ギャラリー日記 2014年7月〜9月 |
私も手伝おうと思ったが、かえって邪魔をしてしまうのではと途中で引き上げることにして、次に向かったのは宮殿・景福宮の近くにある画廊・A−CUBE。 ここで、私もよく知っている大阪の坪田政彦個展のオープニングが開かれる。 ここの女性オーナーは、先日戸村美術の息子さんと結婚したばかりの女性なのだが、これまたパワフルな女性で、フェアー終わった早々の個展である。 日本からもよく知っている画廊さんや作家さんが来ていて賑わっていた。 ここも頃合いを見て引き上げ、夕食を招待されているSPギャラリーに向かい、ご主人、お嬢さんとともに美味しい韓国料理をご馳走になった。 最初に山芋を細く切って海苔でまぶしたのが出てきて、韓国で初めて山芋を食べたが、韓国には海苔巻き、納豆や豆腐、うなぎやどじょうといった日本と同じ料理がたくさんある。 違うのは辛いか辛くないかである。 そんなわけで、私も一日忙しくしていて、のんびりとマッサージでもというわけにはいかなかった。 明日は帰国だが、帰るとまた仕事が山積み、それを片付けて8日からは北京に一人で出かけることになっているが、WOOやA−CUBEのように若くないので、果たして身体が持つだろうか。 ●9月29日 最終日の朝は雨。 昨日の賑わいが嘘のように静かな一日となった。 幸いなことに、昨日も書いたが、韓国の画廊さんの頑張りで、山本麻友香の大作がそれぞれで売約となり、私自身は何の役にも立たずに、結果だけは14回のKIAFの中では最高の売上となった。 長い間、継続して韓国で山本麻友香を紹介してきた成果が出たことは間違いない。 全体的には韓国経済の低迷もあって、フェアー自体は低調だったようだが、それでも矮小化してしまった日本のアート市場に比べると、韓国のアート市場の規模は大きく、富裕層の購買意欲はまだまだ衰えていないように感じた。 名刺交換をさせていただいても、殆どが企業経営者で、バブル崩壊後の日本の企業経営者とは大きな違いがあるようだ。 それとは別に感じたことだが、フェアーだけではなく、ホテルやレストランでも、反日感情はどうなってしまったのだろうと思うくらいに、私たち日本人に対して手厚く接してくれることである。 メディアで報じられるようなことは全くなく、逆にこれほど厚くもてなしてくれることにただただ恐縮するばかりであった。 政治にはあっても文化には壁がないことを肌で感じさせてもらった。 来週から出かける北京でも同じようにあって欲しいと願っている。 韓国画廊協会の会長から、来年イギリスで、日中韓各25名の若手作家による東アジア現代美術展を計画しているので、ぜひ協力して欲しいと頼まれ、その選定の協力をすることになった。 また、台湾の画廊協会の呼びかけで、台北のアートフェアーの折に、アジア全体の画廊協会の設立を目指す会議が開かれ、私を含め3名が日本側の画廊協会の代表として出席することになっている。 このように、アジア美術の振興と市場の活性化に向けて、アジアの画廊が大きく動き出している。 KIAFも今年は東南アジアの画廊を多数招待していて、私も親しくしているインドネシアの画廊協会の会長と旧交を温めることができた。 この画廊では、来月から浅井飛人、牧野永美子を含めた30周年記念展が開催されることになっている。 このように、今や各国はグローバルな視点で将来を見据えており、我が国のドメスティックなアートフェアーもそうだが、日本だけがいまひとつ出遅れている感を免れない。 アジアは一つ、今回のフェアーで得た一番大きな収穫ではないだろうか。 ●9月28日 日曜日になってようやく大勢の人が詰めかけ、アートフェアーらしくなった。 私のところを含め売上も伸びてきたようだ。 日本からの視察の画廊さんも次々にやって来て、昨日までとは打って変わって大賑わいである。 夜は海外からの出展画廊のウエルカムパーティーがあったが、大邱の画廊さんからの招待と重なり、そちらに向かうことにした。 なんと昨日と同じ豚カルビ。 それでも今日の豚カルビは格別で、ついつい食べ過ぎてしまう。 これから北京、台北、シンガポールとそれぞれ美味しい料理が待っていて、来る前にやっていたダイエットは何の意味もなくなった。 明日は最終日、持って帰る作品がなくなり、船便のための梱包をしなくて済めばいいのだが。 ●9月27日A 土曜日とはいえ人出は少ない。 例年ならブース内が人でごったがえすのだが、パラパラッといった感じで、甚だ心細い。 韓国経済の低迷が大きく影響しているのだろうが、それに加えて、私のブースが端っこにあることも影響しているのだろうか。 いつもなら、長年参加している貢献度もあって、真ん中の大手画廊が並ぶエリアに配置されていたのだが、その効力も薄れてきたようだ。 AゾーンとBゾーンに会場が分かれていて、人の流れがあるAゾーンにあるだけ良しとしなくてはいけないのかも。 そんなこともあって、成果は今ひとつだが、幸いソウル、テグ、プサンのそれぞれの画廊が個展をしてくれたこともあって、山本麻友香の作品を飾ってくれていて、その預けている作品が次々に売れてくれているので、自分のところが何もしなくても数字が上がるのがありがたい。 特にプサンのギャラリーWooは先日も書いたが、物凄い勢いで売れていて、他の画廊が苦戦している中、一人勝ちといったところだろうか。 夜、食事に招待されたが、売るものがなくなったとみえて、明日はうちのブースの作品を全部売ってあげると怪気炎である。 来年5月はここで個展も予定されていて、会期前には全部売るつもりだし、私のところで11月に始まる個展でも、早めに予約をしたいと、その勢いは止まらない。 話半分としても、いやはや大したものである。 夜は打ち合わせを兼ねて夕食のご招待。 彼女の迫力に圧倒され、豚カルビをつつきながら、わが身の不甲斐なさを嘆くのであった。 ●9月27日 日本の古い作品を売りたいという話がなぜか続くものである。 昨日の朝に続いて、夕方には横山大観などの掛け軸があるので見て欲しいと韓国のコレクターから頼まれ、会場に持って来てもらうことにした。 残念ながら、大観はじめ1点を除いて全て偽物であった。 1点だけは本物だったが、市場性がなく、売却できるような作品ではなかった。 聞いてみると、父親が借金のかたに取ったものだそうだ。 なんでも鑑定団ではないが、よくある話である。 夜には、朝に見せてもらった人からの別口の話で、仁寺洞の古美術店で、梅原龍三郎、御舟、上村松園、伊東深水や歌麿、広重などの浮世絵を預かっているので見て欲しいとのことである。 こちらは日本ですでに資料を見ていて、多くの書画骨董や近代美術の絵画がある中から、取り敢えず上記の作品を指定して見せてもらうことになっていた。 仁寺洞の古美術店は大きな店構えで、古美術品が所狭しとならんでいて、その奥の応接間に通された。 御舟の大きな掛け軸や梅原の作品がおいてあったが、これは真っ赤な偽物であった。 ここの主人がいるはずが、所用で出かけてしまい、頼りない息子さんが対応してくれたのだが、見たいと思っていた肝心の松園や深水、浮世絵は見当たらない。 どうやら、それを持って来てなかったようで、何のためにわざわざやってきたのかわからない。 紹介した人間は物凄い剣幕で息子さんに怒鳴り散らしていたが、私にとっては想定内で、こんなことだろうと腹も立たない。 うまい話が、そう簡単に転がっているはずはなく、私たちの世界ではこんな話は枚挙にいとまがない。 紹介者は大変恐縮していて、申し訳ないので、好きなものを食べてくれと食事をご馳走になることなり、まあ美味しいものを食べらてただけ良しとしなくては。 フェアーの売り上げも今ひとつで、一日振り回され散々な日となったが、朝起きてニュースで我が巨人軍が優勝したのを知り、大喜び。 今日は昨日と打って変わって良いことがあるに違いない。 ●9月25日-2 朝早く、戦前の日本人が持っていて、韓国のお寺の高僧に託した作品を見て欲しいと、知人を介して今の所有者が訪ねてきた。 鎌倉時代に描かれた聖徳太子像だという。 本人は国宝級のものだと思っていて、白手袋を用意していて、私も手袋を渡され、うやうやしく拝見させていただいた。 見た目はなかなかのものだが、状態も悪く、箱も杉材を使った粗末なもので、それほどのものとは思えない。 古美術の専門家ではなく、私では判断できないので、資料を持ち帰り、日本の信頼のおける古美術商に見てもらうということで、お引き取りいただいた。 先方は、4人のお仲間を連れて、相当私に期待してお越しいただいたようだが、拍子抜けで帰って行かれた。 夜にはまた別口で、日本の近代美術を代表するような作家の作品があるので見て欲しいと頼まれている。 こちらも期待はしていないが、フェアーの売り上げが今ひとつだけに、あわよくばの気持ちもないではない。 その報告はまた明日。 ●9月25日-1 今日から一般公開だが、例年に比べて来場者は少ない。 どのブースも今ひとつといったところだろうか。 その中にあって、私どもと取引のある釜山のギャラリーWOOだけは既に彫刻作品10点ほどが完売している。 ここの女性オーナーと息子夫婦は、常に熱心にお客様に接し、よほどのことがない限り、椅子に腰掛けることがない。 私などは椅子に座ったまま、売れない売れないと嘆いているだけなのだが。 彼女は、お客様が飛行機の操縦免許を持っていると聞くと、自分も操縦免許の資格を取ったり、スキューバーダイビングのライセンスを持っていると聞くと、そのライセンスを取得して、お客様と一緒にダイビングを楽しむといった努力家で、とにかくその営業努力は見事なものがある。 朝4時に起きて、掃除、洗濯、食事などの家事を済ませ、それから画廊の仕事を遅くまでやるという。 韓国の画廊の女性オーナーの多くが、ご主人が大きな会社を経営していたり、お医者様であったりと、恵まれた環境にあるが、彼女は裸一貫でこの仕事に入っただけに、そのハングリー精神が、今の頑張りに繋がっているのだろう。 幸い、私のことを信頼し、慕ってくれているので、この頑張り屋さんといいパートナーシップを保って行きたいと思っている。 来年5月には彼女のところで山本麻友香の個展が予定されている。 夜のディレクターズナイトも昨年に比べると寂しく、今一つ盛り上がりにかけているが、彼女の周りだけが華やいで見えるのは私だけではないだろう。 ●9月24日 いよいよKIAFオープン。 各ブースの準備も整い、あとはお客様を待つばかり。 私もこのフェアーでは古株となり、お客様や画廊主、スタッフ、アーティストなどたくさんの知己ができ、会場を歩いているとあちこちから挨拶をされる。 その中には、ジャカルタのエドウィンさんもいた。 エドウィンさんの画廊では来月30周年記念展ということで、浅井飛人、牧野永美子の二人の出品依頼がきていて、作品を日本から送る準備をしている最中だっただけに、まさか韓国で会えるとは思ってもいなかった。 ただこのようにすぐにわかる人もいれば、顔は覚えていても名前が出てこない人もたくさんいる。 特に韓国の人の呼び名は覚えにくくて、なかなか思い出すことができず、せっかく挨拶されても、失礼をしてしまうことがおおい。 フェアー自体は例年に比べると活気がなく、主催者の何時ものホスピタリティーも感じられない。 売り上げは多少あったが、なんとなく拍子抜けの第一日目であった。 夜は釜山のお客様の招待で、昨日は食べれなかった焼肉屋さんへ。 東京では、ここしばらくダイエットに心がけていたのだが、美味しい魚やお肉を前にすると、ついつい食べ過ぎてしまい、元の木阿弥となってしまいそうだ。 明日も夜はウエルカムパーティーで、これまたご馳走を前にして、ダイエットなんのそのとなることは間違いなし。
