ギャラリー日記
2015年10月〜12月

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12月29日

画廊は今日で終わり。

一年を振り返ってみると、今年は海外のフェアーが好調で、繰り返し参加している成果が出てきたようである。

しかしながら、日本での展覧会はいい時もあれば悪い時もあるといった波のある一年であった。

時代の流れなのだろうか、私どもでも若い作家に注目が集まり、キャリアのある作家が割を食うといった傾向が顕著で、この風潮はしばらく続くのだろうか。

オークションは具体、もの派といった抽象絵画運動が海外の評価を得たことに連れて、そこに参加した作家たちの出品がかなりの数を占め、価格も驚くほど高騰してきている。

絵画コンクールでもVOCA展などで顕著なのだが、そうした動きに連動するように抽象系が受賞をするようになってきた。

とはいえ、市場はまだキャラ系、細密写実系に人気が集中し、海外やオークションの流れとは一線を画している。

さて来年はどういう傾向に市場は動くのだろうか。

アベノミクスも美術市場にはまだまだ影響を及ぼさず、来年の動向も不透明で先が見えてこない。

私どもはひたすら足元を見て、慌てず騒がずで地道に歩んでいくしかない。

私は来年は古希を迎え、この仕事に入って48年、そろそろ50年を迎える年齢になってしまった。

うれしいことに、6月の誕生日を挟んで私どもで発表をしてきた作家さん88名が古希のお祝い展を開催してくれる。

すべて作家さんにおんぶにだっこの展覧会となるが、長いこと作家とともに歩んできたことが、こうした形で展覧会をしていただけるとは、至上の喜びであり、画商冥利に尽きるとはこのことである。

老け込む年にはまだまだ早く、ともに歩んできた作家さんのためにも、もうひと踏ん張りして、頑張っていこうと思っている。

それもお客様のご支援あってこそで、来年とは言わず末永いおつきあいをよろしくお願い申し上げる次第である。

皆様にとりましては旧年に倍しての良き年となるよう、あわせて皆様のご多幸を祈念して、年末最後の挨拶とさせていただく。

1月は8日から始めさせていただき、16日から堀込幸枝展で年初を飾らしていただく。
多くのご来駕を心よりお待ち申し上げる。

12月28日

画廊も残すところ後2日。

海外の画廊のレスポンスの遅さや対応の悪さにイライラ。

届くはずのオランダの画廊からの荷物が届かない。
何度も催促していて、年内には届くはずと言っていたのだが、何の連絡もない。

釜山の画廊から送られてきた作品が破損していて連絡したが、返事が来ず、今日ようやく知人を通して連絡がついたが、送る前には箱ごと落として確認せずに送ってこの有様。
自分のところの不注意なら早くに連絡して来いとさらに怒りが増幅。

更には大邱の画廊で売れた作品の支払いがいつになるというと、来年の12月だと。

韓国の支払いは年を越して1年先なのか。

怒ってはいけない、海外の取引は忍耐あるのみ。

気持ちを抑えて、今日はこれから画廊の忘年会で憂さ晴らし。

明日は大掃除で仕事納めである。

12月26日

綿引、青木展も最終日。

年の瀬の皆さん忙しい最中の展覧会だったが、大勢のお客様にお越しいただき感謝に堪えない。

おかげで、綿引展は価格も安いこともあるのだが、数えきれないくらいの点数が売約となり、一年の締めくくりとしてはうれしいことである。

今年も海外のフェアーや展覧会があって出張が続いたが、ますますアジアの市場が拡大していくのを実感させられた。

それに引き換え、日本の市場は企業や美術館が購入を控えていることもあって、大きなお金が動くことがなくなり、市場のスケールがますます小さくなっていくことに不安を覚える。
同時に、従来の私どものお客様も高齢となり、お客様の世代交代が顕著となってきた。

新たな顧客層に私どもの紹介する作品が向くのかどうか心配な面もあるが、そのためにも新しい時代に即した作品も紹介しながら、と言って時代に流されるのではなく、私どもが紹介してきた作品に一層の魅力が増すよう努力をしていかなくてはいけない。

作家さんとともに新たな年に向かって邁進し続けることで、多様な価値観の時代を乗り越えていくしかないと思っている。

終わって、綿引を始めとした作家さん有志と画廊のスタッフの忘年会、私を肴に大いに盛り上がってほしい。

12月25日

今日はロータリーの友人たちとゴルフ。

1か月前に雨の中をラウンドして以来、2回雨で中止になり、ようやくお日様の照る中でゴルフを楽しむことができた。

スコアーはともかく、親しい友人達と減らず口をたたきながらのゴルフは楽しいもので、年末最後の仕事の英気を養うことができた。

冬休みも二日ほど息子や婿さんとゴルフをすることになっていて、寒風の中のゴルフだが、楽しみにしている。

下戸の私は息子たちと酒を酌み交わしながらというのは味わえないので、このゴルフが何よりの親子の絆を深めるいい機会となっている。

息子は来年の春から一年間ニュージーランドの大学で客室研究員として研修を積むとともに、先のワールドカップで優勝したラグビーのメッカでコーチングなども勉強することになっていて、しばらくは一緒にゴルフはできそうにもないが、シドニーにいる娘家族とともにニュージーランドに息子家族を訪ねる楽しみができた。

どういうわけか子供たちはオセアニアに縁があるが、いい機会なので雄大な自然を満喫してこようと思っている。

12月24日

昨日の休みに子供たち家族も集まりクリスマスパーティー。

去年もそうだったが、料理教室に通っていることもあって、一年に一度の腕の見せ所。

なんせ生来の不器用ときているので、早くから準備をしないと間に合わない。

ラザニアをミートソースとホワイトソースを作るところから始めたが、玉ねぎやセロリのみじん切りだけで相当な時間がかかってしまった。

こちらの下準備を終えて、次にローストチキンに取り掛かる。

大きなチキンを丸ごと買ってきて、料理教室のアレンジで、照り焼き風にすることにした。
お腹には白米に黒米を混ぜたご飯を詰め込み、一緒に玉ねぎ、ジャガイモ、エリンギ、ニンニクを一緒に並べてオーブンで焼くこと30分。

見事な黄金色のチキンが出来上がり。
鶏の味がしみ込んだご飯がまたいい具合に出来上がった。

他にローストビーフやピザ、海鮮のサラダなどを用意して、なんとかぎりぎり間に合った。

ラザニアの表面が焦げたり、チキンにカボチャを添えるのを忘れたりと失敗もあったが、まずまずの出来上がりで、みんなもおいしいおいしいと食べてくれて、頑張った甲斐があった。

但し、前日の買い物と半日かかった料理で、みんなが帰った後はくたくたで仕事より疲れた。



12月22日

家内が病気なので、代わりに孫のクリスマスプレゼントと子供たち夫婦のプレゼントを買いにデパートへ。

さて何にするか、孫たちの洋服を見て回るが、小さな服が大人並みの値段なのにびっくりする。
一年もすれば大きくなって着れなくなるのに、もったいないような気もするが、孫のためなら「えんやこーら」である。

大人も家内が心配をかけたので、そのお礼もあって買うことにしたが、全部で8人分(オーストラリアの娘家族はクリスマスに間に合うように先に送ってある)となると、疲れが半端でなく、買い物はもう懲り懲り。

買い物の途中の銀座三越に浅井飛人の大小のオブジェが展示されているので、ついでに見てきた。

最近デパートの美術部とは縁がなくなったが、デパートの美術も若手作家にシフトするなど、だいぶ様変わりしてきたようだ。

偶々デパートの担当者が浅井の個展を見て、依頼をしてきたらしい。

外人のお客様用に改装中で、7階の狭くなった美術スペースに展示されているので、お買物のついでにご覧いただければ幸いである。

12月21日

韓国の画廊さんを連れて森美術館の村上隆展に行ってきた。

圧倒的な迫力で度肝を抜かれた。
日本の古典を引用した五百羅漢図は圧巻であった。
現代美術というか、日本の美術をひっくり返すような村上のスーパーフラットとその強い意志に、しばし我を忘れて佇むしかなかった。

かたや我が森口裕二も負けていない。
青森県立美術館に出品された作品だが、現在制作中の連作二点を加え、その他の作品とともに来年3月の香港のアートフェアーに出品する。

こちらも香港の人達を圧倒すること間違いなし。





12月19日

今日は韓国大邱の画廊さんが山本麻友香の個展の打ち合わせで画廊にやってくる。

メールが何度も来て、その度に予定が変わりだいぶ振り回されたが、ようやく今夜6時過ぎにに成田の到着ということでスタッフが迎えに行く。
返却用の大きな作品を社長さん自らがハンドキャリーで持ってくるというので、迎えに行かざるを得ない。
大きな画廊さんなのだが、シッピングなどを使わず、きちんと始末しているのはたいしたものである。

山本は来年香港やソウル、ニューヨークでの個展も予定されていて、その間を縫って大邱でも個展というと、とても作品が間に合いそうにない。
アムステルダムの個展の作品が年内に戻ってくる予定なので、それらを大邱、香港に回しながら調整していくしかない。

私どもでの山本の個展も秋に予定していたのだが、こちらにもしわ寄せがきて、翌春に延期することになってしまった。

そうこうしているうちに、来年の海外のフェアーの準備もしなくてはならず、香港のフェアー、ヤングアート台北等は出品作家への制作のお願いに追われている。

更には、先日上海の画廊さんがやってきて、佐藤温の個展を来年やらしてもらえないかと頼まれ、こちらの準備も始めなくてはならない。

来年も海外の展覧会で日々追われることは間違いなさそうだ。

12月18日

ロータリークラブの友人のN氏が画廊にやってきた。

N氏は元大手通信会社の社長だった人だが、先日勲章をもらったライバル関係にあるやはり大手通信会社の元社長I氏同様に、少しも偉ぶるところがなく、かえってこちらが恐縮するくらい腰の低い人である。

N氏は来年80歳になるのを記念して、長年描いてきた水彩画の展覧会をうちでやらしてもらえないだろうかと以前から頼まれていた。
細密画の緒方浩章に師事し、めきめきと腕を上げているが、まだまだ素人の域は脱しない。

そんなアマチュア作家の展覧会をうちでやるのは私としては憚れるのだが、氏にはロータリー関係の仕事で私のサブとして2年後に手伝ってもらうことになっているので、むげには断れない。

そんなこともあって、来年の5月の連休前の5日間を氏の展覧会に充てることにした。

作品は恥ずかしくて売るなどとんでもないそうで、見ていただくだけの展覧会になり、商売にはなりそうもないが、氏の友人達で普通は画廊に来られないような方に来ていただくことで、多少は宣伝ぐらいにはなるだろうと思っている。

プロの作家さんには申し訳ないが、ロータリークラブは奉仕が主たる活動なので、ノンプロフィットの奉仕の精神でN氏の展覧会をやらせてもらうことにした。

12月17日

久しぶりにコレクターのT氏が画廊に寄られた。

偶然というか、正月第一弾で個展を予定している堀込幸枝が案内状用の作品を持ってきたところであった。

T氏は彼女の作品をだいぶコレクションをしていて、タイミングいいとはこのことで、早速に予約をしていただいた。

88歳になられ、だいぶ足腰も弱ってきているのに、日本橋から歩いて来られたというから、まだまだお元気で、作品を購入しようという意欲もすごい。

現在は施設に入られているが、先日は同じ施設におられる方と世田谷資料館に行かれたそうだが、その方は99歳だそうで、上には上がいるものである。

彼女の個展にはぜひ来たいと言って帰られたが、いつまでもお元気で、美術鑑賞とコレクションを楽しんでいただきたい。

12月16日

文字・活字文化推進機構理事長の肥田美代子氏から「本を読む人にはこんな功徳がある」と題したお話をうかがった。

その要約を紹介させていただく。

功徳とは実用書を読んでお金が儲かったり、病気が治ったなどという功徳ではなく、実際そんなことはあり得ないのだが、読書の功徳とは「涵養」という言葉で考えるのが相応しいのではないだろうか。

例えば、山頂の雪解け水はすぐに山の斜面を流れ落ちて水になるわけではない。
山頂のひとひらの雪が地層にしみ込み、長い時間をかけて地表に現れ、沢となり河となって麓の畑を潤し、人々の暮らしに恩恵を与えるまでには悠久の時間が流れる。

