ギャラリー日記

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5月18日 木村繁之展紹介

画家仲間で山仲間でもある柄澤齊氏が木村展をFBで紹介していただいた。

木村繁之個展《木彫》を観る。

仏として造られてはいないが、念侍仏を思わせる木像の小さなたたずまいは、地上の役目を終えたものの閑かな時間と音をまとっている。

何体か、特別に手に取らせてもらうと驚くほど軽い。

求める人の手に渡り、日々少しずつ、気づかれないほどの重さを蓄えていくのだろうと思い、骨のように、しだいに軽さを増していくのかもしれないとも想う。

触れる手を待っているが、その手は独りの手でなければならない。

そんなひそやかな造形を自分でも試みてみたいと思いながら作者と山での再会を約し、都心の喧騒へ出た。

25日まで。
11:00〜18:30(日祝休廊)

GALLERY TSUBAKI / GT2
中央区京橋 3-3-10
www.gallery-tsubaki.net


5月17日 新緑

寒かったり、暑かったりの不順な天候もどうやら落ち着き、風薫る新緑の美しい季節となってきた。
画廊の奥のスペースの木村繁之展では通りに面した壁を外し、通りにある木々の緑が窓越しに見え、作品と合わせて来場者の目を楽しませてくれる。
桂の木の緑が目に眩しいほどである。

中央通りも街路樹として新たに桂の木が植えられた。
銀座の柳ではなく、銀座の桂が代名詞になる日も近い。

窓からは桂と一緒に山桜の木も植えられている。
まだ幹が細いが3月になると早咲きの桜の花が咲き、春の訪れを知らせてくれる。

表玄関の斜め前にも小公園があり、ここも都会では珍しいミヤコワスレ、なでしこ、紫蘭、ホタルブクロといった山野草が植えられ、可憐な花を咲かせている。

大都会の真ん中にこうした木々や花が植えられ、一服の清涼剤となっていて、街の緑化の恩恵を私のところは存分に享受させてもらっている。



5月15日 オークション

台北の6月のオークションに中村萌の作品がいくつも出品される。
市場評価されるのは嬉しいが、購入されてすぐに出品されるのは困ったものだ。
この一月の台北のフェアーでどうしても欲しいと言われて、その熱意にほだされて買っていただいた作品をオークションカタログで見たときはかなりのショックであった。
カタログの締め切りがあるから、買われて2、3ヶ月後には売りに出したことになる。
しばらく楽しんいただいて事情があって手放されるのは仕方がないが、あっという間に売りに出してしまうとは、それも購入価格の何倍かの価格で。
本当に欲しい人に作品が渡らず、転売目的の人に作品が渡るのは複雑な思いである。
今度の個展では対策を考えなくてはいけない。




5月9日A 木村繁之展

木版、テラコッタと多様な表現をしてきた木村が今回は木彫作品を並べる。
木版同様に儚げで優しさを秘めた木彫は、まるで教会の聖者達が並んでいるようで、凛とした雰囲気を醸し出している。

ダイナミックな大島の木彫と木村の繊細な木彫との対比を見ていただくのも一興である。





5月9日@ 大島康幸展

二つの木彫展が今週土曜日から始まります。

大島康幸展
FAKE FUR 2019-Kong's Banquet

巨大なワニが床に横たわり、壁には虎や蛇が、椅子には黒豹や猫たちが。
どれもモノクロームで彩られ、抜け殻のように弱々しく垂れ下がり、しかし眼光は鋭く、獲物を見据える。






5月7日 令和元年

長い連休も終わり今日から仕事。

連休中は友人たちとゴルフ、孫とサファリパーク、家内と安曇野の友人宅とチューリップ公園へ、あとは温泉でのんびり過ごさせてもらった。

大学の友人たちに長い連休だというと、我々は365連休だとかえってきた。
大変だが仕事があることに感謝である。

テレビも連日令和一色で、正月が二度来たように盛り上がっている。
他の国にはない(中国など東アジアでは昔使われていた国もあるが)日本独自の制度で、天皇の交代の時に新たな元号が制定されるわけで、 私は気持ちを新たにする意味でもとてもいい制度のように思う。

今までは天皇の崩御に伴い元号が変わるので、今回のようなお祭り騒ぎは近世に入って初めてのことではないだろうか。
平成の時はしばらくは喪に服するために歌舞音曲の類は自粛し、テレビは広告を控えめに、色々のおめでたい行事も中止になったことを覚えている。

私もこの時と今回と二度改元を経験することになったが、昭和は一番長い元号ではなかっただろうか。
その長い間に日本は忌まわしい太平洋戦争と敗戦を経験したが、私は幸い敗戦の翌年に生まれたので、悲惨な記憶はあまりなく、戦後の高度成長と平和な時代を過ごさせてもらった。