キムソヒ、高木まどか、真条彩華 六本木百合香、門倉直子、中村萌 ●9月22日 明日から韓国・ソウルのアートフェアーKIAFに出かける。 台風16号も韓国方面に最初向かうような気配だったが、私が出掛ける頃には、日本に上陸の可能性が高くなってきた。 私の場合、いつもとは逆のパターンなので、韓国では何か良いことがありそう。 今年13回目を迎えるKIAFだが、約180の参加画廊のうち、日本からは私を含めて5画廊しか参加しない。 私はKIAFには最初の立ち上げから関わっていたが、年々盛況になり、その規模もアジア随一のフェアーとなった。 その頃は、日本の多くの画廊が参加を希望したが、セレクションで落とされる画廊が続出し、そのハードルは高いものとなっていた。 ところが、韓国経済の冷え込みとギクシャクした日韓関係もあってか、今回は日本の画廊はほとんど参加しないという事態となってしまった。 私も参加を見合わせようと思っていたが、韓国画廊協会の役員が何人かやってきての勧誘にほだされ、及び腰ながら参加することにした。 いまや香港、台湾、シンガポールにその座を奪われてしまったが、それでも日本よりは規模も大きく、KIAFそのものの動員力と売り上げは日本のフェアーを遥かに凌ぐであろうと予測される。 私のところも長年の画廊やお客様とのお付き合いもあり、そこそこの売り上げは期待しているが、果たして結果は? 山本麻友香、リユンボク、鈴木亘彦 山本麻友香、リユンボク、服部千佳 ●9月21日 土曜日から舟山一男展が始まった。 舟山とは長い付き合いで、30年以上になるだろうか。 照れ屋の性分は年をとっても変わらず、展示のときもチラッと顔を見せてそそくさと帰っていった。 最初の展覧会のときも、会場に親戚の方が見えたら、机の下に隠れてしまったことが思い出される。 11年前に舟山は脳腫瘍を患い、生死の境をさまよったが、手術が功を奏し、今では転移の心配もなくなった。 しかし、長いベッド生活が影響したのか、腰痛に悩まされ、立つこともできない状態が続き、制作もしばらくは中断をしなくてはならなかった。 そんなわけで、私どもの個展も久しぶりであるが、発表作品はそう多くは描くことが出来ず、多少寂しい展示となってしまった。 それでも、こうして回復して個展を開くことができたことは、何よりのことと喜んでいる。 舟山もベテラン世代に入り、彼のような脂っぽい色彩の画風は今の若い世代に受け入れられるかどうかは分からないが、時代に揺さぶられることなく、一貫して自分の道を進む姿勢は、作家のあるべき姿といっていいだろう。 ●9月20日 23日から韓国・ソウルのアートフェアーに出かけ、10月1日に帰って来て、10月8日には北京のアートフェアーに出かける。 その後の台北のフェアーも含め、私一人で出かけるので、体力勝負。 スタッフは別の海外のフェアーに行ったり、国内の展覧会も目白押しで、零細画廊は人手不足を体力で補うしかない。 KIAFに続いて、海外用の作品の一部を紹介させていただく。 北京・佐藤未希、山本麻友香、佐藤温 台北・岩淵華林、北村奈津子、天明里奈 ●9月19日 17日、18日と高校時代の仲間と一泊二日のゴルフで、河口湖に行ってきた。 画廊の方は、16日から中村萌の個展が始まり、最初から出かけてしまうのは気がかりだが、幸いなことに始まる前に全部売れてしまい、心置きなく出かけることが出来た。 更には、台北トイフェアーに出す中村萌の作品も絵画以外は全部予約が入り、こちらも担当で出かけるスタッフはだいぶ気が楽になったようだ。 トイフェアー用のフィギュアーもほぼ完成し、後は彩色の手直しを待つばかりとなった。 こちらは100部限定、価格は6500台湾ドルで発売することになっている。 既に向こうの雑誌のいくつかには中村萌の作品が大きく取り上げられ、期待が高まっているようだ。 会期中には、サイン会も予定されているが、作品人気とともに、とても可愛らしい彼女なので、AKB並みにサイン会変じて、握手会となるかもしれない。 スタッフの島田には、しっかりと彼女のガードをしてもらわなくてはいけない。 他にも、今回の個展で作品を買ってくださった台湾の建設会社の社長が経営する阿里山のホテルにも招待されていて、そちらにご両親とともに泊まることになった。 このホテルには、昨年購入してくれた彼女の作品が多数展示されている。 阿里山は台湾有数の景勝地と知られる。 阿里山はひとつの山の名前ではなく、大塔山の2663mなど10以上の高山に囲まれた地域の総称で、日本統治時代に日本の国立公園にも指定されたところである。 ここには豊富な森林資源があり、日本の多くの神社仏閣に阿里山のタイワンヒノキが使われている。 今回、私は北京のアートフェアーと重なり、トイフェアーには行くことが出来ず、このホテルにも行くことができないのがちょいと悔しい。 ●9月17日 河口湖の家の周りや散歩道には秋の気配が濃くなってきた。 コスモス、オカトラノオ、ミズヒキソウ、ススキなどなど秋の草花が咲き出している。 こちらの朝は12度、上に何か羽織らないと肌寒いくらいで、近所の人に聞いたら、夜はコタツを出してきたと言っていた。 もうすぐ富士山にも冠雪が見られるかもしれない。 ●9月16日 昨日は久しぶりの結婚式。 最近はお葬式はあっても結婚式に招かれることはまずない。 新郎は知り合いの画廊の息子さんで、海外のフェアーなどで一緒させていただいている。 お嫁さんは韓国の美人さんで、日本の大学に留学した後、日本のオークション会社と画廊に勤務し、独立してソウルに画廊を持ち、これまた海外のフェアーなどで親しくさせていただいていた。 それだけに、あまりに近い二人が結婚すると聞いたときは、そのサプライズに驚いたものである。 式も知った顔ばかり、司会も私の下の娘のときもお願いした画廊さんだっただけに、和気藹々和やかな雰囲気で、とても印象に残る披露宴であった。 国際結婚は言葉だけでなく文化の壁を乗り越えなくてはならず、相互の深い理解がなくては成り立たない。 私の長女もアメリカ人との国際結婚だったが、優しい旦那に恵まれ、幸せな結婚生活を送っている。 結婚式での仲睦まじい姿を見て、この二人ならうまくやっていけるし、どちらかというと主導権は奥さんが握りそうで、これもまた我が家がそうであるように、常に旦那が控えめであることがうまくいく秘訣である。 ギクシャクした現在の日韓関係も、この二人のようにあってほしいと思ったのは私だけではないだろう。 末永い幸せを願う。 ●9月15日 オペラシティの「絵画のありか」を見てきた。 若手作家24名による展覧会である。 若手ブームといっていい昨今だが、その主流を占めるのが、アニメ、マンガ、イラストなどのサブカルチャー、映像やネット上のイメージの再生といったジャンルで、マーケットでは、ホキ美術館効果で復古調のリアリズム絵画がブームの一端を担っている。 具象から抽象、抽象から具象と表現もめまぐるしく変わり、価値観も多様化し、アートのカオス現象といっていいかもしれない。 そうした流れの中で、アートの本質とは何かを問いかける展覧会といっていいだろう。 ただ、全体を見て、強烈なインパクトとか、スケールの大きさには欠けるが。 表現は違っても、静謐な世界観が今の日本の若手作家には共通しているのかもしれない。 さて、今流行りの作家やその対局にある絵画のありかの作家達、10年後にはどれだけの作家が残っているだろうか、見届けたいものである。 ●9月14日 16日からはGTUで中村萌が始まる。 昨夜はその搬入で大わらわ。 メーンの木彫が大変な重さで、男4人が総出で運び上げた。 彼女のお父さんがデザイン関係の仕事をしていて、テレビや映画の美術関係者が手伝ってくれたおかげで、私たちは何もすることがなく、ただ傍で見守るだけ。 2度目の個展だが、技術と表現力は格段に上がってきているようだ。 小柄な彼女のどこにパワーがあるのか、木彫という女性には過酷な材料から大きな作品が生み出されるのが不思議でならない。 有難いことに、既に展示の時にはお客様が見えて予約をいただき、明日以降には二組の台湾からお客様が来ることになっていて、多分購入を前提に来てくださるのだろう。 ●9月13日 9月に入ってからは、あの暑さが嘘のように涼しい日が続いていて、秋の気配がますます濃くなり、朝の散歩が爽快である。 代々木公園がデング熱騒ぎで閉鎖となり、毎朝の散歩コースも違うコースを探しながら歩いている。 幸い、近くには駒場公園や駒場野公園、大山公園などがあって、散歩コースに不自由はしないが、こんな時なので新しいコースを探しながら歩いている。 そんな中、新たなコースに駒場の東京大学構内が加わった。 東京大学の宇宙研究所や生産技術センターがあるエリアを歩き、一旦そこを抜け、日本民藝館の脇を通って、狭い通用口から東大構内に入る。 さすが日本が誇る東京大学で、広大な敷地に校舎と運動場が遥か彼方まで拡がる。 ここに日本の頭脳が集積されていると思うと、散歩も襟を正して歩かなくてはいけない。 グランドの周りを桜並木が囲み、桜が満開のころはさぞかし壮観な風景となるだろう。 難関を突破して入学した学生たちも、この情景に万感の思いがよぎるに違いない。 広い校舎を一周し、グランドの脇道に入ると、マンジュシャゲやスイカズラの花が咲き乱れ、一層秋の気配を感じる。 本来は、関係者以外は立ち入り禁止のはずだが、近所のよしみで守衛さんたちも大目に見てくれているのだろうか、私たち以外にも犬を連れての散歩者も多い。 明日は、別のルートで、玉川上水跡を歩いてみようと思っている。 ●9月12日 25日から始まる韓国ソウルのアートフェアーKIAFの出品作家 山本麻友香、鈴木亘彦、服部知佳、リユンボク そのうちの国内作家の新作3点を紹介させていただく。 ●9月11日 昨日料理の話をしたが、今日は午前中に料理教室。 油淋鶏(鶏の中華風から揚げ)、なすのオイスター煮、中国風茶碗蒸し。 韓国の画廊から25日から始まるKIAFに出品する作品の画像を送ってほしいとのメールが来て、画像を送ったところ、何点かを予約したいとの返事が来た。 但し、ディーラーズプライスでと。 有難いことだが、出展料や諸経費でかなりの費用がかかるので、そう簡単にはディーラーズプライスにするわけにはいかない。 まずは直接お客様に売って、最後に残ったものを買ってもらえれば一番いいのだが。 以前に、北京のフェアーで、同じように半分の作品を向こうの画廊が先に予約をしてしまい、フェアーに見えたお客様が買うことが出来ないということがあった。 その後、その画廊から半年経ってもお金が入らず、何度か催促しているうちに、経済の状況が変わったので、全てキャンセルしたいと言ってきた。 怒り心頭だったが、仕方がないのですぐに送り返してもらった。 こんな事もあり、慎重にならざるを得ないが、韓国経済も冷え切っているだけに、ここは思案のしどころである。 ●9月10日A 以前からのご案内のように、台北・トイ・フェスティバル「モンスター台北」10月9日から12日まで台北・華山地区で開催される。 私どもの中村萌が招待され、A92ブースにて発表する。 台北に行かれる方、台湾在住の方是非ご覧いただきたい。 冒頭の作品は世界文化遺産「富士山」をイメージしたもので、この木彫作品を原型に100部限定のフィギュアー作品が香港にて制作され、ブース内で販売される。 2万円にて販売するので、ご希望の方がおられれば、先にお取り置きさせていただく。 ●9月10日 昨夜は大学の友人二人と私の家の近くにある蕎麦割烹で夕食を。 友人の一人の奥さんが長く入院生活をしているのを最近知って、家で粗食しか食べていないだろうと元気付けもかねて、もう一人の友人とともに食事に誘った次第である。 我々世代の男は、家の事は奥さんにまかせっきり、台所に入ったこともないのが多く、ひとたび奥さんが病気で倒れたりすると、手足をもぎ取られたようにだらしなくなる。 友人もその口だろうが、家の中は以前より掃除が行き届き、すっかりきれいになったと偉そうなことを言っているが、おそらくは奥さんの有難みをひしひしと感じているに違いない。 私も以前はその口で、箸の置き場所も分からず、家内が旅行で留守するときなどは、食事を食卓に並べるのも面倒くさく、冷蔵庫から出したものを、そのまま立って冷蔵庫の横で食べ、残りをそのまま冷蔵庫に仕舞い込むといった「ぐうたら亭主」そのものであった。 それがある時、長年の友人が奥さんを亡くし、食事に困っていると聞いた。 賄いの人が来てくれてはいるが、奥さんのような味は望むべくもなく、味気ない食事が続くと嘆いていた。 更にはもう一人、私の大先輩が同じように奥様を亡くされたが、こちらは奥様が闘病生活の間に、ご主人の好物の料理のレシピを全て書き記して逝かれたそうである。 先輩は私たち以上に古い時代を生きた人であり、また大会社の社長でもあって、おそらく家事は全て奥様やお手伝いの方がされていたのだろうが、残されたレシピを見て、ご自分で料理を始めるようになったそうである。 この二人の話を聞いたことが、私が料理教室に通いだすきっかけとなった。 私も自立をしなくてはと料理教室に通い出して5年になる。 今ではテレビはニュースと巨人戦以外に料理番組を見るのが楽しみになってしまった。 腕も上がり、休みの日には家内や子供たち家族に料理を振る舞い、お世辞でも美味しいと言ってくれるとうれしいものである。 家内にもよくどう美味しいと聞かれ、生返事をしていたものだが、張り合いがなかっただろうと反省をしている。 昨夜の友人にも近いうちに私の料理を食べさせる約束をさせてもらい、出来れば料理教室に誘い込もうという魂胆である。 ●9月9日 恒松正敏個展にいくつかのお花が届いたが、その中のある女性の方から届いたお花に心を打たれた。 実際は女性ではなく、ご主人から送られたものであった。 お花が届いた後に、恒松さんのところにご主人から手紙が来て、奥様は昨年の6月に亡くなられていて、いつも恒松さんの展覧会を楽しみにしていたそうである。 そこへ今回の個展の案内が来たので、奥様の思いをこめて、奥様の名前でお花を送らせてもらったとのことであった。 奥様の思いもそうだが、ご主人の奥様に対する深い追慕の気持ちがこもった美しい花である。 ご主人の手紙には、出来ればこれからも恒松さんの個展の案内状は奥様の名前で出していただけないだろうかとも書かれてあった。 奥様はきっとご主人の温かい心遣いに感謝しつつ、遠くの空から恒松作品を見てくれているに違いない。 ●9月8日 今日は中秋の名月。 昨夜、一日早い観月会が友人のお寺で催された。 あいにく、雲間に隠れて月は見えなかったが、青年僧侶による声明と篠笛の演奏で、風雅な一夜を楽しんだ。 声明とは仏典に節をつけた仏教音楽のひとつで、儀礼に用いられる。 長くのばした節が余韻を持って、私たちの胸というかお腹にまで響き渡った。 とび職が謡う木遣りと同じ調子だが、こちらは粋な感じがするが、声明は厳かな雰囲気をかもし出す。 ついでに薀蓄を、というより演奏者からの受け売りだが、篠笛は尺八やフルートと同様に管楽器のひとつで、いわゆる横笛である。 お祭りのお囃子に使われるのがそれで、歌舞伎やお能などの邦楽にも使われる。 篠竹で作られることからそう呼ばれていて、音域によって12種類の篠笛があリ、一本調子、二本調子と順に呼ばれる。 一本調子とはここから来てるのだろう。 ●9月6日 今日、私の画廊の近くに新たな画廊がオープンした。 新たというのは適切ではなく、銀座1丁目にあってしばらく閉じていた「木之庄企画」が場所を変えて、再オープンしたのである。 これで、この界隈に12軒目の画廊が誕生したことになる。 一時は16軒の画廊が軒を並べていたこともあり、ようやく以前のアートスクエアーに戻りつつある。 京橋地区の再開発で、私を含め立ち退きを余儀なくされ、幸い私のところは目の前に新たなスペースを持つことが出来たが、他は散り散りとなってしまい、以前の趣がすっかりなくなってしまっていた。 それが、東京スクエアーガーデンという巨大なビルとなって出現し、この地区の様相が一変したことで、ぼちぼちと美術商が集まるようになってきた。 現代美術から日本画、古美術とお店も多岐にわたり、この界隈のアート散策も一段と興味深いものになってきたのではないだろうか。 私が入っているビルも、大家さんが画廊ビルにしたいという意向もあって、私も宣伝部長を買って出ているので、このビルやこの界隈に出店をお考えの方は是非お申し出いただきたい。 今年で終わった「京橋界隈展」も、元々はこの地域の画廊が集まってはじめたものだけに、新たな形でこの地域の美術商が協力して、アートで活性化が出来ないかと考えている。 ●9月5日 昨日、今日と画廊は日記に書くようなことが何もありません。 そんなわけで、2ヶ月近く行っていなかった床屋に行って、さっぱりとしてきた。 床屋の人に言われたのだが、白髪頭の後ろのほうが黒くなってきたと。 私もそんな気がしていて、鏡を見ると確かに以前より黒くなってきたような気がする。 髪が黒くなるというのは若返ってきたと良いほうに解釈したらいいのだが、どうせなら真っ白なつやつやの髪になったほうが良いと思っていただけに、逆の意味でショックである。 中途半端な胡麻塩頭よりは、真っ白なほうが清潔に見えるし、父親が真っ白だったこともあって、どうせなら父親みたいになりたいと思っていた。 出来うるなら髪よりも、眼や耳が以前に戻ってくれるといいのだが。 老眼はめがねで何とかなるが、最近とんと耳が遠くなり困っている。 補聴器をつけたら良いのだろうが、めがねに比べるとまだまだ抵抗があって踏み切れない。 先日私より年下の友人がやってきて、補聴器をつけたという。 聞いてみると、一個40数万円で二つで90万にもなると聞いて驚いた。 コンピューター制御されていて、周りの雑音が入らずクリアーに聞こえるという。 しかし、そんな値段を聞くと余計に躊躇してしまう。 お客様の言っていることがよく聞こえなくて、頓珍漢な返事をしてしまうことがあるが、今しばらくは老化現象ということでお許しいただき、もしかして髪の毛同様に、聞こえが良くなるかもしれないので、それまでお待ちいただきたい。 ●9月4日 競艇の後は知人の招きで向島の老舗料亭へ。 無芸で飲めない私を誘ってどこが面白いのかと思うのだが、どういうわけか誘われる。 仕事のほうでもお世話になっているので断るわけにも行かない。 行ってみると、芸者さんがずらっと勢ぞろい。 若い子達が多く、いわゆる半玉という子達で、年齢も20歳の子が4人ほど、中には先月なりたての18歳の子もいた。 今時、芸者さんになろうという若い子がいるのには驚きである。 躾も厳しい世界で、芸事やなにやらも習わなくてはならず、銀座のクラブにでも勤めたほうがよっぽど楽なようにも思うのだが。 前に行ったときには、二年間アメリカに語学留学していた芸者さんや、週末に原発事故で疎開している子供の面倒を見ている芸者さんといった私のイメージとはだいぶ違う芸者さんもいた。 遅くまで唄や踊り、私もしらふで歌わされ、今朝は喉が痛くてしょうがない。 ●9月3日 ロータリークラブの仲間を連れて、私どもが小林健二、桑原弘明などの作品を納めている江戸川競艇場内にあるミュージアムを見学の後、貴賓室でレースを観戦。 ここは前にもギャラリー椿ツアーで訪れていて、今回が3度目となる。 ミュージアムでは小林や桑原、ムットーニなどの作品の精緻さに驚き、別室に展示されている超絶技法による折り紙や万華鏡にも感嘆の声を上げていた。 しばし、喧騒の競艇場にいるのを忘れるくらいの癒しのひと時であった。 貴賓室では豪華な食事やオードブルが振舞われ、飲み物も飲み放題の至れり尽くせりで、競艇場と二の足を踏んでいた連中も大満足のようであった。 ボートレース観戦はみんな初めての経験だが、貴賓室から見下ろすレースは大迫力で、係りの人の説明を聞いた後に、それぞれ新聞片手に一攫千金を夢見て舟券を購入した。 結果は120倍の大穴を当てた人もいるが、私を始め多くは惨敗で、はずれ券は出口にあるロボットのヤギにあげることにした。 ●9月2日 板橋区立美術館で9月6日から「種村季弘の眼・迷宮の美術家たち」が開催される。 フライヤーより抜粋 ドイツ文学者の種村季弘はグスタフ・ルネ・ホッケの「迷宮としての世界」を翻訳し、日本でのマニエリズムの火付け役となった。 その後、博覧強記ぶりを遺憾なく発揮し、様々なジャンルを横断して、批評活動を行う。 美術批評では、ゾンネンシュタイン、カール・コーラップなど、当時なじみの薄かったドイツ語圏の作家たちを精力的に紹介する。 また、画家の井上洋介、赤瀬川原平、舞踏家の土方巽など、種村が共感を覚えた日本の芸術家に対し、積極的に文章を寄せた。 本展は、国内外から作品を集め、種村の目を通して創造された美術の迷宮を7つのキーワードでたどる初めての試みである。 文学の立場から種村は詩人・滝口修造、フランス文学・澁澤龍彦と並び幻想絵画の理論的支柱となった人である。 展覧会には、種村氏旧蔵の桑原弘明の作品を始め、多くの作品が展示される。 ●9月1日 今日から9月、ここ雨模様で気温も下がり過ごしやすくなった、今日は肌寒いくらいである。 雨脚が強くなり、展覧会が始まったばかりの私どもには、あまりありがたくない雨である。 土曜日からは、既にブログでお知らせしている小浦昇と恒松正敏の個展が始まった。 小浦は今までの画風をがらりと変えて、60年代のアメリカングラフティーを思わせるポップなフィギュアーが画面を埋め尽くす。 おそらく200種を超えるフィギュアーだが、それぞれに意味があり聞いていると、更に作品への関心が深まる。 その一体づつを取り上げた小浦の特徴であるブルーの作品も、皆さん食い入るように見ている。 恒松も今までのモティーフから新たな展開を見せ、ギリシャ神話の一角獣や、日本画に使われる題材のなまずを洋画仕立てで表現している。 相変わらずの細密描写だが、今流行の細密美人画とは一線を画している。 ●8月31日 日曜日は息子とゴルフ。 息子は最近かなり熱心に練習していて、ゴルフがしたくて仕方がないようだ。 息子が監督をしている大学のラグビー部の合宿が昨日終わったばかりで、疲れもたまっているだろうが、それにもめげずにやろうということになった。 