ギャラリー日記

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12月28日

今日で画廊も仕事納め。

大掃除をして、明日から1月9日までお休みさせていただく。

10日より通常営業となり、早速に14日からは正月恒例の望月通陽展と塩沢宏信の超絶技法による陶芸展で新年のスタートを切らせていただく。

私は私事だが、カンタベリー大学の客員研究員として息子家族が滞在しているニュージーランドに家内と娘家族を連れて、10日ほど行って来る。

美しい自然に囲まれたニュージーランドを堪能し、新たな年への英気を養いたい。

今年一年皆様には大変お世話になり厚くお礼を申し上げるとともに、来年も同様にお引き立てのほどよろしくお願いをさせていただく。

どうぞ良いお年をお迎えください。

12月27日

年末になると今年の十大ニュースというのが新聞やテレビで発表される。

トランプの当選やイギリスのEU離脱、朴大統領の失脚といった世界を揺るがす大きなニュースもあった。

日本では熊本地震や先日の糸魚川の火災など悲惨なニュースや小池都知事誕生で豊洲問題やオリンピック競技場問題などが浮上した。

そこで、ギャラリー椿の今年の十大ニュースをあげて、今年を振り返ってみたい。

まず一番にあげるのは、6月に開催された「ギャラリー椿リニューアル展」である。

私の古希とギャラリー椿創立35周年を記念して、ゆかりのある作家さんたち90名が展覧会を企画し、案内状やカタログを作り、パーティーを開き、感謝状を読み上げてもらい、お花の贈呈までしていただき、この上ないと言うよりは、70年間でこれほどうれしいことはなかったというくらい一生忘れられない、いつ死んでもいい思い出となった。

その際、骨を折っていただいた金井訓志、山本麻友香、望月通陽を始め参加していただいた作家の皆さんにひたすら感謝である。

二番目は例年のごとくだが、国内外で多くの個展やグループ展を開催したことである。

私どもでなんと31の展覧会、画廊外ではシンガポール、香港、上海、ジャカルタ、台北、台南、ソウル、釜山、東京、広島での個展やグループ展を開催し、いくつかのアートフェアーに参加したことである。

これは作家の皆さんが素晴らしい作品を提供してくれたお蔭であり、結果は悲喜こもごもだが、次につながることは間違いないと確信している。

三番目はアジア・パシフィック画廊協会会議とシンポジウムを日本で開催し、つつがなく終えられたことである。

これには全国美術商連合会、東京美術倶楽部、アートフェアー東京の協力なくしてなしえなかったことで深く感謝を申し上げる。

続いて香港、ソウル、台北でも会議、シンポジウムが開かれ大きな成果を上げることが出来た。

四番目は私どもと一番長いお付き合いのある望月通陽の大個展が信州の梅野記念美術館で開催されたことである。

足の便の悪いところにもかかわらず、多くの来場者が見え、オープニングに際し開かれたつのだたかしリュートコンサート、中日に開催された谷川俊太郎、賢作親子の朗読とピアノコンサートも立錐の余地もない大盛況であった。

来場の皆さんからは作品の素晴らしさとともに展示のスケールとセンスの良さにも多くの賞賛の声が寄せられた。

開催にご尽力をいただいた美術館の皆さん、関係各位には感謝を申し上げる。

五番目は悲しいことだが訃報である。

コレクターとして長年お付き合いいただき、5000点を蒐集した中村文俊氏が亡くなられた。
お元気で画廊周りをしていたお姿が目に浮かぶ。

作家では合田佐和子氏が亡くなられた。

昨年5月に新作展を予定していたが、病気のためそれがかなわなかったことが心残りであった。

お二人のご冥福をお祈りする。

六番目はT氏による小林健二コレクション展を開催したことである。

T氏は3000点に及ぶコレクションををされているが、その中でも小林健二はメーン作家の一人である。
以前から希望をしていたがようやく実現し、これを機会にしばらく体調不良であった小林健二の個展が来年秋に実現することになった。

ただ心配なのは、その後T氏が病に倒れ、今も入院中でしばらく療養に時間を要するみたいである。
一日も早い回復を祈るばかりである。

七番目は文化庁を文化省へのキャンペーンが本格化し、「五輪の年には文化省」を目指し、芸術16団体が加盟する芸術推進フォーラムによる一大イベントが開催され、それに合わせて、138名作家の協力の下「アーティストによる新作オークション」を開催したことである。

八番目は私どもでも大変お世話になった故増田静江氏のコレクションを中心にニキ・ド・サンファール展が国立新美術館で開催され大きな反響を呼んだことである。

その後、海外でも増田コレクションの企画が進行しているようである。

九番目は草間弥生が文化勲章を受章したことである。

世界の草間が日本でもお墨付きをもらったことで、コンテンポラリーアートの世界での受賞も画期的なことであった。

十番目は会計を担当していた私の娘が前職であった知的障害児童施設の職員に復帰し、以前勤めていた上矢圭子が会計担当として戻ってきたことで、以前からのスタッフ3人とともに、画廊のために尽力をしてもらっている。

番外は多くの作家さん、お客様、取引業者さん、そしてスタッフとともにつつがなく一年を終えたことである。

特にスタッフには前述のように数え切れないくらいの展覧会を開催し、その準備や海外出張、展示、荷造り、撤収と日夜大変な思いをさせてしまった。
正月ゆっくりと疲れを癒してもらいたい。

こうして振り返ると、感謝・感謝の一年であった。

そして最後に、作家さん、お客様はもちろん、多くの方の協力なくしてギャラリー椿はありえないことで、その賜物と衷心より感謝を申し上げ、今年のギャラリー椿の締めくくりとしたい。

12月22日

火曜日から3日ほど韓国の釜山、テグに出張。

着いた日の釜山は半袖でもいいくらいの暖かさ。

ところが翌日のテグは震えるくらいの寒さと雨。

今朝早く釜山を発ったが、今度は嵐かと思うくらいの強い風と雨で傘もさせない。

飛行機が予定通り飛んでくれるか心配したが、何とか時間通りに帰ることが出来た。

来年の企画展の打ち合わせと集金が主な目的で、円安で韓国口座のお金も引き出そうと思ったが、ドルと同じようには行かず、韓国ウォンも安くなっていて、結果レートが変わらず、またしばらく様子を見ることにした。

お付き合いのあるテグの画廊さんが来年ソウルにも画廊を出すという。

場所は今話題になっている大統領官邸・青瓦台の後ろにそびえる山の中腹に既に土地を買っていて、そこにビルを建てるそうだ。

この地域はソウルでも超高級住宅地となっていて、土地代だけでも相当な金額になるだろう。

それに加えて、テグにも去年画廊とは別にカフェギャラリーをオープンしていて、そこも自分の土地らしく、ソウルが一段落したら、隣の貸している土地も含めて、新たにビルを建てるというからどれだけ金持ちなのだろう。

それなのにである、二年前に売った作品のお金を何度か催促していたが、ようやく今回払ってくれることになった。

韓国の画廊の支払いはルーズなのは承知の上だが、こんなお金持ちでもと思うと首を捻るしかない。

何とか韓国からお餅代をもらうことが出来、私のところも無事に年を越せそうである。

12月17日

先週に続き、月曜日から連日忘年会でお腹の休まる暇がない。

まずはテニス仲間、翌日は大学のヨット仲間、次は画商組合、そして高校のクラスの忘年会ゴルフコンペ、今日も横浜で大学のOB達との忘年会なのだが、海外のお客様との食事があってドタキャン。

というわけで、日記も滞ってしまった。

なかなか展覧会も見ることができず、ようやく午前中に新国立美術館のシェル賞展を見に行ってきた。

入選者に私どもで発表をしている井澤由花子もいて、オープニングにも行きたかったのだが、今日になってしまった。

他に同美術館ではダリ展やドマーニ展もあったが、時間がなくシェルだけを見てきた。

受賞作を含め入選作はフレッシュな作品が多く、今流行のかわいい系や細密美人画はひとつもなく、流行に迎合しない作品に今後の期待が膨らむ。

いくつか目に付いた作品を紹介する。

11日、12日の日記も写真を添付させていただいた。














12月12日

日曜日は友人のコンサートへ。

ダークダックスなどを輩出した慶應義塾大学のコーラス部ワグネルソサエティーのOB達による男声合唱団のコーラスを聴かせてもらった。

おそらく平均年齢は70歳ぐらいだと思うが、その歳とは思えない澄んだ歌声に心が洗われ、しばし癒しのひと時を堪能させてもらった。





会場が新宿中央公園のすぐ裏だったこともあって、そこに40年前に私どものロータリークラブ設立20周年を記念して寄贈したブロンズ像があるのを思い出し、見に行くことにした。

広い公園、さてどこに置いたかも思い出せず、事務所に行って尋ねても要領を得ない。
いくつかブロンズ像が配置してあるという地図を片手にようやく見つけることができた。

当時のブロンズも歳月を経て、だいぶ色合いも違ってきたが、無事そのままに残っているのに一安心であった。

日展の彫刻作家分部順三の芸術員賞受賞作品の暸というタイトルの作品である。

私を含め当時を知っているのは4、5人しかいなくなっていて、来年60周年をみ迎える我がクラブにとっては、
歴史を辿る貴重な作品だけに、記念誌にでも作品写真を載せてもらったらどうだろうか。



12月11日

土曜日の金井展のオープニングに合わせて、亀井博子さんのマリンバ演奏会が開かれた。

彼女の超絶演奏は何度か聴かせていただいていて、今回も目の当たりで聴けるとあって、主催者側なのだが、その演奏を大いに楽しみにしていた。

マレットいうバチを二本であったり四本であったりはするが、実に自在に操り、とても人間業とは思えないバチさばきは見事である。

私などはパソコンでさえ、未だに右手の人差し指一本でしか操作出来ないでいるのに、両手に四本を握り、別々の動きで音を奏でるのだから、ただただ呆れるばかりである。

彼女の話では、木を叩いて音を出すというのは、人間の本能的なもので、おそらく原始の時代からあったのではと推察される。
それを示すように、演奏の途中で木片を両脚の間においての演奏もあったが、素朴な音を響かせてくれた。

