ギャラリー日記

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6月30日

昨日は台北・故宮博物院展に行くつもりが、4,5時間待ちと聞いてあきらめ、別の二つの美術館に行ってきた。

まずは三菱一号館美術館の「ヴァロットン展」。
瀟洒なレンガ造りの美術館で、美術館の奥が庭園になっていて、その周りをお洒落なレストランが囲み、ヨーロッパの美術館に来たような錯覚を覚える。
ヴァロットンという作家を私は全く知らず、今回初めて作品を見ることになった。
19世紀から20世紀初頭にかけてパリで活躍した画家で、ボナールやヴュイヤールなどのナビ派の仲間たちと交流し、創作版画的な木版画を多数制作する傍ら、色調を抑えた独特の色彩表現の油彩画を発表している。
展示作品の多くに妻に対する猜疑心なのか、男女の性愛の機微が垣間見える。
こうした私的な心理表現をする作家は珍しく、大変興味深く見せてもらった。

続いて、東京駅にあるステーションギャラリーの「フォートリエ展」。

アンフォルメルの旗手として知られ、大原美術館で代表作のひとつの人質シリーズの1点を見てから、心に残る作家の一人となった。
今回まとめて見ることが出来るとあって楽しみにしていたが、なかなか時間が取れず、今になってしまった。

初期の作品はあまり好きになれなかったが、厚塗りのマティーエールによる後半の作品はさすがで、その存在感は際立っていた。
昨年のギャラリー椿オークションにも何点かフォートリエの版画が出品されたが、こうして見てみると、安く売ってしまったのが惜しまれる。
その後恵比寿の画廊で、桑原作品を見て家に帰ると、突然雷が鳴り出し、土砂降りの雨が滝のように落ちてきて、滑り込みセーフで濡れずにすんだ。





6月29日

恵比寿のとある小さな画廊を訪ねた。
桑原弘明の新作オブジェが一点出品されているということで、見に行くつもりが、ぎりぎり最終日になってしまった。

つたに覆われた古いビルの中の、5坪あるかないかの小さなスペースに、展示作品の他にもアンティーク小物、美術書が所狭しと置かれている。
オーナーのSさんはまだ若い女性だが、作家さん達からすごく頑張っていると聞いていたが、今回のグループ展も200万円の作品をはじめほぼ完売。
桑原作品ももちろん即日売約。

一軒だけポツンとある画廊だが、ひきりなしに人が訪ねてくる。
幻想美術の企画をメーンにしたのが成功の要因である。
現代美術と近代美術のはざまにある幻想美術は東京でも青木画廊など2、3の専門画廊しかなく、そうした画廊でも最近は若手作家にシフトしていて、70年代の幻想美術華やかし頃の作家を扱う所はなくなっていた。
そうしたベテラン作家を扱うことで、マニアックなファンが訪ねて来るようになったのだろう。

次々と訪ねてくる若い人達にも明るく挨拶し、目配り、気配りしながら忙しそうに動き廻る姿は、創業時の若かりし自分を思い出させ、今一度ネジを締め直さなくてはの思いを強くした。



6月28日

昨年GTUで発表をした佐藤温君が「Sato Onの世界」と題した展覧会を岐阜県の飛騨市美術館で開催することになり、そのフライヤーが送られてきた。
彼が高島屋日本橋店・ギャラリーXで個展をした折に、美術部の担当者から、うちで個展をしてもらえないかと頼まれたのがきっかけで、私どもでも個展を開くことになった。
個展は大変好評で台湾や上海のお客様を筆頭に多くの方に購入していただき、紹介をしてくれた高島屋さんには感謝しなくてはいけない。

その彼が美術館で個展とはたいしたものである。
フライヤーには、次のように書かれている。

ファンタジックな空間、不可思議なキャラクター。
描かれた作品からは、独創的な世界観が伝わってきます。
作家は漫画やアニメーションからインスピレーションを受けて、湧き上がったイメージを独自の完成で表現しています。
この企画展は、初期のころの作品から最新作まで、約40点を展示します。
自らの可能性を追求し続ける「佐藤温」の内面世界をご堪能ください。

前にも紹介したリアス・アーク美術館の「佐藤未希展」も7月6日までだが、このように若い作家たちが美術館で企画してもらえるのはありがたいことである。



6月27日

今日は高校のクラス仲間とのゴルフコンペ。

2,3ヶ月に一度開いているが、わがクラスだけでは人数が足りないこともあって、最近は他クラスからも参加するようになり、いっそう賑やかになった。
今回も高校時代に私が所属していたヨット部に1年生のときだけ入っていたI君が参加することになり、卒業以来だから50年ぶりの再会となった。
50年といえば、半世紀にもなるわけだが、その年月を超えて、当時に戻れるのだから、青春を共有した絆というのは有難いものである。
次回も新たに一人が加わることになっていて、こちらは名前だけでは顔が思い出せないが、会えばまた同じように当時の思い出を語らうことが出来るのだろう。

高校時代のコンペでは別にバスケットボール部の仲間とのコンペがある。
中学1年のときに3ヶ月だけバスケット部に入ったことがあって、自分でも誘われるまでは忘れていたくらいだから、腰掛ともいえないくらいの短い部活動だったのだが、なぜか誘われた。
更には人数あわせで、野球部のコンペにも誘われている。

業界の人たちとはめったにゴルフをしないが、大学時代を含め、こうした学生時代の気の置けない仲間とのゴルフは楽しいものである。
いつまでできるかわからないが、声を掛けられるうちが華と思って、出来るだけ参加することにしている。

雨も幸いプレー後から降り出し、仲間たちに文句を言われずにすんだ。

6月26日

今日は暑い中、大量の作品をお客様のところから倉庫へ運ぶことになり、へとへと。
朝早くから始めて、何とか7時には画廊に戻ることが出来た。
多分明日は筋肉痛間違いなしだが、早朝からゴルフコンペに出かけなくてはならない。
ゴルフもきっとがたがたに違いない。

6月25日

昨年GTUで個展をした平野栄作の作品が今日発売の「アートコレクター」7月号のの表紙を飾った。
THE・NUDEと題した裸婦特集となっていて、他にもうちで個展をしている真条彩華の作品も紹介されている。

平野の表紙の絵は4月のスプリングフェアーの出品作だが、この絵が紹介されることを全く知らず、フェースブックで雑誌の表紙がチラッと映っていたのを見て、どこかで見た絵が載っているなと思いつつ見過ごしていたが、なんと平野の作品だと後で知った次第である。
このことは平野も知っているのかと、雑誌社に電話したところ、以前から注目していた作家ということで直接コンタクトをとったいうことであった。
私のところの出品作なので、せめて一言掲載の挨拶があってしかるべきと小言も言ったが、こうした新しい作家が表紙になるのはうれしいことであり、よくぞ載せてくれたと実のところは感謝している。



6月24日

昨日は、大学の友人たち7名と男子会。

そば好きが一人いて、前回は池之端の藪、今回は創業明治17年の老舗・神田の「まつや」に集まった。
みんな大学時代のヨット仲間だが、定年で暇な連中が多くなったこともあって、ゴルフだ、食事会だ、飲み会だと集まる機会が多くなった。

5時過ぎに行くとお店は既に満員で、さすが有名店である。
昨年火事にあった近くの神田の藪の社長は、ロータリー仲間でよく知っていて、そちらには何度も行っているが、「まつや」は初めてである。
庶民的なお店で、砂場や藪と違って、そばの量も多く、家族連れもたくさん来ていた。
ただ一人飲めない私は、酒も飲まずにあての蕎麦味噌をなめてもしょっぱいだけで、相変わらず割を食っている。

飲み足りない連中は次に神田駅界隈の怪しげな飲み屋に行くことになっているが、私はここで退散することにした。
蕎麦屋が8時には閉まるので、次のはしごも分からなくないが、下戸の私には、このはしご酒というのが理解しがたい。
一軒でじっくり飲めばいいものを、ちょっとすると次行こうとなる。
若いころに、友人たちと飲みに行ったときは、私が車で行ったこともあって、銀座から始まり、新橋、赤坂、六本木、新宿となって、すべてわたしがアッシー君。
次に横浜本牧で飲もうとなったときは夜中の2時過ぎ、私もいいかげんにしろと、横浜の三つ沢インターあたりで降ろして帰ったきたことがあったが、連中その後、朝まで飲んでいたらしい。
のんべーの行動は全く理解できない。

6月23日

今日からGTUでは井澤由花子展が始まる。

多摩美の油画出身だが、水彩画の発表を続けていて、水彩とは思えない色彩の輝きに満ち溢れ、油彩画とは違った独特の味わいがある。

私は難波田史男の水彩画にに魅せられ、かなりの数の作品を持っていたことがあり、同じように水彩画を表現の一つとしていた小山田二郎、清宮質文の作品とともに三人展を開催したこともある。
更には、そうした表現で新たな側面を見せるであろう作家たちを選んで、「紙に描く展」というのを以前何度か企画したことがある。

水彩画は油画と違って、描き直しが出来ないこともあり、その一瞬の表現と滲み、かすれといった水彩独自の表現が魅力である。

二人の子供の出産の折に夢想した世界が、彼女の新たなテーマとなっていて、母親ならでの感性が存分に発揮されている。

7月19日まで開催している。



6月21日

今日は私の68歳の誕生日。

夏至の日ということで、昼間が一番長い日である。
息子が3月の春分の日、他は多少ずれているが、下の娘が同じ6月、家内が9月、上の娘が12月と、四季折々に誕生日となっていて、誕生日ごとに季節の移ろいを感じることが出来る。

この9月に6番目の孫が生まれる予定だが、孫の誕生日までは覚えられないが、知人には14人の孫がいて、名前が覚えきれないと言っていた。

2年ほど前からフェースブックをやっているが、ここでは誕生日がフェースブック上の仲間に分かるようになっていて、たくさんのお祝いメールが寄せられているのと、画廊を訪ねてくる人も、多くがフェースブック仲間ということで、次々におめでとうを言われる。
昼飯を食べているところや道を歩いていても、フェースブックの仲間に出会い、おめでとうの連発である。
人生こんなに祝ってもらうのは初めてでありがたいことである。

夕方からは金井訓志のオープニングパーティーなのだが、巨大なバースデーケーキや素敵なプレゼントをもらい、私の誕生日パーティーになってしまった。

もうすぐ70歳の古希が目の前の迫っているが、自分ではその実感がなく、まずは父親が亡くなった歳の76歳あたりになって、ようやく実年齢を感じるのかもしれない。
とりあえずはそこを目標に元気で頑張ろうと思っている。





6月20日

明日から金井訓志展が始まる。

私のところでは今年で10回目を迎えるが、毎回新たな表現を見せてくれる。
美術評論家の武田厚氏は現在開催中の前橋にあるヤマトホールでの展示に際し、造形遊戯の快感と題して文章を寄せている。
まさしく遊び心を備えた軽妙洒脱な絵である。

また、今回の案内状にも武田氏は評論を書いてくれているが、金井の作品の明快さは、迷いのない「色」と「形」の鮮やかさにあるのではとも評している。
まさしく際立った色彩と構成は、観る者の目を釘付けにさせる。
所属する独立展でもその存在感は他を圧倒し、真っ先に目に飛び込んでくるのも金井の作品である。

私の画廊も鮮やかな色と形に囲まれた素晴らしい展示となった。



6月19日

前にも書いた依頼仕事で、ここ2日ほど忙しくしていて、日記を書く間がなかった。
ようやく一段落でほっとしている。
現金なもので、だるかった身体もシャキッとしてきた。

身体といえば、ここ3年ほど区の検診は受けていたが、毎年やっていたPET検査をやっていない。
望月通陽の彫刻が各フロアーに飾られている四谷のメディカルセンターでやってもらうのだが、この検査はちくっと注射を打ってもらってからスキャン撮影をしてもらい、、後は個室で安静にしているだけの楽チンこの上ない検査なのだが、費用もかかることからついついサボってしまった。

ずっと異常無しということもあって安心もしていたが、3年も経つとどこかがたが来ているかもしれず、68歳の誕生日も目前ということで、申し込みをさせてもらった。
珍しいことに、ずっと検診は嫌だと言って、区の定期健診も受けなかった家内も受けると言い出し、一緒に受けることになった。

PET検査を検索してみると次のように書かれている。

通常、がんは、実際に腫瘍ができたり、体に変化が起きてから見つかることが多く、がん細胞の成長がある程度進んでからでないと発見しにくい病気である。
早期発見のために、特殊な検査薬で「がん細胞に目印をつける」というのがPET検査である。

がん細胞が正常細胞に比べて3〜8倍のブドウ糖を取り込むという性質を利用していて、ブドウ糖に近い成分を体内に注射し、しばらくしてから全身を専用の装置で撮影する。
するとブドウ糖(FDG)が多く集まるところがわかり、がんを発見する手がかりとなる。

