ギャラリー日記

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3月31日 「まんぷく」

NHKの朝の連続ドラマ「まんぷく」が昨日最終回を迎えた。

朝ドラを続けて見たのは初めてのことだったがすっかり「まんぷく」にはまってしまった。

ちょうど秋に台湾のフェアーに行ってる頃にホテルのテレビで見たのがきっかけだった。
海外ではNHKしかやってないので、必然的にテレビをつけるとNHKを見ることになる。

やはり同じように日曜夜の大河ドラマ「せごどん」も昨年暮れまでは見るようになった。
朝ドラ同様に大河ドラも一度も見ることはなかった私なのだが。

私の入っているロータリークラブに島津斉彬の孫にあたる方と会津の松平容保の孫にあたる方が入っていたのと、去年一昨年と鹿児島の島津邸があった仙巌園を訪ねたことで、 島津家や西郷隆盛に興味を持ち、途中から見ることになった。

今でも福島の人達は鹿児島や山口の人と戊辰戦争での怨讐が拭えずにいると聞くが、うちのクラブでの島津さんと松平さんはなんのわだかまりなくおつき合いしていた。

一度ロータリーの旅行で戊辰戦争最後の戦いで会津藩士が玉砕した母成峠を訪ねたことがあった。

そこには松平さん揮毫の戦死者を悼む石碑があり、同じく会員であった医者にしてエッセイストの斎藤茂太さんの提案でお二人を石碑の前に立たせ握手をしている写真を撮ることになった。
そして茂太さんが大きな声で「これにて永年の恩讐は解消」と言われてみんなで大笑いしたことがあった。

そんなこともあり、幕末から明治の時代を駆け抜けた西郷の一生を描いた「せごどん」は興味深く見せてもらった。

これで少しはNHKの受信料の元は取れたかもしれない。
しばらくは「せごどん」ロスになったが、この4月からは「まんぷく」ロスになりそう。

3月30日 印象記

紋谷幹男様の展覧会印象記を紹介させていただく。

いつも奥深い視点で作品を眺め、巧みな表現で展覧会の印象を送ってくださる。
作家にとっても励みになり、次の飛躍につながる。

河原朝生展

暗褐色で水平面や、床壁天井などで、
場が作られ、物が置かれています。
場とものの関係などがスケールアウトしていて、
あるいは場、ものそのものが非現実的で、
特定の事象の正確な再現が
目指されていないことがわかります。

しかし、それらは自然に発生した状況ではなく、
特定の意思によって起こされています。

ある出来事が進行中というより、
予想の付かない何かがまさに起ころうとしている、
そのような困惑に近い予感があります。

「美しい」とか「なごむ」などの感想では語れない、
不思議の森を彷徨うような、
神秘を伴うわくわく感は、
このように複雑な事情を秘めた単純さに宿る。
そんな印象でした。

−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


いつもありがとう御座います。



3月29日 弓の会

日本テレビアナウンサーの井田由美さんを囲んで毎年2回は開かれる食事会で、由美さんの名前にちなんで「弓の会」としている。

今はなくなったが、日テレの美術番組「美の世界」のキャスターを最後まで担当した井田さんにもう一度会いたいという作家さんたち有志が10人ほど集まるのだが、 私は以前に画廊での撮影があった関係もあって一人作家でもないのに声がかかって参加している。

もう皆さんベテラン作家さんばかりで、中の一人は昨年芸術院会員になった作家さんもいたり、大学で定年を迎えた人もいる。

井田さん自身も2年前に定年を迎えたが、現在も毎週日曜日の朝に放映される「皇室日記」を担当している。
他にラジオで朗読番組「私の図書館」で朗読を担当している。

民放女子アナで定年まで肩書きは部長であったが、現役で定年まで勤め上げたのは彼女が初めてだそうだ。

今回は特別に食事を終えて我々の前で朗読をしてくれることになった。
高村光太郎と宮沢賢治の一編を心に染み入るような語り口で語ってくれたが、目の前に情景が浮かび上がるようであった。

さすがプロフェッショナルである。

今回はみなさんで色紙に寄せ書きをすることになり、作家さんばかりの中に図々しくも私も絵を描かせてもらったが、これでこの色紙も将来値段がつくことはなくなるだろう。

花冷えの寒い午後だったが、皆さんの井田さんへの熱い想いに、出されたうどんすきと相俟って、部屋は熱気に包まれた。

次回も一人もかける事なく集まりたいものである。


3月27日 立体アート展

松屋銀座での展示が終了した。

結果はまあまあといったところだろうか。
チャリティー展の作品と立体展に出品した作品の傾向がだいぶ違っていて不安もあり、それほどの成果は望んでいなかったのだが、予想外といったところだろうか。

6月に私どもでもオブジェ展を企画していて、そこでさらに充実した立体作品を展示できたらと思っている。

今回発表した13名の作家以外にも、私どもで他に立体で発表している作家を合わせると25名に及び、扱い作家の半数にもなる。

うちは最初に扱った望月通陽、小林健二が立体を造っていたこともあり、他に比べると早くから立体を扱ってはいたのだが、これほど多くの作家の立体作品を扱うとは思ってもみなかった。

昔は立体というとブロンズとか石彫が多く、重たくて幅も取り外に置く以外は置き場所がないことから、個人のコレクターが買われることは少なかったのだが。

それが樹脂や粘土、陶や木といった素材を使うようになってからは、小立体を飾る方が多くなり、今やうちでも立体作品を発表する作家に人気が集まり、中には行列や抽選という作家たちが増えてきた。

3月26日 検査

昨年の夏の人間ドックで引っかかり、検査が続いている泌尿器科へ。

内視鏡検査や細胞検査で膀胱ガンや前立腺の心配はなくなったのだが、排尿の勢い検査というのにひっかっている。

尾籠な話で恐縮だが、勢いに欠けるそうで、私のゴルフの同様に以前のような飛距離と勢いが出ない。

夜中にトイレに起きることもなく、排尿障害も全くないのだが、どうしてだろう。

大体こういう場合は加齢で片付けられてしまうのだが。

50日分の薬を毎日飲んで、今日久しぶりの検査の日である。

水分をたくさんとって出来るだけ我慢して、万全の体制で検査に臨んだ。

果たして結果は。
だいぶ改善されているそうで一安心。
ただこれで終わったわけではなく、また50日分の薬を飲んでもう一度検査を受けることになった。

やれやれ。

3月25日 防衛省

今日はロータリークラブの企画で市ヶ谷の防衛省を訪問。
滅多に行けるところでもないのと、ちょうど外濠の桜も観られることもあって参加することに。

行ってみると昨日の駒場公園とは違って、外濠の桜はまだ咲いていなかったが、クラブの面々は私同様に防衛省見学には関心があるようで、いつも以上に多くの会員が参加をした。

明治初めにここに陸軍士官学校が作られ、太平洋戦争直前には陸軍大本営本部が置かれていた。
戦後連合軍に接収され、返還されて防衛庁となり現在に至る。

先ずは航空自衛隊の幹部の方の案内で、今までに殉職した自衛官の慰霊碑に向かい用意した花を捧げ、いくつかの記念碑を見学してから記念講堂に向かう。

以前の建物は全て解体され、新しい庁舎に生まれ変わったが、講堂は以前の資材を残して造られていて、当時の面影を残している。

この講堂で東京裁判が行われ、三島由紀夫と楯の会が2階にある総監室に乱入占拠し、総監を拘束した上でバルコニーに立ち、 集まった自衛官を前にクーデターを呼びかけた後、部屋に戻り割腹自殺に及んだのである。
入り口の扉には乱入した際にできた刀傷が残っていた。

見学を終えた後、自衛官幹部より自衛官の定年後の雇用について、その就職援護システムについてのお話を伺う。

この後は防衛省の共済組合が運営する立派なホテルで立食のパーティーが催され、見学に来られなかった会員も参加して大いに盛り上がる会となった。

写真はほとんどの場所で撮影可だったが、SNSによる拡散は禁止ということで掲載ができないが、ここでしか買えないお土産を買ったのでそれを紹介させていただく。


3月24日 花見

春の暖かな陽気に誘われて近所にある駒場公園に桜を観に行ってきた。

満開とはいかなかったが、旧前田家本邸の洋館をバックに桜が映えて美しい。

平成28年から30年にかけての保存修復工事を終えて、久しぶりに英国風の重厚な洋館を目にすることができた。

建物の中には自由に入ることができるので、中にあるカフェで桜を眺めながら本でも読もうと思っていたが、修復を終えて残念なことにカフェがなくなっていた。

仕方なく、駒場公園のすぐそばにある東京大学の駒場キャンパスに花見のはしごと洒落たが、こちらはまだ多くが1、2分咲きで、枝垂れ桜だけが美しい花を咲かせていた。

滅多にハンバーガーを食べることはないのだが、大学の近くにあるフレッシュネスバーガーお昼を食べに行く。
小さなお店だが、ここがフレッシュネスバーガーの最初のお店で、友人の娘さんがオープン当時アルバイトをしていたのを思い出した。

店内も当時そのままで、こんな小さな店から都心にいくつもの店ができたと思うと感慨深いものがある。

食事を終えて歩いていると、知人で作品も購入してくださっている骨董商のHさん夫妻に偶然出会う。
一年の殆どをロンドンで過ごしているが、先週日本に帰って来て私と電話で話したばかりだったが、こんな場所ですれ違うとは何とも不思議なことである。

近くにある駒場民藝館を観てから同じように駒場公園の桜を見に行っての帰りだったそうだ。

30年ぶりに行ったフレッシュネスバーガーも滅多にないことなのに、その帰り道に、それも人があまり行き交わない所でロンドンから帰国したHさんに会うのも桜の引き合わせか。

来週末は駒場の桜も散っているだろう。

儚いがそれが桜の所以で、その潔さに日本人はより美しさを感じるのかもしれない。

毎年のことだが、束の間の桜の美しさに心が癒される。

3月23日

河原朝生展が今日から始まる。

静謐な画面の中にどこかミステリアスな雰囲気を醸し出す河原独自の世界が展開される。

今回はダークな色調の作品が多く、闇に潜む心霊的な面を描こうとしているのだろうか。

河原は私より少し下で今年で古希を迎えるが、風貌を見る限りとてもそんな年に見えず、いつまでもダンディで飄々とした味わいのある人物で、 男ならこんな風に年を取りたいと思わせる魅力的な作家である。

若い女性ファンが多いのもわかるような気がする。





3月22日

台湾から帰ってみるとすっかり春の陽気になっていた。

松屋銀座展で始まっている朝日チャリティー美術展に併設された立体アート展を見に行ってきた。

チャリティー展の中で著名作家が並ぶコーナーの入り口に我が作家たちの立体作品が並ぶ。

照明を落とした奥のコーナーには光を使う内林武史と川崎広平が展示されている。

購入するには全て下値が書かれていて、そこからの入札となる。

多くはアカデミックな作品で、うちの画廊に来る美術ファンとは違い、どういう風に見てくれるか一抹の不安もあるが、まずは初めての試みで、 我が作家たちを知ってもらういいきっかけになればと思っている。

隣の催事場でも可愛らしい動物家族「シルバニアファミリー展」をやっていて、春休みと相まって多くの家族連れもやってくるので、週末8階の催事フロアーが賑わうのは間違いない。




