ギャラリー日記

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9月30日

小林健二展も今日で最終日。

途中韓国に行っていて、一週間ほど留守をしたが、その間も途切れることなく大勢の人が展覧会を見に来てくれていた。

今日も最終日ということもあるのか、沢山の人でにぎわっている。

その多くが私に初めての人ばかりで、どこでこの展覧会を知ったのか不思議で仕方がない。

雑誌やネットで知った人もいるだろう。

小林の知人友人もいるだろう。

最近はメールで案内も出すことが多くなっているので、私が知らない人も多いのだろう。

9年ぶりの個展で、私の関係では多少忘れ去られているのではと心配したが、こうして多くの人に来ていただくのはありがたいことである。

小林人気いまだ衰えずといったところだろうか。

9月24日

最終の日曜日。

大勢の人が詰めかけている。

ただし見るだけの人が多く、販売には結びつかない。

ソウルの画廊から山本麻友香の個展の依頼が来たが、ソウルではSPギャラリーが専属になっているので、個展の件はお断りをさせていただいた。

ただし、今回の作品を買っていただいたら、グループ展の依頼ならお受けしてもいいと伝え、先方もそれでは最終日に残ったら分けていただくと言ったまま未だに現れない。

キャンセルになったニューヨークの画廊さんからも、個展の話を頂いているが、一度そういうことがあると、作家さんにもお願いしづらく、しばらく様子を見さして欲しいとお断りをすることにした。

今回は北朝鮮の影響で来る人も少なく、売上も期待できないのではと予測したが、人出は予想に反して毎日たくさんの人でびっくりしている。

ただ売上は予想が的中し、思うような成果があげられそうにもない。

毎回参加しているが、今回が一番悪いのではないだろうか。

いい時もあるし、悪い時もあるで、仕方がないことだが、来年の参加を今一度考えなくてはならなくなった。

ブースも会場の一番端っこということもあり、今までの対応とは大違いで、それも含め来年どうするかを決めようと思っている。

9月21日

アートフェアーも今日からは一般公開。

始まる前からチケット売り場は行列ができている。

フェアーはまだまだ人気があるようだ。

昨日のVIP内覧会も大勢の人が詰めかけていて、フェアー自体は大いに盛り上がっている。

売上の方は聞いてみると売れ筋の作品には早くも売約が入っているようだが、全体はまだまだのようで、私のところもキャンセルがあったりで、昨日は結果が出てなかったが、今日になってようやくちらほらと売れるようになって来て、一息ついたところである。

夜はおつきあいのある画廊さんが新たに娘さんのために昨年開いた画廊の屋上でバーベキューに招かれた。

ソウルの五つ星ホテル新羅ホテルのすぐ横の山手にある画廊で、眼下にソウルの街並みが見える絶好のロケーション。

屋上からの夜景を眺めながらのバーベキューは最高。

柔らかいお肉やサーモンが次々に焼かれ、サラダや果物も食べきれないような量。

締めには朝から煮込んだという手作りの参鶏湯にキムチ。

勿体無いが、食べきれずに美味しいお肉や参鶏湯も残してしまうくらいで、できればパックに詰めて持ち帰りたいくらいであった。

ちょうどオーナーのウンソクさんの誕生日ということを先に知り、サプライズのお花をプレゼントしたが、それだけでは足りないくらいのおもてなしで、ただただ感謝である。



9月20日

KIAFがオープン。
昨年より賑わいを見せている。

ミサイルが飛んでくるのではと心配したが、韓国の人はぜんぜん心配してないようだ。

我々が地震で揺れがあってもまたかという感じと同じなのだそうだ。

会場の通路も広々としていて、ゆったりと見ることができる。

作品も熱心にみてくれるが、成約に結びつかないのがちょっと不安。

終わって8時からオープニングパーティー。

いつもならたくさんの人で押し合いへし合いで、料理もあっという間になくなってしまうが、今回は招待者を限定したこともあって、その上料理も次々に運ばれ、今までのようなことはなく、主催者の運営が功を奏したようだ。

明日はお付き合いのある画廊さんの招待で、画廊の屋上でのバーベキューパーティーに行くことになっていて、他にも夕食の招待があり、夜は連日あいかわらずのご馳走ぜめで有り難いことである。



9月19日

土曜日に小林健二のトークショーが開かれた。

会場はいっぱいの人で溢れかえり、9年振りの個展ということもあって、どのくらいの人が来てくれるか心配したが、小林人気は衰えず大勢の人が詰めかけてくれた。

それも若い人ではなく、中年の男女が多いのに少し安心した。 というのは、展覧会には多くの若い人が見に来てくれていたが、中高年が少ないように思っていたので、この人たちが彼の作品に関心を持ち、コレクションにつながればこれは嬉しいことでる。

私が質問をし、それに答えるという形で進めることになり、まずはいつも難解な造語のようなタイトルがついていることから、今回のイィヰンクイドゥ トゥフトゥウォンズとは何ぞやということから始まった。

意味は自分にはあるが、見る側がそれぞれイマジネーションすることが大切で、アートとはそういうものと彼は言っていたが、今回はその言葉の解説をしてくれることになり、サンスクリット語のようだが、その説明は私のような浅学非才な者には難しすぎてわからなかった。