平成に入ると一転して、バブル崩壊、リーマンショックにより、経済は停滞し、地震、大雨、洪水と自然災害が日本列島を襲い 、 少子化による保険制度の見直しなど苦難な時代を経験することになった。

美術市場も昭和の好景気を謳歌した時代から平成に入ると大きく様変わりし、美術の価値観の多様化と共に長い不況の時代に突入し、現在に至るわけである。

そういう意味でも令和という新しい時代を迎えたことで、希望に満ちた明るい時代になること期待する。

私の年では次の元号を迎えることは余程のことがない限りないだろうが、晩年を締めくくる良き時代を過ごすことができたらと思っている。




5月1日 令和元年

昨日天皇陛下が退位され、今日のこの日新天皇が誕生した。
平成時代が終わり、令和元年となった記念すべき日となった。

昭和天皇が崩御された平成元年に父親も亡くなり、忘れられない年となったが、そこから31年を経過したことになる。
画廊も振り返るとバブル崩壊後の美術不況がつづき、この間、オークション会社の社長を勤めたり、立ち退きによる画廊移転、海外美術市場への進出、 ネット社会によるグローバル化、それに伴う価値観の多様化などなど昭和では思ってもみなかった展開となった。

決っして平坦な道ではなかったが、苦難の時に不思議とそれを乗り越えるチャンスが巡ってきて、この31年を無事過ごすことができた。

何より嬉しかったのは、私が古希を迎えた時に関わってきた作家たち90名が協力して、私のために記念展を開いてくれたことである。

作家と共に歩むをモットーにやってきただけに、それが報われ、こんな嬉しいことはなかった。

令和の新時代を迎え、来年には東京オリンピック・パラリンピックが開催され、不況、自然災害が続いた平成時代と違い、明るく希望に満ちた年になるような気がする。

美術業界にも長かった冬を乗り越え、春の新風が吹いてくれることを願っている。

4月27日 立体展

今日で月並みにいうと平成最後の展覧会の最終日。
明日からは私どもも9日間のお休みをいただく。

開けて令和元年、すぐに木村繁之、大島康之がそれぞれのスペースで木彫を発表する。
今回の塩澤展も陶による立体展だったが、更に6月にも私どもの作家を含めた多くの作家とコレクターコレクションによるオブジェ展を予定していて、立体の発表が続く。

先日の朝日新聞のチャリティー展も立体アート展だったし、先日覗いた文化村ギャラリーでも立体作品が多数売れていて、世間は立体アートに目が向くようになったのだろう。

事実、塩澤展も恐竜作品は完売に近く、若干地味目の昆虫作品や動物作品も売れていて、予想を超える結果となっている。
私どももそうした流れを意識したわけではないが、立体展が確かに多くなってきた。

連休明けの立体展を楽しみにしていただきたい。


4月26日 釜山アートフェアBAMA

昨日から韓国釜山でアートフェアが開催され、私どもも参加をしている。
このフェアは釜山画廊協会が主催するフェアで、BAMAと称して昨年から開催されるようになった。
以前から参加しているアート釜山とは別のフェアで、同じエリアで競合する形になっている。

このように韓国ではアートフェアが盛んに行われていて、というより多すぎで韓国各都市で年に50くらいのアートフェアが開催される。

これでは幾ら何でもお客様も食傷気味で、フェアへの関心も薄くなるのではと心配してしまう。
事実私は他にテグのフェアやホテルフェアにも熱心な誘いもあって参加していたが、年々来場者は少なくなり、色々とサービスはしてくれるのだが、 ビジネスチャンスも少なく、ここ数年は参加を見合わせている。

今回の釜山のフェアも昨年の様子からすると、大した期待は持てないのだが、お付き合いもあって参加をすることにした。

韓国出身で日本のある会社の社長さんと結婚して長く日本にいて、韓国のフェアでいつも手伝いをしてくれる崔さんが釜山に行ってくれるのと、 リユンボク君をはじめ韓国のうちと関わりのある作家さんが手伝ってくれるということで、画廊からは誰も行かずに作品だけを送ることにした。

さてどんな結果になるか、報告を待つことにする。


4月25日 中村萌

送られてきた連休に開かれるオークションリストを見ていたら、中村萌のフィギュアが出品されているではないか。

ネットオークションや海外のオークションでは頻繁に見かけるが、日本のオークションに出るのは私の知る限り初めてではないだろうか。

昨年秋に台湾のトイフェアで15万円で発表したフィギュア作品なのだが、落札予想価格が50万から60万となっている。

ネットオークションではすでに100万ほどになっているので、その数字に驚くことはないが、やはり複雑な思いにさせられる。

本当に欲しい人の手に渡らず、転売目的の人に作品が渡ってしまうのがなんともやりきれない。

ついこの前は、彼女のサイン入りのポストカードがオークションに20万で出てたのには呆れた。

フェアでポストカードを一枚100円で買っていただいた方にサインをして渡すことがあるが、それが売られてしまうのだからたまらない。

タレントやスポーツ選手のサイン入りグッズがネットで高く売られているのはよく目にするが、まさか中村萌のポストカードがそんなことになるとは。

予定している彼女の個展が多少延期になるが、その折に転売を目的とした人に渡らないようにするために色々と策を講じなくてはいけない。

それから展覧会の折に知らない人から頼まれても、むやみにサインをしないように気をつけなくてはいけない。
奈良美智などは絶対にサインをしないそうだ。

現在個展の準備に追われているが、秋には台北でのフィギュアショーとアートフェア、冬にはこれも台北の崋山という若者に人気の文化エリアがあるが、 そこの大きな展示場で大規模な個展の予定とスケジュールが目白押しである。

