ギャラリー日記 |
●6月29日 先日、うちに以前に勤めていた女性たちが10数年ぶりに集まって食事会(今風だと女子会)をしたそうで、その時の写真を送ってきてくれた。 みんな楽しかったようで、きっと私の悪口を肴に思い出話に花が咲いたことだろう。 こうして私のところにいたスタッフが時を越えて集まってくれていることは、大変うれしいことである。 大したことはしてあげられなかったが、みんな不平も言わずに?真面目に良く働いてくれたことは今でも感謝している。 写真を見ると、みんな若々しく、当時とちっとも変わらない美しさを保っている。 何も私が選りすぐっているわけではないのに、こうして美しい子達がそろうのも、私のフェロモンがそうさせるのだろうと勝手に思っている。
●6月28日 8月17日からのギャラリー椿オークション用の作品を選定にお客様の倉庫へ。 都心のど真ん中に今時珍しい大きな蔵があり、その中にたくさんの美術品があり、うちだけでは運びきれないので、美術運送のトラックに来てもらって、大量の作品を運び出すことに。 蔵の中は急階段になっていて、上り下りして作品を運びだす。 お城にある階段もそうだが、昔の建物は広さを優先するのか、みな幅も狭く、傾斜もきつくなっている。 天守閣なんか、ひっくり返りそうになりながら、上らなくてはならない。 敵や泥棒の侵入を防ぐにはこの方が安全なのだろうが、物の出し入れには不便でしょうがない。 やっとのことで車二台分を運び出して、お客様の事務所に向かい、またこれを運び上げなくてはならない。 蔵の中が涼しかったのが救いだったが、それでも汗は吹き出る。 事務所で作品の選定をするが、お客様もいざとなるとそれぞれに思い出があって、これは記念の作品なので置いておきたいとか、これは好きな作品なのでやっぱり置いておくとか、なかなか先に進まない。 こちらが出して欲しいなと思う作品が、どういうわけか置いておきたい候補に入ってしまう。 無理も言えないので、お客様の指示に従って仕分けをしていった。 半日かかってようやく点検も終えて帰ることになったが、まだご自宅や事務所に大量の作品が残っていて、後日改めて伺うことにしたが、それにしても有るところにはあるものである。
●6月27日 日本の柔道界が大変なことになっているが、、ロータリーの例会にソウル五輪のメダリストで筑波大学の准教授・山口香氏にお越しいただき、お話をしていただいた。 ロータリーでは毎週各界の有識者にお越しいただき、含蓄のあるお話をしていただくのだが、それが私にとっては大変有意義な時間となっている。 私は偶々釜山に行っていて、今回は直接お話を聞くことができなかったが、柔道だけでなくスポーツの教え方の本質を語っていて、その後に出される私共の週報でお話の要旨を読んで、なるほどこうあるべきと実感させられた。 美術教育にも通じることなので、多少長くなるが、その要旨を紹介させていただく。 日本には道の文化があり、柔道もその一つである。 道の文化の特徴は、流派を作った流祖の教えを凝縮させた、「型(形)」を学ぶこと。 即ち稽古。 稽古には、古いものを考えるという意味がある。 柔道の世界では、嘉納治五郎が造った型を何万回、何十万回繰り返すことが稽古。 型の意味を教えるのが道の文化ではなく、それを学ぶことにより、日本人としての美徳や次の世代に伝えたいこと、師匠の生き方そのものを体得する。 道の文化の教育体系のエッセンスが「守破離」という言葉に隠されている。 日本の教育の場合は型にはめることから始めるが、それが「守る」という意味。 基本や基礎、物事の判断基準や物差しとなる土台を作ることである。 次に「破る」とは、基本をもとにして自分の味をつけること。 つまり免許皆伝。 そして今スポーツ界でもう少し考えるべきところが、「離れる」こと。 最終的に実社会で応用しなさいということで、ここが日本の道の文化で最も素晴らしいところである。 これを私達指導者が様々な選手に伝えていく義務を最近怠ってきていると感じる。 柔道でもスポーツでもそこで何を学んだかということが大事。 「離」とは、基本を学び、殻を破って自分の個性を身につける過程で学んだことは、今後の人生でどこの社会、どこの道に行っても応用が利くということである。 「守る」は「わかる」、「破る」は「できる」、「離れる」は「使える」ということ。 スポーツの社会で実社会と言えるのは試合。 どんなにうまくても、試合になって使えなくては意味がない。 試合で使えるようにし、更に大会や試合で培った経験をその先の社会でどう生かすかが、私達の目指すところである。 嘉納治五郎は柔道を修行する目標を「自己の完成」「世の補益」と言っている。 一言たりとも、強くなれとは言っていない。 今の柔道が何故道を誤ったか。 人間には欲があり、それに動かされる。 柔道の場合は金メダルで、国民の期待に応えなければと言う呪縛もある。 嘉納治五郎の理念や理想を柔道家が受け継いできたが、長い間に受け継ぐ人の主観が入る。 そして、少しづつ道が変わってきた可能性があり、昨今いろいろな問題が出てきたことで、原点に帰る時期に来ているのではないだろうか。 日本式のスポーツの指導を考えると、先ず基礎を徹底的に教える必要がある。 判断基準がない状態で自由を与えれば暴走する。 「駄目なことは駄目」と言う判断基準をしっかり教えるのが教育の基本で、スポーツもでもすごく重要である。 そして、最終目的は金メダルにあらず。 スポーツは勝つことを目的としたものではなく、どうやって社会に役立つ人間を育てていくのかが目的。 何故、暴力に頼る指導法がいけないかと言うと、殴らなければやらない人間は社会で通用しないからである。 スポーツでは教わるのではなく、自分で目標を作り、自分を律し、自分の足で立って目標に向かっていくこと。 従順な人間が出世するのがまだ日本の現状だが、国際舞台では主張できずに終わってしまう。 今の時代に合うのは、自分で創造できる、イノベーションを起こせる人間。 日本の教育には「守破離」があり、最後の「離れる」ところまで教えれば、そういう人間が育つ。 スポーツ分野だけにとどまらず、様々な分野で活躍できる人材を輩出していくことが、これからのスポーツ界に課せられた使命だと思う。 以上だが、これだけの優れた指導者を登用しない今の柔道界に、真の改革を推し進めることが果たして出来るのだろうか。 ●6月26日 梅雨に入ってからも、私がゴルフに行く時以外は大した雨が降らなかったが、今日はどうやらまとまった雨が降りそうだ。 展覧会の最中だが、こんな天気でお客様も少なそうなので、気になっていた免許書き換えに行くことにした。 免許を取得して50年近くなるが、未だに無違反のご褒美で貰えるゴールド免許証を貰ったことがない。 毎回駐車違反があったり、右折禁止違反があったりで、今回は助手席に乗った家内のシートベルト装着違反もあって、遠方の試験場まで行かなくてはならない。 違反がなければ最寄りの警察署で、それも3年ではなく5年ごとの書き換えになるだけに、うっかり違反が悔やまれる。 講習会の2時間の講義に睡魔と戦いつつ、今度こそはゴールド免許を目指して、安全運転を誓うのであった。 ●6月25日 鑑定会で鑑定書が取れなかった作品を紹介させていただく。 一つは岸田劉生の掛軸「冬瓜図」、もう一つは藤田嗣治の水墨「かに」である。 劉生には梅原龍三郎の箱書き、藤田には東郷青児の証明書が付いている。 劉生の作品は鑑定会の主要なメンバーに、一人だけが反対して通らなかったけど、間違いないと思うので、再鑑定に出したらどうかと言われた。 某財閥の直系の方がお持ちで、白樺派の人たちとも親交があり、武者小路実篤、椿貞雄など白樺派の作家の作品も持っていて、同じ時に鑑定会に出して、どちらも鑑定書が出ているのだが。 箱書きの梅原龍三郎も中川一政など著名作家と共にも白樺派の同人である。 そんな鑑定会にもう一度出すことはないとお客様は大変怒られ、その後お亡くなりになり、お預かりしたまま現在に至っている。 藤田の作品は、有名彫刻家の美術館のオーナーの先代が持っていたもので、そのオーナーが亡くなられ、ご遺族から鑑定・処分を頼まれたが、残念ながら鑑定書をもらうことが出来なかった。 証明書の東郷青児は二科会のスターであった藤田嗣治と共に、二科九室会の顧問に迎えられ、創立メンバーには吉原治良、斉藤義重、山口長男などがいて、二科の展示場の第九室に集められ、当時の前衛作家達の発表の場となった。 そんな関係もあって、東郷は藤田の作品に証明書を多数書いている。 それぞれに作家の証明はついているが、市場では鑑定会の鑑定書が優先され、それが付く付かないで市場価格は大きく違ってくる。 どちらも由緒あるところから出ていて、間違いない作品と思っているのと、私自身が鑑定会のあり方に疑問を持っていることもあって、そのまま作品本位で見ていただこうと思っている。 ご自分の眼と私共を信じて、ご興味の有る方はご相談いただきたい。
●6月24日 韓国光州市のフェアーのお誘いをいただいた。 9月の始めに予定されているが、10月がソウル、11月が台北とテグとフェアーが続いているので思案のしどころだが、2年続けて出ているのと、光州出身の作家を二人紹介していることもあって出ないわけにはいかない。 光州市は光州ビエンナーレで知られていて、開催時には30万人の人が訪れ、アートを目玉に市の活性化につなげようとしている。 光州は韓国の地域の中ではもっとも冷遇されているところで、昔の百済にあたり、高句麗、新羅との歴史的な因縁から政治的にも経済的にも地域差別のあったところである。 そうした経緯の中、光州出身の金大中が大統領になったことで、光州は大きくクローズアップされ、ビエンナーレが市の支援で開催されることになり、結果成功を収めている。 ただ未だにインフラ整備は遅れていて、すぐ横にある釜山とは高速道路も鉄道も整備されておらず、バスで行くか、ソウルからの国内エアーを使うしかない。 そんな不便なところだが、フェアーへの日本の画廊の参加を強く要請されていて、ブースフィーも格安で、それなりのサービスもしてくれるとのことなので、ご希望の画廊があればご連絡をいただきたい。 ●6月23日 高校のクラスメートのO君が3月に亡くなり、彼を偲ぶ会が開かれた。 彼は和風建築の権威として活躍し、伊勢神宮や各地の能楽堂の建築に携わった。 傍ら、ジャズを愛し、彼自身ジャズピアニストととして、多くのライブハウスで演奏をしていた。 そんな彼に相応しく、学生時代の友人や建築関係者と共に、ジャズ仲間が大勢集まり、ジャズが次々に演奏され、ディキシーランドジャズのテンポのいいリズムに乗って、明るく楽しい会となった。 O君の流れるような軽快なピアノ演奏もどこからか聞こえてくるようで、おそらく彼も大いに楽しんでくれたに違いない。
●6月22日 処分を頼まれた作品に最後の文人画家といわれる富岡鉄斎の屏風絵が出てきた。 図柄を見ると鉄斎らしくなく、鉄斎の署名とともに与謝野蕪村翁筆の文字が見える。 鉄斎と蕪村では時代も大幅に違うし、鉄斎の絵のようなダイナミックさはなく、蕪村の飄々とした味わいが逆に出ている絵で、何故鉄斎に蕪村なのかよくわからずにお預かりをしてきた。 二双六曲で12枚の絵が水墨で描かれていて、そこには松尾芭蕉など著名な俳人が名前とともに描かれている。 私は多分贋物だと決め付けていたが、一応専門家に見てもらうことにした。 署名も落款もそれぞれに同じものはなく、先ずはそこから見てもらったが、全て鉄斎の落款に間違いないという。 それでは何故このような絵を鉄斎が描いたかという疑問に対し、鉄斎は多くの画人の絵を勉強のために模写していて、これもその一つではないだろうかとの答えが返ってきた。 鉄斎はこのような絵を含め、数多くの作品を残しているが、それに伴い、贋作も多数ある。 鑑定は以前は鉄斎のコレクションで知られる宝塚の清荒神清澄寺でなされていたが、今は大阪美術倶楽部が鑑定をしている。 鉄斎であることが証明されても、大きな屏風は現在の住宅事情では需要がなく、売却先を見つけるのは難しい。 それぞれにサインと落款があるので、剥がして、掛軸にしたほうが売りやすいともいわれた。 但し、12点もの表具だとかなりのお金がかかるし、12点揃っていての作品だけに、ばらしてしまうのは忍びない。 もととなった蕪村の絵も調べてみなくてはいけない。 丁度いい機会なので、蕪村と鉄斎の資料も探してみようと思っている。 私の仕事には、専門外の名品、珍品に出会うことも多く、さてこの鉄斎どんな結果となるのだろうか。
●6月21日 今日は私の誕生日だが、高校のクラスのゴルフコンペがあって、台風が西日本で猛威を振るっているという最中に行ってきた。 相変わらずの雨男で、友人達は梅雨の最中に生まれたからだと納得。 ゴルフは誕生日のお祝いハンディーも与えてくれず、誕生日を飾るには程遠い成績であった。 家に帰ると、元気な孫達の声。 長男家族と次女家族がお祝いに来てくれていた。 家族が増えてからのほうがこうした家でのイベントが増えてきたようで、あまりおめでたい年ではないが、みんなで祝ってくれた。 来年には長男のところに新たに子供が生まれるようで、オーストラリアの長女の子供を入れると5人目の孫となり、おじいちゃんもすっかり板についてきた。 フェースブックでも、たくさんのお祝いメッセージをいただき、大変感謝をしている。 フェースブック上の友達も600人を超え、人との繋がりの大切さを改めて感じている。 かけがえのない家族や友人達のためにも、70の大台のカウントダウンも間もなくだが、もうひとふん張り頑張らなくてはならない。
