ギャラリー日記 |
●6月30日
●6月25日 休む間もなく内藤亜澄展が始まった。 シェル美術賞で見たのがきっかけで声を掛けさせてもらい、今回が2回目の個展となる。 シェル賞展では圧巻の作品で、審査員賞に終わったが私にはグランプリ作品を圧倒していて、何故彼がグランプリではなかったかと不思議に思ったくらいの抜きん出た作品であった。 昨年はそのシェル賞の過去の受賞者の中から4人がセレクション作家として選ばれ、その中に内藤も入っていて、これまた他を圧倒するような作品が新国立美術館に並んだ。 その時の出品作も今回の個展に並んでいて、その圧倒的な迫力は画廊においても発揮されている。 記憶の中のイメージを取り出し、更にはイメージそのものに内在する要素を抽出するように変化をしてきたと内藤は言う。 色と形の転置によって、大胆な劇場型空間が描かれ、それは現代の象徴でもあり、未来への暗示でもある。 これだけダイナミックな表現をする若手作家を最近はついぞ見ることがない。 大いに期待する作家として、その将来を楽しみにしている。
●6月24日 GALLERY TSUBAKI REUNION も無事終了。 90名の作家さん達にはひたすら感謝である。 恐らくこれだけの数の作家さんが一つにまとまり展覧会を開催してくれたことを未だ聞いたことがない。 それも私の古希と画廊の35周年記念のために。 そしてそれに呼応するように大勢のお客様や友人たちが駆けつけて祝ってくれた。 なんと御礼を申し上げていいやら言葉が見つからない。 作品も50点が売約となったが、残ってしまった作家さんには、折角のご好意で出品してくださっただけに、大変申し訳なく思っている。 アフターセールで一人でも多くの作家さんの作品が売れるように頑張るつもりでいる。 一週間と短い会期だっただけに、まだお越しいただいていない方もおられるので、ぜひお越しいただき、展示は終了してしまったが、画集を見てご興味のある作品があれば、よろしくお願いをしたい。 昨日はまた作家さん有志が来てくれて、作品の撤収を皆さんでやってくれた。 何から何までお世話になりっぱなしで、ただただ頭を下げるばかりである。 その時の写真がFBにアップされたので転載させていただく。
●6月22日 古希と35周年記念展GALLERY・TSUBAKI・REUNIONもあっという間に最終日。 普通はうちの展覧会は二週間やるのだが、私事の展覧会なので一週間に遠慮したのだが、なぜもっとやらないとの声も多い。 私にとってはうれしいことばかりで、この一週間で多くの人に来ていただき、もう十分と思っているのだが。 私宛に作家の皆さんから感謝状をいただいたが、原文は望月通陽氏の手に寄るものである。 とてもいい文章なので紹介させていただく。 椿原弘也殿 志をもって船出をしても、風を見逃し、 星を見失い、漂うばかりの若者の船にとって、 ギャラリー椿はしおれる帆の数々を尚も励まし、 次の海へと送り出してくれる港です。 港のあるじは猫背を増々まるめて 奥様共々三十五年、若い船を見送り続けました。 そして古稀を迎えました。 その労を多とし、感謝をもってここに表彰します。 弐千壱拾六年六月拾八日
●6月20日 古希展では感謝状やお花を出品作家の皆さんからいただいたり、ケーキが用意され、ケーキカットを家内と孫でやったりと、まるで結婚式をもう一度やっているようであった。 多くの方からお祝いの品もいただいたが、あまりの混雑に御礼を申し上げることができず、またどなたからいただいたのか不明の品も多く、礼を欠くことになるがお許しをいただきたい。 作家さんたちの持ち寄りのお酒や料理、お菓子で画廊はあふれかえっていて、これまたどなたが何を持ってきたのか定かではなく、失礼の段なにとぞお許しいただきたい。 アトラクションでもギタリスト佐藤達夫氏の伴奏と詩人・小川英晴氏の朗読やパンクロックで活躍している出品作家の一人・恒松正敏のギターの弾き語りなど、大いに座を盛り上げてくれた。 もう一つ嬉しかったのは、孫娘から私を描いた絵を額入りで贈られたことである。 こんなわけで私にとっては何よりのかけがえのない一夜となった。 小川英晴氏の詩の一部をここで紹介させていただく。 魂の安らげる場所 ー椿原弘也氏にー 魂の安らげる場所で 日がな一日 絵を見ていたい 出来ることなら 真実 心をひびかせあえる画家の絵を 時の経つのも忘れて 見ていたい ギャラリー椿 ここは私にとって 魂と魂とが出逢う場所でもあるのだ 祭壇が無くともよい 神々がいなくともよい ただ 美しい一枚の絵がありさえすれば そこはすなわち楽園なのだ 思えば ギャラリー椿から 私の旅ははじまった 中略 多くの夢追い人とともに歩んできた椿原さんも この六月に古希を迎え 白髪がよく似合う年齢になった そして今回 ここに90人の作家が 作品を寄せることになった そうなのだ 絵を愛するものにとって これはまぎれもない美の聖地なのだ ともに生きる歓び ともに老いることの感慨 ともに死を見つめることの覚悟 そのすべてが ギャラリー椿の空間には 今も確かに息づいている 小川英晴 ●6月19日 「GALLERY TSUBAKI REUNION」私の古希と画廊35周年記念を祝う展覧会のパーティーが盛大に開催された。 人人人で立すいの余地もない。 90名の作家さんが出品をしたこともあって、展覧会を楽しみに駆けつけてくれた方も多かったが、何せ人が多くて作品を見ることはできない。 水曜日までやっているので、お時間があればもう一度お越しいただきたい。 どちらにしても、多くの方にお世話になり、ただただ感謝でいっぱいである。 素晴らしい展覧会とパーティーで、一生の記念になり、もう思い残すことは何もないくらいの喜びである。 パーティーの様子を写真で紹介させていただく。
●6月18日 今日はいよいよ古希と開廊35周年記念のパーティー。 何から何まで作家さんにお世話になり、今日のパーティーも準備から式次第、料理まで全てお任せである。 それでは悪いと向かいの寿司屋の親父さんに頼んで、画廊で寿司を握ってもらうことにした。 どのくらいの人がくるか想像がつかないが、皆さんお寿司を食べそこわないように。 パーティーの様子などもおってご紹介させていただく。 ●6月17日 古希展の挨拶文をギャラリー椿となってから最初に個展をした望月通陽氏に書いてもらった。 ユーモアーに溢れた彼らしいお祝いの言葉なので、紹介をさせていただく。 新幹線もいよいよ東京から4時間余りで北海道という世の中、一体どこまでめまぐるしく、せわしないのか途方に暮れる思いが致します。 そうした渦巻く時代をくぐり抜け、我等が椿原弘也さんがこの6月、目出たく70 歳の古稀を迎えることになりました。 ギャラリー椿も開廊35周年。つまり半古稀という訳で、何やら反抗期のようにも聞こえますが、とにかく面倒でもここで祝ってさえおけば椿原さんの機嫌もよかろうと皆で企みまして、御世話になりっぱなしの閑人共が打ち揃い、記念の展覧会を開くことになりました。 椿原さんも本当はいい人なんです。 見えない所で善行を重ねられて、それは過去の何かの罪ほろぼしに違いないとは思うのですが、とにかくそのことへの感謝も込め、ギャラリーを支えて下さった皆々様と共に祝いたく、ここに謹んで御案内申し上げます。 僭越ながらこの場を借りて申し添えれば、椿原さん、本当に、有難とう。 乾杯! 望月通陽 ●6月16日 A お祝い展の会場写真を紹介させていただく。
●6月16日 今日から22日まで90名の作家さんたちの企画運営による私の古希と画廊35周年を祝う展覧会が開催される。 長いこと画廊をやってきた甲斐があったと心から喜んでいる。 画集も作ってくれて、それぞれが作品とともにコメントを寄せてくれている。 本当にありがたいことと思う。 画集に私も御礼の文章を書かせてもらったので、それを転載させていただく。 90人の作家さんが私の古希と画廊の35周年を祝って展覧会を開いてくださるという。 それぞれの作家さんが作品を出品し、それに加えてこうした画集まで出していただいた。 画商冥利に尽きるとはまさにこのことである。 うれしいを通り越して涙があふれる思いで、きっと泣き上戸の私は初日に皆さん前でだらしなく泣いていることだろう。 長いこと画商をやってきて本当に良かったと思う。 私たち画商は、作家さんたちと違って形になったものを残すことができないが、どれだけ展覧会を開いたが、私の足跡であり、人生の勲章だと思っている。 形にはならないが、その一つ一つの展覧会が私の胸に去来する。 私の仕事は作家さんがいて、それを受け止めてくれるお客様があって初めて成り立つわけで、私が今あるのは、作家の皆さんが素晴らしい作品を描いて下さり、それを評価してくださったお客様がいたからである。 70歳という年令は、昔でいえば相当な老人だが、今や高齢者扱いするのはよしてくれと言えるほど元気な人が多い。 私も字はメガネなしでは読めず、人の声も聞きづらくなり、物忘れもその度を増していて、それなりの年齢を感じるが、まだまだ気持ちは若いつもりで、作家の皆さんと一緒に仕事をするのが楽しくて仕方がない。 どんな作品ができるのかいつもワクワクして待っている。 そのワクワク感が気持ちを若返らしてくれるのだろう。 50歳の時に親しい友人を次々に亡くし、その時に死生観というのを意識するようになった。 若くして死んでいった友人たちは悔しかったと思う。 みんな道半ばの死であった。 その時に思った。 どう生きていくかも大切だが、どう死んでいくかももっと大切ではないかと。 悔いなく生きるのではなく、悔いなく死んでいきたいと思うようになった。 今この時、作家の皆さんの温かい心に触れ、私にとって悔いなく死んでいける大きな糧の一つとなった。 作家さんたちには言葉では言い尽くせないくらい感謝の気持ちでいっぱいだが、今回この企画を考え、その準備に骨を折ってくださった金井訓志さん、山本麻友香さんを始め発起人の皆さんにも心からの御礼を申し上げたい。 本当にありがとう。 ギャラリー椿 椿原弘也 ●6月15日B 古希展作品紹介 90点全作品の紹介でした。 明日より22日までの一週間ですがぜひお越しください。 福島保典・大山幸子
宮野友美・滝谷美香
清水祐貴子・高木さとこ
天久高広・川口起美男
●6月15日A 古希展作品紹介 相澤史・青木恵
牧野永美子・小出正義
コイズミアヤ・山中現
岩井康頼・恒松正敏
小浦昇・佐藤温
王建揚・渡辺大祐
大石卓・杉田達哉
うじまり・太田真理子
●6月15日 古希展作品紹介 渡辺達正・木村繁之
尾関立子・キムソヒ
リソルジュ・小原馨
開光市・開むつみ
●6月14日 古希展作品紹介 浅井飛人・綿引明浩
小林裕児・呉亜沙
福岡通男・金森宰司
間島領一・北村奈津子
リユンボク・リソンスウ
吉田嘉名・新藤杏子
篠田教夫・富田有紀子
屋敷妙子・池田鮎美