読書という行為もそれと似ている。
つまり目先の利益は生まないけれど、知らず知らずのうちに人間性の形成に大きな影響を与え続ける。

アメリカのある学者の調査では、読書をたくさんする人ほど良い文章を書き、綴りも正確であることが分かった。
幼児期に家庭で親や祖父母によく絵本を読んでもらった人も、読み書き能力が発達し、自分の思いをことばで伝える表現力がはぐくまれるなど、長期にわたる効用がみられる。

日本の国立青少年教育振興機構の読書調査で、子供のころの読書量が多い成人ほど、人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみとする心の形がうかがわれる。
読書といいうものが社会性や論理的な思考力など、全人的な能力を培う効用があることを証拠立てている。

東北大学の脳科学者川島隆太教授は絵本を認知症の治療に使い、絵本の読み語りが感性や想像力をつかさどる前頭前野の活性化に効用があることを突きとめた。
絵と肉声で伝えられる物語の世界は、想像力の翼を広げ、現実世界より美しく生き生きと映り、加齢の脳を刺激し、想像する力を引き出す。

絵本は文字を知らない子供たちに大人が読んであげるもので、ここでも子供の豊かな想像力を育ててくれる。

絵本は読んで愉しいだけに終わらず、親子や家族の親和力をもたらす功徳の書物なのである。


といったお話だったが、幼児の読書量も減っているが、大学生に至っては一年間に本を一冊も読んだことがない学生が半数以上に上るというから由々しきことである

12月15日

先週の土曜日に久しぶりに高校のヨット部のOB会が開かれた。

横浜のヨットハーバーが埋め立てられて葉山の森戸海岸に練習場が移り、吉祥寺の高校から2時間半かかって通うのは無理ということと、学校側もその管理ができないということで、残念ながら私の七代後で我がヨット部は廃部となってしまった。

私は別の大学に進みヨットを続け、練習場が同じ葉山の鐙摺港ということで、高校から同じ大学のヨット部に進んだ同期、先輩後輩とは交友が続いたが、ある時から後輩がいなくなるというのは寂しいものである。

練習場が遠いだけではなく、部員の中には素行不良や学業成績が悪くて、停学や退学させられる生徒も多く、学校側は葉山に移ったのをこれ幸いと廃部にしてしまったのだが、OBがこの時ももう少し頑張って学校側と交渉し、生徒の指導等もきちんとやるということで、廃部という事態を免れたのではと悔やまれてならない。

現在、東京の若洲に立派なヨットハーバーができていて、高校生に貸与できる船も用意されているということなので、今回のOB会で是非復活の要請をしようということが決議された。

私は自慢するような戦績はないが、私の時代は国体、高校総体でも活躍し、大学に進んだ連中も大学選手権で活躍するなど我が高校ヨット部の黄金時代を築いただけに、是非復活して、当時の感激を今一度味わいたいものである。

12月14日

娘の旦那がフェースブックにこんなことを書いていた。


何をやっても上手くいかないくて、
気持ちがおちていたら。

長女が抱っこと言って近くに寄って来た。

抱っこをすると。
目をみながら、アンパンマンの歌を歌いはじめてた。

『もし、自信を無くして
挫けそうになぁったら、良いことだけ、良いことだけ、思い出せ、、』
だって

子供の歌に励まされてしまった。
アンパンマンってやっぱりヒーローだわ(笑)

「アンパンマンたいそう」の一節みたいだが、調べてみると、アンパンマンいいこと言ってる。

「アンパンマンのマーチ」より

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

確かに勇気づけらる。

婿さん元気出して、良いことだけ思い出せ。

12月12日

今日から綿引展と同時にGTUでは青木恵展が始まった。

彼女は多摩美の日本画科出身で、うちで日本画家を扱うのは珍しいのだが、縁あって今回が3回目の個展になる。

今回初めて人物が登場したが、顔にかぶせるように菊や曼珠沙華なのだろうか花が描かれていたり、風景が垣間見えたりする。
ヒントになったのは仏像の光背で、花はその光背をイメージしたもののようだ。
人が背負っているものや風景のように記憶の片隅にあるものを顔とダブらせて表現している。

大作は日本画の伝統を踏襲したような鹿や蝶や猿が描かれていて、油絵と違った岩絵の具の美しさが際立つ。

これからは、古典的なものだけでなく、現代を反映するような表現も試みてみたらどうだろうか。

私ども以外にもいくつかの画廊から声がかかり、今後に期待が持てる作家の一人である。





12月11日

朝から大雨。
今日も実は高校のクラスのゴルフコンペがあったのだが、予報が出ていたので、昨日のうちに中止が決定。

幹事は現地集合で判断しようと言い張っていたが、私が参加するのだから無理というと納得。
私の魔力おそるべしというメールが参加者に送られたようだ。

昼から一転して青空となり春のような陽気となった。
ただかなりの強風で、雨が上がってもゴルフは無理だったろう。

というわけで仕事に戻ることになった。

明日からの二つの個展の準備が始まる。

一つは年末恒例の綿引明浩展。

透明アクリルを使った彼独自の技法によるユーモアー一杯の綿引ワールドが繰り広げられる。
銅版画の技法から発想を得たキャストワークという型取りによる表現とともに、手書きによる細かい情景が所狭しと描かれた作品が多く並ぶ。
同時に画面から飛び出てきたような立体作品も展示され、明るい色彩と軽やかな形がクリスマスを迎えるに相応しい展覧会となっている。

明日はもう一つの青木恵個展を紹介させていただく。







12月10日

9日から国立新美術館で始まったシェル美術賞展に行ってきた。

目を引く作品は少なかったが、小野寺遥、松田麗香、渋谷七奈の作品が印象深かった。



1956年に始まったシェル賞の過去の受賞者一覧が出ていた。
50、60年代までは小野木学.吉村益信、赤瀬川原平、平賀敬、高松次郎、篠原有司男、菅木志雄、桑原盛行などの今振り返ると現代美術を支える錚々たる作家たちが入賞している。

70年代になると、日本画家が多く受賞しているのが目につく。

81年に一度中断し、96年に再開され、現在に至るが、この間ではまだまだ美術界を賑わすような作家は少ない。

こうしたことを見てみると、その評価には50、60年はかかるということだろうか。

シェル美術賞では作家の未来を応援する企画SAS(シェル美術賞アーティスト・セレクションが2012年からスタートした。
ここで選ばれた作家たちが、50年60年代の受賞者同様に、次の時代を背負うであろうことを期待したい。

今回のSASには2012年に審査員賞を受賞し、私どもで発表している内藤亞澄が4人の中の1人として選ばれ、大作を4点が展示されている。

会場では圧倒的な迫力で、身びいきだろうが他を凌駕しているように思えた。
幻想世界でありながら、現実の事象や記憶を内在しているともに、特徴である象徴的な人物が配され、その人物の見つめる先が希望であるのか、不安であるのか、見るもののイマジネーションをかき立てる。

来年6月に私どもで個展が予定されていて、海外でも大きな作品が売れるなど脚光を浴びている最中、SASに選ばれたことでさらなる飛躍を期待している。


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12月9日

紹介が遅くなったが、9月から新たなスタッフとして田中裕之が入社した。
アルバイトとして手伝ってもらっていたのだが、美術好きで仕事も熱心なことから正式に社員として迎えることになった。

また来年から以前うちに勤めていて、ご主人のイギリス転勤に伴い退社をした上矢圭子が復帰することになった。
家内の病気や次女が専門である知的障害施設の仕事に戻ることもあって画廊の手伝いができなくなり、彼女に戻ってきてもらうことになった。
彼女は私が日本美術品競売会社(JAA)の社長をしていた当時というより、その前から中心的なスタッフとして働いており、私が社長を辞めた後に私どもの画廊に来てもらうことになり、それ以来の久しぶりの画廊勤務となる。

なにとぞお引き立てのほどをよろしくお願い申し上げる。

画廊というのは小さな規模の零細企業の最たるもので、スタッフもわずかな人数でやるところが多い。
それだけに、家族的というか、相互の絆が強くなくてはならず、気心の知れた二人が画廊の手伝いをしてくれることはありがたいことである。

12月5日

来年のカレンダーが出来上がってきた。

毎年どのような構成にしようか頭を悩ませるのだが、今回は立体作家6名の作品を使わせてもらった。

私どもだけで使うのであれば、扱い作家を順番に紹介していけばいいのだが、知り合いの会社と共同でこのカレンダーを作っている関係もあって、抽象とかヌードとかが難しく、順番が回ってこない作家さんには申し訳ないことをしている。

30年近く続けていて、手間も費用も掛かるので、止めようと思うこともあるのだが、毎年楽しみにしている方も多く、年末のご挨拶代わりにと作っている。

お客様のところを訪ねたりする折に、机の上などにさりげなく置いてあったりするとうれしいもので、やはり続けていかなくてはと思う。

一部500円で頒布もしているので、ご希望の方は画廊受付にてお申し出いただきたい。




12月4日

昨日紹介した留学生の記事は今画家を目指している学生だけではなく、違う分野を目指している学生にもぜひ知ってもらいたいと思う。

イギリスに留学した友人の娘さんの制作ノートを見せてもらったことがある。
そこには作品の制作プロセスやコンセプトが細かく記されていた。
美術大学ではなく、これは普通の高校の美術の授業でである。

オーストラリアに留学していた私の長女も、高校の美術の授業では同じような教育を受けていた。
大学では医学の道へ進んだが、高校のこうした授業の成績も進学のための基準の一つになっていた。

こうした教育により、すぐには必要ではない学問も習得し、多くの知識や体験の中から自分の考えを明確にし、プレゼンテーション能力やディベートの力もついていくのだろう。

日本では文科省の指導で国立大学が教養学部を廃止する方向に向かっていて、大学は社会ですぐ役に立つ実学中心になり、これでは巾の狭い学生ばかりになってしまうのではと懸念している。

美大でも、アートマネージメントなどをもっと教えるべきとの声があるが、実学ではなく歴史や哲学、心理学など人文系の学問も多くを学び、その中で学んだ社会背景や概念を作品に反映させることがマネージメントを勉強するよりはもっと大切なことではないだろうか。

12月3日

昨日は高校の友人たちとのゴルフだったが、またしても雨で、寒いこともあって中止。
その前の大学のクラスコンペもプレー中ずっと雨で、来年はお祓いを受けてこなくてはいけない。


フェースブックでドイツの美大に留学している学生さんがとてもいいことを書いていたので、長くなるが紹介させていただく。

ドイツ5年目。美大に籍を置きながら、ドイツ国内外で活動を続けて見えてきたこと。そして自分にとってなにが必要なのか。私が日本を離れたからこそ見えてきた、求められること、価値観や環境の違いをお伝えしたいと思います。

私の場合は、日本で学生だった頃、日本で「アート」と呼ばれているものに違和感を感じ、海外での「ART」との大きな違いに興味を持ったことが留学を考えるキッカケでした。

ドイツの美大と、日本の美大のちがい

日本の芸術系大学では、技法や作品の美しさなど、テクニカルな部分に重点を置かれているように思います。
ですが、ドイツの大学では技法的な部分よりも、いかに自由に制作するか、常識や美意識のみに囚われない個性が重要視されているように思います。
そして個性には表面的な作品のクオリティよりも、コンセプトやプロセスなどといった中身を重要視されることが多いです。
作品の丁寧さや綺麗さを誇る工芸的な日本のスタイルと比べ、ドイツでは美術史や哲学や心理学、宗教観などの思想的な部分や、個人のアイデンティティーを優先するようなスタイルがよく目につきます。

また、作品の内容を語らないほうがよいとされがちな日本ですが、ドイツでは論文やアーティストステートメントをベースとして、自分の作品について説明するプレゼンの機会がとても多いです。プレゼンでは生徒間や教授からの質問が飛び交い、意見交換を行うのが普通で、30分以上自分の作品について話すことは珍しくありません。

ドイツと日本のアートシーン、マーケットの違い。

日本では貸しギャラリーが多いことから、様々な人が簡単に展示を行うことができますが、ドイツ国内には、貸しギャラリーというものがあまりメジャーではありません。
ギャラリーは契約ギャラリーがほとんどで、短期長期の差はありますが、ギャラリーが選んだアーティストを一定期間契約を結んで抱えるという形です。
ギャラリーが個展を開くということは、ギャラリーが一人のアーティストをプッシュするという大きな意味と価値があるもの。
日本のそれとは価値が違うものだと感じます。