●6月20日 木村繁之の展示と同時に、GTUの渡辺大祐の写真展の展示も昨日中に終わって、展覧会を待つばかりである。 渡辺は2回目の個展で、私が審査を担当したヤングアートフェスティバルで出会った作家である。 写真展は岡本啓を何度かやっているが、彼に次ぐ期待の写真家として紹介させてもらっている。 水面に映る揺らぎをテーマに発表を続けていて、揺らぎの映像がファンタジックで興味深い。 同時に今回は、写真を写す側を捉えた作品が多数壁面に展示された。 一種のインスタレーションで、揺らぎとは全く趣の違う写真に驚かれる方もいるだろうが、その対比もまた一興ではないだろうか。
●6月19日 日曜日に河口湖の畑で野菜を収穫してきた。 丁度いい頃合に韓国に行っていて、気を揉んだが、滑り込みセーフでみずみずしい野菜をたくさん採ることが出来た。 レタス・大根・紫大根・こかぶ・サンチュ・リーフレタス・サラダ菜・サラダほうれん草・水菜などなど食べきれない程の野菜だ。 しばらくは野菜漬けの食事が続きそう。 韓国でも毎日のようにご馳走を食べて、体重オーバーが心配だったが、帰って体重計に乗ってみると、何と2キロダウン。 韓国では必ず野菜が料理とともにたくさん運ばれてくる。 おかわりはいくらでも出来るし、それがみんなただときている。 野菜をふんだんに食べながら、焼き肉や魚を食べるので、かえってダイエットになっているのだろう。 韓国に行って、肥満の人をほとんど見ないのも、野菜と辛いものでダイエット効果になっているに違いない。 我が家も韓国風に食卓に野菜をずらっと並べて食事をしなくては。
●6月19日A 岩渕華林の作品が、新潮社からの新刊で千早茜の小説「あとかた」の表紙を飾った。 千早茜はすばる新人賞、泉鏡花賞などを受賞した気鋭の小説家である。
岩渕は本の表紙になることを夢見ていたようで、早くもそれが実現する格好となった。 彼女を教えていて、私共に紹介をしてくれた木村繁之は多くの本の表紙を飾っていて、装丁では望月通陽とともによく知られた存在である。 恐らく彼女はそれを見ていて、いずれは自分も取り上げてもらえたらと思っていたのだろう。 その木村が久し振りに6月22日から版画の個展をする。 淡く、儚げな、木版画でしか出しえない色合いが特徴の木村だが、今回の作品も装丁にはうってつけの作品が多数出品される。 静謐でいながら、情感溢れる世界にご期待をいただきたい。
●6月18日 今朝は8時から内視鏡検査。 20年以上前にやって以来だが、口からか、鼻からかと言われ、痛くないのは鼻だそうで、そちらでやってもらうことにした。 胸の真ん中あたりが詰まるような圧迫感があって、心臓の検査をしたが異常無しで、それでは逆流性食道炎によるものかもしれないということで、検査することになった。 結果は食道炎はたいしたことがなく、慢性胃炎と言われた。 一ヶ所に気になるところがあり、切除して生検にまわすそうだ。 胸の圧迫感の原因はよくわからないが、気になるところがあると言われたことが今度は気になる。 検査は受けないほうがいいという本がベストセラーになっているが、確かに検査というのは緊張するし、どこか悪いところが見つかったらと不安にもなり、待たされる時間も長く、そうとうなストレスである。 韓国に行く前の別の検査でもバリウムを飲まされたが、これもいつものことだが、まずいことこの上なし。 更にその後のトイレが大変で、今回も翌朝は悪戦苦闘、お産の苦しみを味わった。 胃カメラをやるのがわかっていたら、バリウムなど飲むことはなかったのだが。 今回も異物を挿入されるだけに、極度の緊張でやる前から吐きそうだった。 終わってからも、麻酔をされた鼻の奥あたりにしばらく違和感があって、何とも気持ち悪い。 その上、切除跡が出血しないように食前に飲む薬が、これまた粘粘の妙な薬で気持ちが悪い。 大腸検査もそうだが、バリウムも胃カメラももうこりごりである。 ●6月17日 ロータリークラブの例会に久しぶりに出席。 最近新しい会員か多く入るが、私が欠席がちなこともあって顔も名前も覚えられない。 逆に親しくしていた古い会員が次々に辞めていき、寂しい限りだ。 そうなると私も古参会員となってしまい、入会順でいくと5番目のロートル会員である。 高齢、病気、仕事の事情などが退会理由なのだろうが、異業種の方ばかりなのでそれぞれの分野で教えていただくごとも多く、またロータリーは慈善団体で経済活動とは一線を画していて、利害のない血の通ったおつきあいが出来ていただけに残念である。 辞めてからも変わらずのお付き合いといっても、時間とともに疎遠になっていく。 辞められた会員にはお年を召した方も多く、一日でも長くお元気でお過ごしいただくよう願っている。 ●6月16日 20年も前になるだろうか、私のところに資料を持ち込み、個展の依頼をしてきた作家がいて、アトリエにまで呼ばれ、個展の開催を決めたが、某デパートから彼が同じ時期に個展をすることを聞かされた。 聞いてみると、、実は長いものに巻かることにしましたとの答えが帰ってきた。 今日も同じようなことがあった。 他所の画廊で発表をしていたが、相談を受けて、私共でも扱わせてもらうことになり、海外の発表や個展の予定も決めていたのだが、香港やアメリカからの話が来たので、それに乗る事にしたという。 確かにいいチャンスなので、それはそれでエールを送ってあげたいが、予定を組み込んでいただけに一抹の寂しさがある。 処世術に長けることで、それなりにステージアップをする作家もたくさんいるので仕方ないことだが、細く長くがモットーの私には、所詮縁がなかった作家なのだろう。 ●6月15日 釜山の写真をアップしたので、ご興味のある方は6月4日からの日記に戻っていただきご覧ください。 ●6月15日A 大阪から来た方が東京は涼しくていいねと言われるが、からっとした天気の釜山から帰ってきた私には蒸し暑くて仕方がない。 今日は梅雨空も一休みだが、30度近くまで気温があがるとの予報で、6月半ばでこの暑さだと、真夏の暑さが思いやられる。 春と秋の爽やかな季節がだんだん少なくなっていくような気がしてならない。 高橋舞子展も最終日だが、コレクターの方や作家の方、評論家の方からもお褒めの言葉をいただき、初めての本格的な個展としては上々のスタートとなった。 風景という陳腐になりがちなテーマを構想の積み重ねからうみだされる巧みな表現力で情感溢れる風景画に転化させていて、こうしたジャンルでの際立った存在になれるのではと期待している。 ●6月14日 今日は日本版画商協同組合の理事会に出席。 理事長退任後は出席を遠慮させていただいていたが、今日は組合の顧問として参加している全国美術商連合会の理事会報告のため久しぶりに出席させていただいた。 報告のあと、理事会に全国美術商連合会にはなんとか組合員全員が加盟してもらえないかをお願いさせていただいた。 演劇、映画、映像、音楽、美術など15団体からなる文化芸術推進フォーラムに昨年から連合会も加盟することとなった。 この団体は文化庁を文化省に格上げをまずは目指し、地域の文化芸術振興、日本文化の海外発信などの推進を図っていくなどを活動方針としていて、私達団体もその一翼を担うことになった。 ただ現在の会員数が他の団体に比べてあまりにも少なく、発言力を高める上でも、会員増強が当面の課題となっている。 そこで個々に会員を募るのではなく、組合単位で加入することで増強の一助になればと理事会に承諾をお願いさせていただいた次第である。 加入することで組合員各位が文化に対する問題意識を高めることに繋がればと願っている。 ●6月13日 釜山のからっとした気候に比べ、朝から雨で湿気も多く、なんとなく鬱陶しい。 幸い台風はたいしたことがなかったが、本格的な梅雨入りとなったのだろう。 画廊の高橋舞子展も終盤に差し掛かかっているが、やはり大作は売れ残っていて、改めて海外との違いを実感させられる。 今回も釜山では山本麻友香の大作を若い夫婦が買ってくれたり、韓国作家の100号を気楽に買っていくのを目の当たりにしてきただけに、この違いには考えさせられる。 日本以外は格差社会で美術品を富裕層が買うので、大きい作品も売れるのだろうが、韓国や台湾、香港など日本よりも狭い国土で住宅事情も悪く、それほど大きい家に住んでいるとは思えないのだが。 今回も釜山で山本麻友香の個展をしてもらっている画廊から、次回は大作だけで展覧会をやりたいと頼まれた。 全部売ってくれるといいが、そうでないと日本では行き場がない。 ●6月12日 台風の影響を受けることなく、無事成田に到着。 行きと同じように手持ちの作品を開けるように言われたが、フェアーのカタログを見せて、アートフェアーの出品作品だと言うと、今度はスムーズに通してくれた。 JALの宅配カウンターに行って、二人の大きなトランクをVISAカードと海外で使ったカードの控えを見せると500円で成田から家まで送ってくれるので、これはらくちん。 まだ往復のサービスはしてくれないのが玉に傷だが。 JALカードの手ぶらサービスというのもあって、家から渡航先の空港までカウンターを通すことなく運んでくれる便利なシステムもあるが、料金はVISAのように割安とはならない。 ビジネス以上を使えば、こうしたサービスも全て無料でやってくれるが、貧乏画廊はそこまでの余裕はなく、如何に安くて楽な方法がないかと考える。 作品の運送料もばかにならないが、小さい作品は郵便のEMSを使うと安くあがるし、韓国から送り返す時は日本の半額かそれ以下の料金となるので、これは助かるが、今回のように通関で足止めをくらうこともあるので、早めに送ったほうが無難なようだ。 何はともあれ、まずはおいしいご飯と味噌汁にお漬物、それと向こうのホテルはシャワーだけだったので、ゆっくりと熱いお風呂につかりたい。 ●6月11日 市立美術館のコレクション展は期待外れ。 梅原、大観など日本のそうそうたる作家のコレクションを寄贈したと聞いたが、梅原は小さな陶芸だったり、大観とは思えない墨絵、他にも荻須や三岸の版画などスケールは小さい。 美術館前にある彫刻も遊園地まがいの陳腐な作品ばかりで、美術館の正面を飾るにはちと恥ずかしい。
どっと疲れが出て、水族館など他の予定もやめて、ホテルに帰って昼寝を。 夜はギャラリーウーさんの招待でまたまた焼き肉。 滞在中これで5度目だが、たれがついていない肉そのものを焼いて、野菜で包んで食べるのでお腹にもたれず、何度食べても美味しい。 ただ体重オーバーが心配だ。
今回のフェアーは、初日、二日とアクシデントがあり、老夫婦二人でどうなることと思ったが、ギャラリーウーの息子さん夫婦やスタッフに手伝ってもらい、作家のソルジュ君、彼のプロモートをする崔さんにも展示や撤収、営業に力を貸していただき、運送も大阪のギャラリーエデルの堀居さんの荷物に便乗させてもらうなど、多くの人の手助けで、10日間という長丁場を乗り切ることが出来て、ひたすら皆さんに感謝である。 売上はそこそこでたいしたことはなかったが、周囲の人達の優しさ、暖かさを感じさせてもらい、私達夫婦にとって心に残る10日間であった。 天候も爽やかな毎日が続き、景色も素晴らしく、食べ物も美味しくて、釜山・海雲台リゾートを充分堪能させてもらい、今度は是非仕事抜きで来てみたい。 明日昼前の飛行機で帰る予定だが、台風は大丈夫だろうか。 ●6月10日 フェアーも修了。 後半は全く売れず、疲れも倍増したが、体調も崩すことなく終えることができてほっとしている。 搬出もスムーズにいき、一時間ほどで終わってしまい、早めの夕食に出掛けた。 漁港に面した魚貝類のお店がずらっと並ぶ通称刺身通りというところに行ってアワビ粥を食べることにした。
ふぐや焼き肉とほとんど毎日のようにご馳走三昧だが、このお粥も美味しくて安い。 天気もずっと晴天が続き、海沿いなのに湿気もなく、爽やかな毎日を過ごすことが出来た。 明日は銀行に行ったり、郵便局から作品を送る手続きをした後、市立美術館に行く予定をしている。 釜山の画廊のオーナーが美術館に寄贈したコレクション展が開催されている。 梅原龍三郎や横山大観などの日本の大家の作品も含まれているというので楽しみにしている。 夕食を終えてマッサージに行き、疲れを癒やしてホテルに戻って後は爆睡。 ●6月9日 日曜日で人は多いが、各ブースあまり成果が上がっていないようだ。 日本の画廊でも一点も売れていないところがあり、ソウルの画廊が事務局にせっかく海外から来ているのだから、主催者で買い上げるようにと交渉にいってくれたそうだ。 昨年も主催者となっている釜山の企業が買い上げてくれると聞いていたが、それは全くなく、途中でやめたディレクターも、今年もそうすべきと掛けあったが、結局うまくいかずに怒って辞めてしまったという。 そのディレクターも、私に誘った責任があるので、知っているコレクターに日本の画廊で買うよう勧めてみるといったが、そうした人は見当たらない。 この辺のことは当たり前のことで、あまり信用せずに自分で頑張るしかないと長い経験でそう思っている。 ただこんな結果だと、来年からのフェアーに海外からの参加は見込めない。 日本でのフェアーもそうだが、海外に対して多少でも手厚い待遇をしていかないと、国際的なフェアーに発展していかない。 釜山の主催者は企業が主体で、画廊関係者が入っていないことも問題で、会期中も事務局は挨拶に来るが、主催者の顔が全く見えず、会長が誰だかみんな分かっていない 。 釜山のフェアーは2回目ということで、まだまだ発展途上ということなのだろうが、ソウルやテグのフェアーの発展ぶりを参考にして、来年に備えてもらいたい。 ●6月8日 フェアーも中日を過ぎて土曜日を迎えた。 来場者は初日ほどではないが、若い人が開場前から並んでいる。 手伝ってくれた崔さんがご主人と今日の飛行機で日本に帰るので、通訳をしてくれる人がいなくなり心細いが、ウーギャラリーのスタッフや出展者のソルジュ君がいてくれるので、何とかなるだろう。 ただ、みんな英語と日本語ができないので、私との会話がスムーズにいかないもどかしさはあるが。 私のブースに間借りをしているウーギャラリーはマダムと息子さん夫婦が一生懸命で、山本麻友香を始め次々に赤マークをつけていく。 私の方は、前半のような勢いはなく、ウーさんの赤マークを指をくわえて見ているだけ。 浅井ヒットばかりに人気が集まり、他の作家にも目を向けて欲しいのだが 。 今回はフェアーのディレクターのアドバイスもあり、小林健二や岡本啓、鈴木亘彦、堀込幸枝といった抽象傾向の作品を並べたが、結果は山本や浅井といった具象の作家に目が向くようで、ディレクターに文句の一つも言いたいが、このディレクターは会期前に辞めてしまい、文句の言いようがない。 そろそろ疲れもピークとなり、外での食事をやめて部屋で買ってきたサンドイッチを食べて、早くに寝ることにした。 ●6月7日 早朝からビーチ近くの小さな漁港に行ってきた。 ここでは水揚げされた新鮮な魚を、目の前で刺身にして食べさせてくれる。 巨大なヒラメやアナゴ、タコやホヤ、名前のわからない魚が並んでいる。