●6月13日A 岡本啓・キムテヒョク
高橋幸彦・室越健美
喜田敏郎・呉本俊松
天明里奈・小川陽一郎
●6月13日 古希展作品紹介。 舟山一男・横田尚
井澤由花子・吉田シオリ
佐藤未希・長谷川健二
河原朝生・武田史子
●6月12日 古希展作品紹介。 夏目麻麦・堀込幸枝
内藤亜澄・中村亮一
ヨゼフチョイ・岩田ゆとり
高橋舞子・柳澤祐貴
●6月11日A 古希展作品紹介 真条彩華・森口裕二
中村萌・高木まどか
望月通陽・野坂徹夫
岩渕華林・門倉直子
●6月11日 山王祭が始まりまった。 年々賑やかになる。 以前はお神輿の担ぎ手がいなくて苦労した時期もあったが、今や溢れるように担ぎ手がやってくる。
●6月10日 古希展出品の立体作品をいくつか紹介させていただく。 まずは発起人の二人。 桑原弘明と鈴木亘彦。 桑原の作品は私のヨット部時代を彷彿とさせる作品。
次に伊津野雄二、内林武志、川崎広平、小林健二、北村奈津子、塩澤宏信
●6月9日 古希展の出品作を順次紹介させていただく。 まずは今回の古希展の 言い出しっぺで、開催にあたり何から何まで世話になった金井訓志、山本麻友香の作品を紹介する。
●6月8日 いつも的確な論評をされる曽根原正好氏がフェースブックで現在開催中の「富田有紀子展」について書いていただいたので紹介させていただく。 曽根原正好 ギャラリー椿の富田有紀子展をブログに紹介した。 ギャラリー椿の富田有紀子展が良い 東京京橋のギャラリー椿で富田有紀子展が開かれている(6月11日まで)。 富田は1958年東京生まれ。1980年女子美術大学芸術学部絵画科洋画専攻を卒業している。 2013年には練馬区立美術館で個展が行われた。 富田は果物などを透明感のある美しい色彩で描いてきた。 油彩を使ってつややかな果実を表現してきた。 果実といっても硬い果物ではなく、ベリー類やザクロのような透明感のある果実だ。 ただここ数年少し停滞感が感じられた。 そう思っていたところへ今回の個展だった。 すばらしかった。 今回は主にビー玉を描いている。その透明感と硬質感、そして何よりも富田の優れた色彩が十分に発揮され、個展を成功に導いている。 接写されたようなビー玉には遠い風景が倒立して写し込まれていて複雑な遠近感が表現されている。 富田のホームページでは過去の作品も見ることができる。 その「絵画作品」をクリックすると膨大な作品が用意されている 。 http://www.tomitayukiko.com/index.html ・ 富田有紀子展 2016年5月29日(土)−6月11日(土) 11:00−18:30(日曜休廊)
●6月7日 ・ 梅雨に入りどんよりとした日が続くが、予報では関東は少雨ということなので、 多少は鬱陶しさから逃れることができそうだ。 美人画を集めている友人から家を新築し、絵を飾ったのだが、こんな飾り方でいいのか見て欲しいということで、しばらくぶりで訪ねることにした。 大きなお屋敷で広い庭もあったのだが、半分を売り、残りの半分をマンションにして、夫婦二人きりということで、こじんまりとした可愛らしい家を建てた。 売った半分の土地に7軒の分譲住宅が建つと言うのだから、どれだけ広い家だったか。 バブル期には中山忠彦、東郷青児、カシニヨールなどの美人画をだいぶ買ってもらったが、しばらくぶりで作品に再会した。 私のところの作品とはだいぶ趣も違うが、オークションや業者から手に入れたものを随分と買ってもらったものである。 玄関を入ると10点ほどの東郷青児の絵が飾られていて、これだけ揃うと壮観である。 別に私が口出しするほどではなく、おそらく新しい家に飾ったところを見て欲しかったのだろう。 偶々東郷青児の5メートルもある大作の処分を頼まれていたので、久しぶりに買わないかと言ったが、以前の家なら入ったが、とてもとても新しい家では玄関にさえ入らない。 会社も処分し、軽井沢の別荘と新しい家を行き来しながら余生を楽しむそうで、羨ましい限りである。 心臓を患っているので、くれぐれも体だけは大事にして欲しい。 ●6月6日 90名の作家さんの企画による私の古希と開廊35周年を祝う会の作品が続々と画廊に到着している。 既に何人かのお客様が画像をや実際の作品を見たいとフライング気味にやってきて、予約をしていただいている。 画集を皆さんがコメント付きで作っていただけるということで、未着の作品も画像だけはあるので、もし関心のある作家さんの作品があればお申し出いただきたい。 送っていただいたコメントも心のこもったものばかりで、ついつい涙腺が弱くなってしまう。 更にオープニングでは式次第があって、まるで結婚式のようで、今から緊張をしている。 ただ18日土曜日のパーティーは多数の来場が予想され、じっくり作品を見ることが難しそうなので、よろしければ4時以降は避けていただいた方がいいかもしれない。 ●6月5日 北海道の置き去りにされた子供が見つかったニュースには、固唾のんで見守ってい多くの人たちにとって、これほど嬉しい知らせはなかっただろう。 これだけ長い間見つからなければ、当然最悪の事態を考えただろうし、私のような邪な人間はもしかして両親がとさえ思っていた。 そんな憶測すべて振り払うような素晴らしいニュースが飛び込んできた。 北海道の寒く明かり一つない山中を、半袖半ズボンの姿で彷徨い、長い道のりを歩いてようやく自衛隊の休憩所にたどり着いたことさえ、7歳の子供にこんなことが出来るのかと、ただただその精神力に感嘆せざるをえない。 私のような大人でも、こんな状況になったらパニックになり、山中に分け入り迷い、野垂れ死するのが関の山ではないだろうか。 ただひたすら山道を歩き、その先に家があるのを見つけたときはどんなに嬉しかっただろう。 着いたときはおそらく夜になっていただろうし、暗闇の中でよくぞ建物を見つけたと思う。 さらに驚嘆するのは、その家の中で水だけ飲んで、マットで暖をとり動かずにいたことである。 普通なら不安になり、食料を求めて外に出てしまい、結局は寒さと飢えで息絶えてもおかしくない状況だっただろうに。 その胆力と我慢強さにはただただ感心するばかりである。 経験した怖さがトラウマになる事が心配されるが、それ以上にこの極限までの体験は、これから先の生きていく上での何事にも変えがたい自信になるのではないだろうか。 どんなに辛くてもどんなに悲しくても、この経験があれば乗り越えられるはずである。 ご両親もしばらくは肩身の狭い思いをしなくてはいけないだろうが、これだけ逞しく心の強い子を育てたんだと自負して、この苦難を乗り切って行って欲しい。 ●6月4日 気持ちのいい朝が続く。 今年は正月早々から10年振りだろうか、ひどい風邪をひき、それから何となく外に出るのが億劫になり、朝の散歩も行かなくなってしまった。 老人性鬱というのだろうか、気分が乗らない日が続いた。 そんなわけで運動不足、てきめんにお腹が出てきて、これは何とかせねばと思っていても、気合が入らず、朝からグダグダしていた。 6月に入り、天気がいいのも相まって、ようやく散歩する気になって、先ずは昨年までは毎日やっていたラジオ体操をしてから、エイヤッの掛け声とともに重い腰を上げて、公園に出かけることにした。 新緑の何と美しいこと、吹く風の何と涼やかなこと、自然の恵みを体いっぱいに感じて、爽やかな朝が始まった。 ようやく元気が出てきたようだ。 ●6月2日 今日から韓国ソウルのギャラリーSPのニューギャラリーオープン記念で山本麻友香の個展が始まった。 新沙という日本でいうと表参道か青山のような場所にギャラリーはあるのだが、新たに韓国の新羅ホテルという五つ星ホテルのそばにギャラリーを構えた。 そこのギャラリーは娘さんに任せることにして、ギャラリーとともにカフェも併設するという。 韓国のギャラリーは画廊以外に同じスペースにフレンチやイタリアンのレストランやカフェを構えるところが多く、SPさんも同じようにカフェを構え、画廊にお客様が来やすくしたのだろう。 韓国は不景気と画廊さんは口をそろえて言うが、釜山や大邱のお付き合いのある画廊さんもカフェや花屋さんを昨年オープンさせていて、どこまで本当やらよくわからない。 SPさんはこのスペースわ借りたのではなく、建物ごと買っていて、上の階は娘さんの住居にするそうで、昨年そこを見せてもらった折には、椿さんもこの辺は安いから買ったらどうですかと言われたが、とてもとてもそんな余裕はない。 因みに、約7000万で買ったそうである。 確かに山手にある4階建ての大きな建物で、日本に比べると安い物件かもしれないが、それでも私には手が届きそうにない。 オープン記念に韓国の作家ではなく、日本人の山本麻友香を選んでいただいたことは大変光栄で、こうしたことを見ても一般でいわれる反日感情のかけらもない。 盛会であることを願う。
●6月1日 今日から6月。 早いもので一年の半分に差し掛かることになる。 展覧会や海外出張であっという間に時が過ぎてしまう。 その間に、業界の仕事やロータリークラブの会合などに時間がとられることが多く、世の中週休二日の時代に、唯一日曜日の休みさえ取れないことが多い。 子供達が二人が海外で家族と生活しているが、そのペースは羨ましい限りである。 ある日本人が海外であなたは仕事をするために生まれてきたのかと言われたそうだ。 確かに仕事だけが人生ではないが、どうも私は限られた時間を有効に使っていないような気がする。 多くの友人は定年となり、それぞれ有り余る時間をどのように使っているのだろうか。 そんな友人の一人で小学校の同級生が、ウイズキッズクラブという会を主宰し忙しくしているそうだ。 虐待を受ける子供や孤児の子ど達を支援する団体で、月に一度講演会やイベントを行っているという。 その友人から今月末にこの団体の集まりがあり、有楽町の特派員協会というところで講演をしてくれないかとの依頼が来た。 突然の話で戸惑ったが、その団体の概要が送られてきたので、お役に立てばと引き受けたのだが。 果たして、美術のことしか知らない私の話で、ここの活動の趣旨と合致するか不安もあるが、来てくださった皆さんとご縁ができ、少しでもアートに関心を持ってくれればとしゃしゃり出ることにした。 送られてきた団体の概要があるので紹介させていただく。 「ウイズキッズクラブは株式会社Wizardに籍をおき、月に1度程度の講演会やイベント等を行います。 集う人々が自己啓発の場や人脈を創る場、ビジネスを広げる場等、どんな目的でも集う事で共に学び楽しく価値のある交流の場にする事により、こどもたちを支え、またお互いを支え合うクラブにして行きたいと思っております。 良い街づくり、国づくりの基礎になるのは私達が未来を託す心身共に健康で優しいこどもたちが育つことです。 虐待を受ける子や孤児のこどもたちが辛い思いをせず自分の目指す道を歩めるように当クラブはその手伝いを目指します。」 