飛距離ははるかに及ばなくなったが、何とか技でカバーして、スコアーではかろうじて勝利。 今からこれだけ熱心にやっていれば、敵わなくなるのは目の前である。 この歳になっても、こうしてゴルフを一緒にやれるのは何よりで、お互い酒が飲めないだけに、同じ趣味があるのは有難いことである。 終わって山梨から埼玉の三郷へ。 生まれたばかりの娘の赤ちゃんを見に車で直行。 何時見ても赤ちゃんは可愛い。 ちっちゃな顔に手足、まるで人形のようである。 お姉ちゃんになった上の娘は、赤ちゃんが突然現れて、どうしたらいいのか戸惑っている。 しばらくは、みんなの関心が赤ちゃんにいってしまい、彼女にとっては面白くない日が続くだろう。 家に帰って、家内と息子と近くのイタリアンで夕食。 まずい合宿のご飯が続いていたのと、子供たちが嫁さんと一緒に実家に帰っているので、ゆっくりと食事が出来るせいか、食べること食べること。 それでもラグビーの現役時代に比べると少なくなった。 お寿司60貫とかカレーライス5杯とか、あきれるほどに食べていたのだが。 こうして、久しぶりに息子と水入らずの一日を過ごした。 ●8月30日 銅版画家・山本容子さんの話をロータリークラブで聞く機会があった。 山本さんは今もっぱらアート・イン・ホスピタルに関心を持っている。 お父様が長い闘病生活の末に亡くなった時に、お父様はベッドで毎日何を見ていたのだろうと思ったそうである。 見上げれば、無味乾燥な天井で、アーティストと活動しているのに、アートを通して何もしてあげられなかったことが悔やまれてならなかったそうである。 以来、自分の中に病院という空間の中のアートという課題が生まれた。 その後、偶々名古屋の病院長と対談する機会があり、そこでそうした思いをぶつけたところ、建設中だった病院の天井画を描く機会を持つことになった。 それから時を経て、アート・イン・ホスピタルの本場スウェーデンへの取材旅行の企画が持ち上がり、NHKの「旅の力」という番組となった。 スウェーデンは病院を建てるときに、建設費の1%をホスピタルアートに使わなくてはいけないという法律があり、病院内のどんな場所にどんなアートが使われているのか、どんな風に利用されているのかを確かめることが出来たそうだ。 一例として挙げられた小児病院では、子供目線に絵が描かれていたり、図書館で本を借りるように、子供たちが病院内のギャラリーから絵を借りて、病室に飾ることが出来たり、いたるところにアート作品が溢れていて、日本の殺風景な病院とのあまりの違いに驚かされた。 さすが福祉の国スウェーデンである。 彼女が語ったように、病院とか福祉施設といった潤いを求める場所に、そこにいる人たちをアートで癒すことが出来たら、どんなに素晴らしいことだろうか。 私たちの仕事のひとつの方向を山本さんに教えていただいたような気がする。 その後、彼女はいくつかの病院のアートに関わるとともに、その経験と医療現場からの声をまとめた著書も出版している。 ●8月29日A 代々木公園で若い男女がデング熱に感染したとのニュースが流れた。 代々木公園の蚊にさされたのが原因のようで驚いている。 私たち夫婦は毎朝代々木公園を散歩しているだけに他人事ではない。 私も夏休み前に3箇所ほど公園で蚊にさされているだけに心配だ。 私はずっとデング熱ではなく、テング熱とばかり思っていて、天狗みたいに鼻が赤くなったりするのかと思っていたが、今回の身近な出来事で、デング熱というのだということも初めて知った。 調べてみると、ネッタイシマカやヒトスジシマカによって媒介されるデングウイルスの感染症である。 非致死性の熱性疾患であるデング熱と、重症型のデング出血熱やデングショック症候群の二つの病態がある。 症状は発熱、頭痛、筋肉痛などで、重症でなければ死にいたることはなさそうで、私も今のところそうした症状が出てないので大丈夫とは思うが、一度血液検査をしたほうがいいのだろうか。 どちらにしても私たちを散歩コースを変えなくてはいけない。 同じように思う人も多く、おそらく代々木公園はここしばらくは閑散としているに違いない。 気になるのは、公園の奥のほうに住みついているホームレスの人たちだ。 湿気の多い、日のあたらない場所に青テントを張って生活しているだけに、蚊に刺されるのは日常茶飯事なのではないだろうか。 ●8月29日 画廊も明日から個展が始まるまでは、これといったニュースもなく、プライベートなことばかりで恐縮だが、先ほど次女に二人目の子供が生まれた。 女の子で、これで長男のところが男の子と女の子、長女が男の子二人、次女が女の子二人となり、私は6人のおじいちゃんとなってしまった。 前が難産で、生まれた途端に呼吸困難で救急車で国立小児病院に運ばれたことがあっただけに心配したが、今回は予定より赤ちゃんが大きくなったので、早めの計画出産と無痛分娩ということで、母子ともにいたって元気だそうで、やれやれである。 少子化の折に、こうしてそれぞれの子供に二人の子宝が授かったことは何よりの幸せと大いに喜んでいる。 それぞれの孫たちがどのように成長していくか、おじいちゃんの今の楽しみはこれに尽きるかもしれない。 ●8月28日 昨日、一昨日とロータリーの友人たちと河口湖で2日続けてのゴルフ。 二日とも雨模様だったが、私としては大したことなく、無事ラウンドすることが出来た。 みんな70歳前後なのだが、いたって元気で食事の後は麻雀をすることになった。 10数年やったことがなかったが、我が家の片隅に埃をかぶっていた麻雀卓を引っ張り出し、昔を思い出しながら卓を囲んだ。 以前は私どものロータリークラブには麻雀同好会があって、毎月一回クラブのメンバーがやっている神楽坂の高級料亭で麻雀を楽しんだものである。 メンバーの一人に人間国宝の能楽師・Kさんという方がいて、その方は麻雀連盟8段というつわもので、礼儀作法にうるさく、賭けるのは駄目、麻雀しながら飲食の類はもってのほかと厳しく、学生時代のくわえタバコで酒を片手にラーメン啜りながらといった下品な麻雀をしていた連中は大いに困ったものである。 この当時邦楽のメンバーが大勢いて、観世、梅若、桜間、長唄の今藤と錚々たる大御所たちで、正月のクラブの年始会はこの4人に謡と踊りをやっていただいていた。 おそらくギャラを計算すると大変なことになっていただろうが、神楽坂の料亭といい、この方たちといい、全て御奉仕ということで甘えさせてもらっていた。 そんあこともあって、麻雀の賞品は果物詰め合わせ、食事は済ませてからという由緒正しき麻雀であった。 昨日の麻雀も大手上場企業の会長や大僧正といった由緒正しき人たちだったが、こちらは8段などといううるさ型ではないので、いたって気楽にへぼゴルフ、へぼ麻雀を楽しんだ2日間であった。 ●8月23日B お客様のKさんから電話がかかってきて、画廊のすぐそばにある魚料理の「松輪」でのお昼の誘いである。 ここのお昼はアジフライだけなのだが、これが絶品ということで、11時前には行列ができて、昼には「売り切れご免」の看板が出てしまい、私も今までに一度しか食べたことがない。 高級魚松輪さばで知られる三浦半島の松輪漁港で水揚げされたばかりの鰺を市場を通さず、直接お店に持ってきて出してくれる。 厚くほっこりと揚げたフライは甘く香ばしく生臭さが全くない。 これを大根おろしとわさびで食べるのだが、この相性がまたいい。 添えて出される骨も美味しい。 毎日行列が出来るのも納得。 Kさんが画廊を出てたまたま通りかかったら、お昼なのに何故か並んでないということで、わざわざ電話してきてくれたことで、3年ぶりに2度目のアジフライを味わうことが出来た。 猛暑とお盆明けということで行列が出来てなかったのだろうか。 翌日にはもう長蛇の列が出来ていたそうである。 夜はおまかせコースだけだが、実家が漁師ということでその日にとれた魚だけで刺身、焼き魚、煮魚などなどの魚づくし、夏に松輪さばの鯖寿司も出てくるから魚好きにはたまらない。 因みに松輪さばは大分の関さばと並び称され、三浦沖で一本釣りされ、出荷直前まで生かして運ぶことで鮮度を保ち、関東以北では珍しく生でも食べられる。 7月以降、脂が乗って一番いい時期だが、漁獲量が少なく、市場関係者に「黄金のサバ」と呼ばれている。 魚屋で販売される時は普通の真サバの10倍近い値段がする。 これだけ宣伝しておいて、実は私はサバが大の苦手なのである。 ●8月23日A 私どもで来年個展予定の篠田教夫が日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」の取材を受け、8月30日(土)AM9:25〜10:30に放映されることになった。 被災後の陸前高田市を何度も訪ね、かの一本松を描き続けたことで、その制作過程が紹介される。 真っ黒に鉛筆で塗りつぶされた画面を微細な消しゴムを使って消しながら、細密な作品を作り上げる独特の技法が明らかにされる。 また、美術誌「アートコレクター」9月号の特集・細密アートのおもしろ百科にも東大寺大仏の鉛筆画と記事が掲載される。 私どもでも来年の個展は14年ぶりで、その間サボっていたわけではなく、ひたすら描き続けてこれだけの歳月がかかってしまった。 私が生きているうちにもう一度と会うたびにプレッシャーをかけてはいたのだが、ようやく実現する運びとなった。 テレビ放映とともに来年の個展も楽しみにしていただきたい。 ●8月23日 今朝は昨日までと違って涼しさを感じる朝となった。 夏休みは冷房無しで過ごしていただけに、帰ってきてからの暑さにはかなり参った。 特に夜の寝苦しさに悶々としていたが、今朝はぐっすりと寝ることが出来た。 うちはマンションの最上階だけに、屋上にたまった熱が全部部屋に下りてくる。 夏休みがあけて、家に戻ってきたときの室温はなんと36.5度あり、風呂も24時間風呂なのだが温度設定38度にしてあるのが、42度になっていた。 温度設定が42度までしかないので、おそらく45度は超えていただろう。 部屋中蒸し風呂状態と化していた。 暑さ対策で屋上に芝生を敷こうと友人の建設会社に相談したことがあったが、風で土が飛んでしまったり、屋上の定期的な防水工事の度に全部をはがさなくてはいけないと言われ、代わりに3、4度は下がるという防熱用のペンキを塗ってもらったが、大して効果はなかった。 夕方にホースで屋上全体に散水したりもするが、これも大して効果があるとは思えない。 ペントハウスと言えば聞こえはいいが、これからマンションの購入をお考えの方は、最上階は絶対にやめたほうがいい。 何はともあれ、早く秋になることを願うばかりである。 ●8月22日 夏休みも終わり、昨日から画廊もオープン。 休み中に壁の塗装をやってもらったので、真っ白・ピカピカで釘を打つのがもったいないくらいである。 そうも言ってられないので、秋から始まる海外フェアーに出品予定の作品を飾ってみた。 海外に出て行けば、うちの画廊では飾り納めになるかもしれない作品たちである。 来週には、この中の数点はソウル、北京に送る予定になっていて、僅か1週間ばかりの展示となるが、興味のある方は是非ご覧いただきたい。 話は変わるが、シンガポールのフェアーに予定していた三人の作家の作品の出品を断念せざるを得なくなった。 