ギャラリー日記

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12月30日

昨日から孫一家と共に河口湖に来ているが、一面雪景色。

昨年は暑いシドニーで正月を過ごしたが、今年は雪の中で正月を迎えることになる。
河口湖も温暖化で12月に雪が積もることは滅多になく、これだけ雪が積もるのは珍しい。

ゴルフの予定もゴルフ場が雪のためにクローズで寝正月となりそう。
逆に、すぐそばにある富士天神山スキー場はパウダースノーで絶好のコンディションになっている。
孫達と久し振りにスキー場に向かった。
ゲレンデには一杯の人が来ていて、子供用のゲレンデも大混雑。
孫娘は初めてのゲレンデに緊張気味で、折角借りたソリも怖がって乗らず、ゲレンデ見物だけで終わってしまった。

ところが翌日、ゲレンデと化している家の前で雪遊びをすると大喜び。
雪達磨を作ったり、スキー場では怖がったソリ遊びもここでは平気で、一人で斜面を滑り降りてくる。
フェースブックにその様子を載せたら、早速にシドニーの娘から電話があり、シドニーは35度の猛暑だそうでうらやましがっていた。
向こうの孫たちにとっては雪景色は別世界を見ているようだろう。

5日までいる予定だが、家内が風邪をこじらしているので早々に帰ることになるかもしれない。



12月28日A

今年も一年大変お世話になりました。

私共もつつがなくこの一年を終えることができました。
これもひとえに皆様のお力添えの賜物と厚くお礼申し上げます。

震災、原発事故で大きな打撃を被った日本も、政権が交代したことで経済も上向きとなり、更には東京オリンピック・パラリンピックの開催も決まり、明るい兆しが見えてまいりました。
我が業界にはまだまだその効果は及んで来てはいませんが、いずれ私共にも希望の光が届いてくることを信じ、新たな年を迎えたいと思います。

皆様にとりましても、来年が希望の光に満ち溢れた輝かしい年になるよう願っております。
来年も本年同様のご厚誼をいただくようお願い申し上げ、年末のご挨拶とさせていただきます。

本日より1月7日まで冬季休廊とさせていただき、1月8日より営業を始めさせていただきます。



12月28日

柳画廊・野呂さんのブログを読んで、なるほどと思う部分とそれはちょっと違うかなと思うものがあるので紹介したい。

「‘美じょん新報’の 日本画家の松尾敏夫さんと 洋画家の奥谷博さんの対談から感じたことなどをお伝えしたいと思います。
まず、感じたことはこのお二人の年齢です。
松尾さん87歳。奥谷さん79歳。
このお二人が対談して若い方に伝える事ということですが、美術業界の問題は死ぬまで現役である人が絵描きさんだけでなく、画商も含めて多くいらっしゃるので世代交代が進みません。人の何倍も意識して 若い人に世代交代を図らなければ、若い人たちの考えで組織が動きません。
朝日新聞が団体展に対して苦言を呈しているのは、その部分だと思っています。
「売るための絵を描くな!団体展を通して若手作家の育成を」ということですが、若い人たちにその言葉は響いているのでしょうか?
商売を通じても縦割りの弊害を感じています。団体展に出品して、日本のデパートに作品を出品すると、現代アートの画商さんたちは、たとえその作家が20代で才能があったとしても扱いたがりません。
それは団体展とデパートに教育されていると考えているからです。
また、画廊の方でも、デパートとのつきあいのある画廊は、海外のアートフェアにでると不利になることが多々あります。
デパートでの仕事のスタイルと海外のアートフェアのスタイルが全く違うために頭の切り替えが出来ないからだと思っています。
お客様からすると迷惑な話だとは思いますが、それが私の感じる業界の実態だと思います。
もっと、お客様オリエンティッドに考えればシンプルなのに、美術を理解する人が少なすぎるのと、もっと心を広くして古美術から近代絵画からコンテンポラリーまで幅広く理解し、擁護する立場をとれる大人物がいないことが原因だと感じています。
美術の世界は奥深くお金だけでは購入することのできない、不思議な何かを持つ世界だと私は思っております。
現実社会に近く資本主義的なのがコンテンポラリーであり、より精神主義で宗教に近く、お金から遠ざかっていくのが近代絵画の世界であり、古美術に関して言えば扱える作品数が少なく、真贋の難しい世界ですので、私にはわからないことも多い分、憧れる部分が多いのも古美術です。
しかし人間が与えられる影響は自分の年の前後20歳が限度であると私は考えているので、80前後の方々のお話を真剣に聞いてくれるのは60前後の人までであることを考えると美術業界の構造的な問題は、もっと若手に権限委譲することだと思っています。」

  確かに構造的な問題から言えば、新陳代謝は必要だと思うが、キャリアを踏んだ人の言葉も若い人は耳を傾けるべきではないだろうか。

団体とかデパートに関して言えば、若い作家たちは先ずそうした意識がないといったほうがいいし、そこに価値観を置いていないといったほうがいいだろう。
日展の問題も組織が肥大化し、その組織を維持するにはピラミッド型の家元制度にせざるをえないわけで、そう思えば朝日が糾弾することも何を今更の感は拭えない。
団体と言うのそういうものだとすれば、若い作家に及ぼす影響力もそれほど強いとは思えない。

団体とかデパートに一線を画する意識は、逆にそこに関わっている人たちの意識であって、そうでない人にとってはそれほど重要な問題ではないように思うのだが。
アートフェアーもグローバルな視点での選別であって、デパートとか団体が障害になっているとは思えない。
ただ、日本のフェアーでは貸しスペースを持っているところは参加できないケースはあるが。
またコンテンポラリーとか近代美術、古美術についてもそれぞれが自分の仕事に誇りを持つことが大切で、その道を信じることで、お客様は信頼して付いてきてくれるのではと思っている。

12月27日

私共で発表している岩渕華林の作品が表紙絵となっている千早茜「あとかた」が下半期の直木賞候補に挙がっている。
岩渕にとっては憧れであって、初めての装丁画であったが、こうして賞の対象作品に関わることが出来たのはさぞかし嬉しいことだろう。
昨年、今年と私どもの作家が装丁を担当した本が毎日出版文化賞を受賞しているので、それに続いてくれるといいのだが。

本と言うのは中身が大事なのは言うまでもないが、本屋で手にとって見ようと思わせるのには、装丁の役割も大きい。
そのための専門家も多く、私どもの作家もそうした装丁家によって、多くの作品が取り上げられてきた。
そうした中で、私共で長年発表を続ける望月通陽は作家として活躍するかたわら、装丁家としても知られ、多くの本の装丁を自分自身でやっている。
その一連の仕事が評価されて、1995年には講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞した。
過去の受賞者には、田中一光、和田誠、横尾忠則、福田繁雄、山本容子など名だたる人が名前を連ねる。

1月後半には芥川賞と共に賞が決定するが、いい知らせを期待したい。



12月26日

朝から曇り空で、どうやら夕方から雨になるらしい。
夜は画廊の忘年会。

この一年、画廊の企画展は28回、その間にオークション、海外アートフェアーと休む間もないスケジュールであった。
昨年スタッフが一人独立したこともあって、残りのスタッフにとってはめまぐるしい一年となり、大変な苦労をかけた。
来年も同じようなスケジュールとなるので、この忙しさは果てしなく続くことになる。

それにしては大したところで忘年会をやるわけではないが、先ずは労をねぎらい、一年の締めとしたい。
締めと言っても画廊は今週土曜日まで展覧会を開催していて、とても年末の大掃除までは手が廻りそうにもない。

年明けは、1月8日からとさせていただき、18日からの堀込幸枝展で今年の皮切りとなる。
その間の10日間は、ギャラリーコレクションを展示させていただく。
展覧会が続き、なかなかお見せ出来ない作品も展示するので、楽しみにしていただきたい。

12月25日

大阪の番画廊がオーナーの死去に伴い、閉廊するという。
大阪の数少ない現代アート発信の画廊だっただけに残念である。

今年は東京でも諸事情により、いくつか知っている画廊が閉める事になり寂しい限りだ。

大阪日日新聞の記事から。

1970〜80年代に森村泰昌ら新進芸術家による現代美術の活動「関西ニューウエーブ」の一翼を担った大阪市北区西天満の番画廊が34年の歴史に幕を閉じることになった。
画廊オーナーの松原光江さん(享年68)の死去に伴うもので現在、最後の展覧会「サ・ヨ・ナ・ラbangarow」として、画廊を彩ってきた作家ら約300人が作品を展示。
多くの美術関係者らが別れを惜しんでいる。

番画廊は1979年に松原さんが設立。
近隣には、同時期に同じく現代美術を扱う「ギャラリー白」や「信濃橋画廊」がオープンし、多くの美術愛好家を西天満周辺にひき付けるとともに、作家の作品発表の場を提供。
現在でも、若手作家にとっては憧れの場所とされる。

松原さんは2年前より闘病していたが、今年10月7日に逝去。
作品展は「さよなら三角、またきて四角」の言葉になぞらえて10センチ角の小作品を展示している。
発起人の1人で芸術家の中馬泰文さん(74)は「人を寄せ付ける温かみがあった。作家は母胎の中で育っているような、そんな母性愛にあふれた人だった」と、その人となりをしのぶ。

信濃橋画廊は3年前に閉鎖され、ギャラリー白を創設したオーナーの鳥山健さんは今年5月に90歳で死去。
不況のあおりを受けた美術界の厳しい現状や、作品発表の場がインターネットに移り変わるなど、芸術発信地としての画廊の存在は岐路にある。
中馬さんは「オーナーが画廊の核となり、さまざまな人が集まって美術論争をするなど、画廊を中心にコミュニケーションが成り立っていた。今は、その実体が見えない」,名画廊の閉鎖とともに、一抹のさみしさを感じていた。

12月24日

クリスマスイブに男6人で忘年会。

大学のヨット部の同期で、Y君が脳腫瘍の手術を終えて元気になり、その快気祝いを兼ねての忘年会。

彼は蕎麦好きで、都内の名店を食べ歩き、その中でも一番のお気に入りの池之端の藪蕎麦に集まった。
ここには二百数十回通ったそうで、余程の蕎麦好きである。

火事にあった神田の藪蕎麦の社長とはロータリー仲間でよく知っているが、ここは初めてで浅草並木とともに三大藪と言われるそうだ。

池之端には名店が多く、鳥鍋の老舗鳥栄は冬には一年前から予約が入るという人気店で、ここには何度か行ったことがある。
湯島天神前の鳥つねの親子丼も昔はよく食べに行ったものである。

大病を乗り越えた彼は、足の痺れで杖はついているが、いたって元気で大いに飲み、喰い、まずは何よりであった。

私も脳腫瘍に比べたら、些細で恥ずかしいが、今日の検査でピロリ菌がいなくなったとのことで、これまた何より。

来年はみんなで船旅でもしようということになった。
気の置けない仲間との船旅は楽しみである。

12月23日

我が家で一日早いクリスマスパーティー。

料理教室で習った腕の見せどころ。
家内は早くからピザ生地をつくり、私は料理教室で習ったホワイトソース、ミートソースを準備し、野菜をたくさん詰め込んだ鳥の丸焼き、ミックスピザ、生ハムとルッコラ・トマトのピザ、ラザニア、ミネストローネ、温野菜を添えて娘一家を招いてのクリスマスパーティーで盛り上がった。
ラザニアはイタ飯屋で食べるよりずっと美味しいと大好評?
孫だけはそんな料理よりケーキばかりに目が行くようでがっかり。



12月22日

今日は両親の墓参り。
正春寺という初台のオペラシティーに近いところにある寺で、年末の混雑を避けて、早めの墓参りとなった。

この寺は、徳川二代将軍秀忠の乳母であった初台局が、その功により代々木村に乳母料として二百石の知行地を賜った。
その初台局の孫・秀教坊正入がここに寺を建立し、 初台局の娘も三代将軍家光の乳母となり、その法名・正春を追慕し正春寺と命名されたとの由来が寺の入り口に書いてあるが、由来の割には大したことなく、ごくごく小さな寺なのだが。
因みに初台の地名はここから来たとのことである。

一年の締めを早めに終えて、気持ちも新たとなり、次は同じ初台にあるコレクターのNさん経営のうなぎ屋「赤垣」で絶品のうな重を食べに行ってきた。
ここのうなぎは極端に言えばマシュマロを食べるが如く、ふわふわのふっくら・うな重で是非お奨めの店である。



12月21日A

今夜は、大学のヨット部の一年先輩が経営する「隣花苑」の創業50周年記念パーティーに招かれた。
ここは曾祖父の原三渓が娘にと室町時代の民家を移築して与えたもので、先輩のお母様の代に料理屋を始め、現在は先輩が女将を務めている。

原三渓は生糸貿易で財を成し、横浜本牧の土地に京都や鎌倉から歴史的建造物を移築し、広大な庭園を造り「三渓園」として現在は一般にも親しまれている。
三渓は茶人でもあり、美術蒐集家としても知られ、更には日本画家の育成・支援にも力を注ぎ、下村観山、横山大観、前田青邨、安田靭彦、小林古径等の代表作が園内から生まれた。

「隣花苑」は、三渓園の隣りにひっそりとたたずむ重厚な田舎家。
三渓翁ゆかりの美術品や庭に咲く花々を楽しみながら、料理をゆったりと味わえる貴重なお店である。

50周年を迎えるという事で、ヨット部の先輩達が発起人となって、180名のお客様を招いての盛大なパーティーとなった。
アトラクションはオールディーズの演奏という事で、60年、70年時代の同時代を過ごした人達とともに乗りに乗って、愉しい一夜を過ごした。
古民家でエレキギターが鳴り響くのもなかなか乙なものである。

今週は音楽漬けで、ジャズに始まり、クラシックサックス、オーケストラと合唱による「メサイア」、締めがオールディーズとなった。



12月21日

昨日は朝日新聞厚生文化事業団の招きで、事業団が主催する年末恒例のヘンデル作曲オラトリオ「メサイア(救世主)」のコンサートに行ってきた。

会場が上野の東京文化会館大ホールということで、目の前にある西洋美術館で開催中のモネ展を先に見ることにした。
風景作家として、印象派の作家として、私が筆頭に上げるのはまずモネである。
セザンヌの風景より私はモネの風景に惹かれる。
夕景とかセーヌ河畔の情景描写は、実際のその場に立つような臨場感があり、光が広がり風が吹き抜けるような感慨を覚えた。

今回の展覧会は西洋美術館の松方コレクションとポーラ美術館の作品で構成されていて、日本の二つの美術館でこれだけのモネを持っていることに驚かされた。

感動の余韻そのままに、「メサイア」がこれまた良かった。
心が震えるような合唱とオーケストラの演奏を堪能させてもらった。
第九のハレルヤの歌声も胸に迫るものがあるが、「メサイア」のハレルヤもこれまたぐっと来るものがあり、厳かで清らかな宵を過ごすことが出来、招いていただいた朝日新聞事業部の方に感謝である。

12月20日A

今日はちょっとショックなことが。

近くの画廊で毎年恒例の私どものオークションと似たような催しがある。

覗いてみるとオークションで買っていただいた作品がいくつか展示されていた。
その中にキャプションの名前が変えられている作品があり、セザールと記されているのでびっくり。
よくよくサインを見てみると、確かにセザールとある。
これが読めずに、その作品を所蔵していたアーチストの名前が左方に書いてあるので、てっきりその人の作品と思い込んでしまった。
オークションで買った画廊も当然そう思ったのだろう。
作品はインスタレーションのようなもので、その作家の作品とは似つかわしいものではなかったが、きっと遊び心で制作したものと決めつけてしまった。

