ギャラリー日記

ご感想はこちらまで


12月29日

昨夜はスタッフ達と馴染みの天ぷら屋さんで忘年会。
食べきれないほどの料理に今日は胃が重たい。

忙しい一年を勤め上げたスタッフには感謝感謝である。 昨年長く勤めたスタッフの一人が独立をし、週に2日ほど来ていた娘も子供が生まれて、しばらくは産休となり、その分残りの二人のスタッフに負担をかけてしまった。
その後、バイリンガルの女性がアルバイトで週に3日ほど来てくれるようになったが、忙しさは変わらず、慌しいままに一年が過ぎてしまった。

作家の皆さんにも感謝である。 今年個展を開いた作家さんの殆どが仕事を持ちながら、徹夜の連続で作品を仕上げ、素晴らしい作品を発表していただいとことはこの上ない喜びで、感謝しても仕切れない思いである。

こうしたスタッフや作家さんを支えてくださったのが、もちろんこの一年大変お世話になったお客様であることは言うまでもない。
不況といわれる中で、お客様のアートに対する熱い思いがあればこそ、こうした作品をお持ちいただけたことを思うと、私たちはその思いを真摯に受け止め、来年への糧としなくてはならない。
一年の終わりに改めて心からの感謝を申し上げたい。

感謝・感謝・感謝でこの一年を締めくくるとともに、皆様にとって来る年が希望に溢れる素晴らしい年になるよう切に願い、一年のご挨拶とさせていただく。

尚、12月30日より1月8日までお休みをいただき、1月9日から幕開けとさせていただき、1月12日より「望月通陽展」を開催させていただく。
日記の方もしばらくお休みをいただき、3日からは長女一家が住むシドニーに出かけるので、その様子などを改めて報告させていただく。

どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。

12月28日

雪の降りそうな天気だが、画廊も後一日で冬休み。

今年もGT2を含め25の個展を開催し、夏には恒例のオークション、海外のフェアーも6回と多忙な一年となった。

海外の活況に比べ、国内市場は私がこの仕事に入って45年で経験したことのない冷え込みとなった。
消費の落ち込みとデフレスパイラルによる価格の下落、その上に従来からの価値観が大きく変わり、近代美術、抽象絵画、版画の需要が減少したことは過去の美術不況にはなかったことである。
ただ今までだと、不況の時は美術業界全体が落ち込むのだが、価値観が多様化する事で海外需要による一部作家の高騰、それに連動する若手作家への関心の高まりといった面があり、そこにシフトとした画廊は逆に業績が上向いたようだが、これも投資含みの需要であって、決して長続きするとは思えない。

幸い私のところは市場とは関係ないポジションにいたことと、従来から若手作家を紹介する姿勢を保ってきたことが幸いし、決して喜ぶほどの数字ではないが、昨年度の決算よりは上向きとなったことは何よりであった。
とはいえ、震災以降画廊への来場者がかなり少なくなったことと、長い間お世話になってきたお客様の高齢化など頭の痛い面も多々ある。
こうしたことを踏まえ、来年に向けて更なる魅力ある作品を紹介していく事、春には再開発による周辺の環境が一変する事もあって、気楽に入りやすい画廊を目指すことで、新たなお客様にもご来場いただけるよう、作家の皆さんの協力も仰ぎながら努めていきたいと思っている。

政権が変わり、経済に明るい兆しが見えてきたことは喜ばしいことで、来年こそは皆様にとりましても、私どもや業界にとっても良い年となるよう願っている。
皆様にも何卒画廊に足をお運びいただき、旧来にも増してのご支援をお願い申し上げる次第であります。

12月27日

第2次安倍政権が誕生し、株も円も期待通りに変動し、経済に明るい兆しが見えてきた。
金融緩和、円の発行量を増やしてインフレ傾向に舵取りをし、円安による輸出力の増大を図るということを、だいぶ以前から日記にも書いてきたが、自民党政権でようやくその方向性がはっきりしてきた。
元々日本の経済成長は輸出力によるもので、トヨタ、ソニー、パナソニックなどが世界企業になりえたものが、円高により韓国・中国に取って代わられ、平成不況につながったと言っていいのではないだろうか。
もちろんバブル期のように、技術力や輸出力ではなく、金融資産など虚業による好景気のような事態になると、後には何も残らないが、実業によって経済を再生し、次世代の資産となるようなインフラ整備に事業を拡大すれば、雇用も安定し、国力も一層高まるのではないだろうか。
そして余剰金が出来た時には、ようやく文化にもその目が向けられるようになる。
経済発展があってこその文化興隆であり、そのことは内外の歴史が物語っていて、一日も早く経済復興を軌道に乗せて欲しいものである。

12月26日

痛風の痛みも薬を飲むと一日で消えてしまい、薬の効果は絶大。

今朝は血液検査の結果を聞きに行ったが、尿酸値も高くなく、原因がよくわからないとのことで、じゃあどうしてと腑に落ちないまま帰ってきた。
取り敢えずはビールやレバーといったものを控えるようにと言われたが、酒は全く飲めないし、レバーやイクラといった痛風に悪そうななものも好みではなく、滅多に食べない。
一応尿酸値を高めるプリン体が含まれる食品を出来るだけ控えることにしようと思うが、多分今まで通りの食生活と大して変わらないと思う。

病気らしい病気をあまりしたことがない私だが、以前にシンガポールで突然襲った尿官結石と今回の痛風が病気と言えば病気なのだろう。
どちらも激しい痛みを伴うだけに、よりによって数ある病気の中からこの二つだけが私に取り付いたのは、日ごろの行いのせいなのだろう。

幸いどちらも治療や薬のおかげで一日で痛みは消えてしまい、病気というほど大げさなものではないのだが。

まあ年が年だけに、健康を侮ってはいけませんよという天の声なのかもしれない。

12月25日

クリスマスの連休は家庭サービスで、23日はグローリー・ゴスペルシンガーズのコンサートに行って、抜群の歌唱力とハーモニーに圧倒されてきた。
イブは子供たち家族が集まり、手料理でクリスマスパーティーを。
孫たちが出来てからはやれ誕生日だクリスマスだとやけに我が家も忙しくなってきた。
年明けも、シドニーにいる長女家族を次女家族と一緒に訪ねることになっていて、こちらも孫達と賑やかな正月を過ごすことになりそうだ。
シドニーは夏真っ盛り、時差も無く、寒い日本を離れるには絶好の場所だが、ゆっくりは出来そうにもない。



12月22日

昨日は美術館に早く着いたこともあって、近くにある白鳥の飛来地で知られる多々良沼まで散歩がてら行ってみることにした。
行って見ると、たくさんの水鳥に混じって白鳥が優雅に泳いでいるではないか。
野鳥の会の端くれとしては、これはまたとない機会と写真を撮ろうとしたが、2,3枚撮ったところで電池切れ。
鳥達は一斉に私に向かって集まってくる。
恐らく餌をもらえるとでも思ったのだろうか、これだけ野鳥が人を怖がらずに集まってくるのは珍しい。
間近での写真が撮れないのは残念だったが、身近に鳥達に触れることが出来たのは大収穫であった。
ところがである、朝から何となく痛かった足の親指がかなりの距離を歩いたことで、我慢できないくらいの痛さになってきた。
周りには車も無く、仕方なく痛い足を引きずり、美術館に戻ることにした。
足の指を捻ったわけでもなく、どこかにぶつけた記憶も無いのに、どうしてこんなに痛くなったのか解らない。
家に帰って湿布でもすれば治るだろうとたかをくくっていたが、朝になっても痛みは消えず、近所の医者に診てもらうことにした。
見た途端にこれは痛風ですと簡単に言われてしまった。
原因がわかって良かったのだが、酒も飲まない、美食家でもない、今までの検査でも尿酸値が高いとも言われたことがないだけに、どうしてとの思いが強い。
薬を飲めば明日くらいには痛みもひくが、いつ再発するかわからないので気をつけるようにと言われ、しょんぼりと帰ってきた。
無縁と思っていた生活習慣病の一つと言うことで、かなりのショックである。



12月21日

群馬県立館林美術館での森亮太没後20年「石の鼓動」展のオープニングレセプションに行ってきた。
前にも日記で触れたが、赤城山に新しいアトリエを建て、アトリエ開きの前日に交通事故で41歳の生涯を閉じるという無念の死であった。
私どもで個展を開催し、大きなモニュメントの注文があったりで、大作を制作するにはどうしても広いスペースが欲しくて、ようやく念願がかない、広いアトリエを持つことが出来た直後の死であった。
その後私どもで遺作展を開くために、そのアトリエを訪ねたおりには、主を失ったそこには作品だけが虚しく並んでいて。思わず涙が溢れたことを昨日のように思い出される。
それが20年経ち、こうして美術館で開催出来ることは万感の思いである。
石とは思えない温かみのある作品が一室に並ぶ様は、外の美しい景色と相俟って、赤城山のアトリエで見た情景と重なり、あたかも彼自身がそこに佇み微笑んでいるように思えてならなかった。
交通の便が悪いところではあるが、是非とも見ていただきたい展覧会である。



12月20日

昨日はテグで横田尚を買ってくれたまだ30代半ばの若くて美人の韓国の画廊さんが来廊。
横田も一緒に来てもらい、築地のお寿司屋さんへ。
韓国も不景気で大手の画廊が縮小したり、給料の遅配があったりで大変らしい。
丁度、大統領選の日にあたり、こうした状況下だけに彼女も気が気がでない。
格差社会の是正を謳う野党候補が選ばれると、画廊業界はかなりの打撃を受けることもあって、かなり心配していたが、予想よりも早くにパク候補の当選が決まり大喜びであった。
熱くなるお国柄だけに、選挙戦も熱気を帯びていて、投票率もかなり高かったようだ。
それと政権が変わると死刑判決や自殺者が出るなど、天と地の開きがあるようで、お父さんも暗殺されたり、朴さん自身も暴漢に切りつけられたりと大統領も命がけである。
日本のようにこれだけ国難のときにあっても、多くが無関心で投票率も低いと、アメリカや韓国のように日本も国民投票による大統領制に変えたら、もう少し政治に関心を持つ者が増えるかもしれない。

12月19日

石巻市の創業147年の歴史を持つ「かめ七呉服店」の津波にあった着物を縁あって譲り受け、洗って、匂いをとって、縫って、リメークしたドレスを音楽家のコンサートの折などにリースをして、被災地の皆さんの心を伝える活動をされている橋爪ご夫妻が小林展にお見えになった。
小林裕児もリメークにも使えない端切れを貰い受け、その上に絵を描き、画帖に張って、皆さんに見てもらうことで、その志を受け継いでいる。
破れたり穴が開いたり、色が落ちてはいるが、それが風合いとなって、描かれた絵を一層引き立てている。
個展の展示作品とともに、ぜひ画帖も手にとって見ていただき、被災地へその思いをはせていただきたい。



12月18日

年賀状の宛名印刷が完了。
こんなに早くに準備できたのは初めて。
パソコン、コピー機などハイテクを使ってやっていると、便利な割には、逆さまに印刷したり、斜めになったりで肝心の葉書の数が足りなくなったりといつもは大慌てしているのだが。
今回は娘に電話で教わりながら家内と二人でやってみると、何と簡単に出来てしまった。
パソコンもコピー機ももっと便利なやり方があって、図柄や文字のデザインも簡単にできるはずなのだが、まだそこまでは使いこなすことが出来ないのが悔しい。
脳細胞の減少と根気がないことであきらめるしかないが、コンピューターグラフィックなんていうのが出来たら格好いいのに。

