 ようやくトイフェアでお世話になった黄さんにタンツーメンの有名なお店に連れて行ってもらい、伝統の台湾料理を満喫することができた。 明日の朝は私どもの作家も参加しているアキギャラリーでブレックファーストオープニングパーティーがあって、早くから出かけなくてはならず、連日ゆっくりする暇がないが、北京のフェアーのように暇を持て余すことがないだけいいのかもしれない。 ● 10月31日 フェアーも二日目。 北京があまりに人が来なかったせいか、台北では大勢の人が詰めかけているように見えるが、昨年に比べると出足は今一つのようだ。 初めて参加した韓国の画廊などは、かなり期待して参加したようだが、今のところ成果が出ず浮かぬ顔をしている。 確かに以前のような大物コレクターの顔をあまり見かけず、コレクター層が変わってきたような感じはする。 私のところはフェアー前に大きな作品の予約をもらっていたので気は楽だったが、確かにこの二日売れるのは価格の低い小品ばかりで、コレクターが若い層に変わってきたのは間違いない。 中国もそうだったが、オークション主体の投機的コレクターがなりを潜めてきたのかもしれない。 夜には故宮美術館でパーティーが開かれた。 昨年まではホテルでの豪華なフルコースパーティーだったが、今回は立食のオードブル主体の慎ましいパーティーで、主催者側も財布の紐を占めてきているようだ。 金曜日ということで、美術館は9時まで開いていて、参加者はガイド付きで館内を案内してもらう。 日本語ガイドということだったが、殆ど何言っているかわからず、もどかしさは否めないが、それでも先日まで日本で開催された故宮美術館展のように長蛇の列で見るようなこともなく、無事日本から台湾に戻った玉の白菜や象牙の細工物をゆっくりと鑑賞することが出来た。 いつも楽しみにしていた台湾の美味しい食事には恵まれず、軽食ばかりが続くのは残念だが、こうして美術館鑑賞を設けてもらったことは大変ありがたいことである。 用意してもらったバスでホテルに戻り、土日に備え早めに寝ることにした。 台北のフェアーがいよいよ開幕。 作品が多過ぎて、2段、3段掛けとなってしまったが、これも賑やかでよしとしよう。 初日早々に大変好調で、お昼も食べず、気がついたらすでに終了の9時が過ぎていて、お腹が減ったのもわからなくなるくらいに老人は頑張ったのである。 終わって、ウエルカムパーティ会場に行ったが、時すでに遅しで、食べ物はかけらもない。 仕方なく外に出て、ラーメンライスで今夜の食事を終えた。 体はヘトヘトだが、まだ始まったばかり、早く寝ないと。 台北画廊協会の呼びかけでアジア画廊協会会議が開催された。 台湾、韓国、中国、香港、シンガポール、インドネシア、オーストラリアと日本の代表が参加し、アジアアートマーケットの活性化、各国美術情報の共有化、共同イベントの開催、アジアに特化したアートフェアーの開催などが議論された。 私は全国美術商連合会の会長代理として出席させてもらったが、各国の熱い議論にまずは圧倒された。 それぞれの協会が持つ問題点も紹介されたが、オーストラリアは毎月のように画廊が増えているのに、会員の増加が見込めない、これは日本でも同じ事がいえる。 香港、シンガポールでは主導権がガコシアンやバーゼル、クリスティーズ、ササビーなどの欧米などに握られていること。 韓国、インドネシアのように加盟する会員の審査を厳しくし、入会金や会費も高くしていることで、入会できない会員から訴訟も辞さないような自体が起きていることなど、各国事情もよくわかった。 まずは組織構成をしっかりしたものにすることと毎年一回持ち回りで開催することが決議され、来年一月にソウルで次の会合を開催し、会長、役員、その任期などを決めることになった。 さて日本を振り返ると、こうした動きに対しての協会の受け皿が今ひとつであり、まずは現代アートの組織の確立を図ることが第一であり、そうでないと、日本に開催のお鉢が廻ってきたときにとんだ恥をかくことになる。 私の役割は、アジア以前に日本の現代アートに関わる組織をしっかりしたものにすることであり、そのための人とお金を集めることが急務と考えている。 寝ようとしていたら、部屋の電話が鳴り、何事かと出てみると、ジャカルタのエドウィンさん。 下のバーに来いという。 眠い目をこすりながら向かうと、そこに香港画廊協会の副代表アドリアナさんとスタッフの女性が居合わせ、一緒に飲むことに。 といっても下戸の私とイスラム教のエドウィンさんはアイスココア。 エドウィンさんは出展していないが、インドネシア画廊協会の会長なので、明日の会議だけに出席するそうだ。 展示に出かける前には、ロビーで韓国画廊協会会長のピョウさんにもお会いしたが、どうやら明日の会議の出席者はみんなこのホテルに泊まているようだ。 というより、出席者はホテル三泊と往復の飛行機代を台湾画廊協会がサービスしてくれることになっているので、同じホテルにいるのは当然である。 ほとんど早口でわからない三人の英語を聞きながら12時を過ぎてしまったが、これから食事に行こうという。 アドリアナさん達は展示のトラブルがあって遅くなり、まだ食事をしていないらしい。 私はこんな時間にもう一回食事は無理なのと、早く寝たいのとで、丁寧にお断りして部屋に戻った。 いやはや皆さん元気だ。 ●10月29日 昨日の夜に台北に到着。 台湾画廊協会がとってくれた会場近くのホテルに宿泊。 長い間台北のフェアーに来ていたが、いつもこことは反対方向のホテルに泊まていたこともあって、こんな賑やかなエリアが会場近くにあるのを全く知らなかった。 三越の他にもデパートみたいなのがいくつもあり、映画館やオシャレな飲食店がいくつもあり、夜も相当賑やか。 いつもフェアーが終わって食事に行くとこがあまりなく困っていたが、何のことはない反対側に行けば嫌という程あったのに。 今日は快晴で、日差しは真夏並み。 会場には歩いて行ける距離なので、両手に手持ちで持ってきた作品を抱えて会場に向かったが、あまりの暑さに汗びっしょり。 会場には出品作家の真条彩華夫妻、写真家王君、通訳のみどりちゃん、先日のトイショーでお世話になった黄社長達、それに頼んでおいた作業員が来ていて、開梱と展示が始まる。 なんとか5時間ほどで終了し、夕食は行列のできる小籠包で有名なディンタイフンで。 この店は明日オープンする銀座一丁目のキラリとギンザビルにも出店するようで、台湾で並んでまで食べることもないのだが、おそらく値段と味はだいぶ違うと思う。 北京のフェアーと違って、ひとりぼっちでないので心強い。 ただ困るのは、北京で盗られてしまった携帯に代えて、スマホを持ってきたが、この使い方がいまひとつわからなくて困っている。 着信履歴や伝言がいくつか入っているが、海外だと誰からなのかわからず、返信もできず、伝言もどうやって聞くのか分からない。 しばらくは迷惑をかけるがお許しを。 ●10月28日 今日の夜、台湾に出発。 フェアーはともかく30日にアジア諸国との画廊協会の会議があって、これが厄介。 ようやく概要が送られてきたが、会議は英語でやるそうで、さてどうしたもんやら。 フェアー用に中国語の通訳は頼んでおいたが、英語の通訳も探さなくてはいけない。 だいぶ以前に、韓国の画廊協会が日本の画廊に業界のあり方やオークションなどについて教えてもらいたいと訪ねてきたことがあった。 双方10名づつ出席していざ始めると、向こうは英語で話し始めて、大いに戸惑ったことがあった。 