セザールはフランスの代表的な彫刻家で、楽器やら何やらを圧縮・合体させた作品で知られるが、その作品はそういった類いのものでもないので、セザールとは思いもよらなかった。
よくよく見てみると、フランス語で所蔵していた作家に送るとのため書きが書いてあり、右側に年代とその時は読みとれなかったセザールのサインとなっている。

私も展示した画廊も即興的な作品として、かなりの安い価格を付けていた。
さすが目の肥えたお客様はいるもので、それをセザールと見抜いて、すぐに買われたそうだ。
あらためて見てみると、なかなか味のある作品に見えてくるから不思議だ。
価格もおそらく表示価格の10倍以上はするだろう。

プロの画商としての不明を恥じいるばかりだが、同時に買われたお客様の眼力には敬服する。

機を見てセザールは勇なきなり

12月20日

昨日も冷たい雨が降っていた。

夏のオークションに出品していただいたお客様のところへ残った作品のお返し。
350点を出品していただき、結果90点のお返しとなった。

伺うと部屋はたくさんの作品で溢れかえっていて、戻す作品の置き場を確保するのさえ大変。
これだけ多くの作品があると、これから先どうされるのか、私の方が心配になってくる。

先日、大きな倉庫業をやっている大学のクラスメートが画廊にやって来た。
倉庫業も不景気による物流の減少から、厳しい状況が続いて、何かいい知恵ないかと相談された。

画廊もそうだがコレクターの方、作家の方々も何に苦労するかというと作品のストックスペースである。
廉価で都心に近いところにストックスペースがあれば、利用したい人は多いはずで、美術倉庫業を考えてみたらどうだろうかと言った。
物流などでは常に物の移動をしなくてはならないが、美術倉庫はほぼ継続的に作品を動かすことなくスペースを借りてもらう利点がある。

そんな話から、年が明けたら一度倉庫を訪ねてアドバイスをすることになった。
皆さんに朗報を届けられたらいいのだが。

12月19日

昨日の夜は雪の予報だったが、なんとか雨だけで助かった。
というのも6時半からギャラリーコンサートがあって、来ていただいた方の帰りの足が心配だったがことなきを得た。

コンサートは世界で活躍するサックス奏者の須川展也と小柳美奈子のピアノによる演奏で、日本民謡のアレンジ、クラシックからミュージカルナンバー、ビアソラまで心を揺さぶられる至福のひとときであった。

震えるような音色はロマンチックな気分を駆り立て、皆さんうっとりと聴き入っていた。

須川は忙しい中、展覧会中の綿引と芸大時代の同期ということでの友情出演であった。

私も10数年前、日本たばこのコマーシャルで、須川のサックス演奏を画廊で撮影したいと電通だったかに頼まれたことがあり、今にしてその須川のライブをやることになるとは不思議な縁を感じる。

他にもネスカフェの違いのわかる男などにも出ていたので、あのサックス奏者だと思い当たる人もいるだろう。

綿引の展覧会を初めてやったのが丁度30年前、まだ彼が大学院生の時だったが、同じように須川もデビュー30周年を迎え、来年4月29日に上野文化会館で記念コンサートをやることになっている。
ご興味のある方は是非お出掛けいただきたい。



12月18日

昨日は室越健美の大作のお届け。

初めてのご縁で、ご主人が国会議員、ご自身も以前に議員を務めていた方で、室越展の案内を偶々見て、一番で作品を見に来られた。

都心の一等地に広いギャラリースペースを持っていて、ご自分のコレクションを飾っている。
ミロや鄭相和といったモダンな絵に混じって、何と望月通陽の作品までが飾られているではないか。
以前に買われたという室越の作品も並べられていて、全体がシックな色合いで統一され、センスの良さが伺える。

バリに留学した時に美術に興味を持ち、その頃に集めた作品が多いのだそうだ。

そんなこともあって帰ってから画廊を開きたいとギャラリースペースを作ったのだそうだが、多忙もあって開店休業状態で、是非私どもで企画に参加して欲しいと頼まれた。
素晴らしいスペースなので、出来る限り協力したいと思っている。

12月17日

美術関係の著作権は音楽や文学に比べて曖昧と言われ、美術家達にとってはいち早い線引きが望まれるが、その権利主張が行き過ぎの場合もよくある。
私もブログやフェースブックで発信しているので、注意を払っているつもりだが、時にはエッと思うようなこともある。
ここに来て、日本音楽著作権協会(JASRAC)のように特定団体等が、美術家の著作権を一括受ける事ができるよう法整備がされると聞いている。
画廊や物販業者にとってはその影響は大きく、私達もそうなると今まで以上の注意が必要となるのだが。

山本氏が著作権についてブログで触れているので紹介したい。

山本冬彦氏のブログより。

今日の新書は城所岩生著「著作権法がソーシャルメデイアを殺す」(PHP新書)。

最近は日本では著作権という権利が強調されているが、日本の著作権法は世界の潮流に逆行して日本発のサービスや産業が葬られているという。
ネット時代を迎えているのに、旧来の著作権法を保護することしか考えていない時代遅れの著作権法と、それを厳格に適用する裁判所が日本企業のイノベーションを阻止している。
一方、先に市場を押さえた企業が世界市場をおさえてしまうネットビジネスの世界ではアメリカを中心とするフェアユース関連産業が世界制覇し、その結果日本はネットビジネスの植民地となっている。
インターネット自体がそうであるように権利やサービスを独占するよりも広く公開して参加型で裾野を広げ巨大な市場を創出する時代になっているが、日本だけが既存の権利者の保護にとどまっている。
本の帯にあるように「クールジャパン」を推進したいなら、フェアユースを広く認め、ネット時代にあわせた著作権法の改定が必要と説く。
TPP交渉の中でも著作権の問題が重要視されているが、国民は全く内容を知らされていないし、実態を理解していない日本政府や業界団体まかせで大丈夫なのか心配である。

作家・画家も是非この本を読んでもらいたい。 ※美術館では著作権を守り営利に使われないよう写真撮影禁止しているが、最近では撮影オーケーの展覧会も出てきている。
これはこれまでの告知はマスコミだけの独占だったが、一般の人や有名なアートファンがブログなどのネットで紹介してくれることの方が告知効果があると判断したからである。
私は自分のブログで紹介するために画廊で写真を撮らせてもえるかを打診するのだが、昔は美術館と同じように断られることが多かったが、最近はほとんどがオーケーだ。
中にはわたしが写真を撮らないと、紹介してくれないんですか・・・と言われることもある。

12月16日

日本版画商協同組合の交換会冬季大会が開催された。
会員以外にも大勢の画商がビジターとして招かれ、立錐の余地もない盛大な大会となった。

相変わらず草間人気は止まるところを知らず、次から次へと出品されるが、どれもが高値で落札されていく。
もういい加減に値崩れするのではと思うのだが、その気配は全く見られない。
これだけ高いといったい誰が買うのだろうと思ってしまうが、誰かが買うのだから高くなるわけで、私のところとは別世界のように思えてならない。

そうしたこともあってか、何年ぶりだろう出来高が大台を超えた。
いよいよ安倍さんが私共の組合にもやってきたのだろうか。

終わっての忘年会も盛り上がり、特別出演で組合員の一人が長い間トランペットを吹いていて、その仲間と共にジャズライブをやってくれた。
盛り上がると言っても私達の世代ばかりで、若手は飲み食いに夢中で、ジャズに心踊るのは年寄りばかりなのだろうか。
私は酒も飲まずに酔いしれ、最後にはバンドにあわせて、マイクを持って歌いだす始末。
出たがりの性分は未だ治らない。



12月15日

今日は友人の講談を聞きにお江戸日本橋亭に出かける。
宝井馬琴が主宰する「修羅場塾」の門下生の発表会である。

友人のK氏はキャリア20数年を誇る門下生の中でもぴか一の弟子である。
以前にも何度か誘われて行っているが、偶々近くの行きつけの天婦羅屋で親父さんに講談の招待があるけど興味があるなら行ってみるかと話したところ、興味大いに有りということで喜ん出かけて、何とその日に弟子入りまでしてしまったというから驚く。

そんなわけで、今日は二人の講談を聞かなくてはいけないのだが、新人は早い出番、ベテランは遅い出番ということで、その合間を縫って、ステーションギャラリーの植田正治写真展を見に行ってきた。

前にも書いたが、植田先生には長い間お客様としてお付き合いをさせていただいた。
80を過ぎても若々しく、ジーンズ姿がお似合いで、身振り手振りで話される先生にはいつも圧倒されつつ、楽しい時間を過ごすことができた。

作品がテーマ別に並べられていて、その軌跡を改めて辿り、その多彩さに偉大な写真家であることを今一度確信することが出来た。
童話や童謡を読んだり歌ったりするように、先生の仕事は童心に返らせてくれる様な清清しさがある。

以前に小林健二の椅子のオブジェを気に入り、鳥取の砂丘にその椅子をぽつんと置いて撮ってもらった写真があったが、確か日本航空のコマーシャル写真に使われたことを覚えている。
このとき先生の写真には、演出があるんだと初めて知った。
このような経緯があるにもかかわらず、写真家としてのお付き合いをしなかったことが悔やまれてならない。
私の見る目のなさを恥じ入るばかりである。



12月14日A

画廊を終えて、食事をしようと東京駅前の中央郵便局の新しいビル「KITTE」に行ってみる。

このビルは歴史的建造物で、取り壊すかどうか物議を醸したが、歌舞伎座同様に既存の建物を生かして、その上に新しいビルを重ねる手法がとられた。
ちぐはぐな感じもするが、歴史遺産として古い建物を残すことは大切なことである。

ロビーには巨大なクリスマスツリーが聳え立っているが、過剰なイルミネーションの飾りはは一つもなく、雪に覆われた大きなツリーが派手な装飾の銀座界隈を見慣れた私には心地よく映る。
どのレストランも長蛇の列だが、折角ここまで来たのでお好み焼き屋に並ぶことにした。
近くの丸ビルがそうだった様に、この混雑もしばらく経つと嘘のように人が少なくなるのだろうが。

食事を終えて、地下鉄に向かう途中にある丸の内のブランド街のイルミネーションにも目を奪われる。
ここも白い灯かりが長く連なり、夢幻の世界となっている。

東京もどんどん新しいビルやエリアが出来ていて、私は浦島太郎状態になりつつあるのだが。



12月14日

先日、ギャラリー椿オリジナルカレンダーを紹介させていただいたが、もう一つギャラリー椿のロゴ入りカレンダーが出来てきたので紹介させていただく。

  昨年も好評だった服部知佳の大判カレンダーである。
このカレンダーは、証券会社の依頼によるカレンダーで、写真撮影、印刷もかなり手が込んでいる。

服部の作品の特徴である「際のぼかし」がなかなか難しく、私共の案内状でも苦労するのだが、さすが金をかけると違うものである。
今回は作品をトリミングをすることでより幻想的な色合いが増し、高級感溢れるカレンダーとなった。
私どもも扱い作家ということで、ギャラリーのロゴを入れてもらい、使わせていただく事になった。

ご希望の方は画廊宛てお申しでいただきたい。





12月13日A

今日も納品で有名日本画家のお宅に伺う。

先日の河内展の作品を気にいっていただいた。
日本画家はデッサン力に優れた方ばかりなのだが、そのトップにいる方が河内の卓越したデッサン力に驚いたのだから大したものである。

日本画家のアトリエもだいぶ前に片岡球子先生のところに伺って以来。
和風の家を想像していたが、モダンな三階建ての家で、日本画は寝かせて描かなくてはいけないだけに、広いスペースを持つ大豪邸であった。

さすが日本画の売れっ子作家は違うもんだと感心して帰ってきた。

12月13日

広いスペースではクリスマスの風物詩といってもいいだろう綿引明浩の個展が同じく土曜日から始まる。

今回は新たにガラスアートに挑戦。
ガラス作家の誘いで、新島にあるガラス工房を訪ねて、そこで制作したものをおなじみの透明アクリルを使ったクリアグラフとともに並べる。

以前から私は彼に透明アクリルを使うのだから、是非明かりを取り入れる作品を作ったらと言っていたのだが、ようやく今回のガラスアートに明かりが登場。
見事にガラスアートを自分のものとし、新たな展開につなげた。



12月12日A

土曜日から綿引明浩と高木まどかの個展が始まる。

先ずは高木まどかの作品を紹介する。
彼女は多摩美で木版画を専攻したが、私共での最初の個展から一貫してオブジェ作品を発表している。
従来の半獣半人のような不思議な形態に極彩色で彩られた立体が一層進化していて、その存在感は際立っている。
更には仮面のような作品と平面に彩色と刺繍が施された作品も新たな展開を見せていて、見所満載の展覧会となっている。
既に案内を見ていくつか予約も入っていて、展覧会への手ごたえは充分である。

この極彩色は母親が和服に携る仕事をしていて、そこからイマジネーションが湧いて、和服の柄をアレンジし彩色している。
一見、派手な東南アジア風色彩だが、歌舞伎やお能の舞台衣装に通じる絢爛豪華な色彩は日本の伝統を受け継いだ色彩とも言える。

同時に開催される綿引の色も明るく華やかに彩られていて、クリスマスに相応しい煌びやかで浮き浮きするような会場構成となりそうだ。



12月12日

今日は朝から不機嫌。

ずっと気になっていたのだが、うちの斜め向かいに交番がある。
交番の裏には大きな欅の木が二本あり、そのすぐ横の井の頭通りには欅並木が続く。

その欅が冬になるとハラハラと落ちて、あっという間に落ち葉が道路にたまる。
毎朝の日課が落ち葉の掃除となるのだが、もうひと月半を過ぎるだろうか、交番のお巡りさんは全く掃除をせず、落ち葉はたまる一方で、その落ち葉が掃いても掃いても舞い散ってこちらにやってくる。

ついにたまりかねて今朝、所轄署に電話して、交番の周りを掃除をしてくれるように頼んでみた。
すぐに対処しますとのことだったが、一向に掃除する気配なしで、ついに私が箒と塵取りとごみ袋を持って掃除することにした。

大変迷惑してるし、あなた達も自分の家やお店の前なら掃除するでしょうと言って、掃除を始めたが、何人もいるお巡りさんが誰一人手伝おうとしない。
ついに爆発、あなた達がやることを私がやってるのだから、手伝うのが当たり前でしょうと、怒鳴りつけた。

年配のお巡りさんがごもっともと、すぐに若いのにやらせますと言って、申し訳程度に手伝い始めた。
言われてやるのかと腹をたてながら、1時間ほどでようやくきれいになった。

昨年も大雪のあとに交番の周りだけ雪掻きをせず、凍結して通学の子供達が滑って転ぶのを目の前で見ながら、何もしないことに怒ったことがあったが、今の警察は一体どういう教育をしているのか、呆れるばかりである。

お巡りさん達はきっとうるさい小言親父が近所にいるとしか思っていないのだろうが。

12月11日

鎌倉方面へ納品と査定に。

まずは児童文学者のKさんのところへ。
この方も伊津野作品をご自分の著書の装幀に使っておられ、展覧会の初日一番にお見えいただいた。
残念ながらお目当ての作品は前日に決まってしまい、早くにお越しいただいたのに申し訳ないことをしたが、第二候補をお持ちいただくことになった。
どちらも人気の作品で、何人もの方から、同じテーマの作品の注文をいただいている。

作品は暖炉の上に飾っていただいたが、場所を得るとはまさにこのことで、その場に作品が来るのを待っていたかのようであった。
他にもいくつか展示予定があるようで、早くも次の個展を心待ちにされている。

