ギャラリー日記

ご感想はこちらまで

 
6月29日 ペット検査

6月21日に73歳の誕生日を迎え、後期高齢者の仲間入りも目前となってきた。

ニュースでは高齢者の自動車事故や、認知症のことが毎日のように報じられる。
私もそうした事例の適齢期を迎えたことになる。

誕生日に合わせて、2年に1回人間ドックで検査を受けることにしている。

全身くまなく診る検査は2年前にやっているが、いつもは放射物質が微量入った注射を射ち、後は寝て、MRIによる検査を受けるペット検査が痛くもかゆくもないので、それを受けることにしている。

この検査は癌細胞が正常の細胞よりずっと多くブドウ糖を取り込む性質があることを利用するもので、微量の放射性物質を含むブドウ糖液を注射し、 MRIでブドウ糖が多く集まるところに癌細胞があることがわかり、早期発見に繋がるいたって楽な検査である。

ただ費用が10万円以上かかるのとと、万能ではなく癌の部位によっては不得意なものもあるので、何とも言えないが、 私はカメラやバリウムを飲んだり、あちこちで注射されたりレントゲンを撮られるのよりは楽なので、この検査を受けることにしている。

ペット検査の不得意な中の一つに脳腫瘍があって、今回は物忘れもひどくなっていることもあり、オプションで脳検査も別途受けることにした。

結果はまだ2週間後ということなので、いつもそうだがドキドキしながら結果を待つことになる。

友人たちと集まれば、まずは病気の話になり、やれ何処が痛い、手術した、入院をしたという話ばかりで、 そう思うとこの歳まで大した病気や怪我もしたことがないのはありがたいことだが、まずは安心保険と思ってペット検査を受けることにしている。

6月27日 展覧会印象記A

柳澤裕貴展

緻密に描かれた風景画。
風景という、
遠くから第三者的に傍観する
精神的距離感はなく、
目前の、葉の生茂った大木の足元の状況という、
切実感、画家との一体感が漂います。

画家は無数の葉によって構成される目前の事態を、
きっぱり塗り分けながら、
一旦、地と図という色の関係に整理し、
そこから湿度や香りや風がともなう空間に復活させます。
そして描かれないある存在をもイメージさせる。
そんな印象でした。



−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


6月27日 紋谷幹男氏展覧会印象記

今回も展覧会に寄せて寄稿していただきました。

岡本啓個展
展覧会タイトルは、ーRAUMー。
※「空間」を意味するドイツ語。

絵画は、
ある二次元の状態を固定した表現スタイルです。
しかし、表現方法によっては、
固定された、という意識よりも、
変化の過程という意識を生む作品もあります。
画面は、何かの出来事のある刹那で、
直前も直後もあり、遥か前も遥か後もある。

これらの作品がそんな感覚を呼び寄せるのは、
不思議な視覚体験によります。

作品は、現像によって印画紙上に描かれた「像」です。
キャンバス上の絵筆の筆跡ではないものの、
モニター上でデジタル加工されたCGでもなく、

暗室内での手作業の結果です。 何かの再現のための手段ではなく、
意識の奥深くに沈んでいった形や色を
もう一度現わして画像に留め置く。
調和は考慮されず、
ハレーションが起こる状況が生まれます。

この香りの違う空気の渦のような作品は、
覗き込みさえすれば、
そこに別世界が広がる万華鏡のようだ。
そんな印象でした。



−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


6月24日 柳澤裕貴展

GT 2 でも土曜日から柳澤展が始まった。

今回は今までの緑陰の木漏れ日の風景から、鬱蒼とした木々や草花をテーマにした作品が並ぶ。

前回もいくつかこうした作品を発表して好評を博し、韓国のフェアでも大作が売約となり、今回の作品ももし残れば韓国でもまとめて紹介をしたいと思っている。

初めて韓国で紹介した時も、癒されるということで、まとめて10点ほどが韓国の病院に飾られることになったり、大邱の市長室にも100号の作品が展示されている。

日本画の顔料をベースに、青や緑、紫の色彩を使った自然の情景は、一服の清涼剤となって、心にしみてくる。

日本画や伝統的な洋画のモチーフなのだが、一味違う現代的な表現に変化させているところに今回の作品の妙味がある。

今でも思い出すが、柳澤の最初の個展の初日が東北の大震災の時で、それから韓国の時もそうだったが大雨がやって来たりと、柳澤の展覧会発表のときは何故か天変地異が起こる。

直前に山形・新潟で大きな地震があって、今回も初日が心配されたが、雨模様でこれは梅雨のさなかで仕方がなく、まずは何事もなくことなきを得た。

ところが今日の朝、強い揺れが東京を襲い、柳澤の祟りがいよいよやってきたのかと肝を冷やしたが、大した被害もないようで、胸をなでおろした。

あと二週間無事で終えることを祈るばかりである。



6月22日 岡本啓個展

今日から岡本展が始まった。

岡本の作品は写真なのだが写真ではない。
カメラを使わず、暗室で手探りで印画紙に光を当てて感光させ、色を抽出する。

偶然のようだが、そこに岡本独自のテクニックがある。

うまく説明できないので、岡本の言葉を引用させてもらう。

私は光そのものを見せる仕方を考えている。
「描く」ことが「光を捉える」ことと同義ならば、その方法に絵の具は定義されていない。

私は写真印画紙に向かい、「光」を色彩として形として「記録」をする。
真っ黒い部屋の中で行うこの方法に「フォトブラッシュ」と名前をつけた。

「写真」というのは厄介な言葉で、体がないまるでお化けだ。
紙でも布でもディスプレー上でも、撮影された静止画として写ったものはすべて写真と呼ばれる。

絵画のように確固たる支持体を持たないこのメディアは、任意の支持体を与えるとそこに憑依する。
ゆえに発展し日常に浸透した。
イメージこそが写真、と言える。

レンブラントたちが捉えようとしt幻のような世界を、軽やかに表しているのだ。
photographの語源はギリシャ語で「光の記録」、これはそのまま絵画の方法論である。

キューブリックは遺作となった「Eyes Wide Shut」で、現実と夢想は同価値(この映画の場合、同罪)であるとした。
視覚においても私達が捉えている世界は、眼球に写った(イメージ)の認識でしかなく、「見えている」という点では(幻まぼろし)と変わらない。
光は、夢と現を同時に内包している。

私は光そのものを見せる仕方を考えている。
物質とイメージの間でたち顕れる、その美しさを。



6月21日 河原朝生インタビュー

昨日紹介した月刊美術で河原朝生のインタビュー記事が掲載されているので、長くなるが紹介させていただく。

人間には、どうしようもない寂しさとか、底知れぬ悲しみに暮れるときがある。
そんなものを絵に表現されたら、キャンバスの前で泣いてしまうかもしれない・・・ 編集部

「ポエジーの重要性」

母親は新劇の女優をしていました。
相当多忙だったのでしょう。
生後一年以上も広尾の日赤病院に預けられたままだったそうです。
普通に母親が抱いたり、乳を与えるというスキンシップはほとんどなかったようです。

父親も歌人でほとんど書斎に篭っているような人でした。
孤独が当たり前のちょっと変わった幼年時代でした。
今でも家族というものがイメージできません。

ただ孤独というものを肯定的に捉えられるようになったことは、それほど悪いことではありません。
絵を描くようになってからはそんな環境で育ったことをありがたく思うようになりました。

絵を描くようになったのは18,19歳の頃だと思います。
絵を学ぶためにローマに行きましたが、あまり真面目に勉強はしませんでした。
その頃からずっと自分のことを画家だと思ったことはありません。
今でもその気持ちは変わりません。

画家というのはある程度長い時間、制作と向き合っている人だとだと思うんです。
私は制作している時は人一倍真摯に作品と向き合いますが、普段は怠け者でだらだらと遊んだり寝たりしていることのほうが断然多いです。
そんな生活をしていると世間の風当たりが強いので、お仕事はと聞かれたときは絵を描いてますと答えるようにしています。

でもそういう困った人間の割に「自分の作品もなかなか悪くないな」とは思いますけど・・・

作品は殆ど想像で描きます。
いろいろな光景が頭に浮かびますが、実際に描いてみると、ポエジーを感じるものとそうでないものがあります。

暗闇で手探りするような感じで進めますが、自分が一番大事だと思うポエジーが現れなければ先に進めることはしません。
ポエジーがなければどんなイメージもどんな作品も自分には全く無意味なものになってしまいます。

ポエジーというものを言葉で説明するのはとても難しいこと、むしろ不可能に近いかもしれません。

ポエジーは真実、存在、愛といったわけのわからないものに触れるための必需品だと思うのです。

4歳の頃、遅く帰ってきた母親が宮沢賢治のあまりメジャーでない短編を読んでくれたことを時々思い出します。
宮沢賢治はオノマトペ(擬音語)を巧みに使う手法でポエジーと独自のリアリティー生むことに成功しています。

当時それがポエジーだと認識したことはありませんでしたが、子供なりに言葉では表現できない謎めいた不思議なリアリティーを感じたのだと思います。
その時初めて「ポエジー」という得体の知れない魅力的なものに出会い、その後それが自分にとって何よりも大事なものになってゆくのです。