ただ崋山では台北のお客様からお借りした作品でやることになっているので、ここでは新作を作ることはないのだが。

他にも日本や台湾の美術雑誌で特集が組まれる事になっていて、そのインタビューなどで制作以外にも中村萌は忙しい毎日を送っている。

そんな忙しく一生懸命制作をしている彼女をブローカーまがいの人たちから私たちは守らなくてはいけない。

4月23日 オークション

韓国に行ってる間にオークションが開かれた。

以前に私どもで売却した山本麻友香の大作2点と門倉直子の大作1点が出品された。
どれも代表作と言っていい作品で、手放されたのは誠に残念だが、是非私どもの手元に戻したいと思った。

他にも多数若手作家の作品が出品されていたが、どうやら同じコレクターからの出品のようである。

出品されることを全く気がつかなかったのだが、偶々オークション会社のFBに下見会場の写真が出ていて、ちらっとだけ山本麻友香の作品が写っているのを見つけた。
ジュエリーやガンダーラ美術が多数出品されているオークションカタログだったので、ちらっとしか見ていず、FBが私を呼んでくれたのかもしれない。

翌日から韓国に行く予定になっていたのだが、偶々FBで見つけたその日に作品の下見ができることがわかり、慌てて下見会場に駆けつけた。

久しぶりに二人の作品に対面である。
他にも別の作家の作品に目が留まり、合わせて数点の希望価格を入札表に書き込み、当日はスタッフが電話で対応してもらうことにして、韓国に出発した。

結果は山本の作品1点と別の作家の作品1点が落札されたとの報告を受けた。

落札できなかった山本の作品は2メートル近い作品で、大きすぎて誰も落とさないだろうと高をくくり、安めに指値したのが失敗であった。

わずかワンビットの違いだっただけに、逃がした魚は大きい。
私が直接会場で競りに参加していたらと悔やまれるが、こればかりは致し方ない。

まあ日本で山本の大きい作品が売れたと思って良しとしよう。
いや待てよ、海外からの落札だったかもしれない。
オークションに作品が出て困るのは、誰に作品が渡ったかわからないことである。

回顧展や画集を作る際に作品の行方が分からないのは、作家や画廊にとっては何とも歯がゆい思いがする。
オークション会社が売り先を教えてくれればいいのだが、守秘義務があってそうもいかない。

また出会う機会もあるかもしれないので、その時を待つことにしよう。


4月21日 Choice Art

前日のテヒョクさんのレセプション以外は今回は予定がなかったのだが、昼は昨日レセプションにみえたSPギャラリーの招待で素敵なイタリアンレストランで昼食をご一緒させていただいた。

SPさんもテヒョクさんの作品には興味があり、シカゴのフェアに出品したい意向を持っているのだが、 厄介なことに朝鮮日報との契約で、向こう3年は他所で発表をしてはいけないということになっていて、彼も悩むところである。
ソウルでの発表はそういう契約なら仕方ないが、海外での発表ならいいと思うのだが。

終えて、これも昨日のパーティーと二次会に来ていたchoice artのオーナーのソフィアさんの招きで昨年オープンした画廊を訪ねることにした。

泊まっているホテルまでSPさんに送ってもらい、ホテルにはソフィさんが向かえにきてくれることになっていたのだが、ホテルの前の大通りが大変なことになっていた。

保守系の人たちの大規模な反政府デモに遭遇してしまった。

機動隊の数も物凄い。 というわけで両方の車がホテルにたどり着けず、途中で降りて、またデモの影響のないところまで歩いて向かうことになった。

何とかソフィアさんの画廊に到着。
美人でノーブルなソフィアさんに相応しい瀟洒な画廊で、入口の両脇には桜と紅葉の木が植えられている。

彼女は15年アメリカにいてアートを勉強し、昨年画廊をオープンしたばかりだが、画廊では今韓国メディアで注目のキムジヒの個展が開催された。
この画廊の雰囲気にぴったりの作家で、韓国だけでなく、台湾や香港でも話題になりそうなアーティストである。