ビーチではフェスティバルの準備が始まり、大きなステージが設営され、ホテルの前も通行止めになり、ここにもステージが設けられている。 夜中にドンドンという部屋が揺れるような音が響き、睡眠妨害甚だしかったが、どうやらステージのマイクの調整を長いことしていたらしい。 ビーチのサンドアートも完成し、今年は映画がテーマということで、スーパーマンやスパイダーマン、マリリンモンローなどがピラミッド型に盛り上げられた砂山に再現されている。 それぞれ一人のアーティストが何日もかけて、水をかけて砂を固くしながら手作業で制作をしていた。
砂浜は日本のように海の家が立ち並ぶこともなく、毎朝何人もの人がゴミをとってきれいにしているので、美しい景観が保たれている。 ビーチ沿いには高級ホテルや洒落たカフェテラス、高層マンションが並び、安物の土産店や屋台が並ぶ日本の海水浴場のような雰囲気は全くなくて、写真でしか見たことがないがニースやカンヌの海岸のような高級リゾートといったところだろうか。 夜はお客様で、毎回作品を買ってくださる小児科医の金夫妻の招きで、焼肉をご馳走になった後、最近完成したパークハイアットホテルのラウンジで眼下に広がるハーバーブリッジの夜景を堪能させてもらった。 家内は連日の美味しい食事と美しい景色がすっかり気に入ったようで、これならヨーロッパのリゾートに行くことなく、リッチな気分が味わえると大喜びをしている。
●6月6日 釜山の気候は昨年の同じ時期の蒸し暑かった気候に比べ、湿気もなく、朝晩は肌寒いくらいで、過ごしやすい毎日が続く。 行く前には体調が思わしくなかったのだが、こちらに来て元気回復。 食事も連日ご馳走ばかりで、またまた体重アップが心配。 三元豚カルビ、参鶏湯、今日は朝から漁港にあるフグ屋でトラフグの鍋、夜は昨年ご馳走になって感激した極上の焼肉屋さんにて,ステーキと間違えるような分厚い牛カルビに舌づつみをうった。
フェアーのほうも祭日ということもあるのだろうが、人出が途絶えることがなかった。 ただ人出の割には各ブースの赤マークはチラホラで、週末に期待といったところだろうか。 明日からの週末にはビーチでサンドフェスティバルが盛大に開かれるようで、音楽ライブやビーチサッカーの大会、サンドアートの制作などの準備が既に始まっている。 フェアーの会場もいっそうの賑わいとなりそうである。 ●6月4日 昼からの展示は山本麻友香の個展を開催中のギャラリーウーの息子さん達や写真家のソルジュさん、彼を私に紹介してくれた崔さん達が手伝ってくれたおかげで3時にはほぼ終わってしまった。 通訳も頼まず、行く前は老夫婦二人だけでどうなることかと心配したが、救いの神はいるものだ。
実は昨夜ウーさんに夕食をご馳走になったおりに、私どものブースが広いので、三分の一を仕切ってギャラリーウーが使い、山本麻友香の作品を中心に並ばせてもらえないかと言う。 ウーの名前は出さずに、相応のブースフィーや諸費用も出すので、なんとかお願い出来ないかと頼まれた。 郵便で送った作品が届かないアクシデントもあったことだし、余ったスペースを提供してあげることにした。 代わりに展示や撤収、営業までやってもらえるということなので、逆に私たちには好都合である。
そんなわけで仕切りの壁の部分を残して、私たちの壁はあっという間に終わり、ホテルに早くに帰ってのんびりしてから、夕食に出掛けた。 昨年も行った豚カルビのお店へ。 汚らしい店だったが、見違えるようなおしゃれなお店に変わっていて、テラスの席で爽やかな潮風に吹かれながら、美味しい豚カルビを堪能した。
●6月3日 釜山へ出発。 今回は画廊が多忙で、家内を連れての韓国行きとなり、準備を全てスタッフに任せ、自分達が携わることがなかったので、なんとなく不安。 それが的中し、まずは手持ちの荷物が重量オーバーで多額の超過料金を払う羽目に。 スタッフに調べてもらって大丈夫なはずだったのだが。 機内持ち込みも一人一個となっていて、壊れやすい作品を三個持ち込むはずが、ひとつを預けなくてはならず、壊れないかと不安を抱えながらの出発となった。 荷物検査も成田では厳重に梱包された作品を開けさせられるし、釜山でも足止めを食らってしまった。 不安に追い打ちをかけるように、郵便で作品や展示用具などを送ったが、展示日に届かないかもしれないとのメールが入った。 ホテルに行ってみると道具類は着いていたが、作品が届いていない。 オープンには間に合いそうもないので、別便で送った分だけを展示するしかない。 次々に想定外のことが起こり、出だしからつまずいてしまったが、老夫婦二人で腹を括ってやるしかない。 ●6月1日 高橋舞子展が始まった。 期待にたがわず、朝からお客様が大勢お見えいただき、大作を除いて殆どが売約となった。 皆さん案内状の絵を褒めていただくが、なんせ150号という大きさではあきらめざるをえないようだ。 昨日展示のときに見えていた方が、今日お目当ての作品を買うつもりで来られたのに、残念ながら一足違いで売れてしまい、申し訳ないことをした。 買われた方も一足違いの方も、私同様に去年、一昨年の卒業展を見て、既に注目をしていたようだ。 他にも、私共のホームページを見て訪ねてこられて買われた方や、案内状を見て出産の記念にと思ってこられた若いご夫婦など、彼女の絵に一目惚れの方も多いようだ。 月曜日から釜山のアートフェアーのため、10日ほど留守をするが、初日の盛況で安心して出かけることが出来る。 出来れば、留守中に150号の大作が売れていると言うこと無しなのだが。 釜山からは慣れないI・PADを使ってアートフェアーや釜山の様子をお伝えさせていただくつもりだが、うまく扱えるかどうかはわからないので、その時はお許しいただきたい。 ●5月30日 昨日今日と大学のヨット部の先輩や同期とのゴルフコンペがあって河口湖に出掛けた。 相変わらずの雨男でなんと例年より10日も早い梅雨入りで両日とも雨模様だったが、無事ラウンドができた。 卒業後45年経つが、先輩後輩の序列は変わらず、普段以上の疲れで後半はガタガタ。 15名が集まったが、私以外はみんな今でもヨットに乗っていて、と言っても当時のような小型レース艇ではなく、大型のクルーザーでのんびりとクルージングを楽しんでいる。 私も誘われるが、なかなか日程が合わず、ヨットとはすっかり縁遠くなっている。 夏休みに葉山から伊東までのクルージングが予定されているので、今年こそは参加してみたい。 ●5月29日 6月1日から新人の高橋舞子の個展を開催する。 昨年、毎夏に開かれるソウルでのASYAAFという朝鮮日報主催の美学生のフェアーの日本人作家の推薦を依頼されていて、五美大展で見て推薦をさせてもらった作家の一人である。 人物画全盛の時代にあって、ファンタジックな風景を描いていることもあり、数多くの作品の中で強く印象に残った作家である。 漆黒の闇の中の森であったり、自ら燈すかすかな灯りに浮かぶ雪景色が描かれている。 山形出身の彼女にとって、雪国の情景は当たり前のように記憶の中にあるが、描かれた風景は現実のものではない。 作家の言葉によると「観る者と距離のあるよそよそしい風景画ではなく、想像上の架空の世界が、あたかもそこに存在していると錯覚させる、固有の時間軸と空間を持つ風景そのもを創っている」。 彼女の資料を見てみると、先ずは構想前のアイディアスケッチがあり、思いついたキーワードなどを書き留めておく構想メモがある。 主題とイメージが決まると、構想を練る作業に入り、構図の試し描きをいくつも行い、具体的な構図案へと進めて行く。 大体の構図が決まると、具体的な地形などを練るために模型の作成に取り掛かる。 これは虚像にリアリティーを持たせながら、現実のようで現実でないものにしようとしている。 一貫して孤独というものが作品の根底にあり、幻影を作り出し、作品そのものに人間の「孤独」の姿を演じさせる意図があり、模型そのものを作品にしたり、完璧に作りこむことはしない。 模型を様々な視点から撮影し、鑑賞者の立ち位置に視点を合わせる。 視点が決まると、画面上の構図を大まかに描き、決定した構図をキャンバスに描きこむ。 その間も多くの木々などの向きや形の下絵が描かれ、多くのプロセスを経て、油絵が完成する。 同じ山形出身の佐藤未来も1点の作品を完成させるのに、写真に撮り、プリントアウトした画像をもとに、1000枚近くのドローイングを描いたり消したり引っ掻いたりしながら、その中から油絵にする下絵を選ぶという。 東北の人は粘り強いということなのだろうか、制作過程の繰り返しには共通したものがある。 長くなったが、そうして完成した風景には、郷愁を誘うようなポエジーが溢れ、童話の世界のようにその森を探し訪ねてみたい衝動に駆られる。 皆さんもそれぞれの記憶の中にある風景に作品を重ね合わせながら、幻影の森を彷徨っていただきたい。
●5月28日 昨日書き忘れたが、朝井にとって不動明王図は特別待遇のテーマであったため、署名もせず、発表もせず、売ることもせず、親しい人にお守りとして手渡すだけだったそうだ。 紹介の2点も著名なアーティストのアトリエにあり、その遺族から託されたもので、おそらく朝井と親交があったのだろう。 今日もまた、韓国の親しくしている画廊さんから、お客様が持っている中国陶器を調べて欲しいと画像が送られてきた。 青磁、染付けなど10点ほどあり、いいものなら売却して欲しいとの依頼である。 中国市場も異常なほどのバブルは一頓挫している様だが、上海の有名コレクターから中国のいいものだったらすぐに買うとのオファーも来ているので、本物であってくれればいいのだが。 ●5月27日 昨日調べた不動明王図の詳細がわかってきた。 60点の不動明王図が収録された画集には該当の作品は掲載されてなかったが、大変興味深いことが書かれていた。 この画集は平成5年に出版されたもので、その17年前に亡くなった朝井閑右衛門の遺志により長い年月をかけて刊行されたものである。 佐伯祐三のコレクターでも知られる東大の経済学者・脇村義太郎氏を中心に制作され、不動明王図が一点一点紙張りされた豪華な画集である。 常に携え、読んでいた仏教書の中でも特に感銘を受けたのだろう、遺言で面識のなかった仏教学者・古田招欽氏に画集の執筆を依頼している。 朝井にとっては、長年にわたって探求し、没入した重要なテーマで、「私は朝も夜も真夜中も心をキレイにして、描いて描いて描いた、祈りの如く描いた、これだけが自分の絵である」と生前語っている。 古田氏は描くことにより、自分の煩悩を除くことを求め、自らの求道を表白したもので、明王図を描き続けたことをどうしても自分で自分に言い聞かせなくてはならなかった。 その実証として印刷にして、一書に遺したいと考えたのだろうと書いている。 画像を参照していただきたいが、絵の裏には、梵字と経文のようなものが書かれている。 不動の種と不動の真言だそうで、敬虔な気持ちでこの真言を唱えながら制作を続けたのだろう。 友人の真言宗豊山派の僧侶にもこの意味を聞いて見たが、経文は派が違うのでよくわからないが、不動明王については教えていただいた。 不動明王は初七日忌のご本尊で、右手に鋭い剣、左手に縄を持ち、恐ろしい形相をして、悪党を懲らしめるお姿である。 悪党とは私達の中に潜む邪な心のことで、それを打ち砕くのがお不動様の仕事である。 恐ろしいお顔の裏に、強い慈悲の精神が隠れているのだそうだ。 朝井はその不動の横に、二人の童子を描いているが、まさしく慈悲を施している図となっている。