12月17日

衆議院選挙は自民党の圧勝に終わった。
この結果、右傾化を心配する声も多く、特に憲法改正に危機感を持つ人は多い。
私も軍事国家になることは怖いが、憲法改正そのものにアレルギー反応を持つ人が多いことには多少首を捻る。
ポツダム宣言後、日本国憲法が制定されたが、65年間一度も憲法が改正されない国は他に例を見ない。
戦後、同じ敗戦国のドイツは57回、イタリアは15回も改正をしている。
他を見ても、アメリカ6回、カナダ16回、フランス27回、中国9回、韓国9回と改正をしている。
占領軍の支配下において制定された憲法が、時代が変わり、経済成長を遂げ、一流国の仲間入りをしたにもかかわらず、金科玉条の如く維持されていることを改悪論を説く人たちはどう考えているのだろうか。
世界に誇る平和憲法といっても、軍事力を持たせないために占領国主導で制定された憲法が実状にあっているとはとても思えない。
共産党や、社民党、日教組が憲法9条を盾にとって、ヒステリックに声を上げるが、これだけ時代が変わった中で、憲法全文が現状にあっていると言えるのだろうか。
もう少し柔軟に時代に即した憲法改正を考えてもいいのではと思うのだが。

12月16日A

投票は夕方にする事にして、江戸川アートミュージアム見学とボートレース観戦ツアーに行くことに。
10名ちょっとと参加者が少ないのは寂しいが、競艇場などはめったに行けるところではないので、参加の皆さんには存分に楽しんでいただいた。
ミュージアム見学は私どもで開催中の桑原弘明の作品が並ぶ部屋や小林健二ルーム、他にも遊び心に富んだ作品や超絶技法の作品が並んでいて、美術ファンでなくとも十分に楽しめる作品が展示されている。
用意していただいたお弁当を食べた後は、参加者以外は誰もいない特別室からのレース観戦。
なんと第9レースはギャラリー椿記念競争と銘打ったレースで新聞に記載されていたり、場内放送でも放送がされたのには驚かされた。
参加者も少額だが予想表と設置されたテレビ画像に映し出されるオッズをながめながら、舟券を買っては一喜一憂。
私も大当たりとはいかないが、少しだけ儲けさせてもらった。
あっという間の4時間だったが、楽しく過ごさせてもらって一同大満足。





12月16日

昨日と打って変わっての快晴の日曜日。
天気良過ぎると無党派層はレジャーや買い物に出かけて、投票率が下がりそうで組織票を持つ政党が有利かも。
経済が上向きになって欲しい反面、あまり右寄りになっても困るし、悩むところだが、商売人としては経済政策に期待して自民党に投票。
文化政策も文化を贅沢と捉える民主党や維新よりは、少しはましな自民党に期待したい。

12月15日A

しばらく晴天が続き乾燥しきっていただけに、久しぶりの雨は何よりだが、土曜日の雨だけは私どもにとっては書き入れ時だけに有り難い雨とは言えない。
それでも小林、桑原展は雨の中、大勢の方にお越しいただき、ありがたいことと感謝申し上げる。
おかげで小林展も大作が売れ、桑原展も完売で、なんとかいい年越しが出来そうである。



12月15日

先般のテグフェアーの折に購入した作品を韓国のギャラリー美古の李さんが届けてくれた。
1泊だけのあわただしい来日でわざわざ届けるためだけに来てくれたとのことで恐縮至極である。
作品は前から気になっていたホン・サンシクという作家のストローを使った立体作品で、ストローを長短に切り分け3D的な表現を見せてくれる。
私が買ったのはキスをするかのように唇が突き出た作品で唇の隙間から韓国語で唇という意味の文字が目を凝らすと浮かび上がってくる。
私はこうした遊び心のある作品についつい惹かれて衝動買いをしてしまい、商売を離れコレクター気分を味わっている。



12月14日

日本現代版画商協同組合の冬季大会に約80画廊が参加し、活発な取引が行われた。
不景気の最中としては上出来過ぎる出来高となった。
とはいえその多くは草間弥生によるところ大で、私がついこの前まで記憶していた価格の倍近くになっていて恐ろしいくらいである。
またその取引の売り手買い手は新しい画廊が多く、古い画廊はただただ口を開けてぽかんとするばかりである。
ピカソやシャガール、ミロといったところや平山、東山、加山といった人気作家もすっかり影が薄くなってしまった。
高騰すれば暴落するは世の常で新しい画廊さんはくれぐれもご注意を。

12月13日

赤坂真理の小説『東京プリズン』に私共で発表をしている夏目麻麦の作品が表紙を飾っていることは以前の日記でも触れたが、この本が第66回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)、「Book of the Year 2012 今年最高の本!」(「dakapo」)の第1位に続き、第16回司馬遼太郎賞を受賞した。
今年最大の話題作と言うことで、書店にも何度も平積みで置かれていて、夏目の作品も人の目に触れることになるのだが、この表紙の絵はどんな人が描いたのですかとの問い合わせは全く無い。
所詮装丁というのは裏方なのだろう。
夏目も出版文化賞の授賞式の折には招待されていたのに、出席を断ってしまうという控えめな女性である。
以前に開催されたJR東日本・東京ステーションギャラリーの展覧会のオープニングの時にも、出品作家が自己紹介することになっていたが、本人は人前でそんなことをしたら、緊張で死んでしまうと頑なに断り、名前を呼び上げるだけで終わってしまったことがあった。
作品も本人のように決して出しゃばらず、控えめにはかなげに描かれていて、それが絵の魅力となっている。
小説のような華やかさは無いが、深く静かに彼女の作品の良さが知れ渡ってくれるといい。
来年3月に個展予定で乞うご期待である。



12月12日

シェル美術賞展を見に行ってきた。
シェル賞展に限らず、昨今のコンクールや公募展を見て、 美しいと思える絵、心に響く絵がつくづく少なくなったと思う。
本江邦夫審査委員長が推薦作家のコメントの中に、いたずらに風俗的な具象が圧倒的に支配する状況下云々と書いているが、確かにそうした絵画には琴線を振るわせるようなものはかけらも見えない。
丁度40数年前に若手作家ブームがあって、多くの若手作家が輩出されたが、どれだけの作家達が現在残って活躍しているだろうか。
残っていてもその多くは大学教授といった安定した職を得た人が多く、純粋な作家活動だけで残っている人は僅かではないだろうか。
新人洋画家の登竜門であった安井賞は40年にわたって開催され、その当時多くの人気作家を輩出したが、有元利夫や鴨居玲など亡くなった作家は別として今も輝いている人はほんの僅かである。
私のところで個展開催中の小林裕児などはそうした数少ない作家の一人で、決して人気作家とは言えないが、着実に自分の道を歩んでいる。
着実に歩むということはとても大事なことで、私がその当時に出会った作家で自から袂を分かった作家は別として、全ての作家がコンスタントに発表を続け、着実に歩み続けていることは手前味噌だが、自分の目に狂いはなかったと自負している。
苦言ばかり呈しているが、それでも今回のシェル賞展では二人ほど目に付いた作家がいて、こうした作家にも是非とも今に溺れず、着実に歩み続けて行って欲しいと願う。

12月11日

昨日はロータリークラブの年末恒例の家族会。
ご婦人や子供さん、お孫さんたちを交えて、歌あり、マジックありの年忘れの楽しい一夜を過ごした。
最後は皆さんお待ちかねのビンゴ大会。
賞品に絵画を提供している割には我が家は外ればかりだったが、今回は高額の商品券をゲット。
以前はお年玉年賀葉書の1等賞や2等賞が当たったり、ゴルフでもホールインワンを3度もやったりと自分でも不思議なくらい運が付いて廻っていたが、ここ暫らくは運に見放されていて、久し振りの大当たりである。
嬉しい反面、これで今年の運は使い果たしてしまったようで、今週企画している江戸川競艇のアートツアーとボートレース体験での高額配当とジャンボ宝くじ6億円の方は期待薄となってしまった。
欲も程ほど、このあたりが丁度いいのかもしれない。

12月10日

桑原弘明展が始まった。 いつもの如くコレクターの方が早くから並んでいる。
早い方は昨日の朝7時から来られていて恐縮至極である。
今回は待っていただくのに画廊の前に車を用意したので、寒さはしのぐことが出来たが、徹夜でお待ちいただくことになり、本当に申し訳なく思っている。
価格も1点を除き100万円を超えるものばかりで、この不景気にこうした作品を行列してでも購入していただけることに、ただひたすら感謝の言葉しかない。



12月9日

大学の時の友人達と我が家で忘年会。
今回は3年近く習っている料理教室の腕前を披露。
私の手造り料理でもてなすことにした。
手造り焼売や鶏肉の南蛮漬け、サンラータンスープ、生野菜と挽き肉のレタス巻きなど中華風のメニューを用意。
友人達も最初は恐る恐る口にするが、なんと美味しい美味しいと完食。
お世辞半分としても喜んでもらい作った甲斐があった。
日頃かみさんが作った料理をうまいとも言わずに当たり前のように食べていることを深く反省。
いつも感謝、感謝で美味しいの一言がどんなに嬉しいことかを改めて学んだ。



12月8日A

予想を超える大勢のお客様がお見えになり、パフォーマンスも大いに盛り上がった。



12月8日

小林裕児展「森からの声」が今日から始まる。

小林は以前のアトリエが奥多摩に、現在のアトリエが寄居にあるが、どちらも美しい自然に囲まれた中にある。
当然の如く、木々を愛で、野鳥や小動物たちと触れ合う生活を続けてきた。
作品にも、身近な鳥達や動物達が描かれ、森や川や湖がその背景となる。
そして必ずその中に人が存在する。
自然と人とが共生しあう、当たり前のことだが、そうした環境がだんだんと失われていく。
今回震災や原発事故を通して、作家達もそのことを思い、何かしらの影響を受けたはずである。

今回のテーマとなった「森からの声」は、こうした環境にいる小林と自然との悲痛な叫びであり、切なる願いなのだろう。

今回の展覧会カタログからの小林の一文を紹介させていただく。

以前住んでいた山あいの町で聞いた話です。

その土地の老人は、杉で覆われた持ち山の一番気に入った所に雑木林を残しておきました。
小さな小屋を建てるためです。
そして隠居した後、小屋にこもって月見をするのを楽しみに生きていたそうです。
その頃僕は犬を連れて山へ散歩に行くのが日課でした。
ある日、山の中で落ち葉に埋まって寝ている老人に会いました。
「いい気持ちだからやってみな」と誘われて、雑木山の厚く溜まった落ち葉を掻き分け、首だけ出す格好で埋もれてみました。
するとどうでしょう、全く姿が見えなかったキクイタダキという日本最小の小鳥があらわれ、しかも私のそばまでチイチイと寄って来るではありませんか。
まるで人などいないかのように。
思えば少し前まで、人は森の中に住み、その一部として存在し、森の運命とともに生きてきました。

森の中で見る、森の中から見る、そして音を聞き、何かを感じる。
自分が大きな自然の一部と自覚するからこそ見えてくるイメージ、畏れと哀歓に満ちた物語。
震災後、私の絵にはそうした背景が存在しているのだと明瞭に意識されるようになりました。

初日を迎え、恒例のパフォーマンスも開催されます。
すでに50人ほどの予約があり、ぎりぎりとなってしまいましたが、本日5時半から開催されますので、どうぞお越しください。

パフォーマンス「森からの声」原案小林裕児、作・演出広田淳一
出演 斉藤隆(コントラバス)・松下仁(役者 劇団アマヤドリ)



