ギャラリー日記

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12月28日

今日で画廊も仕事納め。
一年間皆様には大変お世話になりました。
心よりお礼申し上げます。
この一年のアート市場を振り返りますと、大方不況一部バブルといった状況ではなかったでしょうか。
グローバル社会とそれに伴う価値観の多様化により、今まで評価されていた日本の近代美術の凋落は著しく、反面新たな評価として国外では60年代70年代の日本の抽象絵画の評価が高まり、国内では若手の細密美人画展に列をなし、初日完売の声が多く聞こえてまいりました。
花鳥風月に代表される日本の近代美術は、コンセプトや社会背景が求められる海外での評価は低く、主義主張や精神性の高い具体美術やもの派にその位置を奪われる結果となってしまいました。
ただこうした作家たちの作品の価格の高騰はプライマリーギャラリーから手を離れ、セカンダリーマーケットでの扱いとなってしまったことには複雑な思いをさせられます。
一方今の美人画ブームも斜交いに見ていくと、無個性な装飾絵画の感は否めませんし、これでは近代美術と同様にグローバル社会の中では埋没してしまうのではと危惧しております。
そうした多様な社会状況の中、私どもは流行に左右されず長い目で作家と向き合い、ひたすら支え続けることで世に問いたいと思っております。
愚直な画廊ではありますが、迷走、逆走することなく、猪突猛進まっすぐ進んで参りますので、来たる年も何卒皆様のご支援よろしくお願い申し上げます。






12月14日

いつも展覧会印象記をご寄稿いただく紋谷幹夫氏が武田 史子 展の印象記を寄せて下さったので、
今回もご紹介させていただく。

ギャラリー椿では、金井訓志展。

展覧会タイトルは、
ー花、美しくも妖しいカタチー。

国立新美術館での独立展は、
高い画力を備えた個性派揃いの見応えある有力公募展です。
筆者は、あの作家の今年の新作は?
といった興味で会場を回りますが、
「あの作家」に当然、金井訓志も入っていて、
今年(86回)の出品作、
なぎさの線のままならずには意表を突かれ、唸りました。
※82回、83回の作品も凄かったです。
花の妖しい美しさが、
色がない画面で香り立っていました。
この個展では、その、異色の世界観が水平展開され、
鑑賞者にとって、
贅沢な絵画鑑賞空間が生まれています。
この作家の特異性は、
自然界の無限諧調を、
数種の色面に限定することで、
自然界にはない不協和音が発せられる点です。
むろん、それらは制御された結果であり、
画面にはモチーフの「花」とは別次元の装飾性をもたらし、
ドライな官能が見る側を新しい世界へ誘う。
そんな印象でした。

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いつもありがとうございます。

11月16日

アート台北でブレークした牧野永美子の立体展がギャラリー椿で始まっています。

ユーモラスでどこか愛らしく微笑ましい作品たちがみなさんをお待ちしています。
手と足の微妙な表情にも注目。

10月16日

いつも展覧会印象記をご寄稿いただく紋谷幹夫氏が武田 史子 展の印象記を寄せて下さったので、
今回もご紹介させていただく。

ギャラリー椿(中央区京橋3-3)では、武田史子展。

モノクロの銅版画。

作者は白い紙に銅版画として何かを描きますが、
それは版画家の見たいものではなく、
不思議な建造物の表層的な有り様ではなく、
そんな場面に存在するはずの、
眼に見えない(描けない)何かのはずです。

モノクロームのイメージの集積は、
深刻さや重さはなく、
さりげなくく見る側へボールを投げてきます。

「ここに何が在りますか」

「ここに在る」という実感を確かなものにするための、
画面の隅々まで描かれた繊細な描線は
出来事を含む時間をも巻き込みながら、
見る者の心に迫ってくる。
そんな印象でした。

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いつもありがとうございます。

10月1日

いつも展覧会印象記をご寄稿いただく紋谷幹夫氏がの小林裕児展と小浦昇展(ともに会期は終了致しました)の感想を 寄せていただいたのでご紹介させていただく。

小林裕児展

会場風景。
展覧会タイトルは、ー田園の秘密ー。

切り拓かれる​未踏の絵画世界。
といっても、インパクトある抽象表現ではなく、
具象に徹しながら、繊細で叙情的な余韻が漂う絵画世界。

鋭い感性と画力から導かれるモデリングセンス。
多彩に展開する舞台空間、舞台装置、登場人物。
それらが錯綜する緊張感と非日常性は、
絵画特有の豊潤さ、幸福を湛えます。

それは、画家の内なる世界との対話から
絵があぶり出されるという、絵画の原点。
そんな印象でした。

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小浦昇展

ギャラリー椿 GT2(中央区京橋3-3)では、小浦 昇 展。
丁寧に描かれたクオリティーの高い風景画ですが、
当然、風景画で終わっていません。

風景画で紊まらない言葉が、
これらの作品群のキーワードなのでしょうが、
筆者には「舞台《のように思われます。
一見単純明快な風景の中に
何事かが造形化されています。

蓄積されている記憶の断片は、
言葉や形を持ちませんが、
その中からピックアップしてみたら、
こんなコンポジションが出来上がった。
そんな印象でした。

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ありがとうございました!


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