情けないことに向こうは全員喋れるのに、こちらは一人だけが喋れるという体たらく。 この時、韓国に抜かれることを実感した。 今回、台湾の他に、中国、シンガポール、オーストラリア、韓国、インドネシア、それに日本なのだが、既に知っている台湾、中国、韓国、インドネシアの代表の方は英語が出来る。 オーストラリア、シンガポールは言うまでもなく、私一人孤軍奮闘しなくてはいけない。 私は自慢じゃないが、小学校1年から英語の授業があって、大学4年まで実に16年間も英語を学んだはずなのだが。 その間、読み書き、英文法は習ったが、英会話は習ったことがない。 どこか日本の英語教育は間違っているんじゃないかと思う。 以前に、大学受験に英語がなくなれば、日本人はもっと英語が喋れるのではといった人がいた。 まさにその通りで、受験テクニックの英語は出来ても、日常の会話が出来ない。 私の英語力のなさは、日本の英語教育が悪いということにしておこう。 私の画廊では毎週1回英会話の先生を呼んで、スタッフを教えてもらっているが、なぜか私だけはスタッフの前で恥をかきたくないといって習っていない。 そんなわけでスタッフにもますます英語力に差をつけられている。 先日、野村證券のCC推進室・SCOの池上浩一氏の「グローバル化する世界」と題した話を聞く機会があった。 日本から世界を見るのではなく、世界から日本を見る時代となり、その中でも成長するアジアから日本を見なくてはいけない時代になっている。 その話の中で、TOEFLのアジア諸国の平均スコアーのデータを示されていたが、それによると、アジア30ヶ国の中で日本は28位で北朝鮮やミャンマーより下、日本の下にはラオスとカンボジアしかいない。 会議に出席する国を見てみると、シンガポール1位、韓国8位、インドネシア12位、中国14位、台湾15位である。 情けないが、30日は28位を代表して会議に臨まなくてはいけない。 ●10月27日 河口湖の木々が色づき始めた。 自然が生み出す色彩のなんと深いことか。 特にもみじの色は形容しがたい美しさ。 ●10月26日 今日からGTUで内藤亜澄展。 新作20点余が所狭しと展示されている。 シェル賞展での発表を見て一目ぼれ、念願の個展が実現。 そのときの印象より更に深く強く作品に惹きこまれる。 これだけ多彩な色を使いながら、画面がきちんと整理され、そのダイナミックな風景が、奥行きのある構成、その先を暗示させる人物の配置と相俟って、見る人の想像力を掻き立てる。 今の日本の絵画の流れとは一線を画するが、おそらくグローバルな評価を得られる作家の一人になるのは間違いない。 大いに期待する作家である。 ●10月25日 山本麻友香の個展がアムステルダムの画廊「CANVAS INTERNATIONAL ART」で開かれる。 1回目の個展をやってもらって8年くらい経つのだろうか。 真冬で、丁度長女が新婚旅行で世界一周をしていて、私達夫婦とパリで落ち合い、汽車でアムステルダムに向かったのだが、ただただ寒い記憶しかない。 画廊は移転して今は違うところにあるが、その当時は市内からは外れたところにあって、消防署跡を画廊にしていたので、その広さにびっくりしたものである。 スペースを区切って三つの展覧会が開かれていて、そのひとつにいまや億の値段になってしまった中国作家ユーミンジュンの個展も開かれていて、巨大な作品が展示されていた。 今思うととんでもないものが展示されていたのである。 展覧会の成績も良く大変喜んだものだが、その後がいけない。 お金がいつまで経っても入ってこない。 何度も請求するがなしのつぶて。 そうこうするうちに2年が経ってしまった。 ついには友人の国際弁護士を頼んで催促したが、これも返事がない。 最後に国際弁護士ということで、その伝を頼ってアムステルダムの弁護士に頼むと効果てきめん。 メールが来てようやく振り込んできた。 それで懲りてユダヤの画商とは一切取引をしないと心に決めたのだが。 私も甘い。 去年メールが来て、今度は約束を守るから個展を今一度開きたいと言ってきた。 アムステルダムの美術館でもグループ展に出して欲しとの依頼が来ているので、それとあわせてお願いをしたいということである。 さてどうしたものかと作家にも相談したが、やってもいいとの返事をもらい、それでは私が責任を持つということで、引き受けることにした。 アジアと違い、ヨーロッパまではなかなか足がかりが出来ず、ヨーロッパ諸国のアートフェアーでも展示するということなので、そのきっかけになればと思っている。 信用第一が画廊のモットーなのだから、ぜひとも支払いのほう頼みますよ。 ●10月24日A 森口裕二より展覧会の告知が届いた。 偶々、上海の画商K氏がやってきて、台北に出品する森口の大作「新世界」とシンガポールに出品する予定の作品を予約していった。 森口個展を来年に予定しているが、作品制作に時間がかかる森口なので果たして間に合うかどうか。 このオマージュ展には昨年2回目の個展を私どもで開催した真条彩華も出品していて、彼女もまた森口同様に台北、シンガポールにも参加する。 『オマージュ 高畠華宵 展』のお知らせ ~ 本日より愛媛県にある高畠華宵大正ロマン館での企画展示が始まりました。 15人の作家のひとりとして参加させて頂いております。 以前描いた装丁画を新たに描き下ろし、高畠華宵出身の地、愛媛県宇和島の妖怪「牛鬼(ぎゅうき)」をモチーフにした作品の他、私の作品は全5点の展示となっております。 お近くにお越しの際は是非お立ち寄り下さい。 『オマージュ 高畠華宵 展』 2014年10月24日(金) ~ 2015年1月26日(月) 高畠華宵大正ロマン館 :http://www.kasho.org 出品作家 丸尾末広 / 吉田光彦 / 甲秀樹 / 山本タカト / 森口裕二 / 建石修志 / 山本じん / 成田朱希 / Toru Nogawa / 槻城ゆう子 / 寺田楓 / 真条彩華 / イヂチアキコ / ヴィヴィアン佐藤 / オーブリー・ビアズリー
●10月24日 来週火曜日には台北に出発。 フェアー直前の30日の午前に台湾画廊協会主催のアジア画廊協会会議があり、全国美術商連合会理事長・浅木正勝氏の代理で私が出席することになった。 丁度、その日の午後からアートフェアーの内覧会があるので、その前にということなのだろう。 議題はアジアの画廊協会が一つとなって、アジア画廊協会を設立に向けてということだそうだ。 昨年、韓国画廊協会の呼びかけでソウル会議が開かれ私も出席したが、日本・韓国・中国の東アジアの画廊協会が一体となって、東アジアの現代美術をもっと積極的に発信して行こうとの決議がされたが、その時は台湾は入っていなかったので、今回はどのような構成になるのかは出てみないと分からないのだが。 こうした前向きな発想は日本側からはなかな浮かんでこないが、アジア諸国はグローバルな視点で、こうした考えに積極的に取り組もうとしていることは見習わなくてはいけない。 難しいのは、アジア諸国が一致団結して取り組もうとしているジャンルが現代美術に特定されていて、 我々の側にそうした体制が敷かれていないことである。 全国組織である全国美術商連合会の会員のほとんどが古美術、近代美術の画商で、理事にあっては唯一私が現代美術系という構造になっている。 もちろんそれぞれの国に古美術や近代美術を扱う美術商はたくさんいるが、インターナショナルなアートフェアーを軸とした活動をしているのは現代美術系の画商ばかりで、そうした会議で議決された議案を日本に持ち帰っても、それを受け入れる土壌がなく、多くの会員にとっては全くの他人事でしかない。 