最後にアンコールに応えて、熊ん蜂の飛行をマリンバを一周しながらの演奏は圧巻で、画廊はその手業はただただ圧倒されるばかりであった。



12月9日

桑原展が始まった。

二日前から並んでいただいたり、遠方から夜行バスで来られた方がいたりで、毎回のことだが恐縮至極でひたすら感謝。

おかげさまで作品4点は無事納まることが出来、まずは何よりであった。

金井展の方も、昨夜高校の友人たちと忘年会があって、みんなにうちのカレンダーを配ったが、友人の一人が金井作品に興味を持ち、2点をキープして欲しいとなった。

浅草の老舗料理屋でふぐづくしだったが、その友人のおごりとなり、絵のほうのサービスもよろしくと言われ、ふぐの毒がちょっぴり怖い。

年の瀬の二つの展覧会、いいスタートが切れたようだ。








12月9日

明日から桑原弘明展が始まる。

毎年ファンの方が行列を作るが、今年も既に昨日から画廊の前に椅子を置いている方がいらっしゃる。

価格も全て100万円以上で、高いのは200万近くするのだが、好きな人にはたまらないのだろう。

今年は4点しか制作できなかったので、ますます競争率が高くなるのでは。

とにかく人間技とは思えない極小の世界を、これも精緻な技術で作られた小筐の中に組み入れてあるのだから驚くばかりである。

裸眼ではとても見えないようなところにも手が入れてあり、それはそれは気の遠くなるような仕事である。

熱狂的なファンがいるのも宣なるかなである。

今回は時間制ではなく、自身でペンライトをかざして見ることが出来るので、ご都合のいい時にお越しいただきたい。





12月8日

  日曜日からなんとなく足首が痛いと思っていたら、月曜の朝にはかなりの痛さ。

足首をひねった記憶もなく、よく寝違いで首が回らなくなることがあるが、足首の寝違いもあるのかなと思っているうちに、どんどん腫れてきて、夜には自動車のアクセルを踏んでも痛みが走る。

一体なんだったんだろうとネットで足首の急な痛みを調べてみると、通風の症状のひとつと出ている。

通風は足の指に出るものと思っていたが、足首にも出るとは知らなかった。

以前に、足の親指が腫れて痛みもひどいので、突き指でもしたのだろうと整形外科に行くと、これは通風ですよと言われて驚いたことがある。

美食家でもなく、ビールも飲まないし、レバーといった通風に悪いものもそれほど好んで食べるわけでもなく、なぜ通風と首をひねっていたが、薬を飲むと翌朝には嘘のように痛みがなくなっていた。

尿酸値も計ってみたが、正常値でどうして通風になるのか不思議でしょうがない。

そんなことが依前にあったのだが、災害は忘れた頃にやってくるで、今度は足首にやってきた。

幸い医者にも行かず、薬も飲むこともなく、次の日には腫れも痛みも引いていて、事なきを得たが、またまたどうして私に通風がと納得が行かない。

何が原因かわかる方がいたら教えて欲しいものである。

12月7日

先週土曜日で二つの個展が終わり、今週土曜日から新たに二つの個展が開かれる。

先ずは金井訓志展を紹介させていただく。

というよりは、本人の個展に際してのコメントがあるので紹介させていただく。


ギャラリー椿では11回目となる個展ですが、今回は「カタチの往き来」というテーマで、主に花をモティーフにして造形の不思議と面白さを追ってみました。

絵画は巨視的な目でモティーフを見ることが大切と言われ、そう心掛けて制作して来ましたが、逆にモティーフにどんどん近づいていくと、花というカタチは無くなり、色面のみのカタチとなってしまいます。

今回の個展では、ものの美しさと、それをクローズアップした造形の感動を表現しました。

案内状の作品ですが、これは今年6月に行われた「GALLERY TSUBAKI REUNION」展に出品した椿の花を描いた作品「舞台」を大きくしたもので、この画廊を舞台に活動してきたアーティストを喩えたものです。

尚、初日の午後6時半から、打楽器奏者・亀井博子氏のマリンバコンサートを行います。花の大作を展示するところから、リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」も演奏の予定です。

◎ライブコンサート:12月10日(土) 18:30?(入場無料)
          マリンバ演奏:亀井博子





12月6日

日記で紹介したロータリーのクリスマス家族会が昨日あって娘や孫と出かけた。

孫たちは楽しみにしていて大喜びするはずだったが、ピエロのパントマイムのアトラクションでいきなり怖がり、下の孫など母親にしがみついて離れない。

ピエロさんも風船で作った動物をあげて機嫌を直そうとするのだが、怖がって近寄らずに困り顔。

上のほうはしばらく経つと収まったが、下はずっと泣きっ放しで、現金なものでサンタのプレゼントでようやく泣き止んだ。

欲しがっていたプレゼントを手に入れ、ビンゴの賞品で盛り上がり、料理もいっぱい食べて、それなりに楽しんでくれたようだ。





12月2日

毎年恒例のアーティストカレンダーが出来上がってきた。

昨年は若手作家6人の作品を使用したが、今回はアラシックスのキャリア豊富な作家たち6名の作品を使わせてもらった。

表紙の椿の絵は今週土曜日から始まる金井訓志個展に展示されるもので、400号の大作の一部である。

今年の締めとなる最後の展覧会を、私どもの画廊の名前に因んだ椿の絵で飾られるのは何ともうれしいことである。

ご希望の方は500円で頒布しているので 、画廊にお申し出いただきたい。





12月1日

ご案内をいただき、多くの作家たちを勇気付けたコレクターの中村文俊氏のお別れの会に行ってきた。

私も長い間お世話になり、かげがえのないお客様の一人だっただけに、言いようのない寂しさを感じる。

何度も大病を乗り越え、不死身の人だっただけに、残念である。

それでも享年89歳、事業に成功し、美術を友とした人生は悔いがなかったのではないだろうか。

会場には以前開催された中村コレクション展のカタログやコレクターとして紹介された美術雑誌などが置かれていて、改めてそのコレクションの多様さと深い鑑識眼に敬服する。

同じ場所には氏が描いたお孫さんの油絵が展示されていて、長い間お付き合いさせていただいたが、こんな隠し技があるとは知らなかった。

ご冥福をお祈りする。











11月30日

今日で11月も終わり、明日から師走。

街も華やかなイルミネーションに彩られ、気持ちも華やいでくる。

年々飾られるイルミネーションも盛大になり、昨日は帰りに代々木公園で青い幻想的なイルミネーションを見てきたが、その美しさに寒さも忘れしばし見入ってしまった。

来週の月曜日には恒例のロータリークラブのクリスマス家族会があり、孫たちも参加し、サンタからのプレゼントや楽しいゲーム、マジックショーを楽しみにしている。

私もいつもビンゴの景品に絵画の提供を頼まれるが、これを楽しみにしている会員も多い。

逆に私にはなかなかいい景品が当たらない。

さて今年の籤運は。

それが終わると、怒涛の忘年会が始まり、連日連夜飲めない私は割り勘負けしながら、夜遅くまで付き合うことになる。

身体が持つか心配だが、誘われるうちが花とお付き合いをさせていただく。

こうしてあっという間に今年も終わってしまうのだろう。

暮れには娘家族も連れて、息子が研究員として留学しているニュージーランドに行くことになっていて、正月を夏の南半球で迎えることになる。

こうしてみると12月はほとんど仕事をしてないみたいだが、もちろん仕事もやりながらである。





11月28日

ロータリー財団100周年シンポジウムに行って来た。

全国から800名のロータリアンが一堂に会し、私は開会15分前に行ったが、すでに席はなく、ロビーの映像でシンポジウムの様子を見ることになった。

ロータリー財団は世界中の会員から浄財を集め、それをポリオ撲滅やその他の人道支援に使っている。
また教育プログラムとして、志を持った学生を海外に派遣し、国際親善奨学生として大学や大学院で学び、帰国後学友として社会貢献に務めている。

今回は日本から二人目の奨学生で、国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子氏がこの機会に財団表彰を受けることとなり、同時に世界各地の紛争地で人道支援にあたっている学友から4名が参加し、それぞれの体験と成果の報告がなされた。

驚くことに緒方氏もそうだが、この4人が全て女性ということで、シリアや南スーダンの難民キャンプで若い女性たちが命の危険を顧みず人道支援に邁進していることは実に崇高なことで、ひたすら頭の下がる思いである。

ロータリアンの浄財がこのような形で成果を出していることに、その一員として喜びに耐えない。

自衛隊の南スーダン派遣などで異論を唱える人も多いが、こうして身をもって最前線でボランティア活動をしている女性たちに今何が必要か、今何をして欲しいかを聞いてから改めて発言して欲しいと思わざるを得ない。

感動の1日であった。

11月27日

土曜日は大学のクラス会。

場所は神田の学士会館で、ここは旧帝大七大学の卒業生のコミュニティークラブとして造られたところで、私学の私たちがクラス会に使っていいのかと思うが、今は一般にも開放されていて、結婚式場にも利用されている。

69年卒業ということでこのクラス会を「無垢の会」と称しているが、垢にまみれて有余年、ようやく70を超えて、たまった世俗の垢を落とそうという年齢になったようだ。

クラスには地方出身者も多く、毎年クラスメートの故郷を訪問したり、ゴルフ好きが集まってゴルフコンペをしたりと、会う頻度は年々多くなっている。

ただこの年になると何人かが病気療養中で参加者は減り、出席した連中もどこを手術したとか、どこが痛いとかそんな話が多くなる。

それでも驚いたのは、出席者の多くが私同様に働いていて、老人ホームを経営したり、アパレルの社長をやっていたり、老舗旅館の経営者といったように、現役で頑張っている連中も多く、死ぬまで働くと言っているので、私も負けてはいられない。

故郷訪問の報告やそれぞれの近況を話した後、余興のゲームでは私が優勝してしまい、年末ジャンボの運を使い果たしてしまったのではないかと心配している。

一人も欠けることなく来年の再会を約し、校歌を斉唱して和気藹々のうちにお開きとなった。

11月25日

昨日は季節はずれの雪。

11月の雪は東京では54年ぶりだそうで、ということは私が16歳の時に降った事になるが記憶にない。
尤も積雪したのは観測以来初めてということだから、散る程度の雪だったのかもしれない。

それにしても異常気象が続き、秋はほとんど雨が降り、ようやく天気が続くと思ったら12月並の寒さとなり、秋の風情を楽しむ暇もない。

そんな中、わずかでも秋の風情を楽しもうと、22日の夜から河口湖の紅葉祭りを見に元スタッフたちを連れて行ったが、ほとんど散っていて、雲も低く垂れ込め、富士山も姿を見せない。