それぞれが裸婦や裸婦をイメージした作品を描いていて、イスラム系の多いシンガポールで展示が可能かを打診していたところ、返事が来た。 主催者によると、その類の作品は、出品に際しては政府の許可が要るそうで、仮に許可が下りても、一般客の目に触れない特別室のようなところに飾らなくてはいけないそうである。 仮に展示が出来たとしても、イスラム圏のお客様には公には受け入れてくれないだろうとのことであった。 要は裸婦作品は無理ということで、展示プランをもう一度練りなおさなくてはいけなくなった。 折りしも、愛知県立美術館で開催中の写真展で、展示中の作品が「わいせつ物の陳列にあたる」と愛知県警から指摘され、作品の一部を覆い隠すなどの対応を迫られたとして波紋が広がっている。 私のところにも、官憲の表現の自由に対する不当介入ということで、撤回の署名をしてほしいとの回覧が廻ってきた。 匿名の通報があって、警察も動かざるを得ないのだろうが、イスラム圏ほどではないにしても、そう目くじらを立てることもない様に思うのだが。 ●8月12日 壁はきれいさっぱりなくなって、夏休みを待つばかり。 塗装工事があるので、なんとしても今日までに片付けなくてはならないが、スタッフが頑張って昨日までには残った作品は片付けることが出来た。 私は大して戦力にならないのだが、よせばいいのにいい年して、月島の倉庫や家の倉庫に作品を運んだりしているうちに腰を痛めてしまった。 明日は友人とゴルフの予定なのだが、果たしてプレーできるだろうか。 後は残務整理と少しばかり残ったオークションの引取りを待つばかりで、スタッフは早くも秋のアートフェアーや30日から始まる個展の準備に取り掛かった。 30日からは小浦昇、恒松正敏の個展が始まる。 長く私どもで発表している二人だが、今回は新たな展開とともに意欲的な作品を発表する予定なので、是非楽しみにしていただきたい。 尚、夏休み中はブログもお休みをとらせていただく。 何か紹介するようなことがあれば、まとめて夏休み明けにアップさせていただこうと思っている。 まだまだ暑い日が続くが、どうぞ皆様くれぐれもご自愛を。 ●8月11日 台風一過とはいえ、風が相変わらず強く、明日は雨の予報。 オークションの引き取りもそのせいもあるのか、まだの人が多い。 明後日から夏休みに入るので、引き取りも明日一日となってしまう。 13日以降に引取りをと思っている方は、20日まで画廊は閉まっているので、ご承知おきいただきたい。 またお支払いも明日までとなっていて、若干まだの方がおられるので、明日までにお支払いのほうをよろしくお願いしたい。 例年は締め切り期日までには間違いなくお支払いをいただいているので、心配はしていないが、もしお支払いが遅れて送金される方は、入金確認が21日以降となるので、これもご承知おきを。 猛暑に台風・雨と外に出づらい日が続き、皆様にはご迷惑をおかけするが、くれぐれも明日のお引取りをお待ちしている。 ●8月10日 短い夏休みが取れた息子と楽しみにしていたゴルフが台風で取り止め。 さすがの雨男で台風まで呼び込んでしまった。 前にも書いたかもしれないが、30年ほど前に小笠原のスキューバーダイビングツアーに参加した時には、滞在した10日の間に三つもの台風がやってきて、海の中はぐちゃぐちゃでダイビングどころではなかった。 遊びとなると雨になり、どうやら休まず働けということなのかもしれない。 雨が弱まった合間を見て、畑で野菜を獲ってきた。 とうもろこしが風で倒れるのが心配で出かけたのだが、行くと雨足が強くなりびしょびしょになりながらの収穫であった。 他にも人参、ズッキーニ、白瓜、きゅうり、トマトなどが頃合いで、早速に昼・夜の食卓に並んだが、どれもが美味しい。 子供たち家族や画廊のスタッフにもきっと喜んでもらえるだろう。 ●8月9日 台風が来るようだ。 そのせいか日差しが弱く、いつもよりは過ごしやすい。 昼からは雨の予報だったが、まだ降る気配はない。 今日はオークションの引取りでお客様が殺到するのではと心配したが、雨の予報で想定してたほどでもなく、アフターセールで残していた作品も壁から少しづつ降ろし始めることにした。 600点余の作品を飾った後の壁は釘跡で穴だらけ。 いつもはスタッフやアルバイトがペンキとパテで穴埋めをするのだが、今回は休みの間に業者に来てもらい、壁の塗り替えをしてもらうことにした。 以前に、友人の塗装業者に格安でやってもらったことがあるが、本来ここは大きなビルや橋梁工事などが専門で、私のところのようなちっぽけなところは相手にしてくれない。 たまたま、リゾートマンションの塗り替え工事を紹介したことがあり、うちもついでにと頼んだことで、仕方なしに大サービスでやってくれたのだろう。 二度は図々しすぎて頼めないので、画廊の内装をやってくれたところに頼むことにしたが、以前の4倍の見積もりが来て、友人のそのときの配慮に改めて感謝である。 そんな折、よその画廊の紹介でLEDのスポットライトの営業がやってきた。 画廊で使っている照明は、耐用期間が短く、しょっちゅう変えなくてはいけないことと、かなりの熱を持つので夏場は気温と相俟って相当の暑さとなる。 電気代も1/3になるというし、この際思い切って全部LEDに変えることにした。 変えてみると熱がない分確かに暑さが和らぐし、明るさも従来のものと変わらない。 10年くらいは持つということなので、初期費用は40万円ほどかかるが、長い目で見たらかなりの節約になる。 ただ、10年先となると私は80近くになってしまい、LEDの寿命と私の寿命とどちらが早いかは分からない。 ●8月8日 我が巨人軍は連敗中。 そんな中、12日夜の巨人・阪神戦のチケットをいただいた。 いつもなら大喜びで観戦に行くのだが、今回は何となく不吉な予感がしてならない。 去年までのクリーンアップが全く機能しない、エースが勝てない、リリーフ陣が安定しない、これで首位にいるのだから不思議としか言いようがない。 何とかやりくりしていたのだが、それも風前の灯。 首位陥落を目の前で見せられるのではと、気の弱い私は今から不安が募る。 真の巨人ファンはこういう時こそ、意気高く応援をしてあげなくてはいけないのだが、私のような軟弱な巨人ファンは負けがこむと、新聞は見ない、テレビも点けない、ただ塞ぎこむだけである。 オークションも今一つだったし、8月に入っていいとこなし。 ジャンボ宝くじの当選番号も既に発表されているが、こんな時だけに怖くて見れない。 当たっているはずはないのだが、それでもがっかり度が大きいので、運気が上がったときに見ることにする。 巨人戦の次の日から夏休み、気分一新で夏休み明けには、きっといいことがあるだろう。 もしかして6億円。 ●8月7日 落札の通知が届いたようで、ぼちぼちとお客様が作品の引き取りにみえる。 その足で、アフターセールの品定め。 入札日に来られなかった方や惜しくも落札できなかった方、オークションを知らなかった方も熱心に残った作品を見ている。 そんなこんなでアフターセールはお昼過ぎなのに売れ行き好調。 アフターは最低価格(手数料・税別)で購入できるので、落札出来なかった方(落札者のみ通知させていただいている)は、是非リベンジで今週末までのアフターセールにお越しをお待ちしている。 ●8月6日 北京のアートフェアー事務局から至急に出品作品の画像を送れといってきた。 ついこの前勧誘に来て、慌てて準備している最中なのに、せっかちなことである。 出品予定作家には新作を依頼しているところで、画像など間に合うはずがない。 とりあえず、旧作や新作の下絵を送ったが、ちゃんとした出品作の画像でないと駄目だとのこと。 聞いてみると、中国は通関がうるさく、前もって持っていく作品の画像が必要なんだそうだ。 それでは何とかしなくてはいけないが、出来上がっていないものはしょうがない。 それとこれはありがたいことなのだが、事務局で前もって購入作品を決めるそうで、それもあって早めに送れと言ってきているようだ。 この前来たときも、個展をしていた岩淵華林と北村奈津子は是非持ってくるように言われ、フェアーで売れなければ事務局で購入するとも言っていて、どうせ社交辞令で話半分に聞いていたが、どうやら本当らしい。 逆に、こちらが運送の受け入れなどで質問メールを送ったが、何の返事もない。 同じようにシンガポールのフェアーでも、紹介した画廊さんが参加申込書をすぐ出すように言われ、慌てて送ってもらったが、その後参加の許可や詳細について無しのつぶてで、どうしたものかと連絡があり、早速問い合わせてみるとちゃんと受理しているとのこと。 それならそれでちゃんと返事をしてあげなくては。 台北でも参加を申し込んだ何軒かの画廊さんが、選考を通ったかどうかの連絡が未だないという。 私のところには、既にブースの場所が決定したとの知らせまで届いているのに、どうしたことだろう。 駄目なら駄目、キャンセル待ちならキャンセル待ちと早くに伝えてあげないと、申し込んだ画廊に失礼ではないだろうか。 一事が万事この調子で、要求はせっかち、応答はルーズ、日本人が几帳面すぎるのだろうか。 ●8月5日 オークションも終了。 今回は極暑のせいもあって、来場者も例年に比べ少なく、さてどのような結果となっただろう。 これから開札をさせていただく。 結果は165点(金額の集計はまだ)と総点数の1/4と低調な成績に終わった。 お客様をひきつけるような目玉作品がなかったことと、前回までのように一人のコレクターから大量に個性的な作品が出品されなかったこともあって、ギャラリー椿らしい個性的なオークションにならなかったことも要因の一つではないだろうか。 もう一つは展覧会に追われ、オークションの告知の遅れや画像での紹介がなされなかったことも反省しなくてはならない。 明日には落札された方と出品された方に書面にて通知をさせていただくので、ご確認いただきたい。 お支払いと作品の引き取りは8月12日までにお願いしたい。 8月13日から20日までは夏休みをとらせて頂くので、その間画廊が閉まっているのでお間違いのないようにしていただきたい。 尚、明日から土曜日まで残りの作品については最低価格にてアフターセールをお受けするので、お越しいただくか、お問い合わせをいただきたい。 結果はともかく、今まで経験したことのないような暑さの中をお越しいただき、入札していただいた方には厚くお礼を申し上げる。 ●8月4日 参議院議員・中山恭子さんは拉致問題担当大臣として活躍したが、もう一つ「文化のプラットフォームとしての日本」を唱え、世界に日本の文化のすばらしさを知ってもらおうと活動されている。 私もシンポジュームに参加したり、直接お話を伺う機会もあり、日本の文化発信に対して真剣に取り組んでいる姿勢がよく伺えた。 今回国政報告が送られてきた中にも、「文化のプラットホームとしての日本」議員連盟が開催され、河村潤子文化庁次長の「文化の国際交流」と題した講演があり、ご本人もご自分の構想を述べられ、安部総理、菅官房長官、下村文科大臣に次の2点を要請された。 1、政府は文化省を設置し、日本各地で国際的な文化交流の祭典を毎年開催することを重要政策と位置づけること。 2、政府は国際的な文化交流の祭典を実現するために必要な予算を確保すること。 