3月21日

どうやら東京に開花宣言が出たようでいよいよ春到来である。

現地時間3時35分の飛行機で帰国だが、東京は暖かくなっているだろう。

台南、台中、台北と慌ただしくスケジュールをこなしたが、なんのトラブルもなく、天候にも恵まれ快適な出張となった。

2年後をめどに開催を予定している国立美術館のでの展覧会、年内を念頭に進めることになっているホテルの展示、 12月に華山文化創園地区で開催される中村萌個展など先に向けての打ち合わせを滞りなく済ませることができた。

すぐに結果に結びつく仕事ではないが、周到に準備を進めていくことで、いい結果に結びつくことを願っている。

同行していただいたK夫妻も美術館以外は私の仕事に付き合っていただいたことは感謝に堪えない。

また行く先々での台湾の皆様の温かいおもてなしには心からお礼申しあげたい。

多謝、再見。

3月20日

今日はホテルが用意してくれた運転手さん付きのベントレーで一日市内を回ることに。
初めての高級車ベントレーに少し緊張。
昨日の迎えもトヨタアルファードのハイグレード車で、夕食といい部屋といいホテルオーナーの歓待ぶりには恐縮至極である。

まずはマンダリンホテルで待ち合わせて、日本で富田有紀子の作品を買っていただいたお客様に作品をお渡しを。
若いご夫妻だが、ポルシェの高級車で現れ、これまたこちらが買っていただいたのにお土産まで頂戴する。

同じホテルでフィギュアショーを主催するモンスター台北の社長黄さんといつも通訳をしてくれるみどりさんと合流し、飲茶の昼食を黄さんにご馳走になる。
この三日間お金を使う暇がない。

食事を終えて社長のフィギュアショップを訪問。
店内にはぎっしりとフィギュアが飾られていて、その中に中村萌のフィギュアも飾られている。
数あるフィギュアの中で中村萌のフィギュアだけは非売品だそうだ。



更に黄さんの案内で開催中のバンクシー展を見に行く。
一週間少しの短い会期のなか運良く展覧会を見ることができた。
街中でのスプレーアートの一種なのだが、そこには世相批判が込められていて、ただの落書きとは違うところである。



次に黄さんと別れ、K氏の奥様が台湾が初めてということで故宮美術館へ案内する。
夕方近い時間なのに大勢の団体客が詰めかけ、ゆっくり見ることができないし、なんせ人に疲れる。
挙句に写真の邪魔だと展示を見ていてもどかされてしまい、なんだこいつらはと多少ムッとする。
いい加減諦めてコーヒーショップでK氏夫妻を待つことにした。

最後はいつもアートフェアでは定番の夜市の鉄板焼きとマッサージへ。
今まで高級料理ばかりだったが、少しはK氏夫妻に台湾はあんな高級料理ばかりでないことを知っていただいた。
マッサージもお二人とも初体験に近いそうで、今回の台湾訪問は驚くことが多かったのではないだろうか。


また私たちが引き回したホテルの運転手さんお疲れ様でした。

明日東京に戻ります。

3月19日B ホテル展示

台中の美術館の打ち合わせを終え新幹線で台北へ戻る。

ホテルのロビーやコーヒーショップ、廊下、各部屋の展示依頼をされていて、その展示プランを持って伺うことにした。

こちらがご厄介になるのに、駅にはホテルの運転手さんが出迎えに。
ホテルに着くと玄関にはオーナーの息子さんと日本語ペラペラの役員さんが待っていてくれる。

すでに部屋の用意もされていて、入ってみるとなんとスィートルームで一人では広すぎて落ち着かない。

更には食事の用意がされていて、掲示板には椿画廊宴席と書いてあり、個室が用意されている。
そこでホテル自慢料理が振舞われた。

至れり尽くせりの歓迎にどちらがお客さんかわからなくなる。

料理も昨日同様にこれでもかと出てくるがどれもあっさりしていて残すことなく完食。

終えて、持ってきた資料を見てもらいながら、私どもの展示プランを説明させていただく。

前向きに検討するとともに、更にはコーヒーショップで使う食器やコースターのロゴなども依頼された。

社長の息子さんが弟さんが撮った昨年のアートフェアでの山本麻友香の作品写真を見て興味を持ち、買うつもりはなかったようだが、 一目見て気に入って大作を衝動買いをしてしまい、持ち帰った作品をこれまた社長が見て気に入り、それがご縁でこの話に繋がるのだから、きっかけというのは不思議なものである。

こちらも美術館の企画同様にいい結果に繋がるように願っている。


3月19日A 国立台湾美術館

会社訪問を終え、次の目的地台中の国立美術館へ。

昨年のアート台北の折にお招きしたK氏が台南の画廊さんに差し上げたK氏所蔵のニキドサンファールのカタログを見た国立美術館のキュレーターの目にとまり、 美術館でニキ展を開催したい旨の要請があり、その打ち合わせでK氏夫妻とともに台南の画廊のオーナーの運転で美術館を訪れた。

台中の市内の真ん中にある国立台湾美術館は、広大な敷地にあって、美術館自体も大きなもので、天井も高いところは10 メーター以上あり、巨大な作品が多いニキ作品には願ったりのスペースである。

早速館長さんにお目にかかり、担当の方を交えて展覧会についての打ち合わせすることになった。
予算や運送などを含め諸問題もあるが、美術館は展覧会に向けてまずは第一歩というところだろうか。



3月19日 会社訪問

今日は台湾国立美術館での企画展の打ち合わせの前に、大変お世話になっているコレクターのF氏の会社を訪ねることに。

台南から台中に向かう途中にその会社はある。

F氏の会社がどんなことをしているか知らないままに、長いお付き合いをさせていただいていたが、今回初めて知ることとなった。

以前に台湾のアートフェアのスポンサーをしていて、コーヒーをサービスしていたので、てっきりコーヒーの豆を作っていると勝手に思っていたが、 それはほんの一部で、ケミカル系の会社で農薬や防水シートの製造が主な仕事であることがわかった。

本社屋には多くの美術品が展示されていて、それはほんの一部で多くはご自宅にあるという。

うちで購入していただいた中村萌、大島康之、北村奈津子の立体作品、王建陽の写真などに混じり、 今人気の小松美羽、ロッカクアヤコ、三島清喜美代、塩田千春などなど大作を中心に展示されている。

コレクションを拝見したあと、工場も見学させていただいた。
小さな黒いプラスチックの粒から巨大な黒い防水シートが作られていく工程を見学させていただいた。
このシートは崖の土砂どめに使われたり、南極の昭和基地でも使われてているそうだ。





3月18日

今日から台湾に来ています。

台北松山空港から台北駅に向かい、そこから新幹線で台南へ。
2時間余り、台湾の田園風景を眺めながら快適な旅。

台南ではお世話になっているダーフォンギャラリーのオーナー陳さんが出迎えに。 今回は私の仕事もあるが、メーンは陳さんの骨折りもあって、六本木の国立新美術館、韓国の芸術の殿堂で開催されたニキドサンファール展を 台湾国立美術館で開催したいとの要望があり、ニキ美術館の黒岩ご夫妻とともに台中の国立美術館で打ち合わせをすることになり、ご一緒することになった。

打ち合わせは明日の予定で、まずはダーフォンギャラリーを訪ね、企画展を見た後、宿泊先のホテル内にある鉄板焼きをご馳走になる。

海鮮コースとお肉のコースが別々にあると思っていたら、両方が次々に出てくる。

なんとかデザートまで完食したが、早々のご馳走攻めでまたお腹周りが心配である。


3月16日

ロスアンゼルスのCorey Helford Galleyでの山本麻友香展の作品写真を山本ファンと思われる外国の方がFBにアップしていた。
大きな画廊の割に小さい作品を出して欲しいということだったが、写真見た感じではうまく収まったようだ。

今月末まで開催されているが、作品も概ね売れてしまったようだ。

山本の作品は先週のホテルフェアでも全て売れていて、更には出さなかった大作にも購入希望があり、何故かここに来て以前にも増して彼女の作品の購入希望者が多くなってきている。

以前は圧倒的に韓国の方の購入が多かったが、今は台湾、香港、タイ、 インドネシアなどのアジア諸国のコレクターや更にはヨーロッパや南米からの問い合わせも来たりとますますインターナショナルになってきた。

ただ、どの作家も大作の殆どが海外に行ってしまい、有り難いことなのだが不都合なことも多い。

美術館を巡回する展覧会に呉亞沙の作品の出品依頼が来ているが、作家が出したいと思っている大作も何点か香港に行っており、運送コストの予算が出ず、出品を断念せざるを得なくなった。

日本のコレクターの方にも頑張っていただきたいのだが、昨年暮れから今年にかけて、大作を購入してくださるコレクターのお二人が亡くなられ、ますます海外への比率が高くなってしまっている。

それでも嬉しいことに、版画の武田史子の作品をアメリカの版画ディーラーからまとめての注文が来た。
版画であれば、複数あるので日本のコレクターにも同じ作品を求めていただけるので、前記のような問題も起きないのだが。

来週早々も台湾出張で、コレクターや美術館、画廊の方達との打ち合わせや商談でスケジュールぎっしりである。

声をかけてくれるうちが華と贅沢言わずに海外での仕事にまずは専念することにする。


3月15日

Asahi Fusion Art Exhibition

先にもお知らせした朝日新聞厚生文化事業団主催による立体アート展が3月22日から25日まで松屋銀座8階イベントスクエアにて開催される。

この企画は第94回となる1000人の作家から寄贈された作品を特別価格で販売する朝日チャリティー美術展に併設される展覧会で、 ジオラマ31点、立体アート46点が出品され、そのうち13名がうちの作家の作品である。

出品された作品は入札販売されることになっていて、その収益が児童養護施設の子どもの進学支援、「認知症カフェ」を全国に広める取り組み、 東日本大震災復興支援事業など朝日新聞厚生文化事業団の社会福祉事業に役立てることになっている。

是非チャリティーへの協力を兼ねて、お気にいる作品を入札していただければありがたいのだが。


3月13日

FBに去年のアートフェアを振り返ってのコメントが再生されていたので改めて紹介させていただく。

今回のフェアを振り返って。

私達の仕事は出会い、縁というものが大きな要素の一つになっている。

今回のフェアの中村萌の人気は単なる浮ついたものではなく、そこに到るまでの縁、そしてその縁をチャンスと捉えて、 前に進もうというアグレッシブな思いが、こうした結果に繋がっていると思っている。

長くなるがここに到るまでの巡り合わせを書いてみる。

もう20年近く前になるだろうか。
今回のフェアの前身であるNICFに先週まで私どもで個展をしていた鈴木亘彦で参加した。

出展するにあたり、どうしたら成功するかいろいろとアイデアを考え、作品の良さもあって何と80点余の作品が売れたのである。

その時参加していた韓国の画廊がこれを見て韓国の今思うと小さなフェアだったが、そこへ招待をされることになった。

その辺の経緯は以前にも書いたが、こうして韓国へ出て行くことになった。

この画廊のオーナーは後に韓国画廊協会の会長になり、アートフェアKIAFを開催することになり、お手伝いをさせていただくことになった。

このフェアに山本麻友香で参加したことが後の彼女の韓国で人気に繋がるのである。

そうこうしているうちに韓国のオーガナイザーからニューヨークのフェアに誘われ、参加した際に台湾のフェアのプロモートに来ていた方に出会い、 こんど台湾も国際フェアを予定しているので参加と日本でのプロモートを頼まることになった。