6月20日 月刊美術

美術雑誌・月刊美術7月号の巻頭特集「ベテラン・個性派洋画との再会 心で集める絵」で河原朝生、小林裕児など18名の作家が紹介された。
1十八名の作家の中でも二人の他に七名の作家がこれまで私どもの企画に参加をしていて、何と半数の作家が私と関わったことになる。

この特集は編集部が次のような思いで企画をしたようだ。

一人の画家を追い続けるコレクションがある。
ギャラリーの矜持、アーティストの想い、そしてコレクターの美意識・・・

三者が一つの夢を分かち合う。
これより素晴らしいことが他にあるだろうか。

完売したとか、値上がりしたとかではなく、心で絵を集める尊さ。

そんな当たり前のことを思い出させてくれるのは、絵画の新しい時代を切り拓き、今でも輝き続けるベテラン洋画家たちだ。

令和に変わり、改めて亡くなった有元利夫を始め、昭和20年代生まれの作家に焦点を当てた企画のようだ。

私も35年以上にわたりこうした作家たちと出会い、紹介を続けてきただけに、新しい作家たちに目が向く時代にあって、 昭和世代の作家たちを掘り起こしてくれるのは大変嬉しいことである。

本屋さんで目に留まったら是非手にとって読んでいただきたい。


6月18日 おもちゃコレクター

オブジェ展ではおもちゃコレクターと知られるK氏が来廊。

K氏は京橋に生家があり、それもあって京橋エドグランのロビーには月替わりで氏のコレクションが展示されている。
また氏のライブも時々ここで行われている。

氏のコレクションはおもちゃにとどまらず多岐にわたり、今ときめく現代アートもいち早くコレクションをされたようだ。
私どもで発表している小林健二や森口裕二の作品もコレクションの一つである。

しばし、氏のタブレットでコレクションの数々を見せていただく。
童心を失わない純な思いに溢れた作品ばかりで、私の好みに通じるものがある。
うちで展覧会をやってみたい作家ばかりだが、ほとんど名前も知らず、作品も見たことがないものが多い。
世間は広いものである。

おもちゃを含めてこうした溢れんばかりのコレクションもその情熱がなせる技で、好きという思いが私が知らない作家たちの作品さえも引き寄せられて行くのだろう。

7月19日より28日まで羽田空港の第2ターミナルでSFに関連した作品のコレクション展をやることになっているそうで、 そこに浅井飛人の宇宙服を装着した作品も展示されることになるようだ。

古希を迎えたそうだが、童心と夢、童夢はとどまるところを知らず、溌剌と輝いていてとてもそんなお年には見えない。

私も負けずに夢を見続けよう。


6月17日 父の日

昨日は子供達やその嫁さんから「いつもありがとう」の感謝のメールが送られてきた。

私は全く気がつかなかったのだが、昨日は父の日だったのをメールを見て初めて気がついた。
母の日は昔からカーネーションを送ったりして、お祝いをしたのを覚えているが、いつから父の日が慣わしとなったのだろう。

私は親にそうした感謝の気持ちを表す手紙やプレゼントを贈ることは滅多になかったが、うちの子供たちは小さい頃から常に感謝の言葉やプレゼントを送ってくれていて、 親不孝な父親によくこんな気がつく子供たちが生まれたものと感心している。

逆に私は3人の子供や7人の孫の誕生日を覚えておくだけでも大変で、この前も10日も早くうっかりして娘にお祝いメッセージを送ったりで、うっかり度がひどくなっている。

画廊のスタッフの誕生日もとても覚えきれないので、誕生日祝いの代わりにクリスマスプレゼントをみんなに贈ることにしている。

いまだに忘れられないのは、70歳の古希のお祝いの記念展を誕生日に合わせて作家さんたち90名が主催してやってくれたことで、今でも深く心に刻まれている。

大したお返しもできないのに、子供夫婦や孫、画廊のスタッフ、作家さんたちにこうして祝ってもらい、私は本当に幸せものだとしみじみ感じている。


6月15日 海外の展覧会

昨日はソウルの若い画廊オーナーがビジネスグループの勉強会の合間に私どもへ寄ってくれた。

前にソウルに行った折に出会った画廊さんで、そこの画廊に案内され、やっていた展覧会が今風の興味ある展覧会であった。

すでに韓国の多くの企業や雑誌に取り上げられていて、韓国では名前の知られた作家のようだが、この作家は台湾で発表すればもっとブレークするのではとアドバイスをさせてもらい、 一度アート台北を見学に来るようにと言っておいたのだが、是非に案内をしてほしいとのことであった。

日本でのプロモートも頼まれたのでお手伝いをさせていただくことにした。

こうして少しづつ海外とのおつきあいが広がっていく。

今回もローマの画廊がローマとロンドンのグループショーに中村萌に参加してもらえないかとのメールが送られてきた。

丁寧に自分の画廊の説明がなされ、日本人作家では高松和樹の個展をやっているということで、私も会場風景をFBで見たことがある。

大変誠実で丁寧なメールでもあったので、中村とも相談し、参加の方向で検討させてもらうことになった。

少し前になるがシカゴの画廊が武田史子の作品を扱いたいとのメールが入り、ここも誠実で謙虚な対応をしていただき、取引をさせていただくことにした。

そうした中でロスアンジェルスにある画廊も展覧会の出品依頼が昨年からきているのだが、間に立つ人がいて、この人が一筋縄ではいかず、横柄、 不遜、自分の考えを押し通すといったことが続き、流石に手を焼き、私のところはその代理人とは一切関わらないことに決めた。

機会があればオーナーと一度コンタクトを取り、その上で直接お話ができればと考えているのだが。

海外とは意思疎通が難しいが、まずは信頼関係を築くことが大事で、それがあれば長く続き、作家にも貢献することができるのだが。

6月14日 印象記

紋谷幹男氏がオブジェ展の印象記をアップされたので、日記でも紹介させていただく。


17人の作家による立体作品の​グループ展。
かなり見応えがあります。
無機的、幾何学的な作品は少なく、
主に人物、生き物がモチーフになっています。

伝統的な具象系の彫刻のモチベーションは、
フォルムの追求なので、
素材感、色合いなどの表皮に関わる優先度は低いですが、
これら抽象系の立体作家にとっては、
フォルムと表面は表裏一体の関係になります。

こうやって前衛系のクオリティの高い立体作品を眺めていれば、
絵画とは全く異質なメッセージが発せられていることがわかってきます。
立体は実態なので状況そのものです。
素材の持つ物質性は雄弁に語ります。

ある事態を起こしている当事者を空間ごと切り取って、
ここに置いたかのような臨場感があらわれます。
営みに伴う温かみがあります。

作家の中に起こった何かの予感が漂っている。
そんな印象でした。








−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


6月13日 ベトナム会

私が所属するロータリークラブではタイの山岳民族の子どたちと、ベトナムの戦災孤児や両親と犯罪や貧困で生き別れた子供達の支援をしている。

タイの支援は日本人写真家三輪氏が、現地の山岳民族の子供達の厳しい教育環境を見かねて始めたプロジェクトで、さくらプロジェクトという。

ベトナムは日本で東大、京大で物理学を修めたホーウェイ氏が設立した青葉奨学会という教育支援プロジェクトで、お二人とも大変熱心にこの支援に取り組んでいて、 うちのクラブも協力して長年支援を続けている。
私を含め6人の仲間はタイの子供達の里親をしていて、就学支援をさせてもらっている。

2年に一回はそうした子供たちに会いにタイ、ベトナムに出かけ、カンボジアやミャンマーなども回ってくる。

偶々2年前にベトナムに出かけた会員のうちの3人が同時に癌に罹り手術をしたことがあって、 元気づけとその快気祝いを兼ねてベトナム会と称して、渡航仲間と集まり親睦を兼ねた食事会をやっている。

昨夜も渡航仲間以外に新入会員でベトナムで仕事を展開している会員も誘い、14名が集まりベトナム談義に花を咲かせた。
今期はクラブで行く旅行も多く、11月のタイベトナム以外にも来年2月に沖縄、6月ハワイとあって、大勢の会員家族が参加することになっている。


6月12日 クラス会

小学校のクラス会が久しぶりに開かれる。

担任だった理学博士の道家達将先生は91歳になられるが、矍鑠とされていて、今回も出席していただけることになっている。

先生は海軍兵学校を経て、名古屋大学理学部化学科を卒業されたのち私どもの小学校和光学園に赴任された。
その後先生は東京工業大学に入り、科学史家として多くの科学、理科の本を出版されている。
東工大教授から茨城大学、放送大学の各教授を経て名誉教授となり現在に至っている。
私達の小学校は旧制成城学園から玉川学園、明星学園、そして和光学園の三つの学校に分かれ、それぞれが戦後の新教育を理想に掲げ、設立された学校であった。

私の小学校はユネスコの実験学校となり、独特の児童教育がなされた。
学校の理想に共鳴した児童教育者と知られる著名な先生が多くいて、道家先生もその一人であった。

クラスは二つしかなく、一クラス20数人でまるで田舎の分教場と変わりがない。
それぞれのクラスにハンディキャップのある子、双子、台湾や韓国の子、日本語が喋れない帰国子女などがいた。