●5月26日 横須賀美術館に行ってきた。 ここは横須賀在住で活躍した朝井閑右衛門の作品が多数所蔵されていることでも知られる。 美術館の前の芝生広場越しに海が広がり、ヨットや貨物船が行き交う長閑な風景が見られるという絶好のロケーションに位置し、併設されているイタリアンのレストランも海に面していて、地元の魚介を生かした美味しい料理が食べられる。 朝井閑右衛門は厚塗りの薔薇の絵が有名だが、他にも蒲鉾板に白雪姫やドン・キホーテなどの童画風の絵を描いていて高い評価がある。 また不動明王図も描いていて、大きさが41×32×8、重さ6キロの超豪華な不動明王図画集が出版されているが、限定本で20年前に10数万円という高価な本で、私もまだ実物を見たことがない。 たまたまその不動明王図が2点私どもに来ていて、本物には間違いないが、画集に掲載されているか、もしくはそれに関連した資料が見つかるかと、横須賀美術館で画集を閲覧し、学芸員にも話を聞こうと訪ねることになった。 横須賀は私の母が戦前に海軍鎮守府(現在の在日米軍横須賀司令官庁舎)に勤めていたことがあり、よく横須賀の話を聞かされたものである。 そんなこともあり、横須賀と聞くと何故か懐かしい気がするが、訪ねたのは学生時代以来だろうか。 近くに防衛大学校があり、その前に広がる走水港でその防衛大学とヨットレースの定期戦をやっていたこともあって、学生時代はよく来ていたのだが。
●5月25日 昨日うかがった処分品の中にロダンの彫刻が出てきた。 小さいものだが、歪んだ顔がロダン独特の表情で、珍品といっていい作品である。 つぶさに作品を見てみると、下の部分にA・RODINの刻印があり、反対側には鋳造家の刻印が押してある。 判読しづらいが、よくよく見るとAlexis・Rudier・Fondeur・Parisと刻んである。 調べてみるとアレックス・リュディエはロダンが一番信頼していた鋳造家で、ロダンが生きている間に鋳造されたものには、この刻印しか押されていないそうである。 ロダンの死後、リュディエの息子が継いで、1952年以降に鋳造されたものには、その息子の刻印が押してある。 それ以外の鋳造家を含め、死後に鋳造するものはフランス政府によって管理され、12体しか抜いてはいけないとされていて、その数が刻印されることになっているが、生前のものには数字は刻まれていない。 そんなことがわかってきたが、図書館でロダンの画集を見て、もう少し詳しくその作品について調べてみようと思っている。 明日も別の作家のことで調べなくてはならず、台北の疲れもあって休みたいところだが、日曜返上で横須賀の美術館に出かけることになっている。 こうした扱いなれない作品について調べることは勉強にもなるし、その作品の背景をひも解いていく楽しさもあるので、この仕事の醍醐味の一つになっている。
●5月24日 夏間近の陽気で、今年の夏が思いやられる。 今日も美術品処分の話でお客様のところへ。 最近、埃かカビなのか、お客様の古い作品を出していると、両手が赤く腫れて蕁麻疹のように痒くなってくる。 長い間に抗体の許容量を超えて、埃やカビに反応するようになったのかもしれない。 以前に、スタッフの女性にカビの掃除をしてもらったところ、その夜に首から胸にかけて真っ赤に腫れ上がってしまった事があった。 アレルギー体質の人には、こうしたことは禁物なのかもしれないので、注意しなくてはならないが、私は職業病と思ってやるしかない。 世間から見るときれいな商売に思えるが、過酷な商売といってもいい。 コレクターの皆様にお願いするのは、美術品の管理にはできるだけ注意を払ってもらい、私達の体が蝕まれないようにしていただけるとありがたいのだが。 もちろん、作品の状態が悪くなれば、それだけ値打ちが下がってしまい、処分するにも寄贈するにしても大きなハンディーとなってしまうので、くれぐれもご注意いただきたい。 先ず出来る事は、箱にいれて長い間美術品をしまいっ放しにしないことである。 順次飾りかえることでも、カビの発生を防ぐことが出来るので、面倒がらずにやっていただきたい。 ただし、直射の当たるようなところ飾りっぱなしも、これまた気をつけていただきたい。 ●5月23日 台北から帰国後、体調悪しで身体がしゃきっとしない。 昨日はお世話になった方の葬儀があって、中央道で葬儀場に向かったが、集中工事で大渋滞。 動かない車で、眠気が襲い、睡魔と闘いながら、のろのろ走っていたが、もしや向こうの世界に呼ばれていたのかもしれない。 今朝も頭も身体も重く、これではいけないと早朝散歩でお日様に当たって体内時計の調整をしようとしたが効果なし。 昼からは伸び放題の髪を切りに、行きつけの床屋さんに行くと、シャンプーマッサージを長いことしてくれたうえに、肩から腰までこれまたじっくりと揉み解してくれたら効果覿面。 帰るときには頭も身体もスッキリシャンで、だるさが嘘のようになくなってしまった。 台湾や韓国で足つぼマッサージはするが、どちらかというと痛がりで日本ではあまりやったことがなかったが、これだけ効果があると病みつきになりそうだ。 ●5月21日 台北の帰国直前にお昼をご馳走になったフィギュアーなどの玩具を製造販売している黄さんは中村萌の立体がとても気に入ったようだ。 お目当ての作品は残念ながら売約となっていて、買うことが出来なかった。 お金を持って翌日にやってきたので、聞いてみると、現金を渡さないと買えないと思っていて、翌日用意してきたのだそうだ。 食事をしながら、7月に開催される玩具フェアーのお話を聞かせていただいた。 日本ほどではないが、台湾でもフィギュアーなどのオタク文化が盛んになりつつあり、おそらく7月のフェアーは大変な賑わいになるとのこと。 会場はホテルフェアーの会場のシェラトンホテルから10分ほどのところにある崋山という古い工場の建物があるエリアで、映画館や芝居小屋、ブティックやレストラン等お洒落なお店が立ち並んでいる。 偶々立ち寄った折にも、何かのフェアーがあって、若い人たちの行列が出来ていた。 そのイベント会場の入り口横には展示場があり、来年の玩具フェアーの時に、中村萌を含めて台湾・香港の作家4人の立体展を開きたいとの依頼をされた。 ファインアートのお客様とは違った層が対象だが、そうしたフェアーで見てもらうのもいい機会と、中村と相談の上で協力させてもらおうと思っている。 この7月のフェアーも見に行ってみたいが、時間が取れるかどうか。
●5月20日 本日は疲れ気味。 台北では若手の画商にまじり、いたって元気だったのだが、年には勝てない。 帰って早々に美術倶楽部にて理事長とともに中山恭子議員に会う予定があり、来るべき参院選への激励をさせていただいた。 中山議員は先般の予算委員会でも、質問に立った際には、下村文科大臣に文化についての質問に終始し、国会議員で唯一文化への提言をされている方である。 自民党の130いくつある綱領にも文化についての項目がひとつもないことを知り、石破幹事長に掛け合い、なんとか130何番目に文化への提言を綱領に付け加えてもらったという政治の非文化政策に対し孤軍奮闘している。 拉致問題担当の時にもわかるように、人柄も温厚誠実で議員らしくない方なので、選挙も大丈夫かなと思ってしまうが、是非当選していただき、文化政策推進に力を発揮していただきたい。 また、日教組発言で自民党を除名になったご主人の関係で自民党を離党し、立ち上がれ日本に入ることになり、更には橋下発言で逆風にさらされる日本維新の会に所属することになり、組織を持たずに全国区での出馬では苦戦も予想されるが、橋下と違った女性目線で戦ってもらえればと願っている。 ●5月19日 どんよりとした日が続いていたが、ようやく晴れ間が出て、最終日を迎えた。 日曜日ということもあるのだろうが、相変わらず開けた早々から賑わい、人のきれる間がない。 写真撮りまくり状態も相変わらずで、作品の前で記念撮影をしていくカップルも多い。 日本のようにコンパクトなデジタルカメラでなく、女の子たちが大きなレンズのついた一眼レフカメラを持っているのにも驚かされる。 狭い部屋での撮影に私たちがいるのが邪魔にさえ思え、身を縮めている。 結局夜8時の終了まで人の流れがきれることはなかった。 人出での割には昨日ほどの成果がなく、大作を考えてくれているお客様が二人いたが、最終的にはいいご返事をいただけず、点数だけは20点近くが売れたが、金額は今ひとつと言ったところだろうか。 ただ年々美術ファンが増えていて、こうしたフェアーを開催することで裾野が着実に広がっていることを感じる。 フェアーを主催する画廊協会の方のひたむきな努力がってあってこその結果に違いない。 日本のように事務局に丸投げと違い、台湾や韓国では役員の画廊さんが資金集め、参加画廊の勧誘、集客への方策、広告宣伝、全てに自分たちで動いて、フェアーの活性化に務めている。 更にいつものことながらのホスピタリティに心から感謝する。 ここまでしてくれると、よほどのことがない限りまた参加しようとの思いにさせられる。 こうして海外の画廊が参加することで、美術市場が活性化し、ひいては自国の文化レベルが上がり、画廊にも大きな利益が還元されることになる。 日本もアートフェアー東京を始め多くのフェアーが開催されるようになってきたが、画廊自体で努力し、盛り上げることで次につなげることを考えないと、アジア諸国に大きく遅れを取ることになる。 ぜひ考えていかなくてはいけない問題である。 10時に取り敢えず片付けをやめて、毎回一緒に食事をする広田美術の広田くん、帝塚山の松尾君とスタッフの内田君、それにうちのスタッフの諸田と打ち上げの食事に向かう。 去年から行くようになった夜市にある鉄板焼き屋に。 ここはオムレツから野菜、魚、ホタテ、牡蠣、イカ、海老、鶏肉、牛肉を目の前で焼いてくれて、ご飯、スープ、ソフトドリンクは全てフリーで、全部食べるにはそうとう覚悟しなくてはならないボリュームなのだが、一人前800円くらいだから驚く。 みんな大喜びで、フェアーの疲れを癒した。 明日の朝早くから昼まで残りの整理をして、私は一足早く午後の便で帰ることにしているが、お客様がお昼を誘ってくださっていて、フライトに間に合うか心配だが、お付き合いさせていただくことにしている。
●5月18日 今日も開始早々からたくさんのお客様が詰めかけ、押すな押すなの大盛況。 昨日は特別招待日だったので、若い人はいなかったが、今日は若い人が圧倒的に多い。 いつも感じることだが、日本と違って台湾の人達は価格や絵の内容に気軽に私たちに尋ねてくる。 そういうことで作品への関心が深まり、以前に比べると若い人がずいぶんと作品を求めるようになっている。 日本では逆にこちらから声をかけると、すっと離れてしまったり、何も答えてくれずに気まずい雰囲気になることが多いが、是非台湾のように気楽に声をかけていただきたい。 昼は今回のホテルフェアーの会長と11月に開催されるアート台北の会長が日本から出展しているオーナーを昼食に招待してくれた。 会場の近くにある台湾の歴史的建造物と言ってもいい豪奢な料理屋さんで美味しい食事をご馳走になった。
夕方には下見をしていた人達が次々にやって来て、購入を決めていってくれる。 いつもの如く 値切ってくるが、これも台湾の文化なのだろう。 若い岩渕華林、中村萌が今回は人気のようだ。 海外では版画が売れないと思っていたが、今回初めて山本麻友香の版画作品を展示したところ、多くの予約をいただき、東京から送ることになった。 展示した作品をお客様が持って帰られたので、明日は紹介することができないが、飾ってあれば日曜日も予約が入るに違いない。 これも若い人たちが買うようになったことの証である。 夜にはまたお客様と画廊の方の両方から夕食の招待を受け、スタッフがお客様と、私はお世話になっている画廊の方の招待を受けることにした。 広東料理のお店だったが、長いこと台湾に来ていて一番美味しいと感じた中華料理で、さすが地元の方に連れて行ってもらうと違う。 夜遅くなったが、立ちっぱなしで足の疲れもピークで、足つぼマッサージに行って、痛さに悲鳴をあげながらも、すっきりとして帰ることができた。 ●5月17日 開始早々からおおぜいのお客様がみえて賑わっている。 お客様から話しかけてきたり、価格を聞いてきたりで、反応は上々。 そんな中、可愛らしい女性が中村萌の小品をまとめて買ってくれた。 通訳に聞いてみると、有名なタレントさんとのこと。 8時からはウエルカムパーティーがあるのだが、お客様が途絶えることがなく部屋を出られず、会場に行ってみるとほとんど料理がなくなっていて、日本の画廊さん達と近くの居酒屋で夕食。 洒落て言えばオープンカフェ風のお店で、道路に面したテラス風の座席で台湾庶民料理を満喫した。
●5月16日 台北に到着。 東京もいきなり暑くなってきたが、台北は空港を降りた途端に蒸すような暑さが身体にまとわり付く。 会場のシェラトングランドホテルに入って、早速準備にかかる。 いつものことだが、ホテルフェアーは壁に釘が打てず、コマンドという特殊な粘着テープを使うので、飾り付けに時間がかかる。 それでも思ったよりは早くに終わり夕食に。 ホテル裏の台湾料理屋で、小籠包やお店オススメのグリンピースを小さくしたようなお豆と鶏肉の炒め物、豆苗、アスパラと牛肉、讃岐うどんのような太くて固めの焼きそばなど、どれも美味しくて、減りかけてきている体重が心配。 日本からは16軒の画廊が参加していて、いよいよ明日から開幕。 それぞれがいい結果につながるように願っている。
