ギャラリー日記
2013年1月〜3月

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3月30日

また寒の戻り。

微かに残った大島桜を眺めながら京橋三丁目の桜を愛でる会が始まった。
まずは画廊の前の通りを大根河岸、反対側を竹河岸と称することになった命名式が行われた。
渡り初めを先の歌舞伎のお練り同様にとび職の木遣りを先頭に神主さん、区長さんたちが続く。
つぎに大根河岸通りをマルシェと銘打って市場として解放し、模擬店が並んだ。
その中に私のところもテントを立てて、綿引明浩によるワークショップを開店。
透明のアクリルに裏から絵を描いてもらうと、表には美しい色が浮かび上がる。
同時に画廊内には綿引作品を並べ、中にも入ってもらおうという趣向だ。

あまりの寒さに思ったほどの人は来なかったが、これをきっかけに大きなイベント化して、この界隈の活性化に繋がることを期待する



3月29日A

ギャラリー4月号の名古屋覚氏の記事の中に、東京都現代美術館を閉館し、主に都内在住作家による最新のアニメやゲームと、書や工芸などわが国の伝統美術を同時に紹介する「クールトーキョーフォーラム」を同館建物内に新設する方針を固めた。
収蔵品売却と美術館清算のために必要な条例案を年内にも都議会に提出するということが書かれてあったが、全く寝耳に水で驚いている。
現代美術館が採算ベースに合わないのだろうか。
本当だとしたら由々しき問題である。

3月29日

京橋三丁目の桜を愛でる会の前夜祭・夜桜鑑賞と明日の本番にかろうじて桜は残ってくれそうだ。
明日は同時に「春呼ぶ東北」と題して、福島県飯館村の作品販売や東北各地の野菜・果物などの無料配布、焼きそばなどの模擬店が花を添える。
他にも将門太鼓、アコースティックバンドの生演奏など賑やかに開催されることになっている。
私のところは綿引明浩のワークショップを開くので、是非ご参加いただき、手作りアートを楽しんでいただきたい。



3月28日A

今朝はここしばらく気になっていた胸の痛みを診てもらいに病院に行くことにした。

心配することはないようだが、念のため、日を改めて心臓のエコーとホルター心電図という24時間器具を装着して心電図を記録する厄介な検査をしなくてはいけない。
命に関わるようなことでもなさそうだが、きちんと調べておくにこしたことはない。
それにしても去年の暮から痛風や心臓と思いもよらぬことがおこる。
病気とは無縁と思っていたが、年相応にガタがきているのだろう。

画廊に戻ると、高校のクラスメートの訃報が入った。
持病を抱えていたが、突然の死に呆然としている。

とにかく健康に気をつけ、友人の分も元気でいなくては。

3月28日

美術愛好家のM・S氏の「mmpoloの日記」に夏目麻麦展を紹介していただいたので転載させていただく。

■[美術]ギャラリー椿の夏目麻麦展を見る喜び

東京京橋のギャラリー椿で夏目麻麦展を見る(4月6日まで)。
夏目は1971年生まれ、1998年に多摩美術大学大学院を修了している。
その年にギャラリーQで初個展、以後ベルギーや東京の西瓜糖、藍画廊、Porte de Paris、ギャラリー椿などで個展を行っている。
現在、中堅作家としてトップクラスの実力を持っている。

  ここに掲載した50号の作品2点が特に良かった。

 


    DM葉書にも使われた斜め後ろ姿の女性像、これは裸婦だろうか、色彩が艶めかしい。
いつも夏目の描く人物は形態があいまいだが、光に包まれて不思議と官能的なのだ。
もう1点、右腕にあごを乗せている作品。
女性が物思いに耽っている。
顔は暗く表情は見えない。
しかし失望とか激しい悲哀に陥っているのではなさそうだ。
その顔から胸、腹部にかけての暗い色を、洋服からソファ、そして後ろの空間と徐々に明るくなる色彩が、層をなして包んでいる。
とても美しい作品だ。

夏目は、叫んだり、けれん味たっぷりだったり、派手だったりすることなく、一見淡々と画面を作っているように見える。
人物のポーズも動きは少なく、特別な行為をしているものはない。
それがなぜこのように魅力的なのだろうか。

2007年より2年に1度、奇数年にギャラリー椿で個展が開かれている。
ここに夏目の深化を追いかける楽しみがある。

    3月27日

今日は冷たい雨が降って、真冬に逆戻り。

そんな中、画廊の前の高架下から歌舞伎座の完成を記念して、歌舞伎役者60人ほどが練り歩く「お練り」が実施された。
先日、三月花形歌舞伎を見たばかりとあって、これは見なくてはと朝9時には駆けつけたが、既に人の山。
幸いお練りの出発口の先頭の場所に空いたところがあって、特等席を確保。
さあそれからが大変で、傘をさしていると人に当たって迷惑かけるので、傘をしまい、濡れながら待つこと1時間半。
風邪ひきそうなくらい寒いが、一向に出てこない。
どうやらお偉い人たちの挨拶が長引いているようだ。
連中は高架下で濡れずに済むが、待っている我々はたまったものではない。
やっとのことで鳶の木遣り唄を先頭に、纏を掲げる人たちが続き、その後に紋付袴の役者衆が現れた。
ところが目の前に警備の警官が立ちはだかり、見えにくいことこの上なし。
後ろから押されるは前は見えないはで、ろくに写真も撮れないままに、あっという間に役者衆は通り過ぎて行ってしまった。
寒さに震え、かじかんだ手に濡れたコートを抱えながら、年甲斐もなくミーハーをしてしまったことを後悔している。



3月26日

桜が咲いた途端に寒くなり、着て行くコートを出したり引っ込めたりで大忙し。

都内各地で開かれていた春のアートイベントも一段落だが、私どもの夏目麻麦展はまだ始まったばかり。
明るく華やかになった作品に人気が集まり 、ほとんどの作品が売約となった。
私のところにも春到来といったところだろうか。

とはいえ、購入していただいたお客様はお得意様ばかりで、なかなか新しいお客様とのご縁が出来ないでいる。
ここが問題で、アートフェアーや美術館の人出を見ていると、やはり外にどんどん発信していかなくてはいけないと痛感させられる。

同時に内側に呼び込む努力もしなくてはいけない。
隣の新しいビルも4月18日にはオープンするし、並びの通りにも古美術商が来ることになっていて、更には私共のビルにも銀座の画廊が移転してくる予定である。
このように、この界隈も新たな人の動きと美術関係のお店が増えることで、それに関連した人たちをどのように取り込むかを考えていかなくてはいけない。
明日は歌舞伎座のオープンにあわせて、銀座通り入り口から4丁目まで歌舞伎役者勢ぞろいでのお練りが行われる。
先のオリンピックメダリストのパレード、巨人軍優勝パレードなどで、大勢の人が詰め掛けたこともあって、この地域の活性化に繋がっていることもあり、いい機会と捉えて、新たなお客様とのご縁が出来ればと思っている。

3月25日

日曜日は花見を兼ねて美術館巡り。

北の丸公園ー千鳥が渕ー国立近代美術館ー上野公園ー上野の森美術館ー国立西洋美術館。
疲れたが、自然とアートの美しさに圧倒された。

千鳥が渕を北の丸側から見ると人も少なく、また違った景色となるのを初めて知った。
花見の穴場かもしれない。
千鳥が渕は午前中にもかかわらず、人で溢れていたが、東京で見る桜としては圧巻ではないだろうか。
柄にもなく家内とボートにでも乗って桜を見上げようと思ったが、とてもとても行列を見てあきらめた。

外堀を一周するかっこうで近代美術館のベーコン展に向かった。
周りの喧騒と違って、人も少なくじっくりと見ることができた。
有名な作品がすべてきているわけではないが、近年見た展覧会では秀逸。
奇異に見えるベーコン独特の人物の表現力も素晴らしいが、それ以上に感じたのは、背景の色面構成の巧みさである。
新たな具象として今の作家達に大きな影響を与えたが、背景の色と形の抽象的な表現も今の作家達には大いに参考になるのではないだろうか。
見せる絵というのはこういうことなのだろう。

上野に向かい、先ずはVOCA展。
若手の登竜門として知られるが、ここ2,3年印象に残るものがなかったが、今回のレベルは高いように思った。
昨日のアートフェアーやベーコンを見てきたから余計にそう思うのかもしれないが、少しづつ今までと違う新たな具象が芽生えてきたように思う。
佐藤翠、吉田晋之介、笹井青依あたりに次の可能性を感じた。

最後は西洋美術館のラファエロ展。
その上手さは、今やっている白日会の人達が見たらひれ伏してしまうだろう。
ポスターにもなった「大公の聖母像」の端正さには目を奪われた。
少しは離れてじっくり見てみたいが、ベーコン展と違って人の山。
この三分の一でもベーコン展に行ってくれたらじっくり見れるのに。

上野公園も人・人・人で遠くから桜を眺めるだけで帰ることにした。
あまり歩きすぎて今日は腰が痛い。





3月24日

土曜日の夜は国際フォーラムのアートフェアー東京に行ってきた。
例年より会場が広くなり出展画廊も増えて、その上知り合いが多く、ほとんど各駅停車のようにブース前で話しかけられ、見きらないうちにホタルの光が流れてきてしまった。
その中でゆっくり見たのが、古美術のブースで、こう新しいものが溢れていると、かえって古いものが新鮮に見える。
浮世絵の肉筆画や康煕時代の陶器には見入ってしまった。
壷中居のブースだったか、これは現代の作家なのだろうが、ペーパーナイフの美しさにも見とれた。
完売していたが、値段も手頃で残っていたら間違いなく買っていたと思う。
技法を聞くことはなかったが、漆を塗ってあるのだろうか、全ての作品が独自の色と風合いを持っていて、一番印象に残っている。
他はざっと見ただけなので、何ともいえないが、コンテンポラリー系の出品作品のレベルが高くなっているように感じた。
それに引き換え、近代美術の大手画廊が推薦する若い作家達は、若い画廊が選ぶ作家達と似て非なるものを感じた。
上手く言えないがどこか違うように思えてならなかった。

参加もしないで勝手なことを言うようだが、アジア諸国のアートフェアーに比べ、海外の画廊があまり出ていないのが寂しい。
海外の画廊に参加してもらうにはどうしたらいいかを主催者は考えていかないと、グローバル化の時代に益々取り残されていくのは必至である。

3月23日A

今日は朝のいつもの散歩コースを変えて、大山町の公園を抜けて玉川上水の散策路にある桜並木へ。

空を覆うような満開の桜に,身も心も圧倒されるようだ。
日本人の誰もがこの桜の美しさに、この麗らかな季節に,酔いしれているに違いない。
世界広しと言えども、これだけ花を、季節を、愛でる人種も少ないのでは。
後10日もすれば花が散り、あの華やかさは跡形もなく消え去ってしまう。
いつまでも咲き続けない,つかの間の美しさが、またいいのだろう。
その僅かなひと時を慈しむ心が、微かな色や香りに心を寄せる日本人独特の感性を育んでいるのかもしれない。



3月23日

木曜日に韓国テグの画廊協会の前会長と現会長がアートフェアーに合わせて来日。
一日遅れでやって来た彫刻家のリユンボク君達を連れて月島のもんじゃ屋へ。
そうとう食べて飲んだのだが、それでも足りず、歩いて次は築地の寿司屋に向かう。
毎日寿司でもいいというパク前会長は大喜びだが、私は眠たいのと、これ以上は食べられないので、ここで失礼させてもらった。
韓国では当たり前のように飲んで食べて、それから締めに焼き肉に行こうというのだから呆れる。
彼らは前の晩も二人でさんざんビールを飲んだあと、更に一升瓶を空けたというのに、今日もまた飲み続ける。
いやはや恐れいる。



次からは食べ放題飲み放題の店を探しておこう。

3月22日

5月11日から始まるヤングアート台北の準備にそろそろかからないといけない。
新たに先のグループ展でニューヨークのコレクターに買っていただいた内藤亜澄と、コレクターのY氏に紹介いただいた谷口朋栄にも出品依頼することにした。
人選に迷うが、ヤングというタイトルが付いているので、なるたけ若い作家を紹介し、11月の台北アートフェアーにつなげて行きたいと思っている。
他に決定しているのは、韓国の写真家・イソルジュ、立体の牧野永美子、中村萌,浅井飛人、平面の岩渕華林、高橋舞子といったところである。



3月21日

アートフェアー東京とGーTOKYOが始まる。
アートフェアー東京に参加をしないというよりは、参加できないのは、GTUのスペースがレンタルスペースとなっているためである。
これは主催者の決まりだから仕方がないが、GTUを別会社にしてくれれば参加できるとのこと。
実質が同じなのに、アートフェアーにあわせて会社を作るのも馬鹿らしいので、参加はあきらめている。

G−TOKYOに現代美術の錚々たる画廊が参加することもあって、アートフェアー東京はコンテンポラリー系の出展が少なくなっている。
また、コンテンポラリー系は古美術や近代美術系とは一緒に出展したくないとの思いも強いようで、年々参加が少なくなっているようだ。
その分、近代美術の老舗が多く出展していて、今までのスタイルを一変させて、若手作家中心の展示をするところが多い。
これも現在のアートシーンを如実に現している。