こういう話を聞いても彼の多岐にわたる知識には驚かされるし、その表現も計り知れないものがあり、私は彼のことを現代のダヴィンチと呼んでいる。

一時間のトークも無事に終了し、今一度彼の話を胸に刻んでもらって、作品の鑑賞をしてもらった。

今日から私は韓国のアートフェアーKIAFに出かけてしまうが、是非小林の多彩な表現を御覧いただき、帰ってきた時にはその反響がどんなものであったかを聞くのを楽しみにしている。



9月16日

今日は朝からインタビューが続いた。

一つは多摩美のゼミの雑誌のインタビュー、もう一つは美術手帖のアートナビのコーナーのインタビュー。

多摩美は銀座の画廊についての話だったので、京橋の私としては話しづらいこともあったが、画廊業界では銀座がブランドではなくなったという話から始めさせてもらった。

美術手帖では画廊の歴史から扱い作家の話まで多岐にわたって話をさせてもらった。

その中で、「私の思い出の品」を紹介してほしいということで、私は昨年90名の作家さんの企画にによる古希のお祝い展の折に、皆さんで出してくれたカタログを挙げさせてもらった。

50年にわたって仕事をしてきた中で、これほど嬉しいことはなかったし、こうして作家さんとお付き合いできたことが、私の画廊をやってきた証であると自負をしている。

また画廊の一押し作家ということで、展覧会中の小林健二を紹介させていただいた。

古希展の発起人の一人で序文を書いてもらった望月通陽と小林健二がうちで一番付き合いの長い作家であり、その二人がともに美術大学も出ていない全くの独学の作家であることも、無名のキャリアのない作家の紹介をモットーにしてきた私にとっては掛け替えのない作家であることから、多くの作家の中であえて小林を一押し作家として挙げさせてもらった。

3時間ほど話をさせてもらい、さすがに喉が痛いが、5時からは小林健二のトークショーがあり、私にも話をしろということで、今日はおしゃべりに忙しい一日となりそうだ。

9月12日

今朝、国連安保理で北朝鮮の経済制裁が全会一致で採択された。

北朝鮮の目に余るミサイル発射や核実験に対しての措置としては当然なのだが、戦前の中国侵略に対する日本へのABCD包囲網による経済制裁を彷彿させる。
日本はそうした制裁に対し、石油資源を求めて、大東亜戦争に向かう事になったが、果たして北朝鮮はそうした暴挙に打って出るのか気になるところである。

というのも、20日からソウルのアートフェアーKIAFに参加することになっていて、滞在中にミサイルでも飛んでこないかと心配をしている。

遠くの火事より背中の灸で、多少他人事と思っていたのが、急に火の粉が身に降り掛かってくる事になりそうである。

多くの海外企業の家族がすでにソウルをを出ていっているという話も聞こえてきて、余計不安になる。

以前にパリ・フォトフェアーがテロにより、会期早々に中止となり、出展した画廊のブースフィーが戻らず、往復の運送料も含め大きな損失が出たそうである。

韓国の人たちは至ってのん気で、状況を聞こうとするが笑い飛ばされてしまい、本気で取り合ってくれない。

KIAFの事務局にも問い合わせたが、同様の対応でこちらが拍子抜けしてしまう。

そうした事態の費用の返還は、KIAF事務局は一切応じられないそうで、そうした状況は天変地異と同様の扱いなのだろう。

ということは、自分たちで対処するしかなく、損害補填について損保会社に聞いてみるしか無い。

多分、保険会社も当面の危機には対応してくれないだろうし、対応してくれても相当の金額の保険料を要求されるに違いない。

ミサイルが飛んでこなくても、こうした非常事態の中で韓国の人は呑気に絵を買いに来てくれるのだろうか。

ということで、キャンセル料を払ってでも出展を取りやめるか、水盃を家族と交わして相当な覚悟で行ってくるか、思案のしどころである。

とにかく、かりあげ君がおとなしくしてくれることを祈るしか無い。

9月8日

明日から小林健二展が始まる。

若干の旧作を含め奥のスペースも使って新作60点の作品を展示する大規模な展覧会である。

9年ぶりの個展で、昨年小林健二を多数コレクションするT氏による小林健二コレクション展を開催した折に、翌年には個展をしようとの話が実現をしたことになる。

小林の作品は全て、少年時代に関心を持った望遠鏡で覗く宇宙であったり、顕微鏡で見る粘菌の世界や、地中深くにある鉱石であったりと全て実際には見ることが出来ないが、子供にとってはなんとも美しく輝いているものばかりで、その原体験を具現化したものが作品のテーマとなっている。

こうした不思議な未知の世界から恐竜であったり、鉱石から音が聞こえる鉱石ラジオ、更には霊の世界へと関心は広がり、彼の夢想の世界は限りなく広く深い。

そうした実際には手に取ったり見ることの出来ないものを、自分の手によって再現させ、作品に昇華させていくのだが、そのための知識や技術、材料へのこだわりは半端でなく、私どもで発表をしている作家たちも彼の影響を受けたものも多い。