●5月15日 つい先日まで、寒い寒いと言っていたのが嘘のような夏の陽気になった。 連休とその後は孫達が我が家に来ていて、なかなか出来なかった早朝の散歩に久し振りに行ってきた。 代々木公園はいつの間にか深い緑に包まれ、新緑の香りが身体の隅々にしみわたる。 まさしく森林浴である。 近くにこうした緑があることに感謝しなくては。 新緑だけでなく、ついこの前まで蕾もなかった薔薇の花も咲き誇り、彩りと香りにむせ返るようである。 桜が終わり、新緑と色とりどりの草花、今が一番美しい季節なのだろう。 6月にはいると梅雨が近づき、今度はアジサイが美しくなる季節で、我が家のアジサイもそろそろ咲く準備を始めたようだ。 しばらくぶりの散歩だが、明日からは台北のアートフェアーに出かけなくてはならない。 台北の様子も時間があれば日記でご紹介をさせていただくが、留守中も当画廊は展覧会を開催しているので、是非のお出ましをお待ちしている。
●5月14日 西武のフェアーもインフォメーションがないせいか、来る人も少なく、会場に詰めてほしいと言われているが、スタッフ達はみな手持ちぶさた。 作家も来てほしいと言われたが、何をするでもないので、遠方から来た作家には申し訳ないことをしている。 上の階にある著名作家の作品が勉強になると言っていただけたのでほっとしているのだが。 明日までだが、是非皆さん見に行ってください。 ●5月12日 日曜日でのんびりしたいところだが、昼から美術品の処分の依頼があって伺うことに。 連休前に、美術館の展覧会でお借りした作品をお返ししようと電話をしたが、お借りする時につながった電話に繋がらない。 何度も電話しても現在使われていませんの応答が返ってくるばかり。 確か昨年お借りした時に、体調を崩し退院したばかりと聞いていたので、もしやと思い、連休に入る前にと思い、直接お宅に伺うことにした。 訪ねると、入り口が開いていて、片付け物をしている様子で、奥からご夫婦が出てきて、お返しの旨を告げると、ご当主が亡くなられていると聞いてびっくり。 2ヶ月前に突然亡くなられ、ご親族の方がその整理で来ているとのことであった。 作品をお返しにあがったと告げると、困惑された様子で、ご当主がお一人で住んでいたこともあって、整理にどこから手をつけていいかわからない状況で、その最中に作品を戻されてもどうしていいかわからないと言われる。 そうであるなら、展覧会をしていただいた美術館の希望もあり、美術館に寄贈をされたらいかがでしょうかとお話をしたところ、是非そうしていただきたいというご返事をいただいた。 更に、大量に残されたものがあり、他のものは何とかするが、美術品も多数あるようなので、処分をお願いできないかということになった。 私もご当主のお父様とのご縁で、作品を拝借することになったのだが、ご子息がどんなものを持っていたのかは定かではなく、とりあえず連休明けに伺うということになった次第である。 大きなお屋敷に、ご子息の趣味のものが大量に残されているが、美術品とは無縁のものばかりで、お父様が残された美術品だけをその中からより分けて、お預かりをさせていただくことにした。 カビとほこりの中、それも今日は気温が上がり、汗だくになっての運び出しであった。 いくつかは、それなりのものがあったが、他は作者や真贋の特定をしなくてはならず、さて苦労が実を結ぶかどうかは定かではないが、お訪ねした時に偶々ご親族がおられ、それからのお話だけに、亡くなられたご当主のお引き合わせと、何とかお役に立てればと思っている。 ●5月11日 今日から画廊では二つの個展が始まる。 まずは岡本啓の写真展。 今回は自身が書いた物語を接写で撮るが、それがぼやけてバーコードのようにみえるモノクロの作品が並ぶ。 岡本独自の印画紙から取り出す色彩豊かな作品はその物語のイメージを具現化したもので、モノクロ作品と一体になって並ぶ。 更にはオブジェとして、古いカメラの中に物語の文字とカラフルな画像が内蔵され、シャッターを押す毎に交互に画像が現れる仕組みになっていて、写真であって写真でない岡本ならではの写真展を楽しんでいただきたい。 因みに物語の一節 「みんな好き勝手にダイイチヒロッパとかダイイチハラッパとか呼ぶが、もともとは広場脇の文化にダイチャンという障害児が住んでいたことが由来らしいと、後になって姉から聞いた。 (中略) ハラッパは縦横の広がりを失い、僕らは遊びの終わりを上空に向かって宣言しなければならない。 そして空と一つながりの宇宙から、虫刺されとヒッツキムシを纏って帰還するのだ。 (中略) ある日そこで消火器を見つけた僕らは、協議の結果ハラッパに向かっての噴射を実行した。 ものすごい勢いで噴射される消化塵に興奮した後、煙が晴れて足元の地面の白くなったほかは何も変わらない宇宙を目の当たりにし僕らは途方にくれた。」
GTUでは東京芸大デザイン科に在学中の六本木百合香の初個展である。 一昨年の朝日新聞の公募展の審査のおりに規格外の作品を出品したため選外となった経緯があるが、私はその作品に惹かれてコンタクトをとり、今回の個展へとつながった。 線描による動物の狂気とエロスが混在した不可思議な作品だが、躍動感に溢れた作品に若さの迸りを感じる。 既に予約も入っているようで、お客様の評価を楽しみにしている。
●5月10日 西武アートフェアーが始まった。 ゆったりとしたスペースにお洒落にレイアウトされたブースが並ぶ。 それぞれに大作が飾られ、見応えのある展示となっていて、応援セットも各所に配置され、お客様がくつろぎながら作品鑑賞が出来るようになっている。 上のフロアーにはルノアールやピカソ、シャガールなどの高額品が展示され、今回の企画の規模が大きいことが伺い知れる。 これだけの催しなのだが、外部へのインフォメーションは全くなく、お得意様対象にした特別展示となっている。 とはいえ、入場料もとられるわけではなく、一般の方も気楽に見ることが出来るので、是非ご覧いただきたい。
●5月9日 連休中は河口湖にいて、畑仕事をしたり、手料理を作ったり、孫を連れて近辺を散策したりとのんびりさせてもらった。 そうした最中に、富士山が世界文化遺産に認定されることが確実になったとのニュースが入った。 前に自然遺産で申請をして、周辺のゴミなどを理由に認定されなかった経緯があっただけに、富士山周辺地域の方や、申請に携わった方達はほっとしていることだろう。 私も河口湖に20数年前に縁が出来、目前の富士山の神々しい姿にいつも癒やされ、勇気・元気をもらってきた。 この美しく雄大な富士山を1日でも長く眺めていられることが私の願いであり、そのためにも世界遺産と認定されることは私にとっても何にも代え難い喜びである。 認可されることで行政・民間ともに自然保護、環境保全に拍車がかかり、富士山がゴミだらけの汚名も返上できることだろう。 心配なのは、最近囁かれている富士山噴火のニュースである。 噴火は何らかの予兆があって、地震ほどの人災被害はないと思うが、それでも噴火により自然環境が一変し、周辺地域か荒廃し、世界遺産の名に値いしないような景観になってしまうのではと危惧している。 富士五湖が富士山の噴火の溶岩によって川がせき止められて出来たように、噴火の規模は想像を絶するが、溶岩流と火山灰で一木一草なくなり、浅間山の鬼押出しや那須の殺生河原のように、裾野が岩石や硫黄だらけの殺風景な風景になってしまうと思うとぞっとする。 噴火後、今あるような緑豊かな大地を取り戻すには気の遠くなるような歳月を要するだろう。 なんとか富士山がご機嫌をそこねずにおとなしくしていてもらうことを願うしかなく、世界遺産に値いするような美しい景観を末永く保っていってほしいものである。
●5月8日 休み前の日記でも紹介させていただいたが、5月10日から15日まで渋谷西武で久しぶりに私どもが作品を展示することになった。 以前は年に数回は個展を企画し、それなりの成果を上げていたが、景気衰退とともにここしばらくは展示会の機会がなかった。 展示の依頼を受けたのはだいぶ前だったが、どういう展示会か内容が示されずやきもきしていたが、ようやく連休前にその全貌が知らされた。 それによると、7階のフロアーに特設会場を設け、8画廊によるアートフェアー形式で、ブースを区切ってそれぞれの作家を紹介することになった。 参加画廊は東京画廊、ミズマ、レントゲン、MoMoなどで、お得意様を対象とした企画で、大作を展示してほしいとのことである。 西武からの要望で私どもは山本麻友香、鈴木亘彦、柳澤裕貴、岩渕華林の4名が参加する。 8階会場ではルノアールやウォーホールといった著名作家が展示されるようだが、お得意様対象ということで案内状などのインフォメーションもなく、皆様にはこうしたホームページでしかお知らせすることができず申し訳ないが、平日は10時から21時まで、日曜は10時から20時まで開催しているので、お時間のある方は是非ご覧いただきたい。 今一度出品作品を紹介させていただく。
●5月7日 休み明け早々に心臓検査の結果を聞きに病院へ。 最近、気管や食道のある胸の真ん中辺りが詰まるような圧迫感があって、不整脈の兆候かもしれないと言われ、 検査を受けることにしたが、結果は異常は見られず心配ないということで一安心。 ただ念のため、今度は食道の検査も受けることにした。 時々胃液が逆流することがあり、そちらの炎症が原因かもしれないので一応診てもらうことにした。 過去に結石、痛風と痛い思いをしたことがあったが、幸い1日だけの治療で終わり、それ以外は病気らしい病気はしたことがなく、常用する薬もないが、歳が歳だけにそろそろ「がた」がきたかと不安だったが、異常がないことがわかり、ほっと胸をなで下ろしている。 前回の心電図と今日の心電図では若干今日の心臓の鼓動がゆったりしているという。 恐らく、お休みをいただいたことで、ストレス解消になったのだろう。 人間の身体というのは正直なものである。 ●5月6日 自宅の庭にあるマルメロの木と葉と果実を, 輝いている時も、朽ちていく時も、ひたすら描き続ける作者の姿をドキュメントタッチで紹介する映画「マルメロの陽光」でしか知らなかったスペインの画家アントニオ・ロペスの作品を、文化村のザ・ミュージアムで初めて目の当たりにすることができた。 イメージを具現化するのではなく、人物、植物、風景といった実存するものをひたすら追い続けるロペスだが、私はただ忠実にそうしたものを表現するものとばかり思っていたが、筆致は荒くて、決して私が思い描く写実とは違っていた。 テクニックだけで表現するのではなく、見つめ続けること、描き続けることで、血の通ったリアリズムが生まれることをアントニオ・ロペスの作品から伺い知ることができた。 イマジネーションの写実表現では、町田市立美術館で見た野又穣の作品の迫力にも圧倒されたが、今流行りのただ写真の如く描く写実絵画とは一線を画したロペスの作品には、こうした風潮の中で是非見ていただきたい展覧会の一つである。 展覧会のパンフレットの紹介文の一部をを転載させていただく。 ロペスの作品は写真の如く正確に描写した作品と思われがちだが、彼の個性によってだけ可能な不思議な世界を見せてくれる。 彼は、制作に要する、ときには数年に及ぶ長い時間を、彼が見つつ描写をしている樹木の生長、都市の蜃気楼の如く浮かび上がらせる瞬間瞬間の光の変化、家族との日々異なる出来事、こうした限りない無常性の中に不動の真実とも言うべき光が、色彩が、形が現れてくるのだという。 この世界の無常性、人間の無常性は、リアリズム、すなわち常なるものと共にあって初めて真実を生み出すということであろう。 ●4月27日A 今日は展覧会最終日。 明日から平日の30、1,2日も入れて、6日までお休みをいただき、日記のほうもお休みとし、ご報告することがあれば、6日以降に紹介させていただく。 連休明けの10日から15日まで渋谷西武のグループ展に山本麻友香、鈴木亘彦、柳澤裕貴、岩渕華林の4人が出品をする。 11日から25日までは、私共で岡本啓、六本木百合香の個展が始まる。 詳しくは改めて紹介させていただくが是非ご高覧を賜りたい。 また、16日から19日まで台北のヤングアートタイペイが始まり、そちらにも行かなくてならず、この連休で鋭気を養わなくてはならない。 それと皆様にご報告だが、私共のスタッフの島田が結婚をすることになった。 既に内々で式を挙げ、入籍も済ませているが、6月下旬より新居に移り、新生活をスタートさせるので、今後のお引き立てを何とぞよろしくお願いする次第である。 新婦は、私がオークション会社の社長をしていた当時のスタッフで、どこでどう結ばれたのか、縁とは不思議なものである。 西武出品作品(岩渕は制作中)