多くの観光客が、それも台湾、中国の人が多く、富士山と紅葉を楽しみにやってきたのだろうが、きっとがっかりしているに違いない。

真っ盛りの紅葉は見られなかったが、私たちは別荘の施設内にある温泉の露天風呂とサウナに朝晩と入り、風呂の前に広がる松林を前に自然を愛でながらのんびりと体を休めることができた。

朝風呂のあとは湖畔にあるオルゴール美術館に案内する。
ここは広大な敷地に、100年前の豪華なオルゴールやオートマタが多数展示されていて、オルゴールによるオーケストラ演奏やオルゴールとオペラ歌手の競演などもあって、家族連れで十分に楽しむことができる。

音楽と温泉に癒され、紅葉はわずかしか見られなかったが、ここしばらく忙しかっただけに、いい休暇となった。

もう少しゆっくりしたかったのだが、だんだんと雪の気配が近づき、気温もかなり下がってきたので、早めに帰ることにしたが、一日違いだと帰ってこられないところであった。




11月22日

リユンボク展がすでに始まリ、来日していたユンボク家族も帰ってしまったが、彼の展覧会を日記にアップしないまま日が過ぎてしまった。

というのは、ロータリークラブの新たな役職を任命され、その日程調整に時間がとられてしまったからである。

おそらく来年の4月からはロータリーの仕事がかなりの部分を占めることになり、画廊をスタッフに任せることが多くなりそうである。

ロータリークラブは世界200カ国を地域別に分けてクラブ構成がされていて、日本もいくつかの地区に分割され、東京地区を二つに分け、私どもの地区は更に7分区に分かれている。
その中の中央分区15クラブを私が担当することになり、そこを年間4回にわたって訪問することになっていて、零細の画廊主がこんなことをやっている場合ではないのだが、ロータリークラブは指名されると断れない不文律があり、指名された以上はやるしかない。

さてユンボク展だがステンレスの板を叩き出し、叩くと言っても、鉄や銅とは違い熱を加えて柔らかくすることがステンレスはできない。
2ミリから3ミリのステンレスの板をひたすら叩き続け、柔らかい曲線を作っていく。
次に磨きも手作業で、鏡面に仕上げていくと、そこには神秘的とも言える輝くような造形が生まれる。
鏡面は周りの情景を取り込み、新たな表情を作る。
この工程は気の遠くなるような手業の繰り返しで、それだからこそ金属の冷たさを解き放ち、手の温もりが伝わる温かな作品が生まれる。

今回は形を究極まで削ぎ落としたジャコメッティを彷彿とさせる作品がメーンとなる。
水面から立ち上がるヴィーナスのごとく気高くノーブルな人間像に囲まれ、至福のひと時が堪能できる。

尾関展ともども上質な表現の個展を楽しんでいただきたい。














11月18日

尾関立子展が明日から12月3日までGT2で始まる。

前回に続いて、銅版画と油彩が展示される。

銅板とは思えない黒色と線描の激しさ。
最初に見たときの強い印象はいまだに脳裏に残っている。

そのままの印象がさらに進化し、私の胸に突き刺さる。
版画が逆風といわれる時に、版画でこれだけの表現力を持った作家がいることをぜひ知ってほしい。

同時に彼女がドローイングと称するボードに油彩の作品も、版画のモノトーンとは真逆の華やかな色彩は版画の抑圧された色からの解放だろうか。

彼女の作品に向かう言葉があるので紹介させていただく。

私は記憶と残像、残された気配をテーマに制作しています。
日常と非日常の境界線がますます曖昧になっているいま、自分の立ち位置はどこなのか、どこからきてどこへむかうのか。
時間を刻み込んでいくような表現技法である銅版画を主体に、平面の可能性を探っていきたい。








11月16日

昨日でフェアーは終了。

5時に終了してから撤収が終わってみるとなんと11時半を過ぎている。

70歳の身体には応える。
目眩というかスーッと寝てしまうような感覚に襲われる。

最近そうしたことが時々あるのでちょっと心配。

去年起こした高速道路での居眠り運転もその類いだったかもしれない。

高齢者の交通事故も多いので、気をつけなくてはいけない。

終えて飲茶の夕食。

12時を過ぎての食事は最近では滅多にないことだが、お腹がふくれると元気回復。

さてフェアーの結果だが、予定をしていた数字にはとても及ばなかった。
全体としても悪かったようで、台湾経済も下降気味のようだ。

だいぶ経費もかかったが、スタッフの頑張りのおかげで何とか経費以上のものは出たようだ。

いつもの如く、中村萌の彫刻には人気が集まり、大きな彫刻も売れて、帰りの荷物が少なくて済むのはありがたい。

次にこれも台湾で人気の横田尚が今回はあまり声がかからなかったが、どういうわけか彼女の作品は片付けが始まる頃になると、お客さんがやってきて売約となる。

ここ数年同じことが起こるので不思議でしょうがない。

逆に受けると思い、初めて持ってきた作家の作品は売れ残り、思惑通りにはいかなかった。

やはり何度か紹介をしていって、ようやく認知がされることがよくわかった。

フェアーに一度だけ出て結果を求める画廊も多いが、そうは甘くはなく、やはり何度か続けて出て、ようやく結果が出て来るのではないだろうか。

今回も日本は30を超える多くの画廊が参加していて、結果は悲喜こもごもだが、悪かった画廊もこれに懲りず来年も参加してもらいたいものである。

もう一つ私が最近のフェアーで感じていることは、日本の参加画廊の中に多くのセカンダリー画廊が出てきていることである。

その画廊がいけないということではなく、バーゼルのように展示ブースをプライマリーとセカンダリーを分けてみたらどうだろうか。

その方がお客さんにもわかり易いのではないだろうか。

フェアーの主催者に一考してもらえないだろうか。

今帰りの飛行機の中で、疲労感に包まれながこの日記を書いているが、つくづく思うのは70を超え、いつまで私がこうして海外の仕事を続ける事が出来るのかという思いが頭をよぎる。

たまたま招待の席で隣り合わせになった西村画廊の西村氏がみんなから長老と呼ばれる年になったよといっていたが、私もこうした年の仲間入りする年齢になってきただけに、こうして海外での仕事もそろそろスタッフに任せるべき時がきたのではないだろうか。

とにかくよく働いてくれるスタッフだけに、来年からは作家の人選からブースデザイン、その他諸々全てを任せてみようと思う。

11月15日

昨夜は台湾画廊協会が主催した韓国画廊協会との交歓会にどういうわけか日本の画廊で私だけが招待された。

先日も同様に協会の招待で、数人の欧米の画廊のオーナーとともに私と小山登美夫、それに講演を依頼された舟越桂氏と同行した取り扱い画廊の西村画廊の西村氏と席を並べた。

その間も大変お世話になっている台南のコレクターのF氏からの夕食の招待があったりで、美味しい中華料理でお腹の休まる暇がない。

今まであまり交流がなかった台湾と韓国の画廊がこうして交流を深めることはいいことである。

両方とも画廊協会がアートフェアーを主催していて、双方の画廊がフェアーに多く参加してもらいたいとの意向もあるようだ。

さて、私たち日本の画廊も今回30を超える画廊が参加しているが、そのほとんどが私どもが加盟している全国美術商連合会に所属していない。

こうしたところが私たち業界の弱いところで、それぞれが垣根を超えて一枚岩にならない限り、日本のアートフェアーがグローバル化することは難しい。

日本画家とか洋画家、版画家、彫刻家と日本ではアーティストもジャンル別で分けてしまうが、業界も古美術商、日本画商、洋画商、版画商、現代美術商とそれぞれを分野分けしていて、同じ美術を扱うもの同士として、手を携え、一体となって行動していく必要があるのではないだろうか。







11月14日

アート台北も三連休が明け、少し暇になるかと思っていたが、2時を過ぎる頃から大勢の人が途切れなくやってくる。

スタッフもなかなか昼食を取る時間がない。

人は多いがいざ商売となると今年はどこの画廊も思わしくないようだ。

昼食で一緒になった日本の画廊さんも今ひとつ元気がない。

私のところもかなり広いブースを取ったこともあって、作品数も多く、 その分ブースフィーや運送料がかなりかかっているので、相当数売らないと経費が出て来ない。

そこそこ売れてはいるがそれでは追いつかない。
あと2日に期待したい。

11月13日

台北に着いてからは台湾とは思えないくらい涼しい上に、ホテルも会場もエアコン効きすぎで冷蔵庫状態。

スタッフか持って来たホカロンを貼らしてもらう。
まさか台湾でホカロンとは信じられない。

ところが今日になって一変。
突然夏の陽気で日差しが痛いくらいである。

空は秋の空で天に突き抜けるような青空が広がっている。
日本と同様にこちらも天気が定まらない。

フェアーは今までに比べると昨日今日は休日にもかかわらず人が少ない。
どうやら同時期に行われている上海アートフェアーにコレクターたちが行ってしまったようだ。

昨日事務局の担当者がやって来て状況を聞きに来たので、昨年までと比べて今ひとつと言ったが、よそに比べてこれだけ売れていればいい方ですよと言われた。

ただ作品を山のように持って来ているので、出来るだけ減らしたいと思っているのだが。

11月12日

フェアーは既に始まっているが、開会式に呼ばれる。
文化省関係者や各国大使が招待され、後ろの席にAPAGAメンバーが並ぶ。

開会に先立ち、いきなり光の映像に合わせたダンスパフォーマンスが演じられ、会場は大いに盛り上がった。

式は文化省大臣と画廊協会代表リックワンの挨拶に続いて、二人が鍵をそれぞれに持ち、その鍵を合わせると扉が開き、アート台北の文字が浮かび上がるという粋な演出。

文化省と画廊協会が一体となって文化発展に尽くすという意味合いなのだろう。
日本の行政関係者に見てもらいたいものである。

その後壇上に文化省の役人や各国大使とともにAPAGAメンバーが上がり、写真のフラッシュを浴びる。

あえてベニヤ板で設えた会場デザインやこうした開会式の演出は洗練されていて、このフェアーが国際アートフェアーとなった最初から出ている私には隔世の感を禁じ得ない。

私がニューヨークのフェアーで台湾画廊協会がの人にたまたま会った際に依頼があり、台北で国際アートフェアーをやるので協力して欲しいということで、東京で画廊の人たちを招き説明会を開き、何とか5軒の画廊が出展することになった。