ギャラリーの数はとても多く、なかでもベルリンには数百のギャラリーがあると言われるほどで、芸術に対して多くの人が興味を持っていることが伺えます。
アートフェアの数も多く、一般の人からギャラリストや、コレクターまで、「作品を買う」というマーケットが層厚くしっかりあるということが日本と大きく違うところかもしれません。

また、作家が出品できるコンクールなどももちろん多く、常に制作を続けていくためのモチベーションを保てるひとつの理由です。
ドイツには古い建物が多いため、少しボロいけれど自由に使える大きな部屋を安く借りられることもできます。ちょっと郊外の工場跡がごっそりアトリエになっているということもしばしば。

海外で何を学ぶのか。
求められるのは技法やクオリティだけではない。

前述したように、例えばドイツでは技法や表面的な綺麗さやクオリティなどだけでは評価されません。
大学では座学も多く、美術史や哲学、心理学の講義がみっちりとあります。
これはつまり、ドイツアートにはそれらの知識から来る考え方がとても重要だということを表しているように見えます。
文化的背景なども現地で吸収していくこともとても大切だと思います。
ドイツ在住の日本人でも、ドイツ語が話せないまま長い間生活をしている人も多くいますが、「多くを学ぶこと」を考えると教授や学生との会話を深めていくことや、多くの本を読むことが必要とされますので、語学を習得することは大学に入る前の第一条件だと思います。

海外で制作をしながら生活していくこと。
自分との対話と意識改革から始まる一歩。

海外で生活すること。それはただ語学と文化の違いが問題になるわけではありません。
言語の面で不安が残る中、まず最初に訪れる感覚が、孤独感だと思います。
一人っきりで誰も知らない場所で、制作を続けていくこと。
その孤独感は、自然と自らと話す時間を生みます。自分はなにがしたいのか、どういうことを学びたいのか、アートとは何なのか、なぜ制作をするのか。
自分で決めて、海外に出てきたのだからこそ、背負うものも多く、その裏には常にプレッシャーを感じるものです。
その状況でどれだけ立ち止まって考えられるかということが、自分の成長、作品の成長に繋がる財産になるように思います。

毎日休まず制作を続け、次はその作品を売り込むフェーズへ移っていきます。
大学では他学科の教授にも直接連絡を取り、作品の講評を仰ぐ。
コンクールや助成金に応募するためには、作品やコンセプトを説明する文章を書くことも多くあります。
さらに作品集を持ってギャラリーを回る。
絵を描いてる以外の時間も、展示機会を得るためにやることがたくさんあります。
いろんなものを捨てて、0から新しく海外でスタートしたからこそ、自分の制作にすべての時間とお金を費やせる姿勢を身につけられたように思います。
そして、土日を含め毎日制作を続けるということが、とても大事だということを、ここに来てようやく理解できたと思っています。

今回はドイツでの制作・発表を通して見えてきた、日本のアートとの違いや生活環境の違いをお伝えしました。

12月2日

伊津野展も今週末まで。

いつもに比べると人の出が少ないが、何人もの方が伊津野展についてブログやフェースブックで記していたいだいているのでいくつか紹介させていただく。

M様のブログより

前回の個展では、
板や柱が木彫に添わされていて、
同化したり反発したりの関係(動き)が
大きな特徴になっていましたが、
今回の作品は、より一体化が進んでいます。

木の素材感が強く現れ、
木の持つ時間性や量感、生命感の底流を感じます。
一方で随所に顔をみせる、
「遊びこころ」的象嵌や接続(ほぞ)などは、
創ることの純粋な喜びが溢れ出ているようです。

彫刻が置かれた空間は、
静寂の中に深遠な世界を醸し出しています。
独特の安息感ともいうべきイメージを、
観賞者は自然に共有してしまうからと思われます。

T様フェースブックより

世界をまぶかに」(最初の写真)。土星の輪のような帽子のような世界をまぶかに被るのは、混沌とした世界のあり様を嘆く女神のようだ。
清らかで美しいのに力強い彫刻像には、どこかメルヘンの香りも漂う。

F様

GALLERY TSUBAKIで展示されてる
木彫の伊津野 雄二 展。
優しくていごこちのいい空間に
時間をわすれて長居してしまいました。

Y様

もう大分前の事なんだけど、ロンドンに在外研修で1年間滞在したことがある。
その時、シェーカー教徒の彫刻を見た。彫刻といっても芸術作品として作られたものではなく質素な荒削りのものだった。木彫りで胡粉か何かを表面に施されている感じだった。それに惹かれた。1点、人物らしき木彫りのそれを購入した。
今でも宝物だ。

昨日ギャラリー椿に行った。伊津野 雄二 展。同じ匂いがした。
娘も一緒に行ったんだけど、展覧会の中の1つの彫刻の人の肩に蝶番みたいな感じで凸っているところがあり、それを「ちいさな家」だと思ったみたいで、娘は「なんで人の肩に小さな家があるの?」と聞いてきた。
子供の視点は素敵だ。
今思うことなんだけど、デッサンを何時間も教えることは中学生には必要ではなかったかもしれない。(でもつい口を出してしまう。私がそれらのことを知って感動があったから。。。)
それよりも、いい作品を見る体験がより重要なんだってことが昨日わかった気がした。





12月1日

今日から師走。
慌ただしいままにあっという間に年末を迎えることになり、年寄りは一日が長く、一年が早いを実感している。

うれしい知らせが届いた。

画廊の前の桜の木が一本植わっている、それはそれは小さな広場である大根河岸広場のプロジェクトが、第一生命主催の第26回緑の環境デザイン賞の特別企画「おもてなしの庭」で栄えある大賞を受賞した。

京橋三丁目を中心にした京橋川再生の会が「和の文化」を発信する場として、この広場を茶の湯の精神を活かした「都市の庭」にしようと「京橋大根河岸おもてなしの庭」計画を打ち立て、それが受賞につながった。
16日には、その概要の説明会も開かることになっている。

喫煙等による環境劣化を改め、東京の顔にふさわしい質の高い「緑と水と木」の空間を目指していて、いずれは暗渠となっている京橋川の再生につながればと期待をしている。

その反対隣の東京スクエアーガーデンも名前の通りにビルごと緑に囲まれた建物となっていて、画廊の目の前には桜の木が植えられ、いずれは美しい桜並木となる。
東京の中心の中央通りの一角に、環境に優しいエリアが出現し、自然に囲まれた中に画廊があるということになれば、これは極上の喜びであるとともに、地域の皆さんの地道な努力に敬意を表したい。

11月30日

昨夜のテレビ「情熱大陸」で美しすぎる銅版画家と言われる小松美羽が紹介された。
ちょうど私どもの上にある彩鳳堂画廊の取り扱い作家で、この放映に合わせて作品が展示されている。

彼女の作風は物の怪をテーマにしたおどろおどろしい世界を描いていて、同じように美人画家として有名な松井冬子も内臓が飛び出すようなシュールな絵で、どうやら美しい女性が気味の悪いを描くという違和感が、余計に話題として取り上げられるのだろう。

彼女の作品は大英博物館に収蔵されたり、昨日開催された香港クリスティーズでは彼女の大作が出品され、300万円を超える価格で落札されたりと、まだ30を過ぎたばかりの新人としては破格の扱いとなっている。

今やクラシック音楽の世界もそうだが、有名になるには美人が必須条件のようで、彼女自身も言っているようにまだ未熟な部分もあるにもかかわらず、いきなりひのき舞台に上がってしまい、その戸惑いが画面からも感じられた。

今後は美しすぎるのレッテルを剥がして、作品そのもので活躍していってほしい。

私のところにも美しすぎる女性画家がたくさんいるのだが、未だメディアの取材が来ないのはどうしたことだろう。
そのためには気味の悪い絵を描いてもらうしかない。



11月28日

家内も無事退院で付き添いも一段落。
ご心配いただいた方には心よりお礼を申し上げる。

昨日はロータリークラブの友人i氏の叙勲のお祝いの会を仲間たちでやろうということで出かけた。

i氏は大手通信会社の社長・会長を務め、通信事業に多大な貢献をしたということで、瑞宝重光賞を授与された。
場所はフランス料理の名店・ミクニで、偶々30周年記念の最中、格安で飲み放題で極上のフランス料理が味わえるということを聞き、叙勲を肴にロータリーの仲間20人ほどが集まった。

叙勲の資格としては社会貢献はもちろんだが、悪いことをしていないということも条件の一つだそうで、さかんにi氏はこれを強調していた。
集まった中にも、何人か叙勲候補者がいるが、この悪いことをしていないというのにどうもみんな引っかかりそうである。

昨年、同じゴルフクラブの仲間の元国会議員のこれもi氏というが、長年の功績に対し、勲一等旭日大綬章をもらい、こちらは盛大なパーティーが催された。
氏は80歳を超えるが、ゴルフの腕前はかなりのもので、なかなか勝たしてもらえない。
ある役所関係の大きな事件で、氏は疑惑をもたれたが、その関係者と会っていたとされた時刻に偶々ゴルフをしていて無実が証明されたが、好きなゴルフが身を助け、晴れて今回の叙勲にもつながったのだろう。

私のような庶民には無縁のものだが、こうして知人が叙勲することはうれしいことで、そのたびにおいしい料理にありつけるなら、仲間も是非身を清め、次々に受賞してほしいものである。



11月24日

今日は海外からの来廊が相次ぐ。

毎年ソウルのアートフェアーKIAFの会場となっている貿易センターCOEXのマネージャー・チャンさんが5月に開催されるソウルオープンアートフェアーの勧誘にやってきた。

COEXは漢南の中心にあり、展示場、会議場のほかに地下には巨大なショッピングモール、映画館、水族館、カジノなどの施設が入っている巨大なコンプレックスビルで、ここを中心に5月にはC-FESTIVALという盛大な文化イベントが開催される。
そのあとを受けて、フェアーが開催されることになっていて、ぜひ参加をと訪ねてきた。

しかしながら、3月には香港でのアートフェアーと山本麻友香の個展、4月には台北のアートフェアー、5月には東京での国際アートフェアー、アジア・パシフィック画廊協会会議があり、そこに一週間後に釜山のアートフェアーからも参加依頼が来ていて、にっちもさっちもいかない状況で、その日程に重なるようにソウルのフェアーでは参加はとても無理である。

お金も人も体も続くわけがないので、これはきっぱりとお断りすることにした。

夕方には、ミズマアートの前社長の若林氏が新たに三大オークション会社の一つ・BONHAMSのアジア地区のシニアスペシャリストに転職した挨拶を兼ねて、そのアジア担当の副社長であるマグナス氏を連れてやってきた。

マグナス氏は昨年まで香港のアートバーゼルのチーフディレクターとして辣腕を振るったが、新たにBONHAMSに移籍をし、今後の活躍が期待されている人である。

偶々、BONHAMSの香港のオークションで日本のウィースキー軽井沢が1千万円で落札されたことは記憶に新しいが、先の日記でも書いた友人が同じ軽井沢のヴィンテージを持っているので紹介させていただいた。

話は弾み、サザビーズやクリスティーズが若手の育成ということで盛んに日本の若い作家の作品のオークションへの出品依頼をしてきていることに対しての考えを聞かせてもらった。

マグナス氏は若手の作家をいきなりオークションに出すのは少し違うのではと言って、まずはプライマリーの画廊がじっくり育てて、グローバルの評価を得られるのを見極めてから私たちは手を差し伸べ、世界のコレクターに紹介していきたいと言い、それはまさしく同感であり、そういうことであれば是非協力をしていきたいと答えた。

逆に私が提案させていただいたのは、すでに評価の定まっている日本人作家、それも明治以降の日本画の質の高い御舟や春草、華岳、大観といった作家たちをグローバルな市場に展開することを薦めた。

これはサザビーズもクリスティーズも積極的にやっていない分野で、彼もいきなりではなく、まずは香港でそうした作家達の秀作を集めた展覧会を開催し、認知度を広めたうえで、その分野を積極的に進めてみようとの考えを述べた。