といった団体で、仕事を離れ、こうした有意義な仕事をしているのを、今後の参考にさせてもらおうと思っている。 ●5月31日 舛添都知事が何かと話題になっているが、美術品をネットオークションや古書店の通販などで購入していたそうだ。 政治資金を使い資料用に買っていたというがこれは嘘だろう。 当然自分の趣味で買ったに違いない。 内容は詳しくはわからないが、北川民次や麻生三郎、木村茂、梅原龍三郎などの版画を購入していたという。 こうした作家を見てみると、一般受けするようなものは見当たらない。 購入額も10万円以下のものばかりで、趣味とすれ至極健全なコレクションである。 名前とかキャリアで買うのではなく、自分の目で好きなものを買っているのがよくわかる。 それなりの収入があるわけだが、購入金額も知事としては小遣い程度のものである。 家族旅行も公務で行く高級ホテルとは違い、食事も回転ずしといったものも入っているようで、この面だけ見るとごくごく慎ましく庶民的である。 だから逆にこんなものを政治資金で使うからせこいと言われるのだろう。 恐らくこうしたことは今に始まったことではないと思う。 教授時代も研究費と称して私物を購入していたに違いない。 そうした習い性が知事になっても当たり前のように私物を経費で落としていたのだろう。 せめて潔く辞めることで、多少は太っ腹なところを見せたらどうだろうか。 ●5月30日 だいぶ先だが、東御市梅野記念絵画館で望月通陽が開催される。 9月4日から10月23日の会期である。 美術館の年間スケジュール・パンフレットから引用させていただく。 型染、装丁、版画、木彫、ブロンズ、陶・・・ジャンルを超えて活躍されている作家。 自在に走る線は観る人をそのままに詩の世界へと誘う。 2つの展示室を通しで開催、多才にして多彩なモチヅキワールドを展開します。 と紹介されている。 前にも日記で紹介したが、この記念館は故梅野隆氏のコレクションをメーンに造られた美術館で、その多くが知られざる物故作家の作品である。 梅野氏の父親が青木繁、坂本繁二郎のパトロンとして二人を支えたが、最後はその散財が災いし、禁治産者となってしまうが、梅野氏も父親同様にその情熱で埋もれた物故作家の顕彰に努めた。 そのため企画展示も物故作家ばかりだったが、初めて現存の望月通陽に白羽の矢が立ち、秋の展覧会へと繋がった。 長野県上田の街から山に上がっていったところにあって、自然に囲まれた瀟洒な美術館である。 一度訪ねてみてはいかがだろうか。 ●5月28日A 日記ではあまり政治的なことには触れたくないが、昨日のオバマ大統領の広島訪問の演説は素晴らしかった。 「71年前、空から死が舞い降り世界は変わった」「あの日の朝の記憶は決して風化させてはならない」 この言葉だけで充分ではないだろうか。 核保有国が核廃絶を訴えるのは矛盾があるが、それでも広島訪問がその大きな契機となってくれれば、20万を超える犠牲者にも報いることになるだろう。 謝罪がないことに言及する人もいるが、演説の中に充分にその意が組み込まれていたし、被爆者の代表の方が、過去より未来に向けて一緒に頑張ろうと言って、大きな気持ちで大統領に接していたことも称賛に値する。 韓国や中国が過去に対しうるさいくらい日本に謝罪を要求してくるが、私たち日本人が過去に対して謝罪を要求すれば、彼らと同じレベルと思われても仕方がない。 私たち日本人は矜持を持って、未来に向けて世界平和の実現に向かうべきではないだろうか。 私は恥ずかしながら広島や長崎の被爆地を訪ねたことがない。 知覧の特攻隊基地を訪ねた折に感じた、平和の有難さと戦争が二度と会ってはならないの思いを、遅まきながらこの地を訪ねることで再確認してきたい。 原爆投下を正当化する米国の人たちも、一度広島、長崎を訪ね、戦争に正当性などあるわけがないことだけは知ってもらいたい。 ●5月28日 美術雑誌「アートコレクターズ」の今月号で「こわかわいい」木彫を制作する中村萌が、子供達の間で大ベストセラーとなった「こびとづかん」の作者なばたとしたか氏との対談記事が掲載された。 「こびとづかん」と言っても多分小さな子供や孫がいないと何のことかわからない人が多いのでは。 だが、子供たちにとってはポケモンや妖怪ウォッチ同様に大人気のキャラクターで、づかんに出てくる不思議な生き物「こびと」を森の中で探したり、捕まえたり、観察したりといった遊びが大流行している。 私の孫も「カクレモモジリ」「クサマダラオオコビト」「リトルハナガシラ」など舌を噛みそうなこびと達の名前がすらすらと出てくる。 そのキャラクターも「きもかわいい」こびと達で、中村萌の「こわかわいい」に通じるものがあるのだろう。 そんなこともあって編集部の企画で対談が実現することになった。 中村萌も台湾のトイショー「モンスター台北」の主催者からの依頼で毎年フィギュアーを作っている。 オリジナルの木彫をもとに香港で作ってもらっていて、樹脂製にもかかわらず、見た目は木彫と変わらず、「モンスター台北」では大人気で、昨年は150エディションだったが、ほとんどが会期中に売れてしまった。 今年の「モンスター台北」では中村萌の特別展が予定されていて、会期中7万人の人が押し寄せる大イベントだけに、その注目度も一層高まるのではないだろうか。
●5月27日A 明日から6月11日まで富田有紀子展が開催される。 VOCA展の奨励賞を受賞以来花びら、果実などをテーマに大きく変貌を遂げてきたが、今回は赤い球体、青い球体、緑の球体にバックの風景を織り込みながら、リアルな質感とともにダイナミックに表現をしている。
GT2でも明日から6月11日まで佐藤温展が開催される。 独学で発表を続け、日本橋高島屋美術画廊Xにて個展をした折に美術部の方から紹介され、私どもでの一昨年の個展に繋った。 個展やフェアーで上海、台湾、香港などの著名なコレクターの目にもとまり、来月には上海でも個展が開催されることになった。 昭和レトロと未来とが混在した不可思議な都市の崩壊をイメージのままイラスト風に描いている。
●5月27日 古希展のことを日記に書いたが、70歳となると響きはかなりの年寄で、いよいよそんな歳になったのかと改めて思い知らされる。 一昨日も電車で若い女性に席を譲られて、格好つけて結構ですといったが、いつもは空いていれば率先して優先席に座っている。 世の中は70歳になると優しくなる。 まずは厚生年金保険料が免除になる。 次にゴルフ利用税を払わなくて済む。 都営交通の都バス、都営地下鉄、都電などの無料パス(一万円ちょとは利用者負担)がもらえる。 他にも飛行機やJRなど諸々の特典があるようだ。 こんな特典を利用出来るのが嬉しくもあり、寂しくもある。 来週は車の運転免許の書き換えもあるが、ここでも70歳を超えると高齢者マークの私は枯葉マークと言っているが、もみじマークが支給される。 これを車に貼ると道を譲ってくれるとかであれば、喜んでつけるのだが、装着している車はノロノロ走っていたり、認知症で運転しているのではと疑われたりで、勇んでつける気にはなれない。 そんな強がっていても、アクセルとブレーキを踏み間違えたり、逆走の危険もある。 実際昨年の秋には高速道路で無意識のうちに眠ってしまい、側壁に車をぶつけてしまったことがある。 これからは70歳に相応しい佇まいと行いを心掛けなくてはいけない。 ●5月26日 久しぶりにコレクターのT氏が作家のOさんを伴って画廊に見えた。 85歳を過ぎていて、持病もあるので心配していたが、お元気そうで何よりであった。 Oさんの支援者でもあるT氏だが、Oさんの大量のドローイングを発表する場所を探していて、私のところでその発表ができないだろうかとのこと。 Oさんとは40年以上前になるだろうか、シロタ画廊での初個展を見て、その時の案内状になった作品が欲しくて、アトリエを訪ねたことがあった。 100号の作品で、アンリー・ルッソーに似た幻想風の奇妙な動物達がいる絵であった。 残念ながら交渉は不成立で、その作品を手に入れることができず、その後のお付き合いもなくなってしまった。 Oさんはその後安井賞を受賞するなど目覚ましい活躍をし現在に至っている。 そんな最初の縁もあるし、T氏の依頼でもあるので何とかいしてあげたいのだが、来年いっぱいまでの予定が詰まっていて、すぐにやるのは難しく、今後調整して時期が合えば是非やってあげるつもりでいる。 ●5月24日 夏の暑さが続く。 こんな具合だと夏本番が思いやられる。 画廊の展覧会も今日で終わる。 成果は出なかったが、私はいい展覧会ができたと喜んでいる。 特に岩田ゆとりの展覧会は多分売ることは難しいと最初から予想はしていたが。 今風の美人画でもないし、かわいい系でもなく、なんせ顔も布で覆われたり、手で隠されたり、ほとんどが顔から下を書いていたりで、今の流行とは程遠いところにある。 丁寧に描くでもなく、油絵の具を水彩のように使い、大胆なタッチでありながら、さらっと描いている。 一般受けするとは思わないが、こうした個性のある作家を高く評価していただけないのが何とも残念である。 ただこうした描き方をする作家はヨーロッパに多く、マルレーネ・デュマスやエリザベス・ペイトン、セシリー・ブラウンといった著名なアーティストもその類に入るだろうか。 釜山のフェアーも終わったが、その前の香港などもそうで、東京のフェアーで見かけるような美人画はまず見かけない。 殆どが抽象で、具象でも絵の具の塊で描くような作家や荒いタッチで描く作風が圧倒的に多い。 以前は中村正義、小山田二郎、平賀敬、長谷川利行といった個性的な人物画を描く作家がいて、その反対側に東郷青児、宮永岳彦、鶴岡義雄、中山忠彦といった装飾的な美人画を描く作家がおり、市場はどちらかというとそうした美人画系に人気が集まっていたようだが、時が過ぎると東郷はまだ独特の個性で評価はあるが、そうした傾向の作家たちは市場では片隅に追いやられてしまい、当時相手にされなかった個性ある作家の評価の方が高くなっている。 若冲展の異常な人気を見ても、異端の作家に注目が集まり、装飾性の高い一時の人気作家の影は薄い。 流行作家は消え、未評価だった作家に目が行くのが世の常で、コレクターの方にも多少へそ曲がりの人がいてもいいように思うのだが。 岩田ゆとりの評価があまりされないこともあって、僻みっぽい日記になってしまった。
