ギャラリー日記 |
●3月25日 飛行機の出発時間が3時間半ほど遅れた上に、さらに発着がかなり遅れて、1時半過ぎに羽田に到着。 ただただ眠い。 タクシーは香港同様に中々来ずに長蛇の列、仕方なくリムジンバスの乗り場に向かうがこれは正解。 それでも20分ほど待ってようやく出発。 こんなに遅くなっても航空会社は何の対応もしてくれず、機内のアナウンスでもお詫びの言葉ひとつない。 キャセイ航空だからだろうか、日本の航空会社だったらどんな対応をするのだろう。 深夜のタクシーで遠くまで行く人はかなりの出費になるはずなのだが、その保証もないようだ。 電車だと振替輸送などで別の電車やバスに無料で乗ることができるのだが、そんなこともしないのだろうか。 以前に突然理由もなく飛行機が飛ばなくなったことがあったが、その時はホテルを用意してくれて、朝一番の飛行機に振替てくれたことがあったが、今はそうしたサービスもないのだろうか。 どちらにしても香港行きはあまりいいことがない。 ●3月24A日 空港に行くには1時間ほど時間があるので、ホテルのすぐそばにあるアートバーゼル会場に行って、さわりだけでも見ようと出かけた。 入場時間がまだなので待っていると、携帯にメールが。 航空会社からで出発が3時間半ほど遅れるとの事。 その時間だと今日中には到着しない事になる。 何かの間違いかもしれないので、画廊から確かめてもらうと間違いないらしい。 着いたら係員がいて、バスの手配などしてくれるとの事で何とか帰ることはできそうだ。 そんなこともあってすっかり時間が空いてしまったので、会場に戻らずにゆっくりとバーゼルを見学する事にした。 バーゼルはセントラルに比べ、そのスケールもクォリティーも圧倒的で、億単位の作品が所狭しと並んでいる。 二つのフロアーがあり、一つが著名な作家などを展示するフロアー、もう一つがそれぞれの画廊のプライマリーの作家を紹介するフロアーとなっている。 セントラルのブースフィーも広さの割には高いと思ったが、バーゼルは最小ブースでも約400万円かかるそうで 、私のところの作家ではとても間に合わない。 とにかく会場が広くて、3時間ではとても廻りきれない。 最初のうちは丹念に見ていたが、最後の方はどうでもよくなってきた。 日本からも15画廊ほどがこちらに参加しているが、そのうちの数軒はおそらく文化庁の助成金500万円が出ているに違いない。 私も去年申請したが却下。 くたくたになって外に出るとチケットを買う人たちで延々長蛇の列。 中のチケット売り場だけではなく、外の車寄せまで並んでいる。 すでに会場内もひしめき合っていて、どれだけの人が来ているのだろう。 まずは遅い昼食をとって、それから空港に向かう事にする。 無事に家に帰れるだろうか。 少し多いが、気になった作品を紹介する。 何せモランディーがずらっとならんでいたり、デクーニングがあったり、ポロックが何気なく並んでいたりで、こんな作品誰が買うんだろうか。 ある画廊の人によるとスイスのバーゼルを抜いてしまう勢いだそうだ。 ただ聞いてみると商談は今ひとつだそうで、ここで売れなければセントラルで売れるはずがない。 ●3月24日 毎日雨ばかり、その上未だ成果が出ていず、重苦しいまま私は一足早く日本位帰る事に。 全体に見てもほとんど売約の印がなく、中国パワーも衰えてきたのだろうか。 アートバーゼルの方も聞いた話では今一つのようだ。 バーゼルには行くつもりでいたが、結局時間が取れず、行かずじまいで帰ることになり、実際の状況は見ていないのでわからない。 昨日の夜は山本麻友香の個展を開催しているアートプロジェクトギャラリーをセントラルにも出展しているオーナーの案内で訪ねることにした。 市内の山の中腹にある画廊で、昔のポリスの宿舎があった建物を そのまま起業したブティック、アクセサリー、諸々の雑貨店などに貸している。 日本で言えば銀座の奥野ビルみたいなところである。 ギャラリーでは山本麻友香の作品を狭い空間にバランスよく飾ってあり、いつも大きな空間ばかりで彼女の作品を見ていただけに、こういう展示もありかなと思う。 ただ残念なことに、ここでもまだ成果は出ていず、現状の厳しさをひしひしと感じる。 オーナーの招きで夕食は近くにある洒落たレストランに案内された。 キュージーヌ風の中華料理といったところだろうか、料理も食器も垢抜けていて、若者が大勢きていることでもそのセンスの良さがうかがえる。 料理はどれも美味しいが、中でもハンバーガー風角煮は絶品。 毎日こうして中華料理を食べているのだが、味付け、種類も様々で飽きることがない。 今までのところ充実しているのは食事だけのようだ。 香港ではタクシーを拾うのが至難の技、なかなかタクシーはやって来ず、空車が来ても乗車拒否なのか行き過ぎてしまう。 結局は雨の中を歩くことになり、昨夜もギャラリーまでは30分はかかると言われ、急な山道なのでどうなることかと思ったが、香港では登り道に延々とエスカレーターが整備されていて、これは楽チン。 帰りもタクシーは止まらず、雨に濡れた急な坂道を下りなくてならず、これは足にかなりこたえるが、何とか地下鉄の駅に到着し、ホテルに無事帰ることができた。 この4日間実によく歩いたが、香港で生活するにはまず足腰を鍛えなくてはいけない。 ●3月23日 昨夜も浅木氏達と夕食。 香港に住む友人のおすすめで湾仔の利苑という料理店に行く。 初めてのところなので、タクシーで行ったが、私の泊まっているホテルから近く、去年行った火鍋料理店と同じビルにあって、何のことはない、歩いて行けるところであった。 料理は支配人おすすめの料理を出してもらったが、豚や鶏、貝などを煮込んだエキスのスープを始め大きなロブスター、ミルガイのしゃぶしゃぶ、カリカリに焼いた皮つきポークなどなど珍しい料理が出てきて、どれも美味しい。 4人で行ったが、皆さん大満足であった。 ただ、お勘定でビックリ、何と日本円で15万円で一人4万円近い。 浅木氏がご馳走する事になっているのだが、何とも申し訳ない。 だいぶ昔に浅木氏は香港の福臨門では一人25万円取られたことがあったそうだが、香港の有名店の中華料理は支配人お任せだと美味しいのは間違いないが、懐具合も考えなくてはいけない。 スープの出汁に使った肉や貝の残骸(これだけで小ちゃなお茶碗1、2杯分のスープ)、ロブスターの写真を見ていただくとなんとなく高いのがお分かり頂けるだろうか。
森口作品は台湾や上海、香港に多くのファンがいることもあり、それを期待しての企画だが、大きい上に価格もかなりの高額なので、結果がどうなるか不安と期待半々である。 本人も来てくれていて、会期最後まで手伝ってくれることになっている。 6時前には展示も終了し、夕食に会場近くの美味しそうなレストランを探しながら歩いて行くが、巨大なビルばかりでなかなか見つからない。 相当歩いて地下鉄の中環駅近くでようやく美味しそうな北京ダックのレストランを見つけた。 機内食を朝に食べたきりで、空腹と展示と歩きで相当疲れていたので食事にありつければどこでもいいと思っていたが、ここの料理はどれも大満足。 特に北京ダックは最高で、皮だけでなく丸ごと食べるのだが、ハチミツの味付けと香ばしい香りで、森口やスタッフの島田も大喜び。 お店も次々にお客が入ってきて大盛況。 観光客らしき人はほとんど見かけないので、地元で人気の有名店なのだろう。 どのくらいが香港の料理店の値段の基準かわからないが、これだけのお店なのでそこそこの値段はしているのでは。 今日は朝から強い雨が降っていて、オープニングが3時から始まるのだが、それまでに止んでくれるといいのだが。 その時間には、是非一度は見ておいたほうがいいとお誘いした東京美術倶楽部の会長で全美連の理事長でもある浅木さんが見えることになっている。 今日のアートセントラルと明日の香港バーゼルを見学してもらうことになっている。 この二つの団体は、そのほとんどのメンバーが古美術と日本画など近代美術主体のメンバーばかりなので、この機会に浅木さんに世界の有力画商が集まる香港のフェアーを見てもらい、今後の日本での美術業界の新たな展開になればと思っている。 今回のフェアーでも、アートセントラルに以前は近代美術中心だった横井春風洞、彩鳳堂、小林画廊、白石画廊など、香港バーゼルには日動画廊が参加してて、業界の流れは現代アートに向かいつつある。 ●3月20日 昨日は「弓の会」の昼食会。 日本テレビで以前「美の世界」という番組があり、その司会をアナウンサーの井田由美さんがされていた。 そこに出演した作家さん有志がどうしても井田さんとお近づきになりたいということで発足した会で、どういうわけか出演したこともなく、作家でもない私も誘われるままにメンバーの一員となっている。 そんな経緯で年に2,3回集まっては食事をしたりしていて、河口湖の家でもみんな集まってバーベキューをしたこともある。 また作家さん達で「弓の会」と題したグループ展も時々開催している。 今回はメンバーの多くが節目の年ということで、お祝いの会を兼ねてやることになった。 二人が80の傘寿、一人が喜寿、私ともう一人が古希ということでお祝いをしてくれることになった。 井田さんは私の大学、それも学部も学科も同じ可愛い後輩でもあり、日本テレビのアナウンス部長を務めるベテランアナウンサーでもある。 現在は「皇室日記」という高貴な番組のメーンキャスターを担当していて、局の品位を一人背負って活躍をされている。 メンバーの作家さん達の展覧会には必ず顔を出す義理堅い人でもあり、こうした井田さんの人柄もあって、「弓の会は」井田さんが元気でいる限りずっと続いていくのは間違いない。 問題はメンバーがいつまで元気でいられるかである。