夜は初めてお会いしたにもかかわらず、美味しいお肉をご馳走になり、その後もグランドハイアットホテルでお茶をご一緒させていただいた。

よく日本には来るというが、あまりにセレブすぎて、日本に来られた時に安い寿司屋や天ぷら屋にお連れするのが気がひけるのだが。



4月20日

ホテル近くの徳寿宮を散策。
初めて韓国で開かれたアートフェアに招待された折の開催場所が確かここだった。

仮説のテント小屋のようなところだった記憶があるが、当時は初めて訪れた韓国で周りの景色も見る余裕がなかったのか、はっきりとは覚えていないが。

宮殿の目の前にソウル市庁舎があるが、市庁舎の奇抜なデザインが何ともそぐわない。
横に立つ石造りの旧市庁舎の方がよほどいいように思うのだが。

京都駅の軍艦のような建物も同じである。
古都にはふさわしくない何とも奇抜なデザインにはがっかりさせられる。

昼からはお世話になっているSPギャラリーのオーナーと食事をして帰ろうとすると、ホテルの前の大きな通りが騒然としている。

物凄い数のデモ隊が韓国国旗を掲げて行進をしている。
それに対して機動隊なのだろうか、大勢の隊員がデモ隊と小競り合いをしたり、規制された道路からデモ隊が広がらないように列をなしている。

どうやら現政権に対する抗議デモで、拘置されている元パク大統領の写真も掲げられ、釈放を要求しているようだ。

この行進に阻まれ、昨日初めて展覧会場でお会いして、私を画廊に案内してくれることになっているオーナーのチョイさんも車がホテルに向かえない。
行進を避けて歩いてチョイさんの車に向かい、何とか画廊にたどり着くことができた。

韓国では何度かこうした規模の大きいデモに出会うことがある。
以前にもデモのために道路が封鎖され、約束の時間に2時間も遅れてしまったことがあった。

現政権も北朝鮮への対応や景気後退、そして繰り返される前政権や財閥系への圧力に対する保守派の不平不満がたまっているのだろう。




4月19日 キム・テヒョク個展

早朝の飛行機でソウルへ。

今日から朝鮮日報本社にあるギャラリーで私どもがアートフェアで紹介しているキム・テヒョクの展覧会が始まった。

広い会場に白と黒の世界が広がる。
テグスを縦横に張り巡らせ、そのテグスに絵の具を引っ掛けるような彼独特の技法で制作している。

今までは点の作品が多かったが、今回は新たにテグス全体に絵の具を重ねる面の作品を発表した。

東京芸大大学院で野田哲也氏のもとで版画を学び、卒業後芸大で助手を務めた後、韓国ではこうした技法で制作を続けている。

会場には私どもで3年ほどアルバイトをしてくれたキム・ソヒや長年お世話になっているSPギャラリーのオーナーをはじめ多くの人が詰めかけた。

レセプション終えて、二次会ではサムギョプル(豚カルビ)で大いに盛り上がった。




4月18日 「心の力」

高校までは凝念というのを朝の授業前にやらされていた。

坐禅のように足は組まないが椅子に座って指を組み少しの間瞑想をするのだが、学生時代は面倒くせーと思っていた。

それでも習い性というのはすごいもので、大学受験の折に、クラスメート何人かとと一緒にテスト受けたのだが、答案用紙が配られる前の緊張の時間に私は自然に凝念をして心を落ち着かせていた。
すると他のクラスメートもごく自然に凝念をしたという。

私はそこの小学校には行ってないが、息子は小学校から通っていて、この凝念をやらされた。
その時先生は創設者が作った「心の力」という文章を唱和するのである。

卒業生は多かれ少なかれその影響を受け、人生の指針とした。

私は年月が経ちすっかり忘れていたのだが、大先輩の刑法学者で、元早稲田大学総長のN先生が中国学会から表彰される式に招待された折に、 早稲田精神以上にに培われたのが、小学校の時から唱和した「心の力」であると挨拶の中で語られた。

そのことが心に残り、机の奥にしまってあった「心の力」の小冊子を取り出し、読んでみることにした。
当時は難しすぎてお経のようにただ唱えるだけであったが、この年になって読んでみるとなるほどと心に響き、澄んだ心持ちになるのである。

一節を紹介させていただく。

天高うして日月懸り、地厚うして山河横たわる。
日月の精、山河の霊、鍾(あつ)まりて我が心に在り、高き天と、厚き地と、人と對して三(みつ)となる。
人無くして夫れなんの天ぞ、人無くして夫れ何の地ぞ。

中略

見よ、雲に色あり、花に香あり、聞け、風に音あり、鳥に聲あり。
この中に生を託したる、我人にこの心あり。

後略

こうした文章が六節まで続くのだが、今はこれをカバンに忍ばせ、時間ある時に唱えることにしていると妙にに心が落ち着くのである。

4月17日 超我の精神

昨日は版画組合のオークション。

年に2回ビジター画廊を招いての大きな会である。

組合系のオークションは公開オークションの影響で、出来高は以前に比べ厳しくなっているが、 反面そうした場での情報交換や業者の連帯感というのは公開オークションでは叶わないことである。