そこで昨年、現代美術系の画商による分科会を作ろうと提案させていただいた。 そこが受け皿となって各国と協力していくことで、大きな輪になれるはずなのだが。 最近、現代美術系の画廊だけで組合をつくろうとの動きがあるが、それは決して全国的な組織とはならず、出来上がっても人も金もない極小の団体にしかすぎない。 そうした組織では単独では大きな活動は出来るはずがなく、是非一緒になって、その中の現代美術部門ということで活動していったらどうだろうかと思うのだが、それぞれの思惑もあって、これがなかなか難しい。 台湾の会議の後、帰るとすぐに理事会が開かれることになっているので、そこで報告かたがたもう一度こうした考えを提案するつもりでいる。 ●10月23日 昨日は六本木の新国立美術館の独立展、そして今日は高島屋の斉藤研展と久しぶりに展覧会を見に行った。 独立展ではいきなり入り口で高松和樹の大作が目に飛び込んできた。 昨年若くして会員となり、今年はこうして入り口の正面に飾られるとは、独立での彼への期待度が伺われる。 アートソムリエ・山本冬彦氏のコレクション展を私どもで開催した折に彼の作品が展示されていて、彼を知ることになった。 アニメとネガフィルムが融合したような作風に魅かれ、早速に私どもで扱わせてほしいとの依頼をしたが、時既に遅しで、他のギャラリーでの発表が決まっていた。 彼からは丁寧な断りの手紙が送られてきて、彼の誠実な対応にも感心させられた。 その後の内外での活躍は目覚しく、あらためて彼との出逢いがもうすこし早ければと悔やまれてならない。 彼の作風は、同じ独立で私のところで発表を続ける金井訓志の影響が大きいという。 コンピューターを使った画像作りは、フォーブ調の筆のタッチを見せる作風が多い独立にあっては稀有な存在で、この二人が独立の新たな方向性を担い、大いなる期待が寄せられている。 斉藤研も30代の頃から知っていて、今や斉藤同様に独立の重鎮となっている林敬二、絹谷幸二などとともに、重々しい作風が多い中にあって、軽やかで都会的な画面は、当時の私にはとても新鮮で、他に今井信吾、桜井寛、湯沢正臣を加えて、6人6様というタイトルで独立6人衆の展覧会を開催したことがある。 丁度先述の二人が、その当時の斉藤研達とかぶって見えて、二つの展覧会が私にとってとても感慨深いものとなった。 北京日記 10月13日続き 何かやらかすのではと心配していたが、ついにやってしまった。 携帯が見つからない。 昨日の夜はテレビのリモコンが見つからず、あちこち探して、ようやくベッドの隙間に落ちているのを発見したので、携帯ももしやベッドの隙間にと探してみたが見つからない。 さてどこに置いたか記憶をたどるが思い出せない。 年中探し物をしていて、携帯を忘れたりするのは日常茶飯事、何処かに忘れてきたのだろうか。 もしかして食事に行く際に、落としたのか、盗まれたのかも。 それか会場においておいて盗られた可能性もある。 ブースの机の上にペットボトルやコーラ缶などを置いておいても、目を離すとすぐになくなっているので、多分その可能性大である。 なくして困るのは、連絡先とスケジュールである。 連絡先はそれぞれ教えてもらえばいいことだが、スケジュールは半年先まで入れてあって、これが問題。 約束の日時が思い出せないとえらいことになる。 バックアップをしておくべきだった。 10月14日 今日は帰国の日。 PM2.5の大気汚染も日曜日あたりから治まるとともに、気温も下がり、朝は震えるような寒さとなった。 日本の台風も関東は過ぎ去ったようで、予定通りに帰ることができそう。 韓国の時も台風18号が日本にやって来て、行きの便が心配されたが、これもその前に過ぎ去り、滑り込みセーフ。 最近は天候に恵まれるようになり、帰ってからの17日の友人とのゴルフも心配なさそう。 北京の1週間は暇で退屈したが、その分身体の疲れもあまりない。 今日も、空港には2時に行けばいいので、故宮博物院にでも行こうと思ったが、もし道でも間違えて飛行機に間に合わなくなるといけないので、ホテルでゆっくりすることにした。 今回も何度か失敗をしていて、その最たるものが携帯をなくしたことだが、北京空港に着いた時も、出口を間違えて乗り継ぎの方に行ってしまい、出口が分からずウロウロしてしまった。 ホテルでも風呂のお湯を出したまま忘れてしまい、気がつくとお湯が床に溢れ出し、大慌てでありったけのタオルで拭き取り、何とか事なきをえた。 フェアーの会場や食事の時は、しっかり者のハクチャンが付いてくれているので、忘れ物やドジを踏むこともなかったが、今日は一人だけに市内に出かけて、何を仕出かすかわからないので、ホテルの近くにいた方が無難なようだ。 10月14日A そんなわけで帰るまでに時間があるので、オリンピック公園を1時間ほど散歩。 フェアーの会場だった国際会議場(来月にはAPECの会場となる)の脇を通って行くと、大きなメーンストリートがあり、その先に国家競技場・鳥の巣が見えてくる。 横にはキューブ状になった国家水泳場があって、夜にはこの二つの競技場とメーンストリートにそびえるモニュメントがライトアップされる。 先日までは、スモッグで全く見えなかった競技場だったが、土曜日の夜あたりから見えるようになり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。 朝寒かったのが気温も上がり、散歩をしていると汗ばんでくるくらいである。 東京も台風一過暑くなjっているようで、これまた寒暖の差で体調を崩さないようにしないといけない。 ホテルのチェックアウトが2時ということで、まだ間があるが、空港で慌てないように早めに行くことにした。 早めに着いて、昼食をと空港内のレストランに入った。 メニューの写真を見て、牛肉の細切り炒め風のがあったので、これを注文。 出てきたのは、写真の通り細切り炒めだったが、食べてみるとわさび味。 これがまた異常にわさびが効きすぎで、わさび漬けを塊で食べているようで、涙ポロポロとても食べられたものではない。 それでも我慢して、水を飲み飲み食べたが、今度は胃がヒリヒリしてきて、もう降参。 通訳の子がいた時は全て彼女任せで大正解だったが、一人になるとからきしだらしがない。 胃も口もヒリヒリで、これはカフェにでも入って、アイスクリームみたいのを食べるしかない。 多分今回に懲りて、しばらくは北京に来ないと思うが、今度来る時には、大気汚染が改善され、食事もわさびを効かせ過ぎないように願う。 以上で北京日記は終了、通常の日記とダブって紹介したので、読みづらかったのではと反省をしている。 手元で編集できるといいのだが、画廊に送らなければならず、画廊で編集をやってくれるはずの島田が台北に行っていて、変則的な日記となってしまい、大変申し訳なく思っている。 ●10月22日 北京日記もだいぶたまってしまったので、まとめて紹介させていただく。 写真も追加したので、ご覧いただきたい。 振り返って読んでみると、愚痴ばかりで恥ずかしいが、これも経験とそのままアップさせていただいた。 北京日記 10月13日 今朝は快晴。 北京に来て初めて青い空を見た。 遠くの山並みが美しい。 ホテルの下の駐車場には、いつの間にか軍隊の自動車が整列していて、これがまた寸分違わず見事に並んでいる。 よくまあこれだけきちんと並べられるもんだと呆れる。 