ギャラリー日記

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3月31日 

月刊ギャラリーの4月号の「詩人小川英晴氏のアート縦横」に小山登美夫氏との対談が掲載された。

五美大展を見ての感想を語り合うということだったが、とりとめのない話があっちにこっちに飛び交い、それこそ縦横となってしまい、今月号だけでなく、来月号にまで続くことになってしまった。
確かこの企画も私3回目の登場となり、大した知識も経験もない私には話すネタも品切れで、中身のない話ばかりで恐縮だが、含蓄のある小山氏小川氏に免じてご容赦いただき、ご興味のある方は是非ご覧いただきたい。

尚、同号には前回私共で個展をした小原馨の作品に小川英晴氏が詩を寄せてくださったので紹介させていただく。

ひとすじの光

小川英晴

いま

彼は天上へ召されていった

その一瞬にあらたなる視界がひらけた

そのとき ひとしずくの涙が彼の目に浮かんだ

やがてそれはひとすじの光となって

すうっと天上へとのぼりそしてしずかに消えていった

それが彼のあらたな始まりであり終わりであった

残されたものたちは

天地を貫くひとすじの光を見あげて

最後に心からの祈りを捧げた

今宵過ぎれば彼の魂は

この世の何処にもありはしない

人はみなそのことをほんの一瞬想い浮かべて

天上に消えてゆくひとすじの光を惜しんだ



3月30日 

日曜日、プロ野球開幕カード、伝統の巨人阪神戦のチケットをいただき、何よりのプレゼントと喜び勇んで行ってきた。

いつも私が行くと巨人が負けるジンクスを吹き飛ばし、巨人打ちまくっての快勝。
巨人ファンにはこたえれない一日となった。

ただ心配なのは、飛球を取りに行った阪神選手同士が激突し、阪神西岡選手が意識不明で倒れたままとなり、グラウンドに救急車が入って来るというアクシデントがあった。
球場全体も静まり返り、その成り行きを見守ったが、救急車に乗せられる際には、両軍応援団が頑張れのエールを送り、そのフェアープレー精神には胸を打たれた。
その後は巨人が阪神に対し遠慮会釈のない猛攻撃での勝利に、阪神ファンには申し訳ない気持ちもあったが、ここは勝負事で致し方ない。

昨日は、私以上の熱狂的巨人ファンの娘夫婦が観戦に行って、巨人の敗戦でがっかりして帰ってきただけに、その分を挽回するほどの勝利に私は大喜びであった。
いつも特等席を贈ってくれる友人には格別のお礼をしなくてはいけない。



3月29日 

フェースブックでも続々桜の便りがアップされていて、皆さんの浮き浮き気分が伝わってくる。

京橋界隈の桜も今日は一気に咲き揃い、何とか京橋の桜を愛でる会には間に合った。
桜の下には、京橋マルシェと称して、模擬店が出たり、特設ステージでは音楽やお囃子のライブが行われている。

京橋の町興しも細々だが、町会の人たちの努力で続けられていて、何とかこの界隈の活性化に繋がるように願っている。

大雪の時の画廊前の暗い写真と比べていただくと、この華やいだ雰囲気がよくわかっていただけるだろう。
出来うれば、画廊の中にも春到来となるともっといいのだが。



3月28日 

今日は画廊を休んで、大学のヨット仲間とゴルフ。

今年一番の暖かさで、春というより初夏のような陽気で、半袖でもいいくらい。
3人ともリタイア組でゴルフ毎日OKのうらやましい身分で、毎日昼寝を欠かさないというのもいて、慢性寝不足の私とはえらい違いである。

ゴルフの腕前は似たり寄ったりで、スコアーよりはプレーの後の焼き鳥屋で一杯が楽しみな連中である。
下戸の私はそれも叶わず、ひたすら酔っ払いの相手をするしかないが、今回は長男の嫁が無事出産を終えて、赤ん坊を連れて実家から帰って来るというので、一足先に失礼した。

5人目の孫だが、何人いても孫は可愛いもので、また下の娘がこの9月に出産予定で、丁度今日は戌の日ということで、家内と一緒に水天宮に安産のお参りに行ってきたようだ。
前回が難産だっただけに、今度は安産で無事生まれてくることを願う。

3月27日 

一般財団法人・軽井沢ニューアートミュージアムで、4月2日から5月7日(火曜日休み)まで「呉亜沙・あなたの私と私のあなたと」展が開催される。
昨年の個展の折にお話をいただき、このミュージアムでは異例の若手の抜擢である。
過去の作品を含め、新作の立体など多数の作品が出品される。

このミュージアムは軽井沢駅から軽井沢銀座に向かう途中の絶好のロケーションに位置するガラス張りの素敵なミュージアムである。
個展は1階の3スペースを使って展示されるが、2階には草間弥生、奈良美智、舟越桂、井上有一、千住博、サイトウマコトの6部屋の常設展示室がある他、瀟洒なイタリアンレストランと広いアートショップを併設していて、軽井沢を訪ねる観光客も気楽に入れるミュージアムである。

4月20日まではレストランでは「トスカーナフェアー」と銘打って、イタリアの古都トスカーナの郷土料理が味わえる。

軽井沢の新緑に包まれた絶好のシーズンであり、ゴールデンウィークの最中、是非軽井沢散策を兼ねて美術館を訪ね、呉亜沙の個展を楽しんでいただきたい。



3月26日 

ここ数日の暖かさで、東京の桜も開花したようだ。
雪の多い寒い冬だったが、これでようやく春本番である。

今日はあいにく雨の予報で、一足早い夜桜見物とはいかないが、28日の夜は画廊の前の大島桜を愛でる会が町会主催で開かれる。
桜の木一本だけだが、大島桜の白い花が咲き誇る姿は、都会のど真ん中にあって、それは見事なものである。
いつもならソメイヨシノより早く咲くのだが、こちらも開花したばかりで満開とはいかず、ほころび始めた桜を愛でる会となりそうだ。

日曜日には千鳥ヶ淵、3日は三溪園に花見に行く予定で、しばらくは春爛漫を満喫することになる。

3月25日 

先日、サザビーズの日本代表の石坂泰章氏にロータリークラブで話をしてもらったと日記に書いたが、クラブの週報でそのときの要旨が載ったので、その一部を改めて紹介したい。

都市とアート事業

都市にとって、かってはアートは金食い虫だったが、今や美術館、アートフェアー、芸術祭といったアート事業は雇用を創出し、宿泊、飲食、建設、輸送、倉庫にまで波及効果をもたらす産業として無視できない存在となった。
いくつかの例として、欧州では美術館の年間入場者は7100万人で、テーマパークの5800万人を大きく上回っている。
ニューヨークでは、アート産業の波及効果は、32億2300万ドルとブロードウェイの8億3600万ドルを上回る。

日本は世界のテーマパーク入場者数トップ20には、ディズニーランドを始めとして4施設が顔を出し、5000万人強を記録するが、美術館ではトップ20に1館も入ってない。
ルーブル美術館の972万人に対し、最も多い国立新美術館でさえ147万人である。
ところが一展覧会当たりの入場者数になると、途端に世界のトップ10に日本の展覧会が二つ、三つ登場してくる。
この数字が物語るのは、日本人の知的レベルに見合う世界レベルの美術館が不足しているという実態である。

都市の産業としてのアート

人口35万人のスペインの地方都市ビルバオは、ニューヨークのグッゲンハイム美術館分館の誘致で、年間96万人の観光客が訪れる観光都市となった。
それも6割が海外からだ。
グッゲンハイムの展示されていない9割の収蔵品を貸し出して、有効活用したい美術館と、かって鉄鋼で栄えた都市を再生したいビルバオ側の思惑が一致して実現した。

マイアミでは、アートフェアーが街を再生させた。
同市は1960年代まで観光のメッカだったが、その後犯罪が多発する都市として、高級観光都市ではなくなってしまった。
それが2001年に誘致したアートフェアーが、今や街最大の行事となった。
期間中は、宿泊費は最低4泊、1泊800ドル強にまで高騰し、空港には200機弱のプライベートジェット機が駐機する。
因みに運営母体はスイスのバーゼルアートフェアーだ。
アートフェアーは国境を越えたビジネスとなった。

一方現代美術のオリンピックともいえるヴェニスヴィエンナーレは100年の歴史を持ち、古都と現代美術がうまく融合した例だ。
6月から11月にかけての会期中は、どのホテルもレストランも満員御礼で、来年は5月からに繰り上げるほどだ。

元発電所を改装して2000年にオープンしたロンドンのテートモダンは、初年度の入場者数がいきなり400万人を突破し、イギリスを新たなアートを発信する現代美術先進国へと変貌させた。

このようにアートは都市のお荷物ではなく、産業として注目される時代となった。

以上が石坂氏の話だが、日本でも直島のベネッセは、香川県の北に位置する瀬戸内海上に浮かぶ島で、この直島は島の至る所に現代アートがあることで知られ、世界中からそのアートを見ようと観光客が訪れていて、アートが観光産業となった一例である。

アートバーゼルは、最近は香港、シンガポール、メルボルンでもアートフェアーを主催し、サザビーやクリスティーズも香港では大きなオークションを開催するが、いずれも東京には目を向けていない。
日本がアートの後進国とならないよう、世界中からたくさんの観光客が押し寄せる東京オリンピックを絶好の機会と捉え、パリやニューヨーク、ロンドンに匹敵するようなアートイベントを東京で開催し、同時に美術館を充実させ、恒久的に海外からの来場者を増やすべく模索していかなくてはいけない。

ビルバオ・グッゲンハイムミュージアム



テート・モダン



3月24日 

最近はあまり政治的なことには触れないようにしてきたが、台湾の民主化運動に関して、日本のメディアがほとんど触れていないことに義憤を感じ、少しでも現状を知ってほしいとの思いで書かせていただいた。

すぐお隣の世界の中でももっとも親日の国で、東日本大震災の折には真っ先に、それも一番多額の義援金を送ってくれた台湾の青年達の行動を、メディアが今のところ大きく取り上げないのには、対中国への遠慮があるのだろうか。
尖閣問題を含め、反日行動を顕著にしている中国と、親日というよりは愛日とも言える台湾のどちらを支持するか、わかりきったことだと思うのだが。

今の状況をしらない方も多いと思うので、かいつまんで書かせていただく。

発端は中・台で結んだ「サービス貿易協定」を現政権が強行採決しようとしたことに抗議し、学生達がそれを阻止しようと、立法院(国会議事堂)を占拠したことが事の始まりである。
この協定により、中国に台湾が取り込まれるのではと危機感からの抗議行動である。
これを支持する青年達が立法院周辺に集まり、現在3万人の民衆が押し寄せているほか、それに呼応して各地で「静座抗議」という形で、抗議行動を展開している。

学生達は「静座抗議」でもわかるように「非暴力的抗議」を唱え、冷静に理性を持って行動し、その秩序は見事に保たれている。
近隣に迷惑をかけないように清潔整頓・ごみは分別され、支持する医師や弁護士が医療サービス、法律相談を現場で行っている。
参加できない人たちは、資金や物資を送って、その行動を支援をしている。
このような行動に対し、政府は機動隊を送り込み、放水銃や力づくで強制排除に踏み切ったようだ。

台湾の自治を守るべく立ち上がり、非暴力で抗議をする若者に私は盛大なるエールを送ると共に、メディアの弱腰には落胆せざるをえない。





3月22日 

昨日は、お彼岸の墓参りを終えて、慶応大学の日吉キャンパスに行ってきた。

国立近代美術館の学芸員を経て、慶応大学で教えていた近藤幸夫准教授が亡くなり、教え子達を中心にその業績を忍ぶ「思い出の会」が開かれることになり、出掛けることにした。
近藤さんは後輩ということもあって、時々画廊にも立ち寄ってくれていただけに、その早い死が惜しまれてならない。

こんなことがなければ訪ねることもなかった日吉キャンパスも懐かしく、往時を忍ぶことが出来た。
ポプラ並木は当時のままだが、あの頃は学生運動が激しかった時代で、ポプラ並木も殴り書きされた立看板が立ち並んでいて、隔世の感がする。

月曜日には改めて「お別れの会」が催され、そこでも多くの人が彼の業績について語るだろうが、カタログに寄せた近藤さんらしい文章が会場に置いてあったので紹介したい。

従来の美術評論家は、哲学や美術史の知識に富み、無自覚なアーティスト達に自らの価値に気付かせるといった、いわば上からもの言う立場だったように思います。
時にフランス哲学や文学を援用するそのペダンティックなものの言い方が時として胡散臭く感じるのは私だけでしょうか。
今日、ネット上でかなりの量の情報を収集できる世の中で、アーティストたちは昔のように素朴ではないはずです。
下手すれば、評論家よりアーティストのほうが深い知識を持っていることもあるでしょう。
旧来の「価値付ける評論家」はもういらないのではないでしょうか。
その代わりに、アーティストの言葉に耳を傾け、その意図がどこにあるのかを見定め、それがどのようにすれば社会で受け入れられるかを共に考える人こそ、これからは必要なのではないでしょうか。
それは、プレゼンテーションの仕方(展示)、テキストなど様々な方面に及ぶはずです。
具体的には、キュレターやジャーナリストなどいった職種が近いかもしれません。

