ギャラリー日記
2015年1月〜3月

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3月31日

昨日は花見真っ盛りの中、上野の森美術館と東京文化会館に行って来た。

美術館ではVOCA展2015が最終日となってしまったが、ぎりぎりで見ることが出来た。
前にも書いたが、VOCA賞には当時東京藝大大学院に在学中で私どもにアルバイトに来ていた小野耕石君が見事受賞した。
そんな事もあって、もっと早くに見に行かなくてはいけなかったのだが、海外に行ったりで最後の最後になってしまった。

今回は抽象表現の作家が多く推薦をされていて、その中にあって小野君のシルクスクリーンによる版表現が他を圧倒していて、22回を迎えるVOCA展において、版画での初めての受賞となったことは特筆すべきことである。
全体的には目を引くような作品は少なく、香港のフェアーで見た眼を見張るような抽象作品に比べるといま一つといったところだろうか。
その中で唯一魅かれたのは、平野泰子のTwilightという作品で、暗い色調だが、深いマティーエールの中の微かに見える光がとても美しく、こうした繊細さは日本人ならではの色表現と言っていい。
私どもで発表している夏目麻麦に通じる色合いで、私好みの作品である。



その後、すぐ横にある文化会館でのリサイタルに向かう。

大学のヨット部の仲間の娘さんでヴァイオリニストとして活躍している磯絵里子さんとその友人でゴーストライターとして世間を騒がせた新垣隆さんのピアノとのデュオリサイタルである。
今回二人の演奏によるCD「ロンド」が発売されることもあって、大勢の観客が詰め掛けた。

お二人の卓越したテクニックに魅了されるとともに、お二人のトークもまた心和ませるものがあった。
新垣さんは飄々とした味わいの好人物で、おそらくあの事件も断れないままずるずると引っ張り込まれてしまったに違いない。
災い転じて福と成すで、今やテレビの出演も多くなり活躍をしている。



3月30日

日記を3日ほどお休みしたが、その間にシドニーから帰省した長女家族と妹家族で湯沢高原へスキーに行ってきた。
新幹線と旅館と温泉、スキーに初体験の孫達は大喜び。
浴衣を着ては大はしゃぎ、スキーも孫達はすぐに滑れるようになり大喜び。
ただ爺婆は子守でくたくた。



3月26日

朝から処分品の引取りでお客様のお宅へ。
小品が50点ほどあると言うことで、それなら自宅から近いこともあって、私一人で出かけたのが大失敗。

4月の中頃には引越しをするということで、家の中はダンボールだらけ。
その中を掻い潜り、3階から屋上に出ると倉庫があって、そこに50点どころか150点以上の作品がひしめき合っている。
小品も確かにあるが、大きい作品や陶器やブロンズの重たそうな作品がいっぱいで、話とはだいぶ違っている。

これを運べとは、来年には古希を迎えようという私にはとても無理。
この歳になって、小さいながらも一応社長である私が未だに力仕事とは、零細企業は厳しい。

さすがに30点も降ろすと、重さもそうだが、3階までの上り下りで、足腰が軋み始めた。
今日はこれが限界とあきらめることにして、改めて来週アルバイトを3人ほど連れて出直すことにした。

これだけ苦労するのだから、きっと名品があるに違いないと思っているのだが。

3月25日A

4月の24日から台北シェラトンホテルで恒例のヤング・アート・タイペイが開催され、ギャラリー椿も参加をする。

秋に開催されるタイペイアートフェアーが規模を拡大するとともに、最低ブースを42平米としたためにブースフィーが200万円を超えることとなり、更にはセレクションも厳しくなることから、昨年まで参加をしていた日本の画廊の出展はかなり難しくなる。
その分が比較的出やすいヤングアートタイペイにシフトするのは間違いなく、来年はこちらも多くの画廊がセレクションで落とされる可能性がある。

韓国のKIAFも多くの海外画廊が参加するようになって、ブースフィーの値上げや、セレクションでずっと参加していた中小画廊がカットされた。
確かに規模も大きくなり、レベルも上がったが、韓国経済の下落とともに参加画廊が減り、去年からは以前のように熱心な参加要請が私のところにも来ていて、更には他の日本の画廊の誘致も依頼されている。
私は同じようなことが台湾でも起こるのではと心配する。

こつこつと小さいブースながら毎年参加していた画廊を切り捨て、大手画廊だけをターゲットにしていると、経済が下降したときに韓国と同じような憂き目にあうのではないだろうか。

10年以上前に、韓国や台湾の画廊から頼まれて、大手の画廊を勧誘して廻ったにもかかわらず、軒並み断られたことがあった。
ところが、いざその国のアート市場が盛り上がると、そうした画廊はこぞって参加するようになった。
現金と言えばまさにその通りなのだが、よければ出る、駄目ならやめるのは商売なら当たり前のことである。

主催者側に言いたいのは、規模を大きくし、大手に出てもらいたいのはよく分かるが、最初から続けて参加をしていた画廊にも目配りし、参加しやすい環境を作ってあげるべきである。
そうでなければ、参加画廊が少なくなったからといって、今一度切られた画廊に参加ををして欲しいと言っても、そうは問屋がおろさない。

台湾も既に参加要項を発表してしまった以上変更は難しいだろうが、台湾画廊協会の会長とも親しいので、その辺のところを話してみようと思っている。

ヤングアートタイペイの出品作品を紹介する。

中村萌・浅井飛人・横田尚


岩渕華林・佐藤温・真条彩華


山本麻友香・内林武史・新藤杏子


3月25日

前にもお知らせしたサクラクレパス主催のクレパス誕生90年記念「近代巨匠から現代アーティストのクレパス画」が鳥取の日南町美術館で4月4日から5月10日まで開催される。

日南町美術館はサクラクレパス創始者佐武林蔵氏の故郷で、コレクションの近代美術史に名を連ねる巨匠のクレパス画50点とともに、現代アーティストの新作及び所蔵品を約70点を一同に展示する。

私どもも依頼をされて10名の女性作家が新作を発表することになっている。

子供たちが一度は手にする親しみやすい画材の一つだが、これが作家達には中々厄介な画材で、下地に色が乗らなかったり、色を重ねることが難しかったりで、だいぶ苦労をしたようだ。
これを機会に新たな素材への取り組みも期待をしたい。

ようやく出来上がった作品の一部を紹介する。

この後、大阪のクレパス本社の展示を経て、夏には東京でも開催されることになっているが、詳細についてはまたお知らせをする。

服部千佳・堀込幸枝



富田有紀子・井澤由花子



新藤杏子・真条彩華



門倉直子・呉亜沙



横田尚・屋敷妙子



3月24日A

香港のフェアーで気になった作品を紹介させていただく。

まずは著名作家の作品。

マーク・ロスコー、デ・クーニング、フォンタナ



次にデュビュッフェ・クレー・ミロ



ピカソ・ブラック・シャガール



ホックニ−・ハースト・オピー



カプーア・ステラ・ザウーキー


日本人作家  松谷判定・川俣正・中西夏之・草間弥生



名前はわからないが気になった作品









3月24日

香港日記最終日

朝から香港の画廊と打ち合わせ。
山本麻友香にメールで個展の依頼があり、直接画廊を訪ねて、話を聞くことにした。
以前に同じ麻友香の個展をしてもらったカイスギャラリーの近くにあって、警察の宿舎の古い建物を再利用をして、ブティックや雑貨、クッキーやお茶の店などが数多く入っているユニークな場所で、画廊は唯一このアートプロジェクトギャラリーだけが入っている。

銀座で言えば、奥野ビルみたいなところだろうか。

若い起業家がこのスペースに出店することができるが、そのためには厳しい審査があるそうだ。
もう一つ警察の宿舎を再利用したスペースが近くに出来るそうで、そこはアート中心のエリアになる予定で、2年後のオープンを目指している。

二つの建物をつなぐように広い展示場があり、そこではアートバーゼルにあわせて大きな個展が開かれていた。



ギャラリースペースは奥野ビルほどではないが、それでも広いとは言えず、私どものGTUと同じくらいだろうか。
すでに私どもで発表をしている高木まどかが、他の日本の画廊の紹介でここで展覧会をしている。
来年の展覧会を頼まれたが、スケジュールを調整して、何とか麻友香さんに頑張ってもらわなくてはいけない。



このビルの中に面白いお茶屋さんを見つけた。
麻雀牌を模した紙袋に入った烏龍茶やお煎餅みたいな食べられるお茶などがあって、創作お茶屋さんだそうだ。
お土産に丁度いいのでいくつか買って帰ることにした。

隣の喫茶店から日本語が聞こえてきたので見てみると、若い日本人アーティストで、路上ペインティングで世界を廻っていて、今回認められて、来年のアートバーゼル香港で個展ブースが持てることになったそうである。
たくましい若者がいる。

香港がこうした若いアーティストや企業家を育てる土壌が出来てきているのだろう。



3月23日

開花宣言が出て、東京にもようやく春がやってくる。

春分の日と日曜日で久しぶりの連休。 長女一家がシドニーから成田の早朝に到着するので、朝4時起きで迎えに行く。
孫達も大きくなり、特に長男は小学一年生だが140cmを超えていて、もうすぐ母親を追い越しそうだ。

可愛い孫達だが、娘が日本語を使わないので、会話が成り立たない。
特に子供の言葉で言われると何を言っているのかさっぱりわからない。

昼からようやく東京国際アートフェアーに行くことになった。
駆け足で見ようと思うが、知っているお客様や画廊の人に会うと知らん振りするわけにもいかず、一向に前に進まない。
フェアーはそれぞれのブースが小さいことや通路が狭いこともあって、香港を見た後だけに、余計にこじんまりとして見えるが、地価の高い東京では仕方がない。

ただ、お客様の数では引けをとらず、大変賑わっていて活気がある。
これだけのお客様が関心を持っているのだから、このお客様をいかに画廊に呼び込むかである。

画廊を使って、ミニフェアーというのをやってみても面白いかもしれない。
近所の画廊さんと共同企画で、10軒程度の画廊が一堂に会してのフェアーでもどうだろうか。

香港日記 3月16日A

会議終了後、ART BASELをじっくりと見ることにする。

会場は1階と3階に分かれていて、先ずは1階から、ここには大いに画廊が多く出展している。
ブース一つ一つを丁寧に見て回るが、そのスケールの大きさとレベルの高さに、日本を含めアジアの他のフェアーが子供騙しのように思えてきた。

出品されている作品はほとんどが抽象表現で、モダンからはピカソ、シャガール、デュビュッフェ、フォンタナ、ホックニー、クレー、ロスコーなどなど名品が当たり前のように並んでいる。
日本の作家の現代アート作品も欧米の画廊が多く扱っていて、その質は決して引けを取らない。
ただこうした作品が日本で当たり前のように売れるのはだいぶ先のことで、コンセプトもない表面的な可愛さ、細かさに終始している間は当分無理かもしれない。
1階を見ただけで足が棒のようになってしまい、気がつくと、別の会場で行われていて、同じように賑わっているというアートセントラルやギャラリー椿の名前を貸しているホテルフェアーの終了の時間に間に合わなくなってしまった。

気になった作品は帰ってから改めて紹介させていただく。

明日は少しゆっくりさせてもらい、明後日山本麻友果の個展を依頼されている香港の画廊と打ち合わせをして、日本に帰ることになっている。

帰るとすぐに、会議でお会いした韓国画廊協会会長のパク氏やインドネシア画廊協会会長のエドウィン氏が私のところを訪ねてくることになっていて、連休明けに韓国に行かなくてはならず、ゆっくりはしてられない。

3月20日

昨日から東京国際アートフェアーが始まり賑わっているようだが、こちらは香港から帰って仕事が溜まり、まだ行くことができない。

画廊は今日から「河原朝生展」が始まった。
古い映画の一シーンを見ているようなノスタルジックな表現は相変わらずで、今の絵画の流れからすると傍流と言われるかもしれないが、私が大好きな作家の一人である。
私の家にも30号の「窓辺」という作品が飾ってあって、窓から見える海景、その先にヨットがかすかに見える絵にいつも心を癒されている。

今回もアルマジロが主人のホテルであったり、なまずを皿に乗せて売る店であったりと、どこかユーモラスで哀愁を帯びた作品が並ぶ。
時代が移り、こうした素朴で心温まる作品にも多くの目が集まるようにと願って、彼の個展を続けている。