軍隊の規律の正しさを誇示しているのだろうか。 北京の天気とは違って、日本は大型台風が本土に上陸したようで、こちらのNHKのニュースも台風情報一色である。 明日の夜に羽田に到着予定なので、何とか飛行機は飛ぶのではないかと楽観しているのだが。 フェアーは今日が最終日、土日の人出を考えると会場は閑古鳥状態になるのは間違いない。 ペンディング中の人だけでも来てくれるといいのだが。 主催者が言うには、中国の現代アート市場は今が最悪で、これからは日韓の作家が注目を浴びる時代になるので、続けて参加すれば、きっといい結果が生まれるはずと。 継続して出ることで、画廊が押し出す作家の認知度が増すのはわかっているが、北京だけは税金を含め海外の美術品への管理が厳しすぎて、参加には躊躇せざるを得ない。 また、警備の物々しさも、いかに治安が悪いかを感じさせる。 ヘルメットをかぶり、警棒と盾を持った警備員が入り口に立ちはだかり、金属探知機をくぐり、身体検査と持ち物検査、更には会場にも多数の迷彩服を着た警備員が監視していると、なんとも居心地が悪い。 その警備員が一日に何度もブースにやってきて、安全管理をしているかの確認書にサインをさせられるからたまったものではない。 こうして安心安全が確保されているということは、そうした厳重な警備がなければ、危険がいっぱいということなのだろうか。 政府高官の会議でも開かれるのであれば仕方もないが、こうした文化イベントが物々しい状態で行われることにはどうしても馴染むことができない。 世界第二位の経済大国になったとはいえ、社会状況は一流国家になったとはとても思えない。 来年以降の参加は、よほど情勢が変わらない限り難しいのではないだろうか。 10月13日A 予想されたことだが、本当に誰も来ない。 お客様が誰も来ない中で、こんな心配をしても仕方がないのだが、運送会社からお客様と売買が成立したら、ちゃんとした売買契約書を税関に出す必要があると言われ、はたと困った。 そんなもの用意してきていないし、認可に一ヶ月もかかったうえに、契約書を税関に見せるとなると、果たしてお客様が納得してくれるだろうか。 それでも買うというお客様がいたら、どうしようと心配していたら、頼みもしないのに、通訳のハクチャンがiPadでなんと日本語の長文の契約書を作ってくれているではないか。 読んでみると、完璧な日本語の契約書である。 この5日間で、頭の切れる優秀な子だと は思っていたがこれほどとは。 とにかくよく気がつくし、礼義正しいし、長い間通訳の子を頼んできたが、こんなに語学が達者で頭のいい子はいない。 聞いてみると、以前法律事務所にアルバイトで勤めていたことがあるそうで、その時に契約書やいろいろな書類の翻訳を任されていたことから、いとも簡単に契約書を作ってくれたのである。 英語もTOEICで850点以上とっているという才媛で、うちの画廊に来て欲しいくらいである。 中国の大学と姉妹校だった鳥取大学で日本古典文学を専攻したそうだが、法律事務所に勤めた経験から、今一度日本に留学して法律の勉強をしたいそうである。 志望を聞くと、慶應大学の法学部だそうで、なんと受かれば私と同じ学部の後輩になるではないか。 何とか頑張って合格して欲しいし、彼女なら間違いなく受かるに違いない。 その折にはぜひうちでアルバイトをしてもらいたい。 ロータリークラブの奨学金制度もあるので、受かった暁には私が推薦人になってあげようと思っている。 今うちには韓国の留学生だったキムソヒがアルバイトで来ているが、この子がまた優秀な子で、それにハクチャンに来てもらったらアジアの仕事は鬼に金棒である。 彼女は、お客様が少なくて、通訳の仕事があまりできないことを申し訳なく思っているようだが、ブースに見えたお客様には熱心に応対してくれていて、大変助かっている。 逆にもう少し、彼女にとってやりがいのあるフェアーだったらよかったのと、通訳代は既に事務局に払ってしまったが、日給4500円という薄給なのが優秀な彼女に申し訳ないくらいである。 こっそり事務局を通さずにお小遣いをあげなくてはいけない。 10月13日B 結局岩淵の大作2点の売り上げのまま終了。 1点は税関の許可をもらうために運送会社に預け、もう1点は日本に持ち帰り、改めて台湾に送ることになった。 税関の許可をもらうためには、ハクチャンが即成で作ってくれた契約書が大変役に立った。 なかなか厳しいフェアーで、韓国、台湾からも多数参加していたが、韓国1軒、台湾1軒を除いて、揃って討ち死に。 日本の画廊も私以外に3軒出ていたが、おそらく厳しい結果だったと思う。 他も売れている気配の画廊ははほとんどなかったと言っていいだろう。 おそらく来年のフェアーは海外はほとんど参加しないのではないだろうか。 負け惜しみではないが、結果はともかくとして、大変いい勉強をさせてもらったと思っている。 海外のフェアーが比較的順調にいっていただけに、多少北京のフェアーを軽く見ていたのかもしれない。 それぞれのお国の事情も良く理解することができ、次の台北、シンガポールの糧になれれば、この経験も無駄にはならないだろう。 特にシンガポールも久しぶりだけにそう甘くはないと思っている。 心してかからなければならない。 最後に通訳で頑張ってくれたハクチャンには感謝の気持ちででいっぱいである。 ぜひ来春の合格を祈っている。 お疲れ様でした。 ●10月21日A 中国の運送会社からメールが届いた。 売れた作品は政府の確認が必要とのことで、政府から認可された運送業者を使って、税関での検査を受けることになっている。 この認可が下りるのに、1、2ヶ月かかるいうからばかばかしい話なのだが、今回のメールの内容が更にばかばかしくてやってられない。 売れた作品の表現の意味が分からないので説明しろとのことである。 作品は岩淵華林の60号の作品で、スカートから足だけが出ている絵である。 おそらく上半身を描いていない意味が分からないのか、それともミニスカートから出ている足が公序良俗に反するのかのどちらかなのだろうが、売れた作品の内容まで検閲するとはいやはや大変な国である 。 堅物の税関役人に作品のコンセプトを説明しても分かるはずがないし、画面が足りなくて上半身を描けなかったとでも説明してやろうか。 北京日記 10月12日 今朝は外の景色が遠くまで見える。 昨日の夜の強い風がスモッグを振り払ってくれたようだ。 昨夜はレストラン街に向かうと、物凄い人出。 地下鉄の駅から溢れるように人が出てくる。 鳥の巣スタジアムでサッカーのブラジル・アルゼンチン戦が開かれるようだ。 ネイマール・メッシなどのスター選手が出るとあって、スタジアムに向かう人達で大混雑。 風が強いこともあって、鳥の巣もくっきりと見える。 パクちゃんに聞くと、秋になると風が強くなり、今度は黄砂に悩まされるという。 北京には絶対住みたくない。 さて今日は日曜日、少しは人が来てくれるだろうか。 昨日は長いアートフェアー経験でも初めてといっていい人の少なさであった。 北京の絵画ブームも終焉を迎えているのだろうか。 美術のメッカとなった798地区も聞くところによると惨憺たる状況のようである。 現代美術の隆盛も所詮は投機市場で、あまりの価格の高騰に市場が嫌気を示してきたのだろう。 フェアー会場もオークションブースも今まで市場を騒がした作家の作品は見当たらない。 その反動が水墨画に来ているのかもしれない。 私も参加する以上、もう少し中国市場の動静や、税制の厳格化などを調べてから来るべきであった。 