12月5日

私共で個展及び個展予定の作家達がこの月は各所で見ることができる。

鈴木亘彦「FLIPPER」・高島屋Xにて12月10日まで
中村亮一「The world has began to quietly say "No」・LIXIL(旧INAX)ギャラリーにて12月26日まで
真条彩華「My duo 2012」・Shonandai MY Galleryにて12月9日まで
森亮太「没後20年 石の鼓動」・群馬県立館林美術館にて12月22日から4月7日まで

この発表で新たなファンが出来、その方たちが次の私共の展覧会にお見えいただけるのを楽しみにしている。

12月4日

中国黒龍江省に生まれ、苦学して大学を卒業し、川端康成を読んで日本に憧れ、大阪大学に留学し奈良時代の日本文学を専攻した兪明鶴君が画廊にやってきた。
縁あって知己をえた兪君に翌々週のロータリークラブの例会で「中国人の対日観と中国の実態」と題して講演をしてもらうことになっている。
彼は在学中より、日中間の誤解を招く要素をテーマに講演をしていて、尖閣問題で反日感情が高まる中国の実態について、興味深い話が聞けるのではと楽しみにしている。
中国に生まれ中国で育った彼だが、両親は韓国人で、日中韓の言葉を話し、考え方もどちらに偏るでもなく、アジアという枠組みで物事を考えているようだ。
まだ35歳の青年だが、今日も韓国、中国に比べ、日本の文化戦略の遅れを嘆くと、椿さん嘆いてばかりいないで動きましょうよ、私はこうした人にパイプがあるから、そこを通して働きかかけましょうよ、同時にアジア全体で文化をキーワードにタッグを組んでやっていきましょうよと発破をかけられてしまった。
いやはや大した青年である。

  12月3日

長男が部員だったこともあって、応援している筑波大学ラグビー部が関東大学対抗戦にて、帝京大学、明治大学と同率ながら国立大学として初の優勝を果たした。
得失点差では実質1位となり、全国大学選手権には対抗戦グループ1位として出場する。
3連覇の帝京、早稲田、慶應と破り、唯一負けた明治にも僅差での敗戦だっただけに、全国優勝を目指して是非とも頑張ってほしいものである。
入試という関門もあって、有力選手を集めることが出来ず、優勝に手が届かなかったが、この4年の間に高校日本代表クラスが入学するようになり、ようやく夢が実現した。
また、監督の地道な勧誘もあって、部員の半数近くがそれぞれの高校のラグビー部のキャプテン経験者ということも、チーム力アップに繋がったようだ。
息子の時も明治や慶應に時たま勝つことはあったが、ここまで強くなるとは大したものである。
その息子が監督をしている東京都市大学(旧武蔵工業大学)は全国地区対抗戦グループに出場し、何度も優勝、準優勝をしている強豪だが、今回は予選で敗退をしてしまった。
こちらも理工系で部員の確保が難しいようだが、筑波を見習って、是非来年は復活してほしいものである。

12月1日

今日は韓国の画廊さんが来る予定なのだが、待てど暮らせどやってこない。
テグのフェアーの折に約束していたのだが。
確認のメールを送ったのだが、これもなしのつぶて。
明日日曜日は画廊が休みなので、もし明日来たら閉まっていては困るだろうと気が気でなく、電話で連絡をとることにした。
日本語のできる友人の画廊さんに聞いてみると、予定が変更でいけなくなったとのこと。
それなら早くに連絡をと思うのだが、お国柄の違いか、来れないとの連絡も無いのだからあきれる。
いつも海外とはこんな調子。
日本人の律儀さがいいのか悪いのか、肩透かしの連続に疲れがどっと出る。

と言っていたら、別の韓国の画廊から近いうちに日本に行くので会いたいとのメールが。
まあ期待せずに待つことにしよう。

11月30日

朝の散歩コースの代々木公園の樹木も色づき、特に今朝は昨夜の雨で洗われたせいか、その彩りが一層増したようだ。
木々の色合いも美しいが、絨毯を敷き詰めたように一面に広がる落ち葉の彩りも目を見張るような美しさだ。
人影も少ない早朝の紅葉を独り占めしながらの散歩はひときわ格別である。



11月29日

12月10日から始まる桑原弘明の展覧にあわせて、一昨年も企画して好評だった「江戸川アートツアー&ボートレース」を実施する。
江戸川競艇場には桑原弘明や小林健二、ムットーニ、荒木博志等50点が展示されるアートミュージアムがあり、他にもレトロ作品等も多数展示されていて、女性コンダクターの案内の下、そうしたアート作品を鑑賞した後に、用意された食事を食べながら、貴賓室にてボートレースを観戦することになっている。
12月16日の日曜日10時45分までに現地に集合いただき、参加費は食事代込みで1500円となっている。
12月14日までギャラリー椿にお申し込みをいただくが、会場の都合もあり先着30名さまで締め切らせていただく。
桑原ファンにとってはまたとない機会であり、その上一攫千金もあるという年末ジャンボに先駆けての運試しに奮ってご参加いただきたい。

11月28日

今夜はお客様のK様に近所の魚料理「松輪」にてご馳走になった。
ここは鯖の王様・松輪鯖で知られる松輪漁港に水揚げされた魚を市場を通さずに朝そのまま持ち込んで出してくれる料理屋で有名。
昼にはアジフライのみのメニューで出しているが、新鮮なホクホクのアジフライが食べられると、毎日11時前から行列が出来ていて、私も一度しか食べたことがない。
夜は予約すれば、その日獲れた魚10種の刺身 、焼き魚、煮魚、しめに鯖寿司やしらすご飯などをコースで出してくれる。
今日は書道家のAさんと美人女優のEさんがご一緒で、食べたことが無いような魚のお刺身、今朝偶々あがったというとてつもなく大きい尾頭付きの鯛の塩焼き、名前を忘れたが煮魚、普通の鱈より深いところにいるという何とか鱈の白子ご飯という嬉しくなるような魚尽くし、その上美人さんが横にいて、お客様のおごりと来ては言うことなし。
至福のひと時であった。

Eさんが撮ったお刺身、煮魚、白子ご飯の写真を転載させていただく。


11月27日

今日は東京オペラシティーアートギャラリーの篠山紀信展「写真力」と収蔵品展・寺田コレクションより「やさしさの気配」を見に行ってきた。
篠山の写真力はさすがで、壁いっぱいの大きな写真には息を呑むような迫力があった。
吉永小百合や宮沢りえ、坂東玉三郎の美しさにに目を奪われ、三島由紀夫、市川海老蔵、マニュエル・レグリスの男性美に圧倒された。
平日にもかかわらず、お年寄りから若者まで多数の観客が来ていて、写真というメディアの発信力と篠山のネームバリューが相俟っての事だろう。

続いて寺田コレクション「やさしさの気配」を見る。
こちらには河原朝生、ミロソラフ・ムッシャ、望月通陽、野坂徹夫、難波田史男、開むつみ等私共が納めた作品が多数展示され、他にも有元利夫、川口起美雄、小杉小二郎、長谷川健司、落田洋子など私のところで個展やグループ展をした作家なども多数並べられている。
「やさしさの気配」というタイトルの通り、全て私が好きな叙情性の高い作家達である。
絵の中に詩心が感じられるものが好きで、一貫してそうした作家を自分が取り上げてきた事を、この展示を見て改めて認識させられた。
この展示を見る前にオペラシティーの最上階にある寺田トップルームに寺田様を訪ねた折には、次の寄贈先の作品が多数並んでいて、その中に難波田史男の懐かしい作品が一点含まれていた。
30年位前になるだろうか、私のところで展覧会をした折の作品で、寺田様はその時には名前さえ知らなかったそうだが、この作品をお買い上げいただいた。
この時はそんな事は夢にも思わなかったが、後に寺田コレクションの中核をなす難波田龍起、史男の親子コレクションに繋がっていくことになる。
オペラシティーの寺田コレクションの収蔵品は3000点に上るが、その多くがリリカルな作品である事を思うと、私は口幅ったいいい方になるが寺田コレクションとともにあったといっても過言ではない。
多くの無名の作家を支えていただき、私が今あることも寺田様のお陰と心よりの感謝を申し上げる。

昨日から始まった小浦昇もそうした叙情派の一人で、少年の夢を具現化したような作風は多くの人を魅了している。

11月18日

テグフェアーも最終日。
韓国の経済も下降気味で、5月のソウルのフェアーもかなり厳しかったようで、今回のテグもあまり期待せずに参加したのだが、予想を遥かに超えた成果を上げることが出来た。
数字では台北の方がまさったが点数は倍以上となり、木箱での海上輸送の必要がなくなり、郵便だけの返送となって、経費も大幅に減らすことが出来た。
地元の画廊も苦戦していただけに大健闘といっていいだろう。

台北と違いこちらは毎年紹介してきた馴染みの作家がよく売れたことも、毎年参加し紹介し続けた結果と嬉しく思っている。
また有り難いことに一件を除き全て集金出来たことも今回の成果のひとつで、数多くの海外のフェアーに出ているが、こんなことは初めてである。
私も長い海外巡業の旅が終わり、明日から始まる山本麻友香展に備えなくてはならない。
朝4時半に迎えの車が来て釜山に向かい、11時過ぎには画廊に到着予定である。

長い海外巡業も体調を崩すことも無く元気に終えることが出来て、何はともあれ一段落となった。

11月26日

小浦昇展が今日からGTUで始まった。
紹介の6点を含め何と38点の新作が並んだ。
四角でもない、円でもない三角形という小浦ならではの空間に小浦のBLUE・DREAMの世界が展開されている。
暮れには必ず小浦展が恒例になっているが、もう一つの桑原展も重なり一足早いスタートとなった。
奥さんの実家が昨年の地震の被害に遭い、津波で家屋もろともご家族やご親族が流されてしまうというご不幸に遭ったが、それを乗り越えての制作だっただけに、大変なご苦労があったに違いない。
それでもこうして38点の新作が揃ったのだから、その制作意欲には敬服する。

クリスマスに相応しい作品が多数あり、是非この機会にご覧いただきたい。





11月25日

今朝は10時に京橋ものがたり館に集合して、巨人軍の優勝パレードを観覧させてもらった。
3階のガラス越しに沿道を埋めた人並みが見える。
この前のオリンピックのメダリストのパレードほどではないが、銀座方面は身動きできないほどの人の群れである。
ものがたり館には町会の面々が集まっているが、驚くことに殆どがご婦人である。
中には今日を楽しみにジャイアンツのユニフォームを着て、アクセサリーもオレンジ色に統一した高齢のご婦人もいる。
巨人戦の時はトイレにも行かず実況中継を見て、負けると不機嫌、勝つと妹さんの家に電話がかかってくるという頼もしいお婆ちゃんである。
他にも、巨人が優勝したら読売新聞と購読契約をすると約束し、契約の折にもらったグッズを抱えて見えたご婦人もいる。
選手を乗せた車は三台、小旗が振られ、大声援で迎えられたが、私も旗を振るのとカメラを撮るのとが一緒でピンボケ写真ばっかりだったが、かろうじて松本選手が写っている写真が撮れてラッキー。
次女の旦那にそっくりで、巨人の中でも一番贔屓にしている選手である。
パレードを見た後、用意された軽食を食べながら優勝パレードの余韻に浸った。



11月17日

フェアーもさすがに週末となると来場者も多く賑わいを見せている。
人出とともに気になるのはマナーの悪さだが、今回のテグでは写真撮りまくりや作品に触ったりするケースをほとんど見かけない。
フェアーの質が一段と向上したようだ。
家族連れも目立ち、子ども達も熱心に作品を見ている。
お手伝いをしてくれている作家のキムソヒさんの話では韓国はIQだけでなくEQというらしいが感性を高めることの必要性が説かれているそうだ。
日本では音楽や美術の授業時間がさかれたりと知育偏重になりがちだけに、是非見習って欲しいものである。