。 こうして今度は台湾に進出することになり、紹介作家の中に中村萌が加わり、彼女の作品をコレクションする人が増えていったのである。

そのコレクターの一人がモンスター台北というフィギュアショーの主催者だったこともあり、フィギュアの制作とショーへの招待を受けることになった。

こうして彼女の人気が若い人達の裾野にまで広がり、今の更なる人気に繋がっていくのである。

フィギュアで彼女の作品に出会った方が、そこからオリジナル作品を購入するようになり、100点を目標に将来は中村萌美術館を造るという夢を抱いている方までおられる。

今回の中村萌の人気も、こうして振り返ってみると、多くの出会いの重なりとその出会いのチャンスを逃さなかったことが、今に繋がってきたのだと思っている。
出会いを大切にし、その出会いをどう活かすか、プロモート下手の私にとって、それがなにより大切にしているものである。

そして、人気とは別に常に作家を支え続けることが画廊としていちばん重要なことではないだろうか。

3月11日

あっという間に最終日となってしまった。
海外のフェアだと5日またはプレビューを入れると6日になるケースもあるが、プレビュー入れて3日は短すぎる。
とは言え、久しぶりに終わる時間9時までお客様のお相手をしていると、さすがに疲れる。
部屋が絨毯なのでまだ助かるが、それでも立ちっぱなしは足にくる。

今日は7時に終了ということで少しは楽なのだが、それから撤収で結局は夜中になるのでは。
私は持ちそうにないので、一足早く失礼させてもらう。

まあ初めての参加であったが、売り上げも来る人も予想を上回り、現金なもので来年もまた参加しようと思っている。


3月8日

いよいよ汐留パークホテルでのホテルフェアーが始まった。
このホテルはアートに特化したホテルとして知られていて、一つのフロアーは全室がアーティストによる壁画天井画で彩られていて、海外のお客様にも大変好評なようで、リピーターも多いそうだ。
またアートイベントも頻繁に行われていて、美術界ではよく知られたホテルである。

このホテルでのアートフェアも2016年に現代美術画廊だけの出展で始まったが、当初は見に来る人も少なく、私も参加を躊躇していたのだが、ご縁があって初めての参加となった。

さて初日、お客様が来てくれるだろうかの不安もあったが、予想外に大勢のお客様がお見えになる。
スタッフに任せて、一時間ほどで帰るつもりが、次々に顔見知りのコレクターや久しぶりの方にお会いし、結局は夜のレセプションパーティーまで残ることとなった。

売上も経費が出ればいいくらいに思っていたのだが、予想外の売れ行きに驚いている。

あと2日、土、日ということもあり、こうなると欲が出て、更なる売上を期待してしまう。



3月6日

汐留パークホテルでのホテルアートフェアが明後日のプレビューから始まる。

今回台湾のホテルフェアーで好評だった三木サチコの立体作品を新たに紹介させていただく。
FRPを素材に着色し、一見するとガラスや石膏のように見える独自の色彩表現を施している。

作品自体はユーモラスで飄々とした味わいのある人物像が多く、今回も3点の人物像を出品することになっている。
木彫作家の中村萌と同じスタジオをシェアしていて、そこを訪ねた折に本人に会ったことはあったが、 作品には出会っていず、スタッフが作品資料を持ってきて、初めて目にすることになったが、ひと目で虜となった。

中村萌が海外でブレークしたように、三木も海外でブレークする予感がする。


3月4日

現代美術のホテル型アートフェア「ART in PARK HOTEL TOKYO 2019」が3月8日プレビュー、9日、10日の日程で汐留パークホテルで開催される。
ギャラリー椿も今回はじめて参加することになった。
夏目麻麦、服部知佳、掘込幸枝、鈴木亘彦、山本麻友香の新作を展示することになっている。
アートフェア東京と同時開催だが、今年はそちらには出展せず、ホテルフェアの出展となった。

アートフェア東京とは違った趣だが、2726号室で皆様のお越しをお待ち致しております。



3月2日

東京都美術館で昨日から開催されている女子美の学生選抜作品展JOSHIBISION2018に卒業生特別展示で中村萌が参加している。

今注目を浴びる卒業生の小松美羽が審査員の一人として審査にあたった。

私どもで発表をしている呉亜沙、堀込幸枝や高橋舞子も女子美出身で、どちらかというとうちは多摩美出身の作家の割合が多かったのだが、女子美の卒業生の活躍も目立つようになった。

先日損保ジャパン美術館の展覧会を見に行って印象に残り日記に書かせていただいた松田麗香も確か女子美だったのでは。
他にも女子美から芸大に行った松井冬子などもいて、同じように呉も卒業後は芸大大学院に進学をしている。


3月1日

アメリカのステーキは大きいだけでかたくてまずいと言ったら、ロータリーの友人が安いのしか食べてないからと恵比寿にあるローリーズに他の友人たちも一緒に連れて行ってくれました。
ローストビーフだったけど、やわらかくて美味しかった。
アメリカのお肉見くびってごめんなさい。


2月27日

3月22日から25日まで松屋デパート8階で朝日新聞厚生文化事業団主催の「朝日チャリティー美術展」が開催される。
このチャリティー展は93回を迎える歴史あるチャリティー展として知られていて、1000人の作家から寄贈された作品を特別価格にて販売。

その併設企画として若手作家の公募展が企画され、私も審査を担当していたが、一昨年でその企画は終了し、 新たに立体作品を集めた「Asahi Fusion Art Exihibition」という立体アート展が併設展示されることになった。

今回はうちが協力をさせていただくことになり、わたしどもの取扱作家からは13名が立体作品32点を出品し、チャリティーに協力することになった。

購入方法は価格が表示され、それを参考に入札によって最高値が落札されることになっていて、その売り上げがチャリティーに使われることになっている。






2月24日A

帰る前にもう一度アートフェア会場に行き、久しぶりに作家のリユンボクくんと会って昼食を一緒にしようと思っている。

このアートフェアは韓国画廊協会のメンバーだけが参加する国内フェアである。
協会会員になるには、その時の理事全員の承諾を得なくてはならず、一人だけの反対でも入会が認められないという狭き門なのである。

見て廻ると、秋に開催される国際アートフェア「KIAF」に比べ、展示の多くが具象絵画である。
KIAFでは抽象絵画が多いように思えたが、物故作家や著名作家は相変わらず抽象表現が多くを占めるが、他の現存作家は花や風景の極めて穏やかな絵画が並ぶ。
現代美術というよりは近代美術に近いかもしれない。

聞いてみると、これが韓国のアートシーンの現状で、海外が参加するフェアでは外向きに抽象が増える傾向となるのだそうだ。

それと全体に立体作品が少ないのと日本で流行りの美人画や少女画、そしてオタク系ははほとんど見受けない。

また草間や奈良、村上といったフェアの常連や海外作家もほとんど見かけないきわめてドメスティックマーケットが現状なのだろう。
それでいうと日本はもっとドメスティック市場なのだが。

行った時は閑散としていたが、土日は多くの入場者で賑わいを見せていて、売れている作品もちらほら見かけるようになったが、やはり穏やかな風景や花に集中している。

これだけで韓国マーケットを語るのは難しいが、こうした傾向が海外市場での韓国作家の評価の低さに繋がっているのかもしれない。

これまた今の日本の若手作家にも言えることなのだろうが。


2月24日

親しくしているSPギャラリーさんに5月に新たに場所を移しオープン予定のギャラリーを案内してもらった。

サムソンのリーウム美術館近くの高級住宅地にある4階建の住宅をリノベーションしてギャラリー兼自宅としてオープンすることになった。

日本でいう原宿のようなエリアにあった前のギャラリービルはサムソン系の会社に賃貸し、3年前にも五つ星の新羅ホテルの横に同じく4階建のビルを購入し、 娘さんがギャラリー兼カフェそして自宅として使っていて、一等地に三つのビルを持つSPさんのセレブぶりにはただ驚くばかりである。

これだけのお金持ちなので新築のビルや自宅を建てたらいいと思うのだが、法律で新しく建てるときは道路幅を確保するため、1メーター奥に建てなくてはならなくなっていて、 広く使うには古いビルをリノベした方がいいとのこと。
さらにギャラリーと自宅を併設するのは、これも地価やマンション価格の高騰を防ぐために、自宅を持っている人は新たな自宅を持つときは重い税がかけられるのだそうだ。

どちらにしても韓国の画廊は殆どが自社ビルで、私もそうだが日本の画廊は自社ビルにあるのは数えるほどしかなく、彼我の差を感じぜずには得られない。

1、2階をギャラリーに3階をパーティースペース、4階を自宅とご主人のアトリエに使うそうだ。
パーティールームにもキッチンやサウナがあり、ガレージには7台の車が駐められるというからどれだけ広いのか。



2月23日A

昨日は夕方からインターコンチネンタルホテルでアジアパシフィック画廊協会会議(APAGA)が開催された。
本来は8ケ国の代表が集まるのだが、日韓台以外は不参加で、その分韓国、台湾は他の理事や事務局が大勢参加した。
日本は私と通訳を頼んだ作家のキム君の二人で少し心細い。

議題はちょうど今韓国画廊協会だけのメンバーによるアートフェアが開催中だが、そのフェアを2年後にはAPAGAのメンバー国も参加するフェアにしたい意向と韓国側からの提案。
アジアだけが手を組んでのフェアはとてもいいことで協力したいが、いくつか問題がある。

まずは先月行われた台北での欧米資本によるフェア(ダンダイ)の成功により台湾画廊協会主催のアート台北に日本を始め海外の主要な画廊が参加せず、ダンダイに流れてしまう懸念がある。

韓国でもロンドンやロスアンゼルスで開かれている「フリーズ」という大きなフェアがソウルで開催する意向があるという。
これが実現すると韓国画廊協会の主催の国際フェア「KIAF」にも海外の画廊の参加が危ぶまれる。

それともう一つ懸念されるのは韓国ではアートフェアが多すぎて、今やプサンやテグなどの大きな都市でのフェアを含めると50のフェアがあるという。
これだけ多いと食傷気味になり、フェアへの関心が薄まるのではと思ってしまう。
そこへ新たに「APAGA」のフェアをやることになると、日本を含めた8ケ国の画廊がどれだけ参加してくれるか予測が立たない。
その上またフェアかとなるとフェアの盛り上がりも心配である。
事実現在開催中の韓国画廊協会だけのフェアも閑散としている。

APAGAフェアも他のフェアと違った独自の特色を出さない限り、参加画廊や来場者を増やすことが難しいのではとの意見を述べさせていただいた。

ただAPAGAが手を組み、フェア自体が成功すれば、アジアからの欧米へのアート発信が期待できるとともに、APAGA自体の活動もより活発になるのでははと思っている。

まずはそれぞれの国が画期的なプランを出すところから始めなくてはいけない。


2月23日

昨日は金浦空港へ作家のキムテヒョク君が迎えにきてくれたのだが、車で来れなかったという。

昨日からソウルではスモッグ汚染対策として、軽油を使う車で10年を超えた車は、注意報が出た日は運転できないことになり、彼のオールドカーはその対象となってしまったのだそうだ。

それでも律儀に地下鉄に乗って迎えにきてくれてホテルへはタクシーで向かうことになった。
タクシー代も自分の事情だからと私に払わせない。
大した荷物もなく車が使えないなら、わざわざ迎えに来なくてもいいのに申し訳ないことをした。