持ってくる作品でも、真条彩華のように私どもで水墨画を発表している作家もいたのに。 美術品も文化局というところが管轄していて、厳しく目を光らせているという。 海外の画廊が作品を売った時にも、政府の許可を得るのに一ヶ月以上かかることもその影響なのだろう。 まだ商談中の作品もあるので、知らなかったとはいえ、もし売れた時にはどうしたらいいかも考えておくべきであったと反省している。 10月12日A ニュースでは明日から明後日にかけて、日本列島に台風19号が上陸するらしい。 14日に帰国予定なので、飛行機の便が心配である。 色々と想定外のことがあった上に、飛行機が飛ばないとなると、踏んだり蹴ったりである。 こちらはいきなり寒くなって、ホテルに戻ってタイツを履いたり、マフラーを巻いたりと一気に冬の装いに。 日曜日で若干家族連れなど人が増えたが、それでも他のフェアーに比べると圧倒的に少ない。 お向かいの台湾の画廊さんなどはお客様が話しかける気配もない。 まだうちの方が頻繁に値段を聞かれるだけましかもしれない。 相変わらず、佐藤温、岩淵華林が人気で、いくつかペンディングになっているが、成約までにはいたらないのが歯がゆい。 明日しかないのでなんとかして欲しい。 10月12日B 日曜日も昨日の私のところを真似したのか、6時には早々と店じまいするブースが増えてきた。 みんな諦めムード。 私のところはようやくペンディングになっていた作品が2点成約となった。 主催の担当者二人が買ってくれたので、お客様に売れたわけではないが、それでも大作2点なので、ほっと一息。 税関の問題もあるので一旦日本に送り返し、改めて台湾でデリバリーをすることにした。 時間はかかるが、それの方が安心して取引ができる。 ●10月21日 岩淵華林から次のような知らせが来た。 イタリアから出版される「E CORRONO ANCORA」という書籍に装丁画として作品が採用されました。 女性の生き方を段階的に指南している本のようです。 今回は、インターネットで私の絵を見たイタリアのデザイナーから直接声がかかり、このような機会をもらうことが出来ました。 本の文章(イタリア語)を読んでも、なんて書いてあるか、さっぱり分からないですが、ネットで見つけたこの絵を、ぴったりだ!と思って、デザイナーさんが採用してくれたのかなあと思うと嬉しいです。 以前から彼女は装丁に自分の作品が使われることを夢見てきたそうで、いくつかの本が出版されたが、今回は遠い海外からの話だけに、余計にうれしかっただろう。 昨年も開催された麻布十番のパレットギャラリーでの「装丁画展」文学とアートの出逢いにも彼女は出品することになっている。 この展覧会は元新潮社の装丁部にいた高橋千裕氏、アートコーディネーター御子柴大三氏、アートソムリエ山本冬彦氏の推薦する作家達の展覧会で、作家自身が自由に好きな本を選び、その装丁画を描くもので、11月19日から30日まで開催される。 原画とともに装丁カバーに仕立てた本を展示する。 岩淵以外にも、私どもで発表した財田翔吾、新藤杏子、中西静香など23名の作家が出品する。 北京日記 10月11日B またまた想定外なことが。 せっかく買いに来てくれたお客様が、お金を払って作品を持って帰ることにしたら、ストップがかかった。 日本から持ち込んだ作品が売れた場合に、税関に申告するのを運送会社が代行してくれるのは、どの国でもやっているが、中国はちょっと厄介だ。 中国の場合には、売れた作品を税関に申告して許可をもらうのに、1ヶ月かかるのだそうだ。 その間運送会社に預けておいて、買っていただいたお客様には渡せないことになる。 そんな重要なことをフェアーの事務局は事前に知らせてくれない。 文句を言うと、事務局も昨日知ったという。 そんなバカなことがあるかと怒ったが、法律だから仕方がないという。 お客様もプレゼントで買うので、そんなに待てないとキャンセル。 事務局弁償してくれ!! 税金は高いし、税関で作品が足止めを食らうは、売れた作品の申告許可が1ヶ月かかるでは、中国のフェアーなんか出ていられない。 韓国の画廊は税関を通さず手持ちで、中には空港のチェックで見つかり持って来れないところもあったらしい。 台湾の画廊は、売れた作品を持ち帰り、直接お客様に送るという。 こうすれば、1ヶ月はかからなくて済むそうだが、行き帰りに相当時間がかかるはずなので、どういう風にやっているのやら。 いや中国はもうこりごり。 10月11日C 人が来ない理由の一つがわかった。 どうやら大気汚染が影響しているらしい。 情報によると、PM2.5が警戒基準を超えたようで、外出注意報が発令されたみたいだ。 私も外に出ると息苦しいくらいである。 朝も窓があまりに真っ白なので、ガラスが曇っていると思って、手で吹いたくらいである。 来た人の話では、この状態がずっと続くと、北京でこのままの状態が続くと、人口が8%減るとWHOは警告しているそうだ。 最初の晩の勢いは全くなくなり、早く店じまいして日本に帰りたいくらいである。 ●10月20日 色々日記に書きたいことがあるのだが、仕事が山積していて、なかなか前に進まない。 取り敢えず、台北のトイフェアー・モンスター台北の様子をお伝えする。 こちらは、スタッフの島田が担当で台北に行ったので、その報告も写真も私が帰ってからとなってしまい、遅ればせながら報告させていただく。 北京は初日だけが盛況だっただけだが、台北は大変な人出だったようで、中村萌人気も相当なものだったようだ。 このフェアーはファインアートのフェアーではなく、フィギュアーを中心にしたキャラクターのフェアーである。 日本と同様にアジア、欧米諸国でも年々盛況となり、台北のフェアーも初日から大勢の人が詰め掛けたようだ。 主催者の黄さんが一昨年の台北ホテルフェアーで、一目で気に入って今回のフェアーに招待されることになった。 そうしたフェアーなので、オリジナルの彫刻作品以外にフィギュアーの制作を依頼され、彫刻作品に混じって、富士山をイメージしたフィギュアーを100部限定で制作することになった。 会場の他のブースのフィギュアーに比べて、一体25000円は割高ではあったが、それでもほとんど完売し、彫刻作品も全てが売約となった。 先日の私どもの個展でも初日前に台湾のコレクターがやってきて、日本の方が買った以外は全て買ってしまうという、台湾での人気が半端でない。 また本人のサイン会も2日にわたり企画され、作品やポストカードを買った人だけに限定したが、それでも長蛇の列が出来ていたそうだ。 フェアーの終了後には中村萌のご両親、それに主催者の黄夫妻とともに、彼女の作品をコレクションしている台中のホテルに招待された。 お洒落なデザイナーズホテルで、そのフロアーに昨年購入した中村作品がいくつも展示されていた。 まだいくつかホテルの建設予定があり、中村作品を継続的に購入していきたいそうだ。 また偶然だったが、黄さんの奥さんが不動産関係の仕事をしていて、このホテルのデザインを担当する女性と仕事上の付き合いがあり、ご主人とホテルのオーナーがそれぞれに中村萌のファンであることは、このホテルに行って始めて知ったそうで、偶然とは不思議なである。 こんなわけで、30日から始まるアートフェアー・台北芸術博覧会に中村萌の残った作品を出す予定でいたが、ひとつ残らず無くなってしまい、何とかひとつでも作品が出来ないかと頼んでいるところである。 