私のところも期を同じくして、明日から夏目麻麦展が始まる。
あわよくば、アートフェアーのおこぼれ頂戴といきたいところだが、幸いにして、今日の飾りつけのときからたくさんのお客様が見えて、ほとんどの作品が売約となった。
夏目のような今風と一線を画した、どちらかというと一般受けしない作風に、こうしてお客様の関心が集まるのはとても嬉しいことである。
ぶれることなく、足元を見つめながら描いている作家がいるということを知っていただけるとありがたいのだが。
アートフェアーの帰りにでも是非お寄りいただきたい。



3月19日

朝の代々木公園も一昨日はまだ蕾だった桜が一斉に咲き出し、華やかな彩りに染まった。

お彼岸に桜が咲くのも滅多にないことだが、ご先祖様もお花見を楽しむことが出来て、さぞかし喜んでいることだろう。
墓参りは後にして、今朝は先ずは仏壇にお参りに。
仏壇の横には家に伝わる地蔵尊が鎮座ましましていて、我が家を見守ってくれている。
詳しい由来はわからないが、鎌倉時代のものらしい。
父親の滋賀・草津の田舎にあったものを移してきたが、当時は片腕がなくなっていた。
近所の人も昔はよくお参りに来ていて、拝んでいると片腕が引っ張られるようになると言う人もいて、45年ほど前に修理に出して、片腕を復元してもらった。
ご利益もどのくらいあるのかわからないが、家族みんなが平穏無事でいられるのも、お地蔵様のお陰なのだろう。



3月18日

4月5日から27日まで私共で発表を続ける服部知佳が大阪のヨシアキ・イノウエギャラリーで個展を開催することになった。
ヨシアキ・イノウエギャラリーは北川宏人、平久弥、ユーダイなどの現代作家を積極的に海外に紹介している画廊で、服部同様に私のところで発表をしている写真家の岡本啓、立体作家のリ・ユンボクも大阪ではヨシアキ・イノウエで取り扱ってもらっている。
今回の案内状にも、慈しむように丹念に塗り重ね、絵の具が溶け拡がるような描画と書かれているように、深いマティエールと幻惑的な色彩が魅力の服部だが、大阪初めての個展で、どのような評価を得るか楽しみにしている。



3月17日A

東京にも開花宣言が出た。
例年より10日ほど早く、去年よりは15日早い開花だそうだ。

安倍政権も絶好調で、こちらは春爛漫といったところだろうか。

TPP参加も国益を考えたら当然のことで、地元に反対派を抱える議員もボーズとしては反対を唱えざるをえないが、大方は賛成せざるを得なかったのではないだろうか。
幕末の開国派と尊皇派の対立と考えたらいいだろう。
保護主義がグローバルな時代に通用しないのは自明の理である。
海外との競争力を高めることで、更なる技術力や開発力が磨かれ、その結果が国益に繋がるわけで、小異を捨て大同につくことを選択した安倍政権にエールをおくりたい。

3月17日

土曜、日曜とロータリークラブの仲間の展覧会「友美会展」を開催した。

2,3年に一回、親睦を兼ねて、自作の油絵や書、秘蔵の珍品・迷品を出品し、美術談義に花を咲かせようとの趣向である。
各人錚々たる地位にいる方ばかりだが、美術への関心は薄く、画廊とは無縁の人が多いだけに、画廊を知ってもらうにはいい機会とお手伝いさせていただいている。
玄人はだしの作品もあれば、お孫さんの可愛らしい作品もあったりで、内容も幅広い。
所蔵品の中には、狩野探幽や浮世絵の勝川春章の肉筆画、与謝野晶子など滅多にお目にかかれない作品もある。
私は前にもブログで紹介した、家に古くからあったエジソン式蓄音機と江戸時代の和時計・一挺天符式掛時計を出品した。

蓄音機は大好評で、自慢げに来る人毎に聴かせている。

ただいつも来られるお客様達は、様変わりの画廊を見て、目をパチクリさせていて、画廊の趣味も変わったと思っている人もいるかもしれない。
月曜日からは通常に戻ります。



3月16日

寒くなったり、暑くなったり、風が吹いたりと、日替わりで天気が変わり、体がついて行くのが大変だ。
それでも着実に春は近づいていて、桜の開花も早まりそうだ。

毎朝散歩に出かける代々木公園にも辛夷や木蓮の白い花が咲き、沈丁花のかぐわしい香りが漂う。
寒かった冬が終わり、木々の芽吹きに目を留め、草花のほころびに心を踊らせる。

春の息づかいが間近に聞こえてくるようだ。



3月15日

親しくさせていただいた姫路の画廊のMさんが亡くなられた。
昨日の交換会の席で関西の画廊さんから聞くまで全く知らなかった。

姫路出身の菅創吉の展覧会をしていただいたり、時々画廊に顔を出して、若い作家を買っていただいたりしていた。
礼儀正しい、誠実なお人柄で、脱サラして画廊を起こし、自社ビルまで建てた成功者の一人であった。

私より年も若く、病気の話も聞いたことがなかったが、心臓発作による突然死だったそうだ。
昨年も名古屋の画廊のNさんが心臓で急死していて、二人とも私よりは若かっただけにショックは大きい。
ここ10日ほど、胸の真ん中辺りが詰まったような圧迫感があり、胸の鼓動も強くなる感じがあって、気になっているが、ネットで調べてみると、不整脈の兆候と出ていた。
我慢できないようなものではなく、日常にも差し障りがないので、ほっておいたが、お二人のこともあるので、近いうちに医者に行ってみようと思う。

聞いた昨日がお葬式ということで間に合わないが、日を改めてお悔やみに伺いたい。
心よりご冥福をお祈りする。

3月14日

渋谷の百貨店から5月に大規模な展覧会をするので協力をとの依頼が来た。
以前は年に数回の企画をしていたが、ここしばらくはお付き合いがなかった。
今回は2フロアーを使って、印象派からポップアート、国内の人気作家をワンフロアーに集め、もうワンフロアーに若手作家を集めての展覧会という初めての試み。
若手作家は大作をということなので、売れることはもちろんだが、少しでも知ってもらう機会になればと,協力させてもらうことにした。
渋谷もヒカリエが現代アートの紹介に力を入れたり、新宿地区もリニューアルオープンをするところがあったりで、新宿・渋谷地区の百貨店は新たなビジネスチャンスを見込んでいるのだろう。

逆に銀座では、ここ数年の間に西武や阪急がなくなり、松坂屋が建替えのため閉店することになったり、松屋が美術部を閉じたり、テアトル銀座がなくなったりと益々寂しくなるが、日本の中心だけに文化の活性化を目指し、三越・松屋には頑張ってほしいものである。

3月13日

ロータリークラブのゲストにO氏が行徳哲男先生を連れて来られた。

米国流の行動科学・感受性訓練と、日本の禅や経営哲学を融合させた自己啓発の研修をされていて、数多くの著名な企業経営者、代議士、スポーツ選手、芸能人達の心の師として活躍をされているが、実は私が小学校の頃に家庭教師をしていただいた方でもある。
偉い人になってしまったが、私には遊び相手のお兄ちゃんとしかうつらないと言ったら、皆さんに叱られてしまうかもしれない。
20年ぶりだろうか久し振りの出会いに大感激である。

名前を挙げたらきりがないが、エッと思うような人が皆、先生の門を叩き、苦境から立ち上がってきた。

先生は感性豊かな人間になれ、子供に返れ、裸になれと説く。
先生の言葉に皆、心を揺り動かされ、涙する。
私も教えを受けたいとお願いしたことがあったが、親しすぎて教えることができないと言われた。
そこで先生の本を読んだり、話された言葉を拾い出して、私の心の糧にしている。

行徳哲男師の心に響く言葉より…@

「開き直り」とはどういうことか。
人間にはもともと何もないと知ることである。

われわれは生まれたときに、何かを持って生まれてきたわけではない。
死ぬときに、何かを持って死んでいけるわけでもない。

生と死とはもともと何もない。
何もないのだから開き直ればいい。

真剣と深刻とは違う。 悲劇の主人公のような生き方は真剣とは言わない。
真剣というのは、もっと軽いものである。
真剣になればなるほど軽くなれる。

「軽さ」の頭に「あ」をつければ「明るさ」になる。
真剣な人は「明るい人」である。

行徳哲男師の心に響く言葉より…A

まさに、今は大激動、大変化の時代だ。
この東北の惨事が夢であって欲しいと何度思ったことか…

我々は、この当たり前の毎日が同じように明日も続くと信じ、今日と明日は連続していると思っている。
しかし、今まで当たり前だと思っていた日常が、ある日を境にそうではないと分かる。

変化とは、今までの当たり前が途切れることだ。
特に、大きな変化の前後には、いたるところに谷や崖ができ、そこで今までの連続性がなくなる。

その崖を跳び越すには身軽になるため、重い荷物は捨てなければならない。
自分の固定観念や、様々なしがらみといった荷物だ。

かつて、日本もバブルの崩壊までは、土地は絶対に上がるという神話が何十年と信じられていた。
銀行や証券会社も倒産しないと思われてきた。
そして、今、絶対に安全と信じられてきた原発が大変なことになっている。

電信電話公社もNTTとなり、auやソフトバンクとの競争となっている。
独占的だった電力も、今後は選択可能な別のエネルギーとの競争になるのかもしれない。

これからの生き方も同じだが、大変化の時代は、
自分の重き荷物を、捨てて忘れるという、やわらかな発想が必要だ。

つまらないことにこだわりすぎたら、翔(と)びたてない。

3月12日

先日紹介をした練馬美術館の小林猶治郎と富田有紀子の展覧会が産経新聞のWebに紹介されたと富田有紀子からメールが来た。

「超然孤独の風流遊戯 小林猶治郎展」 仙人のごとく、自由闊達な筆

不思議な画家の不思議な絵。どう説明したらいいのか。小林猶治郎はこれまでほとんど知られていなかった画家だ。なにしろ公立美術館で回顧展が開かれたのは今回が初めて。

以下は産経新聞のWebの記事を。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130224/art13022407370000-n1.htm
ちょっとおもしろかったブログ。
http://ameblo.jp/artony/entry-11472877908.html

3月11日

三月花形歌舞伎を観に行ってきた。
亡き團十郎、勘三郎の思いを継いだ海老蔵の熱演見事であった。
次代を担うに相応しい華があり、歌舞伎のおもしろさを再認識させてくれた。



3月10日A

3月初めとは思えない汗ばむほどの暑さと砂埃り舞い散る中を、次に向かったのは松屋のネクストアート展と銀座三越のアートミーティング展。
ネクストアート展にはうちで個展をしたウジマリ、中村萌が選ばれていて、アートミーティング展には昨日で終わった若手グループ展の中からキムソヒ、中村萌、牧野永美子が出品している。

最近はこうした卒業間もない作家たちも百貨店など発表の機会が多くなり大忙しである。
驚いたことにアートミーティング展の隣でやっている若い女性の個展は完売で、聞いてみると前回の若手作家の個展も完売したそうだ。
百貨店美術部もすっかり様変わりである。

昼を済ませ、今日が最終日のブリヂストン美術館の「筆あとの魅力」を見に行く。
コレクションの名品が並び、表題や色彩、質感ではなく、展覧会名の通り描き方に視点をあて、点描や、面の重ね、線描といった風に著名な作家の描くうえでの根本的なところが見えてきて、より深く鑑賞することができた。
そうした視点で見てみると今までそれほどと思っていなかったセザンヌの凄さを認識させられたり、抽象表現のザウーキーやアルトゥング、フォートリエの絵の具を自在に操る巧さがよくわかる。
久しぶりのブリヂストンの名画を鑑賞して思ったことは後世に残っていく作品には全て品格が備わっている。
格調の高さが観る人の胸を打つのだろう。

3月10日

今日は朝からY氏紹介の谷口朋栄の個展を見に木場にある画廊を訪ねた。
初めての画廊だが、その大きさに驚かされた。
中にはカフェまであって外国の画廊みたいだ。
上のフロアーも大きくて、ここではインスタレーションをやっていた。
オーナーはエネルギー関係の仕事をされていて、ご自身でも作品を制作されるようで、そうしたことから画廊も始められたらしい。

けっして景気がよくない美術業界だが、最近新しい画廊がどんどんできているのはどういう事なのだろうか。
それぞれ見込みがあっての開廊なのだろうが、私もだんだん浦島太郎みたいになってきて、昨今の状況がさっぱりわからなくなってきた。

谷口朋栄は松屋のネクストアートにも入選している愛媛在住の若手作家で、先日までも私の近くの画廊で個展をしていたという旬の作家のようだ。
顔料で描かれた優しく儚げな少女の作品はなるほどあちこちから声がかかるはずである。

3月9日

いきなり暖かくなってきた。
株も円も一足早く春真っ盛りといったところだろうか。
百貨店でも高額品が売れるようになり、土地やゴルフの会員権も値上がりを始めたという。
私のところは実感はないが、景気がよくなり、お金と心に余裕が出てきたら、こちらにもお裾分けがくるのではと指折り数えている。