次のお宅まで多少時間があるので鎌倉近代美術館に寄ってみる。
お目当てだった加納光於展はすでに終わっていて見ることが出来ず残念。

この美術館は来年には閉館になるそうだが、存続の声もあがっていて、なんとか残す方向に向かうことを願う。

次に向かったところは、以前にも先代が集めた古美術の処分を頼まれたところで、今回は鹿児島寿蔵という人形作家の作品である。
人間国宝にもなり、人形作家の第一人者として知られ、ボーラ美術館やメナード美術館に多数コレクションされている。

かなりの数を先代が集めていて、その中には代表作と言われるものもいくつかある。

私にとっては全くの門外漢で、その評価はできないが、以前にたまたま鹿児島の作品をまとめて購入するところがあり、その窓口を頼まれたこともあって、これも何かのご縁とお手伝いさせていただくことにした。

ただ、壊れやすいものだけに、お預かりするのも冷や冷やなのだが。



12月10日

昨日はロータリーのクリスマス家族会に孫娘が初デビュー。

最初緊張してたのか固まっていたが、次第になじんできて、美味しい料理やアトラクションに大はしゃぎ。
サンタさんからたくさんのプレゼントをもらってこれまた大喜び。
実はサンタは大の苦手で長いひげが怖いのか、そばに来ると大泣きするので心配したが、取り越し苦労だった。
フルートとバイオリンの演奏の時には一人舞台に上がって、曲に合わせて躍り出す始末で、すっかり主役の座を奪ってしまったようだ。

出たがりな性分はおじいちゃんゆずりなのかもしれない。。



12月9日

本来なら既に始まっているはずの山本麻友香のソウルでの個展が2月の旧正月明けに延期になった。
延びるのは制作する作家にとっては有難いが、私のところは年間でスケジュールを組んでいるので、いきなり延期と言われると当惑してしまう。
今回もテグのフェアーの折だから一ヶ月前のことである。

心配になって、来年の秋に予定されているアムステルダムの美術館での山本の展覧会の件も問い合わせてみると、何と延期して欲しいとのメールが来た。
これも問い合わせて初めてわかったことで、問い合わせなければそのままの予定で進めてしまうところであった。

どちらも実施するのは間違いないので、ほっとしているが、先日は来年の4月に予定をしていた韓国の作家の個展がキャンセルとなってしまった。
作家のマネージメントをする方と作家がもめてしまって、そのとばっちりがこちらにやって来た。
いきなり電話で事情があって、キャンセルしたいと言って来られて、ただ唖然とするしかない。
どうしても4月のいい時期に広いスペースでと頼まれ、お世話になっていることもあって、やりくりして決めたことなのだが。
今更、そこを埋められる作家もいないので、急遽若手のグループ展をすることにした。

かくのごとくで、振り回されるばかりだが、うちでは2年先までのスケジュールを決めていて、病気とか余程のことがなければ変更することはないのだが、連中は人の迷惑顧みず、行き当たりばったり、出たとこ勝負なのだろう。

山本麻友香の延期になったソウルの個展の出品作を紹介する。



12月8日

昨日はシドニーの子供達を連れて、富士山五号目へドライブ。

曇り空で心配したが、下界の雲間を抜けると、5合目は快晴。
来ているのはほとんど外人観光客で世界遺産効果か。
間近に迫る雪に覆われた富士山の偉容に子供達も目を奪われる。

混雑する売店でまずはシドニーの両親に葉書を書いて、富士山郵便局のポストに投函。
名物の富士山の空気がいっぱい詰まったと銘打つ富士山メロンパンを食べてみることにした。
ふわふわでこれは美味しいので、孫の土産に買い込む。
土産物の棚に富士山の空気の缶詰が置いてある。
1000円と表示されていて、貧乏性の私は即座に深呼吸を繰り返す。

戻って夕方には温泉に入り、二人は大喜び。
小一時間露天風呂に入りっぱなしで、のぼせて倒れるのではと心配するほどであった。

今が真夏のシドニーからやってきた二人には冬の富士山は記憶に残る一日となっただろう。



12月7日

室越、河内の両方の個展が今日で終了。
作品はとてもいいと思うのだが、最初にいくつか売れただけで、その後は売り上げに結びつかない。

室越の作品は東洋的な抽象と言ったらいいだろうか、静謐感漂う画面はとても魅力的なのだが、今の時代は海外で評価のある作家以外は抽象作品に目を向ける人は少ない。
河内のほうは鉛筆による超絶的な細密画で、画面を食い入るように見つめる人は多い。
テーマになっている寓話の世界が心に響くと思うのだが、深く重過ぎるのか、今は軽めの可愛い、綺麗が主流のようだ。

二人ともキャリアのある作家なのだが、これまた今の時代はキャリアが邪魔をする時代になってしまったようだ。
元々うちは若い作家を紹介していくのを特色としていて、室越も芸大院を卒業してすぐに新宿の画廊で紹介して以来の付き合いで、その間に多摩美の教授になるなどキャリアを重ねて今に至るが、その中にあって、今回の発表が一番充実しているように思えるのだが。

今注目されている若手作家が、30年、40年のキャリアを重ねた後、室越のように更に高いところにあるかのどうか?
私達に求められるのは今より先の可能性、そうした作家を紹介していくことではないだろうか。

12月6日

シドニーから上の娘が8年間ホームステーでお世話になった家の息子さんが友達と我が家に来ることになった。

早朝に成田到着し、リムジンバスで新宿駅西口のバス停来ることになっていたのだが、約束の時間を過ぎても現れない。
携帯電話を成田で借りたはずだが連絡がない。
さあ困った、16歳の子供二人が行方不明。
連絡の取りようがないので、家内がバス停に残り、私が家に帰ってその子の実家に連絡を取ることにした。
家に着く直前に向こうの母親から家内の携帯に連絡が来て、同じ西口でもバスではなく、電車の改札口でずっと待っているとのこと。
やれやれ一安心で、家内が二人の子供を連れてようやく我が家に到着。

友達のお母さんが日本人と言うことで、そのお母さんと連絡がついて事なきを得たが、初めての新宿で二人の子供が路頭に迷ったらと思うとぞっとする。
彼は多少に日本語ができるといったが、ほとんど私達には通じない。
私の単語だけを並べる英語も、オーストラリア英語には通じないのか、手話状態だが、何とかなるだろう。

我が家に1週間いて、その後スノボーをやりに北海道ニセコに行く。
こちらにいる間に、先ずは秋葉原、ディズニーランド、原宿、銀座に行きたいそうで、日曜日は河口湖に連れて行くことになっている。

下の娘もショートステーで1ヶ月半お世話になったこともあり、恩返しのつもりで面倒を見てあげようと思っている。
と言っても、食事から何からほとんど家内が世話をするので、私は偉そうなことなことは言えないのだが。

12月5日

山の中のゴルフとあって、スキー同様の支度をしたが、無風快晴のポカポカ陽気で、心配は無用となった。
かなりの確率で悪天候となる私には珍しいくらいの好天気で、帰りに悪いことが起こらなければいいのだが。
ゴルフ場は群馬では一番の名門倶楽部で、誘ってくださった旅館の社長もすぐ目の前にあるにもかかわらず、敷居が高過ぎて今回初めてのプレーだそうだ。
そんな素晴らしいところに招待していただき、恐縮至極である。
スコアーについては多くを語らないが、楽しい一日を過ごさせていただいた。

社長は野球の独立リーグというプロ野球のマイナーリーグといったらいいだろうか、地域に密着したプロ野球組織があるが、新たに埼玉県熊谷市をフランチャイズとした野球チームを立ち上げる準備をしていて、そうした忙しい最中にお誘いいただいたことに心より感謝申し上げる。
発足はもう少し先になりそうだが、埼玉熊谷市の市民球団と言うことで、熊谷市民はもちろん、埼玉県民の方も是非サポーターとして応援してあげてください。



12月4日A

もう一つのお届け先は伊香保温泉の旅館。

先だっての台北アートフェアーに社長を招待させていただい折に購入してくださった横田尚の作品を届ける。
ここには既に横田の作品が2点が納められれていて、これからも横田を応援してくれるという。

のんびりと温泉につかり、おいしい食事をご馳走になり、言うこと無し。
明日は温泉のすぐそばのゴルフ場でゴルフをすることになっている。



12月4日

今日は榛名と伊香保に作品のお届け。
榛名の手前の老人介護施設は芸術と共生をテーマに施設の中に多数の彫刻と絵画が展示されていて、その中でも小林裕児と伊津野雄二の作品が多くを占める。
今回も伊津野の作品を2点納めることになった。
その一つは海神というタイトルの今までになく彩色を施した作品で、一番人気の作品であった。

大きさ故にあきらめた方も多かったが、施設のお年寄りにとっては何よりのプレゼントになったことだろう。





次に向かうのは伊香保町で、途中に榛名湖があり、その先に榛名富士が見える。
人影もまばらな湖畔に立ち、富士山を二回りも三回りも小さくしたような可愛いらしい榛名富士の絶景を一人占め。



旅館に行くにはまだ間があるので、近くにあるハラミュージアムアークを訪ねる。

ここは現代美術コレクションで知られる原美術館の分館で、牧場に隣接したところに磯崎新設計の黒塗りの板塀で囲まれたような木造の建物がミュージアムである。
デザインも牧場のサイロのような形をしていて、よくある奇抜なデザインで周りの自然と不釣り合いなものではなく、ゆったりとした空間にうまくマッチしたミュージアムである。

庭にはウォーホールのキャンベルスープ缶の立体や横浜トリエンナーレやヴェネツィア、サンパウロなど多くの国際展に招かれるデンマーク出身のオラファー・エリアソンのステンレスとプリズムガラスで造られたドームなどが点在している。
館内は三室に分かれた現代美術展示室と他に古美術の展示室がある。
ご多聞にもれず、草間や奈良があるが、カプーアやマックス・ストリッヒャーの作品もあって見応えのある展示となっている。

古いものでは応挙の絵巻が素晴らしく、伏見から天満橋までの淀川の流れと川沿いの景色を16メーターの画面に描いた大スペクタル絵巻なのだが、長すぎてその一部しか見れない。
時間の動きとともに表情を変える空や水面の色を細やかに描写していて、一部を見ただけでも十分堪能出来る。
現代美術と古美術を違和感なく見ることが出来て、いいものは時代を超えてともにあるものと実感させられた。





12月3日

久し振りに麻布十番に出かけた。
親しくさせていただいている新潮社装幀室の高橋氏、アートソムリエの山本氏、アートコーディネーター御子柴氏の企画で、それぞれが推薦する作家が自分で選んだ本の装幀画を描く「文学とアートの出逢い」と題した展覧会を、私どもで発表をしている屋敷妙子も出品していることもあって、見に行ってきた。
赤い靴の銅像が置かれている広場の目の前の小さな画廊でやっていた。

この街は3年、4年生の時に通った三田の大学から近いところにあったこともあって懐かしく、子ども達が小さい頃には三幸園という今は立派なビルになってしまった焼き肉屋によく連れて行ったものである。
帰りには浪花屋の鯛焼き、豆源の揚げ煎餅を買って帰るのが定番コースであった。
今日も浪花屋の鯛焼きをと寄ってみたが、定休日なのか閉まっていた。
焼きトンのあべちゃん、たぬき煎餅も当時のままで、お屋敷町と下町の風情が混在とした不思議な街がそのままにあるのが嬉しい。

丁度昼時、大学の同期がやっている蕎麦屋の老舗・永坂更科本店で蕎麦を食べることにした。
以前に誘われてゴルフをして以来で、今日も会うことは出来なかったが、各所に支店を出して活躍しているようだ。

麻布十番も以前は最寄りの駅がなく不便なところだったが、地下鉄が通るようになってだいぶ行きやすくなり、今度は久しぶりに子供達家族を連れて焼き肉屋に行ってみることにしよう。







12月2日

来年のカレンダーが出来上がってきた。

今年は9月に個展をした呉亜沙の作品が12ヶ月を飾る。
私共で発行して20年近くになるだろうか。
毎年、私共で発表をしている作家を紹介していて、お客様にも大変好評を博している。

私共が関わっている作家全てを順番に紹介したいのだが、私共のカレンダーを友人の会社がロゴだけ変えて採用しているため、そちらの意向もあって、色のないものや抽象的なものは使うことができない。
それでもずいぶん多くの作家がこのカレンダーに登場し、皆さんの卓上に飾らしていただいている。

毎年楽しみにしている方も多く、多くの場で必ず飾られているのを見ると、出す側の苦労も報われるというものである。
また年末年始の挨拶代わりに使われる方もいて、まとめて持っていかれる方も多い。

因みに500円で販売しているが、お世話になった方には差し上げることにしているので、どうぞお申し出いただきたい。
ただし、部数に限りがあるので、ご希望の方は早めのお申し込みを。



12月1日

いよいよ師走。
いつも書いているが、歳とともに一日は長く、一年は早い。
今年も残すところ後一ヶ月。
日々に追われ振り返る暇もないが、今年一年何があり、何をどうしたか、正月にでも日々の日記を読み返しながら振り返ってみたい。

昨日は、河口湖に出かけてのんびりしてきた。
朝晩は零下となり例年より早い冬を迎えているが、昼間はぽかぽか陽気でシャツ一枚でも充分。

抜けるような青空の中を散歩に行って来た。
眩しいほどの光に映える富士の姿は一段と美しく、真っ白な富士の峰が照り輝いていた。

私の住まいに併設しているスパがしばらく閉じていたのだが、ようやく11月から再開し、河口湖での楽しみがまた一つ増えた。
それほど大きくはないのだが、かえって人が来なくて、のんびりと透明度の高い温泉につかることができる。
サウナ、ミストサウナもあって、まだピカピカのスパを独り占め。
朝晩の冷気の中の露天風呂もこれまた最高。

疲れを癒し、さあ後一ヶ月頑張って仕事をして、一年の締めくくりとしたい。



11月30日

柳画廊の野呂さんの「今の美術業界を考える」・「ハーブ&ドロシー」の記載から引用させていただく。

私は一作目の映画は見たが、自分の部屋に入るサイズ、自分で買える範囲の価格だけが基準で、後は自分の審美眼を頼りに購入を続け、膨大なコレクションとなった。
結果ミュージアムクオリティーになりえたのは、常に先、先を見据えていたからだろう。
多くはどうしても流行や人気に流れがちだが、その先を買うことで、低価格で、より取り見取りに多くの秀作を手に入れることができる。

私共のお客様にもお二人、数千点に及ぶコレクションを美術館に寄贈している方がいるが、どちらも時流とは全く無縁に集めたものばかりであった。
ミュージアムクオリティーかどうかはわからないが、ハーブ&ドロシー夫妻と共通するものがある。

野呂洋子「今の美術業界を考える」

ハーブ&ドロシーという実話のアメリカの夫妻のお話です。
それも2作目の映画を先日アメリカからの帰りの飛行機で拝見してきました。
郵便局員と図書館の司書という公務員の夫妻が、アメリカ現代アートの大コレクターとして生涯を全うするという、ある意味、現代版コレクターのシンデレラストーリーです。
見逃してはいけないのは、この二人が決して裕福な出身ではなく、さらには高給取りのサラリーマンではなかったということです。
さらに付け加えて言うならば、この二人は自分たちのコレクションを決して売らなかったということです。