現代美術の分野では多くの日本人作家がグローバルな評価を得ているが、明治以降の近代美術、それも日本独特の文化である日本画の分野をぜひ海外に広め、市場として確立してもらいたいものである。

11月22日

大学のクラスのゴルフコンペ、クラス会ともに楽しいひとときであった。

サンフランシスコからゴルフとクラス会に合わせてやって来たY君や、福岡、松江や宮城からも仲間がはるばるやって来た。

先日ロータリーの会合で配られた資料に次のようなことが書かれてあった。

福沢諭吉翁に私淑した父親が息子を弟子にと懇願し、面接の上入塾が許された。
福沢先生のもと勉学に励み、優秀な成績で卒業し故郷に帰り家業を継ぐこととなった。

息子は父親の事業を受け継ぎ、父親以上に事業を拡大し多忙をきわめる日々をおくっていた。

そんな折、福沢先生から度々会合の誘いがあったが、多忙を理由に欠席の手紙を出して出席することはなかった。

そんなことが続いたある時届いた福沢先生の手紙には次のようなことが書かれてあった。

多忙もわかるが、会合にはなるべく欠席しないように、一回の会合に出ることは10巻の書を読むに等しいと。

人に会うことが自らを成長させ、異業種の人達と数多く会うことは成長への捷径であるということを力説したかったのだろう。

ロータリークラブは異業種の人達が集まる奉仕団体で、私は四十年在籍しているが、ここで多くの掛け替えのない人に出会い知己を得た。
ここに入らなければ、到底出会えなかったそれぞれの世界で功成り名を遂げた人達ばかりで、それこそ本を読んだり、師に教そわり学ぶ以上のものを私に与えてくれた。

今回のクラス会も色々な所から仕事も様々な連中が集まり、旧交を温め、それぞれの近況を語り合い、それは10巻の書に等しい集まりであった。

はるばる遠くからやって来た仲間は我が大学の創始者でもある福沢諭吉翁の教えを文字通り実践したことになる。

来年のクラスメートの故郷を訪ねる会は福島に決まり、旅行とゴルフコンペ、クラス会での次の再会を約して散会となった。

11月21日

伊津野雄二展が始まった。

いつものごとく端正で格調高い作品が並ぶ。

従来に増して神々しさも際立つ。
神がかったというと大袈裟だが、ギリシャ彫刻をほうふつとさせる人物像というよりは女神像といったほうが相応しいような作品である。

現代の立体作品の軽さとは対極にある胸にずしんと響く重みというか深みといったものを感じさせてくれる。

木肌そのものの美しさを粗削りな部分と磨き上げたようなきめ細かさでバランスよく表現しているところも魅力の一つである。

12月5日までの開催で、ぜひとも皆様のご高覧をお待ちしている。





11月19日

寒くなったり暖かくなったりで、不順な天候が続く。

家内の具合もだいぶ良くなったので、明日は大学のクラスのゴルフコンペに初めて参加することにした。

更にゴルフコンペの翌日の夜にはクラス会が開かれ、担任の先生を囲んでかなりの人数が集まることになっていて、こちらも久しぶりの参加である。

大学のクラスの仲間の半分以上が地方出身者だったので、卒業後会う機会も少なく、こうした機会でないと会うこともない。
2年前からは、そうした地方出身者のところを訪ねる旅行会も企画されていて、旧交を温めることも多くなっているが、現役の私はなかなか参加できないでいる。

3浪、4浪のつわもので年が行き過ぎて、会っても顔がわからなかったり、ほとんど授業に出てこなかった連中とは、顔も名前も全く思い出せないのもいるだろう。
かくいう私も、学園紛争の真っただ中をいいことに、ヨットばかりやっていて、だいぶ授業をさぼった口なので、向こうも記憶にないのがいるに違いない。

また12月には高校の時のヨット部の集まりがあって、これも久しぶりの再会である。

土曜日の授業が終わると、すぐに吉祥寺の高校から練習場の横浜の海まで出かけ、合宿所に泊って日曜日の夜遅くに帰るという3年間であった。
その後、横浜の海が埋め立てとなり、練習場が千葉となったこともあって、高校のヨット部はとても通いきれないということで、私が卒業をした数年後に廃部となってしまった。

そのまま上の大学に進んだヨット部の連中は頻繁に会っているようだが、私のように他大学のヨット部に行ったり、大学ではヨットをやめてしまった仲間も多く、会う機会は少なくなってしまった。

みんな歳をとり、これでは再会もままならないぞということで、上の大学に進んだ連中が中心になって、久しぶりに集まろうということになった。

大学のクラスメートよりは濃密な時を過ごしたこともあって、こちらも仲間との再会を大いに楽しみにしている。

11月18日

二人の個展も終わり、次の個展・伊津野雄二展の準備がそろそろ始まる。

その前に、二人の展覧会の売約作品の梱包や発送作業にスタッフは追われている。

海外の展覧会もそうだが、画廊では年中梱包・発送をしていて、画廊というよりは運送屋と思われても仕方がない。

更に作品の箱作りも、うちでは段ボールを使って自前でやっている。

今はどうか知らないが、古い画廊ではたいてい作品の箱は自分のところで作っていたものである。
私が若い頃に勤めていた大阪の梅田画廊には額装部があり、ベテランの職人さんが3人いて、その下で新入社員は1,2年長いのは3年ほど箱作りやマット切りをやらされたものである。

私はというと、生来の不器用が幸いし、作った箱がすべて歪んでいるということで、一週間で営業に戻されたが、ほかの新人はそうした下積みを経験したものである。

いわゆる修行ということなのだろうが、当時社長宅には私を含め5人の住み込み社員がいて、その何人かは東京の画商の息子たちであった。

社長宅のすぐ横にあるガレージの1,2階の小さな窓が一つしかない部屋にむさくるしい男が5人寝起きをしていた。
食事は社長宅でするのだが、入社した当時は社長家族の皿洗いや娘さんの靴磨きなどをさせられたものである。

今は懐かしい思い出だが、コンクリートに囲まれた小さな部屋の夏の暑さは想像を絶するもので、仕方がないので先輩格の私が小さな冷蔵庫を買って、そこに食品ではなく下着やパジャマを冷やして、夜寝るときにそれを着て寝たりしていた。

冬は冬で、社長の運転手さんがガレージの中で朝早くから車の暖機運転をするものだから、排気ガスが充満し息が苦しくなって、目が覚めるといった具合であった。

古美術の世界では未だにそうした丁稚奉公はあるようだが、画商の世界にはなくなっている。

私のところにもスタッフの一人が画商の息子で、長い間預かっているが、丁稚奉公というわけではなく、私の若い頃のようなことをさせるわけにはいかない。

その名残りと言おうか、箱作りだけはやってもらっている。

11月14日

日記をしばらくお休みしてしまいお許しいただきたい。

家内が体調を崩して緊急入院してしまい、その付き添いで画廊にも出ていなかったので、失礼させていただいた。

渡辺、鈴木の個展も今日が最終日、家内のほうも一段落ということで画廊に出てきた。

年とともにいろいろとがたが来るもので、私もいたって元気と威張っているが、気を付けなくてはいけない。

ただテレビなどを見ていると、あれもいけないこれもいけないで、それだけで病気になってしまいそうだが、自然体が一番ではないだろうか。

今朝も初めてのお客様が渡辺作品の大作をを買ってくださったが、名前も版画の技法もまったく知らず、作品そのものが気に入ったという。

このように情報に惑わされることなく、あるがままに作品を気に入っていただくのが一番うれしい。

今も通りがかりに看板を見て立ち寄った若いカップルが渡辺作品を購入。

両方の展覧会も休んでいる間にもずいぶんと赤印がついていて、今日で終わるのが惜しいくらいである。

画像情報などで関心のある方はお申し出をいただきたい。

11月9日

一つ訂正。

日本の個人の貯蓄残高は170兆円ではなく、1700兆円の間違いでした。

その10%でなく、1%17兆円が貯蓄から投資に向かえば、株価が上がり、ひいては経済が上向きになると野村の知人は言っていた。


私どものロータリークラブの会員で、著名な医師で「NPO法人アンチエイジングネットワーク」・理事長のS氏が先日クラブで講演をした。
残念ながら海外出張中で、私は聞くことができなかったが、クラブの週報にその内容が出ていたので紹介させていただく。

「老いと美とエロス」と題しての話だったので、美に携わる者として、また老いに差し掛かっている「男」としてぜひ聞きたかったのだが。

大切な人に花を贈る場合、若い蕾を選ぶが、それはやがて萎んでしまう。
花の場合は”若さイコール美しさ”である。

だが人の場合は年相応の美しさ、内面から出る輝きと言われるが、具体的と言われると答えが出ない。
美しく老いるということの難しさがここにある。

ところで「美」とは 何だろう。
「美」そのものの定義がは不可能で、その引き起こす属性によって定義するしかないというのが、美学者の立場である。
その属性が「心地よくさせる、PLEASING」という言葉で表される。

”美とエロス”はどんな関係だろう。
古代ギリシャ人にとってそれは同義語であった。
プラトンは上等なエロスは美を目指し、更には善に通ずる、悪いエロスはリビドー(性的衝動)で猥褻に堕すると。

例えばバルテュスの少女像は股を広げ、下着丸出しの図柄で、素直に見ればこれはのぞき見趣味で、作家は変態ではなかったかといわれてしまう。
でも絵画市場ではれっきとしたアート作品となる。
こう考えると、西洋美術の基本とされている「ヌード」も怪しくなってくる。
あれはあくまで男の視点の産物で、芸術の名を借りたエロ趣味を正当化しているのではないかと。

そもそも美とエロスを分けることは無理なのではとなってしまう。

さて「老いとエロス」という難問。
日本では年を取れば枯れるもの、セックスなどいかがわしいという概念があるが、高齢化社会になって見直しが必要になっている。

加齢に伴ってすべての機能は衰えるが、リビドーが不要になることを意味していない。
逆に仕事のストレスや妊娠の恐れがなくなる分リビドーの抑制が取れる面もある。
身体の活性化、若返りのための性ホルモンの重要性が認められてきている。

「アンチエイジングネットワーク」ではいくつになっても”男と女”をモットーに掲げている。
決して「失楽園」を推奨するわけではないが、それでは何だと言われても、即答できないで困っている。

「大人の男女の付き合い」はどうあるべきか皆様のお知恵を拝借したい。

以上のような要旨で、美の概念というアカデミックな話からはそれてしまったが、「アンチエージング」の立場からはこういう話になるのだろう。
要は若返りにはエロスは不可欠ということなのだろう。

さて私も「老いとエロス」、気持ちだけはあるのだが。

11月7日

今日は全国美術商連合会の会議。

社団法人となって初めての会合。

会員の皆さんのご努力で会員数が大幅に増え、1700名の会員数となった。

ただこれでは目標の数には届かず、何とか3000名までもっていきたいと、理事長より強く要望された。

私ども日本版画商協同組合も50名ほどの会員がいるにもかかわらず、15名ほどしか加盟しておらず、そうした組合に参加する意識が低いのが何とも残念である。

ここでは美術業界、ひいては文化全般にわたり、文化支援、美術行政の改革、税制改革、文化財保護、文化省の創設などを謳い、熱心に活動をしている。

そのためにも更なる組織の強化拡大が不可欠で、透明性の高い社団法人になったのを契機に、まだ加盟していない美術商にご理解をいただき組織の増強に努めなくてはならない。

また私が出席をしているアジア・パシフィック画廊協会会議が来年5月に日本で開催されることになっていて、全美連の絶大なる支援協力をお願いした。

来る11月12日には「文化省創設への道筋」と題した文化芸術振興議員連盟と全美連も加盟する文化芸術推進フォーラム主催による公開シンポジウムが、東京美術倶楽部にて17時より開かれる。

講演を「東京五輪と文化芸術」と題して東京オリンピック・パラリンピック担当の遠藤利明大臣にお願いし、議員連盟に参加している各党の会長や副会長が出席しての公開討論も行われるので、入場も無料ということで多くの参加をいただきたい。