従来のレントゲン(X線)やCT、MRIなどの検査は、写し出された造形からがんを見つけるが、PETはこのように細胞の性質を調べてがんを探しだす仕組みである。
ただすべてに万能ではなく、ブドウ糖を取り込まない脳腫瘍などは見つけることが出来ないそうだが、私は既に脳細胞がどんどんなくなっているので、がんが取り付く場所がないと勝手に思っていて、こちらはそれほど心配していない。

以前はびっくりするほど高額で、それに比べると、今はだいぶ安くなっているが、それでも10万円以上はする。
まあ、あちらこちらをいじくりまわされる検査よりは、身体も楽だし、安静にしている時間も含めて2時間ほどで終わってしまうから、これほど楽な検査はない。
というわけで、皆さんに是非お勧めの検査である。

6月16日

確か今日からスイスのアートバーゼルが始まったはずである。 最低でも300万円のブースフィーと厳しいセレクションがあって、私のようなところはハードルが高すぎて、参加は無理なのだが、アートフェアー数ある中の最高峰といわれるフェアーである。
50を超える自家用ジェット機がここにやってきて、世界のセレブ相手に億単位の取引が当たり前のように行われている。
同じ美術商として、一生に一度はこうしたひのき舞台で商売をしたいものである。

同じ時期には周辺で規模はもう少し小さいが、サテライトフェアーといわれるフェアーやホテルフェアーも開催され、こちらには日本の知っている画廊もいくつか参加をする。
これほどの規模ではないが、私も秋から冬にかけてはアジアのフェアーにいくつか参加する予定をしている。

9月のアジア最大のフェアーKIAFも迷っていたが、参加をすることにした。
ソウルから役員の方たちが見えて誘っていただき、決めきれずにいるうちにデッドラインは過ぎてしまったが、多分OKの返事が来るだろう。
10月中旬に台北のトイアートフェアー、10月末にはアート台北、11月末にはシンガポールで新たに始まるフェアーに参加することになっている。

他にもジャカルタの展覧会も控えていて、夏が終わると忙しい日が続くことになる。

6月15日

日曜日は、私が所属しているゴルフ場の開場記念杯というのがあって参加した。
ここのゴルフ場のフェローシップ委員長というのをやらされていて、この委員会が主催ということもあって、ここ最近絶不調の私だが参加せざるを得なくなった。
100名を越える参加者の中で、一番のスタートとなり、更には私とペアーを組むのが最近入った大物政治家というから、そうでなくても気の小さい私はど緊張である。

政治家の方はテレビで見るとこわもての面相をされていて、自民党から民主党に移り、現在は80歳ということで引退されているが、なかなかの迫力である。
理事会で熟慮検討の末、私がお相手にいいだろうと決めたそうだが、冗談じゃない。

恐る恐る挨拶をして一緒に回ることになったが、思っていたほどに怖くはなく、どちらかというと好々爺といった感じで、国会での姿は想像できない。
ゴルフ暦は60年ということで目茶目茶にうまい。
私はただただご迷惑にならないようにプレーをさせていただいたが、結果は推して知るべし。

終わるとパーティーだが、乾杯の音頭を私にやれという。
まったく人使いの荒いゴルフ場だが、ここは大先生にやっていただくほうがいいと言うことで、私がお願いをすると固辞をされたが、ここのゴルフ場は新入生が挨拶する事になっていると言って、ようやく乾杯の音頭をとっていただくことになった。
さすが長老・大物政治家、挨拶は私ごときがやってはしらけてしまうところだったが、会場大いに盛り上がり万来の拍手であった。

それにしてもこんな緊張してゴルフをしたのは初めてである。

6月14日

全国美術商連合会(全美連)のパンフレットが出来上がった。

より多くの会員に入会してもらうためには、私たちがどんな活動をしているかを知ってもらはなくてはならない。
美術商の全国組織なのだが、会員の多くは古美術商、近代美術関係の業者が中心で、また協同組合加盟の組合員が主体であるため、現代美術関係者や組合に加盟していない業者とはどうしても温度差があるようだ。
パンフレットでは、チャリティーオークションの開催、文化レスキュー事業、文化推進フォーラムに加盟し、他の芸術分野の団体とともに、文化芸術の振興、海外への日本文化の発信事業、文化省の創設へ向けてのシンポジウムの開催などの諸活動を紹介している。
また、政治家や文化庁の方たちとともに、税制改革や文化行政に対する提言を行っているが、これには業界が一丸となって対応する必要性があることをを訴えている。

年会費も年3千円と負担も少ないことから、是非多くの美術業者に理解をいただき、入会していただくようお願いしたい。



6月13日

大学の友人とのゴルフ。

雨男には珍しく、昨日までの雨が嘘のような、夏が一足飛びでやってきたようなドピーカン。
友人も最近お前も行いが良くなったんじゃないとか言っていたが、そうは問屋が・・・。

昼ごろになると、雷鳴とともに雹が降り出し、その後はバケツをひっくり返したような土砂降り。
30分ほど休んで再開したが、しばらく経つとまた雷が。
広いゴルフ場では身の隠しようがない。
昔はよく木の下がいいと教えられたが、どうやらそれは当てにならないようで、ほうほうの体で避難小屋へ向かった。
円を描くように周りは青空なのだが、ゴルフ場の上だけ真っ黒な雲が、行けどもいけども追いかけてくるようで、友人たちはお前が悪い、俺たちから離れろと冷たいことを言う。
3時過ぎまで、雨にたたられながらも何とかプレーを終えた。

27日にも今度は高校のクラスメートとのコンペがあるが、連中にもお前は来るなといわれているが、絶対行ってやる。

6月12日

昨日は取り留めのない愚痴を書いてしまったが、梅雨に入るといつものごとく体調が悪くなり、更には精神状態も悪くなってくるようだ。

今日も朝から雨で、身体がだるいが、毎月一回の料理教室があって早くから出かけることに。
仕事には気合が入らないが、こういう事だと気持ちも晴れやかになるから不思議だ。
先月から男子教室が終了して、女性の多い教室に入ったことも影響しているのかも。

とは言え、偶々料理中に隣の女性グループの一人に、仕込みで忘れているのを見つけて、忘れてますよと声をかけたら、きっと睨まれて、それは後でもいいのときつい言葉が返って来て、シュン。
おじさんに言われて、いたくプライドを傷つけられたみたいだ。
それでも周りの皆がやり終えているのを見て、私に見られないようにこそこそと仕込みを始めた。

おせっかいをしてしまったが、こんなことがあると男だけのほうが気を遣わなくていいと、また愚痴ってしまった。

それでは今日の料理を紹介。

白身魚のポワレ・アンチョビとクレソンのパスタ・グリーンアスパラのビシソワーズ。



6月11日

依頼された2年がかりの仕事が大詰めを迎えているのだが、一難去ってまた一難、なかなか思うようには行かないものだ。
何とかお役に立てるといいのだが。

自分の企画展以外の頼まれ仕事で、これもまた勉強とお断りをせずに頑張っていると、思わぬご褒美が来ることもあるが、一方で足をすくわれ後悔することも多々ある。
仕事以外でも、人に頼まれると断れない口で、ついつい余計なおせっかいまでしてしまい、挙句が肩透かしということも多い。

その人のためと思って一生懸命世話を焼いても、相手はそれほどと思っていないのか、いつの間にか連絡が途絶えたり、あっけらかんと何事も無かったように現れ、その節はといった挨拶もないと、あれっと拍子抜けしてしまうこともしばしばである。
人の世話を恩着せがましくする必要は無いが、何か隙間風が吹き抜けていくような思いがして、やりきれなくなる。

今日もお客様からの話で、、教え子の頼みごとで親身になって連絡を取ろうとしたら、電話一つ寄越さず、忙しいから要件はメールで送ってくれとの返事が来たそうだ。
これが教え子が先生に対する態度かと、他人事ながら腹が立ったが、今どきはそういうものなのかと、また隙間風が私の中を吹き抜けて行った。

6月10日

先週末から携帯をガラ系からスマホに変えてみた。

実はスマホは3年前にジャカルタに行く直前に購入したものだが、俄か説明で使用方法もよくわからずに持っていった。
結局は使い方がわからず、一日でやめてしまったのだが、一ヵ月後に3万円の請求が来てびっくりした。
試しメールを1,2回しただけなのに何故?
確か説明ではパケット料金が3千円と聞いたはずだったのだが。
文句を言いにショップに行くと、海外では日額3千円で、国内のように月額ではないんだそうだ。
それを知らなかったのと、海外ではモバイル回線の接続を切らないと、使わなくても毎日パケット料金が加算されてしまい、10日間いたので3万円になってしまったのだそうだ。

そんなことがトラウマになって、スマホを使うのをやめてしまったのだが、今の携帯のカバーがぼろぼろであまりに貧相なので、意を決してスマホを使うことにした。
ところが日曜日に一日かけてやってみたがわからないことだらけ。
フェースブックに送るつもりもない写真を何度も送ってしまったり、字が小さくて見づらかったり、キーボードも違うところばかり押してしまい、イライラも頂点に。

仕方なく、教えてもらおうと今朝はショップに行くことにした。
結果、私にはスマホは無理ということになり、携帯は修理をしてきれいにしてもらい、電話とメール専用にして、画廊のメールを確認したり、フェースブックや写真を撮ったりするのはアイパッドにしたらと薦められ、アイパッドミニを購入することにした。
1,2度しか使わなかったスマホを解約するのは忍びないが、画廊にあるアイパッドが少しは使い慣れているので、思い切ってそうすることにした。

アナログ人間がデジタルを使おうとすると、無い頭と余計なお金ばかり使ってしまうようだ。

6月9日

今日からGTUでは武田史子銅版画展が始まる。

武田は東京藝術大学デザイン科を出たが、卒業後に銅版画を勉強し、発表を続けている。
白と黒の微妙な色感と巧みな描写力で、イマジネーション豊かな風景や花、小鳥などを制作している。
今回は、その多くの作品に手彩色が施されていて、よりリアリティーある表現になっている。

また新たな展開の人物が登場し、私はあえてこの作品を案内状に使わせていただいたが、武田をよく知る人は驚いたに違いない。
どちらにしてもそのデリケートな表現は魅惑的で、銅版画でこれだけの情感を出せる作家も稀有である。





6月8日

横浜そごう美術館の四谷シモン展を見に行った。

彫刻でもない、オブジェでもない人形というジャンルを芸術に高めた人形作家の第一人者である。
初期の作品から新作まで46点が並ぶが、その精緻な作品には完成までに相当な時間を要し、ここずっと一年に一点の制作が続いているだけに、これだけの作品を見る機会はそうはない。
ハンス・ベルメールの影響を受けて球体関節人形を制作する傍ら、唐十郎が主宰する「状況劇場」では俳優として活躍し、合田佐和子、金子国義、大月雄二郎なども状況劇場時代の仲間である。
澁澤龍彦の文章の中に、ハンス・ベルメールの記述があったことが大きな転機となったことから、澁澤を敬愛し、その薫陶から人形作家として独り立ちし、現在に至っている。

人形愛と自己愛を追求した人形作品には、人形という物体を超えた深遠なる精神力が宿っていて、観る者をひきつける。



私どもにも80年代の「少女の人形」があるので併せて紹介させていただく。



6月7日

いよいよ入梅で、昨日今日と強い雨が降っている。

河口湖の畑に連休に植えた苗のミズナ、レタス、白菜、それに種をまいた二十日大根などがちょうど収穫時なのだが、大雨で八王子と大月間が通行止めになっていて、今夜から行く予定だったが、どうやら止めたほうがよさそう。
数日前には、突然畑に雹や霰が降って、野菜もだいぶやられてしまったのではと心配なのだが。

先週末からも、シドニーでロータリークラブの世界大会があって、娘家族に会うのを兼ねて行く予定を立てていたのだが、クラブの仲間が飛行機のチケットが早くから売り切れで、キャンセル待ちもかなわず、結局取りやめとなった。
娘に聞いてみると、先週末からずっと雨が降っていて、それと向こうは冬で、オーストラリアといえどもだいぶ寒いらしく、来ないで正解と言っていた。
もし行っていたとしたら、仲間にまた雨で文句を言われるところであったが。
世界大会となると、シドニー行きのチケットもファーストクラスから売り切れてしまい、私が今年の初めに申し込んだときは唯一JALのエコノミーが2枚あるだけで、ホテルも部屋代が2倍3倍に跳ね上がり、それでも市内のいいホテルは全て予約済みとなっていた。
世界大会の常連に聞くと、前の年に予約しないと飛行機もホテルも取るのが難しいのだそうだ。
ロータリーの世界大会でそうなのだから、ワールドカップやオリンピックとなるとよほど早めに予約をしなくてはいけないのだろう。