また予算委員会でも総理に対し、東京オリンピック・パラリンピックを契機として日本各地で世界の文化が輝き溢れ交流する場を創り、世界の文化の祭典を今後100年続けることを考えてはどうかと提言された。 このような私たちにとって大変頼もしい活動をされているので、私たちも手を携え、新たな文化政策の実現に取り組んでいきたいと思っている。 ●8月3日 日曜日もオークション。 準備で忙しかったスタッフには休んでもらって、私と家内、娘と孫で日曜出勤。 孫も最初は会場で飛び跳ねていたが、しばらくすると おとなしくお店番。 2歳半を過ぎて、ママのお腹に妹がいることもあるのか、お行儀も良くなり、画廊に連れてきてもはらはらすることもなくなった。 中央通りでは氷祭りが開かれていて、各所に置かれた氷柱や氷の彫刻がが涼を誘っていたので、孫を連れ出し銀座散歩に。 孫は通りに置かれた氷に触ったり、道に撒かれた氷を踏んでご機嫌。 その後はデパートに連れて行くと、おもちゃ売り場で小一時間動こうとせず、ジイジはクタクタに。 オークションは家内たちに任せて、私は孫のお守りに専念の一日であった。 ●8月2日 今日も猛暑。 暑いが口癖になりそう。 今日からオークションが始まった。 この暑い中をお客様に来ていただけるだけで有難いことである。 結局、総点数は600点以上になってしまい、よくぞこれだけの点数が展示できたと我ながら感心する。 展示疲れか、昨日の夜はへとへとで、足は棒のようになって、体力のなさを痛感。 こういうときに限って、いつも座れるはずの帰りの電車でも、ぐずぐずしているうちに席が埋まってしまい、 床にへたり込みそうになった。 ●8月1日 8月に入ってこれから夏本番だが、こう暑い日が続くと一日も早く夏が終わってほしいと思ってしまう。 早朝散歩も、いつもなら木陰の涼風が心地よいのだが、今朝はそよとも吹かず、汗だくで帰ってきた。 画廊もオークションの大量の作品に囲まれ、涼しげとは言い難い。 昨日でほぼ飾りつけも終わり、今日は追加作品のリスト作りやキャプション貼りといった雑用が残っている。 既にファックスなどで問い合わせが来ているが、送ったリスト外の追加作品も多く、画廊のホームページで追加リストを見ていただき、購入のご検討をお願いしたい。
●7月26日A 今日は格別暑い。 この暑い日が続く中を、岩淵、北村の両個展に多数のお客様にお越しいただき、心より感謝を申し上げる。 岩淵も昨日までに小品も含めて完売となり、北村もヒーローたちがまとめ買いと、この夏枯れの時期にありがたいことである。 今日も最終日ということもあり、多数の来廊者で賑わっているが、スタッフたちは展覧会を尻目に、オークションのリストの発送に大忙し。 今日皆さんに発送するので、週明けには皆様のお手元に届くはずである。 届かなかった方で、オークションリスト希望の方は、画廊宛お申し出いただければお送りさせていただく。 ●7月26日 今朝は早めに家を出て、日本橋高島屋の「幻想美術館」展を見に行ってきた。 幻想美術が近代美術と現代美術の狭間にあって埋没しかねない時期に、百貨店がこうした企画を立てたことは大変画期的なことである。 広い会場をジャンルごとに5室に分け、27名の作家が出品していて、日本橋店を皮切りに、大阪、京都、横浜、名古屋、新宿と巡回する大規模な展覧会である。 私どもで発表をしている鈴木亘彦、内林武史も「もうひとつの文明」と題した第5室に参加し、意欲的な作品を出品している。 私の知らない作家も多く参加しているが、平面作品よりは私はオブジェを出品している作家に目がいく。 ただ幻想美術と銘打った割には、私が思う幻想美術とはだいぶかけ離れた作家も多く、規模の大きい企画だけに、多少拍子抜けの感もするのだが。 ●7月25日 10月9日から12日まで「華山1914文創園区」でタイペイ・トイ・フェスティバルが開催される。 フィギュアーやおもちゃなどを展示するフェアーで、主催者から中村萌が招待され、1ブースを個展形式で参加することになった。 台北市内にある「華山1914文創園区」は、日本統治時代の酒工場の跡地を再利用したアート・イベント空間で、古い趣のある建物が並ぶ。 ほとんど放置状態にあったこの建物に、台湾の若者たちが壁画などを描き始め、その後は、アートやイベントの会場として利用される空間に生まれ変わっていった。 2009年になって、カフェレストラン、ショップ、ライブハウスも加わり、今や台湾文化の潮流を引っ張る店舗がどんどん進出している。 こうした若者たちが集まる空間で、中村萌の作品がどのような反応があるか楽しみにしている。 このフェアーには、香港で制作された中村萌の100限定のフィギュアーも出品されることになっている 。 ●7月24日 忙しい最中に大学の友人たちとゴルフで暫しの息抜き。 河口湖カントリークラブでは久しぶりのラウンドである。 昔からの私のホームコースなのだが、ここは名うての難コースで、最近はもっぱら近くのもうひとつのホームコースのフォレスト鳴沢に行くことが多い。 とはいっても、年々腕が落ちる私はこちらのコースでも大叩きをしているのだが。 友人たちも難コースにてこずり、何でこんなにグリーンが速いんだとか、バンカーを半分に減らせとか、二度と来ないぞと文句たらたらであった。 まあそれでも気の置けない50年来の付き合いの友人たちだけに、減らず口を叩きながらも一日プレーを楽しむことが出来た。 涼しいはずの河口湖も30度を越える猛暑で、ここでこの暑さだと東京には帰りたくない。 ●7月23日 梅雨明けとともに、いつものごとく私は身体がシャキッとするはずだったが、昨日は一日全身がだるく、あくびばかり出て、どうしたのかと心配したが、どうやら冷房にやられたみたいだ。 暑くなると、エアコンを除湿にして、2時間ほどタイマーセットして寝るのだが、その晩は一晩中かけっ放しにしていたのが良くなかったみたいだ。 そんなわけで、昨夜はセットを確かめ、冷えすぎるといけないので、窓も開けて寝ることにした。 すると、朝は目覚めも良く、身体もシャキッとして、前日のだるさが嘘のように消えていた。 早朝散歩も暑さ負けしないように続けているが、一週間前から新たなメニューが加わった。 家内がリンパマッサージを受けた折に、あまりの身体の硬さに、朝のストレッチを薦められた。 いきなりではきついので、まずは朝のNHKのラジオ体操にあわせて身体を動かすことを薦められ、先週からテレビの前で一緒に飛んだり跳ねたりしている。 何となく、身体の筋が伸びていくようなので、三日坊主にならないように頑張ろうと思う。 代々木公園でも毎朝ラジオ体操をやっていたり、学校も夏休みになって校庭でもラジオ体操が始まっていて、大勢の人が体操をやるのを今までは横目に見ていたが、身体ががちがちになったわたし達には丁度いい運動かもしれない。 公園でみんなと一緒にやるのが一番いいのだが、リズム感のない私はどうもテンポが合いそうにないので、しばらくは家でやってから散歩に行くことにする。 ●7月22日 梅雨がどうやら明けたようだが、予報では今年の夏も猛暑とのこと。 いい加減にしてくれといいたいが、こればかりはどうしようもない。 今日も蒸し暑い中、倉庫でギャラリー椿オークションの出品作品の検品とリスト作りが始まった。 今年は例年と違って大口の出品がなくなったので、だいぶ楽かと思いきや、小口の出品作品が多数あって、結局はかなりの点数になりそうだ。 特に目立つのが陶器類で、扱いには十分注意を払わなくてはいけない。 幸いというか、大口で陶器類が山のように出品される予定だったが取り止めになり、そうでなければオークションが骨董市のようになるところであった。 今年は予定を早めて、お盆前の8月2日(土)から5日(火)の4日間を予定していて、引渡しを終えた8月13日(水)から20日(水)まで夏休みをいただく。 夏休み明けからは、ソウル、北京、台北、シンガポールのフェアー、アムステルダム、ジャカルタの展覧会、うちの画廊でも12月までに10数回の個展が予定されていて、怒涛のような毎日が続く。 今年は一年ゆっくりと過ごそうと思っていたが、貧乏性の私は次々にスケジュールを入れててしまい、スタッフの恨めしそうな目が辛い。 ●7月21日 連休でのんびりするつもりが、上海の画廊さんが画廊に来ることになり、朝から畑で大慌てで野菜を獲って東京に戻ってきた。 野菜は大豊作で、レタス、キャベツ、人参、大根、セロリ、ズッキーニ、きゅうり、インゲン、ブッロコリー、枝豆などなど車に積みきれない。 画廊に戻ると、早速に上海のKさんがやってきた。 無理して戻ってきた甲斐があり、北村奈津子のヒーローたち200点を大人買い。 Kさんがコレクションを一任されている上海の美術館に展示してくれるそうだ。 また、来年にはKさんのところで個展を開催してくれるそうだが、向こうはとてつもない大きなスペースだけに、どれだけの作品を作ったらいいか想像もつかない。 岩淵の大作もあわせて購入してもらい、これで岩淵の大作も全て完売となった。 まだまだ無名の若い作家をこうして内外の大勢のお客様が評価してくれることはありがたいことである。 ●7月19日A 昨日の北京のアートフェアーだが、いろいろとサービスもしてくれるということで、かなりハードなスケジュールだが参加することにした。 丁度展示中の岩淵・北村作品は北京でも必ず売れるし、売れなくても事務局で何とかするとの言葉につられた感もあるが。 今日も台湾の画廊さんが来られて、岩淵作品を買っていただき、来春には是非個展をやってほしいと頼まれた。 展示作品も好評で、大作が多いにもかかわらず、ほとんどの作品が売約となった。 更には、上海の画廊さんから電話が入り、これから画廊に来るという。 こちらは北村作品がお目当てで、昨年から個展を依頼されているので、その視察もかねてのことなのだろう。 フェアーでの紹介もそうだが、こうして個展を開催することで、海外での活躍の場が拡がっていくことはうれしいことである。 いつも感心するのは、海外のフェアーの事務局や画廊は本当に熱心に勧誘や商売で日本にやってくる。 それに比べると、私を含め日本の画廊やアートフェアーの事務局は腰が重く、フットワークも悪い。 待っているのではなく、打って出る、見習わなくてはいけない。 ●7月19日 、 天王洲にある寺田倉庫が「テラダ・アート・アウォード」という若手アーティストを対象にした公募展を始めた。 寺田倉庫は美術品の保管倉庫としても知られているが、新たにギャラリーを開設したり、このコンクールなどアート部門に積極的に参加することになった。 この事業を担当するアートディレクターのS・Fさんが挨拶方々この公募展のポスターとチラシを持って画廊にやってきた。 彼女とはだいぶ以前からの付き合いがあり、彼女が昔画廊を開設する際にも相談に乗ったり、私の画廊のオープンの時も手伝ってもらったりしていた。 事情があって画廊を閉じた後は、アメリカ、イギリスで語学とアートの勉強していて、しばらく会うこともなかったが、こうして新たのアートの仕事に関わることになった。 応募資格は、国籍は問わず、18歳以上35歳までの全てのアーティストで絵画、写真、版画などの平面作品。 応募期間は8月20日までで、第一次審査はWEBサイトから作品画像で応募する。 最終審査は未発表、縦横170cm以下、重量30kg以内の作品、写真・版画は一点ものに限るとなっている。 