●5月23日 夏のような陽気。 画廊では6月16日から22日まで開催される90名の作家さんによる私の古希とギャラリーの35周年の記念展の準備に追われている。 と言っても殆どは発起人の金井訓志さん、山本麻友香さんがやってくれているのだが。 既に案内状やパーティーのお知らせは出来上がっていて発送を待つだけだが、画集も皆さんで作ってくれることになっていて、画像やプロフィール、コメントなどをみなさんが寄せてくれているが、写真の撮り直しやまだ資料が送ってきていない方への催促などで忙しくしている。 私だけ暢気に構えていて、画集の完成と展覧会の始まりをひたすら心待ちにしているだけである。 少しだけ、挨拶文や画像、コメントを垣間見たが、有難くて涙が出そうになる。 今からこうでは、恐らくオープニングパーティー当日はうれしさのあまり我を忘れ、頭が真っ白になってしまうだろう。 もともと頭が白いのでそんなことはないとの声も聞こえるが、どちらにしても感謝感激うろたえるばかりで、当日の私は全く使い物にならなくなっているだろう。 心配なのは雨男の私のこと、それも梅雨入りしていると思うので、当日が大雨にならないことを祈るだけである。 今から斎戒沐浴、行いを正し、当日の雨の神様のご機嫌を損ねないようにしなくてはいけない。 ●5月21日 久しぶりに朝から画廊。 溜まった名刺の整理や経費の精算をしなくてはいけない。 ボケが進んでいるせいか、名刺の名前だけではどんな人だったか思い出せない人が多いし、領収書で誰を接待したかがなかなか思い出せない。 すぐにやればいいものを溜めておくからこういうことになる。 郵便物も溜まりに溜まっているし、案内状も目を通すのも面倒くさい。 一番困るのは大量のオークションカタログである。 分厚いし嵩張るだけである。 > 捨ててしまえばいいのだが、処分の依頼があった時の査定価格の参考にしたり、探している作品があったりするので、そう簡単には捨てられない。 カタログ類もそうで、次々に送られてくるカタログやパンフレットもせっかく作って送ってくれたものだけに、むげには捨てられない。 となって机の周りはオークションカタログと案内状、パンフレット、手紙類であふれかえっている。 私のところから送る案内状などもすぐに捨てられたしまうのだろうが、中にはファイルして丁寧に保存してくれている方もいる。 有難いことだが、私も以前はファイルこそしないが、気になる案内状やパンフレットを取っておいたことがあるが、結局次に目を通すことはなくただただ溜まるだけで、置き場所もなくなり止めてしまった。 家でも以前は映画を録画したビデオテープが600本くらいあり、その中には一つのテープに3本の映画を録画したものも多く。恐らく1500近くの映画を録画していたと思う。 これを毎日見ていたら4年くらいかかってしまうことになり、その間もどんどん録画するわけだから、溜まる一方で、見るために録画するのではなく、ただ録画するためだけに毎日予約をしていたことがあった。 母親が亡くなり、大量の遺品を整理しなくてはならず、途方に暮れていた時に、子供たちも同じことを思うだろうと、溜めていたビデオテープを母の遺品とともに思い切り捨ててしまった。 整理上手、捨て上手の人が欲しい。 ●5月20日 釜山から東京へ。 慌ただしい日程だが、東京の仕事も溜まっているので、一足先に帰ることになった。 釜山は夏の陽気だったが、成田に降りると曇っていて肌寒いくらいである。 いつもはリムジンバスか成田エクスプレスに乗るのだが、画廊に寄ることもあって初めて京成スカイライナーに乗った。 何と上野まで40分ちょっとで着いてしまった。 便利になったものである。 それでも羽田に比べると遠い感があり、出来るだけ羽田発の飛行機を取るようにしているのだが、釜山へは羽田発がないので仕方がない。 ただ釜山エアーを使うと往復で二万円前後しかかからない。 大阪に新幹線で行くよりも安く、焼肉やフグなど料理も安くて美味しいし、風光明媚なところだから、ちょっとした小旅行には釜山はお奨めである。 夏は海水浴客でいっぱいになるが、春は桜もきれいで観光には絶好のシーズンである。 時差もなく2時間くらいで行ってしまうので、空港での待ち時間や通関時間を入れても半日あれば着いてしまう。 私も11時発の飛行機だったが、3時には画廊に着いてしまった。 一度は仕事なしで行ってみたいものである。 ●5月19日
いよいよ午後からオープニング。 とはいえ人は少なく、香港、台北、東京と続いた人出はとても見込めない。 VIP対象の内覧会なのだが、それらしき人が見当たらない。 ようやく夕方になって、お世話になっているコレクターの方が見えるようになったが、それでも終了時間まで賑わうことはなかった。 会場が広すぎて、余計に少なく感じるのかもしれないが、それにしてもお客様の反応がなさすぎで拍子抜け。 ただ嬉しいのは来月に予定している私の古希の祝い展にフェアーで出会った作家さんや画廊さんわざわざ来てくれるという。 長い間韓国で仕事をさせてもらったが、親しくお付き合いをさせていただいた甲斐があった。 釜山のギャラリーウーさんもブースには私どもの作家が多数並び、まるで私の画廊がもう一つのブースを出しているようだ。 表向きは日韓は反日、反韓だが、アート市場においては、親日、親韓である。 アートに国境はなく、共通の価値観があるのだろう。 このあたりから諸外国との障壁が取り去れていったらいいのだが。 今夜はふぐちりのお店に行くことにした。 昨日の豚カルビやフグは食べきれないくらいのボリュームだが、それでも一人2000円ちょっとで済むから、みんなにご馳走しても大したことがない。 これが日本だと大変で、古希展に来てくれる韓国の人たちの接待はかなりの出費を覚悟しなくてはいけない。
●5月18日 釜山到着。 快晴ですでに夏の陽気。 会場は同じBEXCOだが、従来とは別のビルで開催される。 これがめちゃくちゃ広い。 東京のフェアーが狭かっただけに、余計に広く感じる。 通路の幅だけでも東京のブースが二つは入る。 去年までは一階と三階に分かれた会場だったために、不公平感があってここの会場に移したのだろう。 広すぎて自分のブースが見つからない。 ブース代も東京の倍の広さで、東京の半分位である。 ソウルのフェアーKIAFは毎年値上げしてきて、かなり高くなっているが、同じ韓国でも釜山は格安である。 釜山市の支援があるのだろうか。 台北や香港もかなりの高額で、若い作家の作品をいくら売っても追いつかないのだが。 ただそうした都市に比べて、アート市場は小さく、釜山の売り上げはそれほど期待はできず、ブース代と売り上げがちょうど良い頃合いなのだろう。 前日到着しているスタッフや作家さんとともに展示を終え、まずは腹ごしらえ。 牛ではなく、今夜は黒豚カルビで有名なお店に行く。 厚切りのたれをつけず黒豚本来の素材で食べさせてくれるカルビが美味で、全く臭みがない。 たれに浸した肉も出てくるが、タレ無しが圧倒的に美味しく、釜山に来る楽しみがまた一つ増えた。 恒例の作家さんや韓国画廊さんの二次会はとても付き合ってられないので、12時前には部屋に戻って、明日に備えることにした。 それにしても韓国の人は元気だ。 >
●5月17日 2ヶ月ぶりに床屋に行ってきた。 ゴールデンウィークを挟んで、内外のフェアーや公式行事が続き、昼飯もろくに食べれない日が続いたが、明日から釜山に出かけるので、夕方にようやく時間ができて行ってきた。 去年の夏から鬱陶しいので、スポーツ刈りにしてもらっているが、それでも2ヶ月も経つと耳に被さるくらいに伸びていた。 日本橋にあるこの床屋は移転前の画廊の目の前にあり、それ以来だから35年近く通いつめていることになる。 常連客ばかりの床屋で、一見さんが来ると機嫌が悪い。 家の近くにある行きつけの寿司屋もそうで、一見さんが来ると、空いているのに今日は予約で一杯と言って追い返してしまう。 馴染みだけでやっていけるからいいが、客商売というのはいつまでもいい状態が続くわけではなく、昨日も書いたように時代の移り変わりで、どう変化していくかわからない。 客筋がいいと鼻高々になって、気がつくと誰もいなくなってしまうことが往々にしてある。 マスコミに大きく取り上げられている清原にしても野球をしている時と辞めてからのギャップに適応できずに、その寂しさと虚しさからこういう事態になってしまったのだろう。 床屋や寿司屋の親父さんもとてもいい人なのだが、それでも自分を見失ってしまうようだ。 常に謙虚であれ、床屋や寿司屋の親父さんを反面教師に自分を諌めなくてはいけない。 ●5月16日 日本版画商協同組合の総会。 組合員の高齢化で組合員の数がだいぶ減ってしまい、一時からすると40パーセント減となってしまった。 どこも同じで、私が所属するロータリークラブも四十年前に入った当時に比べると半分となってしまい、私どものクラブだけでなく、どのクラブも会員増強に苦慮をしている。 逆に増えているところもある。 一昨年発足した現代美術商協同組合だけは会員数を伸ばし、100名を超える勢いである。 ただこうした現代美術商が私が理事として入っている全国美術商連合会に加盟するかというとそうでもない。 全美連は古美術商、近代美術商所属する五都の美術倶楽部のメンバーが圧倒的に多く、会員数は2000名を超えるが、勢いのある現代美術商はなかなか入ってくれない。 美術倶楽部と現代美術商の温度差があるようだ。 私も実は役員になっているが、東京美術倶楽部の会員ではない。 以前は私も今の現代美術商と同じように美術倶楽部が敷居が高く、保守的、権威的と思っていたが、実際中に入ってみると、業界のためにこれほど活動している美術団体はない。 おそらく今進めている文化庁を文化省への格上げ、文化税制改革、文化支援などのための行政改革などは、自分たちのジャンルである古美術や近代美術よりは現代美術商が恩恵を得る度合いが高いのだが、その辺の理解が足りない。 また、そうしたことを実現するためには、政治家やお役人に対してのロビー活動も必要だが、それも自分たちの利権につながるのではと思われている。 実際は手弁当でこうした人達と接し、理解を得るための運動をしているのだが、その辺の理解が得られないのは残念である。 50年私を育ててくれた業界への恩返しと思い、積極的にお手伝いをしていて、こうした活動が業界全体でされることにより、日本の文化政策の遅れを取り戻せると思っているのだが。 ●5月14日 アートフェアーも無事終了。 最終日も大勢の人で賑わった。 主催者の発表では5万6千人の入場者があったそうである。 売り上げの方もざっと見た感じでは売れているところは完売に近いところも多く、売れていない所は全くダメといった両極に分かれていたように見えた。 人気は今流行りの日本画風美人画で、これはどこでも殆どといっていいほど売れていた。 逆に抽象系は赤マークを付けない所も多いので、何とも言えないが、あまり売れているようには見えなかった。 また、海外の画廊はどこもさっぱりといった感じで、日本は相変わらずドメスティック市場には変わりはない 。 私のところは大作が初日に何点か売れた他はちらほらで、その殆どがうちに見えるお客様に買っていただいていて、出た甲斐があったかどうかの判断は難しいところである。 