そうした知識や技術も彼は美術大学を出たわけでもなく、科学の専門を学んだわけでもなく、全て独学で得たものだから大したものである。

今回もそうした原体験をベースに、独自の世界を展開させ、多くの人を虜にするオーラが会場に満ち溢れている。

9月末までの会期なので是非のご高覧を賜りたい。

また9月16日の5時から「心の中の風景」と題した小林によるトークショーが開催される。

予約が必要なので、ご興味のある方は画廊宛にお申し込みいただきたい。

定員になり次第締め切らせていただくので、早目にお申込みをいただきたい。






9月7日

日曜日から昨日までプライベートで画廊を留守にしていた。

その間、葉山の神奈川県立美術館で「萬鐵五郎展」、軽井沢でホワイトストーン美術館で「アートはサイエンス」を見てきた。

方や明治から太正にかけて活躍し、西欧絵画と東洋の伝統絵画を融合させて、独自の世界を表現した萬鐵五郎の全貌を見ることが出来た。

殆どが岩手県立美術館と萬鐵五郎記念館の所蔵作品だが、資料と合わせて約400点もの数が展示され、実に見ごたえのある展覧会であった。

日本のアカデミックな美術の世界にあって、西欧のモダニズムを目指し、そのダイナミックな表現は日本の近代絵画において稀有な存在と言っていいだろう。

軽井沢では一転して、先端技術を駆使したビデオ・アートや光を使ったキネティック・アートなど、現代そのものの展示で、アートの領域がよりボーダレスになるのを実感させられた。

ただ理解しづらい表現ではなく、子供でも楽しめる視覚で遊べる作品も多く、家族連れでも十分堪能できる展示となっていて、避暑地での絵画鑑賞としては鑑賞者を十分満足させてくれる展覧会ではないだろうか。

私は30代前半まで10年ほど軽井沢の旧軽銀座の入り口に画廊を出していたことがあり、また万平ホテルの近くに父親の別荘があったことから、軽井沢は馴染みの深いところなのだが、父親が亡くなってからは行くこともなくなり、全くの疎遠となってしまった。

広い別荘と庭の手入れが大変で、行って掃除、帰る時にまた掃除と隠居して長い事いるのなら別だが、ついつい面倒くさくなり、足が遠のいてしまった。

但し、今回見てみると家の周りは殆ど変わっておらず、当時の懐かしい思い出が蘇ってくる。

葉山の美術館も、大学のヨット部の練習場や合宿所が近くにあったこともあって、海を走るヨットを眺め、当時からあった食堂で食事をしたり、青春に一時フィードバックをさせてもらい、この4日間は回顧追憶の日々となった。

9月2日

早いもので、長雨の8月が終わり、もう9月に入ってしまった。

昨日は恒例の高校のクラスメートたちとのゴルフコンペを河口湖で開催。

朝方の濃い霧と霧雨が嘘のようにティーグラウンドに立つと快晴に。

8月には見ることのなかった富士山も姿を現して、ようやく河口湖らしくなってきた。

今日でコレクション展も終わりだが、来ていただいた方には大好評で、コレクターのHT氏も、改めてご自分の作品を眺め、感慨深い思いにふけっておられた。

また大方の作品が収まることになり、お手伝いさせていただいた私も肩の荷が下りた。

引き合いの来ている大きい作品は引き続きお預かりしなくてはいけないが、悩みは大きい作品をどこにしまっておくかである。

ここ続いて大きい作品の展示が多く、そうでなくても一杯になっている倉庫を縦のものを横に、横のものを縦にと、ジクソウパズルのごとく整理しながらスタッフは四苦八苦している。

そこに来て、台湾のアートフェアー用の作品が続々到着し、更には来週早々に9月9日から始まる小林健二の作品が大作を筆頭に60点が搬入されることになっていて、画廊はぐちゃぐちゃになりそうである。

8月29日

フェースブックには時々アートの裏側のようなことが載っている。

今回もギャラリーストーカーを揶揄った漫画が出ていて、転載自由となっていたので、若い作家さんに気をつけてもらおうとブログで紹介することにした。

若い特に女性のアーティストが迷惑をしていることが多く、巷では芸大おじさんと呼ばれている人もいる。

私達も気づけば、それとなく作家さんを事務所の中に呼んだり、電話ですよと言って引き離したりするのだが、作家さんはしつこくされて対応に窮していることが多い。

この漫画のとおりではないと思うが、しつこい人が来たらまずは画廊のスタッフを呼んで対応してもらうようにして欲しい。



<font color="#CC6633">●8月28日

昨日日曜日は思いたって、佐倉市の川村記念美術館を訪ねた。

「静かに狂う眼差しー現代美術覚書」展が最終日ということもあって、遠くしかも現代美術の展示が多いにも関わらず、駐車場には多くの車が止まっていた。

素晴らしい庭園と噴水の美しさがまず目に飛び込んでくる。

噴水の横にはダイサギとカワウが並び、水面には白鳥が戯れている自然豊かな光景が広がる。

入り口には清水九兵衛のオブジェとフランク・ステラの巨大なオブジェが置かれているが、ステラのスクラップ彫刻は美しい景観の中では違和感を覚える。

展覧会は所蔵品を評論家の林道郎氏の視点で構成されていて、レンブラント、ルノワールからピカソ、シャガールと続きポロック、ジャスパー・ジョーンズ、クリストまでの多岐に及ぶ作品群が4章に分けて展示されている。