●4月27日 柳画廊の野呂さんのメルマガにとてもいいことが書かれていたので、転載させていただく。 美術による学び研究会 帝京科学大学で教授をされている上野行一先生が、「美術による学び研究会」という組織を率いています。 会員は美術教師の方々や美術館の学芸員の皆様ですが、私はメーリングリストの方で皆さんの研究発表を楽しみにしています。 私自身が「美術と教育を考える会」というものを発足しようと昨年度より悪戦苦闘しておりますが、なかなか前に進みません。 画商の仲間を中心に教育の現場にいらっしゃる先生方との交流や、先生方を後方から支援する活動ができればと考えています。 美術関係の人たちの縦割りの人間関係は、思ったより強固です。 もっと人材が縦横無尽に交流するようになれば 日本の美術というものは教育の基礎になってもおかしくない教科であると私は信じています。 そんな時に、上野行一先生から1通のメールマガジンが届きました。 素晴らしい内容でしたので、皆様ともこの情報を共有したいと思います。 アメリカの美術館による、学校および市民向け美術教育の現場で何が行われているかというと、「Learning through Art」 ということで、NYのグッゲンハイム美術館では42年もの歴史のあるプログラムです。 小学校にアーチストを派遣して(1学期とか1年という期間)小学生に教えたり、一緒に制作するというプログラムです。 目的は、美術を学校のカリキュラムに統合していくことを目的にしており、簡単にいえば、子供たちの全ての学びに対して美術でサポートするということです。 たとえば、地域のことを調べるときとか、数学を学ぶ時とかに美術を使って学習するということです。 美術という科目は、美術において成果があるというだけでなく、他の教科に対しても成果があるということをグッゲンハイム美術館では発信しているわけです。 その背景には、厳しいアメリカの教育制度改革により美術という教科への予算の削減が行われているということです。 日本はまだ、そこまでではありませんが厳しい状況であることには変わりがありません。 世界中で、資本主義がすすみすぎたせいか、「芸術の力」を目利き出来る人が減少しているのと、仕事の細分化により、業界を超えて力を合わせることが減っていることが原因だと思っています。 「芸術の力」を美術の先生方ととも、美術鑑賞から私たちは何を学ぶのかを真剣に考えていきたいと思っています。 文責 野呂洋子 ●4月26日 昨日はロータリークラブの小旅行で八ヶ岳山麓にある平山郁夫美術館とサントリー白州ウィスキー工場に行ってきた。 前日までの寒さが嘘のように暖かな好天気に恵まれ、新緑の中を仲間とともに楽しい一日を過ごさせてもらった。 平山郁夫美術館では前もって村越画廊さんにお願いしてあったので、学芸員から丁寧な説明をしていただいたうえにお土産まで頂戴してしまった。 シルクロードを生涯のテーマにした平山だが、その取材で訪ねたシルクロードの世界各地の数が半端ではない多さにまずは驚かされた。 平山のシルクロードの大作を見た後、シルクロードに因んだガンダーラ美術を始めとしたオリエント美術のコレクションに案内された。 コレクションの数は2000点にものぼるそうで、その一部のガンダーラの大きな仏像がいくつも展示されていて、コレクションのスケールの大きさにも驚かされた。 日本画家一人で自前の美術館を持ち、これだけのコレクションをするとは、同じ美術業界にいながら、あまりの格差に愕然とさせられる。 次に向かったサントリー工場は東京ドーム64個分の広大な森の中に在り、誰でも自由に見学、試飲ができる。 他にもミネラルウォーターの工場もあり、下戸の私はそちらの方がいいのだが、大勢がウィスキー派では従わざるをえない。 ここでは白州という高級ウィスキーを醸造していて、25年ものは10万円もするそうだ。 工場内は醸造中のウィスキーの匂いが立ち込め、それだけで私は酔ってしまいそうだ。 見学後、皆さんは白州の試飲となるが、私だけ伊右衛門とジュースで、わざわざここまで来て飲む程のものでもない。 帰りのバスでも、皆さんお土産に買った白州が開けられ、家には空瓶だけが届くこととなった。 という次第で、私以外は大満足の小旅行であった。
●4月25日 昨日は、以前に私が入っていたテニスクラブの有志が集まり、仲間の一人のH氏がイギリスに行くことになり、その送別会が開かれた。 当日は私は参加しなかったが、送別ゴルフコンペが開かれ、心配された雨も降ることなくラウンドが出来たそうで何よりであった。 近況報告では、一番の年長のY氏は90歳になるが矍鑠としていて、未だにゴルフ、テニスをやっている。 この歳で、薬も一つも飲むことなく、スポーツ以外にも家庭菜園をやっていて、自ら電動草刈機を背負って雑草取りに忙しくしているそうで、いやはや頭が下がる。 この集まりも、そもそもY氏を囲んでの集まりで、Y氏の人徳もあって長い間続いていて、特に奥様方が多いのもY氏の人気によるところかもしれない。 その奥様方も昔からテニスをやっていた方ばかりなので、皆さんお元気で、ゴルフにスキーにサイクリングや太極拳と活動的な方ばかりで、お歳よりはずっと若く見える。 そうした中で、テニスもやめてしまったし、ゴルフもあまりしなくなった私の近況はというと、料理教室通いですというのがどこか気恥ずかしくて、言いよどんでしまう。 小学校や中高のクラス会にしてもそうだが、女性ばかりが元気で、なるほど平均寿命が大きく違うのも、この歳になると余計に実感させられる。 ●4月24日 先日のボストンの爆弾テロは、長女がボストンの大学にいたこともあって、他人事ではなかった。 小さな子供さんや留学中の学生も犠牲になったという。 もし今娘がボストンにいたら、もしその場所に居合わせたらと思うとぞっとする。 娘がいる時にボストンを訪ねることはなかったが、娘がいたハーバード大学やボストン大学、マサチューセッツ工科大学をはじめいくつもの大学がある学園都市で、環境も治安もとてもいいところと聞いていた。 ただ冬は物凄く寒く、マイナス20度くらいになるそうで、暖かなシドニーから移った娘は大変な思いをしたそうである。 寒い冬が終わり、ようやく春が来て、マラソンを応援する人も大勢戸外に出る頃合を見計らっての、卑劣な犯行である。 事件そのものも許せないが、こうした若者が銃器や手榴弾を簡単に手に入れることが出来るアメリカ社会の現状に憤りを覚える。 おりしも、オバマ大統領が提案した銃規制法案が議会で否決されてしまった。 多くの国民が規制に賛成している中、民主主義のアメリカで何ゆえ民意が反映されないのだろうか。 反対した議員の家族や友人がテロや乱射事件に巻き込まれて亡くなることがあっても、規制に反対し続けるのだろうか。 西部劇の時代じゃあるまいし、自分の身を自分で守るなどという馬鹿げた理屈が通るとでも思っているのだろうか。 もし、簡単に若者が銃器を持つことが出来なかったら、こうした悲惨な事件もおきなっかたのではないだろうかと悔やまれてならない。 ●4月23日 韓国画廊協会の会長ピョウギャラリーのピョウさんから電話があって、10月のアートフェアーKIAFに参加して欲しい旨の電話があった。 また,幹事長の新羅ギャラリーの李社長がわざわざ私を訪ねて来日した。 KIAF設立当初は私が日本での説明会のお膳立てをしたり、当時の会長と主要な画廊を勧誘に廻ったものだが、その後規模が大きくなると、そうしたプロモートも必要なくなって、日本だけでなく欧米の画廊も多数参加するようになるなど、日本のフェアーとは比べようもないくらいに国際的なフェアーに発展していった。 それとともにブースフィーも高くなり、私も昨年はずっと続けてきた参加を取りやめることにした。 今年は更に円安になったことでブースフィーの割高感から日本からの参加を取りやめるところが多くなった。 そんなことから、私に日本からの画廊の参加の勧誘を頼みに来たのだろう。 韓国自体のアートマーケットの状況も決していいとは言えないが、親しくしている会長・幹事からの依頼と、頼まれると嫌とは言えない私の性分もあって、一肌脱ぐことにした。 声を掛けてみようと思う画廊も10軒ほどあるが、参加してみようという画廊さんがあれば、私に言っていただきたい。 何軒かまとめることで先方に何がしかのサービスをしてもらうように頼んでみようと思っている。 ●4月22日 長男の家に5月人形が飾られ、孫も嫁の実家からは陣羽織が贈られてきて喜んで着ている。 季節、季節の行事もだんだん少なくなってきているが、私、息子、孫と三代の5月人形がこうして受け継がれていくことで、日本の伝統が守られていくことを実感する。 出したり、仕舞ったりと大変なことだが、ずっとこうした風習を受け継いで行って欲しい。
●4月21日 冷たい雨の中を町田市立国際版画美術館の「空想の建築」展を見に行ってきた。 何故か版画専門の美術館に立体のコイズミアヤが参加している。 「空想の建築」ということで彼女にも依頼がきたが、版画美術館の企画で、このテーマであれば、イマジネーション豊かにイタリアの古い建物を銅版画に刻む武田史子や都市の廃墟を版で表現する元田久治などにも声がかかってもいいはずなのだが。 貴重なヨーロッパの古版画とともに会場を圧倒するのは野又穣の油彩の大作で、コイズミ同様に異例の抜擢である。 以前に野又が自ら資料を持って売り込みに来て、個展の日程まで決めていながら、袖にされたことがあり、彼の名前を聞くだけで胸くそ悪くなるのだが、作品の力は認めざるを得ない。 その中にあってコイズミの作品も負けじとその存在感を際立たせている。 彼女が作る不可思議な空想建築に目を留める人も多い。 今回の展覧会カタログは大変立派なもので、彼女にとっても貴重な資料となった。 昨年暮れから森亮太、富田有紀子、コイズミアヤと地道に制作活動を続けてきた作家に美術館がスポットライトをあててくれることは大変ありがたいことである。 他にも2、3私のところで発表している作家に美術館からの話がきていて、画廊以外に発表の場を与えられることは、作家にとって大いなる励みとなっている。
●4月20日 今日はまたコートを着なくてはいけないような寒さ。 不順な天気が続き、家内も風邪をこじらせ気管支炎になってしまった。 日曜日に河口湖にある畑の種まきと苗植えの予定だったが、この寒さで夜には雪の予報もあって、急遽延期にした。 4月の中旬を過ぎての雪も珍しいが、これで河口湖の桜の開花も遅れそうだ。 そのおかげで、連休にはソメイヨシノと可憐なフジザクラが一緒に楽しめることになりそうだ。 昨日の日記で、シンワオークションのことを書いたが、先般の東京都現代美術館の閉鎖騒ぎが影響してか、誤報ではとのご指摘をいくつかいただいたが、ネットで確認したので間違いない。 ●4月19日A 横浜で岩渕華林の版画展をやっているので見に行ってきた。 眼科医が経営している画廊と聞いていたが、行ってびっくり。 小さな眼科医院と思っていたらとんでもない。 眼科でこれほど大きい病院はあまり見たことがない。 入り口には2台の送迎バスまであり、画廊の奥にはレストランがある。 更には銀座の日動画廊の並びに分院があり、そこにも画廊とレストランがあるという。 院長本人が絵を描くこともあって、こうした画廊を開くことになったのだろう。 岩渕はここでの公募展が縁で個展を開くことになった。 今までのシルクスクリーンと違って銅版画に挑戦し、今回はこちらを主体の発表となった。 銅版も自分のものにしているが、作品が小さいのとシルクのようなめりはりがないので、シルクと一緒に並べると多少見劣りがしてしまう。 ただ新しいものに挑戦する心意気は良しとしなくてはいけない。 この画廊のすぐそばに「九つ井」という蕎麦屋があって、お店の中には小林裕児の大作はじめとした作品群が所狭しと飾られているので、岩淵展のついでに食事がてら覗かれたら如何だろうか。
●4月19日 お客様からシンワアートオークションがオークション事業の不振から、再生可能エネルギー関連事業に進出するというニュースを聞かされた。 他にも医療コンサルタント事業も手がけるようで、美術品事業からはだいぶかけ離れた分野に進出することになる。 既に大幅なリストラを実行したり、現代美術部門を香港の別会社で運営するなど、業績回復に向けて努力しているようだが、全く専門外の事業を手がける不安は拭えない。 高額の近代美術を得意としていただけに、近代美術の地盤沈下とともに高額品の市場環境が厳しくなったことと、低額品の出品をおろそかにしてきたことで、他のオークション会社に作品が集まってしまうことも影響しているのだろう。 私も一時オークション会社の社長をしていたが、低額の作品を丁寧に扱うことで、高額の作品の出品に結びつくことになる。 お客様は先ずは安い作品から手放し、いい物はできるだけ手元に置いておきたいが、そうした作品も手放さざるを得ない時には、丁寧な対応をしてくれたところに出品しようとする。 心配するのは、シンワが徐々にオークション事業から違う分野に方向転換してしまい、近代美術の受け皿が益々なくなってしまうことである。 近代美術のプロが集まっているシンワの衰退が、近代美術の地盤沈下を更に加速するのではと危惧している。 ●4月18日 わが巨人軍は絶好調である。 独走で、巨人ファン以外が野球離れするのではと余計な心配までしている。 投手良し、打撃良し、守備良しで言うこと無しだが、油断での怪我だけが怖い。 主力が欠場しても余りある戦力だが、好事魔多しで気をつけてもらいたい。 お客様のH氏から東京ドームの巨人戦のプラチナチケットをいただいた。 私が大の巨人ファンという事で、毎年貴重なチケットを分けていただき恐縮至極である。 これもブログで、年甲斐もなく巨人ファンを高言していたことが幸いし、それを見たH氏がお気遣いをいただき、チケットをいただくことになった。 拙文もこういうところで役に立つとはありがたいものである。 野球以外では、吉永小百合のファンであったり、黒木瞳がいいなと思ったりしているのだがぁ〜・・・。
●4月17日 朝一番で病院に行って、身体に24時間つけておく心電図計を装着してもらう。 更に24時間の行動記録をこまめにつけて翌朝また病院に行かなくてはいけない。 装置をつけてもらうだけで緊張するが、それも記録されているのだろうか。 病院を終えて、お客様のところに処分の相談で伺う。 ご自身のご高齢とご家族のご病気もあって、そろそろ処分出来るものは処分をしておこうという相談である。 いくつかの倉庫に分散していて、持っていくだけでも大変だが、お世話になった方だけに何とかお役にたちたい。 年々コレクターだった方から処分のお話が多くなり、買う方から売る方にまわってしまうケースが増えていて、寂しいかぎりである。