当時は韓国や中国などのアジア諸国も参加していなくて、規模も小さいものであったが、今では欧米の画廊も多数参加し、驚くことに日本の画廊は30を超える画廊が出展をしている。

アートフェアー東京が未だに少数の海外からの画廊しか参加しないのに比べて、その差はますます広がるばかりである。

業界が一枚岩でないこと、行政の支援がないことなど色々な要因があるが、何とか東京のフェアーも国際化できるよう、主催者に頑張ってもらうしかない。













11月11日

いよいよフェアーオープン。

朝早くからスタッフ達が準備してくれて、展示も無事終了。

作品が多くて、他のブースに比べて、スマートさにはかけるが、これも椿スタイル。

今日はVIP招待日なので、買う気できているお客様が多い。
また常連のお客様も早くに来てくださるのがありがたい。

いつものごとくまずは中村萌に人気が集まり、トランプショックを心配したが一安心。

11月10日

昨日の夜遅く台湾画廊協会が用意してくれたグランドハイアットに到着。

エグゼクティブフロアーの部屋に案内される。

朝食はそのフロアーに泊まる人だけのレストランがあって、ゆっくりと食事ができる様になっている。

更には専用のラウンジがあって、そこで午後から開かれる台湾画廊協会が主催するアジア・パシフィック美術市場調査の報告会と記者会見、続いてのAPAGA会議のために通訳を頼んだI氏と打ち合わせ。

今回のフェアーにコレクターの招待枠があって、I氏とM氏夫妻を招待させていただいた。

そのお礼としてI氏が通訳を買って出てくれたのである。

台湾が誇る101階建ての101ビル内の会議室で、今回は韓国、インドネシア、日本そして台湾の4カ国が参加して報告会と会議が始まった。

台湾画廊協会が分厚い市場調査報告書を作成していて、アートの市場分析と動向が詳細に示されている。

協会のシンクタンクの担当者から、報告書に沿った説明がなされ、ゲストで来ている文化省の局長がこの結果に基づき、さらなる文化支発展と支援の協力を約束した。

我々業界や行政にかけている面が如実に示された様で、文化省創設キャンペーンを展開している私たちにとっては羨望とともに我が国の貧困な文化行政に落胆せざるを得ない。

その後私を含めた4カ国の代表が壇上に上がり、各国のアート市場の現況と今後の動向についての報告と記者からの質問を受けた。

続いての会議では、毎回のことだがAPAGAで何をやるべきかが討議され、私はアジア・パシフィックアートビエンナーレやレジデンスプログラムを提唱させていただいたが、結論が出ないままに終了した。

報告書については更に正確なデータを得るためには、多くのギャラリストとコレクターが来場するアートフェアーでのアンケート調査の必要性では認識が一致した。

終えて会場の展示に向かうが、私のところは作品が多すぎて収拾がつかず、夜遅くまでスタッフと通訳の女性が頑張ってくれているが、私は途中でお招きしたI氏とM夫妻と夕食に出かけることになっていて、展示は殆どスタッフ任せとなってしまった。







11月9A日

文化省創設のチャリティー展が始まった。

8時からの展示では、138点が美術倶楽部の若手によってあっという間に終了。

絹谷幸二、千住博、楽吉左衛門といった洋画、日本画、工芸の人気作家に、現代美術では菅木志雄、加納光於、四谷シモン、中村宏、篠原有司男、関根伸夫といったベテランから私どもの山本麻友香、北川宏人、松浦浩之といった若手まで多士済々の作家の新作が並んだ。

チャリティー展ということで、最低価格もかなり低めに設定されていて、好みの作家の作品を格安で購入できるいい機会となる。

東京美術倶楽部で3日、新国立劇場で1日の開催だが、是非のお越しをお待ちしている。

私は午後から台湾に出かけるので、終了まで立ち会えないのが残念だが、皆さんの協力で文化省創設の一助になればと期待している。










11月9日

トランプショックで、世界中が揺れ動いている。

海外フェアーの直前はいつも大きな出来事が起こり、少なからず影響を受ける。

リーマンショック直後のシンガポールフェアー、セマウル号事件直後の釜山アートフェアー、そして今回である。

購買マインドが低くなるのはもちろんだが、円高に振れることで販売価格が高くなるというデメリットがある。

まさかまさかのトランプ大統領である。

政治の素人が実現不可能な政策をぶち上げ、それに呼応したアメリカ国民。
本当にこれでいいのかと思ってしまう。

先が全く見えない状況で、対米政策も手探り状況であることは間違いない。

株も暴落、経済も行き場を失い、たった一人の男に世界が振り回されている。

この男に課せられる責任ははかりしれないものがある。

11月8日

明日から台湾のアートフェアーに出かけるが、「五輪の年には文化省・アーティストによる新作オークション」の開催とぶつかり、朝8時から展示の立会いと、来場者の相談係を勤めなくてはならず、途中で失礼させてもらって、台湾に向かうことになっている。

この催しは、この文化省創設キャンペーンを推進する芸術16団体の運営費念出と売り上げの一部は熊本地震災害復興に寄付することになっている。

このキャンペーンに賛同いただいた国内著名作家130名による日本画・洋画・現代美術・版画・工芸の新作が展示され、入札による販売をすることになっている。

著名作家の作品を格安で購入するチャンスでもあり、9、10、11日は新橋の東京美術倶楽部で10時より18時まで、12日は初台の新国立劇場・中劇場ホワイエにて14時より19時まで開催されるので、是非のお越しをお待ちいたしている。

また、12日には同じ中劇場にてお能や音楽、芝居などの「文化芸術をすべての人々に」が開催され、美術だけではなく多くの芸能を楽しんでいただけることになっている。

残念ながら台北のフェアーと重なり、初日のわずかな時間しか立ち会えないが、この催しが文化省の創設実現に少しでも寄与できればと願わずにはいられない。

11月7日

昨日今日と大学のヨット部の仲間と河口湖での秋恒例の食事会&ゴルフコンペ。

河口湖も急に寒くなり、なんと7日の朝はマイナス一度、みんなが泊まるホテルの木々も色づき始めたが、あまりの寒さにすぐに落ち葉になってしまいそうだ。

私の家と併設されているフジプレミアムリゾートは富士山の裾野にホテル、レストラン、25メーターの室内プール、15面のテニスコート、18ホールのショートコースゴルフ場、それに温泉・露天風呂などがあるエグゼクティブリゾートクラブで、私が会員ということで、格安で宿泊できることから、ここ10数年は仲間と一泊でここに集まり、50年に及ぶ親交を深めている。

みんなすっかり爺婆になってしまったが、集まれば青春時代に逆戻り、楽しいひと時を過ごしている。

まずは食事は馴染みの森の中にぽつんとある中華屋さん、ここは安部首相も必ずやってくる知る人ぞ知る中華屋さんで、飲んで食べてのフルコースで5000円だから東京に比べたら格安料金。

その後温泉につかり、翌日の英気を養う。

ゴルフも雨男の私には珍しく好転に恵まれ、朝の寒さも和らぎ、絶好のゴルフ日よりとなり、和気藹々とプレーを楽しむことができた。

来月も忘年会で集まることになっていて、多くの仲間で良くぞこれだけ長く付き合いが続いているものである。

当時は大学紛争真っ盛りで、学校に行くよりも合宿所にいるほうが多く、同じ釜の飯を食い、苦楽をともにした仲間だからこその長い付き合いなのかもしれない。





11月5日

小林裕児展の特別イベントで音楽と語りによる宮沢賢治「土神と狐」がギャラリーで演じられ、同時に小林裕児によるライブペインティングが行われた。

会場には70名を超える人たちがやってきて、熱気に包まれた。

語りを内田慈、音楽は斉藤徹の予定だったが、急病でアコーディオンの熊坂路得子に変更になったが、これで4回目となる公演の前衛的な演奏と内田の語りとパフォーマンスは小林の絵画表現にも大きな変化をもたらしている。

土神と狐の情景は森の中にぽつんとある小林のアトリエとそっくりである。

森が与える不思議な力が小林に影響を与え、音楽や語りとも融合し、相互の更なる進化につながる。








11月4日

麻布にコンサートホールを所有する友人のN氏夫妻のお声掛けで金婚式を迎えたY氏夫妻にサプライズプレゼント。

お二人のためだけのピアノコンサートを企画し、私たち夫婦も参加し、Y氏のお嬢さんとともに新居由佳梨さんの心に染み入る演奏に魅了されながら、贅沢なひと時を過ごさせてもらった。

このホールにあるピアノは90年前に作られたスタンウェイの素晴らしいピアノで、新居さんの演奏テクニックもさることながら、わずか7名しかいないコンサートホールにその美しい音色が響き渡った。

Y氏夫妻も大感激で、もう死んでもいいと言っていたが、まだまだお元気で次は10年後のダイヤモンド婚を迎えて欲しい。








11月3日

昨日は訃報の知らせが続いた。

スペインからの訃報で、作家の堀越千秋氏が亡くなられた。
丁度個展を開催中の小林裕児とは予備校時代からの付き合いだそうで、あまり時間がないというのを聞いたばかりであった。

以前に詩人の依頼で、彼と詩の雑誌で対談したことがある。

才能豊かな人で、絵画以外にも陶芸、エッセイ、フラメンコの歌手などでも活躍し、全日空の機内紙の表紙や朝日、読売の挿画でも知られる。

直接のお付き合いはなかったが、私の知人の何人かが親しくしていて、私にとってはとても近い縁を感じていただけに、寂しい限りである。

そしてショックだったのは、35年を超えるお付き合いのあったコレクターN氏が亡くなったとの知らせであった。
享年89歳、まだまだ元気でいていただきたかったのだが。

既に9月に通夜葬儀は済ませていて、会社からのお別れの会での案内が届いて初めて知った次第である。

しばらく顔を見せないので心配はしていたのだが、何度もの大病を乗り越えた不死身の方だっただけに、惜しまれる死であった。

多くの画廊から会長、会長と親しまれ、数多くの作品をコレクションした名物コレクターであった。
それも著名作家を買うのではなく、若手や市場には乗り損ねた作家などを多くを集め、そうしたアーティストにとっては何よりの励みとなったかけがえのないコレクターであった。