そんなこともあって、明日はのんびりと横浜の四谷シモン展、東京のフォートリエ展でも見に行こうと思っている。

6月6日

今日はお客様のところへお届けに。

訪ねると他の画廊さんや百貨店の美術部の方も見えていて、大賑わい。
広い部屋もたくさんの作品で溢れかえっていて、その片付けと一緒に、お届けした服部千佳の作品とともに以前に購入していただいた堀込幸枝の作品を壁に飾ることになった。
マティエールの美しい二人の作品が並ぶとまるで美術館に展示されているように格調高く見える。
二人の作品が並ぶのも滅多にないことなので、お許しを得て写真を撮らせていただいた。



6月5日

卓越した描写力で知られる小川信治の珍しい作品が手に入った。

私が小川信治の作品を初めて見たのは、大阪国立国際美術館であった。
そこでは、ピーター・ドイグ、リュック・タイマンス、マルレーネ・デュマス、アレックス・カッツなど21世紀初頭の欧米で最も注目されている作家たちの作品を集めた「エッセンシャル・ぺインティング」が開催されていて、これは見逃せないとわざわざ大阪まで行ったときに、併設されている展覧会が「小川信治展」であった。
その時の超絶技法による鉛筆画と一見虚構と思われるフェルメールやミレー、ダ・ヴィンチの名画を模した油彩画には驚かされたものである。

大阪展の折のカタログから一部を引用させていただく。



それをきっかけに、油彩画や鉛筆画を何点か手に入れることが出来たが、その後は価格も跳ね上がり、国際的にも活躍するようになって、はるか手の届かないところに行ってしまった。
それが偶然、私が知る細密画の作品とは大きくかけ離れた小川信治の作品がディーラーズのオークションに出てきた。

赤ん坊を単純化し、色も白と黒のアクリルで描かれているシンボリックな作品で、俄かには小川作品とは信じられなかったが、細密画と対極にある作品ということで、興味がわき、落札することにした。

年代はわからないが、初期の作品のようで、BABYシリーズより「サロゲートマザー」というタイトルがついている。
聞きなれない「サロゲート」という言葉は「代理者」という意味のようで、IT関係で使われているようだが、「代理母」という意味なのだろうか。

10号の正方形でパネルに綿布を張って、その上に描かれたものなのだが、縦横もわからず、どうやら写真のように逆さまが正しいようで、もし間違っているようだったら教えていただきたい。



ついでに私どもにある水彩画の小品も紹介させていただく。
「ベラスケスB」という作品である。



6月4日

小柄の若い美人の方が熱心に富田作品を見ている。
声をかけさせていただくと、2点のうちどちらにしようと悩んでいる。
私のアドバイスもあって、ようやく1点を選んでいただいた。

初めての方なので、てっきり富田のお友達と思っていたら、そうではなく、初めて富田作品を見て気に入ったのだそうだ。
聞いてみると、シンガポールにご主人の仕事の関係で住んでいて、偶々日本に帰って、私のところを訪ねてくれた。
5年前に六本木の国立新美術館の仕事をしていて、そのときに私どもに来たことがあり、日本に帰ったら是非訪ねてみたいと思っていたというからありがたいことである。
周囲の様子がだいぶ変わってしまい、来るのにだいぶ迷ったそうだが、よくぞお越しいただいた。

私も12月に新たに出来るシンガポールのアートフェアーに参加することになっていて、しばらくシンガポールの話で盛り上がった。
美人に弱い私は、シンガポール・アートフェアーでの再会が楽しみとなった。

6月3日
サッカーのワールドカップがもうじき始まろうとしていて、サッカーファンには眠れない日が続くだろう。

私どもで個展開催中の富田有紀子も大のサッカーファンで、前回の南アフリカ大会にも一人で出かけたつわものである。
今回も、前に私どもにいたスタッフがブラジル大会の切符が8枚ほど手に入ったので、早速に富田に連絡したが、さすがに個展中で行くわけにはいかず、地団太を踏むことになった。
ブラジルは治安が悪いらしく、私の大学の後輩がブラジルのある会社の社長しているが、車は防弾ガラスにしてあるそうで、富田もそんな危ないところには行かないほうが無難だ。

私のようにサッカーに興味のないのは、切符が余ろうと無かろうとまったく気にならない。
選手の名前も三浦とか釜本とかは知っているが、後はほとんど知らない。
これが巨人戦やラグビーのテストマッチだったら、仕事をほったらかしてでも行くのだが。
この日曜日も東京ドームの巨人戦のチケットをもらったが、今回は私以上の巨人ファンの娘一家にあげることにした。
孫も先日の巨人戦を見に行った折に買ってあげた巨人のユニフォーム仕様のTシャツを着て応援をすることになっている。

大リーグでは田中やダルビッシュが大活躍し、ゴルフでも昨日松山が優勝したりで、海外で日本人選手が活躍しているので、それにあやかってサッカーの日本代表にも是非頑張ってもらいたいが、それにもまして、いまひとつ調子の上がらない巨人軍に頑張ってもらわなくてはいけない。

6月2日

いやぁ・・・ここ数日の暑いこと。
7月8月まで身体が持つだろうか。

今日は元気象庁気象研究所所長の山岸米二郎理学博士のお話を伺った。

異常気象は二酸化炭素の排出による地球温暖化が原因だが、このままで行くと100年後には約4度地球の平均気温は上がるそうである。
ただこうした現象は地球規模で見ると、何度もあったことで、氷河期の恐竜の滅亡や気温上昇による海進で、サハラ砂漠が草原であったり、ノアの箱舟のような故事も伝えられている。
そのサイクルが人為的な要因もあってだんだん早まってきているのだそうだ。

4度上がるということは、日本も亜熱帯に属することになり、ワニが隅田川に生息したり、日比谷公園に大きなトカゲが徘徊しているかもしれない。
今のうちに、アラスカとかシベリアへの移住を考えなくてはいけない。

6月1日

バルチュス展に行ってきた。

少女のしなやかに伸びた手足と、そこから漂う微かな官能美に幻惑され、もしかして、自分はロリコンなのではと少し心配になった。

手足の意図的なポーズや、背景にある家具や瓶等が巧みに配されていて、まずはその構成力に感嘆。
それが膨大なデッサンや習作に裏づけされたもので、それゆえ誇張されたポーズにも違和感を感じない。
更には光に対するこだわりがまたすごい。

平板な少女像が多い昨今の絵画に、深い洞察力と構成力と積み重ねの大切さをバルチュスは教えてくれた。
今私どもで開催中の門倉の少女絵にも、バルチュスのようなそこはかとなく漂う雰囲気のようなものが出てくるといいのだが。



5月31日

今日から富田有紀子展。

今回は従来の花のテーマから離れ、同じくテーマにしていた果実の延長にある球体にテーマを絞り発表した。
色合いも暖色主体であったのが、寒色系のブルーのガラス球が多く描かれている。

昨年は練馬区立美術館でも祖父の小林猶治郎とともに大きな展覧会が催され、その集大成を見ることが出来たが、今回は更に画風を拡げることになった。

彼女の作品は近くで見ると粗いタッチで描かれているように見えるのだが、離れて見ると、微細な表現に変わる不思議な絵である。
ガラス球、イクラ、石榴の実、プチトマトと丸い絵に画廊は取り囲まれている。





5月30日

「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基盤に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする国際的アーティストで、現在は東北芸術工科大学副学長でもある宮島達男のコメントがフェースブックに出ていたので紹介させていただく。

アーテイストとして生きること 宮島達男

1.この国でアーティストがどう生きるべきかリアルに考える。はっきり言って、絵で飯は喰えない。
皆分かっているのに、その幻想の旗を降ろさない。なぜか。

2.幻想の原因は美大というよりも、美大の先生方がその幻想を信じているからでしょう。
そして、その夢を若い連中に語る。
まるで、それを捨ててしまったら、アーテイストではないと思い込んでいるからではないか。
ここには、アーテイストという生き方の誤解があるように思う。

3. この幻想「プロのアーテイスト=絵で飯を喰う人」という図式は誤解ではないか。
アートは職業になじまない。
むしろ、アーテイストは生き方である。
自分の生活は別途、自分で支え、自らの想いを納得のゆくまでカタチにし、他者へ伝えようとする人間。生き方。
それは素晴らしい生き方だと思う。

4. そうした生き方と思い定めれば、自由になれる。
うまいへた。評価されたされない。
売れた売れない。人と比べない。楽しいから描いていた頃。
そして見てくれた人に喜んでもらえたことが幸せだったあの頃。
人の評価でなく、自分が良いと本当に思えるものができたときの喜び。それが本当の自由。

5. そうした生き方をした人に、ゴーギャンがいる、ルソーがいる。無数の絵描きがいる。
むしろ、ピカソのように絵で喰えた人はまれ。全体の1%もいない。
宝くじを当てるより難しい。
そんなギャンブルのような賭けに自分のアートを翻弄されてはつまらない。

6. この生き方、絵描きに限らない。
評価されるされないに関わらず、自分が良いと思える事を人と比べず追求する。
そんな人はもうすでに本物のアーテイスト。
そう、実は、アートは絵描きだけの専売特許ではない。誰もがアーテイストに成れる。Art in You

7.そもそも職業とは誰かのニーズがあり、そのニーズに応えて成立するもの。
アートには、もともとニーズがない。
自発的に想いをカタチしているだけ。
だから職業となじまない。
しかし、ごくまれに職業として成立してしまう者が現れる。
ここが、幻想を生む原因だ。
では、これを、どう考えれば良いか。

8. アートが職業として成立する。
それは偶然としかいいようがない。
もちろん、作品には「美の基準線」が存在する。
作品として成立する最低限の質は昔から変わらずにある。
努力次第でそれは手に入れられる。
美大で教育するのはここ。
だが、それを満たした作品が売れるかというと、そうとは限らない。

9. 偶然に作品が売れてしまうのは、時代や環境、流行など外的要因が大きい。
だから、時代によって評価も変動する。
たとえば、最近になって評価が高くなったフェルメール、逆にビュッフェのようなケースも。
現在たまたま喰えているアーテイストもどうなるか。
喰えることと質とは別次元である。

10. この「質」と向き合うことは、自分と向き合うこと。
外的要因ではなく自分の努力で報われる世界。
ここは裏切らない。
「喰えることは偶然」と腹を決められれば、何も怖いものはなくなる。
悲しいのは喰えないことではなく、アーテイストとしての目的を失うこと。

11. 目的を失うと、すべてまわりの責任にする。 「環境が悪い」「日本の文化度が低い」「社会が悪い」「マーケットが悪い」・・そして、戦略を巡らし、外堀から埋めようとする。
これではいつまでたっても自分の「質」と向き合えず、一流のアーテイストとして生きられない。

12. もちろん、社会構造の問題もあるので、私自身、「文化芸術基本法」の制定や、「文化防衛戦略」への答申、税制の改革など。
日本の構造改革にも関わってきた。
しかし、それでもアーテイストの生き方の問題は依然として解決しない。

13.むしろ、ア-テイストな生き方をする人が増えてくれば日本の構造も変わる。
なぜなら、アートには人を思いやる想像力と、出口の見えない問題を突破する創造力の2つが獲得できるから。
自分と向き合う感性を持った人がたくさん出れば、日本のカタチはすぐに変わるのは当然。

14.だから、すべての人にアーテイストな生き方が必要。
「アーテイスト=絵で飯を喰う」という幻想が、すべての人のアート教育の機会を奪う。
音楽、踊り、建築、書、どんな分野でも、人間を人間たらしめる根本の教育。
それがアート教育。
矮小な幻想を常識と勘違いしてはならない。

15.Art in You. こうしてアーテイストは、たかだか150年の小さな「名詞」の殻から解放され、悠久の大きな「形容詞」に変容する。
そして、アーテイストは幻想でなく、リアルな「生きざま」として刻印される。

以上のようなコメントを述べている。
世界で活躍する宮島達男だからこそ含蓄があるのか、はたまた宮島達男の幻想なのか。

5月29日

日中関係がギクシャクしている中、前中国特命全権大使・丹羽宇一郎氏の話しを聞く機会があった。
丹羽氏は前伊藤忠取締役会長でもあり、お役人や政治家とは別の視点で、今の日中関係を見ている。

まずは、メディアがお互いにそれぞれの悪いところばかり報道し、いいところを少しも伝えていない。
現状をもっとよく知るには、お互いに行き来し、見聞きすることが重要だが、現在それができていない。

丹羽氏は現状を次のように語った。

一つは、今までの延長線上で物事を考えてはいけないということと、もう一つは中国外交部のジャパンスクールといわれる人たちの人事異動が進んでいて、今まで影響力があった人たちの力がなくなったということを考えなくてはいけない。
そのため、正常化に向けた状況は何も変わらず、首脳会談の実現はますます難しくなっていると思われる。