展覧会を通じて、慶應の学生が、このようにアートと生きる精神を学んでくれればと思います。



3月21日 

先日は月刊ギャラリーの企画で村上、奈良を世に出した小山登美夫氏との対談をしたばかりだが、今度はアートコレクター誌の企画で小山氏がインタビュアーとなって、私からオイルショック前の絵画ブームの話など、昔のアートシーンについて語ることになった。

小山氏に言わせると、当時の絵画ブームを経験した画商が殆どいなくなり、私に白羽の矢がたった次第である。
ということは、昔を語り伝える村の長老みたいなもので、私もそんな立場になったかと、オイルショック以上のショックを受けている。

確かに絵画ブームの頃に勤めていた梅田画廊には80人の従業員がいて、その多くが独立して画廊を持ったが、当時の仲間で、私以外に企画画廊を継続している者はいない。
亡くなったり、店を閉じたり、音信不通になった者も多い。

当時、同じような規模を誇った大阪フォルム画廊出身者では、ヒロ、ユマニテ、77、プチフォルムなどが健在であるのに比べ、梅田画廊OBの現状は寂しい限りである。
もっとも本体自体が無くなってしまった大阪フォルムと比べ、当時のような規模ではないが、梅田画廊があるのは、OBとして心強い。

私も梅田OBの最後の砦として、昔を語り伝える語り部として長生きをしなくてはいけない。

3月20日A 

スプリングフェアー若手作家12名によるグループ展は4月12日からだが、新たに私共に参加する3名の作品を紹介させていただく。

写真順にヨシダシオリ、財田翔悟、新藤杏子



3月20日 

ヘルムトニュートンの1977年作の写真を紹介させていただく。

写真を扱うことは殆どないので、それほど詳しいわけではなく、ヘルムトニュートンについても名前くらいしか知らなかった。
幻想とエロスを主に集めたコレクターから出た中の一点で、この方のコレクションは散逸してしまったが、60年代・70年代にいち早くシュールリアリズムの作品を集め、残っていればこのコレクションだけで美術館ができるほどであった。
この作品は今のワタリウム、当時のギャラリーワタリが初めて日本に紹介したときのもので、その方が真っ先に購入をしたうちの一点である。
ネットで検索してみると、次のような記述があったので要約させていただいた。

ニュートンはベルリンで生まれたユダヤ人で、迫害を逃れるためドイツを離れ、戦後フリーのカメラマンとなり、パリに移ってからはヴォーグ誌に載せるようになり、その実力が評価されるようになった。
71年に心臓発作を起こして大きな転機を迎え、ヨーロッパ上流階級の退廃的な雰囲気と潜在的な暴力、エロティシズムを感じさせるスタイルを確立し、ヴォーグ、マリークレール、エル、シュテルン、プレイボーイで次々と頭角を現す。
作品は、自分の体のことを考え、プレッシャーのかかる雑誌やクライアントのためではなく、自分の望むイメージである激しいセクシーやエロティシズムの追求にどんどん変貌していった。
ファッション写真でタブーであった、売春婦、フェティシュ、女性の男装等がモティーフになった。
1975年からオリジナル・プリントの展示、販売を始め、世界中のギャラリー、美術館で展示、コレクションされるようになり、写真集 "White Women"を1976年に出版後は彼は写真家どころかアーティストの地位を不動のものとしていった。
日本では90年代前半に石田えりのヘアヌード写真集を撮り下ろして話題になったこともある。
2004年ハリウッドで自ら運転する車で事故死した。83歳であった。
死後8年、待たれた回顧展がついにグラン・パレで開催。
イヴ・サンローランは女性に権力を与えた、と言われるがニュートンにも同じことが言えるのでは。

以上のようなことが述べられていて、世界を代表する写真家の一人であることは間違いない。



3月19日 

先日損保ジャパンでグランプリをとった作品が全くの模倣だったと聞かされた。

ネットで検索してみると、なるほど別の作家の写真集の作品と瓜二つである。
構図から色合い、人物のポーズから表情、背景までがそっくりで、これはまずい。
盗作についてブログで触れた直後なのと、同じく損保ジャパンではこの作品が図抜けていたと書いていただけに、余計にショックである。

グランプリを受賞し、多額の賞金までもらっていたとなると、これは厄介なことになってしまった。
賞を取る取らないは別にしても、模倣した作品をコンクールに出した以上は本人のモラルが問われることになる。

まだ学生でこれだけの書き手なのだから、ここは潔く賞を辞退し、この汚名を晴らすべく精進してもらいたい。

3月18日A 

先週ブログに書いたが、小保方さんのことで同じ思いの人がいた。
フェースブックにシェアーされていたので、転載をさせていただく。

KUMAGAI

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。夢(65)
2014-03-17 03:18:47

| まずいな、と思う。

あまりにも行き過ぎたバッシングだ。

確かに論理的な破たんはあるが、科学におけるもう一つ大切なことを私たちは忘れている気がする。

それはIntuition(直観)と呼ばれるものだ。

彼女は何かを見つけ、何かを伝えたいとしている。

このことは、すべての前提に対して優先するものだと私は思っている。

某学会までもが彼女のContributionを痛烈に批判することの危うさを私は感じている。

仮に彼女の発見と言われるものが間違っていたとしても、間違いだとわかることが科学の進歩につながる。

もし正しいとしたら、いったいどうやって謝罪するというのだろうか。

これは、社会やマスコミや学会の致命的な倫理的破たんだ。

正しい対応の仕方とは何だろうか。

私が理化学研究所の所長であったとするならば、外圧を凍結し、彼女に1年間の猶予を与えるだろう。

この一年間の間に、問われている批判にこたえるだけの成果を出しなさい、と励ますだろう。

おそらく、ハーバード大学の指導教官の思いもそこにある気がする。

研究者が正しいと思い、直観に従って記述した研究成果が、時として不適正な場合もあるかもしれない。

本来はそのようなことはあってはならないのだが、その不都合さゆえに、すべてを否定するような行為は科学に対して何の貢献ももたらさない。

以前、科学論文には、Originality、Repeatability、Consistencyの3つが必要だと述べた。

それにもまして大切なことは、事実に対するIntuitionである。

確かにリセット可能な細胞が常に存在する、という主張には首をかしげたくなる。

しかし、気まぐれな自然の中には、そのようなものが存在していてもよいのかもしれない。

そこに科学の妙味がある。

それらを完全否定するようなバッシングは、百害あって一利ない。

過去において、この種の発見は、多くの批判と虐待をもたらしてきた。

あえて私は、小保方晴子さんにエールを送りたい。

負けるな青年。

間違っていてもよいではないか。

まだあなたは若い。

自分のIntuitionに従って、正々堂々と主張してほしい。

あなたが見たかもしれない壁の向こうには、違う色の世界が広がっているのだろう。

私はそれが世の人々に新しい真実を突きつけることを期待している。

私たちが向き合っている現代社会の多くの矛盾が、一人あなたに襲い掛かっている現実を座視することに私は耐えきれない。

科学とは本来、すべてのドグマや圧力から、自由でかつ夢があるものだと思うからである。

かつて寺本英が私に言った、「おもろいやんけ」という言葉を伝えたい。

3月18日 

服部千佳の個展が間もなく始まる。

今回は既に部屋に飾って、目に馴染んでいる方も多いと思われるが、今年の服部のカレンダーに使われた作品を含めていくつかの新作が発表される。
カレンダーでもわかるように、彼女の震えるような色彩は更に磨きがかかり、妖艶ともいえるその美しさは息を呑むほどである。

赤や青、ピンクやグリーンの華やかな色にまじって、今回新たに黒い色がその美しさを際立てる。
その中でも黒と白を使った作品は出色で、黒の強さと透き通るような白のなまめかしさ、その妙はえもいわれぬ極上の作品となった。

手前味噌な日記となったが、是非とも皆様にも作品を直にご覧いただき、写真や印刷では表せない色の美しさを味わっていただきたい。





3月17日 

今日は版画商の交換会。

いつもは草間の作品が次々高値で落とされるのだが、今日は1点の版画とブロンズ作品だけ。
それも以前ほどの値段はつかず、そろそろ息切れしてきたようだ。
私も海外からの注文でだいぶ扱ったが、ここ一年の値上がりはとても怖くてついていけなかった。

異常な高値はどこかで頓挫するのが世の常で、草間作品も良質な作品との選別、リーズナブルな価格への修正が必須となってきたようだ。
ただこうしたことがきっかけで、他の高値がつく作家にも影響が出るのが心配だが。

逆に、私はお客様の依頼で時流から外れたウィーン幻想派の作品を出品したところ、恐らく声も出ないだろうと思った作品にそこそこの値段がついてほっとしている。
一時、一世を風靡したウィーン幻想派の作家達も今や作品を扱うところもなくなり、その名前さえ知らない人が多い。
細密描写による世紀末的表現は、当時の若い作家に大きな影響をもたらし、現在も日本幻想絵画の一翼を担っている作家は多いが、若い人たちは同じ細密画でもスペインリアリズムの薫陶を受けた人が多くなっている。
そうした流れの中で、千葉に出来たホキ美術館効果といったらいいだろうか、今やスーパーリアリズム的人物画が美術市場を跋扈している。

いつの時代も流行り廃りはあって、そのサイクルは年々早くなっているが、そうした流れに揉まれながら時代を超えた評価というものが確立されるていく。
残念なのは、そうした確立された評価というものを、恐らく私達は確認することは出来ないだろう。
それには、40年、50年の歳月が必要で、美術史をひも解くことで、それを如実に物語っている。

私達はそれぞれに時代を超えてくれることを願いながら、この仕事を続けていくしかない。

3月16日 

今日は春を飛び越え初夏の陽気。

急に思いたち、孫を連れて上野動物園に行くことにした。
何十年ぶりだろうか、シドニーの孫と一緒に向こうで2度ほど行ったことがあるが、日本では本当に久しぶりである。

今日はあいにくパンダもライオン、タイガー、ゴリラが見れないとの表示があって、孫よりおじいちゃんががっかり。
それでも象やキリン、サイやカバ、アザラシやオットセイにこれまた孫より興奮。
心残りは野鳥の会会員である私が楽しみにしていた珍鳥や野鳥のいるところを孫も一緒に行った娘や家内がすげなく素通りしてしまったことである。
それでも、久しぶりに童心に帰って、孫との休日を楽しんだ。

帰りには上野の森美術館でVOCA展が始まっていて、私だけそちらに立ち寄った。

学芸員や評論家の推薦による40才以下の平面作品を対象にしたコンクールで、若手作家の登竜門としては一番権威あるとされていて、多くの人気作家を輩出している。
今回は自分的にはあまり好きな作品はなく、阿部美奈子の明るい色彩と揺らぐ線で描かれた風景画が一番印象に残った。

損保ジャパンやシェル賞展もそうだったが、以前とは違い美術市場に影響されない作品が多くなっていて、それはそれで評価をしたい。
VOCAでも抽象やコンセプチュアルな作品が以前にまして入っていて、若い作家の志向に違う動きが出てきているのかもしれない。



3月15日 

ゴーストライターや論文盗用の話題が連日メディアを賑わしている。

美術の世界でもいい意味での作品の模倣はいくらでもある。
若い作家が著名な作家の作品に影響を受けるのは当たり前のことで、その影響下にありながら、自分のスタイルを模索していくことは悪いことではない。
和田なにがしの例もあったように 、そのままそっくりパクリでは言い訳ができないが、そうした模倣は引用の部類に入るのではないだろうか。

他人から誰かに似てないかと指摘されると、そうした作品があることは知らなかっただとか、全て自分のオリジナルだと言い張るのではなく、素直に誰それに影響を受けました、あの絵は大好きですと言ってしまったほうが、ずっと好感が持てるし、周囲も納得してくれるはずである。
ゴッホが浮世絵の影響を受けたとか、ピカソがアフリカ美術に触発されたなど有名な話はいくらでもある。
ただずっとそうした影響下から抜け出せないでいれば、それはまた別の話となるが。

ゴーストライターに関して言えば、これもまた我が世界にはいくらでもある話である。
ただし、自分の名前で他人に描かせた絵を発表するということではなくて、スタッフや弟子に描かせて、最後の監修は自分でやるというのは、いつの時代にもある。
テレビでも放映された村上隆などはスタジオワークの最たる例であるし、ミケランジェロやラファエロといった中世の作家たちも工房での共同制作がごく自然になされていた。

音楽のほうはよく知らないが、博士論文などもゴーストライターが書いたものを提出し、博士号を取る人は多い。
実際の研究に携るのではなく、肩書きとしての博士号はいくらでもあるようだ。

さて、SP細胞の問題も喧しい。
あれだけ持ち上げておいて、今度は魔女裁判のように扱うメディアの姿勢に首を傾げる。

私はハーバード大学の教授の考え方に軍配を上げたい。
プロセスに瑕疵があったことは認めても、結果として素晴らしい発見をした業績は認めてあげるべきではないだろうか。
そうでなければ、折角の才能がつぶされかねないし、彼女が日本に見切りをつけて、海外での研究に移行することにでもなれば、それこそ優秀な頭脳の海外流失となってしまう。

私の娘のことで恐縮だが、シドニー大学で博士号を取得し、小保方さんと同様にハーバード大学の医学部の研究室で心筋梗塞の共同研究に従事していた。
日本の研究室のことは娘も私もよく知らないが、ハーバード大学の研究室の充実した施設や資金の潤沢さは娘からよく聞かされた。
研究者を育む環境が整っているのである。