11月6日

野村証券の知人が訪ねてきた。

株のことは全くの素人で、一度だけ40年近く前になるだろうか投資信託を買ったことがあったが、それ以来まったく株には興味がなかった。

バブル崩壊後、長い間株価や地価は低迷し、私ども美術業界もそのあおりを受けて、日本画や近代洋画は大きく値下がりをし、立ち上がれないまま今に至っている。

ようやくここにきて8000円前後であった平均株価がアベノミクス効果もあって、2倍以上となり、地価も都市部では同様に値上がりをしている。

ただ私にはそうした景気が上向く実感がなく、多くの美術品価格は未だ回復する兆しがない。

そうした日本の美術市場が低迷する中にあって、アジア諸国の美術市場の発展は目を見張るばかりである。
私はまだアジアの美術市場が現在のような巨大化する前からかかわりを持っていただけに、この17,8年の彼我の差にはただただ唖然とするばかりである。
そうした中でグローバルな価値観が多様化し、欧米での評価によって一部の日本人作家の価格は高騰し、アジア諸国にもその流れは波及し、そうした作家の需要はますます増すばかりである。

10月から先日まで、韓国、台湾とアートフェアーが続き、中国の景気悪化に影響されると心配したが、私のところは今までにない好成績を上げることができ、相変わらずのアジア美術市場の活況を肌で体感してきた。

野村証券の知人の話では、先日売り出された日本郵政関連の株で、日本人投資家に8割、海外投資家に2割が割り当てられたそうだが、その申し込みで日本は5倍、海外は何と50倍の申し込みがあったそうだ。

ただ今回の郵政関連株を買った多くは機関投資家ではなく、殆どが個人投資家だったそうである。
今個人の貯蓄残高は170兆円あるそうで、アベノミクスで株価に投資されたお金が30兆円で、これによって2.5倍近くまで株価が上がってきたという。
わずかな金利で我慢をしてきた個人の貯蓄が郵政株を契機に投資に回れば、例えば一割の17兆円が株に向かえば、それは株価の更なる高騰に繋がるという。

日本郵政株の配当は3.5%だそうで、買った株を売らずにじっと持っていても定期預金よりはよほどいいということになる。

海外の投資意欲や美術業界の活況を見ていると歯ぎしりするばかりであったが、何とかこうした機会に投資にお金が回り、それにつれて実体経済が上向きになり、結果日本の美術市場の活性化につながるのではと期待をするのだが。

知人が今ではなく、もう少し前に来て日本郵政の株でも薦めてくれていたら、なけなしの貯金をはたいて買ったかもしれないのに、時遅しである。

11月5日

海外出張続きということもあって、50日ぶりに床屋へ行ってきた。
そうしょっちゅうはは行ってられないこともあって、できるだけ短く刈り上げてもらっている。
頭がスースーして寒いが、これでまたしばらくは持ちそうである。

画廊では二つの個展が始まっている。

渡辺達正展はメゾチントという技法を使いブルーの濃淡で表現した作品が並ぶ。
まるで藍染めのようなかすれたブルーのマティエールが美しい。
銅板でこれだけ微妙な色の変化が表現できるとは、銅板技法を極めた渡辺ならではの仕事である。

渡辺も再来年には多摩美の教授を退官することになっているが、作品も円熟の境地に達してきたようだ。





奥のスペースでは鈴木亘彦展。

ステンドグラスの技法を使った彼独特のオブジェ作品だが、しばらく同じような表現が続き、多少マンネリ感を否めなかったが、今回は造形的にも新たな展開を見せてくれている。
同時に絵画的な表現も試行錯誤してきたが、ようやく自分のものにしたようだ。

それと、奥のスペースの空間を実にうまく使い、空間構成も成功している。

壁のパーテションを一枚外し、外の景色を取り入れた展示などは見事である。

両方とも静謐感に満ちた展示で、暫しくつろぎの時間を楽しんでいただきたい。





11月3日

お客様へのお届けがあるスタッフとそのお手伝いをしてくれる横田と一緒に昼食をとる。
フェアーが始まってからはろくな昼食を取っていなかったので、売上のお金を換金に行った両替屋さんで美味しいお店を教えてもらった。

小籠包に豚の角煮、角煮は故宮美術館の有名な翡翠の角煮そっくりで、切り分けるのが惜しいくらい。
それを帆立貝の形をしたパンに挟んで食べると柔らかくて、味もじっくりと染み込んでいて、何とも言えない美味しさ。

二人は明日まで台北にいるが、私は6時過ぎの飛行機で帰京する。

作品を届けに行く二人と別れて、まだ時間があるので、ホテルのロビーで事務処理。
ところが疲れも溜まっていたのか爆睡。
空港に向かうタクシーでも爆睡、空港内でもう一度マッサージを受けたが、ここでも爆睡、そして飛行機でも爆睡。

どれだけ寝れるんだ。 家に向かうバスでもまた眠る。
家には丁度夜中の1時近くに到着。
もう家ではすぐに眠れないと思ったが、すぐにバタンキュー。
眠り病にかかったのかと思うくらいによく寝て、朝はスッキリ。
画廊ではすでに二つの個展が始まっていて、気持ちを切り替えてこちらも頑張らなくては。





11月2日

31日から手伝いに来てくれた横田尚の作品が最終日に大人気。

小品もいくつも売れたが、有り難かったのは終わり間際に200号の大作が売れたことである。
昨年も終わろうとしている時に、100号の作品が売れて、手伝いに来てくれた彼女に報いることができたのだが、、またまた今年も滑り込みセーフで、横田尚は台北に来ると、強運を運んでくる。

立体も持ってきた作品は全て売れて、日本に返すシッピング用の大きな木箱が二ついらなくなった。

シッピングフィーは重さや作品量ではなく、木箱の大きさが基準になるので、箱の大きさや数で一番苦労する。

知り合いの画廊では、どうやったら効率よく小さい箱に収められるかを、実際の作品を組み合わせながら考えるそうだ。

終わり間際はこうしたギリギリになっての商談や支払いに来る人、作品の引き渡しなどでてんてこ舞いの忙しさとなる。
さらには終わると同時に展示作品の片付け、梱包、送り返す作品のインボイスの作成とチェック、お届け 先の確認、経費の精算、入金金額の計算と限られた時間 でやらなくてはならず、目の回るような忙しさ。

昨日の夜に鉄の茶室を展示した大阪の画廊さんが、片付けに相当時間がかかるので、閉館時間に間に合うだろうかと心配していたが、何のことはない、そこより私の方が時間がかかってしまった。

10時になってようやく終了。

後は定番の夜市の鉄板焼きとマッサージ。
合流する予定だった大阪のイノウエヨシアキギャラリー、小山登美男の連中はほぼ食事を終えていて、私達はいつもながらおそおその食事となった。
マッサージは私に恨みがあるのか、機嫌が悪かったのか、かなり痛くて、悲鳴をあげつつ痛さを必死にこらえながらで、明日の筋肉痛が心配だ。



11月1日

早めに会場に行って、各ブースを廻るが広すぎて、迷子になりそう。

各ブースで売約の赤印が目立つ。
人出、売上げともに好調のようだ。

今日は日曜日ということもあって、ものすごい人の数。
毎年参加しているが、今年が一番多いのでは。

運営を香港バーゼルを主催するところに任せたことで、広報宣伝が行き届いているようだ。
総統がオープニングに見えて挨拶をしたことで、メディアに大きく取り上げられたことも影響しているのだろう。

会場デザインもそうだが、専門家に任せたのが功を奏しているのだろう。

今日も美しいご婦人が、森口作品をまとめ買いをしたり、横田尚の初めて制作した立体が完売するなど、その勢いは止まらない。

立体作品は一つを残すだけとなり、帰りの荷物が少なくなるのが大助かり。

運送費はバカにならず、特に立体作品は梱包を厳重にしなくてはならず、それだけ嵩が増すので、帰りの荷物が減るのはありがたい。
それと開梱は楽だが、立体の梱包は慎重かつ何重にもパッキングしなくてはならず、終わってからの限られた時間でやるのは大変で、去年も最後の最後に立体の首を折ってしまったことがある。

台南の画廊さんに招かれての夕食会でも、大阪の画廊さんが撤収に間に合うかを心配していた。
特別展示に招待されて、広いブースに鉄で出来た実物同様の茶室を組み立て展示している。
これを解体して梱包しなくてはならず、聞いただけで気が遠くなる。

そんな搬出やアジアならではの値切りの苦労話を話しながら、ご馳走の北京料理に舌鼓を打ち、明日最終の健闘を誓った。



10月31日

今朝から霧雨が降っているが、相変わらずの大盛況で会場は大賑わい。
私どものブースも多くのお客様でひしめき合っている。

お陰で売れ行きも好調、立体作品は相変わらずの人気でユンボクの抽象作品以外はほぼ完売となった。

平面作品も順調に売れていて、ソウルに続いてフェアーへの参加は成功したと言っていいだろう。

ただ、高くなっているブースフィー、輸送費、滞在費、渡航費、人件費などを考えると現在のところ収支トントンといったところだろうか。

利益を上げるためには、どうしても高額作品が必要となるが、そうすると私どもの扱い作家以外の作品を持って来なくてはならず、そこが難しところである。

今回のフェアーではコミッティーを依頼され、各国からの参加申し込み画廊の選考にあたることになった。

選考の基準に、画廊での企画展をどのくらいしているか、セカンダリー画廊ではないこと、出品作品のクオリティーなどいくつかの項目があって、それに沿って私は選ばせてもらったが、日本画廊の中には、いくつかのセカンダリー画廊が選ばれているのはどうしたことだろうか。

台湾側のコミッティーとの関係もあって選ばれているのだろうが、こうしたところは流行りの草間、奈良や具体美術の作家たちの高額作品を持ってきていて、売上げに繋がれば大きな利益を上げることになるのだが、その辺の兼ね合いは難しいところである。

香港バーゼルは選考が厳しいことで知られるが、ここでも自前の作家の出品よりは、人気作家を出品する画廊が優先されている。

アートフェアーというのは、自動車ショーなどと同じように自社製品を紹介する見本市のようなものと私は思っているのだが、アートフェアーの規模が大きくなるにつれ、どうしてもセカンダリー画廊が跋扈する状況になるのは否めない。

その辺の見解をアート台北の主催者側に一度聞いてみようと思っている。

さて、今夜は台湾の画廊協会代表のアキギャラリーの招待でハロウィンパーティーなるものに出かけることになった。

インドネシア画廊協会代表で今回の会議で来ているエドウィン氏も誘って参加したが、おじさん達にはどうも場違いみたいだし、画廊からの参加もどうやら私のところだけのようなのでなんともいたたまれない。

会場が暗くなったのを幸いに早々に抜け出すことにした。
それにしても、アキギャラリーのオーナーのリックさんは今回のフェアーの主催者でもあり、アジアパシフィック画廊協会会議のチェアマンで多忙を極めているにもかかわらず、今夜のパーティーだけではなく、明日の朝も画廊でブレックファーストパーティーを予定していて、リックさんもそうだが、スタッフもさぞかし大変なことだろう。

私は連日の疲れもあって、明日の参加は勘弁してもらおうと思っている。
気になるのは、会場で顔に貼られたカボチャの絵だが、こすっても落ちず、街中をいい年こいたおじさんがそのままで帰るのが恥ずかしい。

10月30日

いよいよ一般公開だが、今日はアジアパシフィック画廊協会会議が昼からあるので、そちらに専念。

昼食を終えて、今回は公開シンポジウムという形で開催された。

それほど聴衆は多くないが、なんとなく緊張。
事務局から同時通訳を紹介されたが、4時間で14万円というとんでもない値段。
政府の会議じゃあるまいし、とても全美連に出してもらえるギャラではない。

仕方なく東京国際アートフェアーのディレクターK氏に友情出演してもらうことにした。

ただし、専門の通訳ではないので、歯がゆい部分があって、消化不良。

アート業界の協力の時代というテーマで、各国代表が話すことになった。

他の国がどういう話をしているかが、伝わってこないので、つくづく語学力のなさを痛感させられた。
私の番になっても、まとまりのない話で、それを通訳しなくてはならないので、K氏も大変だったに違いない。

聴衆の方からの質問でも、恐らく銀行の偉いさんなのだろう、企業特に銀行の支援について尋ねられた。
他国はそれぞれの支援については語ったが、日本は企業も行政もそうした支援は全くないと話したのだが。