●3月19日 今日から私どもで取り扱っている若手作家のグループ展「SPRING SHOW」が始まった。 個展の発表の機会がまだなかったり、今年個展の予定がない13作家に依頼しての展覧会である。 乾漆、日本画、洋画、写真と多彩なラインアップで、今が充実している作家ばかりで、思った以上に中身の濃い展覧会となった。 できるだけ個展でと思っているが、偶にはこうしたグループショーも開催し、それぞれの個性を楽しんでいただきたい。
GTUでは河内良介の私どもでは2回目の個展。 この3月で閉じるみゆき画廊さんの紹介で、2年前に初めて開催をすることになった。 既に日動画廊での個展など、バリバリのキャリアを持つ人なので荷は思いが、Tコレクションで知られ、私どもでもお世話になっているT氏が河内さんのパトロンということもあって、今年も個展をすることになった。 T氏には既にまとまった点数を購入していただき、幸先いいスタートとなった。 卓越した鉛筆描写は超絶技法で知られる篠田教夫にも匹敵する技量で、河内独自の空想世界が実に巧みに表現されている。 若手とベテランの組み合わせとなったがお楽しみいただければ幸いである。
●3月17日 21日から始まる香港のフェアーの資料作りや手持ちの荷物の準備と、画廊では土曜日からの個展とグループ展の展示などでてんやわんや。 更には浅井飛人の釜山での展覧会が24日から始まるのでこれまた大変。 手が足りないので、飛人君に作品を持って行ってもらうことになった。 他にもジャカルタのフェアーに出す作品の送り出しや、秋に計画されている文化庁関連の展覧会の作家選定、APAGA会議の段取り等々やらなくてはいけないことばかり。 私とスタッフの島田は20日から香港に出かけるので、残りのスタッフはますます忙しくなる。 そんな中、私は大忙しのスタッフを尻目に、明日はゴルフコンペの予定が入っていて、留守にする。 というわけで今日の私は肩身が狭い。 ●3月15日 VOCA展に行ってきた。 第一生命の主催で、今回で23回目となるコンクールで、全国の学芸員やジャーナリスト、研究者などから推薦された32名の中からVOCA賞や奨励賞、佳作賞などが選ばれる。 過去の受賞者を見るとここから選ばれ、檜舞台に上がった作家も多い。 VOCA賞の作品はメタルの上を時計が回っていて、時計の針の先には小さなレンズがついており、それを覗くと、針が回るメタルの上に記された円周の線が、実は極小の数字が刻まれていることがわかる。 対比的に右側のアルミ板には一か所だけ磨き上げられた小さな丸があって、これを覗くと自分の目が映るという仕組みになっている。 ただそれだけのことなのだが、視覚的にも美しい作品で、インスタレーション的要素を取り込んだ作品といえるだろう。 絵画という領域からすると異質な表現ではあるが、全体でみてみると順当な選考といえるかもしれない。 VOCA展が絵画ではなく平面という規定の中で選ばれることになっているので、こうした作品が選ばれることは、ようやくこの展覧会の趣旨に沿ったものとなったと言っていいだろう。 他の受賞作を含めた多くの作品もコンセプチャルなものが多く、素材も版画、写真、映像と多岐にわたり、具象から抽象への移行を示唆するような今回の展覧会となった。 ただ表現は多様になったが、それではと食指が動く作品は私にはなかった。 しいて言えば、香港やソウルで見られるドイツ表現主義的な井田幸昌の厚塗りの人物像が印象に残ったくらいである。 ●3月13日 朝から移動で大忙し。 まずは新宿の損保ジャパンのコンクール・FACE展へ。 月曜日に近くに行ったので寄ったのだが、月曜日が休館日をうっかりしていて、今日は出直し。 入口に入ると、グランプリ作家や他の受賞者の作品が並ぶ。 審査員賞をもらった井澤由花子は私どもの取り扱い作家。 彼女は油絵ではなく、水彩で表現しているのだが、並み居る油絵の中で水彩で受賞したのだから大したものである。 それよりすごいのはグランプリを取った作品はモノクロの木版画だからなお凄い。 前年のVOCA展でも以前にうちでアルバイトをしていて小野耕石君がシルクスクリーンで受賞していて、コンクールの見方も随分と変わってきた。 70点ほどの入選作が別に並ぶが、やはり受賞作のほうが圧倒的に質が高く、入選作に見るべき作品はなかった。 最近のコンクールの傾向だが、ここでも20点余が抽象作品で、まだ見てないが、今年のVOCA展でもたぶん同じような流れになっているのではないだろうか。
次に東大和へ。 ここでは親しくしているギタリストの佐藤達夫さんとリュートのつのだたかしさんの古希記念コンサート。 そう私と同い年で、二人とも70歳となり、案内にも書いてあったがベテランの域に。 ドイツ留学時代に同じ寮にいたそうで、40年を超える友情と演奏生活を二人は続けている。 二人はまだまだと思っているようだが、その演奏も円熟していて、静かで深い音色が心の奥まで響いてきた。 私もこの6月に古希を迎えるが、作家さん達約90名がお祝いの展覧会を開いてくれるそうで、大変うれしいのだが、二人と違ってベテランの域にも円熟の域にも達していず、私には分不相応な古希のお祝いである。 それを終えて、今度は浅草のビューホテルへ。 長男が4月から家族とともにニュージーランドのカンタベリー大学に客員研究員として赴くため、その歓送会を次女家族と一緒にすることになった。 次女の住まいの関係もあり、次女のアレンジで浅草ビューホテルのバイキングに。 レストランの窓からは目前にスカイツリーが見え、素晴らしい景観を前においしい料理を堪能した。 長女もシドニーにいるので、是非みんなでニュージーランド集合となるのを楽しみにしている。
●3月12日 汐留のパークホテルで開催されているホテルアートフェアーに行ってきた。 アート大阪の実行委員会が東京に進出しての初めてのフェアーである。 このホテルはアーティスト・イン・ホテルとしても知られていて、31階フロアーの全室に依頼された各作家が壁画・天井画を描くプロジェクトが進行中である。 リピーターのお客様は、毎回違う部屋を予約することで、多様な作品に出会うことができる。 このフェアーは、ワンフロアーが各ブースで昭和の戦後美術を展示することになっていて、ミニマルアートを中心に統一感の取れた展示でがされていて、何ともおしゃれなフロアーとなっている。 もう一つのフロアーは、画廊推奨の若手作家の展示となっていて、その対比を見るのも楽しみの一つである。 全体を見ても、サブカル的な具象傾向が影を潜め、圧倒的に抽象傾向の作品が多く並び、このフェアーを見る限り、画廊の流れにも大きな転換期がきているように思えた。 残念なのは、初日の内覧会にもかかわらず、お客様が少ないのが気にかかるが、今日、明日とあるので、時間のある方は是非行ってみてはいかがだろうか。 ●3月11日 今日は東北の震災があって5年目にあたる。 未だに避難生活を余儀なくされたり、行方の分からない方も多いと聞く。 震災だけではなく、原発被害の傷跡も癒えず、こうして安穏と生活をしていることを申し訳なく思う。 この災害を教訓に、今後予想される災害被害をいかに最小限にとどめていくかが、残された私たちの使命ではないだろうか。 今朝は早くから画廊で会議。 5月のアートフェアー東京に合わせて予定されているアジア・パシフィック画廊協会会議(APAGA)の打ち合わせで、議長国である台湾画廊協会の代表リック・ワン氏と事務局スタッフがやってきた。 また、APAGAの会議に際し、協力を申し出てくれたアートフェアー東京の代表来栖氏と事務局スタッフにも参加してもらい、会議の翌日に国際フォーラムで開かれるAPAGAの公開シンポジウムについての話もさせてもらった。 今回は来栖氏のお力添えで、全日空、パークホテル、メルセデスベンツにもスポンサーとなっていただき、万全の態勢で8か国の代表をお迎えすることができるようになり、リック氏にも大変喜んでもらうことになった。 歓迎のパーティーもレセプションパーティー、ウエルカムパーティーと二日にわたりセッティングしてもらい、全美連も会議前に東京美術倶楽部の中にある茶室でのお茶会、重文展示室での国宝の鑑賞など、日本流のおもてなしをすることになっている。 まだまだ準備段階で、処理しなくてはならない課題がいくつもあるが、今日のミーティングでまずは一歩前進である。
●3月10日 昨日も性懲りもなく、また雨の中で高校の仲間とのゴルフコンペで、治りかけた風邪がまたぶり返してきて、咳が止まらない。 一緒に回った高校のクラスメートのM君も正月の風邪をこじらせて気管支炎になり一か月寝込んだそうで、久しぶりに会ったがかなり痩せてしまい、癌にでもかかったのかと思うほどやつれていた。 今回欠席したI君は検査で心臓に異常が見つかり欠席、高校時代は野球部のエースで、大学ではアメリカンフットボールで活躍したK君は大腸癌を患い、ようやく回復の兆しが見えてきたが、70を目前に、みんなそれぞれにガタがきているようだ。 先日の合田さんに続き、近くに引っ越してきたツァイトフォトの石原氏の訃報を聞いた。 写真ギャラリーの草分けで、ブリジストン美術館のそばにあったのが、私のそばに引っ越してきて、いい画廊が来てくれたと喜んでいたのだが残念である。 周りに訃報や病気が続くと、私も気を付けなくてはと思うのだが、喉元過ぎればでついつい無理をしてしまう。 検査も2年ほど行っていないので、一度検査にも行って来なくては。 ●3月9日 日曜日にモランディー展を見てきた。 シンプルな構成とモノトーンのさりげない作風が好きで、是非見なくてはと思っていた展覧会である。 これでもかという程に瓶の静物画が並ぶが、そのどれもが魅惑的で洗練されていて、お金さえあればぜひ自分の部屋に飾ってみたいと思ってしまうくらい素敵な作品である。 現代アートで要求されるメッセージや社会性とは無縁の、単純に描きたいものをひたすら追求する姿勢にも共感を覚える。 生涯を生まれ故郷のボローニャで過ごし、亡くなる前に「人生に特別なことがなかったことが幸せであった」といったそうだが、その作品もまさしく人生そのものを表現していて、奇をてらうこともなく、埃をかぶったそこいらにいくらでも転がっているような瓶や器を描き続け、それが20世紀が生んだ天才作家と言われたり、並み居る著名な作家を押しのけ、ヴェネツィアヴィエンナーレでのグランプリを獲得するのだから、大したものである。 カタログにも書かれているが、モランディーの名声を示すエピソードに、フィレンツェの宮殿の一室から円形の小さな油彩画が盗まれたことがあった。 盗んだ犯人は「私はモランディーを愛している」と手書きのメモを残していったそうだ。