教室の机は幼稚園のように丸テーブルで数人が囲んで座るようになっていたり、机には大きな紙が敷かれ、授業中でもそこに自由に落書きをすることができた。
落書きでいっぱいになるとそれは教室の壁に張り出されるのである。

普通の小学校で教える算盤や習字の授業はなく、朝のラジオ体操もやったことがなく、それぞれが中学に進むとラジオ体操はできない、 習字やそろばんも一からといった具合で流石に苦労したもので、いまでもクラスメートと会うとその話になる。
私の字が下手なのはこのせいだと思っている。

その代わりに一年生から英語の授業があり、こちらは習字と違い私は大学まで習った英語の実力を発揮できないまま今に至っているのだが。

こんな風変わりな小学校ということもあってか、みんな伸び伸びと育ち、あまり勉強もしなかったのだが、多くのクラスメートが一流大学に進学をしているので、 この教育もどこかで役に立ったのだろう。

少人数ということで今でもクラスメートとは仲が良く、今でも会うとターちゃん、モッちゃん、プッちゃんと呼び合い、私はツバちゃんと呼ばれている。

そんな仲間だけにクラス会となるとほとんどの仲間が集まる。
先生も元気とはいえお年がお年だけに、いつまで出て来られるか心配ではあるが、100歳になっても出てきてくれることをみんなで願っている。

6月8日 梅雨入り

いよいよ梅雨入りで、私にはというより誰でもそうなのだろうが、ジメジメして体がだるく、気合いが入らない季節となった。

そんな最中、うれしい知らせがやってきた。

中村萌と同じスタジオで制作をしている鍛金作家内田望の両君が揃って画廊にやってきた。
そんな感じはうっすらと思っていたのだが、お二人入籍の報告であった。

お似合いの二人で、美男美女、好感度抜群の二人である。
素晴らしい家庭を築いてくれることだろう。

二人とも売れっ子作家で、制作に忙しく、新婚気分を味わうどころではなく、特に中村は8月に個展を控えていて、慌ただしい日々を過ごしている。

ちょうど台湾から美術雑誌が届き、中村が特別企画で6ページにわたって紹介されていて、記事を読んで個展を待ち望んでいる台湾のファンも多いことだろう。

我が画廊はおめでた続きで、ここ2、3年岩渕華林、高橋舞子、佐藤未希、門倉直子、天明里奈など結婚や出産の知らせが相次いで届いている。

昔は女性作家は結婚や出産を機に制作をやめてしまうケースがほとんどであったが、今やそんなこともなく山本麻友香、呉亜沙、真条彩華、井澤由花子などは精力的に制作を続けている。

家事、育児と制作を両立させていくことは大変なことだが、それぞれがその苦労を乗り越え、いい仕事をしてくれていることを頼もしく思う。

何となくまだ報告が続きそうな予感がしているのだが。



6月5日 訃報

多摩美の前教授の渡辺達正先生から昨日の朝に電話が入り、前日に多摩美の前教授であった本江邦夫氏が亡くなったとの知らせを受けた。

ソウルからの帰途、羽田空港で心筋梗塞で倒れそのまま亡くなられたとのことであった。

突然の死に言葉を失った。 先週画廊に見えて開催中の木村繁之とも話し、私に椿らしい展覧会ですねと言われて帰られただけに、今だにその死が信じられない。

本江先生とは色々ご縁があるが、韓国のソウルで初めてのアートフェアKIAFが開催されることになり、それに合わせて日本現代美術展が企画され、 作家の選考を本江先生他2名の美術評論家にお願いしたのが初めての出会いだったかもしれない。
それ以前にも画廊の展覧会にはよく見えていたのだがお話をしたのはこの時が初めてであった。

この時も一緒にソウルに行ったが、その後韓国の彫刻家リユンボクのカタログに先生の評論をお願いし、韓国の彼のアトリエまでご案内したのが懐かしく思い出される。

更には山本麻友香の岡山の美術館の展覧会でもカタログに一文を寄せていただき、対談もされたこともあった。

また北京でこれまた10名の日本人作家による現代美術展でも先生にキュレーションをお願いしたことがあった。

この二つの展覧会に選ばれた作家の中から、呉亜沙、堀込幸枝との縁が出来、画廊での個展につながることになった。

昨年は私が所属するロータリークラブでも卓話をおしていただき、会員たちも大変興味深く聞いていただいた。

その後も多くの作家の個展にお越しいただき、作家たちの励みとなったのは言うまでもない。

数多いる美術評論家の中でも本江先生ほど画廊巡りをする人はいない。
その上作品まで買われる評論家は稀有といっていいだろう。

VOCA展、シェル賞展、損保ジャパンFACE展など審査委員長も務め、画廊周りと相俟って多くの若手作家を見てきた評論家は本江先生をおいて他にいないのではないだろうか。

私にとっては幾つものご縁があっただけに、その早すぎる死は惜しまれてならない。

今朝も一人これも美術評論家で詩人のワシオトシヒコ氏の訃報も届いた。
この方とも長いおつきあいがあった。

美術界にとってかけがえのないお二人を失ったことは大きな痛手である。

心よりお二人のご冥福をお祈りする。

合掌

6月3日 オークション

先日の日記でも触れた台北のオークションが6月1日に開催された。

そこに中村萌の立体や絵画、フィギュアなど8点が出品された。

購入してすぐに転売目的で出品した人もいて、心を痛めていたが、それでも落札結果は気になるものである。

結果全ての作品が落札されていた。
多くの日本人作家の作品も出品されていたが、ほとんどが不落札か低い価格で落札をされていて、そうした中で全て落札されたことは嬉しいことなのだが、問題は落札価格である。

まず最初に出てきた高さ30cmほどの木彫作品が660万円超で落札。
アクリルで描いた6号くらいの平面作品が260万円超、150部限定のフィギュア作品も140万円超を筆頭に、80万円から100万円を超える価格で落札されていた。

私どもの売価が木彫で45万円、絵画で20万円、フィギュアが5万から10万くらいなので、全て10倍を超える価格で落札されている。

ポツポツとオークションに出て、高値で落札されているのはわかっていたが、これだけまとめて出てきて、想像を超える高値で落ちるとは驚きを超えて怖いくらいである。

こんな価格では日本で応援してくださるお客様にとっては遥か彼方、手の届かない価格である。

オークションで高値で落札された作家が画廊を通さず、自分でオークションに出して売っているのを聞くと、間違いなくこうした作家はバックボーンがないだけに、 ひとたび下がれば誰も相手にしなくなるのは目に見えていて、事実こうして消えて行った作家を何人も知っている。

中村萌は私どもが支えているのでそうした心配はないが、価格についてはとてもついていけない。

わたしは愚直と言われようが、価格については私の裁量で決めていて、オークションに連動するような価格にすることはまずあり得ない。

注目を浴び、ファンになってくれる方が増えるのはいいが、価格が上がるから買うとか、転売目的の人には絶対に売らないようにしようと思っている。

8月に個展を控えていて、この結果から相当な混乱が予想されるが、私としては日本で開催する以上まずは日本の方に、 そして優先順位は中村萌以外の私どもで発表をしている作家を多く買ってくださる方で、中村萌も応援してくださる方から順番にお願いをしようと思っている。

今の状況では一般の方にお売りするのは大変難しく、先着順も抽選もしないことにしている。

おそらく非難を浴びることだろうが、長い目で作家と関わってきた私としては、まずは作家を守らなくてはいけない。

このやり方で50年以上やってきたのだから、間違ってはいないと思う。
細く長くが私の信条である。

皆さまのご理解をいただきたい。

5月31日 オブジェ展

明日からオブジェ展が始まる。

ギャラリーコレクション、T氏コレクション、そして所属作家の新作など20名の作家の作品が並ぶ。

ここしばらく私どもの画廊では立体作品による展覧会が続いていて、それぞれが好評で、結果多くの作品をお求めいただいた。

私もこの仕事に携わり51年目になるが、以前はこのような立体作品がコレクターの皆様に関心を持っていただけるとは思ってもみなかった。

おそらく私がこうした立体の企画に取り組むようになったのは、小林健二との出会いがあったからではないだろうか。

彼は独学で美術を勉強し、科学、化学、水晶などの鉱物学、粘菌などの植物学、更には模型飛行機やラヂオなどにも関心を持ち、 その博学な知識と美術が融合し、私が今まで見たことがないような立体作品を次々に創作していった。

私にとってアートとは自由であっていいと教えてくれたのは小林健二であった。

もう一人、ファインアートではなく染色の世界から出てきた望月通陽がいる。
彼もまた独学で石膏ブロンズや蝋型立体からグラスアート、木彫、陶立体などなど多岐にわたって独自の世界を切り開いてきた。

彼もまたアートとは自由であっていいと私に教えてくれたのである。

おそらく二人とも正規の美術教育を経てこなかったことが、一つにこだわることのない自由な制作に向かわせたのだろう。

5年大阪の画廊に勤務し、10年父親の画廊で美術商としての経験を踏ませてもらった後、新たな美術商の道を求め独立して京橋でギャラリー椿を創業するに至ったのだが、 そのスタートにこの稀有な才能を持った二人のアーティストに出会ったのが、私に新たな目を開かせてくれることになったのである。
爾来36年になるが、今こうしてオブジェ展で多くの作家の立体作品を紹介できるのも、この二人との出会いがあったからこそである。