北京日記 10月11日 日本はまた大きな台風がやって来るみたいだ。 今年は何度も自然災害に見舞われているだけに心配である。 こちらは天気が続くとはいえ、今朝のスモッグはもっとひどく、ホテルの窓ガラスが曇っているのかと間違うほどに外は真っ白で何も見えない。 昨日の夜は外に出てみると、オリンピック公園のイルミネーションがぼんやりと浮かび、その向こうにはメーンスタジアムの鳥の巣も見えていて、少しはましになったと思ったのだが。 そう、昨夜は初めて外に出て食事をすることができたのである。 通訳のパクちゃんの先輩から、地下鉄構内の先に大きなショッピングモールがあることを教わり、行ってみると何と立派なレストラン街があるではないか。 目移りするほどたくさんのお店が軒を並べている。 その中から満員の餃子の専門店に入ることにした。 パクちゃんにたくさんのメニューから牛肉焼き餃子と白菜と豚肉の水餃子を選んでもらい、ようやく中国での食事を実感。 付け合わせの野菜も選ぶと二人では食べきれないくらいの量となる。 これで一人500円、ホテルの味気ない3000円のハンバーガーとは大違いだ。 味も美味しく大満足。 明日は鉄板料理、明後日は火鍋料理に決定、ようやく食事が楽しみになってきた。 食事の事ばかりになってしまったが、昨日のフェアーは閑古鳥で一昨日の賑わいが嘘のようである。 あまりの人の少なさに閉場時間を30分繰り上げる始末。 他の国のフェアーのように若い人をほとんど見かけない。 オリンピック公園という人里離れた立地がそうさせるのだろうか。 隣の会場ではベンツやベントレー、フェラーリなどの高級車の展示会をやっているが、こちらも日本とは大違いで、若い人の姿はほとんど見かけない。 今日からの土日はどうなるだろうか。 台北からの報告では、向こうは三連休ということで若い人や家族連れで大賑わいだそうで、ブースがあふれかえっているそうだ。 いつものフェアーなら、若い人の写真撮影に辟易とするのだが、こう少ないと若い人でもいいから来て欲しい。 台北の画廊さんの話では、もうすぐ始まるアートフェアー・台北藝術博覧会は、海外の画廊の申し込みが200軒にもなり、選考で60に絞り込み、国内も100の申し込みを半分の50にするなどかなりの狭き門になっているという。 たまたま税関で2点の作品がストップした為にブースの外側の壁面が余ってしまい、隣の元台湾画廊協会会長の画廊にその壁面を貸してあげたこともあって、旧知の社長さんがお菓子と立派な画集をもってお礼の挨拶にこられた。 来年のフェアーの参加が心配だというと、フェアーの選考委員でもある社長は、長年の実績もあるし、自分が極力応援するので、椿は絶対大丈夫と太鼓判を押してくれた。 親切はしておくものである。 10月11日A 10時に予定通り始まったが誰もいない。 土曜日なのにどうしたのだろうと通訳のパクちゃんに聞くと、先週一週間国慶節でお休みの代わりに、会社は今日は出勤日だそうで、土曜日の休日がなくなってしまったという。 幸い一昨日熱心に作品を見ていただいたご婦人からパクちゃんに電話があり、佐藤温の作品をとって置いて欲しいとのこと。 但し、値段交渉は午前中に行くからよろしくと。 気合を入れて待つことにしよう。 今のところ人気はこの佐藤温と岩淵華林に集中。 水墨画人気から、紙に描いたものに目が行くのだろう。 親しくしている台北の画廊は、彫刻以外は全て20代の若手作家の水墨画を展示していて、大作は初日にみんな売れてしまっている。 国画という日本の日本画と同じような伝統があり、復古傾向なのか今中国は水墨画が市場を席巻している。 先日も東京画廊の北京店のT氏に聞いたが、取扱作家の水墨画家の人気は絶大で、作品はキャンセル待ちの状況だそうだ。 中国の画商も値切らず定価で買っていくそうで、それを地方に持っていくと3倍で売れるんだそうだ。 日本も復古調写実絵画が大人気で、そのうち水墨画を描く若手が出てくるかもしれないし、保守的傾向が強まると、衰退気味の日本画にも活路が見えてくるかもしれない。 ●10月17日 お客様から日記の写真をクリックしても大きくならないとのご指摘があり 大きくしてみたので、ご確認いただきたい。 シンガポールフェアー用の作品を持って日本に来てくれた台湾の若手写真家・王建揚君と近くのすし屋さんで食事をした。 彼はポップな写真で台湾ではかなりの注目度の作家で、先般もカシオが開発した衝撃に強く、若者に人気の腕時計GーSHOCKの台湾でのプロモーションイベントに抜擢され、多くのメディアにも取り上げられた。 私は偶々、先日開催された台湾のトイショウの昨年の展覧会用の広告写真に彼の作品が取り上げられ 、そのインパクトの強い広告を雑誌で見た記憶があった。 その彼の作品を若手アーティストの日本でのコンクールで再び見ることになり、審査を依頼されていたことから、私は彼を一番に挙げることになり、彼との縁が生まれた。 来年彼の個展を予定しているが、その前にポップな感じがシンガポールのフェアーで受けるのではと、彼の作品を出品することした。 ところが、シンガポールのフェアーではヌード作品はご法度ということになり、それでも何とか紹介しようと、裸身が出ていないバスタブの写真などを出品することにした。 打ち合わせを兼ねて、すし屋に行ったが、冗談ですし屋でそこの親父さんのヌードを撮ってみたらと言うと、彼は大真面目で是非撮らせてほしいと言う。 来年の個展にはもしかして、あまり見たくはないが、すし屋の親父のヌードが登場するかもわからない。 10月10日 今朝もどんよりとしたスモッグに覆われていて、景色を見ていると重苦しい気分になる。 PM2.5大気汚染はちょっと酷すぎる。 経済成長と公害のひずみが出ているのだろう。 これも中国と実感させられたのは、昨日の夜のNHKのニュースで香港の学生達の占拠騒動が報道されると、突然画面が真っ白になった。 最初はテレビがおかしくなったのかと思ったが、他のチャンネルを回すと、ちゃんと映っている。 報道規制がされていたのである。 もう一つは、会場入り口には空港の検査と同様に、金属探知機のゲートが設置され、そこをくぐると身体検査と荷物検査が待っている。 更には迷彩服を着たガードマンが盾と警棒を持って立っていて、その警戒ぶりは物々しい。 ただ韓国同様に今のところ反日感情のようなものは全く感じられない。 逆に日本人ですかと親しく話しかけられることが多い。 朝10時一般公開である。 さて、昨日以上の人出となるのだろうか? 報告によると、台北のトイショーの方は昨日の初日から好調のようで、中村萌の彫刻もすでにほとんどが予約が入っていて、ギリギリまで作ってもらっていた新作もすぐに売れてしまったそうだ。 2万5千円、100部限定のフィギュアーも初日から30体売れたそうで、会期中に完売しそうな勢いである。 北京も台北には負けていられない。 10月10日A 参加画廊は日本からはミズマアートと後2軒日本の画廊が出ているが聞いたことのない画廊である。 ミズマも小さいスペースで、北京に支店があるので、おつき合いで出ているのだろう。 中国の作家ばかりを出している。 韓国、台湾からは知った画廊が何軒も参加しているが殆どは北京の画廊で、同じ中国でも上海や香港の画廊は少ない。 会場の半分以上は水墨画が占めていて、中国市場は水墨画が席巻してきているようだ。 中国の現代アートも多数並べられているが、そのレベルは決して高いようには思えない。 