理化学研究所もようやく国の支援体制が整いつつあるようだが、研究者の育成、支援に対しては欧米はもちろん、今は韓国や中国に比べても一歩も二歩も遅れてしまっているのではないだろうか。
そうであれば当然のように、研究者は環境が整った海外に行ってしまうのは無理からぬ話である。

小保方さんの問題も盗用ではなく、使いまわしを引用として考えれば、鬼の首を取ったようなマスコミのあり方は如何かと思ってしまう。
若気の至りで、博士論文や今回の論文では失点を重ねたが、もっと大きな目でこの優秀な才能を日本で守り育てる方向に持っていくよう切に願っている。

3月14日 

高校のクラスメートとの恒例のゴルフコンペ。

永久幹事のI君は早起きが取り柄で、集合時間がやけに早い。
今日も4時起きで出掛ける羽目に。

とはいえ、殆どがその時間には起きている年寄りばかりなので、誰も遅刻することなく集合。
その分早く終わり、次の予定の小学校の同級生の女性が出演する舞台の開演時間には余裕で間に合う。

彼女は頭がよくて、運動神経も抜群、その上美人で、我がクラスの眩しいくらいのマドンナであったが、今も当時の面影そのまんまの素敵な女性である。
大学卒業後、高校の教師をしていたが、定年前に退職して、蜷川幸雄が公募した熟年劇団に参加し、現在はいくつかの劇団にも出演し、今回は下北沢の小劇場の公演に出演することになった。

お芝居自体は私には今一つわかりづらく、休憩なしの120分間は睡魔との闘いだったが、若い人達にまじって演じる彼女は活き活きとしていて、70近くになっても頑張っている姿に、私は大いに刺激を受けて帰ってきた。

3月13日A 

釜山の画廊の息子さんが60号の絵を2点を手に持って画廊にやってきた。

成田からは電車で来たそうだが、梱包の厚みを加えると、持ってきた彼の背丈より大きく、よくぞ運んで来たものである。
運送代より飛行機で往復する方が安いからとのことだが、いやはや驚いた。

メールで来ることはわかっていたので、成田まで迎えに行くと言うのを断り、リムジンバスがあるのも知らすに電車に運び込んだそうだ。
電車に乗っている人も大きな荷物にさぞかし驚いたことだろう。

電車を降りてから画廊に来るのはいくらなんでも無理なので、ここだけは車で東京駅までは迎えに行ってあげたが、いくら節約とはいえ、韓国の人は大した根性で、オリンピックやゴルフで韓国が強いのもわかるような気がする。

3月13日 

ここしばらくのんびりしていたが、4月に入ると海外を含め展覧会が目白押しで、その準備がそろそろ始まり、てんやわんやとなる。

画廊では3月から4月にかけて服部知佳個展、4月12日からはGTUで桑原弘明・大堀能文二人展と広い方ではスプリングフェアー・若手12人よるグループ展が予定されている。

海外では、台北と釜山のフェアーが全く同じ時期で重なってしまい、私が台北、スタッフが釜山に行く。
釜山のフェアーが終わった翌日から、同じ韓国のテグで山本麻友香の個展が始まり、スタッフはそちらに移動。
台北から戻った翌日から軽井沢ニューアートミュージアムで呉亜沙の個展が始まる。

連休で一段落すると、すぐに日本橋・高島屋の企画に山本麻友香が参加、続いて横田尚、真条彩華の個展といった具合で、写真撮り、案内状、資料作成、梱包、運送、搬出入、展示と休む間もない。
零細極小商店としては、経費を抑え、少ない人手でどうやりくりするか、どう効率よく売り上げを上げるか、頭と身体を使って乗り越えるしかない。

それぞれに出品する作品で手元に来た作品から紹介させていただく。

台北フェアー用の浅井飛人、北村奈津子、次にテグの山本麻友香を紹介する。







3月12日 

昨日は3月11日の東北大震災と原発事故の追悼と鎮魂、そして風化させないとの思いを込めて、今年で三回目となる元NHKアナウンサーの小池保氏による朗読会を開催した。

今回は小池氏の現職である大学の教え子で、タイ・中国の留学生による歌と二胡演奏との共演ということで、いつもに比べ華やかな雰囲気となった。
タイの学生は以前タイ版AKBのリーダーをしていたともあって、今夜見えた人の多くをどういうわけかおじさん連が占めた。

大上段に構えるのではなく、生活して行く中で、被害の重み、痛みを感じながら、その先には光が差し込むことを信じて、東北や福島の人達への思いを持ち続けて行こうと小池氏は訴えた。





3月11日 

いやぁ〜驚いた。

「中野ブロードウェイ」に行ってきた。

お宅文化のメッカは秋葉原と思っていたが、ここにもあるんだというより、秋葉原にも行ったことのない私には、ジャングルからいきなり都会に放り出されたような横井さんか小野田さんの心境である。
周りにはフィギュアや漫画のお店がひしめきあっている。
多くは「まんだらけ」という会社のスペースが殆どを占めているが。

ここに村上隆の会社カイカイキキがギャラリースペースを持っているのも肯ける。
もっとも行ってみると、サブカル的なものは飾ってなくて、茶碗や皿といった陶器類が並べられていて、古美術店といった風情で、これも意外であったが。

この一角に新たにギャラリースペースを持ったところから、ここの運営企画に協力して欲しいとの依頼があって、初めてこの聖域に足を踏み入れた次第である。
既に内装を終え、小綺麗なスペースが出来上がっていて、そこで責任者の方とお会いして、このギャラリーをどういう方向で進めて行くかをアドバイスさせていただいた。

私は周囲に合わせたサブカル的な若い作家の企画展をやって行ったらどうだろうかかと思っていたが、先方は貸しスペースとしてこのギャラリーを運営していきたいと考えていたようだ。
最初から貸しでは、場所柄難しく、まずはギャラリーのこのエリアにあったスタイルを確立してから、貸しもやっていったらどうだろうかと申し上げた。
また、村上隆が自分のスタイルではなく、古美術風なスペースにしているのもどういう意図なのかも、同じエリアにギャラリースペースを持つ以上知っておかなくてはいけない。

いずれにしても、すぐに採算ベースに乗せようとは思っていないようなので、いくつかの企画展をやってみてからでも遅くはない。

こんなことがなければ、ます訪れないところだけに、いい見聞をさせてもらった。



3月10日 

ロータリーの例会卓話にサザビーズ日本代表の石坂泰章氏来ていただき、アート市場のグローバル化というテーマでお話しいただいた。
石坂氏は私の高校の後輩で、7年勤めた三菱商事を退職し、画廊を始める際は、私のところに相談に来たことがあった。
彼は経団連の会長を務めた石坂泰三氏の孫にあたり、お祖父さんの薫陶よろしきを得て、美術館に欧米の著名作家の作品を納めるなど活躍し、その後請われて現職についた。

オークションの生臭い話かと思いきや、産業としてのアートについての話がメーンで、ヴェネツィアビエンナーレ、イギリスのテートモダン、バーゼル、マイアミなどなどアートを招致することで、何百億の波及効果をもたらすことを数字をあげながら、クラブの面々にわかりやすく語ってくれた。

日本も直島のベネッセや金沢二十世紀美術館などの成功例もあるが、メンバーに多くの財界人がいるので、大いに刺激になってくれればいいのだが。



3月9日 

日曜日だが、上海のKさんが来るというので朝から画廊に出勤。
Kさんは上海のコレクターの依頼で、日本人作家をたくさん買っていて、今回もアートフェアーで作品を捜しにやってきた。
私のところでも、森口、門倉、岩渕、真条といった作家の大作をいくつも購入してくれている。

今回は明日からGTUで始まる佐藤温の作品を何点か予約していった。
昨日も台湾のコレクターが見えて、佐藤の作品を大変気に入り、4月のヤングアートタイペイに持ってきてほしいと頼まれた。
明日もフェアーに参加していた台湾の画廊さんが来ることになっていて、恐らく興味を示すに違いない。

佐藤は高島屋のXで昨年個展をしていていて、その折、高島屋さんのほうから一度うちで発表を考えてもらえないかということで実現した展覧会なのだが、いきなりの反響でびっくりしている。
作品はイラスト的な表現で、レトロな雰囲気の空想世界を描いていて、うちでは異色なタイプの作風なのだが、アジアの人に関心を持ってもらったこともあり、海外での紹介も考えなくてはいけない。

Kさんは他にも台湾の会社の注文で出来てきた北村奈津子の作品にも大変興味を示し、是非来年上海で個展をしてくれと頼まれた。
アートフェアーには参加できないが、フェアーを見に来た海外の方が私のところに寄ってくれて、こうしたビジネスに繋がるのはありがたいことである。
フェアーの余禄といったらいいだろうか。



3月8日 

一週間前になるが、古くからお付き合いをしているギタリスト・佐藤達男さんとリュート奏者・つのだたかしさんのお二人のリサイタルに招かれ行って来た。
お二人とも私共の展覧会の折にも演奏していただくなど、美術との関わりも深い方達だが、今や著名演奏者として活躍しているので、画廊で気楽にやって欲しいなどとは言えなくなってしまった。

実は二人はドイツ・ケルンで音楽の勉強中、居を共にした古い友人同士なのだが、二人で演奏することは大変珍しいことで、画廊の展覧会の初日にもかかわらず、何をさておき駆けつけた次第である。

チラシにはつのだたかしの言葉が綴られている。

ドイツの冬は厳しい。
ストーブと安ワインと二挺のギター
ケルン、バランダー通りの古アパート
あの時同い年だった私たちは今でも同い年
40年も過ぎて再び響きあう音楽の嬉しさ

二人の絶妙な演奏によるバロックの響きに、心澄まされる一刻であった。

3月7日 

アートフェアー東京に行ってきた。

昨日のオープニングは相当な人出が予想され、それを避けて、平日の午前中に出かけることにした。
人混みを避けることはできたが、多くのブースが顔見知りということもあり、なかなか次に進めない。

今朝のNHKのニュースでも、消費税アップ前の駆け込み需要でフェアーは大盛況と伝えていたが、確かに今までに比べるとよく売れているようだ。
見てみると現代美術系よりは老舗の近代美術系の画廊で出している若手作家の売れ行きがいいようだ。

出ている画廊もすっかり様変わりで、今のフェアーの前身・NICAFの頃の常連だった南天子、ユマニテ、ヒロ、不忍、椿近代、青木や彩鳳堂、77といった老舗の個性派画廊が出展してなくて、更には私やシロタ、グラフィカ、カネコといった出れない画廊もみな50年近い歴史を持っているが、今出ている現代美術系は東京、西村、双を除くと、この20年以降に出来た画廊が殆どである。
確かに出展画廊を見ても私が知らない画廊も多い。
これらの老舗画廊は今でも積極的に展覧会活動はしているのだが、アートフェアーに参加することにはあまり積極的ではないようだ。
この辺は積極的に出たいと思っている私とは違っているのだが、新しい画廊とは違い、既に名前がが浸透していることと、長いお付き合いの顧客が大勢いるからなのかもしれない。
逆に近代美術系が多数参加しているのは、価値観が多様化し、今までのアイテムでは時代に受け入れなくなってしまったことから、新たな展開をせざるをえないのだろう。
そうなると、前述の画廊たちは、歯を食いしばって時代の流れに抗い、自分達の価値観を信じて邁進し続けていることになる。

さて、今の時代を超えて、10年後にはアートフェアーにはどのような画廊が参加しているのだろうか。

3月6日 

今日からアートフェアー東京が始まる。

参加基準に貸しスペースを持っている画廊は参加出来ないことになっていて、私のところやシロタ、ガレリア・グラフィカ、コバヤシ、カネコなど古い画廊は参加出来ない。
私も海外の多くのフェアーに出ているだけに、参加したいのはやまやまなのだが、こればかりは致し方ない。
主催者からは貸しスペースを別会社にしてくれればOKと言われたが、中身は変わらないのに、そこまでして出ようとは思わないし、上から目線のそうした考え方自体に腹が立つ。

私や他の画廊さんも、そうした貸しスペースから現在活躍している作家がたくさん出ていることを思うと、新人の登竜門として、画廊としての機能は十分果たしていると思うのだが。
逆に卸し主体の画廊でも、このフェアーは参加が出来る。
卸しがいけないということではないのだが、企画展の数から言えば、私達の方が圧倒的に多いはずである。

海外のフェアーで求められるのは、その画廊の展覧会歴で、それが選考の目安となる。
貸しが専門なら致し方ないが、企画が主であるところを見ないで、一部を貸しにしているから参加出来ず、卸しが主で 、滅多に個展をやらないところはOKというのが、私には腑に落ちない。

昨年も同じ様なことを書いた気がするが、この時期になると出れない僻みで、つい愚痴っぽくなる。

3月5日A 

私共とは30年に及ぶお付き合いというよりは大変お世話になっている小池保氏の朗読コンサート「もっと光を」が3月11日に開催される。

3月11日の爪痕は未だ消え去ることはなく、仮設住宅に住んだり、避難を余儀なくされている人も多い。
また行方不明の方も多くいて、その魂はさまよい続けている。

震災・原発事故からこれで三回目となるが、小池氏による追悼でもあり、鎮魂でもある朗読会を私共で続けている。
風化させない、二度と起こしてはならない、犠牲になった人たち、被災した人たちのためにも、こうした催しを通して、その思いは持ち続けていかなくてはいけない。