●4月16日 今日は一日ディーラーズオークションと懇親会。 相変わらず草間、白髪が強いが、特に草間の高騰は極端で、私が2、3年前に扱った時の4、5倍になっている。 先日も台湾の画廊が来て、草間をまだ買った方がいいかと聞くので、作品を持ってるなら、買うより日本のオークションで売ってしまったほうがいいと答えた。 作品の数もさることながら、図柄のバリエーションも限られていることから、下がりだしたら、どっと行くような気がしてならない。 ●4月15日 アベノミクス効果で市場が上向きになっているということで、私達も何よりのことと思っている。 日銀は白から黒に大きく転換し、量的緩和に向けて大きく舵を変える事になったが、金融機関にお願いしたいことがある。 以前のバブルのように担保があれば、何の能力もない人や安心な大企業に貸し出すではなく、中小企業や我々のような零細企業に是非目を向けていただきたい。 まだ発展途上で担保も資金もないが、能力と意欲があって、今後の成長や発展に期待するようなところに資金を提供してはいかがだろうか。 担保があれば何でも貸すでは子どもにも出来ることで、バブルの時の博打打ちのようなファンドばかりに資金が行ってしまい、結果は総量規制で株などの金融商品や不動産、美術品の暴落を招き、本来育てなくてはいけないビジネスの成長に何も寄与することがなかった。 私達も今後の成長を期待して若い作家達の発表を続けているわけで、金融機関も将来に夢を持たせるような仕事を是非していたがきたい。 政府も日銀もそういう方向性を持って金融機関を誘導していただき、虚業ではなく、実業を繁栄させることで、本当の意味の景気回復に繋げていって欲しい。 ●4月14日 高校のクラス会が麻布十番のさぬき倶楽部で開かれた。 この建物は幹事役の父上で伊勢神宮神楽殿、国立能楽堂などの建築で知られる故大江宏氏の代表建築の一つである。 残念ながら、その幹事を務める本人が20日ほど前に急逝し、ゆかりの会場で彼を偲びながらの会となってしまった。 私達のクラスは彼を含め9名が亡くなっていて、ほかのクラスに比べてもあまりに多い。 クラス会以外にもゴルフのクラスコンペを年に数回やっていたり、飲み会、食事会など頻繁に行われていて、卒業後50年に喃々としているのだが、長い友情が続いている。 それだけに一人欠け、二人欠けは無性に寂しい。 あり難いのは、毎回出ていただく担任の平田博則先生は86歳にして、まだまだ矍鑠としていることである。 先生は一昨年、84歳で日本アマチュア囲碁選手権に優勝し、世界選手権の日本代表となられた。 1995年にもその世界選手権で優勝し、他にもアマ本因坊、アマ十傑戦などの優勝は16回を数え、アマ四天王の一人といわれていた。 70代になると若手の台頭もあって優勝から遠ざかっていたのだが、84歳にして復活したのは見事というほかない。 決勝の相手は20代の若者だったというから、この優勝はまさにギネスブックに載っていいほどの快挙であった。 我々とは頭の中身が違うが、こうして囲碁で頭を使っていることが元気の秘訣なのだろう。 出来れば、もう1回は選手権で優勝したいと挨拶でも言っておられたが、その意気だけでも大したものである。 もしかして、我々クラスは先生に精気を吸い取られているのかもしれない。 来年は一人も欠けることなく集まりたいものである。
●4月13日 夏の公園の暑い日差しの中、どこか遠い記憶の中に蘇る光景。 柳澤裕貴はそんな情景を慈愛溢れる眼差しで描き続けている。 丁度2年前の忘れもしない3月11日の東日本大震災の日が前回の柳澤展の初日であった。 当時、中にいたお客様とスタッフに声をかけ外に出たが、恐ろしさで震えている私達を尻目に、一人のお客様が再び画廊に入っていって、この作品を買いますと言って帰って行かれた。 入り口のガラスが割れていて、怪我をしないか気が気でない中、更には余震で揺れている中で、作品を選ぶ胆力には驚かされると同時に、こんな時に買ってくださるお客様がいるとはどれほど有り難い事かと感激したものである。 その後柳澤は韓国のフェアーに出かける折にも、台風で電車に閉じ込められたり、ソウルでも大雨にあい、途中でバスを降りて飛行場まで歩かされたりといった災難が重なっているだけに、今回はミサイルがこちらに飛んでこないことを祈るばかりである。 今日から27日までの開催となっていて、地震にもミサイルにもまけず、ひたすら皆様のお越しをお待ちしている。
●4月12日 何年ぶりだろうか。 昨日一日高い熱が出た。 お腹の具合も悪く、トイレに一時間おきに行く始末でヘトヘト。 あまりひどいので医者に診てもらったら食中毒だという。 思いあたるふしはないが、あるとすれば日曜日に子供達家族と食べた手巻き寿司の貝ぐらいだが、私以外は誰も具合が悪くなったものはいないので、何が原因なのかはさっぱりかわからない。 大阪の画廊に勤めていた頃に赤貝にあたって一週間寝たきりだったことがあったが、今回は一日で熱も下がり、お腹も良くなっていて、食中毒がそんなに簡単に治るものだろうか? 鬼の攪乱に違いない。 ●4月11日 ここしばらく疎遠になってしまったいくつかの画廊のオーナーさんの訃報を最近知ることになった。 泰明画廊の創立に携わり、その後独立した安達氏が亡くなった報せは作家のH氏から入った。 泰明画廊の前身の横浜梅田画廊を大学時代からの友人であった川田氏と設立し、その後銀座に進出し、二人三脚で泰明画廊を発展させていった功労者である。 昨年逝去した川田氏の葬儀の折に、お会いし声をかけられたのが最後となってしまったが、その川田氏を追いかけるように亡くなってしまった。 その訃報を前後して、お客様からお二人の女性オーナーが亡くなられたというお話を聞かされた。 お一人は、ギャラリーキマイラの大岩さんで、昨年亡くなられたそうである。 田園調布に近い高級住宅街の一角に画廊を構え、30年前に小林健二に出会ったのも、ここでの展覧会がきっかけであった。 ご自宅の生活空間の中に作品が展示されるているのだが、我々レベルの生活空間とは大きく違い、豪邸と広い緑の庭に作品が展示されている様は、芸術品は場所を得れば益々輝くことを教えてくれた。 その後は美術館などでお目にかかる程度で、お話しする機会もなかったが、小林健二展の前にもキマイラでは望月通陽や岡田露愁といった私どもとなじみの作家の展覧会を開いていることもあって、その思い出は尽きない。 もうお一人は、銀座の小松ビルにあった史染抄ギャラリーの山田京さんで、お京さんと呼ばれて多くの方から慕われていた。 お京さんには京橋にギャラリー椿を設立した当時大変お世話になり、最初のスタッフもお京さんの紹介であった。 オープンに際し、お京さんが自ら染めてくれた沢山の風呂敷を持参していただき、今でもその風呂敷は使わせていただいている。 その後、私には全く思い当たる節がないのだが、何かの行き違いがあったのだろう、顔を合わせても挨拶もせずに私の前を行き過ぎてしまうようになった。 私はずっと気にしていたが、そのままにご縁も遠くなり、こうして亡くなられた報せを聞き、ご恩返しもできないままに時を経てしまったことが悔やまれてならない。 それぞれの方のご冥福をお祈りさせていただく。 ●4月10日 私どものビルの2階に銀座の画廊が移転してくるのは以前に日記でも紹介させていただいたが、大家さんが3階にも画廊が入って来るかもしれないと言って来られた。 隣のビルのオープンに呼応するかのように、この界隈は美術商が集まるアートのメッカになりつつある。 新築のビルにもサントリーやブリヂストンが入る予定で、それぞれが美術館を持っているので、その分館でも出来ると尚更いいのだが。 とりあえず、新しいビルの名前が東京ガーデンスクエアーなので、それに因んで、勝手にこの界隈を京橋アートスクエアーと呼ばせてもらうことにした。 この名称が京橋界隈のように一人歩きしてくれるといいのだが。 ●4月9日 私共で紹介をしている二人の作家の展覧会のお知らせ。 4月8日から20日までFEST・ART・OSAKA・2013が大阪の20画廊が参加して開催され、コウイチ・ファインアーツのHarmony・平和展に山本麻友香の新作を1点出品している。 平和をどのように表現しますかというテーマでアーティスト17名が参加していて、興味深い展覧会である。 山本麻友香のコメント。 『本の文字を食べる衣魚という虫がいる。 見つけてつぶそうとすると、その虫が命乞いをするという文章を読んだことがある。 いちばんおいしい文字をお教えするから殺さないでほしいと。 「その文字は [unpeace](平和の欠落)・・・。」と言って虫はそそくさと逃げて行く。』 会期中に同じ時期に大阪で開催されている服部知佳展もあるので、一度行ってこようと思っている。
もうひとつは、私どもでも紹介をしている韓国の写真家・イソルジュの個展が四谷のルーニィ・274フォトグラフィーで4月9日から21日まで開催されている。 オープニングに行ってきたが既に何点か売約となっていて、大変好評のようだ。
●4月8日 海外のフェアーがまだ先と思っていたが、お尻に火がついてきた。 5月に台北のフェアー、釜山の山本麻友香の個展、終わって6月に同じく釜山のフェアーと続くが、作品を早めに送らなくてはならず、準備を早めなくてはいけない。 飛行機のチケットやホテルの予約、通訳の手配なども早めに済ましておくにこしたことはない。 ただ画廊でもそれまでに4、5、6月に9名の個展が予定されていて、その上、大阪での個展やグループ展、百貨店の企画など目白押しで、気も身体も休まる暇がない。 心臓が痛いなどと言ってる場合ではなくなってきた。 ●4月7日 日曜日だが、東京美術倶楽部で全国美術商連合会の理事会があって出かける。 美術商の全国組織なのだが、会員の増強がままならないでいる。 会自体は立派な活動をしているのだが 、その認知度が行き渡っていないのと、文化行政に対しての関心の低さがその因のようである。 今年度の活動計画では、わが国の文化政策及び文化行政改革の提言を積極的にしていこうということで、伝統芸能や映画、演劇、音楽等の15団体が加盟している文化芸術推進フォーラムに参加し、文化芸術振興条例の制定を促進し、同時に文化庁から文化省への格上げを請願していく。 昨年立ち上がった文化芸術を考える議員連盟(代表・甘利明、自民党から河村建夫、谷垣禎一、林芳正など7名、民主党から野田佳彦、前原誠司など6名、公明党から大田昭宏など2名、維新の会から藤井孝男1名の合計17名)との連携を深め、文化芸術基本法の制定を目指す。 昨年のチャリティーオークションの収益1億2700万円を使い、東日本復興事業への継続支援を行うとともに、東日本の海岸300キロにわたって、瓦礫を混ぜた土の上に植樹をして、緑の防潮堤をつくる「森の長城プロジェクト」を今後10年支援をしていくといった活動案が承認された。 全国美術商連合会とは別に、昨年設立された全国美術商懇話会は政治団体として活動し、文化関連の諸条例の改正に向けての陳情をしていくことも決議された。 こうした活動の先頭に立つ会長、副会長をはじめ役員の方たちは、全くのボランティアで多忙な仕事の最中を縫って動いていただいている。 以上のような活動をしているので、是非ご理解をいただき、全国の未加盟の美術商に会員になっていただき、文化行政改革の大きなムーブメントになれるよう協力を仰ぎたい。 ●4月6日A 台風並みの大雨と強風が午後から吹き荒れると数日前から予報が出されているが、現在4時半、未だ僅かに雨が降っている程度でさほどでもない。 木曜日の嵐の様な天気もあって、今日は開店休業と覚悟していたのだが、今のところ拍子抜け。 お客様もそのつもりで来たのか、お昼過ぎまでは賑わっていたが、今はひっそりとしている。 冬もそうだったが、大雪の予報が何度も外れて、気象庁は狼少年かと思っていたが、今日もそうだと営業妨害で文句の一つも言いたくなる。 それでも、夏目展もおかげさまでほぼ完売で、来週見に来たいというお客様がもし購入してくださると文字通りの完売になると獲らぬ狸の皮算用をしている。 屋敷展も好評で、朝のうちに何点かご予約をいただき、来週も夏目展にあやかって売り上げが伸びることを期待している。 ●4月6日 京橋の高架下にそれぞれが違う形の橋の欄干の擬宝珠が設置されているのをご存知だろうか。 京橋は明治8年(1875)、江戸時代の木造の橋より、石造単アーチ橋へと架け替えらた。 現在、その時の親柱2基と大正11年(1922)に設置された照明設備つき親柱1基が中央通りの歩道に建てられている。 京橋川は昭和34年に埋め立てられ、京橋も撤去されたが、明治・大正の京橋の姿をしのばせるものとして残されている。 親柱をイメージしたユニークな屋根のある交番が、親柱のすぐ横にあるので、一度見比べてみたらどうだろうか。 更には、京橋の交差点に出来た新築ビルのてっぺんの塔も同じように親柱をイメージしたようだ。 京橋地区では、都市再生計画として、京橋と銀座を分けている高速道路を地下化し、暗渠となっている京橋川を昔の形に再生し、自然の景観を復活させようとの計画が練られている。 私が生きている間には無理だろうが、ボストンやソウルで成功した川の再生が成功する日が来ることを祈っている。