11月24日

今日の寒さはひとしお。
韓国も寒かったが日本に帰ってきてからも11月ってこんなに寒かっただろうかと思うくらい寒い日が続く。

明日は10時半から日本橋をスタートして銀座八丁目まで、読売巨人軍の優勝パレードが行われる。
京橋三丁目町会がパレード観覧会を企画し、京橋ものがたり館からパレードを眺めながら懇親を深めようということになって、巨人・大鵬・卵焼きの私は何をさておき駆けつけることにしている。

ユニフォーム姿の選手達は寒空の中でのオープンカーのパレードだけに大変なことだろうが、3年ぶりの優勝だけにその勇姿を是非とも見せて欲しいものである。



11月16日

昨夜は山本麻友香の個展の依頼を受けているテグの画廊さんから夕食のご招待で、韓国の太白山の高地にしか自生しないコンドレという山菜の入った炊き込み御飯をご馳走になった。
初めて食べたがくせもなくあっさりしていてとてもおいしい。
お昼も親しくしているテグの画廊さんにご馳走になり、今夜もまた主催者の招きでこれも珍しいドドクというツルニンジンの料理をご馳走になる。
滋養強壮、美肌に効く食材で、山で採れる肉と呼ばれる健康食である。
韓国は焼き肉やサムゲタンのように肉料理が多いように思えるが、野菜がふんだんに付いていたり、こうしたヘルシーな薬膳料理もたくさんある。
韓国で肥満の人をあまり見かけないのも、こうした食材を食べているからだろう。



11月23日

12月10日から始まる桑原弘明の作品画像が送られてきた。
「雪の女王」と題する作品である。

6,7センチ四方の象嵌された真鍮の小函の中に全て手作りの極小の世界が広がっている。
ミリ単位の仕事のため年に数点しか作る事がでないが、
毎回ファンの方は楽しみにしていただいているので、 ありがたい限りである。



11月15日

テグフェアーは毎年売上はそれほどでもないが、その手厚いもてなしにはいつも感心させられる。
ブースフィーがホテルフェアー並みに安いにもかかわらず、片道1時間半かかる釜山空港と会場間の送迎、通訳、陸上運送費、お昼のお弁当、毎晩ではないが夕食など全てサービスで、会場前のホテルもただときてはお金を使うところがない。
更には会長はじめ事務局のスタッフの対応の早さには頭が下がる。

これで売上が付いてくればいうことないが、これだけのもてなしをしてくれると出させてもらえるだけで有り難いと思ってしまう。
年々日本の画廊の参加数が増えるのも、こうした行き届いたサービスの賜物なのだろう。

こうしたサービスが出来るのもテグ市からフェアーに対し補助金がでてるからである。
文化を産業と捉え、海外の画廊を誘致して文化の振興を図る、日本の政治家やお役人に教えて上げたいくらいである。

11月14日

朝は北風が強く身を切るような寒さ。

朝から昨晩に続きテグ画廊協会のパク会長に豆腐チゲをご馳走になる。
夜中まで酒豪のパク会長に付き合って二日酔いの連中には何よりの酔い醒ましになったようだ。

さて今日から一般公開だが、台北の人出がものすごかっただけに、やけに人が少なく感じる。
そんな中、若い女性が子どもさんへの誕生日プレゼントといって、20万円を超える作品を購入してくれたのには驚いた。
台北でも今回子どもが猫が好きなのでといって、プレゼント用に猫が描かれている50号の作品を買ってくださった方がいたが、いやはやスケールが大きい。

11月13日A

テグに到着。
真冬並みの寒さで震え上がる。
暖かかった台北からだけに余計に応える。

会場に到着するとすでにオープニングパーティーが終わりかけていて、豪華な食事も残念ながらほとんどなくなっていた。
フェアー会場に入ると台北とは違い人が少なく閑散としている。
17軒も参加した日本の画廊もこれには拍子抜け。
台北も経済に翳りが見えてきたが、韓国はそれ以上のようで、9月に開催されたソウルのフェアーも予想された以上に悪かったようで、さてテグのフェアーはどのような結果が出るだろうか。

終わって参加している日本とイタリアの画廊が主催者の招きで熱々のサムゲタンをご馳走になり、冷えた身体には何よりのご馳走であった。



11月13日

ホテルのロビーに今回の運送をお願いしているシンワシッピングの皆さんがいて、話を聞いてみると日本の画廊さんも最後にばたばたと売れたそうで、何よりと胸をなでおろす。
これから向かう韓国テグにも日本の画廊が17軒参加することになっているが、台北同様の結果が出ることを願う。

私のところも売上以外に台南や上海、香港などから展覧会の話がいくつかあり、作家さんの紹介に繋がることなので、積極的に話を進めたいと思っている。

今までと違うのは初めて紹介した作家に注目が集まり、従来の人気作家への話が少なく、日本同様に常に新しいものを求める傾向がますます強くなって来ているようだ。
それと小さい作品をずらっと並べたブースが賑わいを見せていて、かなりの数が売れていた。
新たな若い客層が安くて飾り易い作品を求めるようになり、台湾も富裕層だけではなく、美術ファンの底辺が広がってきたようだ。

11月22日

銀行から融資の話があって、聞いてみると貸出金利は1%を切ると言う。
以前に1%でということを聞いて、そんなに低くなっているんだと驚いたが、更に低くなっている。
と言うことは預金金利は無きに等しいと思ったほうがいい。
老後に備えて預金をなんて甘いことは言ってられなくなってしまった。
さりとて物に変えてもデフレスパイラルで価格が下落をして、物の価値は下がる一方で、何も使わずにじっとしている人も多い。

八方塞がりの状況で自民党の安倍総裁のコメントに市場は反応し、株も為替も値上がった。
私も以前から思っていたことだけに今更とは思うが、もっと早くにインフレ傾向に舵取りをし、円安にもって行かなければ、国際競争力を失われてしまうと懸念をしていただけに安倍発言を肯定的に捉えている。
現に韓国ではお札を大量に発行し、ウォン安にして輸出を増やし、日本の得意分野に分け入り、今では日本を凌駕してしまった。
台北、テグと廻ってきて、景気に翳りを見せているとは言え、まだまだ活力があることを実感させられた。 インフレの行き過ぎは困るが、デフレで大きなお金が回らなくなり、金利安にもかかわらず、設備投資を控え、公共事業も閉塞状態ときては、いいとこ無しの日本になってしまう。
現状を打破するには大鉈を振るうしかない。
安倍総裁が次の総理に多分なると思うが、選挙目当ての発言ではなく、有言実行でこの国難に立ち向かってもらいたい。
ただ残念なのは、どの政党も文化に触れる発言がなされていないことである。
文化も産業と考えて、支援策を打ち出してほしいものである。

11月12日

いよいよ最終日。
土日の人出も凄かったが今日も平日だというのに大勢の人で賑わう。
この前私のロータリークラブを訪ねてくれた台北ロータリークラブの王さんがクラブの仲間と一緒に私のブースにやって来た。
皆さんアートにはあまり関心がないようで、他のところには行かず、私のところに2時間ほどいて、帰って行った。
私への表敬訪問なのだろうか。

人は多いが全体に売上は今一つで、日本から参加の画廊も苦戦をしているようだ。

私のところも昨年に比べるともう一つだったが、最後の最後、フェアーが終わり撤収の最中に電話が入り、200号の大作が売約となりほっと一息。
点数もそこそこ出て、終わり良ければ全て良しの結果となった。

撤収は10時を過ぎても終わらずくたくたで、明日の朝には次のフェアーのテグに向かうという強行日程だが、なんとか目標の数字をクリアーしたことで疲れも吹き飛ぶ。



11月21日

天童荒太の新刊「歓喜の仔」の上下巻に私どもで発表をしている伊津野雄二の彫刻作品が表紙を飾った。
天童荒太の前作「永遠の仔」の表紙は5巻にわたって舟越桂の彫刻作品が使われたことで、一躍彼の名前は全国区となったが、今回は新たに伊津野が指名され、天童氏と装丁の多田和博氏、幻冬社の編集者がわざわざ知多半島にあるアトリエを訪ね、表紙に載せる作品が決まった。
舟越同様にこれをきっかけに広く伊津野の作品が知られるといいのだが。

この作品は小品だが寺田小太郎コレクションのひとつで、ギリシャ彫刻のようにノーブルで美しい作品である。
来年の私どもの個展に合わせて神戸の島田画廊と名古屋の名古屋画廊と共同で画集が発刊されることになっている。

尚、現在オペラシティーで開催されている篠山紀信展と併催の寺田コレクション展には、私共で納め、装丁にも多く使われている望月通陽、野坂徹夫、河原朝生などの作品が展示されているので是非ご覧いただきたい。



11月20日

順不同でダブってしまうが、帰国後の日記も合わせて紹介させていただく。
海外日記にも写真を添付したので改めてご覧いただきたい。

今回の山本麻友香の作品には静謐感が漂い、見る人の心に深く染みこむ。
瞑想しているかのような子どもの表情には、震災後半年間筆を握れなかったという山本の思いを託しているように思える。

子どもや動物の可愛さだけではない、その奥に秘められたメッセージを読みとっていただけると有り難い。



11月19日

東京に到着。
出発の時と違ってだいぶ寒くなっていて、韓国の寒さとたいして変わらない。
今年一番の寒さだそうだ。
向こうでは何とか元気にしていたが、フェアーの掛け持ちで疲れたまっているので、風邪をひかないように気をつけなくては。
と心配している間もなく画廊では山本麻友香展が待ち受けている。
台北、テグのお客様や画廊の中でも関心ある人が多く、予約が入ったり、展覧会を見に来る人達もいる。

それでも一番の願いは日本のお客様に見てもらい、日本の方に購入してもらうことである。

11月11日

小雨が降る天気にもかかわらず、日曜日ということなのだろうか、溢れるような人出に広くなった会場が狭く見える。
こうなると写真撮りまくり状態でブースのなかも人がひしめき合っている。

連日遅いことと人に酔ったのか、疲れもピークに。
日本の参加者の中にも体調を崩す人が多く、スタッフの島田も風邪をひいたらしい。
11月の台湾は朝晩は涼しく、日中は暑いこともあり、寒暖の差が身体のバランスを崩すのだろう。
暑い台湾から今年は早くから寒くなっているという韓国に移動しなくてはならず、私も気をつけなくてはいけない。

夜は日本の画廊を運送会社のシンワシッピングが招待してくれることになり、そのセッティングを頼まれた。
40人近い人数ということで、昨夜も行った呂桑食堂を予約することにした。
日動、小山、彩鳳堂、小林、レントゲン、戸村、ワダ、文京、成山など現代、近代入り混じっての賑やかな会となった。

この店は台湾の東地方の家庭料理の店で、あっさりした海鮮料理がメーンで毎回訪ねることにしている。
この後皆さんは近所にある名物のマンゴーアイスを食べに行くが、私は一足早くホテルへ帰って寝なくては身体が持たない。



11月10日

今夜は以前に山本麻友香を買ってくれた芸術新聞社の社長の招きで夏に完成した本社ビルを訪ねる。
ビルには事務所以外に茶室や画廊や美術書店、台湾茶のショップなど社長の趣味を生かしたフロアーが並ぶ。

画廊を是非うちの作家の発表の場に使って欲しいと頼まれ、私も台湾の足場になればと協力を約束した。
夕食は芸術新聞社のすぐ近くにあって、いつも行く台湾家庭料理の店へ、締めは定番のマンゴーアイスを食べに行って、今夜は終了。