ただ多くの人に私どもの作家を知っていただき、ここで関心を持っていただいた人が画廊に来るように期待をするのだが、以前の経験でいうと、フェアーで出会った人がリピーターになることは殆どなかった。 その点海外のお客様、特にアジアのコレクターや画廊が多く来ていて、かなり買う気で来ているのがわかる。 こうした人たちとは、その国のアートフェアーでまた出会うことになり、次に繋がるはずである。 ちょうど若冲展が長蛇の列で3時間待ち、今回のアートフェアーの盛況を見ると、日本人がアート好きなのは間違いない。 ただコレクターになるかどうかが問題である。 一つ苦言を呈したいのは、100KINと銘打って、100万円まで償却資産として認められたことに伴い、法人需要を期待したコーナーであったが、残念ながらその効果は今一つだったようだ。 そのコーナー自体がわかりにくいのと、価格が表示されていないのがまず問題である。 法人の人たちはコレクターと違いそれほどアートに詳しくないわけで、100KINと書いてあれば、どれも100万円と思ってしまうだろう。 またそう思わなくてもどのくらいの値段かはわかるわけがない。 なぜ価格を表示しなかったのか、企画倒れに終わったように思えて仕方がない。 それと国際フォーラム側の都合だと思うが、土曜日が5時、日曜日をやらないでは、お客さん目線とは思えないし、VIPと一般と入場時間を違えているのもややこしい。 VIPの入場は内覧日だけでいいのではないだろうか。 あまり言うとうるさい爺と思われるので止めておくが、色々な課題を次に生かしてほしい。 水曜日から釜山のアートフェアーに出かける。 日曜日も画廊に行って、その準備をしなくてはならず、休む暇がない。 また釜山のフェアーの状況を現地からお伝えさせていただく。 ●5月13日 今日からアートフェアーと画廊の展覧会に専念できるつもりが、昨日遅くまで飲んでいたインドネシアのエドウィンが、画廊が開くと同時にやってきて、しばし歓談。 午後から秋葉原に行くらしく、有楽町の駅まで送り、ようやく会場へ。
昨日のシンポジウムの様子を柳画廊の野呂洋子さんが紹介してくださったので、引用させていただく。 APAGAシンポジウム 2016年5月13日 昨年度はG1サミットへの参加のため、アートフェア東京をお休みいたしましたが、今年のアートフェア東京には参加させていただきました。 その中で面白いシンポジウムがありましたので参加してまいりました。 APAGAというAsia Pacific Art Gallery Alliance という台北、 北京、韓国、香港、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、日本の8都市の各画廊協会による組織です。その中の5都市、台北、ソウル、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、日本の代表が集まってのシンポジウムでした。 日本の代表は椿原弘也さんです。基本的にアートフェアも含めて、現代アートの組織ではありますが、日本は古美術から近代絵画も含めた幅広いジャンルを扱う全国美術商連合会という組織の代表として椿原さんが会に参加されています。 初めに、今年の3月まで文化庁長官をされていた青柳さんが基調講演をしてくださったのが非常に印象的でした。 世界の美術市場に対して、アジアのマーケットはまだまだ非常に小さい。その中で、中国が多少水増ししているかもしれないが、日本円にして2兆円という市場があるということです。 それに対して、文化水準や経済水準を考えても日本の美術市場が3000億円という数字はあまりに貧弱なのではないかということです。この数字をなんとか、日本の経済規模と文化の豊かさを考えれば少なくとも1兆5000億円くらいにはなるのではないかと考えています。 そういう意味で、このAPAGAという組織ではアジア共通の市場を作ることで韓国の代表の方は政府に対して美術品優遇の政策提言をされているということでした。また、台北代表のリックさんも昨年度、業界の声として、美術品取引に関して優遇措置をとってもらうことに成功されたと報告されておりました。 同時にシンガポールの画廊協会の代表のベンジャミンさんは、画廊の倫理規定委員会を国で組織されたことと、研究機関として美術品取引の数字を把握するための調査をしているということです。 明らかに、これらの国の取り組みと現状を考えると、最もポテンシャルが高く最もこのAPAGAの組織から学ぶことが多いのが日本なのだと感じました。アジアの平均並みに文化に取り組む意識があれば、日本の美術品市場は大きく活性化するのは間違いなく、日本の市場が活性化すればアジア全体にも大きく貢献することができると思っています。 文責 野呂洋子 ●5月12日 昨日のAPAGA会議に続いて、10時半から東京国際フォーラムD1でアートサミット2016の一環として、APAGAシンポジウムが始まる。 アートフェアー東京の主催で司会をエグゼクティブディレクターの来住氏が務める。 来住氏がテレビ局のディレクターだったこともあって、大げさな演出があり、会場外から一人づつ呼ばれて、会場を拍手と共に歩いて登壇をしたり、終わってボードに登壇者がサインをして、それを持ってたくさんのカメラに囲まれての記念撮影とまるでタレント並みである。 2時間ほどのシンポジウムを終え、昼食会場へ。 次のアートフェアーシンポジウムに出席する国もあって、全員が揃うことはなかったが、財務省の方が同席したこともあって、会議やシンポジウム以上に税制や文化支援 の話で大いに盛り上がった。 かしこまった席よりはこういう席の方が有意義な話が聞けるようだ。 夜はウエルカムパーティーが汐留のパークホテルで開かれた。 大勢の人が集まったが、私に挨拶と乾杯の音頭を取れということで、これまた壇上に上がり、スポットライトのあたる中でやらされる羽目になった。 10時過ぎにようやく二日間のイベントが終わり、どっと疲れが出てきた。 インドネシアのエドウィンさんをホテルに送り、これで一段落と思いきや、新宿に飲みに行こうとなったが、下戸の私は明日のフェアーがあると言って何とか勘弁してもらい、ホストの役目も何とか終えることができた。
●5月11日 アートフェアーとアジアパシフィック画廊協会会議が同時に始まった。 まずは東京美術倶楽部にて会議が予定されているが、それに先立ち倶楽部の新緑に包まれた庭園を見ながら、吉兆のお弁当を食べていただいた。 その後、庭園横にある茶室で茶を嗜んだいただく。 各画廊協会の代表もこうした自前のビルを持ち、広い展示場やオークション会場、重文展示室、そして庭園や茶室を備えていることにただただ驚いていた。 これも百年を超える美術商の歴史のなせる業である。 会議は会議場に場所を移し、私が司会を務め私達が外に向けて何をすべきかについて熱心な討議がなされた。 各国の協会の在り方の違い、文化の違いなどを踏まえ、まずは各国の情報を共有し、その情報を外に向けて発信をすることから始めようとなった。 そのために、秋に開催される韓国と台湾のアートフェアーで具体的な作業に入ることにした。
> 会議を終えてアートフェアー会場に移動。 スポンサー会社の一つメルセデスベンツ社が送迎用にベンツを四台用意してくれていて、各国代表やその随員達もそれに乗って移動。 フェアーはすでに4時から始まっていて、ファーストチョイスというスーパーVIPだけの内覧会。 6時からは一般VIPというとへんだがその人達も入場できる。 かなり賑わっていて、前年より多いようだ。 私のところは滑り出し好調で大作が三点ほど、それ以外も何点かが売約となった。 日本のアートフェアーは久し振りで、海外に比べてたいしたことないのではと侮っていたが、大作も売れて、なかなかのものと考えを新たにした。
●5月10日 休みも明けて、今日から画廊では二つの展覧会が始まった。 まずはGTUでは今回で5回目となる北村奈津子の個展。 彼女は多摩美の油絵科を出ているが、卒業後は立体を中心に活動していて、私どもでも立体の発表が続いている。 その発表も彼女は常にテーマを設け、羊の群れであったり、ヒーローたちの大群衆、ぶら下がりをテーマに手長猿や蝙蝠などを並べた作品群など毎回どんなものが出てくるか楽しみにしている展覧会である。 今回はテーマは山である。 数えきれないくらいの山が並べられ、ちょうど窓越しに見える新緑の木々と見事にマッチした展示となっている。 この山は帽子型になっていて、山田がそこにあるから登ると言われるが、彼女は山があるから被るんだというコメントを添えている。 >
もう一つのスペースでは、初めての個展となる岩田ゆとり展である。 大胆な筆致で描く人物像はどちらかというとヨーロッパの作家たちに見られる表現方法である。 私のところの作家の多くは深いマティエールを得意とする作家が多く、岩田のようにタッチで描く作家は珍しい。 おそらく私の好みがそうしたマティエールの美しい作品に惹かれるからだろうが、岩田の作品をある小さな貸画廊で見たときは、私の好みを乗り越えて、薄塗りで荒いタッチだが、表現力のある作家だなと一目で魅かれた。 今の絵画の潮流からすると、大向こう受けする作家ではなく、夏目麻麦や佐藤未希といった派手ではないが、作品とじっと対峙して見てみたいと思わせる作家の一人ではないだろうか。 おそらく日本よりはヨーロッパで高い評価を得られる作家かもしれない。