二人に続く自由な創作を続けるアーティストがわたしの周りに集まってくれた。

是非そうした私の思いを、この展覧会で感じ取っていただければ幸いである。








5月30日 浮世写真家鈴木喜千也

大学の後輩の浮写真家鈴木喜千也氏が文春砲に。
と言ってもスキャンダルでも事件でもなく、週刊文春の6月6日号にグラビア4ページで彼の写真作品6点が紹介されることになった。

偶々、私の所属するロータリークラブでも来週月曜日の例会にて卓話を鈴木氏にお願いをしていた。

彼は東海道五十三次で知られる歌川広重のもう一つの代表作「名所江戸百景」をもとに、同じ場所で同じ構図の写真を撮り、元絵の浮世絵をコラージュした写真作品を制作している。

クラブでは週報という機関誌を毎週発行していて、7月からの新しい年度の表紙絵の担当者から相談を受け、それではと彼を推薦させてもらい、 私どものクラブのテリトリーである新宿西北エリアにちなんだ作品を選び、更にその中から春夏秋冬の4作品を季節毎に掲載をすることになった。

そこで、例会で紹介を兼ねて彼に話をしてもらおうとお願いをした次第である。
そこに文春砲ときたので、実にタイミングがいい。

会員たちも熱心に聞いてくれることだろう。


5月28日 平成から令和へ

月刊美術6月号の巻頭特集で編集部が対談形式で平成から令和の30年間を振り返り、この間の美術界の出来事を総括している。

この30年バブル隆盛期からバブル崩壊へ、美術市場も長い低迷期に入り、その間価値観も多様化するとともにSNSの登場により美術の販売媒体も大きく変化していった。

編集部は百貨店、プライマリーギャラリー、オークション、アートフェア、コレクターなど各視点でアートシーンの変遷を的確に捉え、令和の時代の新たな方向性を探っていて、大変興味深く読ませていただいた。

記事の中でギャラリー椿、鈴木亘彦、中村萌にも触れていただいていて、大変ありがたい事と感謝するとともに、編集部の見方におおいに共感するところがあり、多くの方に読んでいただけたらと思っている。

同様に美術誌のアートコレクターの特集「色彩の魔術師たち」でも鈴木亘彦と服部知佳が紹介されていて、ここ最近雑誌に私どもの作家が取り上げられる機会が増えてきた。

河原朝生、小林裕児、室越健美、舟山一男といったキャリアのある作家たちも美術雑誌で取り上げられることになっていて、若手に目が向く昨今、 こうしたベテラン作家に視点を当てていただけることはこれまた大変ありがたいことと喜んでいる。


5月24日A 木村繁之展 印象記

同じく紋谷幹男氏が木村繁之展も印象記で紹介していただいた。

展覧会タイトルは、ー木彫ー。

美術家が何かを表現したいとき、
その手段として、平面か立体を選び、
表現したい内容を、
平面か立体に置き換えます。

それはどのように選ばれるのだろうか、
という素朴な疑問が時々湧いてきます。

なぜこのようなことを書いたか。
それは、展示されている、人体がモチーフの立体作品に、
絵画的な雰囲気を感じたからです。
彫刻は空間に置かれた実態ですから、
まわりの空間へ、その影響を放射しますが、
これらの作品は内側へ内側へと引き込むようです。

作品が置かれた空間の深度が深まり、
観る人は、そこを彷徨い始める。

彫刻家は作品を取り巻く空気と時間の流れも、
作品の要素となることを意識しながら、
何かをなぞったかなのように「木彫」を造っている。
そんな印象でした。




−ブログはこちらより−
 画廊めぐりノート


5月24日@ 大島康幸展 印象記

紋谷幹男氏が展覧会印象記で大島康幸展を紹介してくださった。

展覧会タイトルは、
FAKE FUR 2019ーKing's Banquet−

動物がモチーフの彩色木彫。
ほぼ原寸大で写実的に表現されていますが、
頭部以外は中身が抜かれた毛皮だけの敷物状態になっていて、
椅子や壁に掛けられたり、
床に畳まれています。

彼らは死んでいなくて、
何かの拍子でこうなってしまったものの、
さほど悲観している風でもなく、
この状態もありかな、少し不便だけど・・・
的な、日常性が漂うあたりが、
※カフカが描き出すグレゴール・ザムザが想起されます。
奇妙でもあり、
作家の特異な感性と、
それに応える技量を実感させられます。
それは、「感じ」を一気に既成事実に変容させてしまう
彫刻の実態力でもあります。

アートを手段とする、作家の力技があれば、
困惑は、心地良いレベルに昇華する。
そんな印象でした。





5月22日 雑誌掲載

月刊美術の6月号に中村萌が「現代日本の作家達 アトリエ写真」というコーナーで紹介された。
彼女のアトリエは共同アトリエで、数人の立体作家さんとともに制作をしている。
8月の個展に向けて鋭意制作中で、制作途中の作品も写っている。


同じく月刊美術 「注目度急上昇の受賞作家」で高橋舞子が紹介されている。
こちらは編集部一押し作家ということで、誌上頒布作品も掲載されている。


また秋に個展予定の小林健二は一般誌「2nd」で久し振りに紹介された。
久しぶりというのは以前は枚挙にいとまがないほど美術雑誌だけではなく、多くの雑誌に紹介されていて、展覧会には多くの小林ファンが訪ねてきたものである。

うちでの個展が長くされなかったこともあって、そうした掲載も少なくなっていたが、これをきっかけに紹介の頻度が高まるといいのだが。


5月20日 卓話

今夜はロータリークラブの仲間達の集まりで、何か話をしろという幹事からの命令が下った。

ちょうどクラブの昼の例会の講演で、会員の一人でノーベル賞候補にも上がったK氏が、「メタノール水溶液水素発生装置とその実用化」と題してとても難しい話をされた後だけに、 アカデミックな話をしなくてはいけないのだが、幹事から美術の金にまつわる話をせいということで、爪を隠しつつ、そんな類の話をさせてもらった。

世界の美術市場と日本の美術市場の現在、日本の文化行政とそれに付随する税の話などを数字をあげながら話をした。

大企業の元会長や社長、東大名誉教授や有名建築家などもいて、その前で知ったような話をして馬脚をあらわさないかヒヤヒヤしたが、なんとか無事話を終えることができた。

幹事の思惑通り、お金にまつわる話だとみんな興味深く聞いてくれたようだ。

来週は昼の例会でオープン例会と銘打ち、多くのビジターを招き、ロータリークラブの活動を知ってもらい、あわよくば会員になってもらおうという目論見である。

私も友人知人三名 をタダ飯と講演を聞くことができるからと誘っている。

講演はテレビのコメンテーターでも知られるキャノングローバル戦略研究所研究主幹である宮家邦彦氏に「東アジア世界の現在と未来」と題してお話をしていただくことになっている。

乞うご期待である。

5月19日 近江楽堂

知人のギタリスト佐藤達夫氏の招待で、オペラシティにある近江楽堂のコンサートに行ってきた。
佐藤氏の息子さんが美術家としてスタートすることになり、その披露も兼ねてのミニ演奏会である。
友人のフルート奏者との競演もあって、午後の癒しのひと時を堪能させてもらった。

コンサートホールを囲む息子さんの作品もプリミティブで素敵な作品で、コンサート会場に実にマッチをしていた。

このコンサート会場の近江楽堂は、私が大変お世話になった寺田コレクションの寺田小太郎氏がオーナーで、オペラシティミュージアムに2500点を超える美術品を寄贈した寺田氏だが、 東京フィルハーモニー交響楽団のスポンサーでもあって、国立劇場オペラハウス、オペラシティコンサートホールができるに際し、古楽器を志す演奏家のための小ホールをご自分で作られた。

残念ながら、昨年暮れに92歳で亡くなられたが、氏の思い出が残るこのホールでの演奏は格別の響きがあるように思えてならなかった。


5月18日 木村繁之展紹介

画家仲間で山仲間でもある柄澤齊氏が木村展をFBで紹介していただいた。

木村繁之個展《木彫》を観る。

仏として造られてはいないが、念侍仏を思わせる木像の小さなたたずまいは、地上の役目を終えたものの閑かな時間と音をまとっている。

何体か、特別に手に取らせてもらうと驚くほど軽い。

求める人の手に渡り、日々少しずつ、気づかれないほどの重さを蓄えていくのだろうと思い、骨のように、しだいに軽さを増していくのかもしれないとも想う。

触れる手を待っているが、その手は独りの手でなければならない。

そんなひそやかな造形を自分でも試みてみたいと思いながら作者と山での再会を約し、都心の喧騒へ出た。

25日まで。
11:00〜18:30(日祝休廊)

GALLERY TSUBAKI / GT2
中央区京橋 3-3-10
www.gallery-tsubaki.net


5月17日 新緑

寒かったり、暑かったりの不順な天候もどうやら落ち着き、風薫る新緑の美しい季節となってきた。
画廊の奥のスペースの木村繁之展では通りに面した壁を外し、通りにある木々の緑が窓越しに見え、作品と合わせて来場者の目を楽しませてくれる。
桂の木の緑が目に眩しいほどである。