3月22日から始まる夏目麻麦の作品に何点か予約が入ったり、資料請求が来ているのもその兆しなのだろうか。
今風の絵とは一線を画しているが、油絵とはこういうものなのかと思わせるマティエールの美しさと曖昧模糊とした実像と虚像の境目にあるような人物の構成力は卓越している。
地味だが深いといったらいいだろうか、こうした絵に目を留めてくれる人がいることがとても嬉しい。

国立近代美術館で昨日から始まった「フランシスコ・ベーコン展」は私の大好きな作家だが、夏目の仕事はどこかこのベーコンに通じるようなところがあるのではないだろうか。
ラファエロやグレコといった古典派の展覧会も開催されていて、その描写力には感嘆するが、時代を経てベーコンのような崩れた魅力といったらいいだろうか、その独自の表現力はそれに勝るとも劣らない。
こうした展覧会が次々と見られるのもさすが東京である。



3月8日

一昨日、査定の依頼を受けて、書画の作品を預かってきた。
その中に、以前にも扱ったことのある根上富治の軸など数点があった。
姓は「ねがみ」と呼ぶのではなく、「ねあがり」と読む珍しい名前である。
その名前から「値が上がり、富む」と多くの商売人、特に株屋さん達に大変人気があったそうだ。
残念ながら現在はあまり市場性がなく、その評価は低いのだが。

根上富治は1895年に山形県に生まれた日本画家。
東京美術学校に入学をし日本画を結城素明に、本郷洋画研究所にて岡田三郎助に洋画の技術を学んでいる。
卒業後、1921年の第3回帝展で初入選を果たし、翌年の第4回帝展では特選を受賞する。
花鳥図を多く描き、線の細い写実的な作風で知られる。
川崎小虎(しょうこ)らと日本画院の創立同人となる。
1956年死去。

3月7日

ル・テアトル銀座(旧セゾン劇場)、銀座テアトルシネマがビルの売却に伴い5月にて閉館する。
子どもの頃にここで見たシネラマ映画の大スクリーンには目を見張り、圧倒され、映画の醍醐味を存分に味わうことが出来た。
その後にセゾン劇場が出来、映画とともに銀座の文化発信の聖地となった。
すぐそばに画廊を出したのも当時のそうしたときめきが忘れられなかったこともあったのだろう。
時代の変遷を経て、この場から消えてしまうことは、私の心の拠りどころをなくしてしまったようで、なんとも寂しい限りである。
今週の日曜日に偶々市川海老蔵が出演する三月花形歌舞伎をここで見ることになり、当時を思い出しながら、名残を惜しもうと思っている。



3月6日

父の遺品のエジソン式蓄音機の修理を頼んでいたが、ようやく直ってきた。
歌舞伎座の裏にある蓄音機専門店「シェルマン」に頼んでおいたのだが、135年前の音が蘇った。
がしゃがしゃと雑音が入るが、甲高く懐かしい音色が郷愁をそそる。
当時は機械から突然音が流れ出したのだから、びっくりしたに違いない。

当時エジソンは電話機の開発競争でベルに先を越され、何とか新しいものをと試行錯誤していたときで、この発明は白熱電球、映写機と並んでエジソンの三大発明といわれている。
シリンダー(円筒)に錫を貼った物に音を録音し、再生したものだが、これまたベルが立ちふさがりシリンダーに蝋を塗布することで性能が高まり、実用化に成功した。

「シェルマン」はすき焼き屋の名店「今朝」のご主人の紹介で修理を頼むことになったが、一歩店に入ると蓄音機が所狭しと並べられ、まるで博物館のようである。
それに加えてSPレコードが山積みされ、ある所にはあるもんだと驚かされた。
又、エジソン式のレコードとも言うべきシリンダーもたくさんあって、聞いてみると今でもこのシリンダーに録音することがあるのだそうだ。
マニアにとってはたまらない場所で、日本でもこうした専門店といわれるところは3店舗しかないそうで、銀座の隠れた見所の一つといっていいかもしれない。



3月5日

今年で3回目になるだろうか、松屋銀座店で次世代作家を支援する「NEXT・ART展」が3月8日から11日まで開催される。
朝日新聞厚生事業団主催による公募で選ばれた35歳までの新世代作家31名の作品が展示される。
88回を重ねる朝日チャリティー展に併設されるもので、若手作家と社会の懸け橋になることを目的に入札制による販売を行い、落札額の半額を作家に還元し、残額を事業団の社会福祉事業に役立てることになっている。
私もこの企画に第一回から携わっていて、これが縁で真条彩華・六本木百合香の二人の作家の個展を開催する機会を得た。
1000人の作家さんが寄贈をする朝日チャリティー展には大勢のお客様が詰め掛けるので、若手作家にとっては同時に見てもらえるとてもいい機会である。



3月4日

先の話だが、4月13日から6月16日まで町田市立国際版画美術館にて開催される「空想の建築ー紙上の建築から現代美術へ」展に私共で発表をしているコイズミアヤが立体作品を出品する。
古代エジプトの様々な遺跡の復元図や古代ローマに思いを馳せて版画に結実させたジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ、バロック的空想建築を描いた作家達など多くの外国作家に混じって、野又穣、コイズミアヤが参加する。
版画の美術館でコイズミアヤの立体作品が展示されるのも画期的なことだが、建物の広がりを箱庭のようにコンパクトにまとめた彼女の作品が版画作品とどのように対比されるか見ものである。



3月3日

3年前から男の料理教室に通っていて、フェイスブックでは嬉しそうに毎月紹介させていただいているが、臆面もなくブログでもいくつか紹介させていただく。
我が家や友人には大好評である・・・エヘン!!

れんこん茶巾と大根の鍋仕立て・うどのきんぴらと和え物

豚肉と金柑の照煮

イカと里芋の大和煮



3月2日

今日は陽気もいいのか、次々に人が見えて、画廊も賑わっている。
若手の全く無名の作家も多く、どのくらいの人が見てくれるか不安だったが、こうして大勢の人に来ていただけるのは有り難いことである。
それぞれを個展で紹介したいのだが、何せ扱い作家が多くなってしまい、こうしたグループ展で紹介せざるをえなくなってしまったが、いずれ個展でお見せするので、それまでお待ちいただきたい。
丁度今日で中日で、来週の土曜日までやっているので、まだの方は是非ご覧の程を。

3月1日

今日は春一番、気温も上がり春の足音が聞こえてくるようだ。

五美大展を見てきたが今回は収穫なし。
版画に多少見るべきものがあったが、他はどの大学も印象に残るものがなかった。
芸大の卒展でも今年の日本画や油画は、大量の作品群に圧倒されるだけで、団体展で感じるのと同じような疲労感だけが残った。
彫刻にしても日本画にしてもどこか垢抜けなかったり、画面が汚かったりで、泥臭い印象が拭えない。
逆にデザインや工芸の方が溌剌とした作品が多く、会場の雰囲気も華やかな空気感が漂っていた。

偶々月刊ギャラリーの「芸大卒展を観る」でも、評論家諸氏からファインアート系の学生には手厳しい意見が寄せられていた。
今までデザイン・工芸というと引き気味で見ていたが、豊かな発想力と自由な表現がファインアート系の重苦しさを凌駕してしまったようだ。

以前にくらべ卒展の存在感が増したこともあって、未完な部分が多い学生に多くの目が寄せられ、辛らつな批評が浴びせられるのは気の毒な気もするが、そうした厳しさをかいくぐって、より一層の精進をして欲しい。

2月28日A

とある美術館の学芸員の方から手紙をいただいた。

木島桜谷の「若葉の山」という作品を探していて、ネットで調べているうちに、そちらで取り扱っていることがわかり、手紙を出させていただいたとのこと。
私の記憶にはなく、何かの間違いとそのままにしておいたところ、学芸員の方から直接お電話をいただいた。
聞いてみると、だいぶ以前の私のブログに写真入りでその作品が手元に来たと書いてあり、藁にもすがる思いで手紙を出させていただいたと言う。
少なくなった脳細胞の片隅にあった記憶が蘇り、確か六曲一双の屏風絵だったことを思い出した。
早速に昔の日記を見てみると、写真入りで紹介しているではないか。
以前なら、どんな作品をどこに納めたか、台帳を見ることなく覚えていたものだが、ボケの進行もだいぶ進んでしまったようだ。

知人の旧家にあった作品で、飾ることもなく倉庫に眠ったままなので処分をしてもらえないかとの依頼であった。
預かって調べてみると、以前の日記にも書いてあるように、木島桜谷の代表作であることがわかったが、既に忘れられた作家の一人で、私も恥ずかしながら名前も知らず、作品を見るのも初めてであった。
バブルがはじけて間もなくの美術館にも予算がない頃で、こんな大きな屏風の納め先の見当もつかず、結局は古美術のオークションで処分することにした。
予想外の高い金額で売れ、売り先も確か大手の古美術商だということを思い出し、そちらに尋ねてみたらと返事をさせていただいた。
何とかその先が見つかるといいのだが。

それにしてもブログというものは書いておくもので、駄文もこうした時に役に立つことがあるのだと喜んでいる。
当時の日記を参考までに紹介させていただく。

2006年4月1日

3月も昨日で終わり。
桜の花も満開だが冷たい北風が吹き、夜桜見物もままならない。

先日、お客様から木島桜谷の六曲一双の屏風が持ち込まれた。
桜の時期に桜谷の絵というのも何かの因縁だろうか、桜谷は明治10年京都に生まれ、明治40年に文展が開設されると常に最上位の入賞を果たし、竹内栖鳳等に次ぐ京都画壇の中心にあって花鳥、動物画などを得意として活躍した作家である。
20年前に京都市美術館で没後50年の展覧会が開かれ、今回持ち込まれた「若葉の山」はその代表作として展示された。
折角の貴重な作品だけに何処か美術館に納めたいとも思うのだが、公共の美術館には今とてもそんな予算は無いだろう。
大きな屏風だけにお客様にはお願い出来そうにもなく、折角の名品をどうしたらいいか思案中である。
今日もお客様の紹介で、絵巻物を処分したいので見て欲しいと頼まれた。
暫くは、古美術商に変身である。



2月28日

京橋3丁目町会の世話役の富川さんから次のような案内をいただいた。

今回の「京橋の昔を聴く会」の語り部の石川勲様が会長を務められている、「京橋大根川岸会」の無料配布会が取材を受けました。
くもじい・くもみでお馴染みのBSジャパンの番組「空から日本を見てみよう plus」に無料配布会の様子を取材していただきました。
今回のテーマは、「空から見る東京の下町」ということで京橋・日本橋・神田エリアを中心に江戸時代からの下町の変遷を歴史的・地理的観点から紹介されるそうです。

放送予定日
2013年3月5日 (火) 20:00 ?
BSジャパン(BS 7チャンネル)にて放送

江戸の庶民の台所を賄っていた「京橋・大根河岸」は、平成26年に350周年を迎えます。
この度「京橋・大根河岸生誕350年」を祝し、平成24年6月9日 (土) から2年間に渡り、毎月1回・350本の季節々の最高品質の大根や果物などが築地から届きます。
次回は3月8日(金)正午より無料配布致します。

私共画廊の前には、この時ばかりは長蛇の列が出来る。



2月27日A

若手のグループ展を23日から開催させていただいている。
そんな中、今日は近代美術から現代美術まで独自の目線でコレクションをしているコレクターのK氏が見えて、初めて紹介する内藤、岩田、津島の3人の作品を褒めてくださった。
3人とも私共の流れからすると少し違ったタイプの作家なのだが、そこに目をつけてくださったことがとても嬉しい。
内藤、岩田は絵の具を塗り重ねていくというよりは、タッチで表現していくというか、ラフな筆触なのだが、その表現力は巧みで、質感の美しさに目が行ってしまう私が何故か目を奪われてしまった作家である。
津島は映像作品を主体に発表しているが、今回は平面の写真作品で、写真とは思えない色彩と質感があり、その制作方法は上手く説明が出来ないが、写真を版画のように色版として重ねていく技法といえばお分かりいただけるだろうか。
メーンの情景に他の情景写真を何度も重ねて、その情景に奥行きと色感を出していくということなのだが、そのプロセスを聞いても私自身が理解しえないので皆さんにうまく説明できないことをお許しいただきたい。
写真のジャンルも扱っていきたいのだが、単なる写真ではなく一手間加えた写真を扱いたいと思っているので、そうした中で目にとまった作家である。
どんな評価が下るかはお客様の判断だが、今日はK氏の言葉にとても勇気付けられた。



2月27日

沖縄3日目A 那覇のメーンストリート・国際通りの市場や裏通りを散策。

市場の肉屋にはチラガーという茹でた豚の顔が店頭に並べられていたり、魚屋にはカラフルなブダイやハリセンボン、夜光貝などが並び、選んだ魚を上の階で料理して食べさせてくれる。
今回は残念ながらステーキハウスを予約してあってパス。
国際通りにはたくさんのステーキハウスがある。
沖縄は特別措置で関税がかからないので安い輸入牛肉が手に入るのと米軍基地が多いからだろう。
免税店もあったりで、一足早いTPPといったところだろうか。