その数は恐らく5千点にのぼり、会社には作品整理をする担当の人がいたくらいである。

ここ数年は会社も退き、それを機会にコレクションはやめて、作品の整理の方をお手伝いさせていただいていたが、心から美術を愛する人であっただけに、それを手放すことはさぞかし寂しかったに違いない。

心からのご冥福を祈りする。

  11月2日

台北のアートフェアーに参加のため来週9日から再び台湾に。

ここ数日冬のような寒さが続くが、台北の天気を調べてみると行く日からずっと雨模様で、最高気温も21、2度。
日本同様に台湾としては寒い日が続くようだ。

30度を超えるのではと覚悟していたが、思いのほか涼しくて過ごしやすそう。

ただ急に暑くなることもあり、持って行く洋服に困る。
ハンドキャリーで持っていく作品も多く、なるたけ自分の荷物は少なくしたいのだが。

10日には”Asia−Pacific Art Economic Forum 2016”とAPAGA会議があって、4時間ほど缶詰になる。

その時間帯が展示とぶつかり、私は立ち会えない。
今回は大きな作品が多数あり、担当スタッフや通訳兼手伝いが女性ということもあって、現地の展示要員を用意してもらうことにした。

私がいても大して役に立たないのだが、それでもいないよりはましで、いつもフェアーではえんやこらと働いている。

韓国や台湾のフェアーを見てみると、運送業者が作品の搬出入と展示を請け負っていて、社長もスタッフも配置の指示をするだけ。

以前に私が自ら展示をやっていると、社長がそんなことをやっているのをお客さんが見たら、売れる絵も売れないよと韓国の画廊のオーナーに言われたことがあった。

そんな偉そうにしなくてもと思うのだが、韓国の人は多少格好をつけることがあるので、そうした力仕事は業者に任せるのだろう。

それに引き換え、我が日本の零細画廊の社長はそんなことは言ってられず、なりふり構わず展示を手伝うのである。

ただ寄る年波できついことはきつい。

11月1日

今日から11月、早いもので今年もあと2ヶ月。
歳とともに月日の速さを感じるが、車のスピードと年齢は比例するそうで、今私は70キロのスピードで一年を走り抜けていることになる。

私の子供のころにガガリーンが宇宙に飛び立ち、「地球は青かった」といい、アポロが月に着陸するといったニュースは夢のまた夢であった私たちには驚天動地の出来事であった。

今や多くの日本人宇宙飛行士が宇宙に飛び立ち、先日も大西飛行士が宇宙から帰還したが、そうしたニュースを今では当たり前のように受け止めてしまう。
宇宙船ほどではないが、月日の流れは速いものである。

ロータリークラブでは毎週各界で活躍する著名な講師をお招きし、卓話という30分の講演をお願いしている。

先週の月曜日は、日本人初の女性宇宙飛行士で医師でもあり、現在東京理科大学副学長をされている向井千秋氏にお越しいただき、「宇宙から学んだことー宇宙研究のこれから」と題してお話をうかがった。


その要旨を紹介させていただく。

私は小さい頃から病気で困っている人を助けたくて、医者になるのが夢でした。
その夢を実現して、慶應大学病院で心臓外科を専門として仕事をしていた頃、新聞で「日本人宇宙飛行士募集」の記事を見つけたのは、青天の霹靂でした。

新聞を読むと、無重力の特殊環境で人体の影響や材料科学を調べる実験が行われていて、そういう実験が、通信、材料科学、医学、ライフサイエンスなど多岐にわたっていて、宇宙で仕事ができる時代が来たことを知り感激しました。

どんな観点で人を見て宇宙飛行士を選ぶのかという興味を抱き、ダメでもともと、応募できるからやってみようと思ったのがスタートでした。

宇宙空間は、人間にとって極めて苛酷な環境です。
例えばISSのような微小重力環境では、筋肉は2倍、骨は10倍の速度で機能低下していきます。
私たち研究者が「加齢現象の加速器」と呼ぶ所以です。

また、閉鎖された空間内で異文化の人たちと生活しながら、効率よく仕事をするためには、ストレスコントロールも欠かせません。

宇宙医学研究は、単に宇宙飛行士の健康管理に役立つだけではなく、”究極の予防医学”として、地上の医療に貢献できるものと考えています。
例えば、薬剤を用いて骨量の減少を食い止める研究や微小重力環境における効果的な運動器具・トレーニング法の研究は高齢者の運動機能の維持向上に応用できます。
地球とISSを通信で結んで、診断や治療、予防を行うための研究は、医療過疎地に住む多くの人たちの健康を守る遠隔地区医療技術に応用されています。

今後、人類が月や火星に長期滞在する日も、遠い将来ではないでしょう。
私たちは”地上に役立つ宇宙医学”を信条に、有人宇宙技術支える基盤づくりをしていきたいと考えます。


以上がその要旨だが、無重力での食事の話や、帰還したときに物が落ちる引力に宇宙に行ったとき以上に感動したといった話も聞かせていただいた。

私も尾篭ながら、宇宙ではトイレはどうしているという女性には大変失礼な質問をさせていただいたが、丁寧にお答えをいただいた。

実は私の娘もシドニー大学、ハーバード大学で心臓外科医として学び、向井氏と同じキャリアでもあるので、ぜひ向井氏同様に大きな夢を抱いて、人類に役立つ研究をして欲しいと父親は願っている。





10月31日

昨日は寒かった。
河口湖のゴルフクラブで雨の中、それも気温三度という真冬並みの寒さの中のゴルフ。

富士山の周辺もようやく紅葉が色づき始めたばかりというのに、一気に冬がやってきた。

先週、台湾に行く前に熱を出して心配したが 、無理がたたったのか数日経った金曜日にまた熱が出てついにダウン。

一日寝て熱は下がったが、そのすぐ後にこの寒さの中でゴルフをするのだから我ながら呆れる。
できれば行きたくなかったのだが、ここのゴルフクラブの委員会の委員長をしていて、その委員会が主催の大きなゴルフイベントでもあり、私が終わってからのパーティーで挨拶をしなくてはならず、歯を食いしばって行くことになった。

この寒さの中を誰もリタイアすることなく、80歳を超える方まで元気にプレーされ、震えながらも皆さん無事にラウンドを終えた。

パーティー会場ではきねとうすが用意され、つきたての熱々のお餅が振舞われ、冷えた身体には何よりのご馳走となった。

委員会関係のゴルフも9月10月と2回続けて雨で、委員の方たちは委員長は雨だけではなく寒さまで連れてくるようになったと嘆いていた。

10月29日

浅井飛人展

浅井ならではのユーモアにあふれる作品が並ぶ。

鍛金と木彫を自在に組み合わせ、摩訶不思議な人物や動物が登場する。

今までのような直立した形からひねったというかねじったというか柔らかな曲線が生まれてきた。

彼は金属工芸を学んだのだが、用の美という機能的なものが要求される工芸界から先の牧野永美子もそうだが、新たな表現を試みる若手が出てきたのは頼もしいことである。

工芸の世界にとどまっていれば、そこそこの稼ぎは得られると思うのだが、あえてアートの世界に飛び込み、苦難の道を選んだ彼らをなんとしても応援しなくてはならない。








10月28日

小林裕児展。

相変わらず自由奔放な絵が会場を華やかにする。

270×350cmの大作からインドの骨董品の小箱に入った小さな作品までその手はとどまるところを知らない。

古布やブロンズ、板、蜜蝋と素材も尽きることがない。

デッサン集もいくつか並べられているが、その番号も70000番に近くなっている。
毎日描いても200年になるのだから、どれだけ凄いかがわかる。

まるで打ち出の小槌のごとく作品が溢れ出てくる。

そのどれもがおざなりな作品ではないのだから、ただただあきれるばかりである。














10月26日

昨日は大きなコンペを取り上げたが、こちらはささやかなコンペ。
次世代のアートを担う若手作家「Next Art展」で朝日新聞厚生文化事業団主催によるコンペ。

35歳までが対象で、ジャンルは不問で一点ものに限り、出品料は要らない。
サイズは平面8号まで、立体は縦横60cm、奥行き30cm以内で新作。

選考の上、入選者は朝日新聞本社と銀座松屋に展示され、松屋では入札方式で希望者に販売し、落札額の半分を作家に還元する。

それ以外の賞金などはなく、不落札のときは返還される。

私どもで発表をしている真条彩華はこのコンペで知り、私どもでの発表につながった。

昨日の公募の主催者はよくわからないが高額コンペ、こちらは朝日新聞ではっきりしているがささやかコンペ。

よく調べて応募してみたら如何だろうか。

10月25日

第2回国際芸術コンペティション「アートオリンピア」の要項が送られてきた。

いくつものコンペの応募要項が送られてくるが、このコンペの賞金は破格である。

全応募者部門の金賞がなんと120000ドル、日本円で1200万円を超える金額で、35歳以下の在籍学生部門でも金賞は200万円を超える。

他にも全応募者部門の銀賞30000ドル、銅賞20000ドルなので、多くのコンペのグランプリに匹敵する。

入選者でも500ドルが支給されるから大盤振る舞いで、恐らく有力スポンサーが付いているのだろう。

応募資格は日本国内在住者、18歳以上の男女となっている。
応募作品は平面で、具象抽象を問わず、点数2点まで、117×117cmの未発表作品。

出品料が1点20000円、2点30000円で申込期間が2017年2月15日から4月3日となっている。

詳細については画廊に応募用紙があるのでそれをご覧いただきたい。

世界のアーティストの文化交流の場となるハブ(拠点)の形成。
世界からのグローバルアーティストとなる人材の発掘。
世界のアーティストによる次世代に向けた新たなアートの創出。
を目指している。

主催はアートオリンピア実行委員会となっているが、実体はよくわからない。
審査員は建畠哲、千住博など5名、実行委員長が人間国宝美術館館館主山口伸廣となっているので、恐らくここが母体なのだろう。