実は、自分の持っているコレクションが莫大な財産になっているにもかかわらず決して売ってお金を儲けようとしなかったという姿勢が彼らの評価を高めていることは重要なポイントです。
そして、その姿勢が絵描きさんからの評価を高めるだけでなく、画商も含めた多くのかたからの信頼と審美眼の高さを裏付けすることになっています。
映画の中で、作家がハーブとドロシーに感謝の言葉を告げるシーンが多くみられました。
画廊の立場でいうと、作家から直接購入することが多いボーゲル夫妻ですが、彼らは決して販売目的のため絵描きさんから直接購入するのではなく、逆に、ボーゲル夫妻がこの絵描きさんの絵を購入したのだ、という事実が画廊の立場からすると営業トークになるわけです。
そういう意味で、彼らの行っている行為は美術の市場を作っているのであり、アメリカ現代美術の立役者の一人であることが理解出来ると思います。
美術市場というのは、画商だけで作るのではありません。
ボーゲル夫妻のようなコレクターがいて、初めて美術市場が盤石なものになるわけです。
映画の最後では、ご主人のハーブが亡くなり、残されたドロシーが作品の収蔵先の美術館に、細かく連絡をとり、HPに掲載されたかどうかの確認や実際に足を運んで、寄付した作品の絵描きさんとのシンポジウムを行ったり様々な活動をされています。
ある意味、このご夫妻は人生全てを芸術に捧げたのであって、芸術家以上に芸術活動に身を置いたのだと私は理解しています。

改めて美術市場を作っているのは芸術家だけでなく、コレクターの存在が重要であり、その周りにいる画商や美術雑誌や批評家も含めて、関係者の全てが芸術家と等しく、芸術活動をしているのだと思っています。

11月29日

昨日はお客様のお宅に作品のお届け。
初めてのお宅で、それも彫刻の大作だけに、上手く作品が収まるかどうか不安だったが、無事終了。

絵画と違って立体はある程度空間が必要なこともあり、更には生活空間だと応接セットや何やらで余計にスペースが取れないのだが、お客様の指示で部屋の隅にうまく収めることが出来た。
横には100号の大作が飾られていたが、それとも上手くマッチし素敵な空間となった。

明日土曜日には別のお宅に100号の正方形の作品を届けて、展示をすることになっているが、こちらも大きな作品なので2トン車を借りて運ぶことになっている。
大きい上に額縁も入っているので、エレベーターに乗るかどうかが心配で、乗らないと高層階にあるお部屋まで階段で運び上げなくてはならない。
聞いてみると、荷物用エレベーターがあるというが、かなりの大きさなので、出たとこ勝負で行くしかない。
私では役に立ちそうにもないので、男性のスタッフとアルバイトの若い子に行ってもらうことにしたのでやれやれ。

来週はこれまた大きな彫刻を群馬の介護施設に運ぶ事になっていて、運送業が続く。
それでも、その後お届けするところが伊香保の温泉旅館で、そこでご主人に一泊するように言われていて、更には翌日にはゴルフにも誘われ、こちらは温泉とゴルフのお楽しみ付きお届けとなった。

体力勝負の仕事できついこともあるが、昨日の夜も遠方から来られたお客様に美味しい食事をご馳走になり、この仕事なかなか辞めることはできない。



11月28日A

新聞に政府が進める独立行政法人改革のうち、国立美術館5館と国立博物館4館・文化財研究所3機関が属する国立文化財研究所の統合に反対する声が強まっているとあった。
既に経営合理化が進み、統合で更に予算が削られると、展示企画や調査研究への影響が懸念されるためである。

博物館大会での反対決議や自民党政調文化伝統調査会でも反対の決議をしていて、両独法を所管する文化庁の青柳長官も「中韓両国が文化の海外輸出姿勢を強めており、日本も強化すべき時期に、その担い手を弱体化しては日本の文化が揺らぐ」と反対している。

昨今、行政の文化に対する前向きな動きが感じられていただけに、逆行するような由々しき問題である。

民主党政権時代に美術館と別の独法を加えた再統合が閣議決定されたものを安倍内閣が凍結し見直しに着手したのだが、前述のような統合案が浮上してきた。
民主党の仕分けパフォーマンスがとんだところで尾を引いていたものである。

全面的に廃案として、それぞれの美術館機能を高める方向に向かって行ってほしい。

11月28日

季節ごとにやっているロータリーの友人仲間との食事会。

昨夜は銀座の老舗おでん屋「やす幸」に集まった。
すき焼き、寿司、イタリアン、フレンチ、和食割烹と品変え、所を変えては、美味しい料理を味わっているが、酒が飲めないのは私だけで、いつも割り勘負けしている。
世界のワイナリーを巡るようなワイン通が何人もいたり、日本酒の利き酒ソムリエがいたりで、みんなそれぞれ蘊蓄を語るのだが、私だけはウーロン茶で門外漢。

飲めたら楽しいだろうなとは思うが、身体が受け付けないのだからしょうがない。
体質なのだろうが、弟は一升酒どころか,二升酒でどうやら遺伝体質とは違うようだ。
どちらにしても飲めないだけでなく、酒自体が美味しいと思わないのだから、他人の酒の話を黙って聞いている他ない。

67年ずっと飲まないできたのだから、その分お金が貯まりそうなものだが、貯金通帳は減るばかりで、一体どこに消えてしまうのだろう。

11月27日

今朝は海外に行ってからさぼっていた早朝散歩を再開。
歳のせいか、帰った早々は元気だったのだが、日が経つにつれて疲れが出てきて、早起きの私が起きられない日が続き、食欲だけはあるので、太る一方。
これではいかんと、今日は気合を入れて5時過ぎには起きて、女房が起きてくるのを待って散歩に出かける。

起きてしまえば何ともなく、朝の冷気が心地よく、身体もシャキッとしてきた。
連休に行っていた河口湖とは違い、代々木公園の紅葉は今が盛りで、もみじや銀杏が色濃く染まり、それは見事であった。

早起きは三文の得というが、身体にも良く、眼の保養もできて、朝から元気盛り盛りで、画廊に出勤。



11月25日

一泊二日で河口湖で大学のヨット仲間とゴルフコンペ。
10月にやる予定だったが大型台風襲来で延期し、紅葉の見頃は過ぎてしまったが、ひと月遅れでやることになった。
連休にかけての日程とあって、それぞれに予定が入っていたようで、参加者は7名と寂しい会となってしまった。

河口湖は朝晩零度と真冬の寒さだったが、昼間は暖かく、富士山と散りかけてはいたが紅葉の美しさに見惚れ、温泉に食事にゴルフ、気のおけない仲間との語らいは何にもましての楽しいひと時となった。

先週は参加出来なかったが、小学校と大学のクラス会があり、年末も学生時代の仲間の忘年会と旧交を温める機会が多くなった。
年齢を増す度に、暇な連中も多くなって、こうした昔の仲間との付き合いが多くなってきたが、零細企業の親父はそうはいかず、時間をやりくりしては出かけるのであった。

11月23日

知人の会社の創立60周年記念パーティーに出かけた。
一中小企業が60年も継続発展することは、時代の変化や新たな価値観が生まれる世の中にあっては大変なことで、心からお祝い申し上げたい。

振り返って我が業界を見てみると60年を迎える画廊はそれほど多くはない。
古美術商のように物を扱う業種では三代、四代と続くところも多いが、作家と関わる近代美術系の画廊ではそうはいかない。
日本画商には古いところも多少あるが、洋画商では60年を超えるといったら私がお世話になった梅田画廊や日動画廊くらいではないだろうか。

去年、今年と老舗洋画商がいくつか店を閉じた。
長い不景気と後継者がいなかったりとその要因はいくつかあるだろうが、一番は価値観の多様化に付いていけなくなったのではと思っている。

逆に美術雑誌にも特集が組まれくらいに、新しい画廊がいくつも誕生している。
新たな価値観に対応すべく、その意気高しで、価値観を共有していた時代には考えられなかったことである。
その当時よく言われたのは、絵描きあがりやコレクターあがりが画廊をやっても成功しないと。
画廊経営を商売と割り切れず、作品に対する思い入れやこだわりが邪魔をして失敗するケースが多かった。

それが今では群雄割拠、コレクターも作家も、更には業界のしがらみもない素人も、自由にそれぞれの思いで画廊経営を始めている。
私はそうした風潮は大歓迎だが、そこから50年60年と続けていく画廊がどれくらいあるだろうか。
安易に始めたところも多く、それだけに簡単にやめていくところも多いのでは。
流行り廃りのサイクルもますます速くなるだろうし、それに対応していける画廊がどれくらいあるだろうか。

私も父親のところを入れると創業50数年になるが、他人の事より後継者のなり手がいない自分の心配をまずはしなくてはいけない。

11月22日

昨日は知人の息子さんでタレントをしているYさんの個展を見に六本木のヒロミヨシイ画廊に行ってきた。

彼はよく私のところにも遊びに来ていて、作品も見せてもらっていた。

タレント業とともに漫画家としても活躍していて、絵画もプロ級の腕前である。

美空ひばりやマリリンモンロー、マイケルジャクソンなど内外の俳優や歌手を表情豊かに描いていて、見応えのある展覧会となっている。

本人には会えなかったが、念願の初個展を開催することが出来て、さぞかし喜んでいることだろう。

11月21日

改めて、明日から始まる室越展と河内展の作品の一部を紹介させていただく。





11月20日 A

台湾、韓国の日記に写真を載せたので、興味のある方はずっと戻っていただきご覧いただきたい。

11月20日 

先週土曜日に小学校と大学のクラス会があり、どちらも海外出張から帰ったばかりと展覧会の最終日でお客様が多数お見えになったこともあって欠席をした。

昨日には早速二つのクラス会の様子報告がメールと手紙で送られてきた。
どちらも大勢の参加者がいたようで、その時の楽しげな様子が伝わってきた。

小学校は2クラスしかなく、人数も20数名と少なく、それだけに今でもみんな親しくお付き合いをさせていただいている。
会えば、ターちゃん、プッちゃん、モッちゃんとあだ名で呼び合う仲で、担任のD先生も健在で出席された。
先生は金八先生みたいな人で、生徒達皆に愛情もって接してくださり、私達が皆尊敬してやまない先生である。
80歳を超えられているが、東工大の名誉教授となった今も大学でのお仕事をされている。
そんな先生のもとへ今回もほとんどの生徒が集まった。

それぞれの近況報告の中にこんな事が書いてあったので紹介させていただく。
我々も歳をとったものである。



大学も担任のI先生をはじめ20数名が集まったそうで、多くが地方出身者で地元に帰っている連中が多い中にあって、かなりの人数が集まったようだ。
みんな定年となり、時間に余裕が出来たからだろうが、当時は学園紛争の真っ只中で授業もままならず、顔を合わせる機会も少なく、卒業後はそれほど深い付き合いがなかったのだが、よくこれだけの人数が集まったものだ。
地方出身者も多いことから、クラスメートの故郷訪問というのがあって、今年は鳴子温泉の老舗旅館を経営するU君のところを数名が訪ね、観光とゴルフを楽しんだそうだ。
今年は松本出身のA君を訪ねることが決定したそうだ。

私も参加したいのは山々だが、現役なのと海外に行くことも多くて参加がままならないのと、どういうわけかこうした集まりが土曜日になってしまうことが多く、画廊の一番の書き入れ時とぶつかり、出席できなくなってしまう。
出来れば、日祭日にやってもらうと有難いのだが。



11月19日

今日は金曜日から始まる二つの展覧会の飾り付けをした。
韓国からスタッフがまだ帰って来ず、他のスタッフも台湾の残務整理に追われ、久しぶりに家内と二人で展示をすることになった。
広いほうのスペースでは室越健美が自ら展示をと言っていたが,そうもいかず、私達で手伝うことにした。

モダンな画風は相変わらずだが、以前に比べ画面が整理されてきたようで、シンプルになった分、余計に洒落た画風になってきたように思う。
高島屋の個展の時に見たボックスアートがとても印象に残っていたが、今回も3点出品してくれていて、私の好みと合致した世界を展開してくれた。

奥のGTUは作家が来ないので、適当に展示したが、本来展示は作家が立ち会うべきで、作品ただ並べればいいというものではないが、多忙では仕方がない。
河内良介の鉛筆画による夢想の世界が描かれていて、その巧みなデッサン力には驚かされる。
紹介があって、私共では初めての個展なのだが、かなりキャリアもある作家で、是非その卓越した描写をご覧いただきたい。



11月18日

サッカーJリーグ創設の功労者で、現在日本サッカー協会最高顧問の川渕三郎氏から「夢があるから強くなる」と題した講演をロータリークラブの例会でしていただいた。

テレビの放映もない、観客も2,3千人入ればいいとこ、社会人チームも10くらいしかない、ワールドカップ出場などは夢のまた夢、アジアの弱小国でプロのサッカーチームを全国に創ろうなんて、何を寝ぼけたことをと非難囂々の中からスタートして、今の隆盛を迎えるまでの苦労話を熱っぽく語っていただいた。
一つのことを極める人の話は、胸に響くものがあり、後1時間でも2時間でも聞いてみたかった。

夢は見てても、それを実現する意志と情熱がなければ実現することはなく、川口氏の迫力ある話しっぷりから、それを伺い知ることが出来た。

11月17日

韓国テグのフェアーも今日で終了。

最後まで盛り上がりに欠けたフェアーで、盛り上がったのは夜の飲み会だけだったようだ。

とにかく韓国の画廊さんは酒が強く、爆弾というビールに焼酎を混ぜ、これを一気飲みで廻していく。
日本の画廊のスタッフの女性が一人、これで翌日、一日中寝込んでしまった。

全く飲めない私は助かるが、これが毎晩続くからなまじ飲める人はたまらない。

売れようが売れまいが、こんな具合で韓国の画廊さんはいたって元気だ。
日本の画廊はそうはいかない。
高い費用をかけて参加しているだけに、人が来ない、売れないでは元気も出ない。

至れり尽くせりのおもてなしで断りづらいが、来年のテグの参加は見合わせようと思っている。

11月16日

GTAでの平野栄作個展も最終日となった。

今回は企画ではなく、貸しとして会場を提供したが、大変素晴らしい内容で、会期前から楽しみにしていたお客様もおられ、初めての個展としては大成功であった。

平野は年齢は既に40代後半を過ぎているが、新人といっていいほどキャリアが殆どなく、二紀、新制作、国画などの団体展に一度出しているだけで、画廊も一枚の絵のコンクールに出した程度で、美術界との関わりほとんどないといっていい。
それだけに、いい意味では純粋培養されていて、世間ずれしていないのだが、私達の感覚からすると世間知らずと言っていいだろうか、ピントが合わないところもあって、一から手ほどきをしなくてはならなかった。

ただ作品は描写力、表現力共に素晴らしいものがあり、団体展で見た印象が強烈に残っている方も多く、そういう方達が100号をはじめ点数はそれほどでもないが買っていただいた。
団体展で印象に残るというのは、極端に言えば砂浜でコインを見つけるようなもので、彼の作品をそうした中から見出したお客様の眼力には敬服するしかない。

これからは私のところでマネージメントをしていくつもりでいるので、少しづつご期待に応える作品を描いてもらおうと思っている。



11月15日

伊津野雄二展が好評だ。

初日だけで海外に行ってしまったので、その後の様子がよくわからなかったが、じっと見入る人、何度も見に来る人と、感銘を受けた人がたくさんいたそうだ。

伊津野が表紙を飾った「歓喜の仔」の作者・天童荒太氏もその一人で、次のような文章を寄せてくれたので紹介させていただく。

天童荒太

私も初日に伺いました。
風・陽の光・時間を感じます。
地中海やエーゲ海に差すような、まばゆい陽光のもとから生まれ、潮風に磨かれ、時間の堆積に耐えて輝く、その美しい彫刻の顔は、一方では、み仏の静謐さと品格も漂います。
この、神々しさに満ちた女性像たちのほほえみは、俗なるものを見ていない。
そのずっと先、あるいは高み、より深みに、真に大切なものはある、と語りかけてきます。