このような状況を改善するには、国民同士の交流、貿易経済面の交流が重要である。
日中間の人の往来は、第一回日中共同声明当時は1万人、40年後の現在は540万人で、貿易は10億ドルから3300億ドルに増えているが、ここにきてそれは止まってしまった。
国民の交流こそが日中の相互理解に重要であることを心に刻まなくてはいけない。

昔と今では日中の取り巻く状況も大きく変わり、世界のGDPは現在42兆ドルだが、中国は0.4兆ドルだったのが8兆ドルと20倍の規模に成長しているが、日本は3兆ドルであったのが6兆ドルと2倍の規模でしかない。
世界の貿易額は36兆ドルだが、アメリカは3.8兆ドル、中国は4.1兆ドルで世界1位である。
因みに日本は1,7兆ドルで、世界各国の中国との貿易取引の依存度が上がり、欧米にとっても中国は日本より重要な国となっている。

ソフトパワーで見ると、科学工学者の数は中国159万人、アメリカ141万人、日本65万人で、ドクターの数ではアメリカ33,000人、中国27,000人、日本8000人である。
ハーバードの入学者は世界135ヶ国から4500人、うち中国582人、日本は12〜3人である。

これで20年後は大丈夫だろうか。
中国からアメリカへの留学生は22万人に対し、日本は2万人に過ぎない。
アメリカにおける中国の理解者がどんどん増えていくのに対し、日本はどんどん減っていくことになる。

日本がどういう立ち位置であるかを考えてみると、日本は自給自足で生きていくには限界があり、日本から物を売り、世界からものを買わなくてならず、そうして豊かにならなくてはならない。
そのためには、平和であることが重要で、世界で尊敬される国にでないといけない。

そういう国を作っていくのは日本国民で、教育である。
日本が豊かになるために今以上教育に力を入れなくてはいけないのだが、教育への投資はほとんど行われていない。
大学進学率一つををとってもOECDの平均以下の数字である。

世界で尊敬され、また豊かになるためにも、教育にもっと力を入れることに大きな声を上げ、政治を動かしていかなくてはいけない。

以上が概要だが、文化面でもアジア諸国に大きく遅れをとっていることは間違いなく、以前のような上から目線ではなく、学ぶことは学び、教わるところは教わるという謙虚な姿勢が必要である。

5月28日

大学のヨットの先輩と同期の仲間が集まり、ゴルフコンペを開催した。
稀代の雨男の私が幹事ということで、天候が一番心配されたが、絶好のゴルフ日和となり、稀代の晴れ男を自称するW先輩の力が勝ったようだ。
中には快晴にもかかわらず、雨具の格好までしていただい先輩もいて、私の雨男ぶりは部内でも鳴り響いている。

好天にもかかわらず、私のスコアーはひどいもので、幹事疲れとはとても言いがたい成績となり、どうも悪天候が私には向いているようだ。

一人ゲストで久しぶりの先輩Kさんが参加し、優勝をかっさらっていった。
それもそのはずで、学生時代は棒高跳びの名選手として大活躍をし、オリンピックの候補にもなったこともあり、運動神経抜群で、われわれは足元にも及ばなかった。
長い間海外に行っていて、お会いすることがなかったが、頭を除けば昔と変わらず、すぐさま当時を思い出すことができた。

70歳前後の学生時代の仲間たちがこうして集り、元気にゴルフができることは、何にも増してうれしいことで、なんとも楽しい一日を過ごすことができた。



5月27日

美術品が人を呼ぶことを改めて実感。

昨日、遠方のお客様が久しぶりに来廊されて、前日に事情があって売却を依頼された作品をスタッフが見せたところ、、一目で気に入っていただいた。
偶々、私は外出していて、その日はお会いできなかったので、先ほど電話をさせていただいた。

私はその作品が手元に来たときに、まずその方が頭に浮かび、今日にでも連絡してみようと思っていた矢先だけに、画廊に見えたと聞いて吃驚した。
実は元々の所有者とこの方はお付き合いがあり、てっきり私は依頼者の方から話しを聞いて、わざわざ見にこられたものとばかり思い込んでしまった。

ところがである、その方はまったく知らずに画廊に来て、偶然にその作品に出会ったという。
もちろん誰が持っていたかも知らずに。
その日に教え子の結婚式があり、その帰りに久しぶりに画廊に立ち寄ったのだそうだ。

そう聞いて私は鳥肌が立った。
まず私が頭に浮かんだ方が、何も知らずにしばらくぶりに私のところに立ち寄り、その作品に出会ったのである。
作品の出会いとはこういうものなのだろうか。

お客様も私の話から元の所有者を知ることとなり、それならいっそう私が持たなくてはいけないと喜んでいただいた。
依頼者の方にも、その話をさせていただいたところ、あまりの偶然に驚いていたが、何よりの方に持っていただいたことをこれまた大変喜んでいた。

私もこんな経験は一度や二度ではなく、作品との出会いの不思議さを改めて実感させられた。

5月26日

、 今日からGTUでは門倉直子個展が始まる。

土曜日まで真条彩華展をやっていたから大忙しである。
描き続ける少女がテーマだが、小生意気な少女、傷つく少女、夢見る少女などなど多彩な少女像が並ぶ。
おじさんたちには眩しいばかりの少女たちだが、少女たちはどんな目でおじさんたちを見ているのだろうか。



5月24日

フェースブックに世界の都市調査で東京が総合的な満足度第一位の記事が出ていた。
但し、文化に対する評価は11位で、芸術支援、美術館の充実など、私どもの立場からすると是非改善しもらいたい問題であり、こうした評価が1位になってこそ世界の一流都市といえるのではないだろうか。

2014年5月20日にトリップアドバイザーが発表した世界の都市調査の「総合的な満足度」第1位に、なんと東京が輝いたのだ!

最大の魅力はやはり清潔さと親切さ。
同調査によると、世界の主要37都市に対して各都市の交通の便や清潔さ、地元の人たちの親切さ、観光・ショッピング・ホテルの満足度など、旅行に関わる16項目を評価したところ、東京は5項目で1位を獲得。

総合満足度で1位になった。 東京が1位を獲得した5項目は「地元の人たちの親切さ」、「タクシーのサービスの総合的な評価」、「街中の清潔さ」、「公共交通機関の評価」、「都市に対する総合的な満足度」だった。

他には、「タクシーの運転手の親切さ」で2位、「街中での移動のしやすさ」、「家族連れに対するやさしさ」で8位を獲得した。

旅行者に親切で、安心、清潔、さらには持ち前の勤勉さで運営する公共機関といった魅力が、今回の総合1位という評価につながったという見方ができそうだ。

改善すべき点は「文化」「観光」!
16項目のうち、トップ10から外れた3項目は、「文化に対する評価」が11位、「観光やアクティビティに対する評価」が13位、「コストパフォーマンスのよさ」が20位だった。

日本においても東京は観光都市というより、ビジネスや政治の中心地といったイメージが強い。
だが、日本独自の観光資源を利用して、それこそ、東京に来たら日本の文化がほとんど楽しめるような施策を考えるのもいいかもしれない。

5月23日A

横田尚展、真条彩華展についてお二人のコレクターの方からフェースブック上でうれしいコメントをいただいた。

山下透氏

横田尚展

ギャラリー椿の横田尚展、期待にたがわない、いい展覧会である。
かつてはシュールな描写が中心であったが、ここ数年、明るくちょっと艶やかな雰囲気の作品に変化して来ている。だが、テーマは変わることなく少女である。
幼い少女もいれば色気を感じさせる年頃の少女もいるが、そのデフォルメされた人物像が見る者を惹きつける。
そして、どの作品にも金魚が描かれている。

これらの少女と金魚の絵、作家は何を描こうとしているのだろう。
少女の大きな目はしっかりこちらを見ている。
何かを求め、何かを探している目だ。
少女のまわりには金魚が泳いでいるが、これは少女が求めている象徴なのではなかろうか。
それは幸せかも知れない、夢かも知れない。

そのように見てみると、横田尚の作品はただ可愛い少女が描かれただけのものではなく、そこには少女の内面世界が見える気がするのである。
・・そういえば、このきりりとした大きく印象的な目、ちょっと作家の目に似ているではないか。



敦賀信哉氏

横田尚展

昨日、山下透さんの的を射た素晴らしいレヴューを拝見した後なので迷ったのだが、自己満足を叶えたいとの我見から載せさせていただきます。

横田尚の絵を初めて見てからもう何年になるだろう。
その頃は今のように明るい色合いではなく、やや沈んだ暗色と力強いタッチの、どこか表現主義絵画を想わせるデフォルメされた少女などを描いていた。
僕はその絵に魅せられて、確か100号だったその絵が欲しいと思ったが、いろいろあって果たせずに終わった。

近作でもこの少女は生き続けており、いやむしろそこになくてはならない、画家の化身とさえ思えてしまう、明るく美しく洗練された色っぽさをも備え、ややアニメのキャラクター的な印象の女神のような存在感を備え始めたようだ。
重要なモチーフである金魚は画家の揺れ動く心理の象徴であるかのごとく、常に少女のそばを離れない。
それは彼女を導く精霊のように僕には見えて来る。

真条彩華展

妖艶で肉感的な美しい人間の女性が、やがて光背を持ち、薄衣に瓔珞を身に付けた神々しいまでの菩薩に変身。
願わくば、このように美しい菩薩に誘われて彼岸へ旅立ちたいものよ、、。
とは夢のまた夢、否、ありうべからざる妄想に近い煩悩多き凡愚の呟き。

卓越した描写力と日本画の顔料を使いこなし、理想の女性像を描き続ける真条彩華の「御伽話」の世界です。



5月23日

昨日、一昨日は台湾デーで、日記で紹介した黄さん以外に台南のダーフォンギャラリーのオーナーとスタッフもやってきた。
ダーフォンさんは最近よく日本に来ては草間だ奈良だとかを買いに来ているようで、私は大してお役に立てないのだが、古くからのお付き合いなので、必ず寄ってくれる。

来年春のグループ展に岩淵華林を加えた4人展を開きたいとの依頼があり、こちらはお役に立つことができそうだ。

そんなわけで、お二人には若い作家がそれぞれにお世話になることになった。

いつも向こうではご馳走になっているので、お返しに黄さんとは馴染みの天麩羅屋で、ダーフォンさんたちとは前回もお連れした築地のお寿司屋に案内した。
築地では、ダーフォンさんたちを乗せていて緊張したのか、突然の雷雨に慌てたのか、先月来たばかりの新車を駐車場の柱にぶつけてしまい、大ショック。
新車には、障害物があるとうるさくピーピーと警告音が鳴り、 画像で前後左右を映し出す仕組みになっているのだが、それにもかかわらずだから、いやはやなんとも言いようがない。

アクシデントもあったが、ダーフォンさんを通して台湾の美術館からの依頼品の注文もあり、めげずにご期待にこたえたい・・・謝謝。

5月22日

台湾からトイフェアーを主宰する黄さんがやってきた。

以前にも紹介したが、フェアーは今年の10月に開催予定で、私どもは1ブースを招待されていて、木彫の中村萌を並べることになっている。
一目惚れした黄さんが彼女のフィギュアを作りたいと熱望され、そのフィギュアを作るとともに、成り行きからファインアートとは場違いのおもちゃや人形が並ぶところに出展することとなってしまった。

今日もこれから先日初めて行った中野ブロードウェイで待ち合わせることになっている。

こちらは黄さんの専門分野で、ここに新たにオープンし、お手伝いすることになっているギャラリースペースの活用について、是非黄さんのお力を借りたいと思っている。

5月21日

昨日の本庶佑博士の研究「PDー1抗体治療」は大変興味深い話だったので、素人の私がどのくらい理解できたかわからないが紹介させていただく。

がんの対症療法には手術、放射線治療、化学療法の他に、自分の免疫力で治療する免疫療法がある。
それにはインターフェロンなどの免疫活性化法やがん抗原療法の他に「ブレーキ抑制法」というのがあって、「PDー1抗体治療」はブレーキ抑制法の一つである。
がん患者の多くがブレーキが強まることで免疫の働きが抑制されることから、ご自身の研究の成果であるPDー1抗体治療により、免疫のブレーキを外すことでがん細胞を攻撃し、がん細胞を縮小できることがわかった。
この治療の利点は、副作用が少なく、幅広いがんに効くこと、ほかの抗がん治療との併用で有効性がより拡大増強する。
ただすべての患者に効くということではないらしく、適応する人といない人がいて、すべてに万能ということではないらしい。
この研究に20年を要し、ようやく臨床に使えることになったようだが、それでもすぐに使われるのではなく、手術や他の抗がん治療が効を奏さないときに、初めて使用が可能になるそうで、最初からこうした治療が受けられるように、一日も早く認可が下りることを願う。