ホームページや画廊のチラシで告知はさせていただいているが、改めて日記でもご案内させていただく。

元NHKアナウンサー・解説委員 小池 保氏による朗読コンサート「もっと光を」。

3年前のあの日の直後、東京にも放射能が降り、私たちなりに『被曝』を体験しました。
3月1日から個展開催中の小原馨さんが住む千葉県取手市の周辺でも、『除染』が行われたそうです。
得体の知れないあの不安を忘れない ―― そのための、歌とトーク、映像と朗読と音楽の集いを開きます。
この機会に、ご自分の『被曝体験』を思い出し、話し合ってみませんか。
被災者の故郷への思いに寄り添うことができる『共感力』を、もう一度リセットする時間を過ごしていただければ幸いです。

併せて、タイと中国からの体験談と音楽(二胡演奏)、個展開催中の小原馨とのトークもあります。

日時:平成25年3月11日(火) 18:30-20:00 (入場無料・要予約)
会場とご予約は、ギャラリー椿まで

3月5日 

今日は一日中雨の予報。

雪が降らないだけ良しとしなくては。
最近雪掻きしてる夢ばかり見る。
それもシャベルカーで何度も雪掻きをしていて、雪掻きがトラウマになってしまったのだろうか。

河口湖の方は今日も雪が降っていて、すでに20cmも積もっているようだ(夕方には40cmを超えた)。
こんなに雪が降るのも珍しいが、これだけ積もるのも経験したことがない。
ようやく管理人と連絡がとれたが、電動カート用のカーポートの屋根が雪の重みでつぶれた以外は大した被害はなかったようで一安心。

写真は以前に撮った雪景色だが、こんなのどかな具合にはなっていないだろう。



3月4日 

昨日はひな祭りで孫娘が家で待っていたが、ロータリーの仲間の恒例の食事会があって、そちらに行くことになった。

この会は、先輩のI氏がロータリークラブを退会をした時に、お世話になったと有志を7人招いて、ご自宅でご馳走をしていただいたのがきっかけで、お礼を兼ねて、それぞれの贔屓の店で食事をしようということで始まった会である。
招いていただいた時は、I氏が天皇陛下のご学友で、侍従長まで務めた方ということもあり、陛下の料理人を自宅に呼んでご馳走を振舞ってくださった。
これに一同感激して、以前にも書いたがフレンチだ、イタリアンだ、寿司だ、すき焼きだと、陛下の料理人に負けまいと、それぞれに滅多に食べることのできない美味しい料理を堪能させてもらっている。

今回は、神楽坂にある割烹料理の名店での食事会となった。
ここの料理も絶品で、久し振りに世界遺産に認定されただけのことはある和食の素晴らしさを味わうことができた。

帰りには、I氏からのお土産で、創業140年の洋菓子の名店「村上開新堂」のクッキーを頂戴した。
たかがクッキーと言うなかれ、ここのお菓子は、併設されたフランス料理店もそうだが、会員制となっていて、その紹介が無くては手に入らない貴重なお菓子なのである。
その紹介があっても、注文してから2,3ヶ月経たないと手に入らないというからさあ大変。
私もI氏が会員ということもあって、一緒にここの料理や、クッキーと共に有名なゼリーを何度かいただいたことがあるが、絶品である。

こうした由緒正しき友人達がいるお陰で、私ごとき庶民が滅多に味わうことのできないご馳走にありつけるわけで、有難い事である。



3月3日 

新国立美術館の「イメージの力」展を見て刺激を受けたのか、我が家のフォークアートを改めて見てみた。
大したものがあるわけでなないが、いくつか気にいっているものを自慢げに紹介させていただく。

まずは家内に置き場が困ると言われている台湾のタイヤル族の酋長の椅子である。
これは友人の骨董商が人間国宝の木工家・黒田辰秋と台湾に行った際に買ったものだそうで、黒田が大絶讃したという代物である。
台湾ではネーティブとしては高砂族が知られるが、タイヤル族も土着の民族で、台湾にもいくつもの部族がいた。
こうした部族は昭和の初期まで首狩の風習が残っていたというから驚く。

次のような話を台湾で聞いたことがある。

清朝時代、呉鳳という原住民に慕われていた役人がいて、首狩りの悪習を廃そうと、懸命に原住民を説得した。
しかし、原住民は聞き入れなかったので、呉鳳は赤い頭巾をした老人が通るから、その首を狩れと言った。
原住民たちは喜んで、言われたとうり老人の首を狩った。
その首は誰あろう呉鳳その人であった。
呉鳳の命を捨てての説得に、原住民たちは首狩りを止めたそうだ。
この話は戦前の日本の修身教科書に載っており、台湾の道徳の教科書にも載っていたが、その後、原住民の抗議で削除されたとのこと。

次に仮面だが、弟がエベレストに行った時に、カトマンズで土産に買ってくれた魔除けの仮面で、これはそんなに古いものではなく、その面構えが気にいって、魔除けというよりは泥棒除けに飾っている。

次にこれもお面だが、どこかの展覧会で買ったもので、どこか哀しげな表情が気にいっている。

衝動買いして、これまた置き場に困り、ずっと倉庫に入ったままになっているものの一つにアフリカ・ドゴン族が使った長テーブルと二脚の長椅子があるが、これはあまりに大きすぎ、その上重たいときているので始末におえない。
先日の韓国で衝動買いした4人で運ぶのがやっとの光のオブジェと一緒で、後先考えないで買うととんでもないことになる。

他にもそうした類いで文字通り我が家の骨董品になってしまうものがたくさんある。



3月1日A 

安井春菜展がGTAでも始まる。

会場に入ると今回の作品の想いが綴られている。
長いので要点だけを紹介させていただく。

ある「とつくに」の物語

とつくにとは外つ国と書き、よその国、異国です。
人はよその国に「天国」や「あの世」を重ねてきました。

人がその世界に恋焦がれる時は、それは、おそらく大切なもの、大切な人がそこへ行ってしまったときではないでしょうか。

ここ数年、私の心はずっと「とつくに」にありました。
私の「とつくに」は町であったり、人であったり、思い出でした。
その世界を旅して、私は出会いました。

ここにある作品は、そこに導いてくれたかけらたちです。

安井春菜の作品には一昨年の5美大展で出会い、韓国のASAAYF展で紹介させてもらったことから今回の個展につながった。
多摩美で銅版画を学んだが、今回はペン画で、前述の思い出をもとに、三つの物語で構成されている。



3月1日 

今日から小原馨の11回目の個展が始まる。
11回というと私の画廊ではベテランの域に入る。
見た目が万年青年だけに、どうしても若手と同じように見てしまうが、早いものである。

いつも変わらず、控えめで礼儀正しい彼だが、作品もその性格そのものに、静謐で端正な作品を描く。
今回は天空なのだろうか地平なのだろうか、遥か彼方まで続く情景を色彩豊かなグラデーションで表現している。

私の画廊は癒し系と人から言われるが、まさしく彼の作品は癒しそのものである。
今の時代は細密に描かれたまるで蝋人形のような無機的な人物画ばかりがもてはやされていて、叙情溢れる癒し世界は肩身が狭い。

暫し夢幻の世界に身をゆだねるのも乙なものである。

是非ご高覧のほどを。



2月28日A 

五美大展を見る前に、同じ新国立美術館で開催されている「イメージの力」を見てきた。

大阪の国立民族博物館所蔵のフォークアートといったらいいのだろうか、世界のネーティブな民族が身につけたり、飾ったりした仮面や衣装、祀った神像や祭壇など600点が展示され、その造形の力、色彩の妙に目を奪われた。
入ったそうそうに、パプアニューギニアの2体の巨大な神像にまず度肝を抜かれる。
素朴だが、その圧倒するような表現力は、今の現代アートを遥かに凌駕してしまいそうだ。
そこから続く仮面や祭器、どれもがまさしくイメージネーションを呼び起こし、太古のパワーに飲み込まれてしまいそうだ。

最後の部屋にネーティブの人達が日常使っていた道具が空間や壁面にアレンジされ、見る人の視点を変えることで、なんでもない道具がアートに変貌することを知る。
人とイメージの関わりが、この展覧会のテーマ「イメージの力」を生み出す。

以前に松涛美術館で開かれた古道具・坂田展を思い出す。
なんでもない古びた日用品に美を見いだし、それをひとつの作品として紹介した坂田の眼力には敬服したが、「イメージの力」はまさしくそれに通じるものである。

必見の展覧会である。

2月28日 

昨日は美術雑誌「月刊ギャラリー」の企画で、六本木の新国立美術館で開催中の五美大展を見て、小山登美雄ギャラリーの小山登美雄氏とその感想をテーマに対談することになり、2時間じっくりと各大学の作品を見てきた。

内容については後日雑誌にてご覧いただきたいが、村上、奈良を世に出した小山氏と私の視点にどのような違いがあるのか、楽しみにしていただきたい。
私は評論家でもアーチストでもないので、技術的な視点ではなく、うちの画廊で個展を企画したり、海外に紹介してみたいといったギャラリストとしての立場で作品を見て廻った。

詩人小川英治氏の司会でどのような話になるか、乞うご期待である。

いくつか目についた作品を紹介する。





2月27日 

名古屋の中京大学のギャラリーC・スクエアのキュレーターを務めた森本悟郎氏が定年を迎え、それを機に20年間芸術学部を持たない大学にもかかわらず、質の高い現代美術を紹介し、地域文化に貢献をしてきたギャラリーも、その幕を閉じることになった。

C・スクエアでお世話になった数多くの作家や美術館関係者、コレクターが、森本氏の業績を称え、その労をねぎらおうと「森本悟郎さんの卒業を祝う会」が催された。
発起人代表者の画家秋山祐徳太子氏の司会で、ボストン美術館館長馬場駿吉氏、写真家高梨豊氏、詩人吉増剛造氏、画家会田誠氏を始め、数多くの方が次々と挨拶をされ、森本さんの慧眼と人徳をうかがわせる会となった。

中京大学は室伏広治や浅田真央などスポーツ関係でも多くの俊英を輩出していて、文武両道で大きな業績を上げてきただけに、現代美術の支援の継続を断念したことは惜しまれてならない。

森本氏にはこの経験を生かし、これからの新たな活躍を期待している。



2月26日

今日はいい天気と喜び勇んで出かけたが、ゴルフ場には人の気配がない。
クラブハウスに着いても誰もいない。
仕方がないので、自分でゴルフバックを下ろしているとようやく奥からゴルフ場の人がやってきて、今日はクローズだと言う。

エッ〜である。

確かにゴルフ場を見てみると、雪があちこちに残っていて、ゴルフどころではない。
メンバーの友人にはゴルフ場からクローズの知らせがいっていないのだろうか。
とりあえずは友人達が来るのを待って、文句を言うしかない。

ゴルフ場の人に聞いてみると、周辺のゴルフ場もみんな今月末までクローズしているようだ。
私の友人にどこか開いてないかと電話してみると、会員になっている日高カントリーだけが今日から開けているという。
幸い霞ヶ関カントリーから7、8分のところにある。
早速に友人に紹介してもらい、ここでラウンドすることができ、なんとか事なきを得た。
それでもフェウェイ以外は雪だらけで、それよりひどいのは樹木が大量に折れていて、中には大木が根こそぎ倒れている。
雪以外にこうした倒木や枝葉の後始末に追われて、どこもオープン出来ないでいるようだ。

まぁそんな時にプレー出来た上に、60才以上は今日は大幅な割引料金でやらせてもらえるということで、年いっても、たまにはいいことがあるもんだと喜んでいる。



2月25日

今日は昨日までとは打って変わり、日差しのあるところはポカポカと気持ちがいい。
明日はもっと暖かくなるそうで、友人達とゴルフをすることになっているが、絶好のゴルフ日和となりそう。

今年初めてのゴルフで、場所は難コースで知られる霞ヶ関カントリークラブときては、スコアーのほうはどうなるやら。
ここは今度の東京オリンピックの時のゴルフの開催場所に決まっていて、いずれはコース整備も新たになされ、更に厳しいコース設定となるのだろう。

以前に、ここのメンバーの推薦で、入会の面接試験を受けて見事に落ちたことがあるので、ここに行くのはなんとなく気も重い。
もっともここの会員権は一代限りで継承なし、その上預託金と違い、辞めたり、死んだりしても払い込んだお金は戻ってこないこともあって、家内になんでそんな所にお金払ってまで入ろうとするのと怒られたことがある。
名門には相応しくない人品骨柄ということで、入門を許されることは無かったが、今思うと、大枚叩いて入るにも、もともとのお金が無いのだから所詮無理であったと反省している。

そんな訳で、大変敷居の高いところに行くことになるのだが、メンバーの友人に迷惑かけないよう、スコアーはともかく、礼儀正しいプレイをしてこなくてはいけない。

2月24日

東京都美術館では東北芸術工科大学の卒業制作展が始まった。

土曜日に博士課程を終えた佐藤未希が挨拶に来てくれたが、会場の入口にはまず彼女の大作が3点並んでいた。
以前よりは色合いが淡くなったようだが、インパクトの強さは隣に展示してある財田翔悟の大作と共に他を圧倒していた。
財田は公募展の審査で目を引き、4月のグループ展に参加してもらうことになったが、選んだ目に狂いはなかった。

東北芸工は山形という中央から離れたところにあり、学生の作品を見る機会は少ないのだが、学校の積極的な運営により、こうして都会の美術館などでも学生の作品を目にすることができるようになった。
その結果、最近は多くの卒業生が画廊での発表に繋がり活躍している。