11月9日A

今回目立つのは、昨年の台湾フェアーの好況を見込んでか日本からの出展画廊は25軒と大幅に増えたことで、このフェアーへの期待度の大きさがうかがえる。
もう一つ目につくのは台湾の画廊の多くが一体誰が買うんだろうと思うくらいの巨大な立体作品を並べていることである。質はともかくとして、いつものことながらアジアの画廊のスケールの大きさには驚かされる。

オープニング、初日と過ぎて昨年に比べるとどこも出足は今一つのようだ。
私のところも予約や注文の作品があるのでいくつかの赤印がついてはいるが、ブースでの反応は今一つで、週末にかけるしかない。

夜の楽しみは食事で、夜市での鉄板焼きや火鍋料理、ショウロンボウや臭豆腐といった庶民的台湾料理を毎晩満喫している。



11月9日@

今朝は早くから親しくしているアキギャラリーでドイツの作家と市立美術館でやっているアキギャラリー所属の写真家沈さんの個展の紹介を兼ねたブレックファストパーティーに招かれ出かけることに。
会場には小山登美夫さんやミズマの若林さん、シンワの倉田さん達日本の知っている方ばかりが来ている。

ドイツの作家の作品はドイツ人らしい強いタッチの絵でとてもいい展覧会である。

用意された朝食を画廊で済まし大型バスで美術館へ。
作者の沈さんはステージというど派手なデコトラかねぶたみたいな車を撮り続けている。

この車は電動式でトラックの荷台が広がって、賑々しい舞台が出来上がる。
そこではカラオケ大会やボールダンスが繰り広げられる。
結婚式や会社の宴会、のど自慢大会、お祭りなど声がかかればどこへでも馳せ参じるそうで、現在800台のステージカーが活躍しているそうだ。

沈さんにスタッフの島田がウルトラで紹介したオタクの象徴的なアニメに彩らたイタ車という車を撮っている写真家がいることを教えてあげた。

市立美術館からはまたバスが迎えに来ていてフェアーの会場まで送ってくれる。

韓国でもそうだったが、一軒の画廊が朝早くからバスを仕立てて画廊と作家を紹介するのは、私達貧乏画廊にはとても真似ができない。
アジアに行くたびに肩身が狭くなる。





11月8日

朝早くに注文をいただいた新築中のO氏宅へ伺う。
昨夜は夕食の招待を受けていたのだが、作家の北村奈津子が予定した飛行機が飛ばず、別の飛行機で夜中の2時に到着というトラブルがあって、昨日の展示同様にとんだハプニングが続く。

お宅は高台にある超豪華マンションでワンフロアー全部が一部屋になっていて、一面ガラス窓の前からは小高い山並みが一望出来る。
8月には完成予定と聞いていて、飾り付けをするつもりでいたが、これも昨日と同様、壁紙も貼られていない状況で手がつけられない。
O氏に聞いてみるといつ出来るかわからないと言う。
デザイナーのデービッドさんが凝りに凝っていて、来年ドイツで開かれるインテリアのコンペにこの部屋を出すつもりでいるらしく、家具からアートまで全て彼のイメージ通りにしなくてはならず、全く先が見えないのだそうだ。

デービッドさん自身大コレクターでアートなくしてインテリアは有り得ないとの持論で数えきれないくらいの素晴らしい建築デザインを手掛けているんだそうだ。

持って行った作品はそのままにして、新たにデービッドさんの注文で窓側と広いテラスに広がる山並みを借景にしたオブジェを出来るだけたくさん作って欲しいとのこと。
敬虔なクリスチャンの奥様に因んで、テーマはデービッドさんの事務所にも飾ってあるノアの箱舟をイメージして作ることになった。
予算は考えなくていいから、出来るだけこの空間に合う素晴らしいものにして欲しいと言われてしまった。
2年前に完成した高雄の別荘の写真も見せてもらったが、これも凝りに凝っていて、室内のデザインは勿論だが、外の湖にこれも奥様のために青く浮かび上がる十字架のオブジェが設置されている。
いくら何でも、自然の中に勝手にオブジェを置くのはまずいのではと言うと、もともとあったものではなく、敷地内に掘って作ったミニ湖なんだそうだ。
庭というと、金魚や鯉が泳いでいるような池しか思い浮かばないが、こんな馬鹿でかいものまで作ってしまうのだからあきれる。

さぁ大変なことになったが、ご指名頂いたことを光栄に思い、北村には精一杯頑張ってもらうしかない。

打ち合わせの後デービッドさんの事務所に向かうが、ここには彼のコレクションがところ狭しと置かれていて、その中に北村のオブジェも置かれている。
隣の小公園からは、ガラス越しにライトアップされた彼女の作品が見られるようになっていて、公園で遊ぶ子供達の目を楽しませてくれる。

お昼をご馳走になっていよいよオープニングが始まる。



11月7日A

早速会場へ。
昨年までの会場と違い隣の広いスペースに変わっていて、通路やブースもゆったりとしている。
先着のスタッフ達で展示も進んでいると思いきや、何とブースの壁も中途半端のままでペンキ塗りも終わっていないし、更には提出した壁面構成と違っていて、展示どころではない。

すったもんだで夜遅くまでかかって、出品している作家さん達に手伝ってもらって無事終了。

韓国のフェアーもそうだったが、日本と違ってこうした運営では戸惑うことが多く、これもアジアで仕方がない。



11月7日

今朝は霧が立ち込め昨日の肌寒さとは打って変わって生暖かい変な天気だ。
早朝羽田に向かい昼前に台北松山空港に到着予定。

昼過ぎから展示開始だが、展示中に服部千佳をホテルフェアーの折に買ってくださった台北在住の日本人の方が画廊を開きたいと相談に訪れることになっている。

夜7時にはシンガポールホテルフェアーの事務局の方とミーティングで、9時からは別荘に北村奈津子のキリスト降誕をテーマにした壁画とオブジェを依頼されたO氏と紹介していただいたデザイナーのデービッドさんと会食予定。

デービッドさんは台湾の有名なインテリアデザイナーで建築に現代アートを取り入れることで知られ、オフィスにはデービッドさんから依頼されて作った北村のノアの箱舟をテーマにした大きなオブジェが飾られている。

11月6日

連休は大学のヨット部の仲間達が河口湖に集まり、恒例の秋のゴルフコンペ。
紅葉真っ盛りで、その美しさに目を奪われて、皆さん大叩き。
ゴルフ場だけではなく、家の近くでも濃い紅に染まった紅葉の美しさに言葉が出ない。
朝の気温は1度の真冬並み、昼間は16度と寒暖の差が色を濃くしてくれるようだ。

明日からは台北、韓国・テグのフェアーと続き、日記は後日まとめてアップするので暫らくお休みをいただく。



11月2日

30日から始まった明治神宮外苑絵画館前での「TOKYO・DESIGNERS・WEEK2012」に行って来た。
デザインから建築、アートが一堂に会しての大イベントで、プロから学生まで所狭しと展示されていて、全部見るには相当な時間と健脚がいる。
その中にヤングアーティストジャパンのブースがあり、120余名のアーティストがそれぞれのブースで自分の作品を展示・即売をしている。
これで3回目になるが、20名のギャラリストが各ブースを廻り、審査をすることになっていて、私も審査員の一人として参加した。
GTUで発表して好評を博した渡辺大祐、井澤由花子は一昨年の審査で出会った作家である。
今年もこうした出会いを期待して真剣に審査をさせていただいたが、前年までに比べるとレベルは低く、2、3の作家以外は興味を持てるような作家はいなかった。
グランプリ候補に挙げた大阪の作家は昨年も出展していて、私の見た目では抜きん出ていたように思う。
一度声をかけさせてもらおうと思っている。



11月1日

昨日は友人4人と交互にやっている還暦祝いのゴルフと食事会。
一番若いC君が還暦を迎え、これで終わりと思っていたが、次からは古稀祝い、更には喜寿祝い、傘寿をやろうと意気軒高、元気で長生きをしなくてはならない。

10月31日

先日、日本画の売却依頼があり作品をお預かりしたが、、今の状況ではどれも思ったほどには高くは売れないというお話をさせていただいた。
その中にあって、松尾敏男の花菖蒲の作品(40cm×30cm)がまあまあ高く売れそうとお伝えした。

その松尾敏男が文化勲章を受章することになったと昨日のメディアで報じられた。
日本画壇においては久々のことのようで。何よりとお祝いを申し上げたい。
同時に依頼されたお客様の期待度も高まり、私の責任も大変重くなってしまった。

芸術院会員とか文化勲章とかは以前に比べて、私達洋画商の中ではそれほど重きを置いていないし、市場価値にもそれほど繁栄されることはない。
多くが仕事の内容よりは、美術団体、美術大学における貢献度の方が大きいように思うし、特に芸術院会員になるには、それ相応の運動をしなくてはならないと聞いていて、そういう名誉とか地位に固執しない人には全く無縁のものである。

それでも工芸や日本画などの伝統芸術の分野では、文化勲章や人間国宝は洋画の世界と違って、それなりの重さがあるようだ。
松尾敏男の値段が突然高騰するとは思わないが、それなりの名誉を得たのだから、認知度は高まり、購入を考える人もいるはずである。

ということで前書きが長くなったが、依頼されたお客様の期待に応えるべく、どなたか松尾敏男の作品にご興味がある方がおられれば、画廊宛にご連絡をいただけるとありがたいのだが。
もちろん他の日本画の作品もご紹介させていただく。



10月30日

先日近くの画廊で素敵な作品にめぐり合い、思わず衝動買いをした陶芸家・塩澤宏信のアトリエを訪ねた。
筑波市に近い田園風景が広がる長閑な一隅にそのアトリエはある。
雑木林に囲まれた白い瀟洒なアトリエとすぐ横に同じよう白壁の住まいが、如何にもアーティストらしいたたずまいである。
丁度今は、アンデルセン子ども公園に展示する大きな動物の作品を制作中で、私が買った恐竜型オートバイとは違った如何にも子供たちが喜びそうな作品がアトリエ一杯に並んでいた。
偶然出会った縁だが、これを機会に是非私のところでの個展や海外での発表をお願いしてきた。
私共で長い間発表を続ける木村繁之氏とも旧知の仲で、彼のテラコッタ作品は以前はあきる野市にあった塩澤氏の窯で焼いていたとのこと。
また弟の画廊で発表をしている天野裕夫氏も同じ陶芸仲間としてよく知っているとのことで、縁とは繋がっていくものである。
クツワムシが庭先にいたり、庭の柿の実もたわわに実り、秋の風情が深まる中を久し振りにのんびりとした語らいのひと時を過ごさせてもらった。



10月29日

昨日は独立、二紀を見た後、私のところのスタッフ・島田恒平が出展しているウルトラに行って来た。
どのイベントもそうだが、回を重ねるとどうしても新鮮味が薄れ、マンネリ化の傾向にある。
ウルトラもそうした印象が否めないが、それともうひとつ最初の主旨とだいぶ変わってきたのはどうしてなのだろうか。
私が最初に期待していたのは、画廊に勤めるスタッフや子弟が、オーナーとは違った視点で企画し、販売活動をするといった、アートディーラーとしての経験を積む場と捉えていたからである。

確か昨年までの開催主旨には個人をその出展単位とし、個の力を引き出すということであった。
年齢制限が設けられ、若い人の感覚を活かし、業界の活性化を図るということもこのフェアーの目玉の一つであった。
更には画廊オープン何年以内とということでは、目新しいだけの逆説的な保守的なフェアーになるだけで、未来に残せるものはないということを謳っていた。