  我と思わん方は応募してみたら如何だろうか。

10月23日A

オープニングを終えて、海沿いにある海鮮料理店に向かう。

前回も案内されたエリアだが、今回は3ヶ月前に出来たお洒落なお店。

中に入ると目につくのが、ずらっと並べられた新鮮な魚と水槽に入っている蟹や海老。
まるで水族館のようだ。

巨大なエイや大きな魚はクエだろうか。
クエはかなりの高級魚、他にもハタ、ムツといった高価な魚が並んでいる。

エイを以前韓国で食べたことがあるが、アンモニア臭くてウッとなったことがある。
エイはお祝い事の時に食べるというが、私は二度とごめんである。

個室には既に鍋が用意されているが 、まずは海鮮チャーハンが出てくる。
日本では締めにご飯や蕎麦が出てくるのだが、いきなりチャーハン。

それからは出てくるは出てくるわで、焼き魚やイカ焼き、伊勢海老や蟹が食べ切れないくらいに出てくる。

ただこちらでは残ったものは鍋のスープまで全部持って帰るので、残して勿体ないということはない。

どれも美味しいが、日本のような繊細さはなく、大味な感じがする。

今日1日、食事から観光、展覧会のオープニングと休む間もない凝縮された時間を過ごした。

慌ただしいが、明日の朝早い便で東京に帰る。








10月23日

岩淵展のオープニングが始まる。

写真ではわかりづらいが大勢の客様が画廊に詰め掛けた。

まずは陳社長の挨拶。
そして岩淵と私の紹介。

日本語の通訳の女性をわざわざ用意してくれていて、この通訳の日本語はかなりうまい。
横浜に5年ほど住んでいたそうで、彼氏が日本人だったということで日本語を話せるようになったそうだ。
習うより慣れろを地でいっている。

岩淵は髪の毛を描く極細の面相筆とシルクスクリーンで刷った洋服などの模様となる雁皮紙を用意してきていて、それを見せながら作品の説明をする。

その後質問となるが、フェアーでもいつも思うことだが、台湾の人は積極的で熱心に質問をしてくる。
日本人はこの辺が遠慮深いというか、フェアーなどでも自分のほうから話しかけてくることが少ない。

恥ずかしいというのがあるのだろうが、自分をアピールしたり、積極的に意見を言うことが下手である。
日本人は英語があまり得意でないのも、間違ってもいいからどんどん話しかけてくる外国の人に比べて、間違うと恥ずかしいからと積極的に話さないとの違いかもしれない。

一段落して、社長の部屋ではお客様や友人たちがお茶を嗜んでいる。
台湾も日本の茶道ほどではないが、お茶を入れる作法がある。

烏龍茶も高級なのはびっくりするほど値段も高いが、陳社長が次から次へと高そうなお茶を淹れてくれる。
まずは急須のふたの匂いを嗅ぐ。
いい香りが鼻の周りに漂う。

それから小さいお茶碗に次々に注いでくれる。
烏龍茶は利尿作用があるので、今夜はトイレの回数が増えそうだ。

最後に出てきたのは相当な年代ものの雲南省のプーアル茶。
苦味があるが味は深い。
うん十万円するそうで、私たちに振舞った後は自分が死ぬときに息子さんにあげるつもりでいるらしい。
それほど貴重なお茶を出してくれたわけで、貧乏性の私は飲んだ後はお茶碗の周りを一滴残さず嘗め回さなくてはいけない。

オープニングを終えて、またまた夕食の接待。
朝から晩まで濃厚な一日になりそうだ。








10月22日A

朝食は昨日と同じように屋台風の店で、鯖料理だそうだ。
青魚はあまり得意ではなく、鯖は特にダメ。
お寿司でも家族は皆鯖を頼むが、私は生臭くてそばに置かれるだけでも嫌。

そんな私が朝から鯖を食べる羽目になった。

あっさりスープに鯖の身をほぐしたのが入れてあって、恐る恐る先ずはスープを一口。
思いの外美味いではないか。
臭みもなく、身はあっさりしていて鯖の感じがしない。
次いで出てきたのは台湾風ちまき。
これは日本でもよく出て来るが、とてつもなくデカイ。
固くもち米を握ってあるので、お茶碗三杯以上はありそうでとても食べきれない。
それになんの肉かはわからない細かくした肉と豆をを甘く煮込んだようなのが出てきて、朝から超ヘビーでゲップが出そうだ。





ここから車で観光名所に案内をしてくれる。
まずは遠くに見える小高い丘のような山で、大岡山という東横線の駅のような名前のところで、300メートルほどの山頂に寺院が建てられている。

車を駐めて坂道を歩くが、日差しも強く昨日まで熱があった身には辛い。
陳さんはここの頂上付近を朝ジョギングしているという。
わざわざここまで車で来て走るのだろうか。

汗だくで登ったところに寺院があり、この周りを岩石で囲まれているが、これがサンゴの岩で大昔は海だったことがわかる。
海底が隆起したのだろう。
そういえば八ヶ岳のあたりも昔は海だったと言う。
小海線と言うのがこの山麓を走っているが、海だったことから来てるのだろうか。





上から眺める景色は絶景でどこまで平たく広がっている。

次に向かったのは月世界という泥岩層が雨水で削られてできたクレーターのような世界が広がる異様な場所である。
地質がアルカリ質ということもあって、草木もほとんど生えてなくて、月のクレーターのように小さな山が連なっている。

ここも上の方まで歩こうと言われ、歯を食いしばってついて行く。
暑くなければそれほどでもないが、刺すような日差しで辛い。





終えて画廊に向かうが休む間も無く、昼ごはんに案内される。
台南一の小籠包が食べられるという。
さすがの人気店でたくさんの人が並んでいる。

出てきた小籠包は確かに美味しい。
合わせて出てきたあさりのスープ、春巻きもうなぎや鯖よりは私の口に合う。





その後ホテルの前の戦前からあったというレトロな建物の林屋百貨店でショッピングをして、個展のオープニングパーティーにむかう。

朝からフルタイムで動いているが、全て陳社長が前もってアレンジし、展覧会前にもかかわらず案内をしてくれて、私としてはひたすら感謝するしかない。
私なら到底ここまではできそうにもない。

10月22日@

昨夜遅くに高尾空港に到着。

空港にはダーフォンギャラリーの陳社長が自ら迎えにきてくれた。
遅い時間なのに申し訳ない。
高尾空港から台南までは車で45分ほど。

陳さんはこれから台南の屋台のうなぎ料理に連れて行くと言う。
体調は戻ってきたので行くのは構わないが、夜遅くで出来ればホテルに行って早く寝たい。
しかしせっかくの好意なので我慢して行くことに。

ほとんど街中の店は閉まっているが、この店は夜中までやっているようだ。
うなぎと言っても日本の蒲焼とはだいぶ違い、形も小さく、それを削ぎ切りにして煮ているのだろうか。
出てきたのはうなぎと玉ねぎを煮込んだあんかけ風そばである。
うなぎは脂っ気は全くなく、淡白でコリコリとした食感。
甘いつゆで見た目とは違って美味しいが、蒲焼とは別物と思った方がいい。

釜山でも多くのうなぎ料理の店があるが、日本のように長くなく、アナゴ似ていて短く、ちょっと食べてみようと言う気にはなれなかったが、台南のうなぎも多分同じようなものではないだろうか。

終えてホテルに行くが、陳さんが私と岩淵の2人宿泊分をすでに支払い済み。

明日は朝食を外で食べてから観光に連れていくので、8時過ぎにホテルに迎えに来ると言う。
展覧会をやってもらっている側なのに、上げ膳据え膳でただただ恐縮である。





10月21日A

今日から台南に。
台南のダーフォンギャラリーで岩渕華林の個展のオープニングパーティがあって出かける。

ところが昨日の夜から身体がだるく、明日に備えて早くに寝たが、朝3時に汗びっしょりになって目が覚めた。
身体が熱く、これは風邪で熱が出たのかと計ってみると、38度を超えている。
これはえらいことになったが、行くしかない。
出発便が夕方なので、取り敢えず昼まで寝て医者に行くことにした。

医者に行くと混んでいて1時間以上待たされる。

今度は成田行きの電車に間に合うかが心配になってきた。
旅行の支度も医者から帰ってからと思っていたので、その用意をする時間も入れるとギリギリ間に合うかどうか。

支度を終え、新宿駅から走りに走って成田エクスプレスのホームに滑り込みセーフと思ったら、なんと電車が人身事故で運休。

一難去ってまた一難、今度は飛行機の時間が心配になってきた。

1時間遅れで次の電車が来ると言う。

順調に走ってくれれば、搭乗時間の1時間前には着くことになるのだが、今ホームでイライラしながら日記を書いている。

また身体がだるくなってきて、熱もぶり返してきたようだ。

出来ればこのまま家に帰りたい。

10月21日@

私たち全国美術商連合会は「 オリンピックの年に文化庁を文化省に」と芸術推進フォーラムの各団体と手を携え活動している。

省に格上げすることで、予算の増加や人員の確保につながることになり、広く文化支援に寄与することになるのだが。

11月10日から12日まで東京美術倶楽部と国立劇場にて文化庁から文化省への活動資金と熊本への支援ということで、著名作家によるチャリティーオークションも開催される。
他に芸術推進フォーラムの加盟団体による演劇や演奏、舞踏など盛り沢山のイベントが開催されることになっている。

朝日新聞デジタルより

青柳正規前文化庁長官の現場からの切実の思いが語られているので紹介させていただく。

 文化庁の京都移転が決まった。しかし、私はこの計画に反対である。

 人口減や財政難など、日本社会は様々な困難と向き合っている。この厳しい環境で人々が生き生きと暮らすには、文化の力が不可欠だ。それを支援する文化庁の仕事が、いまほど大事な時期はない。

 だが、予算は諸外国に比べて大幅に少ない約1千億円ログイン前の続き。職員定員は約230人だ。ともに決定的に不足しており、大きく伸びる見通しはない。この限られた財源やマンパワーを役所の引っ越しに使うべきなのだろうか。庁内ではすでに、移転準備に人を充てた分、他の部署の人員が減っていると聞く。本来業務の文化施策に影響が出ないか心配だ。

 私は長年、美術史研究や美術館長の立場で、文化に囲まれて生きてきた。文化庁長官になってからは、文化と社会との関わりが、なにより気になるようになった。そんな思いで全国をまわると、地域文化の大切さに、これまで以上に目が向く。

 高齢化や過疎が進み、地方の衰退は深刻さを増している。人の体は、どこかに傷や血行不良があると、他の部分の動きも悪くなる。それが続けば、不調はじわじわ広がり、全身の健康も損なわれる。いまの日本はそんな危ない状況にある。衰えや問題のある所に血を通わせ、元気にするには、その土地に根付く文化を見つめ直すことが有効だ。