3月16日 香港日記

ホテルロビーで通訳を頼んだ亜祐子さんと8時に待ち合わせて、会議前の打ち合わせ。
彼女は大学時代の親友の紹介で、コーネル大学出身の才媛である。

同じ時間に会議にオブザーバーとして出席したいという現代アートフォーラムの徳光氏、それにインドネシア画廊協会の代表のエドウィン氏とも待ち合わせているのだが、一向にやって来ない。
仕方なく会議場に向かうと徳光氏がいるではないか。
聞いてみると、私が泊まっているのはハーバービューホテル、彼はそのそばにあるルネッサンスハーバービューホテルで待っていたそうだ。
エドウィンの方は会議が始まっても現れない。
30分過ぎた頃にようやく現れたが、目覚ましが鳴らなくて寝坊をしてしまったそうで、こういうところは律儀な日本人とは違う。
会議は相変わらず、協会の名称や目的、使命といった議論に終始し、一向に前に進まない。
しびれを切らして、私が先ずは議長国を決めて、そこがリーダーシップをとって進めなくてはと発言し、漸く選考に移った。
ここでも私が8ヶ国の協会設立を提案した台湾画廊協会がまず議長国になったらと提案し、その後採決となって、提案通り台湾が選ばれ、4月に開かれる次の会議から諸事を進めてもらうことになった。
会の名称をFEDERATIONS にするのか、ASSOCIATION もしくはALLIANCE にするのかといった私にはどうでもいいようなことで時間が潰されていくのを腹立たしく思っていたので、まずは一件落着。

結局は長い時間かけて、議長と名称がAZIA-PACIFIC ART GLLERIES ALLIANCE に決まっただけであった。
会則やVISIONやMISSIONといったテーマは今後会を進めながらやっていったらいいと思っている。
また、コンテンポラリーだけでなく近代美術の画廊もこの協会には含めることになったが、古美術は除外することにした。

この会議は年に4回やる事になっていて、次は北京もしくはメルボルンで開催される。
来年東京でと思っていたが、もう少し日本の現代アート協会の体制が整ってから手を挙げることにした。
これが整わなくては、各国と協調して仕事を進めることが出来ない。



3月19日

香港での日記がアップできずにいたので改めた紹介させていただく。

3月15日

香港に到着。

明日香港画廊協会がホストで開催されるアジア・パシフィック画廊協会会議に出席することになっている。

香港では、アジア最大のアートフェアART/BASELが始まっていて、それに合わせての開催である。
他にもいくつものフェアーが行われ、クリスティーズなどオークションもいくつか開催されることになっていて、香港はアート一色である。

中国の方に買っていただいた作品をフェアー会場で渡すことになっているので、先ずはART・BASELへ。
広い会場には欧米の大手画廊を中心に世界の画廊が出展していて、今日だけではとても見て回れない。
取り敢えず3階だけを見ることにしたが、会場の殆どが抽象表現の作品で占められている。

その中に、日本の作家も多く混じっていて、白髪、吉原、松谷などの具体美術の作品が目につく。
他にも、中西夏之、川俣正など日本の抽象作家の作品を欧米の画廊が展示していて、勿論奈良、村上、草間の大作もあり、世界で多くの日本人作家が活躍しているのを嬉しく思う。
日本の参加画廊も概ね好調のようで、昨日まで私どもで開催していたルミエール展に展示した杉山博司の作品はほぼ完売していた。

こうしたスケールの大きなフェアーを見ていると、自分のやっていることが小さく見えてしまい、軽いカルチャーショックを受ける。

自分は自分、ぼちぼち行くしかないが、夜食事を一緒にした日本の画廊さん達の話を聞いても、その目はすべて海外に向いていて、ますますグローバル化してきているのを実感せざるを得ない。





3月14日

著作権の一つである追求権が日本でも取り沙汰されるようになってきた。

追求権とは、芸術家がその作品が転売されるごとに作品の売価の一部を支払われることができる権利をいう。
著作者の経済的利益を保証する権利であるため、他人に譲渡することはできない。

美術家は作品というハードそのものを売却するため、音楽家や小説家のように複数販売や上演で得られる印税という恩恵を得ることが難しい。
原画を基にした版画であったり、画集やカレンダーなど複数制作には適用されるが、それでも他の分野に比べると微々たるものである。

更には、美術家や著作権継承者にはいくらその作品が高騰しても、一円たりともその利益を得ることが出来ない。
そこで考えられたのが追求権であり、フランスでは1920年にこの制度が導入され、2001年EUにおいても制度化されたが、日本やアメリカ(カリフォルニア州を除く)、中国においてはまだ未採用となっている。

他では追及権に関する法律が存在する国も多数あるが、徴収のための制度を整えて実際に施行している国は少ない。

ここで問題になるのは、制作者側には利益となっても、その仲介業者である画商やオークション会社にとっては不利益となることである。

ヨーロッパでも、この制度が施行されることにより、オークションの開催場所の多くは適用外であるアメリカや香港に移っていった。
(そんな状況でも、日本には海外のオークション会社が進出してこないのは寂しい限りではあるが。)

フランスでも、EUで制度化される前は多くの作品が国外に持ち出され、スイスやイギリスで売買されることになり、市場に大きな影響が出たと聞いている。
日本でこの制度が制定されると、当然制度化されていないアメリカや中国で美術品が売買されることになり、国内のオークション会社や美術商には大打撃となり、更には重要な文化財の国外流出にも繋がる。

EU内でもその解釈についての論争があり、特に厳しいフランスの美術商とイギリスのオークション会社クリスティーズでは訴訟騒動となった。
追求権はフランスでの解釈は売主が負担すべきとしたのを、イギリスはその条項が明記されていないこともあって、クリスティーズは買主負担と約款を変更した。
結果はクリスティーズの主張が認められて、フランスの美術商にとっては更に国内市場が縮小することとなり、厳しい状況に立たされている。

弱い立場の美術家にとっては、この制度が制定されれば朗報だが、われわれ業者にとっては苦しい立場に追い込まれることは必至で、何とも難しい問題である。

3月13日

美術出版社の倒産について日記で書かせてもらったが、次のような熱く力強いメッセージが編集部から届いた。
何とか再建し、良書を出版し続けていただきたい。

ごあいさつ

 美術出版社は、3月4日、東京地方裁判所に対して、民事再生手続開始の申立てを行いました。
 読者のみなさま、関係者のみなさまには、ご迷惑をおかけすることとなり、深くお詫びいたします。
 弊社および『美術手帖』は、事業を継続しながら、かならず再建するという意欲をもって日々の業務を行っています。

 この2015年4月号は、1週間ほど遅れて25日の発売となります。
 「山口晃特集」号を楽しみにしていただいたみなさま、お待たせして申し訳ありません。
 また、このような状況のなか、最後まで執筆・校正作業などに取り組んでいただいた、山口晃さんをはじめ、対談相手の方々、ミヅマアートギャラリーと水戸芸術館のスタッフの方々、執筆者や写真家の方々、すべての記事に関わっていただいたみなさん、ご協力ありがとうございました。

 本日3月11日、東京地方裁判所より民事再生手続開始の決定がなされました。
 今回の報道の後、みなさまからいただいた温かい励まし、応援の言葉は届いています。
 そして、大きな勇気をいただきました。
 その声に少しでもお返しできるよう、これから無我夢中に取り組んでまいります。
 次号からは、これまでどおり毎月17日の刊行を続けていきます。何卒ご支援、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

編集部一同

3月12日

韓国・釜山にギャラリー椿が誕生するかもしれない。

韓国のフェアーなどでお世話になっているSさんが釜山で画廊を開きたいと相談された。
Sさんは日本の企業家と結婚した韓国女性で、日本の老舗画廊の息子さんから紹介され、Sさんが応援をしている韓国作家の展覧会を私のところで開いてあげたのがきっかけで、お付き合いが始まった。
その後、ソウルやテグ、釜山、光州などのアートフェアーで通訳を兼ねたお手伝いをしていただりしているが、営業力もあり、フェアーの販売ではずいぶんと力になってもらった。

ご主人の仕事が一段落して後継者に任せることになり、海外で第二の人生を送りたいとの希望もあって、釜山にセカンドハウスを持とうという話が持ち上がった。
まだ若い奥さんは、のんびりしているだけではつまらないので、それでは釜山で画廊をやってみようということになり、私に協力を依頼された。

私どもの作家を専門に扱い、出来ればギャラリー椿の名前で画廊を出したいとのこと。
ここは難しいところで、正式には承諾をしていないが、ギャラリー椿の信用を傷つけないようにしてもらえるなら、いいのかなとも思っている。

ただ、釜山で山本麻友香の個展などを熱心にやってもらっている画廊もあって、その辺の棲み分けをきちんとした上で、やってもらえたらいいのだが。

画廊の場所の目星はついているようで、香港から帰ってきたら、一緒に釜山に行って、物件を見ることになっている。
今後どんな展開になるかはわからないが、有閑マダムの道楽仕事ではなく、まずは3年赤字でも歯を食いしばって頑張るようにと言ってある。

3月11日

東日本大震災から4年目を迎えた。

2万人近くの犠牲者の中には、まだ多くの行方不明者がいたり、仮設住宅に居住する人もまだ8万人もいるそうで、その傷跡はいまだ癒えない。
4年前のブログを見てみると、東京も計画停電であったり、交通の混乱であったりと、しばらくは震災の影響があったが、その後はいつもの状況に戻り、何事も無かったかのように日常が繰り返されていることを考えると、被災地の人たちの悲しみや辛い生活に対し申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
と言って、何が出来る訳でもなく、自分の非力さを嘆くのみだが、これだけの時間が経つと、これはもう行政の力に頼るしかなく、それによっての一日も早い復興を願うばかりである。
ところが国会を見ていると、相変わらずのあら探しばかりで、一向に重要な審議が進まない状況である。
今一度、今日という日を迎えて、こんなことをしている場合ではないぞと気持ちを引き締めて、大きな課題に取り組んで欲しいものである。

昼を過ぎた。
2時46分には静かに祈りを捧げたい。

3月10日

平成20年103歳で亡くなられた文化勲章受賞作家・片岡球子の初期の珍しい作品(25号)が手元にやってきた。
女子美術大学を卒業後、25年ほど小学校の先生をしていたが、当時の教え子を描いた作品である。
当時は画家志望であることから親にも勘当されながらも画業を目指し、帝展(現日展)や院展にも何度も落選し、「落選の女王」と呼ばれたこともあった時期である。

大胆な構成と色使いから、アカデミックな日本画の世界では中々受け入れてもらえなかったのだろう。
しかしようやくその評価が認められ、その後の活躍とともに日本画壇の最高峰に登りつめることになった。
富士山シリーズや面構えはバブル崩壊後に逆に評価が高まり、今や価格の面でも日本画のトップクラスの価格となっている。

手元に来た作品は院展でようやく院友に推挙された頃の作品で、子供を描いているのだが、その表情や着ている洋服は当時としては型破りな絵であったろう。
しかし、その後高く評価された面構えシリーズにも通じるダイナミックな表現で、その才能が確かなものであったことが伺える作品である。

おそらく片岡球子の画業を語る上でも貴重な作品の一つではないだろうか。



3月9日

冷たい雨が降っていて、ここ2,3日天候が思わしくない。
昨年のような大雪がないだけありがたいが、曇りや雨の空が続くと、何となく重たい気分になる。

来客も少ないようなので、近くの画廊を廻ってくる。
9月に個展を予定している高橋舞子の個展が近くで開かれている。
相変わらずの人気で、小品はほとんど売れている。
雪景色や夜の情景が多く、こんな日に見ると余計暗くなりそうだが、暗い画面の中に一筋の光や、ほの暗い灯りが、なぜか心を暖かくしてくれる。
私どもでの個展も期待したい。

その後は、富田菜摘展を見る。
ジャンクアートの類に入るのだろうが、雑誌の切抜きを大量に使った芝居絵が面白い。
毎回新たな展開を見せてくれるが、現代版風俗画といったらいいだろうか。
ジャンクな動物オブジェはいつものごとく大人気で、こちらもほとんどが売約となっていて、まだまだ天気同様暗い美術業界だが、高橋の絵のように少しづつだが希望の光が灯ってきているようだ。

3月7日

暗い話が続くが、今日はお付き合いのあったギャラリータカラシの高橋社長が3月3日に亡くなり、そのお葬式に行って来た。

高橋氏は日動画廊のパリ支店長を経た後、青山にギャラリータカラシを開廊。
パリ在住の木村忠太を専門に扱うという日本では滅多にない特異な画廊であった。
木村忠太はモダニズムを追及した心象抽象画の第一人者で、死後すぐに東京国立近代美術館で遺作展が開催されるという近美では異例の扱いがされた。

パリ当時から30年を超えるお付き合いがあったというY新聞の当時美術記者で現在編集委員のA氏が、高橋氏との思い出とその業績を涙ながらに語ってくれた。
画廊主と美術記者がこれだけ長くお付き合いが続くのは稀有のことで、よほど高橋氏と馬が合ったのだろう。

そのA氏から近くにある東邦画廊の中岡社長がこの1月1に亡くなった事を聞いた。
近くにいながら、全く知らなかったので、ショックである。

ここも山口長男、難波田龍起、小山田二郎、難波田史雄といった優れた作家達を紹介して来た老舗画廊である。
聞くところでは、画廊は既に閉廊しているそうだが、それさえ気づかなかった。

こんな具合で、知った画廊の灯が次々に消えていくのはたまらなく寂しい。

3月6日

美術手帖で知られる美術出版社が倒産し、民事再生法によって再建を目指すことになったとのニュースが流れた。

美術出版社は、1905年(明治38年)創業の美術関係専門の老舗出版社として100年以上の業歴を誇っていただけに、まさかとの思いが強い。
本離れが言われて久しいが、美術書はその中でもマイナーな存在で、特に美術手帖のような専門的な美術書を愛読する人は少なくなっていたのだろう。