先日も東工大名誉教授の堀越弘毅氏の極限環境生物の話を伺う機会があり、酸性の培地にしか生存し得ないと思われていた微生物が、アルカリ培地でも生育することをつきとめ、そこから新たな酵素が発見され、医薬や食品、化粧品、工業用原料などに多量に使用されるようになった。
特に洗剤に使われる酵素を見つけ、少量で汚れを落とせることから、環境問題にも大きな貢献をすることとなった。

お二人とも基礎研究の重要性を述べており、国も即効性のあるものには支援を惜しまないが、長い年月を要するこうした研究には支援の手が伸びないことを嘆いておられた。

5月20日

元NHKアナウンサーで参議院議員を経て、現在「時代の風を起こす会」を主宰するk・Hさんの集まりに招かれた。

美術愛好家としても知られ、ご自宅の一階には広いギャラリースペースがあり、ご自分のコレクションが展示されている。

私どもも作品を納めさせていただいているご縁で招かれたが、場所は河田町にある元小笠原伯爵邸で、現在はスペイン料理のお店となっていて、豪華なレストランである。

どんな会かも知らずに、図々しく参上したが、まずは文化勲章受賞記念講演として京都大学院医学研究科客員教授・本庶佑博士の「日本の医療の未来」と題した 格調高いお話を聞かせていただいた。

少子高齢化社会とそれに伴う医療費の増大に対し、病気になる前の先制医療や予防医療の研究開発の強化、介護予防の推進などによる医療費の軽減、そのためにも基礎医学の研究の重要性を説かれ、日本の医療政策の転換の必要性を訴えられた。
文化勲章の対象ともなったインターフェロンなどと同様に免疫療法の一つの「PDー1抗体治療」については、素人の私たちにもわかりやすくご説明をいただいた。

その後、K・Hさんのご挨拶があり、成長戦略の切り札であり、財政再建の要として医療を始めとしたライフサイエンスの必要性を熱く語られた。

そうしたお話が終わると、広い庭園でのガーデンパーティーが用意され、格調高いお話とともに優雅なひと時を過ごさせていただいた。



5月17日

風邪を引いてしまい、喉が痛い。
医者に診てもらうと、すごく腫れていて、熱と咳が出てくるので安静にしてたほうがいいということで、画廊を休むことにしたa。
記憶の中では、一度高熱と下痢で、食中毒かもしれないと診断され一日休んだことがあったが、それが何時だったか思い出せないくらい久しぶりに家で寝込むことになった。

孫が風邪を引き、それが娘にうつり、孫の面倒を見に行った家内がうつり、それが私に来たようだ。
それもたいしたことなかったのだが、一応医者に診てもらおうと近くの耳鼻咽喉科に行って、さらに悪くなったみたいだ。
10時に開くというので、その少し前に行ったが、診察が終わったのは12時半過ぎ。
診てもらったのはたった1分、2時間半じっと待たされ、周りも風引き患者ばかり。
これでは病人でなくても病気になる。

娘も妊娠していることもあり、近所の医者の紹介状で大学病院に行ってきたが、こちらは午前中に出かけて、帰ってきたの夕方6時近く。

医院や病院はかなり重くなければ行かないほうがいい。

今日は熱も下がり、画廊に来たが、スタッフもマスクをしていて、かなり危なさそう。
5月も半ばを過ぎたというのに、風邪のウイルスが私の周りに蔓延している。

5月16日

現代アートコレクターで知られるY氏が亡くなられ、来週青山葬儀場にて告別式が行われる。

氏は日本の現代美術の草分けとして活躍した南画廊のパトロンで、南画廊なきあとも現代美術を支えた大コレクターの一人であった。

私とは日本美術品競売会社・JAAの社長を務めた時からのお付き合いで、南画廊、東京画廊、青木画廊、弥生画廊、大阪フォルム画廊などともにY氏はJAAの出資者の一人であった。
当時JAAは創立30周年を迎え、日本初のオークション会社としての使命は果たしたということで、会社を解散する予定であったが、Y氏の強い意向で存続が決まり、私が社長を任されることになった。
その後、大阪のオークション会社の傘下に入ることになり、私もY氏も手を引くことになったのだが。

その後の日本を含めたアジアのオークション会社の隆盛をみると、Y氏には先見の明があり、私がもう少しオークション会社の経営を頑張っていたら、果たしてどうなっていただろうか。
もっともそうなっていたら、今のギャラリー椿はないだろうが。
当時も、画商とオークション会社という全く相反する事業の二足のわらじは、私には大変な負担であり、その時以来私の髪は真っ白になってしまった。

そんな風にY氏との思い出が懐かしくよみがえるが、日本のアート界にとってはかけがえのない方で、その死が惜しまれてならない。

慎んで御冥福をお祈りする。

5月15日

美術出版社刊「アートの価値」マイケル・フィンドレーが昨日の日本版画商協同組合の例会の折に紹介されたので、購入させてもらった。
まだ最初の部分しか見ていないが、アートディーラーやコレクターの方には興味深い本のようだ。

序のところには次のようなことが書かれているので、一部を紹介させていただく。

アートの価値を決めるのは何か?

アートの商業的価値は、通貨に似て、社会という共同体の中で必要性に応じて決められる。
アートそのものに値打ちがあるのではなく(その点では100ドル札と同じだ)、様々な条件や必要度によって、アートの商業価値は形成され保たれる。
美術品が高額で売れたというニュースがいつも話題となる背景にあるのは、日常生活において特にアートは必要不可欠なものでないという、一般的な考えがあるからだ。

アートに住んだり、アートを飲んだり、アートを着たりすることはできない。
哲学者のプラトンでさえ、アートの価値は「ミメンシス」、すなわち現実の模倣に過ぎないと考えていた。
2500万ドルの大金を手に入れ、アスペンの山々が一望できる豪邸を買うか、ぼんやりと描かれた赤い長方形が二つ並ぶマーク・ロスコの抽象画を買うかのどちらかであれば、大多数の人が豪邸を選ぶであろう。

・・・・・。

また、扉にはこんなことも書かれている。

エミリー・ホール・トレメイン
どんなコレクターでも、次の三つの動機のうち一つは持っている。
アートへの純粋な愛、投資の可能性、そして社会的な見返り。
このいずれにも心を動かさないコレクターはいないだろう。
アートへの純粋な愛こそが、大きな喜びと実りをもたらす最大の動機であろうが、自分が持っている絵画がいまいくらになるのかに、まったく関心のないコレクターはいないと思う。
・・・・。

テオフィル・ゴーティエ
価値あるものとなった時、概してその美は失われる。



5月14日

いきなり夏の暑さ。
朝の散歩も半袖でも暑いくらい。

連休の間行っていなかった代々木公園も桜が終わり、新緑から今はバラが真っ盛り。
あっという間に咲き誇り、色とりどりのバラが美しい。
家の花も冬の花は枯れてしまい、夏の花に植えかえなくてはいけない。

花と同様に、家のリフォームも終わり、家の中に覆いつくされていた養生シートも取れて、こちらも見違えるようにきれいになった。

ただ、工事中はいろいろあって、一大事はトイレの水の勢いがなく、用を足しても肝心なものが流れていかない。
新しいタイプで蓋が開くとクラシック音楽が流れる仕組みになっているが、音楽は流れなくていいから、水が流れてほしい。

マンションの最上階なので水圧が弱いということで、別のタイプに替えてくれることになって一件落着。
気になるのは、替えられた新品同様の便器はどこかの家に使われるのだろうか。
もしそうなら、私が何度か使ってしまったが、どうぞお許しいただきたい。

工事もだいぶ遅れたが、これでようやく快適な生活がおくれることになり、やれやれ。



5月13日

明後日から7月15日まで前橋にある株式会社ヤマト本社ビルのギャラリーホールで金井訓志の個展が開催される。

ヤマトでは地域貢献活動の一環として、ギャラリーホールでの企画展を21年にわたり継続していて、今回は前橋在住の金井訓志の個展となった。
広い会場ということもあり、毎年独立展に出品する200号の大作を中心に一同に集め、まとめて展示することになった。

私どもでも6月21日から7月5日まで金井訓志個展が予定されていて、この期間は2会場での発表となる。

金井の画風や手法は年々変化していて、この機会に是非その展開を見ていただけるといいのだが。



5月12日

ブログを書くときに使い方がわからないことがよくあるが、例えば、「言う」と「云う」のの使い方の違いがよくわからない。
そこで調べてみると「云う」は旧字体だそうで、今はあまり使われないのだそうだ。
「言う」は口に出した時に使い、そうでない時には「いう」を使うそうだ。

間違って使っていた字も多く、パソコンで変換してみて、初めて気がついた字も多い。
おおぜいをずっと「多勢」と書いていたが、「大勢」と書くのを知ったのもパソコンである。

パソコンや携帯メールのせいで、漢字を忘れるというが、私は逆にこんな漢字を書くんだと気づかされることの方が多い。

私のコンプレックスはいくつもあるが、その筆頭に字が下手くそなことがあげられる。
私が通った小学校は変わっていて、書道や算盤それにラジオ体操を教えなかった。
私を含めよその中学に行った連中は、まずラジオ体操がわからない。
見よう見まねでやるんだが、どうしてもワンテンポずれる。
これが原因でいじめにあったのもいたという。
書道もそんなわけで習ったことがなく、字が下手なのはそのせいにしているが、達筆なクラスメートもいるので、その言い訳は通じそうにない。

そんなこともあってワープロが出来た時はノーベル賞ものと喜んだものである。
早速手紙をワープロで出したものだが、中には毛筆で返事を寄越す嫌みな輩もいたが。

以来、私にはワープロやパソコンは欠かせないものとなった。
もっとも私のパソコンはメールや日記を書く以外の役にはたっていない。

5月11日

土曜日は私どもで発表を続ける金井訓志さんのお嬢さんの結婚披露パーティーがあって、展覧会の初日だが、途中抜け出して出席した。

場所は西麻布にあるギャラリー華の庭園で、絶好の日和の中、ガーデンパーティー形式で開かれた。
この画廊は麻布の一等地にあって広い庭園を有する羨ましい限りの画廊で、隣接するミシュラン二つ星の日本料理の名店「分けとく山」もこの画廊の敷地内にあって、内々の御披露目はこちらで行われた。
このギャラリーは金井さんが所属する独立美術の方との縁が深く、今回の宴にもつながった。

お嬢さんと彼は東京芸大のデザイン科の同級生で、今春大学院を卒業し、デザイナーとしてスタートしたばかりで、今日は更なる人生の門出となった。
画廊には一日だけの二人展も開かれ作品が展示された。

食事と出席者の自己紹介を兼ねた祝辞が終わった後は、お嬢さんの親友で同じ芸大の音楽を卒業した亀井さんによるマリンバの演奏がギャラリー華のニュースペースに流れ、近しい人だけのこじんまりとした会ではあったが、心に残るとても素敵な会となった。

どうぞお幸せに。





5月10日

今年の11月に個展が予定されている佐藤未希が5月28日より7月6日まで気仙沼にあるリアス・アーク美術館で大作を中心に「佐藤未希展」が開催されることになった。
東北芸術工科大学博士課程を終了し、本格的な作家活動を始めることになったが、その門出に美術館で作品を発表する機会を得たことは喜ばしいことである。

「N.E.BLOOD21」と題した東北・北海道在住の 若手作家を紹介する企画の一つで、今回は山形在住の佐藤未希を紹介することになった。

展覧会チラシに次のように書かれている。

まぶたを閉じ、次々に浮かんでは変化し流れ消えゆく像の一端。
佐藤の作品はまるでその一駒が映し出されたかのようです。
佐藤の手腕による卓みな絵画イリュージョンは私たちに強烈なインパクトを残すとともに、新たなイメージの発見を積極的に促しています。

本展では大作を含む佐藤の絵画作品約25点を展示、紹介する。

長い間行っていない東北だが、この機会に一度展覧会を見がてら訪ねてみようと思っている。



5月9日A

明日から始まる横田尚と真条彩華の新作の一部を紹介させていただく。





5月9日

今朝は昨日から開かれている新宿高島屋の4人展に行ってきた。
広い会場山本麻友香を含めた4人の作品が飾られている。

写実系、イラスト系、萌系とそれぞれが今のアートシーンを表出していて、山本は癒やし系となるのだろうか。
どういうわけか東京画廊で発表しているイラストの松浦浩之と山本の発表が一緒になることが多い。
だいぶ傾向が違うように思うのだが、選ぶ眼は一緒なのだろうか。

5月21日まで開催しているので、新宿に出かける折には是非お立ち寄りいただきたい。



5月8日

韓国画廊協会の理事が3人画廊にやってきた。

9月に開催予定のアートフェアーへの参加要請と昨年開かれた日中韓画廊代表者会議の今後についての相談であった。
今年のアートフェアーは海外からの参加が極端に少なく、日本からの参加もわずかで、私の参加はもちろん他の画廊の参加に力を貸してほしいとのことであった。
韓国経済の悪化と現政権の反日政策の影響もあって、参加を見合わせるところが多いのと、ブースフィーが高いことも大きな要因となっていると伝えた。