他にも奇数、偶数ナンバーを分けて営業車以日替わりで通行しなくてはいけないという法律も施行されたが、こちらはまだ徹底されていないようだ。

こうした対策が取られるだけに、ソウルの空はどんよりと曇り、遠くの街のビル群はは全く見えない。
中国からのスモッグの影響も大だそうだ。

前に北京に行った時は濃霧かと思うほどスモッグに周りが包まれ、焦げ臭い匂いまでしていて驚いたものだが、そのスモッグが韓国までやってくるとは、中国の大気汚染は酷いものである。


2月22日

先日の日記で鈴木喜千也がインバウンドマーケットに招待されたと何気なく書いたが、よく考えたらインバウンドの意味がわからない。
調べてみると日本国内における外国人の消費のことをいうのだそうだ。
なるほど外国相手の見本市だったわけで、浮世絵写真が海外でも興味を持ってもらえるということで招待されたのだと納得。

さて、今日から韓国だが、今までになく、日韓関係が悪化している。
と言っても一方的に韓国が日本を責め立てているだけなのだが。
こんな時に行って大丈夫と皆から言われるが、私は過去を含め今までの日本に対する韓国の言動は理不尽だとは思うが、 この25年韓国の方とお付き合いをしてきて、個人的には嫌な思いは一つもしたことがない。

以前に韓国の大統領が竹島に上陸するというニュースが流れ、日韓関係が悪化したことがあったが、 ちょうどその時に世界遺産で知られる慶州市がアートフェアを企画し、私どもの画廊が招待をされたことがあった。
この時は日本がフェアでは招待国になっていて、他に五画廊を連れてきてほしいということで、 親しくしている画廊に声をかけ慶州のフェアに参加してもらうことになった。

ところが不穏なニュースを聞き、他の画廊は行っても大丈夫だろうかと言ってきた。
不安なことは当然のことだが、向こうが招待するのだから今までの経験もあって大丈夫だよと言って皆を安心させて一緒に参加することになった。

言ってみると豈図らんや大歓迎である。
売り上げは大したことはなかったが慶州の市長は毎日フェアに現れ、食事の招待やら、世界遺産を廻るツアーまで組んでくれた。
そして帰る時には、こんな時によく来てくれたと市長から感謝状まで頂戴することになった。

万事こんな具合で反日感情が吹き荒れる中でも、今まで一度も嫌な思いをしたことがない。
今回はアジアパシフィック画廊協会会議ということででかけるのだが、韓国画廊協会の会長は日本でいう防衛大臣の奥様で、 任期は今回で切れるが、今までお会いしても政治的なことには一切触れず、大変良くしていただき感謝以外に言葉が見つからない。

まあそんなわけで今回もあまり気にせず出かけるのだが、どんな状況かはまた日記でお知らせする。

2月21日

いよいよ風景をテーマにした「Landscape 」展が土曜日より始まる。

作品も新作が次々と届く。 どれを取っても素晴らしい作品ばかりで、作家さんたちも同じ風景のジャンルで発表するだけに、気合が入っているのだろう。
ほとんどの作家が大作を制作していて、作品数も個展が出来るのではと思うくらい沢山描いてきた作家もいる。
限られた壁面に8名の作家の作品を全部並べるのは不可能で、どれを並べるかどれを外すか悩むところである。

明日の展示に立ち会いたいのだが、明日から三日間ソウルでアジアパシフィック画廊協会会議があり、日本側の代表で行かなくてはならず、作品の展示はスタッフに任せることにした。
すでに問い合わせや訪ねて来る方もいるのだが、初日も韓国で間に合わず、これもスタッフに任せるしかない。

明日のソウルの最低気温はマイナス13度だそうで、それを聞くだけでも行きたくなくなるが、飛行機もホテルも招待なので断るわけにも行かない。

帰ってきていい結果になっていることを願って、極寒のソウルに行ってきます。




2月20日

ワンアートタイペイで紹介した浮世絵写真家の鈴木喜千也がインバウンドマーケットEVPO2019のクールジャパンブースに招待出品しているということで見に行ってきた。
鈴木は広重の江戸百景の土地を訪ね、同じ場所の今の風景を写真に撮り、そこに浮世絵の一部を取り入れ発表をしている。
江戸時代と今の風景のあまりの違いにも驚くが、そこに浮世絵を取り入れても何ら違和感がないのが面白い。

ただこのフェアはアート関係はここだけで、他は全てフードマシンのブースになっていて、私だけが全くの門外漢。
あまり時間がなく、一部しか見れなかったが、多くがクッキングマシーンを紹介していた。
ソフトクリームロボットやたこ焼きロボットなど見ているだけで楽しい。
その中で無精者や朝寝坊にはぴったりの朝食ロボットがあった。
パンを焼き、目玉焼きを作り、ベーコンや野菜を焼いてくれるマシーンである。

便利な世の中になったものである。



2月18日

昨日はぎりぎりなってしまったが、損保ジャパン美術館で開催されている「絵画のゆくえ2019」に行ってきた。

同美術館の公募コンクール「FACE」の過去3年間の受賞作家11名の近作、新作が展示され、受賞後の展開を紹介している。

展示作品にはどうして受賞という作品もあったが、その中にあって松田麗香の作品に惹かれた。

抽象表現だが、顔料を使った色彩は油彩とは違った美しさがあり、日本画作家も顔料や岩絵の具の特性を活かした表現をもっとすべきではと思わせるような色感に溢れた作品が並んでいた。

ここの美術館は天井が低く、美術館と云うには空間が今一つの感があったが、新美術館の開館が予定されていて、どんな空間に変わるのか楽しみである。

昭和シェルの「シェル賞」や第一生命の「VOCA展」、それとここの「FACE」と企業による新進作家の登竜門と言われるコンクールは長きに亘り続けているが、 これからは他の企業もぜひ積極的に文化支援を手がけてほしいものである。


2月16日

昨今は多くの作家が人物画、特に美人画を描く作家が多い。
美人画がもてはやされていることもあるのだろうが、私にはどうしても同じような絵にしか見えない。
人物画でももう少し個性の強い絵に目がいってもいいのではないだろうか。

そんな中、風景をテーマに描く作家達がいる。
へそ曲がりの私はあえてそういう作家達にスポットをあてる展覧会を企画してみた。

風景といっても絵葉書のような富士山や浅間山を描いているわけではない。
独自の視点で風景を切り取り、画面に織り込む作家の作品に惹かれ、声をかけることにした。

私どもで発表をしている4人の作家だけではなく、他所で発表をし、私の目にとまった4人の作家にも参加してもらい、LANDSCAPEと題して展覧会を開催することにした。

来週の土曜日2月23日〜3月16日の会期となる。

是非、新たな目線で風景画を楽しんでいただければ幸いである。

LANDSCAPE
http://www.gallery-tsubaki.net/2019/landscape/info.htm





2月15日

富田、浅井展も明日で終了。
先の望月展もそうだったが、今年に入って何故か来る人が少ない。

いい展覧会だと思うが、関心が薄いのか、それとも市況が悪いのか、悩むところである。
特に昨今ベテラン作家への興味が失われているようだ。
完成度も高く、時流に流されず、しっかりと自分のスタンスを見極めながらたゆまぬ精進をしている作家達なのだが、どうしても今の時流なのか、多くは若い人に関心が向かう。

先の芸大展、五美大展などもいい例で、昔は学生の文化祭など関係者以外は見向きもしなかったものだが、 今や多くの画商やコレクターの方が詰めかけている様子がFBやインスタ、ツイッターでもうかがえる。
将来性に期待し、青田刈りではないが、早くに囲い込もうとしているのだろうか。

私も自分の画廊を持ってから常に無名の作家にスポットをあて、その先を見極め、いい時も悪い時も見守り支え続けてきている。
私が関わった最初の作家は3人いて、いずれも20代でそれも美大には行かず、独学で自分の道を切り開き、今やそれぞれの分野で活躍をしている。

昨年暮れと今年初めに亡くなられたお二人のコレクターも、そうした若い作家達に目を向けられ、温かく時には厳しく見守り、ひたすらコレクションを続けて来られ、 指折りの著名なコレクターとして世間でも知られるようになった。

そのことが私どもと40年にわたる長いおつきあいをしてきた由縁であり、私にとってはかけがえのない喜びであり、支えとなってきたのである。

すでに出来上がった作家や、有名作家を紹介したりコレクションをするのは資力ありさえすれば容易いことだが、 無名の若手を見出し、支え、その成果を見守って行くことの方が画商にとってもコレクターにとっても楽しみであり、醍醐味ではないだろうか。

種を蒔き、苗を植え、水をやって大きく育て、そして実を結んだ時の喜びは何にも変えがたいものである。

芽が出たところで刈り取り、また次の芽を刈り取るでは、育てることはできない。
一点や二点持つだけでは若手支援と思っている人もいるが、長く見守り支えることの方が本当の支援ではないだろうか。

こういう時こそ視点を変えて、時流に流されず、たゆまぬ努力をしてきた作家達にも少し目を向け、今の若い作家達と見比べて見てはどうだろうか。

歳をとってきたのと尊敬してやまないお二人のコレクターが亡くなられたことで、やけに愚痴っぽくなってしまった。

2月14日

山本麻友香がロサンゼルスのCorey Helford Galleryの3人展に出品する。
5点の新作を展示予定で会期は2019年2月23日-3月30日 。

この画廊はサブカル系の作家を主に取り扱っていて,先日までも高松和樹の個展が開催されていた。
その時の会場風景を見ると、巨大なギャラリーで、依頼は小品ということだったが、この空間ではどのような展示をするのだろうか。
ここのキュレーターが山本に惹かれ、今回の発表となったが、初のアメリカでの発表、果たしてどういう反響があるのだろうか。


2月13日

美術雑誌「アートコレクターズ」3月号の「コレクション拝見」に台湾で大変お世話になっているコレクターの方が紹介される。
台湾の若い経営者の方だが、私どもは大変縁が深く、初めてのコレクションでお付き合いが始まり、私どもの多くの若手作家をお持ちいただいていて、記事でもそのことが触れられている。

台湾ではこの方に限らず、日本人作家に興味を持たれる方が大勢いて、さすが親日の国と実感させられる。
台湾の方は神戸や東北、熊本の震災の折にもいち早く多額の寄付をされていて、そのことには感謝しても仕切れないものがある。

台中の烏山頭ダムという水利灌漑施設を10年の歳月をかけて築き、荒涼たるジャングルの嘉南平原を台湾有数の穀倉地帯に変えた八田與一という土木技師がいる。
今でもその地方の人たちは八田の恩を忘れず、感謝の気持ちを込めて命日には慰霊祭を催している。
私も二度その地を訪れ、八田氏の業績を偲んだ。

また磯栄吉は粒々辛苦の上、台湾の稲の品種改良に取り組み、新品種を創出し米不足を解消した人物である。
こうした先人のたゆまぬ努力が今の台湾の日本に対する熱い想いにつながっているのだろう。

三月にはまた台湾を訪れることになっていて、台湾の方の手厚い歓迎を受けることになる。


2月12日

紋谷様の富田有紀子と浅井飛人の展覧会印象記がアップされたので紹介をさせていただく。

富田有紀子

ガラス玉は、透明ながら自体が色を持ち、
内部に周囲を映し込むという、
複雑で不思議な視覚世界を体現します。

ガラス玉を見つめれば、
周囲の風景は意識外になり、
ガラス玉に宿る世界が認識される世界となります。
そのように出会った図像とその背景が、
執拗に描かれています。
実像なのに虚像という二面性を
同じ強度でドライに扱っています。