画廊でもいくつかの美術雑誌が置かれているが手にする人も少なく、ましてや購入する人はほとんどいない。

だいぶ以前に、美術雑誌の販売実数は全部合わせても10万部ぐらいに過ぎないと聞いたことがある。
札幌の画廊が百貨店で飛行機の絵の展覧会をしたいので、協力して欲しいと頼まれたことがある。
その時に、広告を出そうとして調べたのだそうだ。
飛行機の専門誌に「丸」とか「航空ファン」というのがあって、それぞれに20万部の発行実績があるそうで、美術雑誌全部が航空雑誌一誌に及ばないというのは驚きであった。
実際、そうした専門誌に広告を載せたところ、日本全国から多くの飛行機好きが集まり、展覧会は大盛況だったそうである。

こうした厳しい状況の中で、商業主義に偏らず、アカデミックな姿勢を崩さず長年頑張ってきただけに、倒産の報は残念でならない。
是非新たなスポンサーが見つかり、今一度の再生を願うしかない。

3月5日

昨日今日と気温も上がり、ようやく春が近づいてきたようだ。
とともに、花粉症の方には辛い季節となる。

幸いに、私や家内、子供たちもまだ罹っていないが、突然症状が現れるそうなので、油断は出来ない。

私は食物アレルギーがあって、海老とキウイを食べると蕁麻疹が出てしまう。
海老自体は大丈夫なのだが、海老の背わたがあると、息が苦しくなるほどの発疹が出る。
顔の形もボクシングでぼこぼこにされてしまったような面相となり、そのまま戻らなかったら、家内は別れたいとひどいことを言う。
皮肉なもので、私は海老自体は大好きで、天ぷらや中華でも海老が出てくると食べたくて仕方がないのだが、一つ一つ中身を割って背わたがあるかどうかを確認してからでないと食べれないので、面倒くさいことおびただしい。
海老アレルギーの人は周りにも何人かいて、かっぱえびせんでも駄目な人や、海老の処理をしているところに近づくだけで出てしまう人もいるので、その人たちに比べたら、まだましなほうだろう。

これも18歳の頃に突然なってしまい、今に至っている。
そんな体質なので、何時花粉症がやってくるかびくびくしている。

シドニーにいる下の孫は、可哀想に乳製品、卵、ナッツ類が全て駄目で、日本食なら何とかなるが、外国にいるだけに食べるものには苦労しているようだ。
日本にいる孫達も二人が軽い卵アレルギーがあって、成分を見ながら食事やおやつには気をつけなくてはいけない。
子供たちになかった分、私の体質が隔世遺伝したのかもしれない。

医学が進歩してきているにもかかわらず、逆にこうした食物アレルギーや花粉症が増えているのは、環境の変化や生活習慣、食物の養殖、遺伝子組み換えなども原因しているのだろう。
私はよく分からないが、海外にも花粉症というのはあるのだろうか。
来週香港に行くので聞いてみようと思うが、香港には杉の木が生えていないかもしれない。

3月4日

フェースブックを見ていたら、アートが丘さんのブログが現代美術の考察を分かりやすく述べいたので転載させていただく。

ジョセフ・コスースをもとにして「見る(感覚)」と「わかる(認識)」について考えていました。

たとえば、人間が演じているのだと分かっていても怖い鬼の面をかぶった赤鬼は怖い。
「見る(感覚)」が「わかる(認識)」を凌駕している。
19世紀の末によくモチーフにされた蓮池の美しいニンフに誘惑されるビュラスとか、美しい歌声セイレーンに魅惑されてしまうオデュセセウスと船乗り達の話はあまりにもよく知られている。

逆に、美女と野獣のように心の優しさがわかっているから、おぞましい見かけも美しく見える場合もある。
「あばたもえくぼ」はその典型である。
男は女が美しい(見かけ)から恋をするのではなくて、恋をした(わかる)から美しく見えるようになる。
だから、嫌いになると、今まで美しく見えていたすべてが醜く見えるようになるのだ。

美術は、とりわけモダニズム=フォーマリズムの美術は「見る(感覚)」が「わかる(認識)」ことを凌駕しているのだと信じていたからこそ成り立ってきた。
コスースが提示したのは、「わかる(認識)」が「見る(感覚)」を超えているということだった。
この二つの臨界点にいるのは、ドナルド・ジャッドだろう。
ジャッドの作品はどれも、作品が「見る」ことを対象にする「もの」でつくられているのに、「もの」を超えたイデアルなというか、「もの」が「もの」でなくなる限界の地点で「わかる」に触れているような気がする。
「見る」ことにかかわる「表象」の臨界点で成り立っているのだ。

ジャッドは「見る」と「わかる」の両方を超えてしまっているようにさえ思える。

以上であるが、なるほどと納得させられる。

コスースもジャッドも知らない方もおられるので紹介させていただく。(ウイキぺディアより)

コスースはアメリカのコンセプルアーティストの一人で、コスースの最も有名な作品は、「椅子、その椅子の写真、辞書の「椅子」の項目を拡大したもの」の3つを一緒に展示する『1つおよび3つの椅子』である。
3つの椅子を提示していると同時に、プラトン的なイデア(視覚化できないもの)としての1つの椅子を表現しようとしている。

1969年に有名なエッセイ『哲学以後の芸術』を発表した。
そのなかでかれはこう述べている。
二十世紀は、「哲学の終焉、そして芸術の始まり」と呼んでも良いような時代をもたらした。
芸術の機能をひとつの問いとして最初に提出したのはマルセル・デュシャンである。
(中略)「別の語法で語り」、なおかつ意味のある芸術を提出することが可能だという認識を与えるに至った事件は、マルセル・デュシャンの最初の自立させた「レディ・メイド」だった。
この自立させた「レディ・メイド」を機に、芸術はその焦点を言語の形態から語られている内容へと移行させた。
(中略)この変化──「外観」から「概念」への変化──は「現代」美術の幕開き、そして「概念」芸術の始まりだった。
デュシャン以降の個々の芸術家の「価値」は、彼らが芸術の本質をどの程度問うたかによって量ることができる。
言い換えると、「彼らが芸術の概念に何を加えたか」、あるいは彼らが登場する前に何がなかったのかということである。



ジャッドはドナルド・ジャッドは、アメリカの画家で美術評論でも高い評価を受けたが、次第に立体作品の制作に移った。
箱型など純粋な形態の立体作品は多くの美術家や建築家、デザイナーらに影響を与えている。
抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、その対極をめざすミニマル・アートを代表するアーティストの1人。



3月3日

孫娘のひな祭りの写真が送られてきた。
男兄弟に育った私にはそうした経験がないこともあって、どこかひな祭りは華やかでうきうきした気分にさせてくれる。

私的なことは載せるなと家内に強く言われているが 、爺バカで嬉しくなって載せてしまった。



3月2日

日記でIPADの機能にびっくりしたと書いたが、今日はKDD研究所の所長に携帯電話についてのお話をロータリーの例会で伺った。

紹介者である私どものメンバーでKDDの元社長が、ここは年寄りが多いので、難しい用語は出来るだけ控えて欲しいと言っていたが、案の定難しいカタカナ用語ばかりで、私達にはチンプンカンプンなことばかりであった。

まずはクラウドという言葉が出てきたが、大量の情報を管理しているところがクラウドで、何時でもどこでもそうした情報を手に入れることが出来るという説明だったが、いま一つ理解が出来ない。
例えば、好きな音楽を聴きたい場合には、自分のスマホや携帯にダウンロードして、それをあらためて引っ張り出して聴くのが今までのやり方だったのが、いつでもクラウドから好きな曲を引き出すことが出来るのだそうだ。
要は自分のところに情報を貯めておかなくても、クラウドから情報はいくらでも引き出せる、何となく分かるようで分からない。

日本の携帯もある時期までは、カメラ機能やお財布機能、テレビが受信できるワンセグといった機能で世界に先駆けていたが、アップルのIモードで一気にシェアは逆転し、携帯からスマホの時代に移り、海外資本に取って代わられることになった。
それとともにSNSというコミニケーショ機能を備えたネットワークが構築され、ツイッターやミクシー、フェースブック、ラインといたSNSが盛んになった。
それに伴い、携帯はガラパゴス化して、絶滅危惧種となり、それを文字ってガラ携と言われるようになってしまった。

ところが最近になって、ガラ携の需要が増えてきたそうで、私もその一人で、先の日記に書かせて頂いた通りである。
そして、タブレットと言われるIPADなどの大型端末と両方持つ人が増えてきたそうで、これも私と同じで、絶滅危惧種ではなく、私は最先端の一人になりつつある。

現在30数億人がパソコン、スマホやガラ携、タブレット端末など何かに関わっていて、これは世界の人口の半分が使っているという凄い数字となる。
更には、将来のネットワークや端末機器の話に及ぶと、確かにもっともっと便利にはなるのだろうが、われわれが情報に管理されてしまったり、 人間の思考が全く阻害されてしまうのではないかと心配になる。

人として、こうした状況が果たして幸せと言えるかどうかは、時を経てみないと分からないが、私はこのあたりでもうお腹1杯というよりは消化不良を起こしつつある。

3月1日

父親の27回忌ということで、ごく内々でお寺に集まり、故人を偲んだ。

27回忌ともなると、うっかりしてしまいそうだが、昭和天皇が亡くなられた同じ年の平成元年に亡くなっているので、そのままを数えていけばいいので、忘れることはない。

私が父が経営をしていた椿近代画廊を飛び出し、新たにギャラリー椿を始めたのが31年前の37歳の時で、その4年後に亡くなった事になる。
跡を継いでくれるという父の思いを断ち切って、自分で勝手に画廊を開いてしまい、お前のおかげで寿命が縮まったと父はその後に言っていたが、まさにその通りとなってしまった。

親不孝ばかりで、父親に何一ついい思いをさせてあげられなかったが、亡くなる一年前に私達家族とともに両親を連れて、タイのリゾート・プーケットに行った事は楽しい思い出として残っている。
父は大変喜んでくれて、次の年はニューカレドニアにお前達を招待すると言って、早くからその準備をしていたのだが、それから間もなく入院することになり、その思いがかなわなかったのが今でも悔やまれてならない。
今、息子がその頃の私と同じような歳となったことを考えると、歳月の速さに驚くとともに、私にとって、死というものがそんなに遠くないものに思えてくる。

男性の平均寿命が80歳を超えた今では、まだまだ先の話なのだろうが、まずは父親が死んだ歳の76歳までは元気でいて、それを越えたらおまけの人生と考え、余生を有意義に過ごしたいものである。

その時には、父親が行きたがっていたニューカレドニアにでも、家内と一緒に行ってみようかと思っている。

2月28日

以前に買ったスマホが私みたいな者には使えこなせなくて、ショップですすめられてIPADを購入してしばらくが経つ。
携帯はもともと使っていたガラ系に戻し、フェイスブックやライン、カメラ、地図や乗り換え検索などはIPADを利用するようになった。
スマホと違い、目が霞み、指先が震える私には大変便利に使わせてもらっている。
他にも便利な機能が幾つもあるのだろうが、殆どは使いこなせないでいる。

使いこなしている中にラインあるが、それが突然動かなくなってしまった。
どこを押しても画面は変わらない。
開いた時に、チラッと台湾からの連絡が来ているのが分かったが、それを見ることが出来ない。

あきらめて、ショップで見てもらうことにして、寝床についたが、ふと思い出した。

「ご用件は何でしょう」という機能があることを思い出し、駄目もとでやってみることにした。
音声でIPADに質問すると答ええてくれる仕掛けである。
「ラインが動かないがどうしたらいいでしょうか」と語りかけると、何と答えが表示されたではないか。
電源を一度切って、それから再起動をしたら、それでも駄目なら、電池を一旦外してみたらとの回答であった。

電源を一度切って再起動したら、なんと新しい画面が現れた。
いやぁ、この時ばかりはIPADに感動した。

使い慣れている人なら当たり前のことだろうが、私のような人間にはこんなことでも感心してしまう。
他にも、息子から教わった機能で、探した地図をIPAD内臓のカメラで撮って、保存しておくことが出来るのだそうだ。
何度も地図を検索して、道々捜し歩いていた私には、目からうろこである。

よちよち歩きだが、何とかデジタル世界にしがみついている今日この頃である。

  2月27日

桑原弘明のルミエール出品作品の拡大画像が送られてきたので紹介させていただく。
小さなざくろの中に水晶の魅惑の世界が広がり、そこに佇む極小の人物は宮沢賢治であろう。
ソフトをかぶり、コートを羽織り、顔までが描かれている。