昼食を終えて裏通りをガイドさんの案内で探索。
もともと国際通りはお墓がたくさんあったところに作ったこともあって、一歩裏に入るとお墓だらけ。
迷路のような細い道を歩きながら、立派なお墓が次々に出てくる。
沖縄のお墓は個人のものでも石積の大きな屋根を備えた立派なお墓である。
立派なお墓のすぐそばには、バラックのような古い家もあって、写真の家はドミトリーハウスという木賃宿で一泊1500円、1ヶ月滞在で2万7千円だそうだ。

散策を終えて、沖縄唯一の鉄道・モノレールに乗って空港へ。
短い時間だったが、沖縄について今一度思いをめぐらす意義深い旅であった。



2月26日

沖縄3日目

今日は朝からホエールウォッチングに。
この時期、子作りのため北から南下して、沖縄にザトウクジラがやってくる。

昨日は海が荒れて船が出なかったそうだが、ようやく晴れ間も見えて、船も無事出航。
ただし、うねりが激しく、同行の連中が船酔いしないか心配だが、かくいう私も学生時代ヨットで鍛えたとはいえ、自分で操縦していないと船酔いしてしまう軟弱な海の男で、こっそり酔い止めの薬を飲んでおいた。

クジラが見えるかは運任せだが、ここしばらくは100パーセントで遭遇の言葉を信じて沖に向かう。
30分も行っただろうか、数隻の船がすでに来ていて、ここがどうやらウォッチングのポイントのようだ。
待つことしばし、海の色が薄いブルーに変わり、潮が吹き上がる。
歓声が上がる中、黒い小山のようなものが浮き上がってきた。
次の瞬間尾びれがいきなり目の前に出現。
慌ててシャッターをきるが、焦るのと船が揺れるのとで、後で見ると空と船べりしか写っていない。
間違いなく見たという証拠をお見せしたいのだが。

何度か息つぎのために海面に上がってくるので、見る機会は何度もあるが,どこから上がってくるかわからないので、見えるのはほんの一瞬である。
それでも私たちは大興奮で2時間あまりのウォッチングを楽しむことができた。

みんなも船酔いすることなく、無事帰還。
若い時はダイビングをやっていたので、イルカやウミガメ、鮫、ナポレオンフィッシュ、巨大イカ(コブシメ)などは見たことがあったが、クジラを見るのは初めてで貴重な体験をさせてもらった。



その時の写真を転載することが出来たので遅ればせながら紹介させていただく。

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2月25日B

山本麻友香の新作版画をフェースブックにて紹介していたが、ブログにて紹介するのをうっかりしていた。

既に到着分の5部は売約となってしまったが、ご希望の方には予約をいただければ多少お時間をいただき、刷り上り次第ご連絡をさせていただく。

銅版画・sleeping・pengiun ・25cm×23.5cm・ ed20

銅版画・bird・33.5cm×29.5cm ・ed20



2月25日A

2月23日から3月9日までギャラリー椿で開催される若手作家のグループ展の作品紹介をさせていただく。

内藤亜澄

忘れ物・F6・31.8 x 41.0cm・ 油彩・キャンバス

入口・F6・31.8 x 41.0cm ・油彩・キャンバス



2月25日

沖縄二日目

早朝から首里城へ。
ここは何度も行っているのだが、琉球王国の栄華を知る上では欠かせないところである。

飛行機もそうだったが、修学旅行生がやけに多い。
領土問題の影響なのか、中国・韓国を避けて沖縄に来る学校がかなり増えてきているそうだ。

守礼門は工事中で見ることができなかったが、正殿をじっくりと見ることができた。
1400年頃に尚国王の居城として以来、明治政府に併合され、城を明け渡すまで、500年の間栄華を誇ったところである。
その後沖縄戦で廃墟となり、1992年に本土復帰20周年を記念して復元されたということで、ここにも沖縄の苦難の歴史が詰まっている。



見学後、ロータリークラブの地区大会会場へ向かう。
約1500名のロータリアンが集まる年1回の行事である。
沖縄地区と東京地区が一緒なのも不思議な気がするが、琉球と薩摩の確執もあって、沖縄は東京の地区に入っていて、これまた歴史的な背景がある。

仲井真知事の簡単な挨拶があった他は、長々と形式的な行事ばかりで、退屈この上ない。
橋下市長の記事で話題になった佐野眞一氏の講演も自分の本の自慢ばかりで中身が全くない。
「沖縄・誰にも書かれたくなかった戦後史」という本を書いたことで呼ばれたのだろうが、週刊朝日の記事で非難を浴びた件の話でもしてもらったほうが余程ましだったかもしれない。
その後のシンポジウムに登場した若い留学生の話のほうが傾聴に値する話で、今の若い子の将来を見据えた考え方に感心させられた。



2月24日

沖縄一日目B

夜は八重山料理へ。
八重山とは石垣島などの沖縄本島から遠く離れた島々のことで、豆腐や野菜を使ったヘルシーな料理で、高台の住宅地にひっそりとある隠れ家のような小さなお店だ。

同行した知人が稲嶺元県知事を食事の席に招き、知事を囲んでの食事会となった。
稲嶺元県知事には、沖縄の現状や県民の考え、将来への展望など、沖縄の歴史を紐解きながら、大変興味深いお話をしていただいた。

琉球王朝時代の明・清、薩摩による従属、明治政府による日本併合、戦場と化した太平洋戦争、米国の占領、返還後の基地問題と常に苦渋を強いられてきた歴史的背景を知った上で、今の沖縄、未来の沖縄に本土の人達は思いを馳せて欲しいと語った。
鳩山由紀夫元総理の発言に対して、本土の人達はとんでもないことを言って沖縄を怒らせたと思っているが、沖縄ではよくぞ言ってくれた、この発言で保守も革新も一体となって基地移設反対を強く主張するようになったのだと。
なんとも皮肉な結果になったものである。
基地移設が何故辺野古なのか、本土への選択肢はないのか、オール沖縄ではなくオール日本の問題として捉えて欲しいと言われた。

私達本土の人間にとっては真正面から取り組まなくてはいけない問題である。



2月23日A

今日からギャラリー椿で開催される若手作家のグループ展の作品紹介をさせていただく。

浅井飛人

鎧・55 x 32 x 14.5cm・鉄、真鍮、木、彩色

矛盾の存在・H137.0 x 48.0 x 33.0cm・鉄、真鍮、アルミニウム、ステンレス、ライト、ゴム、彩色

睨む犬・45 x 14 x 17cm・鉄、真鍮、木、樹脂、彩色



岩田ゆとり

cow・F10・45.5 x 53.0cm ・油彩・キャンバス

untitled・S12・60.6 x 60.6cm・油彩・キャンバス

私の影・P50 116.7 x 80.3cm・油彩・キャンバス



キムソヒ

sandwich・F10・45.5 x 53.0cm・油彩・キャンバス

sandwich・F10・45.5 x 53.0cm・油彩・キャンバス



渡辺大祐

UNIFORM CONCEPT・9.0 x 34.5cm・ED.10・Cプリント

UNIFORM CONCEPT・34.5 x 23.0cm・ED.10・Cプリント



中村萌

Stairs to hole・27 x 28 x 35.5cm・石塑粘土・油彩

grew darkness・65 x 41 x 52cm・楠木・石塑粘土・油彩



2月23日

沖縄一日目A

海軍壕を後にして、世界遺産のひとつになっている庭園・識名園を訪ねた。

ここで偶然目にしたのが豪華な宮廷料理で、琉球王国が中国の使者を歓待するのに振る舞われた宴席料理で御冠船料理という。
伝えられるレシピがないため、古い文献を読み解き、長い年月をかけて再現して、丁度今日がその御披露目だそうで、食べることは出来なかったがその料理を間近に見ることができた。
ただ彩りが原色過ぎて、あまり美味しそうには見えないのだが。



2月22日A

2月23日からギャラリー椿で開催される若手作家のグループ展の作品紹介をさせていただく。

岩渕華林

春の風・M50・116.7 x 72.7cm・ 墨、アクリル絵具、和紙

drink my tears・M20・72.7 x 50.0cm・墨、アクリル絵具、和紙



牧野永美子

極上ウールの自慢の体・20.0 x 17.0 x 32.0cm・FRP、油彩、ラッカ、ガラス

ダンコとして許さない姿勢を崩さない姿勢・15.0 x 22.0 x H47.0cm・FRP、油彩、ラッカ、ガラス



井澤由花子

creation of your world #28・S40 100.5 x 100cm・ 水彩・紙

世界の眠り・M25 61 x 80.3cm・水彩・紙



2月22日

沖縄一日目

ロータリークラブの大会があって沖縄に行ってきた。
雪がちらついていた東京から一路南国沖縄へと楽しみにしていたのだが思いの他肌寒く、上着なしではいられない。

空港から直行で戦跡あとの「旧海軍司令部壕」に行った。
当時の悲惨な状況がそのままに残され、ここで戦い、死んでいった沖縄の人達のことを思うと戦争の悲惨さに胸が痛む。
ここに立てこもった指揮官大田中将が自決直前に海軍次官宛てに打電した「沖縄県民斯く戦えり」で知られる電文に沖縄の人達の苦しみ、辛さ、悲しみが全て込められているようで、涙が溢れる思いであった。
その長い電文が掲示されていたので、最後の部分を紹介させていただく。

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ、只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

基地問題・尖閣問題と沖縄にとって難しい問題に直面しているが、私達本土の人間は沖縄の長い歴史と苦難に今一度思いを至した上で、沖縄県民だけとして捉えるのではなく、日本人全体の問題であると認識する必要があると痛感した。



2月18日A

富田有紀子・小林猶治郎の二人展はなかなか見ごたえのある展覧となった。

1階には1980年代からの富田の迫力ある作品が並ぶ。

光に満ち溢れた宇宙空間のような神秘的な世界から、花・果実にその様式は変化していくが、大きくクローズアップされた画面からはあふれるような生命感が表現されている。



2階に行くと、祖父・猶治郎の力強いタッチで描かれた作品が目に飛び込んでくる。
タイトルに風流遊戯と題されたように自由闊達に描かれた作品は、一生涯個展を開かず、売ることもなかった猶治郎独自の世界が展開されている。
戦前に描かれたとは思えないようなモダンな作品があると思うと、油彩日本画と称した当時の風俗を髣髴とされる作品、童心そのままに描かれた温かみのある作品まで、多様な世界が拡がる。

孤高の知られざる作家をよくぞ見出し、美術館での公開にこぎつけた学芸員諸氏に絶大なるエールを送りたい。



2月18日

2月23日からギャラリー椿で開催される若手作家のグループ展の作品紹介をさせていただきます。

津島 岳央

JmafSfmScene01・47.4x71.3x2.0・ED.5・ラムダプリント

JmafSfmScene02・47.4x71.3x2.0・ED.5・ ラムダプリント



2月16日B

練馬区立美術館でわたしのところで発表を重ねている富田有紀子と祖父小林猶治郎の二人の展覧会が開催されることとなり、そのオープニングに向かった。

銀座一丁目から直通で行けると思ってのんびりと乗っていたら一向に目的の中村橋に着かない。
相変わらずの思い込みで西武線直通と東武線直通の2つがあるのを知らず、東武線に乗って和光市に向かっているではないか。
慌てて戻って西武線に乗り換えたが時すでに遅しで美術館に着いた時は開会式は終わっていたが、なんとか内覧会には間に合い、作品を見ることができた。

作品については明日の日記で。



2月16日A

2月23日から3月9日まで開催される若手作家のグループ展の出品作品の一部を順次紹介させていただく。

大西高志

天女・P20・72.7x53.0cm・水彩・日本画材

滲み(平等院鳳凰堂)・F30 72.7x90.9cm・水彩・日本画材



2月16日

ギタリストの佐藤達男さんの招きでメゾソブラノのエヴァ・ミクラスさんとのジョイントコンサートに行ってきた。

チェコ生まれの美人歌手ミクラスさんの澄んだ歌声と佐藤さんのギターの柔らかい音色に心洗われる一夜であった。

佐藤さんは美術愛好家としても知られ、アーティストとのジョイントも数多く行っていて、うちでも綿引明浩とのコラボコンサートをしていただいたことがある。

いつも達筆の書状をいただき、悪筆の私はどう返信していいのか困惑させられている。

また機会があればわたしのところでコンサートを開いていただき、皆様にも心に染み渡るような音色を楽しんでいただければと思っている。

2月15日A

2月23日から3月9日まで開催される若手作家のグループ展の出品作品の一部を順次紹介させていただく。

北村奈津子

ふざけているのかと思った・24.0x28.0Xh27.0cm・ミクスドメディア

おしゃれなのかと思った・23.0x22.0Xh25.0cm・ミクスドメディア



内藤亜澄

歩く・F20 72.7x60.6cm ・油彩・キャンバス

電波・F30 72.7x91.0・油彩・キャンバス



2月15日

また雪の予報のようだが、果たして当たるかどうか。
新しく雪かき用のスコップと長靴を買って備えだけは万全なのだが。

そう言えば、地震に備えて大量に購入した非常食やベットボトル、乾電池などはあれから一度も見もしてないが、どうなってるだろうか。

携帯に入る地震予報も当たったためしがなく、危機感もだんだん薄れていく。
もっとも雪も地震もずっと外れるに超したことはないのだが。

2月14日

昨夜は大阪のヨシアキイノウエギャラリー、京都のモリユウギャラリーとその所属作家さん、それに私のところとで、ひと月遅れの新年会。
野菜をメーンにしたビュッフェスタイルのレストランで和気藹々のひと時を過ごした。