入賞作品は最優秀500万円、優秀賞6点各50万円。 賞金も高額なことから是非私のところの作家も最優秀賞を目指して応募してほしい。 この賞は単に賞金を授与するだけではなく、その後の創作活動をサポートするという画期的なもので、新たな現代アートのスターがここから誕生するかもしれない。 尚、巷間では感違いされている方も多いようだが、寺田コレクションの寺田氏と寺田倉庫は全く関係がなく、お間違えのないように。 ●7月18日 北京のアートフェアーの事務局、ロスアンジェルスのフェアーの事務局が立て続けにやってきた。 北京は10周年、ロスは20周年の節目の年なのでぜひ参加してほしいとのこと。 北京が10月、ロスが来年の1月だが、既に9月がソウルのKIAF、10月台北のトイフェアー、11月がアート台北、12月がシンガポールの新しいフェアーと続いていて、熱心に誘ってくれるが、スケジュール的には難しい。 ロスは遠いこともあり、どんな作家が受けるのかも皆目見当もつかないので、こちらは断ろうと思っているが、北京は思案のしどころである。 中国は巨大なアート市場があることと、今までは国内作家中心だったのが、香港のフェアーなどの影響もあって、海外作家に目が向いてきていて、日本人作家にとっても大きなチャンスと考えている。 スタッフは手一杯で、ソウルも私一人で行かなくてはならず、その5日後に北京では、これも私以外に人がいない。 もし行くとなると老骨に鞭打つしかない。 今晩一晩ゆっくり考えて見よう。 ●7月17日 今日は家内とPET検査を受けてきた。 四谷にある警備会社のセコムがやっている病院で、私は毎年のように受けていたが、ここ2年ほどさぼっていた。 家内もあっちが痛いこっちがだるいと言いつつも、一度も癌検査を受けたことがなく、ようやく今回引っ張り出して受けることになった。 前にも書いたが、微小な放射性物質を入れたブドウ糖液を注射で血中に入れるだけで、後は1時間ほど個室で安静にした後、PET用CTスキャンで身体中をくまなく調べ、早期の癌を見つけるという検査である。 もちろんこれだけで全ての癌が見つかるわけではないが、胃カメラやお尻から内視鏡を入れられるのと違っていたってらくちんな検査なので、多少費用はかかるが、私はこれに限ると思っている。 この病院の各フロアーには望月通陽の彫刻が展示されていて、ここに来る患者さんの心を癒してくれている。 1泊2日の人間ドックもあって、こちらはPETが得意としない脳検査から前立腺検査まで全てをやってくれて、併設する有名フランス料理店「オテル・ド・ミクニ」の料理がつくことから、料金もはるかに高く、はなからこちらの検査はあきらめている。 折りしも、病院から帰ってくると、親しくさせていただき韓国に進出するきっかけにもなった、韓国の画廊協会の元会長・金氏が癌で亡くなったとの知らせを聞いた。 つい先日、病院で治療中とは聞いていたが、73歳のあまりに早い死にただただ驚いている。 2日前にはお葬式も終えているということで、その前にお見舞いにいけなかったことが悔やまれてならない。 こんな事もあって、あらためて検査の必要性を痛感している。 ●7月16日 今日もお客様のところへ個展の折の富田有紀子、武田史子、金井訓志の作品を届けに行ってきた。 この方も昨日のお客様同様に30年を超えるお付き合いをさせていただいている。 だいぶお年を召して、以前ほどには画廊にお越しいただけないが、それでもお見えいただくとこうして作品を買っていただいている。 面白いのは、しょっちゅうお見えになる方でも、他の画廊では長いこと買い続けているのだが、私のところではご縁が少ない方もおられる。 好みが違うのだろうか、私との相性が悪いのか、長いお付き合いなのだが、買っていただける機会が少ない。 画廊には来ていただけるので、全く私のところの企画に興味がないわけではないのだろうが、どうしてなのだろう。 また、一時は頻繁に見えていたのが、ぷつんと来なくなってしまった方もおられる。 何か私のところで失礼があったのではと気になるが、こればかりは致し方ない。 商売様々、お客様様々で、全てうまくいくとは限らないのだが、それでも親しくしていたお客様とのご縁が切れてしまうのは寂しいものである。 ●7月15日 今夜はお客様のところへ彫刻作品を届けに行ってきた。 お客様とは長いお付き合いでかれこれ35年になるだろうか。 お客様がどんな傾向が好きか、どんな色合いが好きか、全て分かっている。 一貫しているのは流行は追わない、気に入った作家はずっと追いかけることで、こうして集めた作品は1000点はあるだろう。 今でも毎週一度は画廊にやってきて、何か私に向きそうな作品はありますかと言ってくださる。 以前は同じように毎週のように来ていただき、作品を買ってくださるお客様が何人もいたものだが、皆さんお年を召して、いまでは前述のお客様を含め僅かとなってしまった。 こうした人たちは本当に絵好きな人たちで、無名の作家ばかりを紹介してここまで来れたのも、こうしたお客様たちの支えがあったからこそである。 今夜お持ちしたのは、先のブログでも紹介した韓国の彫刻家・リユンボクの作品である。 早速玄関に飾ることになり、以前に買っていただいたユンボク作品を両脇に並べ、後ろには若林奮、小林健二の大作が飾られている。 ●7月14日 巨人・ヤクルト戦を見に東京ドームへ行ってきた。 今年は観戦の機会が多く、私が行くと巨人が負けるジンクスも薄れつつあったが、今日はそうは行かなかった。 最下位ヤクルト相手に怪我から復帰のエース内海では楽勝と思いきや、内海は4回でノックアウトされ降板。 打線も相手ピッチャーに翻弄されていいとこなしで、リリーフピッチャーが満塁押し出しをしたところであきらめて帰ることにした。 いつもだと、私が帰ると逆転をしたり同点になったりするのだが、帰ってニュースを見ると、なんと12対1のふがいない大敗で、早めに帰った効果もなしであった。 今日は早めにふてくされて寝ることにした。 おやすみなさい。 ●7月13日 多摩美を定年退官したK教授のお招きで、新宿の魚料理屋で開かれた宴席に伺った。 多摩美を始め、各美術大学の版画科の教授、画廊関係、美術館、ジャーナリストなど30名ほどが集まった。 セクハラやパワハラもなく無事退官できたことを挨拶で述べられていたが、生徒さんや大学の先生たちに愛され、多少のセクハラにも寛容な大学であったことも幸いし、こうして皆さんから祝福されることは何よりのことと喜んでいる。 お友達の歌とギターの演奏が披露されたが、その歌唱力とギターテクニックは素晴らしいもので、 魚料理屋さんの座敷で演奏するのはもったいないくらいであった。 日曜日のひと時、楽しい時間を過ごさせてもらった。 ●7月12日 梅雨が終わったかのような強い日差しで、昨日からいきなり夏という感じだ。 京橋界隈スタンプラリーもこの暑さでは熱中症の人が出てくるのではと心配してしまう。 改めて京橋界隈からの挨拶があるので紹介させていただく。 京橋界隈 20年の感謝をこめて 東京都中央区の京橋エリアは、戦後から古美術・工芸・日本画・近代絵画・彫刻・版画など約150の専門店が多岐に わたり集積する、東京でも銀座に次ぐ個性豊かなアート密集地です。 近年幅広い世代で絵画や工芸への興味と関心が高まり、愛好家も増えております。 しかし実際に作品に触れる日常的機会は少なくまた興味はあるけどどこにいけばいいか分からない、あるいは敷居の高そうな美術店・画廊に入るのは気後れしてしまうという人が圧倒的ではないでしょうか。 この「京橋界隈」は京橋・銀座一丁目地域の画廊十数件により1995年から開催されているイベントです。 初夏7月に各画廊が一斉に企画展を開催し展覧会巡りをしていただくという、現在では各地で行われているアート散策の先駆けでもあり、毎年多くの方が楽しみにしてくださっています。 今年は記念すべき第20回目、そして最終回となります。17軒のギャラリーがそれぞれ個性あふれる展覧会で皆さまのお越しをお待ちしております。 エコバッグ一覧。 ご希望のバッグがあれば、この暑さの中を申し訳ないが、早めに17画廊を廻っていただきたい。 ただし、スタンプだけをもらう方はご遠慮いただき、まずは展示をご覧いただいてからスタンプを押させていただく。 ●7月11日A 男の料理教室・7月 えび入り水餃子・煮豚・春雨サラダ 餃子は皮から手作り、丸い形に伸ばすのが難しい。 具を包んでしまえば分からないが。 ●7月11日 今日から京橋界隈展がスタート。 スタンプラリーで17画廊を廻るとエコバッグがもらえるとあって、暑い中を早々にお客様が見える。 エコバッグは北村奈津子のドローイングが描かれているが、他の画廊もそれぞれ趣向を凝らしたエコバッグが各10個用意されていて、全部を廻った方から先着順でお好きなバッグがもらえることになっている。 北村奈津子展は数え切れないくらいのヒーローたちが並ぶ。 色も多彩で、スカートをはいたヒーローではなくヒロインもいる。 北村独特のユーモアーが垣間見える楽しい展示となった。 岩淵華林展ははじめて広い会場での個展ということで大作が並ぶ。 以前にも増して完成度を高めた女性像に、早速欲しいお客様が重なり、うれしい悲鳴である。 目鼻を見せず、顔の表情を消しながら、微細に描かれた髪の毛を強調する岩淵独特の表現は、見るものの想像力を高める。 水墨を主体にシルクスクリーンで刷った紋様をコラージュした画面は、モノトーンとは思えない深い色感を見せてくれる。 台風も最大級といわれた割にはたいしたこともなく、夏到来を思わせる強い日差しとなったが、私のところを始め是非17画廊を廻って、京橋界隈展を楽しんでいただきたい。 ●7月10日 朝から料理教室、次いで岩淵華林・北村奈津子個展の段取りをして、前にも紹介した中野ブロードウェーの画廊のオープニングと続き、戻っては展示の最終調整、画廊が終わるとコレクターのY氏の紹介で、昨年11月にオープンした「リラクゼーション・クレスト」というボディーメンテナンスのお店に行って、なんと2時間半の施術を受けてきた。 公私共に慌しい一日となった。 「クレスト」は松屋の近くに昨年11月にオープンをして、案内もいただいていたのだが、なかなか行く機会がなく今日になってしまった。 マッサージの類は、韓国や台湾に行った折に受けることはあるが、日本ではほとんど受けたこともなく、それほど肩凝り、腰痛に悩まされているわけでもないので、積極的に行こうと思ったこともなかった。 お客様の紹介でもあり、また招待券をいただき、ただに弱い私は、ようやく行くことにした。 まずはリンパのマッサージで1時間、次いで骨盤矯正や私が猫背なこともあって、肩や首、肩甲骨周りの整体で1時間半、みっちりとケアーしてもらった。 体が硬い上に痛がりときているので、ボディーケアーは骨をぼきぼきやられたり、体の筋をいやというほど伸ばされるのではと恐れおののいていたが、ゆっくりと揉み解してもらい、確かに痛いが、それ以上に気持ちが良くて、これは病みつきになりそう。 自分ではそう思っていなかったのだが、足や肩・腰・背中はだいぶ凝っていたそうで、そうした凝りを柔らかくしてくれたのだろうか、うつ向き気味の背筋も伸び、肩回りも開いてきたような気がする。 