宇宙の球体のようにさえ見えるざくろの割れ目には赤い石が埋め込まれ、クレーターの中のマグマが今にも溢れ出して来るかのようだ。



2月26日

ルミエール展

鈴木亘彦、川崎広平、岡本啓の新作が到着し、無事明日開催することが出来る。

画廊空間にファンタジーの世界が繰り広げられる。







2月25日

土曜日から光のオブジェ「ルミエール」展が始まる。
作品も届き始めているので順に紹介させていただく。

桑原弘明、小林健二



木村繁之、伊津野雄二、杉山健司



内林武史、鈴木亘彦、カン・ミング



川崎広平、富田有紀子


2月24日

ようやく香港からメールが入り、3月16日に会議を開催することで決定。
ただ、台湾や韓国の画廊協会と違い、香港の画廊協会はお金がないので、自費で来て欲しいとのこと。
今まで同様に招待だと思っていたので、急遽飛行機とホテルを探さなくてはいけない。

アジアで一番香港の美術市場が景気がいいのに、お金がないとは信じられないが、どちらにしても開催する体制が整っていないのに、どうして開催に名乗りを上げたのか、首を捻ってしまう。
韓国・台湾のように、招待だけではなく、昼夜の食事や美術館巡りまで用意してくれるのとはあまりにも違いすぎる。

東京オリンピック招致での決め台詞「おもてなし」は日本の専売特許ではなく、韓国や台湾に行くとここまでしなくてもと思ってしまうほどの歓迎ぶりである。
韓国などは借金してまでご馳走するというお国柄で、逆に日本に韓国の方が来た時にはどのようにおもてなしをしていいか困ってしまうくらいである。

来年日本で開催する予定でいるので、精一杯の「おもてなし」をしなくてはならないが、果たして韓国や台湾並みに出来るだろうかと心配していたところ、香港の今回の対応で多少ほっとしている面も無きにしも非ず。

さて行くことが決まると、向こうでのスケジュールを決めなくてはいけない。

会議の場所がいまだ決まっていないようなので(このルーズさにもあきれるが)、ホテルをどこにしていいかも決めづらいが、とりあえず香港バーゼル・アートフェアーの会場近くを探すことにする。
まずは、先日上海の方に買っていただいた作品を香港で渡すことになっていて、宿泊予定のホテルのロビーで待ち合わせることにする。

夜は会議に出席予定のジャカルタの画廊さんと夏に開催されるインドネシアーでのフェアーの打ち合わせをしようと思っている。
私のところは参加しないが、一つのブースで私どもの作家3人を紹介してもらうことになっている。

翌日は朝からこれがメーンのアジア・パシフィック画廊協会会議で、終わったら香港バーゼルに併せて開催されているホテルフェアーに行くことにする。
こちらでは、主催者が一部屋を日本の版画作家の紹介に充てていて、うちでアルバイトをしているキムソヒや岩淵華林も出品することから、ギャラリー椿の名前を貸して欲しいといわれ、私どもは全く関知しないが、名前だけを貸すことになっている。
そんなこともあり、キムソヒも行っていることから、陣中見舞いに行くことにした。

17日は一日では見切れないといわれる香港バーゼルを見に行くつもりでいる。

翌日午前中に山本麻友香の個展を頼まれている香港の画廊に行って、スケジュールの調整をしてくる。

それを終えて、午後の飛行機で帰国という3泊4日の予定を立てることにした。

2月23日

アジア・パシフィック画廊協会会議が3月16日に開催されることになっているが、正式な日程の知らせが来ない。
1月にソウルで開催された会議の折にこの日程で決定したはずだが、今回の主催者である香港の画廊に問い合わせてみると、今それぞれの国の都合を聞いているところなので、もう少し待って欲しいとのメールが来た。
その後に、今度は12日と16日のどちらがいいかとのメールが来た。

既に16日で予定を立てているので無論16日と返信した。

今回は全国美術商連合会の浅木理事長にも出席してもらうつもりで調整しているので、こんな風に日程が定まらないことに大変困惑をしている。
この時期は、香港バーゼルの会期中で、飛行機もホテルの予約を取るのも難しい時期で、向こうの招待としてもそれは一人分だけなので、こちらでもう一人の私の手配をしなくてはならないのだが。

前回のソウルの時も同じで、韓国側からは詳細がなかなか送られてこないので、痺れを切らして、飛行機の予約だけ入れておいた。
そうすると、しばらく経って、飛行機は韓国側で取ったので、そちらの分はキャンセルして欲しいと言ってきた。
こちらでキャンセルすれば、キャンセル料は取られることになり、それは困ると言ったが、日本側で勝手に予約したことだから、韓国側は関知しないとの返事であった。

かくのごとく、日本と違ってこうした重要な会議なのに、何かにつけていい加減すぎて困り果てている。
偶々理事長から急用が入って、行けなくなるかもしれないとの連絡が入った。
幸か不幸かこんな具合なので、無理しないでもらい、結局は私一人で行くことにしたが、後二十日あまり、未だに連絡がないが、大丈夫だろうか。

2月22日

若い作家達のグループ展が終わり、今週土曜日から「ルミエール」ヒカリのオブジェ展が始まる。

何人かの新作は既に届いていて、ギャラリーコレクションも倉庫や我が家から引っ張り出してきた。
ギャライーコレクションの韓国作家カン・ミンクの作品は重すぎて、韓国から送られてきてから一度も展示できないでいた作品である。
同じコレクションの杉山健司の作品も画廊では披露したことがなく、我が家に置いて、楽しんでいた作品である。

どちらも一見すればただの箱なのだが、明かりをつけると、それは驚くような世界が出現する。

届いた他の作家の新作も、どれもファンタジックで見る人の心を揺さぶる作品ばかりである。
アートがより身近に感じられる展覧会になること間違い無しで、美術にあまり関心のない友人知人を是非お連れいただき、画廊でのひと時を楽しんでいただきたい。

上記の他、伊津野雄二、内林武史、岡本啓、川崎広平 、木村繁之、桑原弘明、小林健二、鈴木亘彦、富田有紀子が参加をする。



2月21日

お客様の依頼で、所蔵している著名作家の作品の売却を頼まれたが、その代わりに思い出にその作品を版画にして残したいが、出来るだろうかとの事。
ジグレーというデジタル版画が今は普及しているので、作るのは簡単だが、著作権の問題をクリアーしなくてはいけない。

オリジナルから複製版画を作るには、著作権者の了解が必要なのと、販売しなくても、それにかかった費用の応分のお金を著作権料として支払わなくてはいけない。

聞いてみると、お客様は幾つも作るつもりではなく、1点だけを自分用に持っておきたいだけだという。
その場合には、多分著作権を侵害することにはならないと思うのだが、念のために著作権情報センターというのがあって、そこに確認することにした。
答えは私の思ったとおりで、私的に使用し、一部だけを作る場合には、著作権を侵害することにはならないそうだ。

例えば、自宅で音楽や映画のダビングをするのと同じことである。
そのダビングしたものを、外で流したり、見せたりすると、それは著作権を侵すことになる。
同じように、作った版画を私の画廊で展示した時には、著作権に抵触することになる。

ということで、自分用に作るのは問題ないが、やはり道義的なこともあるので、著作権者に断りだけ入れたほうがいいのではとアドバイスさせてもらった。

逆にオリジナル作品の所有者に断りなく、著作権者がその作品の版画やカレンダーを作ることは問題なく出来るのだが、これも出来れば所有者に断りを入れたほうがいいように私は思うのだが。

2月20日

昨日、お客様の依頼で、六本木ヒルズの中にある会社を訪ねた。

いわゆるヒルズ族という、そこの社長にお会いした。
まだ若い、おそらく私の息子より歳は下のように思えるが、こういうビルにオフィスを構えているのに驚かされた。
ここにはこうした経営者がたくさんいるのだろう。
セキュリティーも厳重で、そう簡単にはオフィスには入ることは出来ない。

六本木ヒルズだけではないが、こうした巨大ビルでは方向音痴の私は全くのおのぼりさん状態で、あっちにウロウロこっちにウロウロで、その上セキュリティーも厳しいとなると、目的の場所までたどり着くのが大変だ。
韓国や中国、香港、シンガポールなどでもこうした巨大施設がいくつもあって、日本でさえこんな具合だから、向こうでは何度聞いても目的の場所に着くのは至難の業である。

こうしたビルでは、今後、サミットやオリンピックに向けて、チェックは更に厳しくなるだろう。
今週末に開催される東京マラソンでも、ランナーはペットボトルの持込が禁止され、警察官ランナーが併走するそうだ。

とかく住みにくい世の中になったものである。

2月19日

今朝の新聞で外れ馬券は経費と最高裁で確定したニュースが報じられていた。

大量に購入した馬券の配当で得た所得29億円を申告しなかったとして訴えられていた事件である。

経費の判断で税務署との見解が違うケースも多いが、今年1月1日の通達で、この日から美術品は百万円までは償却資産として計上出来ることになった。
従来は20万円までだったので、我々業界にとっては法人需要が見込めることから、今までにない朗報である。

もっともここまで来るには、全国美術商連合会と所轄官庁との長い折衝があったのだが。

また壁画のような経年変化により、価値が減少するのが明らかなものは、100万円以上でも償却資産と認定される。

但し、歴史的価値、希少価値を有し、代替性のない古美術品・古文書などについては償却資産からは除外された。
料亭の掛け軸や使用される茶器などは見解が分かれるところではあるが。

今後は海外並みに美術品の寄付控除とか相続対象からの美術品の除外など文化の伝承という観点からお願いしたいことは多々あるのだが。

2月18日

以前の日記でも触れたが、クレパス誕生90年を記念して、サクラクレパス大阪本社や創設者の出身地である鳥取日南町美術館など4ヶ所を廻るクレパス画展が開催される。

詳細は後日お知らせさせていただくが、私どもも依頼を受け、井澤由花子、門倉直子、呉亜沙、真条彩華、富田有紀子、新藤杏子、服部千佳、堀込幸枝、屋敷妙子、横田尚の10人の女性作家が出品する。

他に会社コレクションの熊谷守一、梅原龍三郎、岡鹿之助、岡本太郎、加山又造、小磯良平、三岸節子、小山田二郎、宮本三郎、山口薫などの物故作家や小杉小二郎、谷川泰宏、福岡通男、田村能里子、船越桂、薮内佐斗司、室越健美などの著名作家の作品も含め120作家の作品が展示されることになっている。

鳥取には生前お世話になった写真家・植田正冶先生の美術館もあり、是非行ってみたいと思っている。

もう一つ、こちらもお知らせしているが朝日新聞厚生文化事業部主催の「Next Art」展のチラシが届いたので紹介させていただく。



2月17日

ロータリークラブの地区大会があって、そのプログラムの一つである宇宙飛行士・毛利衛氏の記念講演を聴いた。

日本人初めての宇宙飛行士として、宇宙船に滞在し、宇宙から地球を日本人で初めて見た人でもある。
世界初めての宇宙飛行士となったガガーリンの言葉にある「地球は青かった」の通り、地球は青くそれは美しいものだそうだ。

地球を眺めて見ると、国境線というものは見当たらず、国境は人が勝手に作ったもので、地球が一つであることを実感したそうである。
また、まだまだ地球は緑や水が豊富であることがわかり、ここで人類が一踏ん張りすれば、自然環境は保たれるのではと思ったそうだ。

地球に人類が存在し、進化しえたのは、寒暖の大きな気候変化が1万年前からなくなり、安定した気候が続いたからで、その中で多数派ではなく、少数が変化に適応して、長い時間をかけて進化をしてきたという。
一人勝ちはありえないことで、みなが協力し合うことで、種の繁栄があると言われ、今の人種や宗教や政治の対立は人類の進化には全くそぐわないことをしているのである。

幸せとは何か、生きていることであり、地球というグローバルな世界の中で人と人の繋がりどれほど大事かを、宇宙体験の視点から話していただき、大変感銘を覚えた。

私も一度でいいから青い地球を見てみたいものである。

2月16日

今日は台北からフィギュアー販売会社の社長が見えて、フィギュアー制作・販売に関しての契約書を取り交わすことになっている。
先方は台湾での独占販売を希望しており、それに添った契約となる。

今までは、画廊との契約は私どもで作成していたが、今回は著作権にも関わることなので、私の友人の弁護士の紹介で、著作権専門の弁護士に依頼をして作成してもらった。
友人だと気楽に頼めるのだが、紹介された事務所はかなり大きな事務所で、料金は時間制(タイムチャージ)となっているので、私のようなおしゃべりも出来るだけ手短にしなくてはならない。
後は出来るだけメールのやり取りにさせてもらった。

昨年は中村萌のフィギュアーでは大成功だったので、今年も新たなフィギュアーに中村萌の他に横田尚に試作の依頼があった。
今夜その試作を持ってくることになっているが、果たしてお眼鏡に適うだろうか。

横田は立体は初めての試みで、多少の不安があるが、中村同様に台湾での人気はなかなかのもので、もしいいのが出来るとかなりの反響が期待できる。

ただフィギュアーは私どもでは売れる見込みはあまりない。
中村萌のフィギュアーも100の限定で、一体だけ残して日本で紹介をしたが未だに売れないでいる。

画廊ではお客さんの筋が違うのだろう。
そちらは台湾の会社に任せることにして、オリジナル作品のプロモートに繋がればいいと思っている。

2月14日A

今日はバレンタインデーということで、作家さんからチョコレートが送られてきた。

この前の日記で、出来ればやめてほしい云々と書いたが、これは皆さん無理しないで欲しい、本命だけ歓迎の意味がこめられていた。
というわけで私の意を汲んでいただいた作家さんから素敵なチョコレートが送られてきた。
いつもアイデアいっぱいのチョコを送ってくれるYさんからは、私達夫婦、孫、画廊のロゴ入りチョコレートが送られてきた。
去年までのも、もったいないので食べずに冷蔵庫にしまってあり、このままで行くと専用冷蔵庫が必要になる。