イノウエさんたちが上京した折には、よく作家も交えて月島のもんじゃなどでも食事会をしている。
イノウエさんやモリユーさんは積極的に海外のフェアーに参加していることもあり、こうして食事をしながら、お互いの海外情報を交換するには絶好の場となっている。

海外のフェアーに参加していると、日本の画廊同士で食事をする機会も多くなり、苦楽を共にすることもあるのだろう、日本にいるとき以上に親密なお付き合いになることが多い。
どちらかというと、皆さんビジネスよりは、先ずは美味しいお店探しから始まるのが常で、これがまた楽しみの一つである。

4月始めにはイノウエさんのところでに服部千佳の個展が予定されていて、食道楽・大阪での食事会が待ち遠しい。

2月13日

雪が降るとの予報もまたもや肩すかし。

先週の雪の予報で延期になっていた近くの天ぷら屋「天笹」でロータリーの友人K氏、建築家のA氏と会食。
「天笹」はこの界隈にあっては格安の天ぷら屋で、私の馴染みの店の一つである。

偶々行った折にK氏が口演をする講談のチケットを私の代わりにそこの主人に行ってもらったのが縁で、何と彼はK氏が入っている宝井馬琴修羅場塾に入門することになった。
K氏は先輩として一度は天ぷらを食べに行かずばなるまいと私に声がかかり、A氏を誘っての昨夜の会食となった次第である。
先輩が来るということで緊張気味の主人ではあったが、いつにも増して腕によりをかけたのか、二人とも美味しい美味しいと食うは飲むはで大満足。

K氏は大手生保の常務を務めるかたわら講談を習い始め、会社リタイア後は名取となって活躍している。

氏に言わせると、講談は娯楽でありながら先人達の生き方に接し、知らず知らずのうちに倫理観、死生観、豊かな国民感情を培うそうで、今や講談がマイナーになったことで、日本人の高い道義心や廉恥心に些かの翳りが見えてきたことと無縁ではないと、講談師特有の大袈裟な口調で熱く語るのであった。

今度の日曜日に2時間半にわたり氏の独演会があり、これまた浮き世の義理で行かずばなるまい。

2月12日

新たにネットオークション会社が出来て、今日その第一回がスタートした。
私もだいぶ以前に誘われて、ネットオークション会社に参加したことがあるが、当時はまだネットオークションに馴染む人たちが少なく、特にコレクターや画廊のオーナー達はまだまだパソコン自体の扱いが不慣れで、結局は会場オークション方式に変わっていってしまった。
今回は当時と違って、ネットオークション真っ盛りの時代とあって、遠隔地や多忙で会場に参加できない方には何よりのツールになるのではと期待をしている。
反面、私も何点か頼まれて出品しているが、スタート価格があまりに安すぎて、依頼した価格まで届いてこない。
これはネットオークションに限らず、現在の公開オークション全てにいえることで、美術品の価格下落の大きな要因の一つなっている。

現在の公開オークションは声を出しやすくしたり、入札をしやすくするために、査定価格を実勢価格よりはかなり低めに設定している。
そのため、実際の落札価格よりは安い査定価格が一人歩きをしてしまい、実勢価格とかけ離れた価格が定着してしまう結果となっている。
というのは、査定価格はカタログやネット上で早めに公開されるため、多くの人の目に触れることになるが、実際の落札価格は参加している人以外は、落札結果の一覧でしか見ることが出来ないため、どうしても低い査定価格が多くの人の頭にインプットされてしまう。
又、画商間ではクローズされた交換会というシステムで長年やってきたこともあって、落札価格イコールコストであって、それにマージンを乗せたのが売価となるのだが、公開オークションではお客様が参加するため、落札価格イコール売価と解釈されてしまう。
これの繰り返しと不景気が相俟って、デフレスパイラルとなり、今まで市場に乗っていた作家達の価格が大幅に下落することとなった。
(景気がいいときには参加者も多く、おのずから競りが活発となり、価格も右肩上がりとなるが、競争者が少ない現在ではどんどん右肩下がりとなってしまう)

そうすると市場価格に左右されることのない若手作家を画廊が扱うようになり、お客様の目もそちらに向くことになる。
ただし、価格というものは相対的な面があり、今まで評価されてきた作家達の市場価格に対して若手作家も価格を設定しなくてはならず、その価格は必然的に下げざるをえないというのが現状である。

昔、洋画商の草分けの大先輩から聞いた話だが、美術品というのはそれ相応の高い評価をしてあげないと、そんじょそこらにある消耗品と同じで使い捨てになってしまう。
文化を継承していくためにも、画商は美術品に敬意を払い、それなりの評価・見識を持って扱わなくてはいけないと言われたことがあった。
スーパーの安売り合戦ではないが、自分で自分の首を絞める今の状況を顧みるに、この話も遠い昔話のようになってしまった。

私自身も老齢化や代替わり、経営悪化による美術品の処分の依頼がが多くなっていて、オークションという形でその処理をすることが多く、大きな口は叩けないが、お客様に対しても美術品にそれなりの評価を与えていかないと、美術商の今後の展望はないといってもいいかもしれない。

2月9日A

お詫び

お客様から私のブログをアップするのに大変時間がかかってしまうとのご指摘をいただきました。
全く気がつきませんでしたが、どうやら私が載せる写真の画質が高画質を使っているにもかかわらず、画像を圧縮せずに掲載していたためにそのようなご不便をかけてしまっていたようです。
早速対応させていただきたいと思いますので、引続き私の拙文をご迷惑でなければご購読いただければと存じます。

誠に申し訳ありませんでした。

尚、今回の写真から写真をクリックすると拡大して見ることが出来るようになりました。
その代わり、若干画像が悪くなりますが。

2月9日

京橋3丁目町会から画廊の前の通りが大根河岸通りと命名された事を記念して大根河岸マルシェなるものが3月29日、30日に開催されることになった。

この通りに近隣のお店が出店をして、大根河岸通りを盛り上げようとの企画である。
私のところも協力をとのことで、さてどんな形で出店するか知恵を絞らなくてはいけないが、少しでもアートの普及につながるのならと、作家さんにも力を貸してもらおうと思っている。

丁度、その日は隣の大きなビルも完成し、オープンを迎えるので、この界隈が大賑わいとなるのは間違いない。

今後は私達のアートイベントとも連動させながら、京橋の街の活性化に及ばずながら力を注いでいきたい。



2月8日

今朝の新聞に拠るとレスリー・キーと画廊関係者が罪状を認め釈放され、本人もやり過ぎたと言っているということで、私の振り上げた拳の行きどころがなくなってしまった。

折しも、島根県の奥出雲町に寄贈された裸のダビデ像に町民から教育上よろしくないとの苦情が寄せられ、中にはパンツをはかせろとの声もあると新聞で報じられた。
以前にもアメリカの女性人権活動家が新宿の高層ビルの広場に置かれた多数の裸婦像を全て白布で覆うという出来事があった。

芸術か猥褻の判断は人それぞれで、ようは美しいと思うか、卑猥と思うかは、その人の感性、心根によるものなのだろう。

2月7日

読売新聞にMoMAで「TOKYO1955−1970」展の見出しで、ニューヨーク近代美術館での日本の前衛美術の展覧会を大きく取り上げている。

高度成長を遂げた東京という都市と前衛美術との関連を捉えるもので、この時代の芸術運動・「メタポリズム運動」「ハイレッドセンター」「実験工房」「具体」「もの派」「プロヴォーク」などの海外で知られていなかった動向をまとめて紹介するという画期的な展覧会で、同時に日本の戦後美術批評選集も発刊される。
2月15日からは昨年の「リ・ウーハン展」に続いてグッゲンハイム美術館で「具体美術協会」の回顧展が開催されることになっていて、同じくロスアンゼルスの画廊プラム&ポーでの「もの派展」などアメリカでは日本の戦後美術を紹介する展示会が続いている。

このような動きに連動して、日本の美術市場はこの運動に関わった作家達の作品価格が高騰している。
リ・ウーハン、白髪一男や吉原治良等は海外需要もあって、すでに私達の手の届かない価格になってしまっているが、これに追随するように具体の作家達やもの派の菅木志雄、関根伸夫、中西夏之といった作家達も、プライマリー画廊の手から離れ、オークション会社やセカンダリーの連中の投機的な動きの渦に巻き込まれつつあるようだ。

浮世絵以来の伝統だろうか、蕭白・若冲から村上、奈良、草間も然り、白髪、リといった作家たちも全て海外で評価されて初めて日本のマーケットが動き出すという情けない状況が生まれる。
明治以降の西欧崇拝主義が未だに我が美術市場にはびこっているのだろうか。
我々美術商の脆弱さと主体性のなさを痛感せざるをえない。

願わくば、1970年以降の地道にぶれることなく独自の表現を貫いてきた作家達にも、海外の評価以前に多くの目が向いてくれるといいのだが。

2月6日

朝ラジオを聴いていると、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスという言葉が耳に飛び込んできた。
著作権に関する言葉のようで、早速ネットで調べてみた。

このライセンスを提供しているクリエイティブ・コモンズとは国際的非営利組織とそのプロジェクトの総称で、CCライセンスはインターネット時代のための新しい著作権ルールの普及を目指し、様々な作品の作者が自ら「この条件を守れば私の作品を自由に使って良いですよ」という意思表示をするためのツールなのだそうだ。
CCライセンスを利用することで、作者は著作権を保持したまま作品を自由に流通させることができ、受け手はライセンス条件の範囲内で再配布やリミックスなどをすることができるという。

人の手によって生み出されたすべての作品は、著作権で守られているものと、そうでないものの、ふたつにわけることができ、日本の場合は権利者の死後50年まで保護されるが、権利を放棄したり、死後50年を超えるとそれは適用されない。
CCライセンスはこの中間にあたり、既存の著作権制度のなかで作り手の権利がまもられながら、受け手にも作品を自由に扱う領域を確保すること。
この方法で、「ありかなしか」「1か0か」という極端で硬直した状態を解きほぐしていき、作品の共有をスムーズにしていくことを目指している。
4種類のクレジット表示があり、これをつけることで、ある一定のルールに基き、著作権を有効に活用してもらい、自作のプロモートにも役立てることが可能となる。

例を挙げると、ハーバード大学が1200万以上の書誌データをCCライセンスで公開したり、バークリー音楽院が音楽レッスンの動画を同じように公開している。
  東京都現代美術館、森美術館などもCCライセンスにより一定のルールを守れば、写真撮影が可能となっている展覧会もある。

昨今、盗作問題など著作権に関する話題が多いが、頑なに著作権に固執するのではなく、ネット時代にあってはゆるやかに運用することで、広範にわったて認知度が高まることも選択肢の一つではないだろうか。

2月5日

今朝の新聞各紙にレスリー・キーの写真集が猥褻だとして、作者と画廊のオーナー、スタッフが逮捕されたとの記事が報道された。
男性性器が多数掲載されていて、これを猥褻と認定したと言うことだろう。
恐らく警察もこれは教育上よろしくないとの訴えがあったからだろうが、今時こうした事件を新聞に取り上げれること自体、日本がいかに非文化国家だということを世界各国に知らしめているようなものである。
逮捕までは行き過ぎだろうと警察に文句を言いたいが、それ以上に表現の自由だなんだといつも声高に叫ぶ新聞に対して異を唱えたい。

昔、父親の画廊で古沢岩美の展覧会の折に、来場者からの通報で警察に画集を没収されたことがあったが、それで作者や父親、スタッフまでが逮捕されることはなかった。
その時も、警察は通報があったので仕方なく取り締まったが、これごときで通報する人がいること自体おかしいと言っていたそうである。
いま一つ、前にも日記に書いたことがあったが、渋谷西武のショーウインドーにヘヤーが描かれた裸婦像が飾られ、これを通りがかった子供連れの母親が教育上けしからんとデパートにクレームをつけた。
デパートはそれを聞き流し、そのまま展示していたところ、怒った母親が渋谷署に訴えたことから、警察から善処してほしいとの要望がデパート側に出された。
そこで美術部は、ヘアーを隠す為に大きな植木鉢を置いたところ、文化戦略の西武の非文化的行為とフォーカス誌上に大きく取り上げられたことがあった。

こうした事例を見ても、対応する側もこんなことでと思いつつ、仕方なしに処理することが多いのだが、逮捕までとはちょっと信じられない話だし、それを新聞各紙が報道するとは何とも情けない話である。
アラーキやメープルソープの写真集を見て、新聞各紙、それも文化部がどういう評価を下すか聞いてみたいものである。