前述の二人も東北芸工の逸材として大いに期待している。



2月23日

新宿の損保ジャパン美術館の公募展「FACE2014」へ。

応募者889名の中から69名が入選し、9名が受賞するという難関のコンクールである。
入選者の平均年齢は40才ということで、若手中心の公募展とは違い、中には80才過ぎの入選者もいた。

グランプリは川島優の日本画の作品で、圧倒的な存在感で群を抜いていた。
他の受賞者と入選者にはそれほど差はなく、受賞・入選作品のレベルは高く、団体展などと違って、何度も行ったり来たりして見て回った。

入賞作品の中には私どもの作家の柳澤裕貴や井澤由花子、内藤亜澄の作品もあって、どうしても贔屓目に見てしまうのか、受賞に値いする作品のように思えてならない。
賞をもらったからといってどうということはないが、個展だけではなくこうして積極的にコンクールに出して、他流試合をするのはいいことで、自分の作品を他と比較して見るいい機会だと思う。

2月22日A

NTさんが池田鮎美展もフェースブックで紹介してくださっている。

池田鮎美@ギャラリー椿。

池や川の水面に映る人影。実像は脚だけなのに揺れる水面には全身の姿がある。
ここから想像できるのは、実と虚、生と死、あるいは此岸と彼岸であるのだろう。
人は身近な人の終焉の生き様であったり、死を見ると、ふとわが身を振り返ったり、生と死や死の先のことを考える。
時には、静かに瞑目してみるのもいいのかもしれない。
ちょっとコンセプトは異なるが、最初見た時ピーター・ドイグの「Reflection」を想った。



2月22日

何人もの人がフェースブックで天明里奈の展覧会を取り上げていただいているが、今日はNTさんがとてもいいことを書いて下さったので紹介させていただく。

天明里奈@ギャラリー椿。

東京芸大院修了後ベルリンで学んだ。

乾漆技法という日本の伝統的な表現に止まることなく、西欧の彫刻も学んだ成果が現れている天明独自の個性溢れた作品に驚く。
男とも女ともとれるデフォルメされた人物像は一見すると西欧の香りがするが、閉じた眼や流れるようなシルエットの線に、古典的な仏像彫刻の持つ流麗さに加え乾漆彫刻の新たな風も強く感じた。

展覧会は今日が最終日となっているが、まだ数日は展示しているので、ご覧いただいていない方はお見逃しなく。



2月21日

壊れた球体関節人形がいくつか持ち込まれた。

関節部が球体によって形成されている人形の総称。
その特徴から、自在なポーズを取らせることが可能である。
その作家として最も有名なのはハンス・ベルメールである。
従来の球体関節人形をいったん分解してシュルレアリスティックに再構築した彼の作品が日本に紹介され、その美しさと妖しさが衝撃をもって受け入れられた。
素材は様々で、石粉粘土、素焼きなどで造られる。

日本での代表作家は唐十郎の状況劇場でも活躍した四谷シモンで、一年に一体しか作らないことから、人形コレクターにとっては垂涎の作品である。
私のところにも一体あるので写真で紹介させていただく。



持ち込まれた作品は手足を支えるゴム紐が劣化して、出番のない操り人形のようになってしまっている。
特殊なものなので、制作者に直してもらうのが一番なのだが、作家名はあっても知らない人ばかり。

2階に引っ越してきた彩鳳堂画廊の本庄社長は与勇輝等人形コレクションでも知られているので、そちらに相談することにした。

2月20日

私の所で発表をしている何人かの作家さんが公募展に入選したので紹介させていただく。

先ずは井澤由花子と柳澤裕貴、内藤亜澄は損保ジャパンの公募展に入選した。
他にも4月にグループ展では発表をしてもらう新藤杏子も入選をした。

この展覧会は2月22日から3月30日まで新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている。
最近の公募展は若手に限られていることが多いが、ここは年齢不問で幅広く公募していて、今回も入選者69名には21歳から85歳までの作家が入っている。

もうひとつは「岡本太郎賞展」で、こちらは中村亮一が入選をした。
川崎市岡本太郎美術館が主催するコンクールで、こちらも国籍・年齢、プロ・アマ問わずの公募展だがその入選者のレベルは高く、今回は20名が入選をしている。
2月8日から4月6日まで開催されている。



2月19日

14日のバレンタインデーは韓国にいたが、向こうは日本より盛んになっているようだ。
専門のチョコレート屋さんを見かけることはあまりなかったが、コンビニの店頭には盛りだくさんのチョコレートが並んでいた。

私は残念ながら日本にいなかったので、チョコレートはもらえないとあきらめていたが、ある作家さんから嬉しいチョコレートが今日届いた。
昨年は私のポートレート写真が載ったチョコのプレゼントに感激したが、今年は何と似顔絵が描かれたチョコが送られてきた。
大変若々しく描いてあり、何よりのプレゼントとなった。

お礼のメールを送ると、モディリアニの「ポール・ギョームの肖像」の顔の部分を変えた絵だそうだ。
ポール・ギョームは無名だったモジリアニを育てた画商として知られるが、私もそうなってほしいとの思いが込められているのだろう。

去年のはもったいなくて食べられなかったが、今年もしばらく神棚に飾っておくことにする。



2月18日

昨年11月のテグのフェアーの折に衝動買いをした立体作品が年を明けてから届いたのだが、これがとてつもなく重たい。

光物に弱い私が、会場で一目見て気に入り、ただ作品が大きいので躊躇しつつ、値段を聞いたら思ったよりは安い。
それでも少しは安くなるのか聞くと、これまた思った以上に安くしてくれるので、間髪いれず買った〜。
前にも書いたが、クラウンという大手菓子会社の社長が作家支援を行っていて、そのクラウンがフェアーに参加し、そうした作家の紹介を兼ねているので、クラウンの取り分はいらないということであった。
ところがである、いざ送る段になり、輸送費がことのほか掛かることがわかり、三分の一づつを作者とクラウンと私で負担することにした。
買った価格と輸送費がたいして変わらないから、えらい物を買ってしまったと後悔しつつも、それでも届くのを楽しみにしていたのだが、いざ届いてみると4人がかりでないと運べないという代物。

あまりに重いので、しばらく地下の倉庫にそのままにしていたが、偶々美術運送の運転手が別の作品を届けに来たのを幸いに、私達と一緒にえんやこらと画廊に上げてもらった。
開けてみると重いはずである、周りを囲むのが透明アクリルではなく、分厚い強化ガラスなのだ。

電圧やプラグの心配もしたが、これも何とかクリアーしてようやく点灯して3ヶ月ぶりに作品を見ることができた。
無数のブルーのLEDが点くと、そこにはシャークがあたかも水槽の中を泳いでいるように浮かび上がる。
ただそれだけなのだが、以前にスキューバーダイビングに凝っていた時期があり、その当時の透き通るような南の海で遭遇した鮫との情景が思い出されるようで、私の心を震わせる。

さてこれを我が家に持っていくには大き過ぎて置き場所がない、さりとて画廊で置くには、展覧会のたびにえんやこらと運び出さなくてはならなず、とんだ厄介物になってしまった。
結局は1階の展示フロアーにある倉庫に、元の梱包に戻して仕舞っておくことになった。

さて次に日の目を見るのはいつのことになるやら。



2月17日

テグを発ってソウルへ。

夜の便で帰るので、時間が余ってしまい、明洞のいつも行くマッサージ屋さんに行くことにした。
いつもうちのスタッフや若い女性作家さんを次々に連れて行くので、向こうのオーナーも私のことをよく覚えていて、たまに誰も連れずに行くと、今日はお一人ですかと言われてしまう。
きっとこの爺いは若い女性を次々にソウルに連れて来てると思っているに違いない。
今回は家内を連れて行ったので、今度はやけに年増を連れてきたなと思っているかもしれない。

お腹の具合は今一つだが、マッサージで体はしゃきっとして、暖かかった韓国から雪国東京に帰ることにする。
spギャラリーの山本展もいくつか売約が入っているようなので、こちらも心置きなく帰ることができる。

2月16日

昨夜はまたまた信美ギャラリーの朴さんが気を遣って夕食に誘っていただいたが、度々では悪いので丁重にお断りして、ホテルのビュッフェを食べることにした。
お腹の具合も良くなり、調子にのってピザだスパゲティーだと食べたら再びお腹がグルグル。
そんなわけで、今日は焼肉どころではなく、ホテルでオリンピックを見ながら一日グダグダ。

オリンピック以外は、テレビのニュースは日本の大雪のことばかりで、雨男の私には珍しいことにこちらは快晴続きで、その上暖かいときたら、雪で困っている人たちに怒られてしまいそう。

フェイスブックも雪の情報が多く、その中になんと河口湖の私の野菜農園がある近くの道が大量の雪に埋れている映像を見つけた。
山梨は観測史上最高の1m45cmの積雪があったというから驚く。
平地でこれだけ積もっているのだから、1000メーターくらいのところにある我が家はどのくらいの雪に埋れているのか、想像するだに恐ろしい。

どれくらいの除雪がされているかわからず、当分は行くことは無理だろう。
韓国でのんびり構えていたらとんでもないことになっていた。

明日ソウルに戻り、夜の便で東京に帰るが、また雪の予報が出ているようで、地震だ、猛暑だ、大雨だ、大雪だと、日本の天気はどこかおかしい。



2月15日

テグは快晴。
暖かくてコートなしでもいいくらい。

日本は大雪で大変なことになっているようだ。
先週の土曜日も雪で画廊を早くに閉めたが、今週も週末が雪で、せっかく頑張って描いてくれた個展中の作家さんが気の毒。

私の体調もだいぶ良くなってきた。
テグの老舗メキャンギャラリーの金社長がお腹にいいからとふぐちりをご馳走してくれた。
昨日は同じように信美ギャラリーの朴さんがこれも体にいいからと参鶏湯をご馳走してくれて、韓国の画廊さんの優しさには頭が下がる。
そのおかげもあって、食欲も出てきたみたいで、明日あたりは焼肉が食べられそう。



2月14日

今日はソウルからKTXという新幹線に乗って、テグに向かう。

お腹の調子は今ひとつで、朝も何も食べずに、昼はテグのホテル近くでうどんを少し食べただけ。
J-ONEギャラリーでの打ち合わせを終え、近くにある信美ギャラリーの朴さんに会いに行く。

朴さんはテグのアートフェアーの代表を長い間務め、その間私は大変お世話になった。
盛り上がりに欠ける大邱アートフェアに毎年参加したのも、朴さんがいたからこそである。

当然のように夜の食事を誘われたが、お腹の調子が良くないので、近くのお店でおかゆでも出すところを探すからと言ってお断りしたが、それならと漢方薬を飲ませてもらい、参鶏湯ならお腹にいいからと言われ、結局は行くことになった。
鳥インフルエンザが少し怖いが、火を通すから心配ないそうだ。
それでも私にはきついので、鳥は食べずに、中のもち米だけ食べることにした。
行ったお店はパク大統領も来るという松茸の入った参鶏湯を出す店として知られている



2月13日

山本麻友香のソウルでの個展が始まった。

ソウルは思ったほどに寒くなく、重装備で出かけたが、東京の方が寒いくらいである。
そちらは良かったのだが、飛行機の中から気持ちが悪くなり、お昼もほとんど食べられず、
個展会場ではお腹まで痛くなり、早めにホテルに引き上げてきた。
熱はなく、何かにあたったのだろうか。

明日は大邱に行かなくてはいけないので、一晩寝て治ってくれるといいのだが。



2月12日

明日早朝から韓国へ。
明日から始まる山本麻友香個展のオープニングに。

ソウルSPギャラリーでは2回目の個展である。
海外のギャラリーは一度個展やグループ展をやると2回目のオファーは殆どない。
そんな中、SPギャラリーが再度個展を開催してくれるのは大変有り難いことと喜んでいる。

リーマンショック前には韓国の画廊から次々と私どもの作家へのオファーが来たが、今はフェアーの会場でもそうした作家の作品を見にくることすらなくなってしまった。

そんな矢先に、終わったばかりの堀越幸枝の個展の資料を見たソウルのDADOアートギャラリーが5月に個展をして欲しいとの依頼が入った。
ここでは4年前に堀込を始め山本麻友香、横田尚、綿引明浩の4人展を開催してくれたところで、ずっと個展の資料を見てくれていたのだろうが、これも嬉しい話である。
タイミング良しで、山本のオープニングの前に打ち合わせをしてこようと思っている。

翌日は新幹線でテグに入る。
こちらは初めてとなるが、4月にテグのJ-ONEギャラリーでも山本麻友香の個展が決まっていて、ここでも最終的な打ち合わせをすることになっている。

釜山ではギャラリーWOOが来年に三度目の山本の個展をして欲しいと言ってきていて、彼女に限っては韓国の同じ画廊が回を重ねて発表の機会を与えてくれるので感謝している 。

日本も大雪になるなど大寒波が来ているが、恐らく韓国はもっと寒いに違いない。
今回は家内の用事もあって?一緒に行くことになっているが、人一倍寒がりなので、体調を崩すのではと心配してるが、それを押してでも行きたい訳があるようだ。



2月10日

いやぁ、凄い雪だった。

朝から我が家の前の雪掻きだけでなく、息子に二番目の子供が産まれ、宮崎の嫁の実家に行ってしまったので、息子の家も雪掻き。
更には、その隣の家の歌手M高さんが塵取りで雪掻きをしているのを見かねて(スコップでやっていても多分やってあげたでしょうが)、そちらの雪掻きも。