大手オークション会社も広いスペースをとって作品を並べているが、オークションにこのくらいのレベルのものが出されていると思うと首を傾げてしまう。 今日は昨日と違って、お昼を過ぎたが人はまばらで、斜め向かいのブースの女性スタッフは爆睡中。 昨日でみんな来てしまったのだろうか。 ●10月16日 来年個展予定の篠田教夫が先日のテレビ放映に続いて、今朝の東京新聞の半面に大きく掲載された。 その独特の消しゴム技法が興味深いのか、かなり詳しく取り上げている。 その冒頭の文を紹介する。 鉛筆画なのに、線の跡がない。 篠田は鉛筆で真っ黒に塗った層を消しゴムで削り取ることで、写真と見まがうような細密な表現を実現した。 描いているのか、消しているのか。 その行為は、見る人に哲学的な問いを投げかける。 北京日記・10月9日 今朝も窓から見る景色は真っ白。 聞きしに勝るスモッグである。 天気予報は晴れとなっているが、太陽が霞の彼方にぼんやりと浮かんでいる。 床に置いたままの作品が心配で、9時に入り口が開くと同時に駆けつけたが、何ともなくてホッと胸をなでおろした。 というのも、以前の北京のフェアーでは鍵付きの鎖を渡され、パソコン、携帯、貴重品はそれに結びつけておくように言われ、確かフランスの画廊だったかが、壁から絵を盗まれていた。 今回はそれほどでもないが、カバンを出しておいたら、警備の人に叱られた。 ボヤッとしているから、会期終わりまでには何か失くしそう。 ペンキも乾いていて、昨日打った金具に作品を引っ掛けるだけなので、あっという間に終了。 3時のオープンにはだいぶ間があるが、その3時になってもまだ展示ができないとこもあり、お客らしき人も見かけない。 通訳の子に調べてもらうと、3時から5時はまだセッティングの時間なんだそうだ。 それなら朝から半日あったので、近くのオリンピックスタジアム・通称鳥の巣など見学に行けばよかった。 今回はとにかく戸惑うことばかりで、他のフェアーだと会期中は主催者で保険をかけてくれるので安心だが、マニュアルをよく読むと自己管理で一切責任は負わないと書いてある。 税金も24.03%取られるそうで、その申告を代行してもらうのに3%更に掛かるという。 慌てて、価格表に27%上乗せすることにした。 ようやく5時となり人もにわかに増えてきたというより、物凄い人出。 どこから現れたかと思うくらいに、どんどんやって来る。 それも他のフェアーと違ってアーティストや若い人はほとんどいなくて、いかにもお金持ちそうな人たちばかり。 7年前の同じフェアーに出た時とは大違いで、大きく発展していることが、このフェアーでもよくわかる。 積極的に価格やプロフィールを聞いてきて、商談も順調。 会場には食事や飲み物が用意されているが、みんな整然と並んで料理を取っていて、7年前に招待された時のオープニングの行儀の悪さとはだいぶ違う。 今日はおそらく北京のハイソな人たちばかりが来ているのだろう。 朝心配していたことは、今日は杞憂に終わりそうである。 8時半を過ぎたが、人は相変わらず多い。 今日は10時までだそうで、年寄りにはきついが、頑張るしかない。 ●10月15日 8日から14日まで北京のアートフェアーに出かけていて、日記を向こうでは書いていたが、アップできる人がいなくて、今日になってしまった。 フェースブックやラインも通じず、その上途中で携帯もなくしてしまい、日本への送信もままならなず、北京日記ということで、日本の日記と並行で紹介をさせていただく。 10月8日 北京到着。 空港から周囲を見ると、スモッグに覆われ、すぐ先が見えない。 空気も焦げ臭くて、家内がマスクを入れてくれていて助かった。 タクシーでホテルに向かうが、タクシーの運転手は模範運転手で、スピードも出さないし、ほとんど車線変更もしないので、安心して乗っていることができた。 着いたホテルも豪華で部屋も広く、料金も1万ちょっとと安いのでありがたい。 フェアーの会場もホテルの横にあって、これもありがたい。 会場で待ってくれていた通訳の子も日本語も上手でとてもいい子なので、これも一安心。 良かったのはここまで。 会場に来たら、事務局から作品が2点税関でストップされているという。 後で追加した作品なのだが、事務局の手違いなのか、通関するのに政府の許可をもらっていないということらしい。 中国では展示作品を前もって申告し、政府の許可をもらわなくてはいけない。 多分会期中に会場には届かず、そのまま日本に戻すことになるだろう。 お次は、届いた作品を開梱したはいいが、壁のペンキが塗られていない。 来てから3時間は経ったが、未だ私のブースにはペンキ屋さんはやって来ない。 今晩中には来てくれるだろうか。 お腹も空いてきた。 日本人も見渡しても私一人、ミズマも出しているが、まだ誰も来ていない。 心細いが、通訳さんが唯一の頼り。 もう一つびっくりしたのは、ラインとフェースブックがなかなか繋がらないので、通訳の子に聞いてみたら、中国ではラインとフェースブックは出来ないんだそうだ。 えっであるが仕方がない。 ようやくペンキ屋さんも来てくれて、8時くらいには展示が始められそうだ。 やれやれ。 10月8日A ペンキは塗り終わったが、そんな簡単に乾くはずもなく、目分量で金具だけ打って、明日またやることにした。 9時過ぎに終えて、いざ食事となるのだが、この辺りはオリンピック公園に囲まれ、外に出るとレストランらしきものは全く見当たらない。 通訳の子に連れられて行ったところは、地下鉄の構内にある、なんとケンタッキーとマックだったが、ここも早くにしまっていた。 結局はホテルに戻って食事をすることにしたが、メーンの中華料理のお店も閉店。 ホテルもこんなに早くに閉めてしまうのだろうか。 かろうじてカフェがやっていて、軽食が食べられるという。 サンドイッチやハンバーガーがメニューに並んでいて、結局はハンバーガー、何のことはない、マックで食べるのとちっとも変わらない。 それもホテルで食べるハンバーガーは3000円とやけに高い。 まさか中国最初の夜からやけに高いハンバーガーを食べる羽目になるとは、とほほ.・・・。 ●10月7日B 小林裕児展が10月11日から25日まで開催されるが、私が北京、スタッフの島田が台北に明日から行ってしまうので、今日展示をすることになった。 小林も来年には教授をしている多摩美を定年退官することになっていて、ひとつの区切りの展覧会でもある。 相変わらず大作を中心にストーリー性の高い作品が展示される。 初日の11日6時半より、今回のテーマ「よみがえりの木」の出発点になった歌「よみがえりの花が咲く」を中心に恒例の歌とコントラバスの競演、そしてこれも個展の定番ライブパフォーマンスで、大きな紙に小林が即興で絵を描くことになっている 。 文学性、音楽性、美術的感性を併せ持った作品とパフォーマンスをお楽しみいただきたい。 既にホームページ上では案内済みだが、オープニングパフォーマンスは入場料一般2500円・学生1500円とさせていただく。 例年満席の盛況となるので、お申し込みがまだの方はお早めにお願いをしたい。 ●10月7日A 10月27日から11月8日まで「内藤亜澄」の私どもでの初個展が開催される。 出品作品がいくつか届いたので紹介させていただく。 2012年「シェル美術賞」本江邦夫審査員賞、「第22回ART BOX大賞展」準グランプリなどを受賞し脚光を浴びた作家だが、更に進化してきているようで、迫力ある画面がお分かりいただけるだろうか。 今これだけの風景画を描く若手は少ないように思う。 