後で、公開の場所では、あまりネガティヴな話はしないほうがいいと通訳を頼んだK氏に怒られた。

確かにそうだが、どうしても外国の人のようにオーバーにいうことができず、控えめにしか言えない。
これも日本人の美徳であり、欠点でもある。

K氏に指摘されて、なるほどそうなんだと反省しきりである。

来年春はいよいよ日本で開催することになっていて、どのような対応をしていいか、今から頭が痛い。

終えてブースに戻ると、多くの作品が成約していて、私がいないほうが商談はうまくいくようだ。

明日はホテルで昼寝でもしてようか。

10月29日

早朝から展示を再開し、なんとか昼前には終了。
作品が多過ぎて、雑然としているのが気になるが。

他のブースを見てみると、どこも整然としていて、以前と比べると、格段に洒落ている。
ソウルのフェアーではごちゃごちゃ感が際立っていたので、余計にすっきりした感じがする。

イメージとしては、台湾の方が雑然とした感じはあるのだが。

3時からVIP招待の内覧会が始まる。
こちらもソウルとは大違いで、多くの人で賑わっている。

ブースも今までと違い、小さなブースがなくなり、広いブースだけに全体がゆったりしている。
それに加えて、これはソウルも同じだったが、通路の幅が大きく広がり、相当多くの人がきているはずなのだが、混み合うという感じはない。

東京のフェアーだと通路やブースが狭いこともあって、暮れのアメ横状態になってしまい、ゆったりとみるという感じがしない。

オープニングレセプションも馬総統や文化大臣、各国大使が招かれ、総統の挨拶があるなど、日本のフェアーでは恐らくありえないことで、いかに文化に国挙げて支援していることがうかがえる。

開始早々に人気の中村萌の大作をまとめ買いしたいという方が見えて、幸先いいスタートなった。

ただ他の方の問い合わせもあり、全部は勘弁してもらい、終わって残ったらお願いするということで納得してもらった。

結果、他の作品も別の方に決まり、彼女の作品は完売となった。

他もいつものことながら、台湾は立体作品に人気が集中し、他のブースでも圧倒的に立体作品が目立つ。

9時までの長丁場だったが、人も途切れることなく、ブースもたくさんの方で賑わい、あっという間の1日であった。







10月28日

展示が始まる。

今回はかなりの点数、それも重たい立体作品が多く、私とスタッフの女性に通訳の女の子だけではどんなことになるのか不安であった。

ところがである、救いの神で鍛金作品を手持ちで持ってきてくれた李ユンボク君と同じく韓国作家の立体作品を持ってきた釜山のギャラリーウーの屈強な息子さんが会期中ずっといてくれるという。
それに台湾の写真作家王君が弟を連れてきた。

そのお陰で、力仕事も展示も彼らがやってくれることになって、不安は杞憂に終わった。

ただ、この三人が持ってきた作品がたくさんあって、事前の展示プランが全く役に立たない。

とにかく立体作品が多く、ブース内でひしめき合っていて、収拾がつかない。

結局はこれだけの人数がいても終わらない。
7時からサザビーズの夕食に招待されているので、諦めて明日朝早くからもう一度やることにした。

サザビーズが日本アートの海外オークションでの活況を受けて、日本の参加画廊を招待してくれることになった。

確かに現在草間、村上、奈良に加えて60年代の抽象絵画の中心にあった具体美術やもの派の作家たちが再評価をされ、オークションでの価格が高騰している。

オークション会社にとっては、今後も多くの日本人作家の海外での評価が上がることを期待している。

そうした中で、海外志向の日本のギャラリーが集まるこうしたフェアーでの接待は欠かせないことなのだろう。

料理は出るは出るはで、とても食べきれない。
もうデザートだと思ってもそうは行かずに 、次々に料理が出てくる。
ようやくデザートが出てきたときには思わず拍手。

明日からもいつものごとく接待続き。
ポッコリお腹がどうやら凹みそうにない。



10月27日

台北に到着。
蒸し暑いのではと思っていたが、上に何か羽織ってないと肌寒いくらいだ。

ホテルに到着し、案内された部屋は何とびっくりのスイートルーム。
チェックインの時に部屋の値段も確認させてもらったが、予約した通りで間違いなかったはずなのだが。

もしかしてダブルブッキングでこの部屋になったのかもしれない。

間違いでしたと言ってきても、寝たふりしよう。

それにしても着いた早々ラッキーで、フェアーも幸先が良さそうだ。

ここに二日泊まって、フェアーに合わせてアジアパシフィック画廊協会会議が開催されるので、事務局の招待でグランドハイアットホテルに移ることになっている。
いつものビジネスホテルの狭い部屋とは大違いで、今回は気分良く優雅に過ごす事が出来そうだ。



10月26A日

明日からの台北行きの準備をしなくてはいけないのだが、今夜は義理ある政治家のパーティーがあって出席しなくてはならない。

小さな政党だが、新たに党首となった女性議員で、そのお祝いの会である。

私など場違いで、ほとんど知った人はいなくて、早く挨拶終えて帰りたいのだが。
ただこの人は日本を文化のフラットホームにしようをテーマに何度もフォーラムは開催していて、文化に関心を持つ数少ない政治家の一人だけに、すげなく帰るわけには行かない。

挨拶でも日本が目指すのは経済力でも軍事力でもなく、まず日本が持っている文化力を世界に示すべきと言っていた。

こういう政治家が小さな政党にいることが残念でならないが、是非とも頑張ってもらいたい。

10月26日

オリビア夫妻を富士山五合目に連れていく。
快晴で絶景が眺められると思いきや、若干霞んでいて、絶景とはいかないが、上るに連れて木々の色が黄色に変わりこちらは絶好のタイミング。
五合目近くになると一面黄色に染まり、すでに散り始めたところもあって、もう少し遅いと枯れ木を見ることになったかもしれない。

お土産屋さんはほとんどが外人客で大混雑。
中国、韓国、東南アジア、欧米と銀座通りと変わらない。

オリビアもお土産を買いあさる。
富士山の空気の缶詰1000円を薦めたが、さすがにこれは買わない。

大急ぎの富士山観光だったが、満足はしてくれたようだ。

さすがに私も疲れが出て、帰りの居眠り運転を心配したが、何とか無事に東京に戻ってきた。

10月25日

少し前に次のようなニュースが流れたので紹介させていただく。

日本産のウィスキーが海外で人気化し、このたび香港で行われたボンハムオークションで、「軽井沢」(1960年)が日本のシングルモルトウィスキーとしては世界のオークション史上最高額となる91万8750万香港ドル(約1436万円)で落札された。
日本国産ウィスキーの国際的評価の高まりが、中国や東南アジア富裕層らを中心に人気が出ているようだ。

「軽井沢」の50年物は91万8750万香港ドル(約1436万円)、埼玉県のブランドである「羽生イチロー」は54本で379万7500香港ドル(約5935万円)でそれぞれ落札されている。

 同社香港でワイン担当のダニエル・ラム氏は「世界経済のスローダウンにも関わらず、このオークション結果は、ハイクオリティのウィスキーに対して強い需要が反映されているということ」と述べている。

 現在、2012年のワールド・ウィスキー・アワードで、「山崎」25年ものがシングルモルトウィスキー部門で世界1位となるなど、日本ブランドがすでに世界で最高の評価を受けるまでになっている。
さらには、今回高値で落札された 軽井沢は日本で初めてモルトウィスキーが製造された産地としても知られるが、蒸留所が2012年に閉鎖されている。羽生も2000年に閉鎖されている。
軽井沢はワールド・ウイスキー・アワード2014のシングルモルト部門1位を受賞している。

その話を友人で大手のワイン輸入会社の元社長に話したところ、軽井沢のヴィンテージものを持っているので査定してくれないかと言ってきた。
そのワイン会社とオーシャンが合併した時にもらったものだそうだ。

樽の中に41年置かれていて、樽詰めがオリンピックの年の1964年だそうだ。
香港で落札されたのと同じ蒸溜家だそうで、素人の私でも高値が付きそうな気がする。

同じ話をこれまたワイン好きの友人に話したら、サントリーの貴腐ワインの第一号を持っているとのことで、同じように査定を頼まれた。

ちょうどタイミングよく、火曜日から出かける台北で香港サザビーズに夕食を招待されているので聞いてみようと思っている。

この話にはまた落ちがあって、私の亡くなった母が陶芸をやっていて、軽井沢に穴窯を作ったが、そのすぐ近くに軽井沢ウィスキーをつくっていたオーシャン工場があった。

当時のオーシャンの社長が私と同じロータリークラブのメンバーだったこともあって、何度か工場見学をさせてもらった。

その時の工場長の話では、うちのウィスキーはサントリーやニッカに比べて知名度がなく売れないので、逆に樽に永く寝かせてあって、他所より品質は高いと言っていたのを思い出した。

下戸の私は見学はしても試飲すらしないわけだから、そのウィスキーを買おうなどとは露とも考えなかった。
私はいつもこうしてお金儲けのチャンスを逃している。

10月24日

後から到着するオリビアの旦那を迎えにまずは羽田に。

そこから河口湖に向かうことにしているが、その前に腹拵え。
次郎とか久兵衛とか訳の分からないことを言っていたが、空港内にある回転寿司に連れて行く。

回転寿司は初めてと言った割には、お茶の入れ方や箸やガリのあるところがすぐにわかる。

私などは初めての時は戸惑ったものだが。

味も文句を言うかと思いきや、美味しい美味しいと食べるは食べるは。
結果、回転寿司で一人一万円近くは食べ過ぎだろう。

遅くに河口湖のホテルに到着。

明日が何事もないように。

10月23日

ニューヨークのオリビアさんのお世話は大変。

昼食を終えて友人と会ってから、画廊に戻り、山本以外の作家の資料を見たいと言っていたが、一向に戻って来ない。

7時を過ぎてもうすぐ行くと言う電話が入った。

資料を見てもらうのは諦めて、夕食だけでもと思って待っていたが、それでもやって来ない。

蕎麦屋の出前じゃあるまいし、すぐ出ると言ってから一時間半過ぎてようやく到着。
スタッフも皆帰らずに待っていた。

さすがに腹がたち、 もう食事はホテルに帰って勝手に食べてくれと言って、ホテルまで送って家に帰ることにした。

時間にルーズもおびただしいく、几帳面な我々日本人はいつも振り回される。

今日はご主人も夜の便で来日する事になっていて、空港でピックアップして、そのまま明日いっぱい河口湖を案内することになっているが、 さてどんなことになるのやら。

10月22日

ニューヨークの画廊さんが山本麻友香との個展の打ち合わせで来日。
足が悪いこともあり、私が空港にお迎えに。
今日から三日滞在するが、ホテルが取れない。
銀座界隈のホテルはどこも満室で、今日は何とかロータリークラブの例会場の新宿にある京王プラザホテルを無理言って取ってもらったが、週末が取れない。
ここしばらく100パーセント満室が続いていて、こんなことは滅多になかったそうだ。

明日は河口湖に連れて行くので何とかなったが、土曜日はようやくスタッフが見つけてくれた近くのアパホテルに泊まってもらうことになった。
ただ料金は驚きの値段で八万円を超える。
中国人の観光客で銀座界隈は溢れかえっていて、ホテルはどうやら足元を見て、料金を高くしているのではないだろうか。
画廊のそばのホテル西洋や八重洲富士屋ホテルは閉めてしまったが、もう少し頑張っていたら、閉めるような事態にはならなかっただろうに。

これからオリンピックを迎え、ますますホテル業界は活況を呈することだろう。

10月17日

長い間お付き合いをさせていただいているコレクターのK氏がフェースブックで次のように述べていて、興味深いので紹介させていただく。

最近は若手作家のグループ展が多く小品を低価格で売っている事に賛否両論ある様だが、現代(現在)美術は安いと言うのが宿命とも言える。
美術を評価が固まった作品とすると評価が固まるには30年位はかかる、そう考えると10?20年は安いのが当たり前になる。
それを変えるなら評価システムが必要。

画家も職業と考えれば手仕事で作るものの薄利多売では長く続かない。
薄利多売品は手仕事では無く江戸時代の浮世絵の様な複製品にするべきでそれに変なエディションなどつけて高く売ろうとするのは止めるべきで、消耗品としての大衆美術も必要で、それが商業的な意味も含めた美術の普及と言う事と思う。