降り積もっている時はきれいでいいが、都会の雪は溶け出すと化粧を落とした・・・みたいになってしまって、始末に終えない。
それと雪掻きをしてないところは、道が凍ってしまい、足元が危なくてしょうがない。
去年も文句を言った家の前の交番も、今回は雪掻きをしてあったが、それでもすぐ前にある横断歩道をやってない。
投票所に行く道にあるのと、渡ったところから坂になっているので、お年寄りをはじめ道行く人は足元が覚束ないにもかかわらず、知らん振り。
これも見るに見かねて、雪掻きをしたが、もしここで転んで骨折でもしたら、この交番訴えてやろうと思ってしまう。
そんなこんなで、今朝は腰が痛くてしょうがない。

都知事選の投票率は雪のせいもあって低かったようだが、私もそうだったように選挙自体が盛り上がりにかけていたのも影響したのだろう。
東京は広すぎて、候補者の声が届きにくいこともある。
銀座では選挙カーが走り回っているが、自宅近辺では見かけない。
繁華街には都民以外の人も多く来ていて、演説を聴く人が全て票につながるとは限らない。
そうした意味ではどぶ板に徹した人が強かったのかもしれない。

決まったからには、先ず景気、マスノミクスで是非東京を盛り上げてほしいのと、オリンピックに向けて、東京から世界へアートの発信にも是非力を注いでほしい。

2月8日A

大雪の中、10人ほどのお客様が見に来ていただいただけでも有難いことと感謝しているが、まだまだ止みそうにもなく、5時には帰りの足も心配なので閉めることにする。
3・11の時には揺れている最中に作品を買っていただいた方がいたので、もしやということも無きにしも非ずだが、雪も強くなる一方だし、帰ったほうが無難なようだ。

明けて、明日は都知事選の投票日だが、予報ではまだまだ降り続くみたいで、投票率も相当下がるのでは。
今回の候補者は知名度はあっても、突然降って沸いてきたような人ばかり、今までの都政とは全く無縁の人が多いだけに、私はすっかりしらけきっていて関心も薄い。
脱原発だ、福祉だ、景気回復だ、オリンピックだといっても、取って付けたような政策を並べるだけで、長い間そうしたことに取り組んできた人は見当たらない。
そう考えると、石原前知事は物言いは偉そうであまり好きにはなれないが、国政を離れて都政を何とかしようと立ち上がった人だけに、それなりの評価をしている。

国民の義務なので投票には行くが、誰にするかは決めかねていて、もっぱら関心はオリンピックのフィギュアーの浅田真央で、投票用紙に浅田真央とうっかり書いてしまいそうだ。

2月8日

雪の中だが、GTUでも天明里奈展が始まった。
東京芸大大学院の工芸・漆芸科在学中だが、現在は休学してベルリンに留学中で、昨日、作品を携えベルリンから帰国して画廊に直行の予定がアクシデント。
空港で一番大きな作品が見つからない。
大泣きしたがどうしようもなく、取りあえず他の作品だけ持って画廊に戻ると連絡が入り、作品が見つかったとの知らせが。
ただ空港から送ってもらうと4日ほどかかるということで、成田へとんぼ返り。
いやはや大変なことになったが、戻って何とか展示を終えることができた。

彼女はスタッフの島田が見出した作家で、一昨年の青山スパイラルのフェアー「プリュス」で紹介をし、今回の私のところでの初めての個展に結びついた。

乾漆による女性像が中心だが、仏像制作などに使われることが多い乾漆技法で現代風女性像を作るところが大変興味深い。
キッチュという言葉に、「意外な組み合わせ」「ありえない組み合わせ」という意味があるそうだが、まさしく乾漆と今風な女性像はキッチュそのものである。

ドイツでも漆を使う人がいるそうだが、何度も塗り重ねる漆独特の技法よりは、単なる塗料として使われることが多いそうだ。
個展が終わって直ぐにドイツに帰り、10月には2年間の留学を終えて芸大に復学するそうである。

帰って早々にアクシデントに見まわれ、初日早々雪とは気の毒なことだが、予約も2点ほど入り、災い転じて福をなすとなるよう願っている。





2月7日

佇立する男の子を現実とすると、水面に映った影や周囲の情景を非現実・仮想世界と捉えて、新たな展開を試みた池田鮎美(旧姓・歩)の4年ぶりの個展が明日から始まる。
愛する母が昨年亡くなり、彼岸の世界を意識するようになったことが今回の表現に繋がったようだ。

前々回は視覚だけで捉えた風景、次がエネルギーの爆発といった独特の視点でその表現を大きく変貌させた池田だが、震災や母の死に直面し、内的思考を通して、更に新たな形で自分の体験を表現したかったのではないだろうか。
10点と作品は少ないが、豊かな表現力がマティエールや色彩の美しさと相俟って、従来にも増して中身の濃い展覧会となった。





2月6日

昨日はロータリーの仲間達と新宿末廣亭へ。
こうしたプロの演芸場に行くのは初めての経験である。
新宿の父親の画廊にいた時も、近くあるのに一度も行ったことがなかった。

夕方の5時から9時まで大笑いしながら、たっぷり4時間、それも木戸銭2500円ときたら、こんないい時間の過ごし方はない。
テレビのバラエティー番組の馬鹿馬鹿しさとは違い、伝統を受け継いだ上質なお笑いに一同大満足。

来ている人達もお年寄りばかりと思いきや、若いカップルや若い女性が一人だけというのもちらほらといて、若い人達もこういう楽しみ方をしているのだと驚かされた。

今夜もロータリーの友人に誘われ、向島の料亭に行くことになっている。
こちらも芸者さんたちの踊りや小唄を聴くことになるが、飲めない私にはこちらの伝統芸はいま一つ乗っていけない。
できれば料理だけ食べて直ぐにでも帰りたいのだが、そうも行かないだろう。
飲めない上に芸無しときたら、こんな辛いことはない。

2月5日

次世代のアートを担う若手作家の活動を支援する第4回「Next Art展」(朝日新聞厚生文化事業団主催)の入選作品が朝日新聞紙上で発表された。

入選作品は朝日新聞東京本社本館コンコース(2月8〜20日)、松屋銀座(3月7〜10日)にて展示されることになっている。
入選作家の中には私共で発表をしているうじまりが入っているほか、4月に若手作家のグループ展に出品をすることになっている財田翔悟が名を連ねている。
他にも大平由香理、佐藤明日香など既に活躍している作家も入っているようだ。
これらの作品は入札形式で購入してもらい、売り上げは社会福祉事業と入選作家に還元される。

2月4日

今日は昨日と打って変わって震えるような寒さで、4時頃から雪が降りだしてきた。

こんな天気で誰もやって来そうもないので、急遽、内林武史のアトリエへ。
彼には釜山のフェアーに出品してもらうことになり、その作品選びに行ってきた。

4月は台北と釜山のフェアー、それにテグでの山本麻友香個展、軽井沢での呉亜沙個展、画廊での13名の若手作家によるグループ展、更にはGTUにて桑原弘明展とが重なり、その準備で大変なのだが、釜山の担当の私だけがのんびりしていて、スタッフにもう間に合いませんよと言われてお尻に火がついた。
出品作家さんにも慌しい依頼で申し訳ないが、3月末までには作品を送る予定でいるのでよろしくお願いしたい。
予定では、綿引明浩、内林武史、浅井飛人等、遊び心一杯の作家たちに参加してもらい、韓国のお客様により身近にアート作品を感じてもらえたらと思っている。





2月3日

ロータリーの講演で、韓国テグ出身の実業家で、韓国食材や韓国料理店を多数出店して、日本で成功した「妻家房」の社長・呉さんの話を聞いた。
ファッションの勉強を目的に来日し、韓国にはない立体裁断の技術を学ぶつもりが、色々な人との出会いから奥さんの作るキムチを日本で販売することで、成功の道が開けたそうだ。

成功したことから、テグの出身の学校から、後輩のために、奨学金の寄付の依頼を受けたが、自分がそうだったように、一番成績の悪い生徒3名に贈るがどうだと言ったところ、それは困ると言われたそうだが、そういう生徒に頑張ってもらいたいとの気持ちが伝わり、今でもそうした生徒に奨学金を出しているそうである。
震災の折には多くの韓国人が自国に帰ってしまったが、自分達は日本で商売をさせてもらっているのだから、こういうときこそ恩返しをしなくてはいけないと、従業員がみんな残って被災地への支援活動をしたそうである。

自分は韓国の前大統領に8億円の請求しなければと思っているという。
大統領が竹島に行かなければ、日韓問題ははこれほどこじれることはなかったはずで、そのお陰で日本だけで8億円の売り上げが減ったと冗談交じりに話してくれた。
隣国同士、お互い理解しあって、何とか仲良くなってもらうのが自分達の願いだそうである。

私も10数年、韓国で仕事をさせてもらっているので、こうした問題は困ったことと思っているが、私自身は反日といったことは全く経験したことがない。
ソウルでもテグでも釜山でも、私達日本の画廊は暖かく迎え入れてもらい、日本お得意の「おもてなし」を韓国の人たちからたくさんたくさんいただいている。
逆に言えば、これだけのおもてなしは日本ではとても出来ないとさえ思っている。

13日から韓国に行くが、是非呉さんの話を韓国の人たちに伝えてこなくてはいけない。

2月2日

朝早くから、女房に連れられて、リフォームの打ち合わせに新宿にあるLIXILのショールームへ 。

前もって予約を入れないと駄目だといわれて、そんなたいそうなと思っていたらとんでもない。
10時前に着いたら、既にたくさんの人がショールームに詰め掛けていて、担当者と打ち合わせ中である。
今日だけで80組の人たちが予約をしていて、キッチンやバストイレを見ながら、新築またはリフォームのデザインや見積もりをしてもらうのだそうだ。

昨日我が業界はアベノミクスの影響はまだないと書いたが、こちらの業界は大繁盛。
消費税アップの前の駆け込み需要だそうで、私のところも2月に韓国に行っている間に工事をしてもらおうと思っていたが、とんでもない3月にならないと始められないとの事で、ぎりぎりセーフである。

皆さん、私共のところも消費税アップ前にお求めいただければ大変お得ですので、是非ご購入のご検討を。



2月1日

早いもので今日から2月。

クリスマスだ、お正月だと浮かれ気分も覚めやらないままに、もうすぐ立春だという。
アベノミクスで世間の景気は上向きだそうだが、安倍さんこの業界にはまだ顔を出してくれそうにもない。
都知事選の応援演説で明日銀座に顔を出すそうなので、せめてアベノミクスの匂いだけでも嗅がせてもらおう。

今日は大学時代のヨット部のキャプテンをしていたA君の墓参り。
2月にしては気味が悪いくらいのポカポカ陽気の中で、同期の仲間達20名が集まり、恒例の供養をさせてもらった。
A君が亡くなってからもう17年が過ぎたが、遺影のA君だけがその当時のままで、我々はそれ相応に歳をとり、癌だ、心臓だ、リウマチだとA君の後を追いかけそうなのがたくさんいる。
そう思うと、私などは元気が取柄で、持病の一つもなく、ありがたいことと感謝しなくてはいけない。
不景気などと滅入る前に、先ずは健康であることが何よりの宝で、元気でいればそのうち安倍さんも顔を出してくれるだろう。





1月31日

今日もまた古いものが持ち込まれた。

見てみると、喜多川歌麿の肉筆美人画やお茶道具や著名人の寄せ書き等である。
昔、皇室関係者や歌舞伎役者や詩人、作曲家など文化人が集まるサロンのような場所があり、そこから出たものだそうだ。
歌麿は中々いい作品のように思うのだが。

午前中には約80点の木版画の処分を頼まれた。
画廊ではあまり扱われない作家だが、木版の世界ではよく知られた作家の一人で、先日も偶々テレビを見ていたら、その作家のアトリエを訪問して制作過程やスケッチをする情景が、かなりの時間を割いて放映されていた。
こちらは作品は間違いないものだが、画商間での市場価格がないので査定が難しい。
デパートなどではそこそこの価格で売られているが、デパート価格イコール市場価格とは行かない。

このように、最近我が画廊はなんでも鑑定団化してきて、普段扱わないものが多数持ち込まれ、本職より忙しい。
違う分野のものだけに、調べてみると大変勉強になるし、こうした知識や経験が、また次の機会に役立つ。
幸い、以前にオークション会社の社長をしていたことがあって、それぞれの分野の専門家に鑑定・査定で大変お世話になっていて、その人脈も大いに役立っている。

今回の作品、果たして鑑定や如何に。

1月30日

先日ブログに書いた公募展の第二次審査に行ってきた。

一次審査で残った約60点の中から20点に絞り込んで、入選作品を決めることになる。
一次の写真審査ではそれほど目に付く作品がないように書いたが、実際に作品を見てみると、写真とは違った印象を受ける。
色彩とかマティエールは実物を見てみないとわからないものである。
写真写りが悪くて、選考で落とされてしまった作品もあるかもしれない。

今回は日本画が多く選考に残っていて、そのためかデッサンの優れた作品が多い反面、アカデミックな作風が目に付く。
また昨年もそうだったが、サブカル的な作品は減ってきたようだ。
一人気になる作家がいて、前々回の真条彩華のようにご縁ができるといいのだが。