これも庭園同様にジャンルは違えど、美しいものは美しいものだと素直に見ることが出来た。

しかしこれらの作品を関連付ける作業は、さぞかし林氏も苦労されたのではないだろうか。

それとは別にマークロスコーの大作が並ぶロスコールームは圧巻で、その中に佇むと荘厳な世界に引き込まれてしまいそうだ。

これを見るだけでもここに来る価値がある。

昼を併設のイタリアンレストランで食べることにしたが一杯で、しばらく待たされることになった。

この後、都美館の「ボストン美術館の至宝展」埼玉県美の今私どもでも展示されている「遠藤利克展」を見に行こうと思ったが、どうやら都美館止まりになりそうである。

というわけで、都美館に到着したのは4時前で、閉館前には間に合うことになったが、こちらは人の肩越しに作品を見なくてはいけない。

エジプト、中国、日本美術の後に印象派や現代美術が並ぶが、ゴッホの目玉作品以外は大したものがなく、展示数も少なく、あっという間に見終わってしまった。

やはりこういうのは本場で見なくてはならず、がっかり展の一つとなってしまった。

遠かったが今日は川村のマークロスコーを見られただけでも良しとしなくてはいけない。






8月26日

紋谷さんのブログ「画廊巡りノート」でコレクション展を紹介していただいた。
5回に分けて詳細に書いていただいている。

「HT」は、
1980〜1990年代にかけて同時代の日本の現代美術家の作品を集中的にコレクションしていたコレクターのイニシャルです。

この時代の日本現代美術作品を、これだけまとまった形で鑑賞できるのは実に貴重な機会です。

これらの作家の作品は、主要な美術館のパブリックコレクションになっていてますので、遠距離にある美術館をはしごする労力と時間、金額を考えれば、この企画のありがたさが身に沁みます。

折角なので、何回かに分けてじっくり紹介してゆきます。

画廊めぐりノート
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・1
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・2
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・3
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・4
HTコレクション 80-90年代の日本現代美術展・5

8月25日

読売新聞のコラムで作家の島本理生が現代美術について、次のようなことを書いていた。

『以前は、どちらかと言うと現代アートは苦手だった。
一見しただけではモチーフやコンセプトが理解しづらいことがあるからだ。

ある時知り合いの女性作家と飲みながら「作品に込めた意味やコンセプトが分からない現代アートはどう鑑賞すればいいのか」と疑問を口にしたところ、彼女がこう返した。
「その作品が、ただ目の前にあることを、ありのままに楽しめばいいんじゃないかな」

知識を得たり論理的に解釈することで増えるものもある。
しかし、そもそもアートの全てを頭で「理解」できると考えていたのが間違いかもしれないと思うようになった。

今のこの瞬間目の前にあるものに能動的な関心を持つ。
それはアートを楽しむためのマナーであると同時に、人がいきいきと日々を過ごすこと全般にいえるマナーではないかと思う。』

今展示しているコレクション展のもの派を中心とした現代美術も、なんなのかと答えを見つけるのではなく、あるがままを自然に見ることで少し理解できるのだと思う。

アートという概念が狭義ではなく、広義の世界であることを知り、一つのくくりで見ずにその多様性を受け入れることで、アートの楽しみが倍加するのではないだろうか。

来週の土曜日まで開催している「HTコレクション展」それに続く「小林健二展」をそんな思いで見ていただければ幸いである。

8月24日

合田佐和子の没後初の作品集「合田佐和子 光へ向かう旅」が平凡社コロナ・ブックスから発刊された。

表紙を始め私どもで発表していただいた代表作と共に未発表の作品の多数収録されている。

2007年、2010年と私どもで大規模な個展をさせていただき、2015年5月にも新作の個展を予定していたのだが、病に倒れ翌年2月79歳で帰らぬ人となった。

今思うと、もう1年早く個展が出来ていたら、その新作を見て頂けたのではないかと悔やまれてならない。

まだ体調も崩されておらず、頑張れば展覧会のための作品も完成できたのでは。

そしてそれが励みになって、元気を与えてくれていたかもしれない。

亡くなったことが未だ信じられないが、こうして改めて作品集を紐解いてみると、戦後を代表する偉大な作家の一人ではなかったのではとの思いに駆られる。

描かれた多くの作品の眼差しの中に、光の交錯や澄み切った光線が発せられ、それが夢想や未来への羨望へと伸びていく。

いま多くの人物画を描くアーティストが市場を賑わしているが、合田のような深い考察の上に描かれた人物画を描く作家はいないのではとさえ思ってしまう。

合田はいつの頃からか、肉眼以上の目を持ちたいと願うようになったと言っている。

肉眼以上の目を作品に託し、今も私達を見つめ、見守っていてくれているだろう。





8月23日

京都のコレクターN氏がコレクションの中から幻想的な情景を描いた渡辺貞一の作品162点を青森県七戸町の美術館へ寄贈した。

渡辺貞一は昭和40年後半の絵画ブームの折に一躍スターダムにのし上がった作家だったが、そのブームの潮流に飲み込まれ、ブームが去るとともに市場からその名前は消え、その後間もなく亡くなり、今や知る人も少なくなった。