一つの実態に対する意識を回避しつつ、
別の実態を描くことは、
画家の意識の飛躍への驚きそのもののようです。

画家は外形ではなく、
潜みこむ何か、
それが周囲に漂い始める何かを捕らえ、
簡単に表せないはずの世界のをリアルに表出している。
そんな印象でした。

浅井飛人

展覧会タイトルは、ー果実ー。

一番下に無表情の(恐らく)子供の頭部、
その上にたくさんの突起が付いた金属の球体、
一番上に芽の出た椰子の実。
その三つのパーツは
造形的には無関係に完結していますが、
重なっているために、
お互いの関係性や、全体からのメッセージが
あるに違いないという、
予感だけが漂います。

この感覚には、
判読できない古文書を前にしたような、
伝えていることの存在の確信と
実際には伝わらないもどかしさが
同居しているような拠り所のなさがあります。

自然科学と異なり、
アートの素晴らしいところは、
そんな浮遊感が楽しみになってしまうところです。

この3つは重ならないだろうという、
「先入観」や「常識」は、
重なっている実態(事実)を前にして、
少しずつ溶けてゆきます。

日常の隙間にあるはずのこんな感じなもの。
鑑賞者の感性の居場所が広がってゆく。
そんな印象でした。

−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


いつもありがとう御座います。

2月9日

もう雪がちらつき始めている。
今夜は東京も一面銀世界になるだろう。

昨日の夜はフィリップスコレクション展へ。
あらゆる作家を網羅し、その全てが珠玉の作品。
財力と卓越した審美眼、そして美術品へのたゆまぬ情熱があってこそのコレクション。
凄すぎました。

夜の美術館は空いていて、ゆっくりと鑑賞することができた。
人気の美術展はこれに限る。

2月8日

暖かくなったり寒くなったりで、身体のサーモスタットが言うことを聞かない。
明日はどうやら都心でも雪が積もるとの予報だ。

この寒い中だが、街はアジアの観光客であふれかえっている。
中国の人たちの爆買いはなくなったそうだが、デパートやブランド店は賑わっている。
とはいえふらっと画廊に立ち寄る中国人は見当たらない。

と思っていたら、今朝台湾の若い家族づれが画廊に入ってきた。
熱心に富田有紀子の作品を眺め、結果小品だが一点買ってくれることになった。

一見の人に絵を買ってもらうことは滅多にないのだが、有難いことである。
台湾では多少私どもは知られた画廊なので、どこかで聞いて訪ねてきてくれたのだろう。

この調子で海外の観光客を呼び込めるといいのだが。


2月7日

40年にわたりお世話になったT先生のお通夜が営まれた。
2年半前に脳梗塞で倒れリハビリにはげまれ、元気になられることを願っていたが、新たな病気が見つかり、それからはあっという間の死であった。

リハビリ中には何度か病院にお見舞いに伺ったが、お宅に帰り療養中はしばらくご無沙汰をしてしまい、年末のご挨拶と思い連絡をさせていただいたときはだいぶ悪くなっておられ、 それでは年を明けてからと思っていた矢先の死であっただけに悔やまれてならない。

まだ私が新宿の父親の画廊にいた時からのお付き合いなので、私にとっては一番古いお客様ではないだろうか。
おそらく1500点はコレクションされたのではないだろうか。
毎週のように画廊に来られ、美術談義に花を咲かせたものである。

先の日記にも触れたが、メーンコレクションは私どもの小林健二であり、若林奮、加納光於、菅創吉であった。
式場にはそれぞれの作家の小品が飾られ、先生のコレクションの一部を参列の方にも見ていただき、アート好きの先生の一面を知っていただくことができる。
嬉しいことに応援してくださったリユンボクの小さな作品も飾られていた。

好きな作家の作品と美しい花に囲まれ、先生もきっと喜んでいるに違いない。

ご冥福をお祈りする。


2月6日

ロータリークラブの会員で親子三代にわたり、「抜萃のつづり」という小冊子を毎年すべての会員に送ってくださる方がいる。

新聞や雑誌、書籍などから珠玉のエッセイ、コラムなどをまとめたもので、感銘深い文章が毎回心を揺さぶられる。

ロータリークラブは奉仕団体で、国内外で平和を願い、人々の幸福のための活動をしている。

クラブではもちろん、私も個人的に世界の恵まれない子供達や志のある青少年の想いにささやかながら手を差し伸べている。

今回の「抜萃のつづり」にも奉仕の心に触れた文章があったので転載させていただく。

「表彰ということ」小檜山 博・理念と経営「くちびるに歌を持て、心に太陽を持て」より
(一部省略)

毎月、福祉施設に5000円を35年間送り続けているという女性に会いに行った。
八畳一間の木造アパートに住み新聞配達をしている70歳の女性は取材を頑なに拒むのをやっとお願いした。
彼女は二歳の時に母親が病死、施設に預けられる。
他の子にいじめられ、庇ってくれる職員のやさしさが身にしみたという。
中学を出て働いた紡績工場で二十歳のとき工場の男性と結婚。
七年間に三人の女の子が生まれるが、彼女が三十歳のとき夫は結核で死亡、彼女は夫の少額の退職金で、道端でリヤカーを店にしてネクタイを売る。
上の子が小学生、後の二人はリヤカーの横で遊ばせる。

ネクタイは一日に一本くらいしか売れなかった。
あるとき中年の女性が来て、「これタイ焼き、子供さんに」と差し出され涙がほとばしった。

冬の雪の日、二人の子供が空腹と寒さで泣きわめいている時初老の紳士がきてネクタイを二本買ってくれる。
身なりから、とても彼女が売る安物のネクタイを身につける人とは思えなかったという。
彼は一言も喋らず釣り銭も取らずに去って行った。

間もなく彼女は疲労で倒れ、市役所へ行き医療費の助成を頼んだが規則でカネは出せないと言われた。
しかしその職員は自分用の牛乳を一本持たせてくれて「力不足でごめん」と謝ったそうだ。

彼女は露店をやめて新聞配達を始める。
高校へ入った上の子が夜は食堂の茶碗洗いのアルバイトをして二人の妹の世話をした。
ある日、新聞で親の居ない子の施設が経営難と知り、彼女は即座に五千円を送った。
名前は伏せた。
家族四人の生活は苦しかったが、自分を助けてくれた人々を思うと苦しいなんて言ってられなかったという。

三十五年間の毎月の送金が知れ、市が表彰をしたいと言ってきたとき彼女はきっぱり辞退をした。
「私は昔、ある人からタイ焼きをいただいたとき決心したんです。
一つの手は自分と家族のために、もう一つの手は人様のために使おうと。
私のしたことなんか、たいしたことない。
表彰するなら私に牛乳をくれた人やネクタイを買ってくれた人を表彰してください」
彼女の言葉にぼくは絶句して天を仰いだ。

2月5日

今朝のメールに中国のディズニーアートプロジェクトというところから中村萌のアートグッズの企画の依頼が記されていた。

その前にも台湾のイベント企画の会社から個展の依頼が送られてきた。
両方ともどういう会社かまずは調べてみる必要があるが、最近こうした依頼が増えてきた。

大変有難い話なのだが、フィギュア・グッズ類は香港の会社に、台湾での企画は台湾のモンスター台北にお願いしていて、そこに相談しなくては始まらない。

もっとも、中村萌も今は私どもの7月の個展の制作と台北華山で予定されている12月展覧会の事で手一杯である。
他にもアートフェア、やフィギュアショーなど次々に予定が控えている。

昨日もモンスター台北の社長が10月のフィギュアショー、12月の展覧会の打ち合わせで画廊にやってきた。

12月の崋山はフィギュアショーが開かれるところで、戦前の日本の酒造工場をそのままに使っていて、映画館やレストラン、カフェー、そして大きな展示場がある若者文化のメッカでもある。

この広いスペースを使い、全て台湾のお客様から作品をお借りして、大規模な展覧会を予定している。

こうした企画は日本でもやりたいのだが、日本のお客様には数えるほどしか作品がなく、まだまだ先の話のようだ。


2月4日

修復社会

ロータリークラブの例会で大学時代のクラスメート関沢英彦氏に講話をしてもらった。

氏は博報堂の生活総合研究所所長を務めた後、大学で教鞭をとり、現在は博報堂生活者アカデミー発想ディレクターであり、創造性と時代分析の専門家である。

日本経済産業新聞に氏のコラム「関沢英彦の目・修復社会」が掲載され、大変興味深い話だったので講話をお願いした。

かっては「新造・新築・開発」を軸に社会は動いていたが、いまや「補修・改装・再生」になってきた。
ヒト(人体・人材)、モノ(住宅・製品)、クニ(インフラ・国土)が経年変化をしてきたから。

高齢化社会とともに身体の不調を改善する商品の広告が増えてきた。
入院患者の半数以上が慢性疾患を抱える75歳以上で、経過を見ながら現状維持を目指す事例が多い。

働く現場では社会人の「学び直し」に注目が集まる。
超高齢化社会の到来とAIの浸透が労働市場の「能力の修復」を求めているから。

モノの側面では2017年の首都圏の中古マンション成約件数が新築マンション数を上回った。
1993年から2007年にかけて建設された年間10万戸以上のマンションが改修時期を迎えている。
使用済製品の存在感も高まり、中古品市場の推定は7兆6千億円。
メルカリなどの中古品売買を支援するスマホアプリ使用者数は月一千万人。
ネット上の中古品市場規模は2兆円を超えた。

「クニ」の老朽化も進む。
2017年末時点で、建設から半世紀以上経過した道路や橋は2割を超え、33年には6割以上になる。
日本の国土面積に占める森林面積は7割、その整備が進まないと災害も増加する。
所有者不明の土地や空き家問題の解決も急務を要する。

「ヒト・モノ・クニ」の経年変化に対処するには劣化度合いを適切に評価し補修を行う。
そのためにはITやドローンなどの先端技術も有効。
「修復社会」では残存機能を「だましだまし」維持しながら、着実に対策を立てる必要がある。


2月2日

大手百貨店の美術担当の方がみえた。

美術部も従来の旧態然とした企画から脱却し、現代美術にシフトを変えようとしていて、その企画依頼である。

昨秋にその百貨店の銀座展で依頼された個展を開いた。
ちょうどその時期に画廊では二つの企画展があり、どちらも多数のお客様の来廊が見込まれ、また重なるもので同じ時期に韓国、 台湾の大きなフェアーに参加することになっていて、そちらに人を割くことができないのでとお断りしたのだが、どうしてもということでお引き受けをすることにした。
この百貨店は画廊から販売員を出すことが決まりのようで、仕方がないので病気で療養中の家内に出てもらうことにした。

それだけならまだ良かったのだが、展覧会前に接客のための講習会に出てほしいということで、嫌がる家内も私が一緒に受けるならということで、講習を受けることになった。

大手老舗百貨店ならではの決まりなので仕方ないが、あまりに窮屈なことを言うので、うちのは店番したくないと言い出し、なだめすかしてなんとか一週間出てもらうことになった。