この歳になって、なんだかんだ言っているが、贈られると素直に嬉しいものである。



2月14日

朝日新聞厚生文化事業団主催による「Next Art展」が2月7日から2月19日まで朝日新聞東京本社本館コンコースで開催されている。
続いて、3月6日から3月9日まで松屋銀座8階イベントスクエアにて展示される。

新しい世代の公募で選ばれた29作家の作品が並ぶが、例年に増して、今年のレベルは高いように思う。
毎年私も選考に携わっていたが、今回は海外出張とぶつかり、立ち会うことが出来なかったが、おそらく激戦の末の入選29点ではなかっただろうか。

この中に私どもでも発表している内藤亜澄も入っている。



これらの作品は落札によって購入することが出来、その収益金が厚生文化事業団によって有益に使われることになっている。

2月13日

ここ1,2年、私が入っている日本現代版画商協同組合のメンバーも古い会員が次々と退会していき、会員も減少し、 寂しい限りである。
残っているメンバーも私より年上は2,3人となってしまった。
自分で若いつもりでも、年月だけは間違いなく進んでいく。

私の所属するロータリークラブも多い時は150人のメンバーがいたが、古い方が病気で辞めたり、亡くなったりで、今は丁度その半分になってしまった。
2年後に創立60周年を迎えるのだが、在籍年数も私は上から5番目でとなってしまい、創立当時を知る人は誰もいなくなった。

大学のOBが集うサロンに交詢社と帝国ホテル内にある三田倶楽部というのがあって、私は30年ほど三田倶楽部の会員だったが、今年になって退会した。
交詢社のように財界のお偉いさんが集まるのではなく、若い会員を中心にスタートし、当初は入会希望者も多く、1200名の定員にもかかわらず、入るのに2年、3年待ちで、母校出身の教授たちでさえも入会できないという時代があり、新陳代謝を図るために60歳定年制が布かれていた。
ところがバブル崩壊後、時代とともに入会者が激減し、定員割れもいいとこで、定年制も廃止され、私のように定年を遥か超えても在籍を余儀なくされていたが、同期や近い年代の友人たちが次々に退会したこともあり、私も思い切ってやめることにした。

先日60周年の祝賀会が開かれた大学のヨット部でも、5年ほど前に現役部員が一人となってしまい、その存続が危ぶまれたが、OBたちが大学キャンパスにおもむき、新入生を熱心に勧誘したり、ヨットハーバーで父兄を交えた歓迎会を開いたりして、ようやく部員を確保することが出来た。
我々の時代には新入部員で溢れかえっていて、入部金を貰うと、どうやって辞めさせるかを考えていたものである。

かくのごとく、昔はどの団体も黙っていても人が集まり、熱心に活動していたのだが、その頃の人たちが年とともに去っていくと、人が集まらなくなり、世代交代もなかなか難しい時代になってしまった。

家族も核家族、近所づきあいも希薄、受験勉強で友達づきあいもなくなり、人と人との結びつきが煩わしい時代になってしまったのだろう。
私は友人達との付き合いは何をさておいても出かけることにしているが、それでさえ来る人間は何時も同じ顔ぶれになってしまった。

愚痴っぽくなってしまったが、年寄りの常套句「あの頃は良かった」がつい口に出てしまう。

2月12日

昨日は一日喉が痛くて身体もだるく、これは風邪にやられたかなと心配したが、今朝起きてみると多少喉の痛みはあるが、体調はどうやら戻ったようだ。

この前のように生牡蠣にあたったりとお腹の調子が悪くなったり、喉が痛くなったりは何度かあるが、それでも寝込むようなことはなく、予防注射を打つこともなく、ここ10年病気で仕事を休むこともなくなった。
50歳半ばまでは、しょっちゅう喉を腫らして高熱で寝込むこともあったのだが、歳を重ねるごとに元気になっていく。

また病気というほどでもないが、鼠径ヘルニア(いわゆる脱腸)の手術と尿道結石で一日入院したことがあるくらいで、同じ世代の友人達と比べると大過なく過ごしてきた方ではないだろうか。
若い時から酒も飲まない、煙草も吸わないということも影響しているのだろうが、最近寝込まなくなったのは、おそらく昔よりは免疫力が高まったのではないかと思っている。

歳をとれば体力もなくなり、免疫力も低下するものだが、私の場合は逆のようだ。
それでは歳をとって何が良かったといっても、私にはよく分からないが、もし影響があったとすると、韓国に行って奨められて飲むようになった朝鮮人参エキスか、毎朝の甘酒(アルコールなし)に野菜や果物を混ぜたジュースが元気の源かもしれない。

テレビを見ても健康番組ばかりだし、BSテレビのコマーシャルも健康食品ばかりで、これを全部やっていたら120歳くらいまでは生きられそうだが、そんな人はめったにいない。
家内も甘酒はそうした番組を見て、毎朝出してくれるようになったので、あながち馬鹿にはできないが、まあ一番は規則正しく、ストレスをためないことではないだろうか。

仕事をしていると、生活のリズムが崩れたり、ストレスはつき物だが、出来るだけそうしたことを心がけて、元気な毎日を過ごしたいものである。

2月10日

寒い日が続く。

、 韓国画廊協会から東京美術倶楽部とのコラボレーションの企画をしたいとのメールが私宛てに送られてきた。
毎回、アジア画廊協会会議で言っているのだが、海外は東京美術倶楽部と全国美術商連合会が一緒の団体だと思っている。

全国美術商連合会は東京美術倶楽部を始めとして、各美術商団体が加盟している組織で、私も日本版画商協同組合の代表として参加している。
東京美術倶楽部は組織としては一番大きく歴史もあるが、加盟団体の一つであり、古美術商、日本画商、近代美術商が主たるメンバーである。

その東京美術倶楽部と何か一緒に仕事をしたいと言っても、現代美術主体の韓国とでは全く噛み合わない。
といって、全国美術商連合会も古美術、日本画商の会員が圧倒的に多いので、これまた難しい。

それでは現代美術商の正式な団体というものがあるかというと、それも日本には今のところ存在しない。
ようやく有志が現代アートフォーラムという団体を設立すべく動き出しているが、これも設立趣意書が出来たばかりで、いまだ役員も決まっておらず、どれだけのメンバーが集まるかも定かでなく、組織の体をなしていない。
また、その団体作りに奔走している人間が美術商ではないことも問題で、現代美術商は理念は持っていても、業界のために一汗かこうという人はいないのだろうか。

これは私のうがった見方なのだが、どうも現代美術の団体を作りたいとの目的が、文化庁の補助金目当てであったり、親しい仲間だけのサークル的なグループ作りをしたいのではと思ってしまう。
もっと大きな目で、日本の現代美術を目指す美術商が一体となって、海外に日本の現代美術を紹介し、海外からの優れた現代美術を受け入れる土壌を作るのだという気概を持って欲しいものである。

私が一人、気をもんでも仕方ないことだが、私も及ばずながら力を貸すので、まずはその団体がしかるべき役員を決め、その人たちを中心に一刻も早く会員を集め、海外からのオファーの受け皿になって欲しいものである。

2月9日

GTUで始まった牧田沙季が人気だ。
多摩美の日本画科の大学院生で、今春卒業予定の文字通りの新進作家である。

日本画の岩絵の具は油絵の具と違って、高いものは何十万円もするので、若い作家はとてもそんな高価な絵の具を使うことはできない。
そんなハンディーがあって、著名作家のような美しい色彩を出すことが難しい。

牧田はそうした制約の中で、抑えた色調ながら、独自の美しさを表現している。
描かれた女性の憂いを含んだ表情がまた見る人をひきつけているようだ。

そんなこともあって、初めての個展にもかかわらず、何人もの著名コレクターのお眼鏡にかなった。

2月19日から国立新美術館の東京五美大卒業・終了制作展にも出品されるので、是非ご覧いただきたい。



2月8日

土曜日の夕方より大学のヨットクラブ創立60周年祝賀パーティーに出席した。

大学の日吉校舎の学生食堂が会場ということだったが、50年前とはすっかり様相が変わっている。
私達の時代は全共闘時代の真っ最中で、資本主義粉砕といった立看板が林立した殺伐とした光景とは一変して、掃除が行き届いた校内にはガラス張りの瀟洒な建物がいくつも立ち並んでいて、学生食堂も当時の面影は全くなくなっていた。

パーティーは大盛会で、現役とともに多くのOB・OGが集まり、当時の練習場であった葉山の海に思いをはせた。
OB会会長の挨拶に続き、私どものクラブの元会長で、現塾長の清家篤先生からは暖かい祝辞をいただいた。
今回の祝典に際し、60年の歴史をたどるDVDが編纂されたが、その中でも塾長の心のこもったメッセージが寄せられ、その伝統を讃え、わがクラブの代名詞である「逗葉」に添えて、「逗葉の美風いつまでも」の言葉をいただき、この言葉に60年の伝統と更なる発展への思いがこめられ、われわれ一同も心を熱くさせられた。

私達の時代と比べ、部員数も激減して、一時は存続が危ぶまれた時期もあったが、OBたちが自ら大学に駆けつけ、部員勧誘に奔走し、同時に資金援助も行い、クラブは見事に再生され現在に至っている。
現役一人ひとりの力強い挨拶に、これからも幾多の困難を乗り越えて、次の世代に受け継がれていくとともに、競技での活躍でも今まで以上の強さを見せてくれるに違いないと確信した。

葉山の海で4年間を過ごせたかけがえのないひと時と、今だに変わらぬ仲間との友情に感謝し、70周年でまた元気な顔で会える事を楽しみに散会した。





2月7日

今日から「FAIR2015」が始まった。
それぞれ個性豊かな作品の競演で、見ごたえのある展示となっている。

牧野永美子



キムソヒ



北村奈津子



新藤杏子



ヨシダシオリ



2月6日

遅まきながら、暮れと正月に買ったジャンボと初夢宝くじの券を駅にある発売所に持っていったところ、二つとも4等が当たっていた。

7億円と2億円には遥かに遠い3000円と1000円だったが、いつも300円しか当たらない私には有難い事で、少しづつ7億円に近づいてきているようだ。

家内と息子は昔に10万円が当たったことがあって、私も年賀葉書の2等に2回当ったり、家内が一回、私が三回ゴルフでホールインワンをしたこともあって、どちらかというと我が家はラッキーなことが多いほうかもしれない。

今年早々に3000円と1000円で運を使い果たしてしまったら困るが、良い年になることを期待したい。

さて、明日から若手作家13名によるFAIR2015が始まる。

更なる飛躍を期待される作家達で、油彩、立体、版画と多種多彩な作品が出品される。

今日明日に分けて、それぞれの作品を紹介させていただく。

中村萌



内藤亜澄



井澤由花子



岩渕華林



佐藤温



六本木百合香



岩田ゆとり



2月5日

今日は雪の予報。

昨年の2月の大雪が思い出されるが、今日はそれほどのことはないようだ。
天気も暗いが、人質のニュースも心が痛む。
人間がそこまで残酷になれるものだろうか。

今日のタイ・ミャンマー日記でも書いてあるように、ビルマ戦線で戦った英霊のお墓にお参りしてきたが、こういう人たちの犠牲の上に今の平和があることを思うと、平和を壊すようなことは二度とあってはならないと強く思う。
今度の事件でも誰がいけない、何が悪いという人も多いが、それなら自分ならどうするということは一言も言わない。
自分が身代わりになって助けようなんていう人もいないだろう。
誰も命をないがしろにしたわけでもないし、誰も戦争を望んでもいないだろう。
犠牲になった人にはお気の毒だが、お参りさせていただいた英霊のように、その魂を礎にして、中東に平和が訪れることを願うしかない。

昨日は美術品の処分で出かけた。
知る人ぞ知る名家で、祖父にあたられる方は近代美術の庇護者でもあっただけに、期待して出かけたが、依頼されたのはオリエント美術のもので、木彫の動物像。
私とは専門違いで、真贋も分からず、査定も出来ないので、取りあえず預からせていただくことにした。

大変お世話になっている方でオリエント美術専門の人がいるが、イギリス在住なので、まずはメールでも思っていたら、何と画廊に向かう途中に電話がかかってきて、今、日本に来ていて、夕方には画廊に寄るということで、あまりのタイミングのよさに驚いた。
これは幸先がいいと喜んだが、見てもらうと、残念ながら評価ゼロ。
木の状態からして新しいもので、虫食い跡も故意に付けられているとのこと。
名家にもほとんど美術品は残っていないようで、期待外れもいいとこで、ガクッと肩を落とすのであった。