中央通りも街路樹として新たに桂の木が植えられた。
銀座の柳ではなく、銀座の桂が代名詞になる日も近い。

窓からは桂と一緒に山桜の木も植えられている。
まだ幹が細いが3月になると早咲きの桜の花が咲き、春の訪れを知らせてくれる。

表玄関の斜め前にも小公園があり、ここも都会では珍しいミヤコワスレ、なでしこ、紫蘭、ホタルブクロといった山野草が植えられ、可憐な花を咲かせている。

大都会の真ん中にこうした木々や花が植えられ、一服の清涼剤となっていて、街の緑化の恩恵を私のところは存分に享受させてもらっている。



5月15日 オークション

台北の6月のオークションに中村萌の作品がいくつも出品される。
市場評価されるのは嬉しいが、購入されてすぐに出品されるのは困ったものだ。
この一月の台北のフェアーでどうしても欲しいと言われて、その熱意にほだされて買っていただいた作品をオークションカタログで見たときはかなりのショックであった。
カタログの締め切りがあるから、買われて2、3ヶ月後には売りに出したことになる。
しばらく楽しんいただいて事情があって手放されるのは仕方がないが、あっという間に売りに出してしまうとは、それも購入価格の何倍かの価格で。
本当に欲しい人に作品が渡らず、転売目的の人に作品が渡るのは複雑な思いである。
今度の個展では対策を考えなくてはいけない。




5月9日A 木村繁之展

木版、テラコッタと多様な表現をしてきた木村が今回は木彫作品を並べる。
木版同様に儚げで優しさを秘めた木彫は、まるで教会の聖者達が並んでいるようで、凛とした雰囲気を醸し出している。

ダイナミックな大島の木彫と木村の繊細な木彫との対比を見ていただくのも一興である。




5月9日@ 大島康幸展

二つの木彫展が今週土曜日から始まります。

大島康幸展
FAKE FUR 2019-Kong's Banquet

巨大なワニが床に横たわり、壁には虎や蛇が、椅子には黒豹や猫たちが。
どれもモノクロームで彩られ、抜け殻のように弱々しく垂れ下がり、しかし眼光は鋭く、獲物を見据える。






5月7日 令和元年

長い連休も終わり今日から仕事。

連休中は友人たちとゴルフ、孫とサファリパーク、家内と安曇野の友人宅とチューリップ公園へ、あとは温泉でのんびり過ごさせてもらった。

大学の友人たちに長い連休だというと、我々は365連休だとかえってきた。
大変だが仕事があることに感謝である。

テレビも連日令和一色で、正月が二度来たように盛り上がっている。
他の国にはない(中国など東アジアでは昔使われていた国もあるが)日本独自の制度で、天皇の交代の時に新たな元号が制定されるわけで、 私は気持ちを新たにする意味でもとてもいい制度のように思う。

今までは天皇の崩御に伴い元号が変わるので、今回のようなお祭り騒ぎは近世に入って初めてのことではないだろうか。
平成の時はしばらくは喪に服するために歌舞音曲の類は自粛し、テレビは広告を控えめに、色々のおめでたい行事も中止になったことを覚えている。

私もこの時と今回と二度改元を経験することになったが、昭和は一番長い元号ではなかっただろうか。
その長い間に日本は忌まわしい太平洋戦争と敗戦を経験したが、私は幸い敗戦の翌年に生まれたので、悲惨な記憶はあまりなく、戦後の高度成長と平和な時代を過ごさせてもらった。

平成に入ると一転して、バブル崩壊、リーマンショックにより、経済は停滞し、地震、大雨、洪水と自然災害が日本列島を襲い 、 少子化による保険制度の見直しなど苦難な時代を経験することになった。

美術市場も昭和の好景気を謳歌した時代から平成に入ると大きく様変わりし、美術の価値観の多様化と共に長い不況の時代に突入し、現在に至るわけである。

そういう意味でも令和という新しい時代を迎えたことで、希望に満ちた明るい時代になること期待する。

私の年では次の元号を迎えることは余程のことがない限りないだろうが、晩年を締めくくる良き時代を過ごすことができたらと思っている。




5月1日 令和元年

昨日天皇陛下が退位され、今日のこの日新天皇が誕生した。
平成時代が終わり、令和元年となった記念すべき日となった。

昭和天皇が崩御された平成元年に父親も亡くなり、忘れられない年となったが、そこから31年を経過したことになる。
画廊も振り返るとバブル崩壊後の美術不況がつづき、この間、オークション会社の社長を勤めたり、立ち退きによる画廊移転、海外美術市場への進出、 ネット社会によるグローバル化、それに伴う価値観の多様化などなど昭和では思ってもみなかった展開となった。

決っして平坦な道ではなかったが、苦難の時に不思議とそれを乗り越えるチャンスが巡ってきて、この31年を無事過ごすことができた。

何より嬉しかったのは、私が古希を迎えた時に関わってきた作家たち90名が協力して、私のために記念展を開いてくれたことである。

作家と共に歩むをモットーにやってきただけに、それが報われ、こんな嬉しいことはなかった。

令和の新時代を迎え、来年には東京オリンピック・パラリンピックが開催され、不況、自然災害が続いた平成時代と違い、明るく希望に満ちた年になるような気がする。

美術業界にも長かった冬を乗り越え、春の新風が吹いてくれることを願っている。

4月27日 立体展

今日で月並みにいうと平成最後の展覧会の最終日。
明日からは私どもも9日間のお休みをいただく。

開けて令和元年、すぐに木村繁之、大島康之がそれぞれのスペースで木彫を発表する。
今回の塩澤展も陶による立体展だったが、更に6月にも私どもの作家を含めた多くの作家とコレクターコレクションによるオブジェ展を予定していて、立体の発表が続く。

先日の朝日新聞のチャリティー展も立体アート展だったし、先日覗いた文化村ギャラリーでも立体作品が多数売れていて、世間は立体アートに目が向くようになったのだろう。

事実、塩澤展も恐竜作品は完売に近く、若干地味目の昆虫作品や動物作品も売れていて、予想を超える結果となっている。
私どももそうした流れを意識したわけではないが、立体展が確かに多くなってきた。

連休明けの立体展を楽しみにしていただきたい。


4月26日 釜山アートフェアBAMA

昨日から韓国釜山でアートフェアが開催され、私どもも参加をしている。
このフェアは釜山画廊協会が主催するフェアで、BAMAと称して昨年から開催されるようになった。
以前から参加しているアート釜山とは別のフェアで、同じエリアで競合する形になっている。

このように韓国ではアートフェアが盛んに行われていて、というより多すぎで韓国各都市で年に50くらいのアートフェアが開催される。

これでは幾ら何でもお客様も食傷気味で、フェアへの関心も薄くなるのではと心配してしまう。
事実私は他にテグのフェアやホテルフェアにも熱心な誘いもあって参加していたが、年々来場者は少なくなり、色々とサービスはしてくれるのだが、 ビジネスチャンスも少なく、ここ数年は参加を見合わせている。

今回の釜山のフェアも昨年の様子からすると、大した期待は持てないのだが、お付き合いもあって参加をすることにした。

韓国出身で日本のある会社の社長さんと結婚して長く日本にいて、韓国のフェアでいつも手伝いをしてくれる崔さんが釜山に行ってくれるのと、 リユンボク君をはじめ韓国のうちと関わりのある作家さんが手伝ってくれるということで、画廊からは誰も行かずに作品だけを送ることにした。

さてどんな結果になるか、報告を待つことにする。


4月25日 中村萌

送られてきた連休に開かれるオークションリストを見ていたら、中村萌のフィギュアが出品されているではないか。

ネットオークションや海外のオークションでは頻繁に見かけるが、日本のオークションに出るのは私の知る限り初めてではないだろうか。

昨年秋に台湾のトイフェアで15万円で発表したフィギュア作品なのだが、落札予想価格が50万から60万となっている。

ネットオークションではすでに100万ほどになっているので、その数字に驚くことはないが、やはり複雑な思いにさせられる。

本当に欲しい人の手に渡らず、転売目的の人に作品が渡ってしまうのがなんともやりきれない。

ついこの前は、彼女のサイン入りのポストカードがオークションに20万で出てたのには呆れた。

フェアでポストカードを一枚100円で買っていただいた方にサインをして渡すことがあるが、それが売られてしまうのだからたまらない。

タレントやスポーツ選手のサイン入りグッズがネットで高く売られているのはよく目にするが、まさか中村萌のポストカードがそんなことになるとは。

予定している彼女の個展が多少延期になるが、その折に転売を目的とした人に渡らないようにするために色々と策を講じなくてはいけない。

それから展覧会の折に知らない人から頼まれても、むやみにサインをしないように気をつけなくてはいけない。
奈良美智などは絶対にサインをしないそうだ。

現在個展の準備に追われているが、秋には台北でのフィギュアショーとアートフェア、冬にはこれも台北の崋山という若者に人気の文化エリアがあるが、 そこの大きな展示場で大規模な個展の予定とスケジュールが目白押しである。

ただ崋山では台北のお客様からお借りした作品でやることになっているので、ここでは新作を作ることはないのだが。

他にも日本や台湾の美術雑誌で特集が組まれる事になっていて、そのインタビューなどで制作以外にも中村萌は忙しい毎日を送っている。

そんな忙しく一生懸命制作をしている彼女をブローカーまがいの人たちから私たちは守らなくてはいけない。

4月23日 オークション

韓国に行ってる間にオークションが開かれた。

以前に私どもで売却した山本麻友香の大作2点と門倉直子の大作1点が出品された。
どれも代表作と言っていい作品で、手放されたのは誠に残念だが、是非私どもの手元に戻したいと思った。