ところが今回はどうだろうか、画廊経営者でも参加が出来、ここ3年以内にオープンした画廊は、年齢制限が無いということになり、当初の主旨からだいぶ外れてしまったようだ。
個の若い力を引き出し、閉塞状況にある業界に風穴を開けてくれるのではとの思いが強かっただけに、新しい画廊や場を持たないアートコーディネーターの告知宣伝の場と化してしまったように思えてならない。
ウルトラの主旨に大いに期待していただけに,あえて苦言を呈させていただく。

因みに昨年の募集要項を紹介しておく。

「ウルトラ」はディレクター個人をその出展単位とする事で、美術が本来持っているであろう、「個」の力を作品から、また展示から、またマーケットから引き出すという目論見のもと企画されます。
ディレクター=オーナー=ギャラリーなのだからこれまでのフェアと同じではないか?という意見もありましょうが、責任の所在を個人に移行する事で生まれる、心理的な効果は、いつものアートフェアとはまた違った空気を生み出すでしょう。
更に、一つのギャラリーから複数のディレクターが出展する、という事も「ウルトラ」は歓迎します。
さらに、出展ディレクターの年齢制限を設けます(出品作家には設定しません)。美術業界の活性化という観点からも若い世代がその表現の場を持つ事は大変に重要な事です。
一方で、オープンから何年以内、という事では、画廊がくるくると入れ替わる、目新しいだけのフェアという、逆説的に保守的なフェアになるだけで、未来に残せるものにはなりません。
同じ画廊から、若いディレクターが先輩の助言のもと新しい世界観を生み出す、またそのディレクターが独立し、ウルトラ、またより上のグレードのフェアに参加する、そんな状況こそが、より良いマーケット構築につながるものと考えます。
こうした事から年齢制限の力を利用し、常に若々しく、常に瑞々しいフェアの継続を図るものです。

10月27日A

台北アートフェアー出品作
山本麻友香・バード、ペンギン



10月27日

アートフェアー・ウルトラとプリュスが青山スパイラルホールで開催される。
27日から30日オクトーバー・サイドに私のところのスタッフ・島田恒平が出展する。
昨年も出品した乾漆作家の天明里奈と写真家の吉永マサユキの作品が展示される。

プリュスは例年東京美術倶楽部で開催されていたが、ところを変えて、ウルトラのノベンバー・サイドで同時開催されることになった。
ウルトラの40歳以下の出展条件とは別に、こちらは実績のある画廊が参加をし、相乗効果を狙う。
私のところも参加要請を受けたが、この後すぐに台北、テグとフェアーが続くこともあって辞退させていただいた。
青参道フェアーと相俟って、青山界隈がアートの祭典で賑わいを見せる。



10月26日

昨夜はギャラリーのイベントでお世話になった宴堂裕子さんが出演する・トツゲキ倶楽部第10回公演「タナカSUMMER」を見に行ってきた。
個の時代の中で忘れかけてしまった大家族の愛しくもあり、微笑ましい、時には煩わしい日常が演じられ、家族の絆を改めて思い起こさせてくれた。

公演会場は日暮里駅から10数分歩くのだが、「にっぽりせんい街」という通りを抜けていく。
この辺の土地勘は全くなく、両側に生地屋さんこんなにたくさんあるのかと驚かされる。
生地屋さんと並んで、派手派手しい衣装が飾られているドレス屋さんも目に付く。
場末のキャバレーでも今時お目にかかれないようなハイセンスなドレス?が所狭しと飾られている。

ここ両日、美術は無論のこと音楽・文学・演劇と芸術の秋を堪能させてもらっている。



10月25日A

韓国・テグアートフェアー出品作
ソンスー・リ油彩

ニューヨークに留学、帰国後私共で個展を開催。
映画の一シーンをテーマに骨太のタッチで描き出す。



岩田ゆとり 多摩美卒の新進作家



10月25日

昨夜は知人のギタリスト・佐藤達男さんのお誘いで、「チェロと朗読の夕べ・月下のコンサート」に行ってきた。
樋口一葉生誕140年記念特別企画(文化庁芸術祭参加公演)だそうで、会場の旧東京音楽学校奏楽堂のレトロな雰囲気と明治の頃の文学と音楽が相俟って、心に郷愁を呼び起こした。
と言いたいところだが、朗読の段になると、私の耳の悪いせいもあるのだろうが、超満員の聴衆の中で、私は朗読の声の半分も聞き取れず、眠気と闘いながら、ひたすら早く終わってほしいと願っていた。
聴衆の多くが私のような高齢者だっただけに、居眠りをしている人も大勢いて、長い時間の朗読もさることながらマイクの使い方に一工夫あってもよかったのでは。



10月24日

私共で発表をしている写真家の岡本啓が「奈良・町屋の芸術祭HANARART2012」に参加していて、その案内が送られてきた。

案内によると、大和郡山の遊郭建築「旧川本邸」にて、「記憶をゆり動かすいろ」と題した展覧会で、5名の出品作家の一人として出品している。
「旧川本邸」は大正13年に建築され、昭和33年売春防止法が制定されるまで、遊郭としてその役割を担っていた。
現在は大和郡山市の所有となり、地元のボランティアによって建物の管理・保存活動がなされている。

かってこの場を行き交った多くの人々の心の内には、様々な感情や情景そして人間模様が存在していた。
こうした「旧川本邸」の奥深くに眠る記憶を揺り起こすべく、表現スタイルの異なる作家5名が「色彩」をキーワードに空間構成し、「旧川本邸」の記憶の断片を鮮やかに蘇らせている。

色町という空間で岡本がどのような艶っぽい色彩を展開しているのか興味深い。

以前に文化村ギャラリーでホテルアートフェアーを隣接する円山町のラブホテル街で開きたいというような話を提案されたことがある。
ここも以前は色街のあったところで、そのきらびやかなラブホテルでのアートフェアー面白いじゃないですかと言ったことがあるが、その後どうなったのかその話を聞くことはない。

10月23日

ロータリーの友人で地質学博士のT氏が会報に次のような一文を寄せている。

「末は博士か大臣か」とおだてられて博士になったものの、すでに博士や大臣の質の低下は目を覆いたくなるほどであった。
9月5日の新宿区新聞は、同じロータリークラブで実務指導協会理事長のK会員が 、大量生産されたそんな博士の一般企業への人材紹介事業を展開していると報じている。
しかし博士の就職難はなにも今に始まったことではない。
それが証拠に私が学生の頃も、博士号は「足の裏についたご飯粒」だと言われた。
「取らなきゃ感じが悪いが、取っても食えない」

私の長男と長女も医学博士号を取っているが、幸い大学に職を置き、何とか「足の裏についたご飯粒」にならずに済んでいる。

10月22日

北海道常呂郡置戸町にある「置戸ぽっぽ絵画館」が開館し、その資料をアートソムリエ・山本冬彦氏からいただいた。

置戸町は読売新聞に掲載された「無名画家の作品 寄贈の場」の投稿に触発され、廃線になった旧駅舎の2階を寄贈作品を展示する場として提供することになった。
山本冬彦氏や画廊の宮坂祐次氏等が推薦人となって、その趣旨に賛同した寄贈者90名の方が約100点の作品を寄贈し、「開館記念展」が開催されることになった。
今後は全国の画家さんやコレクターの方から広く寄贈を受け付け、「アートの町、置戸」を目指すそうだ。

将来の手持ちの作品の行く末を心配するコレクターや作家は多い。
秘蔵というより死蔵されてしまうか、粗大ごみとなってしまう可能性さえある。
こういう場が出来ることで、作品の展示の機会が増え、仕舞い込まれていた作品に日の目が当たることはとてもいいことである。

個人や企業では、長きにわたり作品を管理維持していくことは大変難しい。
公共の場を提供されることで、そうした問題も解決されていくが、芸術文化に理解を示す自治体は少なく、置戸町の英断にエールを送りたい。
ただ、どの程度までの作品を受け付けるか、質の問題を考えると難しい面もある。
公共の美術館にも寄贈の依頼はたくさん来るだろうが、美術館もある程度の線引きをしていて、そうでないと言葉は悪いがゴミ捨て場と化してしまう。

卑近な例で恐縮だが、私の母も長年陶芸をしていて、置き場所に困るほどの陶芸作品がある。
器などならまだ貰い手もあるが、抽象的な作品ばかりで貰い手もなく、捨てるわけにも行かず、さてどうしたものかと悩んでいる。
それではと素人の手慰みの作品を寄贈したいと申し出たら、相手は相当迷惑をするに違いない。

新聞に無名の作品と出たのだから、四の五の言わずに受け取れとごり押ししてくる輩も出てこないとは限らない。
この辺をどう解決していくか、広く受け付けるとは言え、難しい問題である。

10月20日A

NTT東日本群馬支店には「YOU HALL」という展示スペースがあり、随時展示会が開かれているが、その展覧会案内のチラシに「Kato氏のおすすめ芝居」と題して毎回Kato氏が一文を寄せている。
今回はKato氏が私共で購入した高木まどかの作品いついて書いてくださっているので紹介させていただく。

「私の持っているキュートなモノ」6回目は、高木まどかさんの小さな立体です。
昨年の7月にギャラリー椿で出会うべくして出会いました。
小振りながらも圧倒的な存在感、身体の表面を満遍なく覆う呪術的とも言える原色の装飾。
彼女は粘土で作られた立体でありながら既に夜を支配するシャーマンで、夜な夜な一人、祈祷を繰り返しているに違いありません。
ただし全くのイノセントとして。
後からそっと覗き込んでも、肩越しに発せられる見えない視線に射抜かれて動けなくなります。
蜘蛛の糸に絡め取られた蝶が、死を覚悟しながらも一瞬感じてしまう快感があるとしたら、まさにそのように。
それなのに、それだからこそ、ただただキュートです。

高木まどか 縦26.3mm 横22.8mm 高32.7mm 乾湿粘土 アクリル

高木さんの平面作品も素敵です。



10月20日

村上隆氏の新著「創造なき日本」について、アートソムリエの山本冬彦氏がブログに書いているので紹介させていただく。

【気になった部分をアトランダムに紹介】

・アーテイストは社会のヒエラルキーの中では最下層に位置する存在である。その自覚がなければこの世界ではやっていけない。

・美大生たちは「描きたいものを自由に描けば良い」と教えられ、その枠内で創作を続けている人がほとんどです。しかし、そういう人たちは結局、趣味の域を抜け出せずにその創作活動を終えるだけです。アート業界で生きていくなら、この世界のルールを一から十まで把握した上で、しっかりとターゲットを絞り、ターゲットに向かって弾を撃つというやり方をしなければ勝てません。

・芸術作品は自己満足の世界でつくられるものではありません。営業をしてでも売らなければならないものです。そのためには価値観の違いを乗り越えてでも、相手、顧客に理解してもらう「客観性」が求められます。

・アート界で最初に問われるのは才能などではなく「自覚と覚悟」になる。絵の才能などではなく「戦略」です。アートを職業に選ぶなら、ほかの事はやらず、アートの歴史を学び、アートマーケットで売っていく戦略をたてなければいけない。

・アート業界で生きていくためには、ただ描くだけでなく、社会の中での自分の立場を理解して、社会や人にご機嫌取りをする感覚も持っていなければなりません。

・画家には顧客に対する「ご機嫌取り=自分や自分の作品の効果を最大限発揮させるための設定と演出」が必要。受け手に対するサービス精神がなかったならば、芸術の世界で生きていけるはずはない。