2月4日

元興銀マンで、私の大学の先輩でもある楠達史氏から「物価上昇率目標2%n本質を明らかにする」と題した、まさに時機を得たお話を聞くことができた。
氏は30日に亡くなった慶応義塾大学名誉教授、政府税制調査会会長で消費税の実施を提言した経済学者の加藤寛先生の門下生で、その後嘉悦大学学長となった加藤先生から請われて現在は嘉悦大学でも教鞭をふるっている。
私は法学部で専門ではなかったが、1,2年の教養課程のときに加藤先生の経済学を専修したことがある。
但し、楠氏のように先生の薫陶を受けて活躍をされているのに比べ、私は大学紛争をいいことにほとんど授業にも出ずに、昨日も書いたようにヨットばかりをやっていた不肖の生徒なのだが。

氏はアベノミクスはまさに正論で、2%目標はマスコミがいうような空論ではないという。
内容はかなり専門的で上手く説明できないが、リーマンショック以降、日銀の金融政策のもとでは市場の物価予想は一貫してマイナスで、一度もデフレからの脱却を予想していない。
アメリカの米国中央銀行FRBは実態から上方に乖離している指数を充分勘案して金融政策を策定しているのに、日銀は全くそうした政策をしてこなかった。
結果アメリカはデフレ脱却、物価安定に成功している。
又中央銀行が目標設定に関わる独立性の正当化は困難で、独立性を認められるのは目標を達成する為の手段の設定であると、FRB議長は言っている。
マスコミで懸念する日銀の独立性についても日本銀行法にはそうした言葉はなく、自主性という言葉が2箇所で使われているだけである。
また政府との関係でも、常に政府と連絡を蜜にして、十分な意思疎通をはからなくてはいけないと記してある。
通貨発行量にしても、極度のインフレ、金利上昇を警戒する声があるが、先ずは物価が安定させること(2%)が重要で、そのことが雇用の増加、適正な長期金利に繋がると解く。

難しいことは良くわからないが、何もしないよりは先ずやってみよう、変えてみようという姿勢がこの20年を超えて、一度もなかったのは間違いない。
これだけ状況が悪いのだから、先ずはお手並み拝見と行ってみたらどうだろうか。

2月3日

大学時代のヨットの仲間達と当時キャプテンをしていたA君の墓参りを兼ねた恒例の食事会。

A君は51歳という若さでこの世を去り、今年で早いもので17回忌を迎える。
彼は几帳面かつ慎重で責任感の強い男で、サブキャプテンをしていた私のような大雑把な人間とは性格が全く違っていて、卒業後も同じ51歳で亡くなった父親の家業を継ぎ、事業を拡大し、会社の発展に尽くしていて、友人として尊敬し誇りに思っていた掛買いのない友人の一人であった。
突然の死であっただけに、私達仲間のショックも計り知れないものがあり、その死が惜しまれてならず、こうして毎年同期の仲間が集まり、彼を偲びながら、昔の思い出を語るのを楽しみにしている。
50年に喃々とする月日を越えて仲間達が欠けることなく集まることができるのも、A君という支柱があり、ヨットいうスポーツを通して青春の一ページを過ごすことができたからこそである。

当時はヨット華やかしき頃で、入部した時に同期は恐らく4,50人はいたはずで、翌年は更に多く、100人近くの1年生部員が入ってきた。
当然船の数は足りず、どうやって辞めさせようかと上級生は真剣に考えたいたはずである。
大学も70年安保の真っ最中で、学校はバリケード封鎖されていて、私達は大学に行くよりは、葉山にある合宿所か仲間の家に泊まっていることが多く、連帯感も深まり、20名近くがしぶとく最後まで残り、現在に至っている。

今やヨットや潮風とはすっかり縁遠くなってしまったが、こうした集まりの度に、A君や仲間達とヨットに乗ってレースをしている情景が懐かしく思い出されてならない。



2月1日

明日から河原朝生展が始まる。
今年で64歳を迎え、ベテラン作家といってもいい年齢となったが、本人は万年青年、いつまでも優しく穏やかな風貌は変わらない。

作品も郷愁漂うどこか懐かしさを持った作風は常と変わらず、私達の心の奥底に響いてくる。
ローマ国立美術学校で油彩画を学び、帰国後初の個展が長谷川利行や木村壮八、斉藤真一を世に送り出した木村東介氏が経営する羽黒洞で開催される。
斎藤真一の描く越後瞽女の世界同様に、河原の世界にも哀感や憂愁といったノスタルジックな面が共通していて、それが氏の目にとまったのだろう。
このときの逸話に、彼は初めて木村氏に見てもらうべく数点の絵を持参したところ、その中に偶々ナイフで切り落とされた片腕が描かれた作品があり、若い時に片腕を失くしていた木村氏はそれを見て、怒るどころか、かえってお前はいい度胸をしていると可愛がられ、それが個展に結びついたのかもしれない。

また、彼の絵は舞台画を描くように、小さな画面に奥行きと拡がりを意識して描いている。
これは恐らく彼の母親であった民芸の名女優・北林谷栄の芝居を子どもの頃から見る機会があったからだろう。
彼は母親の影響下にあったことをとても嫌うが、そうした下地はあったに違いない。

こうした絵に混じって、対象を簡略化した抽象的表現の絵も数点発表をしているが、その中に一点山口長男を思わせる作品があるが、これも彼に言わせると具象で、全く意識していなかったと言う。
私はそうした造形的な部分よりは、彼独特の色合いとマティエールの美しさを評価したい。
先日見て感動した松本俊介を髣髴とさせるマティエールが河原の最大の魅力といっていいのではないだろうか。

皆様のご高覧をお待ちしている。



1月31日

友人I氏を囲んで7人の仲間で(これを称してセブン&Iの会と言っている)、2、3ヶ月に一回美味しいものを食べる会を開いているが、昨日はすき焼きの名店「今朝」ですき焼き鍋を囲んだ。
1904年創業の老舗中の老舗で、5代目社長は以前にも日記で紹介させていただいとことがあるが、ソムリエ、日本酒利き酒、学芸員の資格を持っていて、蓄音機・SPレコードのコレクター、表具の技も磨いていると言うマルチ人間で、先日もロータリークラブで蓄音機の話をしていただいた。
私は全くの下戸だが、友人にはヨーロッパ各地のワイナリーを訪ねるほどのワイン通が二人いて、ソムリエ社長と吟味をしながら、何種類かのワインを選び、先ずは乾杯。
高校のクラスメートにも同じようなワイン通がいて、何度かここに来ていて、この会もそうだが、私はお茶ばかりで美味しいワインを飲むことが出来ず、いつも割り勘負けしているのが悔しい。

すき焼きのお肉も手切りで薄く切られた極上のヒレとロース、どちらも口に入れた途端にとろけてしまうような柔らかさで、友人達も大満足。
仲間に一人だけ肉の駄目な坊さんがいて、特別にてんぷらを用意してもらったが、こんな美味しい肉を食べられないのが気の毒である。

食いしん坊の仲間達は、食事を終える間もなく、次の集まりを決めることに。
桜の咲く頃がいいと花見を兼ねて、4月に桜の名所・千鳥ヶ淵にも近いフランス料理の名店「村上開新堂」に決定。
ここは紹介がなければ入れない宮内庁ご用達のお店で、侍従を務めたことのあるI氏の顔で、私達庶民も何とか入ることができるが、元々は明治7年創業の洋菓子店の草分けとしても知られ、中でもここのクッキーは有名で、紹介者が必要な上に、半年前ぐらいに予約をしないと手に入らないという厄介なお菓子である。

2,3ヶ月に一回の贅沢だが、割り勘負けしないように次回も一生懸命食べなくてはいけない。

1月29日

依頼された展覧会の審査に行ってきた。
一般に公募をして、写真審査の一時選考を通った約60作品の中から約30点が選ばれ、百貨店で展示されることになっている。
一昨年の審査では二人の作家に目がとまり、その後私共で発表をする機会を得た。
ただ審査するだけではなく、画商の視点で今後に繋がる場ともなるので、こうした審査の機会をいただいたことは私にとっては大変有難いことである。

日曜日に行った芸大の卒展も今回の応募作品も、今までのようなサブカルチャー的な作風が少なくなり、どちらかと言うとアカデミックな作風が多くなってきたような気がする。
特に日本画にその傾向が顕著で、花鳥風月を主題にした作品が多く見受けられた。
マーケットもホキ美術館効果もあるのだろうか、白日会系の美人画(私にはどの作家の作品も同じように見えて仕方がないのだが)に注目が集まっていて、売れ行きも好調のようだ。

自民党が政権復帰したように、若い人たちもリベラルなものからコンサヴァティブなものに回帰しつつあるのかもしれない。

1月28日

昨日は上野の芸大の卒展とエル・グレコ展を見に行ってきた。
校内の各所に作品が展示され、学部の作品は都美術館に展示されているので、あっち行き、こっち行きでとにかく疲れる。

先ずは展覧会を予定している大学院卒の森洋史と学部卒の六本木百合香の作品を見たいのだが、これを探すのが大変。
森君の作品は写真を撮り忘れてしまい、紹介が出来ないのは残念だが、従来の日本画的構図の作品からがらりと一変し、金、銀を背景にした教会の祭壇画風の作品を発表した。
描かれている人物は目くりくりの漫画風少女だが、背景は実に細かい描写で、本人に金、銀の装飾部分の制作方法を聞くと、コンピューターで云々と説明してくれたが、これはさっぱりわからない。
今後はこちらの方向に向かっていくようだ。

六本木の大作を見るのは初めてだったが、その大きな画面を埋め尽くすように、びっしりと彼女独特の線画で描かれていて、中々の迫力である。
12月に個展を予定していて、どのような作品を発表してくれるか楽しみにしている。

グレコ展は日曜日の割には空いていて、じっくりと見ることができたが、重々しい絵であまり好きになれない。
大原美術館ではじめて見た時も、グレコ独特のえんじ色と緑の色が何故か不気味に見えて、その時の印象を引きずっているのかもしれない。



1月27日

休みの日に尾籠な話で恐縮だが、海外に行って一番困るのはトイレにウォシュレットがないことである。

清潔好きの日本では当たり前のようにあるのだが、海外のホテルでお目にかかることはほとんどない。
北京の天安門広場のトイレにあったのにはびっくりしたが。
昔欧米のホテルにはビデというものが置かれていて、当時はこの使い方がわからない。
私の父親は歯磨きの後にそれでうがいをしていたという。

たまたまTOTOで携帯ウォシュレットを販売していることを知り、早速注文した。
今朝届いたので早速試してみることに。

なかなかの優れもので、これでようやく海外に行っても快適に過ごすことができる。

注意書きにノズルを中に挿入しないでくださいと書いてあったが、アブノーマルな世界ではそうした使い方をするのだろうか。

家内にも海外に行くときは貸してあげると言うと、それだけは勘弁してと言う。
年とともに夫婦の絆も薄れていく。

1月26日

今年の秋に浅井飛人の個展を予定しているジャカルタのエドウィン画廊からメールが届いた。

現在インドネシアの景気は東南アジアのどの国よりも良くて、この一年の間に土地価格は100%もしくはそれ以上に上がったという。
コレクターはアートよりは土地投資に目が向いていて、現代アート市場はペースダウンしているというが、これは浅井展で売れなかったときの牽制球に違いない。
実勢は現代アーティストの価格も急上昇していて、いわゆるバブル状態のようだ。
画廊のオーナーも早く沈静化して、元の状況に戻ってほしいと思っているそうだが、果たしてどうなることやら。

私が一昨年の暮れに行った時も、地下鉄工事や高速道路が建設中で、少し前の韓国や中国と同じよにインフラが整備されることで経済が上向き、富裕層が益々豊かになり、アート市場が拡大したのと同じ状況なのだろう。
ただ、アートの質はあまり高くなく、土俗的な絵画ばかりで、それでも発表価格やオークションのエスティメート価格は驚くほど高かったことを覚えている。
それが2年前のことだから、今は相当な価格になっているのは間違いない。
インドネシア資本に支えられているシンガポールでは現在アートフェアーが開催されていて、日本の画廊も多数参加しているが、どのような結果になっているか帰ってきたら是非聞いて見たい。
リーマンショック直後に請われてシンガポールのフェアーに参加し、散々な目に合ったこともあって、今回は参加をためらってしまった。
いつもの如くビジネスチャンスを逃し、機を見るに敏でない自分を嘆いている。

1月25日A

夕方に突然テグの新羅ギャラリーの李さんが現れた。

今朝に成田に着いて、明日早朝に帰るという慌しさ。
オファーのあった作品を暮れに紹介していたのだが、返事がなくどうしたかなと思っていた矢先であった。
相変わらず海外の方はアポ無しが得意なようだ。
大きな作品3点を選んでもらい、自分で持って帰ると言う。
サイズと重さを測ってみると飛行機に乗せる限度にぎりぎりセーフ。
大きな画廊を持っていて、レストランも併設している大社長さんだが、スタッフも連れず、1泊だけでやって来て、こうして大きな荷物を自分で抱えて帰るのだから大したものである。