他にも多数若手作家の作品が出品されていたが、どうやら同じコレクターからの出品のようである。

出品されることを全く気がつかなかったのだが、偶々オークション会社のFBに下見会場の写真が出ていて、ちらっとだけ山本麻友香の作品が写っているのを見つけた。
ジュエリーやガンダーラ美術が多数出品されているオークションカタログだったので、ちらっとしか見ていず、FBが私を呼んでくれたのかもしれない。

翌日から韓国に行く予定になっていたのだが、偶々FBで見つけたその日に作品の下見ができることがわかり、慌てて下見会場に駆けつけた。

久しぶりに二人の作品に対面である。
他にも別の作家の作品に目が留まり、合わせて数点の希望価格を入札表に書き込み、当日はスタッフが電話で対応してもらうことにして、韓国に出発した。

結果は山本の作品1点と別の作家の作品1点が落札されたとの報告を受けた。

落札できなかった山本の作品は2メートル近い作品で、大きすぎて誰も落とさないだろうと高をくくり、安めに指値したのが失敗であった。

わずかワンビットの違いだっただけに、逃がした魚は大きい。
私が直接会場で競りに参加していたらと悔やまれるが、こればかりは致し方ない。

まあ日本で山本の大きい作品が売れたと思って良しとしよう。
いや待てよ、海外からの落札だったかもしれない。
オークションに作品が出て困るのは、誰に作品が渡ったかわからないことである。

回顧展や画集を作る際に作品の行方が分からないのは、作家や画廊にとっては何とも歯がゆい思いがする。
オークション会社が売り先を教えてくれればいいのだが、守秘義務があってそうもいかない。

また出会う機会もあるかもしれないので、その時を待つことにしよう。


4月21日 Choice Art

前日のテヒョクさんのレセプション以外は今回は予定がなかったのだが、昼は昨日レセプションにみえたSPギャラリーの招待で素敵なイタリアンレストランで昼食をご一緒させていただいた。

SPさんもテヒョクさんの作品には興味があり、シカゴのフェアに出品したい意向を持っているのだが、 厄介なことに朝鮮日報との契約で、向こう3年は他所で発表をしてはいけないということになっていて、彼も悩むところである。
ソウルでの発表はそういう契約なら仕方ないが、海外での発表ならいいと思うのだが。

終えて、これも昨日のパーティーと二次会に来ていたchoice artのオーナーのソフィアさんの招きで昨年オープンした画廊を訪ねることにした。

泊まっているホテルまでSPさんに送ってもらい、ホテルにはソフィさんが向かえにきてくれることになっていたのだが、ホテルの前の大通りが大変なことになっていた。

保守系の人たちの大規模な反政府デモに遭遇してしまった。

機動隊の数も物凄い。 というわけで両方の車がホテルにたどり着けず、途中で降りて、またデモの影響のないところまで歩いて向かうことになった。

何とかソフィアさんの画廊に到着。
美人でノーブルなソフィアさんに相応しい瀟洒な画廊で、入口の両脇には桜と紅葉の木が植えられている。

彼女は15年アメリカにいてアートを勉強し、昨年画廊をオープンしたばかりだが、画廊では今韓国メディアで注目のキムジヒの個展が開催された。
この画廊の雰囲気にぴったりの作家で、韓国だけでなく、台湾や香港でも話題になりそうなアーティストである。

夜は初めてお会いしたにもかかわらず、美味しいお肉をご馳走になり、その後もグランドハイアットホテルでお茶をご一緒させていただいた。

よく日本には来るというが、あまりにセレブすぎて、日本に来られた時に安い寿司屋や天ぷら屋にお連れするのが気がひけるのだが。



4月20日

ホテル近くの徳寿宮を散策。
初めて韓国で開かれたアートフェアに招待された折の開催場所が確かここだった。

仮説のテント小屋のようなところだった記憶があるが、当時は初めて訪れた韓国で周りの景色も見る余裕がなかったのか、はっきりとは覚えていないが。

宮殿の目の前にソウル市庁舎があるが、市庁舎の奇抜なデザインが何ともそぐわない。
横に立つ石造りの旧市庁舎の方がよほどいいように思うのだが。

京都駅の軍艦のような建物も同じである。
古都にはふさわしくない何とも奇抜なデザインにはがっかりさせられる。

昼からはお世話になっているSPギャラリーのオーナーと食事をして帰ろうとすると、ホテルの前の大きな通りが騒然としている。

物凄い数のデモ隊が韓国国旗を掲げて行進をしている。
それに対して機動隊なのだろうか、大勢の隊員がデモ隊と小競り合いをしたり、規制された道路からデモ隊が広がらないように列をなしている。

どうやら現政権に対する抗議デモで、拘置されている元パク大統領の写真も掲げられ、釈放を要求しているようだ。

この行進に阻まれ、昨日初めて展覧会場でお会いして、私を画廊に案内してくれることになっているオーナーのチョイさんも車がホテルに向かえない。
行進を避けて歩いてチョイさんの車に向かい、何とか画廊にたどり着くことができた。

韓国では何度かこうした規模の大きいデモに出会うことがある。
以前にもデモのために道路が封鎖され、約束の時間に2時間も遅れてしまったことがあった。

現政権も北朝鮮への対応や景気後退、そして繰り返される前政権や財閥系への圧力に対する保守派の不平不満がたまっているのだろう。




4月19日 キム・テヒョク個展

早朝の飛行機でソウルへ。

今日から朝鮮日報本社にあるギャラリーで私どもがアートフェアで紹介しているキム・テヒョクの展覧会が始まった。

広い会場に白と黒の世界が広がる。
テグスを縦横に張り巡らせ、そのテグスに絵の具を引っ掛けるような彼独特の技法で制作している。

今までは点の作品が多かったが、今回は新たにテグス全体に絵の具を重ねる面の作品を発表した。

東京芸大大学院で野田哲也氏のもとで版画を学び、卒業後芸大で助手を務めた後、韓国ではこうした技法で制作を続けている。

会場には私どもで3年ほどアルバイトをしてくれたキム・ソヒや長年お世話になっているSPギャラリーのオーナーをはじめ多くの人が詰めかけた。

レセプション終えて、二次会ではサムギョプル(豚カルビ)で大いに盛り上がった。




4月18日 「心の力」

高校までは凝念というのを朝の授業前にやらされていた。

坐禅のように足は組まないが椅子に座って指を組み少しの間瞑想をするのだが、学生時代は面倒くせーと思っていた。

それでも習い性というのはすごいもので、大学受験の折に、クラスメート何人かとと一緒にテスト受けたのだが、答案用紙が配られる前の緊張の時間に私は自然に凝念をして心を落ち着かせていた。
すると他のクラスメートもごく自然に凝念をしたという。

私はそこの小学校には行ってないが、息子は小学校から通っていて、この凝念をやらされた。
その時先生は創設者が作った「心の力」という文章を唱和するのである。

卒業生は多かれ少なかれその影響を受け、人生の指針とした。

私は年月が経ちすっかり忘れていたのだが、大先輩の刑法学者で、元早稲田大学総長のN先生が中国学会から表彰される式に招待された折に、 早稲田精神以上にに培われたのが、小学校の時から唱和した「心の力」であると挨拶の中で語られた。

そのことが心に残り、机の奥にしまってあった「心の力」の小冊子を取り出し、読んでみることにした。
当時は難しすぎてお経のようにただ唱えるだけであったが、この年になって読んでみるとなるほどと心に響き、澄んだ心持ちになるのである。

一節を紹介させていただく。

天高うして日月懸り、地厚うして山河横たわる。
日月の精、山河の霊、鍾(あつ)まりて我が心に在り、高き天と、厚き地と、人と對して三(みつ)となる。
人無くして夫れなんの天ぞ、人無くして夫れ何の地ぞ。

中略

見よ、雲に色あり、花に香あり、聞け、風に音あり、鳥に聲あり。
この中に生を託したる、我人にこの心あり。

後略

こうした文章が六節まで続くのだが、今はこれをカバンに忍ばせ、時間ある時に唱えることにしていると妙にに心が落ち着くのである。

4月17日 超我の精神

昨日は版画組合のオークション。

年に2回ビジター画廊を招いての大きな会である。

組合系のオークションは公開オークションの影響で、出来高は以前に比べ厳しくなっているが、 反面そうした場での情報交換や業者の連帯感というのは公開オークションでは叶わないことである。