タイ・ミャンマー日記

2月1日

早朝成田に到着。
身を切るような寒さに震え上がる。

夜の便はきつい。
明日のロータリーの例会に出るためには、この便しかなく、せめてもう一日日程に余裕があったら良かったのだが。

帰ってからは、そのまま寝てしまうと余計に体がだるくなるので、いつものように1時間の散歩に出かけた。
ところが帰ってくると食事以外はほとんど寝ていて、強行日程にかなりの疲れがたまっていたのだろう。

ニュースでは、人質だった後藤さんが殺害されたニュースが流れ、なんと酷いことをとしたのだと、怒り悲しみとともに持って行き場のないやるせなさを感じた。
海外に行っているといつ自分の身に起こるかしれないわけで、改めて無事に帰れたことをありがたく思う。

向こうの空港でも警戒は日本以上で、荷物チェックも2回、3回と行われ、靴だけではなく靴下まで脱がされ、ベルトまで外される。
悪いとは思うが、イスラム系の人を見ると思わずその場を離れたくなる。
それとお腹が膨らんでないかと気になってしまう。

来月は香港で会議があって出かけなくてはいけないが、出来れば欠席したいくらいである。

今回の旅行でも、もし人質になったらという話になり、そうなったら一部上場会社の会長のOさんを全面に押し出し、この人なら会社で身代金を払ってくれるからと、友達がいのない意見で一致した。

しかし、そんな冗談も言ってられないくらい海外旅行が不安になってきた。

1月31日

バガン二日目だが、夕方にはヤンゴンに戻り、そこから夜の便で成田に帰ることになっている。

6名のロータリーの友人たちとの旅行であったが、平均年齢70歳を超えている割には強行スケジュールで、誰か倒れるのではと心配したが、今日までのところは全員無事に日本に帰ることが出来そうである。

このスケジュールになったのも、私以外はみんな悠々自適で暇なのに、ロータリークラブの例会が月曜日ということで、何が何でも例会は休むわけにはいかないとのロータリー命みたいな会員がいて、月曜日を挟んでのスケジュールとなってしまった。

今日の観光は、 まずは、バガンでは最も高いタピニュ寺院で、その横には第二次大戦で尊い命を捧げた日本人戦没者の慰霊碑が建てられていて、今回の仲間の一人に大僧正がいることから、花と線香を手向け、お経とともに平和を願い、一同お供養をさせていただいた。





次にバガン遺跡の中でも最も美しいと言われるアーナンダー寺院を訪ねる。
ここは父親と兄を殺して王位に就いた王様が、自分の罪を悔いて建てた巨大な寺院で、東西南北に四体の巨大なお釈迦様が安置されている。
こうした功徳も報われず、結局はこの王様も殺されてしまうのだが。





昼食を済ませ、リバークルーズを終えて一路帰国の途に。



短く慌ただしい旅行だったが、気の置けない仲間達のおかげで、楽しい充実した旅をさせてもらうとともに、里子たちに会い、今の平和の礎となった戦没者の慰霊碑にお参りすることもできて、心に残る旅をさせてもらった。

2月4日

昨日は節分で、毎年豆まきをやっていたが、子供たちもいなくなり、老夫婦二人で鬼は外・福は内とやっても、何となく盛り上がらないので、今年は取り止め。
その代わりに恵方巻きを家内が買ってきた。
これもコンビニの戦略に乗せられているような気がするが、いつの間にか節分の風物詩となってしまった。

バレンタインやホワイトデーもお菓子屋の戦略がいつの間にか定着してしまい、デパートのお菓子売り場もこの時期チョコレート一色である。
年々もらう数も減ってきて寂しい限りだが、いくつ貰った等と誇らしげに言うのも大人気なく、貰えば貰うでお返しを考えなくてはならず、出来ればこの風物詩だけは止めてもらえないだろうか。

我々業界もこの日は美術品をプレゼントする日みたいなものを誰か考えてくれないだろうか。

さて、タイ・ミャンマーの続きを掲載させていただく。

1月30日

今日は終日バガン観光。

先ずはローカルなニャンウーマーケットへ。
狭いマーケットの中に所狭しとお店が並ぶ。
ミャンマーの人たちは、男も女もロンジーという長い腰巻のようなものを巻いていて、そうしたロンジーがそこかしこで売っている。

また、ミャンマーの女性や子供はみんな「タナカ」という日焼け止めクリームみたいなものを顔に塗っていて、それも塗りこむのではなく、刷毛で塗り跡を残しているのが特徴である。
最初はどこか違和感があったが、見慣れてくると、それなりに愛嬌がある。
これもまた、マーケットのあちこちで売っていたり、物売りの娘たちが執拗に勧めてくる。
くっついたら離れずといった感じで、値段も5ドルから1ドルまで下げてきたので、根負けして買ってあげることにした。
現地の旅行社の女性に聞くと、とても肌にいいそうで、美白効果やニキビなどの皮膚疾患にも効くそうで、皆さんお肌がツルツルしている。





次に、あまたある仏教遺跡の中の一つ、シンイーザゴナ寺院というヤギと牛の神様を祀る寺院を先ずは訪ねる。



どの寺院もパゴダも簡素な日干し煉瓦で造られているが、地震も少ないところなので、1000年の時を経てもきちんと残っている。
王族などが建てた立派なものはその上に漆喰が塗られ、さらに金箔が施されている。
金箔は剥がれ落ちるので、何年かに一度は寄進によって張り替えが行われるそうで、どこも黄金色に輝いている。

何もない乾燥した大地にこうした仏教遺跡が四方八方に並ぶ様は、悠久の時を遡り、古に想いを馳せ、神秘的な世界に誘われる。



続いて金箔に覆われたシュエズィーゴオン・パゴダやティーローミンロー寺院などを見て廻ったが、11世紀当時の栄華が偲ばれる。



夕方には馬車に乗って、パガン遺跡や昔ながらの生活をしている村落を見た。
そこには、首長族が機織をしていて、らせん状の金環を長いのは20週以上巻いているそうで、寝る時も外さない。
辛そうで見てられないが、それが当たり前のような顔をして、ひたすら機を織っている。





最後は高く聳えるパゴダに登り、仏教遺跡に沈むサンセットを見に行く。
大地に沈む荘厳な夕日にしばし心奪われる。
ただし、登りも急な階段だったが、帰りは直角に見える急な階段を高所恐怖症の私は身が竦む思いで恐る恐る降りていく羽目に。
1,2日ではとても廻りきれないほどの仏教遺跡だが、その威容にはただただ驚くばかりで、観光地化せずに、いつまでも当時のままの姿で残っていってほしいものである。



夜はまた人形劇と民族舞踊を見ながらの夕食となった。
昨日よりはこちらのほうがレベルは高いが、食事はフランス料理の真似事みたいなもので、とても食べられたものではない。
韓国客相手の食事なのだろう。

2月3日

12月の中頃に行って以来行ってなかった床屋にようやく行くことができた。

旅の疲れが今頃ピークとなり、朝から身体もだるかったが、散髪してもらってすっきり。
明日からも美術品の処分や査定などがあって、また忙しくなる。

タイ・ミャンマー日記

1月29日

昨日はチェンライからバンコクに夜遅くに戻り、今日は朝5時半から15分で朝食を済ませて空港に向かい、一路ミャンマーのヤンゴンに出発という強行軍。



ミャンマーは初めて訪れる国で、軍事政権から民生移管が実現して民主化が進んだこともあって、一度行って見たいと思っていたところである。

ミャンマーはイワラジ川を中心に肥沃な大地を抱え、多彩な民族が住んでいて、勢力争いを繰り広げていたが、その中でビルマ族が台頭して、11世紀にバガン王朝が栄え、仏教が急速に広まり、現在のミャンマーの基礎が築かれた。
16世紀から18世紀にかけて新たな王朝がミャンマーを大きく発展させた。

18世紀に入り、イギリスが進出してきたことで情勢が一変し、イギリス領インドに併合され、さらにその後進行した日本軍により独立を果たすが、終戦とともにイギリス領に戻り、その後の独立によって社会主義国家となり、その後の軍事政権を経て現在に至っている。

現在のミャンマーには11世紀からの仏教遺跡が多数残っていて、今は欧米や日本から多数の観光客が訪れるようになった。

最初にミャンマー仏教の総本山シェダゴンパゴダを訪れた。
ここには高さ約100メーターの黄金色のパゴダがそびえる。
2500年前にブッダの前髪8本を収めたのが始まりと言われ、周囲にも壮大な寺院が建ち並び、全体が金箔で覆われ、上部には無数のダイヤモンドやルビーなどの宝石が散りばめられ、それは豪奢な眼を見張るようなパゴダである。
私もアンコールワットなどの仏教遺跡を見てきたが、これほどスケールが大きな遺跡は初めてで、ただただ唖然とするばかりであった。





この寺院には八曜日の神様がおられ(水曜日だけ午前と午後の神様がいる)、私は生まれ月から見ると金曜日の神様だそうで、その守り神はモグラで、ほかの象や竜の守り神に比べるとちょっと情けないが仕方がない。
下の写真がモグラの神様で、お花とお線香を手向けさせてもらった。



1月29日続き

パゴダを見た後、アウンサンマーケットに行く。
アウンサンスーチン女史のお父さんは、ビルマ独立運動の英雄として崇められ、道路やマーケットにその名が付けられている。
マーケットは殆どがヒスイ製のアクセサリーを売っていて、私には大して興味がないが、ミャンマーはヒスイの産地として知られ、最近は中国が大量に買い付けに来ていて、価格が高騰しているそうだ。

マーケットの入り口には大量の絵が飾られている。
お土産みたいな絵ばかりだが、値段を聞いてみると20号ぐらいの大きさで3、4万円くらいだそうだ。



アウンサンスーチン邸を見学した後(といっても外からだけだが)、湖畔のレストランで飲茶茶を食べて、国内線でヤンゴンからバガンに向かう。

バガン飛行場は写真のような小さな飛行場で、田舎の停車場といったらいいだろうか。



バガンは世界三大仏教遺跡と称されるアジア最大の仏教遺跡群で知られる都市である。
見渡す限り乾燥した大地に2000にも及ぶ仏塔(パゴダ)が点在し、その荘厳さに圧倒される。
11世紀から12世紀ににかけて造られたそうだが、当時はその数は数十万にも及んだと言われている。

パガンのホテルはリゾート風の素敵なホテルで、こんな所にこんなお洒落なホテルがあるとは夢にも思わなかった。
そこから近くにあるレストランでミャンマー料理を味わうことに。
ミャンマー料理はタイ料理より辛いと聞いていたが、旅行者用に辛さを控えめにしてあり、辛いのが苦手の私にはマイルドでよく口に合う。
そこではミャンマー伝統の操り人形劇や舞踊を見ながらの食事であった。





ホテルに帰り、ミャンマー式マッサージに悲鳴をあげながら、身体をほぐしてもらって、強行軍の1日を終えた。

2月2日

帰国そうそう、画廊には取引のある上海の画廊さんが大勢の中国の人を連れて現れる。
土曜日で展示が終わってしまったので、見てもらうものがなくて残念だったが、それでもばたばたの中で作品を買ってくれる人もいて、ありがたい事である。
旅の疲れも残っていたが、いきなりの中国軍団に一気に目が覚める。

さて、タイ・ミャンマーで書いた日記を一週間遅れで順次アップさせていただく。

1月27日

ロータリーの友人5名とともにタイとミャンマーへ。
空港では、仲間に一人が一部上場会社の会長というのがいて、そうしたクラスの人しかなれないVIPメンバーということで、全日空の係員がつきっきりで世話をしてくれて、ラウンジもスーパーVIP用の個室へ。

食事も飲み物もいくらでも運んでくれるというファーストクラスのサービスで、このままずっとここに居たいくらい。



6時間半のフライトでバンコクに到着、ここで国内線に乗り換えてチェンライに向かうが、ここでもタイ航空の美しい女性がエスコートしてくれて、VIP気分を味わせてくれる。



夕食はバザールの中にあるレストランで。
鳥や魚、海老の料理にタイ式炒飯と焼きそば、トムヤンクン。
私達用に辛さ控えめにしてあって、どれも美味しい。
一つだけ現地バージョンにしてもらうと、私は一口食べただけで舌がひりひり。
建築家で大学の名誉教授のIさんだけが、辛いもの好きということで平気で食べている。

バザールでは色とりどりのタイシルクの布地で溢れかえっているが、値段からすると多分シルクもどきだろう。
ホテルも立派なホテルで、以前に二回来ているのだが、記憶力がすっかり減退してしまった私は初めて来たようにしか思えない。



日本時間ではすでに真夜中、明日も早いということで、すぐにベッドでバタンキュー。

1月28日

翌朝はホテルのレストランの横を流れる川からの夜明けの風景が美しい。
すっかり記憶から消えていたホテルだったが、この夜明けの風景を見て思い出した。



今日は早くからまずはチェンライから更に高地にあるタイの桜を見に行く。
予定では、象に乗って川下りをする予定だったが、急遽変更になって、お花見となり、楽しみにしていた私はちょっとガッカリ。