安い小品ばかりの展覧会の問題点は、如何しても飽和が速くなると言う事だ。
コレクターと言っても1人の作家を数十持つ人は少ない。
2万以下で年3点買うと3年で10点位になりもういいかとなる。
5万で毎年買えば10年買う事になる。そこで作家には高い大作(30号以上)を買わせる力量が問われる。

グループ展はともかく個展では、ある程度の大作が必要なのは、自分が大作を買わせるだけの力量があるのかを試す為だ。
日本の現在の絵画価格は号単価制だが、大作は割安になる。
それでも大作の販売価格は小品より高くなる。
大作には大きさと価格と言う二つの障害があるがそれを越えさせる力量があるか。


私もK氏の考えに近い。

今オリジナル作品の価格が安過ぎて、スーパーの安売り合戦のように薄利多売に繋がっているのを私も危惧している。
いくら売っても、作家や画廊の利益に繋がらないでは、作家の生活や画廊の存続に関わってくる。
また、私はアートを一般商品のように消耗品化してはいけないと思っている。
後世に残るファインアートが安いことで、インテリアアートと一緒にされてはたまらない。
美術品はその人にとって大切でかけがえのないものである。

一人の作家を繰り返し支援していくには、画廊の判断で安過ぎず高過ぎずで、ある程度の期間価格を安定させていかなくてはならない。

一般受けする作家ではなく、個性ある作家をコレクションしてもらうには、それほど多くのお客様は期待できない。
そうしたお客様に長い時間をかけてパトロンになってもらわなくてはいけない。
価格をどんどん上げてしまうと、そうしたファンの方を失ってしまうことになる。

逆に価格を恣意的に上げたり、一般受けする要素を作れば、投機的なお客様やデパートで買うようなお客様だけになってしまう。

売れるために小品の買い易い作品だけを並べるのでは、これまた作家も伸びないし、コレクターも育たない。

ここが画廊や作家の踏ん張りどころで、今売れなくても、将来コレクションしてもらえるような意欲的な作品を発表してもらわなくてはならない。

もちろん大作だけがいいのではなく、安易な小品ではなく、内容のある小品であるのは無論のことである。

こうした要素を含めた展覧会を続けていくことで、目利きのコレクターが育ち、またそうしたコレクターに今ではなくても、目にとまる機会が必ず来ると信じている。

アートに関わるのは息の長い仕事なのだと覚悟しなくてはいけない。

ただ私達は、売れなくてもそうした作家がいることを知ってもらう努力はしていかなくてはいけない。
そのためには、うちだけではなく、いろいろな所や媒体を通して、作家を紹介する機会も作らなくてはいけない。

K氏が言うマルチプルを作るのも一つの方法だろう。
事実、村上や奈良、草間はそうして多くのファンをつかんでいる。

日本での紹介はまだだが、先日まで開催された台北のトイショウに出品した中村萌のフィギュアーなどもその良い例で、マルチプルを昨年見たり購入したお客様が、フィギュアーに比べてより高価なオリジナル作品の購入に繋がっている。

長くなったが、これからもK氏がフェースブックで発言するのを楽しみにしている。

10月16日

いつもの大学時代の友人とゴルフ、いつものごとく雨。

小ぬか雨といったらいいのだろうか、しとしととプレー中降り続いて、気温も低いこともあって、身体が冷え切ってしまった。

韓国の疲れが出てきたのと風呂上りで身体が暖まってきたこともあったのか、帰りの車でうとうとしてしまい、ドンという音で目が覚める。
居眠りで高速道路側帯の縁石を乗り越えて、ガードレールに車体の横をこすってしまった。

スピードが緩んでいたので、幸いにも怪我もなく、車も運転するには支障はなかった。
高速道路で降りると危険なので、車の損傷を確認することもせずに運転を続けたが、スピードが出ていて、前の車に追突したり、ガードレールに激突していたらと思うとぞっとして、ハンドルを持つ手の震えが止まらなかった。

最近夕方になると、画廊でも睡魔が襲ってきて、うとうとしてしまうことがあるが、運転中となると安閑とはしていられない。
加齢のせいなのだろうか、どんなに遅く寝ても朝5時前には目が覚めてしまい、寝不足状態が続いていたこともあったのだろう。

大事に至らなかったのでよかったが、零細企業の経営者としては、交通事故などで突然亡くなってしまったら、画廊の後始末はどうなってしまうのだろうと不安がよぎる。

先日も親しくしている画廊さんから、歳も歳だし、跡継ぎもいないので、今年で画廊を止めようかと思うけどと相談を受けた。
奥さんから、あなたに何かあったときにその後始末は出来ないので、元気なうちにちゃんと整理をしてやめて欲しいとも言われていたそうである。

そんなことを聞いた矢先の事故だけに、自分もこれから先のことを真剣に考えなくてはいけない。

10月15日

男の料理教室に通いだして6年半が経った。

4年間は男だけの教室に通ったが、男のコースが3コースしかなく、仕方がないので4年目はいまいちど同じコースを受けることにして、5年目からはようやく勇気を振り絞って、恐る恐る女性のいる教室に通うようになった。
教室では一応ベテランなのだが、やはり女性の前では殊勝に振舞わなくてはならず、新人のごとく女性達の指示通りに動いている。

家でも最初のうちは3時間もかかって作っていたので、いい加減にしろとの声も多かったが、女房や子供、孫たちに美味しいものを食べてもらおうと頑張ってきたので、最近はだいぶ手際はよくなった。

こうして料理をしてみてわかったのは、毎日買い物をし、料理を作り、後片付けをする大変さで、偶に作るから楽しいが、これが日常だと思うと女房のありがたさがしみじみと身にしみる。

美味しいかと聞かれて生返事をしたり、何を食べたいと聞かれても何でもいいと答えたり、食事が終われば終わったで、後片付けもしないでテレビを見たり新聞を読んだりしていたが、料理をしてみて、ああ大変なことをしていたのだなと反省しきりである。

さて、今日の料理は秋の食材を使った料理で、チキンと栗と紫キャベツの赤ワイン煮・牛ステーキのサラダ ジュレがけ・そば粉のりんごクレープでちょっとお洒落な料理を習ってきた。

黒酢を使ったジュレがステーキの味を引き立て、中々家庭ではこんな手の込んだことは出来ないが、一度家でも試してみたい独特の風味である。



10月14日

帰って早々だが、GTUでは土曜日から既に内林武史の個展が始まっている。

会場は照明を落とし、夢幻の光と音が見る人を悠久の世界に誘い込む。

内林はオブジェ作家として制作を続けていて、映像や音楽、光りを取り入れた遊び心一杯の作品を造っている。

今回は、私どもと35年にもわたるお付き合いをさせていただいているお客様が、今まで見た中で一番気合が入っていると言って、早々に予約をしてくださった。

この方はいつも辛口で、滅多の褒めないのだが、そう言ってくださるとは有難い事である。

確かに一点一点に違った要素を盛り込み、見る人の遊び心をくすぐる。

彼は綺麗に造りすぎるので、もっとラフであったり、古色蒼然としたいい意味での汚さを表現してみたらと、いつも言っていたのだが、今回の作品にはようやくそうした雰囲気を醸し出すことが出来たようだ。

会場に来て、しばし夢幻の世界を味わっていただきたい。

  尚、韓国の日記に会場風景を入れたので、ご興味のある方は5日と6日A、11日に戻ってご覧いただきたい 。





  10月13日

日本ラグビーがやってくれました。
まさか日本が3勝するとは思わなかったので、その喜びは倍増である。

息子が小学校からラグビーをやっていて、筑波大学では関東大学対抗戦や大学選手権にも出場し、その影響で私もラグビーの楽しさを知り、大ファンとなった。
息子は卒業後、大学の教員となり、そこでもラグビー部の監督となったり、オリンピック種目となった女子ラグビーの日本代表の監督としてワールドカップに参加したりと、今だにラグビーの縁は切れず、そんなわけで、私は今でもラグビー観戦が何よりの楽しみとなっている。

ソウルにいて見逃したワールドカップも再放送で見なくてはならず、同時に我が巨人軍ののクライマックスシリーズも応援しなくてはと、私の興奮はしばらく収まりそうにない。

五朗丸選手がスポーツを文化にと言っていたが、まさにその通りで、日本人の気持ちを熱くし、心を一つにするのもスポーツだからこそである。

我々アート業界もスポーツ同様に多くの人に感動を与えるように努力していかなくてはいけない。

10月12日

ソウルから夜の便で帰国する。

最後の最後に残りの一点も売れて、からの木箱がブースにポツンと残っている。

長い間アートフェアーに参加して、初めての経験である。

手伝ってくれた崔さん、ギャラリーウーのオーナーと息子さんのおかげと感謝している。

今朝はのんびりとホテルのサウナに入って、一週間の疲れを癒した。

昼はソウルの画廊と昼食を食べながら、これからの展覧会の件で打ち合わせをすることになっている。

この画廊では、偶然にも先週までうちで開催していたヨゼフチョイの作品をブースに並べ、多くの作品が売れたようだ。
それに引き換え、うちでは大した売り上げを上げることができず、相変わらずのドメスティックなマーケットを痛感させられる。

台北でも中村萌が完売したようだし、これから打ち合わせをする画廊も、新たにビルを購入し、そのオープン展を山本麻友香で開催したいという。

反日と言われる韓国でさえ、こうした国を超えて日本の文化を受け入れてくれる。

これから私がやらなくてはならないのは、海外の若い作家を日本に紹介し、国内作家にしか目を向けない国内マーケットを少しづつでも変えていくことかもしれない。

10月11日

最終日となった。

今回は広いブースを二人だけの作家の作品で埋めるという初めての試み。

山本麻友香と韓国のキムテヒョクという具象と抽象の組み合わせを、パーテションで仕切った会場構成にした。
開放感を意識し、通路の一面の壁を取り外して、見る人がブースに入りやすくもした。

たくさんの人がゆったりしていて、このブースに来るとホッとすると言ってくれた。

確かに多くのブースが色とりどりの作品で埋め尽くされていて、ざわざわとうるさく感じるし、作品それぞれが喧嘩しあって、一点一点の印象が薄い。

そういう意味では、一点一点が目立って、見る人の目を引きつける事には成功したようだ。



心配は二人だけの展示で、その二人に人気が集まらなければ、全滅の危険があった。

いつものように、何人もの作家の作品を並べれば、誰かが目に止まり、全く売れないという危険はない。

そうしたリスクを背負った今回の展示だったが、心配は杞憂となり、山本麻友香は初日からあっという間に売れて、その後も人気は続き、持ってきた作品は一点を残すのみとなった。

キムテヒョクは初めての紹介ということもあってか、作家や評論家には評判が良かったが、結果わずかしか購買に繋がらなかったのは残念ではあったが。

山本麻友香は14年前の第一回から紹介をし続けていることで、認知度は抜群で、それが韓国での人気に繋がったのだろう。

事実、初日にまとめ買いをした人は三年前から見続けていて、今回は買うつもりでやってきたそうだ。

継続は力と改めて確信させられた。

今後の参考にしたいが、月末から始まる台北のフェアーは逆に多くの作家の作品を展示する予定で、さてどんな結果となるだろう。

10月10日

快晴が続いていたソウルも朝起きてみると雨。

毎朝の漢江河畔の1時間ほどの散歩も取りやめ。
ホテルから会場までも毎日30分ほどかけて歩いている。

韓国に来るとご馳走攻めで、ついつい食べ過ぎてしまうので、食べた分を運動ではき出さないと、せっかく凹んできたお腹が元に戻ってしまう。

初日はVIP歓迎パーティー、次の日はニューヨークの画廊との会食、一昨日は日本の画廊のウエルカムパーティー、昨夜もソウルの大手画廊の国際画廊主催の海外画廊を招いてのパーティー、そして今夜もお客様の招待と連日連夜の酒池肉林。
肉林は無しで誤解なきように。

とは言え、ニューヨークの画廊が20日過ぎから日本に来て、山本麻友香の打ち合わせをする事になっているが、どこで調べたのか寿司屋の次郎か久兵衛に行きたいという。
オバマ大統領じゃあるまいし勘弁してほしい。
築地の寿司ざんまいも有名ですよと言って騙し騙し連れて行くしかない。