しかしながら、そうした業界人としての結びつきを面倒がる人や敷居が高いと敬遠する人も多く、組合員数は伸び悩んでいる。

これは私が入っているロータリークラブでもそうで、私が入った当時は150名の会員がいたが、今では半数以下になってしまった。

私がこういうところに入っているのも、個人ではできないことが、価値観を共有した人の集まりに入ったからこそ達成可能なのだと思っているからである。

ある程度の年齢になると、自分のためではなく、業界のため、社会のために何かできないかと考えるようになる。

言ってみれば、超我の精神である。

自分を育ててくれた業界や社会に恩返しをしたいと思うようになる。

先日も高校のクラス会や、大学の卒業50年の集まりがあったが、そこで感じたのはこの学校に入って本当によかったと思うことである。

肩を組み校歌を歌い、昔話に花を咲かせることで、私が育った青春を悔い無く過ごせたことに感謝をするのである。

校歌というのは、テレビでラマルセイユに由来すると言っていたが、フランス革命の達成感とは少し違うが、確かに母校への愛着心を掻き立てられる。

校歌を高らかに歌い上げることで、一緒に学んだ友人たちとの絆を今一度思い起こさせてくれる。

娘の高校で、卒業式に国歌斉唱の時に起立していた教師の何人かが着席をしてしまったのをみて愕然とした。

母校愛同様に日本人であることの誇りを植え付けなくてはいけない教師が、そうした行動をとることに怒りさえ覚えた。

それぞれに思想や心情はあるだろうが、それを教育の場に持ち込み、戦前教育の歪みをそうした行動で示すことに、この人たちは自分のことだけを考え、 生徒や学校のことに深い思いを至していないのだと思わざるを得なかった。

超我の精神を今一度思い出してもらいたいものである。

4月14日 クラス会

毎年恒例の高校のクラス会が開かれた。

担任のH先生も出席予定だったが、高齢とあって今回は出席を見合わせた。

御歳93歳でまだまだお元気なのだが、遠くに出かけるのは難しくなってきたようだ。

先生はアマチュアの碁の世界では超有名な方で、日本選手権を何度も制していて、驚くのは80歳を超えてからも日本一の偉業に輝き、日本代表で世界選手権にも出場している。

スポーツの世界もそうだが、将棋や碁も若手が台頭し、トップクラスには10代20代がひしめいている中でこの歳で第一線で活躍しているのは驚くばかりである。

その碁も競技は今年から退くことにしたそうで、後はお弟子さんたちに碁の指導をしていくそうだ。

それにひきかえである。

クラス会が終わりに近づく頃に一人がろれつが回らなくなり、よだれ、鼻水を垂れ流していて、 もしや脳梗塞ではと心配したが、救急車は嫌だというので、仕方がないのでタクシーに押し込んで家に帰らせることにした。
そこにもう一人酔っ払ったわけでもないのに、歩くのがままならないのが出てきて、、これも担いで駅まで行き、なんとか電車に乗せることができた。

他にも膝に人工関節を入れたのがいたり、前立腺だ、肺気腫だと病人ばかりである。

40数名のクラスですでに10名が亡くなっていることもあって、その予備軍がまだまだいるのが心配である。

来年は養護施設でクラス会をやらなくてはいけないかも。

元気なのは先生だけだ。

4月13日 アートフェア

今日はようやく春らしい陽気になった。

展覧会も初日ということもあり、昼からはたくさんの人がやってくる。

以前にアートフェア東京で購入してくださった方が塩澤作品を購入された。

先のホテルアートフェアや朝日新聞のチャリティーもそうだったが、全て私どもにお見えになっているお客様が購入してくださっていて、 そうしたイベント会場での新しい出会いが後につながることが少ないといつも思っていた。

ただ、私どものお客様でもそうした場での高揚感というか、画廊では買わない作品をお客様がその場の雰囲気で買われる効果はあるかもしれないが、 日本のフェアに長年出てきた経験でいうと、新たな出会いがあっても後につながるケースはまずなかった。

海外だと、特に台湾の客様はフットワークがいいのか、フェアで買っていただいたお客様の多くが画廊に訪ねてきて、新たに作品を購入していただくケースも多い。

それだけに今回のお客様が再び訪れて買っていただいたのは、ことの外嬉しい。

よく考えると、フェアで出会うお客様はそういう場は行きやすいが、画廊には行きづらいということなのだろう。

その辺が私どもの課題で、もっと気楽に画廊に来てもらう算段をしなくてはいけない。
そうすればフェアに出るメリットも増えるのだろうが。

難しいところである。

4月12日A 服部知佳個展

同じく服部知佳展も始まる。

黒と白の微妙な色彩が織りなすファンタジックな世界。
加えて、春爛漫を思わせるピンクの艶やかな色の乱舞。

どの作品も透き通るように美しい。
薄く塗り重ね、薄く拭き落とす、その重なりでかくも美しい色彩が生まれる。

私的には曽谷朝絵、伊庭靖子、掘込幸枝に加え、服部知佳が現在の作家たちの中でひときわ抜きん出た色彩表現者だと思っている。



4月12日 塩澤宏信展

明日より塩澤宏信個展がGT2にて始まる。

微細な部分まで一つ一つ焼き上げ、それらを組み合わせて作り上げていく。
出来上がった造形は恐竜やや昆虫、それに組み込まれるのが旧式のオートバイや自動車、双発式飛行機と全てが子供達がワクワクするものばかりである。

作者のコメントがあるので紹介させていただく。

妄想内燃機工匠/巨視的試作研究室 コメント

無機物である「内燃機関」と有機物である「生物」という、かけ離れた佇まいの存在を、一つの装置として具現化する。
そのような妄想に取り憑かれた試みが「妄想内燃機工匠」である。
無機物と有機物という相反する要素を、有り得ない存在に複合する為には、それぞれの仕組みや形態をよく見なければならない。
「よく見る」とは、細部を見落とさず、また細部に囚われて全体を見失わない程度に巨視的に見ることである。 そして無機物と有機物そしてそれぞれがそこに存在するゆえの普遍性を見いだす為の作業である。
作ることは、そこから導き出されたかたちを探る行為である。




4月11日 消費税

明日は高校の仲間とのゴルフコンペが河口湖で予定されていたが、10日の季節外れの雪でゴルフ場がクローズとなり、やむなく中止。

ゴルフ仲間からは雨男で知られているが、まさか4月の桜も散り始めたこの時期に雪とはと、友人たちはあきれ果てていた。

日記も日常のことを書くことが多くなり、アートに関連した話題がないのは、やはり暇な証拠である。

そこでちょっと硬くなるが、10月から実施される消費税について触れてみたい。

美術品も例外とはならず10%が課税されることになる。
新聞や飲料食品のような軽減税率も適用されない。

フランスでは美術品に対し軽減税率が適用されているが、日本ではそうもいかないようだ。
消費税というからには、対象は消費されるものではなくてはならない。
では美術品が消費される消耗品かというとそうではない。
耐久消費財という長期にわたり使われ購入価格が高いものの分類にも入らない。

消費されない美術品に消費税をかけるには実際矛盾が生じる。
土地の譲渡や貸付には消費税はかからない。
それは土地が消耗しないからである。

では何故美術品が消費税対象になるかというと、国税が美術品を消耗品と見ているからである。
それならば、耐久消費財のように美術品も償却対象とならなくてはいけない。

小はパソコンから大は自動車、船舶などがあげられる。
よく金持ちが自家用ジェット機を持つが、それは償却が5年となっていて、大きな利益が出るときに節税になるからで、ただの見栄で買うわけではない。

というわけで、4年前に美術品も100万円までは8年で償却できる消費財とみなされ、法人では経費として計上できることになった。

以前は20万円までは経費とみなされたが、それでも美術年鑑に載っている作家はダメとか、わけがわからない決まりがあったことを考えると一歩前進したとは言える。

であっても、普通で考えれば100万円までの美術品は消費税をかけられるのは仕方がないが、それ以上は償却できないのだから、土地と同様に消費税の対象にならないというのが理屈ではないだろうか。

見方を変えてみる。
美術品の多くは年月を経ると購入価格より高くなることは少ない。
多くは価格からすれば目減りして行くことになる。
であれば、美術品も消耗していることになり、100万円なんてケチなことを言わず、上限なしでジェット機などと一緒に償却できるものとして経費扱いにすべきである。
そうであれば消費税がかかっても文句は言わないのだが。

耐久消費財なのか、消耗品なのか、土地のように永遠に消耗しないものなのか、この矛盾を税務当局がどう説明するのか聞いてみたいものである。

4月10日 眼医者

眼医者に行ってきた。
記憶では人生3回目の眼医者である。

今年に入ってから朝、外に出ると涙が止まらなくなり、昨夜は朝から晩まで涙と鼻水に悩まされた。
いよいよ花粉症デビューかと心配になり診てもらうことにした。

結果は花粉症ではなく炎症を起こしているとのことで一安心。
ただ歳なりに白内障が進んでいて、しばらく経過を見てさらに進むようなら手術をしたほうがいいと言われた。

耳もだんだん遠くなり、目も霞み、泌尿器科に行ったりと、じわじわと老人化が進んでいて、いよいよ脳の心配もしなくてはならなくなった。

4月9日 忘れ物

日曜日の全美連の会議での書類をどこかにおき忘れてきた。
全く気がつかなくて昨日の朝出かける時に気がついた。

画廊からメールが入り、拾ってくれた方がわざわざ調べて画廊の留守電にメッセージを入れてくれたそうだ。

自宅のある駅で拾ったが、急いでいたので隣の駅に届けてあるとのこと。
朝から出かける予定があり、改めて取りに行くことにしたが、送らなくてはいけない書類も入っていて一安心。