●3月5日 昨日一昨日と台湾の画廊さんがやってきて、一昨日は焼き鳥、昨日は天婦羅と連日の接待。 一昨日は毎年10月に開催されるフィギュアーショーの主催者のKさんで、毎年ブースを提供してもらい、中村萌のフィギュアーを制作して、オリジナル作品とともに展示をさせてもらっている。 今年もフィギュアーを制作することになっているが、今回は特別展示場を設け、台湾の陶芸家と中村の二人展をすることになった。 その打ち合わせも兼ねての来日である。 中村は7月に私どもで個展をすることになっていて、春・秋の台湾のフェアーにも出品の予定で、果たして作品が間に合うか心配だが、未発表の旧作もまじえて、何とかやり繰りしなくてはならない。 昨日は、台南の画廊のCさんで、こちらは10月に岩渕果林の個展をCさんのところで開くことになっていて、9月に私どもの個展と合わせて小冊子を作ることもあり、その打ち合わせである。 中村同様に、岩渕も二つの個展以外にフェアーの出品を予定していて、これまたやり繰りが大変である。 今日も4月のフェアーに予定していた岩渕の作品を、雑誌の紹介欄を見てこられたお客様が2点購入してしまい、有難いことだが、岩渕にもうひと頑張りしてもらうしかない。 ●3月4日 3月2日から渋谷の東急文化村ギャラリーで「幻想と頽廃のアンソロジー」展が始まった。 私のところも作品を多数出させていただいているので、画廊に行く前に覗いてみた。 所狭しと内外の幻想作家たちの作品が並び、見ごたえのある展示となっている。 このギャラリーは百貨店系列の中では個性的な展覧会が多く、特にシュール系の展示は興味深い展示が多く開かれている。 1週間と期間が短いのが惜しまれるが、時間のある方は必見である。 3月10日から21日までは広島のギャラリーたむらで伊津野雄二個展が開かれる。 前にもお知らせしたように、この時期ペンクラブの大会が広島で行われ、その折にシンポジウムに朽木祥さんが参加される。 朽木さんの著作「8月の光」の表紙に伊津野作品が使われた縁もあって、朽木さんのアドバイスもあり、広島で個展が開かれることになった。 伊津野さんの作品は永遠の平和を願う広島の人たちにふさわしい作品が多く、朽木さんもシンポジウムの時に展覧会のことも触れてくださるようで、大いなる反響を期待している。 他にも香港で3月12日から山本麻友香個展、同じく21日から香港のアートフェアー・アートセントラルの森口裕二個展、釜山では3月24日から浅井飛人展と画廊以外での発表が続き、ここしばらくは画廊スタッフは荷造り、発送業務に追われている。 これで終わりでなく、4月は台北のヤングアート台北、5月はアートフェアー東京、6月はアート釜山とフェアーが目白押しで、忙しい日々が続きそうだ。 ●3月3日 遅くなったが、現在開催中の佐藤未希、門倉直子展を紹介させていただく。 佐藤未希は眼差しをテーマに目の表情を独自の視点でとらえ、巧みな描写力とそれを覆い隠すような光であったり皮膜であったりと、これまた彼女独特の顔の表現も見どころの一つである。 GTUでは同時に門倉直子の個展が開催されていて、大人になり切れない少女の姿をとらえた作品が並ぶ。 大きく見開いた眼が 、大人の心を見透かしているようで、一瞬たじろぐ。 全く対照的な表現の二人の人物像だが、目の表現に共通したものがあり、その対比を見るのも面白い。
●3月2日 合田佐和子さんが亡くなられた。 近親者で葬儀は済まされ、その後にプレス等に連絡があって、新聞の死亡欄で私も知った。 2月19日に心不全で死去、享年75歳であった。 昨年の5月に合田さんの個展を予定していたのだが、入院することになり延期となったが、その最後の展覧会ができなかったことが、何とも残念で悔いが残る。 直前まで、椿さん展覧会お願いねと電話がかかってきていて、合田さんも楽しみにしていたのだろうが、娘さんの信代さんによると、描くことさえ難しく、迷惑をかけるので展覧会を中止してほしいとのことであった。 今思うと、描きかけの絵でもいいから展覧会をしてあげたかった。 何よりの励みになっただろう。 合田さんとの出会いは、美術評論家の巌谷國士氏の著作「封印された星・瀧口修三と日本のアーティストたち」に登場する作家達の展覧会をうちでやることになったのがきっかけである。 四谷シモン、アラーキー、加納光於など、それに交じって私どもの取り扱い作家である桑原弘明、河原朝生などが紹介されていて、その中に合田さんも入っていた。 出品作を取りに鎌倉のアトリエを訪ねた折に、真っ白なアトリエが陽光に包まれ、机の上にちりばめられた貝殻が宝石のように輝いて見えた。 何故かアトリエと私の画廊の白い空間がダブって見えて、合田さんの作品をうちに並べたらどんなの素敵だろうと思い、その場でうちで個展をしませんかと言ってしまった。 合田さんはびっくりして、松涛美術館での発表以来7年間何も描いていないので無理と言われたが、今から描けばいいじゃないですか、足りなければ旧作でもいいですよと言って、承諾してもらった。 後で聞くと、合田さんは大変難しい人で、以前は画廊ともしょっちゅうトラブルを起こしていて、展覧会を頼むなんていい度胸していると言われたが、私とは波長が合い、嫌な思いは一度もなかった。 結果、新作に加え、代表作の「90度の眼差し」、「シリウスの小包」、「キャロル・ロンバートの背中」、「マリリンの海」など多数の作品が出品され大好評を博した。 その多くが売約となり、以前からの合田ファンから新たな合田ファンまで、今思うとそのコレクションは大変貴重なものとなった。 合田さんはまず寺山修司主宰の演劇実験室「天井桟敷」や、唐十郎主宰の劇団「状況劇場」で舞台美術やポスターなどを手がけ、その当時の仲間には四谷シモン、金子国義、大月雄二郎などがいた。 その後、油彩やオブジェをを制作するようになり、作風は幻想的で、往年の映画スターをモティーフに、どこかアンニュイで、妖しげな色気を醸し出す画風は大いなる注目を浴びた。 91年には朝日新聞で連載された中上健次の小説「軽蔑」で毎回、目だけの挿絵を描き、話題になったこともある。 私のところでは次に以前滞在したエジプトをテーマにした新作を発表し、大いに話題になったが、それが私のところでの最後の展覧会となってしまった。 ご冥福をお祈りする。
●2月29日 偶々問い合わせた補聴器の会社から何度も電話があり、補聴器のお試しを受けることになった。 ここ数年耳が遠くなったのか、お客様との会話でよく聞き取れなかったり、家でもテレビの音量がうるさいと言われる。 自動車が近づいても気が付かなかったり、携帯の呼び出し音が聞こえなかったりで、いろいろ支障が出てきていて、去年一度耳鼻科を訪ねて聴力を調べてもらったことがあった。 診断の結果は年相応で、それほど心配すことはないと言われたが、商売上一番困るのはお客様の声が聞こえないことで、何とかしなくてはと思っていた。 補聴器を借りる前に色々と検査をしてもらうと、中程度の難聴という結果が出た。 結果に合わせて、私用に音量を調節してもらい装着すると、自分の声がいつも以上に響いてくるが、とりあえずは相手の声も良く聞こえる。 掛けた感じは最初は違和感があったが、だんだん慣れてきて、まずは使ってみることにする。 よく出来ていて、画廊に戻り、スタッフに見てもらうと、ほとんど掛けているのが見えないという。 これで相手の声がよく聞こえるようになれば、すぐに買うのだが、問題は値段である。 安いのでも両耳で25万円、自分の耳の形に合わせて作ってもらうと80万円というからびっくりである。 失くしたりしても保証はないというし、電池式なので一か月に一回くらい補聴器用の電池を変えなくてはいけない。 更には使用期限が5年くらいというから、その度に買い替えなくてはいけない。 思案のしどころだが、まずはお試し期間が二週間あるので、その間によく考えることにしよう。 ●2月27日 あまり政治的なことは書きたくないのだが、言わずにいられない。 3月には「民維が組む」ことになりそうだが、選挙目当てだけの合流で、それこそ「民意を汲んでいる」とは言えない。 他の野党にも合流を呼び掛けているが、これでは烏合の衆である。 維新には政策に反対して民主を飛び出した議員も多く、他の野党も民主を分裂させた張本人がいたり、政策が合わずに袂を分かった党もあるのに、選挙民を馬鹿にしているとしか思えない。 政党は政策で戦うべきで、選挙のために相反する政策には目をつぶるでは政党とは言えない。 アメリカにはトランプという日本にとっては思っただけでもぞっとする人物が大統領の予備選挙で連勝している。 仮にこの人物が大統領になり、日本に緊張が高まったとしても、この大統領は日本に手を差し伸べることはまずしないだろう。 仮に烏合の衆が政権を握ったときに、安保条約を破棄して基地を返還し、平和憲法を遵守して、個別的自衛権や集団的自衛権を認めないとする。 このシナリオで、核を持った独裁国家や反日教育を施す隣国や覇権主義を標榜するアジアの大国が竹島や尖閣に軍事基地を作ったり、テポドンを飛ばして来たりしたら、この政権は一体どうやって対応するのだろうか。 