N氏はそうした市場の動きに左右されることなく、ひたすら渡辺の作品を追い求め、今一度渡辺に目を向けてもらうことを願い、今回の寄贈に繋がった。

実は私は大阪の画廊に勤めている頃に、まだ無名だった渡辺の作品を買ったことがあった。

当時の月給が一万5千円の頃に10号で12万の作品を買うのは、分不相応だったが1年の月賦払いにしてもらい手に入れることにした。

私が初めてコレクションをした作品である。

その作品が突如絵画ブームの波に乗り、一年後には250万円になってしまったのである。 当時の給料の15年分になってしまったのだから恐ろしい。

同僚達は売れ売れというのだが、好きで買った絵だから売らずに持っていると言って大事にしていたのだが、結局大阪の画廊を辞める時には元の木阿弥12万円になっていた。

大学出たての若者が大金を手にしてたら、どんな方向に行ってしまっただろう。

そんなことがあって、東京に戻ってから殆ど誰も知らない渡辺の作品を大阪に居た頃よりも安いタダみたいな価格で、30点ぐらい集めただろうか。

忘れ去られた作家だが、一度展覧会をやってみようと思いたち、10年ほど前に展覧会を開くことになった。

その初日に画廊に駆けつけたのがN氏であった。

知人から東京で渡辺貞一展が開かれることを聞いたN氏は、丁度ハワイに行っていたのだが、成田から直行して画廊にやってきて、数点を購入することになった。

それがご縁でお付き合いが始まった。

渡辺にかける思いにほだされ、渡辺の故郷の青森へ一緒に同行し、県立美術館に寄贈の話と遺作展の開催を持ちかけたのだが、ほとんど門前払いの格好で、失意とともに帰ることになった。

しかしN氏の情熱は失せず、ようやく七戸の美術館が引き受けることになり、その思いがついに実現することになった。

残念ながら、私は海外出張と重なり9月16日のオープニングに行くことが出来ないが、日を改めて是非見に行ってみたいと思っている。

京都新聞に大きくそのことが取り上げられ、N氏から掲載誌が送られてきた。

「夜のしじまとその中にいる幸せそうな人物を、優れた色彩感覚で描く渡辺の絵が大好きで、次はどんな作品に出会えるかと楽しみながら集めてきた。ポリシーを持って描き続けた画家の作品を多くの人に見てもらいたい」と語っている。

会場写真は当時の私どもでの個展風景。




8月22日

夏休みも終わり、早速に展覧会が始まった。

夏休み中は梅雨かと思うほど毎日雨が降り、河口湖に居たのだが、厚い雲に覆われ、世界遺産の富士山目当ての観光客は、ここに本当に富士山があるのかと思ったに違いない。

以前山中湖の有名ホテルが、富士山が見えない日はホテル代を返すというキャンペーンを張ったことがあったが、今年そのキャンペーンをやっていたら、間違いなくそのホテルは潰れただろう。

ところが、夏休みが終わった途端に雨も降らず、お陰で展覧会の出足も好調。

HTコレクション展の作品の質が高いこともあって、コレクターや業者が火切りなしにやってくる。

80、90年代の日本現代美術の秀作の展示は美術館と見まごうほどで、私も一人悦にいっている。

ただ内容は良くても、売ることとなると多少の不安もあったが、どうも杞憂に終わりそうで、 大きい作品以外は殆ど売れてしまった。

大作もそれぞれに引き合いが来ていて、終わり頃に残っていないのではと、現金なもので皮算用を弾いている。

9月2日まで開催しているので、是非のご高覧を。



8月10日

8月10日

明日11日から20日まで夏休みを取らせていただく。

その前に21日から始まるHTコレクション展の展示を済ませなくてはいけない。

菅木志雄、小清水漸、中村一美、中西夏之、戸谷茂雄、遠藤利克、村岡三郎、森村泰昌などの大作から桑山忠明、若林奮、柳幸典、関根伸夫、浅野弥衛、西村陽平、トニー・クラッグらの秀作まで80−90年台の現代美術のそうそうたる作家たちの作品が並ぶ。

先日まで木彫の大作の展覧会、それから台北フェアー用の作品のトラックへの積み込み、そして今日またサイズもそうだが、石や鉄の作品も多く、重さも尋常でない作品の展示と、スタッフは連日のハードな仕事をこなしている。

明日から長い夏休みに入る前の大仕事。

すでに作品の問い合わせも多く来ていて、休み明けの展覧会を楽しみにしていただきたい。






8月9日

8月9日

三菱一号館のレオナルドXミケランジェロ展を見に行ってきた。
日曜日の割には空いていて、素描展という地味な展示のせいだろうか。

海外の巨匠の展覧会でもよく素描が展示されるが、どうしても油彩や立体作品に目が行きがちで、素描はサラッと流して見てしまうことが多い。

ところが今回はイタリアルネッサンスの2大天才の素描ということで、興味深く見せてもらうことにした。

二人とも弟子たちには素描とその模写をすることを奨めていて、それだけに自分たちの素描に対する思いもひときわ強かったに違いない。

二人を対比してみてみるとレオナルドの柔らかさに対してミケランジェロは力強さが感じられ、小さな素描作品ばかりだが、その特徴がよく分かる。

私はいつもデッサンを見るときは手、指が不自然でないかを見ることにしている。

関節の多い手と指の描写は顔や体以上に難しいと思うが、さすが二人のデッサンに狂いはない。

デッサンの名手であった小磯良平が手の描写に苦慮する話を直接聞いたことがあり、藤田嗣治の手のデッサンの確かさを褒めていたのを覚えている。

一際は印象に残ったのはレオナルドの「少女の頭部/(岩窟の聖母)のための天使の習作」で、鉛筆だけでこれほどまでに柔らかく神秘的に描けるものかと感心させられた。

今流行の美人画系の人たちのデッサンと見比べてみたいものである。




8月6日

日曜日猛暑の中、国立近代美術館工芸館と三菱一号館に行って来た。

工芸館では「おとなのハッピー」という意味がよくわからない展覧会名なのだが、展示されている収蔵の工芸の名品とともに、私どもで発表をしている川崎広平が招待作家として特別室で個展が開催されている。