彫刻のカタチは、象徴的なものへ凝集していくかのようです。
見つめているうち、彫刻のカタチより、作り手の畏敬の念そのものが、そこに存在しているかのように感じられてきます。
それは、生命への畏敬であり・・・もっと生命をなす以前の、起源となるもの、根源的なものへの畏敬のように思えてきます。

「何故それが美しいのか・・・何故それが美しいと感じるのか」
拝見していると、問いかけがしぜんとこみ上げてきます。
いや、美しいからだ・・・これを美しいと感じる自分が確かにあるからだ・・・。
問いかけは、自分に戻り、美を感じる自分を肯定できる喜びにいたります。

今ここに存在しているということ、世界がやっぱり存在し、未来が確かにあるのだということを肯定できる喜びを、伊津野作品はもたらしてくれるのです。

このような伊津野さんの作品に拙著を飾っていただけたことを、改めて幸せに感じた個展でした。

展覧会は明日までだが、お時間のある方は是非お越しいただき、天童氏が感じた世界を、あなたの目で今一度確かめていただきたい。

11月14日

いよいよ海外巡業の旅も今日で終了で帰国の途に。

最終日まで残らないのでなんとも言えないが、台湾と韓国のアートマーケットの状況を如実にあらわした旅であった。

今年も釜山、光州、ソウル、大邱と韓国のフェアーに参加したが、結果はまあまあとしても、台北と比べると売り上げやお客様の反応は格段の差があった。

ソウルや釜山は来場者も多く、まだ可能性は残しているが、光州、大邱は会場もがらがらで、出展者へのサービスは行き届いても、人を呼び込む面で今ひとつ力不足のように思う。

地方コレクターも大都市のフェアーには行っても、地元にはなかなか行かず、この辺も難しい面があるようだ。

今ひとつは韓国では各都市でフェアーがあったり、ソウルでは形は変えても似たような内容のフェアーが毎月のようにあって、お客様にもまたかといったマンネリ感があるのかもしれない。

経済が下降しているのと、美術に対する優遇税制も変わりつつあることも影響しているのだろう。
確かにリーマンショック前のソウルのフェアーは台北以上の活況を呈していただけに、バブル崩壊以降の日本の美術市況と同じ道を辿っているのだろうか。

ただ日本は美術関係が全て転けてしまったのと違い、元気のいい画廊も多く、業者対象のオークションに依存する日本の特殊な体質とは違っている。

台湾もけっして経済がいいということではないいが、美術市場が伸びてきたのはリーマン以降で、投機的なダメージが少なかったことが今の活況に繋がっているのだろう。
それと富裕層だけではなく中流層の生活レベルの高まりが新たな購買層の拡大に繋がっている。

日本のサラリーマンコレクターが増えていった1990年以降と似た状況なのかもしれない。

僅かな時間でそれぞれの国の状況を判断するのは難しいが、今回の私が感じた市況感である。

さて、我が国はどうなっているのか、すでに冬を迎えたそうだが、私が海外に出るのも悪いといいながらも日本よりはいいだろうとの思いと、もう一つはグローバル化の時代にあって画壇やキャリアと無関係なところで作家達の評価を得たいとの思いがあるからなのだが、それにしてもますます孤立化する日本の状況を打ち破る努力もしていかなくてはならない。

帰ってからの試練が待ち受ける。

11月13日A

何事もなく1日が終わった。
ただ、これは想定内で、韓国のある著名物故作家の版画を20点近くを持ってきていて、早速にお付き合いのある画廊さんに買っていただき、ブースフィーだけは捻出できた。

夜は画廊協会の招待で毎年恒例のツルニンジン料理をご馳走になった。

ツルニンジンは朝鮮人参より栄養があるそうで、魚料理や肉料理などとともにとても美味しくいただいた。

こうした接待もあって、何の成果もない日本の画廊さんにはおもてなしを受けに来たと思ってあきらめるようにと言っておいた。

私は明日帰るが、週末の人出に期待して、せめて運送費などの経費だけでも出てくれればいいのだが。

11月13日

朝早くからホテルにあるサウナに入って汗とともに台北の疲れを流してきた。
台北ではずっとシャワーだっただけにサウナの後の大きな湯船は極楽極楽。

すっきりとして会場に行ったが、昨日同様に閑古鳥が鳴いて、こちらはすっきりしない。



お陰で各ブースをゆっくりと見て廻ることが出来た。

台北で立体が売れていたこともあって、立体作品がどうしても目に入ってしまう。
その中にLEDを使った大きいオブジェ作品があって一目惚れ。

私にとっては大きいうえに高額過ぎて迷ったが、台北式に値切り値切ってみたら、それでいいと言うので引っ込みがつかなくなって買う羽目に。

相変わらず光ものに弱い私だが、家に帰ってこんな大きいのをどこに置くのと怒られるのは目に見えている。

台北みたいに忙しいと何も買わなくてすむのに、暇がいけない。

11月12日A

韓国に到着したがむちゃくちゃ寒い。
蒸し暑かった台湾からだから、余計に寒さを感じる。

空港に大邱の画廊協会の迎えの車が来ていて助かるが、暖房を入れてくれというのが通じず、ラジオをつけてくれた。
あきらめて震えながら会場に到着。

オープニングパーティーも既に終わっていて、会場にはお客様らしき姿を見かけず閑散としている。



どうやらパーティーもお客様は少なかったようで、台北の賑わいが嘘のようだ。

食事はお決まりの焼き肉を招待されて、冷えたからだには熱々の焼き肉が何より。

ホテルも事務局の招待で無料なのだが、何とスウィートルームが用意されていた。
あまりに広過ぎて、一人ではなんとも落ち着かないが、大邱の画廊協会の配慮には感謝で、お客様が少ないなんて文句を言ってられない。

明日からの一般公開に期待して寝ることにする。

11月12日

朝一番で郵便局へ行って日本へ荷物を送らなくてはいけない。

ホテルのすぐ目の前なのだが、昨日も会場からホテルまで台車でエッチラオッチラと運んで、腰をおかしくしたので、タクシーで行くことにした。
ところが韓国の道路はやたら広くて、すぐ横の交差点を曲がれば1分とかからないのに、曲がることができずに大回り。

それでも郵便局からだいぶ離れたところにしか停めることができず、結局は郵便局で台車を借りて、エッチラオッチラ運ぶ羽目に。

これならホテルから台車で運ぶのと変わらず、何のためにタクシーに乗ったのかわからない。

朝から一汗かいて、私は韓国に向かうことにした。
零細の社長は自ら台車を押して荷物を運ぶのであった。

11月11日

台北アートフェアーも無事終了。
何度も書くが、10数年の海外アートフェアーでこれほど売れたフェアーはない。



今日も大作や高額な作品が何点か決まり、それも殆どがカードか現金で、残りも今週末には振り込み予定と、こんな有り難いことはない。

開場前に半分ほどのブースを見て回ったが、地元や日本の画廊はどこもよく売れていて、特に目立つのは立体の大きな作品がかなりの点数売れていることである。



私のところも立体作品は完売で、更に多くの新作の注文もいただいた。
日本と比べても、はるかに小さい国なのに、どれほど大きな家に住んでいるのだろう。

台湾の経済も下降気味というが、アートの購買欲はますます旺盛で、今回買っていただいたお客様も殆どが初めての方で、それも若い夫婦が多く、この辺をどう分析したらいいだろうか。

ただ韓国の画廊は苦戦していたようで、韓国のテーストがまだ台湾では受け入れられていないようだ。
私どもでも一人韓国の作家を紹介したが、日本人作家に比べると人気がなく、かなりの点数を制作してくれたが、買ってくださったのは韓国と日本から来たお客様だけで作家には申し訳ないことをした。

横田尚を買ってくれた上海の女性と来年の中村萌の展覧会をしたいという台北のK氏。



フェアーの内容もだいぶ変わってきていて、抽象やコンセブチャルなものを展示する画廊も増えてきて、質的にもかなり高くなってきている。

あまり時間がなかったので、いつものように記念の一点を買うことは出来なかったが、ロンドンのギャラリーが出していた作品に目がとまった。
写真で紹介するが、大きな壁面にぼつんと飾ってあって、きっと高いに違いない。



まぁこんな具合でフェアーも終わったが、後片付けが大変。
知り合いの画廊のスタッフさんや通訳さん、展示の時に手伝ってくれた事務局の若い子達が一緒になって片付けてくれたが、終わってみるとどの画廊も帰っていて、お客様から誘われた食事もキャンセル。

会場近くやホテルの周りのお店も皆閉まっていて、モスバーガーで済ますことになり、ホテルに戻ると12時近くになっていた。

腰は痛い、脚はだるいで、明日朝早くに韓国に向かうが、体が持つだろうか。
韓国はすでに零下になっているそうで、昼間は30度近くあった台湾とは大違い。
風邪をひかないようにしないと。
貧乏暇なし画廊の海外巡業は続く。

11月10日

日曜日も午前中はそれほどでもなかったが、午後からは人が途切れず、食事は買ってきたパンで済ますことに。

そんなわけで他のブースを見る暇がない。
話では他の日本のギャラリーも概ね好調のようだ。

今までと違うのは北京、香港のギャラリーが多数参加していることである。
前回までは殆ど参加せず、台湾の画廊に聞くと、中国国内で売れ過ぎて持ってくる作品がないんだと冗談を言っていたが、そろそろ中国国内で売れなくなってきたのか、台湾コレクターが本土の作品を買うようになってきたかのどちらかだろう。 更にはヨーロッパの画廊も多く参加してきていて、ますます日本だけがドメスティックフェアーと化してしまいそうだ?

夜はスタッフと作家さんを誘っていつも行く夜市にある鉄板料理を食べに。
一人千円で食べきれないほどの美味しい肉や魚介類、野菜が出てきて、その上ソフトドリンクがフリーときている。



食後はこれまた安いマッサージへ。
40分で1500円だから毎日通いたいくらい。ただ、展示日の後に行ったマッサージ屋は目の不自由な、いわゆる按摩さんが多く、しっかり揉まれて悲鳴があげるが、我慢我慢と手を緩めず、翌日は筋肉痛に。
ここだけは避けなくては。
すっきりしゃんで明日の鋭気を養い、いよいよ最終日を迎える。

11月9日

朝一番にいきなりキャンセルの話が。
人気のあった作品だけに腹がたったが、幸い後になって別の方に買っていただき事なきを得た。
それにしても本人ではなく部下を寄越して言ってくるとは卑怯千万。

昨年も同じような事があって、今回は必ず内金をとるようにしていたのだが、その時だけはめちゃくちゃ忙しい時でうっかりしてしまい、そんな時に限ってこうした事が起きる。

当たり前のように値切るのとあわせて、これもお国柄と思ってあきらめるしかない。

そんな事もあったが、今日も大勢の人が詰めかけ、売れ行きも好調で、こんな事は今までのフェアーでも経験した事がなく、一体どうなっているのかとほっぺたをつねっている。

そんな中、招待したお客様や作家さん達は一人を残して、今日の便でみんな帰ってしまい寂しくなったが、台湾を堪能していただいたようで、お誘いした甲斐があった。

夜はいつも世話になっている運送会社の招待で、日本の若い画廊さん達と台湾家庭料理を満喫した。
連日のご馳走で、ベルトの穴がまたひとつ増えてしまったが、明日の夜は懲りずに夜市の鉄板料理に行くことになっていて、これまた安くて美味しく、帰ってからの体重計が恐ろしい。

11月8日

来てからずっと曇り空が続いていたが、今日は朝から快晴。
熟睡のお陰で頭すっきりで爽やかな朝を迎えることが出来た。

今日から一般公開。
昨日同様に、何でもない普通の人と言ったら怒られそうだが、そんな感じの人が、これくださいといった風に買っていってくださるのには驚かされる。
逆に昨年まで買ってくださったコレクター方達をあまり見かけないのはどうしたことだろう。

今夜は台北アートフェアー20周年ということで、会場近くのホテルで盛大なパーティーがあって、食べきれないくらいのフルコースディナーが催された。

招待のお客様や作家さん達とともにご馳走と民族音楽の夕べを堪能した。
それにしても、かなりの数のお客様をこのような豪勢なパーティーに招待するとは、主催の台湾画廊協会のパワーにはひれ伏すしかない。
今夜もそんなわけで、ホテルには遅くに帰ることになり、早寝の私にはきつい夜が続く。



11月7日

今日は3時から9時まで特別招待日だが、細々とした準備があり、9時から立体を展示したり、なんやかんやで、あっという間に開始時間となってしまった。

開場と同時に大勢の人が入って来た。
ソウルを始め韓国のフェアーの招待日はどこも閑散としていて拍子抜けだったが、台北は大違い。
どんどんブースにやって来ては、次々に作品を買っていってくださる。
長いアートフェアーの経験でもこんなことは初めてで、休む間もなく、最後の最後終わりの9時を過ぎても買って下さる人がいて、終わってみると何と20点以上の作品が売れていた。
展示してあるものだけではなく、作家のアトリエにおいてある木彫の1メートル以上の大作3点までもが予約が入るといった具合で、更には赤印のついている作品をどうしても欲しいという人もたくさんいて、帰ってからの制作依頼もいくつも受けるといった具合で、盆と正月が一度に来たような嬉しい1日となった。

若い夫婦やとても買いそうに見えない普段着の女性がまるで野菜でも買うように、これ下さいといった風に気楽に買っていくのにはいやはやびっくりした。

今回の作品のセレクションと小品を多く飾ったことも功を奏したのかもしれない。
昨日同様に座る時間もなく、すでに2日目で疲労困憊だが、有り難いことである。
嬉しいことに手伝いに来てくれた作家さんの作品も満遍なく売れ、終わってからのご招待をしたお客様も交えた居酒屋での夕食会も大いに盛り上がり、何はともあれ幸先のいいスタートとなった。
昨日はあまりの足腰のだるさにマッサージに行ったが、今日はそれさえ行く体力もなくなり、ただ寝るだけ。



11月6日

昨夜遅くに台北に到着。思っていた以上に蒸し暑い。
ホテルは会場のすぐ目の前で便利なのだが、部屋は狭く、ダブルベッドが部屋のほとんどを占領している。

今日は昼から8時まで展示に充てられている。

会場がすぐそばとあって、飛行機に持ち込んだ荷物と郵便で送った荷物をホテルで借りたオンボロ台車で運ぶことにした。
近いとはいえ、大きな荷物を6個口運ぶのは足腰の弱ってる私には一苦労で大汗。

展示も今回は小品をたくさん持ってきたので、100点以上になるだろうか。
全部は飾れないが、それでも壁一面にぎっしりと並べる。
作家さんはみんな展示には間に合わないようで、スタッフの諸田と二人で始めなくてはならなかったが、見かねたのか周りで見ていたフェアーのスタッフの若い女の子達が、最後まで手伝ってくれて無事終了。

他のブースではそんな光景は見られず、椿は豪勢に展示要員をたくさん雇ったと思った画廊もあったようだ。

どうも私を見ていると若い女の子達が助けてあげたいオーラを感じてしまうようだ。
気を良くして明日の本番を迎える。





11月5日

台北、テグと長逗留で、始まったばかりの伊津野展が気になるが、朝から大作に予約が入り、これで安心して行くことが出来る。
初日もかなりの作品が売約となり、幸先良しとは思ってはいたが、これが売れたら言う事無しと思っていた作品が売約となり、こんなうれしいことはない。
海外のフェアーもこの勢いでうまく行くといいのだが。

少し早いが、12月に予定されている綿引展の折にスペシャルコンサートを開催する。
「月と小夜曲」と題して、世界で活躍するサクソフォン奏者・須川展也、アンサンブルピアニスト・小柳美奈子によるリサイタルが開かれる。
華やかなクリスマスのイルミネーションに包まれる一夜を音楽と絵画のコラボレーションで楽しんでいただきたい。