先日、知覧の特攻隊の基地を見てきたばかりで、平和のありがたさと二度と戦争があってはならないことを痛感したが、相手があっての平和である。 自分たちの国が侵された時に、果たして話し合いだけで自分の国を守ることができるのだろうか。 そんなことはまずありえないが、こうしたことが万が一でもないように、私たちは政策をしっかりと見据え、来る選挙に投票しなくてはいけない。 ●2月26日 一週間、日記が滞ってしまった。 鹿児島宮崎の旅は鹿児島市内観光の後は指宿温泉に宿泊。 指宿に来たらやらなくてはいけないのが砂風呂。 汗臭いとか不衛生とか驚かされていたが、大きな砂場のようなところに横になってみると、汗の匂いもしない。 砂を80度くらいのお湯をかけて洗浄しているのだそうだ。 仰向けになってスコップで身体全体に砂をかけられるのだが、下からの地熱が何とも心地よい。 サウナと違って息苦しくもなく、身体全体を柔らかい熱で包んでくれているようで、そのまま寝入ってしまいそうだ。 霧島の湯、指宿の湯と温泉も格別で、湯あたりしそうになるくらい温泉を満喫。 ここまでは良かったのだが、私のこと、案の定、翌日のゴルフは大雨と強風の中でやることになった。 普通なら中止になるのだが、鹿児島まで来てやめるわけにはいかない。 当然のごとく私は雨具を用意しているのだが、それを着てても震えるくらい寒い。 ハーフを上がって、昼食の時間にあまりに冷えるので、お風呂とサウナに入って後のハーフを回ったのがいけなかった。 湯疲れの上に、すっかり湯冷めをしてしまい、寒気がして仕方がない。 帰りの飛行機も、強風で場合によっては関西空港に降りるかもしれないというのでかなり焦ったが、何とか揺れながらも羽田に到着。 翌朝起きようとすると、体がだるく喉はひりひり、咳も止まらない。 それでも、その日はヨット部の創立記念パーティーがあって出かけなくてはならず、結局は夜には熱も出て寝込むことになってしまった。 正月にも河口湖でゴルフの後、高熱を出して寝正月、どうも今年に入って免疫力が落ちてきてしまったようだ。 自分自身の体力の衰えと、寒さでも免疫力も半減するそうだ。 この歳になると、冬のゴルフは注意しなくてはいけない。 そんな最中に叔母がなくなったとの知らせもあって、通夜だ葬儀と続き、日記も書けずに今日にいたってしまった。 明日からは佐藤未希、門倉直子の二人の展覧会が始まるので、気合を入れなおし画廊モードに戻さなくてはいけない。 ●2月19日 二日目は鹿児島市内観光。 世界遺産となっている島津家の庭園・仙巌園と併設する薩摩切子の工房と展示場を見学。 目の前に桜島の眺望が広がり、錦江湾を池に見立て、桜島を山にした借景の枯山水の庭園である。 ここで島津斉彬は反射炉を造り大砲を製造したり、紡績工場や薩摩切子の工房を造り、薩摩藩の殖産事業に努めた。 工房では薩摩切子の職人芸とも言えるカットや研磨の技術を見せられ、美しい色彩の薩摩切子の魅力を存分に味わうことができた。 高いものは600万円もするというから驚き。 見学後鹿児島特産の黒豚のしゃぶしゃぶとさつま揚げの昼食。 終えて、今回の一番の目的であった神風特攻隊が飛び立った知覧へ向かう。 ここは陸軍の航空隊があったところで、日本軍敗戦濃厚の中、本土を守るべく、17歳を筆頭に志願した少年兵や学徒が戦闘機・隼に250キロの爆弾とガソリンを積んで、沖縄の米艦隊に体当たりすべく飛び立ったのである。 片道の燃料しか積まず、死を覚悟し、遺書や辞世の句を残して、1306名の若い命が沖縄の海に散ったのである。 85歳を過ぎた当時の戦況を知る語り部の方から、何人かの少年兵が家族や恋人に残した遺書や飛立つ前の様子を伺い、涙がとめどなく溢れる。 話の後、展示室には1306名の凛々しい兵士姿の写真が所狭しと飾られ、その下には遺書や遺品が展示されていて、悲しみとともに戦争の悲惨さに二度とあってはならないの思いを強くした。 近くには特攻に行く前に兵士達が食事しに行った富屋食堂を訪ねた。 ここの女将の濱とめさんは特攻の母として慕われ、ここにも沢山の涙なしでは読むことのできない手紙や話がパネルとなって展示されていて、少年兵達が心置きなく飛び立っていった様子にこみ上げるものを抑えることができなかった。 同じ鹿児島の海軍の鹿屋基地をはじめいくつもの飛行基地から若き兵士達が、家族や友人が無事であることを願い、日本に平和が戻ることを祈って、激しい艦砲射撃の中、米艦隊に突撃していったのである。 この尊い犠牲の上に、今の日本があることを思うと、二度と戦争があってはならないことを強く思い、平和のありがたさを改めて噛みしめるのである。 戦後70年を過ぎ、私を含め8割以上の人が戦争を知らない時代にあって、広島、長崎、沖縄とここ知覧や鹿屋を訪ねることで、決して忘れてはいけない過去の歴史があったことを心に留め、未来の子供達に伝えていかなくてはいけない。 それが永遠の平和に繋がっていくはずである。。 ●2月18日 南国鹿児島空港に到着。 降り立つとなんと気温3度で東京より寒い。 まずは焼酎で日本一の霧島酒造へ。 試飲は自由なのだが、下戸の私は匂いで酔っ払いそう。 終えて、霧島神社を参拝して、霧島温泉郷へ。 湯量豊富な温泉で坂本龍馬とおりょうさんが新婚旅行で来たということでも知られている。 ホテルの大浴場はなんと混浴。 いつもよりみなさん長めのお風呂のような気がする。 明日は知覧を始め鹿児島市内を観光して、いぶすき温泉に向かう予定。 ●2月17日 明日から3日間鹿児島にロータリーの仲間たちと出かける。 まずは霧島温泉、翌日は特攻隊が飛び立った知覧を見学した後、鹿児島市内を見物して指宿温泉へ。 土曜日は毎年カシオオープンが開かれる「いぶすきゴルフクラブ」でゴルフをして帰京というスケジュール。 知覧はぜひ訪ねたいと思っていたが、遠いこともあって機会がなく、こうした機会に行くことができたのは何よりである。 沖縄やタイ、ミャンマーの戦没者慰霊碑もお参りしたが、知覧も同じで、こうした戦争で犠牲になった人たちがいて、現在の平和があるわけで、こういうところを訪ねることで、平和のありがたさと二度と戦争があってはならないことを実感させられる。 今、隣国がきな臭くなっているが、いずれ崩壊するであろう独裁政権に日本が巻き込まれないことを祈るばかりである。 霧島は高校の修学旅行で、鹿児島はヨットの全国大会で行ったことがあるが、特にインターハイでは鈍行で東京から鹿児島まで遠征したのだが、その間駅弁を5回だったか列車内で食べた記憶がある。 硬い椅子に堪えかねて、網棚に洋服を何枚も重ねて寝たりして、今だったら顰蹙ものだが、若さゆえ怖いものなしだったのだろう。 52年ぶりの鹿児島だが、当時の面影は全くなくなっているだろう。 心配なのは、桜島が爆発をした影響か、霧島連山でも火山性微動が続いているらしく、ど〜んと来ないように、そしてゴルフの土曜日は天気予報では雨。 勘弁してほしい。 ●2月16日 伊津野雄二の彫刻展が広島のギャラリーたむらで3月に開かれる。 これは昨年の私どもの伊津野展の折にお越しいただいた児童文学者の朽木祥先生の薦めもあって実現することになった展覧会である。 朽木先生は広島生まれの原爆二世である。 ヒロシマの去らぬ日々を描いた三つの物語「八月の光」偕成社刊を朽木先生は上梓した。 この本の表紙に伊津野雄二の作品が使われたことから、朽木さんとのご縁ができた。 刊行した児童文学書の名門出版社・偕成社の社長とも私は親しくさせていただいているのだが、これは偶然。 この3月にペンクラブの大会が広島で開催されることになり、そこで朽木さんが講演することになっていて、これも偶々なのだが、伊津野展で広島のギャラリーたむらが伊津野作品を購入してくれたことを朽木さんにお話ししたところ、もし可能なら講演の時期に合わせて伊津野展を広島で開いたら、ペンクラブの大会で宣伝すると言ってくださったことで展覧会の運びとなった次第である。 月刊「こどもの本」2012年9月号で朽木先生が「八月の光」について述べられているので引用させていただく。 過ぎたれど去らぬ日々 「広島では誰かが絶えず、今でも人を捜し出そうとしているのでした」と原民喜が『夏の花』に書いている。 私が育った時代を思い起こしてみても、本当にその通りだった。 もはや戦後ではないと言われ始めたころになっても、人びとは変わらず誰かを待ち続け、捜していたのである。 バスの中でまじまじとこちらを見ていた婦人。同じ年頃の子どもを捜していたのだろうか。 すれ違う人に追いすがっては顔をのぞきこむ青年。帰ってこない家族を見つけたと思ったのだろうか。 「うちの真知子がのう……」と昨日のことのように語る老人。よくよく聞いてみれば、それはあの朝、出かけたきりの娘の話だったりする。 なにしろ、一瞬で何万人もの人びとがいなくなってしまったのだ。あまりにも突然に大切な人を奪われた人びとにとって、過去は「過ぎたれど決して去らぬ」日々なのである。復興した街が原爆の恐ろしい痕跡をすっかり隠してしまったあとも。 このたび、ヒロシマの去らぬ日々を描いた連作「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」の三編を、『八月の光』として上梓した。 二十万の死があれば二十万の物語があり、残された人々にはそれ以上の物語がある。 この本に書いたのは、そのうちのたった三つの物語に過ぎない。 しかし、たとえわずかでも記憶をわかち持つことができれば、過去を未来に繋いでいくことができるかもしれない。生き残った人々の苦しみに、もっと深く寄り添えるかもしれない─ヒロシマについて私はずっとそのように考えてきたが、三月十一日以来、ますます強くそう思うようになった。 『八月の光』は、その思いのささやかなかたちである。 ヒロシマの切ない記憶が、どうか、この本を手にとって下さる方の心に落ちますようにと、心から祈っている。 偕成社 『八月の光』 朽木 祥・著 本体1,000円