結果は、同じ時期の画廊やフェアーではかなりの売り上げがあったが、百貨店では大した成果を上げることができなかった。

30年も前になるだろうか、同じようにある百貨店の商品部の部長がお見えになり、渋谷の店の企画に協力してくれないかと頼まれた。

その頃は販路を広げたいこともあってお引き受けして、年に数本の企画をすることになった。
ただ、条件として駄目元で、販売員は出さない、会期は2週間、画廊では飾れない大作の出品、売れなくても3回は同じ作家の個展をやってほしいとお願いした。
当然断られると思ったが、部長は全てを受け入れてくれ、それからバブル期まではそのお店ではそのシステムを続けてくれることになり、 私どもも新たな販路に結びつくことになり、今でも感謝をしている。

新興で新しい感覚を持ってくれていた百貨店ならではであったが、老舗ではそうはいかず、色々と窮屈なことが多い。

今回も大変ありがたいお話なのだが、零細の画廊では人を削ることができず、丁重にお断りをさせていただいた。

海外の市場もそうだが、国内で一番の販売を誇る百貨店も価値観が多様化する時代の流れの中で、大きな舵取りを迫られているのだろう。

2月1日B

同時に富田有紀子展も開催される。

今まではフォーカスされた作品が多かったが、今回はシェードされた作品もいくつか発表し、その対比が会場全体の構成をより高める展示となっている。

一つ一つの作品だけではなく、壁全体の組み合わせを一つの作品として捉えてみるのも作者の意図するところなのだろう。




2月1日A

浅井は多摩美の金属工芸科出身で伝統的な技法である鍛金(たんきん)による金属の造形と木彫を組み合わせた作品を制作している。
金属の鍋や皿などに使われる技法だが、彼はユーモラスな人物造形をこうした技法を使って生み出すユニークな作家の一人である。
今回は木彫に彫りの痕跡を残したり、浮遊するような表現をしたりと、新たな展開を見せてくれている。
またゴツゴツとした硬質な金属と柔らかで温もりを感じさせる木肌の取り合わせの妙も彼ならではの表現となっていて面白い。



2月1日

中国や韓国は旧正月。
銀座の通りではほとんど日本語が聞こえない。

一昨日は中国武漢のお客様がメロンやイチゴのお土産をたくさん抱えてやってきた。
残念ながら私は出かけていて挨拶とお礼を言うことができなかったが、孫達の大好物の果物なのでありがたくいただくことにする。

ただ困ったのは中国の高級タバコもお土産の中に入っていたことで、スタッフの一人だけがタバコを吸うので、そちらに回ることになった。

家族や友人、知人を見渡しても、いざタバコをあげようと思ってもすぐには思い当たらない。
昔の海外旅行のお土産の定番は洋モクだったのが嘘のようである。

先のフェアでも台湾のお客様や画廊が山のようにお土産や差し入れを持ってきてくださる。
トランクには入りきらず、作品とともに郵便で送らなくてはならないくらいたくさんのお土産を頂いた。

今画廊は台湾のお菓子やお茶、からすみ、で溢れかえっている。

韓国に行っても本当にみなさん親切で、食事の招待もそうだが、その手厚いもてなしには頭が下がる。

今度の韓国行きも飛行機、ホテルは全て韓国の画廊協会が負担してくれる。

日本で会議を開催した2年前はアートフェア東京の尽力でこちら側で飛行機もホテルも用意することができたが、もう一度と言われるととてもそんな招待は出来そうにもない。

何かにつけて近隣諸国のホスピタリティーにはただただひれ伏すばかりである。

1月31日

一般社団法人全国美術商連合会の理事会が開かれ出席した。

活動現状報告では、全美連も加盟している文化芸術推進フォーラムで、一昨年成立した文化芸術基本法を機に新たに「文化芸術省」創設を旗印にすることになり、 スポーツや観光と一緒の省ではなく、文化芸術一本に絞り、その結果、昨年暮れには超党派による文化芸術振興議員連盟が「文化芸術省」を創設することを政府に提言した。

次に文化審議会著作権分科会国際小委員会において、全美連は追求権導入に対する意見発表を行い、喫緊の課題は真作ではない作品の流通防止が優先であることを説明し、 追及権導入による国内美術品市場の混乱、美術作家間の格差拡大や執行コストの増大などから法律論としては理解できるが中長期的課題として捉え、導入は時期尚早との意見を述べた。

追及権とは美術の著作権者が転売されるごとに売価の一部を得ることができる制度である。
現在フランスを始め76カ国が導入をしているがその多くが適用には至っていない。

古物営業法の一部改正により、「主たる営業所届け」を古物商と古物市場主は全面施行の2020年4月25日までに新たに届けなくてはならなくなった。

他に予算や会員増強についてなどいくつかの報告がされたが、個人が主催する業者のオークション「個人会」の税のあり方や古美術の鑑定に関する熱い議論が交わされた。

来月18日には全美連の代表として、ソウルで開催されるアジアパシフィック画廊協会会議に出席することになっている。
2月中旬のソウルはおそらくマイナス20度の世界だろう。
行きたくない。

1月30日A

今朝早くから依頼された本の処分で神田の古書屋さんに来ていただき、美術関係、建築関係の書籍2000冊を2トントラックに目一杯積み込んだ。

一冊一冊見ていれば欲しくなるような本が多く、どうせ処分するならこそっと抜いておきたい本ばかりだが、そうもいかない。

分厚い美術書や建築関係の書籍は今や無用の長物と化し、本棚にただ飾りとして置かれているにすぎなくなっている。

我々は仕事柄資料として置いておきたいが、それでも私が引き取るとしても置き場所がなく、結局は始末に困ることになる。

そんなわけで金曜日の本の市に出すことになったのだが、おそらく全部でも100万円はいかないだろう。

今や全てがデジタル化し、コンパクトな世の中で豪華な画集を持つ人は稀な世の中になってしまったようだ。

1月30日

三年前の思い出がFBにて紹介されました。
早いものでもう三年経つんですね。
作家さん達で企画してくれた記念展、今でも私の宝物として心に留めている。
当時のコメントを嬉しそうに紹介させていただく。

私事で恐縮ですが、金井訓志さんと山本麻友香さんからお祝い展の身に余るコメントと展覧会の詳細が告知されました。
多くのアーティストともに歩んできただけに、こうしてお祝い展を作家さんたちの企画で開いていただけることは、何よりの喜びであります。

売れない絵描きを辛抱強く助けてくださる奇特な画廊とギャラリストが居ます。その愛すべきギャラリー椿と椿原弘也氏が今年節目の年を迎えます。
椿原さんはお父上の仕事を継ぎギャラリストとして研鑽後「ギャラリー椿」を開廊。今まで多くのアーティストをその後ろ盾となって育てて来られました。 そして画商の先駆者として日本の作家を海外に紹介されています。また、美術活動以外に奉仕の働きにも熱心で、国内外で多くの人々を助けて来られました。
そんな椿原さんの古稀と「ギャラリー椿」35周年をお祝いして、山本麻友香さんの呼びかけでお世話になったアーティストが話し合って記念展を行うことになりました。
呼び掛けに殆どの方が参加して下さりこんなにも多くなってしまいました。どんな展覧会になるのか、今からワクワクしています。皆さんに喜んでいただけるようこれから準備していきます。
乞うご期待、です!

山本 麻友香
16時間前 ·
「GALLERY TSUBAKI REUNION」ーギャラリー椿35周年と古希を祝うー

会期: 2016年6月16日(木)〜22日(水) 11時から18時30分です。

  「ギャラリー椿」での展覧会のパーティ 6/18(土)にはすごいサプライズがありそうです!
でも詳しいことは「大人の事情」でまだ言えないのです。

お客様、通りすがりの方、作家のお友達の方、作家のご家族の方々、もちろん作家の方々ぜひいらっしゃってください。とんでもないことになるかもしれませんが。

この展覧会では「ギャラリー椿」のほとんどの作家の作品が購入可能です!!(椿原さんの提案で一部はチャリティーとして寄付の予定です。)
6/16日からです。ここだけの話ですが、早めにいらっしゃるとおめあての作家の作品が手に入るのではないかなあと思います。 パーティーの日とお間違えなさらないようにお気をつけくださいませ。

展覧会の最終的な参加人数は89名になりました!
ご参加を快諾していただき感謝申し上げます。
お名前の間違い、載ってないけど という方、いらっしゃいませんでしょうか。
私までお知らせくださいませ。

参加者: 相澤史、青木惠、浅井飛人、天久高広、池田鮎美、井澤由花子、伊津野雄二、伊野美香、
岩井康ョ、岩田ゆとり、岩渕華林、うじまり、内林武史、大石卓、大山幸子、太田真理子、岡本啓、
小川陽一郎、尾関立子、小原馨、門倉直子、金井訓志、河原朝生、川口起美雄、金森宰司、川崎広平、
喜多敏郎、北村奈津子、キムソヒ、木村繁之、金兌赫、呉本俊松、桑原弘明、呉亜沙、小出正義、
コイズミアヤ、小浦昇、小林健二、小林裕児、佐藤温、佐藤未希、Seolje Lee、塩澤宏信、篠田 教夫、
清水祐貴子、joseph choi、真条彩華、新藤杏子、 杉田達哉、 鈴木亘彦、 songsoo lee、高橋舞子、
高橋幸彦、高木さとこ、高木まどか、武田史子、恒松正敏、天明里奈、富田有紀子、内藤亜澄、
中村萌、夏目麻麦、野坂徹夫、長谷川健司、服部知佳、開光市、ヒラキムツミ、福岡通男、福島保典、
舟山一男、堀込幸枝、牧野永美子、間島領一、宮野友美、室越健美、望月通陽、森口裕二、
屋敷妙子、柳澤裕貴、山中現、山本麻友香、横田尚、吉田嘉名、ヨシダシオリ、リーユンボク、
渡辺大祐、渡辺達正、綿引明浩、王建揚(五十音順・敬称略

会期が近くなりましたら再びお知らせしたいと思います。
(この内容は2016年の投稿となります)

1月29日

40年を超える長いお付き合いのコレクターT先生が亡くなられた。
毎週のように画廊に見えて、多くの作品をコレクションしていただいた。
特に小林健二の作品はメーンコレクションの一つで、2年半前にはT氏コレクションで小林健二の作品を紹介させていただき、小林と先生の二人でトークショーを開いたことが懐かしく思い出される。
その後病に倒れ、長い闘病生活の末お亡くなりになられた。
年始めから海外に行っていて、ようやく一段落したので、新年のご挨拶に伺おうと思っていた矢先だけに、悔やまれてならない。
ちょうど近くのユマニテ画廊でT氏コレクション青木野枝展が開催されている最中であった。
ご冥福をお祈りする。

1月28日

望月展も土曜日で終了しました。
例年に比べると来場者が少なかったように思えます。
案内状が年賀状を兼ねていたので、紛れて上手く情報が伝わらなかったのでしょうか。
次回の反省です。

今年も紋谷氏の印象記で望月展と長谷川展をとりあげてくださいました。

望月通陽展
展覧会タイトルは、ーTAROTー。

事象が優れた美術家によって、
視覚的に単純化されると、
情報の殆どが消え失せる代わりに、
肝心な事だけが残り、いきなり光を放ちます。
短歌や俳句から得られる、
知的な驚きと、似たニュアンスです。

目的が、
イラストや、グラフィックデザインのような、
事象の正確な伝達ではなく、
美的な刺激と、官能的な喜びを提供するアートなので、
作品のシンプルさに比べて、
その困難さは想像に難くありません。

多くの人が日常に出会っているであろう風景は、
芸術家の独特な感性によって見出され、
「面白味」の深度が深められ、
夢を見ているかのような親和性ある、
美的場面に変化する。
そんな印象でした。