しばらく通うと猫背も治ってくるといわれ、画廊から近いこともあり、週に一度は通うことに決めた。 それにオーナーのSさんもスタッフさんも美人ぞろいで、これは行かざるをを得ない。 ●7月9日 長野県の東、浅間連山の麓・東御市(とうみし)にある梅野記念館に展覧会の打ち合わせで行ってきた。 私どもで一番付き合いの長い望月通陽の個展を開催したいとの依頼を受け、望月夫妻とともに美術館を訪ねた。 ここは亡くなられた梅野隆氏のレクションを中心に、埋もれた作家を掘り起こすという梅野氏の理念を受け継ぎ、知られざる名画の企画展を開催しているユニークな美術館である。 梅野隆氏の父親は青木繁、坂本繁二郎のパトロンとして知られ、現在ブリジストン美術館が所蔵する青木繁の代表作は全て梅野家が所蔵していたものである。 そのDNAが脈々と流れている隆氏は未評価の物故作家を見出し、世に紹介する藝林という画廊を経営していて、多くの梅野ファンの支援で、そのコレクションを顕彰する美術館が長野の地に作られた。 梅野氏亡き後は、子供さんたちがその遺志を受け継ぎ、美術館運営に携わっているが、隆氏もその資質を見抜いていた望月通陽展を開催したいとの申し出があった。 現存の作家の展覧会を企画するのは珍しいことで、大きな会場での展覧会の機会がなかった望月にとっても大変いいお話と受諾をさせていただいた。 ただ、遠隔地の人里離れたところにある美術館だけに、多くの人出は見込めないが、今までを回顧し、自己を高めるためにもいい機会で、おそらく2年後になるだろうが、展覧会を企画していただくことになった。 佐久平の駅で望月夫妻を車に乗せ、山中にある美術館に向かったが、それまで快晴だった空が真っ黒になった途端、稲妻・雷鳴とともにものすごい雨が降り出し、車のワイパーは効かない、坂の向こうからは滝のような泥水が流れてくるはで、車ごと流されるのではと思ったくらいのすごい雨であった。 夜遅くに東京に戻ると、離れてはいるが同じ長野で土石流の被害が出たとのニュースを見て、良くぞ無事に帰れたと胸をなでおろした。 ●7月8日 赤坂真理「東京プリズン」河出書房が文庫本で出版された。 私どもで発表を続ける夏目麻麦の作品が単行本で出版されたときも表紙として使われた。 その時は背景が青の作品がそのまま使われたが、今回バックが赤となっている。 表紙デザインの粟津潔さんは、どうしてもこの人物像を使いたかったのだろう。 ただ、単行本とは違った形でということで背景の色を変えることになったようだ。 作家の制作意図、オリジナリティーにも関わることなのだが、出版社から色の変更についてのお願いがあり、夏目本人も承諾をした。 見てみると、青とは違った強い印象を受け、本の主人公・少女マリそのもののようにも見える。 この本は毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受賞した話題作で、衝撃のベストセラーとなった。 アメリカに留学した16歳の少女マリがディベートの課題で「天皇の戦争責任」について弁明をするという内容である。 日中、日韓の軋轢、日米安保など、未だに戦争、戦後を引きずらざるを得ない現状にあって、一人の少女が挑んだ「東京裁判」は大変興味深く、今この時の必読の書である。 ●7月7日 梅雨空が続く中、昨日は幸い雨も降らず、河口湖の畑の野菜の収穫に行ってきた。 先月半ばに、レタス、ミズナ、サラダほうれん草、ルッコラ、二十日大根などをとってきたが、その後雨が続き。根腐れや虫にやられているのではと心配していたが、何とか間に合った。 今回は、キャベツ、ブロッコリー、サラダ菜、サニーレタス、大根などが主な収穫野菜である。 他の野菜のいくつかは時期が過ぎて、大きく育ち、花が咲いたりしていて、食用にはなりそうもないのがあったが、例年よりはタイミングよくとることが出来た。 皆様にもお裾分けしたいのだが、葉物はすぐに食べないといけないので、まずは子供たち家族とスタッフに配ることにした。 夏にはジャガイモやとうもろこしが大量に取れるので、その時はお分けしたいが、これまた夏休みの最中で、見せびらかしで終わってしまいそうでお許しいただきたい。 ●7月5日 画廊の前の広場に笹が立てかけられ、町会主催の七夕様。 街興しの一環で、京橋川再生プロジェクトというのがあって、現在暗渠となっている川を日本橋のようにしようとの計画である。 短冊に再生の思いも含めてそれぞれの思いを託してもらおうと、道行く人にも呼びかけている。 江戸時代には東京湾から運河で大きな荷物を運び、日本橋、京橋もその陸揚げ場として大いに賑わっていた。 野菜や材木、お酒などはここ京橋に集まり、市場も開かれていた。 その名残で、画廊の前の通りは大根河岸通りと命名されている。 高速道路下の京橋跡には当時の橋にあった欄干の親柱だけが四方に残されている。 かつての橋としての京橋は、日本橋と並ぶ名橋であり、日本橋より東海道にて京都方向に向かう場合、街道で最初に渡る橋であったとして重要な意味合いをもっていた。 明治に入って京橋から新橋にかけて煉瓦街が完成し、やがてモダンな銀座と従来の町並みが残る守旧的な日本橋の接点として位置づけられるようになる。 馬車鉄道の軌道が複線で併設された大型の橋であったが、交通量の増加などに対応して掛け替えが行われている。 1959年(昭和34年)に京橋川は埋め立てられ、それにともない京橋自身も撤去されることとなり、その上に高速道路が敷設され、日本橋同様に京橋跡の真上を通っている。 これを再生しようというのだから、大変な事業で、もし実現しても私は見届けることは出来ないかもしれないが、川風に吹かれながら歩く京橋の風情が再現することを願っている。 ●7月4日 今日は韓国から依頼された作品を買いにオークションに出かけた。 業者だけのオークションには毎月参加しているが、公開のオークションには久しぶりの参加である。 行ってみると見知った画廊さんも多く、後ろの席には弟も来ていた。 公開とはいえ、ほとんどがプロの人たちで、業者のオークションと何ら変わらない。 セカンダリーディーラーにとっては、オークションが多ければ多いほど、売り場、買い場が増えることになり、こうした場を利用することで、お客様に売らなくても十分に商売になる。 企画画廊は、展覧会のための下準備や展示、お客様への販売、集金と煩わしいことが多いが、こうしてオークションだけを廻っていれば、そうした煩わしさもない。 ついつい楽なほうに心が傾きかけるが、やはりこの仕事を選んだ以上は、作家と向かい合い、お客様と接することにこの上ない喜びを感じなくてはいけない。 煩わしさはあっても、どうやら私はこちらが性にあっているようだ。 オークションも目的の作品を落札すると、長い間やってていてもこうした場の雰囲気にはなじめないのか、そそくさと退散することにした。 ●7月3日 恒例の「京橋界隈展」が7月11日(金)から19日(土)まで開催される。 夏の風物詩ともなった「京橋界隈」も20年目を迎え、一区切りということで、今回を最後に終わることになった。 20年前に近隣の10軒の画廊が集まり、銀座と一線を画した京橋というエリアをアートのメッカとして認知してもらおうということで発足したイベントであった。 今でこそ多くの画廊が集まり、銀座以上の画廊街となったが、当時はまだ画廊の数も少なく、古くからある南天子を始めとしてカネコ、ところ、ユマニテ、池田美術、かんらん舎、東邦、椿、といった個性派画廊が夏枯れの時期に同時に展覧会を開催し、地域を盛り上げようと発足した。 そのころはアートフェアーも地域単位のアートイベントはどこにもなく、今でこそ数多くあるこうした催しの魁となった。 「京橋界隈」というネーミングも私が考え、チャリティーやオークションなど趣向も凝らし、多くの人でにぎわったものである。 NHKのニュースで取り上げられたり、新聞にも大きく載ったりで、こうした催しが珍しく、ニュースバリューもあったのだろう。 その後画廊の数も増え、一時は20を越す画廊が参加し、毎月ミーティングをしてはその年の計画を練ったものであった。 しかし、年を数えるうちに、各地でこうした催しも多くなり、新鮮味に欠け、発足当初のような人出も見込めなくなった。 今回の参加画廊17軒のうち、発足当時の画廊も私だけとなり、大きく様変ったが、若いメンバーが計画を練り、今回それぞれが趣向を凝らしたエンディングの催しとなった。 17件の画廊を廻るスタンプラリーを実施し、全てを廻った方から先着順で170名の方にオリジナルエコバックをプレゼントする。 エコバックはそれぞれの画廊がデザインした図柄が入っていて、どれにするか迷ってしまうほどである。 更には、7月12日(土)に京橋のワインバー「Halco」にて、ドリンクステーションを開設し、ビール、ワイン、ソフトドリンクを1杯提供することになっていて、そのチケットが各画廊に用意されている。 私どもは、岩淵華林、北村奈津子の個展で参加することになっている。(尚、会期は7月11日から「京橋界隈展」を過ぎた7月26日まで開催している) 是非とも皆様のお越しをお待ちいたしている。 ●7月2日 韓国の彫刻家・リ・ユンボク君がやってきた。 注文していた作品を友人とともにハンドキャリーで持ってきてくれた。 手で持ってくるとのメールが来ていて、どうして運んでくるのか心配していたが、飛行場に迎えに行くと言っても断り、画廊まで重たい作品を運んできた。 ユンボク君は東京芸大を卒業後、私どもで個展を開催し、その後も発表を続けるとともに、韓国のフェアーでも私のブースで何度も紹介していて、私のところから巣立ったといっても過言ではない彫刻家である。 それが今や海外でも活躍するようになり、香港の地下鉄の駅やマレーシアのビルの吹き抜けロビーのモニュメントなど大きな仕事も手がけるようになった。 マレーシアの作品は6メーターの巨大な彫刻で、彼の技法はステンレスを叩き出す鍛金という技法で、更には磨きだして鏡面仕上げにするという労力と手間のかかる仕事なのだが、全て一人でやるため、マレーシアの仕事は3年を要した。 ようやくマレーシアの設置も終わり、息抜きもかねてやって来てくれた。 彼は飲みだすと朝までというタイプで、来てくれるのはうれしいが、下戸の私はとてもお相手できない。 スタッフや彼を良く知る他の画廊の連中も彼との付き合いに戦々恐々としているが、今日は覚悟して付き合ってもらうしかない。 ●7月1日 既に始まっているが、府中市美術館で夏休みイベント「ガリバーの大冒険」が開催されていて、美術館所蔵の山本麻友香、富田有紀子の作品がそのイベントに参加している。 一昨年も山本麻友香、呉亜沙の作品が夏休みイベントで出品され、入り口には二人の作品をかたどった顔抜き看板が飾られ、絶好の記念撮影ポイントとなった。 看板といえば、軽井沢ニューアートミュージアムで呉亜沙が発表したオブジェが「ようこそ」の看板を下げて入場者を迎えている。 アートをもっと身近なものに、日常の中で楽しんで欲しいをモットーにしている我が画廊としては、こうした形で作品が使われることは大変うれしい。 是非親子連れで府中市美術館に行っていただきたい。 8月31日まで開催している。
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