しかしながら、そうした業界人としての結びつきを面倒がる人や敷居が高いと敬遠する人も多く、組合員数は伸び悩んでいる。

これは私が入っているロータリークラブでもそうで、私が入った当時は150名の会員がいたが、今では半数以下になってしまった。

私がこういうところに入っているのも、個人ではできないことが、価値観を共有した人の集まりに入ったからこそ達成可能なのだと思っているからである。

ある程度の年齢になると、自分のためではなく、業界のため、社会のために何かできないかと考えるようになる。

言ってみれば、超我の精神である。

自分を育ててくれた業界や社会に恩返しをしたいと思うようになる。

先日も高校のクラス会や、大学の卒業50年の集まりがあったが、そこで感じたのはこの学校に入って本当によかったと思うことである。

肩を組み校歌を歌い、昔話に花を咲かせることで、私が育った青春を悔い無く過ごせたことに感謝をするのである。

校歌というのは、テレビでラマルセイユに由来すると言っていたが、フランス革命の達成感とは少し違うが、確かに母校への愛着心を掻き立てられる。

校歌を高らかに歌い上げることで、一緒に学んだ友人たちとの絆を今一度思い起こさせてくれる。

娘の高校で、卒業式に国歌斉唱の時に起立していた教師の何人かが着席をしてしまったのをみて愕然とした。

母校愛同様に日本人であることの誇りを植え付けなくてはいけない教師が、そうした行動をとることに怒りさえ覚えた。

それぞれに思想や心情はあるだろうが、それを教育の場に持ち込み、戦前教育の歪みをそうした行動で示すことに、この人たちは自分のことだけを考え、 生徒や学校のことに深い思いを至していないのだと思わざるを得なかった。

超我の精神を今一度思い出してもらいたいものである。

4月14日 クラス会

毎年恒例の高校のクラス会が開かれた。

担任のH先生も出席予定だったが、高齢とあって今回は出席を見合わせた。

御歳93歳でまだまだお元気なのだが、遠くに出かけるのは難しくなってきたようだ。

先生はアマチュアの碁の世界では超有名な方で、日本選手権を何度も制していて、驚くのは80歳を超えてからも日本一の偉業に輝き、日本代表で世界選手権にも出場している。

スポーツの世界もそうだが、将棋や碁も若手が台頭し、トップクラスには10代20代がひしめいている中でこの歳で第一線で活躍しているのは驚くばかりである。

その碁も競技は今年から退くことにしたそうで、後はお弟子さんたちに碁の指導をしていくそうだ。

それにひきかえである。

クラス会が終わりに近づく頃に一人がろれつが回らなくなり、よだれ、鼻水を垂れ流していて、 もしや脳梗塞ではと心配したが、救急車は嫌だというので、仕方がないのでタクシーに押し込んで家に帰らせることにした。
そこにもう一人酔っ払ったわけでもないのに、歩くのがままならないのが出てきて、、これも担いで駅まで行き、なんとか電車に乗せることができた。

他にも膝に人工関節を入れたのがいたり、前立腺だ、肺気腫だと病人ばかりである。

40数名のクラスですでに10名が亡くなっていることもあって、その予備軍がまだまだいるのが心配である。

来年は養護施設でクラス会をやらなくてはいけないかも。

元気なのは先生だけだ。

4月13日 アートフェア

今日はようやく春らしい陽気になった。

展覧会も初日ということもあり、昼からはたくさんの人がやってくる。

以前にアートフェア東京で購入してくださった方が塩澤作品を購入された。

先のホテルアートフェアや朝日新聞のチャリティーもそうだったが、全て私どもにお見えになっているお客様が購入してくださっていて、 そうしたイベント会場での新しい出会いが後につながることが少ないといつも思っていた。

ただ、私どものお客様でもそうした場での高揚感というか、画廊では買わない作品をお客様がその場の雰囲気で買われる効果はあるかもしれないが、 日本のフェアに長年出てきた経験でいうと、新たな出会いがあっても後につながるケースはまずなかった。