1月29日

久し振りにコレクターのTさんが見えた。
奥様の介護もあって、今は同じ施設に部屋を借りて面倒を見ておられるそうで、外に出る機会も少なくなったそうだ。
以前から見たいと言っておられた堀込展のお知らせをさせていただいたところ、お越しいただくことになった。

ご自身も80歳を越えたのと、持病の調子も決して良くないとのことだったが、顔色も良くお元気そうで一安心。
昨年夏にはたくさんの作品を私共のオークションに出していただいたが、まだまだ数え切れないくらいの作品があり、その処分で今年もお世話をさせていただくことになるだろう。
以前に比べると、身辺整理のほうが多くなってしまったが、それでも堀込の大作を買っていただき、いずれは美術館に寄贈していただけそうだ。
お話では、近々発売される美術雑誌の対談に登場するそうで、どんなお話が出てくるのか楽しみにしている。

私共のお客様も老齢化が進み、お見えになる頻度も少なくなってきたが、先日も寒い中をこれまた高齢のN様が元気なお顔を出していただき、有難いことと感謝している。
皆さん以前は毎週のように画廊に来ていただいていただけに、時々は顔を出して元気な姿を見せてほしいものである。

1月28日

2月13日から3月4日までソウルのSPギャラリーにて「山本麻友香展」が開催される。
12月に予定されていたのだが、先方の都合で延期になっていて、2月の旧正月明けとなったが、この時期は一番寒そう。
私も初日のオープニングに行くつもりだが、以前に同じギャラリーで12月に山本展をしたときは、あまりの寒さに縮みあがったが、きっとそれ以上に寒いだろう。

オープニングの翌日はテグに移動。
ここはソウルよりは南なのだが、丁度名古屋や京都と同じ盆地なので、夏は暑く、冬はソウル以上に寒いところである。
4月に引続き山本展をテグの画廊でやってもらうこともあって、その打ち合わせをしなくてはならない。

寒さも怖いが、中国と同様に鳥インフルエンザが蔓延しているようで、これはもっと怖い。
なるたけ寒鶏湯屋さんには近付かないようにしなくては。



1月27日

ビフォー・アフターという家をリフォームする番組や新築のお宅拝見など、テレビでいつも楽しく見せてもらっている。

部屋のデザインとか間取りとかには大変興味があって、うちのマンションも設計家が作ってくれた間取りを大幅に私が変更したところ、それがそのまま通ってしまい、今の住まいとなっている。
狭小住宅とか古い家をリフォームする過程を見ていると、自分も設計家の目線で見てしまう。
私にインテリアや建築の知識があるわけではないが、チラシで入ってくるマンションや一戸建ての家の間取りにも目が行き、私ならこうするとかを勝手に思い描いている。

先日、トイレや温水器が壊れてしまい、新しいのに換えるついでに、以前から家内に言われていたキッチンのリフォームもやることにした。
あなたも料理を始めたのだから、新しいキッチンで使い勝手がいい方がいいでしょうといい含められ、20年ぶりのリフォームとなった。
家内は息子の家のリフォームや娘が購入したマンションの清潔でお洒落で機能的なキッチンがうらやましくてしょうがなかったようだ。

そんわけで、来月から工事が始まるが、今回ばかりは私の意見は通りそうにもない。
私のことだから、いざとなれば、カタログを取り寄せたり、ショールームを見に行って、ああだこうだと言いたくなるのだが、最初から家内に主導権をとられてしまい、私の出る幕はない。

まあ、お手並み拝見とするか。

1月26日

うちで発表をしている内林武史の東雲のアトリエ倉庫で、昨年暮れに続き、MODIF・LOUNGEと称して三日間アトリエをラウンジとして開放し、カプチーノやカフェ・モカ、ホットワイン チリドッグ、ホットサンド、ビールなどなど・・・をワンコインで購入し、作品を見ながらの憩いのひと時を過ごしに行ってきた。

天井高5メーターもある大きな鉄工場を自分でアトリエに改装し、2階には自宅まで作ってしまった内林だが、今回はアトリエをバーラウンジに変えてしまった。
倉庫街で人もあまり来ない所なので、お店として常時やるのは難しいが、足の便のいい所にあったら、たくさんの人が訪れる洒落たラウンジとなる。

灯かりを中心としたオブジェ作品がぎっしりと並べられ、奥のスペースには奥さんの刺繍作品や以前在住していたデンマークで買ってきた可愛らしい小物が一杯に飾られている。

時代色を帯びた作品と共に、古びた工具が置かれたり、壁には白黒の懐かしい洋画が上映されていたりで、そのレトロな雰囲気は、パリかニューヨークの古い裏町にいるかのような錯覚を覚える。
次に昔のテニス仲間との新年会に行かなくてはならないので、少しの時間しか居られなかったが、珈琲片手に本でも読みながらゆったりとこの雰囲気を味わっていたかった。



1月25日

柳画廊・野呂洋子さんの毎週土曜日に寄せられるブログを楽しみに読ませてもらっている。

彼女はIBMという時代の先端を走る会社にいて、自分が経験したことと美術業界とのあまりの隔たりに戸惑いながら、その閉鎖された美術業界をなんとか改革しようと頑張っている。
おそらく業界だけでなく、自分の画廊とのギャップにも疑問を感じつつ、孤軍奮闘しているようだ。

今日も興味深いことを書いていた。

会社時代の先輩の著書に書かれていたプロダクトビジネスからソリューションビジネスへの移行がこの業界にも必要という。
我が業界は絵が好きな人だけ相手のプロダクトビジネスであり、それではマーケットが縮小するだけで、多くの人に説明し理解しその必要性を提案するソリューションビジネスに移行すべきと言っている。
すそ野を広げる努力をしたが、結局は特定の美術好きの方達以外には広げることなく、現在に至っている私だけに、耳の痛い話である。
そういった意味からすると、そうしたビジネスモデルを作ったのは、私達美術商ではなく、村上隆なのかもしれない。

この業界も今までのように全てが同じビジネススタイルでは難しいが、とはいえ、純文学と大衆文学、クラシックとポブュラー音楽のような住み分けが出来るかどうか難しいところでもある。

ただ彼女が7年以内に、日本の美術市況に大きな変化を与える社会実験してみたいと企んでいると公言したことには、その意気高しと、大いにエールを送りたい。

1月24日

12月の綿引展の折に知り合った森高千里似の美人で、ちゃきちゃき(キャピキャピではないが)のKさんにいきなりインタビューをさせてくださいと言われて、三つほどの設問に答えさせられた。
何と答えたかも忘れてしまったが、今日また六つの質問を携え画廊に登場。
何に使うかは定かではないが、悪いことには使われそうにないことと、美人に弱い私は、ついつい彼女のペースにはまって答える羽目に。
とは言え、いきなりだと気の利いた答えを出すことはできない。
後で他の人の答えを聞くと、皆さんおしゃれなことを言っている。

次の設問だが、皆さんならどんな答えを。

@何が一番大切か。
A誰が一番好きか。
B何が一番嫌か。
C死んだら何処へ行くか。
Dいい女の条件。
Eいい男の条件。

1月23日

朝の散歩で尾羽根が白いカラスを見つけ、カメラに収めようと今日も探しながら歩いていると、いたいた。
お分かりいただけるだろうか、左の尾の部分の羽が白くなっているのを。(左側の写真)

代々木公園にはたくさのカラスがいて、ごみを漁ったり、一度は襲われて、後頭部を嘴で思いきり突っつかれたこともあって、どちらかと言うと苦手な部類なのだが、このカラスには何となく愛着がわく。
人間世界同様に、変り種は仲間から疎外されると聞くが、このカラスもそんな目に遭っているのだろうか。

私は野鳥の会のメンバーで、富士山麓支部に所属をしていて、一時は毎週のように探鳥会に参加したり、双眼鏡をぶら下げて山や湖を歩き回っていたが、大体の鳥を見てしまうと、その熱も醒めてしまい、いくつもの双眼鏡や望遠鏡は片隅に追いやられてしまった。
代々木公園には多くの野鳥が来ていて、池の周りはサンクチュアリとして保全されている。
カワセミやジョウビタキなどの綺麗な鳥も見ることができるので、カメラ片手に訪れる人も多い。

カラスの話に戻るが、韓国や娘のいるシドニーでは黒いカラスは見ることがなく、白と黒が混じったカラスよりも一回り小さいカササギ(オーストラリアのはカササギフエガラスと言う別種のカササギ)という鳥がそこら中にいるが、日本ではほとんど見かけることがない。
確か佐賀県あたりのカササギは天然記念物になっていて、佐賀県の県鳥にもなっているはずである。
カササギのいるところには、何故黒いカラスがいないのか不思議に思っていたが、今日来た作家さんの話では、カササギのほうがカラスより強いらしく、カラスは追いやられてしまうのだそうだ。
カラスもところ変われば肩身が狭いのである。

韓国からカササギを代々木公園に連れてくれば、嫌われ者のカラスもいなくなるのではと、野鳥の会会員としては風上に置けないことを思ってしまう。
でも、カササギもカラス同様にごみを漁っていて、向こうでは嫌われ者なのかもしれない。



1月22日

先日紹介したヨシダシオリに続いて、4月の若手作家グループ展に初お目見えの新藤杏子を紹介する。

彼女はうちで既に発表をしている井澤由花子と多摩美で同期で、同じように水彩画を描いている。
違うのは井澤は風景であり、新藤は人物を描いているところだろうか。

審査を依頼されている公募展「ヤングアーティストジャパン」の折に、井澤の作品に出会い、うちの発表に結びつくのだが、同じ時に隣りのブースに新藤が作品を出していた。
偶々、本人に出会えたのが井澤で、会えなかったのが新藤であった。
二人の水彩作品に大変興味を持ったが、そんなこともあって、井澤と違い扱える機会を失ってしまった。
そのうち、うちから独立した寺嶋の画廊のオープン展で作品に再会することになり、井澤からも紹介してもらい、初めてグループ展に参加してもらうことになった。

水彩独特のにじみを巧みに使い、その人物表現は独特のものがある。
油絵にも挑戦しているとのことだが、これだけ水彩で描けるのだから、油絵もまた楽しみである。



1月21日

ガレとドームというアールヌーボー期の花瓶の処分を頼まれ、私のところでは手に負えないので、近く開催されるオークション出だすことにした。
そのカタログが届いたが、200ページにわたる出品作品のほとんどがアールヌーボー、アールデコ時代の作品なのには驚いた。
ヨーロッパの装飾美術がメーンのオークションなので当たり前と言えば当たり前なのだが、1回のオークションでこれだけの数が出るということは、これにも増して相当数のこの時代の作品が日本国内に眠っているという事になる。
先日のサザビーズの社長の話ではないが、日本国内にはまだまだ宝の山があるというのもうなずける。

昨年も、川村記念美術館を経営する大日本インキの所蔵品の一つバーネット・ニューマン「アンナの光」を103億円で売却し、当該特別利益として計上し、会社の純利益が大幅にアップしたと報じられたが、あるところにはあるものである。
ただ、この「アンナの光」は現代抽象主義を代表する作品で、200点あるニューマンの作品の中でも最高峰の絵画とされている作品で、日本にも唯一この1点しかなかっただけに、その流出は惜しまれる。

今回のカタログには大名品といわれるものは少ないが、それにしてもバブル期までに日本に入った欧米作品は半端な数ではなかったのだろう。

1月20日

大学のヨット部の先輩は大手百貨店・文化セクションの会社の会長をしている。
その会長が目をつけた作家の個展をギャラリーでやるので見てくれと言われて行ってみた。

ごくごく普通の水墨画で期待はずれ。
先輩も美術畑からその会社に来たのではなく、それほど美術に造詣が深いわけではない。
こんな言い方をしたら先輩に怒られてしまうが、一般人から見ればこうした昔ながらの水墨画が良いとされるのだろう。
スタッフも会長命令なので仕方がないのだろうが、ギャラリーイメージとはかけ離れていて、多分戸惑っていることだろう。

私のところにも、縁故を頼って展覧会の企画を頼まれることが多いが、良い悪いと言うわけではなく、私の好みで企画をしているので、好みにそぐわないものは全てお断りをしている。
ビジネスだけを考えれば、顔が広い人であれば義理買いもあって数字は行くだろうが、新規のコレクターにはなりえない。
そんな訳で、親しい友人知人の顔をつぶすことになり、傷つかないようにその人たちに言い訳するのがこれまた大変である。

出来うれば、餅屋は餅屋で専門の人に任せてほしい。

1月19日

先日もブログで触れたベルギーを代表する作家の一人、ミヒャエル・ボレマンス展を見に品川の原美術館に行ってきた。
御殿山の住宅地に古い洋館をそのままに静かに佇む原美術館は、現代美術のコレクションで知られるが、なかなか行く機会がなく、久し振りに訪れた。
ギャラリー小柳で見てブログに紹介したところ、何人かのお客様が原美術館にも行ってきたそうで、私も遅れてはならじと出かけた次第である。

美術館には奈良美智や宮島達男の部屋もあるが、洋館の趣の中ではどこか違和感があったのだが、ボレマンスの作品は見事にこの古い建物にマッチをしていた。
ベラスケスやマネなど近世、近代絵画の影響やデルボーなど自国のシュールリアリズムの系譜を受け継ぐと言われるだけに、重く深い思索的な作品はあたかも以前からそこにあったように収まっている。

38点の展示作品のほとんどが4号前後の小品なのだが、以前にオランダで見たフェルメールの小品のように、じっと作品と対峙することができ、洋館という異空間の世界に没入していくような感慨を覚えた。
作品の感想は小柳で見たときに述べたので、カタログ文より引用させていただく。