 祭り、伝説や神話、農耕儀礼や季節の催し、衣食住の中にある美や技など、かつては空気のように親しんできた多種多様な文化の意味を改めて考え、丁寧に解きほぐす。そこに潜む魅力を磨き直し、現代に再度根付かせる。その過程できっと、住民は誇りや自信を実感するはずだ。そんな「文化の総点検」と「再構築」を全国で進めたい。

 地域おこしというと、施設造りや大規模イベントを考えがちだが、身の丈に合わない事業は次世代に負担を残すだけだ。だが文化を核にした取り組みは持続可能だ。もともとあるものを大事にし、地域の魅力に転化する努力は無理なく続けられる。

 有名な成功例はフランスのナント市だろう。中心産業の造船業とともに一度は衰退したが、音楽を中心にした文化で再生。「フランスで最も住みたい町」に選ばれた。私も何度か訪れたが、歴史を語る古い建物の活用や地元芸術家の活躍を、住民の生きる喜びと、観光などの産業につなげているのに感心した。

 2020年はスポーツだけでなく文化の祭典でもある。この「文化の総点検」の絶好の機会を逃してはいけない。文化庁はその支援に全力を挙げるべきだ。京都への移転にエネルギーを割く余裕はないはずだ。

 (あおやぎまさのり 前文化庁長官)

10月20日

明日から台南のダーフォンギャラリーにて岩渕華林の個展が開かれ、そのオープニングで作家とともに出かける。

ここでは2回目の個展で、前回も大変なもてなしを受けたのだが、今年もホテルの手配から空港での送迎などお世話になりっぱなしである。

ちょうど韓国のKIAFでは台湾が招待年で、台湾の有力画廊が多数招待され、そこでダーフォンギャラリーさんにも会ったばかりなのだが。

台南は統治時代の日本の建物が多く残り、昭和レトロを感じさせる建物が多い。

展覧会とともに、そんな情緒あふれる町並みも楽しみの一つにしている。

それに台南料理も台北とは違った料理を味わうことができるので、そちらも楽しみの一つである。




10月17日

また紋谷さんが現在開催中の福島保典と小浦昇を印象記で取り上げてくれたので紹介させていただく。

福島保典展

画家が自分の手で描く、
絵画という手段だけが可能な表現、
強く、そう思われました。

横顔の人達が描かれますが、
特定の誰かではなく、
もしかしたら人でもなく、
横顔という、わかり易いアイコンを使うことで、
生命が育まれ、 枯渇してゆく時間の断片を
表現しようとしたのだろうか、
ふと、そのように思われました。

いずれにせよ、 悟って超然とする「素朴な絵画」ではなく、
悲しみや喜び、哀愁が濃く滲み出ていて、
得体のしれない共感を感じるのでした。




小浦昇展

全てに猫が登場する、銅版画による小品展。

熟練の筆力で、作家内面の一場面を、
あたかも見て来たようなリアルさで描いています。

その場面も、
星新一のショートショートの、
見事なオチの一文のような物語性があり、
観賞者は、画面の中や、描かれていないことまでにも、
伏線を探してしまいます。

発想力、美的センス、画力、
全てが高いレベルで揃うと、
このような観て楽しく、味わい深い作品が生まれるのです。





10月14日

今日は朝からフェアー会場へ。

やっと仕事場に戻ったのだが、連日の贅沢三昧で力が入らない。

韓国の画廊との打ち合わせや日本からのメールの整理などをしながら会場に詰めていたがお、お客様の反応は今ひとつである。

予約の入った作品で経費はなんとかクリアーできそうだが、去年のような完売には程遠いようだ。

昼は大邱の画廊さんに連れられてキュージーヌ風韓国料理。

宮廷料理にも出てくるトッカルビをご馳走になった。

トッとはお餅のことで、言ってみれば韓国風のハンバーグだが、あっさりしていてとても美味しい。




夕方には東京に戻る予定で 、今回は私は全く戦力にならず、後をスタッフに任せて帰ることに。

帰りにまたやってしまった

。 搭乗手続きを終え、土産も買って 出発を待っていたのだが、ふと気になって携帯を取り出そうとするが見つからない。

土産店に忘れてきたのかと慌てて戻るがどこにもない。

通関の人に頼んで、手荷物検査場に戻ると忘れ物として取ってあった。

検査を終えた時に忘れてきたのだろう。

銀行のカードを何度も失くし、財布を忘れたり 盗られたり、草間の油絵を銀行に忘れてきたこともある。

一人の旅行もいよいよ難しくなってきた。

10月13日

今日は朝からAPAGA breakfast meeting

昨日も全国美術商連合会の浅木理事長を画廊や美術館に案内していて、すでに始まっているフェアーの方はスタッフ任せ。

韓国側で通訳を用意してくれるものと思いこんでいて、会議は通訳なしで私はほとんど無言。

つくづく語学力の無さを痛感。

私はただ朝食を食べるだけで終わった。




会議が終わって、ようやくフェアーの椿のブースへ。

昨日のVIP内覧会もそうだったが、一般公開初日にもかかわらず、例年に比べて人は少ないように感じた。

今回はブース数を減らし、というよりは参加画廊が少なくなったこともあるのだろうが、その分通路をかなり広くとったこともあって、余計に人がまばらに見える。

韓進の破綻もあって、韓国か経済が冷え込んで来たせいもあるのだろう。

良い時もあれば悪い時もある、最近はそう達観してフェアーに臨んでいる。








10月12日

朝から浅木さん達を景福宮沿いにある画廊街へ案内する。

ここには日本の画廊が束になっても敵わない巨大な画廊が並ぶ。

各画廊が日本では考えられないようなインスタレーションや映像の展覧会をやっていて、美術館と見まごうようだ。

最後に見た国際画廊ではアニッシュ・カプーアの個展をやているではないか。

娘がいるシドニーに行った時に、ちょうど国立美術館でカプーアの大展覧会を見て感銘を覚えたが、まさか韓国の画廊でやっているとは驚きで、何もかも日本とはスケールが違いすぎる。

昼食を終えて、同じエリアに新しく出来た国立現代美術館に行く。




入場料が無料で、大きなアワードを受賞した若手作家の展覧会が催されていた。

ここでも圧倒されるような作品群が並び、次代を担う作家達のパワーに押しつぶされそうだ。

その中でも目を引いたのは脱北をした17歳の少年の作品である。

巨大なステージを使い、サッカーボールに絵の具を塗り縦横に蹴飛ばし転がしながら、華やかな色彩の線による作品が生まれる。

そのステージの前には絵の具にまみれたサッカーシューズが逆さまに置かれ、シューズの靴底にはメッセージが刻印されている。

とても17歳の少年とは思えない社会性の強い作品で 、感動の度を超えていて、中国のアイウェイウェイの再来ではないかと思わせる。




終えて、KIAFの会場へ。

とてつもなく広い会場を浅木さん達は各ブースを丹念に見て回り、近代中心の浅木さんも時代の変容を肌で感じたに違いない。

浅木さんの万歩計によると、既に10,000歩を超えていたが、いやはや元気である。

夕食は高級ふぐ料理店でふぐ尽くし。

ふぐ刺しから、カルパッチョ、野菜に挟んだのや七輪で焼いたふぐ、唐揚げ、和紙の器で煮るふぐちりなどなど10種類ほどが次から次に出てくる。

最後の雑炊がこれまた美味で、私も今まで味わったことのない超高級ふぐ料理を満喫した。

これだけ贅沢させてもらうとフェアーはどうでもよくなってきた。





10月11日

韓国に到着。

秋らしい爽やかな天気。

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今回出品をしているキム・テヒョク君が車で迎えに来てくれていて、事務局が用意してくれたグランドハイアットホテルに向かう。

今回は私が紹介をするVIP3組と私はKIAFの招待で、往復の飛行機とホテル3泊をサービスしてくれていて、全国美術商連合会の浅木理事長と息子さん、ニキ・ド・サンファール美術館のk館長夫妻、それにパトロンプロジェクトを主宰するKさんとお母様をお招きした。

有難いことで、いつものことだがKIAFの手厚いホスピタリティーに感謝である。

浅木さん達は今日から2泊、他の方は明日から3泊を予定している。





私は展示のため会場に向かうが、浅木さん達はサムソンコレクションの名品が並ぶリウムミュージアムに通訳を兼ねていつもフェアーを手伝ってくれる崔さんに案内をしてもらう。

見学を終えた浅木さん達と展示途中で合流して、崔さんがアレンジした美味しい焼肉店へ。

分厚いヒレと霜降りのロースは極上で、タレはついてなくて肉そのものの味を堪能した。

ホテルに帰ると、KIAFによるウエルカムドリンクパーティーが用意されていて、至れり尽くせりである。





10月10日

台北のトイフェアも例年のごとく大盛況のようだ。

その様子が送られて来た。

会場は人、人、人で溢れかえっている。

ファインアート中心の台北でのフェアーも多くの人で賑わうが、その比ではない。

初日の昼過ぎの報告では、開けて2時間たらずで既に中村萌のフィギュアーは100点のうち40点が売れてしまい、この調子では終わりを待たずに完売になるのでは。

今回はブースに台湾の人気陶芸家と2人の特設スペースが設けられ、中村は大作の他にアトリの作業場を再現し、身近に彼女の制作の様子を知ってもらうようになっている。

恒例のサイン会では一人一人に丁寧にサインだけではなく絵も描いてあげていて、それ目当てに長い行列ができている。

台湾での彼女の人気はとどまるところを知らない。








10月9日

土曜日から二つの個展が始まった。

GTでは小浦昇展。

青い幻想世界で知られる小浦が今回は全てモノクロームで表現した作品が並ぶ。

その表現方法も今までは銅版の技術の一つであるアクアチントという銅版の面を腐食して、その腐食の深さ加減によって濃淡を出して描く技法から、同じ腐食でも線や点を腐蝕させるエッチングという技法を使っている。

ただし、見た目では分かりにくいが、小浦は表現する形を線ではなく、全て点で描いていて、10センチほどしかない画面には約40万ほどの穴が穿ってある。
1ミリに25もの点を打ちながら形を構成して行くというから神業である。