2時間ほどバスで山を上がって行くと、小さなバザールが出現。
ここはかなり山の上だが、中国人とどういうわけか台湾の人たちが、山岳民族とともに住み着いている。
国民党の残党だそうだ。
この地域はケシの栽培を密かにしていて、麻薬取引が行われているそうで、その摘発のために途中に警官が検問をしている。

桜は12月が盛りだそうで、パラパラとあるだけで、日本の桜のことを思うと、拍子抜け。
それにしてもまさかタイで桜を見るとは思わなかった。



この地域は焼き畑農業が盛んで、山肌はほとんど禿げ山となっていて、最盛期には、その煙で飛行機が飛ばないこともあるそうだ。

バザールには台湾人が入植しているせいか、お茶を売っている店が多い。
お店を構えているのは、中国や台湾人で、アカ族などの山岳民族は道端でタロイモ瓢箪などを売っていて、かなりの格差社会。



お昼を済ませ、王様の施設を見た後、今回の目的である里子施設を訪ねる。
私はこれで3回目だが、私どもの寄付による施設の充実もあって、以前とは見違えるようになっている。
ここを運営している三輪さんの話では、施設は良くなったが、里親の減少と備品の老朽化で運営はなかなか厳しいようだ。

ここで夕食をご馳走になった後、里子たちが歓迎の歌と踊りを披露してくれた。
これも以前とは格段の上達ぶりで、私たちは胸を熱くして見せてもらった。
私の里子は残念ながら学校のキャンプに出かけていて会えなかったが、素敵なプレゼントをいただき感激。

みんな明るく素直な子供たちばかりで、生活の貧しさなど微塵も感じさせなかった。
ただ里親の支援を待っている子供たちも多く、一人でも多くの里親を増やすことを我々が多くの仲間に呼びかけなくてはいけない。

子供達の温かい見送りを受けながら、ささやかな支援ではあるが、続けてきてよかったと強く思うのであった。





1月26日

明日からタイ・ミャンマーに出かける。

どちらも行くところは電気、電波状況がよろしくないようで、フェースブックやブログで近況をお伝えすることが難しいかもしれない。
特にミャンマーはしょっちゅう停電があるらしく、それが普通のことと慌てないようにと旅行社の案内に書いてあった。

水事情も悪いそうで、先日も生牡蠣に中っただけに、気をつけなくてはいけない。
10数年前にベトナムに行った時に、帰る最後の日にホテルでアイスクリームを食べたのが大失敗。
翌日の飛行機からお腹が痛くなり、帰ってから約一ヶ月お腹の調子が悪かったことがある。

この時も先日の牡蠣の時も一流ホテルだっただけに油断をしてしまった。
火を通さないもの、冷たいものはどんな所でも口にしないを肝に銘じておかなくては。
若い時と違って、体力も免疫力もなくなっているので、余計に気をつけなくては。

そうベトナムの時には、チェックアウトの時に家内や娘にお土産で買ったシルクのハンドバックやシャツをカウンターの下に置き忘れて、バスに乗って気が付いたが時既に遅しで、見つからなかったことがあった。
帰ってから家内たちに話すと、きっと買ってこなかったんだとあらぬ疑い。
身の潔白を晴らす術もなく、家内たちには超高級なバックやシャツだっただけに惜しいことをしたと言って、悔しがらせておいた。

東南アジア、何が起こるかわからないが、用心、用心。

1月25日

韮崎にある大村美術館に行ってきた。
ここで櫻井孝美展が開催されていて、ギャラリートークがあるということで出かけた。

日本テレビアナウンサーの井田由美さんが美術番組「美の世界」の司会を担当した縁で、何人かのその番組に出演した作家達と彼女を囲んでの会「弓の会」というのがあるが、櫻井氏も私もその会のメンバーで、そのメンバーと一緒に今回出かけることになった。
私以外は皆さん作家の方ばかりで、どうして私がこの会に入っているのかよく分からないが、何となく誘われて一緒に食事をしたりしている。
唯一の縁は、彼女は大学の学部の後輩ということくらいだろうか。

櫻井さんはセントラル美術館大賞、安井賞や昭和会賞とその当時の具象絵画のコンクールの全ての賞をとるという輝かしい業績を持っているが、いつも謙虚で優しいお人柄ということもあって、今回のトークも立ち席が出るほどの超満員であった。
富士吉田に在住で、私も河口湖に家があることから、夏にはバーベキューなどに招かれたりしている。



展覧会が開かれている大村美術館は、女子美術大学理事長の大村智氏が設立した美術館で現在は韮崎市に寄贈されている。
この大村氏はノーベル賞をもらってもおかしくないほどの人だそうで、ネットで少し調べてみたので紹介させていただく。

大村氏は微生物研究の権威で北里研究所の所長として有用な天然有機化合物の探索研究を続け、これまでに類のない450種を超える新規化合物を発見された方でもある。
大村博士が発見した化合物のうち25種が医薬、動物薬、農薬、および生命現象を解明するための研究用試薬として世界中で使われており、人類の健康と福祉の向上に寄与している。
その中の抗寄生虫薬イベルメクチンは、熱帯地方の風土病に極めて優れた効果を示し、中南米およびアフリカにおいて毎年約2億人余りの人々に投与され、これら感染症の撲滅に貢献している。
同博士は美術にも造詣が深く、女子美術大学の理事長も務めている。
2007年には私費を投じて故郷である山梨県韮崎市に韮崎大村美術館を建造し、1000点を超える蒐集作品と共に韮崎市に寄贈、初代館長を務める。
また、研究の成果である特許ロイヤリティーで得た250億円を北里研究所に寄付をしている。

いやはやすごい人である。

ギャラリートークを終えて、隣接する源泉掛け流しの「白山温泉」と蕎麦処「上小路」で眼下に広がる絶景を見ながらの露天風呂と美味しいお蕎麦を堪能した。
この温泉もお蕎麦屋さんも、わざわざ美術館を訪ねる人のために大村氏が造ったそうである。



1月24日

来週の火曜日から1週間ほどタイ・ミャンマーに行ってくる。

私が入っているロータリークラブでは長年にわたり、「さくらプロジェクト」いう活動を支援している。
これはタイの北部高地チェンライにある貧しい山岳民族の子供たちの教育支援で、里親となって学費の援助をしたり、何時間もかかって遠くから通学してくる子供たちのために寮を建設したりといった活動をしている。
私も長年にわたり、里親となって里子の支援をしていて、クラブでも3年に一度学校を訪ねて生徒達との交流を深めている。

私もそうしょっちゅうは行けず、今回3度目の訪問になるが、今年はそれに合わせて隣国のミャンマーを初めて訪ねることになり、ようやく民主化されつつあるミャンマーの旅も楽しみにしている。

暮れに、里子から手紙が来ていたので、紹介させていただく。

お父さん、こんにちは

その後元気でいらっしゃいますか。
おかげさまで、私は毎日元気に幸せに過ごしています。
タイは、涼しい季節に入り始め、朝は結構涼しいですが、昼間はかなり陽射しが強く暑く感じます。

10月の休みには帰省して、家族と一緒に過ごすことが出来てうれしかったです。
帰省して、最初は両親の手伝いでトウモロコシ畑の草刈をしました。
昼間の陽射しは強く、その上、畑は山岳地帯にあるのでとても疲れましたが、我慢しながら自分の出来る限りの草刈をしました。

また、友達と一緒に高い山に登り、森の中で仕掛けをして、鳥を捕まえたりもしました。
家に居る時は、4歳の妹に水浴びをさせたり面倒を見ました。
兄弟の中で唯一の女の子のせいか、言うことを聞かず、自分が欲しいものが手に入らないと、泣くなどとてもわがままだと思いました。

家で2週間あまり過ごし、学校の選択科目の一つの軍隊研修に参加しました。
軍事の勉強は今年で4年目になります。
軍隊訓練は、日中の炎天下でも少したりとも身体を動かすことなく、直立を持続しなければならないなどの忍耐力が必要です。
でも、充実した訓練で楽しかったです。

お父さん、もしお時間がおありの時は、是非お手紙をください。
そして是非タイにも遊びにいらしてください。

最後になりましたが、お父さんのご健康と幸せをお祈りしています。

お父さんの里子 ・・・・・より



1月23日

美術雑誌アートコレクターズ2月号は立体特集で、私どもの作家も何人か紹介していただいている。

こんな人も立体アートを愛でていますでは、仏文学者の巌谷国士氏が桑原弘明を2ページで紹介している。
編集部おすすめでは内林武史の作品がカラー1ページで紹介されたり、浅井飛人、塩澤宏信、牧野永美子等が取り上げられている。

それとは別記事だが、青柳文化庁長官の時事放談の「マーケットの拡大が、より現代美術の発信を広げ、プライベートをパブリックに転換することが重要となる 」の一言が興味深い。
「現代美術の海外発信に関する検討会」を発足させたり、「優れた現代美術の海外発信促進事業」の助成金制度など、青柳長官を筆頭に文化庁の現代美術への取り組みが大きく前進しつつあることをうかがわせる内容である。

また私どもで発表した中村亮一のKOKI・ARTSでの個展も展覧会レポートで取り上げられていて、今回のアートコレクターズは盛りだくさんである。

他にも美術雑誌「百兵衛」2月増刊号の画廊みて歩きでも、ギャラリー椿が他の2画廊とともに取り上げられている。

美術雑誌だけではなく、最近はテレビの取材も多く、桑原弘明や4月の個展予定の篠田教夫がテレビで紹介されることになっているので、詳細が分かり次第、皆様にお知らせする。

1月22日

今年も仕事の話は海外ばかり。

ここ数日の間にも、メキシコのお客様からの注文、香港の画廊からの個展の依頼、同じく香港のホテルフェアーへの協力依頼、テグの画廊からの注文、イギリスでの若手作家による展覧会の資料作り、ジャカルタの画廊からの出品依頼と、送られてくるメールは外国のものばかり。
メールボックスも英文で溢れている。

そんな中、台湾との会社の販売権についての契約書の件で、著作権の専門の弁護士先生を訪ねる。
友人の弁護士に相談していたが、専門外ということで、こちらを紹介された。
海外との展覧会の契約書はこちらで作ったり、先方から送られてきたものを使ったりと様々だが 、今回はオリジナル作品の複数制作に関する契約ということで、作家の著作権にも関することなので、専門の先生に作成してもらうことにした。
模倣されたり、商標権として先に登録されてしまったりとか、日本ではあまり考えられないことが起こりがちなこともあり、この際しっかりとした契約書を作ることにした。

ただ今までの経験からすると、海外との契約で、支払期日などの取り決めで守られた試しがない。
日本では、契約書などがなくてもお互いの信用で、業者同士で決めたことは絶対に守るといった商習慣があるが、海外ではなかなか通用しない。
何のための契約書かと思ってしまうが、遅れても不履行になったことはないので、最近はそんなものかと半ば達観している。

逆にこんなことは書きたくないのだが、お客様との商談は相互の信頼で長い間やってきて、今まではトラブルになったことは全くなかったが、最近は2年3年と入金がされず、請求書を出しても無しのつぶてというケースがいくつかある。
会社が潰れたりとか、大病を患うとかであれば仕方がないが、元気でいろいろの画廊に出入りしていたり、自分で展覧会企画をしたりと聞くと、一体どうなっているのかと考えさせられる。
業者だとこ、うしたことがあると、信用失墜ということで、その情報があっという間に仲間内に広がるが、お客様だとこうした話はしにくいもので、なかなか外に広がることが少なく、そうした人たちが大手を振るって画廊街を闊歩することになる。
敢えてこうしたことを書かせていただいたのも、新しい画廊や若い作家さんが、そうしたお客さんに振り回されることのないように一つの警告と思っていただきたい。

昔はこんなこともなかっただけに、日本も海外並みに信用だけでは通じなくなってきたのかと、一抹の寂しさを感じる。

1月21日

現在私どもで個展開催中の塩澤宏信の陶作品の一部を改めて紹介させていただく。

エンジンやタイヤのスポークまで細部にわたって全て陶で出来ている。
よくぞこれだけ細かいものを土から作り出すものと驚いてしまう。
焼いていて割れたりしないかと思うが、それもほとんど無いそうだ。

染付けは呉須や釉薬を使っているが、恐竜や虫の皮膚感やエンジンの素材感などはとても染付けとは思えないリアルなものである。
これも色を見ながらつけるのではなく、染め付けした後に焼くのだから、色はだいぶ変化するはずで、これも経験則で色を想定するのだろう。
また恐竜のかたちは骨組みから大体は解明されているが、皮膚の色はそれほど解明されているとは思えないので、塩澤自身のイメージによるものなのだろう。

皆さん馴染みがないので、まだ見に来る人もそう多くははないが、見たら引き込まれるの間違いなしである。
私は全部家に飾りたいくらいである。





1月20日

正月休みに初笑いと洒落込もうと新宿末廣亭に行ってきた。

正月興行ということで、行ってみると満席。
そのうち空くだろうと思って、立ち見で我慢していたが、誰も帰る人がいず、中入り過ぎてもずっと立ち見。
ようやく夕方遅くになって、席が空いて座ることが出来た。