個展用の新作を紹介する。
●2月15日 > 昨日とは一転凍えるような寒さで、今にも雪が降りそう。 昨日は部屋の窓を開けていてもいいくらいの暖かさだっただけに、余計に寒さを感じる。 そんな中、お客様に先日の堀込展とコレクション展の納品で千葉に出かける。 いつも千葉のお客様のところに行くときは悪天候で、ゴルフに次いで雨に祟られる。 コレクション展も会期半ばを過ぎ、旧作が珍しいのか10点近くが売約となり、多くのお客様からも偶にはこういう企画もやってほしいと言われた。 作家さんの個展やグループ展が絶え間なく続き、こうした作品を見ていただく機会もなく、30年ぶりに展示した作品もある。 私も懐かしいが、お客様にとっても初期作品を知る上でもいい機会となったようだ。 また機会があれば倉庫から引っ張り出して、見ていだこうと思っている。 ●2月14日 昨日は台南のお客様が奥さんと9か月になる赤ちゃんを連れて画廊にやってきた。 先日の地震は私たちが思うほどには大したことがなかったようだが、偶々違法建築のビルが倒壊して、多くの死者が出たので、大騒ぎになったようだ。 お正月のバカンスでやってきたそうで、軽井沢のプリンスホテルに併設するスキー場でスキーを楽しんだり、都内のレストランの名店でグルメ三昧をしてきたみたいだ。 予約していただいている山本麻友香の作品を確認していただき、持って帰ってもらうつもりだったが、赤ちゃんの荷物と作品が大きいのとで、改めてヤングアート台北の時に送ることになった。 若いお客様だが、今までも多くの私どもの作家の作品を購入してもらっていて、私どもにとっては大切なお客様の一人である。 グルメ三昧のお客様には申し訳ないが、近くの「権八」に案内し、刺身や焼き鳥、お蕎麦などの庶民の味を味わっていただいた。 台湾に行くとその倍返しのご馳走が待っている。 ●2月13日 上海の画廊で4月に佐藤温の個展が開かれる。 初の絵画展である。 高島屋Xで個展を開いた折に美術部の方から紹介され、私どもで扱わせてもらうことになり、個展を2度開催している。 個展の折に、上海の美術館の代理人をしているKさんが大作をはじめ何点か購入してもらい、更には昨年の台湾のフェアーでも上海の有名コレクターに買っていただいたりで、何かと上海に縁があったのだが、今回上海の画廊の目に留まり、個展の運びとなった。 アニメ風の画風と廃墟のようなビルの中での様々な人生模様や不思議な乗り物が、見る人の想像力をかき立てる。 香港のフェアーで個展予定の森口裕二も昭和レトロの懐かしい情景をテーマに取り入れているが、佐藤もまた古き良き時代を彷彿とさせる情景を描いていて、こうした傾向が上海の人たちには受け入れられるのだろう。 以前上海を訪ねた折に、そう言えば旧市街の建物は戦前のままの建物が多く、リニューアルする場合でも外側はそのままにして、中だけを改装しなくてはいけないと聞いた。 川を挟んだ対岸には未来都市のような高層ビルが立ち並び、旧市街との対比が何とも印象深かった。 そんなこともあってノスタルジックな気分にさせるのだろうか、佐藤温の作品は上海で人気があるようだ。
●2月12日 昨日は久しぶりに映画館で映画を見た。 先日ソウルに行ったときに最初の部分を見ているうちに空港に飛行機が到着してしまい、消化不良で気になっていた映画だったので、見に行くことにした次第である。 「オッデセイ」という映画で、火星に取り残された宇宙飛行士が困難を乗り越え地球に帰還するSF映画である。 SFとか気味悪い怪獣とかが出てくる映画は苦手で、印象に残っているのは「2001年宇宙の旅」ぐらいであるが、偶々機内で見て興味を持った。 3Dということで眼鏡を渡され見ることになった。 昔子供の頃はは立体映画と言って、青と赤のセロハンを張った陳腐なメガネをかけて見たもので、西部劇でインディアンの馬や矢が飛んできて思わずのけぞったりして興奮したものである。 今や3Dになるとその臨場感は昔とは大違いで、技術の進歩には驚かされるものがある。 聞くところによると、今や椅子が揺れたり、匂いがしたり、水しぶきが飛んできたりと、何もそこまでしなくてもという映画もあるらしい。 どこで撮影したのか、広漠たる砂漠と岩山が広がる様は、私たちが想像する火星そのもので、そのスケールの大きさには圧倒される。 宇宙船内の宇宙飛行士が浮遊しながら移動する場面も、まさしく宇宙空間ならではの映像で、ハリウッド映画のお金のかけ方は半端でないことを実感させられる。 テレビやビデオの映画に慣らされている私には、劇場ならではの臨場感や音響は比べ物にならないほどの迫力がある。 しばらくは劇場での映画鑑賞にはまりそうである。 ●2月10日 来月からいよいよ海外での発表が始まり、待ちに待った新作が次々に出来上がってきた。 3月の香港のフェアー・アートセントラルには森口裕二の大作「魑魅魍魎」2枚組が出品される。 浮世絵の国芳、芳年や河鍋暁斎等の妖怪図をイメージして、新たに森口独自の妖怪図が生まれた。 制作に半年を要し、ようやく昨日作品が運ばれてきた。 これに昨年青森県立美術館の「化け物」展に出品した「かいじゅうと21人の乙女」などを加えて5点の大作が展示される。 村上隆の五百羅漢図にも通じる日本独自の文化から生まれた森口作品は香港の話題をさらうことは間違いないだろう。 次に同じ時期に香港で個展が開催される山本麻友香の新作も到着し、昨日香港に向けて他の作品とともに送り出した。 以前に香港で個展が開かれたことがあったが、その時は韓国の大手画廊の香港支店で、今回は地元画廊による初めての発表となる。 今年は他にソウル、ニューヨークと個展が予定されていて、彼女には申し訳ないが、ゆっくりする暇がない。 次に釜山で展覧会をする浅井飛人の新作を紹介する。 従来の鍛金を主体とした立体作品から今回は鑿肌の残る木彫と鍛金による新たな展開の作品が生まれた。 一皮むけたというか、丁寧すぎる仕事から木彫部分を大きく加えることで、手の感触を感じさせる温もりのある作品が生まれた。 先日も彼の大きい作品がアラブ首長国連邦のお客様に納まったり、ジャカルタの画廊での発表など、彼も海外に大きく羽ばたきつつある。
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●2月9日 経理をやってくれていた家内が病気をしたり、娘も家の近くに新たにできた専門の知的障害児童施設の先生をすることになり、個人のお金や立て替え分の出し入れを私にやれという。 個人のお金のことはこの年まで全く任せっきりだったので、銀行のカードの出し入れさえしたことがない私には、これは大変なことに。 今日さっそく私の立て替え分を画廊の口座から振替をしに行くことになった。 ところが何度機械の指示通りにやっても出来ない。 カードの暗証番号も間違いないし、画廊の通帳も間違いなく差し込んでいるのにできないと表示されて、カードも通帳も戻って出てくる。 窓口はすでに閉まっていて、あきらめて画廊に戻り、娘に電話をする。 娘はカードの差し込みの方向が違うのではというので、ちゃんと矢印通りにやったというと、矢印が上下に二つあって、一つは預金の引き出し、もう一つが借り入れなどに使うのだそうで、なるほどカードを見ると二つあるではないか。 こんなことも今まで知らなかった。 もう一度銀行に行って今度はちゃんと振替を終えることができた。 友人にこれまた私同様に奥さん任せのがいて、あるとき一人で新幹線に乗ることになったが、自動の切符販売機のやり方がわからない。 奥さんに電話して、ようやく切符を買えたという話を聞いて、ダメなやつもいるもんだと思っていたが、私も同類であることが今日わかった。 ●2月6日 台南で大きな地震のニュースが入ってきた。 大きなビルが倒壊したらしい。 台南や高雄には親しいお客様や画廊さんがいるので気が気でない。 フェースブックやラインで安否確認のメッセージを送ったところ、皆さんどうやら無事のようで一安心。 ちょうど今日は台湾や中国、韓国ではお正月直前にあたり、それこそ被害のあったところでは正月気分はいっぺんに吹っ飛んでしまっただろう。 神戸や東北の地震の時にいち早く手を差し伸べてくれたのは台湾の人たちであった。 どの国にもまして台湾は多額の義援金を送ってくれていて、中には個人で10億円のお金を寄付してくれた人もいた。 その恩義を忘れてはいけない。 被害の詳細が出ると各所で義援金の話が出てくるだろう。 月曜日には私が入っているロータリークラブで早速そうした動きが出ると思うので、まずはそこを通して義捐の手を差し伸べたいと思っている。 被害が少ないことを祈るばかりである。 ●2月5日 今日は外を歩くとぽかぽかとしてコートを脱ぎたくなるような陽気。 とはいえ、来週はまた雪の予報で、三寒四温で少しづつ春に近づいていくのだろう。 画廊では明日から始まる「コレクション展」の展示で大わらわ。 企画展がずっと続き、会期が空くことは久しくなかったのだが、今月は個展の予定がなく、それではと画廊の倉庫に眠る珍しい作品や思い出の作品を紹介することにした。 画廊のオープン当初から発表をしている小林健二や間島領一、望月通陽の初期作品、油絵を描きだした当時の山本麻友香の作品、その他抽象表現の作品や写真作品を展示する。 なかなか目に触れることのなかった作品ばかりで、滅多にない機会なので是非のご高覧を。