・プロのアーテイストには制作費、アトリエ家賃、生活費・・・などのコスト管理を徹底し、死ぬまで創り続けるための金銭感覚が必要。

・最近の安直なデビューを願っている美大生は、AKBに入りたいと言っている女子中学生と同じです。

村上氏は日本の画壇や従来の考え方とは違っているので賛否両論はあると思うが、村上氏の発想がグローバルであること、アートをインダストリーと考えていること、そして大衆芸術ではなく時代を超える純粋芸術を目指し始めたことに対する考え方の違いから来るものであろう。
今回の本の内容は美大生や画家には理解しにくいと思うが、ビジネスマンだった私にはよく分かる。
この本は「芸術起業論」で起業家宣言した村上が「芸術企業家」としての経営戦略・人材育成論を余すところなく開示したもので美大生や若いアーテイストには参考になるところが多いので一読を薦める。

私の考えも述べさせていただく。
私は画家が経営戦略、営業力だけで生き残れたとしても、作品だけが一人歩きをする時に、果たして存命中と同様な評価を得られるかどうかは疑わしいと思っている。
過去の例を見ても、そうした画家達が美術史に残っていくケースはごくごく稀である。
芸術企業家として、大衆の中で今を生き抜き、物質世界を目指すか、
芸術家として、清貧に甘んじ、精神世界を目指すか、
それぞれの価値観で選ぶしかない。
そのどちらにも村上が言うように自覚と覚悟は必要だが。

10月19日

今朝から知人の紹介で、日本画を処分したいというお宅に伺う。

大きなお宅だが、お父様が病気で入院し、一人では心配とお母様も娘さんの家に引越し、全くの空き家になってしまっている。
セコムが入っているので心配はないが、新築して10年ちょっとのきれいなお宅だけに空き家にしておくのはもったいない。
作品は著名作家のものが多く、買われた画廊も大手の老舗画廊ばかりなのだが、昨今の日本画の価格の値下がりで、ご期待に副えるような数字が出せそうにない。
私も専門ではないので、知り合いの日本画商に査定をお願いしようと思っているが、さてどのような結果が。

10月18日

昨日今日と雨模様。

画廊は静かなものであるが、台北・テグのアートフェアーやドイツの人に売れた作品の発送に、スタッフは大童。
海外への発送は費用もさることながら、写真撮り、保険やインボイスなどの書類作りから、梱包など煩わしいことが多く、はい宅急便というわけにはいかない。
特に海外は大作を送る機会が多く、ダンボール箱作りから木箱作り、画面の保護、湿気止め、緩衝材などの作業も小品のように簡単にはいかない。
海外のフェアーや展覧会の仕事が多い画廊は自前のトランクのようなものを作っているようだが、全ての作品がそのサイズに収まるとは限らず、また常時置いておく場所の確保も大変である。
数十万円はかかる輸送費と手間隙を考えると、何か良い方法がないか思案するがいい知恵が浮かばない。
安くて安全な方法があれば是非教えていただきたい。

10月17日

先程コレクターのYさんと一緒に見えた女性は筋金入りの巨人ファン。
小学校一年生よりプロ野球テレビ観戦、巨人戦は全試合欠かさず録画、有名国立大学卒業時の卒論のテーマは「プロ野球球団経営」だそうだ。
大手企業でいくつかの雑誌の編集などを経て、現在はフリーのライターとして活躍、野球エッセイなどでも受賞歴がありといただいた名刺に書かれていた。
これを機会に是非プロ野球、特に巨人軍にまつわる話などを聞かせてもらえるとありがたい。

同じく巨人ファンの娘夫婦は、子供を母親に預け、クライマックスシリーズ巨人・中日戦を見に出かけた。
私もこれから始まる試合経過が気になって、仕事が手につかなくなりそうだ。

10月16日

美術手帖の今月号の特集「超絶技巧」に山本タカト、小川信治などの人気作家とともに篠田教夫が紹介されている。

篠田教夫は対象物のごく一部分を驚くほど微細に描き、その質感・量感を卓越した表現力で創造する。
描くといっても紙の全面を鉛筆で塗りつぶし、それを電動消しゴムを使って、少しづつ消しながら描くという手法をとっている。
一日に数ミリの仕事で、1点制作するのに5年近くの歳月を要する。

2007年・目黒美術館の「線の迷宮ー鉛筆と黒鉛の旋律」展で紹介され、一躍脚光を浴びることになった。
おそらくその展示を見たのであろう、篠田の抜群の描写力を買われ、150の有名な神社仏閣の公式ガイドブック「神と仏の道を歩く」の刊行にあたり、そうした寺社を写真ではなく、篠田の鉛筆デッサンで描いてほしいとの依頼を受けた。
これだけの数を消しゴムで描くには、100年かかっても無理な話で、彼のつてで当代の秀でたデッサン力の持ち主を助っ人に頼み、何とか出版にこぎつけた。
と言っても、消しゴム画ではとてもこなしきれず、鉛筆デッサンで篠田も描くことになったが、その出来栄えは一目瞭然、他を凌駕する圧倒的なデッサン力を見せつけてくれた。

鉛筆で描くだけで、神業とも思える表現が出来るのに、何故また消しゴムで消しながら描くといった面倒な手法をとり、気の遠くなるような歳月をかけるのだろうか。
私には伺え知ることは出来ないが、おそらくその時の集中力と緊張感を時間の経過とともに楽しんでいるに違いない。

2003年に私共で個展を開催し、次を約束しながら既に10年が経とうとしている。
消しゴム画だけでなくてもいいと言っているのだが、篠田のこだわりがそれを許さず、何とか再来年にはとの約束だけは取り付けたが、果たして実現するかどうか。
お互い歳も歳だけに、何とか生きているうちに実現したいものである。



10月15日

京橋界隈の時に作ったアートマップを片手に外国からのお客様。
イタリアから来た陽気なご夫妻である。
IMFの会議が終わって画廊巡りをしているそうだ。
金融関係の偉い人なのだろうが気さくで、ちょうど展覧会中の金井訓志さんが文化庁の海外研修を含め何度もイタリアに行っているので、話が弾み、是非イタリアにくることがあったら連絡をしてくれとのこと。

IMFには2万人の海外からのお客様が来るということで、銀座連合会などではガイドマップを作ったり、画廊をツアーを企画したりで、歓迎ムード一杯だったが、京橋はそうしたものもなく静かなものだったが、こうして以前に作ったガイドブックを片手に訪ねて来てくれるのだからありがたいことである。
先日の超有名レーサーもホテルのガイドマップで画廊を訪ねてくれた。
こうして見ると、英文のギャラリーマップをもっと充実させ、定期的にホテル等に配布しておくことをもっと考えなくてはいけない。



10月13日A

昨日のパーティーで知り合ったS氏にフェースブックの友達リクエストをしようと検索してみて驚いた。
経歴には東京大学・大学院と進んだ理学博士で、帝京大学医学部の准教授だったそうだが、今年その職を捨てて、遠く大分の漁港近くに家を建てて、漁師見習いをしながら自給自足の生活をしていると書かれていた。
味わいある人生を送っている人がいるもんだ。

10月13日

昨日は老人ホーム「銀木犀」の完成披露パーティーに行ってきた。
若き経営者・下河原氏の夢が一杯詰め込まれたホームである。
その空間の一画に私共の個展の折に求めていただいた井澤由花子の大作が飾られている。
井澤も是非とのことで同道してもらい、パーティー会場に向かった。
あらゆるところに絵画やオブジェが置かれ、感性豊かな老人ホームとは思えない素晴らしい癒し空間を演出している。
入り口を入ったすぐの大きな壁面には井澤の作品が飾られ、広間には台湾で紹介をし、2年後に個展を予定している下河原氏の友人でもある森口祐二のホームのために描いた心温まる作品も展示されている。
パーティーは大盛況で、和からフレンチ、イタリアンまである豪華な食事が振舞われ、ダンスあり、ヴァイオリンの演奏ありで、大いに盛り上がった。
一つ戸惑ったのはいきなりの指名で挨拶をさせられたことであったが、下河原氏の熱き思いに心よりのお祝いを述べさせていただいた。



10月12日

ギャラリー椿で一番古いお付き合いをさせていただいている望月通陽の希少な作品が手に入った。
「出埃及記(エジプト)」という型染め限定本で、塚本邦雄の歌を望月が型染めによる絵と文字にし、昭和55年に湯川書房から出版されたものである。
望月は染色家としての道を歩み始めた頃、湯川書房の主人・湯川成一に見出され、いくつかの染め本や装丁に携わることになったが、この本が一番最初に出版された文字通りの処女作である。
湯川成一氏は2008年に亡くなられたが、限定本のみを出版した気骨の出版人であった。
そこでは柄澤斎、北川健次、岡田露愁、山本六三等多くの美術家が装丁や挿画に携わり、多くの名本が出版された。
氏の三回忌に開かれた「湯川成一と湯川書房・ゆかりの美術家たち」展の時に「ブログ・森の言葉、言葉の森」で望月に触れた文章があるので、長くて恐縮だが紹介させていただく。

   彼が湯川さんから加藤周一の限定本『美しい時間』の差し箱の染めを依頼されたのは25歳の時、「染物屋」の修行時代を終えてすぐの頃だったという。
 そのころは、《絵》を染めるという発想そのものが染色の世界にはなかった。
 民芸の思想が色濃い染色の世界では、のれんや和服の反物を染めるような工芸的な、つまり「絵」ではなく図案を染める「用の美」が尊ばれた時代。
 望月さんは、そういう伝統的な染色の世界に飽き足らないものを感じてはいたが、実際に「自分の絵」を染めるという発想を持つに至ったのは、この湯川さんの依頼がきっかけだったという。
 湯川さんは、彼の染めたのれんを見て、加藤周一の限定本の箱の意匠を彼に依頼したのだった。
 この時、美術家、望月通陽は誕生したといっていい。
 『美しい本』の依頼からほどなく、湯川さんから「一冊全部染めて本を作りませんか」と誘われる。
 「本」の世界に踏み込むことを決意した望月さんは、そのためには「人間」を描かなければならないと考える。
 そこから彼は、「絵」を描くことを本格的に勉強することになるのだが、その勉強のやり方が望月さんらしい。
 デッサンを繰り返して人体の描写の勉強をするのではなく、人間についてあらゆるものを包含している「聖書」を読み込んだ。
 それが、彼の湯川書房での本格的な染絵本の第一作『出埃及記』となって結実する。
 やがて、彼の独特の人間のフォルムが生まれるのだが、それは「聖書」や神話や多くの文学作品をなかだちとして培われた、人間についての深い思索から生まれたものだ。
 顔や手や足の「かたち」から入るのではなく、「聖書」などの作品を通して見えてくる人間と、彼自身の内部に育ちつつあった望月通陽という人間との葛藤が、あのしなやかで力強い人間のフォルムを生み出したのだろう。
 彼がそれ以後、染め絵にとどまらず、ガラス、陶器、ブロンズやリトグラフや舞台衣裳にまでその世界を広げてているのは周知のとおりである。
 また、光文社新訳古典文庫のカバーのペン画でもおなじみである。
 しかし、軸は染絵の世界とは変わらない。
 素材に逆らわず、素材の呼吸に合わせて、すっと自分の絵心を滑り込ませている。
 同じく文学的な世界を背後に持つ(ともに『聖書』から強い影響を受けている)柄澤齊さんの版画とは全く対蹠的である。
 絵そのものの性質はもちろんだが、柄澤さんの場合は《読む》ことを強いる絵だが、望月さんの作品は《読む》ことを拒む。
 柄澤さんの版画は、版画の方が見るものを選ぶのに対して、望月さんの絵はだれでも受け入れる要素を持っている。
 これはある意味では、「聖書」から何をくみ取ったかということにかかわる問題だが、この点については、また改めて書くことにしよう。