今回やってきた理事達は皆若く、韓国画廊協会も世代交代を図っていることがうかがえる。
そこで、台湾の若手画廊が代表となっているヤングアートタイペイや日本の美術倶楽部の青年会のような組織を作って、そこで新たなフェアーを企画し、日本の若い画廊が参加し易くすると共に、日中韓に台湾を加えた協議会を作り、そこにそれぞれ若手を登用し、新たな発想で東アジアのアートマーケットの構築を考えるべきと提案させていただいた。

更には、4年後の韓国での冬季オリンピックと6年後の東京オリンピックに合わせた東アジアの大規模な展覧会を計画し、ギクシャクとした日中韓台の関係を、各国の画廊協会が手を携え、関係是正の一助となるよう努力すべきと話をさせていただいた。
早速に韓国に持ち帰り、理事会で協議することを約束していただいた。

それと前から申し上げている韓国の文化行政の実態と文化への優遇税制についての資料を私どもに提供していただくように改めてお願いをさせていただいた。

5月7日

連休を終えて今日から仕事再開。

明日からは新宿高島屋で山本麻友香が参加する4人展が始まり、画廊では横田尚の油彩画個展と真条彩華の日本画の個展が同時開催となる。

二人はキャンパスに油彩、絹本に岩絵の具、洋と和、素材も表現もそれぞれに違う独自の女性像を発表する。



5月4日

軽井沢ニューアートミュージアムで7日まで呉亜沙展が開催された。
4日にはワークショップも開かれるという事で私も様子を見に行くことにした。

お客様の別荘に服部知佳の案内状になった大作を届けるついでもあったので、河口湖から車で出かけたが、連休中ということで軽井沢周辺は大渋滞。
何とかワークショップが始まる寸前に滑り込みセーフ。
ワークショップは大勢の親子連れで賑わい、呉亜沙とともにティッシュペーパーの表紙に自画像を描き、呉が用意したドローイングをご褒美にもらい、子供達は大喜びであった。

展示作品も画廊で見るのとは大違いで、天井も高く、スペースも広いところに飾られると、作品がひと際引き立って見える。

お客様の別荘には服部知佳の大作を届けたが、以前に購入した同じ服部の大作が2点、広い別荘に飾られていて、これも画廊で見るのとは大違いで、その存在感を際ださせていた。
今回の大作は、どこに飾られるのか是非見てみたいものである。





4月27日

ゴールデンウィーク初日。

家内は実家の京都に母親の見舞いに出かけたので、河口湖で一人のんびりと休日を過ごさせてもらった。

観測史上初めての大雪にみまわれ、正月以来行くことのなかった河口湖だが、うちの周りは何の被害もなく一安心。
ちょうど可憐な花を咲かせる富士桜が満開で、その中から見える富士山の絶景はひときわ美しい。
新緑にはまだ早いが、朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込み、木々の間の散策も、身も心も癒やしてくれる。

夕方には同じ施設内にある温泉に入り、誰もいない露天風呂でゆっくり手足を伸ばし、まさしく極楽気分を味わい、久しぶりの休日を満喫した。



4月26日A

明日からゴールデンウィーク。

私共は明日から5月6日まで長めのお休みをさせていただくことにした。
途中平日にお越しいただいて、閉まっていても、決して店仕舞いをしたわけではないのどうぞご安心いただきたい。

そんなわけで、日記もしばらくお休みさせていただく。

連休の5月7日までは軽井沢のニューアートミュージアムで呉亜沙展が開催されていて、5月4日にはワークショップを予定されているので、そちら方面にお越しの方は是非お立ち寄りいただきたい。
また、5月8日から5月21日までは新宿高島屋にて山本麻友香、永島千裕、松浦浩之、藤原由葵の4人展「Painting/Figurative」が開催されるので、こちらもよろしく。



私共では、5月10日より5月24日まで横田尚、真条彩華の個展が予定されている。



4月26日

美術雑誌「美術の窓」の5月号は特集「新人大図鑑2014」ということで、多くの若手作家が紹介されている。
その中に、評論家・ジャーナリストが選ぶ「注目の新人13」にスプリングフェアーに出品している内藤亜澄を多摩美術大学教授の本江邦夫氏が推薦している。

その一文を紹介させていただく。

内藤亜澄

背面像のある風景

私にも考えがあって、公募展等の自分の名を冠した審査員賞は一人の画家に一度しか出さないことにしている。
とはいっても、実際の審査ではひたすら画面だけを見ているので、時には重複の恐れが無いわけではない。
事実、今まで一度だけだが、そういうことがあった。

あれは2009年だったか、世界堂の世界絵画大賞展で何とも言いがたい風合いの奇妙な絵に出くわした。
黒々とした深淵のような大きな入り口を前に、まさに立ち尽くす、寄る辺なき裸形の背面像の不安げな真実味に心惹かれて、私はそれを私の審査委員賞とした。
作者の内藤亜澄は初めてきく名前で、男女の別もわからず、授賞式で本人と会ったかどうか、記憶も定かではない。

そして2012年のシェル美術賞の審査の折、モダニズムの要領で整然と区分された不動の大地あるいは自然に対して、人気のないプールを前に揺らめき、震える、いかにも暗示的な背面像のある風景を目にした私は、ほとんど直感的にこれを審査員賞としたのである。
それが内藤亜澄の、質的変化を遂げた新作であると気付いたのは、かなり後のことだった。



4月25日

コレクターによる「恒松正敏展」が5月1日から6日まで岡山市の旧日本銀行岡山支店の金庫内にあるルネスギャラリーで開催される。
四国に在住のY氏のコレクションで、恒松作品を中心に55点コレクションが紹介される。

Y氏は恒松とは高校時代の友人で、ずっと彼を支え応援をしてきたパトロンといってもいい存在である。
Y氏は今回の展覧会に際し、フェースブック上で恒松コレクションの作品を順に紹介しながら、それにまつわるエピソードを述べている。
その一部を紹介させていただくが、丁度20年前、恒松の連作「百物語」の完結編を私共でやることになり、何と初日に作品30点が全て完売となった。
ある雑誌に画廊で肩越しに展覧会の絵を見たのは初めての経験であると書かれたぐらい大勢の人が詰めかけ、大盛況の展覧会であったことが懐かしく思い出される。



コレクターによる「恒松正敏展」 出品作品紹介 4

  1994年の秋に「百物語」が完成したというので連休を利用して上京して,彼の小平の家を訪問しました。
そこで91・92が気に入ったので予約して帰りました。
1995年に...ギャラリー椿で「恒松正敏 百物語 完結展」が開催されました。
その前に出品作品の写真アルバムが送られてきました。
そこには赤丸が4点ありました。
その中に92が入っていたので 当然私の予約の分だと思いました。
恒松氏に確認すると「搬出の前日に知り合いの人が 彼の自宅に作品を見に来て 夜遅くなっても譲ってもらえなければ帰らないという権幕だったので 仕方なくその人に譲った。ご免なさい。」との返事でした。
当然 頭にきましたが 仕方がないので 92のデッサン画を予約しました。
私は都合で行けませんでしたが 最後の作品群が発表されて評判となり、行列が出来たそうで、ほとんど完売状態だったと後に他のコレクターの人から聞きました。
ところが不思議なことに 後日 92の持ち主に異常なことが起こり99と伴に画廊に引き取ってほしいという依頼があり、画廊を通して私のコレクションに入りました。



4月24日B

アンディウォーホール展をようやく観ることが出来た。
午前中ということもあって、思ったほどの混雑もなく、ゆっくりと鑑賞させてもらった。

時代を反映させたということでは、まさしくコンテンポラリーであり、現代美術という言葉が一番相応しいのがアンディウォーホールじゃないだろうか。

また、アートを格調高い近寄りがたいものではなく、ありふれた身近なものとしたことは、ウォーホールの業績の一つである。

ビジネスアートというジャンルを確立し、セレブとの交流を深める彼の生き方は、芸術家起業論を著し、勝ち馬に乗ると言い放つ村上隆と相通じるものがある。
というよりは村上はそこを目指しているのだろ。

彼の言葉、生き方、哲学、全て現代アートのバイブルであり、アートを生業とするアーティストにとっては必見の展覧会と言っていいだろう。



4月24日A

アートショウ釜山の写真をスタッフの諸田が撮ってきたので紹介させていただく。





4月24日

4月22日から韓国テグのJ−ONEギャラリーにて山本麻友香個展が始まった。
ソウル、釜山に次ぐ第3の都市テグではグループ展は以前にあったが、個展は今回が初めて。
言ってみれば、これで山本展は韓国主要都市を制覇したことになり、韓国の人気が伺える。

私は台北のフェアーがあってオープニングには行けなかったが、スタッフの諸田が駆けつけた。
ところが、肝心のオーナーが直前に交通事故にあってしまい、初日に間に合わないというアクシデントが起きてしまった。
状況はよくわからないが、無事であることを祈るしかない。

5月22日までなので、一日も早く画廊に復帰していただきたい。



4月23日

若手作家のグループ展「スプリングフェアー」も人物コレクター、裸婦コレクター、骸骨コレクターとそれぞれテーマを持って集めているコレクターの方にお目当ての作品を購入していただいた。
テーマを決めて蒐集するということは、それだけ情報が集まりやすいということもあって、当然の如くその出会いのチャンスは広がる。

私共も長くやっていると、古いお付き合いのお客様の好みは大体わかっていて、その向きの作品が手に入ると、まずはそうしたお客様に連絡することになる。
そういう関係が続けば続くほど、その方のコレクションは個性豊かなものとなる。

ところが、今はそうしたお客様が少なくなり、どういう傾向のものが好きなのか見当がつかないことが多くなってきている。
そうした方には、何をお奨めしていいのかわからず、珍しい作品が入ってもそうした方に真っ先にとはいかない。

丁度、 難波田史男の1970年の作品、篠原有司男のオートバイのオブジェが手に入ったので、まずは頭に浮かぶ方に連絡をさせていただくことにした。



4月22日

台北のアートフェアー無事終了。
昨日の夜遅くに日本に帰ってきた。

最終日は期待したほどの人出ではなく、3日間を見てみると、例年見えるコレクターの数が少ないように感じた。
それでも、私のところを含め知り合いの日本の画廊は概ね好調だったようで、中には2メータ一近い大作が売れたところもあった。
最終日のぎりぎり最後には、若い夫婦がオブジェ作品を買ってくれたが、オートバイで抱えて帰るそうだ。
落とさないでくれるといいのだが。



ホテルもゴウジャスで、美味しい食事もいただき、展示が夜遅くになった以外は快適な4日間を過ごさせてもらった。

釜山のフェアーも昨日が最終日。
韓国経済がかなり落ち込んでいたり、フェリーの事故があったりで、どうなるかと心配していたが、期待以上の結果となった。
台北同様に立体作品に人気が集まり、浅井飛人の作品は完売となり、浅井の作品はこちらのグループ展や台北に出していたものまで釜山で予約が入ってしまった。
また、こちらの個展では売り上げのなかった池田鮎美の作品が二つも売れたことは嬉しいニュースであった。

続いて今日からは、韓国テグのJ−ONE画廊で山本麻友香の個展が始まった。
スタッフの諸田は、そのまま釜山からテグに向かい、オープニングに参加してから帰国することになっている。

連休まで、こちらの展覧会があるのでのんびりできないが、何とか体調を維持して激動の4月を乗り切りたい。

4月19日

来る前に調べた天気予報では毎日雨の予報だったが、幸いなことに雨は降らず、蒸し暑さもそれほどではない。
どうやら雨男は、遊ぶ時だけで、仕事では雨力は発揮しないようだ。

ただ人の出足は土曜日にもかかわらず、去年に比べると今一つのような気がする。
部屋も広いこともあって、人がひしめき合うことも少ない。

売り上げも去年に比べると少ないように思うが、それでも各画廊はまんべんなく赤印がついてきている。
私のところもだいたい予想したものは売約となり、帰りの荷物が少なくなり助かるが、今回はサイズも小さく、金額もそれほど高いものは持って来ていないので、総額は大したことはない。

夜は以前から参加を依頼されていた「台北国際玩具創作大展」の主催者の方と打ち合わせを兼ねた会食に出かける。
このフェアーは10月中旬に開催されるフィギュアーなどを紹介するフェアーで、会場は100年前にできた工場跡地で、現在は洒落たブティックやレストランが並び、多くの若者が集まる所である。

昨年の来場者は3万人を超えたそうで、台湾オタク文化の祭典として大いに盛り上がるそうである。
100のブースが予定されていて、私は招待ということで参加を要請されている。
主催者のフィギュア会社の社長の黄さんが、毎年台湾のアートフェアーで人気の立体作家の中村萌にぞっこんで、彼女の作品を展示すると同時に、限定のフィギュアを作って、フェアーで販売したいとのこと。