席に限りがあるので、お申し込みの方は早めにご予約をいただきたい。
因みに1ドリンク付き2000円となっている。



11月4日

明日の夕方からは、台北のアートフェアー、韓国テグのアートフェアーと掛け持ちで、10日ほど画廊を留守にする。
伊津野雄二個展、平野栄作個展と内容ある展覧会が続き、心残りだが、留守をスタッフや家内に任せて行ってくることにした。

台北はまだ蒸し暑いようで、逆にテグはだいぶ寒くなってきていて、着ていくものも困っているが、それ以上に温度差と長丁場のフェアーで体調管理には充分注意しなくてはならない。
幸い、私とスタッフ以外にも何人もの作家さんが応援に駆けつけてくれるので、その方達の力を借りて、多少は楽をさせてもらおうと思っている。

台北はスーパーVIPというのがあって、出展する画廊から何組かのお客様を紹介すると、会場の隣にある高級ホテル「グランドハイアット」を二泊サービスしてくれることになっていて、ウエルカムパーティーや正装でのディナーパーティーにも招待される。
他にも美術館ツアーやギャラリーツアーなどに参加ができ、至れり尽くせりのサービスが受けられる。
私どもからは韓国のコレクターと二組の日本のコレクターが招待されることになっていて、台北のアートを存分に楽しんでいただきたい。

台北では初めての試みとして、100点近い油彩と写真の作品を一つの壁面にぎっしりと展示することにした。
台北だけではないが、海外では大きな作品が売れるケースが多く、今までは100号前後の大作ばかりを持って行っていって、それなりの成果は上げていたのだが。
ところが最近は、経済が下降気味で富裕層の売り上げに一抹の不安があることと、逆にアートに関心を持つ人は多くなり、入場者数は毎年大きく伸びていることもあって、そういう人たちに手に入れ易い作品を並べることで、売り上げ点数を増やし、次につながることを期待している。
折角の出会いがあっても、金額や大きさであきらめることがないように、新たなコレクター層の拡大になればと思っている。

韓国もかなり経済が下降している中で、それでも私のところは光州、ソウルと好調だっただけに、テグにも期待しているが、ディーラー相手のセカンダリー用の作品も加えて、経費倒れにならないことも念頭においておかなくてはいけない。
テグでは、来年春には山本麻友香の個展も予定されていて、その前宣伝もしなくてはならず、関係画廊と共にプローモートの準備もを進めて行かなくてはならない。

忙しい10日間になりそうだが、老骨に鞭打って頑張っていくつもりである。

滞在記は出来るだけ書いていきたいと思っているが、多少のタイムラグがあるのはお許しいただきたい。

11月3日

日本シリーズも最終戦までもつれるという大熱戦。
残念ながら最後は我が巨人軍は完敗。
3番、4番が打てない、先発投手が全て先に点を取られる状況で、よく最終戦まで持ち込んだといったほうがいいだろう。
楽天は逆に闘将星野監督の下、投げるべき人が投げ、打つべき人が打つといった具合で、これでは我が巨人軍は勝てるはずがない 。

それでも球史に残る熱戦で、球場に足を運んで見ることもでき、私の心に刻まれた最高の日本シリーズであった。

田中投手をはじめ楽天選手の頑張りは、東北の人たちに勇気と元気を与えたことは間違いない。
心からおめでとうを言うと共に絶大なる拍手を送りたい。

巨人の対戦相手をこれほど清清しく見る事は今までになかったことで、来年もいいライバルとして日本シリーズで戦えることを願っている。
出来うれば、田中投手に日本に留まってもらい、田中投手を打ち崩すことで、我が巨人軍が真の日本一になることを期待している。

11月2日

伊津野雄二の出版記念パーティーは大勢の方に来ていただき大盛会であった。
パーティーに出席できなかった方も朝からお越しいただき、私はお昼を食べ損なってしまうくらいであった。

来ていただいた中には、伊津野作品を装丁に使っていただいた文学関係の方もたくさんおられた。
その中のお一人・朽木祥さんは児童文学で多くの受賞歴があり、偕成社刊「八月の光」の表紙に伊津野作品を使っていただいた。
更には、ご家族でお越しいただいた直木賞作家・天童荒太さんの幻冬舎刊「歓喜の仔」上下巻の表紙にも伊津野作品が使われている。

明日文化の日には、この「歓喜の仔」が毎日出版文化賞を受賞することになっていて、伊津野雄二個展と重なりこんなうれしいことはない。

この出版文化賞は今年で67回目で、村上春樹「1Q84」、浅田次郎「終わらざる夏」、村上龍「半島を出よ」等の話題作が受賞をしていて、「歓喜の仔」も既に150万部を超えるベストセラーとなっている。
昨年の受賞作は赤坂真理の「東京プリズン」で、この本の表紙も私共で展覧会を重ねる夏目麻麦の作品が使われた。

2年続けてのご縁で、同じように私共で最古参の作家である望月通陽の装丁でも直木賞、芥川賞を始め多くの受賞歴がある。
出版社の方もジンクスではないが、本の内容もさることながら、是非私どもの作家の作品を使うことで、受賞への道が開けることを知っておいていただくと大変有難い。
ご用命をいつでも承ります。





11月1日A

明日から7回目となる伊津野雄二彫刻展を開催する。

知多半島の自宅から車に彫刻作品を載せて、はるばるやって来てくれて、今ようやく展示を終えたところである。
どの作品も甲乙つけがたい秀作ばかりで、会場全体が端正な美しさに包まれている。

近代彫刻の系譜に入るのだろが、現代美術の中に入っても十分通用する時代を超えた存在感がある。
著名な舟越桂の作品も父親の保武から受け継いだ近代彫刻の流れを受け継いでいるのだが、作者が意識として現代を目指すことでコンテンポラリーアートの仲間入りをしているように思う。

伊津野にはそんな思いはなく、自然や音楽や詩から身につけたありのままを具現化しているだけで、近代よりは古代の彫刻作品に通じる神秘ともいえる流れを汲んでいる。
きっと古代エジプトの石像や奈良・京都の仏像のノーブルな美しさが 、伊津野の原点なのだろう。

ただ、磨き上げられたかのようなきめ細やかな肌合いと彫り残した荒々しさの絶妙な対比に、どこか現代の不安定な状況を感じさせるものがあり、古代と現代が入り混じった独特の世界が伊津野の立ち位置といっていいだろう。

今回は先にも書いたが、初めての作品集も刊行され、密やかに制作し、ささやかな発表を続けてきた伊津野の彫刻が広く認知される機会となれば幸いである。





11月1日

昨日は、お客様から日本シリーズ巨人楽天戦の貴重なチケットをいただき、私にも増して大巨人ファンの娘婿を連れて、観戦に行ってきた。

熱戦の末、延長戦で巨人がリードされ、最後は怖くて見ずに帰ってきたが、案の定抑え込まれて敗戦となってしまった。
私が見に行くと負けるというジンクスは未だに生きているようで、そうだとするとお客様のご好意を無にして、他の人に行ってもらったほうが良かったのかもしれない。

まあ婿殿と楽しく観戦できたのが救いで、明後日は何とか無敵の田中投手を倒して、最終戦に持ち込んでほしいとも思うが、東北の人たちのことを思うと、ここは楽天に花を持たせて、東北を勇気付けるのもいいかもしれない。
丁度、ボストンのレッドソックスがチャンピオンとなって、テロで沈んでいたボストンの町が熱狂的興奮に包まれたことの再現が東北で起こるのだろうか。



10月31日

昨日は、前日に続いて東京美術倶楽部で文化芸術振興議員連盟と文化芸術推進フォーラム主催による『2020年、文化芸術立国に向けて「文化省の創設を考える」』 題してシンポジウムが開かれた。

文化芸術フォーラムは音楽・演劇・著作権協会などの実演芸術、映画、美術家連盟や昨年から参加させていただいている全国美術商連合会など15団体で構成されていて、人々に文化芸術の創造・鑑賞・体験機会をつくりだし、文化芸術を生かし、文化芸術の豊かな国、日本を世界にとのビジョンを掲げ、当面の大きな目標として「今こそ、文化省の設置」を訴えている。

シンポジウムには文化芸術振興議員連盟の会長の自民党・河村建夫をはじめ各副会長として自民党・塩谷立、民主党・枝野幸男、日本維新の会・松野頼久、公明党・斉藤鉄夫、みんなの党・松田公太、共産党・市田忠義が参加し、文化に対する熱い思いが語られ、超党派で文化省創設に取り組む強い姿勢が感じられた。

正直、省を設置するにはコストがかかり、省庁再編の動きに逆行するが、先進諸国の中で文化省がないのは日本だけで、2020年オリンピック、パラリンピックに向けてスポーツ庁が創設される動きがある中で、文化省創設の機運も高まってきた。
与野党対立が当たり前な議会において、共産党まで賛同してそうした動きに拍車をかけているだけに、後は総理大臣の決断と財務省のお役人を説き伏せるだけであるが、この財務省が最大の難関である。
私は海外出張で出席できないが、10日には財務省のお役人との会議も予定されていて、何とか文化省創設に向かっての理解を示していただきたい。



10月30日

昨日は文化庁のお役人との懇談会で、東京美術倶楽部に出かける。
文化庁からH氏、日記で紹介した文化庁の提言素案「文化芸術立国」実現に向けてをボランティアでお手伝いしている弁護士のK氏、もう一人文化庁から来られるはずだったが所用で欠席。
全美連からは会長の浅木氏をはじめ私を含め役員が6名出席した。
文化庁の提言と我々業者側の考えのすり合わせというところから始まったが、若手のお役人が志を持ってこういう問題に立ち向かってくれることは、この上なく嬉しいことで、今後も一緒に日本が文化芸術立国として世界に羽ばたく日が一日も早く実現することを期待している。

ただ、この素案が現代美術を念頭において練られたものだけに、古美術、近代美術に関わる業者にとっては満足いくものではなく、業者全体の関わる税体制の改革にも文化庁と一緒に取り組んでいくことも申し添えた。
もうひとつの問題が、何度もいうようだが、折角素案にも取り上げられた現代美術の業者の対応である。
一部の業者は、全美連とは一線を画して、自分達だけで対応しようとしていることである。
何故そこまで頑ななのかは分からないが、700名を越す会員と蓄積された潤沢な資金があり、全国の美術に携る業者を一本化しようとしている団体と、何故一緒に行動しようとしないのか全くわからない。
理想の旗を掲げては離合集散する革新政党と同じように思えてならない。
その野心は良としたいが、目指すところが一緒なら同じテーブルについてこそ、その志が達成できると思うのだが。

因みにそのやり取りの一部がフェースブックに出ていたので紹介させていただこうと思ったが、どういうわけかそのやり取りが削除されていた。
どこか後ろめたいことがあるのだろうか。

10月29日

山本麻友香の新作三点を本人が持ってきてくれた。
一点は台北のアートフェアー用、2点はソウルの個展用の作品である。
ソウルは以前に個展をやってくれたSPギャラリーで 12月3日から30日まで開催される。

今日は、画廊に来る日にあわせて、4月に個展をしてくれた韓国・釜山の画廊・ギャラリーWOOの一家が来日し、彼女と久し振りに会うことになった。
釜山でもまた来年大作の個展をやりたいとのことだが、4月に韓国・テグ、秋にはアムステルダムの美術館と画廊での展覧会の予定があり、私のところもどうしようかとスケジュールの調整に頭を痛めているところなので、来年は多分無理だろう。

韓国も不景気で、以前からの付き合いのある画廊からも展覧会の話がなくなってきているなか、こうして頼まれるのは有難いことで、韓国での彼女の人気が伺える。



10月28日A

昨日は、日本橋・京橋まつりの片づけを終えたあと、神宮外苑で開催されているデザインフェスタに出かけた。

神宮の杜に巨大なテント村が出現し、そのなかに毎年恒例のタグボート主催のアーティストが出展するアートフェアー「TAGBOAT ARTFES 2013」が開かれている。

ここでは画商による審査が行われていて、私も毎年楽しみに作品の審査をさせていただいている。
昨年はいま一つ目に付く作品がなかったが、今回は2,3気になった作家がいた。
その一人が台湾の写真家・王建揚で、彼の作品はキャラクターやフィギュアーの中に厚化粧の裸婦を登場させるといった強烈なインパクトを持った作品である。

この作品には見覚えがあり、今年の春のヤングアートタイペイの折に、中村萌の作品を気にいったお客様が、ご自分の会社の広告に使っているのを見せていただいたことがある。
フィギュアーとかキャラクターグッズをデザインしたり、輸入販売する会社を経営していて、主催するサブカルフェスタに来年特別ブースで中村萌の出展を依頼された。
そんなこともあって印象に残っていたのだが、偶然にもその作品に再会すると共に、作者の王君も来ていて紹介をされることになった。
これも何かの縁と、賞候補の一人に挙げようと思っているが、さてどんな結果となるだろう。



10月28日

初台のN様のお店にお買い上げいただいた大作を納めに行ってきた。

お店は初台駅前商店街にあるうなぎ屋「赤垣」で、美味しいうな重をいただいた。
こんなに美味しい鰻は久し振りで、あっという間に完食。
初台のオペラシティーミュージアムに行った折には是非訪ねていただきたい。



10月27日 B

呉亜沙が原宿界隈と代官山で開催されている企業コラボアートに参加している。

30数軒のショップの空間をキャンバスに見立て、企業とアーティストがコラボレーションした作品を多様なプログラムを用いて展開する。
呉亜沙は靴屋のTOMS・STORE・TOKYOに数人の作家と共にズック靴?にペインティングした作品を発表。
靴のつま先を合わせると、書かれた女の子と男の子がキスするようになっている。

男女一足づつしかないので買おうと思ったが、関係者が先に買うのはまずいので、残ったらにしようと思うが、残らないだろうな。



10月27日 A

台風一過、秋晴れの中を日本橋・京橋まつりに参加した。

町興しの一環として頼まれて、大江戸市場と銘打ったエリアに北村奈津子のワークショップを出店した。
用意した動物に色付けして、身体に毛糸を巻いてぬいぐるみのようなものを子供達に作ってもらおうと頑張ったが、目の前に全国からゆるきゃらが集合して、子供達はそっちに行ってしまい、私のところは閑古鳥。
折角準備をしてくれた北村には大変申し訳ないことをした。
出店ももっとたくさん参加してくると思ったが、10店ほどで、パレードやゆるきゃらの華やかさの割には地味な大江戸市場であった。

何とかお手伝いをしたいとは思うが、こうした催しの中ではギャラリーの限界を感じる一日となった。



10月27日

昨日の文化庁の提言「文化立国宣言」に関連して、東京美術倶楽部役員の本庄俊男氏がフェースブックで森信茂樹先生の講演の模様を伝えているので引用させていただく。

東京美術倶楽部において、「消費税引き上げに伴う諸問題」を 大蔵省出身、中央大学法科大学院教授の 森信茂樹先生の講義を聞いた。
税制に関する出版物が多い消費税導入の時から関わりを持った方だけに造詣は深い。

世界3位のGDP大国である日本が、国債等による借金大国に成っている現状から行って増税は免れない。
だからと言って、我々零細業者は軽減税率に縋ろうとするが、ここにもインボイス導入の枠がはめられる。
つまり、仕入れ先の証明が義務付けられる...。作家や顧客からの仕入れに関わる事です。
作家は原価の証明だけしか出来ないし、顧客の原価証明は非常に難しい。先祖代々のコレクションを売れば、買手の我々が消費税を原価証明出来ない全額を負担しなければ成らなく成ります。
高額商品に成れば成る程その大きな負担は次の買い手のお客さんの負担にお願いする事になります。つまり、商品が売りにくく成るという事です。
この事を含めて間接的な税制優遇政策を求めて行かなければ、業界存亡の危機を乗り越えられません。