10月9日

今日から韓国は三連休。

ハングル語が出来たのを記念して祭日にしたそうだ。
李朝時代に漢字を読めない女性や貧しい人たちにも読み書きできる文字を作れという事でハングル語が生まれたそうだが、私はいまだにチンプンカンプンである。

そんなわけで、人出も多く、だいぶ賑やかになってきた。

10月8日

一昨日の夜中にわけのわからない電話が何度かかかってきたと思ったら、早朝にもまた別の人から電話がかかってきて、寝入りばなと寝起き前に起こされ、朝から不機嫌。

どうやら去年古い作品を見て欲しいとやってきた人が、夜中に電話してきたようだ。

朝の電話はよくわからず、そのまま何も言ってこないが、両方ともホテルの電話にかかってきて、どうしてわかったのかちょっと怖い。

所蔵品を見て欲しいという人とは朝にまた連絡が入り、今朝早くにホテルで会うことになった。

昨年も大量の日本の有名作家の作品や書画骨董を見せられたが、偽物ばかりでがっかりさせられたので、その類いだろうと思うが、万に一つということもあって、見せてもらうことにした。

作品ではなく、資料だけでろくなものはなかったが、最後の資料に横山大観の富士山の掛け軸、富岡鉄斎の屏風が出てきた。
専門ではないのでよくはわからないが、そこそこの出来なので、その資料だけを預かることにした。

偶々フェアーになんでも鑑定団のメンバーの一人である思文閣が出展しているので、資料を見てもらうことにした。

答えは真贋微妙なところで、すぐに判断を下せないが、本物としても価格は大したことはないだろうとのことであった。

大山鳴動鼠ちょびっとというところだろうか。

毎年韓国に来るとこんなが話が多いが、一度くらいお宝に出会いたいものだ。

10月7日

いよいよ一般公開。

昨日のまとめ買いに続き、麻友香人気は続いていて、ストックしていた作品にも売約が入り完売の勢いとなり、ホッと胸を撫で下ろしている。

ところがそうはうまくいかないもので、昨日買ってくれたニューヨークの画廊さんの招待で夕食を食べている時にトラブルが。

オーナーが昨夜麻友香のオークションデータを調べたところ、以前に比べて安い価格で取引されていることに対して、その理由を説明しろと言う。

そんな理由はわかるわけがなく、経済が悪くなったからではないかというが納得しない。

そのうち、私はオークションをバロメーターにするような画廊とは取引できないと言って、今回の取引は無しにしようといって言って席を立とうとした。
短気を起こさないようにと、一緒に行ったギャラリーウーさんや作家のユンボクやテヒョク、手伝ってくれている崔さんになだめられて、ようやく席に戻ることにした。

オークション会社は作家を育てるわけではなく、私の考えは作家とともにいい時も悪い時も一緒に歩んでいくことが画廊のあり方で、オークションの価格に左右されるような画廊ではないと私の考えを述べた。

彼女の作品を扱いたいなら、オークションのことより、ギャラリーウーさんも含めて一緒に手を携え、大きく羽ばたいていくことを考えるべきではないかと話して、ようやく納得してもらった。

買った作品の支払いもフェアー終了までに支払うし、10月22日に来日し、作家にも会って今後のことを相談したいということで、なんとか話は収まったのだが。

相変わらずの短気は治らず反省しきりだが、そこで終わらず冷静に話をすることの大切さを改めて知ることとなった。

70歳目前でまだまだ修行が足りない。

10月6日A

アートフェアーいよいよオープン。

明日からの一般公開に先立ち、まずはVIPの内覧会。
今年は招待券を主催者がかなり制限しているので、会場はガラガラ。



厳選したのはいいが、これだけ少ないと盛り上がりに欠ける。

幸い私のところは早々に山本麻友香の作品をニューヨークの画廊がまとめ買い。
更には来年の秋にニューヨークでの個展を要請された。

その後もこれまたお客様がまとめ買いをしてくれたり、香港から来た方が買ってくれたりで、幸先のいいスタートとなった。

もう一人のキムテヒョクは1点だけだったが、評判は良く、明日からに期待をしたい。

他の画廊の状況はわからないが、日本の画廊が今年は特別招待ということなので、それなりの成果が上がるのではないだろうか。

アートフェアーは作品が売れることは勿論だが、紹介した作家の発表の場が広がることが最大の目的なので、
そうした意味では初日から成果があったと言っていいだろう。

終わってVIPパーティーだが、こちらは閑散とした会場と打って変わっての大混雑。
パーティーも招待客を制限したはずなのだが、こちらは飲み物も食べ物も長い行列で、諦めて外で食事をすることにした。

どうも主催者の運営は思惑通りにはいっていないようだ

10月6日

ソウルにも大村教授のノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。

数ヶ月前に韮崎にある大村美術館を訪れたことがある。
大村教授は発見した薬の多額な特許料もあって、多くの美術品を集め、建物とともに出身の韮崎市に寄贈している。
女子美術大学の理事長も兼務していることもあって、2000点にも及ぶコレクションの大多数は女性作家の作品である。

美術館に気安く来てもらうように、美術館の横には温泉施設とお蕎麦屋さんまで造ったそうだ。

勤務先であった北里研究所にも数十億の寄付をしているという篤志家でもある。

教授が発見した抗生物質でアフリカで風土病で苦しんでいた多くの人を救っているそうで、氏の業績はノーベル賞に相応しいものである。

美術にも造詣の深い氏のノーベル賞受賞を大いに祝福したい。

10月5日

ソウルに到着。
空港には今回私どもで紹介するキムテヒョク君が迎えに来てくれた。
キム君は東京藝大の版画専攻科の博士課程を修め、卒業後は藝大の助手も務め、15年ほど日本で制作をしていたアーティストである。

今回のKIAFに私どものブースで展示してもらいたいと、去年画廊を訪ねてきた。
その熱意は勿論だが、モノトーンの抽象表現で、クオリティも高く、出品を決めさせてもらった。

昼前には会場に到着し、今回手伝ってもらうことになった釜山のギャラリーウーの息子さんとキム君のお陰で、早々と展示を終えた。

今回は山本麻友香をメーンに、キムテヒョクとの2人展で参加することにした。

山本の韓国での人気を期待して、新作を含め10点を展示し、それ以外にも釜山で発表した作品も10点ほどウーさんに持ってきてもらった。

明日1時からゴールドVIP、4時からはレッドVIPの内覧が予定されていて、さてどんな結果となるだろう。



10月4日

昨夜は夜中までラグビーのワールドカップを見ていて、今朝は寝不足だが、明日から韓国に8日間ほど行くので、畑の秋の収穫をしなくてはいけない。
トマトやブロッコリー、キャベツが持って帰れないくらいなっている。

今日も夏のような日差しで、日陰のない畑では容赦なく太陽の光が照りつける。
暑い上に寝不足で目眩がするほどである。

殆どは画廊のスタッフや子供たちにあげてしまうのだが、こうした苦労があるのを知って味わってもらいたい。

ラグビーは日本が南アフリカ、サモアと2勝し、世界に通用しなかった日本だけに、大健闘である。

息子が小学校から大学までラグビーをやり、現在も教員をしている大学のラグビー部の監督をしている影響もあって、私もラグビー観戦は大いなる楽しみの一つである。
それだけに、今回の日本の活躍には大興奮。

何とかもう1勝して、予選を突破してくれるといいのだが。

それに反して、贔屓の巨人軍の不甲斐なさには呆れるばかりである。
どの打者も本塁打も10数本が最高で、2割8分以上が誰もいないという体たらくでは勝てるはずがない。

それに引き換え、優勝したヤクルトの打線は見事で、最下位からの優勝は監督の手腕もあるのだろう。

因みに私のゴルフは、2回続いたコンペでぶっちぎりの優勝からダントツの最下位とヤクルトと全く逆の結果となってしまったが、ヤクルトと比較するほどのものでもない。

是非巨人も昨年の逆で、クライマックスシリーズでリベンジして、日本シリーズに出場して欲しいものである。

明日からのブログは、韓国の状況など帰ってからのブログで紹介したい。

10月3日

孫の幼稚園の運動会に初デビュー。

父親は席取りに早朝から並んでいて、嫁さんの両親ははるばる宮崎から上京し、かなり気合が入っている。

ちびっ子たちは同じ赤白の帽子と白い運動服で、どこに孫がいるのさっぱりかわからない。
席取りは大正解で、椅子に座れない立ち見の人で溢れかえっている。

子供たちが幼稚園の時は小さい幼稚園だったので、こんな大騒ぎをすることもなく、爺婆が見に来ることもなかったのだが。

夏が戻ってきたような日差しで、大勢の爺婆の熱中症が心配だ。

昼過ぎから高校の卒業50周年記念の集まりが母校であるので、昼前には帰ることにしたが、偶然一昨日ゴルフをした高校の友人が門の前にいるではないか。
私同様孫の応援に来ているという。

聞いてみるとクラスも同じだそうで、何とも奇遇である。
この後も50周年で会うことになっていて、滅多に会うこともないのに三日間で三回も会うのも不思議なものである。

50周年は運動会のような若い父親や母親がいる華やいだ雰囲気はなく、来年70歳を迎える爺婆ばかりである。
私は白髪頭だが、当時とあまり変わっていないらしく、多くの友人から声を掛けられるが、その相手はすっかり変わってしまい、名札を見ないと思い出せないのがたくさんいる。

学年で約350人いて、亡くなったのが丁度一割、連絡が取れないのもたくさんいたようだが、約半数以上の仲間が集まった。
その中で我がクラスは40名のうち、既に10名が亡くなっていて、他のクラスに比べても圧倒的に多く、寂しい限りである。

ただ我がクラスの担任は元気で、89歳になるが、学年の担任でただ一人の出席となった。
元気の秘訣は、先生は囲碁のアマチュア四天王といわれて囲碁界に長く君臨し、80歳を過ぎても日本選手権で日本一になり、世界選手権にも日本代表で出場するほどのつわものである。

いまだ現役、頭を使う囲碁が90歳目前でも生き生きとさせるのだろう。
卒業60周年にも是非出席したいそうだが、我々生徒が元気でいられるかどうかの方が心配である。

10月2日

爆弾低気圧といわれる暴風雨も去って、秋晴れとなり、青い空に浮かぶ鰯雲が秋の訪れを伝える。

先日の日記で紹介をした新国立美術館の「ニキ・ド・サンファール展」に多くの作品を出品している故増田静枝氏のご子息が画廊にやってきた。

パリでは60万人の観客数を動員したニキ展だが、こうした現代美術に関心が薄いのか、開催10日を過ぎたが、観客動員数はパリのようにはまだいっていないようだ。

18日にはNHKの日曜美術館でも大きく取り上げられるので、それを見て行かれる方も多いと思うが、これだけの展示を日本で見ることは空前絶後で、是非この機会に見に行っていただきたい。

同時にニキと増田氏との友情、それに日本にもこれだけスケールの大きいコレクターががいたことを感じ取っていただければ幸いである。

ご子息からたくさんの入場券を頂戴しているので、もし観覧ご希望の方は、画廊に来ていただければ差し上げたいと思っている。
といっても数に限りはあるので先着順で各2枚づつを差し上げたい。



10月1日

KIAFと同じ時期に台北でトイショウ「モンスター台北」が開催され、私どもが昨年に続き招待されることになった。

昨年大好評で完売となった中村萌のフィギュアーの新作をメーンにオリジナルの彫刻・絵画が展示される。
同時に横田尚も参加し、初の試みの立体作品を展示することになっている。

萌のフィギュアーは今回は130体の限定で販売されるが、既に予約が殺到していて、昨年同様に完売に成ることは間違いないだろう。

会期中、これも昨年長蛇の列が出来た萌のサイン会が今年も予定されていて、AKB並みに多くのファンが殺到すると予想される。

オリジナル作品も既に予約が入っているが、この後予定されているアート台北用の大作もいくつか完成していて、こちらも多くの台湾のコレクターの目をひきつけるに違いない。

横田も台北フェアーでは毎年大人気で、大作を始め多くの作品が台湾コレクターに納まっているが、立体作品にどんな反響があるかこれまた楽しみの一つである。





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