この暑さの中では彼の作品は一服の清涼剤のようで、見る人に涼感を与えている。

私どの個展の時に書いた紹介文があるので、改めて紹介させていただく。

川崎はこの光るオブジェをつくる前身は鉄の彫刻家だった。しかし鉄で造形の形を見せるというより、中の構造物をみせるほうを好んだ。

現在のスタイルであるアクリルで外見をつくり中にいれたELファイバーや、LEDで構造を見せるようになったのは自然なのだろう。

外見の造形(かたち)を作って見せることよりも「自分でいちから構造を作り上げる」ことに夢中になっていった、そして今でも虜なのではないかと想像する。

これは 川崎の宇宙 なのだろう。

透明で光るオブジェというのはそれだけで目に入りやすいし、印象に残りやすいものかも知れない。しかし彼のつくる物体は、それだけではない。生命をもって蠢いているようにみえる強さがある。

川崎は浮遊するような心持にさせてくれる不思議な空間をつくりあげた。

一号館の紹介は改めて。






8月5日

一昨日は文化庁の新進芸術家海外派遣制度50周年記念展とそのレセプションがあって行ってきた。

美術、音楽、演劇、映画、舞踏、舞台美術など多岐にわたる芸術分野から、この50年の間に3300名を越える新進芸術家が文化庁の奨学金で留学することが出来た。

そのうち約1000名が美術家で、うち75名が洋画、日本画、版画部門から選考委員によって選ばれ、日本橋高島屋特別会場を始め、4会場にて大作を展示することになった。

この中の20名近くの作家が私のところで発表をしたこともあって、会場でも知った顔が多く見られた。

今現在うちで個展を続ける金井訓志と呉亜沙の作品も並んで飾られていたが、今回の選考にはもれたが、山本麻友香や木村繁之、綿引明浩などもこの制度で留学をしている。

選ばれた作家を見てみると、団体系の作家が多く、独立・二紀だけで3分の一を占めていて、選考委員の忖度があったのかもしれない。

文化庁は少ない予算の中、50年にわたり芸術家に奨学金を提供してきたことになり、この結果多くの芸術家が現在活躍をしていることから、この制度が大きな成果を上げたことは賞賛すべきことであり、今後も途絶えることなく続け行って欲しい。

また、派遣された美術家の若手から数人が選ばれ、国立新美術館で損保ジャパンの後援で「ドマーニ展」と題した展覧会が企画され、発表の機会を与えられていて、研修の成果を私達も観ることが出来る。

新旧の作家が同時に並ぶ機会も少ないので、是非見ておきたい展覧会である。




8月1日

8月に入ってしまったが、日記が10日ほど滞ってしまった。

画廊の仕事は夏枯れかあまり忙しくないのだが、ロータリーの仕事に忙殺されていて、日記を書く暇もない。

夜にでも書けばいいのだが、疲れてすぐに寝てしまう。

先月の人間ドックの結果も届いたので恐る恐る見てみる。

すぐにどうというところはないが、肺に影、尿の赤血球があることから3ヶ月後の再検査をすすめられた。
他には動脈硬化による軽度の慢性脳虚血症が見られるということで、有酸素運動を積極的に取り入れるようにとの所見。

来週病院に行って、さらに医師より詳しい結果を聞くことになっているが、どこも悪いところはないと思っていただけに、軽度でも悪いところがあるとは、かなりショックで、運動不足がが大きく影響していることも、自覚せざるを得ない。

頑張って散歩から再開してみようと思っている。

7月22日

岩淵華林が忙しい。

水曜日夜10時スタートの新ドラマ「過保護のカホコ」(日テレ)に素描制作で、全編通しでスケッチを担当している。

7月21日からは枝香庵のグループ展「わたしの中の村上春樹・イメージと創作」に妊婦の小品を出品している。

同じく21日発売の雛倉さりえの新刊「ジゼルの叫び」(新潮社)の装画を担当。

彼女は多くの装丁画を手がけていて、その一部も紹介させていただく。










7月21日

暑い。

身体が溶けそうである。

梅雨明けしたそうだが、雨がほとんど降らず梅雨の実感がないまま明けてしまった。

ただ九州の雨の被害は悲惨で心よりお見舞い申し上げる。

天の裁量で等分に降ってくれればいいのだが、そういうわけにもいかない。

連休に河口湖に行ってきた。

こちらも昼は日差しが強いが、それでも木陰からの風は心地よく、朝晩になると16、7度くらいになるので肌寒ささえ感じる。

もちろんエアコンなどなく、昼間でも自然の風がエアコン代わりである。

水も富士山からの伏流水で、市販の天然水を飲んでいるのと変わりない。

空気も美味しく感じられ、富士山では空気の缶詰が500円と1000円で売られている。

私のところではただなので、思い切り深呼吸をしている。

こうした自然そのものの環境に囲まれているが、それでも年々周りの自然は変わってきている。

前なら当たり前のようにあった「たらの芽」や「こごみ」、「山椒」も近所の人が手当たり次第に採って行くので、すっかり見なくなってしまった。

ちょうど今頃採れてジャムにしていた木苺もいつの間にか見かけなくなってしまった。

いくらでも見つかったカブト虫や、クワガタも見かけない。

これはテレビで言っていてわかったことだが、虫は明かりに寄ってくるのではなく、紫外線に寄って来るそうで、白熱球だと夜にその周りに集まり、朝早く街灯の下に行くと手当たり次第であった。