そして明日からはAPAGA会議とアートフェアー東京も始まる。 アートフェアー東京の出品作の100号に予約が入り、まずは幸先良しである。 ●5月1日 今日からお休み。 ゴールデンウィークらしい爽やかな天気。 明日から一週間に6回のゴルフを予定していて、1日だけお休み。 男子ツアープロでも試合は4日だからプロ以上でプロ超えを目指そう。 行く前に中野ブロードウェーで開催中の桑原弘明展を見に行く。 ここにあるギャラリーは江戸川競艇場が経営している。 江戸川競艇場にはミニミュージアムがあって、桑原弘明コーナーがある。 そんな関係もあってここでの開催となった。 中野ブロードウェーはお宅族のメッカでマンガとかフィギュアを目指して来る人ばかりで、こうした高額の美術品に興味を持つ人かいるのかと思っていたが、かなりの人が見に入ってくる。 作品の人気も相変わらずで、今回は場所柄早くから並ぶことができないので抽選にしたそうだが、作品3点に対しすでに10人を超える申し込みがあるようだ。 従来の画廊に見えるお客様とは違うお宅族が新たなファンに加わった。 ここの企画も頼まれているが、テーストが違うと躊躇していて、企画を提案することはなかったのだが。 ちょっと考えを変えなくてはいけない。 ●4月30日 邦楽などの芸能、演劇、美術、音楽、映画などの各分野の16団体で構成されている「文化芸術推進フォーラム」というのがあって、我が全国美術商連合会もその一員である。 この団体は創設以来、日本の文化芸術立国実現のための様々な文化政策の拡充を提唱・活動をしている。 その一環として「五輪の年には文化省」を提唱し、シンポジウムを毎年開催していて、諸外国並みに文化担当大臣を設け、2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに文化省の創設を目指している。 省に格上げされることで、文科省から離れ、単独で文化行政に専念でき、予算の配分も大きく変わってくる。 そうした予算を文化財保護や国立美術館の購入予算の拡大、伝統芸能や現代芸術の育成支援に廻すことで、日本が文化先進国の仲間入りすることを目指している。 また我が国の文化芸術政策が関連産業の振興、観光、国際交流などの波及効果をもたらすことになる。 世界の耳目を集める東京オリンピック・パラリンピックの年こそ絶好の機会と捉え、積極的な活動を展開することになった。 こうした活動を継続拡大し、合意形成へ向けての環境整備をするには、それ相応の資金が必要で、そのためにこの秋にキャンペーンイベントを開催することが決まった。 加盟団体の全国美術商連合会と日本美術家連盟では、キャンペーンの一環として美術作品の展覧会を開催することになった。 同時に邦楽やクラシック、舞踏などの公演、映画会なども予定されていて、この秋を大いに盛り上げようということになった。 ようやくその趣意書と依頼作家リストが出来上がり、各関係画廊からリストアップされた先生方に出品のお願いをすることになった。 私は現代美術作家を担当することになり、世界の草間弥生や村上隆、奈良美智、オノヨーコなど70数名の作家に参加を呼びかけることになった。 工芸、日本画、近代洋画を合わせると200名を超えるアーティストがラインアップされている。 連休に入っていることもあって、休んでいる画廊も多いが、取りあえず今日は数軒の開いている画廊を廻り、趣旨の説明と出品の依頼をお願いしてきた。 詳細については改めてお知らせさせていただく。 明日から8日まで画廊もお休みを取らせていただき、10日から岩田ゆとり、北村奈津子の個展を私どもで開催し、翌日からはアートフェアー東京に参加することになっているので是非ご覧をいただきたい。 フェアーはN17のブースでお待ちをしている。 休みの間は日記もお休みをさせていただくのでご了承いただきたい。 ●4月29日 今日からゴールデンウィークだが、開催中の西本正個展が30日までとなっているので連休返上で開けることになった。 さすが大企業の社長だったこともあって、連日大勢の方が画廊に詰めかける。 前回の大石展もそうだったが、画業一本でやってきてはこうは人は来ないだろう。 実社会に出ている方と地道に画業に励んでいる方とは人との出会いの度合いが違う。 さてそんな中、連休明けに開催されるAPAGA会議の通訳をお願いした大島明氏と打合せ。 以前から懇意にさせてもらっている寺田倉庫のアートディレクター・藤原小百合さんの紹介である。 大島氏はアメリカで生まれ、高校卒業後ハーバード大学で博士課程まで進み、博士論文の研究テーマ・日本文化と文学、特に歌舞伎の一環として日本舞踊と清元の稽古を始め、清元志麿太の名前を許され、明治座で初舞台を踏むまでになった才能豊かな人である。 現在は上智大学や東京国際大学などで日本文学と演劇(歌舞伎・能・文楽)を英語で教えている。 日本文学や伝統芸能に関する著書も多く、APAGA会議に出席するアジア諸国の皆さんにも現代アートだけではなく、日本の伝統文化を知っていただくいい機会となった。 会議が開催される東京美術倶楽部には茶室や重要文化財展示室もあって、そこでお茶をたしなんでいただいたり、日本を代表する美術品も見ていただくことになっていて、そうした意味でも格好の通訳を紹介してもらい、英語に自信がない私もほっとしている。 ●4月28日 連休が明けた11日からアートフェアー東京が東京国際フォーラムで開催される。 私のところも今回初めて参加することになった。 前身のアートフェアーNICAFには何回も参加していたが、新しい組織になってからはGT2のような貸しスペースがある画廊は参加できなということになり、NICAFに参加していたシロタ画廊やグラフィカといった老舗画廊とともに私のところも参加できなくなっていた。 貸しスペースと企画スぺースを別会社にすれば参加できると言われたが、アートフェアー東京に参加するためにだけ、別会社を作るのもバカらしいので、それからは参加することはなかった。 今回新たに就任したエグゼクティブ・プロデューサーから私が日本側の座長していているアジア・パシフィック画廊協会会議(APAGA)とタイアップしたいとの申し出があった。 会議にいくつかのスポンサーを付けてくれることになり、更には12日に国際フォーラムで APAGAの公開シンポジウムも開催してくれることになった。 そうなると私のところはフェアーに出ないわけにはいかず、以前のいきさつは水に流し参加することになった。 というわけで、今回の参加作品の一部を紹介させていただく。
●4月27日 香港・台北とフェアーが続き、その間画廊での展覧会も毎日大勢のお客様が詰めかけ、更には昨日のミニコンサートも画廊いっぱいのお客様がお見えになり、息する暇もないくらい忙しい日が続く。 連休明けには私が座長となるアジアパシフィック画廊協会の会議と公開シンポジウムが予定されていて、その準備にも忙殺さるている。 同時にアートフェアー東京に初参加することになっていて、終わるとすぐに釜山のアートフェアーが控えている。 そんなわけで、連休の休みを1日から8日まで取らしていただき、その間ゆっくりしようと思っている。 天気がいいことを願う。 ●4月26日 今日からロータリークラブの敬愛する先輩であり友人の西本正氏の個展を開催する。 西本氏はKDDIの社長・会長を務めた人だが、大会社の偉い人は思えない謙虚で物静かな紳士である。 定年後に始めた水彩画と漢詩だが、80歳の傘寿を迎え、ぜひ私のところで発表をしたいと頼まれた。 私のところはプロの発表しかしていないが、人柄にほだされ1週間だけ私どもでの発表を承諾することにした。 西本氏には私のところでやるということはプロ並みとということになりますよと伝えると大いに恐縮をされていた。 重ねて、奥様も77歳の喜寿を迎えるそうで、長い間声楽を習っていて、77歳とは思えない美声の持ち主で、初日の今日5時からオープニングに合わせてソプラノのミニコンサートを開くことになった。 そのためには伴奏のピアノが必要だが、私どもの入口には階段があって、とても入りそうもないが、コンパクトグランドピアノがあるそうで、それを専門の業者に運び込んでもらうことになった。 その上に調律もしなくてはならず、大ごとになってきた。 更に、GT2でお嬢さんの絵付けの陶器も飾ることになり、一家上げての大イベントとなった。 連休が始まる30日までの開催で、いつも来ていただくお客様はびっくりするかもしれないが、友情の一環ということでお許しいただきたい。
●4月25日 木曜日から留守をしていたが、画廊の二つの展覧会も好評で、売り上げも予想以上の成果が上がり、土曜日無事終了した。 特に初めての大石展はサイズも全て40号と大きく、テーマも一般受けするとは言い難かったが、半分以上の作品が売約となった。 彼は会社経営をしていて長いブランクがあったが、その遠回りが逆に作品に活かされたのかもしれず、多くのファンをつかむことができた。 ヤングアート台北も昨日で終了し、その結果が送られてきた。 こちらもびっくりするくらいの売り上げがあり、持って行った立体作品は全て完売となり、平面作品も殆どが売れたという報告にただただ驚いている。 毎回ヤングアート台北に参加しそれなりの成果を上げているが、これだけの成果が上がったのは初めてで、恐るべし台湾である。 香港が悪かっただけに、しばらく活気のなかった画廊も一気に明るくなった。 さて来月はアートフェアー東京、この勢いが続いてくれるといいのだが。 ●4月23日 初日を終え、一足早く帰国することに。 昨日の盛況で、心置きなく帰ることができる。 台湾の人口は2300万で日本の約6分の1である。 その少ない人口でコレクターは日本に比べて圧倒的に多いように思う。 先日、東京のパークホテルで開催されたホテルアートフェアーの初日に出かけたが、人影はまばらで、売上もそれほどではなかったように見えた。 韓国もアート好きの人が多く、アートフェアーもソウル以外の都市を含めると16もあるが、そのどれも多くの人が詰め掛ける。 日本では来月開催されるアートフェアー東京があるが、それ以外は大阪・名古屋・神戸のホテルフェアーがあるくらいで、そのどれもが香港、韓国、台湾、シンガポールなどの規模にはとても及ばない。 アジアの先進国であった日本がアートの分野ではアジア諸国の後塵を拝し、インド、インドネシア、マレーシアにも遅れを取ろうとしている。 そのどの国も経済発展したとはいえ、格差社会であることは否めない。 日本も格差が広がっていると野党などは言うが、私には低所得者層はそれほど多いようには思えない。 そういう意味では日本は理想的な社会主義国家と言っていいかもしれない。 社会主義国家に文化は育つことは無いが、日本もアジア諸国に文化面で大きく遅れを取ってしまったことで、文化不毛国となることを懸念する。 ただ、日本全国の美術館でアジア諸国とは比べ物にならない内外の大規模な展覧会が開かれていて、そこを訪れる人も多い。 世界の美術館の展覧会で入場者数では常にトップファイブに入っている。 要は日本は見る人は多いが、買う人が少ないのだ。 今回のヤングアート台北でも初日のVIP内覧会の方が、一般公開よりも多くの人が詰め掛けるということは、それだけ買う気できている人が多いということである。 今回15軒の日本の画廊が来ているが(選考で日本の申し込み画廊の半分以上が落とされている)、来月のアートフェアー東京に参加するのはその半分以下である。 日本の画廊の多くが日本のアートフェアーに成果を期待していない証拠である。 同時に海外の画廊もほとんど参加しない。 日本の参加画廊にしても古美術、近代を扱う画廊が多く、現代アートだけではアジア諸国のような規模の大きいフェアーを開催することは現状では難しい。 悲観的なことばかり書くが、これが日本の実情である。 何とかしなくてはとの思いはますます募る。 ●4月22日A ギャラリー椿のブースの展示を紹介するのを忘れていた。 かなりの点数を持って行ったつもりで、それに加えて大和君の作品もあるので、果して展示できるか心配したが、ベッドに展示するための 下地の板を敷く必要もなかった。 それでもいつものごとく目一杯飾り、上品な展示には欠けるが、これも椿流でいいのかも。 ●4月22日@ アートフェアーが始まった。 