小浦から説明を受けたが、あまりに凄すぎて理解を超えるので、来廊された方は直接小浦から技法について聞いていただきたい。

テーマは猫の仕草や行動をユーモラスかつ愛らしさであったり、擬人化したシロクマの家族といった童心をくすぐるような作品が並ぶ。








拡大図





10月9日A

大きいスペースでは久しぶりに福島保典展。

私の画廊では珍しい重厚な作品が並ぶ。

人物像を太く強い大胆なタッチで表現していて、その激しさが胸に突き刺さる。

今の絵画の傾向は重厚なマティエールでの表現は少なくなっているので、こうした表現が逆に新鮮に見える。

久しぶりの個展とあって、飾りきれないくらいの作品を描いていて、ご希望の方は展示していない作品も見てみたいといっていただければ 、スタッフが持ってくるので、遠慮なくいっていただきたい。

同じようなテーマのものを外しているので、展示作品と見比べるのも一興かもしれない。

私は連休明けから4日ほどソウルのアートフェーに出かけて留守するが、繊細さと大胆さの両方の展覧会を堪能していただきたい。

日記もそんなわけでフェアーの様子などは帰国後に紹介させていただく。








10月8日

先日の台風の強い風で、画廊の前の大島桜が倒れてしまい、すぐに伐採されてしまった。

わずか一本の桜なのだが、毎年近隣の人の目を楽しませ、3丁目町会でも花見の会を催して、桜を愛でるひと時を楽しんでいたのに惜しいことをした。

ただ時を同じくして、ここを改修整備し新たな小公園に生まれ変わることになった。

その改修工事のお知らせが届いたので紹介させていただく。

「緑の環境デザイン賞」特別企画「おもてなしの庭」助成プログラムによって整備されるもので、花と緑で観光客を迎える「おもてなしの庭」を創出するプランに応募し、京橋川再生の会による「京橋大根河岸おもてなしの庭」が大賞となりました。

「京橋大根河岸おもてなしの庭」は、この橋詰広場を再生し「和の文化」を発信する場として、茶の湯の精神を活かした「都市の庭」をつくるものです。
露路、茶花を配し、ひな祭り・桜祭り・七夕・月見・野点などを行い「京橋川カフェ」として国内外からの観光客をお迎えし、おもてなしを行っていきます。

ということで、来年3月にはここが新たな日本文化発信の場所となる。




10月7日

朝からオリンピック・パラリンピックのメダリスト達のパレードで、中央通りに通じる駅の階段はすべて閉鎖。

遠回りして階段を上がり、画廊に向かうと中央通りは人、人、人・・・

多分遠くからしか見れないと思いつつ、通りに出て横断歩道を歩いていたら、これから閉鎖するので早く渡ってとなり、なんと運よく最前列に。
朝早くから並んでいた人ごめんなさい。

銀座側も日本橋側も見渡すかぎり人で埋め尽くされている。

それから5分も経たないうちにパレードがやってきた。

国旗やオリンピックの旗に先導されて、まずやってきたのはは車椅子の選手たち、続いて他のパラリンピックの選手たちが続く。
よく頑張ったと目頭が熱くなる。

次にオリンピックの選手たちの車が見えてきた。

体操の内村、レスリングの吉田、卓球の福原の顔がはっきりと見える。

愛ちゃんの笑顔がとても可愛らしい。

車の列が続くが、水泳の荻野たちに混じってどういうわけか、柔道の山下泰裕がいる。

この人昔に金メダルを取ったのに。

これだけ大勢の人なのに、あっという間にパレードは通り過ぎ、皆さん拍子抜け。

これだけ大勢の人、誰も画廊には寄ってくれない。











10月6日

スタッフの島田が今日から台北に。

明日から台北の華山1914にてトイフェアー・モンスター台北が開催される。

今年も中村萌が招待され、100部限定のフィギュアーとともに新作を発表する。

それとは別に特設会場にて大作を中心に特別展も行われる。

私どもの個展で一点を残してすべて売れてしまったので、大作の新しい作品を展示するのは難しく、古い大作を引っ張り出してきて展示することになった。

中村の人気は台北では凄くて、私もその人気振りを見てみたいのだが、11日から韓国のアートフェアーがあるので、続いてはきつく、島田に任せることにしている。

会場となる華山1914文創区は台北の若者が集まるエリアとして有名なところである。

100年前の日本統治時代の酒造工場の外観をそのままに再生し、アート・イベント空間に大きく変貌し、映画館やブティック、カフェ、レストラン、ライブハウスも加わり、古さと新しさがミックスされた台北の新名所となっている。








10月5日

昨日今日とF1レーサーの3年連続世界チャンピオンだったS・V選手がやってきた。

毎年鈴鹿の日本グランプリの前には必ず寄ってくれるのだが、去年だけが寄ってくれなかっただけに、うれしい来廊である。

3年連続世界チャンピオンになった後は戦績が振るわないので、もう来ないかもしれないと思っていたが、ふらりとやってきた。

最初はまだあどけなさの残る少年の面影があったが、今回は精悍さが増し、世界を舞台に戦っている一流選手のオーラを感じさせてくれる。

今週末には鈴鹿での試合があって、普通なら緊張でがちがちのはずなのだが、その前のリラックスタイムなのか、こうして画廊に立ち寄ってくれて作品を購入するのだからたいしたものである。

たまたま居合わせた方がそっち方面に詳しいのか、目の前にS・V選手がいるのにびっくりして、恐る恐る記念写真をお願いしていた。

野球ファンが偶然画廊でイチローに出くわしたようなものである。

私などは何度来ていただいても、そっち方面にはあまり詳しくないので、恐らく道ですれ違ってもわからないと思う。

そんな私のところに毎年やってきてくれるのだからありがたいことだ。

10月4日

人間ドックの結果が送られてきた。

どこも異常なし。

70歳になって、どこかがたが来ているのではと心配したが、まずは一安心。

今まで検査を受けたことがなかった前立腺も調べてもらった。

夜中にトイレに行くことはないのだが、以前に比べてトイレが近くなったような気がしていて、もしやと思っていたが、心配なさそう。

周りが癌だ、心臓だ、脳梗塞だと会うと病気の話になるが、今のところなんともないのはありがたいことである。

股関節が痛くなって狭窄症ではと整形外科に行くが、歳相応と言われ、耳が遠くなって調べてもらったが、これも歳相応。

白内障ではと思っていくと、これまた歳相応。

歳相応ということは多少その気配はあるのだろうが、大騒ぎするほどではないと言うことなのだろう。

頭のほうだけははかなりの自覚症状があって、毎日探し物、今何をしようとしたかを忘れる、人と会っても名前を思い出せないなどなど・・・。

こちらだけは自分で歳相応と言い聞かせて検査を受けないでいるが、病状は日々進行しているようだ。

10月3日

私どものロータリークラブの企画の一つに会員の職場を訪問し、職業を通して相互の研鑽を高めるというイベントがある。

昨年は書籍流通の大手・「トーハン」の物流センターを会員でそこの会長であるF氏に案内してもらった。

一日に100万部にも上る少量多種の書籍を一気に捌いていく様を間近に見せてもらったが、若い世代が本を読まない時代にあって、まだまだこれだけの数が動いていることに感嘆するとともに、書籍の重要性を改めて認識させられた。

そして今年は私どもクラブの例会場・京王プラザホテルのすぐ横にある通信大手の「KDDI」を会員の元会長・社長であったN氏の肝いりで見学することになった。

普段は見ることのできない機密性の高い部署を含め、いくつかの運用室、機械室を見せていただいた。

地震などの災害に備えて、強固な地盤の上に震度7以上に対応できるビルを建設し、その中に中枢となるモバイルオペレーションセンターやグローバルネットワークオペレーションセンターや問い合わせやクレームに対応するKDDIスマートサポートセンターなどがあって、それぞれの運用についての詳しい説明を受けた。

都庁やほかの高層ビルがここに集中するのも東京屈指の地盤の堅固さがあってこそである。

さらには屋外の災害や多くの人出が予想される場所に移動して基地局を作る車載型基地局や、停電に備えての巨大な自家発電設備を見せてもらった。

一台数億する発電機を4基備えていて、これを順次2年ごとに買い替えていくそうだが、ここが完成して42年が経過するが、この間一度だけ新宿地区が全面停電になって使ったきりだそうで、勿体無いように思うが、それでも重要な通信ラインが万一途絶してしまうリスクに備え、これだけの投資をしなくてはいけないことに驚かされた。

もっともこのお金も私たち使用者の使用量でまかなわれていることになるのだが。

終わって、父親同士が友人であり、二代目同士で私との付き合いも長い新宿の名店焼鳥店「鳥源」で焼鳥、水炊きに舌鼓を打った。

しばらくこうした行事も参加者が少なくなっていたが、今回は大勢の参加で、とても有意義な会となった。

10月2日

プサン・ギャラリーWOOでの山本麻友香展から一部を紹介させていただく。

韓国ではいくつかの画廊が山本の作品を熱心に紹介しているが、その中でもこの画廊はいいお客様がいるのか、送った作品は全て売ってしまう。

今回の個展はニューヨークの画廊の個展用に描いていたのだが、オーナーが病気になり、長期療養が必要ということで、個展が中止になってしまった。

そこですぐ手を上げたのが、ギャラリーWOOであった。

私どもでもちろんやりたかったのだが、スケジュールが詰まっていて、急には無理ということでお願いをすることにした。

私のところは来年の4月に個展を予定している。







10月1日

早いものでもう10月だが、秋らしい天気はまだまだで、今日も朝から雨模様。
秋の長雨というが、今年は長すぎる。

そんな中、今月からは海外の展覧会が続く。

プサン・ギャラリーWOOにて山本麻友香個展が始まる。

それから、一昨日の日記で紹介した中村萌が「モンスター台北」にてブースでの展示と特設会場での特別展が開催される。

続いてソウルのアートフェアー「KIAF」に出展。

次いで台南のダーフォンギャラリーにて岩淵華林個展が予定されている。

それと重なるように台湾最大のアートフェアー「アート台北」が開かれる。
同時に台北にてAsia- Pacific Art Economic Forum 2016とAPAGA会議があって「APAGA」の日本代表として出席することになっている。

日本の景気が今ひとつだけに、海外に期待せざるを得ないが、果てさていかなる結果となるだろう。

KIAFの出品作品の一部を紹介させていただく。

日本人作家3名と韓国作家3名で参加する。

富田有紀子、山本麻友香、内藤亜澄、リユンボク、キムテヒョク、ヨゼフチョイ







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