海外だと、特に台湾の客様はフットワークがいいのか、フェアで買っていただいたお客様の多くが画廊に訪ねてきて、新たに作品を購入していただくケースも多い。

それだけに今回のお客様が再び訪れて買っていただいたのは、ことの外嬉しい。

よく考えると、フェアで出会うお客様はそういう場は行きやすいが、画廊には行きづらいということなのだろう。

その辺が私どもの課題で、もっと気楽に画廊に来てもらう算段をしなくてはいけない。
そうすればフェアに出るメリットも増えるのだろうが。

難しいところである。

4月12日A 服部知佳個展

同じく服部知佳展も始まる。

黒と白の微妙な色彩が織りなすファンタジックな世界。
加えて、春爛漫を思わせるピンクの艶やかな色の乱舞。

どの作品も透き通るように美しい。
薄く塗り重ね、薄く拭き落とす、その重なりでかくも美しい色彩が生まれる。

私的には曽谷朝絵、伊庭靖子、掘込幸枝に加え、服部知佳が現在の作家たちの中でひときわ抜きん出た色彩表現者だと思っている。



4月12日 塩澤宏信展

明日より塩澤宏信個展がGT2にて始まる。

微細な部分まで一つ一つ焼き上げ、それらを組み合わせて作り上げていく。
出来上がった造形は恐竜やや昆虫、それに組み込まれるのが旧式のオートバイや自動車、双発式飛行機と全てが子供達がワクワクするものばかりである。

作者のコメントがあるので紹介させていただく。

妄想内燃機工匠/巨視的試作研究室 コメント

無機物である「内燃機関」と有機物である「生物」という、かけ離れた佇まいの存在を、一つの装置として具現化する。
そのような妄想に取り憑かれた試みが「妄想内燃機工匠」である。
無機物と有機物という相反する要素を、有り得ない存在に複合する為には、それぞれの仕組みや形態をよく見なければならない。
「よく見る」とは、細部を見落とさず、また細部に囚われて全体を見失わない程度に巨視的に見ることである。 そして無機物と有機物そしてそれぞれがそこに存在するゆえの普遍性を見いだす為の作業である。
作ることは、そこから導き出されたかたちを探る行為である。




4月11日 消費税

明日は高校の仲間とのゴルフコンペが河口湖で予定されていたが、10日の季節外れの雪でゴルフ場がクローズとなり、やむなく中止。

ゴルフ仲間からは雨男で知られているが、まさか4月の桜も散り始めたこの時期に雪とはと、友人たちはあきれ果てていた。

日記も日常のことを書くことが多くなり、アートに関連した話題がないのは、やはり暇な証拠である。

そこでちょっと硬くなるが、10月から実施される消費税について触れてみたい。

美術品も例外とはならず10%が課税されることになる。
新聞や飲料食品のような軽減税率も適用されない。

フランスでは美術品に対し軽減税率が適用されているが、日本ではそうもいかないようだ。
消費税というからには、対象は消費されるものではなくてはならない。
では美術品が消費される消耗品かというとそうではない。
耐久消費財という長期にわたり使われ購入価格が高いものの分類にも入らない。

消費されない美術品に消費税をかけるには実際矛盾が生じる。
土地の譲渡や貸付には消費税はかからない。
それは土地が消耗しないからである。

では何故美術品が消費税対象になるかというと、国税が美術品を消耗品と見ているからである。
それならば、耐久消費財のように美術品も償却対象とならなくてはいけない。

小はパソコンから大は自動車、船舶などがあげられる。
よく金持ちが自家用ジェット機を持つが、それは償却が5年となっていて、大きな利益が出るときに節税になるからで、ただの見栄で買うわけではない。

というわけで、4年前に美術品も100万円までは8年で償却できる消費財とみなされ、法人では経費として計上できることになった。

以前は20万円までは経費とみなされたが、それでも美術年鑑に載っている作家はダメとか、わけがわからない決まりがあったことを考えると一歩前進したとは言える。

であっても、普通で考えれば100万円までの美術品は消費税をかけられるのは仕方がないが、それ以上は償却できないのだから、土地と同様に消費税の対象にならないというのが理屈ではないだろうか。

見方を変えてみる。
美術品の多くは年月を経ると購入価格より高くなることは少ない。
多くは価格からすれば目減りして行くことになる。
であれば、美術品も消耗していることになり、100万円なんてケチなことを言わず、上限なしでジェット機などと一緒に償却できるものとして経費扱いにすべきである。
そうであれば消費税がかかっても文句は言わないのだが。

耐久消費財なのか、消耗品なのか、土地のように永遠に消耗しないものなのか、この矛盾を税務当局がどう説明するのか聞いてみたいものである。

4月10日 眼医者

眼医者に行ってきた。
記憶では人生3回目の眼医者である。

今年に入ってから朝、外に出ると涙が止まらなくなり、昨夜は朝から晩まで涙と鼻水に悩まされた。
いよいよ花粉症デビューかと心配になり診てもらうことにした。

結果は花粉症ではなく炎症を起こしているとのことで一安心。
ただ歳なりに白内障が進んでいて、しばらく経過を見てさらに進むようなら手術をしたほうがいいと言われた。

耳もだんだん遠くなり、目も霞み、泌尿器科に行ったりと、じわじわと老人化が進んでいて、いよいよ脳の心配もしなくてはならなくなった。

4月9日 忘れ物

日曜日の全美連の会議での書類をどこかにおき忘れてきた。
全く気がつかなくて昨日の朝出かける時に気がついた。

画廊からメールが入り、拾ってくれた方がわざわざ調べて画廊の留守電にメッセージを入れてくれたそうだ。

自宅のある駅で拾ったが、急いでいたので隣の駅に届けてあるとのこと。
朝から出かける予定があり、改めて取りに行くことにしたが、送らなくてはいけない書類も入っていて一安心。