朝、車で成田まで送ってあげるといったが、朝早いし、電車の方が楽なのでと固辞され、せめて食事ぐらいと無理矢理築地の寿司屋に連れて行った。
私のほうは行く度にご馳走になっていて、お誘いしないわけにはいかないのだが、全く遠慮深い方で、食事が終わりホテルまで送ると、車が見えなくなるまでずっと手を振ったり頭を下げたりしている。
こちらが買っていただいているにもかかわらずこうなのだから、本当に恐縮してしまう。
礼節を重んじる儒教精神が身についているのだろう。

ただ一つお願いしたいのは、連絡だけはまめにしていただきたい。

1月25日

昨夜は京橋界隈の街興しの拠点となった京橋ものがたり館で京橋の昔を聴く会・第一回が催された。

語り部は京橋にある酒類販売の大手・ぬ利彦社長の中澤彦七氏である。
偶々氏とは河口湖の家が同じエリアにあって、入っているゴルフクラブでも同じメンバーとして何度かゴルフをともにしたこともあり、どんな話をされるのか興味を持って伺った。

この界隈では明治屋が明治18年創業という長い歴史を持つが、ぬ利彦はそれどころではなく、1717年(享保2年)に酒・醤油仲買商としてスタートし、それ以来300年の歴史を持つ京橋の老舗中の老舗会社である。
中澤氏は九代目にあたり、先ずは会社の由来からお話いただいた。

昭和通沿いの宝町に会社を構えているが、このあたりは以前は京橋と日本橋を結ぶ紅葉川という堀があり、材木や酒樽といった大きな荷物がここで陸揚げされたことから、ここに居を構え、酒・醤油の卸を始めたそうだ。
そしてこのあたりが塗町と呼ばれていたところから、そのぬりと初代の名前が彦七だったのでぬ利彦となったそうだ。
名前から私はずっと漆器屋さんだと思っていた。
因みに京橋の明治屋がある辺りが鞘町と呼ばれていて、近くには刀町もあり、江戸時代に幕府の命により行商の職人達がこのあたりに集められたようだ。
鞘があるので漆の塗り職人も宝町あたりに集まっていて、塗町となったということである。

各藩の大名屋敷が江戸にあったこともあって、各地の銘酒が全て江戸に集まり消費されたので、当時の酒問屋は大いに繁盛したそうだ。
全国の殿様が江戸にいて、その家臣やその家来、付いてくる商人や職人などを含めて大量の消費がなされ、日本全国の収入の約7割が江戸に集まったというから、当時世界一の都市と呼ばれたのも不思議ではない。
もう亡くなられたが、知人に同じように由緒ある酒問屋さんがいて、こちらは今の飯田橋で升本総本家と称して酒の卸業を営んでいたが、このあたりに樽廻船が荷揚げをしたところから今でも揚場町と呼ばれているが、升本家はここに九つの大きな倉が並んでいたというから、往時の繁盛振りが偲ばれる。

江戸文化から戦後の京橋の復興まで話は尽きなかったが、話を聞きながら、時代の変遷の中で300年続いた秘訣は細く長くをモットーにやってこられた結果であると拝察した。

1月24日

私達の先輩であるヒロ画廊の藤井公博氏から版画商組合の新年例会の折に、先般高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したイタリアの彫刻家チェッコ・ボナノッテ氏との40年にわたる交流についての話をしていただいた。
ボナノッテを支え、紹介を続けた苦労話や現在の名誉を勝ち取った経緯など、大変興味深く聞かせていただいた。

藤井氏は京都外大在学中にピカソをはじめブラック、ドラン、レジェ等錚々たるアーティストを見出した画商・カーンワイラーの生涯を綴った「私の画廊、私の画家」を読んで、画商の道を目指し、大阪フォルム画廊を訪ね、採用の合否もないままに翌日から押しかけ就職をし、その後大阪フォルム画廊の東京店長を経て、36歳の時に独立をし(偶然ですが、私も同じ歳に父親から独立をし、ギャラリー椿を立ち上げました)、ヒロ画廊を設立し現在に至っている。
大阪フォルム時代にまだ無名だったボナノッテを見出し、国内においては版画家・浜田知明を扱い、いまやこの二人は世界で知られるアーティストとして活躍をしている。
影響を受けたカーンワイラー「私の画廊・私の画家」はその後大阪フォルム画廊から日本語訳が出版されたが、これも藤井氏の初心から生まれた産物である。
今回若干の在庫があるということで、私も購入させていただいた。
まだ読み始めたばかりだが、藤井氏の話とともにカーンワイラーの画商としての心構えを学ばせてもらおうと思っている。
巻末にはピカソやブラック、レジェなどとの契約書も紹介されているが、今の価格と比較すると隔世の感がする。

藤井氏は画商歴48年、70歳を契機に息子さんに社長を譲るそうだが、まだまだ元気は我々以上で、更なる計画もあるそうなので、その活躍を見守っていきたい。

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1月23日

来る2月17日から4月7日まで練馬区立美術館にて私共で発表を続ける「富田有紀子展」が開催される。
併せてというよりは、本来こちらがメーンなのだが、富田の祖父の「小林猶治郎展」が開かれる。
パンフレットにも書かれているように、小林は肺病で25歳までの余命と宣告されながら、医師の言葉に反して93歳まで描き続け、「こんなに生きてきまりが悪い」が口癖だったそうだ。
残りの人生を好きな絵を描いて過ごそうと、当時としては異色の作風で絵を売ることもなく、個展での発表もせずに、独立独歩で生涯を終えた稀有な作家である。
練馬をはじめ、千葉、板橋、栃木などの美術館には所蔵され、第一生命ギャラリーでも死後に展覧会が開かれたが、その多くは人の目に触れないまま埋もれていて、このたび現存する200点のうちから80点が展示されることになった。
「超然孤独の風流遊戯」と題された展覧会を是非ご覧いただきたい。

同時に、花を中心に、視覚ではなく、レンズの遠近で捉えた対象物を微細に幻想的に描き出す富田の作品も100点が一堂に展示される。
富田はVOCA賞の奨励賞の受賞を契機に脚光を浴びるが、祖父と同様に淡々飄々と制作を続け、独自の世界を切り開いてきた。

祖父と孫、時代は変わり、表現も全く違っているが、時代に振り回されることなく独自の作家人生を辿る二人の対比を是非楽しみにしていただきたい。



1月22日A

あまりに腹がたつ出来事が二つ。

一つはアルジェリアでの人質事件での殺戮である。
罪もない人を殺して、何が正義なのか。
一神教の教義で人をあやめてもいいのか。
アラーの神に慈悲はないのか。
彼らがイスラムに何をしたというのか。
もし心あるイスラムの人がいるならば、立ち上がって、人間の尊厳を踏みにじるようなテロ行為を徹底的に糾弾してほしい。

もう一つは、橋下市長の暴言である。
確かに過剰な体罰はよくないが、それで受験まで中止、先生も入れ替えはあまりにも権力を振りかざす不遜な行為といっていいだろう。

連帯責任を問うのであれば、その最高責任者である市長がその責めも負わなくてはいけないが、そのことには何も触れていない。
生徒にも、自分の浪人体験を話し、受験生にも浪人を良しとするような発言もしているが、それはあんたの勝手で、他人の横槍で浪人させられたら受験生は堪ったものではない。
誰も好き好んで浪人しようとは思わないし、親の負担も大変だろう。
言うことを聞かなければ予算を削るぞと脅すなら、そうした家庭の補償も考えてくれるのだろうか。

仮に生徒、受験生や父兄、教師の意見を聞かず、自分の考えだけで、その高校を改革しようとして、自分の思い通りの高校にならなかったら、どう責任を取るのだろう。
多分今でさえ責任を取らないのだから、責任を取るはずはないだろうが。

学校を変えてしまうことで、今まで積み上げてきた学校の伝統や尊厳、在校生やOBの愛校心や誇りはどうなってしまうか考えたことがあるのだろうか。
生徒達から尊敬される先生や感謝をされている先生もいるだろう。
事件とは別のところにいる、こうした多くの人たちの心情を慮ってみたことがあるのだろうか。
ネロやヒットラーと同類の独裁暴君市長であり、人質事件のテロリストと同様に自分が正義だと思っているところに大きな間違いがある。

虚構新聞という皮肉を交えたパロディー新聞に面白いことが書かれていたので紹介する。

この日の記者会見で、記者から「18日に『僕も浪人した』と、受験生に浪人を強いるような発言をしているが、市長の浪人経験は、今回のような行政の事情によるものではなく、単にあなたがアホだっただけではないか」と問われると、囲んでいた報道陣を一列に並ばせ、片っ端からビンタを浴びせて会見場を後にした。

1月22日

昨日は久し振りに名古屋へ。
私共で発表をしている彫刻家の伊津野雄二の画集を取り扱っている名古屋画廊、神戸の島田画廊、新潟の絵屋と共同で出版する事になり、伊津野氏も交えてその打ち合わせを名古屋ですることになった。
名古屋へ行くのは一昨年の名古屋松坂屋のアートフェアー以来で、名古屋画廊となるともう15年近く行っていないこともあって、地下鉄は一駅間違え、戻っては降り口をこれまた間違えて、延々と歩いた末に、ついにわからなくなって電話をしてやっとたどり着く始末。
約束の時間はとうに過ぎてしまい、皆さんは食事の場所に移ってすでに打ち合わせが始まっていた。

最近とみに思い込みが激しく、場所や時間をよく確認もせずに間違えてしまうことが多い。
今日も朝から月一回の男の料理教室の日で、これも3年も通っているのにもかかわらず、早めの時間のつもりで家を出たのだが、着いてみるとすでに始まっていて大慌て。
30分間違えていたようだ。
だんだんとボケが進行をしていく。

画集の方は伊津野氏がすでに見本を作っていて、素敵な作品写真と作者の言葉が散りばめられていて、私達の出る幕無し。
後は発信力のある神戸の島田氏と新潟絵屋の大倉さんの文章を載せれば出来上がり。
神戸で大きな書店も経営し、18日のブログにも書いた石井一男の仕掛け人でもある島田氏に画集の伝播力のほうは大いに期待をしたい。
私と名古屋の中山氏は余計なことをせずにお金の算段をしていたほうが無難のようだ。

出版記念をだいぶ先になるが、私共での伊津野雄二個展の初日である11月2日に予定をしているので楽しみにしていただきたい。
その後名古屋、神戸、新潟と巡回する予定である。

1月18日A

ブランドやマスコミといったメディアに弱いのは、どの世界でも共通のようだ。
偶々二つのコメントを読ませていただいたので、かなり長いが紹介させていただく。

一つは山本冬彦氏のブログから転載させていただく。

ギャラリー枝香庵の「石井一男展」を再訪。
初日は整理券配布という状況だったので、そろそろ落ち着いたかと思って今日訪問したが、相変わらず人がきているとのこと。
初日に色彩のある人物画はほぼ完売で、モノトーンや人物でないものは残っていたが、今日行ったら絵柄に関係なく60余点のうち2点を除き完売だ。(27日まで)

最近は公募団体の会員などの権威がなくなり、若い作家を中心にアートタレントやマスコミ紹介作家が売れていて、作家にとってマスコミがあらたな権威になっている。
その傾向はなにも若い美人やイケメン作家だけでなく石井一男さんのようなおじいさん作家でもその威力を発揮していることで証明されている。

  石井さん自体はマスコミ報道には無関係に淡々と作家活動を続けているが、単行本、テレビの「情熱大陸」、新聞などに紹介されて一般の人が勝手にフィーバーしている。
今回も文庫本になって本屋に積んであるのを見てとか東京新聞などの大きな紹介記事などを見たということで作家も画廊もまったく知らなかったという人たちが押しかけている。

一般の人が作家や作品を評価したり興味を持つのは、従来は公募団体展の会員とか美大の先生などの「画壇の権威」だったのだが、最近は「マスコミに出ることが新たな権威」になっている。
しかし、これは「権威」が変わってきただけで、「権威」をベースにしか判断できないという日本人のさびしい現状を証明しているともいえる。
大切なことは肩書きや流行やマスコミ報道などの他人の「権威」ではなく、自分自身の価値判断や感性で作品を評価する力を養成することではないだろうか。

もう一つは、フェースブックの記事である。

ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。
彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男の前を通りました。

... 3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。
しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。

1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。
ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、彼女は止まることなく歩き続けました。

少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、腕時計を見るとすぐに歩き始めました。
会社に遅刻しそうだったのです。

一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。
彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。
それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。
お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。
それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。
他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。

彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。
お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。
稼いだお金はたったの32ドル。
彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。
拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。

バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。
彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。
彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。
それも3億円のバイオリンを使って。

彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。

これは実際にあった話です。
ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・ポスト紙によって行われました。
私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?

一つ結論として言えるのは、もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?