私にとっては全く畑違いなだけに不安もあるが、これも一つのチャンスと受け止めて参加することにした。



先日も中野ブロードウェイのギャラリースペースの活用を依頼されていて、私も心ならずともオタク文化との関わりが深まりそうである。

6月には中村萌の大きな彫刻をいくつも購入してくれた台中のホテルがオープンすることになり、そのセレモニーにも招待されていて、11月の台北藝術博覧会と合わせて当分は台湾に行く機会が多くなる。

4月18日

ヤングアート台北が始まった。



昨日は夕方6時を過ぎても送った荷物が届かず、フェアーの会長、役員の誘いで取り敢えず夕食を済ませることにした。

昨年もご馳走になったお店は汚いが、味は抜群の広東料理の店で、たらふくご馳走になる。
満腹で眠気が襲うが、ホテルに戻ると荷物が届いていて、夜遅くから展示開始。
さすがに眠気には勝てず、取り敢えず配置だけ決めて、朝早くから再開することにした。



なんとかオープンには間に合い、いよいよスタート。
その前に、誘われていた主催者だけのささやかなオープニングパーティーに顔を出した。
ホテル横のルイヴィトンのギャラリースペースで小洒落たパーティーで、なぜか日本人は私だけ。
美人スタッフに囲まれて上機嫌で部屋に戻る。



今回は できうれば、ギリギリで作品が届いた中村萌の彫刻だけは売れて欲しい。
重たいのを手で持って来て、帰りは手ぶらで帰れればと思っていたが、願いが通じたのか早速に売約となった。

他にも、これまたギリギリで出来上がってきた岩淵華林の作品も売れて、ギリギリ作品にどういうわけか人気が集中。

夜のオープニングパーティーも大盛況だったが、途中で抜け出し、台湾に来たらお決まりのマッサージ店に行くことに。

明日から一般公開がスタート、まずは疲れを癒して暑さと人混みに備えることにした。

4月16日 

今日は日本版画商協同組合のオークション春季大会。

出品するものがなくて困っていて、仕方なくお客様から預かって手こずっていた木版画作品80点を一まとめで出すことにして、先に日記で紹介した写真作品も一緒に出品することにした。
木版のほうは大した価格にならないが、そこそこの価格が付いたら売ってしまうとのお客様の了承を得て出品した。
一方、写真のほうはクリスティーズから是非6月のニューヨークのオークションに出して欲しいと頼まれていたが、手数料や運送代、保険代、カタログ掲載費など諸経費を考えて、多分売れないだろうが、一度日本のオークションに出して、どのくらいの評価になるか様子を見ることにした。
というわけで、両方とも大して期待したわけではなかったのだが、何と木版画は予想していた価格の10倍の価格が付いたから驚いた。
写真のほうは、クリスティーズの評価は下回ったが、諸費用を考えると結果良しとなった。

高く売れそうだと思って勇んで出品すると期待はずれ、逆に欲を出さずにいるとこういう結果となる。
商売とは面白いものである。

何とか展覧会のほうも好調で、明日からは気を良くして台湾に行くことができる。

4月15日 

アートショウ釜山が17日から、ヤングアート台北が18日から始まる。
明日には釜山へスタッフの諸田が、木曜には台北に私と家内が出かけることになっている。
ほぼ準備も終わり、ぎりぎりだったが岩渕華林の台北用の作品も到着。
船便以外残しておいた作品と共に、家内と手持ちで持って行くことになった。

釜山のほうも既に送ってあるのだが、韓国の税関で作品が足止めを食らっている。
去年も、小林健二の照明作品は関税がかからない美術品とは認めてくれず、税関でもめたことがあったが、今回も内林武史の照明作品が引っかかってしまった。
説明しても埒が明かないので、税金を払ってでも展覧会に間に合わせるしかない。

こうした照明を使ったオブジェや、椅子や机を模した作品などは、関税のかかる家具とかからない美術品の見分けが難しく、日本でも輸入する時にはトラブルが起きることが多い。

以前に現代美術の代表作家の一人・トニークラッグの展覧会を開催する際に問題が起こったことがある。
彼の作品は廃棄物である木、石、鉄などなどを使い様々な形状の作品を発表しているが、送られてくる時はビニール袋にそうした廃棄物が詰められたままで、展覧会場でそれらが組み合わされて作品となる。
税関ではこれは「ごみ」で「美術品」ではなく、その作品にかけられていた保険金額相当分に関税をかけるという。
主催者はこれは「美術品」だと主張するが、どう見ても「ごみ」にしか見えない。
そこで、主催者は仮にこれが「ごみ」なら無価値なので、それに関税を掛けるのはおかしいのではとねじ込んだ。
確かにその通りで、「ごみ」に保険を掛けるかという話である。
すったもんだの挙句、「美術品」と認定され、展覧会に間に合うことになったそうだが。

先般も、ドイツで高価な楽器を持った演奏者に、空港で関税を掛けるということで物議を醸したことがあったが、その後、専門の職業人が携帯するときは許容されることになったそうである。
どの国も税務署というところは厳しいもので、あまりお付き合いはしたくない。





4月14日 

スプリングフェアーの方も好評で、既に10点ほどが売約となった。
大作あり小品あり、油絵、日本画、オブジェあり、エロスから萌系まで表現も多彩で、春に相応しい華やかな展覧会となった。

これからを期待される作家達ばかりなので、是非それぞれを見比べながら、今後に想いを馳せていただきたい。







4月12日A 

昨夜は大学の友人達のバンド「ローガンズ(老眼?)」のライブに娘と行ってきた。

ライブハウスは大勢の友人達で超満員。
懐かしのカントリー$フォーク、まさしく私達の青春が蘇り、楽しい一夜を過ごさせてもらった。
娘もおじん・おばんの中で戸惑いつつも、一緒になって手拍子足拍子で楽しんでくれたようだ。
メンバーの中には喜寿になった者もいるが、とてもそんな歳には見えず、若々しく溌剌としていて、青春真っ只中、羨ましい限りである。

画廊では徹夜明け、昨日から並んだ人たちで、桑原作品は開店と同時に完売。
徹夜などはとても今の私には無理だが、音楽と同様に好きな道では疲れも感じないのだろう。
価格もかなり高額で、そうした作品を並んで買われることに、ひたすら感謝の言葉しかない。
申し訳ないのは一足違いで購入できなかった方だが、その方は代わりに、人気のパン屋さんに並んで差し入れを買ってこられた。



4月12日 

文化庁からようやく1億円の予算の枠内で、優れた現代美術の海外発信促進事業に補助金が下りることになり、その説明会が開催された。
事業規模からすると僅かではあるが、アートへの行政支援ということでは一歩前進といっていいだろう。

対象は海外アートフェスティバルなどの出展、国際発信力のある国内企画展となる。
書類を提出した後、審査を経て、一事業500万円を上限として、出展料・渡航費・運送費・宿泊費などの合計の2分の1が支給される。

今日が説明会で、書類提出締め切りが5月9日、実施期間が6月16日から9月30日ということで、、対象となるフェアーが私のところでは韓国のフェアーということになるが、出展するかどうか迷っている最中で、補助金が下りるなら参加の方向で考えなくてはならず、大慌てである。

今回の説明で疑問に思ったことは、まず現代アートに限るということだが、どこを基準とするのか曖昧である。
審査の折に、申請した内容で現代アートか否かの区別をするというが、難しい判断をしなくてはならないだろう。
また、物故作家は除外されるそうだが、優れた物故作家や近代美術の紹介も海外への日本文化を発信する意味では必要なように思うのだが。

次に海外については指定地域に台湾が入っていないことである。
国交がないという理由からだが、一応台湾に参加するときは申請は出来るそうで、これも審査員の判断となるが、台湾への出展はハンディキャップを負う事は間違いない。
お隣の親日国台湾で文化に大変力を入れているだけに、指定外とは複雑な思いである。

以上のようなことだったが、会場は超満員で、今回の事業への関心の高さが伺える。

4月11日A 

明日からは二人展と同時開催で、20代から30代の作家12名によるスプリングフェアーを開催する。
取り扱い作家が年々増えていき、若手作家の作品を紹介する機会が少なくなって来ていることもあり、久し振りにグループ展で紹介をさせていただくことにした。
また、初めての作家も3名加わり、それぞれが作品で競い合うような力作を出品してきていて、楽しみな展覧会となった。





4月11日 

朝、画廊に来てみると、明日から始まる桑原弘明展のためだろうか、既に並んでいる人がいてびっくり。
まだ朝晩は冷え込むので、風邪を引かないようにしていただきたい。
整理券を出すことも考えたが、そうなると整理券をもらうためにまた並ぶことになってしまうので、申し訳ないが並んでお待ちいただきたい。

話は変わるが、STAP細胞の小保方博士の記者会見でメディアの報道はヒートアップしているが、コレクター・小泉清氏のフェースブックのコメントを紹介させていただく。

STAPでも美術でも日本的だと思うのは、瑣末な技術論に走りがちで「木を見て森を見ず」になりがちな事だ。
本来アイデアを評価すべき問題で個別の技術や表現の問題で難癖をつけて新しいものを葬ろうとする。
これでは技術でも美術でも新しいものは出ず何時も外国の二番煎じで安心するだけになる。

私も同じような思いで成り行きを見守っている。

4月10日B 

土曜日から桑原弘明と大堀能文の二人展が始まる。

桑原は地・火・水・風と題した四つのスコープを出品する。
顕微鏡型をしたスコープで、レンズ越しにそれぞれ置かれた水晶を覗くようになっている。
覗いてみると、そこには大宇宙が広がっていて、タイトルのようなイメージが映し出されている。
その情景は得も言われぬ美しさで、その美しさが天空に深く限りなく続いて行く。
ワンセットで持っていたいような作品だが、ファンの方も多く、そうは行かないだろう。

大堀は初めての発表で、銅版画の一種でソーラプレートという昔にあった日光写真のような技法の版画と、そのコンセプトに繋がるオブジェを展示している。
特殊な樹脂版にポジフィルムなどをあて、日光で感光させ、その版を水で流し落とすと凹凸型の図柄が残り、それにインクを詰めてプレス機にかけて刷るという新しい技法である。
銅板をメッキしたり、酸で腐食させるといった身体に有害なプロセスを踏まなくてもいいので、これから普及していきそうである。

全く違うタイプの両者だが、長年の友人ということで、いつも年末に行う桑原展とは別バージョンの展覧会である。



4月10日A 

昨夜は大学のヨット部の大先輩で、当時監督をしていただいたT氏が亡くなり、お通夜に行ってきた。

T先輩は画廊の近くに本社のある大手ゼネコンの役員をされていて、京橋にギャラリーを出した際にお訪ねし、会社で御用の節はとお願いしたところ、倉庫を見せていただき、進物用の絵画が大量に保管されていて、売るほどあるよと丁重に断られたことが思い出される。
さすがゼネコンで、施主への贈り物用にこれだけたくさんの絵画をストックしているのには驚かされた。

大阪の画廊に勤めていた時に、同じゼネコンのK建設の会長が一年に一回贈答用の作品を購入するのに立ち会ったことがある。
ずらっと並べた作品を見ながら、次から次へと絵を選び出し、秘書の方がそれに印をつけていくのには驚かされた。
聞くところによると、老舗のN画廊でも、会長が来られる折には画廊を貸切にして、壁にずらっと並べた作品を見てもらい、そこから順次選んだ作品をはずしていったそうだ。

当時は大手銀行や商社の秘書室にいつも進物用の絵画を預けておき、贈り先が決まると引き取りにいき、また別の作品を置いて来るというのが新人の仕事であった。
富山の薬売りみたいなもので、今は景気も悪くなりそうしたことが行われているかどうか定かではないが、当時はそうした法人需要がかなりの割合を占めていた。

お通夜では偶然にも小学校のクラスメートが親戚の席にいるではないか。
聞いてみると、T先輩の奥様の妹さんが彼の奥さん、つまりは義理の弟にあたるのだそうだ。
縁とは不思議なものだが、彼の奥さんも3年前に亡くなっていて、以前にも一人身になった寂しさを聞いていたが、今回も食生活が外食ばかりで、血糖値やコレステロールの数値がどんどん上がっていくことや、家で一人でいると話す相手がいなくて、だんだんとぼけていきそうで怖いとこぼしていた。
私が4年ほど前から料理教室に通っていることを話し、そこに通って家庭料理を作ることを薦めたが、一人で作っても上手いと言ってくれる人がいないと寂しいもんだよと言われてしまった。
まだまだ立ち直れていないようだが、背の高い今でも10歳くらい若く見えるハンサムな男だけに、再婚を考えるならいくらでも紹介してやるといっておいた。