●2月4日 ベッキー、甘利、清原と新聞、週刊誌やワイドショーは話題に事欠かない。 有名税といえばそれまでだが、一斉に極悪人扱いになるのだから恐ろしい。 どれも倫理的に決して許せるものではないし、特に野球ファン・巨人ファンである私は巨人軍に入ってからの清原のふてぶてしい態度に以前から眉を顰めていただけに、天罰が下ったと思っている。 が、それだけでいいのだろうか。 その人だけをあげつらっていいものだろうか。 げすの何とかとか、賄賂を贈った側、それ以前も問題になった芸能人たちに覚醒剤を売った側も、もっと追及されてしかるべきではないだろうか。 一人だけをメディアが血祭りにあげるのはいかがなものかと思うのである。 小保方女史の手記も発表されて話題になっているが、もしSTAP細胞がなかったとしたら彼女だけを責めるのどうなのだろう。 共著を出した教授、管理者である理研の責任も追及されてしかるべきではないだろうか。 部下がやった不始末はに対して、上司も当然責められてしかるべきである。 安部首相も任命責任は私にあると言って謝罪しているし、軽井沢のバス事故の会社は業務取り消しとされて、その責めを負っている。 ギャラリー日記で書くことではないが、メディアの魔女裁判的な報道にちょっと苦言を呈したい。 ●2月3日 新宿の損保ジャパンで開催されている「絵画の行方2016」に行ってきた。 2012年から始まった公募コンクールで、昨今のコンクールは年齢制限があって、そこそこの年齢の人は応募できないでいたが、ここは年齢・所属を問わないコンクールとして門戸が開かれている。 確か2年前のコンクールでは80歳を超えた人が入選をしていた。 苦労して制作を続けてきた人で光の当たらない人は大勢いるし、芸大や五美大を卒業していないノンキャリアのアーテイストも大勢いるのだが、多くのコンクールは若い美大生が跋扈している。 私どもで発表をしている望月通陽、小林健二、金井訓志、舟山一男などは美大を出ていないが、その活躍ぶりは周知のとおりである。 古今東西のアーティストでも独学のアーティストは多く、決してキャリアだけではないことがうかがわれる。 そうした意味でもこのコンクールは意義があり、ぜひ継続をしていってほしいコンクールである。 今回の展示は過去3年のグランプリ、優秀賞12名の近作、新作80点余りが展示されている。 見てみると、既に画廊がついて活躍をしている作家も多く、並んだ作品もさすが受賞者と思える質の高い作品ばかりである。 先般のシェル賞でも過去の受賞者4人の作品が並べられていて、今一度そのコンクールの過去のアーティストを振り返るいい機会でもある。 2月19日からは損保ジャパンの今年度コンクールの入選作が並べられる。 優秀賞に私どもで発表をしている井澤由花子が選ばれていて、その展示も楽しみの一つである。 ●2月1日 新年を迎えたと思ったら、あっという間の2月で、温かかったお正月も今や雪が降ったりの寒空となってしまった。 先日、ソウルに行ったときはマイナス17度と経験をしたことのない寒さだったが、それでも東京のほうが寒いような気がするのはなぜだろうか。 今日、建設省から民間指定を受け、建築基準の審査、検査を行い、確認証や合格証、検査済み証を交付しているERI株式会社の中澤芳樹会長の「日本は省エネ後進国」と題した話を伺った。 先のCOP21パリ協定で省エネ基準の画期的な合意がなされた。 民生部門でCO2の削減目標2013年比で39%と非常に大きい。 日本では昨年「建築物省エネ法」が成立し、省エネ基準の適合義務化が2017年から段階的に実施され、2020年には新築建築物すべてに適用されることになっている。 振り返って、今までの日本の既存建築物の省エネ性能は先進国の中でも最低レベルである。 というのは、今まで先進国にはあった省エネ義務基準が日本にはなく、任意の基準も中国、韓国の義務基準以下である。 現行基準に適合する住宅ストックは5%、無断熱の住宅ストックは約2000万戸で全体の40%。 特に開口部(窓・サッシ)の断熱性能が劣り、熱伝導率の高いアルミサッシが主流なのは日本だけで、諸外国は熱伝導率の低い木製、樹脂が使われている。 先進国は燃費性能という考え方で、EUは表示も義務化されていたり、アメリカでは賃貸事業者の義務規定がある。 住宅の断熱性能と健康の関わりを見てみると、日本ではヒートショックによる死者数が交通事故死者数の倍以上となっている。 北海道等寒いところには少なく、東京や比較的暖かいところの死者数が多い。 温かい部屋から寒い台所やトイレやお風呂に行って倒れるケースも多く、逆に寒いところから温かい部屋に行っても同様なことが起こるそうである。 これから日本も他の先進国並みに省エネ性能を高め、断熱することで冷暖房の使用量を減らす健康住宅の時代に向かわなくてならない。 といった内容の話だった。 恐らく寒さ対策が寒いところのほうが行き届いていて、二重、三重の木製枠の窓や床暖房などが整っているからだろう。 北海道の人が東京に来ると風邪をひくという笑い話もあるくらいで、確かに寒冷地に比べ暖房機能が一般家庭では部屋単位で、それほど整っていない。 韓国が東京と比べて寒いと感じなかったのは床暖房のオンドルがどこも完備されているからである。 日本はエアコンを使って一生懸命冷暖房をしても、家自体が断熱性能の悪いアルミサッシを使っているために、かなりの無駄をしていることになる。 大量生産ができ、価格も安いアルミサッシが主流の日本も、義務化されることでそうした家も少なくなってくるのだろう。 ここかしことサッシが使われている、我が家のような築30年を超える古いマンションでは、耐震基準とともに省エネ基準に合わせるには、大規模修繕しかないのだろうか。 頭が痛い問題がまたぞろ出てきた。 ●1月30日 また私事で恐縮だが、金井訓志さんと山本麻友香さんからお祝い展の身に余るコメントと展覧会の詳細が告知された。 多くのアーティストともに歩んできただけに、こうしてお祝い展を作家さんたちの企画で開いていただけることは、何よりの喜びである。 金井訓志 売れない絵描きを辛抱強く助けてくださる奇特な画廊とギャラリストが居ます。その愛すべきギャラリー椿と椿原弘也氏が今年節目の年を迎えます。 椿原さんはお父上の仕事を継ぎギャラリストとして研鑽後「ギャラリー椿」を開廊。今まで多くのアーティストをその後ろ盾となって育てて来られました。 そして画商の先駆者として日本の作家を海外に紹介されています。 また、美術活動以外に奉仕の働きにも熱心で、国内外で多くの人々を助けて来られました。 そんな椿原さんの古稀と「ギャラリー椿」35周年をお祝いして、山本麻友香さんの呼びかけでお世話になったアーティストが話し合って記念展を行うことになりました。 呼び掛けに殆どの方が参加して下さりこんなにも多くなってしまいました。どんな展覧会になるのか、今からワクワクしています。皆さんに喜んでいただけるようこれから準備していきます。 乞うご期待、です! 山本 麻友香 「GALLERY TSUBAKI REUNION」ーギャラリー椿35周年と古希を祝うー 会期: 2016年6月16日(木)〜22日(水) 11時から18時30分です。 「ギャラリー椿」での展覧会のパーティ 6/18(土)にはすごいサプライズがありそうです! でも詳しいことは「大人の事情」でまだ言えないのです。 お客様、通りすがりの方、作家のお友達の方、作家のご家族の方々、もちろん作家の方々ぜひいらっしゃってください。とんでもないことになるかもしれませんが。 この展覧会では「ギャラリー椿」のほとんどの作家の作品が購入可能です!!(椿原さんの提案で一部はチャリティーとして寄付の予定です。) 6/16日からです。 ここだけの話ですが、早めにいらっしゃるとおめあての作家の作品が手に入るのではないかなあと思います。 パーティーの日とお間違えなさらないようにお気をつけくださいませ。 展覧会の最終的な参加人数は89名になりました! ご参加を快諾していただき感謝申し上げます。 お名前の間違い、載ってないけど という方、いらっしゃいませんでしょうか。 私までお知らせくださいませ。 参加者: 相澤史、青木惠、浅井飛人、天久高広、池田鮎美、井澤由花子、伊津野雄二、伊野美香、岩井康ョ、岩田ゆとり、岩渕華林、うじまり、内林武史、大石卓、大山幸子、太田真理子、岡本啓、小川陽一郎、尾関立子、小原馨、門倉直子、金井訓志、河原朝生、川口起美雄、金森宰司、川崎広平、喜多敏郎、北村奈津子、キムソヒ、木村繁之、金兌赫、呉本俊松、桑原弘明、呉亜沙、小出正義、コイズミアヤ、小浦昇、小林健二、小林裕児、佐藤温、佐藤未希、Seolje Lee、塩澤宏信、篠田 教夫、清水祐貴子、joseph choi、真条彩華、新藤杏子、 杉田達哉、 鈴木亘彦、 songsoo lee、高橋舞子、高橋幸彦、高木さとこ、高木まどか、武田史子、恒松正敏、天明里奈、富田有紀子、内藤亜澄、中村萌、夏目麻麦、野坂徹夫、長谷川健司、服部知佳、開光市、ヒラキムツミ、福岡通男、福島保典、舟山一男、堀込幸枝、牧野永美子、間島領一、宮野友美、室越健美、望月通陽、森口裕二、屋敷妙子、柳澤裕貴、山中現、山本麻友香、横田尚、吉田嘉名、ヨシダシオリ、リーユンボク、渡辺大祐、渡辺達正、綿引明浩、王建揚(五十音順・敬称略 会期が近くなりましたら再びお知らせしたいと思います。 ●1月27日 某新聞社主催の35歳までの公募展の審査を毎年頼まれていて、今回も一次審査を通った70点ほどの作品から入選作30点を選ぶことになった。 今年は応募点数は少なかったが、レベル的には例年より高ったように思う。 また日本画の作品が多く、さすが日本画の作家たちの技術は高く、そのことがレベルアップに繋がっているのかもしれない。 個性を重視し、出来るだけ流行りのキャラ系、細密写実系の作品は除外するつもりでいたが、そうした傾向の作品も少なく、若手の作風も少しづつ変化してきているようだ。 こういた審査は私にとってもとても勉強になり、いい経験をさせてもらっている。 また目に留まる作家がいたら、私どもで紹介をしようとも思っているので、個性及び技術はむろんのこと、将来性なども判断材料なのだが、 結局は私の好みを優先することになり、同時に作品が媚びてないか、画品があるかなどを加味して、私なりの視点で選ばさせてもらった。 