名前も連絡先もおっしゃらなかったそうでお礼も言えないが、わざわざ電話番号を調べて連絡をくださったようで、この日記を借りて御礼を申し上げる。

忘れ物は日常茶飯事で、携帯は首からぶら下げるように家内に言われている。

その携帯で大学のクラスメートが先日の二次会の最中にどこかに忘れたことに気付いた。
入学式後の懇親会会場、領収書でわかったタクシーに私の携帯から電話して探してもらったが見つからない。

ボケが進んだとか散々からかって、いざ帰る段になり駅の改札口で私も携帯がないのに気がついた。
どうやら宴席に忘れてきたようだ。
とてもみんなには言えないので、電話をするので先に帰ってと言って、大慌てで戻ると、テーブルの上にあるではないか。

こんな具合で、6月に予定している検査に脳検査もオプションで付け加えることにした。

4月8日

日曜日は逗子のお寺で昨日の日記で書いたようにお墓参り。

暖かくこちらではちょうど桜が満開。
毎年恒例の墓参りなのだが、こんなに桜が綺麗なのも初めて。
亡くなったA君も花見を楽しんでくれているだろうか。
みんなで昼食を終えてから旅行組は箱根へ。

私は全国美術商連合会の理事会が夕方からあるので新橋の美術倶楽部に向かう。
汐留のパナソニックミュージアムでちょうどギュスターヴ・モロー展が始まっているので、会議の前に見に行くことにした。

私は古典の宗教画や神話をテーマにした作品はあまり好きではないが、モローの代表作も来ているということで行ってみたが、やはり私の好みではなく、さっと見て出てきた。

全美連の会議は相変わらず美術品への税制改革への提言を進めるという話だったが、私は一度韓国や台湾での文化行政の視察に政治家やお役人を連れて行ったらどうだろうかという話をさせてもらった。

日本のあまりに貧困な文化行政のあり方を知ってもらうには、文化を産業と捉えるアジア諸国の現状を実際に見聞きすることで多少はお偉いさんたちの意識が変わってくるのではと思っているのだが。

さて、重い腰を上げてくれるだろうか。


4月7日

河原展終了。

今回の個展では新しいお客様といくつかのご縁があった。

その中できのう個展に合わせて、成田から直行してくださったお客様がいた。

若いお客様で、なんとキプロスから着いたばかりで、キプロスでファンドの会社を経営しているそうだ。
キプロス共和国は以前はタックスヘイブンの国で、ここを拠点に主にロシアを相手に企業活動をされているとのこと。

キプロス共和国が地中海に位置することは知っていたが、どのあたりにあるかは定かでなく、どんな国なのかも知る由もなく、ネットで調べてみた。

ギリシャとトルコに挟まれたエイのような形をした四国を小さくしたような島である。

こんなところで起業をした日本人がいたとは驚きであった。

キプロスはギリシャ系のキプロス共和国とトルコ系の北キプロス共和国に分かれその帰属を巡って紛争が続いている。
キプロス共和国はEUに加盟しているが、ギリシャの金融危機に連動し、金融破綻を招いたことがある。
小国にもかかわらず、高金利と低税率を実施することでロシアなど海外から多くの資金が集まることとなり、キプロスの金融機関が巨大になりすぎてしまった。

一方ギリシャ系住民が多数を占めることから、ギリシャ危機に連動することになり、EUに支援を求め、EUは支援を実施するとともに、 ペイオフにより預金者に預金カットの多大な負担をさせることで金融危機は回避された。
これによりキプロスの金融立国は終焉を迎えることになった。

そうしたことがあっても、お客様がそこで企業活動をするにはそれなりのメリットがあるのだろう。

お客様は以前から河原朝生の画集を持っていて、その作品に癒され、いずれは作品を持ちたいと思っていたそうで、今回の個展にギリギリ間に合い、念願が叶うこととなった。

是非会社がさらなる発展をして、河原コレクションの充実を図っていただけるとありがたいのだが。

4月5日 桜

桜も盛りを過ぎたようだが、束の間の美しさを目にとどめようと、駒場公園、千鳥ヶ淵に続き、今朝は代々木公園に行ってきた。

「散る桜残る桜も散る桜」、良寛さんが桜の儚さ、限られた命を歌った句だが、この歳になると、春を迎える一瞬がとても愛おしくなる。
後回しはやめようとその一刻一刻を目に焼き付け悔いがないように生きたいと思っている。

明日の日曜日は大学のヨット部のキャプテンで50歳で亡くなったA君のお墓に仲間と行ってくる。
毎年桜の季節に墓参りをし、その後仲間たちと一泊の旅行が恒例となっている。