今回でこのフェアーは10回目を数えるが、VIP内覧会にこれだけ多くの人が来たのは初めてではないだろうか。 1時半に始まり8時過ぎまでブースに人の途絶えることはなかった。 スタッフ達はトイレに行く以外はお客様の対応に追われ、お世話にになっているコレクターの方からの差し入れのコーヒーを飲む暇さえなかった。 お陰様で始まった途端に中村萌の作品が全て完売したのを皮切りに、次々に購入が決まり、30点以上が売れたのではないだろうか。 香港のフェアーが不調に終わり、今年のフェアーはダメなのかと心配したのだが、これで帳消し。 終わってのレセプションパーティーも盛会で、いつもと違って出される料理も無くなることがなく次々に運ばれてきて、夕食の約束を韓国の画廊さんとしているのだが、すでにお腹がいっぱい。 主催者の挨拶は、いつもお世話になっている台南のダーフォンギャラリーの陳社長がされ、最後に日本語で参加している日本の画廊に感謝の意を表し、併せて台南の地震の日本からの支援にお礼を述べるとともに、熊本の地震に対しても心からのお見舞いを述べてくれた。 こうした台湾と日本の変わらぬ友好関係がこのフェアーでも続くことを願うと締めくくってくれた。 私のブースの入り口にも、震災の度に心からの心配と支援をしてくれる台湾の人たちへの感謝の意を表したメッセージを貼り出している。 終わって、韓国のシンミギャラリーの朴社長が予約してくれた火鍋料理屋に向かう。 私はもうほとんど食べることができなかったが、連れて行ったスタッフや他の日本の画廊の連中はよく食べ、よく飲んだようだ。 当然日本の分は支払うつもりでいたが、すでに朴社長が済ませていて、いつものことながら厚いホスピタリティーにただただ頭が下がる。 台湾と韓国の多くの人の温かい心配りに思いを寄せて、今夜はゆっくりと眠ることができそうだ。 今日出会った全ての人に感謝しながら。
●4月21日 台北のアートフェアーが始まる。 昼前に台北に到着。 気温29度湿度92%といきなり真夏。 いつも通訳をしてくれるみどりちゃんと今回手伝ってくれることになった大和君と一緒に展示が始まる。 大和君は残念ながら今回の選考で参加が叶わず、彼が昨年から注文を受けていた作品を私のブースに展示してあげることにした。 その代わりにと会期中手伝いをかって出てくれることになった。 いつも遅くまでかかる展示も、強力な助っ人のお陰で早くに終わり、夕食に向かう。 去年食べて忘れられない角煮の店・金品茶廊へ。 ここは小籠包も有名なのだが、角煮が絶品。 蜂蜜で煮込んだ肉はとろけるようで、ハンバーガーのようにパンに挟んで食べる。 小籠包もミニ小籠包というのを頼み、他にもここの人気料理をいくつか食べて一同大満足。 これにビールを加えても一人1500円でお釣りがくるから驚きだ。 私はオープニングに出て土曜日には日本に帰るが、この調子だとまた体重計に乗るのが怖い。 ●4月20日 明日から台北へ。 明後日から台北のシェラトンホテルでヤングアート台北が始まる。 秋に行われるアート台北の前哨戦ともいえるフェアーで、ここでどういう作風が受けるかを見て、秋の本番に出品する作品を決めている。 ホテルの一室が各参加画廊のブースになっていて、日本を始め海外でもこうしたスタイルのミニフェアーは多い。 例年はホテルの2フロアーを使っていたが、今年は1フロアーとなり、毎年参加している日本の画廊の多くが選考から外れた。 1フロアーになった分だけ、お客様に2フロアーを上がったり下がったりせずに、じっくりと見てもらえるので、参加できた画廊にとってはありがたいことである。 親日国の台湾からは早々に熊本の地震に対して義援金が送る旨を伝えてきていて、有難いことと心より感謝をしている。 2月の地震に見舞われた台南や高雄の市長や野党・民進党の議員がひと月分の給料分を寄付してくれたり、馬総統も50万ドルの追加支援を決めた。 何のお礼もできないが、台湾のこのような温かい支援に対して、フェアーにおいて何らかの形で感謝の意を表したいと思っている。 多謝・台湾
●4月16日 熊本が大変なことになっている。 これだけ大きく長く続く地震は滅多にないのでは。 被災された方や避難されている方は、余震のたびに不安がつのっているに違いない。 水道や電気が止まり食料が不足していて、何とかしたいと願うが、交通網や道路が寸断されている現状では救援に駆けつけたくてもそう簡単にはいかないだろ。 月曜日にロータリークラブの会合があるので、そこで義援金などの話があると思うが、私達ができるのはそれぐらいのことしかない。 現地で救援活動をされている自衛隊や消防、警察などの皆さんのご苦労も大変だと思うが、一日も早く復旧できるよう頑張っていただきたい。 地震国の宿命なのだが、そのたびに自然の猛威の前に人間の無力さを痛感させられる。 そのための備えだけでもしっかりとしておかなければ。 ●4月15日 今日は暖かくなり、散歩がてら代々木公園を抜けて原宿から画廊に向かう。 あれだけ咲き誇っていたソメイヨシノもすっかり散ってしまい、牡丹桜が次の出番と花を咲かせている。 鮮やかな色彩はチューリップで周りの緑との対比がなんとも美しい。 画廊も贈られてきた花と二人の華やかな色彩の作品とが相まって、春爛漫となっている。
●4月14日 今日は日本現代版画商協同組合の春季大会。 私のところは今年は例年に比べて売り上げが今一つで、香港のフェアーも惨敗と厳しい状況で、アベノミクスも一億総活躍時代もちっとも私のところにはやってこない。 組合も3月が年度末だったが、こちらの収支も昨年までと比べるとだいぶ悪い。 年度始めのオークションで出来高が昨年を上回り順調な滑り出しとなってくれればいいのだが。 ●4月13日 今日は高齢者講習というのがあって、自動車教習所に来ている。 三時間の教習を受けるのだが、安全運転の知識、実技では運転適性検査、行動の診断・指導というのがあるようだ。 運転には自信があるが、去年も居眠り運転してるだけに心配だ。 気になるのは認知症の検査があるかどうかはわからないが、それでひっかかったらどうしよう。 最近とみに物忘れがひどくなっているので。 さて始まった。 シミュレーションでアクセル・ブレーキ・ハンドル操作をして運転適性を調べる。 結果は運転は正確だが動作の決断と実行がやや劣るようだ。 次に視野測定と動体視力、夜間視力の検査。 これはほとんど見えなかったが、結果は年齢平均だそうだ。 若いつもりでも数字は正直である。 次に実際に車に乗ってコースを回ることに。 車庫入れなどもあって緊張したが無事終了。 認知症検査は75歳の時にやるそうで、5年後はもっと症状が進んでいて、検査を受けることさえ忘れているかもしれない。 ●4月12日 大石展にやって来る人が多士済々。 有名企業の経営者、芸能人、テレビディレクター、モデル、美容師、そして多いのはオネー系。 プロレスラーみたいなオネーもやってきた。 作品にもオネーのゴリラを描いた作品があるので、思わず見比べてしまう。 贈られてくるお花の数も半端ない。 画廊が新たに開店したみたいだ。 芸大を出て絵だけ描いていたらこうは行かないだろう。 起業し、経営者としても活躍してきたからこそである。 遠回りしたが、決して腕は落ちていず、アーティスト以外の人生経験も作品に反映されている。 朝からたくさんのお客様がやってきて、お昼を食べる暇もないくらいなので、まだ始まったばかりだが、本人の身体が終わりまで持つかが心配である。 ●4月11日 土曜日に先日講演をしていただいき、名刺交換をした財務省のTさんからメールが入って、いきなり次はいつと言ってきた。 これは自分のところに来ませんかということなんだろうと思っていたら、その通りで早速うかがうことに。 財務省に入るのはむろん初めてで、それも土曜日だったので横の国税庁入り口というところから入った。 何にも悪いことはしていないのだが、その看板を見ただけで緊張。 この入り口で待っていると、菓子パンかじりながらやってきて、財務省の堅物のイメージとは大違い。 中を案内してくれたが、古い古色蒼然とした建物で、日本のお役所の中枢、職員もエリート中のエリートがいるとは思えない飾り気のない建物で、大企業のビルに比べたら質素そのもの。 ここが大臣室、ここが報道の部屋、主税局と教えてくれながら自分の部屋に到着。 これが驚くことにもっと殺風景、もっとも部署が変わり、移ってきたばかりということもあるのだろうが、何にもない部屋である。 特別な用事もなく、ただとりとめのない話をするだけであったが 、お役人というイメージとは違い、ざっくばらんな魅力ある人で、気楽な付き合いができそうな人である。 画廊にも是非来るように伝えたが、ふらっとやってくるに違いない。 ●4月9日 今日は二つの個展のオープニングパーティー。 FBでオープニングパーティーをやらないことで知られるギャラリー椿が珍しくと書かれてあったが、本当に久しぶりのオープニングパーティー。 パーティーをやらないのは、私のところは若い作家さんが多いので、作家さんの知り合いの若い作家さんばかりがパーティーに来て、来てほしいコレクターの方が敬遠してしまうから。 どうしても同窓会的なムードになってしまうので、出来るだけやらないことにしている。 それでもどうしてもという場合は駄目とは言えないので、それはそれでやることはやぶさかではない。 今日は両方のお客様で大賑わいで、作品にもだいぶ予約が入り、こうなると現金なもので、パーティーも満更ではないなと思ってしまう。 これから二週間この勢いでたくさんの方に来ていただけるとありがたい。
●4月8日 青山で梨洞という李朝専門の古美術店を開いている李鳳来君から本が届いた。 「李朝を巡る心」と題した新潮社刊の彼が書き下ろした美しい本である。 彼とは小学校の同級生で、大学でまた同じ学部の隣のクラスとなり、卒業後分野は違うが同じ美術商の道を歩むことになる。 彼は韓国の在日二世で、大学卒業後にソウル大学に留学し、それを終えて母親と李朝のお店を出すことになった。 私たちの小学校は当時ユネスコの実験学校となっていて、2クラスしかなく、人数もそれぞれ20数名づつという従来の学校とはだいぶ違った学校であった。 クラスには帰国子女であまり日本語が得意でない子、知的障害や体に障害を持つ子、台湾や韓国の2世、双子といったバラエティーに富んだクラスメートがいて、隣のクラスも同じような構成であった。 机も一人机ではなく、幼稚園のように円卓を数人で囲んで座っていたり、机にはケント紙が敷かれ、授業中に退屈ならそこに落書きをしてもよく、昼は外に出てパン屋さんやお総菜屋さんで昼飯を買ってきたり、放課後は出前でラーメンを頼んだりと自由気ままな学校であった。 授業では、習字も算盤も教えてもらえず、朝のラジオ体操もなく、代わりに英語の授業は一年生からあったりと、戦後間もなくの新教育というのを実践していた変わった学校であった。 そんな校風で育った私たちだけに、卒業後会社勤めをするようなのはほとんどいず、自営業や画家といった自分で道を開いていく連中が多かった。 さて、早速本を開くと、それぞれのページに美しい李朝の美術品の写真が載り、その作品にまつわる個人コレクターの話が2ページにわたって記されている。 読んでいくと、美術品との出会い、コレクターの方たちとのふれあい、李朝を愛する心、2世という立場に置かれた彼なりの思いと、どれも心打たれる話ばかりで、あっという間に読み終えてしまった。 読み終えて、彼は人に恵まれたんだと率直に思った。 それも彼の人柄、人を愛し、美術を愛し、二つの祖国を愛し、亡くなった両親・弟を愛した彼の優しさが、素晴らしい人との出会いを作ったのだと羨ましくさえ思った。 古美術商というのは、主人の店で丁稚奉公をして、長い修業期間を経て初めてお店を持つといったことが当たり前なのだが、全くの素人がそう簡単にこの道で成功するはずがない。 彼が苦労の末に成功し、今があるのはこの本で十分に理解できた。 機会があれば本屋さんで手に取ってほしい。