最近はコレクター企画やコレクターが審査にかかわることが多くなり、作家とコレクターの関係がより近くなってきているが、紹介はされてもずっと個展や販売の面倒を見てもらうわけではないので、その辺は画廊との違いを作家も認識しなくてはいけない。 あくまでも紹介の場と捉え、そこから画廊の目に留まるべく精進をしなくてはいけない。 ●1月26日 昨年13年ぶりに私どもで個展を開催した篠田教夫はその超絶技法からテレビや雑誌の取材が多いが、今度はテレビ東京の「L4you!プラス」の街の「すごい人」枠で10分ほど紹介される。 スタジオ司会が草野満代と板垣龍佑アナウンサーで、人にはけっして真似のできない達人技や心意気を紹介している。 以前にはたけしの「誰でもピカソ」でグランプリを獲得し、審査員の世界の村上隆に天才だと言わしめたこともある篠田だが、昨年の個展前にも同時に2局のテレビ局が狭いアトリエに取材にやってきて、てんやわんやになったこともある。 制作の邪魔にもなると言って迷惑顔をする篠田だが、取り上げられるうちが華と私どもはついつい依頼が来ると紹介をしてしまう。 さて今回はどんな風に取り上げられるかわからないが、ご興味のある方は是非ご覧いただきたい。 テレビ東京 1月29日(金) 15:35〜16:00 ●1月23日 慌ただしい日程で、今日の夜には東京に戻ることになっている。 今朝はさらに寒く、マイナス17度だそうだ。 昼にKIAFに出品してもらったアーティストのキムテヒョクと会う。 このまえのKIAFの折に、彼の車に付き合いで買った韓国作家の作品を忘れてしまい、それを届けてもらう事になっていた。 いつものように何か忘れ物をしている。 彼はソウルでこんな寒さ経験したことがなく、大変な時に来ましたねという。 ただ乾燥しているので、体感はそれほどでもないのだが。 彼の案内で以前にも行った事のある水餃子とうどんの店に行く。 ここも昨日同様に有名なお店で、かなり寒いのに行列ができている。 餃子屋さんのすぐそばが国立現代美術館ということもあって、今一度ウィリアム・ケントリッジの展覧会をテヒョクを誘って見ることにした。 今日は土曜日ということもあって、昨日以上に混雑していて、この展覧会の人気が伺われる。 不勉強でこの作家の名前を知らなかったが、素晴らしいアーティストである。 展示のほとんどがドローイングとそれをベースにした映像作品なのだが、ダイナミックな表現力と卓越した技術、それと旺盛な制作量にはただただ感嘆の言葉しかない。 南アフリカの作家ということもあるのだろう、人権や戦争、飽食などの社会問題を取り上げているのだが、決して重苦しくなく、ユーモラスであったり、ミュージカルやアニメを見るような楽しさがある。 オブジェやインスタレーションもスケールが大きく、何度見ても見飽きることがない。 美術館で同じ展覧会を二日続けて見るなどということは滅多になく、それだけ私の心に響いた展覧会であった。 また、こうした現代美術を見に多くの若者が訪れているのにも驚かされた。 冬休み中は大学生が無料ということもあるのだろうが、それにしてもこれだけの多くの若者が見に来るというのは、韓国に現代美術が根付いている証拠なのだろう。 新しくできた美術館だが、宮殿や国立博物館がすぐ横にあり、大手画廊もその並びに沢山あって、韓国文化の中心地と言ってもいいだろう。 学生が無料と書いたが、私もお金を払おうとしたら65歳以上は無料だそうだ。 入場料も400円で日本の美術館と比べると格段にやすく、気楽に美術館に来ることができ、これからは観光客も多く訪ねるようになるのではないだろうか。 ゆっくりと鑑賞をした後、テヒョクに空港まで送ってもらう。 何度も冬の韓国に来ているが、車の中から初めて漢江が凍っているのが見え、改めてソウルの寒さを実感させられた。
●1月22日 昨日からソウルに来ている。 寒いのは覚悟していたが、マイナス11度で寒いより痛い。 朝、重装備で明洞の通りに出たが、頭だけは防護していなくて、屋台みたいな所でニット帽を購入。 店の女の子がやけに日本語がうまいと思ったら日本人。 こんな所でも日本の女性が働いているのにちょっとびっくり。 昼に彫刻家の李ユンボクと待ち合わせて昼食をする。 日本のお客様から注文のあった彫刻作品を受け取る。 日本のお客様は彼の大ファンで、新作が届くのを心待ちにしていたので、送ってもらうよりは早いと直接ソウルに行くことになった次第である。 彼の車で今日が最終日のうちでアルバイトをしてくれていたキムソヒの個展会場に向かう。 画廊は取引のあるSPギャラリーのすぐそばにあり、これまた取引のあるCAISギャラリーに勤めていた女性が独立して3年前に開いた画廊だそうだ。 出かけていてオーナーに会うことはできなかったが、ゆっくりとソヒの作品を見せてもらった。 ユンボクはすでに3回ほど見に来ているそうで、今までの作品に比べ油彩の技術が格段に良くなったという。 確かに色彩も明るく艶っぽくなり、形もよりクリアーになったようだ。 100号の大作が売れていて、自分のことのようにホッとしている。 エスプリの効いた作風も一段と腕を上げたようだ。 次に国立現代美術館に向かい、南アフリカのウイリアム・ケントリッジの展覧会を見る。 詳しくは明日の日記で書こうと思う。 美術館を後にして近くの画廊を覗いていると、なんと戸村美術の家族一行に会う。 全くの奇遇だが、息子さんが韓国の女性と結婚し、孫の一歳の誕生日とあって、家族でやってきたのだそうだ。 韓国では日本の七五三のように一歳の誕生日を盛大に祝う風習がある。 奥さんも日本の画廊にいたこともあって以前からよく知っていて、ご主人が東京で、奥さんがソウルに画廊を出している。 夕食は韓国画廊協会の会長、副会長、理事の三人の招待で日本料理をご馳走になる。 日本料理と言っても、刺身や寿司、天ぷら以外にも焼肉は出るは、チジミは出るはで、とても食べきれない。 この店は先日安倍総理が招かれて食べたところだそうで、それ以来予約の取れない店になっているのだそうだ。 いつものごとくの歓迎でただただ感謝である。 ソウルのアートフェアーやAPAGAのこと、行政の文化支援のことなど話は尽きず、その中でどこでそんな噂が立ったのか、このまえのKIAFで私のところが2億ウォン売り上げたと言われびっくりした。 売れたのは確かだが、噂というのは尾ひれがつくものである。 秋は韓国がAPAGAの開催国に立候補をしたいと言っているので、春の日本開催と合わせて協力をしていくことになった。 外へ出ると凍えるような寒さだったが、彼等のホスピタリティに心だけは暖かくなっていた。 ●1月20日 シンガポールのアートフェアー・アートステージが始まった。 日本からも多くの画廊が参加しているようだが、私どもは参加せずにジャカルタのエドウィンギャラリーに浅井飛人と牧野永美子の立体作品を展示してもらっている。 シンガポールのフェアーはあまりいい思い出がない。 最初に出たときは、今のアートフェアーとは別のフェアーだったが、前の年にインドのお金持ちが大挙押しかけ、ブースの絵を丸ごと買ったというような話を聞いて張り切って出かけたのだが、なんと開催一週間前にリーマンショックがあって、会場は誰もやって来ずで散々な目にあった。 前もって韓国や台湾のお客さんに予約をもらっていたので、何とか収支はあったが、シンガポール自体では何の成果も得られなかった。 仕事もえらい目にあったが、それ以上に大変だったのは、展示の最中に突然の腹痛に襲われた。 前の日にみんなで食べた屋台の料理があたったのかと思ったが、なんと尿管結石。 担ぎ込まれた病院がラッフルズホスピタルというセレブご用達の病院。 海外で不安なので個室を頼んだが、ホテルのスィートルームのような部屋。 手術台で麻酔をされたので記憶はほとんどないが、朝起きるとベッドの横に出てきた石が置かれていて痛みもなくなっている。 すると突然豪華な朝食が出てきて、昼、夜の食事のメニューもあって、昼はイタリアン、夜はフレンチで好きなものを選べという。 食べたいのはやまやまだが、展覧会も始まるのでのんびりしているわけにはいかず、先生の許可を得て朝食を済ませると早々に退院をすることになった。 海外傷害保険にも入っていなかったこともあって恐る恐る会計に行くと、なんとたった一泊の入院で200万円の請求書。 またお腹が痛くなりそうになったが仕方がない。 診察や検査、手術のたびに何度もカードを切らされていたので、今更払えないとも言えずサインするしかない。 ところがである、捨てる神あれば拾う神ありで、家に連絡するとびっくりした家内が使ったカードを調べてくれて連絡がきた。 なんと切ったカードに200万円の保険がついていたのである。 といった次第でシンガポールはあまりいい思い出がなく、その後に出たフェアーでも大した成果を上げることができなかった。 今回は他力本願ジャカルタのギャラリー頼みで参加している。 と書いた矢先にジャカルタのエドウィンギャラリーからメールが来た。 現地の運送会社の手違いで作品がシンガポールではなくジャカルタに今週末届くことになってしまい、アートフェアーに出品できないとのこと。 大変申し訳ないが別のフェアーに出すのでお許しいただきたいと。 矢張りシンガポールは方角が悪いようだ。