私どもの期待の新人として、是非皆様にも楽しみにしていただきたい。 ●10月7日 北京の一週間の天気予報を見てみると概ね晴れの天気だが、気温が週末は最低気温が1度とか0度になっている。 最高気温は20度くらいで丁度良い気候なのだが、朝晩の冷え込みは真冬並みである。 既にトランクは羽田に持っていくことなく、北京まで運んでくれる「手ぶら便」というのを使っているので、手荷物にセーターやタートル、マフラー、ヒートテックタイツなどを入れて、持って行くことにした。 「手ぶら便」は重いトランクを空港までエッチラオッチラ持って行く必要がないのでらくちんだが、忘れ物や今日のような場合には慌ててしまう。 帰りもVISAカードの特典で、海外で買い物をしたVISAのレシートを見せると、宅急便が500円になるので、帰りも手ぶらで帰ることにしている。 今まで気がつかなかったことで便利なことがいくつもある。 韓国でもフェアーの会場横にあるシティーエアーターミナルでチェックインと通関手続きが出来るので、早めにチェックインしてしまえば、空港に行かず、トランクを引きずることもなく、街中で余った時間を有効に使うことが出来る。 後は、手ぶらでターミナルのエアポートバスに乗るだけである。 去年までは、大韓航空とアシアナだけだったが、今年からなのかJALやANAなど外国の航空便もここで手続きが出来るようになったので、大変便利である。 今回はフェアーの荷物は全て船便を使ったが、帰りのそれほど大きい荷物でなければ、郵便局のEMSを使うといい。 韓国から日本に送ると、料金が約1/3から1/4で送ることが出来る。 これは台湾でもそうである。 両替も街の両替屋を使うと、空港の銀行や街中の銀行よりは安いレートで換金できるので、これも最寄のお店を覚えておくといい。 長い間海外に行ってきた知恵というか、如何に安く楽をするかの生活術である。 ●10月6日A 韓国のフェアーで気になった作品をいくつか紹介させていただく。 韓国滞在中の日記にもいくつか写真をアップしたので、戻っていただいて興味ある方はご覧いただきたい。 特に気に入ったのが、風景写真の1シーンのような油彩画が目に留まり、そのノスタルジックな画面に虜になったが、とても高くて手が出なかった。 日本でも写実画が大流行だが、この作家は無機的な画面ではなく、ポエティカルな世界を描いていて、まさに私の好みである。 ドイツの画廊の表現主義の流れを汲む骨太なタッチの作品も目に付いた。 大きな群衆を描いた作品は、韓国では有名な作家で、絵の具を使わず、ステンレス版をスクラッチして描いていて、その卓越した技術には驚かされる。 他にも目に付いた作品を紹介する。 ●10月6日 台風18号が関東を直撃ということで、昨日から降り続いている雨もいっそう強くなり、ジーパンに登山靴、その上にレインコートを羽織って画廊に来たが、何のことはない、雨も止んで夏のような暑さになってきた。 いつも台風は戦後最大とか、超大型とか言われて、不安を掻き立てられるが、長いこと東京は大きな被害にあったことがないのは幸いである。 明後日から北京に出かけるが、早くに台風が行ってくれたので、飛行機の遅れは心配しなくてよくなった。 ただ久しぶりの北京なのと、他のフェアーと違って、事務局の対応が不親切なので、不安でいっぱいである。 ホテルも向こうで手配してくれるはずが一向に返事が来ず、どうなるかと心配したが、ようやく返事が来て、フェアー会場近くのホテルを教えてくれたが、予約はこちらでやれという。 会場の位置もようやくガイドブックで確認したが、市内からは少し外れたオリンピック公園内にある国際会議場で、行き方も分からず、リムジンバスもないようなので、タクシーで行くしかない。 他のフェアーでは、フェアーのスケジュールやVIPカード、入場チケットなどが送られてくるがそうしたものも一切ない。 通訳、展示作業員、備品の手配なども頼んでいるが、ちゃんと用意してくれているのか、こちらも心配である。 私一人で行くので余計に不安が募るが、まあ行き当たりばったり何とかなるだろう。 フェアー出品作品 ●10月5日 昨日は雨の中、板橋区立美術館で開催中の「種村季弘の眼・迷宮の美術家たち」を見に行ってきた。 こじんまりした展覧会だったが、異端の美術家たちを支え、世に紹介した怪人種村季弘の審美眼を堪能してきた。 秋山祐徳太子、赤瀬川原平、石内都、金子国義、加納光於、四谷シモン、中西夏之、中村宏、土方巽、平賀敬、森村泰昌、吉野辰海、コーラップ、フックス、ハイデルバッハ、アルプ、クレー、ベルメール、ゾンネンシュタイン、メクセペル、クリーチ、ヤンセン、エルンスト、クリンガー、ヤンフォス、シュマイサーなどとともに桑原弘明のスコープも2点展示されている。 種村を始め滝口修造、澁澤龍彦、大岡信などの文学者が美術家の仕事を評価し、お互いに影響しあいながら、更に高みを目指すということが最近は少なくなってきているようだ。 ●10月4日 少し時間が出来たので、KIAFのスナップを紹介させていただく。 皆さんそれぞれお世話になっている方ばかりです。 ギャラリー椿ブース、韓国画廊協会会長・ピョウギャラリー社長ピョウさん、協会理事・シーラギャラリー社長リさん、インドネシア画廊協会会長・エドウィンギャラリー社長夫妻 ギャラリーWOO・ウー社長他コレクター崔さん、アーティスト・ヨゼフチョイ、コレクターリさん、J−ONEギャラリー社長・リさん、アーティスト鈴木亘彦さん、春風洞中村さん、通訳林ちゃん ●10月3日 今日はゴルフコンペ。 河口湖もだいぶ冷え込むと思ったら大違いで、真夏に戻ったような暑さ。 想像通りのスコアーで、生涯のワーストに入るような体たらく。 雨男の威力の減退とともに、ゴルフの腕前も落ちる一方。 雨の中でやれば負けないのだが。 ●10月2日 台湾の人から依頼されたと友人が中国の明時代の骨董の資料を持ってやってきた。 先日の韓国の偽物だらけの話もあって、眉に唾をつけながら聞いてみた。 まんざらいい加減な話でもなさそうなので、持ってきた1点だけの資料ではなく、いくつかの主要な作品の資料を持ってきてからの話とさせていただいた。 こういう話は続くときは続くものである。 他にもいくつかこうした話があるが、不動産の千に三つではなく、万に一つと思っていないとやってられない。 その万に一つの可能性がある以上、無碍に断るわけにはいかない。 片付けなくてはいけないことばかりだが、お客様から以前に紹介した作品の話を詰めたいからすぐに会社に来いとの電話。 そういう話なら断るわけにもいかず、駆けつけることに。 そんなばたばたの中、明日は高校のクラスのゴルフコンペで、私がセッティングしたので行かないわけにいかず、夜遅くに河口湖に行くことにしている。 スコアーは期待できない。 ●10月1日 韓国から昼過ぎに帰国。 休む間もなく画廊に直行。 画廊を10日近くあけていると、やらなくてはいけないことが山積で、何から手をつけていいやら。 いつもならスタッフが一緒に行ってくれるので、フェアー終了後の雑事も任せきりなのだが、一人で行くとそうもいかない。 記憶力も減退しているので忘れないうちにしておかないと。 来週行く北京、次に行く台北の準備もしなくてはならない。 画廊も二つの展覧会を開催中で、そちらもほっておくわけには行かず、さてどうしたものかとウロウロするばかりである。
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