名前も連絡先もおっしゃらなかったそうでお礼も言えないが、わざわざ電話番号を調べて連絡をくださったようで、この日記を借りて御礼を申し上げる。

忘れ物は日常茶飯事で、携帯は首からぶら下げるように家内に言われている。

その携帯で大学のクラスメートが先日の二次会の最中にどこかに忘れたことに気付いた。
入学式後の懇親会会場、領収書でわかったタクシーに私の携帯から電話して探してもらったが見つからない。

ボケが進んだとか散々からかって、いざ帰る段になり駅の改札口で私も携帯がないのに気がついた。
どうやら宴席に忘れてきたようだ。
とてもみんなには言えないので、電話をするので先に帰ってと言って、大慌てで戻ると、テーブルの上にあるではないか。

こんな具合で、6月に予定している検査に脳検査もオプションで付け加えることにした。

4月8日

日曜日は逗子のお寺で昨日の日記で書いたようにお墓参り。

暖かくこちらではちょうど桜が満開。
毎年恒例の墓参りなのだが、こんなに桜が綺麗なのも初めて。
亡くなったA君も花見を楽しんでくれているだろうか。
みんなで昼食を終えてから旅行組は箱根へ。

私は全国美術商連合会の理事会が夕方からあるので新橋の美術倶楽部に向かう。
汐留のパナソニックミュージアムでちょうどギュスターヴ・モロー展が始まっているので、会議の前に見に行くことにした。

私は古典の宗教画や神話をテーマにした作品はあまり好きではないが、モローの代表作も来ているということで行ってみたが、やはり私の好みではなく、さっと見て出てきた。

全美連の会議は相変わらず美術品への税制改革への提言を進めるという話だったが、私は一度韓国や台湾での文化行政の視察に政治家やお役人を連れて行ったらどうだろうかという話をさせてもらった。

日本のあまりに貧困な文化行政のあり方を知ってもらうには、文化を産業と捉えるアジア諸国の現状を実際に見聞きすることで多少はお偉いさんたちの意識が変わってくるのではと思っているのだが。

さて、重い腰を上げてくれるだろうか。


4月7日

河原展終了。

今回の個展では新しいお客様といくつかのご縁があった。

その中できのう個展に合わせて、成田から直行してくださったお客様がいた。

若いお客様で、なんとキプロスから着いたばかりで、キプロスでファンドの会社を経営しているそうだ。
キプロス共和国は以前はタックスヘイブンの国で、ここを拠点に主にロシアを相手に企業活動をされているとのこと。

キプロス共和国が地中海に位置することは知っていたが、どのあたりにあるかは定かでなく、どんな国なのかも知る由もなく、ネットで調べてみた。

ギリシャとトルコに挟まれたエイのような形をした四国を小さくしたような島である。

こんなところで起業をした日本人がいたとは驚きであった。

キプロスはギリシャ系のキプロス共和国とトルコ系の北キプロス共和国に分かれその帰属を巡って紛争が続いている。
キプロス共和国はEUに加盟しているが、ギリシャの金融危機に連動し、金融破綻を招いたことがある。
小国にもかかわらず、高金利と低税率を実施することでロシアなど海外から多くの資金が集まることとなり、キプロスの金融機関が巨大になりすぎてしまった。

一方ギリシャ系住民が多数を占めることから、ギリシャ危機に連動することになり、EUに支援を求め、EUは支援を実施するとともに、 ペイオフにより預金者に預金カットの多大な負担をさせることで金融危機は回避された。
これによりキプロスの金融立国は終焉を迎えることになった。

そうしたことがあっても、お客様がそこで企業活動をするにはそれなりのメリットがあるのだろう。

お客様は以前から河原朝生の画集を持っていて、その作品に癒され、いずれは作品を持ちたいと思っていたそうで、今回の個展にギリギリ間に合い、念願が叶うこととなった。

是非会社がさらなる発展をして、河原コレクションの充実を図っていただけるとありがたいのだが。

4月5日 桜

桜も盛りを過ぎたようだが、束の間の美しさを目にとどめようと、駒場公園、千鳥ヶ淵に続き、今朝は代々木公園に行ってきた。

「散る桜残る桜も散る桜」、良寛さんが桜の儚さ、限られた命を歌った句だが、この歳になると、春を迎える一瞬がとても愛おしくなる。
後回しはやめようとその一刻一刻を目に焼き付け悔いがないように生きたいと思っている。

明日の日曜日は大学のヨット部のキャプテンで50歳で亡くなったA君のお墓に仲間と行ってくる。
毎年桜の季節に墓参りをし、その後仲間たちと一泊の旅行が恒例となっている。

同じ50の時に高校の親友、大学の親友を失った。
3人ともまだまだやりたいこと見たいことがたくさんあったと思う。
パッと咲きパッと散ってしまった三人のこと思うと無念でたまらない。

やりたい事、見たいことを後回しにしない、その時に思ったことである。



4月4日 コレクション

昨日は1月に亡くなられたT氏のお宅へお悔やみに伺った。

生前お世話になり、作品も多くコレクションしていただいた作家の鈴木亘彦と浅井飛人と共にお線香をあげさせていただいた。

お宅には生前と変わらぬコレクションの数々がそのまま展示されている。
同行した二人の作品も展示されていた。

3階建の広いお宅に立体を中心としたコレクションが飾られ、まるで美術館のようである。

特に多いのは小林健二、若林奮、加納光於の作品で、3人の代表作はほとんどT氏が持っている。

コレクションはかくあるべきという見本のようで、それに付随して私どもの作家をはじめとして多くの作品を収集された。

昨年末に亡くなられた寺田氏も難波田龍起・史男親子のコレクションを中心に若手作家を多くコレクションされた。

こうした特徴のあるコレクションだと美術館にとっては喉から手が出たくなるほどのコレクションである。

同じコレクションでも特徴がないと、コレクターの方が亡くなるとコレクションの行き場がなくなったり、市場で売却も難しくなる。

特定の作家だけではなく、今まで売却を依頼されたコレクションでも幻想美術を網羅してあったり、70年、80年代の抽象美術となると多くのコレクターや画廊関係者が関心を持ってみえてくださる。

一月前倒しして開催する恒例のギャラリー椿オークションにも別のお二人のコレクターの方のコレクションが多数出品される。

これも特徴のあるコレクションで、多くの方の関心をひくに違いない。

その前の6月にはオブジェ展の予定があり、そこにT氏コレクションも出品されることになっている。

ご期待いただきたい。

4月3日 スリ

朝の散歩で玉川上水を幡ヶ谷の方へ向かって歩いてきた。
ここも駒場公園と同じでほとんど人がいなくて絶好のお花見スポットである。

ここしばらく花冷えが続き、桜も今週末まではなんとか持ちそうな感じがする。
夕方に神田方面に集金があり、その帰りにでも千鳥ヶ淵にでも行ってみようと思ったが、集金のお金を持って人混みの中を歩くのは流石に危ないのでやめることにした。

私どもの上の画廊の社長が香港で携帯とアイパッドをなくしたそうだが、両方とも出てきたそうで、香港も昔とはだいぶ違うようだ。

私は以前に香港で財布を盗られたことがあった。
偶々大きなお金やパスポートなどは別の財布に分けて入れておいたので、米ドルで五万円くらいの被害ですんだが、韓国の通帳とキャッシュカードが一緒に入っていた。
そこには韓国で集金した大きなお金が入っていて慌てた。

警察に行くと香港では多分出てこないだろうと言われ、その後に韓国語のメモが入った財布が見つかったと言ってくれたが、それは違う財布でお金やカードは全て抜き取られていた。

偶々運良く扱い作家で韓国の彫刻家が香港に来ていたのである。
画廊から彼に連絡を取ってもらって、彼から韓国の銀行に引き出されるのを防ぐように頼んでくれてことなきを得た。

香港のスリが韓国まで行くことはないだろうが、仲間が韓国にいる可能性もあるのではと、その時はかなりパニックになったが、まぁ運が良かった。

海外での失敗は数え切れないが、 実害があったのはこのときくらいで、忘れ物や落し物も今の所戻ってきていてまずは安心なのだが、寄る年波油断は禁物である。

4月1日 入学式

今日は母校の大学の入学式。
卒業50年を迎えた私たちは恒例により入学式に招待されることになっていて、クラスメートとともに参加した。
新入生6000名余、卒業生1700名、他に大学関係者、父兄が参加しての盛大な入学式であった。

今日この日の入学生は、平成生まれで平成最後の学生ということになるわけで、令和の新しい時代を担い、新しい時代を築いていくことになる。
希望を持って大学で勉学に励み、クラブ活動を楽しんでいただきたい。

私達の時代は70年安保の真っ最中で、卒業式も危ぶまれ、バリケードや立て看板のある騒然とした中での卒業式であった。
それだけに令和の年にふさわしい穏やかで清新な中での式はひときわ感慨深いものがあった。

久しぶりに校歌を合唱し、応援歌を肩を組んで歌った時は胸にグッと迫るものがあった。
叶うのであれば今一度あの時に戻れたらとそんな思いに浸った。

二次会はクラスメートの一人が旭日双光章を受章したこともあって、そのお祝いを兼ねての会となった。
もう次はないと思うが、仲間達とできうれば25年後の入学式にまた参加しようということで散会となった。



バックナンバー

RETURN