長谷川健司展
こちらは盛況で多くの作品に売約の印がつきました。
売れた作品は今流行りの人物画ではなく、ほとんどが花や静物画で、長谷川ファンが今の風潮とは一線を画しているようです。

展覧会タイトルは、ー自額自賛ー。

小さな画面の中の、写実的な細密画。
人の顔の一部や、虫の小世界の断片は、
「いおうとしたけれども、何かを思い出して口を噤んだ。」
のような、前の場面、次の場面、別の場面への、
少しざわつく予感が漂います。

展覧会タイトルに掲げられた通り、
額の造り込みが特徴的です。
キャンバスの保護が主目的の額ですが、
実際は、観る側が絵画と向き合った時、
額を含む全体が視界に入ります。
シンプルな額、既製品の額なら、
早々に作品へと関心が移りますが、
このように、
額が明らかに「ある意思で造形」されているならば、
全体が語る物語を読み取ろうという
スタンスに切り替わります。

絵画は現世に開けられた窓ですが、
造形された額は、
その窓が存在する空間、場をつくっているようです。

この場だからこそ見ることのできる世界の一端。
そんな印象でした。

−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


いつもありがとう御座います。



1月27日

大坂なおみが全豪オープンテニスで優勝した。
ランキングも世界一位ということで、日本のテニス界にあって快挙である。

私も40になってからテニスを始め、入っていた都内のテニスクラブが閉鎖になるまで15年ほど熱心にテニスをやっていた時期があった。

腕前は大したことはなく下手の横好きだったが、休みになると朝から一日中やっていた。
それが高じて、テニスクラブがある河口湖の施設内にマンションまで購入したのだが、バブルがはじけ、都内のテニスクラブが潰れてしまい、それを機にスパッとやめてしまった。
天皇陛下と美智子妃殿下のロマンスが生まれた軽井沢会テニス倶楽部にもはいっていたのだが、そこも同じ時期に退会してしまった。
まぁ本当のところは一向に上手くならず、だんだん熱が冷めてきたからなのだが。

そんなわけですっかりテニスとは縁がなくなっていたのだが、錦織や大阪の活躍で興味がまた湧いてきた。
もうやることはないが、世界で活躍する錦織や大坂なおみを応援することにする。

それにしても大坂すごい。


1月25日

今夜は大学のヨット仲間の新年会。

アジフライで有名な行列のできる店「松輪」で魚づくしを堪能。
ここはランチメニューがアジフライなのだが、10時過ぎには行列ができ、今までに昼は2回しか食べれたことがない人気店である。
夜は予約すればOKで、突き出し、刺身焼き魚、煮魚、箸休め、天ぷらか運が良ければアジフライ、お椀、締めのご飯は季節によるが鯖寿司が出ることもあるといった魚オンリーの店で美味しく、 安いと来るから言うことなしである。

美味しいのは松輪サバで有名な松輪漁港からあがった魚を市場を通さず直送で来るから新鮮で美味しいはずである。

仲間とはもうヨットに乗ることはなくなったが、50年を超えての友情は固く、ゴルフに旅行、食事会と頻繁にあっていて、この時ばかりは年を忘れて若き青春時代に戻ることができる。


1月23日

朝迎えの車が来て高雄空港に向かい、成田空港に2時過ぎに到着することになっている。

台北も寒かったが南にある台南、高雄も朝の寒さは台北と同じである。
南国台湾でも冬は寒いことがわかり、今度来るときは着ていくものを考えなくてはいけない。

台北のホテルでも部屋が寒く、エアコンの温度を上げ、風も強にしたが余計に寒くなった。
スタッフにそれを言うと、台湾のホテルのエアコンは暖房はないのだそうで、風を強くすれば余計に冷房の風がくることがわかった。
日本でも寒い地方に行くと冷房がないのと同じなのだ。

それでも帰ったら日本はもっと寒いに違いない。
インフルエンザも流行っているようで疲れた身体には気をつけなくてはいけない。

来月も酷寒のソウル、そしてもう一度台湾に戻ってこなくてはいけない。
年齢を考えるともういい加減にしなくてはいけないのだが。

1月22日A

パーティーを終えて夕食会へ。
高級日本料理店へ。

日本、韓国、台南、高雄の画廊さんが大勢集まり、盛大に日本料理が振舞われた。
この画廊は額縁屋さんからスタートし、今や台湾でも一流の画廊に成長し、今回のワンアートタイペイも友人の画廊さん二人と主催している。
前には岩渕華林、来年には松川栞の展覧会も予定されていて、私のところとも大変親しくさせていただいている。

海外の作家たちの作品を積極的に取り入れ、草間、奈良は言うまでもなくクリストや韓国ロシアの写真作家の作品なども扱っている。

詳細はまだ言えないが、一年半後に予定されている台中の国立現代美術館での大規模な展覧会の企画もこの画廊とのおつき合いから生まれた。
来月またその打ち合わせで台南、台中を訪ねることになっている。

皆さんは二次会にいかれたが、私はさすがに疲れてお先に失礼させていただいた。

これで今回の台湾での予定は全て終了。

台湾の皆さん多謝、再見!



1月22日

今日は昼から台南の画廊のパーティーに。
多くの日本や韓国の画廊が招待されていて、ホテルと言っても民宿だが、こちらもご招待というから豪勢だ。
台湾の画廊は改めて2月のご招待をするそうだ。

私ども台湾の画廊では一番親しくさせていただいていて、その間の繁盛ぶりには眼を見張るものがある。

今回のパーティーは25周年を機にリニューアルしての記念で、ギャラリーもそれほど大きくはないが、しゃれた内装になり見違えるようである。

別件で奥の部屋で依頼されている美術館の企画展の打ち合わせを学芸員の方とさせていただいた。
一年半後を予定しているが順調に進むことを願っている。



1月21日A

いよいよ終わり。
夕方には続々と買っていただいた作品の引き取りで多くのお客様がお見えになりてんやわんや。
あわせてフライング気味だが、残った作品の片付けも始めることにした。

私はお客様のお招きで一足先に会場を後にする。
小さなお店だがキュイジーヌ風中華海鮮料理屋さんでご馳走をいただいた。
招いていただいたお客様お二人とは親しくするのは今回が初めてだが、以前から私どもの作家が気になっていて、今回お求めいただくことになった。

お仕事は二人とも骨董商で、お一人のお店は偶然だが美術雑誌を発刊していて私もお付き合いのある方のビルにあるそうで、これも不思議なご縁である。

このビルにあるギャラリーでアートタイペイの折には王建揚の個展をやっていて、私どもも訪ねているし、 近くにはよく行く台湾田舎料理のお店や有名なマンゴウアイスのおみせもあるが、骨董のお店は訪ねたことがなかった。

明日は台南に親しくしている画廊のリニューアルオープンのパーティーに招かれていて、そちらに向かうことになっている。

その前に有名な鰻屋さんにスタッフや他の画廊さんは行くことにしているが、私は残念ながら予約してある新幹線に乗り遅れるといけないので、諦めることにする。

ここの蒲焼きは日本と同じ味付けでとても美味しいそうでいつも行列ができるそうで、みんなは早めに行って並ぶそうである。
特上以上の盛りで1500円で、台湾にいる日本人にも人気のお店なんだそうだ。


1月21日

フェア最終日、夕方から賑わったが、やはり例年のホテルフェアに比べると一抹の寂しさが残る。
滑り出しが順調だっただけに、その後の成果がないのを嘆いていたが、最後に大きな商談が入った。
昨年のアートタイペイで山本麻友香を購入していただいた若いお客様で初日も見えていたが、再び見えて折り入って相談がと言ってこられた。

お客様は父親がホテルを経営していて、そのホテルの全室とロビーその他の壁面に山本麻友香をメーンに展示プランを考えてくれないかとの依頼である。

善は急げ早速に一緒にホテルを訪ねることになった。

ホテルは市内から少し離れたところにあり、アーバンリゾートと云ったところだろうか。
出来上がったのが2年半前なのだが、ホテルの展示を見直そうというところに購入した山本麻友香が目に止まり、白羽の矢を立てることになったようだ。

100室ほどのホテルだが洒落たデザインと広い空間に山本麻友香の作品が飾られると思うと心が躍る。
改めて図面を送ってもらい、それに沿って展示プランと見積もりを出すことになった。
各部屋には版画と水彩、ロビーや廊下には大きな油彩をとのことで、山本に報告するのが楽しみである。

だいぶ前に台中のホテルに多くの中村萌の木彫を入れさせていただいて以来のホテルの仕事である。
ご要望に応えるべく作家とともに頑張っていきたい。



1月20日A

今日は日曜日にもかかわらず、一日中来る人がまばらだった。

同時に開催されているアートフェア・ダンダイには入場を待つ人で行列ができていたという。
危惧したように大きなフェアに人が取られたようだ。

初めてのフェアという目新しさ、欧米の一流画廊が参加するという好奇心、メディアによる広告効果も大きかっただろう。
いつも作品を買うことはないが見に来る人が買ってくれるポストカードが一枚も売れないかったことは今までにないことであった。
当然作品も売れることはなかった。

暇だったこともあって、ゆっくり各ブースも回ったが、売れ行きな芳しくないようだ。
ホテルフェアは若いコレクターが対象だが、こうした人たちがダンダイに流れたのだろう。

来年もどちらのフェアは開催されるようだが、時期を変えるとかお互い近い場所でやるとか、対策を考えなくては行けないだろう。

1月20日

マンダリンオリエンタルホテルで今のポップといったらいいだろうか、ファインアートとは一味違う「ALL THE RAGE」と題した大規模な展覧会が12月15日から2月18日まで開催されていて、 フェアーが始まる前に行ってきた。

主催者は香港の方で、中村萌の熱心なコレクターの一人ということもあって、急遽出品を依頼され、台北のコレクターの方からお借りして参加をさせていただいている。

ホテルの協力もあるのだろう、外にも大きな立体が飾られ、相当力を入れていることが伺える。

会場は一階と地下の一階二階の大きなスペースを使って、巨大な作品がこれでもかと並べられている。

見ての感想はアートがますますボーダレス化してきているのだと実感させられた。

中村萌も巨大な作品の中に埋没してしまうのではないかと危惧したが、それなりの存在感を示していて、ホッとしている。

全て非売品で、3ヶ月の長きにわたり展示をしていることもさることながら、会場費、運送費や保険、アルバイトスタッフの費用なども考えると、 大変なコストがかかっているのではと貧乏症の私は心配してしまうが、来年もやるというから、アジアのお金持ちはスケールが違う。




1月19日A

いよいよ一般公開だが、やはり例年に比べると人は少ない。
いつもなら飛ぶように売れるポストカードが全く売れないのも初めてのことではないだろうか。

ただ関心を持ってくださるお客様とじっくりお話ができるのは有難い。
いつもは狭い部屋にすし詰め状態で、できる商談もままならないことを思うと、この程度がホテルフェアはちょうどいいのかもしれない。
有難いことに今日も私どもは売れ行きは順調で、大きなフェアの影響が予想され不安な気持ちもあったが、それも杞憂となた。

終えてお客様のお招きで人気の台湾料理店へ。
日本のコレクターの方もお誘いし、韓国でお世話になっている画廊さんや通訳も交えて賑やかに卓を囲んだ。
お客様が持ち込んだウィスキーやビールで限りなく乾杯が続き、下戸の私はとてもついて行けない。
広いお店に私たち以外は全ていなくなったにもかかわらず宴は続き、私は眠い目をこすりながら早く終わるように心で念じていた。