4月10日 

山本麻友香新作 韓国テグ個展と新宿高島屋グループ展





4月9日A 

コレクターの山本冬彦氏による若手作家の企画展が続くが、新宿の佐藤美術館で寄託してある山本氏のコレクション展が5月10日から6月15日まで開かれる。

若手作家の企画展ではほとんどが知らない作家ばかりで、如何に山本氏が多くの画廊を廻り、若い作家とコンタクトを取っているかがわかるが、コレクション展のほうは以前に集めた作品ばかりで、こちらは現在、中堅というよりはベテランの域に入った作家がほとんどで、名前も馴染みの作家ばかりで、何故かほっとする。
企画展の作家達とコレクション展の作家を見比べてみると、山本氏の好みも大きく変わってきていることが伺える。
時代の流れと共にコレクターの眼も変遷していく。

私のところは無名の作家を紹介するを看板にやってきたので、時代の流れに何とか遅れずに付いて行くことができたが、画廊の難しいところは時代の移り変わりで、以前を捨てることができないことである。
私のところでも、最初の頃の無名の30才前後の作家が、今や60を越えてベテラン作家となり、今の時代の流れとは一線を画した仕事を続けている人が多い。
時代と共にコレクターの眼が変わり、そうした作家にとっては、今の時代は大変厳しい時代となってしまった。
それでも続けていくしかないわけで、私はそうした作家も当然サポートしていかなくてはならず、若い作家とベテラン作家の兼ね合いの難しさを実感しているところである。
時代の変遷を経て、今の若い作家がどういう立ち位置にいるかはわからないが、同じようなことが起こることを覚悟しつつ、前に進んでいくしかないだろう。



4月9日 

ヤングアートタイペイ出品作品









4月8日A 

スプリングフェアー出品作品





4月8日 

文化村ギャラリーに企画展の件で訪ねた。

文化村はその名の通り、ギャラリーの他に美術館、コンサートホール、映画館、劇場などの総合文化施設を有している。
文化村の元社長で、現在は顧問をしているW氏は大学のヨット部の2年先輩だが、元々は東急エージェンシーの役員をしていて、まさか文化村に来るとは思ってもみなかった。
顧問ということで、最近はあまり出社してないようだが、偶然にも打ち合わせ中に姿を見せ、挨拶をさせていただいた。

打ち合わせを終えて、ザ・ミュージアムで開催中の「ポルディ・ペッツォーリ美術館・華麗なる貴族コレクション」を観た。
ミラノの貴族ペッツォーリのコレクションで、全てをミラノ市に寄贈し、美術館として現在に至っている。

先日行った三溪園や駒場公園の前田侯爵邸といい、昔の貴族や豪商の豪奢さには驚くばかりである。
それもただの贅沢ではなく、文化的素養に裏付けされたものだけに、こうして文化遺産として後世に遺されることになったのである。

累進課税や世界一高い相続税もあって、今の日本ではこうした富裕層による桁外れのコレクションは望むべくもないが、それでも写実絵画コレクションのホキ美術館や日本・東洋の古美術コレクションの箱根岡田美術館といった個人美術館が出来たことは大変素晴らしいことである。

4月7日 

全国美術商連合会の理事会が開かれた。

25年度会計報告や活動報告、26年度活動計画、役員変更などについての審議を行い、可決された。

25年度活動では、「文化庁創設を考える会」シンポジウムの開催や文化政策、税制の改革に向けての諸活動の経過報告がなされ、今年度は「文化藝術を考える議員連盟」への継続支援、会員増強のための施策、年会費の改定等が討議された。
文化省創設や税制改革はお役所という大きな壁が立ちはだかるが、文化行政に理解のある議員の方の協力の下、一歩二歩と実現に向けて邁進することになった。
大きな課題の一つである会員増強については、文化振興のための活動状況や支援組織の概要などを盛り込んだパンフレットを作成し、多くの美術商の理解を得ることとし、会費についても大幅に値下げをし、ハードルを低くすることで会員増強の拡大を図ることになった。

他に政治団体として平成23年に改組設立した全国美術商懇話会については、古美術、近代美術だけではなく、現代美術系の美術商を役員に登用することで、、支援する議員の皆さんにグローバルな視点での文化戦略に理解を示していただきたいとの提案を私がさせていただき、二人の方を推薦させていただき了承を得た。

11日には文化庁で予算が下りることになった「優れた現代美術の海外発信促進事業」の説明会が予定されていて、経済産業省の文化支援と合わせて、徐々にだが文化戦略に向けての方向性が見えてきているだけに、美術商が一丸となって、これを更に発展をさせてはいかなくてはいけないと考えている。

4月6日 

日曜日、家の近くの駒場公園に孫を連れてお花見に。
旧前田侯爵邸の洋館に桜が映えて、ここは桜の穴場スポット。
お屋敷の中で、お茶を飲みながら、窓越しに桜を見るのも一興で、もっとも孫はアイスクリームに夢中。



4月5日 

三日見ぬ間の桜かな

雨や風で桜も散り始め、この週末で花見も終わりとなりそうだ。
今夜は北の丸、明日は駒場公園と桜を見に行こうと思っているが、花冷えといったらいいのかだいぶ寒くなり、行くのも躊躇をする。

画廊のほうも、桜の終わりと一緒で服部展が今日で終了。
画廊にも春が来ないかなと思っていたが、展覧会は大好評で、大作を中心にかなりの点数が売れると同時に、12日から始まるグループ展にも予約がいくつか入り、消費増税ものともせずといったところだろうか。
美術品は高額なこともあって、3%アップも馬鹿にならない数字で、影響大と思っていたが、今のところはその影響は感じられない。
私のところは、5%になった時点で外税にしていたが、多くの画廊が内税にしていたので、いきなり8%はきついのではないだろうか。

グループ展も前評判がよくて、オープンが待ち遠しいが、同時開催の二人展も、いつも徹夜組が出る桑原作品の人気は相変わらずで、今回も並ぶ人が出るのではないだろうか。
12月に出品するスコープとは違い、顕微鏡型の作品で、それほど複雑な構造はしていないのだが、桑原ファンにとっては、どうしても手に入れたい作品の一つなのだろう。

展覧会が始まって数日後には、私やスタッフは台北と釜山のフェアーで出かけなくてはならず、それまでにそこそこの結果が出ていると憂いなく出かけることができるのだが。
春爛漫となることを祈る。



4月4日A 

アートショウ釜山出品作品

綿引明浩・クリアグラフ イリュージョン・絵画の旅「ブリューゲル・バベルの塔」「浮世絵/國芳」「ブリューゲル・ネーデルランドの諺」



4月4日 

私共で発表を続ける恒松正敏を長年支援しているコレクター横瀬好孝氏の企画による「恒松正敏」展が下記の要綱で開かれることになった。
岡山方面にお出かけの折は是非ご覧をいただきたい。

コレクターによる「恒松正敏展」

期間 2014年5月1日(木)〜 6日(火)
時間 午前10時 〜 午後6時(6日は午後5時)
場所 岡山市ルネスホール 金庫棟1階ルネスギャラリー     (旧日本銀行岡山支店 金庫内)...
   岡山市北区内山下1−6−20  TEL 086-225-3003

               観覧料は 無料です。

恒松正敏の「百物語」を中心に 55作品のコレクションを紹介します。

  5月 3・4・6日 午後2時より コレクターによるギャラリートークと
  5日 午後2時より 恒松作品コレクターによるトークイベントがあります。

     交通 ・JR岡山駅より市内電車(岡山電気軌道)「東山行き」で約7分 「県庁通り」電停下車すぐ。
      ・天満屋バスステーション 徒歩3分。
   ・駐車場はございませんので、公共の交通機関をご利用ください。

      


      4月3日 

今日は横浜本牧の三溪園で花見の会を私が企画し、ロータリーの仲間20数名で、見頃となった桜を愛で、5万3千坪の日本庭園に点在する原三溪が移築した重要文化財の建造物を見学した後、隣接する隣花苑で食事をすることになった。

雨男の私が企画したので当然の如く大雨で、その上肌寒いという最悪のコンディション。
それでも、雨に煙る桜も一興で、広い庭園にひと際艶やかな美しさを醸しだしていた。
特別に隣花苑から紹介の方に案内していただき、三渓が晩年を過ごした非公開の邸宅も観るとができたが、本来なら全部見るには一日かかってしまうそうで、、新緑、月見、紅葉と四季折々の情景が楽しめるということで、次へのお楽しみとなり、隣花苑に向かう事にした。

ここは三溪の曾孫が女将をしている料亭で、三溪が娘(女将の祖母)が嫁ぐ祝いに、室町時代の田舎屋を移築して与えた由緒ある建物で、三溪好みの料理が出される。
女将は私の大学のヨット部の一年先輩で、国体などで活躍した体育会系女子だったが、今は和服姿がよく似合う楚々とした美人女将となった。
ここの料理は、食通であった三渓考案の三渓そばや野菜を中心にした田舎料理で、素朴だが味わい深い料理が次々に出てきて、一同大満足で帰路についた。

原三溪を知らない方も多いので、その人となりを紹介させていただく。

三溪は生糸貿易で財をなした実業家で、富岡製糸工場工場(世界遺産に登録申請中)など製糸工場を各地に持っていた。
また、三溪は自らも絵筆をとる文人で、古美術と近代日本美術のコレクターとしても知られ、横山大観、下村観山、小林古径、前田青邨等錚々たる画家を支援したバトロンでもあった。

東京湾を望む広大な土地は自邸があったところで、三溪園と称して造成を行ない、ここに京都や鎌倉の古建築を移築した。
後にここを無料開園し、横浜市民の憩いの場となった。

現在は三溪園は横浜市に寄贈され、多数の建築物は重要文化財に指定され、国の名勝に指定された庭園とともに運営管理されている。





4月2日A 

STAP細胞の論文は捏造と大きく報道された。

日記で小保方女史を擁護するようなことを書いたが、お客様で医学の研究にたずさわる方から、あの論文は問題ありとの指摘を受けていて、その通りの結果となってしまった。

ただ、若い女性に弱い私はどうも彼女をひいき目に見てしまう。
ノーベル賞にも値いするような論文を出すにあたって、こんな調べればすぐにでもわかってしまうようなミスをしてしまうのだろうか。
彼女が意図的であったかどうかは別にしても、理科学研究所という組織で発表した以上、そうしたミスをチェックしなかったことの方が私には責任が重いように思えてならない。
あのような若いキャリアもない女性が世界を揺るがすような発表をするのだから、指導する立場の人達は論文に瑕疵がないか慎重の上にも慎重を期すべきではなかったのだろうか。

私も若い作家達を紹介しているので、そうした作家達が未熟であるのは当然で、それをカバーするのは画廊の役目と思っている。
どうも経緯見てみると、彼女だけが火祭りに上げられているように思えてならない。

もしこれが世紀の大発見となるならば、捏造といったモラルは問われるとしても、何とか次に繋がるように、彼女とともに組織をあげて取り組んでいただきたい。

4月2日 

呉亜沙「あなたの私と私とあなたと私のあなたと」展の展示が昨日終わり、今日4月2日から5月6日まで一般財団法人軽井沢ニューアートミュージアムにて開催される。

大雪に閉じ込められていた軽井沢にもようやく春の訪れが感じられるようになり、ゴールデンウィークに向けての軽井沢の絶好のシーズンに合わせて一ヶ月余り展示される。



4月1日A 

4月12日からのスプリングフェアー出品作品

高橋舞子 中村亮一 浅井飛人



4月1日 

甘利明経済再生大臣の快気祝いの会が六本木・中国飯店で開かれ出席した。

大臣は文化芸術を考える会の会長を務めていることもあって、その会のメンバーの議員さんに、もうひとつの超党派の団体・文化藝術振興議員連盟の方達を加えた17名と、文化推進フォーラムに加盟している能楽などの芸能実演家団体や音楽著作権協会、日本レコード協会、映画監督協会、私たち全国美術商連合会の役員23名が集まった。

大臣は舌癌を患ったが、手術が成功し現職に無事戻ることができ、TPP交渉などに奔走をしている。
大臣をはじめ文化に関心を持つ議員が集まったこともあって、それぞれの団体の代表が挨拶の中で、文化省の創設と文化を国家戦略にとのお願いを改めて伝えさせていただいた。
それにこたえて甘利大臣を始め、河村建夫文化藝術振興議員連盟会長や下村博文文科大臣などから期待に沿うべく努力をするとのお話をいただいた。
また安倍総理から来るオリンピックに向けてスポーツだけでなく、文化の振興に努めるようにとの意向が大臣に伝えられたという。

大臣には健康に留意していただきながら、諸先生の先頭に立って、文化藝術の世界への発信と文化省の創設に向けて邁進していただき、大臣をはじめ諸先生の発言がエープリルフールに終わらない事を願っている。

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