週明け、文化庁の見識者とその辺の事に対して、ご意見を聞く機会を 全美連(全国美術商連合)として持ちます。

それを踏まえて、公益法人 日本芸能実演家団体協議会と文化芸術推進フォーラム主催のシンポジウムに臨みます。
(場所は30日東京美術倶楽部)
文化芸術家が一団と成って消費増税に対して意見交換をおこないます。

以上だが、消費税増税が私達業者だけではなく作家、コレクターに及ぼす影響も大きく、軽減税率・相続税・物納制度・寄付控除を含めた税制改正を叫ばなくてはいけない。
私も文化庁の方たちとの会合、文化芸術推進フォーラムに出席することになっている。

10月26日A

台風も今日の午後にはおさまりそうで、明日の大江戸活粋パレード 第四十一回日本橋-京橋まつりも実施されそうだ。
ギャラリー椿も大江戸市場として中央通りで北村奈津子のワークショップを出店する。
お子様連れで是非いらしていただきたい。



10月26日

文化庁が美術・アートの振興を通じた「文化芸術立国」の実現に向けてという素案を作っている。

「文化芸術立国」実現のために”今”すべきこととして次の三つを上げている。

@”ヴィジョン”の提示と共有
 「こんな日本にしたい」という目標の明確化

Aシステムの転換(制度設計のやり直し)
 ◎目標へと国民を促す制度の創設
  美術品に係る税制、教育制度(鑑賞教育)等
 ◎制度的な障害の除去(規制緩和)

  B財政支援手法の見直し
 ◎”選んでお金を出す”から”伸ばすべき沃野を下支え”へ
  「補助金支出主体」から「租税支出主体」への転換

日本の現代アートを巡る状況を文化庁は次のように認識している。

@世界のアートマーケットで高く評価される日本人作家が出現ー草間、村上、奈良、杉本、河原など100万ドルを超える日本人アーティスト

A近年、現代アート展への入場者数が急増。特に若い世代からの支持が広がってきているー高橋コレクション12万人、奈良美智展27万人、会田誠展50万人

B優れた「作品」も「作家」も日本に残らない可能性が高い現状

    ・日本に現代アートのマーケットが育っておらず、日本人作家を買い支える日本人のコレクターが極めて少ない
 ・日本にコレクターが育たない最大の原因は税制ー寄付、相続の税控除が何もない
 ・財団設立に対する優遇税制措置がないことから、財団を海外に設立する流れが起きている

C巨大な現代アート作品に対応できる収蔵空間の不足

D地理的不利な日本の現状ー日本人作家の海外展の輸送コスト、渡航費・時間等のハードルが高いー世界と同じ土俵に立てるよう下支えする公的支援の枠組みが必要。

以上を踏まえて、省庁の再編、税制改革、予算拡大に取り組み始めている。

このことは長年私が講演やレポートで言い続けてきたことだが、文化庁がこうした提言をしてくれることは、私達美術業界にとっては大歓迎で、こうした問題に取り組むべく、国会議員、文化庁、財務省などとの会議が予定されていて、私も出席させていただく。
ただ、文化庁の取り組みが現代美術に特化していて、これに対応する構成メンバーが古美術、近代美術の業者が主体であることに難しさがある。
古美術、近代美術があっての現代美術であって、この辺をどのように治めていくか、また現代美術に関わる業者がもう少しこうした現状を認識して、同じテーブルについてくれることを期待したい。

    10月25日A

伊津野雄二彫刻展を11月2日から16日までギャラリー椿にて開催する。

伊津野の個展は私共以外にも名古屋画廊、神戸・ギャラリー島田、新潟絵屋等で開催されているが、今回その4社が協力して芸術新聞社より画集「光の井戸」が発刊されることになった。
心の彫像、安らぎの韻律と本の帯にも書かれているように、慈愛に溢れ、ノーブルな美しさに包まれた安らぎの作品の数々が多数おさめられている。

伊津野雄二 作品集「光の井戸」
芸術新聞社刊 / 2,500円(税別)

文中の作者の言葉より抜粋

・・・・・・・
・・・・・・・

僕たちに何が出来るだろうか この手はかたちにふれるよろこび

そしてまた かたちをつくることをよろこぶ

彫刻は かたちという言語でかたられるものがたりには違いないのだが

いや かたちそのものなのだが しかしおそらく彫刻はかたちではない

かたちでないものをつくるのに僕たちは かたちしか使うことができない

・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・

心とかたちが おなじものであればどんなにすばらしいか

かって人々が祈りのなかにもとめたかたち、 もうひとつの現実としての

imageが 人々の厳しい現実、運命をからくも生きぬくことを

たすけたように このこころのなかのかたちが 今も生きるための力を与える

ものであることを切にねがう。

出版記念レセプションを、11月2日(土)5:00PMより、ギャラリー椿にて開くので、是非とも皆様のお越しをお待ちいたしている。



10月25日

11月7日に迫ってきた台北アートフェアー出品作品

金井訓志 赤い帽子

屋敷妙子 蝶

真条彩華 女性画



10月24日

昨日はミュージアムの帰りに軽井沢の別荘を見てきた。
両親が亡くなって、今は長男が住む自宅を私が、別荘を弟が相続したことや、1時間で行ける河口湖に行くことが多くなり、10年以上訪ねることはなかった。
軽井沢会のテニスクラブも名前だけを連ね、ほとんど行くことがなく、一昨年退会してしまい、益々縁遠くなってしまった。

父親自慢の苔が絨毯のように覆う軽井沢独特の庭も、恐らく荒れ果てているだろうと思っていたが 、弟がきちんと手入れをしているのだろう、落ち葉で覆われてはいたが当時のままの風情を残していた。
家のほうは、とにかく昭和初期の建物で、昔ながらのガラス窓から見る景色は歪んで見え、天井には古い布で覆われた電線が巡り、電灯の傘も白磁といった具合で、全くの昭和レトロである。
広い家と庭で、学生の頃は夏休みに行くと、立て付けの悪い雨戸の開け閉めだけで小一時間かかり、庭掃除、芝刈り、苔庭の雑草取りと父から言い付かり、折角の夏休みが台無しとよくこぼしていたものである。
細い道を出ると一本道を隔てて軽井沢銀座があるのだが、そこの喧騒が嘘のようにあたりは森閑としていて、夜一人だと怖いくらいである。

苔が一面に生えるくらいだから、夏の湿気はかなりあって、洗濯物も一日では乾かない。
変わりに夏が終わると、爽やかなからっとした気候となり、秋の紅葉のあたりまで一番いい季節となるが、学生時代は無論のこと、仕事をしだすようになると、なかなかそうした時期に行くことができず 、じめっとした夏の軽井沢しか知らない。
父親は4月の始め頃から紅葉が終わる11月初めまで、晩年はほとんど軽井沢で過ごしていた。
若い頃に大病ばかりしていた父にとって、軽井沢は何よりの安らぎの場所であり、軽井沢を愛してやまない父であった。
母親は不思議な人で、父親がいる頃はあまり軽井沢に行かず、父親が亡くなってから、ひと夏を陶芸にいそしんでいた。
軽井沢の西の御代田というところに大きな穴窯を造り、身体ほどもある陶器のオブジェを作っては焼いていたものである。
私も今ようやく、その当時の父親、母親の年になったが、未だにあくせく働いており、 いつになったら両親のような 優雅な過ごし方ができるのだろうと、別荘を振り返りつつ思うのであった。



10月23日

呉亜沙の大作を三点納めに軽井沢に行ってきた。

軽井沢には父親の昭和初期に立てられた古い別荘があり、30数年前には軽井沢に毎年夏季だけの画廊を出していたこともあって、馴染み深いところなのだが、父親が亡くなってからは行くことがなく、もう10年以上になるだろうか。

今回買ってくれたのは、ホワイトストーンギャラリーの社長で、偶々画廊に訪ねて来て一目で気に入り、大きい作品を購入してくれた。
軽井沢に一年半前にホワイトストーンミュージアムを設立し、そこに展示をしてくれると共に、来年5月のゴールデンウィークを挟んで個展したいとの依頼もあって、納品方々美術館を見ようと出かけることになった。

軽井沢駅から旧軽銀座に向かう一等地にあって、想像以上の大きくモダンなガラス張りの建物で、イタリアンレストランや広いミュージアムショップ、ウェディングが出来るスペースもあって、いやはや驚いた。
2階がミュージアムスペースで草間弥生、奈良美智、舟越桂、千住博、井上有一、サイトウマコトと六つの広い部屋に分かれていて、1階は四つの広いスペースがあり、そこで個展形式の発表をしている。
呉亜沙にはその四つのスペースを全部使ってもらえないかとのことであったが、あまりに広すぎて、果たして全部は埋められるかは本人に聞いてみないとわからない。
案内の後、レストランの手製のケーキと美味しい料理をご馳走になりながら、軽井沢でのこの美術館のコンセプトと将来に向かっての構想を聞かせてもらった。

社長のS氏は出る杭は打たれるで、業界では色々な噂が絶えないが、自宅がすぐそば、テニスクラブも一緒、ゴルフクラブも偶々同じクラブのメンバーということで、プライベートでご縁があったが、軽井沢のミュージアムを見て、改めてお話を聞いて、この大きな仕事を一代で築き上げたことはどの画商にも真似することはできない偉業といっていいだろう。

軽井沢は既に秋の色を濃くしていて、美術館の前の紅葉も赤く染まり、霧が立ち込める軽井沢独特の風景の中に浮かぶミュージアムは素晴らしいの一語に尽きる。







10月22日

またまた大型台風がやってくる。
金曜、土曜に予定していた大学のヨット仲間のゴルフコンペも中止になりそう。
私がセッティングをしていたので、悪天候は予想はされたことだが、まさかこんな時期に二つ続けてやってくるとは。

更には日曜日に予定されている日本橋京橋祭りの一環で参加する中央通りでのワークショップも怪しくなってきた。
北村奈津子に頼んで、親子でワンコインで楽しめる作品制作をやってもらうことになっていたが 、折角の準備が台無しになってしまう。
福島の被災地からも物産を運んでくる予定だが、わざわざ来てくれて中止では気の毒である。
何とかそれるか、弱まるかしてもらうかしかないが、異常気象には勝てそうにもない。

明日は軽井沢に納品に行ってくる予定で、こちらは何とかなりそうだ。
長いこと軽井沢には行っていないが、両親が残した山荘が旧軽井沢にあり、主がなくなった家がどうなっているかも見に行ってこようと思っている。

10月21日

現役の学生に頼んでおいたヨット部のユニフォームが送られてきた。
約50年前にタイムスリップ。
高校、大学とヨットばかりやっていた頃が懐かしく思い出され、当時のアルバムを久し振りに引っ張り出してきた。
その当時の部員とは未だに集まることが多く、今週末もゴルフコンペをやることになっている。

我々の時代はぼろぼろのシャツにジーパン、ゴム草履といったみすぼらしい格好でこんな洒落たヨットパーカーを着ることはなかった。
船の種類も変わり、今はとても怖くて操縦することは出来ないが、当時は家にいるよりは合宿所のあった高校は横浜、大学は葉山で寝泊りし、学園紛争をいいことに学校にも行かずに海にいることが多かった。
勉強もろくにしない、ノンポリ学生で、今に思うともう少し勉学に励んでいたらと後悔するが、それでもよき青春時代を過ごせたことに感謝している。



10月19日

昨日はキムソヒの個展を見る前に独立展、二紀展を見てきた。

大量の作品群に圧倒されながらも、今年は今までになく時間をかけて見ることにしたが 、それでも2階どまりで、3階までは行き着かなかった。

見た感想はというと、押しなべて時代性、社会性が感じられない。
今を象徴するもの、将来を暗示させるものといった風に訴えかけるものが少ない。
旧態然としていて、新鮮味に欠けるといったらいいだろうか。

そこまで突き詰めなくても、美しいとか胸に響くといった素直な感動を呼び起こすものがあまり見当たらないというのが、率直な感想である。

そんな中で、名前もキャリアも知らないが、私が目を引いた作品をいくつか紹介する。





10月18日

今日から私のところで週に一回アルバイトをしてくれているキムソヒの個展が下記の要綱で始まった。

飽食、受験戦争、交通問題など文明社会の弊害をユーモラスに表現していて、そのメッセージが胸に響く。
彼女は多摩美の博士課程を今年卒業したが、今までの留学生の中でも秀逸といわれる才女で、作家でなければ私のところの正社員にしたいくらい優秀な女性である。
11月には彼女の故郷でもあるテグのアートフェアーにもいくつか作品を展示する予定でいる。

南青山・ギャラリーウーゴズ
10月18日(金)〜26日(土)
12時−18時(最終日17時まで)*日曜休み





10月17日

私共に長い間勤めていた寺嶋由起が独立してすぐに浅草橋に画廊を設立したが、半年後に立ち退きとなり、新たな場所を探すことになった。
そしてようやく、日本橋に新たなスペースが見つかり、先週の土曜日にオープンの運びとなった。

その場所は偶々、私の以前の画廊の目の前にあった理髪店が立ち退きとなり、移転をした場所の目の前のビルであった。
移転後も私は毎月その床屋さんに通っていたので、偶然とは言え、縁があるものだと驚いている。

以前のスペースは広くていい空間だったが、場所が不便で私もオープンの時に行ったきりで、人の流れがあまりない所だった。
今回はスペースは狭くなったが、そのぶん地下鉄の駅からも近く、行きやすい場所となったので、かえって彼女にとっては立ち退きが幸いだったかもしれない。

オープニングは私共の展覧会の初日とぶつかり行くことができなかったので、今日ようやくのぞくことが出来た。
私共で発表した作家も何人か出品しているが、これからは独自の作家を見つけ出し、彼女のカラーを活かして、そこでしか見れない展覧会を企画していってほしい。
道のりは険しいが、是非頑張って、さすがギャラリー椿に居たんだといわれるようになれば、私の鼻も高々である。

10月16日

10年に一度の超大型台風ということで、今日は仕事にならないとあきらめていたが、朝9時ごろには雨も上がり、風も止んできたようで、ほっと胸をなでおろした。
各地には被害もたらしたようだが、幸い家や画廊は無事で、都会の有難さを噛み締めている。

今日は組合の臨時総会の予定だったが、交通がストップしたために関西方面の画廊さんは来ることができずで、総会はお流れ。
総会の後のオークションは私も出品予定の作品がたくさんあったが、そんなこともあって参加者が少なく、半分くらいの作品が売れ残ってしまった。

台風の影響といえばそのくらいだが、この会があるために先日の日記で書いた岩手の知的障害施設への慰問に行くことができなくなってしまったのだが、、台風は参加した仲間を追いかける形で、どんどんと北に進み、無事訪ねることが出来たか心配である。

会では、版画の新たな贋物が出たとの報告があり、本物と贋物の2点が紹介されたが、一目見ただけでは全くわからない。
吉原治良の代表的な版画作品で、欧米で高い評価を得るようになった具体美術の主宰者ということもあって、価格も高騰していることからこうした贋物が出てきたのだろう。
草間弥生のかぼちゃ作品も多くの贋物が出回っていて、これも有名税の一つなのかもしれない。

因みに、携帯で撮った写真でわかりにくいが、本物と贋物の写真を掲載させていただく。
前者が本物だが、その違いがお分かりいただけるだろうか。
実際に比べてみると、贋物の方が色が鮮やかなのと、紙が白くて新しい。
サインも比べれば違いがわかるが、贋物だけを見たらきっとわからないだろう。
古今東西、贋物の話は数多くあるが、苦労の割には大して報われないのが世の常である。