いやはや皆さんお強いしげんきだ。


1月19日

開場前に私どもでも発表をしている王建揚の個展を見に行く。
ずっと写真で発表を続けていたが、今回は初めてタブローの作品での個展である。

テーマは変わらず、キャラクターを使うおタッキーな表現を前面に、街中で見られるスプレーの落書きアートを背景に、 アラレちゃんなどのキャラクターを使うおタッキーな表現を前面に配している。
もともと大学では油絵を専攻していたこともあり、その素地は十分に伺える興味深い展示であった。
私どもでの発表も考えてみようと思っている。



1月18日

ワンアートタイペイが始まった。
今日はVIPの内覧会で正式オープンは明日からで土、日、月曜と三日間開催される。

新しいアートフェア・ダンダイが盛況なだけにどれだけの人がきてくれるか心配したが、やはり例年のホテルフェアに比べると出足は悪い。

ただ有難いことに、私どものブースには開場前からお客様がやってきて、人気の中村萌は早々に売れていく。
初めて紹介した紹介した松川栞や三木サチコや常連の山本麻友香や北村奈津子にも関心が集まる。

新たなお客様の出会いがあったり、はるばる日本からわたしどもの作家を目指してやって来てくれる方もいて、有難いことである。

また著名な日本のコレクターも顔を出してくれて、これも四つのフェアが同時に開催された効果かもしれない。

結果初日としては私どもは上々のスタートとなった。

終えて、夜は画商仲間や作家さん達と会場近くの小龍包で有名なお店へ。
料理はどれも美味しくみなさんも大満足のようであった。

皆さんは飲み足りないのか別に席を移したようだが、わたしは昨日が丸一日フル運転だったので、早くに部屋に戻りバタンキュー、おやすみなさい。





1月17日

台北到着。
なんと肌寒い。

ホテルに入り早速展示準備。
今回は作家の松川栞君が一緒に来て展示の手伝いをしてくれた。

部屋は広くもう少し作品を持ってきても良かったかもしれない。
ただ今回は全て手持ちで来たので、3人で持って来るにはぎりぎりの量であった。
運送業者や国際郵便を使うとそれなりの費用がかかるが、手持ちだと重量オーバーの超過料金を取られてもほんの僅かで済む。

展示も段取りよく6時には終わり、細いか所は明日に回して、今日がVIP内覧会の台北當代藝術博覧DANGDAIに行くことにした。
このフェアは香港やシンガポールのフェアのディレクター・マグナス氏が企画した今までにない台北での大きなフェアで、 欧米の一流画廊や日本を含めたアジアのコンテンポラリー系の画廊が参加したスケールの大きいフェアである。

7時過ぎに到着したが、まだ大勢の人で溢れていて大盛況である。
ホワイトキューブやガゴシアンといった大手画廊が会場の中心に位置し、 ビッグな作品を展示していて、今のアートシーンを目の当たりにすることができる。

上海、北京、香港の画廊も多く参加しているが、やはりテーストが違うのか、私には首をひねる作品が多いような気がした。
見慣れたせいもあるのだろうが、日本の画廊のクオリィティは高いように思えた。

広い会場を歩き回りさすがに疲れたが、終えていつもお世話になるF氏の招待でタイ料理の店へ。
料理も美味しく話も弾み、部屋に帰ると日本時間で1時半、朝3時半に起きて台北に向かったので、さすがに70過ぎの私には応える。

明日からは無理せずフェアを楽しみたい。



1月16日

明日から台北へ。
18日からホテルフェア・ワンアート台北が始まる。

最初出る予定がなかったのだが、主催者の要請で参加することになった。
主催の画廊さんが私どもの作家さんの個展などをしていただいていることもあり、無下に断ることもできず、重い腰を上げた。

この時期、新たに3つのフェアが開催されることになり、その一つは欧米の大手画廊が参加する台湾では今までにない大きなフェアがあり、 そこにお客様が分散してしまうのではとの思いもあって、参加を見合わせていたのだが。

これだけのフェアが同時に開催されるので、文字通り台北はアート一色に包まれるが、韓国でもそうであったように、同じ都市でいくつものフェアが開催されることで、 お客様が食傷気味になり、関心が薄くなることを心配する。

欧米資本も市場の大きいところに積極的に出ていく傾向にあるが、 香港やシンガポールとは違い欧米の人たちが少ない台北で果たして思惑通りに行くかどうか難しいところである。

どちらにしても参加する以上はそれなりの成果を上げるつもりで、出品作品もセレクションしたが、お客様の目にとまることを期待したい。




1月14日

河口湖に来ています。
雪が心配されましたが快晴、とは言え外は0度。
青空の中富士山はひときわ美しく聳え立つ。

遅くなったがようやく富士浅間神社に初詣に行ってきた。
今年一年の安寧を願い、これで心もスッキリ。

お昼は湖畔の片隅にひっそりとたつ不曽庵に行く。
窓越しに見える湖の鳥達を眺めながらお汁粉を注文。
甘いものが無性に欲しくなりやってきたのだが、ここのお汁粉は絶品。
ただこれだけではお腹は物足りず、お蕎麦を追加したがさすがに苦しい。

帰ってからは、別荘の施設内にある温泉とサウナでポカポカで体も温まり極楽極楽。



1月13日

今夜は大学の同窓の画商が10人ほどで集まり新年会。
以前は頻繁にやっていたのだが、みんな忙しくなり久しぶりの集まりである。

それぞれ長い間欠けることなくこの業界で活躍していて、さすが我が大学である。
ただ70を過ぎた連中が集まると、話はどうしても病気の話になってしまう。

半分が癌の手術を受けていて、二人に一人は癌と言われるがその通りである。
癌でなくても原因不明の症状に悩まされているのも二人いて、ほかもどこかがたがきているようだ。

お陰で私は手術もすることもなく、今のところどこも悪くないが、一昨年に高速道路で居眠り運転をして道路側壁にぶつかるという事故を起こしてしまった。

その後も日中気がつくと眠っていることが多くなり、心配で人間ドックで紹介された睡眠ケアクリニックで一晩入院して、睡眠の状態を検査してもらうことにした。
結果軽度の無呼吸症候群であることがわかった。

対処はマウスピースを作ってそれをはめて寝ることらしいが、さてそれで治るのだろうか。

まあどちらにしてもみんな体調管理に気をつけて、いつまでも元気で集まりたいものである。

1月12日

今日から望月通陽展が始まった。

朝から雪がちらついていて、望月の最初の個展が思い出される。

35年前の1月に望月の初めての個展を開催した。
その前の年の4月に父親の画廊椿近代画廊を離れ、新たな道を歩みだし、ようやく1月にスペースを京橋に持ち、 成人式の翌日を新たなスタートの日と決めて、望月通陽展を開く運びとなった。

全く無名のそれも染色という今までやってきたジャンルとは異なる工芸の展覧会が皮切りとは、 今思うとよくやったもんだと若さゆえだったのかもしれない。

望月夫妻もまだ若く、乳飲み子をおんぶしながら展示をしていたのを懐かしく思い出す。
真冬なのに望月はランニングシャツに柔道着のズボン、それも染色に使うノリが乾いて黄色くなってあちこちにこびりついていて、 まるで山下清のようであった。

この格好で静岡から新幹線に乗ってきたというから驚く。

いよいよ初日、期待に胸を膨らませての第一歩であったが、なんと大雪。
誰一人やって来ない。

画廊も作家も誰も知らない、その上大雪で交通も乱れているときたらやってくるわけがない。
その後も人は来ず、結局9人だけの来場者に終わり、作品も一点だけテーブルクロスが売れただけであった。

スタートは切ったが果たしてやっていけるだろうかと暗澹たる思いであった。

その後、私の画廊も軌道に乗るようになり今に続くわけだが、望月は染色だけでなく本づくりや装幀、木彫、ブロンズ、 ガラスなどによる立体作品から版画やペン画や刺繍まで幅広い平面の仕事まで、やらないのは油絵くらいのもので、 そのジャンルはとどまるところなく広がり、旺盛な制作意欲とともに、 望月は押しも押されぬ染色作家の第一人者に上り詰め現在に至るのである。

そんなこともあり、今日の雪の気配は、35年前の展覧会がよみがえり、私の脳裏を走馬灯のように駆け巡っている。
ひときわ感慨深いものがある。

前置きが長くなったが、今回は今まで使った植物染料と違い、土や炭を混ぜた染料を使い、 小さな刷毛でかたどった型紙の周りを撫でるように描いていくと行った手法を使っている。
エディションはあるが全て手書きなので同じようにはいかないのだが。
手法は変わってもテーストは当時のままで望月独特の飄々とした温もりが伝わってくるような世界が展開されている。

雪のちらつく寒い中ではありますが万難を排し是非のご高覧をお待ちしています。



1月11日

昨日はお世話になっているK氏がお嬢さんを連れて画廊にやって来た。

お嬢さんが大学の研究発表で映像による中村萌のドキュメンタリーをつくっていて、 今日大学でその発表が行われるということで、事前のチェックを兼ねて映像を見せてもらうことになった。

長い期間中村萌を追いかけ、彼女の考え方から制作過程、台北のフェアの情景などなどが映像で綴られている。

興味深く見たのは大きな材木をチェンソーで切り取るところから始まり、荒削り、粗彫り、鑿による仕上げ、彩色まで、 そして完成し、展示されるまでが時の経過とともに映し出され、大変興味深く見ることができた。
長年私もアートの仕事に携わっているが、身近な作家の制作過程を時系列で続けてみることは全くなかっただけに、 作家たちの制作に向かう真摯な姿勢と作品への取り組みにに改めて感心させられた。

更にインタビューなどを加えて編集された画像は7月の個展の折に公開されることになっているので乞うご期待である。


1月9日

7日から仕事が始まったが、家の松飾りがそのままで気になるが、松の内がいつまでだったか調べてみることにした。

どうやら東では7日、西では15日となっている。
東では7日に七草粥を食べたり、鏡餅をお汁粉にしたりするのだが、暮れに墓参りと氏神様にお参りした後、 オーストラリア・タスマニアに長男・長女家族を連れて出かけたので、初詣はまだ済ませてない。
松飾りを片付けるのは神社にお参りする時にして、西に習い15日までは飾っておくことにした。

ついでに松飾りの由来を調べてみると、歳神様に由来していて、農作物の神様で家を守る神様でもある。
その歳神様がお正月に家に帰ってきて鏡餅にしばらくお泊まりいただくのだそうだ。
門松や松飾りは歳神様が迷子にならないように目印になっていて、歳神様が家を出るまでを松の内という。
うちではあと5日ほど歳神様にゆっくりしていただくことにした。


1月8日

明けましておめでとう御座います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

7日より仕事始めで、展覧会は12日より望月通陽展「TAROT」
GT2では長谷川健司展「自額自賛」を開催いたします。

海外では18日から始まるホテルフェア・ワンアート台北に参加します。

今年も忙しい一年になりますが、ご期待に沿うべく展覧会を企画してまいります。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。

私のPCからの操作ができなくなったこともあって、日記もしばらく滞っておりましたが、 なんとか頑張って日記を続けていきたいと思っておりますのでお目通しのほどよろしくお願い申し上げます。

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