●1月19日 ロータリーの友人の紹介でこの4月に個展を予定している大石卓が作品がほぼ出来てきたので見てほしいということで、湯島にあるアトリエを訪ねた。 東京芸大を卒業のあとしばらく実業の世界で活躍していたが、50歳を期に画業に戻ることになり、その第一回の個展となる。 ブランクがあったことを懸念していたが、作品はどれも完成度が高く、色彩も華やかでインパクトのある作品ばかりである。 デフォルメされた動物や昆虫がテーマだが、妖しげであったり、不気味であったり、はたまたユーモラスであったりと、独特の個性を発揮している。 既に15点ほどが完成していて、ほぼ描き上がった数点を残すのみとなっているのだが、本人は間に合うのかどうか不安で仕方がないという。 ぎりぎりまで描いている作家さんに聞かせてあげたい。 その後、すぐ前にある湯島天神にお参りに。 学問の神様菅原道真公が祀ってあることもあって、合格祈願のお札が鈴なりになっている。 かくいう私も家内と子供たちの合格祈願で何度もお参りに来ている。 拝んでいる学生さんの中には、東大から始まって数えきれないくらいの大学の名前をつぶやいていたが、道真公もそんなにたくさんのご利益は上げられないのでは。 境内にはもう白梅の花が咲いていて、「東風(こち)吹かば 匂いをこせよ梅の花 主なしとて 春を忘れぞ」と大宰府に流された菅原道真公が詠んだ句をなぜか覚えていて、古に思いをはせる。 お参りの後は境内横にある「鳥つね」で親子丼を。 ここは自分が合格祈願のお参りをした後に立ち寄った懐かしいお店で、親子丼の味は今も変わらない。
●1月18日 予報通り、朝起きると一面雪化粧。 暖冬から一転、ここ数日寒さが厳しくなったが、まさかこんな雪になるとは。 展覧会も二日目だが、来る人も少なく画廊は余計に寒々としている。 木曜日からは三日ほどソウルに出張するが、こちらはどうやらマイナス10度の世界でもっと寒く、出来れば行きたくないのだが、そうも言ってられない。 韓国画廊協会会長とのミーティング、注文のあったリユンボクの彫刻作品の引き取り、売掛金の集金といったところなのだが、お金はちょうど円安の121円のころに売ったものだけに、急激な円高で円に両替すると損になるので、そのままウォンで銀行に置いておくしかない。 この為替の変動が曲者で、すぐにお金が入るのなら問題ないが、海外は日本と違ってすぐに払わない人も多く、為替変動の影響を受けてしまう。 ちょうど、私のところで長い間アルバイトをしてくれたキムソヒがソウルで個展をしているので、それも見に行くつもりでいる。 それとソウルの国立美術館で開かれている「ウィリアム・ケントリッジ」の大規模な回顧展を見るのも楽しみの一つである。 ホカロンをたくさん体に張り付け、焼き肉や参鶏湯で極寒のソウルを乗り切ってこなくては。 ●1月16日 堀込幸枝個展が今日から始まった。 とにかくマティエールが美しい。 テーマが透明なコップや瓶を通しての画面構成なので、当然と言えば当然なのだが、その透き通るような質感に目を奪われる。 私のところで発表している山本麻友香・河原朝生・夏目麻麦・服部千佳などマティエールのきれいな作家さんは多いが、その中でもこれだけ質感を前面に出している作家は彼女以外にない。 もちろんモティーフはあるのだが、それ以前に絵肌に目を奪われる。 前回から少しづつ出てきている風景とのダブルイメージも静物同様に透明の中に溶け込んでしまいそうだ。 新春早々心洗われるような何とも清々しい展覧会である。 是非ご高覧を。
●1月15日 今年の5月に各国持ち回りで開催している8か国によるアジアパシフィック 画廊協会会議(APAGA)を日本で開催することになった。 この会議には全国美術商連合会(全美連)の代表として、私が毎回出席していることもあって、その開催に当たっては当然のごとく私が動かなくてはならない。 今までは開催国が各国を招待していることもあって、日本としても各国の代表を招待しないわけにはいかない。 その資金をどうやって捻出したらいいか昨年来頭を痛めている。 全美連の代表として出ているので、そこから出してもらうのが筋だが、これが厄介で、全美連を構成するメンバーはその殆どが古美術商と日本画商である。 APAGAは現代美術の振興を目指していて、多くの全美連のメンバーにとっては全くの他人ごとで、なぜそこに金を出さなくてはいけないとなってしまう。 そのために、社団法人となった現代美術懇話会から二人を全美連の理事に迎え、現代アートに携わる画商の多くにこの団体に加盟をしてもらうことで、発言権を増すことを考えた。 しかしながら、理事には入ってもらったものの、まだ現代アートの組織は脆弱で、一向に会員が増える気配がなく、それでは全美連の協力は得られるはずもなく、私は孤立無援で途方に暮れていた。 ところがである、救世主が現れた。 以前から私が協力をお願いしていたアートフェアー東京が組織替えとなり、新たな代表者となったK氏がAPAGAの会議に協力をしたいと申し出てくれた。 そのための支援にも動いてくれていて、今日全美連理事長A氏とアートフェアー東京の代表K氏、そして私との初めての会合を持ち、相互手を携えてAPAGA開催の準備を進めるとともに、スポンサー探しにも大いに力になってくれるとのことで、まずはほっとしている。 アートフェアー東京としても、グローバルなフェアーを目指していて、そのためにもまずはアジア・パシフィックのの画廊協会を取り込むことは大きなメリットがあり、全美連としてもアートフェアー東京と組むことで、この組織が大きく外に向けての認知度を高めることにもなる。 APAGA会議を東京美術倶楽部で開催し、翌日アートフェアー東京が開催されている東京国際フォーラムにて公開シンポジウムを開くことで合意し、その会場も確保してもらうことになった。 まだまだ色々な問題もあるが、まずは第一歩を踏み出せたことで、昨年来の悩みも解消しそうである。 ●1月14日 日本現代版画商協同組合の初例会の新春講話に、「アートは資本主義の行方を予言する」PHP新書を最近上梓した東京画廊代表・山本保津氏を招いて講演していただいた。 第二次戦後、アメリカが世界を席巻するようになり、アメリカ発の抽象表現主義がアートの主流となったように、時代の大きな節目がアートの動向に大きく影響していることは自明の理だが 、山本氏は資本主義の動向とアートの変遷に視点を当てて、独自の理論を展開する。 日本においても東京オリンピックの開催と並行して、具体美術運動が始まり、大阪万博とともにもの派が活動するといった、日本経済が隆盛を迎えるきっかけとなった時期と新たな絵画運動を結び付けて解説をしてくれた。 著書でもアートの価値と価格の関係こそ、資本主義の本質が隠されていると述べ、経済学とアートという対極にあると思われていたものが、絵画とは資本主義の価値と価格のパラドックスを体現するものであるという。 同業者がこのような視点で美術論を展開することは大変興味深く、皆さんにも是非一読をお勧めしたい。 ●1月13日 画廊は何も飾ってなくて殺風景そのもので、昨日の初出勤も気温が下がったのと相まって、寒いのなんの。 天井が高いせいもあって、休みが長いと、冷え切った画廊は暖かくなるのにしばらく時間がかかる。 やっと治った風邪もぶり返すのではと心配になる。 そんな何にもないがらんどうの画廊に韓国画廊協会の会長一行が新年の挨拶に見えた。 寒い中を恐縮だが、韓国も昨日まで暖冬だったようで、昨日からいきなり寒くなったそうだ。 5月に日本で開催されるアジア・パシフィック画廊協会会議のことや、それとは別に日中韓に台湾を加えた東アジアで協力して、東アジアの美術市場の活性化のための施策を話し合おうということになった。 10月に開かれるKIAFについてもいろいろアドバイスして欲しいと頼まれ、私なりの考えを述べさせてもらった。 21日から2日ほどソウルに行くことになっていて、向こうでも食事をしながら話し合いを持つことになった。 台湾だけでなく韓国でもアドバイザーを務めることになりそうで、また仕事が一つ増えることになる。 今日は多少は画廊らしくなっているので是非お立ち寄りいただきたい。 ●1月12日 明けましておめでとうおめでとうございます。 今年は私にとっては古希の年となり、還暦に続いて人生後半の区切りの年となる。 というわけで、張り切ってこの一年のスタートを切るつもりだったが、正月早々から風邪をこじらせ、10数年ぶりに寝込んでしまった。 8日から画廊も始まり、新たな気持ちでと思っていたのが、出鼻をくじかれ、ようやく今日からが私の仕事始め。 画廊もギャラリー椿となって35年(数えでだが)、この仕事に携わり50年(こちらも数えだが)と私の古希とともに記念すべき年となる。 暮れの挨拶でも書いたが、これを記念して、私どもで発表した作家さんが祝いの展覧会を開いてくれるという。 昨年に有志の作家さんから提案があり、有難いこととお受けすることにしたが、個展だけではなくグループ展などでご縁があって、画廊にも時折顔をを見せてくださる作家さんにも是非声をかけて欲しいとお願いをした。 結果、病気や介護の方を除いた90名近い方から出品の意向をいただいた。 オープニングのパーティー、記念画集も皆さんで用意してくれるという。 普通は画廊が節目の年に、作家さんに依頼をして展覧会を開くのが当たり前だと思うが、それを作家さんたちでやってくれるというのだから、これほどの画商冥利につきることはなく、ただただ皆さんに感謝するだけである。 70となるとどんなに頑張っても後20年画商でいることはあり得ない。 90になっても元気でやっていれたら、それはうれしいことだが、それだけの体力気力は無くなっているはずである。 残された画商人生はそれほど残っていないことを肝に銘じて、作家さんとともにいい作品を作り上げることで、短くとも濃密な時間を過ごせればいいと思っている。 それがひいては長い間支えてくださったお客様へのご恩返しになるのではないだろうか。 そんな思いを胸に秘め、今年も皆様にお世話になるので、何卒ご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。 |
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