10月15日

日曜日の鈴鹿サーキットでは、昨年に引続き画廊に訪ねて来てくれた○○テル選手が今期5連勝でワールドチャンピオン4連覇が目の前となった。
画廊に来ると、何でもない普通の青年で、命を懸けた勝負師とはとても思えない。
ヨーロッパではモータースポーツは日本のプロ野球みたいなものだそうで、そのトップに23歳から君臨しているのだから大したものである。
あまりに強すぎて、優勝してもブーイングが起こるというから、どんなに凄い選手なのかが伺える。

彼が画廊にやってくるまでは、F1レースには全く興味がなく、シュウマッハやセナといった名前だけしか知らなかったが、今回は初めて鈴鹿のレースをテレビで観戦した。
スタートが遅れて3位スタートとアナウンスされるが、どの車に彼が乗っているかもわからず、ただぐるぐると物凄いスピードでコースを廻るのを見ているうちに、いつの間にか寝入ってしまった。
何処で二人を抜いたのかもわからず、翌朝の新聞で優勝を知った。
6万人以上の観客が入ったそうだが、目の前をあっという間に通り過ぎるだけで何処が面白いのだろうか。
6万人という来場者は例年に比べると少なく、いつもは10万人以上が詰め掛けるそうで、好きな人は色んな所にいるものだ。

来年また来るよと言って画廊から帰って行ったが、来年もうんと賞金を稼いで、たくさんの絵を買いに来てほしい。

10月14日

連休は河口湖でのんびりとというわけにはいかなかった。
昼前から一人散歩に出たが、途中で道を間違えて、ぐるぐると歩き回り、へとへとになって、やっと家に辿り着いた。
青木ヶ原の樹海に入ると磁場が狂って方向がわからなくなり、戻ってこれなくなるとよく聞くが、私の場合は自分の頭の磁場が狂っているようだ。

そんな大失態だったが、富士周辺は秋の気配が一段と濃くなり、木々も少しづつ色を濃くしてきているようだ。
大きな富士アザミが咲き、どうだんつつじの朱色やななかまどの赤い実に目を奪われる。

爽やかな秋の季節を満喫したと思いきや、明日からは大型台風が来襲とのこと。
展覧会やオークションの予定もあるが、さてどんなことになるのやら。



10月13日

台北のフェアーの出品作品紹介A

北村奈津子 中村萌 門倉直子



10月12日

GTUでも今日から「うじまり」個展が始まった。
仙台在住の彼女は、震災で大きな心の傷を負うとともに、5年前には父親を亡くすといった苦難を乗り越えて、今回はタイトルのようにきらきら感溢れる溌剌とした作品が並ぶ。

雲肌和紙に顔料を使い、黒を下地に宝石の輝きのように光の輪が画面に溢れる。
きらきら感とわくわく感、心を奮い立たせる作品は過去2回の発表以上の成果となったようだ。



10月11日

尾関立子展が土曜日からスタートする。

前にも書いたが、彼女の版画作品を見たのは十数年前である。
黒く強い線が印象に残り、是非資料を見せに来てほしいと画廊の人に伝えたが、その後何度も画廊の芳名帳にサインはあるのだが、名乗らずに帰ってしまい月日が流れた。

ようやく青山の画廊で個展が開かれた際に訪ねていって、初めて彼女に会うことが出来た。
気恥ずかしかったのか、敷居が高かったのか、名乗るのを遠慮していたようだが、その時に個展の依頼を快諾してもらい、今回に到った次第である。

版画の注目度が低くなっている昨今、久し振りに版画らしい版画を見せてもらったようで、是非版画の素晴らしさを皆様にも再確認していただきたい。
山口啓介、山本麻友香の系譜を受け継ぐ、武蔵野美術大学の池田教室の俊英で、二人同様に初めて見たときの衝撃は未だに忘れられない。

今回はアメリカで発表する時と同じようにインスタレーションの巨大な版画作品や、私もはじめて見た油彩作品も並び、大変見ごたえのある展覧会となった。



10月10日

F1チャンピオンの来た後は、つわもの共が夢の跡状態で画廊はぐちゃぐちゃ。
そんな中を初めて訪ねてきた方が、飾ってあった呉亜沙の100号3点組をはじめ大作3点を買っていただき、結果ほぼ完売となった。
来年夏には、軽井沢の美術館での個展の依頼もあり、またまた彼女は二人の子供を抱えての制作となるが、いいお話なので是非とも頑張ってもらいたい。

ソウルのフェアーでも、山本麻友香やリ・ユンボクなど展示した作家が満遍なく売れたとのメールが入った。
今回は韓国経済も冷え込んでいるということで、なるたけ経費がかからないようにとスタッフも送らず、韓国の画廊に留守を任せていただけに、思わぬ朗報にほっとしている。
最初のVIP招待日が閑散としていて心配したが、一般公開の日からは大勢の人が詰め掛け、最終的には他の画廊も概ね好調だったようで、ホクホクのメールがいくつか入ってきた。

これで秋ウツも吹き飛んでしまい、私には何よりの良薬となった。

10月9日

昨日は昨年も訪ねてくれたF1レースのワールドチャンピオン・○○テル氏が突然やってきた。
優勝を飾った韓国のレースの後、今週末の鈴鹿サーキットの出場前の忙しい時間を割いて来てくれたそうで、感激。

前回は大作を中心に20点まとめての大人買い。
今回も台北・テグに送る予定で既に梱包をしていた作品を全部開けて見せたが、結局は展示してあった呉亜沙の作品1点だけとなってしまった。
来るのがわかっていたなら、展覧会も終わった直後だっただけに、興味を引きそうな作品を展示して見せることが出来たのだが、残念。
ただ、今週末から始まるうじまりに関心を示していたので、資料を送ることにした。
昨年もGTUで開催していた日本画家・青木恵の作品をまとめて買ってくれたが、どうやら顔料を使った作品に興味が行くようだ。

呉亜沙の旦那さんが大ファンということで、サインをもらい、二人の記念写真も撮ってもらったが、さぞかし旦那は会えずに悔しがっていることだろう。

10月8日

震災の折に私のところでチャリティー展を開催し、皆様からの売上金を義援金として送らせて頂いた知的障害者の施設を、私共の東京西北ロータリークラブも支援をしている。

一昨年、東京西北ロータリークラブではいくつかの義援先候補から、画廊でも実施し、クラブにも提案させていただいた東北3県の被害の大きい知的障害者施設に義援金を送ることが決まった。
更には、クラブ会員のご住職が自分のお寺で5年にわたり、500人規模の大茶会を開いて、その会費を全て寄付している。
ただこうした支援もお金を送るだけでは如何なものかとの声が上がり、現地に行って施設の入居者や職員の方たちにお目にかかり、被害の実態を知ることも大切なことではと、遅まきながら訪問することになった。
そこで、いくつかの施設の中から未だ復興が進まず、仮設住宅を施設としている岩手のはまなす学園を訪ねることにした。
言いだしっぺの私も当然同行するつもりでいたのだが、日程が変更となり、調整がつかず私は行くことができなくなってしまった。
残念だが、13名の会員が私の分も合わせて訪ねることになっている。

一日も早く新しい施設の移転を願っている。

10月7日

ソウルから帰ってきたが、仕事が溜まっていて何から手をつけていいやら。
物忘れが激しいので、メモに何度も書き記しながら、順番に片付けるのだが、その端から次の仕事が入ってくる。
ほとんどが前向きな仕事ではなく、残務整理みたいなものばかりで、いま一つ気が乗らない。
秘書も道先案内人も欲しいが、零細ではそうも行かず、一人でこつこつやるしかない。
テレビで秋バテというのをやっていたり、新聞に秋ウツというのが載っていて、どうやら夏の暑さとエアコンで自律神経に狂いが出て、体温調節が出来なくなったり、日照時間が少なくなって気分が重たくなるのだそうだ。
そのせいもあるのだろうか、気分は下降気味。
そんな時の特効薬は売り上げ。
懸案の一年がかりの仕事でも上手くまとまってくれると気分一新となるのだが。

10月5日

朝から雨模様。
ソウルも晴れてはいたが、昼間は蒸し暑く先月の光州のような気候ではなかった。

呉亜沙展も今日が最終日で、行っている間に更なる成果がと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。
奥の部屋には台北、テグのフェアー用の作品が続々到着。

森口君をはじめ力作揃いで、出来れば日本に置いておきたいほどの作品ばかりである。
ソウルが終わるとすぐに台北、翌々日にはテグと休む間がないが老体に鞭打つしかない。

いくつかの作品を紹介させていただく。

森口祐二・岩渕華林



高橋舞子・内藤亜澄



10月4日

先月の光州のフェアーで偶々気に入って買った作品の作家が、これまた偶然同じ光州のフェアーで私共で紹介したソンスウ君の友人ということから、今回会う機会を得た。
彼は21年もパリに住んで制作活動をしているが、KIAFと来週から始まるソウルでの個展のために韓国に帰っていて、タイミングよく会うことが出来、昼食をソンスウ君たちとすることになった。
パリの画廊との契約が一昨年に切れたということでフリーとなり、韓国の画廊とも問題がないということなので、2年後に私のところで個展の約束をさせてもらった。
フェアーでの偶々の出会いがこういう風に繋がるのだから、縁とは不思議なものである。
今回のフェアーでも魅力的な作品が並び、素晴らしい出会いに感謝をしている。

今回も、その画廊のブースに飾られていた陶板の作品が気に入り衝動買い。
この作家ともいずれ出会いの機会があるかもしれない。

私のブースでも山本麻友香の作品が売約となり、今回のソウルのフェアーはあまり期待していなかっただけに、ほっと胸をなでおろしている。
フェアーは来週月曜日まで開催されるのだが、後は手伝ってくれている釜山の画廊に任せて、私は一足早く帰国することにした。

夜遅い便で羽田に到着して、電車で品川に向かったが、気がつくと横浜に向かっているではないか。
どうやら羽田から品川行きではなく、久里浜行きに乗ってしまったようだ。
慌てて乗換えをして事なきを得たが、気がつくのが遅いと、品川から先で終電車がなくなるところであった。
疲れた身体で家に着いたときは1時近くになっていた。
私には韓国でもそうだったが、どうやら道先案内人が必要かもしれない。



10月3日

早朝から日韓中の画廊代表者会議が始まる。
画廊関係者以外に、大学教授、編集者、広報担当者、メディア関係者なども参加。
こちらでお願いした通訳の女性も初めてだけに心配したが、日本語も上手で、美術や税制などの専門的な言葉もよく理解して通訳をしてくれたので一安心。

どういう議題で進めるか、どういう提案をしたらいいか、皆目検討もつかずに参加したが、停滞気味の各国の美術市場を新たにどう再構築していくかの意見をまず聞きたかったようで、私達が提案しようと思っていた、東アジアの各国が協力してアジアのアートを欧米に発信していこうという議論にはならなかった。
市場の再構築についてはアジア諸国がオークション主導でアート市場ができているように思えるので、あくまでディラー主導で市場を作って行くのが望ましのではと申し上げたが、それぞれの文化や、美術市場の歴史などの違いがあって、先に進んで行く議論とはならなかった。

三国が協力して若手作家の育成支援をということでは意見が一致し、今後各国のアートフェアーにて、そうした発表の場を設けることができないか、次回までに具体的なプランを持ちよることになった。
韓国側からこうした会議を定期的に年に数回持ちたいとの提案があったが、それは多すぎるので、年に二回程度各国持ち回りでいいのではないだろうか。
韓中はコンテンポラリーに限定してきているようで、これも近代美術中心の全国美術商連合会では対応が難しく、新たにコンテンポラリー系の画廊も交えた部会を設けなくてはならないだろう。

また次回からは、ホスト国が先にテーマの提案書を作り、それに対して各国が書面で意見書を作成しておくことで、誤訳や時間のロスも防げるのではないだろうか。

あまり実りのある会議とはならなかったが、三国が同じテーブルにつくことで新たな始動が始まったのは間違いない。

会議を終えて会場に戻ると、何とチケット売り場は長蛇の列。
昨日のVIP招待の少なさと比べ、一般の人達のフェアーへの関心度は高いようだ。



10月2日

アートフェアーは午後3時からVIP招待となっているので、朝食の後、二人をサムソンがやっているリーウムミュージアムに案内することに。
今日はタクシーで間違うことなく無事到着。

ここは過去、現在、未来のコンセプトで李朝の古美術から、西欧のモダン、国内外のコンテンポラリーがそれぞれのスペースで展示されていて、別に子供達の作品展示と美術教育の場がある。
二人は李朝の古い陶磁器に感嘆しきりで、私も何度か訪ねたことがあるが、改めてサムソンコレクションの質の高さに驚かされた。
現代美術もデ-クーニングからアニッシュ-カプーアまで優品が揃っていて、日本の企業のようにルノアールやビュッフェなどの作品は見当たらない。
村上隆の立体もロビーに飾られている。

特別展ではカルダーの展覧会が開かれていて、初期の作品から晩年まで時系列で作品が並べられ、彼の代表的な仕事であるモビールに展開して行く過程がよくわかった。
モビールという新たな表現を1930年初期にすでに発表していたことで、改めて彼の斬新性をうかがい知ることができた。



戻ってオープニングセレモニーの後、KIAF会場を見て回る。
オープニングにしては人が少ないが、並んでいる作品のクオリティが高く見応えがある。
イギリス、フランス、ドイツの画廊が多く参加していることもあって、抽象傾向の作品が多く、ソウルの大手画廊もそうした傾向に傾きつつあるようだ。
日本で多く見かけるイラスト風、アニメ風のサブカルチャー的作品はすっかり影をひそめてしまった。
日本から参加している画廊は少ないが、その多くも抽象やフォトアートの作品を多く並べていて、韓国のアートシーンも転換期に来ているのが如実に伺える。



夜のディレクターズナイトは、お二人は疲れてしまい早めにホテルに戻ったので、私一人で参加した。
こちらも例年に比べると静かで、いつもあっという間になくなってしまう料理も余り気味。
韓国経済も下降気味でスポンサーも少なくなったのか、VIPサービスも以前に比べると今一つといったところだろうか。
さてさて、明日からの売り上げにつながるかどうか不安である。

10月1日

ソウルに到着。
早速トラブルが。

今回は韓国画廊協会の招待ということで、ホテルも先方で予約してもらっていたが、ホテルに到着すると、予約が入っていない。
系列のホテルに予約が入っていて、メールで何度も確認したのだが、この始末で先が思いやられる。

私のブースは入り口近くのソウルの大手画廊に囲まれたとてもいい場所を用意してくれた。
他の日本の画廊は全てBゾーンという別エリアに追いやられてしまい、私だけがと事務局の配慮に感謝。
売れても売れなくても、長い間参加いていることへのご褒美かも。
フェアーの方は釜山のギャラリーが全面的に手伝ってもらうことになっているので、私は気楽なもの。

展示は任せて、同行した横井氏と本庄氏を連れて、画廊巡りに。
タクシーで向かったのだが、途中軍事パレードにぶつかってしまい、どの道も通行止め。
仕方なく近くの駅から地下鉄に乗り換え。
方向音痴の私が歩いての案内役ではかなり危なっかしいが、案の定、地下鉄を降りてから反対方向に歩いてしまい、散々迷った挙句に到着した時には、既に画廊が閉まっていたり、閉店直前で締め出されたりで、一軒だけしか見ることができなかった。
諦めて夕食をとることにしたが、これまた歩き回って、ようやく焼肉屋へ到着。

こいつ本当に長いこと韓国にきているのだろうかと、二人はきっと思っているに違いない。
やれやれ。

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