ボレマンスの絵画は純粋な空虚であるとともに、断片となった「絵画」を演じている。
その空虚が、我々の内の「絵画」を巡る記憶や感情を誘引するのだ。

確かに、そこには何もないが、そこには全てがある。

時間を越えた状況、いわば時間が無効になる空間を創造する。

『Art It』作家インタビューより。
「彼らが実際に誰であるか、何をしているかに特別な意味はありません。これはもっと普遍的、象徴的なメタファーなのです。どれも特定の個人の肖像としてではなく、一般的な人間です。」

因みに小柳では4号で2千万円、それが完売だそうだから驚く。
私の画廊のすぐそばだけに、そこのお客様が間違ってうちに来てくれないだろうか。



1月18日 A

今日から二つの個展。
先に紹介した堀込展では既に展示の時に予約が入り、幸先良し。

GTUの川岸美緒は、これまた女子美出身だが、彼女は工芸を出ていて、今回が初めての個展である。
作品は工芸とは趣きの違う白と黒を基調にしたミニマルアート的なオブジェを発表している。
ボックスアートあり、スケートボードに描いた作品ありで多様な表現をしている。
工芸出身だけに仕事も丁寧で、端正な作品が並ぶ。





1月18日

阪神淡路大震災から早や19年。
先日成人式を迎えた若者には記憶の片隅にもないだろう。

当時、関西方面の画廊も大変な被害を受けた方が多い。
その影響で画廊を閉めたところもあったが、もし東京でと思うと他人事ではない。
それでも当時は遠方のこととその怖さの実感はなかったが、3・11の震災で改めて自然災害の恐ろしさを身近に感じることになった。

日曜日に家の片付けをしながら、緊急時の備蓄や避難用品の点検をしてみた。
喉もと過ぎればで、震災後に慌てふためいてスーパーやホームセンターで買い集めたものが、さてどんな物を入れたかさえ覚えてない。
今一度何を持ち出すかを書き出してみたが、やたら量が多く、いざとなった時に果たして運び出すことができるのだろうか。

そんな矢先、トイレの自動の水洗が壊れ、更には電気温水器(深夜電力対応の温水器)も壊れてしまった。
どれも丁度20年位前に換えたものだが、さて困ったのは風呂とトイレが使えないことである。
この寒いときにえらい事になったなと思ったが、幸いすぐに修理に来てくれて事なきを得たが、どちらも新しいのに換えたほうがいいと言われてがっかり。

たった一日のことだったが、トイレが流せない、風呂を使えないとなると不便なものである。
これが神戸や東北のようなことが起こったら、それどころではない。
備え有れば憂い無しで、まずは簡易トイレやお湯を沸かしたりする携帯コンロは必須であると確信するのであった。

1月17日

フェースブックで知ったヨシダシオリさんに若手作家のグループ展に参加の依頼をしていたが、今日初めて資料を持って訪ねて来てくれた。

丁度明日から始まる堀込幸枝の女子美の後輩で、真条彩華や中村萌 高橋舞も同窓で、最近は女子美出身作家との縁が増えてきた。

フェースブックの画像で見た血の様な鮮やかな赤色が印象に残り、声をかけさせてもらった。
学生時代から人物像に赤い色を際立たせる作品を描いていて、赤い色は女性を現す色彩との思いでずっと使ってきたのだが、3・11以降は生命の根源にあるものとして意識して描くようになったそうだ。

可愛らしい女性を描くのではなく、自分なりに女性像を通してその思いを伝えようとしていることが資料からも伺える。
4月のグループ展に初お目見えだが期待していただきたい。

フェースブックでこうしたきっかけが生まれるのも今の時代ならではである。



1月16日

日本現代版画商協同組合の初会。 新年恒例の新春講話はサザビーズ日本代表の石坂泰章氏を招いて、オークションの現状についてお話いただいた。

石坂氏は私の高校の後輩で、同じ後輩の安倍首相と同期くらいになるのだろうか。
そんな関係もあって、石坂氏がサラリーマンから転身してこの業界に入るときに私に相談に来たことがあったが、今や世界を相手にはるかに大きな仕事をしている。

さて、本題のオークション事情だが、景気の回復とともに昨年から売り上げ高は大きく伸びているそうだ。
その中でもアジアの伸びは著しく、売り上げに占める割合も以前は数パーセントだったのが、現在では25パーセントをアジアのコレクターが占めている。
アジアといっても日本は除外されているのだが。

そのため日本事務所のスタッフ10人に対し、香港には150人のスタッフがいるとのことで、現在はニューヨーク、ロンドン、香港が中心となっている。
他ではブラジルがオリンピックやサッカーのワールドカップ効果で伸びてきているそうだ。

また会場に来るのではなく、ネットによる参加者も増えてきていて、全体の一割がネットで落札されているそうだが、相手が見えないだけにリスクもあって、高額の落札が猫が誤ってキーボードを踏んでしまったのでキャンセルしたいという笑えない話もあったそうだ。
キャンセル、支払いの遅延の常習犯といえば中国人なのだが、それでも少しづつ改善はされてきているらしい。

さて我が国となるとまだまだのようで、買うよりは作品の出品に期待していて、日本にはバブル期の宝の山がたくさん眠っているとのことであった。

1月15日

1月18日より2月1日まで堀込幸枝展を開催する。

堀込展もこれで4回目になるが、透き通るようなマティエールは更に進化を遂げ、清明な情感を醸し出し、その雰囲気に観る者は包み込まれてしまいそうだ。
シェル賞の審査委員長賞を受賞して、その縁で北京で開催された日本現代絵画展に曽谷朝絵、山本麻友香、夏目麻麦、大谷有花等と共に推薦されたことから、私共の個展につながった。
私共の初個展の前に、これまた北京展をきっかけにソウルでも個展が開催され、この時は100号クラスの作品が多数を占める中、全て売却となり、私達を驚かせたことがあった。

このようにスタート時から脚光を浴びたが、それに甘んじることなく精進を重ね、今回の作品の画面は従来にも増して、その美しさを際立たせている。

是非のご高覧をお待ちしている。



1月14日

今日は特別寒い。

昨日は大月近くのゴルフ場で久し振りに息子達とラウンドしたが、かなりの寒さを覚悟して出かけたにもかかわらず、風もなくポカポカ陽気で寒さを感じることなくプレーできた。
それに引き換え今日の寒さはひとしおで、どうやら明日は雪になるらしい。

画廊から外に出るのも気合がいるほどだが、昼を食べた後に、近くのギャラリー小柳で始まった「ミヒャエル・ボレマンス展」を見に行ってきた。
久し振りに感動である。
この画廊では2回目の個展になるが、品川の原美術館でも同時に開催されている。

以前にこの画廊で開催されたデュマスにも通じる現代具象の代表作家の一人と言えるだろう。
ベルギーで写真表現に取り組んでいたが、1990年代から油彩に転向し、近代絵画の影響を受けながら、独自の表現で深く重い雰囲気を漂わす人物像を描いている。

今回の個展では一人の女性の手の動作の連続を描いた小品が8点並んでいるが、思わず息を凝らして見てしまうような緊張感に包まれる。
昨今の軽い作品ばかりを見慣れてしまった私には、ずしりと心にのしかかる様な深い感慨を覚えた。
重厚な表現とはこういう事を言うのだろう。
女性の何気ない手の動きだけを描いているのだが、神秘的で厳かな菩薩像のように私には見える。

原美術館のチラシには、彼の絵画には、静けさの中に微かに謎めいた気配が漂い、観る者を深い思索へと誘うと書いてある。
まさにその通りで、原美術館の展示もできるだけ早く見たいと思っている。



1月12日

映画「永遠の0」を正月休みに見に行ってきた。

隣の席の男の人はずっと泣いていた。
私は先に本を読んでいたので、本ほどの感激はなかったが、それでも涙はこぼれた。

200数十万人の犠牲の上に今の日本があることを実感させられた。
忘れ去られようとしている大平洋戦争の悲惨さを今一度思い起こすいい機会ではないだろうか。

先日のニュースで中高生の日本史を必修科目にすると出ていたが、学生の時に日本の歴史を学ばないという馬鹿げた教育があるのかと憤慨したが、日本人である以上、まずは自国の歴史を知ることは当たり前のことである。
しかしながら、私達の時でさえも日本史は戊辰戦争か大正デモクラシーあたりで終わってしまい、昭和の歴史を学ぶ機会はなかった。
古代史からさかのぼるのではなく、現代から過去に下っていくことで、違った歴史観を持つことが出来るのではないだろうか。

そうした歴史を知った上で、現在の日韓・日中問題、靖国参拝について自分なりの考えを巡らしてみたらどうだろうか。

戦争の怖さ、平和の有難さを「永遠の0」は教えてくれる。

1月11日

依頼された公募展の審査用の写真資料が送られてきた。

三段階の点数をつけて、審査員のトータルの点数で上位からある程度の数に絞込んで第二次選考となり、今度は実際の作品をみて、同じように点数をつけて上位から30人ほどの入選者を選ぶ。
一枚一枚資料を見るが、高い点をつけてあげようと思う作品はそれほど多くない。

プロを目指す35才以下との制限があって、そのためか美大生が多く出品しているが、新鮮なときめきが感じられない。
どこかで見たような作品ばかりで、独自なスタイルとか、自分なりの思いとかが伝わってこない。
まだまだ学習の時期で、個性とか主張とかを表現する時ではないのかもしれないが、型を破ったハッとさせられるような作品が見られないのは寂しい。

1月10日

ようやく片付けが終わり、壁にも作品を並べることができた。

小林健二、開光市、望月通陽、山本麻友香、小浦昇、小野隆生、河原朝生などなど、懐かしい作品から画廊では未発表の作品まで展示をしたので、是非ご覧をいただきたい。

来週金曜日までの一週間なのでお見逃しなく。





1月9日

今日は業者の交換会(ディラーズオークション)の初会に出席。

この会は美術倶楽部とか美術商の組合や団体が主催するのではなく、一事業者の美術商が主催する個人会と言われるものである。
個人会も古美術から近代、現代と多数の交換会があり、その中でもこの会は近代美術の交換会としては一番古い会である。
日本画主体の会だが、価値観が多様化する中にあって、近代美術が新年早々どのような流れになっているのか知りたいとの思いもあって、初めて出席することにした。

さて、出掛けてはみたが、すでに超満員で車座になった輪が何重にも重なり、後ろからでは作品を見ることも出来ない。
作品は車座の中央の畳の上に寝かせて置かれ、方々から声を掛けて競っていく仕組みになっていて、公開オークションのように競り台に作品を乗せて、椅子に座った参加者がオークショナーの競りの声に合わせて番号札を挙げていくやり方とはだいぶ様相が違う。
どちらかというと賭場の雰囲気で、長いことこの世界に携わっている私でも、なかなかこの雰囲気には馴染めない。
欧米を真似ろとは言わないが、もう少しスマートな方法はないのだろうか。

そんなこともあって、新年早々の市場調査は諦め、場の息苦しさに耐えられず、一時間足らずで退散することにした。
昔ながらのやり方で、それはそれでいいのかもしれないが、こうした競りは美術品に対するリスペクトが感じられず、魚や野菜と同じ扱いのようにに思えてならないのは私だけだろうか。

かくいう私がやっているギャラリー椿オークションも、あまりスマートとは言えず、他人のことを言える立場ではないのだが。

1月8日

本日より長い冬休みを終えて、画廊も心新たに仕事始め。
と言っても、昨年ぎりぎりまで個展を開催していたので、暮れの大掃除も棚卸しも儘ならず、蓋明けにはギャラリーコレクションを展示する予定でいたが、それどころではなく先ずは掃除から始めなくてはならない。

私の机の周りも、毎月のように送られてくる大量の国内外のオークションカタログで溢れかえっている。
毎回捨ててしまえばいいのだが、市場価格の参考にと思うと捨てられず、一年で山のようになってしまった。
ネット時代なのだから、データで送信してくれれば無駄も省けると思うのだが、著作権や何やら問題もあって、そうはいかないようだ。

新年最初の仕事は、先ずはカタログの整理から。

1月7日

遅ればせながら、ようやく初詣に。

家内の体調が悪く、河口湖でゆっくりするはずが、寒いこともあって、2日には家に戻ったが、その後も思わしくなく、今日になってしまった。
氏神様の代々木八幡宮に行くと、さすがに7日ともなると人もまばらである。
ここは都内でもナンバー2と言われる屈指のパワースポットとしても知られ、お参りを兼ねてパワーももらってきたせいか、家内も元気回復。
近くの明治神宮に比べるととても小さな神社だが、縄文時代の竪穴式住居もあり、古代からの縄文パワーに満ち満ちているのかもしれない。

参拝の後、おみくじを引くと、何と大吉!!
今年は全てに良しと書いてある。
縁起担ぎの家内によると、いくつかの占いを見ても、私の今年の運勢は凄くいいらしくて、順風満帆の一年なのだそうだ。
すっかり気をよくして、一年間の企画展が全て成功することを願うと共に、健康でつつがなく一年が過ごせればいう事なし。

皆さんにも私の今年の運をおすそ分けさせていただき、幸多い年になるよう願っている。



1月1日

あけましておめでとうございます。

明るい日差しが差し込み、輝かしい一年の始まりです。
本年も宜しくお願いいたします。

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