同じ50の時に高校の親友、大学の親友を失った。
3人ともまだまだやりたいこと見たいことがたくさんあったと思う。
パッと咲きパッと散ってしまった三人のこと思うと無念でたまらない。

やりたい事、見たいことを後回しにしない、その時に思ったことである。



4月4日 コレクション

昨日は1月に亡くなられたT氏のお宅へお悔やみに伺った。

生前お世話になり、作品も多くコレクションしていただいた作家の鈴木亘彦と浅井飛人と共にお線香をあげさせていただいた。

お宅には生前と変わらぬコレクションの数々がそのまま展示されている。
同行した二人の作品も展示されていた。

3階建の広いお宅に立体を中心としたコレクションが飾られ、まるで美術館のようである。

特に多いのは小林健二、若林奮、加納光於の作品で、3人の代表作はほとんどT氏が持っている。

コレクションはかくあるべきという見本のようで、それに付随して私どもの作家をはじめとして多くの作品を収集された。

昨年末に亡くなられた寺田氏も難波田龍起・史男親子のコレクションを中心に若手作家を多くコレクションされた。

こうした特徴のあるコレクションだと美術館にとっては喉から手が出たくなるほどのコレクションである。

同じコレクションでも特徴がないと、コレクターの方が亡くなるとコレクションの行き場がなくなったり、市場で売却も難しくなる。

特定の作家だけではなく、今まで売却を依頼されたコレクションでも幻想美術を網羅してあったり、70年、80年代の抽象美術となると多くのコレクターや画廊関係者が関心を持ってみえてくださる。

一月前倒しして開催する恒例のギャラリー椿オークションにも別のお二人のコレクターの方のコレクションが多数出品される。

これも特徴のあるコレクションで、多くの方の関心をひくに違いない。

その前の6月にはオブジェ展の予定があり、そこにT氏コレクションも出品されることになっている。

ご期待いただきたい。

4月3日 スリ

朝の散歩で玉川上水を幡ヶ谷の方へ向かって歩いてきた。
ここも駒場公園と同じでほとんど人がいなくて絶好のお花見スポットである。

ここしばらく花冷えが続き、桜も今週末まではなんとか持ちそうな感じがする。
夕方に神田方面に集金があり、その帰りにでも千鳥ヶ淵にでも行ってみようと思ったが、集金のお金を持って人混みの中を歩くのは流石に危ないのでやめることにした。

私どもの上の画廊の社長が香港で携帯とアイパッドをなくしたそうだが、両方とも出てきたそうで、香港も昔とはだいぶ違うようだ。

私は以前に香港で財布を盗られたことがあった。
偶々大きなお金やパスポートなどは別の財布に分けて入れておいたので、米ドルで五万円くらいの被害ですんだが、韓国の通帳とキャッシュカードが一緒に入っていた。
そこには韓国で集金した大きなお金が入っていて慌てた。

警察に行くと香港では多分出てこないだろうと言われ、その後に韓国語のメモが入った財布が見つかったと言ってくれたが、それは違う財布でお金やカードは全て抜き取られていた。

偶々運良く扱い作家で韓国の彫刻家が香港に来ていたのである。
画廊から彼に連絡を取ってもらって、彼から韓国の銀行に引き出されるのを防ぐように頼んでくれてことなきを得た。

香港のスリが韓国まで行くことはないだろうが、仲間が韓国にいる可能性もあるのではと、その時はかなりパニックになったが、まぁ運が良かった。

海外での失敗は数え切れないが、 実害があったのはこのときくらいで、忘れ物や落し物も今の所戻ってきていてまずは安心なのだが、寄る年波油断は禁物である。

4月1日 入学式

今日は母校の大学の入学式。
卒業50年を迎えた私たちは恒例により入学式に招待されることになっていて、クラスメートとともに参加した。
新入生6000名余、卒業生1700名、他に大学関係者、父兄が参加しての盛大な入学式であった。

今日この日の入学生は、平成生まれで平成最後の学生ということになるわけで、令和の新しい時代を担い、新しい時代を築いていくことになる。
希望を持って大学で勉学に励み、クラブ活動を楽しんでいただきたい。

私達の時代は70年安保の真っ最中で、卒業式も危ぶまれ、バリケードや立て看板のある騒然とした中での卒業式であった。
それだけに令和の年にふさわしい穏やかで清新な中での式はひときわ感慨深いものがあった。

久しぶりに校歌を合唱し、応援歌を肩を組んで歌った時は胸にグッと迫るものがあった。
叶うのであれば今一度あの時に戻れたらとそんな思いに浸った。

二次会はクラスメートの一人が旭日双光章を受章したこともあって、そのお祝いを兼ねての会となった。
もう次はないと思うが、仲間達とできうれば25年後の入学式にまた参加しようということで散会となった。



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