ところが光源がLEDだと紫外線を出さないので、虫が寄り付かないのだそうだ。

街灯をLEDに変えたことで、虫が来ない理由がわかった。

文明と自然の関わりの難しいところである。

これ以上変わらないでいてくれることを願うばかりである。

7月16日

高松ヨク氏が亡くなられた。

奥様からはがきが届き、6月22日に肺がんで逝去されたことを知った。

無宗教のため葬儀など一切無用との遺志でお知らせなどをしなかったとのことであった。

偶々なのだが、私が持っていて画廊においてあった作品を家に飾ってみようと思い、丁度6月の15日くらいだったろうか、玄関に「クリストゥスの少女」「美術評論家」の2点の作品を飾ったのだが、それから1週間後に亡くなったことになる。

死の予感のかけらさえなかったのだが、虫の知らせなのだろうか、作品が見たくなり、家に飾ることにしたのだから、複雑な思いがする。

氏の個展は3回やらせていただいたのだが、6年前に京都に移り、ちょっと間が空いていて、2015年に予定していた合田佐和子展が病いのために中止になり、それではと高松氏に声をかけ、作品がたまっているようだったら急で申し訳ないが個展をということで開催することになったが、まさかそれが最後の展覧会になるとは思いもしなかった。

逆に思えば、ピンチヒッターとはいえ最後に私のところで個展をできたことが、せめてもの慰めとなった。

仏前にお参りはかなわなかったが、せめてもの供養と玄関に飾られてある氏の作品の前で手を合わさせご冥福を祈らせてもらった。

幻想絵画に独特の感性を持った作家で、稀有なる人材を失い途方にくれている。

とわに安らかなることを願う。



7月15日A

小川陽一郎展「普通人」

形や色、イメージからリンクした要素をミックスしてつくられる異物混入アートと本人は呼んでいて、それぞれイメージのギャップがテーマとなっている。

それぞれのコンセプトはあるのだが、それを抜きにして、底抜けに面白い作品である。

東南アジアでよく見られるごった煮の装飾、そこに庶民のバイタリティーを感じるのだが、彼のは日本の風土に即した庶民文化と言ってもいいだろう。






7月15日

今日から二つの展覧会が始まる。

まずは大島康之木彫展。

動物のリアルな表情と胴体や手足のべろんとした表現が不思議で、先般開かれた前橋アーツでの前橋の美術に出品されていたのを見て、すぐに個展の依頼をした。

ただこんなに早くとは思っても見なかったが、偶々今週からの展覧会が延期になり、それではということで早速の個展が実現した。

伊津野雄二や中村萌、牧野永美子といった木彫の作家も私のところには多く、新たに大島が加わった。

立体を持つことの抵抗感がなくなった今、大島の作品にも早速興味を示す人が多く、早々に売約もいただいている。

暑さに身体も溶けそうだが、動物たちも何とはなしに暑さに参って、だらんとしているように見える。






7月11日

今日は朝から明日まで二日間人間ドックで身体の隅々まで検査。

オプションにある認知症検査だけは、今回はやめておくことにしたが、みんなはそれを一番にやらなくてはとうるさいこと。

他は脳、脳血管から甲状腺、動脈、循環器、呼吸器、消化器、泌尿器、明日はPET検査と身体中を診てもらう。

個別に胃や大腸の検査を受けたり、PETによるガン検査は受けているが、今回は婦人科の検査?と認知症以外は全て受けることにした。

まな板の鯉で結果はどうなるか不安だが、これだけ診て貰えば思い残すことはない。

ここのクリニックのコースには近くにあるフレンチの有名店ホテル・ドゥ・ミクニの昼食が付いていて、クリニックとは思えないお洒落な食事がふるまわれる。

また各フロアーには望月通陽の彫刻作品が飾られていて、多くの病院に見られる殺風景さはなく、来院者の心を和ませる演出がなされている。

そんなこともあってだろうか、相当疲れると思ったが、終わってみるとスッキリ。

今日の血液検査の結果では、血糖値やコレステロール、その他もろもろ問題なしだが、胴回りが平均より5センチオーバーと肝脂肪が標準値を超えているということで、運動不足を指摘された。

明日の検査を含め、詳細の結果は4週間後になるが、何も出ないことを祈るばかりである。





7月8日

先日日経の証券部の記者からインタビューを受けたが、その掲載紙が送られてきた。

日経ヴェリタスという週刊投資金融情報誌で、「アート投資はあなたも出来る」という2面にわたる記事である。

バスキアの作品を日本人の若いコレクターが123億円で落札したというニュースがついこの前流れたり、テレビで大阪の美術館から出品された中国美術29点が300億円で落札といった、同じ商売をしていて、わたしには全く縁がないニュースがこうした特集を組むことになったのだろう。