●4月5日B Yoshiaki Inoue Galleryのイベント。 関西初の服部知佳個展今日から始まる。 服部知佳/Chika Hattori -wakeful night- オープニングパーティ Chika Hattori solo exhibition reception party 今日 17:30 〒5420085 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-3-10
●4月5日A 明日から4月20日までギャラリー椿GTUにて屋敷妙子個展が始まる。 新潟日報に連載された姜信子の「カシワザキ」の挿画を1年間担当し、その時の作品に新作を加え発表する。
●4月5日 ご本人からのメッセージですが・・・? もうこの件を日記で書くのは馬鹿馬鹿しいので止めにする。 名古屋覚からのメッセージ 「本誌発行日には」(4月1日のこと)とヒントまで書いたのに、世界で楽しまれているエープリルフールのジョークが分からない方々が美術館や文化行政や報道に携わっていたり、美術に関心を持っていたりするらしいこと、また中には実際の記事も読まずにツイッター等の情報をうのみにする方々もいるらしいこと、そしてそれ故、このたびそうした方々をお騒がせしてしまったことは、大変遺憾であります。 わが国の社会や美術界の特異性を示す現象かもしれません。 あるいはジョークの内容が、ひょっとしたらあり得るかもしれないと感じさせるものだったのかもしれません。 5月号以降の私のページでは、その辺りのことについて考えてみようかとも思います。 なお、東京都現代美術館に対する私の評価の一端は、本誌1月号「評論の眼」で示してあります。 名古屋 覚 ●4月4日B 昨日までの雨が嘘のようないい天気で春を実感。 画廊の窓から見る東京ガーデンスクエアーの木々の緑がひときわ濃くなってきた。
●4月4日A 日記に書いた長嶋・松井の国民栄誉賞で次のような記事が載っていたので紹介させていただく。 何かきな臭いと思っていたのだが。 長嶋・松井 国民栄誉賞ダブル受賞への何故!?(玉木 正之) 長嶋茂雄氏と松井秀喜氏が国民栄誉賞を受賞した……とのニュースを聞いたのは、大阪のTV番組に出演中のことで、そのとき、出演者は全員、一声に、「なんで?……今ごろ?……」と驚いた。 なぜ、今……? それが、今回の受賞に対するナチュラルな反応である。 ミスター・プロ野球と呼ばれた長嶋氏は、今日のプロ野球人気を築いた第一人者であり、国民栄誉賞という賞が存在するなら、プロ野球界では、最も受賞に値する有資格者と言うことができるだろう。 松井秀喜氏も、ヤンキースでのメジャーでの活躍を評価するなら、もちろん受賞する資格はあると思われる。が、ならば、メジャーへの扉を開いた野茂英雄投手は、なぜ受賞できなかった?……との疑問が湧く(プロ野球界以外にも、柔道のオリンピック3連覇の野村忠宏氏や、漫画家の手塚治虫氏など、受賞して当然といわれながらタイミングを失して(?)または、政治的理由で(?)、受賞していない人は少なくない)。 早い話が、5月5日の子供の日に東京ドームで行われる、松井秀喜氏の引退セレモニーに花を添えるため、政界(自民党)と強いパイプを持つ読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆のナベツネこと渡邉恒雄が働きかけた結果……と、邪推するほかない。 そういえば、2002年にナベツネ氏が球団数を削減して「10球団1リーグ化」への移行を画策し、プロ野球界初の選手たちによるストライキが行われたとき、当時民主党の幹事長だった(ように記憶してるが…?)仙谷由人氏から電話があり、ストライキの事情とプロ野球界の現状解説に呼ばれたことがあった。 そして説明したあと、選手会のストライキに協力する、と宣言されたので、何故? と訊いたところが、「ナベツネとナカソネの間に楔を打ちたいから」と、正直な答えが返ってきた。 プロ野球選手会のストライキを支持する署名が(たしか)数十万票も集まったのは、民主党が動いたおかげだったが、当時選手会のストライキを支持していた小生は、少々複雑な気持ちになったものだった。 ナベツネにしろ、反ナベツネにしろ、プロ野球が政治に利用されていることに不快感を感じたのだ。そして、今回の国民栄誉賞も……。 王貞治氏が、日本のプロ野球記録として、ハンク・アーロンのホームランのメジャー・リーグ記録を凌駕したことをきっかけに始まった国民栄誉賞。衣笠祥雄氏も連続試合出場記録で、かつてのメジャーの記録を上回って受賞した。 そして今回の松井は、メジャーでの活躍で受賞。日本人の優秀な選手はアメリカへ渡って活躍する時代……日本のプロ野球は大リーグの下部組織に成り下がったのか…これは、TPPという名の「国際化」を先取りした姿なのか……? ●4月4日 名古屋氏のコラムについて、東京都現代美術館と月刊ギャラリーが次のようなコメントを出したので紹介させていただく。 お騒がせもこれで一件落着だが、名古屋氏はどのように対応するのだろう。 当館に関する『月刊ギャラリー』の記事について 『月刊ギャラリー』4月号に掲載された美術ジャーナリスト名古屋覚氏の記事『評論の眼』において、「東京都現代美術館を閉館し、(中略)「クールトーキョーフォーラム」を同館建物内に新設する方針を、東京都はこのほど固めた。収蔵品売却と美術館清算のために必要な条例案を年内にも都議会に提出するという」という記載がなされ、報道各社や心配された方々から当館に多数の問合せが寄せられております。 名古屋氏の記事のうち当館に関する部分につきましては全くの事実無根であり、閉館の予定などはございません。 「月刊ギャラリー」編集部に対しては、現在、強く抗議しているところでございます。 当館は現在、メンテナンス及び次回展覧会開催準備のため休館をしているところですが、4月6日(土)からは「フランシス・アリス展 第1期 MEXICO SURVEY メキシコ編」、「桂ゆき―ある寓話」展、「MOTコレクション」展を開催させていただきます。 引き続き皆様には安心して当館にご来館いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。 東京都現代美術館 名古屋覚の記事に対するお詫び 月刊ギャラリー2013年4月号、「評論の眼」71ページ・下段の<…、書や工芸などわが国の伝統美術を同時に紹介する「クールトーキョーフォーラム」を同館建物内に新設する方針を、東京都はこのほど固めた。収蔵品売却と美術館清算のために必要な条例案を年内にも都議会に提出するという。本誌発行日には周知のことになっているだろう。> という文章は、弊誌4月号が4月1日発売であることから、著者がエープリルフールのユーモアとして書いた評論文の一部で、記載された内容は事実ではありません。 この表現のため、一部の方々に予期せぬ誤解を招いてしまったことを反省し深くお詫び申し上げます。 月刊ギャラリー編発発行人 本多 隆彦 ●4月3日A 度々で恐縮だが、例のギャラリー4月号の名古屋覚氏の東京都現代美術館閉館と所蔵品売却のコラムはエイプリルフールのジョークと本人が言っているそうだ。 4月1日発売となっているが、配布されたのは一週間前でエイプリルフールのジョークとは思わず、まともに信じた私が愚かだった。 私の日記でお騒がせしたことをお詫び申し上げる。 名古屋氏の歯に衣着せぬ美術批評にはいつも敬服していたが、今回のことでその評価も怪しくなってきた。 現代美術館批判をこのように公の雑誌を使って悪ふざけの材料にするのは決して許されることではない。 これに対応せざるをえなくなった、美術館や東京都の関係者、ギャラリーの編集部、そして読者ににどう申し開きをするのだろう。 2チャンネルやツイッターの書き込みとさして変わらないこの所業に対し、強く批判させていただく。 ユーモアーとかジョークはもう少しスマートにやってこそ、それを聞いたり読んだ人の心を和ませるものなのだが。 ●4月3日 4月1日から長い間閉鎖されていた銀座線京橋駅の3番出口がようやく18日にオープンする東京ガーデンスクエアーに直結した。 改札を銀座に向かって右に出ると、いきなり開放的なガーデンスクエアーの広場に出る。 見違えるような広々としたスペースで、いつも有楽町線の銀座一丁目駅を使っている私だが、しばらくは京橋駅で乗り降りしたいくらいだ。 レストランも21店舗入るようで、お昼や夜の賑わいがこのあたりの様相を一変させるに違いない。 1,2階の広大のスペースはアウトドアスポーツ店が入ることになっていて、アウトドアスポーツ好きの私には何よりのお店で、その開店が待ち遠しい。 ビルの周りも木々の緑と色とりどりの花に包まれ、自然を生かした環境が素晴らしい。 しばらく塞いでいた私共のGTUの道路側のパネルを取り払い、窓越しに隣りのビルの植栽の美しさに暫し見とれている。
●4月2日B ギャラリー4月号の名古屋覚氏の東京都現代美術館閉館のコラムを私の日記に引用したが、真偽がわからず、4月発売ということでエイプリルフールではと物議を醸している。 建物修理のために休館はするようだが、本当のところはどうなんでしょうか。 ツィッターでも話題になっているようで、次のようなことがツィートされていた。 「月刊ギャラリー」名古屋覚氏のコラムにあった東京都現代美術館コレクション売却?の件。 都の文化振興部(村田氏)に問い合わせたところ「全く寝耳に水の話しで、何を根拠に書いたか分からない。 現代美術館も取材は受けていない」とのことです。
●4月2日A 長嶋茂雄元巨人軍監督と松井秀喜元巨人軍選手が国民栄誉賞を受賞することになり、誠におめでたいことだが、どこかすっきりせず、素直に喜べない。 まずは、先の大鵬もそうだが、長嶋監督が何故今なのという思いが非常に強い。 大鵬が亡くなってからなので、慌てて長嶋監督もとなったら、それは長嶋監督に大変失礼だし、有り難さも半減してしまう。 松井も素晴らしい成績を残した愛すべき,私も大好きな選手だが、長嶋監督の偉大さに比べるとまだまだ小さい。 選手としてだけではなく、指導者としての器はまだ量りようがなく、長嶋監督のような実績は全くない。 それを抱き合わせであげるとなると、長嶋監督に申し訳ないような気がしてならない。 長嶋監督はさすがで、一緒にもらうことを大変喜んでいるとコメントしているが、順番というものがあるのではないだろうか。 日米で活躍したとなると野茂もそうだし、記録ということとなると、金田や野村、落合も対象となるだろう。 技術点ではなく、人柄という好感度が採点対象となったのだろうが、実績から言うと、そうした先人に比べるといかにも早いような気がしてならない。 松井が長嶋監督と一緒にもらうのは恐れ多いし、それをもらうような成績を残していないので辞退すると言ってくれると、松井株もあがると思うのだが。 確かイチローは若いのでと言って、打診があってもずっと辞退しているように聞いている。 安倍総理大臣も私の高校の後輩ということで大いに応援し、今の政策も支持しているが、この決定が参議院選挙目当てのことだとしたら、ちょっと首を傾げる。 もし、そうした思惑があったとしたら、長嶋監督、松井選手にも大変失礼なことではないだろうか。 大の巨人ファンだけに敢えて言わせてもらった。 ●4月2日 今日は花散らしの雨。 開花宣言から2週間を超えて頑張ってくれていた桜の花もいよいよ見納めのようだ。 ブログやフェースブックにとてもいい言葉が書かれていたので引用・紹介させていただく。 YUKO'DAIARYより・・・ 金八先生の言葉。 『幸せを掴みに行って、幸せを掴んだ人はいません 幸せは感じるものです』 私流に解釈して、アートに置き換えてみると、 アートを理解しようとして、理解した人はいません。 アートは感じるものです。 M・Uさんのフェースブックより 美術評論家の中野中先生の言葉。 『技術があれば絵は描ける。 が、思いがなければ作品にならない。 思いとは、今生きてここに在るということ。 つまり日々積み重ね。 その年輪の襞に刻まれた陰影。 その陰影から生まれる思いこそ、明日につながる今の核心となる。』 私も全く同感です。 若い作家達もこれから幾多の人生を歩みながら、アートをより深めていって欲しい。 ●4月1日 4月1日は年度始めで入学式や入社式もあり、気持ちも新たに第一歩を踏み出す人も多い。 私も30年前の3月に父親の画廊を辞めて、一人でやっていこうと決意した日が4月1日だった。 何の準備もなくいきなりのことで、その上3番目の子供をお腹に抱えていた家内には大変な苦労をかけた。 開業資金もままならない中の新たなスタートだったが、幸い応援してくださるお客様や画商、作家の皆さんのお陰で9月には京橋にスペースを持つことが出来、ギャラリー椿としてスタートすろことができた。 そんなわけで、4月1日というと、今でも感慨深いものがある。 ただ、その頃は桜を愛でる余裕もなく、冬が終わり春の麗らかな季節に変わる喜びに浸る間もなかった。 昨日、家内とともに長男夫婦と孫を連れて、散歩がてら近くの駒場公園に桜を見に出かけた。 旧前田侯爵邸の豪壮な建物と庭一杯に拡がる桜の花の取り合わせは、それは見事である。 訪れる人も少なく、静寂に包まれた中、、当時を思い出しながら、こうして家族一緒にゆっくりと桜を愛でる喜びに浸っていた。 |
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