この興行は、11時から始まって夜9時まで入れ替えなしだから、席を立つ人が少ないのもわかる気がする。
正月料金でいつもよりは少し高く、それでも3500円で10時間楽しめるのだから、こんな安上がりな娯楽はない。

笑う門には福来るで、正月早々げん担ぎもあって出かけたが、十分に楽しむことが出来た。
テレビで知ったが、笑うことで免疫力が高まるそうで、今年も大いに笑って、一年を健康に過ごしたいものである。

1月19日

ようやくお腹のほうは良くなってきたが、食欲はいま一つで、今年こそはウエストを縮めなくてはとの決意も、生牡蠣に中ったことで、どうやら実現できそうである。

さて、昨年の桑原展のアンケートで、これだけ大勢の人がどうやって展覧会を知ったのかを調べてみたところ、圧倒的に友人知人の紹介、それに次いでツイッターという答えが多かった。
DMやホームページ、フェースブックといった私どもの告知はあまり功を奏していないことがよくわかった。

興味深い展覧会だと如何に口コミの力が強いかを表わしている。
ツイッターで革命が起こる時代だけにその伝播力は相当なものなのだろう。
以前だとミクシーというのが、私どものそれぞれの贔屓の作家の情報を共有していて、展覧会の動員に繋がったが、今回はたった一人だけがミクシーで知ったということで、時代の流れも大きく違ってきているのだろう。

私自身も以前はツイッターで情報を流していたが、コメントによっては過激な指摘があるのではとか、炎上という話も聞いていたので、止めてしまい、相手が特定できるフェースブックで情報を流すことにした。
そうなるとホームぺージやダイレクトメールもそうだが、常に流される情報が当たり前になり、よほど新鮮か魅力的なものでないと、常連さん以外はそう動いてくれないことが分かった。

更に桑原展で驚いたのは、500人のアンケートをいただいた方だけでも27都道府県にわたり、アンケートを出していない方はその数倍はいたと思うので、そうすると日本全国津々浦々から来ていただいたことになる。
これは凄いことで、面白ければどんなに遠くからでも来ていただけると言う事である。

僅かな設問であったが、これだけでも私どもが今後どのように対応して行ったらいいか、大変参考になる結果であった。
これを活かし、今後多くの方に作品を見て、そして購入してもらう機会を作っていきたいと思っている。

1月17日

今日から新年初めての個展が始まる。

望月通陽展と塩澤宏信展である。

まずは年賀状や日記にも書かせていただいたが、私どものギャラリーを開設した最初の個展が望月通陽であった。
その時私どもが日ごろ使っているロゴマークを彼が作ってくれた。

羊を象ったロゴマークで、羊が若木を育てる図は今でも気に入っている。

今回も最初の時と変わらず一貫してシンプルな形とモノトーンの世界を追求している。
通常であれば、そうしたスタイルを続けると、どうしてもマンネリ化しそうなものだが、それを感じさせないところが彼の優れた表現力なのだろう。

それと今回も多くのブロンズ作品が展示されているが、これも単純で平面的な世界をよくぞこれだけの多様に立体化できるものと感心している。
染という独自のジャンルを越えて、幅広い彼の展開を是非堪能してほしい。



次に塩澤展を紹介させていただく。

2012年に初めて塩澤の作品を、すぐ目の前にあるギャラリーなつかで見て、思わず2点の作品を衝動買いをしてしまった。
それがきっかけで、アトリエを訪ね、今回の私どもの初めての個展に繋がったのである。

オートバイと恐竜、動物達、どれも私の童心、遊び心をかき立ててくれるものであった。
それと同時に、オートバイの精密なエンジン部分や車輪のスポークまで微細にわたり全て陶で作っていることに驚かされた。

私どもにも人に真似の出来ない超絶技法の桑原弘明や篠田教夫がいるが、彼もまたその卓越した技量で見る人を魅了させる作家の一人である。

一瞬、ジュラシックパークに紛れ込んだかと錯覚するようなわくわくする世界を見せてくれている。



1月15日

昨日の遅くにソウルから戻ってきた。

疲れもそれほどなく、元気で帰ってきたつもりだったが 、夜中に我慢できない腹痛が襲ってきた。
トイレに何度も駆け込むうちに、今度は気持ちが悪くなり嘔吐を繰り返す。
偉いことになったなと思いつつ、今日はお客様が見たいと言っている作品があり、休むわけにもいかず、ふらふらになりながら画廊に向かう。

原因が分からず、冷えと疲れから来たのかもしれないが、画廊では次々に来客があり、痛いだ気持ち悪いだ言ってられない。
偶々お客さんと話していて、牡蠣が中るとひどいんですよねという話になり思い出した。
13日に生牡蠣をいくつか食べたのである。
すぐに痛くならなかったのですっかり忘れていたが、なるほどそれに違いない。

それでも痛いのを我慢して出てきた甲斐があり、一人のお客さんに3点の作品を買っていただいた。
休まず働けということで、明日は日版商の会があって、出席するつもりでいる。

1月13日

朝10時からアジア画廊協会会議が始まった。

台北の会議同様に8ヶ国の代表が集まった。
ただ会議は踊るの言葉通り、台湾と同じような議論に終始し、役員の選任も決まらず、結局は協会の名前がASIA-PACIFIC GALLERY ASSOCIATION FEDERATION、略してAPGAFとなっただけである。

役員の選任については、昼食、夕食の時にも議論が続けられたが、結局は決まらず、来たる3月の香港アートステージの折にもう一度集まり、投票によって決めることになり、その任期もその時に決めることになった。
私は語学力のなさが災いして、あまり意見も言うことができず、次回の日本での会議開催もオリンピックイヤーのアジアンアートフェアーの日本開催もうやむやに終わってしまい、自分の不甲斐なさを嘆くのであった。

ただあまりに不毛な会議は時間とお金の無駄であり、唯一の成果は8ヶ国の代表の結束が固まったくらいである。
ただこれもそれぞれの代表が任期終了とともに交代することで、こうして深まった人間関係も次に繋がるかどうかが問題となる。
2ヶ月後に香港にまた行かなくてはならず、今度は優秀な通訳を連れて行くのがわたしにとっての重要な任務となるだろう。



昼食後、韓国画廊協会の役員たちに案内されて、新しく出来たデザインミュージアムDDPと国立現代美術館に行ってきた。

東大門近くにあるDDPはとてつもなく大きい建物で、コレクションは大したことないが、その規模の大きさにはただただ呆れてしまう。
興味を引いいたのはアートグッズショップで、お土産にしたいようなおしゃれなグッズがたくさんあったが、時間がなくチラ見しただけで終わってしまった。
ここには是非次回に訪れたいと思う。

次に行った現代美術館も幾つかの企画があったが、それほど関心を引くものはなく、何度か行ったサムソンがやっているリウムミュージアムのコレクションの方が企画、コレクションともに質が高いようだ。



そのあと夕食のご馳走が待っていて、この二日間で多分体重は増えているに違いない。
それにしても韓国のホスピタリティーは相変わらずで、日本で開催するとしても果たしてこれほどのことができるだろうか不安になってきた。

ホテルに帰ってもラウンジでまた一杯ということになり、私はジンジャエールだけで、眠い目をこすりながら12時過ぎまでお付き合いをさせていただいた。
ここでも私一人語学力なさを痛感し、普段おしゃべりの私も寡黙な時間過ごすだけであった。

時間を取り戻すことはできないが、若い時の不勉強が、この歳になって思い知らされるとは誠に情けない。

1月12日

ソウルに到着。

寒さを覚悟してやってきたが、思いの外暖かい。
と言っても、宿泊先のホテルには屋外スケートリンクがあり、それなりには寒いのだろう。
それにしても、ホテルにプールは普通にあるが、スケートリンクがあるのは珍しい。
部屋の窓から見ると、子供たちが楽しそうに滑っている。

このホテルのそばに、韓国画廊協会の会長のPYOギャラリーがある。
オーナーの表さんは6年の間、協会の会長を務め、来月任期を終える。
その最後の仕事が、今回のアジア画廊協会のソウルでの開催である。

私のところと表さんとの付き合いも長く、北京にあるPYOギャラリーの支店で日本現代美術展を開いてもらったことがある。

その時選ばれた作家は、私どもの山本麻友香、夏目麻麦や曽谷朝絵、大谷有花、堀込幸枝など12名で、作家全員とともに私どもスタッフも招待され、初めての北京旅行を楽しませてもらった。
往復の飛行機代からホテル、食事、観光まで全部がPYOギャラリーでセッティングしていただき、その太っ腹には驚かされたものである。
参加作家の一人、堀込幸枝はその後私どもでも個展を開くことになったが、PYOギャラリーの本店でも個展が開かれ、その時はほとんどが大作の出品であったが、1点として私どもに戻ることはなかった。
曽谷朝絵もその後、個展をソウルの本店で開催していただいた。

韓国のコンテンポラリーバブルの時代で、この頃はPYOだけではなく、韓国の画廊には大変お世話になり、私にとっても大いに恩恵に与った時代である。

そんなこともあって、表さんとの付き合いは長く、今年も25名の若手日本人作家を選び、韓国、中国の若手作家とともに、イギリスでの展覧会へのお手伝いをすることになっている。

協会会長時代は協会業務に専念していたこともあって、以前ほどのタイアップ企画も無くなっていたが、会長を退任することで、今回のような企画も持ち上がったのだろう。

どちらにしても6年間の任期ご苦労様で、アジア画廊協会会議も成功裡に終わることを願っている。

1月10日

画廊が始まったばかりだが、12日から極寒のソウルに行かなくてはならない。

昨年台北で開催されたアジア画廊協会会議が今回はソウルで開かれることになり、昨年同様に日本の窓口となっている全国美術商連合会の理事長代理として私が出席することになっている。

前にも書いたが、この会議ではアジア諸国が一丸となり、現代アートの促進を謳っているため、窓口となる古美術商・近代美術商が中心の全美連ではどうしても温度差があり、決定した事項をそのまま日本で受け入れることが難しかったが、理事長のご理解もいただき、同じテーブルで議論を交わす体制がようやく出来上がってきた。
そのためにも今回はオブザーバーとして、新しく設立された現代アートの業界団体「現代アートフォーラム」の事務局長も同行してもらうことになった。

これも以前にも書いたが、来年の日本での会議の開催と2020年のオリンピックイヤーに向けて、アジアンアートフェアーの日本での開催を提案してくるつもりでいる。
もしこれが承認されると、会場とスポンサー探しが当面の課題となり、そのためにも文化庁や企業にも協力をお願いしなくてはならず、忙しい一年となりそうである。

ソウルはマイナス18度と聞いていて、帰国後タイ・ミャンマーと亜熱帯のところに行かなくてはならず、この温度差も相当なものなのだが、こちらは如何ともし難い。

1月9日

昨年の桑原弘明展では、今まで制作したスコープ作品の101点の写真を展示し、その中から好きな作品を1点選び出し、投票をしてもらうという企画をさせていただいた。

投票した中から三人を抽選で選び、桑原制作のミニスコープを贈呈することになった。
ほぼ500人の方に投票していただき、結果は今回の案内状にもなった「紺碧の鏡」が栄えある1位を獲得した。
なお、ミニスコープの当選者は発送を以って代えさせて頂くことにしたが、思わぬ人が当選していて、大変興味深い結果となった。
「紺碧の鏡」に票が集まったのは、案内状効果も影響しているのだろう。

これだけたくさんの方に投票いただいたことは誠にありがたく感謝に絶えない。
投票されなかった方も含めると、会期中相当数の方にお見えいただき、一体この展覧会をどこで知ったのだろうということも大いに興味があり、投票用紙にはその質問事項も書いていただいたので、その結果もまとまり次第発表させていただく。
ざっと見てみると、知人、友人からの口コミ、ツイッターが多いようだ。
それと北海道などかなり遠方からお越しいただいた方も多く、どのあたりから来たかも整理して、私どもの参考にさせていただこうと思っている。

尚、関心のある方はとりあえずホームページ上に10位までを記載してあるのでご覧いただきたい。

こうした展覧会が毎回続くと、私どもも言うことはないのだが。



1月8日

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

長い正月休みを終え、今日から営業開始。
昨年の疲れも癒え、元気いっぱいで2015年を迎えます。

1月17日より32年前のギャラリー椿のオープンに際し、そのふた明けを飾った望月通陽の16回目の個展を開催するとともに、GTUでは陶芸の塩澤宏信の初めての個展を開催いたします。
詳細については改めて紹介させていただくことにして、それまでは写真のような展示をいたしておりますので是非のお越しをお待ちいたしております。



私どものロゴは羊が若木を育てる図となっていて、画廊オープンの折に望月通陽氏に描いていただいたものであります。
美術の美は羊という字からなっていて、羊は美の神様とも言われているそうです。
当時30そこそこだった望月氏をはじめ無名の若手作家を紹介することでギャラリー椿がスタートしたこともあり、それに相応しいロゴを彼は描いてくれました。
今もギャラリー椿はその思いを忘れることなく、これからの作家を紹介し続けております。

17日からの展覧会はそうした意味でも、未年に相応しいギャラリー椿の思いを具現化した展覧会となります。
是非のご高覧をお願い申し上げます。

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