この本が手に入る前日に出かけた、松涛美術館・「坂田和實の40年・古道具、その行き先」の坂田氏もこの本を見たのがきっかけで、望月の初めての個展を坂田でやることになるのだが、この40年間に後にも先にも、 坂田が生きた人間の展覧会をやったのは望月だけである。
その本が次の日に手に入ったのだから、縁とは不可思議なものである。

来年1月には恒例の望月通陽新作展が私共で予定されている。



10月11日

私共の隣りに二つの美術商がお店をオープンした。
一つは京都に本店のあるお茶道具屋さんの宇野商店、もう一軒が銀座一丁目から越してきたギャラリーセラーである。
古美術を扱うお店と現代美術を扱うお店が軒を並べることになった。
以前は多くの画廊がこの通りにはあったのだが、現在建築中の巨大ビルの建設に伴い移転してしまい、寂しい通りとなっていたが、これでようやく当時の活気が戻ってくるのではないかと期待している。
建築中のビルも来年3月の完成に向けて、急ピッチで工事が進んでいる。
通りには大きな木がいくつも植えられて並木道となり、道幅も広がり、銀座線の京橋駅からも直接繋がる出入り口も出来るそうで、様相は一変し、私共の裏口側が今度はメーンの通りに変貌する。
地上、地下の4フロアーはショップやレストランが入る予定で、オフィスも含めビル全体で約1万人の人口に膨れ上がり、利用する人たちの人数を見込むと大変な人出となる。
このうちの1%でも画廊に関心を持ってくれればと、ビルの完成を指折り数えている。

10月10日

今朝は古くなり解体することになった友人宅に行って来た。
戦前からの家で木をふんだんに使った大邸宅なのだが、だいぶガタが来たのと地震のこともあって、そこを売り払い、近くのマンションに引っ越すことになった。
日本家屋には珍しい3階建ての大きな家だけに和家具や屏風、火鉢などが所狭しと置いてある。
マンションにはとても持っていけないので、そうしたものの処分の相談を受けたのではあるが。
立派な梁や柱でも壊すのはもったいないくらいなのだが、そこかしこに当たり前のように置いてある家具調度品も、螺鈿の細工や彫り物がしてある立派なものなのだが、さて今風の家屋となると居場所がない。
時を経た風合いもまた、そうした調度品の美しさを引き立てているのだが、行き場がなくなると、ただの粗大ごみと化してしまう。
知り合いの処分品専門の業者に頼んで、市場に出してもらうことにしたが、恐らく二束三文にしかならないと思うと、何ともやりきれない気持ちになる。

振り返って、今の美術市場の近代美術の凋落振りを見ていると、確かに今風の建築には、そうした美術品がそぐわなくなってしまったのも、その要因の一つかもしれない。

とは言え、先日見た松涛美術館の「坂田の古道具・その行き先」を見てみると、日常の中で置き去りにされた物にも美を感じ、それを支えてくれた人たちがいることも忘れてはならない。

見続ける力、支え続ける力を坂田の古道具は教えてくれている。

10月9日

連休は河口湖へ。
朝の気温は何と8度。
暑さと寒さの中くらいがないまま、秋本番。

金曜日に訪ねて来て、岩渕華林を買ってくれたドイツからの青年がまた画廊にやってきた。
今度はGTUで始まった青木恵の大作をまとめ買い、更には先日開催した井澤由花子の残った作品をこれまたまとめ買い。
Tシャツにジーパン姿のどこにでもいそうな小柄な若者なので、本当なのかと首を捻ったが、超有名な F1レーサーだそうだ。
自分からはそのことをおくびにも出さず、それに触れようとすると唇に指を当てて、しーと言う謙虚な青年である。
一緒に写真でもと思ったが、何となく言い出しにくくなり、どうやら作家の青木恵だけが写真を一緒に撮ったようだ。
来年のレースの時にもまた画廊にやってくると言うから、その時こそしっかりと記念撮影を。

  10月6日

今日から金井訓志展が始まる。
漆で縁取りされたポップな人物像が並び、会場は華やいだ雰囲気に包まれる。
7時からはマリンバのライブが予定されていて、一層の盛り上がりが期待される。



GTUでは日本画の青木恵展が同時開催される。
こちらもインパクトある色彩で描かれた花鳥風月の世界が展開される。

現代そのものの金井と伝統を継承する青木との対比がおもしろい。

 


10月4日

今日もいくつか台北用出品作品を紹介させていただく。

100号の大作を持ってくださる方など、台湾で人気の横田尚の新作



昨年のフェアーでも好評で、台北市内にスペースを作り、常時彼女の作品を紹介したいという人もいる服部知佳の新作



台北の有名インテリアデザイナーの目に止まり、彼のオフィスにも「ノアの箱舟」をテーマに数え切れないほどの動物のオブジェを作った北村奈津子。
今回も二つの豪華別荘の壁面や庭に壁画とオブジェの依頼を受けていて、一つは「キリスト降誕」をテーマにした作品が完成し、今回のフェアーに同行してもらい、お宅に展示をすることになっている。

「キリスト降誕」



10月3日B

またまた私の友人から依頼されて売却した作品の証明が取れないということで、私共に作品が返却されることになった。
この前はその顛末を日記に書いたが、結局は鑑定の間違いで本物に覆ったのだが、今回もその結果に納得が行かず、真作という確信があるので、再鑑定に出してみようと思っている。

それは脇田和のとてもいい作品なのだが、何が根拠で本物でないということになったのだろうか。

この作品の持ち主の方は、私の友人のお父様で亡くなられてだいぶ経つが、脇田和の軽井沢のアトリエ(現在の脇田和美術館)とその方の別荘がすぐそばにあったことから、長いお付き合いがあり、脇田さんから趣味で絵も習っていたそうである。
そんなお付き合いの中で、脇田さんからアトリエにあったその作品を譲ってもらうことになったそうだ。
他にも版画なども貰われたそうで、その作品も私共に来ている。
ただプレゼントされた作品だっただけに、サインは入れておらず、タイトルも記されていないが、独特のマティエールと淡く美しい色合いは脇田独自のものであり、余程の力量がない限り、真似しようにも真似出来ないもののように思えるのだが。

仮に贋物として意図したものであれば、サインも真似するであろうし、裏にタイトルも書くのではないだろうか。
また、その方が絵を教えていただいていて、その際に脇田作品を模写したとすれば、それは趣味の域を超えた素晴らしい技術の持ち主といえるだろう。

私の友人も生前のお父様から作品を貰った経緯も聞いていて、画商から買ったり、他の人から譲ってもらったものではないことは確かなようである。
そんなこともあって、友人にはこの作品が鑑定が取れなかったとはとても言いづらく、頭を抱えている。

名前を出せば誰もが知っている老舗画廊の鑑定会だが、以前にもやはり親しくしていて作家からいただいた作品の鑑定を依頼したときも、証明書を取ることができなかった。
その際、鑑定に携わったその作家に一番詳しい方からも、どう見ても贋物には思えないのだが、一人が否の判断を出した以上証明が出ないという返事をいただいた。
但し、自分も間違いないと思うので、持ち主が手に入れた経緯を話して、もう一度再鑑定に出したらどうかと言ってくださったが、持ち主の方がそんないい加減な鑑定は信用しないと怒ってしまい、再鑑定には出さずじまいとなってしまった。

鑑定料を取る以上は個人の目の判断だけではなく、科学的根拠も示して真贋を明確にしてもらわないと、依頼されたお客様も納得できないだろう。
仮に、こうしたことでお客様が仮に訴訟を起こしたときには、鑑定した人はどういう根拠を示すのだろうか。
鑑定会の看板を張って、高い鑑定料をとる以上は、それだけの責任があることを自覚して、しっかりとした判断基準を示す必要がある。
更には、一画廊だけがこうした鑑定をすることにも大きな問題があるように思うが、いかがだろうか。



10月3日A

台北アートフェアー出品作品

全てセラミックで出来ている超絶技法

塩澤宏信 スティラコサウルス式戟龍型走行装置、アロサウルス式捕捉型走行装置



10月3日

月刊ギャラリーの先月号と今月号で私と詩人・小川英晴氏との対談が数ページにわたって掲載されている。
以前にも同誌で同じような対談をさせていただき、2回目の登場となった。
同誌の25周年記念連載の一環で、小川英晴のアート縦断・現代美術の現状といった大それたタイトルでお話をさせていただいた。
というよりは、小川氏の話に沿って私が話すといった具合で、何の準備も予備知識もないままに取り留めのない話をさせていただき、読み返すと顔から火の出るような思いである。
私どもで紹介させていただいている作家の作品写真が多数掲載されていることで、画廊広報活動には役立ったかなとは思っている。

10月2日

今日は朝から台湾の画廊さんを連れて森美術館へ。
お目当ては美術館ではなく、お隣のショップの草間弥生の版画だったが、気にいったものがなく、草間グッズをまとめ買い。

昼食後、私は一人松涛美術館へ。

古くからの知人でもある古道具坂田の主人・「坂田和實の40年・古道具その行き先」の内覧会があって行ってきた。
古びた雑巾から野良着、ドラム缶の蓋、魚の焼き網など、どうでもいいようなもが次々に並ぶのだが、これほど一つ一つに目を凝らしてみる展覧会も珍しい。
何と村上隆や白州正子のコレクションも展示されている。
何気なく見過ごしてしまったり、通り過ぎていってしまうものに目を注ぎ、普段使いのものに美を見出した坂田氏の審美眼に目からうろこ。
氏は「とうとう、既成の美の価値観というような大きな堅固な壁と撃沈覚悟で、真っ向勝負という形になってしまいました」と言う。
こだわりを貫き通した結果が、こうして公共の美術館の展覧会に繋がるのだから、見習うところ大である。

留守中に若いドイツ人が来て、岩淵華林の作品を買ってくれたそうだ。
スタッフが何軒か現代アートの画廊を紹介してあげたそうだが、そこからの話では彼はF1レーサーで鈴鹿のレースが終わったら、また画廊にやってくるそうだ。
ミーハーの私はサイン帳を片手に待っていなくては。
これでは、とても坂田氏みたいにはなれそうにもない。



10月1日

今日は私共の東京西北ロータリークラブでアートソムリエ・山本冬彦氏が「アートコレクションの愉しみ方」と題して卓話をしていただいた。
うちのクラブは東京で5番目に設立された55年の歴史を持つ伝統あるクラブで、会員も錚々たる方が多いが、さてアートとなると殆ど関心のない方が多い。
私共で2年に一度「友美会」と称して会員と家族による展覧会を開催しているが、その仲間の展覧会でさえ見に来る人が少ない。
そんなこともあって、会員諸氏にアートの愉しみ方、更にはコレクションの愉しみ方をご教示いただき、アートへの関心を少しでも高めていただければ、お呼びした甲斐があるというものである。





バックナンバー

2012年1月〜3月 2012年4月〜6月 2012年7月〜9月 2012年11月〜12月

2011年1月〜3月 2011年4月〜6月 2011年7月〜9月 2011年11月〜12月

2010年1月〜3月 2010年4月〜6月 2010年7月〜9月 2010年10月〜12月

2009年1月〜3月 2009年4月〜6月 2009年7月〜9月 2009年10月〜12月

2008年1月〜3月 2008年4月〜6月 2008年7月〜9月 2008年10月〜12月

2007年1月〜3月 2007年4月〜6月 2007年7月〜9月 2007年10月〜12月

2006年1月〜3月 2006年4月〜6月 2006年7月〜9月 2006年10月〜12月

2005年1月〜3月 2005年4月〜6月 2005年7月〜9月 2005年10月〜12月

2002年 10/19-12/28 2003年 前半 2003年 後半 2004年

<

RETURN