1月18日

昨日、修善寺の陶芸家H氏のところへ小林祐児さんと一緒に行ってきた。
伊豆は前の晩に雪が降り、陶房への急な山道を恐る恐る車まで登って行った。
スタッドレスタイヤににしていたので事なきを得たが、東京が大雪の時にも雪が降らなかった暖かい伊豆で、行く前の晩にまさか雪が降るなんて。
それにしても今年の冬はひと際寒いが、正月に行ったシドニーは帰った翌日から連日40度を超えているようで、今朝のラジオでは45度8分というお風呂より暑い気温を記録し、世界各地で異常気象が続いている。

H氏は昨年奥様を亡くされ、12月の小林裕児の個展の折に、奥様が大好きだった小林裕児の作品「泪」を奥様の写真の横に飾りたいと買ってくださった。
いつも夫唱婦随で、画廊にも必ずご一緒にきてくださっていて、亡くなられたことは全く知らず、いつも元気にされていただけに、お聞きしても俄かに信じることはできなかった。
そんなこともあってお悔やみを兼ねて一緒に伺うことになった。
H氏とは作家としてのお付き合いはないが,画廊で使うお茶碗やコーヒーカップもみなH氏のものばかりで、家でも料理の時にはH氏の器を使うことが多く、H氏ファンの一人である。
近くにあったギャラリー無境で発表を続けていたが、オーナーの塚田さんも亡くなってしまい、H氏にとっては二重のショックに違いない。

いつか小林とのコラボレーションをしたいとも言っておられ、陶房で早速裕児さんが掻き落としで器に絵を描いてもらった。
作品がたまったら、裕児さんの個展の折にでも発表をしてもらいたい。

1月17日

建築中の隣のビルの全貌が見えてきた。

ビルの廻りを植栽し、緑に囲まれた環境に優しいエコ空間となる。
ビルに面した画廊の裏側の通りも道幅がかなり広くなり、ビルの明かりと新たに設置された街灯で、建築中は暗く寂しかった通りも一変するはずである。
銀座線の京橋駅とこのビルが結ばれ、このビルを抜けて、画廊の裏の入り口前まで繋がるので、雨の日も濡れずにすむので、便利なことこの上なし。
地下2階と地上2階にはショップやレストランが入る予定で、流動人口も一気に増えることになる。
また、千葉県にある最新設備と優れたお医者さんがいることで知られる亀田総合病院がこのビルに入り、海外のセレブ対象のクリニックとなる。
アジアのお金持ちが診療の合間に画廊に顔を出してくれるようなことがあればと勝手に思っているのだが。
丁度裏側の窓のところは展示が出来るようになっていて、今まであまり活用しなかったが、これからは常に展示をするようにしなくてはいけない。

それと表の通りが大根河岸通りと命名されたので、こちらの通りも何か気の利いた名称をと思案中で、いい名前が浮かんだ暁には中央区に申請をしてみようと思っている。

3月末のオープンも間近となり、この界隈がどのような変貌を遂げるか一日千秋の思いで待っている。



1月16日

美術雑誌・GALLERY1月号の21世紀アーティストに「佐藤未希」が紹介されている。

2011年に私共で個展をした若手作家の一人で、まだ東北芸工の博士課程に在学中だが、数限りなく描かれたドローイングから導き出される作品の存在感は際立っていて、その将来性には大いなる期待を抱いている。
今回の記事の中で「人のあり方を今こそ考え直さなくてはいけない。絵画で次の未来に関わることを共有できる何かを持った作品を制作したい」の言葉にも彼女の可能性を感じさせてくれる。
大阪のヨシミアートでも発表を続け、1月26日から2月17日まで「STRACTURE/COSMOS」と題した個展が、同ギャラリーで開催される。



1月15日

昨日の大雪にはびっくりした。

15年前の長女が成人式の時にも大雪で、積もった雪は昨日の比ではなかった。
お祝いの食事を天王洲のフランス料理店ですることになっていたが、あまりの大雪にレストランに止めますと伝えたが、そこのオーナーがお目出度いことなので是非来てほしいと言われ、大雪の中を恐る恐る車を走らせながら辿り着いた。
結婚式が出来るような広いお店に私たち一組だけなのだが、オーナーからシェフ、ギャルソンまで総出で私達を迎えてくれた。
恐らく私達の倍の人数のスタッフが私達だけのために一生懸命料理を作り、運んでくれたのには感激し、今でも忘れられない思い出である。
後で聞くと、お店の人全員帰ることが出来ず、近くのホテルに泊まったそうだ。

  もう一つ、30年前の望月展のときも確か大雪だったことを憶えている。
大雪のせいもあっただろうが、オープンして間もない画廊に人は誰も来ず、作品も1万円ほどのものが2点ほど売れただけで、最初の個展がこんな具合では、果たしてやっていけるのだろうかと不安に駆られたことが昨日のように思い出される。
終わって望月さんに、どうやら染色展としたのが、ファインアートをやってきた画廊に誰も来てくれない原因かもしれず、次から染色展とするのは止めようと言ってしまった。
彼は悲しそうな顔をして、私は染色をやってきたので、染色と言う言葉を取られてしまうと両手をもぎ取られたのと同じですと言う。
とんでもないことを言ってしまったと自分を恥じたが、それから彼は染色にとどまらず、多岐にわたる素材を使い、その表現力を高めていった。
今回、30年前の原点に戻り、染色だけで展覧会をすることに新たなる感慨を覚えるとともに、あの時も大雪だったなと昨日も窓から降る雪を眺めながら、その時のことを思い出していた。

1月13日

ラグビー大学選手権の決勝を観戦。
応援していた筑波大学は残念ながら負けてしまった。
帝京大学強すぎた。
部員も少なく浪人生がたくさんいる中で、ここまで来ただけでも大したものである。
去年が準決勝、今年が決勝まで進んだので、是非来年こそは優勝をして欲しいと願う。

ラグビー観戦の後、世田谷美術館の松本竣介展を見に行ってきた。
去年、葉山の美術館に見に行った時もすでに終わっていて、今回も最終日前日となってしまったが、間に合ってよかった。
感動した。
国立近代美術館の「Y市の橋」を見て以来、私の心に深く残り、一番好きな作家を挙げろと言われたら、間違いなく松本竣介の名前を挙げるだろう。
美しい湖を見るような透明感のあるマティエールと凛とした静謐感。
心が洗われるような思いがする。
私が企画する作家達も皆、原点は松本竣介にあるような気がしている。

30数年前の新宿の画廊で、20点ほどの油彩とドローイングを集めて「松本竣介展」を開いたことは、私の画商暦の中でも特に印象に残る展覧会であった。
その当時は毎年、夭折した作家や物故作家の初期作品を集めて展覧会を開いており、若くてもいい仕事をしていれば後世に残るということで、若手中心に企画をしている私の一つの指標でもあった。



1月12日

今日から望月通陽展。

思えば、ギャラリー椿の第一歩が望月通陽の個展であった。
丁度30年前の1月に私共で初の個展を開催した。
それ以前には目白の古道具・坂田、当時青山にあったギャラリー塚田(その後、ギャラリー無境と名前を変えて銀座に出店)、田園調布に近い住宅地にあって独自の活動をしていたガレリア・キマイラ、大阪の稀少本の発刊で知られる湯川書房など目利きの美術商が彼に関わっていたのだが、静岡の著名なコレクターのO氏の紹介により彼を知ることになる。
前年の9月の京橋でのオープン展はその当時扱っていた3人の作家のグループ展でスタートしたが、その後の予定は全くたっていなかった。
望月は、その頃同じように銀座に出てきたギャラリー塚田で個展が決まっていたのだが、塚田氏は体調を崩し、オープン直後入院を余儀なくされ店を閉じることになってしまった(そのまま居ぬきで入ったのが、今はなくなった佐谷画廊である)。
そんな経緯があって翌年早々に、私のところで急遽個展を開催することになったのが、今に繋がるのである。
縁とは不思議なもので、もし塚田氏が入院することがなければ、こうした出会いもなかったのかもしれない。

それから30年、ともに歩んできたと言っても過言ではない。
もちろん彼のほうが大きく羽ばたき、装丁家としても今や第一人者となり、その装丁本は数知れず、彼の意匠による教会やコンサートホール、医療施設、喫茶店、お菓子屋さんなども各地にあり、更には大分に彼のコレクションのみの個人美術館までもが出来てしまった。
それでも当時のままの彼でいてくれるのが何より嬉しい。

30年の節目の年の初めに彼の個展でスタートできることも、私の大いなる喜びである。



1月11日A

釜山アートショウの事務局長チョンさんが来日し、お昼を食べながら今年6月5日から10日までのフェアーの開催要綱の説明があった。

8軒ほどの画廊が来ていて、昨年は初めての開催で期待ほどの成果は上げられなかったのだが、それでも日本の画廊さんの関心は高いようだ。
明日は大阪、京都を廻り、関西の画廊さんにも案内をするとのことで、10数軒の参加を見込んでいる。

韓国の経済状況もあまり良くないが、それでも日本よりはましだろうと言われたが、確かにそのとおりである。
韓国も政権が変わり、文化予算が全体の1.2%から2%に引き上げられるそうで、業界の活性化に繋がっていくとのことであった。
また悪い悪いと言われながらも、韓国内では昨年一年で100軒の画廊が新たにオープンしたそうである。

それから私も同じことを感じていたのだが、韓国でもてはやされていたハイパーリアリズムによるトリックアート的な作品に翳りが見え、質の高い抽象傾向の作品に目が向きつつあるとのことであった。
若手作家によるコンテンポラリーバブルが一頓挫し、これからは成熟したアート市場に変わっていくのは間違いないようだ。

1月11日

画廊の前に大根河岸と書かれた大きな石碑がある。

江戸時代にここで野菜を荷揚げしていたので、この場所を大根河岸と言うようになったとのこと。
丁度今年でこの場が出来て350年が経ち、これを記念して今日はしめ縄とお供物が石碑に飾られ、築地の野菜市場が果物や野菜を配るということで、長い行列が出来ている。
これを期して、画廊の前の通りは大根河岸通りと命名され、道路にその銘が打ち込まれることになった。

この場所が江戸歌舞伎の発祥の地でもあり、その前の中央通にも京橋跡の欄干が四方に置いてあったりと、歴史を感じさせる場所となっている。

因みに反対側の通りは、竹河岸通りと命名されるそうだ。



1月10日

今月の15日で今のスペースに移って丁度10年となる。
以前のスペースに20年いたので、京橋にギャラリー椿を開廊してから30年が経ったことになる。

節目の年で何か記念のイベントをと思ったが、大学を卒業して大阪の梅田画廊に5年勤務をし、父親の椿近代画廊に丸10年いて、それらを合わせると丁度今年の4月で、この仕事に入って45年となる。
友人達の大方はセカンドライフを楽しんでいて、うらやましい反面、五体満足で仕事が出来る有り難さも感じていて、出来ればあと5年頑張ると丁度50年の大きな節目となるので、その時には是非記念となるようなイベントをやりたいと思っている。
その時は年も72歳になるので、先ずは健康であること、もっと大切なのは画廊が健全に運営されていることである。

50周年記念を目標に老体に鞭打ち頑張ろうと思うので、皆様の協力を切に願う次第である。

1月9日

今日から仕事始め。

12日から望月通陽展が始まるが、11日に飾り付けなので、壁にはまだ何も飾ってない。
殺風景な上に、正月明けはいつもそうなのだが、画廊が冷え切っていて寒くてしょうがない。
暖房をつけても、天井が高いので一向に温まらない。
真夏のシドニーから帰ったばかりの身体には寒さがひと際応える。
展覧会が始まる頃には、画廊の暖房も効いてくるはずなので、新春一番の展覧会を是非ご覧いただきたい。

1月8日

正月3日から長女一家が住むシドニーに次女家族を連れて出かけた。
真夏のシドニーは日中は30度を超える暑さだが、それでも湿気が少なく爽やかな風が心地良く、寒い日本が嘘のようである。
長女が全ての段取りを整えてくれていて、ビーチ、水族館、動物園、花火大会、ナイトクルーズ、美術館、ショッピングと盛りだくさんに楽しむことができた。
前に来た時には美術館はたいした展覧会もなかったが、今回は現代を代表するインドの彫刻家・アニッシュ・カプーアの展覧会をやっていて、カプーアの真髄を見ることが出来てラッキー、旧美術館の横に新たにできたコンテンポラリーアートミュージアムではカプーア展の他にも、多数のオーストラリアの現代作家の作品が常設展示されていて、オーストラリアのアートシーンも急速に変わってきているようだ。





1月2日

息子と国立競技場のラグビー大学選手権の準決勝を観戦に。
筑波大学が見事大逆転で東海大学に勝利を収め、国立大学としては初の決勝に進出、早稲田に勝って4連覇を狙う帝京大学と13日に悲願の初優勝をかけて戦うことになった。
帝京には対抗戦で勝っている事もあり、是非とも日本一になって欲しい。
息子達ラグビー部OBは同期もたくさん応援に来ているようで、恐らく祝杯を挙げて今夜は帰ってこないのでは。



1月1日

あけましておめでとうございます。
快晴の明るいお正月を迎えました。
氏神神社で夫婦二人、家内安全、商売繁盛のご祈祷をしていただきました。
皆様にとりましても本年が今日の様な明るい一年となるよう願っております。
どうぞ今年も旧年に変わらずよろしくお願い申し上げます。



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