●4月7日 全美連の理事会。 全美連にシンクタンクが出来た。 ジャパン・タックス・インスティチュートという研究機関が美術品の税制についての指導、アドバイスをしてくれることになった。 韓国の画廊協会には以前からあったのだが、ようやく日本の業界にも置かれることになり、喜ばしいことである。 理事会終了後は、その代表者である財務省の代表研究員である豊岡氏より講演をしていただき、今後想定される税制と美術への関わり、文化発展のための税制改革などについてお話を伺った。 心強いシンクタンク機関で、これに市場分析などの研究機関ができると全美連もさらなる発展が見込まれるのだが。 ●4月6日 ロータリークラブの仲間と都電に乗って神田川に向かい、川沿いの桜を満喫してきた。 都電に乗るのも何十年ぶりのことだろう。 ちんちん電車と言って、子供の頃はおなじみの電車で、父親の新宿の画廊の前には角筈という都電の駅があった。 当時、明治通りにはトロリーバスという電線に屋根からポールを伸ばして電気で走るバスがあったのも覚えている。 そんなレトロな気分にさせてくれる都電で大塚駅から早稲田駅に向かい、そこから降りて神田川沿いを面影橋に向かって満開の桜の見惚れるような景観を楽しんだ。 満開と言ってもピークは過ぎ、花吹雪とはよく言ったもので、川面一面に散る桜も美しい。 その散った桜がまるで水墨画のようなグラデーションを描いて流れていく様もこれまた一興である。 満開の桜が花見の見頃だが、その直後の散り頃もまた花見の醍醐味ではないだろうか。 ここ神田川は約2キロにわたって桜並木が続いていて、出店も出ていず、ぼんぼりや提灯もなく、ブルーシートで酒盛りをしている宴会の人もいない、花見には絶好の場所である。 今日は平日ということもあって花見客も少なく、人並みに邪魔されることもなく、ゆっくりと桜の美しい眺めを堪能した。 散策を終えて、今度は川沿いにあるクラブの会員の会社の窓越しから夜桜を見ながらの宴会となった。 なだ万のお弁当やおでんも用意されていて、クラブ会員一同大いに飲み食べ、春の宵のひと時を存分に楽しむことが出来た。
●4月5日 昨日開かれた香港サザビーズのオークションに山本麻友香の作品が出品されていた。 プールと題した100号の作品で、そこそこの値段までビットをしてみることにした。 旅行中でもあり、競りには参加できないので、指値を言って、それ以上の値段であったらあきらめようと思っていた。 但し、そんなに競争相手がいないので多分落ちるだろうと高をくくっていたのが失敗。 私の指値の上の値段で落札されてしまった。 競りに参加していたらもう少し上の値段まで追いかけたのだが、いい作品だっただけに残念なことをした。 リーマンショック前は、彼女の作品は頻繁にオークションに出ていて、かなりの高額で落札されていた。 中には私のところにきて、美術館を造るので、個展前に作品を選ばせてほしいとやってきた人がいた。 有難いことと喜んで買っていただいたが、舌の根も乾かないうちにオークションに出品されたことがある。 他にも毎月一点づつ買うからとか、個展を毎年やらせてほしいという画廊もあった。 そういう輩に限って、オークションでも彼女の作品を高値で落札していたが、リーマンショックで市場が冷えると、パタリとやって来なくなったり、電話やメールも全く来なくなった。 そんなこともあって、オークション会社からの出品依頼もあったが、世の中の景気に振り回されて、値段が乱高下するのが嫌でそういう話は全て断ることにしていた。 また安い値段で出品されていても、おそらく出品者はオークションでの投機目当ての成れの果ての人に違いないので、そんな輩に協力することはないと、全く無視をすることにした。 オークションをうまく利用して、自分のところの作家の値段を上げるのはたやすいが、そのために好きな人が買えなくなり、投機目当ての人たちが対象となってしまうのが嫌で、出来るだけオークションを利用して檜舞台にあげるのは自分の性には合わない。 だが今回の作品はそうした時期を経て、市場に影響があまりない時だけに、出来れば落札したかったのだが、執念が足りず惜しいことをした。 ●4月4日 初島は案の定、朝から雨でホテルに缶詰め。 昨日も着いてからは外にも出ず、温泉と食事以外は仲間はひたすら飲むだけ。 他はカラオケとおしゃべりで一日が終了。 今日も仕方なく昼前に熱海に戻り、そこで解散。 私の車に乗った仲間は昼食を熱海の洋食レストラン・スコットですることにした。 ここは志賀直哉の小説にも出てくる知る人ぞ知る熱海の有名店。 ここのオーナーの妹が以前に二年ほどうちの画廊でアルバイトをした縁で、昔は伊豆に行く途中によく寄ったものである。 伊豆の宇佐美に父親のマンションがあり、子供が小さい時はよく海水浴に連れて行った。 子供達はここで初めて食べたエスカルゴが忘れられないという。 子供が大きくなるにつれ、行くこともなくなり、今もあるのだが行く人もなく、部屋はボロボロになっているに違いない。 スコットのオーナーはコレクターとしても知られ、牛島憲之、鳥海青児などの著名作家、有元利夫や小杉小二朗など当時の若手作家の作品がお店に飾られている。 今日は支店のほうだったが、そこにも当時うちで扱っていた水島哲雄や渡辺満の作品が飾られている。 料理は看板料理のビーフシチューなどを堪能し、来なかった連中にはせめて料理の写真だけでも送ってやろうと思う。
●4月3日 大学の同期のヨット仲間と一泊旅行。 当時のキャプテンで50歳で亡くなったA君の逗子にある墓にまずはお参り。 満開の桜の下、お墓に部員たちがこうして集まり、50年を超えての変わらぬ友情が続いていることを報告し、みんな元気で旅行出来る喜びを伝えた。 生きていれば、こうした旅行も全て仕切ってくれただろうに。 早い死が悔やまれる。 墓参りを終えて熱海経由でフェリーで初島にあるエキシブリゾートに向かう。 相変わらずの雨男で朝から雨が降っていたが、船に乗る頃には雨も上がり、初島での一日を堪能できそうだ。 ただ私のこと、そうは天気は続かず、明日は朝からまた雨の予報である。 やれやれ。 本来なら部屋の窓から伊東の街や大室山、大島、三宅島などが見えるはずだが、海の向こうは真っ白。
●4月2日 来週土曜日から私どもでは初めての個展・大石卓展が始まる。 彼の展覧会をフェースブックで紹介してくれた東京芸大時代の友人・永山裕子さんのコメントがあるので、そちらを引用させていただく。 『待ちに待った卓ちゃんの個展です。 大学で 同じクラス同い年の 大石卓。 この人はホントに凄い。 新宿伊勢丹の メンズ下着売り場正面にバーンと彼がデザインし、立ち上げたブランド TOOT がある。 TOOTは、メンズ下着に革命をもたらした。 知らぬ間に東大も出てるw 久々に飲んだら「あまなー!ボク 今 絵を描いてるのー! 見に来てー」というので 早く見たくてたまらない。 きっとエロ格好いいの描いてるんだろう。』 一度私の知り合いの作家の絵を見てくれないかと頼んできたのは、ブランドTOOTの出資者で、私のロータリー仲間のOさんである。 その会社は大成功をおさめ、そのまま経営者としてやっていても何の不自由もなかったのだが、50歳を契機に昔培った絵描き魂が沸々と沸いてきたのだろう。 会社をあるファンドに売却し、彼は再び絵を描き出したのである。 長いブランクもあり、とりあえずは親しくしている紹介者の手前もあり、あまり期待もせずに彼のアトリエを訪ねることにした。 経営者時代もデッサンは怠らなかったようで、その腕は落ちていず、何とも不思議な絵を描いていた。 動物や鳥、花などが細長い円筒形のような形の中におさめられている。 色彩も華やかであり、艶っぽいというかなまめかしい雰囲気が漂う。 形は何となく下着の会社の経営者だったこともあって、男性の性器を想像してしまう。 永山さんが言うようにエロかっこいいのだ。 そんなわけで、彼の展覧会をやることになった。 初日にパーティーをやることになっていて、多くの友人も見に来るそうで大賑わいになるだろう。 是非ご覧をいただきたい。
●4月1日 大学の友人たちとのゴルフ。 初めてのゴルフ場でナビを頼りに到着してみると、様子が違う。 やけにちびっ子たちが多い。 玄関でスタッフにご父兄の方ですかと言われ、何のことかよくわからない。 玄関の立看板を見てみると、埼玉県ジュニアゴルフ選手権と書いてあるではないか。 今日はゴルフ場貸し切りで試合が行われるとのこと。 なるほど子供たちが多いはずである。 またやらかしてしまった。 思い込みでゴルフ場が違うのである。 慌てて友人に電話するが出ない。 エイプリルフールで騙されたのだろうか。 来ていたメールを確認すると、私が来たのは武蔵丘ゴルフ場。 プレイするのは新武蔵丘ゴルフ場である。 何とややこしい。 幸いすぐそばだったので、事なきを得たが、そうでなければ大遅刻をするところであった。 以前にも、相模と相模原ゴルフ場と間違えて行ったことがあって、その時は到着した時にはすでに皆さんスタートしていて、大変迷惑をかけたことがある。 当時は携帯もなく、両方とも有名なゴルフ場で、そういうところは道すがらの案内の看板もなく、地図を見ながらようやくたどり着いたのに、原違いとは。 それ以外にも、ゴルフ場の名前が変わっていて、以前のゴルフ場の名前をナビに入れて向かったところ、着いたのは小さなゴルフ練習場。 これもかなりの冷や汗ものであった。 そんなことで、朝から大慌てだったが、私としては珍しく、久しぶりに雨にも降られず、ゴルフを楽しむことができた。 |
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