そんなことで私に聞くのもお門違いなのだが、1時間以上のインタビューで私のコメントは数行だったが、こんな風に書かれている。

『新進気鋭の作家を多く扱うギャラリー椿の椿原弘也氏は「一部の著名な作家を除けば、1号当たりの価格は1980年代と比べ10分の1にとどまる。短期で大もうけするのは難しいが、若手の作品を楽しんで買う価値はある』という記事になっていた。

他はオークション会社や通販サイトのコメント、画商、著名コレクターのコメントや以前に日記で紹介したパトロンプロジェクトの話が載っている。

こうした話を総合すると、アート投資はそう簡単ではない。
高額品で国際的な評価がある人の作品なら投資対象になるが、コメントしたコレクターたちも投資目的では買っていない。
見る目を養うこと、情報収集をすること、長期的の持つことといったことが将来の値上がりに繋がる可能性もあるが、好きで買った作品が偶々そうなったと口を揃える。
美術市場に大きなお金が動いてほしいとは思うが、投資目的だけでは、過去の経験から言って煮え湯を飲まされるのが落ちである。

7月7日

7月6日に降る雨のことを洗車雨というと今朝の新聞に書いてあった。

牽牛が織女に逢う準備で乗って行く牛車を洗い、その飛沫が雨となって地上に降るのだという

。 ロマンチックな雨なのだが、九州に降った雨は記録にもない豪雨となり、牛車だけでなく大地まで洗い流してしまった。

七夕の短冊に被害に遭った人達の無事を願うと書くことにする。

7月5日

日、月と大学時代の友人の蓼科の別荘に泊まり、二日連続でゴルフ。
梅雨の最中だったが、幸い天気に恵まれ、終ってから強い雨が降るという私にとっては稀に見る出来事。

ところが翌日の昨日は、名古屋のお客様のところにコレクション展の打ち合わせと出品作品の受け取りに出かけたのだが、想定外の台風の影響で、土砂降りの雨と雷に遭遇。
運良く作品を車に積み込むときだけ小雨になり、作品が雨に濡れることなく無事車に積むことが出来たのだが。

出品作品は現代美術の選りすぐりの作品が多く、是非コレクション展を楽しみにしていただきたい。



帰りは台風と追いかけっこで、何とか高速道路も混むことなく、無事に画廊に戻ってこられた。

スタッフと交代で運転したが、行き帰り10時間の運転は久しぶりで、さすがに疲れて、もう一人で行くのは無理で、居眠り運転や逆走を心配しなくてはいけない。

高速のトイレには逆走の注意書きが貼ってあったが、毎月20件の逆走があり、死亡率は普通の事故の10倍だそうで、何で逆に走るのか不思議に思うが、これだけ多いと人ごとではなくなる。

息の昼食で、あんかけスパゲッティの看板に釣られて入った店は、うどんやそばがメーンなのだが、麺を自分で茹でるという東京ではあまり見かけないスタイル。
それにトッピングでおかずを選ぶのだが、別メニューに看板にあったあんかけスパゲッティがある。

ソース味でウィンナーやベーコンに野菜がのっている今まで見たことがないスパゲッティで「ミラカン」というそうで、どうやら名古屋名物らしい。

調べてみると、ウィンナーやベーコンなど肉類の具を「ミラネーゼ」といって、たまねぎやピーマン、トマトなどの野菜の具を「カントリー」というらしいが、それをミックスして「ミラカン」、意味不明。

アラカンなら知ってるのだが。



7月1日

昨日は作家さんのスタジオ訪問。

先ずは橋本にある中村萌のスタジオ。

建築現場にある作業所と言ったらいいだろうか。

プレハブの長屋のような建物で、ここを10人のアーティストでシェアしている。

ほとんどが男性の立体作家達で、可愛らしい彼女は男性には怒られるが、このむさ苦しいスタジオでは掃き溜めに鶴といった観がする。

この辺りは、女子美や多摩美、造形があるので、学生や卒業生のためにこうしたスタジオが50近くあるそうだ。

ここら辺の地主さんにとっては美大が移って来たおかげで、遊休地が思わぬ有効利用できたことになる。

屋外といっても屋根はあるのだが、中村はここで粗彫りをして、あとは細かい仕上げを中でやるようだ。

家賃も格安でいいが、安い分夏や冬の気候は過酷に違いなく、そうした厳しい環境の中にあって、あの細腕から今やキャンセル待ちの木彫作品が生まれてくる。

スタジオには未完の作品ばかりだが、どのように仕上げってくるか楽しみにしている。

次に近くにある牧野永美子のスタジオを訪ねる。

こちらは自動車整備工場を再利用していて、天井も高く、中村のところよりは整然としている。

ただ工場跡だけに天井がバカ高く、もちろん冷暖房設備もなく、トタン板に囲まれたスタジオは、中村のところ以上に暑さ寒さは過酷ではないだろうか。

また川沿いだけに蚊の大群も押し寄せて来そうで、大量の蚊取り線香がいる。

牧野以外もここは女性作家が多いのだが、その多くがかなり大きな木彫作品を作っているのには驚かされる。

家賃は月2万円からそれを少し超えたくらいで、若い作家さんには手頃な価格だが、もう少しゆったりとしたスタジオで仕事ができたらと思うが、土地の高い日本では仕方ないのかもしれない。

私たちがもっと頑張って、何百万、何千万で作品を売ってあげることが解決の道なのだが。





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